織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第15話 銀鈴の旗

 

 稲葉山城攻略の最重要事項とも言える半兵衛調略が成り、これで信奈の機嫌も治る……と見ていた深鈴は、しかしながら自分の見通しの甘さを思い知らされる羽目になった。

 

 自室の上座に腰掛け、なごやこーちんのてばさきを囓る信奈は先日とちっとも変わらない不機嫌顔だ。

 

 どうしてこうなった? 話は一週間ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 半兵衛を味方に引き入れた深鈴達一行が清洲城へ戻ってみると、思いも寄らぬ変化があった。城内に侍達の姿がない。もぬけの殻、完全に空城となっていた。

 

 何事かと思い一旦屋敷に戻ってみると、留守番をしていたねねが信奈から預かっていた手紙を見せてくれた。文面を要約すると、以下のようになった。

 

 

 

<あんた達が半兵衛を調略しに行く期間を利用して、私は居城を清洲から小牧山へ引っ越す事にしたわ。戻ってきてこの手紙を読んだなら、すぐに小牧山に移ってきなさい。ぐずぐずしてるとあんたの屋敷に火を付けるわよ!!>

 

 

 

 信奈も、深鈴達が動いている期間をただのんびりと過ごしている訳ではなかった。彼女も彼女なりのやり方で、美濃攻略の為に動いていたのだ。

 

 ちなみに屋敷に火を付けるというのは脅し文句でも何でもなく、実際に信奈の命を受けた勝家が焼き討ちの指揮を執っていた。

 

 主君に従わぬ家臣には、何らかの罰を下す。それ自体は家中の規律を保つ為に絶対必要な事なのだ……が、それにしてもいきなり家に放火とは……やる事が派手と言うか、短気にも程があると言うか……

 

 勝家によれば、

 

「頭の固い老臣達からは『本城を移転するなど聞いた事がありません』『せめて一年はご猶予を!!』と猛反対の声が上がったけど、姫様は即断即決でその日の内に小牧山へ。で、引っ越しを渋る家臣の家は焼いちゃえと、あたしにご下知を。銀鈴、お前みたいに任務で尾張を離れてる奴らの家は、除外するように言われたけどな」

 

 との事だった。

 

 しかし、本拠を小牧山に移すという信奈の戦略は美濃攻略を狙う織田勢としては、全く理に叶ったものである。

 

 尾張のほぼ中央に位置している清洲城に対して、小牧山は尾張の北端にある低い山である。ここに拠点を移す事によって信奈は美濃への距離をぐっと縮めた事になる。つまり有事の際には、これまでよりもずっと短い時間で戦場に急行する事が出来るのだ。

 

「兵は神速を尊ぶ。見事な策です」

 

 半兵衛も絶賛。戦場に在って時間とは、何にも代えがたい黄金に勝る宝物。本城を移転するという大胆さは他に類を見ないが、しかし戦場に到着するまでの時間を縮めようとする試み自体は、他国の戦国大名もあの手この手で行っている。例を挙げると、戦国最強兵団を率いる姫大名「甲斐の虎」武田信玄。彼女は宿敵である「越後の龍」上杉謙信との決戦に備えて様々な策を実行しているが、その中でも「甲斐の棒道」は有名だ。

 

 棒道とはつまり軍用道路である。越後・春日山城を拠点とする謙信と、甲斐・躑躅ヶ崎を拠点とする信玄が両者の決戦の場と目される北信・川中島へ向けて同時に出陣した場合、先に到着するのは明らかに謙信である。そこで信玄は到着までに要する時間を短縮する為に山を切り開き、古府中から北信へと鉄砲玉のように真っ直ぐ走る軍用道路を建設したのだ。

 

 美濃への距離を縮めた信奈の本城移転は、同じ目的ながら対極の発想だと言える。

 

 焼き討ちを済ませた勝家に案内されて小牧山へと到着した深鈴は、半兵衛調略の結果報告も兼ねて開かれた軍議に出席する運びとなった。

 

 これまで尾張勢を釈迦の掌の上の孫悟空のように弄んだ天才軍師が味方になったという朗報を受け、信奈は上機嫌となって美濃攻略作戦を次の段階へ進める事を決断した。

 

 信奈の次の狙いは、ずばり「墨俣」である。

 

 墨俣は長良川と他の河川が交わる戦略上の要衝。ここに城を築く事が出来れば美濃攻略は成ったも同じ。だが、墨俣は稲葉山城からは目と鼻の先。故にこう言うのだ。

 

 

 

 「墨俣は死地、死地はまた生地なり」

 

 

 

 美濃を生かすも殺すも墨俣次第。だが領内に城を建てようとして、斎藤義龍が黙って見ている訳がない。道三に説得出来ないかと信奈が尋ねてみるが、

 

「ありえんな」

 

 の、一言で却下された。食うか食われるか。蝮とは子が親殺しをせねば、親が子殺しをする生き物なのだ。となれば、強引に城を建てるしかない。

 

「墨俣を制する者、美濃を制す。不可能を成し遂げてこそ、天下人の器かと」

 

 半兵衛のこの意見もあり、信奈は勝家に築城を命じた。

 

 織田家最強の猛将は「お任せあれ!!」と豊満な胸をどんと叩き、深鈴は彼女に以前信澄が謀反した際、名塚に一夜にして砦を築いた建築技術が記された巻物を餞別代わりに渡している。それを見た勝家は、

 

「成る程、これが一夜砦の手品のタネか!! これなら千人力だ!! 必ずや墨俣に城を建ててご覧に入れましょう!!」

 

 そう言って勇んで出陣した……までは、良かった。

 

 結論から言うと、勝家は失敗した。

 

 織田軍が築城に取り掛かったと見るや、美濃勢は夜襲を仕掛けてきたのである。

 

 義龍とて墨俣が美濃防衛の為にどれだけ重要な地点かは百も承知であり、織田の兵は一人も見逃すまいと昼夜を徹して見張らせていたのだ。勝家率いる築城部隊は、美濃領内に入った時点でその動きを察知されてしまっていた。

 

 それでも流石は音に聞こえし鬼柴田。最初に夜襲を掛けてきた部隊相手には何とか持ち堪えていたものの、船によって川から攻めてきた別働隊に挟撃を受け、現場は大混乱に陥った。

 

 しかも築城という任務の性質上部隊の大半は人足であり、夥しい数のかがり火を見て恐怖に駆られて逃げ出してしまったのである。群集心理の効果は恐ろしく、連鎖的に兵の中にまで武器を捨てて逃げる者が現れる始末。こうなると「逃げるな!! 逃げる者はあたしが斬るぞ!!」といくら勝家が叫び立てた所で最早収拾は付かず、泣く泣く小牧山まで逃げ帰る羽目になってしまった。彼女が陣頭指揮を執った事で被害を抑えられたのは不幸中の幸いだった。

 

「あたし、責任とって腹を切ります~!!」

 

「あんたが腹を切ったら、美濃を落とすどころか尾張を守る事すらおぼつかなくなるでしょ!! 今後は切腹禁止よ!!」

 

「姫様……なんとお優しい……!! この勝家、生涯姫様の為にご奉公仕ります!!」

 

 帰ってきた勝家と信奈の間に、こんなやりとりがあったのはご愛敬。

 

 その後も城普請を得意とする長秀や佐久間右衛門が築城に当たったが悉く失敗。美濃攻略作戦は再び暗礁に乗り上げてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「で、銀鈴。あんたはこれまでの失敗をどう思うの?」

 

 時は現在に戻り、深鈴は小牧山の信奈の自室へと呼ばれていた。

 

「やはり築城の為の人足と、城と彼等を守る為の兵。それに大量の木材。これらを尾張から運び込むのが原因かと」

 

 そんな大所帯が美濃勢の目に付かない筈がない。信奈とて逆の立場であったとすれば、策を講じて待ち構えるだろう。

 

 とは言え、天下統一の為にはいつまでも美濃一国に手こずっていられないのも事実である。

 

「そこまで分かってるなら、あんたには何か策は無いの? 墨俣に城を築く以外で」

 

「……一つ。無いでは無いですが……」

 

 深鈴がためらいがちに口にしたその言葉を聞き、信奈は思わず笑顔になって身を乗り出した。しかし、すぐにその笑みは消えてしまう。

 

「私の食客が造っているカラクリで”轟天雷”というものがあり……それを使えば恐らく、稲葉山城を一日で瓦礫の山と化す事が可能です」

 

「!! それは駄目よ」

 

 まだそのカラクリがどんな物かも説明せぬ内にあっさりと信奈に却下されて、しかし深鈴の表情に落胆の色は見えない。寧ろこの案については、却下されて安心した。逆に、万一ゴーサインを出されていたらどうしようかと思っていた所だ。

 

 今後、美濃を足がかりに上洛を果たす為には稲葉山城は重要な拠点。織田勢としては可能な限り無傷で手に入れたい。

 

 それに……

 

「これは出来ればだけど、私は蝮をもう一度あの城に戻してあげたいの。銀鈴……あんたも気付いてるんじゃない?」

 

「はい……」

 

 深鈴と道三は、時々屋敷に道三が尋ねてきて碁を打ったりする仲である(ちなみに戦績は、道三が無敗記録更新中)。そうして話す機会が多い事もあって、深鈴も最近の道三は変わったと感じていた。

 

 今の道三は美濃の国主であった頃の覇気はすっかり失せ、市井の好々爺のように老け込んでしまっている。しかも彼はもう六十三才。深鈴の生まれた時代ならば元気バリバリで第二の人生を歩み出そうという「若い」とさえ言われる年齢だが、この時代では明日死んでもちっとも不思議ではない高齢である。

 

「人生の全てを美濃盗りに捧げた蝮に、このまま亡命先の尾張でひっそりと死んで欲しくないのよ。私こそが、蝮の夢を託すに相応しい者だったと、証明してあげたいの。蝮の選択は間違っていなかったと、安心させてあげたいのよ」

 

 信奈が美濃攻略を焦るのは東国の脅威もあったが、義父へのその想いも間違いなく一因ではあった。

 

「……ならばやはり、墨俣に城を建てる他はないでしょう」

 

 結局、ぐるぐると廻り巡って結論はそこに戻ってきてしまった。ふうと一息吐いて、ジト目になった信奈が深鈴を睨む。

 

「……出来るの? 今の墨俣は一夜で城を築く事すら不可能なまさに死地、地獄の一丁目よ?」

 

「自信と勝算はあります。お許しさえ頂ければ、必ずや」

 

 答える深鈴の声と目と、そして表情から静かな自信を感じ取って、信奈は半ば諦めたように頷いた。これまでの経緯から、彼女が勝ち目の無い戦いをする人間ではない事は知っている。ならばここは、主君として臣下を信じてみよう。

 

「デアルカ」

 

 立ち上がった信奈は部屋の片隅に置いてあった箱を手にすると「開けてみなさい、私からの餞別よ」と、深鈴に渡した。

 

「これは……」

 

 蓋を開けたそこにあったのはバスケットボールほどの大きさの、銀作りの鈴だった。鈴は深鈴の手の中で、ガランと乾いた音を立てる。

 

「腕利きの鍛冶に造らせた、あんたの旗印よ。銀の鈴……あんたにはぴったりでしょ? 銀鈴」

 

「感謝いたします、信奈様……」

 

 深々と頭を下げ、受け取った旗印を手に退室しようとする深鈴だったが、襖の前で呼び止められた。

 

「命令よ。作戦の成否に関わらず、必ず生きて帰還しなさい」

 

「……御意!!」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして墨俣築城の命を受けた深鈴は、しかしすぐには動かずにまずは小牧山に建てた仮の住居に五右衛門や犬千代、光秀に半兵衛、それにおもだった食客達を集めて作戦会議を開いた。

 

 桶狭間の戦いの前に開かれた会議では一人一人の前に料理の載った膳を並べて酒を用意し、食べながら話していたが、今回は急な引っ越しによってそこまでの大広間がある屋敷が用意出来なかったので、全員で一つの大鍋を囲んでいた。

 

 鍋の中には、おでんが煮込まれている。

 

 未来人である深鈴にとっては何も疑問は無いが、しかし他の面々はこの料理を見て当惑した様子である。それも当然、この時代におでんと言えば、焼いたコンニャクや豆腐に味噌を塗りたくって食べる料理であり、断じて卵・大根・ジャガイモ・ちくわなど各種の種を入れて煮込むものではないのだ。

 

 これは、深鈴が料理上手な食客に特注で作らせた言わば創作料理だ。ご丁寧な事に羊・山羊肉の腸詰め、つまりウインナーまで入っている。

 

「……と、いう訳で信奈様から墨俣への築城を命じられました。大まかな計画は既に考えていますが、みんなも何か気付いた事があれば、遠慮無く言ってください。そうして様々な意見を取り入れて、より万全を期したいと思っていますので……」

 

 大好物の厚切り大根に味噌を塗って食べながら、深鈴が言う。大根は火の通りが完璧であり、箸がすっと通った。

 

「先輩、それならまず、どうやって見張っている美濃兵の目を誤魔化すかですよ」

 

 八丁味噌をたっぷり塗ったコンニャクを箸でつまみながら、光秀が言う。彼女の言う通り、どうにかして美濃勢が敷いている警戒網をくぐり抜けなければ、城を建てる建てないの前に墨俣に部隊が到着した時点で攻撃を受けてしまう。

 

「はふ、はふ……それに、城を建てるだけじゃなくて守る為の兵も連れて行かなければ駄目……もぐ……もぐ……」

 

 丸ごと茹でられていたタコの足を咥えながら、犬千代が発言する。これも正論。

 

 確かに今の尾張勢は源内の開発したツーバイフォー工法によって一日で城を建てる事が可能だが、しかしそれで出来上がるのは所詮は一日作りのハリボテ、急拵えの砦モドキでしかない。

 

 今回求められているのは名塚の時のような敵の目を引き付けるだけの案山子砦ではなく、そこを足がかりとして信奈軍が美濃へ攻め込む為の軍事拠点。一夜作りの砦に、曲がりなりにも城と呼べるだけの防御力を持たせるまで、義龍軍から守り抜けるだけの兵が必要となる。どんなに少なくとも三千、欲を言えば五千は欲しい。

 

「いっそのこと城を建てるのに拘らずに、稲葉山城を直接攻撃したらどうです? 轟天雷の実戦試験の的として、あの城はうってつけです。私に任せていただければ、あんな山城は一日で瓦礫の山に変えてみせますが……あ、半兵衛ちゃん、これどうぞ。この腸詰めは絶品ですよ」

 

 ゆで卵を食べながら、右隣に座る半兵衛にウインナーを渡しつつそう発言するのは源内だ。彼女の発明品の一つである”轟天雷”は既に各種試験が終了しており、量産体制に移行している。後は実戦投入を残すのみで、彼女はその機会を欲しがっていた。

 

 しかしその案は既に信奈に提案して却下された事を深鈴が伝えると「仕方無いですね」と肩を落として引き下がった。

 

「それに、墨俣に城を築かれる事の危険性は美濃勢も百も承知でしょう。一度気付かれたら最後、西から東から集まってきて、包囲されてしまいます……きゃっ」

 

 半兵衛も別の問題点を指摘する。囓ったウインナーがぱきっと気持ちのいい音を立てて割れて、弾けた肉汁が彼女の顔に飛び散った。

 

「そうなったら勝家殿の時と同じく、現場は大混乱に陥るでござりゅ。にんそきゅはちゅれていけにゃいでごじゃりゅじょ」

 

「親分が噛んだ!!」

 

「このおでんも美味いし、今日は最高だぜ!!」

 

「しかし嬢ちゃん、親分の言う通りだ。俺達は親分と一緒ならたとえ火の中水の中。義龍軍など恐れねぇが、どいつもこいつも同じようには行かねぇ。よっぽど腹の据わった奴等を集めなきゃあ……」

 

 巾着を食べて、中に入っていた餅を伸ばしながらの五右衛門の発言はいつも通り噛み噛みだったが、しかし内容は川並衆の一人が言うように的を射ている。

 

 築城の為には人足が必要だが、しかしあまりに人足が多いと兵士でない彼等は、大軍に攻められると恐怖に駆られて逃げ出してしまうだろう。そうなれば、兵士でも気の弱い者は釣られて逃げてしまい、指揮系統が成り立たなくなる。勝家はそれで失敗したと言っても良い。

 

 こうして挙げられた墨俣築城の問題点を整理していくと……

 

 

 

 一、警戒している義龍軍の目をどうにか抜けなければ待ち伏せされる。

 

 二、十分な防御力を持たせるまで城を守る為に、相当数の兵が必要。

 

 三、墨俣への築城を気付かれれば、あちこちから美濃勢が集まってくる。

 

 四、人足を連れて行けば、彼等は大軍を前には気圧されて逃げてしまう。

 

 

 

 見事なまでに悪条件ばかり揃っている。これまでの失敗も、頷けるというものだ。

 

 しかもこれらは所謂「あちらを立てればこちらが立たず」といった関係になっており、ただ問題点を一つ一つ解消していけば良いという話ではない。

 

 例えば一の条件、義龍軍に発見されないよう少人数で行動すれば、十分な兵力を動員出来ないから二の条件を満たせない。逆に二の条件を満たそうとすれば、相当数の人数での行動になるから美濃勢に気取られて一の問題に引っ掛かってしまう。また、城作りの為に必要な木材を尾張から運んでもやはり目立ってしまうだろう。

 

 四の条件に至ってはもっと深刻だ。城作りには人数が必要だが、人足は使えないから兵にその役目を兼ねさせる事になるだろうが、深鈴は未だそれほどの数の兵を動かす事が出来ない。仮に出来たとしても、それをやればやはり一の問題に引っ掛かる。

 

 そして三の条件は、ただでさえ注目度の高い墨俣に城なんて目立つ物を建てようとすれば否が応でも人目に付くというもの。不可避だと言っても良い。

 

 つまり墨俣への築城の為には『兵士ばかり数千人を動員しつつ、鵜の目鷹の目で見張っている義龍軍の警戒網をすり抜けて、しかも建築途中の城を見ても美濃勢が集まってこないように』しなければならない。

 

 考えれば考えるほど、事の無理難題さが浮き彫りとなってくる。信奈が「墨俣は死地、地獄の一丁目」と言ったのは大袈裟でもなんでもなく全くの事実だった。

 

「こりゃあ、にっちもさっちもならねーですよ、先輩……今からでも信奈様に無理ですと言ってきた方が良いのでは……」

 

 流石の光秀も、匙を投げた物言いである。

 

 深鈴としては彼女なりの勝算はあったが、皆と討論してやっぱり無理だと判断したなら退くつもりだった。死ぬと分かっている場所に意地だけで突っ込むのは馬鹿げている。だが、殆どの者が無理だと考えている中で、彼女だけは違っていた。

 

『……出来る。墨俣に城は建てられる』

 

 深鈴はすくっと立ち上がり、ここに集った全員を見渡して、言った。

 

「まぁ……私とて失敗すると分かってる作戦を強行したりはしないから……皆は、私が合図を下すまでは待機していてください」

 

 その言葉を最後に本日の作戦会議は終了となり、後はいつも通り、皆で騒ぎつつおでん鍋をつつく宴会の様相を呈した。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、深鈴は五右衛門と半兵衛を連れたまま何処かへと姿を消し、光秀や犬千代、食客達は手持ち無沙汰のまま、二週間が過ぎた。

 

 信奈は未だ深鈴が築城に取り掛からない事に対して沈黙を保ったままであったが、家臣団の中には「銀鏡の小娘め、大きな事を言っておきながら自信が無いので逃げ出したのだ」などと噂する者まで出る始末。石段を駆け上るように出世した彼女は、やはり嫉妬ややっかみの対象でもあった。

 

 しかもこの間、どこから洩れたのか美濃には「尾張勢が性懲りもなく墨俣に城を築こうとしている」という噂が流れ、義龍軍の警戒はより厳重なものとなってしまっていた。

 

 だがそんなある日、唐突に深鈴からの招集が掛かった。既に季節は六月に入って梅雨時であり、前日からの雨が未だ降り続いている蒸し暑い日だった。

 

 集まるように伝えられた場所は墨俣ではなく、ずっと上流に位置する瑞龍寺山の裏手の密林であった。そこに、最低限の人数で来いと言う。

 

「先輩は何を考えてやがるですか?」

 

 光秀は首を捻る。対岸から墨俣を見張っている美濃の兵を警戒するのは分かるが、そんな所へ行ったとしても何の役に立つと言うのか?

 

「銀鈴のやる事だから……きっと、何かある」

 

 犬千代は彼女も疑問を感じてはいたものの、しかし今まで深鈴が思いも寄らぬ奇策を用いて多大な成果を挙げる所を幾度も見ているので、その信頼感もあって言われた通りの場所へと向かう。

 

 食客達の中からは源内や城大工達と、戦闘に長けた者達が随行した。その中には鉄砲の名手である子市の姿もあった。

 

 そうして瑞龍寺山の密林に到着した一行は、一人残らず驚きの声を上げる事となる。

 

 そこに居るとすれば精々川並衆の百余名だろうと思っていたがとんでもない。五千を数える野武士の大集団が、ずぶ濡れになりながら鋸を挽き、斧を振るって木材を切り出していた。彼等の顔は一様に真剣であり、目は爛々と燃えている。相当な決意でこの作業に臨んでいるのが一目で分かった。そして半兵衛と五右衛門が、伐採の指揮を執っている。

 

「待ってたわよ、みんな」

 

 光秀と犬千代、それに食客達の到着に気付くと、作業を監督していた深鈴が近付いてきた。

 

「……これは一体……どうやってこんな人数を集めやがったです?」

 

 と、光秀。「美濃勢には見付からなかったですか?」とは聞かなかった。もし気付かれていればこれだけの人数だ。尾張勢でなくとも義龍は警戒して、すぐさま兵を差し向けていただろう。

 

「銀鈴、この野武士達は一体……?」

 

 犬千代も、同じ疑問を口にする。答えるのは、半兵衛と五右衛門の二人。

 

「ここに集まっているのは、尾張からは秦川の日比野さん、篠木の河口さん、科野の長江さん、小幡の松原さん、稲田の大炊助さん、柏井の青山さん……」

 

「美濃からは鵜沼の春田、鷺山の杉村、井ノ口の森崎、川津の為井、柳津の梁津……他にもくにでゅうのにょびゅしがあちゅまっちぇりゅでござりゅ」

 

 後半はやはりと言うべきか噛み噛みだったが、要するに尾張と美濃の野武士達がここへ集まっているという事だ。

 

 これだけの人数をどうやって集めたかだが、ここに空白の二週間の秘密があった。深鈴は五右衛門が持つ忍びのネットワークを利用して、彼等に檄文を送り付けていたのだ。

 

「今回、墨俣に城を築く事に協力し、もし成功すれば一人残らず織田家への仕官と名誉の回復を約束する。それともこのまま一生、嫌われ者で日陰者の野武士のままで終わるのか、とね。勿論、信奈様には既に話を通してありますよ」

 

 ここに集まった面々は野武士は野武士でも、そこんじょそこらの山賊や盗賊まがいの輩ではなく、相手によっては生涯仕官せずに野にあって士道を貫く覚悟と誇りを持った侍である。しかし、武士は食わねど高楊枝とは言うがやはり霞を食って生きている訳でなく、日々の糧を得るには汚れ仕事に手を染めなければならない事も多い。必然、人々からは野盗と同一視されて厄介者と見なされてしまう。

 

 そんな所に舞い込んだ、立派な武士に返り咲けるという話。危険が伴うと聞かされても、立ち上がる者は少なくなかった。

 

 無論、いくら侍とて死にたくはない。これだけの大人数を集める為に、深鈴は三万貫近い金を使っている。流石にちと懐に響いたが、墨俣を買う事を思えば安いものである。それに美濃攻略が成れば銀蜂会は美濃への進出が叶い、莫大な利潤を生む事が出来るだろう。言わばこれは先行投資。深鈴は、ここが金の使い所だと見ていた。

 

「……どうして織田の兵じゃなくて野武士を使うの?」

 

 首を傾げる犬千代だったが、この疑問には彼女のすぐ隣で「そうか」と声を上げた光秀が答えた。

 

「確かにこれなら、義龍軍の警戒網を無力化出来るです」

 

「? どういう事?」

 

「美濃勢が見張っているのはあくまで織田の兵です。よっぽど大人数がひとかたまりになって動かない限り、野武士には注意が向かないです」

 

 素晴らしい解答に、深鈴は頷く。

 

「流石は十兵衛殿。この二週間という時間を使って、尾張の者は少しずつこっそり美濃領へ。美濃の者はそのままここに集まってもらっていました」

 

 補足するならしばらく前に美濃に流れた噂。あれは半兵衛の指示を受け、五右衛門と段蔵率いる諜報部隊が流したものだ。織田が再度築城するという噂を聞けば、そうはさせまいと見張りは織田の兵にばかり注目するようになり、それ以外の者への注意が疎かになる。この策は見事に当たり、野武士達は殆ど何の妨害も受けずに、この密林へと辿り着く事が出来た。

 

 そして、彼等が行っている木樵仕事。これは尾張から木材を運んで敵の目に付く事を避ける為、美濃領から木材を頂戴するという発想であった。見れば既に、柵や櫓といった城の部品としての組み立ても行われている。また、別の班では多数のイカダの組み立ても行われていた。準備が整えば、このまま水路によって一気に川を下り、墨俣へと向かうのだ。

 

「とんでもない事を考えやがるですね。流石は銀鏡先輩です」

 

 光秀は圧倒されたように思わず天を仰ぐと、深く息を吐いた。これで、墨俣築城への第一・第二・第四の問題は一気に解消された訳だ。

 

 既に全ての人員が美濃領に入っており、木材も調達がほぼ完了している。第一の問題である義龍軍の警戒網は、完全にすり抜けている。

 

 更に第二の問題、一夜作りの城が十分な防御力を持つまで支えるだけの兵力だが、ここには五千の荒くれ者達が揃っている。全く問題は無い。

 

 人足が使えない第四の問題も、野武士達が作業を行う事で解消される。彼等にとっては志を通して立派な武士に返り咲くか、さもなくば一生厄介者の野武士のままで通すかの瀬戸際である。その真剣さは並々ならぬものがあり、士気は天を衝くほどに高い。これならばちょっとやそっとの攻撃では引き下がらないだろう。

 

「後は、城が建てられてるのを見て集まってくる美濃勢をどうするかですが……」

 

「それも、問題無いわ」

 

「この雨が、私達を助けてくれます」

 

 自信の笑みを浮かべる深鈴の言葉を、背後に控えていた半兵衛が継ぐ。

 

「今は出水時であり、恐らく美濃勢は梅雨の間だけは信奈軍も川を渡れまいと油断しているでしょう。それに、この雨であちこちの洲は水びたし。思い通りに兵を動かす事は出来ません……くしゅん」

 

 つまりこれで、第三の問題も解消された訳だ。

 

「桶狭間の時にも、雨は我々を助けてくれました……我等尾張勢は、雨を味方に付けているのかも知れませんね?」

 

 深鈴が、光秀のすぐ後ろにいた源内へと言う。カラクリ技士はそれを受け、くすりと笑って返した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして遂に全ての準備が終了し、墨俣へと出航する段となる。

 

 だがここへ来て、この作戦の最大の問題点がクローズアップされる事となった。荒れ狂う濁流を見て、命知らずの野武士達も、川を知り尽くした川並衆もごくりと唾を呑んだ。

 

 木曽川はただでさえ名うての急流。しかも今は梅雨で増水していて、濁流が渦を巻いて岩を噛む勢いとなっていた。

 

 この流れの中に漕ぎ出すなど自殺行為としか思えない。だが、自殺行為であるからこそやる価値がある。

 

「川が渡れそうな時は、美濃勢は警戒しています!! 渡れそうもない時だからこそ、敵も油断しています!!」

 

 白羽扇を川に向けた半兵衛が、雨と川の音に負けないよう精一杯声を張り上げた。

 

「では、まずは私から征きます。イカダを出してください!!」

 

「応!!」

 

 深鈴の指示に従い、用意してあったイカダは次々と川へ出され、濁流の中を笹舟のように弄ばれる。しかし彼女は怯まず、旗印である銀の鈴を括り付けた槍片手に、イカダへと飛び乗った。

 

 だがやはり豪流が更に激流・濁流となっているのである。いきなり振り落とされそうになるが、川へ落ちそうになる彼女の手をぐいっと引いて、イカダの上に引き戻した者がいた。光秀だ。

 

「こんな所で先輩に死なれたら、出世競争に張り合いがなくなっちまうですからね!!」

 

 と、同時に今までは流れに翻弄されるだけだったイカダの動きが、僅かにだが安定する。見れば、五右衛門が櫂を握っていた。

 

「我等は銀鏡氏と一蓮托生!! 拙者、二度も主を喪うのは御免でござる!!」

 

 だが川賊の頭領である彼女も、流石にこれほどの濁流の中で船を操った経験は無い。イカダはすぐに五右衛門の手を離れ、ちょうど川の中の岩へと真っ直ぐ向かっていってしまう。このままでは激突して木っ端微塵に……

 

「犬千代も一緒!!」

 

 は、ならなかった。

 

 壇ノ浦の合戦に語られる義経八艘飛びの如く、イカダからイカダへと飛び移って追い付いてきた犬千代が、愛槍の石突きを岩にぶつけて、イカダの軌道を変えた。五右衛門も少しずつこの激流に慣れてきたのか、次第にイカダの制御を取り戻していく。

 

「総員、銀鈴さん達に続いてください!!」

 

 前鬼に伴われ、半兵衛もまたイカダの一つに飛び乗った。続いて、

 

「嬢ちゃん達にだけ良いカッコさせるな!!」

 

「そうだ!! 親分達を死なせるな!!」

 

「死ぬ時は親分と一緒だぜ!!」

 

 頭領やその主が真っ先に飛び出したのに触発され、恐れを忘れた川並衆も次々にイカダへ飛び乗り、濁流へと挑んでいく。

 

 野武士達は最初は呆然とそれを見守っているだけだったが、彼等の中の一人が言った。

 

「あんな娘っ子達が命張ってるのに、俺達は何をしてるんだ」

 

 また一人が言った。

 

「そうだ、俺達は命を懸ける覚悟で、ここに集まったんじゃなかったのか」

 

 また一人が言った。

 

「恥ずかしくないのか。南北朝の時代、義に殉じた我等が祖先に。恥ずかしくないのか。俺達の子孫に」

 

「そうだ!! 生涯日陰で暮らすか、子々孫々に陽の目を見せるか!! 全ては今に懸かってるんだ!!」

 

「俺は征くぞ!! これは他人の為じゃねえ!! 俺自身と俺の子ら、その子らの為の戦いだ!!」

 

 遂に彼等の一人が第二波のイカダを出して、そのまま乗り込んだ。

 

「俺も征くぞ!!」

 

「俺もだ!! どうせ死ぬなら這って悔いて死ぬより、奔って夢見て死んでやるぜ!!」

 

「命を惜しむな、名こそ惜しめよ!!」

 

 一人、また一人と、怯まず飛び込んでいく。

 

 彼等にここまでさせたのは、深鈴がまず最初に飛び込んだからだ。最前線に立って命を張っている大将と、主戦場から遠く離れた安全な所に座っていて命令を出しているだけの大将。どちらが率いる兵の士気を高めるかなど、自明の理。戦う力を持たない彼女だが、しかしここは命の懸け時、軍団の一番手となる時だと頭で理解し、恐怖を越えて実行に移した。その覚悟が、五右衛門や光秀、犬千代らは勿論、川並衆や野武士達にも伝播したのだ。

 

 ほんの5分ほどで、川岸には段蔵以下十数名が残るだけとなった。

 

<では、我等も手筈通りに動く>

 

 段蔵が纏うボロ布の袖口からそう書かれた紙面が出て、命令を伝える。その指示を受け、彼あるいは彼女とその配下は森の中へと消えていった。

 

 死地を生地とすべく。

 

 失敗しても成功しても、恐らくはこれが最後となるであろう墨俣築城作戦が、始まる。

 


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