織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第21話 金策興行

 

 堺、開口神社の境内。

 

 堺の商売を取り仕切る会合衆三十六名が一同に会していた。信奈とは父の代からの旧知である会合衆代表・今井宗久の声掛けによって集まったのである。

 

 この会合の目的については未だ明らかにはされていなかったが、しかし機密情報とは往々にしてどこからか漏れ出すもの。

 

「大名の織田様が名物料理を披露やて?」

 

「商いの道は厳しいで。果たしてお武家さんに名物が作れるものやろか」

 

「お手並み拝見といきまひょか」

 

 豪商達の間には、既にそうした噂が飛び交っていた。堺の町では今井宗久がタコ焼きの独占権によって巨万の富を得ており、他の商人達はタコ焼きに対抗出来る新しい名物を欲している。代表たる今井宗久の顔を立てる意味もあったが、三十五名の商人達が一人も欠けずに集まったのにはそうした事情があった。

 

 境内のど真ん中には屋台が一つ置かれていて、そこには深鈴から借り受けてきた食客達を従えた料理人姿の光秀が、自信ありげな表情で構えている。

 

「それでは皆さん、手筈通りに」

 

「「「ははっ!!」」」

 

 一体いかなる料理が出てくるのかと会合衆がざわざわ騒いでいるのを尻目に光秀が指揮する料理人達は手際良く料理を作っていき、四半時(30分)程でその料理は完成した。

 

 彼等の前に出されたのは、出汁を醤油などで味付けしたつゆに、大根やちくわ、ジャガイモ、餅入りの巾着、がんも、コンニャク、タコ、ウインナーなど様々な具材をブチ込んだ煮物料理。かつて墨俣築城計画会議の折に振る舞われ、光秀も食した事のある創作料理である。

 

「銀鏡先輩が開発した、煮込みおでん!! さあさあ、感動の涙を流して食いやがれです!!」

 

 鬼気迫る表情でわきわきと十指を動かす光秀に凄まれ、海千山千の商人達も圧倒されたかのように試食に移っていく。箸で具をつまみ口に入れた後に、沈黙。数秒間もそれが続いた後、果たして彼等の反応は。

 

「こ、これは!! 大根は良く煮込まれていて、つゆの味が染み通ってますな!!」

 

「他の具材も、今まで食べた事の無い不思議な食感ですぞ!!」

 

「我々の知るおでんとは全く違いますな。これは酒にも合いそうやね」

 

「これ食ってると体が温まるわ!! これからは寒うなるからな……これは売れるで!!」

 

 まず、上々と言える。信奈も「うん、正直奇をてらっただけの料理だと思ってたけど、美味しいわね」と笑顔で頷いていた。

 

 今井宗久と津田宗及。水面からでは色々と噂のあるこの二人も今この時ばかりは「これは確かに全く新しいおでん、新しい名物料理と言えまんな」「しかし、一体どのような発想をすればこんな料理を作ろうと思い付くのか……」と、同じように感心した表情でちくわとがんもを頬張っていた。

 

 光秀は彼等の反応を見て、「いける!!」という確信を抱く。

 

 名物料理を売り込む為に、深鈴からもいくらかの協力が必要だという言葉の意味は、こういう事だったのだ。事情を話すと、彼女は快く調理法を知る食客達を貸してくれた。

 

『ここまでは、銀鏡先輩の手柄……私の手柄は、ここからです』

 

 全員が箸を置いた頃合いを見計らい、光秀は大仰に手を振って、会合衆等の視線を引き寄せる。そして絶妙の間を取って全員の眼が自分に注がれている事を確かめると、本題を切り出した。

 

「さて、煮込みおでんの味は皆さん良く分かったと思います!! そこで、織田家としてはこの調理法と商売の独占権を売り出したいと思うです!! 我こそはと思われる方は是非、いくらで買い取るかお値段をご提示願うです!! それでは、三万貫から!!」

 

 大きく全員を見渡して光秀がそう言った後、しばらくは無言のまま戸惑ったように隣に座る相手を見やったりもしていたが、やがて一人が戸惑いがちに手を上げつつ、

 

「では……三万一千貫」

 

 そう言った。光秀は殆ど反射的に彼を振り向くと会心の笑みと共に、

 

「はい!! 三万一千貫出ました!! 他にありませんか!?」

 

 観音寺城の戦いの際、開かれた裏門から城兵が逃げ出した時もそうだったが、最初の一人が出れば後はイモヅル式である。商人達は我先に、そして我こそはと次々に手を挙げて声を上げる。

 

「三万三千貫!!」「三万八千貫!!」「三万八千百!!」

 

「三万八千百が出ました!! さあさあさあ!! 他にありませんか?」

 

「四万三千!!」

 

「四万四千!!」

 

 競売の流れは事前に光秀が予想した通りに進んでいる。

 

『理想的です……!!』

 

 心中、にやりとほくそ笑む。

 

 値の上がり幅が百貫単位など小さくなってくれば、泥仕合となるのを阻止しようと必ず、直前の者が提示した金額よりもずっと巨額を提示してくる者が出る。それを狙って、出来るだけ会合衆を煽って落札金額を高める。ここが彼女の腕の見せ所だった。

 

 狙い通りの競売は進み、煮込みおでんに付いた値段はどんどんと高まっていき、とうとう五万貫を越えた。

 

『そろそろ売り時ですかね……』

 

 欲を出していつまでも値を釣り上げようとするのも、最初から売る気が無かったのではと思われて逆効果だ。売る時はきっぱり売る、それも商売の鉄則である。

 

「では、五万五千貫でらくさ……」

 

「七万貫!!」

 

 決まりかけた所で、待ったを掛けたのは津田宗及の一声だった。直前の者を更に大きく上回る巨額に歓声が上がり、今井宗久も「ほう」と感心したように頷く。その後しばらく待ってみたが、結局この額以上を出そうという者は現れず、煮込みおでんの製法と商売の独占権は津田宗及のものとなった。

 

 必要とする額には届かないまでもかなりの巨額を捻出できた。これは煮込みおでんの素晴らしさもあったが、的確に競売を進行させて落札価格を高めた光秀の腕も大きい。

 

『これで、京に残してきた銀鈴が稼ぐ額と合わせれば十二万貫も……』

 

 夢ではない。そう思った信奈が期待に眼を輝かせていた、その時だった。光秀は屋台の裏から取り出した皿を、どんと置く。その上に乗っているのは……

 

「あ、あれは……!!」

 

「煮込みおでんの落札を逃してがっかりしている皆さん、しかしご安心下さい!! 織田が名物料理として用意していたのはあれだけではありません!!」

 

 それを聞いて会合衆達から「おおっ」と、驚愕と期待が入り混ざった声が上がった。

 

「今や尾張では大人気のお菓子「歩帝都秩布酢」!! 一口食べれば病み付きになるこの味!! この製法と商売の独占権を五万貫から売りに出したいと思うです!!」

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後、堺の茶屋では。

 

「煮込みおでんは津田宗及が七万貫、歩帝都秩布酢は今井宗久が八万貫で落札……計十五万貫!! やったわね、十兵衛」

 

 ご満悦と一目で分かる表情の信奈がタコ焼きをパクつきつつ、少しばかり遠慮しがちに隣に座る光秀へと笑いかけていた。

 

「料理を考えた銀鏡先輩の手柄もあるですが……」

 

「確かに名物を出せたのは銀鈴の手柄だけど、あれだけの値段が付いたのは間違いなくあんたの手柄。誇っていいわよ、十兵衛」

 

「恐縮です、信奈様……」

 

 光秀は弾かれたように縁台から立ち上がるとすぐそこに跪き、臣下の礼を取る。そんなどこまでも生真面目な家臣に、信奈は苦笑を浮かべる。

 

「これで、仮に銀鈴が失敗してても……」

 

「失敗しないですよ、先輩は」

 

 呟きかけた信奈の声を遮って、光秀が立ち上がる。

 

「十兵衛……」

 

「こんな所でしくじるような相手ならこの明智十兵衛光秀、出世競争の一番手の強敵として認定してないです。どんな手を使うかまでは分かりかねますが……銀鏡先輩はきっと思いも寄らぬ手段で、大金を稼ぎ出すに違いないです!!」

 

 不敵に笑む光秀の目は、好敵手だからこそ抱く事の出来る確信に燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 京、清水寺。

 

 上洛を果たした織田軍団の拠点として使われているそこは、今は数えきれぬ程大勢の人間が詰め掛けていた。人が多く居る事を「芋を洗うような」と形容するが、今日この寺に押し寄せてきているのは「芋も洗いようが無い」程の大人数である。それほど多い。

 

「我もともと員(かず)を知らず馳せ集まる……と、いうヤツですね」

 

 群衆の隙間を縫うように歩きながら、深鈴が言う。その言葉は誰ともなく呟かれたものではなく、彼女のすぐ後ろを歩く二人へと向けられたものだ。

 

「確かに、凄い人数ですが……」

 

「これがどうやって、金策に繋がるんだ? 入場料も取っていないって聞いたが……」

 

 長秀と勝家が、きょろきょろと周囲を見渡しつつそう返してくる。これほどの人数が集まったのは入場料無料であったからこそである。

 

「なあ、銀鈴。相撲大会で本当に十二万貫も稼げるのか?」

 

 と、勝家。そう、本日この清水寺で行われる催し物は、相撲の大試合である。上位入賞者には織田家への仕官の道もあるという触れ込みも手伝って、近隣各国から相撲自慢が集まっていた。

 

 客入りもまさに満員御礼。元来、相撲は日本の伝統行事として根強い人気があり、しかも上洛した信奈軍によって京の治安は回復しており、そこに降って湧いた一大興行。戦乱に疲れ、娯楽を求める人々の足がそこへ向くのは必然と言えた。

 

 「本当なら近江の常楽寺辺りで開催したかったのですが」とは深鈴の弁。

 

「ですが……」

 

 そう、「ですが」なのだ。この大会の出場選手などが書かれたパンフレット(これも無料配布)に目を通しながら、長秀が言う。

 

「有名所だけでも百済寺(はくさいじ)から鹿と小鹿。たいとうに、はし小僧、青地与右衛門に鯰江又一郎……そうそうたる面々ですね……」

 

「尾張にも名が届くような相撲自慢ばかりだぞ!! 集めるのにいくら使ったんだ、お前!! 五万貫を増やすどころか減らしちまって……!!」

 

「まぁまぁ勝家殿、落ち着いて下さいよ。それでこれを見て下さい。長秀殿も……」

 

 そう言って深鈴が差し出した紙を、二人は「んん?」と覗き込む。そこには予選が行われる広場の土俵数カ所や、勝ち残った者によって行われる本選の場となる檜舞台を囲むようにずらりと「甲」「乙」「丙」の文字が書き込まれている。

 

 それらの文字はちょうど同じ文字で円を描くように書かれていて「甲」は中心に近く、「丙」は遠い。三文字の漢字で、三重の輪が作られている。

 

「……? なんだこりゃ?」

 

「もしかして……座席表ですか? これ」

 

「はい、長秀殿……確かに入場は無料ですが、自由席以外の指定席は全て有料となっており……より迫力のある相撲が楽しめる「甲」席が最も値段が高く設定してます。これが価格表です」

 

 次の紙を懐から取り出し、二人に渡す深鈴。先程の紙に記されていたのは席の配置。この紙に書かれているのは各席の価格だ。「甲」席には、家老でありいくら信奈が吝嗇家とは言えそれなりには高給取りである勝家ですら「げっ!!」と声を上げる程には高額が付けられていた。

 

「ちなみに、どの席も売り出してすぐに完売しました。流石は我が国の国技。凄い人気ですね。購買層は公家の方々の他に、名主さんも多かったですよ」

 

 この時代に農家と言うと一般的には貧しいというイメージが強いが、名主クラスともなれば下手な公家よりずっと金持ちであったりする。相撲好きの公家や彼等を主なターゲットにしていた深鈴だったが、狙いは見事に当たったと言える。

 

 彼女の考えを長秀も読み取ったのだろう。多少は合点が行ったのか「成る程」と頷く。だが、すぐに難しい顔へと戻ってしまった。

 

「ですがそれだけでは、十分なお金を稼ぐ事は出来ないでしょう?」

 

 的確な指摘を受け、だが深鈴もそれぐらいは想定内とばかりに落ち着いたものだ。「勿論、他にも手は考えてありますよ」と、またしても懐から紙を取り出して、二人に渡す。

 

 流石に三枚目ともなるともう慣れたもので、長秀が広げたそれを勝家が肩越しに覗き込んだ。

 

 今度の紙に記されていたのは清水寺全体の地図であり、そこにもやはり「甲」「乙」「丙」とあちこちに書かれている。

 

「これは、何だ?」

 

「勝家殿、実際のお寺とその地図とを見比べてみて下さい」

 

「んっ?」

 

 長秀にそう言われた勝家が視線を上げると、寺のあちこちに屋台が出ているのが見える。

 

「んんっ?」

 

 もう一度地図に目を戻すと、「甲」やら「乙」やら書かれた場所と、焼き鳥やあんみつ、弁当の屋台が出ている場所は、どこもぴたりと一致している。つまりこれは……

 

「屋台を出す場所が書かれているのか? しかし、この「甲」とか「乙」とかっていうのは……?」

 

「それはそれぞれの場所ごとの格付けですね。人が集まりやすく商売に適した場所ほど高い値段が付いています」

 

 懐から取り出した四枚目の紙、場所代の価格表を渡す深鈴。それを見て勝家は再び「げげっ」と上擦った声を上げた。莫大な金額を動かすであろう出店場所の料金ならば当然かも知れないが、相撲観戦の指定席と比べてかなり高い金額が設定されている。場所を見繕って価格設定したのは深鈴が抱える食客の一人、商人経験者である。見る者が見れば、どこが人の集まりやすい場所かは割とすぐ分かるのだ。

 

「ですが、これほどの数の屋台を出店するなんて……一体どうやって?」

 

「京中の商人に声を掛けました。今度清水寺で相撲大会を開催するので、振るってご出店下さいと。ただし、出店した店は場所代の他に売り上げの一割を織田家に引き渡すようにと条件も付けましたが……」

 

 成る程、指定席代や場所代の他にそうした所から金を捻出する訳だ。だが、それを聞いた勝家が疑問の声を上げた。

 

「そんな条件を付けたら、商人達は出店しなくなるんじゃないのか?」

 

 根っからの武人である勝家は商売に詳しい訳ではないが、それでも売り上げの一割と言えば相当な金額だという事ぐらいは分かる。それを差し出せと言われたら、普通なら出店を断るのではないか?

 

 しかし実際には、地図に記された場所にはくまなく屋台が立ち並んでいる。一体どうして?

 

「いえ、勝家殿……逆です。そういう条件を付けたからこそ、こうして商人達が集まったのですよ」

 

 と、長秀。

 

「?? どういう事だ? 長秀」

 

 頭の上に浮かべた疑問符が目視出来そうな程に首を傾げた勝家に、長秀は苦笑いを浮かべつつ説明していく。

 

「上洛を果たした姫様が、今川義元を次期将軍に擁立して天下人になろうとしている事、そして御所の修理に大金を必要としている事は今や周知の事実。ここで織田家に大金を上納する事は、それだけ未来の天下人に対して自分の名を売る事になり、また織田家を通して間接的にですがやまと御所へ貢献する事になります。先行投資という意味で、これ以上の相手はそうはありませんよ」

 

「な、成る程……そこまで考えてやるものなのか、商売ってのは……」

 

 今は損しても、未来にそれ以上の利益を上げる事を計算して動く。武人として、戦場で今日を生き残る事だけに全霊を傾ける勝家には持ち得なかった視野の広さ、新鮮な物の見方である。彼女は純粋に感心した表情で何度も何度も頷く。

 

 そんな勝家を見て、長秀と深鈴は苦笑しあった。鬼柴田のこんな一面が見られるとは、中々あるものではない。と、気付いた彼女が「むっ」と睨んでくるのを見た二人は申し合わせたように「コホン」と咳払いを一つ。そうやって誤魔化すと、深鈴は説明を続けていく。

 

「他にも、私の食客達にも色々と店を出させています」

 

 深鈴は歩きながら、並んでいる屋台を紹介していく。まずは「木彫り屋」と書かれた屋台の前に来た。

 

「これは……」

 

 店先に並んでいた木彫り細工を、勝家がひょいと手に取る。小さいながらも見事な作りで、今にも動き出しそうな相撲取りの像だ。

 

「この屋台では、出場する力士そっくりの木彫り像を売り出しています。何分、値段が高いのと作るのに手間が掛かるので完全受注生産制。この帳面に住所と名前を記入してもらって代金の半分を支払ってもらい、残り半分は後日に現物を届ける時に受け取るという形式を取っています」

 

 受け取った帳面を長秀がめくっていくと、この時点でも名だたる公家の名前がずらりと書かれていた。「好きなのですね、皆さん」と彼女も呆れ顔だ。

 

「この店は何だ?」

 

 と、勝家。「腐屋」と書かれたその屋台の前には、本が山のように積まれている。屋台の番をしていた女性の食客は「どうぞ、手に取って見てもらって結構ですよ」と差し出してくる。手にした勝家が中身を見ていくと……

 

「こ、これは……!! 信澄と、長政が……そ、そんな……!!」

 

 顔を真っ赤にしながらも、勝家は次のページ、また次のページをとめくる手を止めない。全く新しい世界を目の当たりにして、思いっきりカルチャーショック受けてる。

 

 一方で、そうした分野にもそれなりに造詣のある長秀はまたしても呆れ顔になった。

 

「春画、ですか……」

 

「ええ、何やらこの前の上洛路の途中で急に想像力が湧いてきて新刊が出来上がったという事なので……折角ですからこの機会に便乗して、売り出す事にしたのです」

 

「しかし、春画と相撲に何の関係が……?」

 

「何の関係もありませんね」

 

 深鈴は言い切った。

 

「折角のお祭り騒ぎですから、どさくさに紛れて色々売ってしまおうと思ったんですよ」

 

 見れば春画売買の「腐屋」の他にも盆栽や歌集など、相撲と関係無い商品を売っている屋台がちらほらと見える。それらは全て、深鈴が食客達に出させた店舗だ。

 

「お祭りとなれば、皆さん財布の紐も少しは緩んで、普段は買わない物でも今日ぐらいは……と思うものですからね……特にお金を貯め込んでいる公家の方々が狙い目。この期に、搾り取れるだけ搾り取ります」

 

「悪魔みたいな奴だな……」

 

 そう言いながら、勝家が戻ってきた。顔は深鈴の一面を垣間見た事でどん引きしていて、手には先程の春画を一冊ちゃっかりと抱えている。買ったらしい。

 

 そんな風に話している内に開始の時刻となった。VIP席として用意されたその場所に、太刀持ちの小姓を従えた信奈が姿を現した。

 

 光秀と共に堺に居る筈の彼女の姿を認めて長秀と勝家は思わず「えっ」と声を上げたが、しかしすぐに納得した顔になる。やはり主催者が今をときめく織田の姫大名本人であるのと、その一家臣とでは集客率に圧倒的な差が出る。深鈴が信奈に影武者の使用許可を求めていたのは、こういう事だったのだ。とすれば、彼女になりすましているのは……

 

「前鬼さんは、上手くやってくれています」

 

「今の所、怪しい者も見当たらないでござる」

 

「ぱくぱく……右に同じ……もぐもぐ……」

 

 考えていると今度は半兵衛、五右衛門、犬千代の三人がやってきた。犬千代はどこかの屋台で買ったのだろうイカ焼きを咥えている。

 

 五右衛門と犬千代は、会場の警備役であった。五右衛門は人目に付かないように影ながら、犬千代は要所要所に配置された警備の侍達を指揮する役目を任されていた。

 

 と、彼女達の会話は湧き上がった歓声によって掻き消される。前鬼扮する信奈が「始めなさい」と声を掛けたのを合図として、いよいよ相撲大会が始まったのだ。

 

「さて……じゃあ私も適当に見て回るので……皆さんも楽しんでいって下さい」

 

 深鈴はそう言うと、ふらりと人混みの中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 相撲大会はつつがなく進み、いよいよ檜舞台で本選が執り行われる運びとなる。ここまで来る中でも様々な名勝負が見れて、観客達のテンションはピークと言って良い。決勝に進んだ力士達を見ただけで歓声が上がる。

 

 自由席の観客達の間でも、誰が勝つかは議論の的であった。特に、長秀が挙げた有名所は全てが予選を勝ち残り、本選に駒を進めている。

 

「鹿に小鹿、たいとう、はし小僧、青地に鯰江……誰が勝ち残ってもおかしくないな……」

 

 町人達に紛れながら観戦する深鈴のすぐ傍に座っている中年男の観客も、そんな一人だった。とそこに、幼い声がかかる。

 

「それほどにかれらはつよいのか?」

 

 その観客と同時に、深鈴の視線もそちらへ向く。そこに居たのは声から受けた印象に違わない、小さな少女だった。禿にした髪に、白と赤の巫女装束を纏った日本人形のような、可愛い女の子だ。

 

「うん? 何だい? お嬢ちゃん」

 

 尋ねられたその観客は、気の良い声でそう返す。「親からはぐれたのかな?」と思った深鈴も、その少女へと近付いていく。

 

「かちのこったものたちは、そんなにつよいのか?」

 

 もう一度、その少女は尋ねてくる。それを受けて中年の観客は、「嬢ちゃんは相撲が好きなようじゃな」と笑いながら解説していく。

 

「そりゃあ強いとも。畿内でも五本の指に入る連中だぞ」

 

「はずれるのはだれぞ?」

 

「えっ?」

 

 そう聞き返されて観客だけでなく深鈴も不意を衝かれたという表情になった。

 

「さきほどろくにんのなまえがあがった。ならばごほんのゆびから、ひとりがはずれよう」

 

 屁理屈と言えなくもないが、しかし中々的確な指摘である。観客と深鈴は、答えに詰まって少女から逸らした目線が、ぴったりと合う。

 

「「うーん……」」

 

 と、難しい顔を二人が突き合わせたその時、またしても横合いから声が掛かった。

 

「外れるのは百済寺の小鹿だ」

 

 観客と深鈴と少女と。三者の視線がそちらへ向く。そこに立っていたのは、道着姿の少年だった。

 

 年の頃は深鈴と同じか僅かに上ぐらいだろう。二十歳には届かないように見える。背丈は大きくないが、しかし体付きは筋骨隆々ではないがしっかりと鍛えられて引き締まっていて、何かまでは分からないが武術の心得がある事が伺える。

 

 何より、後ろ腰に差している刀。鍔無しで金具だけの簡素な作りの短刀だが、身なりと合わせて彼が兵法者であると教えるには十分であった。

 

「では、かちのこるのはだれぞ?」

 

「それは……」

 

 少年が答えようとして「ぐう」という音がその言葉を遮る。他三者の視線が、今度は彼の腹へと集中した。

 

「……あー、こんな物しかありませんが……」

 

 深鈴がややあって懐から取り出したのは、竹の皮の包みであった。紐を解くとそこからは白と黒のコントラスト、握り飯が二つ、姿を現す。昼食用に持ってきたお弁当だ。

 

「良ければどうぞ」

 

 一つを差し出されて少年は「ありがとな」と受け取る。それなりの大きさもあった握り飯は、しかしものの十秒で彼の口中に消えてしまった。その見事な食いっ振りには深鈴も観客も「おおっ」と感心の声を上げるばかりである。

 

「あなたも、良かったら……」

 

 残ったもう一つを、深鈴は少女へと差し出す。彼女は「かたじけない」と丁寧にお辞儀をして両手で受け取ると、ぱくりとかぶりついた。しかしやはり彼女が食べるには少し大きいようで、食べ切るには時間が掛かる。

 

 そうしてやっと少女が握り飯を全て食べ終えたその時だった。檜舞台から歓声が上がる。見れば、小鹿が深尾又次郎という相手に投げられた所だった。

 

「ほう、本当に小鹿が最初に負けたわ。坊主、若いのに大した眼力じゃの」

 

 観客は感嘆の声を上げる。

 

「それで、勝ち残るのは誰になるのかしら?」

 

 深鈴のその問いに少年は「そうだな」と一つ前置きして、しかしさほど考えた素振りも無くすぐに答える。

 

「青地と、鯰江辺りかな」

 

「そのふたりはつよいのか?」

 

「離れて青地、組んで鯰江……かな」

 

 と、少年が予想を語っている間にも試合は進み、先程小鹿を破った深尾が、今度は鹿を投げ飛ばしていた。名前は聞かなかったが、強い。

 

 次の試合はたいとうとはし小僧の対決となり、はし小僧が名前通りの素早さでたいとうを翻弄し、巨体を誇るたいとうを投げていた。

 

 これによって残ったのは深尾と鯰江、青地にはし小僧の四名となった。続けて準決勝が行われるが、この試合は対照的な展開となった。

 

 まず深尾・鯰江戦は互いの巌のような筋肉が震えるのがはっきり分かる程の力相撲となり、がっぷり四つに組んでどちらが勝つか観客達は残らず手に汗握る展開となったが、最後には鯰江が投げて勝利。

 

 一方で青地・はし小僧戦は、たいとう戦と同じく素早さを活かしたはし小僧が青地の膝に蹴たぐりを食らわせたが、しかし青地はびくともせずに張り手ではし小僧を吹き飛ばして勝利した。

 

 これで、残ったのは青地と鯰江の二人。

 

「流石ね……あなたの言った通りになったわよ」

 

 笑いながら言う深鈴に、少年の方もにっと笑って返す。

 

「それで、あの二人で大一番をやったらどっちが……」

 

 言い掛けた深鈴の声は、遮られてしまった。今度は腹の虫ではなく、もっと大きな鐘の音にだ。八回、鐘の打ち鳴らされる音が響いてくる。昼八つ(14時頃)を知らせるものだ。

 

 少女はそれを聞いて、すくっと立ち上がる。

 

「ん? どうしたの?」

 

「そろそろもどらねばならん。きょうはこっそりぬけだしてきたから、かえるのがおそくなればみながしんぱいする」

 

 それを聞いて深鈴は「ああなるほど」と頷く。道理で、両親の姿が見当たらなかった訳だ。しかしだとするなら、いくら治安が回復したとは言え女の子一人で今日の町を帰らせるのは……

 

「…………」

 

 ちらり、と檜舞台に目をやる。大一番を見れないのは心残りだが……仕方無いか。

 

「じゃあ、私が送っていくわ。皆さんはこの後も、楽しんで行ってね」

 

 そう言って深鈴は、少女の手を取る。そうして檜舞台から去っていく二人に少年は「握り飯ありがとな」と手を振って、観客の方は「ここからが良い所なのにな」と、惜しむように言って見送った。

 

 深鈴と少女、二人が歩く京の町は、三好や松永の兵が支配していた頃の無法地帯振りが嘘であったかのように治安の回復を見せていた。

 

「お嬢ちゃん、相撲大会はどうだった? 楽しかった?」

 

 いくらかの期待を込めて、手を繋いで隣を歩く少女に深鈴が尋ねる。彼女としては自分が立案した企画であるだけに、五右衛門や半兵衛といったどうしても贔屓目の入る身内ではなく、こうした第三者の意見は是非聞いておきたかった。

 

「たのしかったが、いちばんみたかったものがみれなかったのはこころのこりだ」

 

 そう言われて深鈴はさもありなんと苦笑する。

 

「そうね……もう少しで大一番だったのに帰る時間が来てしまうなんて」

 

 が、少女はそう言われて首を横に振って返した。

 

「あら……相撲を見に来たんじゃないの?」

 

 少女は、もう一度首を横に振る。

 

「きょうは、おだのぶなをみにきよみずでらにあしをはこんだが、るすであったのはざんねんだ」

 

「……!!」

 

 そう言われて、深鈴は表情には出さないが心中で少なくない驚きを感じていた。前鬼の変装、否、変身はどんな熟練の乱波でも裸足で逃げ出すようなもの。現に数え切れない程詰め掛けた観客の中で誰も気付いた者は居なかったのに、それをこの少女は見抜いている。

 

『一体……? 巫女服を着ている事だし、半兵衛のような陰陽道の心得があるとか?』

 

 それならば説明も付くが……と、考えている内に少女の足が止まった。家に着いたのかと顔を上げて、深鈴は思わず「えっ」と口走ってしまう。そこはやまと御所。つい先日まで、自分が警備を任されていた場所なのだ。間違える筈がない。

 

 御所の正門まで来た所で、少女は繋いでいた手を離した。

 

「ここで良いの?」

 

「せわになった」

 

 少女はそう言って、御所の中に消えていく。「住み込みの巫女さんだったのかしら?」と考えつつ、手を振って見送る深鈴。と、しばらく御所内部に進んだ所で、少女が振り返った。

 

「たのしかった、ぎんれい。ちんはこころよりれいをもうすぞ」

 

 その言葉を最後に、今度こそ少女は御所の中へと消えていった。一方で正門の所に残された深鈴は、ぽかんと口を開けたままにしている。

 

 彼女は自分を指して「朕」と言った。この国で、一人称としてその言葉を使う者は、唯一人。

 

『まさか……姫巫女……様? けど……いくら何でも姫巫女様が護衛も付けずに一人で出歩くかしら? まさか、いやひょっとして? それに名乗った覚えも無いのに私を”銀鈴”と呼んだし……い、一体?』

 

 ……などと狐につままれたような思いで清水寺に引き返すと、そこでも思いも寄らぬ事が起こっていた。

 

「銀鏡氏、待っていたでござる!!」

 

「……やっと帰ってきた」

 

「お前が居ない間に、凄い事になっていたぞ!!」

 

 集まっていた五右衛門や犬千代、勝家達が出迎えてくれた。どうも、様子がおかしい。

 

「……何か、あったんですか?」

 

 尋ねると、「それには俺が答えよう」と、いつも通りの木綿筒服に戻った前鬼がやって来た。

 

「あの後、勝ち残った青地と鯰江で大一番を行う前に、座興として誰かこの二人と仕合いたい者は居らぬかと挑戦者を募ったのだがな」

 

 勿論、前鬼としてもそれはあくまで戯れ。直前まで繰り広げられていた激戦を見て、挑戦しようという者など居らぬだろうと考えていた。

 

 だが、事実は常に想像の上を行くもの。名乗り出た者が一人、居たのだ。

 

「道着を着た、まだ二十歳にもならぬであろう小僧でな」

 

「……道着を着た……?」

 

 そう聞いて深鈴の頭に浮かぶのは、少し前まで一緒に試合観戦をしていた、あの少年の姿だ。しかしすぐに「まさかね」と思い直す。道着を着た少年なんて、探せばいくらでも見付かるだろう。

 

「……続けて下さい、それで……どうなったんです?」

 

「どうもこうもない!! 凄かったぞ!!」

 

 興奮気味に前に出たのは、勝家だ。長秀や犬千代も続く。

 

「五尺そこそこしかない体なのに、青地や鯰江に一歩も引かなかった……どころか」

 

「……二人を手玉に取って、勝った」

 

 少年が、畿内でも恐らくは最強の相撲取りを、しかも二人も相手にして?

 

 何かの冗談かとも思ったが、しかし流石にこれだけの人数が集まって、共謀して冗談を言うとも思えない。それに、とも深鈴は思う。

 

『彼のあの眼力……もしや……?』

 

 相撲大会本選の成り行きは、全てあの少年が言った通りに進んだ。あそこまで見立てが優れていたのだ。体は多少小さいが相当に腕が立ったとしても、何の不思議も無い。腰に差していた短刀から、彼は恐らくは小太刀の使い手。富田流、名人越後辺りの流れに違いない。

 

「そ、それで、その少年は?」

 

 多少興奮気味に尋ねる。そんな深鈴を見て犬千代は「……また始まった」と溜息を一つ。

 

「それがな。褒美に何が欲しいかと聞いたら握り飯を一人前と答えて、受け取ったらさっさと帰ってしまったぞ」

 

 前鬼のその言葉を受けて「そうですか」と、力の抜けた声で返した深鈴は肩を落とす。しかし、それも僅かな間だった。すぐに顔を叩いて気持ちを切り替えた。彼とはもっと話して、あわよくば食客として迎え入れたかったが、今回は諦めよう。縁があればまた、逢う事もある筈だ。その時に敵同士でない事を祈るとしよう。

 

「では前鬼さん、勝ち残った青地さんと鯰江さんは、二人とも織田家の相撲奉行として召し抱えると伝えて下さい。勿論、信奈様に変身した上で」

 

「あいわかった」

 

「五右衛門と犬千代は、引き続き会場の警備を。大会が終わって、全ての人が帰るまで何の問題も起こらないようにして」

 

「承知」

 

「分かった」

 

「半兵衛、あなたは私と一緒に、この大会の収支を計算する手伝いをしてくれる?」

 

「分かりました」

 

 深鈴のてきぱきとした指示を受け、祭りの後始末が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、清水寺で開かれた相撲大会は終わった。

 

 指定席の代金、屋台を出店していた京の商人達から集まった金、食客達が上げた利益。これらを総合して各方面への支払い等を済ませた後、深鈴の手元に残った純利益はざっと十三万五千貫。興行的には大成功と言って良い。

 

 数日後、信奈と光秀も京に戻ってきた。

 

 光秀と深鈴は、共に近衛前久から出された将軍宣下の為に御所に納めるべき十二万貫を大きく上回る大金を稼ぎ出した。稼いだ金額では光秀が上回っていたが、しかし彼女は信奈に対して今回の手柄比べは引き分けだと語っている。

 

「確かに私の方が多く稼ぎましたが、銀鏡先輩に助けられた部分もあるです。故に結果は引き分け、私達の勝負はまだついてないです」

 

 これを聞いた信奈は、

 

「デアルカ」

 

 と、破顔一笑。二人には平等に恩賞を与え、他の織田家臣団も納得した様子であった。

 

 その翌日、光秀によってやまと御所に二十五万貫が届けられた。無理難題として出した倍以上の金額を納められて、近衛前久は腰を抜かしていたらしい。

 


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