この苦しみ溢れる世界にて、「人外に生まれ変わってよかった」   作:庫磨鳥

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遅れました。楽しんでいただけたら幸いです。

紅葉崎もみじさんから支援絵を頂きました! 本当にありがとうございます!!

[人外プテラ君からのひと言]
言いそう。

[レガリア型ロック伝説]
多分、人前で歌えない。




第五十話

 

 高等部二年は()()による確かな絆があると、『篠木(ささき)咲也(さや)』は知っている。

 でも友達や親友、仲間などとは違う関係性であるということも知っている。

 

 その原因となるのは多数に及ぶが、ひとつ主なものを上げるとすれば、高等部に進学してから私達はお互いの関係について深入りしたことはなかった。

 

 『篠木(ささき)咲也(さや)』が、そうしたのは自分が過去に多くの失敗を積み重ねており、心の根っ子からトラウマを語るのがあまりにもしんどかったから、なによりも高等部二年のリーダーである土峰(つちみね)真嘉(まか)に嫌われるのが怖かった。

 

 つまり自分の過去を深掘りされたくなかった咲也は同級生たちの事情に深入りしなかった。

 もし何か気付いたとしても出来るだけ見えない振りをして、どうしても気になった場合は自分で聞くような事はせず、真嘉に言う以上のことはしなかった。

 

 ──そう、あんなに近くにいながら横に手を広げようとは思わなかった。真嘉と、彼女──来夢(らむ)を除いた全員が。その中でも特に私が。

 

 咲也は自分たち高等部二年ペガサスには確かな絆があると知っている。

 でもそれは他人で対等ではないからこそ成立しているものだという事も分かっている。

 もし高等部二年生の関係を会社の上司と同僚たちだなと後輩ペガサスが下した評価を咲也が聞けば納得したかもしれない。何故なら言語化こそしないものの、そうであると自覚しているから。

 

 ──そんな私たち五名の“友達”であろうとしてくれた彼女──来夢はもういない。

 

 後から気付いたことであるが、誰よりも前に立ち、背中を見せてリーダーとして導いてくれたのが真嘉であるなら、来夢は自分たちの間に入りこんで手を取り合ってくれた存在だった。

 

 ――来夢が居なくなった事で私たちは他人となり、各々が一緒に居るはずなのに孤独になってしまったようで、何もかもが狂い始めたようだった。

 

 私は来夢になれなくても関係を取り持つ役割を自分が担うべきだったと、咲也はここのところずっと思い起こしては後悔していた。

 自分にそんな能力が無かったとしても、たとえあの日アスクが来なくて、残りの短い日々を報われずに過ごすことになったとしても真嘉にリーダー役を続行させた自分が責任を持つべきだった。

 

(──無理だよ)(お前は)(なにも救えない)

 

「うっ……」

「あ」

 

 ──本当にそうだと、高等部区画から『街林』へと出入りする通路にて偶然であった『白金響生』を見て頭の中で反響する声に同意する。

 

「さやさや久しぶり! 元気に寝てた?」

「……貴女のほうこそちゃんと寝てるの響生?」

 

 咲也と響生がふたりきりで話すのは久しぶりで、記憶が間違って無ければ大規模侵攻前に食堂で話したきりだ。それ以外では必ず真嘉は傍に居て、咲也から話しかけるような事はしなかった。

 

「もー、きょうちゃんって言っててば~」

「……ちゃんと答えて」

「へいへいよー。まあそうだね、眠たくないからちゃんと眠れてるって感じかな!」

「なによそれ……まあいいわ、それよりもまたひとりで『街林』に出てたの?」

 

 咲也は今日の『街林調査』のメンバーとして待ち合わせ場所に向かう道中であった。響生はその逆『街林』から学園へと戻る途中であり、この一本道の通路に彼女以外の姿は居ないし、やってくる気配もない。

 

「最近、貴女がひとりで『街林』に居るところを何度か目撃したって話を聞くわ。なんでこんな危ない事をしているの? 月世先輩の指示なの?」

「マネーは大事ですね、()()()()……ちょっとした野暮用ってやつですぜお代官様」

「野暮用ってなによ?」

「もう、ボカした意味を考えてよね、相変わらずだなさやさやは」

「……あんたもねっ!」

 

 咲也は幻聴が聞こえる持病を持っている。『妖精』と名付けられているそれは、まだ耳の中でぼそぼそ音であるが、これ以上、響生と話すと悪化するのは目に見えていた。

 

「──歓迎会、どうして来なかったの? あの日どこで何をしていたのよ? 真嘉にもはぐらかしているそうじゃない? なんでよ……!」

 

 いつもなら『妖精』たちが騒ぐ前に退くタイミングであるが、探しても隠れているのか見つからない同級生と出会ったチャンスを逃したくないと、咲也は問い続ける。

 

「月世先輩から別件で動いているとは聞いたけど、内容については詳しく教えてくれないし……おかしなこと……していたの?」

「おかしなことって?」

「それは……言ってくれないと私も分からないわ」

「えー、ウルトラいきなりクイズだね! シンキンシンキンタイムライムお待ちになって十秒間! ぐるぐるぐるぐるぅかいしー!」

 

 テレビ番組の決め台詞のような事を言った響生は頭に向かって指をくるくる回す、わざとらしく考えてますっていう動作を行ない、うーとえーとっと考えてますっと言わんばかりに唸り出す。

 咲也は、そんなふざけている態度で答えようとする響生に、はっきりと苛立ちを感じてしまうが、出そうになった強い言葉をぐっと我慢する。

 

 ──咲也にとって響生は大切な同級生であることは事実だ。しかし仲が良い『ペガサス』かと言われると──正直言って苦手だった。

 

 意見や方針が対立関係になりやすいのは良い。感情的にもの申してしまう自分が正しいことばかりじゃないのは『妖精』に言われずとも自覚しているし、だからこそ意見を言ってくれるのはありがたいと思っている。

 時々、核心を突くような指摘をしてきて『妖精』たちに責められる材料になるが、これに関しても自業自得の範疇だ。

 

 しかし咲也にとって、響生の会話に混じるお笑いのネタらしき言葉を交ぜた話し方が苦手だった。

 作ったような笑顔も、たまに見せる無機質な瞳も、冗談にしても質が悪すぎる酷薄な発言も苦手だった。

 自分の事はいっさい話さず秘密主義で『久佐薙(くさなぎ)月世(つくよ)』の下で活動していること以外、なにも話してくれないし、あまつさえ誤魔化すし、それがまた妙に上手いのが苦手だ。

 

 他にもノリの違いが、戦い方がトリッキー過ぎて合わせ辛いところが、『ゴルゴン』を殺すのは自分の役割だと譲らないところが、そのあとの何時もの調子で笑う彼女が──

 

「あ、わかった! さやさやはね──きょうちゃんが『ペガサス』を“卒業”させてないか聞いてるんだね!」

 

 ──()()()()()彼女に、どう触れていいのか分からなくて苦手だった。

 

「安心してよ、()()誰も“卒業”させてないから!」

「……まだってなによ……」

 

 ぼかした部分を当てられたわけではないが、かといって的外れではないため咲也は当たり障りのない返事しかできなかった。

 

「そのままの意味だよ!」

「……話す気はないのね?」

「そうだね、だって面白くないし」

「面白くないって、じゃあなに、つまらなかったら何も喋らないっていうの……!」

 

(──また声を荒げている)(いつもどおり)(とことん懲りない)

 

 ──『妖精』の声が聞こえはじめた。まだ数は少ないが、五月蠅くなってきたため咲也は思わず癖で耳を塞いでしまった。

 

「無理はよくないよ、さやさや」

 

 咲也が響生と話すと感情的になってしまい、『妖精』たちがひどく騒ぐようになる。そうして耳を押さえる。これ以上はまともに会話もし辛くなるだろう、響生もそれが分かっているのか話を切り上げようとする雰囲気を醸し出す。

 

「……せめて真嘉にだけは話しなさいよ……心配していた……」

 

 ならと咲也のほうも聞きたい事を尋ねるのは諦めて、今度は自分の気持ちを伝えることに切り替える。

 

「……真嘉のこと、ひとりにしないでよ……」

「……無問題(モーマンタイ)! 高等部にたくさん『ペガサス』も『アイアンホース』も転校してきたし、すっごくブラック労働タイム中なので、むしろひとりの時のほうが今は少ないかもね」

「違う……! そういうのじゃない! ふざけないでよっ!!」

「──分かってるよ」

 

 咲也の本気の怒声に響生は平坦な声で答えた。顔を見れば口元はいつもどおり元気さを感じられる笑顔のままである。しかし、その眼は魂が存在しないかのように人形に等しい無機質なものとなっており、見てしまったものを笑顔とは真逆の恐怖へと染め上げるものであった。

 

 ──この顔を見せるようになったのはあの日からだ。真嘉だけじゃない、響生も中等部を合わせて四年間苦楽を共にした──来夢の友達だったんだ。

 

「さやさや、きょうちゃんはね。芸人さんが大好き。みんながやらないような事を嫌がっても最後までやって、それでみんなを笑わせる凄い人たち!」

「……なに、を言いたいのよ?」

「きょうちゃんは、そんな芸人さんになりたかった!」

 

 響生の話し方からしてお笑いが好きなんだろうなとは思っていた。でも芸人になりたいという夢を持っていたというのは初めて聞く話であった。

 もしかしたら、真嘉も知らないことかもしれない。初めて触れる白銀響生の気持ちに咲也は芯の底からどうしていいか分からず、単なる幻聴の類いでしかない『妖精』共々黙って話を聞くことしかできない。

 

「……でも才能なんて無かった。きょうちゃんに有ったのはむしろその逆。みんな笑顔が消えちゃうの、この間もそうだった」

 

 ──『ペガサス』には活性化率というものが存在する、それが100%になると人として終わりが訪れて、『ゴルゴン』と呼ばれる怪物へと到る。

 

 白銀響生という『ペガサス』は、そんな『ゴルゴン』を何体も殺している。制限がなく〈魔眼〉を行使でき、『ペガサス』時の経験を元とした動きで戦い、時には逃走も選べるほど判断能力がある。

 そんな『ペガサス』だった化け物を確実に殺してきた響生は、確かに才能があるのだろう。その才能の名前を咲也は決して言いたくは無かった。

 

 響生は『ゴルゴン』が出たという話を聞くと、私の出番だとでも言うように率先して前に出た。

 笑顔を浮かべ、高らかに笑い、終始いつもの調子で『ペガサス』の成れの果てを殺す。

 壊れている、狂っている、それが例え演技や振りの類いだったとしても誰だって笑える場面には到底成り得ない。

 

「それは……それの、おかげで……私たちは救われた……」

 

(酷い慰め)(むしろ罵倒)(殺してくれてありがとう!)(うわ最低)(何様のつもりで言ってるの?)

 

 黙することに耐えられなかった咲也は自覚しているほど疎かなフォローを口にしたことで、『妖精』たちがひどく騒ぎ始める。

 その声は相変わらず中等部時代に自分との言い合いが原因で“卒業”してしまった『ペガサス』のままであった。

 

「うん、そうだね! きょうちゃんも誰かのために成れていたんだ。だからね思うんだ。もしきょうちゃんが芸人さんのように皆を笑わせたいって夢をもっともっと早く諦めて、敵を殺すことだけに集中していたら来夢は“卒業”せずに済んだのかなって」

「っ!」

「その方がきょうちゃん的にも良かったんだ。だって、いつも誰かを笑わせてたのは来夢だったから──」

「……響生」

 

 今度は反対に『妖精』にどれだけ罵倒されようとも咲也は何も言うことができなかった。

 もし、響生が来夢の負担を背負うように戦っていたら、来夢の活性化率は抑制限界値近くまで上がらず、自ら毒を飲んで“卒業”しなかったかもしれない。

 でも、それはあくまで負担の引き受けだ。来夢が戦わなかった分、響生の活性化率は上昇しており、アスクが来るまでの何処かで“卒業”していただろう。

 

 もう訪れない、もしもの話でしかないのは分かっている。それでも咲也は来夢の代わりに戦えば良かった部分に共感してしまい否定すらできなかった。

 どう言葉を返せばいいのか、咲也は耳を押さえながら苦悶の表情を浮かべる。

 

「…………あ、え? ちょ、響生!?」

 

 ──本当に脈拍もなく、まるで糸が切れたかのように響生は膝から崩れ落ちた。

 

「……あれ? あ……倒れたのはきょうちゃんでしたか」

「だいじょうぶなの!?」

「だいじょぶい! 疲れが溜まっていたみたいね。つきっちにゆーきゅーしんせーをしたいと思います!」

 

 立ち上がって元気であることをアピールする響生。一見単なる立ちくらみでしかなかったように見えるが、彼女の言動全てが嘘であると咲也は看破してしまう。

 疲労によって力が抜けたというよりも、まさに一瞬響生の肉体から魂が抜けたかのような膝の崩れ方だった。

 

「咲也も、あんまり無理しちゃだめだよ──前も言ったけど、誰だって来夢の代わりにはなれないんだよ」

 

 響生は月世の元で何かをやっている以上のものを隠している。流石に無視できないと咲也が強引にでも詰めよろうとする前に、響生が放ったたったひと言によって、胃の奥底に押さえ込んでいた感情が一気に浮上する。

 

「そんなことはっ! 最初から分かってるのよ! でも! ……でも、ずっとこのままでいいはずがないでしょ……!」

「──そうかもね……じゃあきょうちゃんは疲労が限界なのでもう行くね!」

「まっ──っ!」

 

 制止しようとした咲也であったが、疲労が原因で倒れそうになったのが事実ならば留まらせるのはあんまりだと、『妖精』たちが再び騒ぎ始めたのもあって、伸ばした手を引っ込める。

 

「……このこと、真嘉に言うから」

「ええよ、いくらでも暴露(ばくろ)って! それじゃあばいばい紅茶(こうちゃ)ー!」

 

 そういって響生は、咲也に手を振りながら学園へと戻っていった。それを咲也は見送ることしかできない。

 

「…………本当に、なんなのよ」

 

 咲也は気分を落ち着かせながら、もう予定の時間を過ぎていると気づき、急いで『街林調査』のメンバーが待つ場所へと向かう。

 

 +++

 

「──あきらかに調子が悪かったわね。何かあったの?」

「ルビー。先輩への口の利き方がなっていません。ですがルビーのいうとおり体調が悪いのでしたら早めに上がってください。報告書は自分たちが書いておきます」

「今日は危ないところを何度も助けてくれてありがとうごーざいます!」

 

 ──『街林調査』は無事に終わり、成果も申し分ないものとなった。

 新しく調査した地点では望んでいた資材もあったし、先輩のお土産となる缶詰も見つかった。『プレデター』との戦いでは目立ったミスも起きずに終わった。

 

 しかし響生のことを引き摺っていた咲也は『妖精』の声もあって意識を逸らしがちになり、フォローの回数を増やした。

 それでも見逃しはなく、奇襲すらも完璧に対応して見せたのは『妖精』のおかげである。

 

「……はぁ」

 

『妖精』は、どこまでいっても咲也の無意識が発している“幻聴”でしかない。

 そのため咲也の心持ちで罵倒であるのは変えられなくても、意識の差で内容はある程度変わる。

『街林調査』をしている最中の『妖精』たちの罵倒内容は、広い視野で捉えているのにもかかわらず咲也の表面自我が気づけなかった部分の指摘である。

 

 カブトガニ型プレデターが潜んでいるのに見逃しているとか、天井が崩れそうだとか、通り抜けられる道を発見するとか多岐にわたる。

 あまりにも五月蠅く、時には他ペガサスの声すらも遮ってしまう事があるというデメリットはあるが、そのおかげで咲也は建物内探索能力が飛び抜けており、また指示役としても高い適性を持つため、今日のように建物内の調査が中心になる『街林調査』は確定でメンバーに選抜されていた。

 

(今日も気付かないことばかりだった)(目に入っていたのに気付いていなかった)(ダメなんだほんと)

 

「……ほんと五月蠅い」

 

 重箱の隅をつつくような『妖精』たちによる()()()()()。頭の中に直接届くため耳を塞いで聞こえないようにはできず、咲也の性格的にも気にしてしまうので、ひとり文句を口にするしかなかった。

 戦闘ではメリットを提示してくれるようになった『妖精』たちであるが、デメリットとして本人がいっさい制御できないのは変わらない。

 迷惑なものがちょっと便利になっただけだと思いながら、咲也は高等部寮へと帰ってきた。

 

「……レミ」

「あ、お疲れ様です……」

 

 広いリビングに入れば、そこにはロングソファの片隅に座り、紙の本を捲っているペガサス。咲也の同級生である『雁水(かりみず)レミ』が居た。

 

「「…………」」

 

 挨拶したあとに生まれる妙な間は、レミだけと顔を合わせた時によく発生しており、咲也は空気が重いと苦手であったが、『歓迎会』の準備で咲也が音楽担当、レミが衣装担当になった関係で図書館で一緒に作業したこともあって、ちょっとだけ慣れていた。

 

「……帰ってきてる?」

「あ、はい部屋に居ます。今日は香火だけですね。縷々川茉日瑠は東海道ペガサスの子たちと校舎のほうで作業中で、愛奈先輩、月世先輩たちもまだ帰って来ていません。でも時間的にゆっくりできるのは三十分ほどかと思われます、はい」

「そう……ありがとう」

 

 ただレミは別に無口というわけではなく話しかければ少し長文ではあるし、本題から脱線もしやすいが、きちんと返事をしてくれるし、短い言葉で多くのことを察してくれる咲也にとってまだ話しやすい子であった。

 戦いは不得意であるが、それ以外では読書して得た知識を元に第三者意見を提示して状況を進めてくれたりするので、助けられることが多い。

 

「「…………」」

 

 ──逆に言えばそれだけだ。『妖精』たちが騒々しくなるので本をまともに読めない咲也にとってレミと話せる内容は乏しく、彼女のことも何も知らないし、レミもまた咲也のことを知らない。

 

 レミは聞けば正直に、なんなら余分に答えてくれる子であり、北陸聖女学園、第七分校への転校についてどう思っているのと聞いたら怖いし、辛そうだし、しばらくまともに本が見られなくなるのは嫌だからできれば行きたくないとまで言う。

 

 そんなレミに咲也はあらかた聞きたいことは全部聞いており、特別なにかを隠しているような様子もないので、その結果として()()()()()()()と結論を下した。

 よって、咲也にとってレミは平和的に済んでいるが、いちばん遠い場所にいる相手のようだった。

 

「……行くわ」

「あ、はい……行ってらっしゃい……はい」

 

 ここにいても気まずいだけだとして咲也は早々と二階へと上がった。

 

 ──二階の壁や床は『縷々川(るるかわ)茉日瑠(まひる)』の絵によって埋め尽くされていたが、その絵を描いた本人たっての希望もあって綺麗に塗り直されてまっさらとなっていた。

 

 そんな普通となった廊下を進むと咲也は迷うことなく、とある部屋の扉を開いた。

 

 扉を開くと中から、ゆったりとしたバイオリン音楽が流れてくる。咲也にとって聞き覚えがある、というか自分が薦めたCD内のクラシック音楽に出迎えられた事で、中に居る彼が聞いてくれているとわかる。それだけで、『妖精』たちの声が小さくなった。

 

 彼はどんな姿勢でも苦しくならないためか、あるいは背中から生えている蛇筒という特殊な身体的特徴からそうせざるを得ないのか、集中していると人間なら辛い姿勢をしていることがある。

 そんな彼に、物作りが得意な後輩が巨体に見合った椅子をプレゼントした。

 

 それが、CDプレイヤーにて音楽を聴きながら読書をしている彼が腰掛けている椅子。丸みを帯びた足で前後に揺れることができるロッキングチェア。

 クラシックなデザインをしているが、自動制御(オートバランス)と姿勢固定装置、そして肘掛けが出し入れ可能など、幾つもの機能が備わっているハイテクなものとなっている。

 そして彼専用と言わんばかりに、穴抜けになっている背もたれから八本の触手が通り抜けており、力無く垂れている様は心の底からリラックスしているようだ。

 

「──貴方ってほんと、仕事終わりの優雅なひとときが大好きみたいね」

 

 言い方に棘が出てしまっているのは分かっている。だけどそれが人外の相手、アスクヒドラに対しての何時もの態度であり、彼にも許された、心を許した証であった。

 

「ああもう分かったから、そんなにはしゃがないで。こっちまで恥ずかしいの!」

 

 そんな咲也の声に反応したアスクは気さくに手の平を上げて元気よく振るって迎える。

 挙動制限が解禁された事で、やたら元気のいい動きをすることにまだ慣れない咲也は気恥ずかしさを感じる。

 

「というか香火が居るって聞いたんだけど……ああ居たわ、毛布にくるまっていたのね。気がつかなかったわ」

 

 来客用という名目で、アスクが背中を向けている方向の壁際に設置された、リビングに置かれているものと同じロングソファでは、同級生が毛布にくるまっていた。

 アスクが垂れていた蛇筒を起き上がらせて、呼吸がし辛いだろうと顔に被っていた毛布を捲ると中から『穂紫(ほむら)香火(かび)』の顔が出てきて気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

「ほんとう、貴方の傍だとずっと寝てるわね」

 

 香火もまた自分とは違う病を患っている。不眠症にして過眠症。強い眠気に従って瞼を閉じても、すぐに起きてしまうを繰り返す彼女は、アスクの傍にいる時だけは眠り続けることができた。

 

 ──香火のことも何も知らない。中等部の頃からその名前は聞いていたのに別のクラスで接点がなく、作ろうともしなかった。

 あちらは特別な存在だと、自分とは違うのだと勝手に比較して距離を置いた。

 さらに彼女は最強で気高き『ペガサス』だから大丈夫だと根拠のない断定をしてしまう、蓋を閉めていたことに気付いた時には手遅れになっていた。

 

 そこまで考えて咲也は思考を戻す。この時間だけは『妖精』が話し始めるようなことを考えたくなかった。

 

「──ん」

「ごめんなさい、起こしたわね」

 

 そんな香火は空気が変わることを過敏に感じ取っているのか、アスク以外の誰かが近づくと必ず瞼を開いた。

 目を覚ました香火は咲也を見るなり起き上がり、そのまま扉へと歩き出す。

 

「……ん、じゃあ先に行くから……ゆっくりと下山してきてね……ふぁ」

「別にいいのに……ありがと」

 

 寝ぼけた様子で部屋を出て行く香火。こういう静かな気配りをしてもらったのは珍しくなく、咲也にとっては非常にありがたかった。

 ふたりきりになった咲也は、アスクの傍に寄る。

 

「……もう完全に香火専用のベッドね、いっそベッドでも置いたら? ……本気にしないで、したらしたで『ペガサス』ですし詰め状態になるわよ、それとも、それがお望みかしら? ……もう、本当に変態なんだから」

 

 ──今度ははっきりと罵倒の類いをアスクに向けたが『妖精』は囁かない。それが咲也にとってどれだけ心安らげるものであるか、本人しか知らない。

 

 アスクが慣れた様子で、ソファの上にあったクッションを蛇筒で掴むと自分の膝の上に置いた、すると咲也は上着を脱いで、さらに彼へと近寄る。

 

「……はやくして頂戴」

 

 もう数え切れないほどしているのに、まだ羞恥心が湧き上がる咲也は遠慮がちにアスクの膝上に置かれたクッションへと座り、深く息を吐き緊張を解しながら冷たくて堅い身体へと背中を預けた。

 

「──ん」

 

 己の膝の上に乗った咲也に対して、アスクは蛇筒八本全てを噛みつかせて、彼女たちの活性化率を下げる効果を持つ毒、“血清”を流し始める。

 

 ──いわゆるアスク本人による“血清”の直打ちは、注射器の安定生産が行なえるようになった事で機会が減ってきた。

 

 アスクも『街林調査』の動向など忙しい時間が増えており、また彼の自由をあまり奪いたくないという『ペガサス』たちの意志。そして注射器と違ってこまめにするのは非効率というのもあって、アルテミス女学園高等部ペガサスたちが話し合った結果ルールを設ける事となった。

 

 それは特定の状況を除き、少なくとも高等部区画内にいる時は“血清”の直打ちは、アスクがこの私室に居るときのみ、そのさいに本人にお願いして承諾された場合のみといったものであった。

 

 そんな定められたルールの中で咲也はアスクの部屋へと通っていた。これが趣味だと言わんばかりに、回数で言えば先輩たちに匹敵するほどに足繁く。

 

 それも仕方がない、なにせアスクと一緒に居る時間だけは『妖精』たちが大人しくなる。完全に静かになることはないが、それでも罵倒の内容が優しくなるだけで十分助かった。

 しかし常に誰かといるアスクと、こんな風に個人同士で話せる機会は滅多に作れるものではなく、咲也にとってこの活性化率を下げる行為は何よりも癒やされる時間となっていた。

 

「……私たちの位置情報、悪用していないでしょうね」

 

 アスクたちが自分たちの居場所を知れるGPSのような機能を持っていると知ってからは、咲也の直打ちされている最中の挨拶言葉は必ずこれになっていた。

 なのでアスクも慣れたもので勿論だと、咲也の前に指で作った()を見せる。

 

「ほんとうに変態みたいなこと、しないでよね……」

 

 自由に身体を動かせるようになってからもアスクは()()()()()()()()()()()()と言うように、咲也の言葉を静かに受け入れる。

 他人から見れば理不尽で、いつ関係が崩れてもおかしくない怖さを感じるかもしれないが、これが咲也が望んだ関係であり、それをアスクは快く受け入れたものだ。

 

 それから話題性は少ない独り言がしばらく続いた。この時間は咲也にとって数少ない自由になれる時間であると、アスクも分かっているため、他の『ペガサス』と比べて“血清”の注入速度は、だいぶゆっくりとなっている。

 

「……ねぇ、アスク。あなた本当に私たちの転校についてくるの?」

 

 突然の質問にアスクは指で丸を作ったほうが正確に伝わるのだが、癖で親指を立てて肯定した。

 

「貴方に……なにかあったら私たちもお終いだって分かってる?」

 

 アスクは続けて肯定する。

 

 “血清”が無ければ活性化率は下げられない。“血清”を生成できるのはアスクだけだ。そんなアスクが死んでしまうようなことがあれば、『ペガサス』たちは活性化率に脅える日々へと逆戻りしてしまう。

 それは咲也だけじゃない、アルテミス女学園高等部に滞在する『ペガサス』の誰もが恐怖するものである。

 

「私は貴方が外に出るのが怖くてたまらないわ」

 

 アスクが同行すると聞いたとき、咲也は正気を疑った。真嘉が決めた事だから最後には同意したけど()()()()()()が無かったら、これを決めた生徒会長や先輩たちに突撃をして感情的に抗議を行なっていたことだろう。

 

 そんな否定的な考えとは別に、咲也には本心があった。気の緩みからか、心の奥底に静かに貯まっていく恐怖ゆえか、それを我慢できず本人に伝える。

 

「──でも、貴方が傍に居てくれないのも怖いのよ……」

 

(──勝手だね)

 

 『妖精』がひとこと囁くだけに留まるのは、やはり彼が相手だからだろう。

 活性化率のことか、それとも他の理由か咲也は言わなかった。

 そうしている内に活性化率は50%台にまで下げられて蛇筒が咲也の身体から離れる。相変わらず身体のだるさには慣れないが、これが寿命が延びた分かりやすい証明だと思うと悪い気分にはならなかった。

 

「……ん、またお願いするわね」

 

 咲也はゆっくりと立ち上がり、いちどアスクの方へと向いた。

 

 ──そんな彼女に対して、アスクは腕を伸ばして手の平を見せるように大きな手を寄せた。なにか気になったのだろう。それに咲也は両手で指を絡めるように握った。

 

「ねえ、アスク……ううん、なんでもないわ。じゃあまた夕食時にね」

 

 何か言いかけた咲也は手を離して、そのまま部屋を出て行った。扉の前で立ち止まる彼女の表情は寂しくも切ない。

 

(言えば良かったのに)(助けてくださいって)(私たちをなんとかしてって)(なに変に我慢したの?)(むしろ不安にさせたよね?)(どうして?)(なんで?)(このままでいいっていうこと?)(うわ、最悪)(やっぱり変わる気がないんだ)(どうしようもないね)

 

「──五月蠅い。誰も代わりになんてなれないのよ。アスクも……来夢も……」

 

 アスクから離れた途端に騒がしく、だけど何時もとは違い、どこかひたひたとした責め方をする『妖精』たちに独り言を呟いた。

 

「……真嘉……今日はどこにいるのかしら?」

 

 そうして暫くしたあと、咲也は自分のリーダーである真嘉へと会うために、彼女が居そうな場所へと向かった。

 

 ──()()()に言われた言葉と、それによって募った気持ちを思い出しながら。

 

 

 +++

 

 

 ──これは数週間前、歓迎会が終了して片付けが済んだころに行なわれた会話の中で、自分に向けられて、一字一句覚えている言葉たち。再び起こしてしまった己の失敗の記憶。

 

「──仰るとおり、極力安全を重視して生活をするなら、確かに私たちは今を平和に生きていけるでしょう」

 

「しかし、未来に進むには、この世は苦しみだらけの厳しい世の中です。わたくしたちの身に降りかかる出来事は、まるで災害の如く理不尽なものもあるでしょう」

 

「それに付け加え、自由を縛っていい鎖はなく、誰もが好きに外へと出られてしまう。そんな環境で全員で生きていくというのは、とても大変なことです」

 

「自由と将来を両立するのは難しい、ゆえに試練が必要であると判断しました」

 

「信じなくても構いませんが、歓迎会のさいに『上代(かみしろ)兎歌(とか)』たち中等部ペガサスの身に起きた騒動は想定の範囲内です。たしかに危うく“卒業”しかけたのかもしれません。ですが真白いあの子は生きたいと祈り続けるかぎり、どんな形であれ幸運によって生かされるでしょう。いるのですよ、この世には特別な才能をもった存在が」

 

「だからこそ、わたくしはあの時、確信を持って愛奈だけを行かせたのです。もしも兎歌が主導で関わっていないのならば、わたくしも歓迎会を中断して、足の早いチームを編成し捜索に出していたでしょう。その結果が誰かの心を壊す事となっても、命を失うことはあってはなりません」

 

「──はい、その通りですよ。上代兎歌の件は『勉強会』の経験を積ませること、問題を落ち着かせることに最適でしたので、ずっと見守っていました。ああ、ちなみにですが、それでもわたくしが直接手を加えたのは1割もありません。もっと少ないのかもしれませんね……でも、良い感じに上手く行ったでしょう?」

 

「ふふっ、そうですね。それは否定しません。しかし全てではありませんよ。趣味と実益、別に両方とってもいいものなのです……さて、どうやら耳が痛いようなので、なるべく簡潔にお伝えします」

 

「貴女の価値観は社会的できちんと常識が成り立っているものです。広い視野で色んなものを見て得たものでしょう。わたくしとしましては貴重で是非とも大切にしてほしいものですが、残念なことに今はまだ、わたくしたちは非常識の中で生きていくしかないのです」

 

「なにも、おかしな事をしてほしいと言っているわけではありません。戦時中や被災地では、相応の常識(秩序)を守りつつ、生きるための非常識(手段)を実行しないといけないように、その状況によって適したものが変わってくるという話です」

 

「──篠木咲也、都合が良いときだけ我慢の限界だと称して終わったことを抗議するぐらいなら、これからの覚悟を決めたほうがよろしいですよ──白銀響生は、わたくしの下で動いてもらっています」

 

 それから翌日の朝。生徒会室にて。

 

「──気持ちはほんとうに分かります。ボクも理解できない時が多くて──ほんと何やってるのかなって何時も思う──なのでちょっと何を考えているかわからないですね!」

 

「──それで悪戯が大好きで、ひとが困っている所を見るのが趣味──突飛なことをされて頭真っ白になる事もありますが、それがボクたちのために成っているのも確かです」

 

「いえいえいえ、だから好きにさせろっていう話ではありません! 今回みたいにボクに意見を言ってくれても構いません、むしろ被害があったら言って欲しいと愛奈先輩からも言われていますので──懲りないだろうけど──是非とも遠慮せずに言ってください! ──なんなら手紙とかでも全然いいので、ほんとに」

 

「──でも、ひとつだけ分かってほしいといいますか──頭に入れて欲しいのがあります──月世先輩の邪悪なコホン──どれだけ奇天烈な行動にも必ず意味はありますし、ボクたち全員が生きられるように動いてくれているのは確かです」

 

「あんまり言いたくはありませんが、もし月世先輩の行動が誰かを傷付けるものであっても、反省を促す事はあれど止められはしません──それにボクから何かしら罰を与えることはありません──彼女の力が必要不可欠なんです──だからボクができる事は現状、そうならないように考えてくださいって本人にお願いするか、愛奈先輩にそう言ってくれるように説得するかぐらいですね──まあ、本人的にはきちんと生徒会長を立ててくれるとは思いますが……」

 

「あー、そういった法をいま設けちゃうと、ボクたち、といいますか生徒会の活動が停まっちゃいます!」

 

「えっとそのなんていいますか──本当に気にしないでほしい──のですが、いわゆる法は誰であっても平等であるべきなんです。だから適応するとなったら月世先輩だけではなく、ボクも生徒会長を辞めないといけなくなるので──それもいいななんて思うけど──いまは気になって夜眠れなくなるので出来ません」

 

「だから本当に気にしないでほしいのですが、今からいう事は単なる事実として捉えてほしいというか──本当に気にしないでほしい──欲しいのですが! ……ボクもその──友達を……“卒業”させているので……割とひとのことを言えないという立場といいますか──そうなります」

 

「いやその本当に責めてるとか、怒ってるとかないので、あくまで法を作ったらどうなるかなっていう話の上で聞いてほしくて、だから謝らないでくだ──ちょ、だいじょうぶ? 無理っぽい? えっと──吐きます? 吐きそうです? ──吐くならゴミ箱持ってきますけど!? 咲也先輩辛いようでしたら────」

 

 

 

 ──『ひどい』

 

 

 

 ──(最悪)

 

 

 

 ──(気持ち悪い)(何がしたかったの?)(いつもは黙ってる癖に)(ケチを付けて)(また仲間はずれにしたかったんだ)(また殺したかったんだ)(可哀想な野花)(ちょっと考えれば分かることだったのに)(そうやっていつも考えない癖に)(気にしちゃったの?)(いまさら)(本当に今更)(浮かれちゃった?)(油断した?)(最近楽しかったよね)(幸せだったよね)(このまま何もなければいいのにって思ってたよね?)(そんなわけないのに)(そんなわけないのに)(そんなわけないのに)(いつまで放っておいてるの)(大切な仲間じゃないの?)(本当に自分勝手で)(最低)

 

 

 

 

 

(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低)(最低!)(最低っ!!)

 

 

 

 

 

 

 

「──もうやだ……変わりたい……」

 

 歓迎会の翌日、久しぶりに暴走した『妖精』たちのけたたましい罵倒に動けず廊下で蹲っていた咲也は、動かないと心配して見に来てくれたアスクによって保護されて、ずっと彼の傍で過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 





――永遠ではなくとも変われない苦しみ、あるいは正しくも適さない辛さ。


高等部二年の人間関係こんな感じです。
歓迎会後の会話は相手側は落ち着いた対応をしていると思いますが、咲也はさんはけっこう感情的になっています。

因みに東海道ペガサスはアスクから直接血清を打ってません。人数が多いこと、戦闘を行わないこと、誰も注射器を怖がらなかったこと、小さい子であるためトラウマになるかもしれないこと、絵面のヤバさによるアスクの懇願などが理由です。

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次回は再来週の日曜日を目処に更新したいと頑張りますので、お待ちになっていただければ幸いです。

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