私と鋼鉄の少女   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

14 / 19
戦場に咲いた華――前篇

 佐々木は己の艦隊を信じていた。それはこの鎮守府を預かる司令官としての責任の上での意味でもあるが、一番は己が彼女達と接した短くはない時間で作られた絆によるものだ。

 

 信用と信頼という言葉がある。これは一見するとどちらも同じように思えるが、実際はその中身には大きな違いがある。

 信用とはその個人の過去の実績、或いは他人からの評判などによる物から来る信憑性の上で成り立つ。例えば戦艦長門は過去の戦争で、その実績も名声も最大の物を持つ。

 それがこの世界では艦娘として戦艦長門が存在しているが、佐々木の鎮守府にもしやってきたなら、彼はその実績を信じ、何の疑いを持つこと無く様々な任務に重用することだろう。事実、戦艦長門はその余りある能力を用い、結果を残すだろうから。そう言った意味で、積み上げた実績からくる信用性というのは安心できるだろう。

 

 しかし信頼となればそうはいかない。信用が実績から来る片方向の期待の表れならば、信頼はお互いに両方向の気持ちの通い合いがあってこその状態だ。言うなれば、未来に対して恐れがあろうとも、躊躇なく進める安心感がそこにあると言えば良いのだろうか。互いに背中を預けられる無意識な安心感。それの名を信頼と呼ぶ。

 こればかりは過去の実績がどれほどあろうが、個人の人間性や相手への精神的な部分での結びつきが可能にする事柄となり、一朝一夕ではこうはならない。

 勿論信頼を作り上げる事に、互いを観察する時間は必要であるが、かといってそれだけがすべてでは無い。

 ほんのふとした瞬間、小さな出来事が積み重なる。あるいは己の中に隠れた願望や願い、それを相手が無意識に汲み取った時など、きっかけ等はそこら中に転がっている。そう言ったものが重なり、いつしか互いを無意識的に信用する。そうして信頼が出来上がるのだ。つまりは他人に見せることを躊躇してしまうような己の本質を曝け出したとしても信じられるという気持ちなのだろう。

 

 そして今、佐々木は司令室の窓際に立ち、赤々と染まる闇夜の空を眺めていた。

 その視線は非常に落ち着いたもので、いま己の本拠地たるこの町が襲われている事に焦りを覚えている風には見えない。

 

 実際彼は落ち着いていた。それは自分が成すべき事はすべて成したからだ。後は己の信頼する艦娘たちが、やるべき事を終えた報告をここで待つだけでいいのだ。

 そもそも艦娘を用いた戦闘において、司令官のするなど多くは無い。

 それは戦局が常に流動的であるため、映画やゲームのようにリアルタイムでいちいち細かい指示などしていたら、それを聞き、その上で実行するという間に余計なタイムラグが生じる。それを悠長に待って居てくれるほど敵は優しくないのだ。

 

 だからこそ艦娘は普段から演習を重ね、練度という名の経験を積む。

 単縦陣、複縦陣……――――陣形は過去の経験から作戦立案家が時代を重ねて作られた戦術であり、その歴史は古代まで遡るほどに信頼性のあるルーチンだ。

 けれどもそれは、前もって戦闘開始から終了までの道筋をきっちりと予想し尽したり、あるいはコントロールし切れる物でも無い。それは自分たちも作戦を用いるならば、当然相手もそうなのだから。

 ある意味じゃんけんの仕組みの様な物で、全ての作戦にはそれぞれ長所もあれば短所もある。その相性の悪い作戦を相手が用いた時、こちらは臨機応変にそれに対応せねばならない。

 

 その為艦娘を用いた戦闘のほとんどは、ある程度の道筋は事前に決めるが、実際の戦闘でその通りにならなかった時には旗艦を務める者が司令官の変わりに現場を仕切る。

 兵器である艦娘の一番の利点であり最大の武器がそこなのである。

 戦局を己の体感の上で素早い判断をし、そしてその対策をすぐさま反映させる。通常兵器ならばこうはいかない。的を外した砲弾はそのままどこかへ消えるだけだし、後手を踏んで状況が悪くなればただやられるだけだ。

 

 だからこそ、佐々木は事前の作戦立案と兵站に徹したのだった。

 特に兵站を整える事について最大の労力を己に課したと言っても良いだろう。

 兵站とは装備品の開発、整備や、補給物資の充実、その輸送経路の確保など、主に後方支援とも言える範囲の話ではあるが、実際はこれが高いレベルで維持充実出来ているかで戦況が有利にも不利にも傾く重要な部分だ。

 極端な話いくら前線の兵の練度が高くとも、兵站が整っていなければ、自分たちよりも遥かに練度が低い敵と相対していたとしても、思いがけず苦戦したりもする。それほどに兵站とは戦争において重要な部分なのである。

 

 佐々木はこれに忠実であろうとした。そもそも彼は元々、ただのいち一般市民でしかなかった。むしろそれが幸いしたとも言える。

 彼は言葉の上にクソがつくほどに真面目な性格だ。そんな彼は鎮守府の司令という立場に就くにあたり、文字通り頭を抱えて悩んだ。

 それはそうだ。昨日まで毒にも薬にもならぬ素人が、いきなりある日を境いに地域を守るために何かを殺せ。だが出来るだけ被害は少なく、ローコストでそれを維持せよなんて言う無理難題を押し付けられたとも言えるのだから。

 

 そこに大義名分や、目の前に救うべく命があったとしても、それとこれとは話は別だ。

 だからこそ彼は、彼自身の性格を最大限に生かしたのだ。

 何も知らないという事は、変な癖もないという事だ。彼は司令職に就いた結果、大本営海軍部にとあるお願いをしたのだ。それは軍事に関わる書物をなんでもいいから手当たり次第に送ってほしいと言う物だった。

 本来軍人とは、例えば士官学校だったり、新平訓練であったりと座学で学ぶという過程を誰しも通る。

 本来そこで学ぶべき知識を、佐々木は寝る間を惜しんで本を読みふける事で無理やり吸収したのだ。

 

 とはいえ、実戦経験の伴わない知識はそれほど役に立たないのが常だ。

 しかし生真面目な彼はそれを分かったうえで、ならば素人なりに基本に忠実にやろうと思ったのだ。

 その結果、戦争に必要だと思われる行為はすべて、基本通りに行ったのだ。

 それは慣れてくると見過ごしがちな小さな部分に至るまで、余すこと無く今日までそれを続けてきた。

 

 今回の有事。これは響が佐々木の元へやってくるきっかけとなったあの日に知らされていた事柄だ。

 彼はそれを聞き、その上で自分に出きるだろう事をいくつか愛宕などと協議し、そして水面下でその準備をしてきた。

 実際には日々鎮守府を維持するための必要な資源とは別に資源の備蓄を行った。それは戦闘行為を艦娘が行うと、多量の弾薬燃料が消費されるからだ。加えて加賀の様な航空母艦が運用する艦載機は、消費した分の補充を行う際に、その原料となるボーキサイトが大量に消える。

 その当時この鎮守府には航空母艦はいなかったのだが、将来を見据えてとの愛宕のアドバイスによりボーキサイトもまた大量に備蓄されている。

 

 それに加え、通常の備蓄を使い日々高レベルの装備開発を秘密裡に行ってきた。

 その最たる物は今大和が装備している46cm三連装砲と言う、現時点での最大威力を持つ主砲だろう。

 これはこの鎮守府に大和がやってきた事が幸いした。と言うのも装備開発とは、やはり工廠妖精の手を借りて行う部分は建造と変わらないのだが、それと大きな違いは開発をおこなう際に艦娘が必要になる点だろう。

 妖精と艦娘が精神的にリンクすることで、その艦娘の種類に因んだ装備を開発することができるうのだ。とはいえ、狙ったものが必ず出来る訳では無く、その範囲の物が出来るというだけであるが。

 

 そしてこれら今日までに佐々木が準備した装備の中に烈風と呼ばれる艦載機もあるのだが、航空母艦を持たなかったこの鎮守府では開発すらできない代物だ。

 これに関しては長官である東郷とのパイプを使って用意した。単純にそれ相応の資源を渡して融通して貰っただけだ。もちろんそれに交換条件は付けられたが、背に腹は代えられなかったという訳だ。

 

 こうして佐々木は大和だけでは無く、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦に至るまで、現時点で用意できる最大の装備を用意してきた。

 ただしそれは今日まで愛宕と大和以外に知らされてはいなかったのだけれども。と言うのも目の前に素敵な装備があったとしたら、使ってみたくなるのも心情という物だ。

 しかし強い武器にはそれなりの弊害がある。それは消費する弾薬などコストも大きくなるという部分だ。

 その為佐々木は、止む無くこれを機密として愛宕たちに緘口令を強いたというのは余談である。

 

「…………茶でも淹れるか」

 

 とはいえ、やはりただ待つことは存外苦痛なのは今も変わらぬ佐々木である。

 静かな部屋にぎりりと彼の歯軋りの音が響く。司令官としてここを動けない自分が恨めしいのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 大和の心はいつになく落ち着いていた。それは今、多数の深海棲艦に囲まれ、上位種と思われる異質な鬼に睨まれているという、一見すると多勢に無勢、危機に見えるこの時にであってもだ。

 彼女が遭ったとてもじゃないが連合艦隊とは呼べないあの崩壊劇。それを乗り越え、今は新たな仲間と共に同じ方向に向かって大和は歩んでいる。艦種の隔たりを越えた絆が彼女に自信を与えているのだ。

 既に後方の憂いは無い。人命救助は木曾たちがしっかりとこなすだろう。ならば大和は敵を屠るのみに集中すればいいのだ。

 

 彼女の視線の先ではまるで独楽鼠の様に忙しく、島風と響が海上に螺旋の軌跡を描いている。

 それはスラロームのように敵の合間を切り裂き、それに焦れた敵が右往左往している。

 愛宕は普段は隠した本来の獰猛さを剥きだしにし、重巡洋艦の本領発揮であると主砲を十字砲火し、その射線にいる敵はもれなく蹴散らされている。

 

 しかし本来、艦船の砲撃という物の命中率は恐ろしく低い。それはそうだ。水面は常に波を起こして船体を揺らすし、敵は止まっていてくれるほど優しくはない。現代兵器の熱探知による追尾するミサイルの様な機能などついていないのだ。それを当てるには風向きであったり湿度であったり、敵の動きさえも予測し、砲身の方向や角度を決めねばならない。それでは余程の接射でもしなければ中々に当たらないのだ。

 

 しかし今、愛宕の撃ち出した砲弾は面白いように敵を粉砕していた。

 それは大和との距離を常に一定に保ちながら航行している五十鈴のお蔭であった。

 彼女は装備している艤装とは別に、その手に探照灯と呼ばれるサーチライトを持っている。

 これを敵のいる場所に向かって照射することで、夜においては一方的に攻撃することが可能となるのだ。愛宕はただ、五十鈴が照らす場所に向かって砲撃すればいいのだ。

 とはいえこれにはリスクがある。当然探照灯を使う五十鈴の居場所が敵に丸わかりになってしまうという事だ。

 

 事実、佐々木のいた世界の過去の戦争で、実際にこれを行った艦が敵の集中砲火を浴びて轟沈した。

 実際にこの鎮守府にもいる暁は、その作戦を行い沈んだ。これは元々佐々木と暁が一緒に暮らしていた家で、毎晩行われた四方山話の中で、彼女自身が彼に語った話である。

 つまりは五十鈴は現在非常に危ない状態であるのだが、何故か彼女の表情は自信に満ち溢れた様な表情である。それは何故ならば――――

 

「へっへーん、どっこ見てるの? こっちにおいで~。連装砲ちゃん、一斉射撃だよ!」

「無駄だよ。五十鈴には触れさせない。……Урааааaaaaaaaa!!」

 

 先ほどは敵の攪乱をしていた駆逐艦二人が、突如闇の中から現れ、五十鈴に砲身を向けた敵に対して一撃を浴びせるからだ。五十鈴に向けて攻撃態勢となっていた敵は、彼女達のすれ違いざまに放たれる浅い砲撃にたたらを踏んだ。

 その敵は深海棲艦の本能なのか、反射的に視線を島風たちに向け、表情は無けれども怒りを露わにして追いかけ始める。すると今度はその背に向かって愛宕の容赦ない砲撃が襲い掛かる。

 戦闘が開始して数分、数の暴力で圧殺されてもおかしくは無かった佐々木の艦隊は、今や戦況の主導権を握っているといってもいいだろう。

 積み重ねた絆は、互いの信頼の元に素晴らしい連携を発揮させているのだ。

 

 そんな中、佐々木の艦隊初の航空母艦である加賀は、序盤で制空権を奪うという仕事をやってのけた後、大和の後方に佇んだまま周囲を静かに眺めていた。

 彼女の中にあるのは静かな興奮と戸惑いだ。

 

 正規空母である加賀は、その史実に於いてはかなり波乱の歴史を辿ったと言える。

 元々彼女は加賀型戦艦として作られたのだが、未完成のまま航空母艦へと改装されて産まれた。

 しかし改装自体が手探りの状態であったため、改装当初はあちこちに欠陥があり、特に顕著だったのが特殊な煙突を配置したせいで、その周囲の温度は常に40度を越えており、およそ居住できる状態では無かった。それを揶揄して「海鷲の焼き鳥製造機」なんて呼ばれた等というエピソードもある。さらにはそのせいで乱気流が産まれ、艦載機の発着に弊害をもたらした。

 それら欠陥による弊害もあったのか、艦内の風紀は乱れに乱れ、自殺者や逃亡者も多かったという。

 

 始まりは決して華々しい物では無かった加賀であるが、その後大幅な改装を経て、その速度は非常に遅いという欠点はあるが、長期航行に向き、かつ積載量がどの空母よりも多かった為、その後の作戦では重宝されたという歴史を持っている。

 そしてその最後は、ミッドウェーで行われた大規模作戦の中で、火災による被害から内部から爆発し沈没に至ったと言われている。

 しかしその海戦の生存者の中から出た証言で、駆逐艦萩風の魚雷による自沈処理の結果で最後を迎えたというのもあるが、戦局の混乱した中での錯綜した情報が多々あり、その信憑性は謎である。

 

 この作戦失敗は、開戦の時点で軍内の気運が非常に楽観したものが漂っており、それが慢心を生んだ結果だと言える。そしてその結果、それまでは健闘していたのがこれをきっかけに軍は完全に勢いを失い、敗戦へと進んだとも言われている。

 

 そんな波乱を生きた加賀が今、艦娘としてここにいる。彼女は元々所属していた鎮守府で、この過去の記憶と経験からか、非常に規律に対し厳しく守る様に徹していた。

 それは慢心が生む結果がどうなるのかを人一倍知っていたからだ。しかし多くの艦娘はその気風を煙たがり、司令官ですら煩がった。その結果彼女はその性能がありながらも冷遇され、それが皮肉にも彼女一人が生き残るという皮肉な結果を生んだ。

 

 彼女がいた鎮守府はその間に深海棲艦の攻撃を受けて崩壊。それは加賀が常々警告していた慢心の結果だった。

 司令官は自分の気に入った艦娘だけを優遇し、他は加賀のように延々と資源を確保するためだけの遠征に行かされる。

 当然装備も限られた艦娘以外は充実していなかったし、練度も遠征に耐えうる程度にだけ改修され、その後は放置。

 その結果、急な深海棲艦の襲来に対応できるほどの戦力を持って居なかったその鎮守府は、ほぼ無抵抗のまま更地となったのだ。

 

 その後、遠征地からその積載量最大にまで資源を積んだ加賀が戻り、後処理に来ていた海軍部の東郷の手の者によって彼女は回収されたのだった。

 慢心――加賀が一番嫌う言葉だ。さりとて人間にはいつだって陥り易い物でもある。

 それが加賀の目前で繰り広げられる事は、内心で悲鳴をあげたいほどに彼女は恐れる。

 空母の中で最大級の能力を持ちながら、最大の犠牲者を出した過去の記憶を持つ彼女だからこそだ。

 

 そんな加賀は東郷の肝いりでここへ来ることとなった。例の作戦への参加では無く、佐々木の鎮守府へ行くべきだと強い後押しがあってのことだ。

 その時東郷に言われた言葉を彼女はことあるごとに反芻する。

 

「彼は君が信じるに足る人物だ。彼は素人であるが、誰よりも本質を見ようとしている。だから私は君を使いつぶす事よりも、彼に預ける事を選んだのだ。せいぜい君の経験で彼を揉んでやってほしい」

 

 様々な意味で求心力を失くしていた加賀に東郷が言った言葉だった。

 その時の彼女は、その言葉の真意をすべて理解した訳では無かったが、失意の自分にはそれもまた相応しいかもと、半ば捨て鉢に佐々木の元へ来ることを承諾した。本来ならば死に場所を探して、例の作戦へと名乗りを上げるつもりだった加賀は、ふと素人の男に使われるのもいいかと思えたのだ。

 しかし今、朧げではあるが、東郷の言いたかったことが分かった気がしたのだ。

 

 加賀が見てきた司令官とは、あくまでもこの世界の話に限るが、碌な人間では無かった。そう言った意味で彼女は人間自体に絶望しているとも言える。

 しかし佐々木と言う人物は、知識や経験は東郷が言うように素人の付け焼刃程度しかない。だが彼は加賀が艦娘として産まれてから見た人間の中で、誰よりも見ている場所が違うという事に気が付いたのだ。

 

 佐々木は目の前にある戦局を重要視していない。その先にある何かを覗こうと必死なのだ。それが加賀にとっては驚きであったのだ。裏を返せば戦果による名声も地位も、一切に欲していないという事の表れでもある。

 彼にとって艦娘という存在は兵器でも道具でも無く、言わば己の家族のように振舞おうとする。

 少しでも傷つくことを嫌がるし、出来るだけそうならない様に事前に計らおうと努力する。

 加賀は最初、なんて甘い男なのだろうと感じた。しかし周りの話を聞くうちに、それは表面的な物でしかない事を知った。

 

 艦娘を傷つけない為に取る方法としては大まかに二つある。一つは難易度の低い海域のみにしか派遣をしない事。もう一つは、傷つかないための最善を尽くした運用をするという事。佐々木が取ったのは後者の方法だった。

 未熟な自分を認めた上で、過去の文献から学べる、その都度訪れる危機を乗り越える方法を貪欲に取り入れるのだ。

 それは熟練し、ある程度自分なりの方法論を身に着けてしまった人間にはなかなか出来ない事だ。

 だが彼は自分は素人であるから最善を尽くすしかないのだと、少しでも優れた方法があればすぐさま取り入れる。そこには一切の躊躇もない。

 

 本人は必死だからそうしてると言うが、加賀からするとそれは彼の人間性による照れからの諧謔に過ぎないと思っている。

 なぜなら彼は自分以外の事のために、自分の時間のほぼすべてを費やしているのだから。

 鎮守府を統括する司令官の仕事は多岐にわたり、ただ机でふんぞり返っていればどうにかなるほど簡単な物じゃない。

 時には即決即断で判断を求められる緊張感のある瞬間もあるが、実際の業務のほとんどが事務的な物で占められている。

 それを日々こなすだけでもそれなりに労力が必要な事であるし、それに加えて海軍部から来る拒否権のない任務。日々の兵器開発――――などに掛る労力だって必要だ。

 

 そうすると彼が自分のために使える時間などたかが知れている。そんな中で佐々木は素人から脱却し、己の艦娘を出来るだけ傷つけ無いために最善を尽くすための努力をする。作戦立案に関わる知識や、兵器の知識。様々な海域の天候に関わる知識など、それはそれなりに形となっている今でも止めること無く続けている。

 それは主に、通常業務が終了した後の時間を使って行われるのだ。文字通り寝る間を惜しんで。

 加賀はそんな佐々木を見て、一筋縄ではいかない老獪さを持つ東郷が、なぜ彼を買っているのかの一端が見えた気がした。

 

 それと共に、これらの戦の先にある何を求めているのかも。

 それを自分も見てみたい。加賀はそう思った。

 ならば己の命を彼に預けるのもいいだろうと考えたのだ。

 

 そして加賀は克と目を見開くと、弓を静かに構えた。

 続けて彼女は叫んだ。いや、吠えたという方が正しいか。

 暗闇の中、常に平静である事を良しとする航空母艦の咆哮が、周囲の空気を震わせた。

 

「死にたいものはどこにいますか? ここを通るというならば、私の矢が全てを切り裂くでしょう。……いえ、邪魔だから消えなさい!」

 

 加賀の手元がぶれた。それほどの速射だった。彼女の弓から放たれた矢は、空中に解き放たれた瞬間、その姿を戦闘機のそれへと変え、一直線に敵に向かった。

 それはまるで闇夜を引き裂く火の鳥の様に、狙われた敵すらも思わず魅入った程に。

 そして訪れる轟音と、その結果一撃で肉片と化す深海棲艦の群れ。

 蒼き麗人の本質は修羅であった。

 

 そして――――

 

「ふふふっ、さすが一航戦は伊達じゃありませんね。これならば提督もお喜びでしょう」

 

 そう言って朗らかに笑うのは、目まぐるしく動く戦場の一番の中心で、勇ましく腕を組み佇む大和であった。その先には深海棲艦の鬼が睨むように浮いている。鬼は目視できるほどの殺気を大和に向かって放射している。

 しかし大和はそんな気を削ぐかのようにふるまう。緊張感が漂う前線には不釣り合いとも思える、彼女がいつも携えている和傘。それをくるくると指で弄びながら、大和は鬼に向かって妖艶に微笑んで見せた。

 そんな大和の指先が鬼を差し、そして次に己の首元へと移る。雰囲気に呑まれたのか、鬼は戦闘行動に移ること無く大和が描く指先の軌跡を追った。

 

「見えますか? ここにある紋を。これは私の誇りであり、存在意義なのです。私はこれを背負い、ここにいる。貴方に理解できるでしょうか? いえ、別に返事は結構ですよ。なぜならこれはただの誇示に過ぎないのですから。今起こっているこの状況、これは間違いなく私たちの危機です。けれど――――貴方さえ消えれば後は有象無象に過ぎません。そして今、私を信じて露払いに徹してくれている仲間がいます。ならば、後は私が貴方を倒せばいいだけ……でしょう?」

 

 妖艶な笑みが一転、凄惨な笑みへと変わる。瑞々しく潤んでいた大和の桜色の唇は、突如三日月のような鋭角を描き、勇ましく胸の前で組まれていた両の手が、静かに開かれていった。

 それと共に四基の三連装砲の十二の砲門が、金属の擦りあう甲高い音を立てて動き始めた。

 やがて鈍色に輝くそれらがぴたりと止まった。

 

「茶番はここまでです。私たちの家をこれ以上土足で踏みにじる事は許しません。武蔵、信濃、見ててくださいね。これが戦艦大和ですッ……!」

 

 闇を引き裂くかの様な大和の口上と共に、彼女の背にある砲口が一斉に火を噴いた。

 それは周囲一帯だけでなく、水平線の彼方まで届くほどだった。

 100メートルも離れていない距離で正対していた大和と鬼。

 その結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

 その刹那の事だった。一切の抵抗を見せない敵に、どこかおかしな思いを抱いた大和が見たのは。

 そう確かに笑っていたのだ。その鬼は――――

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「暁、早く来い。置いていくぞ」

「ま、待ってよ! 暗くて見えないんだから!」

「立派なレディが聞いてあきれるな。ほら、手を引いていやるから来いよ」

「…………大丈夫だもん」

 

 あちこちで轟音の響く中、木曾と暁は司令部本棟から一直線に居住区を目指して走っていた。

 本棟から居住区までの直線距離は約1㎞。海上であれば一足飛びに移動できる距離であるが、今は事情が違う。

 彼女達が佐々木から与えられた役割は人命の救助。その為海上移動を行う事で敵に補足される事は困るのだ。ゆえに彼女達は陸上を己の足で移動せねばならない。

 日ごろから肉体の鍛錬に余念のない木曾は、なんなく全力疾走をシテ見せるが、暁はそうはいかないようだ。

 彼女は駆逐艦であり、海上に居さえすれば木曾なんかよりもよっぽど速く動くことが出来る。それが駆逐艦の特色であるからだ。足の遅い駆逐艦など、ただの的でしかないのだろう。

 しかし丘の上の暁は、ただの少女に過ぎない。その結果、顔を真っ赤にして走る羽目になっていた。

 

 普段から大人の女性に憧れる暁の自尊心に配慮した木曾は、さりげなく速力を抑えて走っていたのだが、残念ながらそれでも暁には速かったらしい。

 いっそ背負って行く方速いかな? 木曾はそう考えるが、言ったところでへそを曲げるだけだとその考えは放棄したのだった。

 

 しゃがみこんで荒い息を整える暁。そんな彼女に手を差し伸べた姿勢で木曾はふいに首をかしげた。

 木曾の手を握ったものの、一向に引っ張る事をしない木曾を暁は怪訝そうに見た。

 

「どうしたの?」

 

 暁はそう尋ねるも、木曾は闇夜の空の一点を見つめたまま動こうとはしない。

 だが暫くして呟くように口を開いた。それは暁に言うというよりは、自問自答の様な口調であった。

 

「……おかしいな。海上での戦闘音は聞こえるが、丘の方向での戦闘音はしない。電探にもそれらしい反応は返ってこないな」

「大和さん達がみんなやっつけちゃったとか?」

「いや、それはあり得ない。別に大和たちの戦力を疑う訳でも無いが、単純に奴らが向かってから時間があまりたっていないからな。……何か意図があるのか?」

 

 そうして数秒、木曾は動かなかったが、暁が彼女を現実に引き戻すように木曾の手を強く引いた。

 

「よく分からないけど、今も怖くて動けない人たちがいるかもしれないわ! だから私たちはその人たちを守るだけよ!」

「あ、ああ、そうだな。結局は今私たちに出来ることをするしかない。しかし暁、少しはレディに近づいたんじゃないか?」

「あ、当たり前じゃない! 私は立派なレディなんだから。行くわよ、木曾さん!」

 

 そうして2人は漠然とした不安はある物の、少しでも被害を減らすために居住区へと急ぐのだった。

 たとえ丘の上だろうと、その機動力が落ちるだけで背中の艤装はいつでも出せる。

 木曾は密かに獰猛な笑みを浮かべ、すぐさま敵に襲い掛かれる準備とばかりにその思考を戦闘の時の物へとシフトさせた。

 暁は木曾に褒められた事をうれしく思い、不謹慎ながらスキップを踏んでいたけれども。

 

 夜はまだ始まったばかりだ。

 こうして終わりの始まりとなったきっかけの日は動き出したのであった。

 

 ――――つづく




大和は口上の時、きっとガイナ立ちしてるはず。そんなイメージで書きました。

夏イベ前の備蓄モードだというのに改二ラッシュに新任務ラッシュ。蒼龍改二に明日は榛名が改二。鋼材と弾薬がマッハで泣けてきますね。

まあ大和型もうちは居ないし、陸奥は居れど、長門もいない。だけど空母は軒並み90オーバー。なんてチグハグな鎮守府なんだろう。

皆さんは備蓄頑張ってますか?


※修正

大和の三連装砲についての描写に指摘があったため修正。

4門の三連装砲の

4基の三連装砲の

加えて若干の描写を加筆。

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。