「私は……」
商人のオッサンが再び口を開いたのは、透明でいられる残り時間を気にして焦れ始めた頃のこと。
(良かった……)
口の動きに注視していた為、もし呪文による透明化を無視出来る第三者がこの光景を見ていたとしたら、俺はオッサンの入浴を覗き続けていたように見えたかも知れない。ともあれ、努力は報われたのだ。
「旦那ぁ、旦那ぁぁっ」
おや、報われるのだと思っていた。後ろから野太い声が近づいて来るまでは。
(っ、エリザの話にあったごろつきだろうな)
使用人なら旦那様と呼ぶだろうし、エリザを助けたふりをして忌まわしき品を押しつけたと言う男とも思えず。
「何ですか、騒々しい」
後方の声が聞こえたのか、オッサンも声を発す。このままだと挟み打ちされる形になるし、透明になっているからこそこちらに気づかず後方の声の主がぶつかってくる危険性もある。
(……ついてないなぁ。もう少しで何か聞けたかも知れないのに)
今から全速力で宿に戻っても所要時間は簡単な偵察にかけるような時間ではなくなっていると思う。
(シャルロット達にもなんていい訳をしよう)
オッサンの入浴シーンを見ていて遅くなったと馬鹿正直に言える筈もない。
(いや、言い方を工夫して嘘も交えれば良いかもしれないんだけどさ)
俺が耳にしたのは、入浴中の独り言なのだ。もし、あのオッサンが改心したりしてシャルロット達と言葉を交わすようなことになった時、「ちゃんと傍聴してましたよ」とさっきの独り言の話をシャルロット達にしていた場合、嘘がバレる危険性もある。
(かと言って、鍵開けに手間取ったとか、侵入に手こずらされたことにすると、師匠の威厳とか対面に傷が付くし)
いっそのこと、ごろつきをやりすごして二人の話を盗み聞きするか。
(偵察が長引いちゃったのは今更だもんな)
遅くなった上、成果が「元バニーさんのおじさまであることがわかった」だけよりも、少しでも有益な情報を手に入れて埋め合わせしてから帰った方が体裁は保てる。
(まぁ、これでこの連中が話す内容がこっちの知りたいこととはまるで関係ない話だったということだってあり得るんだけどね)
だから、残るとしても賭だ。
(どちらにしても、やるべきことが一つ)
俺は衝立から音を立てないように遠ざかると呪文を唱える。
「レムオル」
逃げるなら後ろから来る声の主に見つからない為に、盗み聞きを続けるなら、オッサンと声の主の双方から見つからない為に、呪文のかけ直しは必須だった。
(さてと、とりあえずはこれで良い。後は立ち去るか留まるか、かぁ)
入浴中の主の元まで出向いてくるぐらいだ、あちらにとっての緊急事態だったとしてもおかしくはない。
(と言うか、この流れで他の展開の方があり得ないよな)
だから、ごろつきが「旦那ぁ、寂しかったぁ」とか言ってオッサンに抱きつく光景なんて俺は見ていない。
「ははは、相変わらず寂しがり屋だね、お前は。……だけど、そこがお前の良いところでもあるんだが」
「もぉ、旦那ったらぁ。ぷんぷん」
なのに、なぜ げんちょう が きこえるん だろう。
(誰だ、誰が俺にメダパニをかけたんですか?)
思わず自問するも答えはなく。
「さてと、こんな所で良いでしょう」
変わりに耳にしたのは、トーンが変わったオッサンの声。
「おう、やっと終わりか。ああ、気持ち悪ぃ」
「まぁ、そう言わないで下さいよ。きついのはこっちも同じなのですから……昨日の女性、偽物だったのでしょう?」
「あ、ああ。旦那とやりあった姉ちゃんの方は、もう一人と何の面識もねぇって話だ。おまけに、もう一人の姉ちゃんはここから消えてやがる。ネズミに注意した方が良いって旦那の言うことは尤もだと思うけどよぉ」
とんでもない爆弾発言だった。
(なっ)
交わされるやりとりに、さっきとは別の理由から、俺は平静さを失いかけた。
(偽物と気づかれた? こんなに早く)
よくよく考えると、頑なに返品を要求した相手だ、このオッサンが調べようとするのも不思議はない。ただ、一日であっさりバレるというのは想定外すぎた、だが。
「仕方ありませんよ。昨日返品を要求してきた筈の女性は、返品交渉をした覚えがないと言うのでしょう? となると、あの女性がとぼけているのか、誰かが姿を変えていたかということになります。前者ならともかく、後者だった場合、お前に化けて私の前に現れることも考えられますからね」
「姿を変える? 本当にそんなことが出来んのか?」
「ええ、魔法使いの高位呪文に一つ。そして、サマンオサには使用者の姿を変える変化の杖なるものがあるとも聞きます」
驚くのは、早すぎた。
(ちょっ)
なんで もしゃす の こと まで しってんですか この おっさん。
(ん? そう言えばこのオッサン、大灯台の鉄格子を開けてアリアハンに来たって言ってたよな)
元バニーさんの話を思い出した俺の脳裏に一つの呪文が思い浮かんだ。
(まさか、アバカムを――)
使うことが出来るとすれば、アリアハンに来られたことにも説明がつく。
(けど、それって高レベルの魔法使いか魔法使いの経験があるってことになるんだけど)
化けていたことを見抜かれたどころ話ではない。気づけば手の中が嫌な汗で湿っていた。
むしろ変態は商人のオッサンだったと見せかけて、そこからおじさまが高レベル魔法使いだった可能性が浮上。
次回、第三百二十七話「衝撃の真実」