この苦しみ溢れる世界にて、「人外に生まれ変わってよかった」   作:庫磨鳥

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第八話

 『アルテミス女学園』は殆ど使われていない正面門から見て大まかに。左が中等部区画(エリア)、右が高等部区画(エリア)、そして中央には商店街区画やレジャー区画、公園区画などを纏めて『生活区画(エリア)』と総称する、三つの区画に分けられている。“卒業”した仲間が“サンドウィッチ学園”や“角煮学園”と微妙なあだ名を付けた事があるが、誰も否定はできなかった。

 

 そして中等部区画はとても煌びやかな場所だった。どの施設も壁や天井、設備やコーヒーカップに至るまでお洒落なデザイン性に富んでおり、もっと簡単に言えば全体的に明るかった。

 

 それこそ入学したての頃は東京では考えられない衣食住を与えられ、キラキラとした空間で過ごす生活に、気分は完全にお姫様だった。

 

 思春期の私たちが命懸けでプレデターと戦うことが出来たのも、自分たち『ペガサス』が特別に大切にされている事を意識できる生活環境があったからだろう。それぐらい中等部区画は、とても素敵な場所だった。

 

 そんな中等部区画と比べると、やっぱり高等部区画は牢獄みたいだと、高等部校舎の頑強な壁で覆われた廊下を歩いていて思う。

 

 別段、衣食住に差異は無い。私たち高等部ペガサスは必ずオーダーメイドの『ALIS』を与えられると、装備面だけで言えばこちらの方が恵まれているのかもしれない。しかし、ここにある“特別”は、中等部のとは全くもって違うものだ。

 

 真嘉はここを爆薬庫と評していた。確かにそうなのだろう。校舎だけじゃなく、月世が眠っていた元がどういった部屋だったのか知らない病室も含めて、高等部区画にある建物全てとにかく頑丈に、一部屋ごとの空間が広く作られている。

 

 ──高等部ペガサスが学園内で『ゴルゴン』になったとしても外に出にくいように、もしもの時は室内でも『ALIS』を不自由なく振り回せるようにという思想で作られているのが目に見えて分かる。

 

 真嘉の表現で例えれば高等部区画が爆薬庫ならば、高等部の『ペガサス』は爆弾。だからどこで爆発しても被害を抑えられるように、爆弾同士で処理し合えるようにと言ったところか。

 

 “せめて、最後まで人間らしく”という理念を持って作られたはずの『アルテミス女学園』にしては、あんまりな扱いである。噂によると東京地区にて活動する反ペガサス派たちの意志が全て高等部に固められた結果らしい。

 

 だからこそと言うべきか、高等部区画には管理者と呼ばれるはずの大人たちは誰も居ない。彼らだって人間だ、死ぬのは怖いのだろう。現に病室で爆音が響いたのにも関わらず誰にも会わない。どうせ安全な寝室で何があったか明日聞けばいいとか思って、二度寝したに決まっていると思うのは、邪推が過ぎるだろうか……。

 

 そんな、昨日までは考えるだけでも唾棄したくなるような現実は……今は感謝すらしていた。

 

「……大人たちが居ないことを、こんなに有り難がる日が来るなんて思ってもみなかった」

「そうですね。もしも大人たちが居たら、あの方を隠し切れなかったかもしれません」

 

 並んで歩く制服に着替えた月世が、独り言だった私のぼやきに肯定してくれる。

 

 活性化率を下げることができる彼の存在を知った大人たちはすぐに捕まえようとするだろう。私たちに捕縛命令を出す形で……考えるだけでも嫌な気分になる。

 

「──愛奈」

「月世、私は生きたいの」

 

 長い付き合いだ。名前を呼ばれただけで何を聞きたいのか察することができる。

 

 足を止めて横に居る彼女の手を握った。私たちが二人になってから大事な話をする時は必ずこうしていた。二年の冬、温かさを忘れそうになって自然とやるようになった。

 

「さっきの説明の時にね。みんなには言えなかったけど、雨の中で彼と出会う前、死にたくない死にたくないって泣いたの……本当に意地汚く叫んだりもした。それぐらいに……死ぬってこんなにもひとりぼっちなんだって……辛かった」

 

 『ペガサス』なら誰もが目先に映ってしまうものだからこそ、“卒業”という言葉で覆い隠してきた“死”に対しての本音を吐き出す。

 

 ──死ぬのは辛いことだ。だから生きたい。

 

「私ね……生きたい……みんなにも生きて欲しいと思っている。月世だけじゃない、真嘉たち二年生も、一年生たちにも、兎歌や私を慕ってくれる後輩たちにも……もう置いていって欲しくない」

 

 最悪学園を去る決意はしている。だけど、みんなが生きていける奇跡(現実)を歩みたい。それが私の一番の願いだった。

 

 とはいえ、私は救われた、月世も救ってくれた。でもそれ以上は彼や他のみんなの判断次第だ。そう思ったところで仕方がないのは分かっている。それでも救われた個人として願わずにはいられなかった。

 

「──愛奈は昔からひとりぼっちが嫌いでしたからね」

「……うん」

 

 握る手を強める。私の苦手なものなんてとっくの昔にバレていたらしい。

 

「……悌慧(ともえ)、ヨシカ、忠実(まめ)千錫(ちすず)礼無(れな)勇義(ゆうぎ)、アイニ、徳花(なるか)……」

 

 高等部になってからの日々を一緒に生きてきて“卒業”してしまった同級生(仲間)たち。ひとりひとり、丁寧に名前を呼んでいく、名前も顔も、思い出も最期も全部はっきりと思い出せる。

 

「……そして月世」

「それに愛奈」

「うん、私たちは十人だった」

 

 誰もが望んで死んだわけじゃない。生きたかったはずだ。もしかしたら奇跡を手に入れた私たちを妬んだりするのかもしれない……いや、するだろう。

 

 同級生で仲間で戦友で家族だった彼女たちなら、自分の素直な感情をぶつけて来て、喧嘩もして、その後、人数分に切られた甘いホールケーキでも食べるのが……私たち十人だったんだ。

 

 そんな……そんな彼女たちを、せめて私の記憶の中で生き続けられるように全てを覚えて生きていこう。それが生き残った私ができる精一杯のことだと信じて。

 

「月世……私と彼と一緒に生きてくれる?」

「無論ですよ。この命は既に愛奈に譲りました。あなたが生きて欲しいと言うなら精一杯生きましょう」

「……ありがとう」

 

 話し合いは終わったと手を離して、私たちは再び生徒会長室を目指して歩き出した。

 

 ──月世に尋ねられたからというのもあるが、移動の途中で胸の内を明かしたのには理由がある。

 

 生きると決めた以上、今まで見ない振りをしてきたものに目を向けなければいけないと思った。その中にはとても辛いものもある、罰を受けなければいけないものもあるだろう。それらにしっかりと前を向いて対応するために決意表明みたいなものがしたかった。

 

 ──なぜならこれから会いに行く生徒会長こそ。見ない振りをしてきたものたちの筆頭なのだから。

 

 +++

 

「生徒会長。喜渡愛奈です。お話があってやってきました」

 

 生徒会室の扉をノックしたが反応はない。もう遅い時間だから誰もいない……ということはないだろう。あの子は、とても真面目な子だ。月世の病室で騒ぎがあった時点で、生徒会室に居るのは間違いない。あるいは元から私が生死不明になった時点で……。

 

 ドアノブを回す。鍵は開いていた。

 

「月世。それじゃあ……」

「はい、お待ちしております」

 

 ここに来るまでの間に月世と話し合った結果。当初の予定通り月世にはしばらく廊下のほうで待ってもらい、まず最初は私だけで生徒会長と話し合うこととなった。

 

「失礼します」

 

 部屋の明かりは点いていた。生徒会室の室内をひと言で表わすなら作業部屋という表現以外無いだろう。飾り気は一切無く、置かれているもの全てが生徒会長としての執務を行なうために必要なもののみで構成されている。

 

 紙の書類などを保管するためのスチール製の書庫が置かれているのは、学園広しと言えどここでしか見たことが無い。

 

 ──『アルテミス女学園』で生徒会長に成れるのはたった一人。

 

 そんな生徒会長には様々な役得がある。大人たちに対する直接的な交渉権や、中等部、高等部の校舎に一部屋ずつ生徒会室を指定できる権限、生徒会長による指名制のペガサスチーム『生徒会』を作ることもできる。毎月支給される電子マネーが十倍に増加。そして大規模侵攻以外では戦いにでなくてもよくなると、他にも細かいものを合わせて多大な恩恵を得られる。

 

 部屋には誰も居ない……ように見えるだけで先ほどからカタカタと何かが震動する音が微かに聞こえていた。その音の発生源は書庫の下側にある引き戸からだ。

 

 私はできるだけ音を立てずに書庫に近づき、ゆっくりと引き戸を開いた。

 

 ──去年、生徒会長を含めた上級生が“卒業”した事で、二年生に進学したてだった私たちに生徒会長に成らないかという話が来た。それを私たちは断り、当時一年だった真嘉たちも同じ決断をしたそうで、生徒会長の椅子は中等部三年へと流れることになり、そこで新たな生徒会長が誕生した。

 

「……野花(のはな)会長」

 

 書庫の中では黄土色の髪をした少女が体を丸めて酷く震えていた。見覚えがある瓶を強く握りしめており、両膝に顔を埋めているためどんな表情をしているのか分からないが、『ペガサス』の聴覚でやっと聞こえるほどの小声で、何度も何度も嫌だ嫌だ嫌だ嫌だと言い続けている。

 

「……喜渡です。会長に用があって来ました」

 

 ──もういちど呼びかけると少女は顔を上げた。その顔に浮かぶのはとても晴れやかな笑顔だ。

 

「──あ、喜渡先輩、帰って来ていたんですね。無事でよかった。活性化率のほうはどうですか? といっても様子を見る限り、まだ大丈夫そうですね!」

 

 私が生きていることが本当に嬉しいと言いたげに、両手の平を振って見せる彼女。その手には何も持っていないが、彼女が手品のように素早く瓶を懐に片付けるのを私はしっかりと目で追っていた。

 

「ええ、その事でお話があります。よろしければ外に出てくれませんか?」

「わかりました! 少々お待ちください、よいしょっと」

 

 書庫から出てきた少女は、正直言ってしまえば特徴と呼べるものを上げようとすると、頭を抱えてしまうほどの平凡な女の子だった。

 

 髪こそ他の『ペガサス』と同じくP細胞の影響によって色変わりしているが、色彩が原因か元からそうだったのではと疑ってしまうほど地味で、そして根本からして空気感と言えばいいのか彼女からは『ペガサス』らしさというものをあまり感じないのだ。

 

 どこをどうみても死地とは縁もゆかりもない普通の女の子。そういうイメージを抱いてしまうこの子こそ、アルテミス女学園の現生徒会長である『蝶番(ちょうつがい) 野花(のはな)』その人である。

 

 昔、“私”は『ペガサス』に向いていなかったから生徒会長になったんですと、笑いながら彼女は言った。それを私は自分のことばかりかまけて見ない振りをしてしまった……。

 

「それで話ってなんですか? といっても生徒会長である“ボク”に会いに来る理由なんてそれほど多くないと思いますし、なんなら予想してみましょうか? ボクこういった推理得意なんですよ!」

 

 ──生徒会長は様々な恩恵を受けるが人気はマイナスに突き抜けていると言ってもいい。なぜなら多大な恩恵を受けるということは、その分の“仕事”を押しつけられるということだから。

 

 生徒会長の仕事は多岐に渡る。

 

 学園内に関係する大量の事務作業を行なわなければならない……そのため本人が望む望まないに関わらず、前線に出ることは殆ど無くなり、周りから臆病者と軽蔑の目で見られるようになる。特に中等部三年は復讐や希望に溢れる盛んな時期だ。私の想像以上に彼女に対する当たりは強かっただろう。

 

 プレデターによる大規模侵攻が発生した場合、全生徒に向けて報告、そして大人たちの決定に準じた命令を『ペガサス』たちに下す──そのため死神と陰口を叩かれるようになる。大規模侵攻の時だけは強制的に最前線に立たされて全体の指揮を執らなければならない彼女は、まさに針のむしろ状態だったと記憶している。

 

 活性化率が抑制限界値に近づきながらもソレを隠し、“卒業”する事を拒絶した『ペガサス』の“進路相談”を行なわなければならないらしい──時折ある不穏な“卒業”は生徒会長が引き起こしたものと噂される。そしてそれは真実なのだろう。

 

 そういった生徒会長の業務を一年以上、彼女は与えられるがまま熟してきた。どれだけ頑張っても結末は変わらないという現実を抱えたまま。

 

 ──ゆえに彼女は壊れてしまった。

 

「喜渡先輩は久佐薙先輩のことで来たんですよね! でもあの人はもう──ごめんなさい、すいません、許してください、ごめんなさい、違うんです、ボクは何もしてません、何もしていません、なにもできませんでした、ボクは、私は、ボクは、許してください違うんです──」

 

 前ぶりなんて無い。まず乱雑に言葉を吐き出しはじめた。その笑顔が歪んでいき、全身が震え始める。誰がどうみても正常じゃなくなりはじめる野花会長。

 

「野花会長」

「──はい! なんでしょうか!」

 

 名前を呼ぶと、一瞬でとても晴れやかな笑顔に戻る野花会長。

 

「……貴女の言うとおり、月世に関係することです」

「やっぱりそうだったんですね! それでなんですか? あ! もしかして私を“卒業”させにきたとか? ──あは、あはははははははは!! 嬉しい、嫌だ、辛い、やった、本当にありがとう、やめてください、私は生きたいの、逝きたいの? イきたいのです?──それで話ってなんでしょうか?」

 

 彼女の精神状態がどうなっているかと聞かれれば筆舌しがたく、ただ錯乱していると片付けるには、あまりにも会話ができてしまっている。一年以上やってきた生徒会長としての振る舞いが魂に刻まれてしまっているのか、なんにせよ、あまりにも惨い。

 

「──喜渡先輩がボクを恨んでるって分かってます。だってボクは三年のみんなを“卒業”させてきた張本人なんだから、ずっとずっと同じような目に遭わせたくてしかたなかったんですよね?」

 

 言葉を選んでいたために起きた少しの沈黙が野花会長の心に強いダメージを与えてしまったのか、膝を地面に突けて、きっと今まで溜め込んでいたであろう不安を口にしはじめる。

 

 ただの被害妄想だよ、だから不安にならないで。そう言えれば、どれだけ良かっただろうか。

 

「……そうね。恨んでいないといえば、きっと嘘になるかもしれない」

 

 去年の二度にわたる大規模侵攻によって悌慧、ヨシカ、勇義が“卒業”してしまった。全てが臆病者の大人たちによって決められたものであるが、それを元に当時現場で配置決めを行なっていたのは彼女だ。

 

 死んでもいい。むしろそっちのほうがいいという思惑を隠しきれない最初から孤立している最前線配置に、強い不満を抱いたのは事実だ。なんなら本人がいない所で口汚く罵倒してしまった記憶もある。

 

「──あは、あははは、そうですよね……痛くしないでくれますか? いえ痛くしてもいいですから命は取らないでくれますか? 命ってなんだ“卒業”に命がどうとかないだろ、あ、ボクなんでもできます、お手もできます、おかわりもできます、裸で四つん這いとなって生まれた姿で散歩もできます、え、でもそんなことしてまで生きるのになんの価値があるんでしょう、どうせボクだって二年以内に“卒業”するっていうのに、それなら喜渡先輩の気がすむまで矢の的になったほうがいいですよね? その時はまずはじめにこれを飲ませてください──────えへっ」

 

 言葉を吐き続けながら、泣き笑いをしながら、彼女は震える手で毒入りの瓶を渡してくる。死にたくない、だけど生きるのが辛い。そんな二重苦悩によって倒錯している彼女を見て胃の中のものが込み上げてきそうになるのを耐える。

 

 野花会長は元々、『ペガサス』としての才能は無いけど、真面目で頼まれたことをきちんと熟す子だったと聞いた。だから前の生徒会長のような“卒業”をせずに一年以上続けられたのかもしれない。

 

 ……こんなになっても、生徒会長の職務を全うしてしまうのが野花という後輩なのだ。

 

 ──押しつけるべきじゃなかった。余裕が無かったなんてのは言い訳にしか成らないのだろう。前任の生徒会長とそれなりに交流があって、生徒会長という役職の悲惨さは知っていた。だから私は断った。仲間たちにも別方向の生き地獄だからと断るように言った。

 

 その結果がこの子だ。私たちが捨てた責任の全てをこの子が背負い込んでしまった。いまもなお、断捨離の仕方が分からなくて、ただひたすら不器用に積み上げ続けてしまっている。

 

 野花会長と……“後輩である野花”と同じように膝を床につけて彼女を強く抱きしめる。

 

「──ふえ?」

 

 もう見ない振りはしない。私の我が儘を聞いて、月世を生かしてくれたこの子に、辛いだけの現実を生きてほしくはない。

 

「……ごめんね。これからは年長者として私も背負っていくから」

「──無理ですよ、できません、だって喜渡先輩は三年生、久佐薙先輩だって──心配してくれてありがとうございます! でも大丈夫です! ボクはこれからも粉骨砕身してでも生徒会長の職務をまっとう──」

「野花」

「…………──っ」

 

 名前を呼ぶと、彼女は躊躇うようにゆっくりと手を動かして抱き返してくれた。

 

 野花は私の胸元に顔を強く押し当てる。しばらくすると啜り泣く声が聞こえてきた……奇跡が起きる前でも、たったひと言こうやって言ってあげればよかったんだ。

 

 救いにはならなくても、癒やしにはなれたはずなんだ。それすらも私は疎かにしてしまった……後悔は幾らでもある。だからこれも勝手な事でしかないのかもしれないが、償いをしていきたい。

 

「……これから話すことは全部現実で起きたこと、信じられないのも、嘘だと思うのも当然よ。だけどまずは話を聞いてほしいの」

 

 野花は返事をしなかった。それでいいと、私は今日あったできごとを、ゆっくりと丁寧に話しはじめた。

 

 





『伝説』の三年、『偉業』の二年、『最低』の一年。

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