織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第23話 戦の前の宴

 

「な、何と!? 松永弾正久秀も杉谷善住坊も、織田信奈を討ち損じたでおじゃるか!? 畿内のキリシタンバテレンまで織田勢に与したとな!?」

 

 やまと御所。

 

 次々と入ってきた報告を受け、近衛前久は太陽が西から昇ったのを見たかのような狼狽振りを見せた。

 

 まず一週間以内に十二万貫を納めよという無理難題を突き付けはしたが、信奈はそれに倍する二十五万貫を奉納してきた。これだけでも正直度肝を抜かれる思いであったが、しかし前久はこれに怯まず二重三重に陰謀の糸を張り巡らせた。

 

 上杉謙信と武田信玄を同盟させ、然る後に連合軍が尾張に迫るという偽情報を流して織田軍を京から撤兵させようとした事。

 

 甲賀の杉谷善住坊を雇い、信奈を狙撃しようとした事。

 

 京が手薄になった隙を衝き、信奈が新将軍として擁立せんとしている今川義元の首を取らんと、松永弾正久秀が動いた事。

 

 その全てが、この希代の謀略家の差し金であった。

 

 だが、仕掛けた策はその悉くが破られた。

 

 連合軍の偽情報は、当初から深鈴自慢の諜報部隊の報告と食い違っていた事から信奈も半信半疑、謀略の可能性も挙げられ、その後、三河の服部党との追跡調査によって完全に見破られてしまった。

 

 杉谷善住坊は、一発の弾丸も放たぬ内から捕縛されてしまった。

 

 松永弾正久秀は、再び信奈に寝返った。

 

 最早近衛前久には、信奈を阻止する大義名分は無い。

 

 そしてこの日、織田信奈は遂にやまと御所へ参内してきた。

 

 御所側からは関白である前久は勿論、太政大臣や御簾越しとは言え、姫巫女までもが参加している。

 

 一方で織田側は、勿論信奈。そして光秀と深鈴の三人が、勿論全員正装で列席していた。深鈴としては信奈の正装は初めて見るが、女である彼女をして見惚れる程に、今の信奈は美しい。いつもこうならうつけ姫呼ばわりする者など一人も居らぬだろうにと、頭の片隅で思う。

 

「織田弾正大弼信奈、参内仕りました」

 

 信奈に倣うようにして、一礼する光秀と深鈴。

 

 「正四位下・弾正大弼」とは急遽信奈に与えられた官位である。近衛前久にとっては「どうせ参内など叶わぬのだから、官位など与えても同じ事でおじゃる」と楽観視していたのだが、しかし信奈は全ての試練を乗り越えてここまでやって来た。こうなると、まさか無位無冠の者を参内させる訳には行かず、慌てて官位を……と、こういう経緯であった。また、深鈴には「筑前守」という官位、光秀には「惟任日向守」という新しい姓と官位が、信奈の根回しによってそれぞれ与えられていた。

 

 紆余曲折あったが、兎に角義元の将軍宣下は認められ、前久が関白として渋々ながらお褒めの言葉を掛けようとした、その時だった。

 

「おだだんじょう、たいぎであった」

 

 静謐な御所の空気に、幼い声が響く。御簾の向こうからのもの。つまり……姫巫女自らの声に思わず場がざわめくが、その中で特に顕著に表情を変えたのが一人。深鈴だ。

 

『この声は……』

 

 どこか幼さを残してたどたどしくはあるが、しかし確かな知性を感じさせる風鈴のように涼やかな声。確かにあの時、印象に残って覚えていたのと同じものだ。

 

『やはり……彼女が姫巫女様……?』

 

「ひ、姫巫女様、この場はこの関白、近衛前久が……」

 

「なぜじゃ、このえ」

 

「これらの者は先日まで血に塗れ戦をしておった者共。姫巫女様が穢れるでおじゃる」

 

「このえ、だまっておれ」

 

 まさに鶴の一声。そう言われては前久は従うしかない。そうして姦し者の口を塞いだ所で、御簾越しにではあるが姫巫女は信奈に言葉を掛ける。

 

「おだのぶなはへいしときいておる。ゆえにそなたをだじょうだいじんににんじ、このくにをまかせたいとおもう。このくにはよきものがまとめてこそ、ただしきみらいへとすすむであろう」

 

 出し抜けに姫巫女の口から出たその言葉に、前久は卒倒しそうになった。南蛮かぶれのうつけ者を太政大臣になど、彼にとっては悪夢としか思えぬような提案である。

 

 だが、武家としてあらゆる者が望むであろうその地位を提示されて、しかし信奈の答えは。

 

「恐れながらこの織田信奈は、官位など望みません。弾正の位を授かったのは、ただ姫巫女様の御前に参内する資格を頂く為」

 

「これっ!! 恐れ多くも姫巫女様のお言葉に逆らうでおじゃるか!!」

 

「あら近衛、だったら私が太政大臣になっても良いって言うの?」

 

「よ、良くないでおじゃる……しかし、姫巫女様のお言葉に逆らうのも……だが太政大臣にならせるのも……しかし姫巫女様の仰せとあらば……」

 

 グルグル回る思考の迷路に陥りかけた前久であったが、流石に頭の回転は速い。すぐに姫巫女の方に向き直った。

 

「姫巫女様、信奈は戦好きな田舎大名。何を考えているか分からぬでおじゃる」

 

「たしかにおだのぶなのこころはわからぬが、そこにはべる”ぎんれい”はよきもの」

 

「……私、ですか?」

 

 意外な形であだ名を呼ばれて、深鈴がいくらかの驚きを滲ませた声を上げた。その隣に座る光秀も同じようにきょとんとした表情を見せる。

 

「ぎんれいは、はらぐろいところもあるがそのほんしつはよきもの。はるかかなた、ずっとずっととおきところより、きたりしもの。てんが、このくにのなげきをききいれ、つかわされたもの」

 

「!!」

 

 姫巫女のその言葉はどこまでも抽象的な預言のようで、他の者達は意味する所が今一つ分からずに首を傾げていたが、当の本人である深鈴だけは違った。

 

 知っている。姫巫女様は、私が未来から来た人間だと知っている。この時代に来てから誰にも、五右衛門にも半兵衛にも信奈にも明かした事の無い秘密を、どういう訳か知っている。でなければあんな言葉は出て来ない。

 

 だが、一体どうやって? その疑問には、前久が答えてくれた。

 

「ま、まさか姫巫女様、この者に触れられたでおじゃるか?」

 

「どういう事よ、近衛」

 

「姫巫女様は相手に触れただけで、その者の心を読み取れるでおじゃる」

 

 それを聞いて思い出すのは、過日の相撲大会の帰りだ。小さな女の子一人だけでは危ないと帰り道を御所まで送っていったあの時、手を繋いで一緒に歩いた。あの時に……?

 

「ぎんれいがおだだんじょうによせるおもいはくもりなきもの。ならばちんは、うつしよのまつりごとをおだだんじょうにまかせたい」

 

「お言葉、しかと承りました」

 

 笑みと共に、平伏する信奈。

 

「いまがわよしもとをしょうぐんに。ばてれんのみやこでのふきょうをみとめる。また、ごしょのしゅうりにはにじゅうごまんがんもいらぬ。ごまんがんをごしょのしゅうりひにあてるゆえ、のこりにじゅうまんがんはおだだんじょうにかえす。てんかへいていのしごとに、つかうように」

 

「ありがたき幸せ」

 

 深鈴と光秀も、互いを見やってにっと笑む。二人で稼ぎ出した合わせて二十八万五千貫の内、今は二十三万五千貫が手元に。今後しばらくは軍資金に悩む事は無さそうだ。

 

 特に深鈴にとっては、これで銀蜂会の負担が軽減出来る。会の態勢を立て直す事が急務である現在にあっては、願ったり叶ったりの展開だと言えた。

 

「だが、おだだんじょう。そのかわりにひとつだけきかせてもらいたい」

 

「何なりと」

 

「ちんはてっきり、そなたがせいきゅうにだじょうだいじんやふくしょうぐん、かんれいといったちいをほっするものだとばかりおもっていた。なにゆえにのぞまぬのか? あまたのえいけつがほっした、そのざを」

 

「姫巫女様、それは織田信奈が御所の権威を認めておらず、日ノ本に南蛮の教えを広め、この国を南蛮異狄に売り飛ばそうとしているからでごじゃる!! 官位を頂き、御所に縛られるを嫌う事が、不忠の証拠!!」

 

 ここぞとばかりに熱弁する前久であったが「で、どうなのだ、おだだんじょう?」と、見事なまでにスルーされてしまった。

 

「私の戦いは我が身一つの栄達を望んでのものではなく、この国をあるべき未来に導く為のものですから」

 

 御簾に遮られてはっきりとは見えない姫巫女の瞳を、だがしっかりと見据えて信奈が答える。

 

「あるべき、みらい……?」

 

 鸚鵡返しで戻ってきた姫巫女の言葉に、頷く信奈。

 

「私は既に尾張で、その未来を見ました。私の国では、いかなる身分の生まれであろうとその者に確かな才と能力さえあれば、重く取り立てる道が示されています。私はこの考えを、遍く天下に広めたいと思っています。身分を無くし、万人に力を活かす機会が与えられる世。古き慣習に縛られるのではなく、才ある者が変えていく生きた天下。身分の低い者をそのまま力無き者としているこの天下を覆し、次の段階に進め、二度とこのような戦乱が起こらぬように……私はその道を、自分の生き様を以て天下に広めたいのです!!」

 

「おおおぉ……この罰当たりめが!! 血筋を、身分を認めぬじゃと? いずれは姫巫女様をも滅ぼすというのでおじゃるか、この謀反人が……!!」

 

 などと、口角に泡を浮かべて捲し立てる前久の訴えは姫巫女の「よくわかった」の一言でばっさりと切り捨てられた。

 

「ちんもいのろう。そなたらふたりのねがいが、このくにをよりよきみらいへみちびくことを」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして信奈達の御所への参内、姫巫女への謁見、義元の将軍宣下は全て完了し、取り敢えず彼女等がやまと御所にて行うべき事は”殆ど”終わったと言って良い。

 

「よろしかったですか? 信奈様」

 

 清水寺への帰り道、信奈のすぐ後ろを歩く光秀が尋ねる。信奈は「何を?」などと間の抜けた問いを返したりはせず「良いのよ」と、一言。

 

「ですが、先日信奈様を狙った忍びを雇ったのは、あの近衛前久です。放っておいては……」

 

 一応、周囲に人目が無い事を確かめてから光秀がそう言った。

 

 これは降伏してきた久秀の証言のみならず、捕縛した杉谷善住坊から聞き出した情報である。当初は忍び者の常として黙して語らずを貫いていた彼であったが、段蔵が”伊賀者も甲賀者も裸足で逃げ出す特殊な事情聴取”を行うと、ものの四半時(30分)で全て素直に話してくれた。そうして吐かせた情報が、久秀のそれとぴたり一致したのである。疑う余地は無かった。

 

 ちなみに、善住坊は全ての情報を聞き出した後、段蔵の手で始末された。捕らえられた忍びの末路など、昔からそれ一つと決まっている。

 

「久秀も言ってたでしょ? 只の戯れ言だと、一笑に付されるだけよ。確かな証拠が無ければね……」

 

 そう、御所にてしなかった事はそれ一つ。近衛前久の告発である。確かに信奈の言う通り、証拠が無ければ決定打には欠けるが……

 

「ですが……証拠を突き付けられずとも、こちらが確証を握っている事をほのめかせば、迂闊な真似をしてこないように牽制するぐらいの事は出来たのでは……」

 

 これは深鈴の発言である。光秀も頷く。だが信奈はにやりと悪そうに口角を上げ、二人に振り返った。

 

「銀鈴も十兵衛も、まだ考えが甘いわね」

 

「「は……」」

 

「銀鈴、あんたの言う通り、証拠は無いけどそれを持っている振りをすれば、近衛の動きを抑える事は出来るでしょうね。けど、それじゃあいつか、ほとぼりが冷めた時に今度はもっと慎重な手段で仕掛けてくるだけの事でしょ? だから……」

 

「「あっ……」」

 

 そこまで言われれば、聡明な二人には信奈の狙いがもう見えた。

 

 信奈の言う通り、ここで気付いている事を伝えれば近衛前久はしばらく下手な手出しはしてこなくなるだろう。が、同時に次に仕掛けてくる時にはもっと手練手管を凝らしてくるだろう。

 

 ならば逆に、今は泳がせる事で次に何かしてきた時にこそ確実な証拠を掴むのだ。

 

「そこまでお考えでしたか……」

 

 大将たる自身を囮にする、危険な策とも言えるが……信奈がそんな手に踏み切るのは、自分は殺られはしないと信じているからに他ならない。だがそれはただ楽観的に何の根拠も無く、戦場で自分だけには矢弾が当たらないと思っている訳ではない。

 

「私の事は、あんた達が守ってくれるでしょ?」

 

 にかっと笑う信奈。そこまでの信頼を受けては、深鈴も光秀も答えは一つである。

 

「はい、必ずや」

 

「この身に代えても、お守り致しますです!!」

 

 ほぼ同時に返ってきたその答えを受けた信奈は満面の笑みと共に満足げに頷き、そして次の命令を下す。

 

「さて……銀鈴、あんたにはもう一仕事してもらうわよ」

 

「承りました。して、その仕事とは……?」

 

「あんたが良くやってる事、よ」

 

 

 

 

 

 

 

「さあさあ、もっと食べて、もっと飲んで」

 

「いやいや、十分頂いておりますよ」

 

「これも信奈様の威光の賜物ですな」

 

 二週間後。清水寺近くの庭園では、畿内の諸大名を招いての宴会が開かれていた。幹事役を任されているのが深鈴。確かに、食客達を労う為に彼女が日頃からよくやっている事だ。

 

 宴会場を歩き回っていた深鈴だが、ふと心ここにあらずという風に空を仰いで、溜息を一つ。

 

「あらあら~? どうなされたんですか、銀鈴さん~」

 

 背後からの聞き覚えのある声に振り返ると、目に入ってきたのはタヌキ耳の髪飾り。三河より信奈の招待に応じてやって来た、松平元康がそこにいた。

 

「元康殿、京見物は楽しんでおられますか?」

 

「それはもう~。すっかり楽しませていただいてます~。義元さんもあの通りで~」

 

 元康が指差したその先を見ると、義元は集まった諸大名達に囲まれながら優雅に歌会を開いている。この宴会は名目上は、今川幕府発足を祝うものである。彼女の喜びようも一入であり、三秒に一度は「おーっほほほほ!!」とご機嫌な笑い声が聞こえてくる。

 

「そうですか……どうか、心行くまで楽しんでいって下さい」

 

「はい~。ありがとうございます~」

 

 そうして適当に挨拶した所で、元康は先程吐いていた溜息の訳を尋ねてきた。深鈴は少しばかり表情を曇らせる。

 

「半兵衛の事です……」

 

 竹中半兵衛は先日の清水寺での戦いからこっち、久秀との術比べで力を使いすぎたのが原因だろう。熱を出して伏せってしまっていた。当然、この宴席にも来ていない。

 

 だが尾張の時と同じく三食に栃餅の蜂蜜煮を付け合わせて食べているせいだろうか、今は容態も安定しており、もうしばらくすれば体調も戻るだろうとは、「神医」曲直瀬ベルショールの見立てである。

 

 そのお墨付きもあって、看護を尾張からいつの間にやらやって来たねねに任せ、深鈴はこうして幹事役をこなしているのだ。

 

「ところで、若狭と越前・朝倉は、この宴会に来られてないようです~」

 

 飲めや歌えで騒いでいる面々を見渡して、元康が言う。信奈からは畿内隣国二十一ヶ国の諸大名・諸将へ、この宴会への招待状という形で上洛を命じる手紙が送られている。彼等はこれを断っては攻められても文句は言えないので一も二もなくやって来ている。ちなみに近江の浅井長政からは来られない事への詫びの書状が祝いの品と共に届いているが、若狭と越前からはそれも無かった。

 

「来ない筈ですよ。どうやら、裏でコソコソと色目を使うネズミが動いているようですからね」

 

 誰とは言わぬが、白塗りの顔に眉を丸く書いて、お歯黒をした大ネズミが。

 

 とは言え、信奈や深鈴、光秀らにとって朝倉が上洛の命令に応じぬ事などは、京に入る前から計算済みの予定調和。これで、攻めるには絶好の口実が出来た事になる。

 

「しかし、老婆心ながら元康殿もお気を付けになられた方がよろしかろうと思いますよ」

 

「? そのネズミさんにですか~?」

 

「いえ、武田信玄にです」

 

 戦国最強兵団を擁するその大名の名を聞いて、元康の表情も厳しくなった。

 

「朝倉に色目を使うと言う事は、武田にも同じようにしている可能性がありますから……あるいは先日の上杉謙信との電撃和睦も、その者の差し金かも知れません」

 

「ははあ~。成る程、そういう事ですか~。すると朝倉・武田連合が織田・松平・浅井同盟を討伐するという話になるかも知れませんね~」

 

 元康の口調はいつも通りだが、口にする内容は恐ろしい。

 

「……そうは、ならないと思いますが」

 

 頬に伝った冷や汗を拭くと僅かに言い淀み、深鈴はそう答える。即答出来なかったのは、彼女が未来を知っているが故だ。勿論、この今が自分の知る歴史に繋がるとは限らないのだが……しかし、一抹の不安がある。そうなった時に対応する手段も打ってはいるが、どんなに綿密な計画を立てた所で、未来は往々にして思いも寄らぬ方向に、そして決まって悪い形に進むものである。詰まる所、実際なってみなければ分からないのだ。

 

 ならば、今はこれ以上気にしても仕方無いなとその件については一時脳内から追い出すと、元康に笑いかける。

 

「まぁ、堅苦しい話はこれぐらいにして……元康殿はこの先も宴会を楽しんでいって下さい。私の食客達に言って、美味しい料理も沢山作らせてありますので……」

 

「そうさせてもらいます~」

 

 笑ってそう言うと、たぬき大名は再び宴席へと戻っていった。彼女を見送った深鈴が視線を動かすと、普段通りのうつけ姫の装いをした信奈の姿が目に入った。誰かと話しているようだが……そう思って近付いてみると、意外な者の姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「おおっ、銀鈴!! 探したぞ。もう一度会っておきたいと思っていたのだ!!」

 

 信奈と話していたのは黒ずくめの衣装に眼帯をした金髪の少女。独眼竜ならぬ邪気眼竜・伊達政宗。梵天丸であった。彼女は奥州からの遊学先である堺に腰を据えていて、先の清水寺への援軍に駆け付けてきた縁もあり、信奈から招待状が送られていたのである。

 

「ちょうど良い所にきたわね」

 

 と、信奈も笑顔で深鈴を迎える。

 

「伊達政宗殿……先だっての援軍には、改めて感謝の程を……」

 

 礼儀正しくぺこりと頭を下げる深鈴に、梵天丸は「堅苦しい挨拶は良いぞ」と笑いながら言ってきた。

 

「同じ魔眼使いとして、先達を助けるのは当然の事だ!!」

 

 本人には悪気は全く無いのであろうが……しかし主君の前でこう言われた深鈴は瞼をピクリと動かし、信奈は怪訝な顔で臣下を見やる。

 

「魔眼使い……? 何の事、銀鈴?」

 

「あ、いや……信奈様……その……ま、まぁ良いじゃないですか。それより正宗ど……」

 

「梵天丸で良いぞ」

 

「では梵ちゃん、私に……」

 

「梵ちゃんと呼ぶでない!!」

 

 どうにも会話が進まないので信奈が「ああ、もう!!」と無理矢理に会話の流れを変える。何故に梵天丸が深鈴を探していたのかだが……

 

「そろそろ遊学期間も終わるのでな。この京にも、帰り際に立ち寄ったのだ」

 

「では、奥州に……?」

 

「うむ!! 我はこの邪気眼を武器に、奥州を撫で斬りにしてやるのだ!! 帰ったらまずは家督を継ぎ、”黙示録のびぃすと”と化して南蛮船団を味方に付け、この国に滅びを……」

 

「銀鈴、この子は何を言ってるの?」

 

 珍しく真面目くさった顔で信奈が尋ねてくる。厨二病患者と一般人の間には、広くて深い川があった。幸いなのはここに元厨二病患者の深鈴が居る事であろうか。彼女が渡し船、通訳になれる。とは言えどのように説明したものか「むむむ」と首を捻っていると梵天丸に「何がむむむだ!!」などと言われもしたが、しかし不意に、端的に彼女を表現出来る言葉が脳裏によぎった。

 

「つまり……傾(かぶ)いているのですよ」

 

 一言だったがその説明を受け、信奈も「ああ、成る程ね」と頷く。

 

 歌舞伎は少し前から京で行われている演劇で、徐々にファンを増やしてきている。そこから転じて派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、世間に正対しないような行動を取る事、要するに格好付けるのを「傾く」と言うのだが……厨二病患者の表現としてはまさにドンピシャリと言えた。

 

 梵天丸としてはそんな風に言われるのは些か心外なようだったが、しかしこのままでは全く話が進まないと判断したのか、取り敢えずは「傾き者」という認識で良しとしておく。

 

「ま……それで話は戻るが銀鈴は色々面白い話を聞かせてくれたのでな。一言別れの挨拶をと思って、探していたのだ」

 

「そうですか……事前に一言教えていただけていれば、何かお土産でも用意したのですが……」

 

 そんな風に話していると、ふと深鈴の頭の中で今渡せる”土産”が一つ、思い浮かんだ。彼女の知っている歴史でも伊達政宗はへそ曲がりの悪戯好きだったという話もあるし、ここは一つ、厨二病の先達として機先を制しておくか。

 

 むらむらと沸き上がった悪戯心に背中を押され、梵天丸から死角になっている顔半面にニヤリと笑みを浮かべた深鈴は、懐から包帯を取り出す。

 

 稲葉山城攻略の時に信奈に差し出した百両もそうだが、織田家に仕官する以前、五右衛門や川並衆と共に商売を始めたばかりの頃は、何度も山賊や野武士に襲われ、いつ死んでもおかしくないような日々の連続だった。その経験から彼女は、金の他に乾飯といった非常食に竹筒一本分の水、包帯や針や糸の縫合セットといった簡単な医療器具などは常に持ち歩くようにしている。

 

 自分や五右衛門を守る為に負傷した川並衆を治療した経験も手伝って、梵天丸の右前腕に手際良く包帯が巻かれていく。

 

「???」

 

 それを見た信奈は怪訝な顔だ。別に梵天丸が怪我をしているようには見えないが……

 

 梵天丸の方も、イマイチ深鈴の意図を図りかねているようだ。きょとんとした表情で、首を傾げている。

 

「銀鈴、これは……?」

 

「これは、梵ちゃんの体内に封印された七つの大罪を司る七柱の魔王達が普段表に出ないよう、封印するおまじないです。私の故郷には、そうした慣習が伝わってるんですよ」

 

 嘘は言っていない。

 

「おおっ!! 成る程、確かにここ数日の戦いを通して、我が内なる力は我自身の制御をも超えつつあるのを感じていたのだ……!! 銀鈴、感謝するぞ」

 

 きらきらと目を輝かせて礼の言葉を述べてくる梵天丸を見て、しかし深鈴の心中では悪戯が成功したカタルシスは束の間、急激に罪悪感が芽生えてきた。こうも純真な瞳を向けられると……ただの悪戯、ほんのわずかな茶目っ気だったのが、何故だかとても悪い事をしたような気がしてきた。

 

 とは言え覆水盆に返らず。今更只の悪戯でしたなどとは、言い出せる空気ではない。それはアミューズメントパークに行ってマスコットの着ぐるみと一緒に写真を撮っている子供の耳に「あの中には人が入ってるんだぞ」と囁くような暴挙だ。とは言えこのまま嘘の上塗りをするのも良くない。

 

『ならばせめて……今度こそ何か真心からの贈り物を……』

 

 そう思ったが、今は手元に何も無い。どうしようかと首を捻りつつ「そうだ!!」と、ある事を思い付いた。”これ”なら良いお土産になる。

 

「信奈様……」

 

「ん?」

 

「失礼ですが、手を叩いていただけますか?」

 

 突然そんな事を言われて首を捻る信奈であったが「まぁそれぐらいなら良いか」と、手拍子を一つ。パン、と乾いた気持ちの良い音が鳴る。

 

「では梵ちゃん、私から問題です。今、信奈様の右手が鳴ったでしょうか、それとも左手が鳴ったのでしょうか?」

 

「右? 左? おかしな事を聞くな?」

 

 質問の意図が掴めず、顎に手をやって首を捻る梵天丸。信奈も同じように「?」という顔だ。しかし問いかける深鈴の表情は真剣そのものであり、これがただの意地悪な問答ではない事を二人に教えている。

 

「いつか……その答えが分かったら、私に教えに来てください。二年先でも、三年先でも」

 

 梵天丸はその後もしばらくは怪訝な表情のままだったが、しかし唐突にニヤリと不敵な笑みを浮かべた顔に変わった。

 

「ふふん……魔眼使いの先達として、この我への問い掛けという訳か……よかろう!! その難問、いつか必ず解いてみせるぞ!!」

 

 深鈴にそう言い放った梵天丸は、次には信奈に向き直った。

 

「そして織田信奈、第六天より来たりし魔王よ!! この国を変えるのはそなたか、それともこの”黙示録のびぃすと”、邪気眼竜正宗か!! 次に会う時は、天下分け目の大戦ぞ!!」

 

 殆ど宣戦布告のような物騒な捨て台詞を残し、梵天丸は走り去っていった。右手には、包帯を巻き付けたまま。

 

 後に残された二人はぽかんと立ち尽くしていたが、やがてどちらからともなく、隣に立つ者へと視線を向ける。

 

「結局……あの子は何だったの?」

 

「ま、まぁ……あの年頃の子供はああいうのが好きですから……」

 

 と、深鈴。まぁここで織田家が遥か北の奥州相手に戦をするメリットも無いし、史実でもそうだったが時が過ぎれば正宗の考えが変わるかも知れない。それを考えれば今は様子見、という対応でも良いだろう。

 

 信奈も同様の考えなのか「ふうん」と一応の納得を示してはくれた。

 

「ところで……銀鈴」

 

「は……」

 

「それで……さっきのは私の右手が鳴ったの? 左手が鳴ったの?」

 

 尋ねてくる己が主に、深鈴は少しだけ意地悪な風に微笑して、

 

「それは……信奈様にも宿題ですね。いつか答えが分かったのなら、私に教えてくださいませ」

 

 そう返す。臣下である立場上、深鈴はこれ以上強引に「言え」と言われれば答えざるを得ない所があるが、しかし信奈とてそんな立場に物を言わせたカンニングの様な行為は、主としての、大名としての矜持が許さないらしい。「面白いじゃない」と、先程の梵天丸よろしく不敵な笑みを浮かべる。

 

「見てなさい。そんな問題ぐらい、すぐに解いてあげるわ!!」

 

 ビッ!! と深鈴を指差してそう言ってくる。その後の彼女は何度も手を耳元で鳴らしたりして「右……いや左が……やっぱり右が……?」などと、ブツブツ呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒック……銀鈴、この微意留というのは効くなぁ……普通の酒とは違った苦みがクセになりそうだぞ。南蛮渡来の葡萄酒も旨いなぁ……」

 

「あら、銀鏡殿。これ見て下さいな。先日手に入れた逸品ですわ」

 

 その後も深鈴は会場を見て回っていたが、顔を真っ赤にした勝家に絡まれたり、煙管をプカプカと吹かせた久秀の、先日手に入れたという壺自慢に付き合わされたり(その壺は、先の元康接待の折に光秀が最初に目を付けた物だった)と、まぁ色々あったが喧嘩狼藉などは無く、宴会はつつがなく進んでいく。

 

 そうこうしている間に昼八つ(14時頃)を過ぎて、少し小腹が空いたなと思い何かつまむ物でもないかなと探していたが……そうしていると食客の一人が、膳の上に数枚の小皿を乗せて運んでいく場面に出くわした。小皿の上には、黄色や桃色、緑色など様々な色の付いた粉末が少量ずつ乗っていた。

 

「あの、これは?」

 

「ああ、深鈴様。これは変わり塩です」

 

 と、その食客が説明していく。

 

「この桃色のが梅味、黄色の物は柚味、緑色のは抹茶味と……普通の塩に様々な風味付けを施してあります。良ければご賞味されますか?」

 

「うん」

 

 桃色の塩を摘んで舌の上に乗せてみると、塩独特のシンプルな辛みの他に、確かに梅干しのような味が感じられた。

 

「成る程、美味しいわね……ところで、これをどこに運ぶ途中だったの?」

 

「はい、先程作った天ぷらを、つゆの他にもこういう味付けで楽しんでいただければと……」

 

「……天ぷら……?」

 

 訝しむようにそう聞き返しながら深鈴は、そう言えば煮込みおでんやポテトチップスの権利は光秀が金策の為に売ってしまったので、新しい創作料理の開発を調理班に命じていて、その中に天ぷらもあった事を思い出していた。

 

 勝家が飲んでいたビールのように、この宴会にはそれらの料理のいくつかを発表するように言ってあったが……

 

「……それをもう、誰かに出したの?」

 

 イヤな予感がして、表情を硬くして問う。

 

「はい、先程……あちらの席におられる丹羽様や松平様にお出ししていますが……」

 

 何故に深鈴がそんな深刻な声と表情で尋ねてくるのか理解出来ないのだろう。のんびりとした調子で、その料理人の食客は答える。だがそれを聞き、深鈴の表情は一変した。

 

「バカ、何でそれを早く言わないのよ!!」

 

 理不尽な怒りであったが、しかし未来を知る身としてはこれは一大事である。脱兎の如く走り出した。後には呆然と立ち尽くしたままの食客だけが残される。

 

 宴会に興じる客人達を縫うように、泳ぐようにして掻き分けて進んでいくと、長秀らと食事しながら談笑している元康の姿が見えた。彼女の手にした箸にはまさに今、天ぷらが摘まれている。

 

「ああっ!! 元康殿、それは……」

 

 叫ぶが、その声は宴会の喧噪に掻き消されて届かない。

 

 こうなれば腕ずくで止めるまでだと、気が付けば深鈴は走っていた。今こそが陸上部(高跳び選手だけど)の足の見せ所だと。

 

 全ての景色がゆっくり、スローモーションのように見えた。脳内でアドレナリンやらドーパミンやらが分泌されて一瞬が何秒にも何分にも思えるという話は本当だったのだと、頭の片隅で思う。

 

 それは瞬きしていたら見逃してしまうような僅かな時間の出来事であり……それ故に、当然の如く間に合わなかった。

 

 パクリ、と元康の口に天ぷらが消える。

 

「あっ……!!」

 

 そこで、深鈴の時間は正常なものへと戻った。

 

 もぐもぐと咀嚼し、ごっくんと嚥下。

 

 程無くして、

 

「うっ!!」

 

 元康は苦しそうに顔を青くし、胸を押さえてうずくまってしまう。

 

「た、大変だ!! 天ぷらに当たったんですよ、誰か!! 早く医者を……!!」

 

 泡食って人を呼ぼうとする深鈴であったが、しかし周囲の反応は冷めたもの。それどころか元康自身も、数秒後には何事も無かったかのようにむっくりと起き上がってきた。

 

「鯛の小骨が喉に引っ掛かっただけですよ~」

 

 と、元康は苦笑しながらお茶をぐいっと飲み干しながら「でもご心配ありがとうございます~」と笑顔で言い、長秀も、

 

「まぁ幹事ですから些細な事でも気になるのは分かりますが、ちょっと気負いすぎですね……五十五点です」

 

 笑う口元を扇で隠しながらそう採点してくる。どうやら彼女達には、この宴会の幹事である深鈴が僅かな間違いでもあってはならないと、些末事にも神経質になっているのだと受け取られたらしい。深鈴も調子を合わせて頭の後ろに手をやり「あはは……」と照れ隠しの笑いを浮かべる。

 

「拙者達も見回っておりますが、今の所異常は無いでごじゃる…………銀鏡氏、どうかご安心を……」

 

「ぱく、ぱく……天ぷら美味しい……もぐ、もぐ……」

 

 先日の相撲大会の時と同じく、警備に当たっていた五右衛門と犬千代も、今度ばかりは少し呆れた表情である。

 

 皆からのそんな視線を受け、深鈴も苦笑した後に肩を竦めると、宴会の見回りに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 少しばかり離れた所でこの騒ぎを見物する者が一人。森宗意軒である。南蛮・唐国を巡り、日本に戻ってからは高野山で色々と学んできたこの説客は、今はワインの瓶片手に縁台に腰掛け、トレードマークの山高帽も傍らに置いている。

 

「未来を知る身としては、気苦労が尽きぬな……我が主は……心配せずとも”徳川家康”の星は落ちぬよ。少なくとも今しばらくはな」

 

 そう、ぼそりと呟く。未だ誰も知る筈の無い、後に元康が名乗る事となるその名を。

 

「尤も……あんたの頭に詰まった”正しい歴史”が役立たずになる日は、そう遠くはなかろうがね。あんたが好き勝手するお陰で天命はもう滅茶苦茶……とうの昔に消えている筈だった星の光は未だ強く我々に届き、この時代に輝く筈の無い星達まで煌々としている……かく言う俺自身の星もな。天命には本来そうあるべきものと違う流れに入った場合、正しい流れに戻そうとする力が働くが……俺が見た所、それも限界が近いな。未来の分岐点は、思いの外近くにあるかも知れん……」

 

 くっくっと喉を鳴らし、ワインをラッパ飲みする。きゅぽんと音を鳴らして口を離した彼の目は見開かれて、三白眼が深鈴を見据え、光る。

 

「ならば、俺も俺が望む未来の為……あんたには精々役に立ってもらうとするかね」

 

 言い終えた時には、見開かれていた三白眼は既にいつもの線目に戻っていて、彼は再びワインを呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 この一週間後、信奈は三万の兵を引き連れ、若狭へと出兵する。

 


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