強くて逃亡者   作:闇谷 紅

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第三百十一話「きっと己との戦い」

 

「えっと……お、お師匠様、いいですか?」

 

「あ、ああ」

 

 なんとか間に合った、と言ったところか。シャルロットの声に俺が応じた時、身体の前半分はほぼ洗い終わっていた。

 

(後は背中を流すだけ……大丈夫だ)

 

 自分に言い聞かせつつも、油断はしない。

 

「床は濡れている。転ばないように気をつけろよ」

 

 着地の失敗のお詫びという形で背中を流そうとするシャルロットに言うと取り方によっては嫌味になるが、フンドシ一丁である今の俺は一人部屋に居た時より守備力が低い。

 

(シャルロットが転んだりでもしようモノならまず間違いなくロクでもない事態になるよね)

 

 そう言う願望があるからではなく、これまでのピンチを鑑みると事故か事件になるとしか思えなかった。だから釘を刺さざるを得なかったのだ。

 

(とはいえ……)

 

 ただし、釘を刺しても油断はしない。

 

「あ、ありがとうございます。けど、ボクは大丈夫で――」

 

 シャルロットの返事を聞きながら風呂用の椅子から腰を浮かせ、密かにいつでも動ける態勢を作る。

 

(ベタな漫画なんかだと、大丈夫と言いつつコケたりするのはお約束)

 

 創作と現実を一緒にするなどナンセンスだが、今日のことを振り返ると想像する最悪が現実になる気がどうしてもしてしまうのだ。

 

「きゃあっ」

 

 直後に足を滑らせたシャルロットが悲鳴をあげて倒れ込んでくるイメージ。

 

「シャルロット!」

 

 倒れ込んでくる弟子を助けようと俺が立ち上がろうとするイメージ。

 

(で、うっかりとんでもないところを触ってしまうか、巻き込まれてこっちも転び、折り重なって床に倒れ込む、と)

 

 どこの漫画だよとツッコミが入るかも知れないが、風呂場で転んだだけなら、経験したことがある。

 

(かなり痛かったからなぁ)

 

 俺としては別の意味でも警戒せざるを得ない訳だが。

 

「ど、どうしました、お師匠様?」

 

「あ……いや、何でもない」

 

 そう言うハプニングは身構えるとかえって起きないモノでもある。シャルロットに呼びかけられて我に返った俺は内心で杞憂に終わってしまったことを安堵しつつ、視線を逸らした。

 

(良かったぁ……まともだ)

 

 裸でも肌色面積の限界に挑戦する為にのみ存在が許されたようなギリギリの水着姿でもない、ごく普通の水着。

 

(これなら……耐えられる)

 

 俺の社会的な立場だけでなくシャルロットの中のお師匠様像を壊さない為にも、醜態はさらせない。動揺するのも避けたい。そう思っている俺にとって、シャルロットが無難な姿で来てくれたことはどれだけありがたいか。

 

(っと、いけないいけない……隙は安心した時にこそ生じるよな)

 

 ただ、油断は禁物でもある。

 

(一見無難な流れに見えて、あの駄蛇にロクでもないことを吹き込まれてるかもしれない)

 

 あの魔物が厄介なのは、人の姿になれることでも元バラモスの部下であることでもなく、せくしーぎゃるであることだと俺は思う。

 

(性格がああなってしまってるだけでもやばいってのに)

 

 相手は魔物、人間の倫理観や恥じらい良識、常識、その他諸々を理解しているかと言う面で非情に怪しい。

 

(本来の姿では服も着ない、人とはかけ離れた生活前提の常識を土台にした話を吹き込まれでもしていたら……)

 

 ゲームでの話になるが、女勇者は母親に勇敢な男の子として育てられていたような気がする。

 

(あの通りなら、普通の女の子が知ってるようなことも知らない可能性があるよなぁ)

 

 そこに現れた、人外の痴女。灰色生き物が仲間になるまでは二人きりだった訳だ。

 

(同性だからと相談を持ちかけて、変なことを吹き込ま……ん?)

 

 そこまで考え、俺はデジャヴを感じた。

 

(そうか、イシスだ。シャルロットと合流した後、シャルロット本人に尋ねたような……)

 

 忘れていたのは、ピンチの連続でそれどころではなかったからだろうか。

 

(って、あれ? イシスで俺……聞いたっけ?)

 

 あのおろちに何を吹き込まれたかが気になり、シャルロットに質問をぶつけはした、ただそれがいつの間にか性格を変える本をあの駄蛇が燃やしやがりましたという話になり。

 

(うあぁぁああぁぁぁっ、肝心なこと聞いた覚えがないぃぃぃぃっ)

 

 おろちが俺の努力を台無しにしてくれたことにぶち切れて本来の目的を見失い、シャルロットとの話はそこで切り上げてしまった気がする。

 

(大丈夫か、今回は背中だけだし大丈夫だよな?)

 

 声には出さず、問いを発してみるが、当然のごとく、答えてくれる者はいない。さっきまで大丈夫だと思っていた、思いこもうとしていたのに、不安のと言う名の蛇が鎌首をもたげてきた。

 

(だいたい、いくらあのおろちだって、そうそう変なことを言うことなんて――)

 

 そして、脳裏に浮かぶのは、人の姿をとったおろちと会話するシャルロット。

 

「殿方の身体の洗い方かえ? わらわ達の腕はそう長くない。故にこうして身体や首を擦りつけたりしての……」

 

 やめろ、俺の想像力。と言うか駄蛇もモンスター時の話を人の姿でするんじゃNEEEEEEE。

 

「こ、こうですか?」

 

「ほっほっほ、なかなか上手いではないか。他にも舌を」

 

 だから、止めろって俺の想像力ぅぅぅぅっ。

 

(無いから、あり得ないから。身体を擦りつけたりのくだりで、シャルロットなら人間用じゃないって気づくよ)

 

 まったく、我ながら何を考えているやら。

 

(まぁ、それはそれとして……今度ジパングに行くことがあったら、おろちとはちょっとOHANASIが必要かもなぁ)

 

 将来マリクの嫁になり、竜の女王の息子の義母になる相手だ。蘇生呪文が必要になるようなことをするつもりはない、ないけれど。

 

(と言うか、よくよく考えてみたら他所様のお子さん預かることになるんだよな……更生させるのは必須かな)

 

 その辺りは夫になるのだからマリク主導で調きょ、指導してくれないかなとも思う。

 

(爬虫類好きな所意外はごく真っ当な人物だしきっとうまくやってくれ……あ)

 

 くれる、と胸中で言い切りたかったが、思い出したのはマリクの方がおろちに惚れているという事実。

 

(で、なぜか この たいみんぐ で だーま に がーたーべると が ひろまった のは こうえきもう の せいでも あること を おもいだした おれ が いるのです)

 

 とりあえず、金のネックレスだけはジパングへの輸出を禁止して貰おう。

 

「お、お師匠様、どうですか?」

 

「あ、ああ……悪くないと思うぞ?」

 

 いつの間にか背中を洗ってくれていたシャルロットへ応じつつ俺は密かに決めたのだった。

 




ちょっと卑猥な表現になりそうだったので、色々脚色して主人公の妄想ということにしてみました。

しかし、主人公は誰と戦っているのやら。

次回、第三百十二話「で、このまま一件落着だと思っていたのか?」

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