私と鋼鉄の少女   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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私は無様に立ち尽くす

 遠征から戻った暁たちであるが、ある者は入渠し傷を癒し、ある者は食堂で思い思いの食事を楽しんでいる。

 私は港で皆が戻ってきたのを迎えた後、事務仕事で鈍った身体を伸ばすように鎮守府の中を散歩していた。

 

 この鎮守府は何というか無駄に広い。しかし中にある施設はどれも物々しい雰囲気を放っている。

 それはそうだ。トップに座る私がただの素人だとしても、ここは軍事施設に違いないのだから。

 それでも所属している艦娘たちは少ないから、この施設の6割を占める整えられた芝生は、村人たちの憩いの場として開放してあったりする。

 もちろん何か間違いがあっては困るし、時折視察にくる大本営海軍部の担当官の目もあるから、解放している区画にはフェンスを張り、直接艦娘と関われないようには配慮してある。

 ただ村の居住区に、非番の艦娘が散策することは自由にできるのだけれども。

 

 村の中での彼女たち艦娘の存在とは、何というか年齢層の高い村人たちの共通の孫や姪っ子という感じがしっくりくるだろう。

 いつもニコニコして歩いている駆逐艦たちなんかはまさにそんな感じだ。

 愛宕さんはその醸し出す大人の女性のような雰囲気に、村の青年たちは目を奪われるようだし、木曾さんなんかは逆に、最近増えた若い女性たちに黄色い歓声を受けたりしている。

 もしかすると深海棲艦の被害に遭うかもしれない――――そんな思いで暗くなりがちな気持ちを、一時でも忘れられる清涼剤のような効果があるのだろうな。

 

 私はそんなことを思いながら、相変わらず慣れない海軍将校の制服姿で歩く。時折見かける村人たちと会釈を交わしながら。

 フェンス越しであるが、彼らは私を見かけるとどこかほっとしたような表情となる。

 こんなご時世だ、私の様な存在が、彼らの守役として身近に居れば無意識にそうなるのだろう。

 ただ週に一度、一週間分まとめて届く帝国新聞は、どこの海域で艦娘が人の盾となって散っただの、彼女たちの犠牲を賛美するような記事が毎日紙面を飾っているのを見ると、私はどうしても暗くなってしまう。

 

 たしかに深海棲艦は恐ろしくも強大な存在なのだろう。

 被害にあって滅んでしまった鎮守府も多数あるのも知っている。

 実際に暁たちが元々所属していた鎮守府だってそうなのだ。

 そんな恐ろしい存在と真っ向から戦える彼女たちは賞賛されて当然だと私も思う。

 けれど、と私はそれを素直に受け入れられずにどこか”もやり”とした想いを抱いてしまう。

 

 私が司令官としての立場を自分なりに納得し、他の司令官もしているであろう鎮守府の通常業務をやるようになってからもう数か月は経つだろう。その中で多くを占める任務は遠征と呼ばれるものだ。

 それを行うのは、この辺りの海域の哨戒を行ったり民間の船を護衛したりとその内容は様々であるが、それに応じた報酬を資材という形で受けることが出来るからだ。

 もちろん運営費という名の金銭も与えられる。それは本来であれば国がしなければいけない地域の警備活動を、私たち民間側に属する鎮守府が担っているからに他ならない。

 

 けれどもやはり、それは危険を伴うことであるし、実際に彼女たちはその任務の最中に何度も深海棲艦に遭遇し、そして戦っては傷ついて帰ってくる。

 幸いまだ轟沈という、生命の消滅には至っていないが、私はいつも気が気じゃない。

 だから彼女たちが遠征から帰ると、実際にどんな事があったのか、あるいはどんな気持ちになったのっか。あるいは後を引くような怖さを抱えてはいないかなど、報告書とは別に一人一人、話を聞くようにしている。

 それは私の偽善でしか無いか、または自己満足の様なものかもしれないが、何というか彼女たちの存在意義として命令に従い、司令官はそれを事務的に廻していくというだけなのが嫌なのだ。

 実際に私が前線で傷つくことは無いにしても、心の負担の様な物は一緒に抱えていたいと思う。

 

 彼女たちは任務の最中に敵に遭遇すると、旗艦を命じている艦娘がまず私に無線で状況を知らせてくる。

 それはどういう行動を踏むのか私の判断にゆだねられるからだ。

 普段は普通の村人と大差のない私が、この時ばかりは最前線にいて、非情な現実からは逃れられないのだと思い知らされる。

 彼女たちはいくら女性の姿かたちをしていても、やはり本質は兵器であり、鎮守府の性質は海軍のそれなのだ。だから私はその時、努めて冷静に判断を下そうと心がける。

 それは銃を持つのが彼女たちだとしても、引鉄をひくのは私の役目であるし、深海棲艦の命の幕引きは私でありたいと思うからだ。

 だとしても実際に深海棲艦を仕留め、水底に沈めた実感までは私に伝わらない。

 だからこそ話を聞くしかないのだ。

 

 けれども彼女たちから聞く、報告という名の個人面談での話の内容はひどく生々しい。

 人類の敵だと言われている深海棲艦――――彼女たち……敢えて私は彼女たちと言おう――――とにかく彼女たちは艦娘に命を刈られる際、例外なくこの世を呪うような言葉を残すという。

 深海棲艦たちは暁たちの様などこにでもいるような少女の姿ではなく、人間離れした容姿をしているが、それでもその中心にいるのは女性の姿をした何からしい。

 それが恨み言を置き土産に消えていく。何とも後味の悪い話ではないか。

 

 そこが私には解せないのだ。

 深海棲艦は人を襲う。確かにそうなのかもしれない。

 しかし私が知っている人類の歴史では、ここと変わらず沢山の人間が血を流す戦争が繰り返しあった。

 けどそれは理由はどうであれ、人間同士が何かのために戦ってきた。

 尊厳のため、信じる神のため、あるいは外交の一環としての戦争。

 それは何かを護ったり奪うための理由が必ずそこにあった。

 

 なのにこの世界はどうか。

 この世界の歴史のある時点から突然深海棲艦という人類の敵が現れ、そしてそのために艦娘と呼ばれる人類の武器も現れた。

 なら深海棲艦は何のために戦っているのだろうと疑問に思うのだ。

 たしかに深海棲艦は人類を襲う。でも奪わない。ただヒトが憎いとばかりに襲うのだ。

 それは私からするとひどく歪に感じるのだ。

 

 現在の状況は深海棲艦が人を襲い、艦娘がそれから人を護るために命をかけて戦うという構図だろう。

 それはまるで私たちの力が及ばない、我々を超越した何かによるマッチポンプな代理戦争のようだと邪推してしまうのだ。

 それは私の飛躍した考えかもしれない。

 しかしそう思わなければ余りにも艦娘たちに救いが無いじゃないか。

 ただ生み出され、使役され、そして沈んでいく。

 では彼女たちの幸せはどこに見出せばいいというのか。

 

 彼女たちそれぞれに等しくある遠い過去の軍艦としての記憶。

 その全てが同じではないにしても、決して明るく幸せな記憶などでは無いだろう。

 そんな彼女たちは、今の少女然とした姿で使いつぶされるために存在している。

 その上、感情という厄介なものまで持ち得ながら、だ。

 そして敵である深海棲艦もまたそうなのかもしれない。

 

 私には何の大義もそこに無いように思えるのだ。

 こんな事を思うなんて私がある意味人間の敵のような思想なのかもしれない。

 けれどもただ、人類が艦娘たちに依存するしかない現状を見ていると、その異様さを感じるのは如何ともしがたいと思うのだ。

 人類とはそんなに柔な筈はないと私は思う。それは歴史が証明している。それはあくまで私の知っている歴史に限るが。

 けれども強靭さを身に着けるには、痛い目に遭わねば学習しないのも真実だろう。

 ならばすべてを艦娘に依存しているこの世界とは一体何なのだろう。

 私はここへきて、流されるままに今の立場に至る間、そのことについて考えてきた。

 なぜなら考える時間だけはいくらでもあったのだから。

 それは私の傍らにいる、鋼鉄の少女たちとの距離が近くなれば近くなるほどにだ。

 彼女たちと言葉を交わし、あるいは触れ合う事でその体温を感じ、確かに彼女たちは心を持ち生きているのだと知る。

 

 だからこそ村人が毎週楽しみにしている帝国新聞の記事を見るたびに、私はなんとも胡散臭さを感じてしまうのだ。

 

 とはいえ、それを暁たちに話す気もないのだが。

 少なくとも彼女たちの意志の根底には、過去の記憶による無意識的なものがあるにせよ、私の役に立ちたいという意思を感じる。

 それはあり難いし、正直うれしくも感じる。

 だからこそ私は、私だけはそこに甘えきってしまうことだけはしないと決めている。

 その為に考えることをやめてはいけないと強く思うのだ。

 もしかすると、明日居なくなってしまうかもしれない彼女たちの想いという物をを無駄にしないために。

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか私は堤防の突端まで歩いてきてしまったようだ。

 少し湿り気のある海風が私の頬を叩く。

 とはいえ一年中温暖な気候であるこの辺りの風は、朝晩でなければ特に寒くは感じない。

 

 私は堤防の上へと登り、テトラポットが詰まれた外海を見ながらそこに腰かける。

 堤防の中は穏やかで波は無いが、やはり外海は白波が立っている。

 私はのんびりとそれを眺めながら、釣りでもしたら魚が釣れないだろうか? なんてどうでもいい事を考えてしまうのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 すっかりと秘書艦として板についてきた貫禄のある愛宕は、割と遠方までの遠征を終えて帰ってきた艦隊の旗艦を務めた軽巡洋艦である木曾と歩いていた。

 今回の遠征では幸運にも被弾すること無く帰還した木曾は、事務仕事をひと段落させ、食堂で茶を喫んでいた愛宕を誘い、こうして散策へと出かけたのだ。

 

「なあ愛宕さん、アンタはここの司令官をどう思う?」

 

 艦娘たちもいない静かな埠頭を並んで歩いていた木曾と愛宕であったが、暫くの無言のあと、木曾が急にそう言った。互いに前を見つめているまま。

 

「ふふふっ、木曾さんは遠征でお疲れになっているのかしら? 質問の意味が良く分からないわぁ」

 

 同じ大戦の記憶はあれど、今の本質は新たな個性を手にした二人の間に、不思議な緊張感が走る。

 愛宕はいつもの突き抜けた明るさを持つ印象とはどこか違う、木曾の真意を探るような目をしながらも、器用な笑顔を添えている。

 

「いやそう構えるな。俺は別にあの司令官をどうこうしようとは思っては無い。ただな、何というかあの人の目指すところが見えなくてな……。それが少し気になっていたんだ」

 

 横を並んで歩いていたはずの愛宕が、木曾の前に立ちふさがるように立ち、普段は決して見せない様な気迫を漲らせた彼女に木曾はたじろぐ。

 それでも持ち前の心根の強さで踏みとどまるが、言葉じりは残念ながら少しぎこちなかった。

 

 木曾が自分を建造した司令官と触れ合った日数はまだ多いとは言えないが、それでも彼女は事あるごとに彼を観察してきた。

 それは彼女がどこか戦いの中に美学を見出すきらいがあるからだ。

 とはいえ戦いを賛美するというよりは、戦いそのものに生きがいを感じるという意味で。

 だからこそここの工廠の中で自分が生み出された時、目の前にいた自分の司令官の第一声を聞いて、彼女はひどく混乱を覚えたのだ。

 彼は言ったのだ。「造ってしまって申し訳ない。できるだけ傷つかないように運用する」と。

 

 その後彼の求めるままに、既にいた暁型駆逐艦たちと水雷戦隊を組み、いくらかは遠征任務などをこなしてきた。

 元々艦娘には生まれてすぐに本能的に感じる自分たち艦娘の使命というか目的のようなものを無意識にに知る。

 それは司令官の命令下による敵との戦いやそれに付随する遠征などの軍事活動の事である。

 木曾はどうも自分の司令官はそれを積極的に行おうと言う風には見えなかったのだ。

 しかしそれが命令というならば仕方がないとも思う。それが司令の求めるものならば、だ。

 ならばなぜ、自分は生み出されたのだろうか? それが彼女は知りたかったのだ。

 別に危険を避けた任務のみをえり好みするならば、駆逐艦だけで用は足りるのだから。

 

 だからこそ、自分よりも少し先に生み出された艦娘である愛宕にその真意を尋ねた。

 それはあのどこかふわふわした印象の司令に聞くのは憚れる雰囲気があったからだ。

 それに愛宕は司令官と意思の疎通がうまいと木曾には思えるのだ。

 だからこそ自分の知らない司令官の考えを知っているかもしれないと。

 

「そうね、たしかにあなたの様な気質からすると、あの方の考え方はきっと理解できないのかもしれないわぁ。でもね、木曾さん。彼は彼なりに戦おうとしているみたいよぉ」

 

 いつの間にか先ほどまで漂わせていた尖った雰囲気を今は消し去り、愛宕はいつもの様に優しげな口調で答えた。しかし木曾は納得できないという表情だ。

 

「何というか抽象的すぎて分からないな。敵など外海に出ていけばいくらでもいるだろう? ならばそれに備えて資材を蓄え、戦力を増していくというのが正解だと俺は思う。でもあの司令は、俺たちが傷つくことこそを恐れているように見える。なら彼が俺たちを生み出す行為は矛盾ではないのか」

「矛盾……そうかもしれないわね。でもあの人もまた、矛盾を感じているみたいよ? そもそもの在り方に」

 

 愛宕の言葉は抽象的だった。

 それは何かを連想させるには色々と材料が足りないと木曾は思う。

 

「矛盾……在り方……ならば司令は何と戦うというのか!」

 

 自分の理解できない事柄に思わず苛立ちを覚えた木曾が、愛宕に詰め寄る。

 だがその愛宕は優しげな笑顔を崩さずに、黙ってある方向を指さした。

 思わずつられてそちらを向いてしまう木曾。

 

「……司令」

 

 何とも暢気そうに堤防に座る佐々木司令官の姿が見えた。

 その太平楽な姿に、木曾は毒気を抜かれてしまったように身体の力が抜けた。

 

「木曾さん、思うことがあるのなら直接聞いてみなさいな。あの人はちゃんと答えてくれるわ。そしてそれを聞いたら、きっと貴方もあの人への見方が変わると思うわよぉ」

 

 そういうと愛宕は木曾の背中をぽんと押し、そして自分は踵を返すと鎮守府本部に向かって歩き始めた。

 木曾は何かを言おうとしたが、背中を向けたまま手をひらひらと振っている彼女を見ると、言うタイミング自体を失ってしまった。

 そして彼女は感情のやり場を失い、それを振り切るように二、三度頭を振ると、司令官のいる堤防へと歩き始めたのだった。

 

「……それを聞いて、貴方が受け入れられるならば、だけどね木曾さん――――――――

 

 少しうつむき加減のまま歩く愛宕の呟きは木曾には届かない。

 そしてその表情は普段の愛宕からは想像出来ないほどに険しい物であった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「ふぅ、やっと落ち着いたのです」

「何言ってるのよ電。そんな疲れた中年みたいな事言わないでよね」

「でも雷おねえちゃんの格好でそれを言われたくないのです」

「う、うるさいわね……、まあ確かに気持ちいいけれども……」

 

 まるで風呂上がりのようなラフな姿のまま、自分たちに与えられた和室の畳でごろごろと転がる雷と電は、そのだらしない格好のまま何やら言い合いを始めた。

 これはもう彼女たちの恒例行事の様な物で、遠征などでの戦いで傷つくと入渠【にゅううきょ】を行うのだが、その入渠とは本来の軍艦の修理の様とは少し違う。それは何というか艦娘専用の温泉のような施設なのだ。

 実際彼女たちは傷が癒えるまでそこに浸かり、回復仕切るとほかほかと湯気を立ち昇らせてそこから出てくるのだ。

 何とも不思議な話であるが、妖精のすることだからと誰も不思議には思わなかったりする。

 

 遠征が終わるたびにどこかしら傷つく彼女たちは、鎮守府に戻ってくると佐々木司令により、すぐさまここへ入れられる。

 その少し過保護なまでの扱いに、元の鎮守府での扱いが悪かった暁を筆頭とした駆逐艦たちは、これを諸手を挙げて歓迎したものだ。

 実際、入渠すると気持ちが良いのだ。

 かといってそれなりの資材を消費するので、ただ入りたいからと言って入れるものでもない。

 そんな訳で彼女達は今、遠征空けの入渠を楽しみ、こうして呆けていたのだった。

 

「そう言えば暁姉さんたちはどうしたの?」

 

 ふと雷は仰向けのまま気怠そうに電に尋ねる。

 

「えっと、司令官がいないから探しに行くって言ってたのです」

 

 電は相変わらずほわんとした表情のままそう返した。

 

「司令ねぇ。どうせいつもの様に海でも見てるんじゃないの?」

「かもしれないです。はふぅ」

「ふーん、まあいつもの事か。それよりも電、いつまでも溶けた顔してないで髪を梳きなさい。癖がついちゃうじゃない!」

「はわわっ……んーでも、もう少し……こうしていたいのですぅ……」

「ちょっと寝ないの電! 風邪ひくわよ!」

「……なのです…………」

 

 そんなのんびりと時が流れる駆逐艦の部屋に、暁が血相を変えて飛び込んできた。

 

「電、雷、大変よっ! 今すぐ工廠まで来て!」

 

 今にも寝そうになっていた電とそれを嗜める雷。

 だが暁の声を聞くと反射的に飛び起きた。

 それほどに暁の声には鬼気迫るものがある。

 

「ど、どうしたの暁姉さん?!」

「はわわわっ、驚いたのです! どうしたのですか?」

「いいからっ! 今すぐ来てっ!」

 

 暁はそう言い放つと、そのまま乱暴にドアを開けると走って行ってしまった。

 あとに残された二人は顔を見合わせたまま首をかしげる。

 しかし暁の態度には尋常じゃないものがあり、そして制服も着ないまま後を追うのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「何もしゃべるな! 今治してやるからっ! 愛宕さん、木曾さん、ありったけの資材を持ってきてくれっ!!」

 

 雷と電が工廠にたどり着いたとき、中は異様な緊張感に包まれていた。

 先に来ていただろう響はただでさえ白い顔を青くしたまま立ち尽くしているし、彼女たちを呼びに来た暁はその瞳から涙を滝のように零しながらも、工廠の中のコンクリートの床に横たわる何かを暖めるようにしきりにさすっている。

 

 夕方に差し掛かったこの時間帯、現代のように照明が沢山あるわけではないために中は薄暗い。

 そのために雷と電は状況を理解することが出来なかった。

 ただならぬ事が起きている事だけは何となく理解したけれども。

 

 そして何より、普段は声を荒げる事など皆無な自分たちの司令官が絶叫している。

 その声に二人は我に返ると、彼の傍まで近づいてみることにした。

 そして思わず絶句する。

 

「なっ……」

「ひ、ひどいのです……」

 

 そこにあった光景は、自分たちと同じだろう艦娘の変わり果てた姿だった。

 一人は小柄で細身の少女で、黒髪を二本に束ねている。

 そしてもう一人は端正な顔立ちをしているが大柄な女性で、輝くような長い黒髪を後ろで束ねている。

 二人の状態は誰もが目を背けたくなるような惨状で、赤いセーラー服の白い部分が自分の物だろう血液で真っ赤に染まっていた。

 

「愛宕、何やってんだ! 早く持ってきてくれっ!!」

「司令官、落ち着いて! ねえ落ち着いてよぅ!」

「……すまない暁」

 

 錯乱したように横たわる女性の横で叫び続ける佐々木司令を、自分も嗚咽を漏らしながらも必死ですがりつく暁。

 ついさっき自分たちを呼びに来た時の剣幕はどこかに消え失せ、ただのか弱い少女のように儚げになっていると雷と電は思った。そしてこんな司令官は見たことが無いとも。

 それよりも、と漸く目が慣れたのか、この惨状の正体がなんなのかを彼女たちは理解した。

 

「これって……大和さんと五十鈴……?」

 

 暁の呟きは正しかった。

 しかし彼女に答えをくれるものは誰もいなかったが。

 

「これは……どういうこと……なのですか……?」

「来たね、電。私にもよくわからないが、愛宕さんと木曾さんが外海への境界あたりで彼女たちを見つけ、ここまで曳航したみたいなんだ。それにしてもこれは酷いよ……」

 

 電の呟きに立ち尽くしたままであった響が答える。

 よく見ればその薄い唇は小刻みに震えていた。

 横たわる大和と五十鈴を見て怖くなったのだろう。

 響は普段のように気丈な態度を装うとしているようだが、残念ながらそれは失敗だったようだ。

 

「提督っ! これで全部ですわ!」

「ありったけ持ってきたぞ!」

「ありがとう二人とも。妖精さん、これでいいか? これで二人を治せるか?! 頼む、早くなんとかしてくれ! 私に出来るならなんでもするから……」

 

 佐々木は愛宕たちが持ってきた資材をひったくるように奪おうとして、自分では持てない重さである資材をその場に落とす。それでも佐々木司令は周囲に集まってきた妖精に叫んだ。

 彼のあまりの剣幕に工廠妖精たちは一瞬怯えた表情を見せるが、それも彼の真剣さを感じ取ったのか、やがて大和たちの周りに次々と集まり始める。

 

 通常の破損であれば、艦娘たちは自らの足で入渠する。

 しかし今の大和たちは、ほぼ限りなく轟沈した状態であると言えるのだ。

 ここに運ばれた時、大和の意識は既になく、かろうじて意識のあった五十鈴がただ「大和さんを助けて……」とだけ曳航する愛宕に伝えると、もう役目は終わったとばかりに意識を手放したのだ。

 

 元々彼女達を見つけたのは佐々木司令だった。

 堤防の上でとある事で木曾に詰め寄られていた時の事だ。

 その見た目は女性であっても、やはり艦娘は兵器である。

 そんな木曾に襟首を掴まれた佐々木は逃避とばかりに目を晒したとき、港の入口あたりの海面が真っ赤に染まっているのを見つけた。

 佐々木は慌ててそれを木曾に向かって叫んだのだが、話を逸らすなと窘められる。

 結局は愛宕が普通ではない佐々木の様子にその方向を確認すると、たしかに海面は赤く染まっている。

 

 愛宕の目でそこを確認すると、どうやら轟沈寸前の艦娘が浮いていると分かったのだ。

 それを聞いた佐々木の動きは早かった。

 さっきまで木曾に持ち上げられんばかりに捕まれていたというのに、彼女を半ば突き飛ばすように放すと、普段のおっとりとした彼からは想像できない速度でそこへ向かって走って行ったのだ。

 とはいえ、彼は生身の人間であるから、突端まで着いたとてそれ以上どうしようもない。

 しかし彼は白い海軍将校の制服姿のまま、潮の流れのはやい港の出口付近の海に向かって飛び込んだ。

 

 慌てて後を追いかけてきていた愛宕と木曾は、まるでその後先を考えない佐々木の行動に呆れると同時に愛宕は佐々木を、木曾は浮いている艦娘をと瞬時に役割分担をし、海に飛び出した。

 そして工廠まで来たという訳であるが、そこにはたまたま何かの用事で佐々木を探していた暁と響がおり、佐々木たちのただならぬ姿に絶句したという訳だ。

 そして暁は気丈にも自分の姉妹を呼びに行き、響は惨状に固まったという訳だ。

 しかし島風は元々工廠の中で連装砲の整備を行っていたようだが、喧騒に包まれている間に何故かそこから消えていた。

 

 顔をくしゃくしゃにしながら号泣しながら大和たちにすがりつく佐々木。

 だが暁と響が彼を無理やり引き剥がすと、工廠妖精たちは山積みとなっている資材を使い、大和たちの修理作業を開始した。

 工廠の中は「放せ」と叫ぶ佐々木の声以外は、きわめて静かなものだった。

 いくら艦娘と言えども、こうなっては出来ることなど無いのだから。

 

 佐々木の脳裏には、暁が、あるいは響がここへやってきたときの事がフラッシュバックしていたのだ。

 もしあの時、彼女達が復帰しなかったらここにはいないだろう。

 彼にとって艦娘は今や、自分の半身のように思っているところがある。こうして取り乱すのも不思議はないだろう。

 

「戻ってこいっ!!」

 

 そして喉を切り裂くような彼の絶叫が再度、静まり返る工廠の壁に反響するのだった。

 それを彼の艦娘たちは悲痛な顔で見ているしか出来なかった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 工廠では流れ着いた大和と五十鈴を治そうと佐々木を筆頭に作業が行われている。

 それは普段は静かなこの鎮守府に響き渡るほどの喧騒だった。

 当然その声はフェンスの向こうを歩いていた幾人かの村人に届き、何事かと人がそこかしこに集まり始めていた。

 鎮守府で何かが起きるという事は、即ち深海棲艦に関わる事を連想してしまうのは当然だろう。

 

 この騒ぎを重く見た鎮守府の食堂を任されている百田夫人は、ゲートに集まる人々に事情を説明し、これ以上騒がないように説明をする。

 深海棲艦が攻めてきた訳では無いのだから、落ち着いたら事情を説明するとそれは丁寧に。

 人々はそれでも不安な顔を隠せなかったが、ある意味この村の顔役となりつつある百田夫人の言を不承不承受け入れつつ帰路に就いた。

 

「まったく、どうなっちまうんだろうねぇ……。まああの子の事だから心配はないだろうけど」

 

 百田夫人はそう呟くと、この騒ぎが落ち着いたらきっと皆腹を空かせるだろうと食堂の面々に何か温かい汁でも作ろうと号令を出した。

 

 ふと彼女が今は誰も居ない食堂のテーブル席を見た。

 そこには特徴的な黒いリボンを二本、上に向かって立てている派手な服装の艦娘、駆逐艦島風がぽつりと座っていた。

 何かを飲食するでもなく、ただ静かに空中の一点を見つめ、じっとしている。

 百田夫人はそれを怪訝そうに眺めると、彼女に向かって声をかけた。

 

「おや島風ちゃん、あんたは皆のところにいなくてもいいのかい?」

 

 百田夫人はすべての事情を知っている訳では無いが、少なくとも今、工廠では傷ついた艦娘を治そうと大騒ぎになっていることだけは把握している。

 島風は普段から艦娘たちが集まっている輪にあまり近寄ろうとしないのを彼女は知っていたが、こんな緊急事態のさなかに涼しい顔をしている彼女を見ると少し解せないと感じたようだ。

 しかし島風は百田夫人を一瞥すると、「……別に」と素っ気なく返事を返し、そして宿舎に向かって歩いていってしまった。

 

「まったく、変な子だよ」

 

 彼女は取り付く島もない島風の様子に肩をすくめると、こうしていても仕方がないと厨房へと入っていった。

 あとに残されたのは静寂のみ。

 

「……ほら、始まったよ。お兄さん」

 

 島風の言葉は誰にも届かない。

 そしてその真意も――――

 

 

 ――――つづく。

 

 




土曜の10時に予約したはずの今話なのですが、修正を行ってたら再度日時を設定することを忘れ、そのまま投稿されてしまいました。
なので今週分の投稿をこれとします。

良かったら感想など頂けると嬉しいです。

※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正

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