織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第22話 清水寺の戦い

 

 先日は相撲大会で大いに賑わった清水寺も、祭りが終わった今となっては寺という場所が持つイメージに違わず静かなもの……では、なく。

 

「おーっほほほ!! 遂に念願の今川幕府を開く時が来ましたわ!! ご苦労でしたわね、信奈さん!!」

 

 征夷大将軍と言っても名ばかりのお飾り、人質として織田家に飼われているというのが偽らざる現状ながら、全く以てそれを理解していない義元の甲高い笑い声をバックミュージックに、信奈と深鈴は碁に興じていた。

 

 形勢はほぼ五分五分であろうか。信奈の方が純粋な棋力では上回っているだろうが、尾張にいた頃は道三と三日と空けず打ち合っていた深鈴は中々に粘る。未だ見えない勝敗に、傍らで勝敗を見守っていた長秀や半兵衛、光秀も思わず固唾を呑んだ。

 

「どっちが勝ってるんだ?」

 

「……分かんない」

 

 蚊帳の外に置かれたのは勝家と犬千代の二人。織田家中でも取りわけ武に秀でた両名であるが、しかし武の道に特化しているが故に、こうしたものには疎かった。

 

 と、何の前触れも無く、そんな盤上の勝敗への懸念など吹っ飛ぶような報告を持った小姓が駆け込んでくる。

 

「川中島で睨み合っていた武田と上杉が、電撃的に和睦致しました!!」

 

「!! 何ですって!?」

 

 思わず立ち上がる信奈であったが、しかし二の手三の手と、続け様に報告が入ってくる。それも選ったかのように悪いものばかりが。

 

「同盟を組んだ武田・上杉はそのまま連合軍を編成して、尾張へ向けて動きました!!」

 

「連合軍の規模は、総勢五万!!」

 

 次々舞い込んできた大変な報告を受け、先程まではのんびり碁の趨勢を見守っていた面々も表情を険しくして、場はにわかに色めき立った。

 

「三ヶ月は睨み合ったままだと思っていたのに、早過ぎるわね」

 

「信奈様の上洛強行を受け、これ以上争っている場合ではないと、両者の意見が一致したのでしょう」

 

 半兵衛の考察は理に叶ったもので「成る程」「確かに」と声が上がる。

 

「た、大変だ!! すぐ、尾張に引き返さなくちゃ……!!」

 

「情勢は三点……しかし、今は姫様が天下人になれるか否かの瀬戸際……京を空にする訳には……」

 

「ですが京を確保出来ても、尾張・美濃を獲られては本末転倒です」

 

 この情勢下でどう動くべきか、家臣団は激論を交わしていくが、深鈴はその喧噪からやや離れた所で別の事に思いを馳せていた。

 

『……来るべきものが来た、という事かしら……?』

 

 覚悟はしていたが、思ったより早かった。

 

 武田・上杉連合軍による尾張への侵攻。これは深鈴の知る正史には、無かった流れだ。

 

 どうしてこうなったのか?

 

 それは決まっている。自分だ。現代よりの来訪者、”異物”である自分がこの時代に在って生き残る為に行った様々な行動。その蝶の羽ばたきが巡り巡って大竜巻となって、歴史を異なった方向に導いている。

 

『……とは言え私とて、歴史が変わる事、それ自体は元より承知の上』

 

 だから、変わっても自分の優位性が消滅しないように色々と手を打っていた。

 

 しかし、今回の報告は事が事だ。戦国最強兵団を率いる「戦国の巨獣」とそれに唯一対抗出来る「越後の軍神」の連合軍五万となれば、それに勝てる戦力はまず今の日ノ本には存在すまい。

 

 尾張の防波堤的役割を担っている元康の三河など、この大津波の前にはひとたまりもなく水没するだろう。織田・松平・浅井が束になっても勝ち目は乏しい。

 

 つまりこの状況は織田にとっては九割方詰み、と言えるのだが……

 

『ただし、報告が全て本当ならば、の話だけど』

 

 心中でそう呟いて考えを整理すると、深鈴は手にした扇子で膝を叩いて「段蔵!!」と叫ぶ。数秒の間を置いて彼女の影が質量を持ったかのように盛り上がり、やがて一人の忍者へと姿を変えた。「飛び加藤」こと加藤段蔵。五右衛門と並んで深鈴付きの乱波である。

 

<ここに推参>

 

「段蔵、私はそんな話を聞いてないけど、あなた達諜報部隊も、そんな情報を掴んでいた?」

 

 天才忍者は、しかしふるふると首を振ると懐から紙片を取り出して寄越した。そこに書かれていた内容を読み上げていくと……

 

「武田・上杉の和睦は確定事項なれど、連合軍の結成及び尾張へ侵攻したという事実は確認されず……だ、そうですが……」

 

 しかしその報告を聞いても、信奈は浮かない顔だ。

 

「けど、万一って事があるでしょ? それに、あんたの情報網が間違ってるって事も……」

 

 自慢の諜報部隊を揶揄されるような物言いだが、しかし深鈴は落ち着いたものだ。自分の配下を信用していない訳ではない。しかし、特に武田信玄は乱波を多く用いる事でも有名だ。そうした水面下での諜報合戦によって、正確な情報が掴めていないケースが有り得るという話だ。

 

 それを考えると深鈴の意見は、

 

「確かに、万一の事態を考えると、兵を尾張に戻さなくてはならないでしょう」

 

 妥当と言えば妥当な所に落ち着いた。信奈もそれを聞いて我が意を得たりとばかりに笑みを見せるが、しかし深鈴は「ただし」と一言を加える。

 

「万全の備えをしてからでないと、危ないと思います」

 

「万全の備え……と言うと?」

 

「もし武田・上杉連合軍が尾張に迫っているのが本当なら話は単純ですが……仮にそれが誤報だった場合、そんな噂がどこから出て来たのか、という話です」

 

「どこから……って……あっ……!!」

 

 聡い信奈はそれだけの説明で全てを察し、はっとした表情になった。火の無い所にも煙は立つ。もし連合軍なんて存在しないのにそんな情報が入ってきたとすれば、誰かが作為的にその情報をでっち上げて流したという事だ。

 

「私自身、同じ事をやった経験がありますからね」

 

 しかも全く同じネタで。

 

 あの時は武田・上杉が同盟して、義元が上洛して留守の駿府を脅かそうとしていると流言を広め、尾張の国境から今川軍を撤退させたのだ。

 

『同じ手を仕掛けられたのは屈辱だけど……』

 

 しかしそれ故にこの発想に至る事が出来た。今回のも同じように何者かの流言だとしたら、その”何者か”が誰かなのかはこの際さて置くとして、何の目的でそんな偽情報を流したのか?

 

 そんなのは、決まっている。

 

「織田軍を、京から引き上げさせる為の罠……!!」

 

 長秀が厳しい顔でそう言った。そして、もしそれに乗って本当に京から引き上げたとしたら……!!

 

「この京が、攻められますね。その、流言を仕掛けた何者かに」

 

 半兵衛が言葉を継ぐ。つまり、京の守りを固めずに動くのは危険なのだ。

 

「銀鈴、それなら観音寺城を粉々にした轟天雷を使えば良いだろ。あの威力ならちょっとくらい兵力が少なくても……」

 

 敵軍を吹き飛ばせる、とそう発言する勝家だったが、しかし深鈴の「それは無理です」の一言であっさり却下されてしまった。

 

「ど、どうしてだ?」

 

「火砲部隊は決して無敵ではありません。寧ろ、欠点だらけと言えます」

 

 大砲と言っても基本は鉄砲と同じで、城のような動かない目標相手ならば兎も角、軍団相手には数を揃えて運用しない限り有効な武器とはならない。

 

 しかも、威力に比例するように弾込めの為の時間は鉄砲とは比較にならない程に掛かる。大部隊による護衛が無ければ、一発撃った後に敵に近付かれて、砲兵達は皆殺しにされてしまう。

 

「更に、そうした武器としての特性以外の問題点として……火砲部隊は、一箇所しか守れません」

 

「それは……どうしてだ?」

 

「轟天雷、母子筒。それらの大砲を扱える者が源内しか居ないからですよ。他の者では大砲を撃ってもまともに目標に当たらないし、最悪自壊させてしまうでしょうね。ですから……敵がどこからやって来るか分からないこの状況では、配置すべき場所が分からないので使えません」

 

 あるいは、その”何者か”の兵は既に京の町中に潜んでいるのかも知れない。もしそうだとすれば、事はもっと深刻だ。まさか町中へ向けて大砲を撃ち込む訳には行かない。

 

「うーむ……成る程……凄い兵器だと思っていたが、色々と制約も多いんだな」

 

 腕組みした勝家が唸る。この今は思っていたよりもかなり難しい状況のようだ。

 

 しかし、希望もある。銀鈴がここまで状況を正確に分析しているという事は……

 

「あんたに、何か考えがあるって事よね? 銀鈴」

 

 期待を滲ませた声で、信奈がそう尋ねる。この状況、織田軍は万一の事も考えてどうしても尾張に撤退せねばならず、京は手薄となってしまうが……しかし、彼女ならば何か事態を打開する為の妙手を打ち出すのではないかという期待が、信奈は勿論織田家臣団全員から向けられている。

 

 深鈴としてはその期待が、正直重くもあるが……だが、問題は無い。

 

「差し当たっては……援軍を手配しようと思います」

 

「援軍……? でも、どこから連れてくるつもり? 松平も浅井も、京にまで兵を出せる余裕は……」

 

「当ては、あります。お任せ頂ければ必ずや……」

 

 詳しく聞こうと思った信奈だが、止めておいた。深鈴は、自分達には無い方法論と発想を持っている。彼女はそれを使って、今までどんな不可能とも思える難事をも成し遂げてきた。

 

 彼女はやる。ああ言ったからには必ずやる。根拠は無いが、しかしその想いをこの場の誰もが確信として抱いていた。

 

「分かったわ。銀鈴、全てあなたに任せる。必ずや援軍を連れて戻ってきなさい」

 

「承りました」

 

 深鈴はそう言って信奈に一礼すると、清水寺から退出していった。残された面々はその後も、今後どう動くべきかの討議を続ける事になる。

 

 武田・上杉連合軍の来襲が真実だった場合には一刻も早く尾張へ帰還するだけだが、問題はこれが何者かの謀略であった場合だ。どのように対応すべきか……

 

 と、挙手した半兵衛が発言する。

 

「信奈様、もし銀鈴さんの心配していた通りだとすると、これは偽撃転殺(ぎげきてんさつ)の計です」

 

「……何それ?」

 

 首を傾げた犬千代の質問を受け、半兵衛が説明を始める。

 

「本来は城攻めの際、東西南北の一方向から攻撃を加えて敵兵力をそちらに集中させ、手薄になった他の方角から本隊を攻め込ませる計ですが……」

 

 今回織田軍に仕掛けられているのはその応用。偽情報によって兵を尾張に向けさせて、敵はその隙に手薄になった京に攻め込んでくる。

 

「成る程……で、半兵衛。そこまで分かっているなら、その策を更に破る策もあるんでしょうね?」

 

 先程の深鈴へのものと似た信奈の問いに、半兵衛は頷いて返す。

 

「敵が偽撃転殺の計を仕掛けてくるなら、こちらは虚誘掩殺(きょゆうえんさつ)の計で迎え撃ちます」

 

 

 

 

 

 

 

 援軍を引き連れてくると信奈達に約束した深鈴であったが、しかしすぐに動き出すという訳ではなく、まずは貸し切りにして食客達を滞在させている旅籠へと戻っていた。

 

 さて、この旅籠の中庭では。

 

「ああ、深鈴様。注文の品、出来上がっています」

 

 戻ってきた主人の姿を認めた源内が、仕上がった作品を差し出してくる。

 

 それは丈夫な和紙を重ねて作った、漏斗(じょうご)のような物だった。深鈴はそれを手にとって、丈夫さを確かめるように少し力を入れて握ってみたり引っ張ったりしている。

 

「しかし深鈴様……こんな物作って、一体どうするおつもりで?」

 

 源内の疑問も尤もである。漏斗のような物と言ったが、これはまさに”ような物”なのだ。彼女とて研究の為に漏斗を使う事はあるが、しかしこの漏斗は両手で持つぐらいに大きく、しかも「足」と呼ばれる管状の部分が異様に短く、しかも太い。これでは器具としての役目も果たせそうにないと思えるのだが……

 

 しかし、そんなからくり技士の疑問を深鈴は適当にはぐらかすと、次の注文を言い渡す。

 

「源内、もっと数を揃えて。三百個は欲しいわね」

 

「はあ……そんなに?」

 

「ちゃんと仕上げてくれたら、特別予算を振り分けるけど……」

 

「必ずや、期日通りに仕上げます!!」

 

 目の前にぶら下げられた予算(ニンジン)に食い付いた源内(ロバ)は俄然張り切って生産作業に取り掛かる。深鈴はくすくす笑いながらその後ろ姿を見送った。

 

『あの漏斗……今は役に立たないけど、この先には必要になる……可能性があるのよね』

 

 これもまた、転ばぬ先の杖の一つ。無駄になったらなったで構わない。だが、必要になった時にありませんでした、では困るのだ。

 

「さて……では私も仕事に取り掛かるとしますか。誰か、宗意軒を呼んできて!!」

 

 食客の一人にそう言って呼びに行かせた、その時だった。

 

「銀鏡氏!!」

 

 音も無く天井から、五右衛門が下りてきた。既に彼女のこうした登場に慣れっこになってしまった深鈴は、動じた様子もなく「どうしたの?」と尋ねる。

 

「それが、飛び加藤殿と子市殿から緊急報告が……」

 

「? 二人から? 何かしら……」

 

 あの二人にも重要な任務を申し付けていたのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 織田軍は、まず勝家と長秀率いる部隊を第一陣として尾張に帰還させ、次に信奈率いる本陣が続くという形を取った。

 

 京には将軍宣下を控えた義元と僅かな守備隊が残るのみとなり、その指揮は光秀へと委ねられた。

 

 何としても信奈が戻るまで京を死守しようと気合いを入れてその任に当たる光秀であったが、しかし信奈の出立とほぼ前後して、大変な報告が入った。

 

「松永弾正久秀が三千の兵を率いて、奇襲して来ました!! 恐らく、狙いは義元公かと……!!」

 

 その報告を聞き、光秀は思わず拳を作る手に力を込めた。

 

「……先輩の危惧していた通りになったですか……!!」

 

 覚悟はしていたが、やはり現実のものとなれば言い様のない緊張感が総身を襲ってくる。この事態に対する策は既に半兵衛が講じているが、要となるのは自分達守備部隊。何としても策が成るまでの時間を稼がなければならない。

 

「全ての山門を閉じ、守りに徹するです!!」

 

 兵力差は三倍以上。しかも立て籠もるのが城砦ならば兎も角、寺社である。計画通りとは言え、厳しい戦いを強いられる事は覚悟せねばなるまい。

 

 光秀率いる守備隊は皆、清水寺を死地とする覚悟であった。中には「ここは寺だ!! 手間が省けてちょうどいいにゃあ!!」などと笑えない冗談を口にする者まで居る始末。

 

「まあまあ、すっかり囲まれてしまいましたわね。光秀さん、頼みましたわよ」

 

 寺の外はすっかり松永の旗に囲まれているのに、義元だけは普段とは変わらずに十二単を着込んで和歌を詠んでいる。武力・政治力共に優秀とはお世辞にも言えない彼女だが、しかし肝の太さだけはあるいは本当に征夷大将軍の器かも知れなかった。

 

「御意。お任せあれ。全て半兵衛殿の立てた策の内。この明智十兵衛光秀、命に代えましても義元様をお守りいたします」

 

 そう言い残すと、光秀は自身も庭に降り立ち守備部隊に加わった。

 

 火縄銃を撃ちまくり、陣頭に立って必死の防衛戦を展開するが、しかし兵力差は如何ともし難く遂に山門が破られて敵兵の侵入を許してしまう。

 

 雪崩れ込む兵の先頭に立つのは、浅黒い肌をして異国風の衣装を纏った妖艶な美女。

 

「うふ。我が名は、大和は多聞山城城主、松永弾正久秀。以後、お見知り置きを。すぐに末期の別れとなりますけど」

 

 名乗りを受け、光秀は少し戸惑った様子だった。松永弾正と言えば、かつての自分の主である斎藤道三に並ぶ戦国の梟雄。何と言うか、もっと煮ても焼いても食えないような曲者じみた姿を思い描いていたのだが……

 

 しかしそんな風に戸惑っていたのも束の間、光秀はすぐに雑念を頭から追い出すと、不敵な笑みを弾正に向けた。

 

「来やがったですか。待っていたですよ」

 

「えっ?」

 

 この反応には、弾正も些か意表を衝かれた。てっきり、斬り死に覚悟で向かってくるものだとばかり思っていたが……

 

 良く見れば光秀の背後の兵達も覚悟を決めた表情ではあるが、同時に何か、希望を持っているようにも見える。この絶体絶命の状況で、それでも何か生き残る芽があると確信しているかのような……

 

「お前達の浅知恵など、半兵衛殿は全てお見通し!! わざと京を手薄にして誘き出す手に、まんまと引っ掛かりやがったです!!」

 

「なっ……それでは……あなた達は……」

 

「私達はお前達をここで足止めしておくのが任務。今頃は信奈様率いる本隊がこの報を聞き、すぐに引き返してくる筈です。早く逃げないと、挟み撃ちの憂き目に遭うですよ」

 

 意地悪な笑みを浮かべ、光秀が挑発的に言い放つ。

 

 「武田・上杉連合軍が尾張に迫る!!」の報を受け、信奈軍が全軍を一挙に撤退させるのではなく先発隊と本隊の二部隊に分けたのは、これを狙っての事だった。

 

 もし深鈴や半兵衛の読んだ通りあの情報が何処かの勢力による流言だとすれば、信奈が京を離れたと見るやその勢力は、間髪入れずに京へ侵攻する筈だった。あまり長引かせては、情報が偽りであったと露見して信奈達が引き返してくるからだ。そして、まさにその通りになった。

 

 勿論、情報が事実である場合も考えられる。故に勝家・長秀隊は全速にて尾張への帰路に就いていた。そうして帰国して情報が真実と確かめられたのなら、すぐに信奈の居る本陣に連絡を取って本国の守りを固める手筈だった。

 

 果たして事実は、偽報と組み合わせた松永による偽撃転殺の計であった訳だが、しかしそれに対抗する為に半兵衛が打ったのがこの虚誘掩殺の計。

 

 偽撃転殺の計に嵌ったと見せ掛けて敵を引き寄せて、その実迎撃準備を整えておいて殲滅する。光秀の言った通り松永勢は見事に引っ掛かった訳だ。

 

 しかし妖しい色気を放つ姫武将はこの状況にあっても取り乱しはせず、手にした十文字槍をくるくると回して嫣然とした笑みを見せる。

 

「ならば本陣が引き返してくる前にあなたを討ち取り、義元公の首を挙げるまでですわね」

 

 久秀は水車のように回転していた槍を止めると、切っ先を光秀に向けた。

 

「槍は宝蔵院流にございます」

 

 光秀はそれを聞き、警戒心を強くする。本来槍は突き出す事に特化した武器であるが、宝蔵院流のそれは「突けば槍、薙げば薙刀、引かば鎌」と謳われる程に変幻自在に動くと耳にした事がある。

 

「宝蔵院流の使い手……なれば松永殿は興福寺の出身でしょうか」

 

「ええ、その通りですわ」

 

「その信心深きお方が何故に奈良の大仏を焼き、百年続いた乱世を終わらせんとする信奈様の天下布武に立ち塞がるのですか。仏の道を見失いましたか!!」

 

「見失ったのは人の道ですわ。我が主・三好長慶様を失って以来、私(わたくし)、自分が夢うつつの世界に迷い込んだように何も分からなくなりましたの。今の私はただ、織田信奈様が真に我が新たな主君として相応しいか否かを、見極めたいだけ。人は追い詰められた時にこそ、真の姿を晒け出すものですから」

 

 一騎打ちが所望か、兵を後方に控えさせてじりじりと近付いてくる久秀を見て、光秀も一つの決断をした。種子島を捨て、腰の刀を抜く。名刀・明智近景。備前長船長光門下、近景の作である。

 

「織田信奈の臣下、明智十兵衛光秀。剣は鹿島新当流、免許皆伝」

 

 名乗り終えると同時に、素早く踏み込むと愛刀を振るう。弾正はひらりと後ろに跳んで、すんでの所でその一撃をかわした。

 

 本来、長槍と刀では「槍に七分の利あり」と言われる程に刀が不利だが、光秀の技量はそんな差を完全に埋めてしまっていた。

 

 これには弾正も「ほう」と目を見開いて穏やかな驚きを見せる。種子島の名手であるのみならず、これほどの剣技を身に付けているとは。

 

 松永は「全く、天下は広いですわね。これほどの英傑がいるなんて」と微笑し、

 

「あなたのような素晴らしい英傑に出会うと……私、どうしても殺したくなってしまいますの!! あなたが夢破れ、散っていく刹那に見せる絶望の表情を、見てみたい!!」

 

「戯れ言を!!」

 

 惑わすような弾正の言霊を振り切るように突進した光秀が振り下ろした刃と弾正の突き出した穂先とがぶつかり合い、火花が見える。

 

「あなたほどの人物ならば天下も狙えましょうに。何故織田信奈の家臣に?」

 

「信奈様こそ天下に相応しいお方!! 私は信奈様に、自分の夢を懸けたです!!」

 

「人の夢と書いて、儚いと読むのですよ?」

 

「お前と禅問答する気は……」

 

 無いと、そう言って槍ごと真っ二つにしてくれんと光秀が刀を握る手に力を込めた、その時だった。

 

「でも……そこまでして尽くす信奈様が、既にこの世の人ではないとしたら、どうでしょう?」

 

「えっ……?」

 

「甲賀の杉谷善住坊が、尾張への帰路に就く織田信奈様を待ち伏せして撃つ手筈になっております。あの方は百発百中の殺し屋ですから、信奈様はもうお亡くなりになったんじゃないかしら?」

 

「な、なんですと……?」

 

 動揺を誘う為の見え透いた手ではあったが。しかしほんの一瞬ながら隙が生まれた。彼女の中で、信奈がそれほどまでに大きな存在であったが故に。

 

 そして弾正程の手練れが、ただ一瞬であろうと生じた隙を見逃す筈が無く。突き出された十文字槍の先端が光秀の喉めがけて伸びて、貫いた。

 

 殺った。と、勝利を確信どころか確認した弾正であったが、だがしかし。

 

「なっ!?」

 

 確かに光秀の喉を貫いた筈の槍は、何故か光秀の髪型に似せたウィッグと同じ着物を着せた、ただの丸太に突き刺さってしまっていた。顔に当たる部分にはご丁寧にも「外れ」と貼り紙されている。

 

 見ればすぐそこに立っていた筈の光秀の姿すら、何処かに掻き消えてしまっていた。

 

「これは……空蝉の術!! どこへ……」

 

 きょろきょろと辺りを見回すと、光秀は見付からなかったが、先程までそこに居なかった筈の者が目に入った。

 

 全身を隙間無くボロボロの黒い布で覆い、両眼だけをぎらぎらと輝かせ、白い狐面を髪飾りのように付けた小柄な人物。加藤段蔵。

 

「…………」

 

 当代最高の忍者が無言のまま纏ったボロ布をマントのように翻すと、その中から手品のように二人の人間、光秀と深鈴が転がり出て来た。

 

「思ったより際どかったが、間に合ったみたいですね」

 

 光秀は一瞬、何が起こったか分からず呆けた表情を見せていたが、それも本当に一瞬だけの事だった。すぐに我に返ると、深鈴の肩を掴んで食って掛かる。

 

「銀鏡先輩!! こんな所に来てる場合じゃ……!! 信奈様が、信奈様が……!!」

 

「甲賀者の杉谷善住坊に、狙撃されたとでも?」

 

「「なっ!?」」

 

 動揺を全く見せない深鈴のその言葉を受け、これには敵味方という立場を超え、光秀と松永は声を揃えて頓狂な声を上げる。

 

「松永弾正久秀殿……あなたがどこからその情報を得たかは知りませんが……残念ながら狙撃手は、私の手の者が捕縛しました」

 

「馬鹿な……!! どうやって……」

 

 流石の姫武将も動揺した声を上げる。百発百中と名高い杉谷善住坊の狙撃から逃れるだけでも至難なのに、逆に彼を捕縛するなど、どうすればそんな事が出来るのだ?

 

 ハッタリか、とも考えたが、しかしそこに一挺の火縄銃が投げ入れられて、その考えも否定される。各所に特殊な改造が施されたそれは、紛れもなく杉谷善住坊の得物だった。

 

「私が居るのに、狙撃による暗殺を試みたのは……愚か、と言いたいな」

 

 そう言いつつ、ぬっと姿を現したのは子市だった。たった今、火縄銃をこの場に投げ込んだのも彼女だ。

 

 子市と段蔵。この二人は、信奈が尾張に戻ろうとする際、先行して狙撃手が潜んでいそうな場所をチェックし、見付けた場合にはその者を捕縛もしくは排除するよう深鈴から命ぜられていた。

 

 京から尾張への広く長い道の中には、狙撃可能な場所などいくらでもある。その全てを完全に把握するなど不可能だ。と、そう考えるのが普通だが、実際は少し違っている。

 

 この時代の銃は子市が持つ”鳴門”でもない限りはどんな名手が使おうと、有効射程は50メートルを越えるか越えないかといった所。100メートル以遠から狙ってくる事はありえない。

 

 そして狙撃場所だが、一流の狙撃手であればあるほど、狙撃を成功させる事ではなく成功させた後に確実に逃げられる事を念頭に置いて動くようになる。ましてや鉄砲という、一発撃てばすぐに存在もおおよその位置も知れる武器を使うのである。杉谷善住坊は場所選びこそ入念に行っていた。

 

 つまり、信奈が帰路に通る道から100メートル以内で、かつ織田軍が狙撃手に気付いたとしても確実に逃げ切れる場所。この条件で線を引けば残るシューティングポイントは思いの外少なくなる。そしてその一つに、杉谷善住坊は居た。今か今かと信奈が照準に入るのを見計らっていた彼であったが、引き金を引くより早く後ろから忍び寄ってきた二人に組み伏せられ、あっという間に制圧されてしまったという訳だ。

 

 これは忍び者の手口を知り尽くした段蔵と、鉄砲の長所も短所も知り尽くした子市あってこそ為し得た手段だったが……二人は、見事にやり遂げたという訳だ。

 

「そういう事よ!! 遅くなったわね、十兵衛!!」

 

 清水寺本堂の屋根の上から、声が降ってくる。弾かれたように顔を上げた光秀の目に入ったのは、種子島を担いで紅い南蛮風マントを翻した威風堂々たる信奈の姿。

 

 続くようにして犬千代、五右衛門、半兵衛達もそれぞれ姿を見せる。

 

「今は先行してきた私達七人だけだけど、すぐに本隊も引き返してくるわ!! 十兵衛、あんたの後ろは私達が守ってあげるから、思う存分戦ってみなさい!! 明智の桔梗紋、今こそ天下に翻させる時よ!!」

 

 光秀を仕留め損ねた久秀はさっと手を振ると兵に合図して、本堂に火矢を射かけさせた。信奈がここに現れたという事は、後続の織田本隊が駆け付けてくるまでそう間が無いと悟り、短期決着を目指して総攻撃を仕掛けるつもりだ。

 

 炎に包まれ、数の上では七人が加わっただけで未だ不利な織田勢だが、しかし総大将である信奈自身が前線に立った事と援軍がすぐそこまで迫っている事を聞かされ、兵の士気は天を衝かんばかりに高まった。

 

「ああ……織田信奈様、よくぞ善住坊の暗殺を逃れられました。今こそ、あなたの本物の姿を見極めさせて頂きますわ。我が生涯の主に相応しい御方かどうかを」

 

「この私を値踏みしようなんて、良い度胸じゃない!! 松永弾正久秀!!」

 

 信奈が屋根から飛び降りて庭に降り立ち、続いて五右衛門と犬千代も飛び降りて戦列に加わる。段蔵と子市も忍刀と火縄銃をそれぞれ手に取って、押し寄せる松永勢に応戦を開始。大乱闘が更に大乱闘となった。子市から渡された反動の少ない馬上筒をめくらめっぽう撃ちまくる深鈴の耳を、弾丸が掠めて飛んでいってすぐ後ろの柱に穴を穿った。

 

 半兵衛だけは頼りない足取りで柱を伝って下りようとして、廊下へと転がり落ちた。

 

「あぅぅ……前鬼さん、後鬼さん、よろしくお願いします!!」

 

 少女陰陽師は涙目になりつつも式神達を繰り出し、彼等は長たる立ち位置にある前鬼に率いられ、持ち前の妖力で以て庭のあちこちに五芒星状の亀裂を走らせ、地下水を噴出させて本堂の消火作業に当たっていく。

 

「まぁ、あなたが我等の策を見破った天才軍師さんですか。それも陰陽師とは……ならば、私もあやかしの術の遣い手として、振る舞わねばなりませんね」

 

 そう言うや久秀はふわりと渡り廊下へと跳躍して上って、半兵衛と相対する位置に立った。彼女の全身から立ち上る妖気を受け、半兵衛も警戒心を高めて前鬼と後鬼を呼び寄せる。

 

「あなたは……只の侍ではないのですね……」

 

「ええ。仏の道なども学び今は松永久秀などと名乗っておりますが、私の出自は流浪の幻術遣い。陰陽師にとっては不倶戴天の敵ですわ」

 

「幻術なら、段蔵さんも使いますが……」

 

 加藤段蔵は希代の忍者であると同時に幻術の遣い手でもある。半兵衛もその業を見た事はあるが……しかし、彼あるいは彼女はあくまで忍びの業を主体として幻術はその補助的な位置付けとして習得しているに過ぎない(それでもかなりの腕前だが)。対して久秀は肌の色からも分かる通りその身に流れる異国の血と共に、その業を受け継いだ生粋の術者である。習熟度としては比較にならない。

 

 久秀が指を鳴らすと、日も暮れてすっかり黒くなってしまった天より遊女のような紅い着物を纏った若く美しい女達が、数十人も降ってきた。しかし、彼女等の一人としてその瞳に意思の光は宿っていない。

 

「……傀儡(くぐつ)……?」

 

「うふふ。お分かりですか? 可愛い陰陽師さん。幻術遣いの本分は偽りの目眩ましを見せるだけに非ず、幻術の奥義は波斯(ペルシャ)より伝わりし傀儡遣いの業」

 

 ここへ来て、半兵衛の表情に動揺が走った。久秀の術者としての技量それ自体も恐るべきものがあるが、それ以上に彼女に対して不利に働いているのが、幻術がどのような術理によるあやかしの業なのか。それが分からない一点である。

 

 半兵衛の使う陰陽道とは全く異なった体系の術。密教でも奇門遁甲でもない。全く未知の、異国の術。

 

「あなたの式神と私の傀儡、いずれが勝っているか、勝負しましょう」

 

 言葉の終わりを合図として殺到する傀儡達。式神達も迎撃すべく突進する。

 

 術者としての技量は互角か、あるいは半兵衛の方が上回っているかも知れない。しかし、やはり未知の技術体系を相手としている事の不利が、対決の流れを久秀の方に傾けていた。式神達は次々、傀儡に倒されて消滅していく。

 

「我が主、ここは我等が防ぐ。お逃げ下さい」

 

 傀儡と戦いながら前鬼がそう言うが、しかし半兵衛としてはここで何とか久秀を食い止めている自分が逃げ出して、彼女の恐るべき力を信奈や深鈴達に向けさせる訳には行かないと、一つの覚悟を決めた。

 

「こほっ、こほっ……!!」

 

 しかし乾坤一擲、残った力を全て注ぎ込んだ護符を投げ付けようとした所で、半兵衛の体に限界が来た。激しく咳き込み、胸を押さえてうずくまってしまう。

 

「これでお終いとは……興醒めですわね。ならば、皆殺しにしてしまいましょう…」

 

 そう言った久秀が艶めかしく指を動かすと、残った数十の傀儡共が半兵衛に殺到する。前鬼にも式神達にもこの攻勢を防ぐ力は残っていない。万事休す。

 

 そう、思われたが。

 

 不意に、傀儡達の動きが止まり、文字通り糸が切れた操り人形のように次々、その場に崩れ落ちていく。

 

「これは……」

 

 久秀は二度三度、傀儡達を再び動かそうと試みたが、しかし彼女の人形達は見えざる操り糸を断ち切られたかのようで、床に転がったままぴくりとも反応しない。

 

 彼女程の術者が、術を仕損じるなど有り得ない。つまりこれは……

 

「そこに隠れている御方。出て来られてはいかがです?」

 

 漸く何が起こっているかを理解した久秀は、半兵衛のすぐ後ろ、渡り廊下の先にある暗がりに向けてそう言い放った。釣られて、半兵衛の視線もそちらへと向く。

 

「ふん、見破られてしまったかね」

 

 進み出てきたのは、この炎に包まれた寺であっても汗一つ掻かず、戦場に在っても能面の如き笑みを崩さぬ男。南蛮帰りの説客、森宗意軒であった。

 

「あなたは……何者かは存じ上げませんが、私の幻術を封じるとは……成る程、あなたも異国の術の遣い手なのですね」

 

 新手の術者の登場に、久秀の興味は彼へと移ったようだ。

 

「幻術は聞きかじった程度だがね? だが、俺が得意とする術の奥義もまた、命を持たぬ者の使役にある。その応用で、木偶人形共の動きを封じるぐらいは出来るのさ」

 

 くいっと親指で山高帽を上げ、糸のような細い眼で久秀を挑発する宗意軒。それを受けて妖艶なる姫武将が大きく腕を振ると、動きを止めていた傀儡達が再び動き出した。

 

 これを受けても、宗意軒は別段驚いた様子を見せない。元々、幻術の腕それ自体では勝負にならないのだ。少し足止め出来ただけで、久秀が本気になって人形達を操れば、自分の妨害が破られる事など至極当然。

 

「半兵衛殿は体調が優れぬようなので……代わって、あなたに術比べを申し込みたいと思いますわ」

 

 主のその意思に呼応するが如く、再起動した傀儡達は一斉に槍を構えて宗意軒に向き直る。果たして彼の返答は、

 

「折角のお誘いだが、遠慮申し上げるよ」

 

「おい」

 

 お前何しに来たんだと半兵衛を抱えた前鬼が詰め寄るが、しかし宗意軒の仮面のような笑みは、未だ崩れない。

 

「引っ込んでいろよ、半兵衛の犬。俺の術はこんな敵味方入り乱れた場所で使って良いものではないのさ。地獄絵図が見たいなら、話は別だがね」

 

 そこで一度言葉を切り、「それに」と続ける。

 

「今回、俺が深鈴様から受けた仕事は、戦う事とは違うのでね」

 

 そうして彼の言葉が言い終えられた、その瞬間だった。

 

「”十二使徒再臨魔界全殺”(ボンテンマルモカクアリタイスゴイソード)!!!!」

 

 何とも気の抜けるような無邪気な声と共に、襲ってきた凄まじい衝撃が傀儡達を木っ端のように吹き飛ばす。

 

「何奴!?」

 

 炎と煙を切り裂いて現れたのは、全身黒ずくめで左目を眼帯で封じた金髪の少女。京に着いてすぐに深鈴達が出会った、奥州の邪気眼竜。

 

「黙示録のびぃすと、梵天丸見参!!!!」

 

 傀儡達を前に、大見栄切って登場した。

 

「梵ちゃん、まさかあなたまで来てくれるなんて!!」

 

 これは、深鈴にとっては嬉しい誤算と言える。

 

「梵ちゃんと言うでない!! ま、それはさておき……我だけではないぞ、見ろ!!」

 

 跳躍し、屋根の上に昇った梵天丸が愛刀の切っ先で指し示すその先には、清水寺に向かってくる夥しい数のかがり火。

 

 遅れてやって来た信奈の本隊だが、彼等だけではない。援軍の先頭に立つのは、南蛮甲冑を纏った金髪碧眼の少女ルイズ・フロイス。

 

「来てくれましたか!!」

 

 勿論、教会の一修道女でしかない彼女が兵など持っている訳はない。しかし、フロイスは一人ではなかった。

 

「高山ドン・ジェスト!! お味方致す!!」

 

「同じく小西ジョウチン!! 参る!!」

 

 彼等だけではなく、武器を持たぬ宣教師や果ては農民に至るまでが、その援軍には加わっていた。

 

「馬鹿な……私と同じく、この国では疎まれ居場所も無い者達が……どうやってこれほどの数を……」

 

 そこまで呟いた所で、久秀は「はっ」と宗意軒に目を向ける。彼はやはり笑みを浮かべたまま、「正解」と告げた。

 

「昔の縁でね。俺はこれでも、ドミヌス会やキリシタンの連中には、ちょっと顔が利くのだよ」

 

 宗意軒のそのコネクションによって、フロイスを通じて畿内のキリシタンを結集させる。これが深鈴の考えていた援軍の当てであった。

 

 これは全く深鈴らしい戦法と言える。墨俣築城作戦の折も、彼女は野武士達に檄文を配る事で五千の兵を糾合した。今回はそれを、キリシタン達に置き換えて行ったのだ。

 

「皆、新しい時代を作る信奈さんの味方ですわ!!」

 

 馬上でそう叫ぶフロイスの声を聞き、久秀はその胸につっかえていた何かが外れたような気がした。

 

 日ノ本は日ノ本。南蛮は南蛮。波斯は波斯。異なる文化、異なる神。それらを信じる者達は未来永劫分かり合う事はない。少なくとも久秀は今までそう信じてきた。何故ならそれぞれの間には、高く厚い壁があるからだ。

 

 だが今、そんな壁など遥か高みで飛び越えるようにして、フロイスの下に集った者達が信奈の援軍として馳せ参じて来ている。

 

 皆が、信奈の作る未来を信じて。

 

『……違う』

 

 織田信奈は違う。長慶様とも、この国に現れて消えていった、幾多の英傑の誰とも違う。

 

『この御方ならば……きっと……』

 

 その確信と共に、久秀は腕を一振りする。梵天丸が当たるを幸い薙ぎ倒していた傀儡達は、先程宗意軒にされた時のように再び全ての力を失って床に転がった。

 

 そして久秀は愛槍を床に置き、信奈の前に跪いた。今度こそ完全敗北を認め、臣従を誓って。

 

「松永弾正久秀、降伏致します……!!」

 

 主の投降を受け、松永兵達も次々に武器を捨てていく。

 

「大・勝・利!!!! 見たか!! これが破壊の大魔王の力だ!!」

 

 ご丁寧に積み上げた傀儡達の山の上で、梵天丸が勝ち鬨を上げ。

 

「おーっほほほ!! 皆さん、ご苦労様でしたわね!!」

 

 寺に火が付いていると言うのに、呑気に茶菓子を食べていた義元が扇子を振って舞いながら労いの言葉を掛け。

 

「……お腹空いた」

 

「何とかなったでござるな」

 

 猛戦していた犬千代と五右衛門は背中合わせに座り込んで。

 

「お疲れ様」

 

「…………」

 

 銃口から出ている硝煙をふっと吹きながらそう語り掛けてくる子市に、段蔵は相変わらず無言のまま。しかし、懐から果物を取り出して彼女に渡した。

 

「宗意軒さん、ご助勢、ありがとうございました……こほっ、こほっ」

 

「何、俺は殆ど何もしてないさ。礼の言葉は深鈴様に言いたまえよ」

 

 前鬼に抱えられた半兵衛の礼の言葉を受け、宗意軒はぶっきらぼうにそう返して山高帽を目深に被るだけだった。

 

「十兵衛殿、囮役、お疲れ様でした」

 

「先輩も刺客の排除と援軍の手配、お見事でした」

 

 深鈴と光秀は互いを見やって、二人ともほぼ同時に親指をぐっと立てる。

 

 そして最後に、自信と勝利の笑みを浮かべて一同を睥睨する信奈が、やはりこの一言で場を締め括った。

 

「デアルカ!!」

 


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