IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▽▽▽

 

 『真っ二つ』

 

 モノを綺麗にきっかり半分にする事。また、そうなる事。

 僕の友達が無意識ながら病的なまでに大好きな概念。

 

 ――とある人物の手記より抜粋。

 

 

 ▽▽▽

 

 

 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 

 音が。何処か遠い。

 地面に出現した大穴を見た観客の反応は多種多様だった。ある者は大笑いして、ある者は大いに呆れ、またある者は見下すように冷笑した。

 では彼女が――その大穴を作った張本人である織斑一夏と先程まで戦っていたセシリアはどういう反応をしたかといえば、そもそも大穴へと視線を向けてすらいなかった。

 

 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 

 事態の理解を完全にどこかに置き去りして、セシリアは心の底から安堵する。蒼い装甲が剥げ落ちて、内部フレームが覗いてしまっている右腕はそのままに、健在な左腕が彼女の胸――身体の中心に向かう。ぺたぺたと、触れるようにあるいは確かめるように、身体の上をマニュピレータが這う。

 柔らかな弾力と感触が伝わってきてセシリアは安堵する。

 ちゃんと繋がって(・・・・)いる、そんな風に安堵する。

 

 ――ひゅう、ひゅう、ひゅう

 

 そしてここに至ってようやく先程から耳に届くこの音が、自身の呼吸の音である事をセシリアは知覚した。

 次に聞こえてきたのは液体が流れる音。どんな道を通ったのか、そして何時ISを解除したのかが朧気なままに、場所はアリーナの上空からシャワー室の一角へと移っている。

 シャワーノズルから吹出す湯は、大抵の人間が『熱い』と飛び退く温度であるにも関わらずセシリアはそれを頭から被り続けている。降り注ぐ湯は肌に当たり、弾け、均整の取れた肢体をボディラインに沿って流れ落ちて行く。

 先程と行動は同じ、しかし使う腕が増えた。指先が身体の中心に伸びて、そこに当たり前のようにある肌をなぞる。

「――おりむらいちか」

 鋼から光と化し、柱と呼べるような規模に膨張した刀身を振りかぶった織斑一夏を思い出す。いや違う。思い出すまでもなくその光景が脳裏に、網膜に焼き付いて離れない。

 

 ――その姿を視界に入れた瞬間に、自身が真っ二つに分断される光景を幻視した。

 

 現実ではセシリアは斬られていないし、そもそも攻撃は不発に終わった。けれど光の柱を振りかぶる相手の、あの悪魔の如き表情を――余り詳しくはないが、確かこの国ではああいう手合いを『鬼』と言うのだったか――見て、そう感じた。そう思わされた。

「織斑、いちか」

 総ての武装を破壊された様に見えたブルー・ティアーズだが、実の所まだ最後にして唯一の近接戦闘用の武装《インターセプター》を残していた。

 だからあの状況でもまだ打つ手はあった。それが逆転を引き寄せるかどうかはセシリアの手腕次第だが、ともかく”手”は確かに残っていた。

 けれどもセシリアは武装を展開(オープン)する事をしなかった。相手を視界に収めたあの刹那、異様な気迫に押されて選択肢が脳内から吹き飛んでいた。

「……織斑一夏」

 アリーナに流れたアナウンスはセシリアが勝者であると告げていた。

 気圧されて、迫り来る一撃を、馬鹿みたいに眺めていて、武器の展開も忘れて、ただ攻撃がもたらす結果に怯えていたセシリアを――勝者であると告げていた。

 今日まで得てきた勝利はそれら総てが『勝ち得た』と胸を張って言える。正しく己の実力が下した相手を上回った事による結果だとそう言える。

 しかし今日のそれは違う。あの『決着』の何処にセシリア・オルコットが織斑一夏よりも上である、そう言える要素があったというのだ。

 あるとしたら――その逆だ。

 だって最後の瞬間、間違いなくセシリアは折れて(・・・)いたのだから。試合が終わってから今に到るまで、セシリアはあの最後の一撃に心底怯えていて、そして攻撃が未遂で終わった事に安堵している。それが何よりの証だ。

 あの白い光の刀はブルーティアーズの装甲やセシリアの身体を斬る事は無かった。けれどきっと心の根底に打ち建てられた何かに届いて――それを傷付けた。

 負けたかった、訳ではない。決して無い。けれどもこんな惨めな気持になる事が『勝利』である筈がない!

 

「織斑一夏ぁ…………ッ!」

 

 ごっ、と響く音はセシリアが力の限りに拳をシャワー室の壁に叩きつけた音だ。

 ノズルからは相も変わらず熱い湯が吹出して、真下に在る彼女に降り注いでいる。だからその目元で何かが光っても、それは直ぐに湯に紛れてわからなくなる。

 

 

 ▼▼▼

 

 

『”自分が世界で最も優秀であることを示す”』

 

 それが自分の夢であると、そいつはたい焼きを齧りながらそう言った。続けて問うてくる。そのためにどうすればいいと思う、と。

 『前』生きていた時の俺は、間違いなく答えに詰まっただろう。何か凄い発表をするみたいな無難で曖昧な返事か、結局返答できないかのどっちかだと思う。

 でも『今』ならば、この世界を生きた俺には一つの答えが直ぐに思い浮かぶ。何故ならば。この世界ではとてもわかりやすい”一番”が居るからだ。その”一番”を蹴り落とせば誰もが――世界が”一番”である事を認めるだろう。

 その名は篠ノ之束(しのののたばね)

 IS(インフィニット・ストラトス)を開発し、各国のパワーバランスから男尊女卑の傾向やら、文字通り世界を根底から塗り替えてしまった大天才。

 俺が篠ノ之博士に思い当ったことを察したのか、そいつは口の端を釣り上げてにやりと笑い、言葉を続けた。

 

『だからさ、僕等の友情は将来砕け散ると思うんだよね』

 

 はあ。と間の抜けた声が出る。そいつの夢と、俺との友達関係がどう関連しているのかがわからなかったから。てかこいつの口から『友情』って単語が出たことが地味に衝撃(びっくり)

 言葉の意味がよくわからなくて困惑している俺の何が楽しいのか、そいつはやったらにこにこししている。うん、何か普通にむかついてきた。

 

『彼女が世界に認められているのはある”功績”が理由だ。彼女より上である事を手っ取り早く示すためには、同種の”功績”で彼女を上回ってやればいい』

 

 ああ、そういう事かと声が漏れた。篠ノ之束がその名を轟かせたのはISを開発したからだ。その功績の中核たるISを上回る事が出来れば、確かに誰もがその優秀さを認めることだろう。

 

『世界がひっくり返るからだよ』

 

 で、それと俺らの関係に何の関係がある。そんな質問に対する答え。それまでのにやにや顔を引っ込め、一転物凄くつまらなそーな顔になったそいつが言葉を続ける。

 

『幾ら何でも急に変わり(・・・)すぎだ。変化って言うのは本来膨大な年月と共に緩やかに行われるべきなんだよたふぉふぇふぁ』

 

 話の続きを遮った。たい焼き咥えたままふがふが話されても何言ってるのかわからんっつうの。ていうかたい焼き(苺ミルク)ってどんな味するんだろう。まあ俺はカスタード一辺倒だけど。いやあんことかが嫌いな訳じゃないんだ決して。つぶ餡もこし餡も大好きよ? ただそれ以上にカスタードが素晴らしすぎるだけで。

 

『例えば。一枚の平らな板を世界と仮定しよう。これの上に重しをのせればその直線は曲線へと変わっていき、そしてやがては曲線こそが本来の形となる。しかし重しが余りにも重すぎたり、乗せる速さが極端に速すぎれば板は曲線を通り越して壊れてしまう。君の好きな真っ二つだね――いや君がやるよりかは歪か。前々からずっっっと思ってたけど、君は本当気持ち悪いくらい見事に断つ(・・)よね』

 

 何その真っ二つ両断マニア的な認識。いやケーキとかすげー綺麗に切り分けるの地味に特技だけど。誕生日会とかでケーキの分配による喧嘩一度も起こさせたこと無いけどさ。

 その結果(真っ二つ)に満足感が無いっていえば嘘になる。でも誰だって割り箸が綺麗に割れたらちょっと幸せになったりするだろう。あれと同じ感じじゃねーの。

 

『切り分けられた二つが誤差千分台で同質量なのをそんな日常の小さな幸せで済まされてたまるか。たい焼きを手で適当に裂けば二つの皮と具の比率が同じになるし。何の計器も使わずに適当にやった結果が真に真っ二つなんだぞ』

 

 大袈裟すぎやしねーかこのスッタコは。こいつが認識した一回がたまたまそんな綺麗に真っ二つだったからといえ、毎回そうなっているとも限らない。

 それに誰だって得意な事の一つや二つはあるだろう。俺はそんな感じにケーキとか切るのが上手いとかってだけ――我ながら何つうしょぼい特技だ。

 

『そのレベルが異常…………止そう。当の君が理解できないのなら、僕が理解できる筈もないし。話を戻そうか。さて重しを押し付けられた板は壊れる訳だけど。ところがここで板とは世界だ。世界ってのはそう安々とは壊れない。重しの与えた負荷を受け止めて一応は曲線を保つだろう。でも世界は本当はまだ直線だとすれば? そして僕がやるのは、その重しを取り除く事と同意だ。そしたら板はどうなると思う?』

 

 加重(IS)によって無理に極端な曲線(女尊男卑)に歪められた(世界)は、一気に元の直線に戻ろうとする。それも無理な歪みによって蓄えられた反動を開放しながら。

 正解、とそいつは満足気に頷く。

 俺がこの世界で生活を始めた時点で既にISは存在していて、世界は変わり始めていた。だから直線の状態――変わる前の世界を直接見てはいない。聞いた限りでは俺の知る一般的な社会とそう変わらないようだが。少なくとも今の様に極端な女尊男卑では無かった筈だ。

 『戻る』も『変化』だ。確かにこいつの言う通り世界はひっくり返る。変に抑えつけられてた分、爆発するかの如き勢いで以て。

 ともかく世界がひっくり返る、その意味はわかった。それはよ――くわかった。だからそれが何で俺らの関係にまで及んでくるのかを俺は聞いてるんだっつの。

 

『……そろそろ面倒になってきたからサクっとまとめて言うけどさ、ISVS僕の作ったほにゃららになったとするじゃない?』

 

 いや出来るなら最初からサクっとまとめて言えよ。ここまで頑張って頭捻って付いてきた俺は一体何だってんだよ。後よりにもよって名前で手を抜くな、ほにゃららて何だその気が抜けるの。

 というかこいつ、自分がIS以上のもん作り出せるって点はもう確定みたいな扱いで話してるな地味に。まあ俺はこいつがずば抜けているのは知っているし、何より自分の実力を下手に隠さず胸を張るその姿勢は好きだけど。

 

『ほにゃららを得た方はISを汚す為に精一杯になる。それまで抑えつけられてた分を取り返すようにね。そういう場合『栄光』はそっくりそのまま、むしろ増加して『憎しみ』にコンバートされる。つまり相手がISで栄光を得ているほどにいい的な訳だ――もう解ったよね。そう、IS操縦者として”世界最強”なんて称号を持つ彼女は極上の()だ』

 

 名前が直接出なくても、それが誰なのかなんて考えるまでもない。

 俺がこの世で一番世話になっている女性で――俺が一番、

 

『だからISとは反対側に付く僕は、将来かなりの確率で君の敵になるんだよ。どうせ君は損得ぶち抜いてIS側、いや正確には彼女の味方をするんだろ――うくく、君自分が思っている以上に好意の矢印がわかりやすいんだよ。くく、あの小煩いチビや僕みたいな友人と、彼女じゃ明らかに好意の質が違うもんねえ?』

 

 こいつ超殴りたい。

 本当殴りたい。

 力の限り殴りたい。

 あといい加減ツインテの名前覚えてやれ。

 

『まあ単細胞代表みたいな君がアプローチかけてないって事は、何らかの負い目があるんだろうけどさ。だからこそ(・・・・・)君は絶対彼女の味方になる。例え負け戦でもそれは変わらない筈だ。元々有利不利で自分の意思を曲げられるほど器用じゃないもんね君。そういうとこが好きなんだけど、くくく』

 

 いや、バリバリ血縁なんすけど。

 負い目とか以前に家族なんですけど。

 あと男に好きとか言われても嬉しくない。

 

『じゃあ負い目が無かったら? ――ほらその表情が答えだ。それに今の答え方じゃ血縁が負い目とは別口だって言ってるようなもんじゃないか? うくくくく、いやあ優位に立つのは気分がいいなあ』

 

 ようしわかった表に出ろ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――この時はまだISを持っていなかったし、俺がISを動かせることも知らなかった。

 

 だからこの時に、あいつが言ってたような事態に本当になったとしても、ただの人間である俺が彼女にしてあげられる事なんてたかが知れてる。

 それはちゃんとわかってた。それでも何かしたかった。残り時間のわからない命を賭けるに値すると心の底から思えたし、何より俺がそうしたいという欲求があった。

 考えは今も変わらない。

 ただ、変わったものもある。

 

 ――白式(びゃくしき)

 

 はい。と誰かの声が聞こえた気がした。気がつけば――もしかしたら最初からそうだったのか――俺の身体には大多数の”白”と、少数の"黒”の二色で構成された鎧が出現している。

 IS。

 インフィニット・ストラトス。

 女性にしか扱えない筈の現行最強の兵器を、俺は得た。

 重要なのはISの力でなく、ISを使える(・・・)という事だ。何故ならば。ISを使えればIS操縦者として”世界最強”を目指せるから。

 世界の誰もが彼女こそ王者であると認めている。そのために彼女に害が及ぶのならば、その認識を変えてしまえばいい。彼女を、その位置から引き摺り下ろしてしまえばいい。

 『守る』ってのとはちと違う。この感情は確実にそんなまともなもんじゃない。そして俺はその言葉が正直あんまり好きじゃない。一々相手に言うと恩着せがましく聞こえるし、口動かす暇があったら手動かせと思うから。まあこれはあくまで俺個人の考え方だ。ていうか根本的に柄じゃねーんだわそういうの。

 結局好きにやるしか出来やしないんだろう。これまでやってきたみたいに、勝手に相手の前に出て、勝手に障害とかを蹴り飛ばす。相手の意見なんて知ったこっちゃない。だって喜ばせたい訳じゃない。そうしたいからしてるだけ。だから例え相手が泣いて嫌がろうとも止めてやんない。

 それは俺が真っ先に思いついて、真っ先に諦めた選択肢。

 それを今の俺は選ぶ事ができる。

 

 ――だがしかし、一難去ってまた一難。

 

 ガチン、と視界が切り替わる。

 昔よく遊びに行ったそいつの家の光景から神社の前と思しき場所へと風景が切り替わる。

 閑散としたその場所では男の子と女の子が並んで竹刀を振っていた。仲良くと言うには二人の顔が生真面目すぎる。それは子供の頃の織斑一夏と篠ノ之箒だ。

 やがて練習が終わったのか、二人は何か言い合いながら歩いて行く。『織斑一夏』が何かを言って笑って、竹刀で叩かれた。『篠ノ之箒』はただでさえ釣り上がった瞳を更に釣り上げて怒鳴っている。それでも二人は楽しそうだった。俺にはそう見えた。

 これは、『俺』の中に無い記憶。

 これは、『織斑一夏』の中に在る記憶。

 紛れもない『織斑一夏(ほんもの)』の証明が、『俺』の中に確かに在った。ほんものとにせもの――いずれ追いやられる(消える)のがどっちかなんて考えるまでもない。

 

 さあて。『俺』の残り時間はあといくら?

 

 

 ▽▽▽

 

 

 ――”千冬姉”

 

 織斑千冬と織斑一夏は姉弟だ。故に一夏が千冬のことをそう呼ぶのは何らおかしくはないし、昔の一夏は実際にそう呼んでいた。けれども『今の一夏』が千冬をそう呼ぶ事は無いし、そう呼ぶ筈がない。

 だから最初は見間違いかと思ったのだ。担架で運ばれる一夏が焦点の定まっていない瞳で千冬を見た瞬間に、その唇が『ちふゆねえ』と、そう形を作った事が。実際声になっていないのだからもしかしたら違う言葉を呟こうとしたのかもしれない。

 

 けれども、それは確かに昔見た一夏が『千冬姉』と呼ぶ時のそれだった。

 けれども、それは確かに今見る一夏が『千冬さん』と呼ぶ時のそれでは無かった。

 

 千冬の視線の先には、白いベッドの上で眠る一夏の姿がある。起きている時ならば見分けがつくが、眠っている時は本当に”どっち”なのか見分けがつかない。

 仕事を言い訳にして見舞うまでに丸一日以上の時間を要したのは、わからなかったからだ。もし目を覚ました一夏が”戻って”いたら、どう反応すればいいのかが。

 喜べばいいと、思う。それで正しいとわかってはいる。それは喜ばしい事だと確かに思うことができる。

 でもやはりその結果がもたらすもう一つの事実を――ある一人の消失を――考えると、胸が絞めつけられるように痛む。

「思いの外、臆病だったのだな。私は」

 重く沈んだ気持ちを気休め程度でも排出しようと一度深い溜息を吐いて頭を振る。

 とにかく、目を覚ますまでは身を案じよう。それまでは”姉”と”もう一つ”の理由を両立できるのだから。

 

「あー…………寝過ぎてボーッとするー……あったまいてー…………」

 

 と思った途端に一夏が起きた。

 大きくあくびを一度して、寝ぼけ眼をこすりながら枕元の時計を手に取って表示を確認。そしてまた寝転がった。

 言葉がなくとも何を考えているか解る。最早遅刻どころではない時間であったので、もう何もかも諦めて二度寝する事にした。そんなところだろう。

 そしてこの行動だけでもうどっちかわかる。これは『今の一夏』の方だ。

「起きんかこの馬鹿者が」

 何時ものように頭を叩こうと思ったが、一応は病み上がりであることを考慮してデコピンに変更する。額に衝撃を受けた一夏は目を開け、緩慢とした動作で額をさする。

「あっれー……何で千冬さんいんのー……………………あ、昼這い?」

 

 ”ごしゃッ”。

 

「ハイもうスッキリバッチリ目え覚めましたごめんなさい本当調子乗ってごめんなさい!!」

 ベッドの上で土下座する一夏を見て、千冬の心は呆れで満たされる。そして徐々に呆れが怒りに変わっていく。人があれこれ考えているというのに、一夏のなんと普段どおりの脳天気なことか。

「――《雪片弐型》。あれどっかで見た事あったと思ったんだ。試合の時は余裕なかったから後回しにしてたんだけどさ」

 文句の十や二十でも言ってやろうかと口を開きかけたら、突然真面目な顔になった一夏がそう切り出した。

「思い出した。あん時(・・・)に千冬さんが持ってた刀にそっくりなんだよ。同じ刀か、同系統の兵装だろ」

 千冬がIS操縦者としてかなりの実力を持っている事は一夏も当然知っている。だが実際にISを動かしている姿を見たのは数える程しか無い筈だ。

 中でも一度、千冬はISを纏った姿を一夏に晒している。恐らく今はその時の事を言っているのだろう。

「いいのかよ、そんなもん俺が使って。『織斑一夏』なら確かにあの刀を使うのは正当だろうけどさ。でも今の俺は『俺』なんだぜ?」

 沈黙を肯定と受け取ったのか、一夏が言葉を続ける。

 やれやれと、千冬は心の中で嘆息した。頭が悪いくせに、こういうところは妙に察しがよくて義理堅い奴なのだ今の一夏は。

「気にしなくていい。お前が私の『弟』なのは、誰もが認めているだろう」

「だからそれはガワの話で――」

「礼みたいなものだ、あれは。お前はまだ私の『弟』だ――その場所を、今日までお前は守ってくれただろう。いいから黙って受け取っておけ」

 目の前の誰かは、今日まで『織斑一夏』で在ってくれた。その中の自分を決して蔑ろにしていないのは生き方を見ればよくわかるが、『織斑一夏』という存在を壊す事も越える事もしていない。『織斑一夏』が戻るための場所は今もちゃんと維持されている。

「……そういう言われ方すると。有り難く受け取るしかねーじゃんか。俺刀の使い方なんか知んねーから、上手く扱えないかもしんないぜ」

「頑丈さは保証してやる。せいぜい振り回されることだな」

「うへえ……」

 口の端を歪めて笑った千冬、げんなりした様子で呻く一夏。ふと一夏の右手首にあるガントレットに目が行く。

 大部分が白くラインが一筋入る程度の黒。そんな二色で構成されたガントレットはIS『白式』の待機状態の姿だ。専用機は一度フィッティングを終えてしまえば、以降はアクセサリーの形を取って操縦者の身体で待機する。

 ただし試合開始直後に明らかな誤作動が見受けられた白式は、つい先程まで整備室で検査が行われていた。

 出た結果は『異常なし』。そうすると白式は所有者である一夏に返却される訳で、気がつけばその役目を任せられていた千冬であった。

 早口でまくしたてて過ぎ去ったメガネの後輩の姿を思い出す。恐らく千冬が公私を混同しない為に一夏の見舞いを自粛している、そう思われていたのだろう。

 そこで、一つの事が浮かぶ。

 検査の結果一夏の身体に大きな異常はなく、ただ眠っているだけと診断された。だが、これまで目を覚ます兆候は無かった筈だ。それが千冬が来た途端に――白式が戻った(・・・・・・)途端に、あっさりと目を覚ました。

(…………まさか、な)

 浮かんだ考えが余りにも馬鹿らしくて首を振る。

 確かにISが操縦者の意識に影響を及ぼす事はある。だがそれはあくまで緊急時――特に操縦者に危険が迫った時に限定されている筈だ。常日頃から深いレベルで繋がっている訳ではないし、それにしたってISを離された程度で意識を失う等異常過ぎる。

「考えてみりゃあ、丁度よかったかもしんないぜー、千冬さん。ありゃ『織斑一夏』が使う分には何の問題も無いわけだしさ」

「どういう事だ?」

 一夏の声は普段よりも明るい筈なのに、何故だか千冬の脳裏を嫌な感覚が走り抜けていく。

 正座を崩して胡座になって、両腕を頭の後ろで組んだ一夏はにへらと笑う。

 

「一回、塩と砂糖間違えて甘ったるーい玉子焼き作った事あるでしょ『織斑一夏』のやつ。そんでそれが悔しかったのか、千冬さんが美味いって言うまで毎回玉子焼き作った」

 

 それは、今の一夏が絶対に知らない過去の思い出だった。

 知る事が出来ないはずの出来事だった。

 この時、織斑千冬はどういう顔をしていたのだろう。

 どういう顔をすれば良かったのだろう。

 ただ息が詰まって、言葉が咄嗟に出てこなかった。

「まさか『一夏』が…………戻り、始めている、のか?」

「たぶん。まー俺の感覚での話だけどね。ちらちら脳裏に、俺じゃない方の記憶が出てきてる。時間がどんだけかかんのかは俺にもわかんねーや」

「――――そうか」

 けたけたけたと、その笑い声が酷く耳障りだった。

 そしてそんな素っ気のない返事しか言葉に出来ない自分が酷く苛立つ。もっと言いたい事がある筈なのに。

「だーかーらー。そんな顔しなくていいんだって、普通に素直に喜びなよう千冬ちゃん。元から俺が居るのがおかしいんだからさあ。元に戻るってだけじゃんか」

 

 誰のせいで――そう素直に思えないのは、一体誰のせいだと――コイ、ツは――、お前が、そう素直に思えなくした癖に――

 

「つまり散々迷惑をかけておいて、そっちの都合でいきなり消えると?」

「それ言われると辛いなあ。まー世話になった分は、返したいと思ってるし。時間ギリギリまで粘るつもりだけどさ」

 内面が燃え盛っていようとも、外面への出力はあくまで冷淡に。織斑千冬が積んだ戦士としての感覚が、勝手にそうさせる。

「そんな訳でこれから先は、例えじゃなくて本当にぱっと消えるかも――」

「それは許さん」

「……えぇー、いやそこは許して下さいよ。その辺どうこう出来るならとっくにしてるんだからさあ」

「勝手に消えるのは、私は許さんぞ。もし最後が来たのなら、言ってから行け」

「か、かつて無いほどの無茶振りが来た……」

「ほう。六年近く迷惑をかけた相手に何の挨拶も無しか。その位の礼儀は、持ち合わせていると思っていたが――私の見込み違いだったか?」

 天井を仰いで、唸って、頭をぐしゃぐしゃに掻き乱して、しばらくそんな事を続けていた一夏が息を大きく吐いてから吸い込んだ。

 

「…………わかったよ。約束する、ちゃんとそん時は言うから。迷惑かけた分、返せなかった分はちゃんと謝るから」

 

 うむ。と千冬は頷いた。

 本当は、謝ってほしいのではない。もっと別の言葉が欲しい。もっと別の言葉を言いたい。

 けど言ってしまえば互いの枷になってしまう。その負い目を跳ね除けてしまえる勢いは、年月と共に不要だと切り捨ててしまった。

「じゃあ、はい」

「……何だその指は」

「指切りしましょう。へいかもーん」

 

 ――スパァンッ!!

 

「おーう……視界が揺れる……っ! でも何かの形で示しとかないとさあ。俺馬鹿だから忘れちゃうかもしれないなー。約束守れないかもしんないなー」

 頭をぐらんぐらん揺らしつつもにやにやと笑う一夏に思わず頬が、引き攣った。鏡を見ずとも理解できる。千冬は今さぞ威圧的な表情をしている事だろう。

 小指を差し出す一夏の顔からは――ほらほら出来るもんならやってご覧――そんな意思がひしひしと伝わってくる。

 頭を張り飛ばしたい欲求を堪えて、怒りに震えながらも千冬は何とか己が腕を動かした。ただ震えの中には別種の感情も混ざっている。

「…………」

「何だ」

「まさか本当にやるとは思わんかっいえ何でもないです何でもありません!!」

 このまま小指を引き千切ってやろうかと思った。

「ゆーびーきりーげんまーん……ほら千冬さんも言わないと」

「…………………………ゆびきり、げんまん」

「声が小さーい! 喋るときははっきり相手に聞こえるようにって教えてるのは誰でしたっけかー!?」

「――――ゆーびきーりげんまーん」

「ひぃ怖、低っ、声低っ!?」

 

 

 ”ゆーびきーった”

 

 

 

 ▽▼▽

 

 

「…………約束、守れるかな。守りたいな」

 

 意識は戻ったが今日はこのまま医務室に泊まる事になった。寮に戻ったらまた騒ぎになりそうなので、この配慮は正直有難い。

 夜闇の降りた部屋の中、上げた右手の先にはガントレット――俺のIS、白式がある。大多数の白の中に少量の黒を混じらせた機体だ。

 白という正統(ほんもの)の存在に黒が不純物(にせもの)のように混じっている。そして不可視の確認できない”あやふや”な足場に立つ。

 フィッティングは搭乗者の特性に合わせて機体を変化させると知っていたが、よくもまあここまで俺の状態を正確に反映させたものである。

 

 ――力を得た。

 

 あいつの言葉が本気だったかどうかはわからない。どれだけ時間がかかるのかもわからない。もしかしたら世界はそんなに変わらないのかもしれない。そもそも俺の時間が足りるのかもわからない。

 でも俺には向かうべき目標があって、そして走りたいという欲求があった。だから駆け抜けよう。最後まで、俺が『俺』で在り続けるために。

「なあ白式、悪いが滅茶苦茶アテにするぞ。機能の総てで俺に付き合ってくれ」

【はい】

「ようし良い返事だ………………あれっ」

 いや一生懸命だったんだよ試合の時は。本当余計な事考えてる暇無かったんだよ。

 だから本当今気付いたっていうか、今はじめて意識したんだよ本当に。

 誰かとナチュラルに、会話してる事に。

「えーっと。今更だけど、どちらさん?」

【《白式》という機体に搭載された人工知能です】

 無機質な固い声。機械じみたという言葉がとても似合いそうな、どこまでも平らで淡々とした声。抑揚の欠片も、感情の欠片も感じられない”音声”。

 

【私は貴方の全てを肯定(・・)するために搭載されています】

 


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