この苦しみ溢れる世界にて、「人外に生まれ変わってよかった」   作:庫磨鳥

38 / 84
お気に入り登録、評価、感想、ここすき、誤字報告ほんとうにありがとうございます。


紅葉崎もみじ(@momijizaki_)さんが[入浴アスクくん]を書いてくれました! 本当にありがとうございます!

【挿絵表示】

かわいい……あーびばびば



今回のメインは『(ハジメ)』となっています。




第二十七話

 

 

 ――アルテミス女学園の生活を支えている物資は、無人型貨物列車によって運ばれてくる。

 

 新幹線のために建設された高架橋、ただ通り過ぎるだけだった場所は現在、荷物を降ろすための貨物駅が増設されており、貨物列車の移動から、学園内への荷物の運搬まで完全なAI管理のもと行なわれる。

 

 そのため、アルテミス女学園前の貨物駅は基本的には人間や『ペガサス』たちも近づかない場所であるが今回、人間と『アイアンホース』が乗車している教室列車が三本、プラットホーム傍の線路に並んで停車していた。

 

 ――集まった教室列車の中でもっとも古く傷だらけ、車両も二つと数も少ない【303号教室列車】。耐久性と防御性能を重視した車両は分厚い装甲によって守られており、黒く染め上げられた見た目から、煙突の無い機関車、また大型のレーダーアンテナを尻尾に見立てて“黒鼠”などの呼び方をする者もいる。

 

 そんな【303号教室列車】から下車したのは、赤染の鉄道アイアンホース教育校の制服を着用した『アイアンホース』。明るめの茶系であるベージュブラウンで短めに整えられた髪を帽子で隠し、達観した瞳で周辺を見回す。

 

 彼女は【303号教室列車】に在籍“していた”最年長の『アイアンホース』、(ハジメ)。つい数日前に突如としてアルテミス女学園へ転校する事を言い渡された彼女は、『アイアンホース(鉄の馬)』から『ペガサス(天馬)』へと存在が変わる事となった。

 

「……ここが、アルテミス女学園……外の世界……」

 

 ――『アイアンホース』に成ってしまえば、その生涯は教室列車の中で過ごす事となる。業務で外に出ることもあるが、生き残れば結局最後に戻るのは動く鉄の箱の中。今回は『鉄道アイアンホース教育校』から『アルテミス女学園』への転校、そのため(ハジメ)が長い時間を過ごしてきた【303号教室列車】に乗車する事はもう無い。

 

 (ハジメ)は空虚感を誤魔化すように、高架橋の壁の先にあるアルテミス女学園に思いを馳せる。

 

「……こちら(ハジメ)。無事に【303号教室列車】を下車しました……どうぞ」

 

 しかしながら、今はまだ視界に見える景色が見慣れた貨物駅とあって、すぐに現実へと引き戻された(ハジメ)は、地上任務用などで使用するそれなりに高価らしいインカムを起動する。

 

≪――確認した。すでに(ハジメ)の身分は、アルテミス女学園高等部一年に属する『ペガサス』であり、この瞬間を以って移動制限が解除される≫

「はい!」

 

 通信の相手は、【303号教室列車】を管理し、(ハジメ)の担任である『車掌教師』のゼロ先生。数年間一度も顔を合わせた事のない、されど聞き慣れた声に(ハジメ)は、いつもどおり、大きめの声で返事をする。

 

 ――『アイアンホース』たちの首には、鋼鉄の首輪が嵌められており、GPS機能によって自身が在籍する教室列車から一定の範囲内から離れてしまうと、首輪内に仕込まれている針が体を突き刺し、直接ペガサス用の毒が食道へと流し込まれる。

 

 そうなってしまえば、毒は胃酸に反応して瞬間的に臓器を溶かしきり、『ペガサス』をあっという間に“卒業”させてしまう。教室列車から“落馬”した(ハジメ)の最初の友達も、これによって“卒業”した。

 

 ――アルテミス女学園に転校した事で、その移動制限が無くなる。(ハジメ)は、この話を最初聞いたとき、深い深いため息を吐きそうになった。

 

≪また活性化率が【90%】となった時点で行なわれる“卒業”装置の自動作動システムの上限もアルテミスの校則に乗っ取り解除されている≫

「はい!」

 

 アイアンホースでは活性化率が【90%】となった場合でも、首輪の針が稼働する。それは【100%】となって『ゴルゴン』を産み出さないために必要な事であると、(ハジメ)だって理解はしていた。

 

 しかしながらアルテミス女学園では、“卒業”のタイミングは『ペガサス』の自主性を重んじている。たとえ“才能”関係無しに急速に数値が上昇するようになる抑制限界値に達したとしても、最後に渡された毒を飲むかは個人の判断に委ねられている。

 

 初めて聞いたとき、(ハジメ)はタチの悪い冗談だと絶句した。いつ生まれたかは分からないが野生に潜んでいた『ゴルゴン』と対峙して真性の化け物であると認識し、自身の命に関わる事情ではあるが、“卒業”させられるのは仕方なしと納得できてしまったから余計にだ。

 

≪だが、遠隔における“卒業”は変わらず可能だ……十分に留意せよ≫

「わかりました!」

 

 ――そもそも自ら“卒業”をさせること自体が、あまりにも残酷で救われない。最悪の場合、自分はゼロ先生が手を下してくれるが、アルテミス女学園の『ペガサス』たちは、どうしているのだろうと考えすぎて、聞いたその夜は上手く寝付けなかった。

 

≪最後に、自分および【303号教室列車】はアルテミス女学園内に入ることはないが、引き続き(ハジメ)の担任であることは継続される≫

「はい! 今後ともよろしくお願いします。ゼロ先生!」

 

 転校してアルテミス女学園の『ペガサス』となったが、ゼロ先生との関係が変わらないのは素直に有り難かった。例え形式上のものでしかなくなるとしても。

 

≪なお、大規模侵攻が終了するまで【303号教室列車】はアルテミス女学園周辺にて業務を行なうが、通信が可能なのは17(ヒトナナ)時から翌03(ゼロサン)時の合閒のみである、こちらも留意するように≫

「はい!」

≪……(ハジメ)……≫

「……なんでしょうか? ……どうぞ」

 

 らしくのない、沈黙の間の意味に気づかないふりをしながら、(ハジメ)は聞き返す。

 

≪……いや、なんでもない。何か質問はあるか?≫

「……ありません」

 

 (ハジメ)は、別れる寸前まで嫌だ嫌だと泣いていた(ミツ)。辛そうな顔が隠しきれていなかった(フタ)の様子を尋ねようとしたが、いま聞いても辛いだけだと、落ち着くまで、それこそ夕方の定時連絡まで我慢する事にした。

 

≪了解した、なら通信を終了する≫

「わかりました! ……どうぞ」

≪……おわり≫

 

 通信を切った(ハジメ)は【303号教室列車】のそばに寄って、(フタ)(ミツ)がまだ居るであろう自分の部屋がある場所を見つめる。拳で強めにノックするが返信はない。命を何度も救ってくれている【303号教室列車】の耐衝撃性能の高さを、この時ばかりは不満に感じた。

 

「――じゃあね先生(せんせ)ぇ! ルビー頑張ってくるから、終わったらいっぱいっぱい褒めてね!」

 

 そうやって足を動かせないで居ると、どこか甘ったるい聞き覚えのある声と一人称が聞こえてきた。(ハジメ)は驚き、その声がした方向を見やると、何度も見た事がある教室列車がある事に初めて気がついた。

 

「【504号教室列車(ゴウマルヨン)】ということは……」

 

 移動の速さを意識して製作された新幹線に似た頭を持つ三両編成の第二世代教室列車、【504号教室列車】の閉まる扉に向かって明るく両手を振るう『アイアンホース』に、(ハジメ)はやっぱりと色んな感情が交ざった溜息を吐く。

 

「ばいばーい!」

「……久しぶりだね。ルビー」

「ん? ……あはっ! 誰かと思ったら英雄様じゃない!」

 

 ある日の共同作戦から、一部の『アイアンホース』から言われるようになった呼び名に、(ハジメ)は、あからさまに嫌そうな顔をする。

 

「……その呼び方は止めてくれって前に言わなかった?」

「あら、これでも感謝を込めてるつもりなんだけど?」

「……貴女はどこで会っても変わらないな」

 

 紅玉色のツインテールの『アイアンホース』――ルビーは、『アイアンホース』の中でも異彩を放つ人物だった。首輪や散弾銃型ALISを含めた彼女の装備品は全て自分の髪色に合わせて染められており、肌色を除けば全身真っ赤となっている。また制服は機能性を削って可愛さを感じられるような改造がされており、その胸には彼女が自分の命よりも大切だと明言している赤色に輝くルビーのブローチが取り付けられている。

 

「でも、クラスメイト大好きな貴女が転校ねー。随分と不幸な事になってるじゃない」

「失言だぞルビー……。まったく、そういうルビーはいいのか?」

 

 ――ルビーは、自分の担任の先生に好意を抱いている『アイアンホース』だ。【504号教室列車】では、先生にもっとも気に入られた『アイアンホース』は操縦室にて、先生と一緒に過ごすことができ、彼女の夢はそんな先生お気に入りの『アイアンホース』になる事だった。

 

「全然よくないわよ! だから何がなんでも生き残って再転校してやるんだから! そして~、先生ぇにハグしてもらってぇ~、褒めてもらうんだもん!」

 

 自分の世界へと入り込むルビー。空想の中でなにが起きているのか知らないが、本当に変わらないなと苦笑する。

 

 ――最初は『アイアンホース』らしからぬ、自由で勝手な彼女を苦手としていたが、それ故の気さくさと、どれだけ活性化率が上がっても衰えることのない“情熱”を持つ姿に次第に惹かれていき、気がつけば前衛を任せられる戦友となっていた。

 

「だから貴女も協力しなさいよ! 【303号教室列車】に帰りたいでしょ!」

「……了解した。いつも通り背中は任せてくれ」

「見えない所で怠けていたら、貴女のお尻、散弾銃(これ)で撃っちゃうからね」

 

 ――例え大規模侵攻を生き残ったとしても、自分が元いた教室列車に戻れることなんてあり得ないだろう。それはルビーだってきっと分かっている。だけど絶対に諦めないという意志の強さに、(ハジメ)は“また”救われた。

 

「それで英雄様。話によれば転校するのは三名って事だけど、あと一人は?」

「頼むから普通に呼んでくれ……。それがまだ外に出てきていないんだ」

「ふ~ん。……って【703番教室列車(ナナマルサン)】!? “殿様車両”がなんでこんな所に居るのよ!」

「……最後の『アイアンホース』が、あの教室列車に乗っているからだろうな」

 

 他の教室列車と比べて、どこか高級感がある観光列車の様な外見を持つのは【703号教室列車】。(ハジメ)は【703号教室列車】の存在に気付いていたが、どうせ後で嫌でも触れるだろうからと見ない振りをしていた。

 

 ――700番台の教室列車は鉄道アイアンホース教育校を運営している『新日本鉄道』、そこに在籍する職員が乗車している事を意味する番号である。

 

 ゼロ先生のような『鉄道アイアンホース教育校』に在籍する車掌教師(サラリーマン)からすれば、決して逆らってはいけない上役が乗っている教室列車なため、誰が最初に言ったのか『アイアンホース』たちは700番台の教室列車の事を“殿様列車”と呼ぶようになっていた。

 

「まぁなんでもいいけど、本当に来ないわね! 先生が偉いと『アイアンホース』も偉そうになるのかしら?」

「いや、そうとは限らないよ」

「なんで知ってるのよ……って、そういえば貴女、【303号教室列車】に乗る前は700番台に乗っていたんだっけ?」

 

 【303号教室列車】へと移動させられる前、というか(ハジメ)が『アイアンホース』となり、鉄道アイアンホース教育校に入学して初めて乗車した教室列車こそが700番台だった。

 

 ――友達が落馬してしまってから、全てが変わってしまったが、もっと酷い正に家畜に与えるような名前で呼ばれてた700系統の日々は、そこまで悪くないものだった。

 

「700番台の先輩たちは自分たちも生き残るための打算もあっただろうけど、後輩である自分の世話を焼いてくれたし、必要なことを教えてくれたよ」

「ふぅん……あ、やっと降りてきたみたいね……うわ」

 

 【703号教室列車】の扉が開き、降りてきた最後の『アイアンホース』を見たルビーは、引いた声を出す。(ハジメ)も声をこそ出さないが同じ気持ちであり、帽子を被って視線を切った。

 

 11から12歳ほどの見た目から、まず間違いなく名古屋都市に存在する『ペガサス予備校』から“飛び級”してきたであろう『アイアンホース』であることが伺える。

 

「しかし、ひっどいわね。色んな『アイアンホース』見てきたけど、ここまでのは初めて見たわ」

 

 制服はボロボロで、帽子もくたびれており、太古のピストル型ALIS一機と通信機だけと最低限とも言えない装備。長い間手入れされていない灰色の髪は汚れた杉の木のようだと(ハジメ)は評価した。

 

 ――なによりも、その瞳は空虚であった。

 

「……自分は(ハジメ)、こちらはルビーと言う。君は?」

A(エー)

 

 『アイアンホース』の名前は、在籍する教室列車の『車掌教師』が名付けている。(ハジメ)のような数字に少し人間味を加えたものや、ルビーのような色に因んだ宝石名が付けられることもある。その中にはA(エー)のように酷く単純な名前を付けるものも今まで見てきたため、名前に関してはそこまで思うところはなかった。

 

「……A(エー)の活性化率は今どれくらいだ?」

「【87%(は、ちじゅうなな)】で、す」

 

 ――700番台の教室列車に共通して言われている事があり、それは乗車している『車掌教師』は碌でも無く、『アイアンホース』を大事にしないということである。

 

 『アイアンホース』の“卒業”数値は【90%】であり、A(エー)の年齢から考えればあってはならない数値である。

 

 A(エー)は愛されなかった『アイアンホース』である、それに疎まれてもいた。きっと一日でも早く“卒業”することだけを望まれた。

 

A(エー)。君も自分たちと同じくアルテミス女学園に転校する『アイアンホース』で間違いない?」

「は、い」

「転校がどういう意味か分かっている?」

「わかりま、せん」

「あっそう。簡単に言えばこれからルビーたちは教室列車を降りて、違う学校の子になるの。あんたはそれでいいわけ?」

「は、い。だい、じょぶです」

 

 吃音症持ちなのか、A(エー)は所々で言葉が詰まりながら答える。

 

「…………」

「相変わらず優しいわね~。苛立ったってどうにもならないでしょ?」

「……別に……そういうのではない」

「はいはい。ならとっとと行きましょう、ルビー、熱いのきらーい」

「……そうだね。A(エー)、自分たちに付いてきて」

「わか、りました」

 

 図星を突かれた(ハジメ)は、子供っぽく否定することしかできなく、自分本意に歩み始めるルビーに付いていく、そんな動き出した二人をぼーっと見ながら動かないA(エー)(ハジメ)の指示を受けて歩き出した。

 

 +++

 

「――転校生のみなさん! アルテミス女学園へようこそ!!」

 

 用意されていた自分を運び出すための全自動運転の貨物トラックに乗り込み、アルテミス女学園内へと移動する。道中、外が見えないことも相まって首輪が作動しないか不安を感じていたが、そんな(ハジメ)の気持ちをよそに、すんなりと目的地に到着した。

 

 トラックが止まりロックが解錠されるのとほぼ同時に扉が開かれると、土色ボブカットの少女が歓迎の声を上げた。

 

「……歓迎感謝します……あなたは?」

 

 ――ぱっと見戦いに向かなさそうな黒のシャツとスカートに紺色の上着、アルテミス女学園の高等部ペガサスを表わす制服を着た少女、(ハジメ)は同級生かどうかが分からず、つい戸惑った態度をとってしまう。

 

「すいませんが、まずはこちらに来てください!」

 

 そう言って移動する少女に言われるがまま、(ハジメ)たちはトラックの外へと出る。

 

「へ~、どこもあんまり変わんないわね」

 

 (ハジメ)たちが到着した場所は、アルテミス女学園高等部側の荷物置き場であり、外から運ばれてきた物資などは、ここに纏めて降ろされた後、AI機器たちによって高等部区画内の必要とされる箇所へと品物が送られる。

 

 忙しなく動くAI機器、補給所や貨物駅と殆ど変わりの無い見慣れた殺風景な室内に気分が忙しなくなっていた心が落ち着く。

 

 そんな中で、こちらを待っているペガサス二人が居る所に(ハジメ)は歩み寄る。(ハジメ)たちが癖で横並びをして、立ち止まったのを確認すると、土色の髪をした『ペガサス』が口を開いた。

 

「――改めまして、ボクはアルテミス女学園高等部一年生であり生徒会長の『蝶番(ちょうつがい) 野花(のはな)』です! 是非とも野花って呼んでください!」

 

 ――生徒会長であると名乗った同学年の野花、彼女が浮かべるニコニコの笑顔が、数回あったことがある『新日本鉄道』の大人たちと被った。またそれとは別に『アイアンホース』には存在しない役職であるため初めはいまいちピンとは来なかったが、特別な立場の『ペガサス』であると認識する。

 

「高等部一年の『(すずり)夜稀(よき)』……夜稀って呼んで、よろしく」

「よろしくおねがいします」

 

 黒が混じる白髪、なぜ白衣を着ているか気になるが、とりあえず今は自己紹介を終えるのが先だと、年齢で言えば同学年の二人に向かって、アイアンホース式の敬礼を送る。

 

「本日付けで鉄道アイアンホース教育校、【303号教室列車】から転校し、アルテミス女学園高等部一年となった(ハジメ)です! ……A(エー)、自分のように生徒会長に自己紹介を」

「は、い、【703番教室列車(ななま、るさん)】から来、たA(エー)です。よろ、しくおねがいしま、す」

「――はい、よろしくお願いします」

 

 おぼつかない敬礼をしながら行なわれたA(エー)の挨拶に不安を感じた(ハジメ)だったが、そんなA(エー)に対して穏やかに対応をする野花を見て、杞憂だったかと、一瞬でもあの大人たちと彼女を同一視してしまった己を恥じる。

 

「――A(エー)は、後で一緒にお風呂に入りましょうか? それとも案内する前のほうがいいですかね?」

「え?」

「ん?」

 

 A(エー)の様子を見た野花の発言に、お風呂があるのかと静かに驚く(ハジメ)。顔にでないように努めたが隠し切れなくて、つい出てしまった声が野花に気付かれる。

 

「もしかして鉄道アイアンホース教育校はお風呂が無いんですか?」

「無いというか自分が在籍している……していた教室列車にはって感じです。まあ、補給所や駅次第では入浴可能な場所があったので、定期的に入れはしましたが……」

「ルビーの【504号教室列車】には温かいお湯が出るシャワーがあったわ」

 

 第一世代教室列車である【303号教室列車】には、第二世代教室列車には常設されてあるアイアンホース用のシャワー機能は設置されておらず。そのため(ハジメ)たちが体を洗うには補給所などの停車する場所に設置されている洗い場を使用していた。

 

 しかし、場所によって当たり外れの幅が大きく、最悪な時には冷たいシャワーだけという場所もあり、温かい風呂に入れた経験は【303号教室列車】の立場もあって片手で数えるほどしかない。

 

「そうなんですね! では、決して自慢できるようなものではありませんが、よろしければ後で寮のお風呂に入浴してください!」

「よろしいのですか?」

「はい! これから歩きますし、夏日に晒されるので汗も掻くと思いますしね! ――あと、年齢的にボクと(ハジメ)は同級生となるのでフランクに接して貰ってもかまいません!」

「……わかったよ野花、それなら自分に対しても同じようにしてくれ」

「わかりました! でも申し訳ありませんが、この口調は癖みたいなものなので、このまま行かせてもらいますね!」

 

 (ハジメ)は、野花に警戒心とは違う、妙な苦手さを感じながらも、言われた通り態度を軟化させて接する。

 

「さて、話を脱線させてすいません、貴女は?」

「ふん、アイアンホース相手に“脱線”なんて、とても酷いことするのね」

 

 ルビーの言い回しは『アイアンホース』がよくやるジョークで、『ペガサス』である野花は、キョトンと首を傾げる。

 

「まあいいわ、【504号教室列車】から来たルビーよ、短い間だと思うけどよろしく」

「――短い間ですか?」

「あ、誤解しないでよ。ルビーが言っている短い間って言うのは、ルビーが居た【504号教室列車】に転校しなおすまでの間って意味だから!」

「ルビー」

 

 悪気はなくても目に余ると戒める(ハジメ)。捉え方ではかなり失礼な発言にも聞こえるため、申し訳なさそうに野花の表情を伺う。

 

「――そうなんですね」

 

 ――そう言って微笑む野花が、今度は完全に自分たちを消費する大人たちと被って見えた。

 

「なによ? 文句ある? 言っておくけど戦闘で手を抜くとか可愛くないことはしないんだからね!」

「いえ、そう言うわけでは無かったんですが、そう言ってもらえると頼もしいです!」

 

 しかし、すぐに胡散臭い程度のものに戻っており、何だったんだと(ハジメ)は、野花という『ペガサス』に得体の知れないものを感じ始める。

 

「さて、お互い自己紹介も終えたことですし、これから学園を案内しようと思うのですが、どうしますか?」

「……お願いする」

 

 とはいえ、考えたところで仕方ないと、これから自分が暮らす場所を把握しておきたいと思っていた(ハジメ)は有り難く野花の提案を受け入れる。

 

「ルビーは別に興味ないし、『ALIS』を担いだまま歩き回りたくないし、パスで」

「でしたら、先に寮へと向かってください! 夜稀、ルビーを寮へと案内してもらえますか?」

「わかったよ。ついてきて」

 

 じゃあまたね〜と、ルビーは夜稀の後ろを歩いて先に寮へと向かった。(ハジメ)はその後ろ姿を相変わらず自由な奴だなと、呆れ半分の視線で見送る。

 

「では、ボクたちも動きましょうか」

「野花、A(エー)も連れて行くのか?」

「そうですね、彼女ひとりにするのは何かと不安です! ――誰か任せられる人が空いていればよかったんですが――なのでとりあえずボクと一緒に行動してもらおうかと思いました!」

 

 確かにと、(ハジメ)も、誰かの言葉が無ければ動くことすらままならないA(エー)には目に届く範囲に居て欲しいという事もあって、野花の考えに同意する。

 

「わかった。A(エー)、野花と一緒に行動するがいいか?」

「わか、りました」

「それでは、ボクの後ろに付いてきてください」

 

 アルテミス女学園では人間らしい生活を送れるという学校に好奇心を湧かせながらも、自分の活性化率のこと、【303号教室列車】のこと。なにも忘れられない(ハジメ)は、野花の後ろに付いていきながら、郷愁感を募らせるのだった。

 

 +++

 

 野花に案内されて、(ハジメ)たちは高等部校舎を見回り、本当に普通の人と変わらない生活をしているんだと思ったが、見ただけというのもあって、そこまで現実感は無く、どこか他人事だった。しかし、正午となった時、野花のひと言から全てが始まった。

 

「――そろそろ“ 給食”にしましょうか!」

 

 ――専用のアイアンプレートに乗せられ出てきたものを、料理と認識するのは簡単だった。冷房が効いている室内にて、漂う湯気が鼻腔を刺激した時。思考よりも早く脳が今まで封印していた食に対する欲求を解放して、『アイアンホース』に成ってから初めて腹の虫がなったのだから。

 

 チキンステーキ定食。“メインとなるチキンステーキは、200gの平べったくした鶏胸肉を、表面がパリパリになるまで焼き、玉ねぎと醤油をベースにした照り焼き風の味付けが成されています”。そう書かれていた説明通り、そのままの姿で出てくるとはと、この日の(ハジメ)の昼食は意味の分からない感嘆から始まった。

 

 食べた事の無い動物の肉であるが抵抗感は無く、むしろ冷める前に早く喰えと自分の中の野蛮な獣が唸り声を上げていることになんだか怖くなるが、それを含めた感情全てが食欲にねじ伏せられる。

 

「ゴクリ……これ本当に食べていいのか?」

 

 (ハジメ)はなんとか理性を総動員して、野花に問い掛けた。

 

「こちらはアルテミス女学園に在籍する『ペガサス』でしたら無料で食べられる“給食”となっています! どうぞお好きに食べてください」

「そ、そうなんだ……え? 無料? ……だったら遠慮無く……い、頂きます」

 

 これが無料(タダ)? 意味わかんないと戸惑うことしかできない(ハジメ)は、恐る恐ると言った風に箸を握る。側にはナイフとフォークも置かれており、使えないわけではないが、失敗するのが怖くて選べなかった。

 

 定食というだけあって、チキンステーキ以外にもキャベツとコーンのサラダ、漬物。味噌汁、白米などがあり、まずはメインとなる肉以外を口に入れて準備するべきでは無いかと、理性が訴える。

 

 ――しかし、堂々たるそのお姿を後にするとは何事だと、湯気が見えなくなる前に食せと、多分内なる自分的なものが言ったような気がするので、(ハジメ)は決して小さくはない肉を箸で持ち上げると、無意識のうちに大きく開けてしまった口へと近づけて――ガブリと噛みちぎった。

 

「――うっまっ〜!!」

 

 (ハジメ)は叫んだ。外はパリパリなのに中はとってもジューシー。噛めば噛むほど滲み出る醤油のしょっぱさ、玉ねぎの甘味、そして何よりも鶏肉本来の旨味がダイレクトに『P細胞』によって常に正常化されていた味覚に伝わり、我慢なんてする暇もなかった。

 

「美味い、なんだこれ……美味い!!」

 

 しかし残念ながら、食育をきちんと受けられなかった(ハジメ)の理解力は乏しく、とにかく美味いと言う本能の判断に思考がバグる。

 

 ――チキンステーキだけでは無い、ドレッシングがかけられたサラダ、油揚げの味噌汁。純白に輝く白米、そのどれもが美味く、もう止まらなかった。

 

「「むぐっ、もぐもぐっ! ガツガツガツ!」」

 

 (ハジメ)だけではなく、その隣ではA(エー)が拳で握ったスプーンを乱暴に動かして、汚れることお構いなしに、オムライスを口の中へと入れていく、ケチャップで真っ赤になる顔、いつもの(ハジメ)なら注意するが、気持ちが分かりすぎるため、今回ばかりは何も言えなかった。

 

 また、夢中で食べるA(エー)の姿に、(ハジメ)は同じ【303号教室列車】に乗車していた年下のクラスメイトの(ミツ)、そして(フタ)を思い出した。

 

「ああ……みんなにも食べさせてやりたいな」

 

 無意識に出てきた言葉。いまごろ二人は今日も飽き飽きした、トリガラ味のシリアルバーを食べているのだろうか、見慣れた光景を思い出した(ハジメ)は、みんなを差し置いて自分だけ、こんないい物を食べられている罪悪感に箸を止める。

 

「――そうですね。後でお渡ししようとしたのですが、こちらをどうぞ!」

 

 そう言って野花は上着の内ポケットから、カードを取り出して(ハジメ)に差し出した。

 

「これは?」

「転校と同時に製造された(ハジメ)さんのマネーカードです! 中にはアルテミス女学園でのみ使える電子マネーが一定額振り込まれており、学園内で自由に使えます」

「マネー……自分のお金……?」

「はい! (ハジメ)のお金です!」

 

 限度はあるが自由に買い物できるという事に、頭ではわかっていても理解が追いつかず、脳内に宇宙が広がる。

 

「――とはいえ、使える期間は限られているので、できれば早めに使用することをお勧めします」

 

 大規模侵攻が始まる前にお金を使い切った方がいいという、野花の言いたいことを、(ハジメ)は理解したが、だからと言って初めて手にする自由に使えるお金に、何を買っていいのか全くもって分からなかった。

 

(ハジメ)がよろしければですが、保存が利く食料などを買って置いてはいかがでしょうか? それで機会があった時、食べさせたい(かた)に渡せばいいんです! ――もしもの時はボクが責任を持ってお渡しします」

「……いいの…か?」

「いいんですよ。それはアルテミス女学園ペガサスが当然に持つ権利のようなものなので――って聞いてないですねこれ」

 

 ――現実味は未だないが、自分が食べている美味しいものを【303号教室列車】の皆んなにも食べさせられるかもしれないと嬉しくなり、チキンステーキはどこで売っているのか、そもそも他に何があるのか別世界へと行きながら(ハジメ)は箸を再起動させた。しばらくは会話できなさそうだと、野花は食べ切ってしまった皿をじっと見続けているA(エー)に話しかける。

 

「――そちらはどうですか?」

「おいし、いです……おいし……です」

「――遠慮しなくていいですよ。貴女が喋って怒る人はここに居ません――だから言いたいことがあるならはっきりと言えばいいんです」

「……美味しいです……美味しい、美味しい、美味しい!」

 

 ――野花の短い言葉によって、怒鳴られるかもしれないという恐怖から解放されたA(エー)は、我慢してきた気持ちを吐き出す。

 

「――お代わりしますか?」

「おかわりする!」

(ハジメ)さんもどうです?」

 

 野花は、A(エー)と同じく食べきった皿を物足りなさそうにじっとみていた(ハジメ)にも声をかける。

 

「……もしかして、食べ放題?」

「さすがに一日に出せる数に限りはありますが、チキンステーキはまだ在庫が余っていますし、なんなら他の料理も食べられますが、どうします?」

「……じゃあ頂こうかな!」

 

 ――(ハジメ)はこのあと、チキンステーキをもう1セット食べきり、調子に乗ってハムカツサンドを食べて、人生初めての食い過ぎを経験することになる。

 

 +++

 

 完全に食べ過ぎた(ハジメ)は、ひとり高等部校舎を歩いていた。幾多の戦場を共に戦ってきた相棒であるマークスマンライフル型ALISがやけに邪魔くさい。

 

「……うっぷ……」

 

 (ハジメ)が、ひとりで校舎を散歩しているのは野花に言われたからである。野花は食べ過ぎて動けなくなったA(エー)が落ち着くまで食堂に残ると言い、(ハジメ)には運動がてら校舎を回ってみてはどうかと提案した。しかし、もう少し自分も休憩していれば良かったと現在ちょっと後悔している。

 

「……この学園は凄いな」

 

 食事だけでも、明らかに鉄道アイアンホース教育校と待遇が違う学園生活。人間の時でも『アイアンホース』になってからも、感じたことのない満腹という苦しみに、確かな幸福を感じる(ハジメ)であったが、同時に頭に過るのは【303号教室列車】のみんなのこと。

 

「――(ミツ)の言う通り、みんなで来られれば良かったな」

 

 ――この短期間、アルテミス女学園生徒としての生活を経験した(ハジメ)は、『アイアンホース』として生きるか『ペガサス』として生きるか、そのどちらがいいかと言われれば断然『ペガサス』のほうがいいと断言できた。

 

 まだ良いところしか見ていないだけという冷静な自分が反論するが、それでも、こんなに人間らしい生活を与えられているのだ。それになにより“首輪”が無い野花たちが羨ましかった。

 

「…………今更ですね」

 

 ――同じ“馬”ではあるが、自分たちには『翼』が与えられなかった。そう(ハジメ)は自分自身に言い聞かせた。

 

「降って湧いた幸運なら、せめて“みんな”にも分けられれば……」

 

 (ハジメ)は気持ちを切り替えて、渡された電子マネーで何を買おうか。長時間保存ができる物がいいよね。そして美味しかったらよりいいと、そんな風に考えながら歩いていると腹も、それなりに落ち着き。目的地の場所にも到着した。

 

 ――腹ごなしの運動をしたければ、訓練所にでも立ち寄っては如何ですか? 

 

 野花に紹介されて来たのは『ALIS』を用いることのできる訓練所。頑強な壁によって覆われたグラウンドの広さに(ハジメ)は圧倒される。

 

「本校で使用していた訓練所よりも立派かもしれないな……ん?」

 

 見た感じ設備も充実しており、なにが有るのかと周辺を見渡してはじめて先客が2名いることに気付いた。

 

 ――自分よりも背丈が高く、年上と思われる茶色いポニーテール、真っ直ぐに伸ばしている黒髪の『ペガサス』。そんな彼女たちも(ハジメ)の存在に気がつき、顔を向ける。

 

「こんにちは!」

 

 ――声高らかに元気よく(ハジメ)に向かって挨拶する――愛奈。そして楽しそうに微笑む月世に、(ハジメ)は返礼するために彼女たちの下へと歩き出した。

 






( ―)<……エナちゃんと一緒に訓練場に来たらツクヨパイセンに問答無用で土の中に埋められたでござる。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。