「あの」
いつまでもおばあさんを待たせておく訳にもいかない。悩みに悩んだ後、ボクは意を決して窓の外へ声をかけた。
「決まったかの?」
「……はい。少し迷いましたけど」
このまま一人で居ても何も出来ない気がしたのだ。
「じゃったら、話すとよい」
「……どこから話して、何処まで話すかも悩んだんですけど」
ボクの態度か向けた視線か、返事を先読みして促してくるおばあさんへ、そう前置きしてボクは語り始める。恐ろしく察しの良いこのおばあさんにはぼかして伝えても無駄かもしれないけれど、だからといってあの思い出したくない部分を正直に話すことは絶対に無理だった。
「成る程、抱きつこうとして……まぁ、それはある意味負荷抗力じゃろうて」
「えっ」
驚くボクの前で、遠い目をしたおばあさんは語る。わしも昔、同じ事をやらかしたのじゃよ、と。
「ホレ、このようにわしも箒に乗っておるじゃろ? 箒から飛び降りて抱きつこうとしたら目測を誤ってのぅ」
「……おばあさん」
「じゃから、お主の抱えとるモンは、昔このおばばが抱えたモノと同じじゃ」
この時、おばあさんがもし窓の外にいなかったら抱きついていたと思う。こんな所で、思いを分かち合える
「おばあさんっ」
「おお、泣くでない、泣くでない」
「泣いてなんか……ぅ」
反射的に否定はしたけれど、視界は滲んでいて、窓の留め具が上手く弄れない。窓を開けるまでにやたら時間がかかった。
「落ち着いたようじゃな?」
「……ごめんなさい」
ボクがおばあさんに謝ったのは、おばあさんを迎え入れて暫くした後のこと。
「おばあさんの服……」
「よいよい、もう夜じゃし、帰ったら着替えるつもりでおったからのぅ」
声を上げてしまったら、お師匠様やサラ達にも丸聞こえになる。声だけは殺して、それでも溢れ出てくる涙は止められなくて、結果がおばあさんの濡れた服だというのに、ひぇっひぇっひぇっと笑って許してくれる。
「しかし、声をかけて正解じゃたわ。お主の抱えたモノならば、このおばばにも助言は出来る。何せ、昔の自分そのものじゃ」
「えっ、じゃあボクもいつか箒に?」
年をとったら、というのはちょっと失礼な気がしたから自重した。
「……そこはボケんでよい」
ボケたつもりはないんだけど。
「むぅ、天然かのぅ。まあよい……早い話が、お主は自分のお師匠様にどんな顔で会えばいいか解らん、心配なのに直接会いに行って看病する踏ん切りが付かぬと言うことなのじゃろう?」
「っ」
また見透かされた、と思って硬直してから、それはないと思い直す。このおばあさんは、昔の自分そのものと言っていた。なら、全ては、おばあさん自身が既に経験していたことなのだろう。
「そうじゃな、じゃったら、これを使うと良い。この『きえさりそう』を」
「きえさりそう?」
その名には覚えがあった。お師匠様がバラモスの城に乗り込む為に苦労して手に入れたと話して下さった気がする。
「ほぅ、その様子じゃと効果は知っておるようじゃな」
「はい。使うと透明になれる……んですよね?」
そのお陰で、少しだけ救われたから忘れるはずがない。人前で、しかも男の人の前で服を脱ごうとしただなんて、忘れてしまいたい記憶ではあったけれど。
「うむ。顔を合わせづらいなら、最初から顔を見せなければ良いのじゃよ。ただし、この草の効き目はあまり長くない。こういう言い方はいかんのじゃろうが、都合の良いことにお主のお師匠様はまだ目を覚まして居らんじゃろ?」
ならば、お師匠様が目覚めそうになった時に、そのきえさりそうを使えばよいとおばあさんは言う。
「消えている間に心の準備をするも良し、この部屋まで逃げてくるも良し」
「おばあさん、ありがとうございます」
「ひぇっひぇっひぇっ、あの時きえさりそうがあったなら、そう思って以来、常備していたのがこんな所で役に立つとはのぅ」
頭を下げるボクへおばあさんは微笑むと、すぐにきえさりそうの使い方を教えてくれた、ただ。
「……あれ? おまじないみたいなのは要らないんですか?」
お師匠様は、使う時何か言っていたと思ったのだけれど。
「へぇ、おまじないとな?」
「はい。……レオムル、だったかな?」
「よくわからぬが、そう言うモノは要らぬ。何かの聞き違いではないのかえ?」
「うーん」
おばあさんも解らないようで、かといってこれを使う目的を考えるとお師匠様にも聞き辛い。
「とにかく、きえさりそうについての説明はそれぐらいじゃ。だいたい、のんびりしておるとお主のお師匠様が起きてしまうじゃろ」
「あ」
「行くが良い。ただしこのおばばが窓の外に出た後、窓を施錠した後でのぅ」
「ありがとうございます」
言われて気づいたボクの前でひぇっひぇっひぇっと笑ったおばあさんに、もう一度お礼を言って送り出してから言われたとおり窓を閉めて鍵をかけ。
「行ってきます、おばあさん」
窓の外を遠ざかって行く人影に告げてから、ボクは隣の部屋に向かった。
(……お師匠様、まだ)
そっと戸を開けて忍び込んだ隣の部屋は静かだった。お師匠様は目を閉じたまま、ベッドに横になっていて、脇のテーブルには薬草や水差しが置かれている。
(ごめんなさい)
声には出せない。出せなかった。ただ、それでもできることはあったから。
「ホイミ」
出来るだけ小さな声で、お師匠様が目を覚まされるんじゃないかってビクビクしながら呪文を唱え、恐る恐る手を握る。
(ごめんなさい、お師匠様)
少しだけ、気が楽になったような気がした。けれど、このままずっとそこに居るのがいけないと言うことも解っていた。
「すみません、ご主人様……」
(えっ)
解っていたはずなのに。気づくと、外からミリーの声とドアをノックする音がして、ボクは固まった。
(ああっ、ボクの馬鹿)
お師匠様のことが心配なのはボクだけじゃないはずなのに、失念しているなんて迂闊としか言いようがなかった。
(きえさりそう、使わないと)
よくわからないけど、ドラゴンの上のこともあってかこんな状況じゃミリーとは顔を合わせづらくて、きえさりそうを使い、ボクは入れ違いに部屋を出ようとお師匠様の手を離す。
(確か、まずこうして――)
両手が自由になったボクは焦りを抑えつけながら教わった通りきえさりそうを粉にして自分へ振りかける。
(良かった、間に合った。後はミリーがドアを開けるのに合わせて)
外へ出るだけ。
「そ、その……失礼します」
待っていた瞬間は、すぐに来た。
「う……」
(っ)
しかし、背後であがった呻き声にボクの足は思わず固まり。
「ご主人様? 気が、気が付かれました?」
(わわっ)
透明のボク越しにお師匠様を見たミリーが駆け寄ろうとするのをかろうじて避けられたのは、日頃の訓練の成果だと思う。
「良かった。……ほ、他の方に伝えてきます」
(あ……あーっ)
ただ、一言二言話したらしいミリーがくるりと踵を返して出て行ってしまうのに反応出来なかったのは、失敗だった。ボクの目の前で、ドアは無情にも閉まり。
(どうしよう、ここでドアを開けて出ていったら、起き開けのお師匠様だって絶対気が付)
頭を抱えたくなりつつ、ちらりとお師匠様の方を見やった直後、ボクは凍り付いた。
「ええと、下着は……確か、鞄の中に」
この状況で下着に言及するのだから何をしようとしているかはボクでもわかった。お師匠様は着替えようとなされていたのだ。
構想段階では、もっといかがわしい薬とかあげようとするシーンあったんですけどね。
まほうおばばと言えば、きえさりそうでしょう?
問題は、シャルロット側にラッキースケベ(?)が発生した点。
次回、第二百五十三話「シャル得」
次回は着替えシーンから始まる(予定だ)よー?
ホワイトデーにちなんで下着の色は白です。(キリッ)
ただし、読者サービスにはならない気がする。