織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第18話 上洛に向けて

 

「八角伝兵衛殿……特技は風車流の棒術ですか……まぁ、ゆっくりしていってください」

 

「よければ、私の所に来ないですか? 先輩の所と同じぐらいの待遇は保証するですよ」

 

 美濃に建てられた新しい屋敷。その広間で、この日も深鈴は家を訪れる客人の応対に忙しかった。

 

 信奈によって美濃が制圧されてから、尾張と同じく敷かれた楽市楽座や関所の撤廃といった改革によって各国からどんどん人が入ってくるようになり、一芸に秀でてさえいればどんな者でも食客として招くという彼女の屋敷の扉を、我こそはと叩く者が後を絶たなかった。

 

 美濃で銀蜂会が商売を始めてからというもの、深鈴の懐には尾張一国のみの時とは比べ物にならない大金が転がり込むようになっており、褒美として信奈から賜った屋敷の広さもあって、今や彼女が囲っている食客の数は千にも達しようかという勢いだった。

 

 面接を行うのは勿論屋敷の主である深鈴本人と五右衛門、それに犬千代と光秀が加わっている。

 

 犬千代と五右衛門は、面接官と言うよりは深鈴の安全を守る為に列席しているという性格が強い。家を訪れる者は誰でも拒まず食客として受け入れるという彼女の方針の最大の問題点は、本人も自覚してはいるが客人に紛れて諸大名から放たれた乱波が諜報や暗殺を目的として入り込んでくる可能性である。犬千代は刺客から深鈴を守る為、五右衛門は客人の振りをした間者を見抜くのが役目だった。

 

 一方で光秀は、これはと目に留まるような者が客人の中にいた場合には、そのまま自分の食客として引き抜こうと考えてこの場にいた。

 

 織田家臣団入りして信奈から過分なまでの禄をもらっている彼女であるが、直属の家来と言えるのは今は鉄砲隊五十名ばかり。今後の出世の為にも、優秀な人材は是非手元に置いておきたい。優れた人物を使いこなす事が時として大局すら変化させる事は、深鈴の例を見ても明らかである。二番煎じのようで良い気はしないが、しかしそれは非難されるべきものではなく寧ろ逆に、優れた手段だからこそ真似するのだと光秀は自分を納得させる。

 

「では、伝兵衛殿は十兵衛殿の屋敷に逗留なされると良いでしょう」

 

 と、たった今面接していた客人は光秀が預かる事となった。

 

 最近、このようなやり取りは連日のように繰り返されている。深鈴達がここまで大勢の人材を急激に集めるのには、理由があった。

 

 信奈が美濃を制圧し、天下への第一の扉を開いたのと時を前後して、京では一大政変が起こっていた。

 

 時の将軍・足利義輝が畿内に勢力を広げる松永久秀と三好三人衆の軍勢に襲われ、「他日を期す」と義昭姫ら妹姫達を連れて大陸の明国へと亡命したのだ。この為、室町幕府の将軍職を代々務めていた足利家は事実上断絶。関東公方を務める足利分家の一族も北条家の台頭ですっかり落ちぶれてしまい、将軍家のなり手が見付からず……これでは日の本の戦乱は未来永劫続くのでないかと誰もが危惧する事態となっていた。

 

 それ以上に、信奈にとってこれは一大事だった。

 

「もー、最悪!! 将軍を奉じて上洛する計画が台無しじゃない!!」

 

 一方で深鈴としても、勿論顔や態度には出さなかったがこれは衝撃の事態と言って良かった。

 

 足利義輝は逃げられずに三十才の若さで自刃して果て、更に三好三人衆と松永弾正は仏門に入っている義輝の弟、覚慶(義昭の法名)と周暠の命をも狙い、周暠は殺されてしまうが覚慶は命からがら逃げ出して南近江の六角承禎の元へと身を寄せたが、六角が三好・松永と通じた為に今度は朝倉家へと逃げ込む。これが彼女の知っている歴史の流れだったのだが……

 

『私が色々動いたせいで変化が生じたのか……それとも、何もせずともこの世界ではこうなる流れだったのか……?』

 

 いずれにしてもこのままでは織田家が上洛する大義名分が無くなってしまう所だったが……そこで、格式事に詳しい光秀が妙案を打ち出した。

 

「織田家でとっ捕まえている今川義元は足利の血を引き、将軍家を継ぐ資格を持っていやがるです。今川義元を次期将軍に担いで、上洛すりゃあ良いんです」

 

 昔から「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われており、足利家は先に述べたような有様で吉良家は今川家によって滅ぼされている現状、残っているのは義元一人。

 

 信奈としては戦に負けた姫大名は助命の代わりに髪を下ろすという習わしなどどこ吹く風で、駿河に居た時と同じで豪華な十二単を纏って毎日毎晩、昨日はお茶、今日は連歌と遊興三昧の暮らしを続けている「駿河の金食い虫姫」は気に喰わないが(ちなみにその費用は助命を嘆願した立場上、全て深鈴が負担)、

 

「今川義元将軍を擁立して、京を荒らす不忠の松永と三好一党を成敗するという名目で上洛すれば武田や上杉も迂闊には手出し出来ないわね」

 

 と、光秀の案を採用する事にした。

 

 こうして信奈が近日中の上洛を決めたので、深鈴達は今後は優れた食客が一人でも多く必要になるであろうと人材発掘をより精力的に行っていた。

 

「ふう……」

 

 すぐ傍の皿に置かれた菓子を囓りながら、深鈴はやれやれと溜息一つ。光秀もその一枚に手を伸ばし、犬千代も「もぐもぐ」と食べて、五右衛門もぬっと手を伸ばしてその菓子を取っていく。

 

 その菓子は『歩帝都秩布酢』といって、煮込みおでんと同じく深鈴が料理人の食客に作らせた創作料理だ。南蛮渡来の作物である馬鈴薯(ばれいしょ)を紙の如く薄く切り、箸が使えない程に油でバリバリに揚げる。そこに塩を振り掛けて食べるとその味たるや麻薬的で、最初の一枚を食べたが最後、もう一枚、もう一枚と食べたくなり……試食した者達からも大好評であった。深鈴は近々調理法を確立して、銀蜂会の目玉商品として売り出そうかなどと考えている。

 

 来客の波も途絶えた所で一息入れる一同。ずずーっと茶をすすって喉を潤した所で、

 

「しかし十兵衛殿、義元殿を将軍に担ぐというのは確かに名案でしたが……私は大変だったんですよ……」

 

 ふと、深鈴の口からそんな愚痴が零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 義元を将軍に担ぎ上げる事が決まったその日の晩。どたどたと騒がしく廊下を駆けてくる足音に深鈴が何事かと寝室の襖を開けると、

 

「銀鈴さーん!!」

 

 涙目になった義元が元康を伴って飛び込んできた。これには深鈴も面食らったが、まずは落ち着かせると話を聞く事にする。

 

 義元は尾張にいた時から「いつまでも城の中では息が詰まりますわ」と、命を助けてもらった縁からか深鈴の屋敷に遊びに来る事が度々あり、深鈴も今は人質とは言え駿遠三の太守だった一廉の人物としてそれなりには敬意を持って接していたので、二人の仲はまずまず良好と言って良かった。

 

 取り敢えず一番茶を出して接待すると、義元はいかにも芝居がかった仕草で「よよよ……」と、袖で涙を拭い、せつせつと話し始めた。

 

「寛大な私は、将軍になった暁には管領でも副将軍でも信奈さんには好きな位を与えようと言ったのですが……そしたら信奈さんは無体にも、このようなものを……」

 

 ちらっと義元に目線で合図されて、元康が懐から取り出した紙切れを深鈴に渡す。「拝見いたします」とそれに目を通していくと……

 

「第一条・あんたの将軍職なんてただのお飾りなんだから、御内書にはいちいちこの信奈様の副状を付ける事……第二条・天下人はこの信奈様よ、私の一任で誰彼無く成敗するからね!! あんたも逆らったら成敗よ!! ……第三条……」

 

 そこにはこの調子で第五条まで、信奈の直筆で傍若無人な内容が記されていた。深鈴は「信奈様らしいと言うか……」と、苦笑いだ。

 

「明日の将軍様に向かって、何と無礼な……!! 何とかして下さいまし!!」

 

「さっきからずっとこの調子なんです~。何か良い知恵出して下さい~」

 

 と、義元と元康。しかしこれには深鈴も困り顔を見せた。

 

 義元の立場を見れば戦に負けたのに出家もせずに贅沢三昧の暮らしを続けていられるだけでも破格の待遇である。そこにお飾りとは言え将軍職に就ける機会に恵まれるのである。これ以上はちと望み過ぎだとも言えるし、深鈴とて織田家の家臣という立場上、主の決定に口を差し挟む事は出来ない。

 

 だが、心情的には彼女の気持ちも分かる。仮にも征夷大将軍となって今川幕府を開くのだ。それが信奈の副書も無ければ手紙も出せないとはどういう事だと文句の一つも言いたくなるだろう。

 

 とは言え信奈としては「余計な考えを起こさぬように」という目論見もあるだろうし、妙な仏心を出して結果寝首を掻かれるような事になっては後悔してもし切れない。降将である義元を実質的な権力から切り離しておくのは当然の措置と言えるだろう。

 

 そういった点を踏まえた上での妥協案としては……

 

「では、義元殿が何か信奈様の役に立つ働きなどされてはいかがでしょう」

 

「私が……ですか?」

 

「はい、そうやって赤心を示せば信奈様だって鬼ではありません。すぐには無理でも、その内に便宜を図ってくれるようになるのでは……」

 

「それは良い考えです~。吉姉様は誰の提案であろうと良い考えは使う度量のあるお方ですから~」

 

 笑顔の元康がぽんと手を叩いて、深鈴の案に賛成票を投じる。しかし腹黒と言われる彼女は深鈴が「必ず信奈様が待遇を改善してくれます」など、はっきりした事は一言も口にしていないのに気付いていた。

 

 こう言っておいて義元が何の案も出せなければお飾り将軍に留めておく口実が出来るし、良い案を出せたら出せたで、第四条の「甲高い笑い声はやめてよね」とか第五条の「慈悲深い信奈様を母とも姉とも敬い云々」のくだり辺りを廃止すれば良いだけだ。失うものは皆無に等しく、手柄だけは信奈のものになる。

 

 深鈴としては勿論そういう計算もあったが、しかし完全に非情に徹するという訳でもなく、何の功も無い相手の待遇を改善しろなどとは流石に進言出来ないので、まずは手柄を立てさせてから……という風に順序に沿っての考えだった。

 

 取り敢えずそうして妥協案が出たのだが、義元は難しい顔のままだ。

 

「手柄ですか……」

 

「別にそこまで難しい話でもないでしょう? 義元殿は大名時代には積極的領地拡大や武田・北条との三国同盟締結、今川仮名目録の制定による領地経営とかで軍事・外交・内政全て上手くやっておられたではないですか。その才能を以てすれば妙案の一つや二つは……」

 

「……実は大名だった頃は、難しい事は全て太原崇孚(たいげんそうふ)に任せてましたの」

 

「……あ、そう……」

 

「ですが雪斎禅師(せっさいぜんじ)は先年の秋、武田・上杉の仲裁に行って、その成果を義元さんに報告中、急に体調を崩して倒れられてしまい、そのままお亡くなりに……」

 

「川中島で両軍睨み合ったまま二百日が過ぎて、武田側が旭山城取り壊しの一条を呑んで、後は現状のまま双方退く事を決めた、あれですか……」

 

 深鈴はその頃にはまだ居なかったが、歴史知識を活かして二人に話を合わせておく。

 

 怪僧・太原崇孚は僧でありながら義元の右腕として軍師を務めていた重臣であり、現代では「もし彼が生きていれば桶狭間での敗戦は無かった」「今川の衰退は彼の死を切っ掛けで始まった」と評されるような、中国で言うと曹操にとっての郭嘉、梁山泊にとっての公孫勝・一清道人的ポジションの人物である。

 

 深鈴はもし彼が生きていたら……と想像して、思わず背中に冷や汗が伝うのを感じた。その辺りは自分が知る正史の通りで、命拾いした。何かが違っていればと考えると、ゾッとする。

 

 結局その日は「まぁ、機会はその内巡ってくるでしょう。将軍になろうという人がそのぐらいの我慢が出来なくてどうしますか」と、何とか元康と二人掛かりで義元をなだめて、お帰り願う次第となった。

 

 

 

 

 

 

 

「……そんな事がありまして……」

 

「……銀鈴、元気出す」

 

「まぁ、義元殿もその内諦めるでござろう」

 

 なだめるようにぽんぽんと肩を叩く犬千代と五右衛門。一方で光秀は、

 

「信奈様に助命を乞うたのは先輩ですからね。それぐらいは仕方無いと諦めるです。大体、源氏の血を引く将軍候補なら他にも沢山居たのによりによってあんなわがまま姫を……」

 

 そう、呆れたような表情で正論を並べてくる。深鈴としては桶狭間で丸腰・孤立無援・命乞いと三拍子揃ってまさに王手詰み(チェックメイト)状態となった彼女を殺すのは忍びないと思っての助命嘆願だったが、それがここへ来ておかしな事になってきた。

 

 果たして、最後には吉と出るのか凶と出るのか……

 

 そんな風に話していると係の者に連れられ、次の客人がやって来た。四人とも居住まいを正して出迎える。

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

 ぺこり、と頭を下げる深鈴。倣うように他の三名と、客人の方も一礼する。

 

「さて、我が家を訪れる方は誰も拒みませんが、あなた様は何か、人より自慢出来る特技がおありでしょうか?」

 

「はい、私は奥飛騨の出身であり、栃餅作りには自信があります」

 

「ほう、栃餅を」

 

 成る程、と笑みと共に頷く深鈴とは対照的に五右衛門と犬千代はあからさまに表情を曇らせて、光秀に至っては「げげっ」とでも言いそうな顔になった。この反応の差は、深鈴が未来人である事が関係している。

 

 深鈴の居た時代で栃餅と言えば灰汁を抜いた物が当たり前なのだが、この時代では灰汁抜きされていない物が大多数なのである。その為、栃餅は世間一般的には「不味い餅」であり、その認識の差がそのまま五右衛門達とのリアクションの大きな差となって現れていた。

 

「織田信奈様がこの度美濃を平定されたので、お祝いとして栃餅を作って参りました」

 

 客人の話によると奥飛騨に於いては栃餅は大変縁起の良い食べ物であり、出陣の門出は勿論の事、祝言や床入りの際にもこれを食べるらしい。彼は持参していた風呂敷包みを開くと、そこに入っていた栃餅を切り分けて皿に乗せ、更に別の小瓶に入っていた黄色をした半透明の液体を垂らしていく。

 

「それは?」

 

「奥飛騨の栃餅はここらの物と違って灰汁を抜いてございます。そこにこうして蜂蜜を付けて食べれば、それはそれは美味な物にございます」

 

 その客はそう説明し、「まず私が毒味いたしましょう」と、皿に載った一切れを摘んでぱくりと口にする。当然ながら何も変化は無い。四人はそれを見て目線で頷き合うと、それぞれ一切れずつ餅を手掴みで口に運ぶ。深鈴は無造作に、五右衛門達は目を閉じて「ええい、ままよ」とばかりに口に放り込んで、咀嚼し、嚥下する。

 

 果たして、

 

「これは……美味しいわね」

 

「確かに……いけるです」

 

「今まで食べた事の無い味わいにござる」

 

 深鈴、光秀、五右衛門の評価は上々。犬千代だけは無言で、

 

「ぱく、ぱく…………もぐ、もぐ……」

 

 と、試食した一切れだけでは飽き足らず、両手で食べ始めていた。この反応を見れば、彼女の感想など問わず語りである。

 

「栃餅とは蜂蜜を付けて食べる物だったでござるきゃ」

 

「これは病人にも良い食べ物です」

 

「「!! 病人に効く……!!」」

 

 客人のその一言に、深鈴と光秀は鋭い反応を見せた。

 

「詳しく聞かせるです」

 

「はい、蜂蜜で煮揚げた栃餅を食べて、にわかに元気が出て病気が治ったという例は良く聞く事です。栃餅は目出度い餅であると同時に、厄除けの餅でもあるのです」

 

「ほほう、それはそれは……」

 

 喜色満面となる光秀。一方で深鈴は、一つの事を思い出していた。

 

『思い出した。確か奥飛騨の栃餅と言えば武田信玄が……』

 

 正史に於いても甲斐の武田信玄は「戦国の巨獣」の異名で各国の大名から恐れられていた。五十三才まで生きた彼であったが、二十代の頃から労咳、つまり肺結核に悩まされ続けており、特に晩年は喀血する事も多かったらしい。

 

 そうして病床に伏していた信玄であったが、ある時奥飛騨は神岡城の城主、江馬時盛(えまときもり)から送られた栃餅を食べると奇跡的な回復を見せたという。三方原の合戦の後、彼が死んだのは冬の寒さもあるが、その時は武田家臣団が手配していた栃餅が山賊に襲われて届かなかったからという説もあるぐらいだ。

 

「では、是非我が家の客としてゆっくりして行ってください」

 

「奥飛騨の栃餅の作り方を、尾張や美濃にも伝えていって欲しいです」

 

 ここは、どちらの客人として迎え入れるかでケンカしている場合ではない。この客には是非とも、長く腰を据えてもらわなくては。深鈴と光秀の見解が一致した。

 

 ここに列席した面々は皆、健康そのものといった連中であるが、彼女達の周りには病人が少なくない。

 

 例えば半兵衛だ。彼女は先日、雨の中で墨俣築城の為の木材切り出しの指揮を執ったのが原因だろう。今は風邪を引いて寝込んでしまっている。たかが風邪と侮るなかれ、「風邪は万病の元」という言葉もあるが、こじらせればそれだけでも十分に死病と成り得る。この時代から二百五十年ほど後、古今十傑の一人に数えられ名横綱と謳われた谷風梶之助の死因となったのも、風邪だ。

 

 次には道三。彼は隠そうとはしているものの最近、特に午後になると妙な咳をするのを目端の利く深鈴や光秀は見逃していない。彼には信奈の義父として、彼女の天下取りを見届けるまで長生きしてもらわねば……

 

 食客の中には医術の心得がある者も居るが、「医食同源」という言葉もある。突き詰めれば病を治すのは薬ではなく、滋養と休息である。

 

 先程思い出した武田信玄の主治医であった御宿友綱(みしゅくともつな)は信玄に、「あいつは名医には違いないが賄いに関してはとんと無知だ。不味い物ばかり選って食わせようとする」などと嘆かれていた、なんて話もある。未来では管理栄養士という職業もある事だし、皆の健康の為にも今後は優秀な料理人をキープしておくべきかも知れない。

 

「では、ゆったりとくつろいでいって下さい」

 

 深鈴はそう言って、係の者を呼び出して奥飛騨からの客人を案内させていく。余った栃餅はそれぞれ半兵衛と道三に届けるよう手配するのも忘れない。名残惜しそうに運ばれていく皿を見送る犬千代。

 

「はい、次の方」

 

 そうして案内されてやって来たのは……

 

「おや……」

 

「あなたは……」

 

「浅井長政……」

 

 風雅という言葉を絵に描いたらこうなるというような黒髪の美少年侍が、ぽーっとした様子の係に連れられてやって来た。

 

「どうも、ご無沙汰しているな。お歴々……」

 

「それで、今日は何の用で来やがったです?」

 

「そろそろ昼七つ(16時頃)、小腹が空く頃ですね。何かご馳走せねば……誰か、お茶漬けを作ってきて下さい」

 

 流石に初めての客人ではなく、今までどうにも打算が前面に出た腹黒い印象が先に立っていたので深鈴達の反応も皮肉を利かせたものだ。尤も、犬千代には京風の皮肉(京都で茶漬けを勧めるのは「さっさと帰れ!!」の意味)などは分からず、「鮭茶漬けが良い」と注文する。

 

「……と、冗談はこれぐらいにして、浅井長政殿。今日の御用向きは?」

 

 真顔に戻って、用件を聞く姿勢となる。長政に出されたのは勿論茶漬けではなく、ちゃんとした緑茶と茶菓子だ。犬千代だけは運ばれてきた鮭茶漬けを「はふ、はふ」と食べている。

 

「実は、今度こそ織田家との同盟を結びたくこうして参ったのだが……」

 

「はぁ、それならさっさと信奈様に会ってくれば良いじゃないですか?」

 

 と、光秀。しかし長政によると、事態は中々難しくなっているらしい。

 

「それが、朝倉家からこの縁談に横槍が入ったのだ」

 

「朝倉が……」

 

「確かにそれだと同盟にせよ縁談にせよ、この話を成立させるのは難しくなってきますね……」

 

「そう、私としてはかつての名門よりも新進気鋭の織田家と組むべきだと思っているが、我が父、久政がそれでは納得せぬのだ。父は隠居した身とは言え未だ家中にはそれなりの人望があり、私としてもその意を無視しては、中々……」

 

 深鈴、光秀、長政と三人揃って難しい顔を突き合わせる。

 

 その昔、浅井は六角・京極氏に挟まれて手も足も出なかった。そこで朝倉家が後ろ盾となって援軍を送り、六角・京極の勢力を駆逐した。北近江に今の浅井家があるのは朝倉家のお陰だ。故に、武人の義というものを見せねばならぬ。

 

「……と、これが父の言い分で……」

 

 時勢が見えているとは言いがたいが、しかし筋はそれなりに通っているだけに、長政としても反論に困るのだ。

 

 しかも横槍を入れてきたのが朝倉家となると、話はより複雑となってくる。何を隠そう、織田と朝倉は仲が悪い。

 

 元々織田家の主家は越前・若狭・尾張・遠江の守護職であった斯波(しば)氏であり、織田家は尾張の守護代であった。一方で朝倉家は但馬国(たじまのくに)からやって来て斯波家の家臣になり、斯波家が衰えたと見るや越前の守護職を奪い取ったのだ。

 

「織田は斯波家の家老、朝倉は他国者のくせに主家を横領した家柄。理屈で言うなら織田家の下に付く筈です」

 

「勿論、朝倉家がそんな申し出を受け入れる筈も無く……」

 

「……それ以来、両家は犬猿の仲」

 

「で、ござる」

 

 だが、長政としては何とか織田家と縁故を結んでおきたい。同盟にせよ縁談にせよ兎に角渡りを付けておかない事には、信奈上洛の際には北近江も、南近江の六角と同じに踏み潰される事になりかねない。

 

 仮に織田家と戦い勝利したとしても、その時は浅井とて無傷では済むまい。そうして疲弊した所を他国に付け込まれたら……久政にはそれが見えていない。

 

「織田としても、浅井と戦って良い事は無い筈。銀鈴殿、光秀殿、何か名案を出しては頂けぬだろうか」

 

「……また、名案を出せ、ですか……」

 

 最近はこんな風に頼まれる事が多いなと、溜息を吐く深鈴。光秀もううんと唸りながら色々と考えていたが……

 

 しかし、今回も中々難題である。織田、浅井、朝倉。三家のいざこざを、どうやって処理するか……

 

 そうして考えて数分程の時間が過ぎ、不意に「そうだ!!」と二人は声を揃えて手を叩く。

 

「何か妙案が?」

 

「八方丸く収まる案があるです!!」

 

「早速、信奈様に提案に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 岐阜城の大広間では、床一面に地図を広げた信奈が「ううん」と唸っていた。

 

 最近の彼女は毎日こうして、地図と睨めっこである。美濃と京を隔てるのは近江。どうにかして、近江に上洛路を開かねばならない。ちなみに、今日の信奈は大好物の「なごやこーちんのてばさき」ではなく深鈴より献上された「歩帝都秩布酢」を囓っている。未来で大人気のジャンクフードは、彼女にも好評であった。

 

 そうして勝家や長秀らも難しい顔を付き合わせていたその席に、深鈴と光秀が長政を伴ってやって来た。その顔を一目見た途端、信奈は「あんたも懲りないわね」と呆れ顔。他の者達の反応も似たり寄ったりだ。しかし事情を聞かされると、主を含め一同はそれぞれ先程にも増して難しい顔となる。

 

「しかし、朝倉がねぇ……これは難しい問題よね」

 

 信奈としても結婚云々は兎も角として、浅井家を同盟相手として考えていたのは本当だ。だから長政の申し出を無碍にも出来ないのだが、しかし彼女の言う通り事態は中々難しいものとなっている。

 

 どうやってこの同盟を成立させるか……

 

「浅井も六角も、両方攻め滅ぼしてしまえば良いでしょう」

 

 これは勝家の発言である。しかし、ここにその浅井家当主が居ると言うのにこの発言は空気が読めてないと言うか何と言うか……長政は笑顔を引き攣らせた複雑な表情になった。

 

「如何に我が軍と言えど、浅井と六角の双方が相手となればかなりの損耗を覚悟せねばならないでしょう……四十三点です」

 

 長秀が付けた点数も、ちょっと低い。今の織田家なら両家を相手取っても勝てない事はないだろうが、そうなれば一大決戦となり、被害も相当なものとなる。例え勝って上洛出来たとしてもその先が続かない。

 

 長秀が指摘するまでもなく、信奈もその考えには至っている。論ずるべきは、どうやってこの問題を解決するか、だ。

 

「……で、銀鈴と十兵衛。あんた達がこうして来たって事は、何か名案があるって事でしょ? 言ってみなさい」

 

 そう言われて深鈴と光秀は視線を合わせて頷き合うと、まずは光秀が発言する。

 

「されば、同盟話を義元の奴に纏めさせれば良いです」

 

「「「!!」」」

 

 この提案を聞いた場の全員が「その手があったか!!」という顔になった。義元は京の不忠者共を成敗する為に織田家が征夷大将軍として担ぎ上げる、つまり公方(予定)である。正式ではないとは言え公方の言葉なのだ。古風な浅井久政への効果は絶大であろう。

 

「それに例え公方としての立場が無くても、あの方は押し出しは立派ですし……多分、相手が何を言ってきても「おーっほほほ」だけで、押し切ると思います」

 

「た、確かに……」

 

 深鈴の補足説明を聞いた信奈にはその光景がありありと想像出来て、冷や汗を垂らしつつ塩が付いた指をぺろりと舐めた。

 

「分かったわ。長政、あんたには私の妹のお市をお嫁にあげる。義元と一緒に近江に行かせるから、話を纏めなさい」

 

「……妹? しかし信奈殿に妹君がおられるとは聞いて……」

 

「この話、受けるの? 受けないの?」

 

 疑問を差し挟む長政の声を切って捨てて、信奈が凄む。これは長政としては万一にも信奈に臍を曲げさせてはならないと承知しているからこその強気であった。

 

 朝倉からの横槍が入る以前から長政は既に「織田家の姫と結婚する」とあちこちに触れ回っており、今更「結婚出来ませんでした」などと言おうものなら面目丸潰れである。

 

 いわば今の彼は結婚すれば父との関係がこじれて家中が混乱し、結婚しなければ天下の笑い者。八方塞がりを体現したかのような状況だったのである。かくなる上は垂らされた蜘蛛の糸に、縋り付く他は無かった。

 

「あ、ありがたく妹君を頂戴いたします……!!」

 

 こうして長政が帰っていったのを見送った後で、信奈は表情を引き締めると深鈴と光秀、二人に向き直った。

 

「で? 二人とも、あんた達の話には続きがあるんでしょう? それを聞こうじゃないの」

 

 話の続きいうのは、北近江・浅井家との同盟が成った後の事だ。

 

「浅井を味方にしたのなら南近江の六角を征伐し、義元を奉じて都入りを果たせば良いです」

 

「朝倉は?」

 

「京に入って義元殿の将軍宣下を認めさせ、三好・松永を成敗した後に、将軍の名において上洛を命ずればよろしいかと……」

 

「越前から素直に出てくると思う?」

 

 と、興味深げに笑いながら信奈が尋ねる。とは言えこれは聞くまでもない質問である。朝倉義景は、恐らくは出ては来ないだろう。上洛の命令は、出て来ないと承知の上で出すのだ。そうして彼が出て来なければ……

 

「織田家による、朝倉討伐の口実ができます」

 

「良く考えられています。九十点」

 

「話は分かったわ。やっぱりあんた達、どっちも曲者ね」

 

 ぱっと扇子を広げた長秀が笑みを見せ、不敵に笑った信奈はひねくれた褒め言葉を口にする。やはり織田家中随一の知恵者とされる深鈴と、秀才の誉れも高い光秀。抜かりは無かった。

 

 しかしこの時点で未来人である深鈴はその知識を活かし、光秀の考えが及ばない領域にまで思い至っていた。

 

『朝倉家の横槍があったのは史実通り……だが今回のこの横槍、ただ織田家憎しだけでのものなのかしら……?』

 

 もし違うとしたら?

 

 他に何か思惑が働いているとしたら?

 

 この状況で織田と浅井の同盟を阻んで得する者が居るとすれば、それはつまり……

 

『朝倉が、裏で三好・松永と通じている……? まさか……?』

 

 だから信奈を上洛させまいと浅井に圧力を掛けてきた。しかも浅井の同盟先が相手が自分とは仲の悪さで有名な織田家とあれば、そこまで不審にも思われない。それを承知の上で仕掛けてきた……?

 

 ……一応、辻褄は合う。とすれば実際はどうあれ、備えておかなければなるまい。しかしこれは全て自分の頭の中だけである空想・想像・憶測でしかない。今はまだ信奈達に言う段階ではあるまい。

 

『……確たる証拠を掴むのが先、か……』

 

 五右衛門や段蔵達、諜報部隊にはまた働いてもらう事になるだろう。そして、自分にもやらねばならない事がある。

 

 今回の件で、やはり浅井と朝倉との関係は未だ根深いものである事がはっきりした。つまり自分と光秀の策に乗った信奈が朝倉攻めを行えば……!!

 

『金ヶ崎の退き口が起こる可能性が高い、という事ね……』

 

 日本史上最大の撤退戦である金ヶ崎の退き口。正史では織田・徳川連合軍が金ヶ崎・疋田の両城を落城させてすぐ後に「長政裏切る!!」の急報が入り、織田軍は山路で朝倉・浅井両軍に挟撃される形となり、信長は命からがら京へと引き上げた。と、されている。その時殿軍を務めたのが木下藤吉郎、つまり、今の深鈴の立場にある者だ。

 

 深鈴の知る歴史では藤吉郎も九死に一生を得て京に辿り着いたとされているが、だからと言って自分も助かるだろう、などというお気楽な思考回路を彼女は持っていない。

 

 この世界で信奈が朝倉攻めを行うとしたらそれは光秀と自分の献策によるものだから、見ようによっては自分で自分の首を絞めた形になったとも見れるが、しかし朝倉への対応としてあの案が恐らくはベストだろうと彼女は考える。そういう意味では金ヶ崎の退き口は誰が何をしようと起こるべくして起こる歴史の必然、不可避の流れと言えるのかも知れない。

 

『何か策を考えなくては……』

 

 金ヶ崎での殿軍とは本隊を逃がす為に押し寄せる朝倉軍の前に出された、死に残りの軍。無策でそんな場所にのこのこ行く程、深鈴は自信過剰でも楽天的でもない。

 

 幸いな事にまだ時間はあるし、それに情勢の変化もあって浅井の裏切り自体無くなるかも知れない。あくまでも可能性だ。少なくとも今の時点では。

 

 一つの可能性、その石に躓いて転ばぬよう、杖として打てる手は全て打っておく。

 

 それがこの時代にやって来てからずっと続けてきた、深鈴の戦い方だった。そして恐らくは、これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、義元の働きによって織田・浅井の縁組みが決まった。後で聞いた話だが、やはり彼女は何を言われようが困り顔の久政が何を訴えようが全て「おーっほほほほほ!!」の高笑いでゴリ押しして、半ば以上力業で話を取り纏めたという。交渉のイロハも知らないだろうに、しかし中々どうして彼女も一種のタフ・ネゴシエイターである。

 

 信奈はこの成果に喜び、五箇条の条文の内、第四条の「甲高い笑い声は禁止」を取り下げる旨を義元に伝える。図らずもと言うべきか図られてと言うべきか……いずれにせよ、深鈴の言った通り信奈の為に働く事で義元の待遇改善は(微妙にせよ)成ったのである。これで少しは彼女の機嫌も治るだろう。

 

 浅井へ嫁入りする「お市」役には、信澄が選ばれた。哀れ、命を受けた五右衛門と段蔵によって拉致同然に岐阜城へと連行された彼は、事情の説明もそこそこに白無垢を着せられて籠に詰め込まれ、近江へと送り出されてしまった。ちなみに深鈴の食客の中には”チョッキン”の名人も居るのだが……流石に信澄を不憫に思って、信奈に紹介する事はなかったのを追記しておく。

 

 半兵衛の体調も、栃餅の蜂蜜煮を食べる事によってすっかり回復。道三もここ最近老け込んでいたのが嘘のように、信奈の毎朝の日課である遠乗りに付き合う程に体力を充実させていた。

 

 そうして全ての準備が整った事を見て取った信奈は、遂に命令を下す。

 

「これより織田軍は、上洛するわよ!!」

 


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