佐々木の鎮守府には司令室に据えられた応接セットとは別に、独立した応接室がある。
広さ自体はせいぜい八畳程度であるが、あらゆる来客を想定されているため、そこにある調度品は上品なもので統一され、内装もまた控えめながら上質な雰囲気を演出されていた。
床に敷き詰められた絨毯は毛足の長い紅色の物で、そこに設置されているソファは、司令室に置かれている物よりも遥かに豪華だ。
光沢のある木目のローテーブルを挟み、茶色の柔らかな革であつらえた三人掛けと二人掛けのソファ。
そして今、この部屋には三人の人間がいる。二人はソファに座り対面しているが、片方の人間の傍らに立つものが、何とも不思議な緊張感を醸し出している。
座っている人間の片方はこの鎮守府の司令である佐々木。
そして向かい側に座るのが、大本営海軍部に所属する、この方面担当の連絡管の女性である。
彼女の名前は佐藤某という名がしっかりとあるのだが、互いに「司令官」「連絡管さん」としか呼び合わないため、気が付くとお互いに名前についての認識は消えていた。
もちろん本人たちはそれに違和感など持ち合わせてなどいないのだが。
この構図は鎮守府の行う活動の性質上、とくに違和感のあるものではないのだが、佐々木司令の傍らに立つ女性――――重巡洋艦であり現在は佐々木の秘書艦を務めている愛宕が、まるで子猫を庇う親猫のごとき物騒な視線で、管理官を睨みつけているのだ。
「あ、愛宕さん……? 管理官さんも驚いてるから、ね? わ、私が話すから少し外してくれないかなァ……」
ここにいる人間の中で、つい最近まで普通の一般人だった佐々木が、この雰囲気に耐えきれず口を開いたのだが……。
――――じろり。
愛宕の鋭い一瞥で、あっと言う間に日和った。
司令官としては何とも情けないものであるが、彼はつい最近までただの一般人なのだ。
前世の記憶とはいえ、数々の修羅場を潜ったであろう愛宕の睨みに勝てる法などあるわけもない。
そんな愛宕は「……ふう」とため息を一つ付き、そして漸く口を開いた。
「……そうですか。では提督、私はこれで失礼しますわぁ。でも”何か”ありましたら、すぐに! ……私を呼んでくださいね?」
「わ、わかった……」
愛宕はそう言うと、もう一度管理官の女性をにらみつけ、「ふんっ」と鼻を鳴らすとそのまま部屋から出ていくのだった。
後に残されたのは、なんとも気まずい空気。
向かい合う佐々木と管理官は、どちらともなく閉じた扉を見るとほっと溜息をつくのだった。
とはいえ彼女もここへ遊びに来たわけでもない。その為彼女は少し咳払いをし、佐々木へと空気を戻す自己主張をするのであった。
「あー……何というか申し訳ありません。彼女も悪気があるわけではないので。それはそれとして、今日はどのような用向きで? 遠征に関しての報告は滞りなく挙がってるかと思いますが」
佐々木はどこか探るような眼差しで彼女を見たが、それに対して彼女は意味ありげににやりと笑い、佐々木を緊張させる。
「司令官、それほど構えなくても大丈夫ですよ。確かに今回私が派遣された理由は、海軍部の将軍閣下の肝いりに因ってですが、あくまでもそれは形式的なものに過ぎないのですから」
「なるほど、形式的ですか……。つまりそれは、色々もう分かってらっしゃるという事ですね」
「つまりはそういう事です。だからこそ、書類に残らない所での事情聴取をしたいと閣下はお望みなのです」
管理官の言葉に滲むのは、海軍部が既に大和たちがここにいる事を知っているというものだと佐々木は読み取った。それは事情聴取を記録に残さないという発言があるからだ。
つまりそれは、大和たちが存在すること自体が、海軍部側にとって何か都合が悪いことがあるという事になる。
それが面子の問題なのか、または別の問題を孕んでいるのかは現時点で佐々木には判断が付かない事であろうが。
そして彼女の言葉に佐々木は二、三度頷くことで返事をすると、ソファの背もたれに深く背中を預けて黙り込んだ。それは考えを整理する時間が欲しかったからだ。
管理官にもそれが伝わったようで、愛宕が運んできたすこし冷めてしまった紅茶を飲むためにティーカップを手に取り、佐々木から視線を外す。
佐々木はその気遣いに感謝し、考えをまとめることに専念することにした。
彼が思うことはそれほど多くは無い。
ひょんな事からここへやってきた大和と五十鈴。
結局のところ彼女達の処遇をどうするかしかないのだから。
先ほどの愛宕の不機嫌さの理由もここにある。
あの日、大和たちがここへ流れ着いた時の様子は、荒事に慣れている暁たちとて目を覆いたくなるような惨状であったと言える。
いやむしろ、艦娘たちの生き様を彼女達だからこそ、あの状況は異常であったと感じたし、その後になって大和たち自身の口から聞かされた経緯が明らかになると、なおさらにその思いは増したのだ。
元々の出自が一般人でしかなかった佐々木とて、あの凄惨な様はおかしいと感じた。
佐々木が今日まで己の艦娘たちと鎮守府を運営してきた中で、彼は艦娘の成り立ちや生きる意味など、彼女達の本質にかかわる話を色々と聞いていた。
それは兵器であるが人間でもある彼女達と向き合うためには、その思想を知らなければ軋轢しか生まないだろうと考えたからだ。
生まれ、育ち、生き方を選び、やがて死んでいく。それが人間だ。その過程に個人差はあれど、誰しもがスタートとゴールはおおむね一緒だ。
しかし艦娘は人間的な感情を持ちながらも、深海棲艦と戦うこと刷り込まれているという所が人間の違いだ。そしてそれは両者の間に決定的な溝を隔てていると言っても過言ではないだろう。
それは極論ではあるが、死ぬ事を目的としているとも言えるからだ。つまりはその一点があるからこそ、人間が使い、彼女達は使われるという構図が成立してしまうのだ。
それは言うなれば絶対に対等になりえないという証拠でもあろう。
ただ佐々木と言う素人はある意味異端だ。なぜなら彼はこの世界の生まれではないのだ。そもそも艦娘と言う存在自体が彼にとって非常識でしかない。
彼以外の人間にとって艦娘とは、一般人には人間の守役であり、一部の人間にとっては体のいい道具だ。だが佐々木にとっての艦娘はファンタジーそのものという風に見えた。それはもちろん出会って間もない頃の話であるが。
だからこそ佐々木はその生まれもあり、何とか彼女達を同列見たいと考えた。
その為には知るしかない。艦娘一人ひとりに個性があり感情があるというのなら、暁が、あるいは響が、いったい何を考え、何を思い、何を望むのか。その全てを知ったうえで、何が出来て何が出来ないのか判断しようと佐々木は対話を続けたのだ。
そして彼が至った結論は「よくわからない」であった。
いくら考えたところで艦娘という存在は、彼にはただの人間以外の何者にも思えなかったのだ。
兵器であると言うのは彼女達自身の言葉だ。けれども佐々木は思う。
なら深海棲艦が根絶された後は? 彼女達はもう用済みだと解体されるのだろうか。
もしくは過去の歴史のように、ただ便利だっただけの道具が人間同士の殺し合いの道具へと転化されるのだろうか?
どちらにしても佐々木にしてみれば受け入れがたい物だという結論だった。
そこで彼は決意したのだ。
色々考えうる事はあるが、大前提として私は彼女達を自分と同じと扱う。
それに異を唱える者は多いだろう。当事者たる艦娘の中でも拒否する者もいるだろう。
それがどうした。私は私が思う未来を手に入れるために、拒否する者とも対話を繰り返そう、と。
そう考えた彼であったが、言うなればそれは自分の我が通らぬなら通すまで突き通すという単純な物だ。それはひどくエゴイスティックな物だろうが、自分の意志が揺らいでいる時点で誰にも共感をしてもらえないのも真実だ。
佐々木がここへやってきてからの目まぐるしい変化がある日常の中で、彼もまた日々変化をした結果がこれだった。
少なくともそれは、彼の艦娘たちには浸透していった。
愛宕や木曾のように彼のこれだけでは無い真意を知る者は、積極的にそれを受け入れ、暁たち駆逐艦は彼に父親の様な父性を求めた。島風は誰からも一定の距離を保ち続けるが、その視線の先には必ず佐々木がいる。そして何より、この鎮守府のある村の面々が彼を好意的に受け入れていた。
そして今回の大和の件で、佐々木の想いと彼の艦娘たちの想いは完全に一致した。
佐々木の表に出さない真意と、艦娘の同胞を守りたい想いと、その方向性は全く一緒ではなかったにせよ、大和たちをここへ置くのだという結論は一致したのだ。
だからこその愛宕の態度であったのであるが、その彼女のむき出しの敵意に佐々木は内心苦笑いをしてしまったが、彼は彼でこの状況を打破するため、自分は努めて冷静でいなければと己を戒めるのだった。なぜなら自分は彼女達の司令官なのだ――――その想いが彼をただの素人から責任者の顔へと引き締める。
「将軍閣下のお察しの通り、大和と五十鈴という艦娘はここにいます」
佐々木は沈黙を破るときっぱりとそう言った。
管理官は既に出された紅茶を飲み終え、静かに佐々木を見ている。
彼女は佐々木の言葉に何か言おうとするが、彼がそれを遮るように言葉をつづけた。
「それについて報告することは吝かでは無いのですが、その前にひとつ、聞かせてください。現在の大和たちの立場はどういう物なのでしょうか? 質問を返すようで恐縮なのですが……」
佐々木は現在の政府の立場を知るためにこの質問を投げかけた。
彼が思う国という集合は、いつだって面子という物を大切にする。
それが良いか悪いかという話ではなく、現実としてそういう側面はあるだろう。
これが国と言う大きなコロニーからすこし尺度を下げ、例えば自治体であったり会社などに目を向けてみてもやはり同様であろう。
そこから懸念されるのは、その面子のために大和たちが処分されないかという事柄だ。
しかし現在の佐々木の立場は、ある方面の防衛をつかさどる鎮守府の司令だとはいえ、実際は雇われ社長のようなもので、上ににらまれれば即解任なども考えられるのが現状だ。
そういう立場から佐々木がどんな主張をしたところで、それを叶える力が無いのだ。
とはいえ、それを実際に受け入れるかどうかはまた別の話にしても。
そんな彼の懸念を含んだ言葉に、彼女はやけにあっさりと内情を話し始めた。
その表情になんの裏も感じられなかった佐々木は内心驚く。
「そうですね、はっきり言ってしまえば席自体外れていると言ってもいいでしょう。あの作戦の後、本部に戻った少ない艦娘からはっきりと大和以下第一艦隊はすべて轟沈をしたと報告があがっていますし」
「なるほど、轟沈……ですか。では私からの報告としては――――
彼女の言葉に佐々木は一先ず安堵すると、今回の経緯と現在の状況について包み隠さずに話すことを選択した。
あの日、大和たちがこの鎮守府に流れ着いた際、この静かな鎮守府は蜂の巣を突いたような喧騒に包まれた。
それは流れ着いたのが例えば駆逐艦などであったならあそこまでの騒ぎにはならなかったろう。
しかし実際に轟沈寸前となって消えかかったのが大和となれば話は変わってくるのだ。
それはとりわけ大和型や長門型と呼ばれる戦艦が、彼女達艦娘の中で特別な存在だという事に由来する。
彼女達に存在する、遠い昔の記憶の中で、大和型や長門型はその国の象徴と言うだけでなく、当時の技術の粋を投入されて建造された別格の戦艦と言える。
とはいえ大和型である大和には、その機密性から国民の認知度は低く、単純な名声という意味では後世の人間の判断となってしまうのだが。
ともあれそういう背景は、当時の記憶を引き継いでいる艦娘たちにも畏怖の念を抱かせ、そして憧れへと繋がる。
そんな大和が轟沈するという事柄は、彼女達にとっては非常にショッキングだったのだ。
木曾と愛宕によって工廠まで曳航されてきた大和と五十鈴。
それは偶然、木曾と愛宕が堤防にいたからだ。もし彼女達がいなければ、大和たちが一命を取り留めることは叶わなかったかもしれないだろう。
その時木曾は堤防にいた佐々木ととある討論をしており、愛宕はその少し前に司令部に戻ろうと堤防淵を歩いていた。
その際に佐々木が偶然海に浮かぶ大和たちを発見し、無謀にも彼は潮の流れの速い港内と外海の境界付近に飛び込んだ。
感情の赴くまま飛び込んだ彼であったが、所詮人の身であるから、結局は大和たちを救助するには至らず、突然の出来事に呆然としていた木曾が慌てて飛び込むことで事なきを得た。
愛宕は既に司令部へと向かっていたが、佐々木の叫びを聞きつけると慌てて引き換えしてきた。
普段は温厚な佐々木が声を荒げる事は皆無なため、何か起こったかと彼女は慌てたのだ。
そこで騒ぎの正体を知った愛宕は、木曾との一瞬のアイコンタクトの後、それぞれ佐々木と大和たちと分担し救助した。
水を大量に飲んでしまった佐々木を木曾は背負い、大和と五十鈴は愛宕が曳航し工廠までやってきた。
しかし意識を取り戻した佐々木は、凄惨な状態である大和たちを見ると周囲の人間が驚くほどに取り乱し、まるで自分の娘の危機に瀕した様に必死になり大和たちを救助した。
結果、二人は命を取り留めたのだが、体力のあった大和は二日で動けるようになり、そしてこうなった顛末を佐々木たちに話すことが出来た。
しかし五十鈴は未だ部屋から出てくることすら出来ない。彼女の肉体的な消耗は既に治っていると言えるのだが、心の方の損傷は癒えてはいないのだ。
無謀な作戦。同胞を捨て駒のように扱う側に立った自分。断末魔の悲鳴。圧倒的優位に居たはずが、気が付けば四面楚歌となった狂った戦場。
轟沈寸の大和を曳航するという使命を己に課すことで、何とか保てた意識は、彼女が救助されたこと確認した途端、五十鈴の張りつめた精神を一気に緩めた。
そして安堵と共に意識を失ったが、目を覚ましてみて改めて彼女に襲い掛かったのが恐怖だ。
それは艦娘の使命を果たそうとする艦娘としての意識を上まり、感情に左右される脆い人間の意識を蝕んだのだ。
有体に言えばPTSDという物だろうと思われる。
五十鈴は恐怖以上に良心の呵責を無意識に感じているのだろう。
気がついて暫くは己の髪を掻きむしり奇声を発する。自傷行為に走るなど、誰かが傍にいなければ危険な様子であった。
それを過ぎると海に対し過剰な反応を示すようになり、結果部屋から出る事が出来なくなった。
今は交代で誰かしらが五十鈴の傍で世話をしている。
逆に大和はその気丈にふるまいつつも痛々しい姿を見せた。
戦艦の中でも相当上位に位置する大和であるから、元々の肉体は丈夫だったのだろう。
そのおかげか復活は早かったが、佐々木に事情を説明しながら、どこか周りに自分を責める事を求めるような卑屈な言動が目立ったのだ。
あの海軍部が本腰になって遂行された一大作戦の現場での責任者として第一艦隊旗艦を務めた彼女は、己の責任でこうなった。もっと適切な指示が出来たならあたらかよわき艦娘たちを死なせずに済んだのだと繰り返し発言した。
それは事の次第がはっきりすればするほど、大和が己を罰したいのだと望んでいる事が佐々木たちに伝わった。
もちろん佐々木がそれをすることは筋違いであるし、彼の艦娘たちとて同様だ。
本来は海軍部所属の戦艦である大和に、佐々木がどうにかできる権限など無い。
しかし佐々木は今日まで大和の好きに行動させることを許していた。
それは大和の言動が周囲に暗い影響を与えたとしても、彼女の意識の糸がたゆんだ結果、巻き起こるだろう自体の方が深刻だと考えたからだ。
戦艦の中でも特別な大和型。それが自暴自棄に鎮守府で暴れでもしたら佐々木たちに成すすべなど無いのだから。
こうして佐々木はそれら今日までの顛末を、管理官に包み隠さずに話したのだった。
それは彼の個人的な感情論を一切省いた、正確な報告に過ぎなかったのだが、その内容だけに部屋が薄暗くなる時分までの長い時間を要したのだった。
◇◆◆◇
「んー……、さすがに疲れたな」
未だ慣れない軍服の重さで肩が凝った。
それはまあ、昼から夕方になるまで堅苦しい話をしていたのだから仕方がない。
私は上着を脱いでハンガーに掛けると司令室のクローゼットにしまいこみ、シャツのボタンを上からみっつほどはずし、思い切り後ろに反るようにして伸びをした。
随分と長い時間座っていたから、血が下半身に溜まっていたのか、思わず立ち眩みがする。
とっくに管理官は帰ってしまったが、とりあえず私の思う最悪の結果だけは免れたようだ。
その代わりに面倒事を背負う羽目となったのだが。しかしまあ、我儘を通させて貰ったのだからそれも仕様のない話か。
ふと傍らの壁掛け時計に目をやる。
今はもう19時を過ぎたところだった。
……ヒトキュウマルマルとか言うのだったかな? どうにもその手の用語にもまだ慣れないな。
そう言えばすこし腹が減ったな。食堂に向かうか。
どうにも考えることが多すぎて、ここにいてはどうにも落ち着かないというのもあるが。
すこし腹に何か詰め込めば、もう少し頭の回転も早まるだろう、か。
そうして私は廊下へと続く扉を開けた。……開けたのだが。
「何をしているんだ? 島風。こんな暗い廊下で立っているなんて、驚かすんじゃないよ」
「……お兄さんを迎えに来たんだ。ご飯でもどうかなって」
何とも奇抜な衣装を好む島風だが、彼女はどうにも協調性というものが欠如しているようで、いつも一人でいる。
ただ何故か私を兄と呼び、周りに誰も居ないときに限るが、すこし饒舌になる処を見せてくれるのだ。
しかし今はどうにも様子が可笑しい。
なぜなら彼女が私を食事に誘う事など今まで無かったからだ。
どういうつもりだろうか?
「愛宕さんたちはどうした? 管理官を見送ってくれとお願いしていたのだが、まだここへは戻ってこないんだ」
「……何か話があるとか言って、あの大きい人の所に行った。他の人は知らない」
相変わらず愛想のない話し方だな。
とは言え、食事に誘われているのに別の話をした私が悪いか。
「大きい人……ああ、大和か。そうだ島風、大和が正式にうちの所属になるぞ。これでお前たちの負担も少しは減るだろうな」
「……どうでもいいよそんなこと。どうせもう止まる事なんてできないって」
胡乱気に話す島風のいつもと変わらぬ口調が、急に厳しい物へと変化し、私は思わずどきりとする。
彼女は時折こういった抽象的な発言をする。
今は暗がりの廊下でその表情が良く見えないから、余計に私の中の何かに響いた。
「……どういう意味だ?」
「…………知らない。食事は今度でいいや。じゃあね、お兄さん」
「お、おい、待てよ島風。……って速いなあいつ」
私の言葉に返事を濁した島風は、急に踵を返して走り去ってしまった。
一体なんなのだろう。
止まる事は出来ない? それは確かに普通の人間が味わうことが出来ない日常に足を突っ込んではいる。
しかしそれは今に始まった事ではないし、これからだってそうだろう。
深海棲艦という敵が、世話になったこの村を襲うという未来がある限り。
でも島風の言葉は、どうにもそのことを指している訳では無いような気がする。
一度きちんと腹を割って話してみなければいけないな。
しかしそれを躊躇する気持ちが私の中に沸きあがっており、何とも解せない。
島風のあの何でも見透かした上で何かを諦めたような目を見ているとそう思ってしまうのだ。
私は暫くそこで立ち尽くし、島風が走って行った廊下の先を見続けていた。
何も物音がしない静かで暗い廊下。
ただいつまでもここにいるわけにもいかないなと、私は食堂に向かうのだった。
あれだけ感じていた空腹感は、今は何故か消えていたけれど。
◇◆◆◇
食堂につくと中にはまるで私を待ち構えていたかのように、私の艦娘たちが勢ぞろいしていた。
その奥には凛と背筋を伸ばして座る大和の姿も見える。
事実彼女達は待っていたのだろう。なぜなら全ての瞳が不安げに私を見ているからだ。
管理官を見送るように申し送っていた愛宕さんにも、詳しい話はあとですると言い伝えてあるため、ここに管理官との話がどうなったか知る者はいないのだから仕方がないのだろう。
「……司令官?」
「提督……」
一人、また一人と私の周りに艦娘が集まってくる。
なあ木曾さんよ、その殺意の籠ったような視線は止めてくれないかな。
愛宕さん、いつもの余裕のある表情が消えていますよ。
暁、泣きそうな顔をするなよ。
響、お前も気になっているんだろう? そっぽを向いてるが青い瞳はこっち向いているじゃないか。
雷、いつもの強気な発言はどうした? 電はもう泣いてるのか。困ったな。
私はちびっこ4人の頭を撫でると、あえて何も言わずに彼女達の横をすり抜け食堂の奥へと向かう。
そして大和が座っているその横に私は立った。
ここへ運ばれてきたときは、後ろで一つにまとめられていた彼女の美しい黒髪は、今はお下げ髪に纏められている。
私が何も言わずじっと大和を見つめていると、視線を左右にすこし動かした彼女は、躊躇いがちに口を開いた。沈黙を嫌ったのだろう。
「提督殿、私は、その……」
私はえへんとわざとらしい咳払いをし、大和の言葉を遮る。
そして私は言ったのだ。
「大和さん、貴方のおかげでもう一つ艦隊が組めるようになった。これから私の命令を聞いてくれるだろうか?」
私がそう言うと、後ろの方では様々な反応を感じた。
ある者は安堵の溜息を洩らし、ある者は喝采をしている。
そのどの反応も、私の言葉を歓迎してのものだ。
彼女達の祈るような視線を見ていたら、すこし意地悪してみたくなったのだ。
だからすこし溜めてみたのだけれど、それを言ったら酷い目に遭いそうだから黙っておこう。
「あの、提督殿、私は……いえ、はい、よろしくお願いします」
どうにも自信なさげに彼女はそう言った。
事情は分かる。色々な葛藤が彼女の中に渦を巻いているのだろう。
だけど私はその返事が気に入らなかった。我を通すことを決意した今の私には。
「大和さん、私は貴方がここへ来てから色々と調べてみたんだ」
「……は、はぁ」
私の言葉の意図がつかめないのだろう。
彼女は困ったような顔で首をかしげる。
「私がこの鎮守府を預かるようになった時、海軍部から様々な艦娘について詳しく書かれた資料を貰った。その中に大和型戦艦である大和さんの事も当然書いてあったよ」
「……はぁ」
「大和型戦艦は最高クラスの戦艦なのだろう?」
「はい、そう言われてますね……」
そう、彼女は大和型戦艦の大和。
私の知っている元の世界でも、誰でも一度は聞いたことがある名前の戦艦だ。
軍事的な話が詳しい人間にとっては、長門や陸奥の方が有名らしいが、私の様な素人にとっては大和の方が圧倒的に有名なのだ。
まあ、それは宇宙を航行したりするオハナシのせいだったりするが……。
それでも戦争が終わった後も人々に違った形で認知されるという事は、大和が凄いのだという事を証明する一端になるのではないだろうか?
とにかく、今は自虐的な気持ちと自信の喪失、目的を失った虚無感、それらが混じり合いこういう反応となっているのだろうが、私は私の意志と目的のためにそれを否定する。
だから私は言葉を変えた。
背筋を伸ばし、大和に向かって努めて冷たい口調で声を張り上げる。
「立て! 大和。司令官である私が立っていると言うのに、貴様はそこでのうのうと座っている訳か。いい身分だな、大和ッ!」
「はっ、失礼したしました提督殿」
上官らしい私の言葉に、反射的に大和は立ち上がった。
がたんと言う音と共に、座っていた椅子が後ろに凄い勢いで飛んでいく。
……後で修理をしなければな。
「貴様は私に言った。私の命令を聞くかという問いに、はいと」
「はっ、その通りです!」
「なら貴様のその腑抜けた返事はなんだ。ふざけているのか? それとも素人司令官だと馬鹿にしているのか?」
「いえ、そのようなつもりはありません。私はただ、……ただ……その……」
言いよどむ大和。威勢よく立ち上がった割に、その表情は弱弱しい。
女性ながらそのすらりとしたスタイルの良い長身の彼女が俯きぼそりと呟く姿が、余計に弱弱しさを演出している様だ。
だから私は彼女の胸ぐらをつかんで揺すった。
……絶対に口に出しては言えないけれど、なかなか重いな。
「誰が私から視線を外していいと許可した! こっちを向け大和。貴様の気持ちなどどうでもいい。ただ私の命令を聞くと貴様は言ったのだ。つまりこれより貴様は私の艦娘としてこの鎮守府の所属となる。それは間違いないか?」
「はい、その通りです」
「なら私が貴様に最初の命令を下そう。それはこの鎮守府に所属する艦娘全員に言い渡してある私の絶対的な命令だ。……愛宕、こちらへ」
「はぁい提督」
私の豹変に息を飲むように動きを止めていた後ろの面々であるが、私の急な呼び掛けに愛宕さんはすぐさま応じ、大和の横に直立不動で立った。聡明な彼女だ、私の意図に気が付いたのだろう。
私は大和の胸元をつかんでいた手を離し(重かったからではない)、愛宕さんに視線を移す。
そしていつもはしない尊大な口調で彼女に問いかけた。
両手を後ろ手にくみ、何となく偉そうな態度を添えて。
「その気の抜けた返事をやめろ。まあいい、愛宕、今着任したこの無知な艦娘に、私の発した絶対尊守の命令を教えてやってくれ」
「はぁぃ……いえ、はい提督! それは”港を出たら必ず生きて戻れ”でありますぅ! それはどんな命令よりも優先される事柄でありますぅ!」
「その通りだ。ありがとう愛宕、戻ってよし」
私の言葉に彼女は見事な敬礼をすると、そそくさと木曾さんたちの元へと戻っていった。
私は心配そうな顔でこちらを食い入るように見ているちびっこ達に似合わないウインクをし、大和からは見えないように唇に人差し指を当てる。余計な事は喋るなと言う意味だ。
暁たちは私の激昂がポーズでしかない事に漸く気が付き、それぞれこくりと私に頷き返した。
さて大和に向き直る。が今度は使見上げる事はしない。
そもそも女性にこんな事をしたの自体、初めてなのだ。
できればもうやりたくはない。
「大和よ、聞いたな? これが貴様も必ず守らなければいけない私の命令だ。私はどうやら独善家らしい。だが私はこれを曲げることは一切ないと断言する。私と、この村と、私の艦娘以外はみなクソッタレだと思っているのだからな。だが貴様は先ほど私の元へ来ると言った。今更撤回は出来ないぞ?」
「…………はいっ」
「ならいい加減、その辛気臭い顔は止めて、誇り高い大和型戦艦の名乗りを見せろッ!」
「はっ、…………大和型戦艦ッ、一番艦、大和ッ。推して参ります!」
「それでいい。では楽にしてくれ」
思うことが色々あるだろう大和は、しゃんと背筋を伸ばし、そして名乗った。
その両目からぽろぽろと涙を零しながら。
なあ大和さん。辛かったろうな。
本当にこの世界は悲しいことばかりだよな。
でも、私は君とは違って人間だが、この世界の誰とも違う別な生き物さ。
だからさ、私は君たちをどうしても兵器とは思えないんだ。
だから守ってみせるよ。君や、私の視界にいる人たちすべてを。
私は心の中で彼女にそう呟くと、彼女の肩を優しく叩き、踵を返す。
女性の泣き顔など長い時間眺めているなんて失礼だろうからな。
私が一歩、また一歩と木曾さんたちの元へと歩み進める。
彼女達からは口々に良かったと安堵の声と、私に頑張ったという言葉を投げかけてくれる。
本当に君たちは人間と変わらないよな。
兵器はきっと、こんなに笑ったり泣いたりなんかしないと思うよ私は。
木曾さんは私の肩を見直したとばかりに小突く。結構痛い。
ああ、愛宕さん。貴方の笑顔だけが私の拠り所ですよ。
そして私の腰めがけて次々と飛び込んでくるちびっこ駆逐艦たち。
ああ、もういいだろうか? いいよな、私は目いっぱい虚勢を張ったのだから。
そうして私は飛びついてくる暁たちの勢いのまま、後ろに向かって無様に崩れ落ちた。
「ど、どうしたの司令官?!」
「はわわわわ! 司令官さんが倒れたのです!」
「ああ、暁……似あわない事をするもんじゃないな。気を抜いたら腰が抜けたよ」
そう言いながら私が苦笑いすると、次の瞬間食堂は笑いに包まれた。
何ともしまらない私であるが、これでいいのだ。
皆が口々にやはり司令官はダメだなあと笑っている。
司令官は私がいないとダメね! と雷が偉そうにふんぞり返っている。
ふと見れば、食堂の入り口にさっきはどこかへ消え去った島風が心配そうにこちらを覗いていた。
なあ島風、そんな心配ならここへ入ってくればいいじゃないか。
と言ったところで来ないのだろうが。
ああ、そうだ。
こんな啖呵を切ったのだ。
もう私は戻れないぞ。
それでもいいさ、私は決めたのだから。
このクソッタレた世界の根底へと踏み込むことを。
大和と五十鈴、こんなのを見てしまったら尚更にその決意は強くなる。
だから私は床にへたりこんだままの情けない姿で皆に言ったのだ。
「皆に大事な話があるんだ。聞いてくれるかな」と。
それは本当の意味での、わたし自身がここの住人となる産声の様なものとなったのだった。
◇◆◆◇
この日、海軍部に戻った管理官は、夜になり既に多くの人間がいなくなった本部の奥にある、幹部の部屋へと向かった。そしてその足取りは焦っているように非常に速かった。
それは兼ねてから将軍自ら目をつけていたとある鎮守府の司令官、その本人に将軍が欲したある任務を行う事の了承を取る事が出来たからだ。
扉の直前まで早歩きをしてきた管理官は、そこで足を留めると、静かに重厚な扉をノックした。
「長官、ただいま戻りました」
「……入れ」
扉の奥から年配の者だろう、年季の入った野太い男の声がする。
管理官は息を整えると扉を開けて、中に入るとすぐさま敬礼をする。
中は幹部の部屋であるのに、ひどく質素な内装だ。
しかし執務机だけは大きく立派だった。
その背後には帝国旗と海軍旗が交差するように立て掛けられ、その横には帝国の海域全体を記した海図が壁を覆っている。
部屋の中は机の上で灯っているアルコールランプの明かりだけしかなく非常に暗い。
しかし机に寄りかかるようにして立っている男性は、彼女の敬礼にその巌の様な手で答礼をした。
彼女は彼の事を長官と呼んだ。つまり彼はこの海軍部を統括する全ての艦隊の長、連合艦隊長官と言うポストに就く男だ。
とはいえ、つい最近までは階級は現在と同じ大将である物の、長官は別のものが就いていた。
つまりは今回の失態で先任が更迭され、今は彼がその立場にいるという事だ。
彼の名前は東郷。
常に現場目線で戦況を判断する、海軍叩き上げの強者だ。
今は年老いたとはいえ、その眼光は衰える事を知らない。
そんな彼は掲げていた手を下すと、酷く柔和な表情へと変化させ、彼女に応接に座るよう促した。
「さあ聞かせてくれ。彼は何と答えた。その時どんな表情をしていた。すべて聞かせてくれ」
その日、この部屋は明け方まで明かりが途絶えることは無かった。
――――つづく。
出張から戻り、そのまま投稿しました。
全て一人称で書かれてた物が気に入らず、再度三人称へと変更をしたりしたため、時間がかかってしまいました。
正直まともに推敲してないため、あちこちおかしいかもしれません。
勢いで描いたままですので^^;
出来るだけ見直ししつつ、近いうちに修正しようと思いますが、もしおかしいところあったら指摘くださるとうれしいです。
※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正