私と鋼鉄の少女   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

12 / 19
蠢く

「航空母艦、加賀です。本日付けでこちらへ着任しました。佐々木提督閣下、以後よろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む。ここにはまだ空母がいなかったので、今後の活躍を期待する。いやしかし、閣下はやめてくれ。こんな若造であるし経験も浅い。なんにせよ柄じゃ無いからな。まあとにかく細かい諸々の事はすべて秘書艦である愛宕に一任してあるので、この後彼女に従い事務手続きなどを済ませてくれ。以上だ。下がってよし」

「はっ」

 

 私は今、海軍大本営の連合艦隊長官である東郷長官の肝いりでここへやってきた、正規空母の加賀と対面している。

 彼女は日本人女性の清楚な部分だけを集めたような凛とした女性で、セミロングの黒髪を頭の左側で纏めてあり、服は目の覚めるような青を基調とした弓道家のような袴を履き、胸当てをしている。

 私は空母とカテゴライズされた艦娘を初めてみたが、彼女は大和たち以下の艦娘の様な無骨で威圧感のある艤装は持たず、飛行甲板と呼ばれる物を西洋鎧のガントレットの様に腕にはめ、反対の手には弓を持っており、背中には日本の国旗を模した羽を持つ矢を収めた矢筒があった。いや、これが彼女たち空母の艤装と呼ぶべきか。

 

 彼女は着任の名乗りを終えると私に向かって綺麗な敬礼をして見せた。それに対して私は机の上に置いていた制帽を被ると、立ち上がって彼女に答礼する。最近ようやく様になってきたと愛宕さんに褒められた海軍式の敬礼だ。

 

 私は元々一般市民でしかなかったから知らなかったのだが、敬礼にもいくつか種類があり、しっかりとした作法を守る事が一つの礼儀とされている。

 私が知っているいわゆる敬礼と思っていたものは、実は陸軍式の物で、それを海軍でするのは間違っているという事だ。

 

 具体的には右手を額に沿えるという部分は一緒なのだが、腕の角度と掌の向きが全く違う。私は繰り返し愛宕さんに教育されて漸く慣れたものだが、海軍式は右の肘を前に突き出すようにし、そのまま真っ直ぐに指先までを上に伸ばす。そして掌を見せぬように内側に向けるのだ。

 

 これが陸軍式となると、右手の二の腕が地面と水平になるようにし、そのまま額まで一直線に指先を向けるのだ。前から見ると腕と身体の芯が綺麗な三角形を描くように見えるだろう。

 私が映画などで見知って敬礼だと思っていた行為はこちらの方だ。

 

 ただそれだけでは無く帽子を着用していないときは、手を添えることはせずに両手を体の横に沿え、相手から視線を外さないように頭をすこし下げるのみだったりする。

 こういった作法を守らない事は、自分が無知であるという以前に、相手に足して酷く失礼であるため、私の敬礼が完璧になるまで相当扱かれたものだ。

 

 そして数瞬、視線を真っ直ぐに合わせながら敬礼を交わしていた私と加賀であるが、何故か下がってもいいと伝えた後も彼女はそのままの姿勢で動かない。

 横で控えている愛宕さんも怪訝そうな表情をしているが、何か私に言いたいことでもあるのだろうか?

 

「……どうした?」

「いえ、東郷長官より聞き及んでいた貴方の印象と、実際にお目にかかった貴方の印象が随分違うなと思いまして」

「ふむ? 私は直接東郷長官とは面識は無いのだが、管理官を通して色々目を掛けていただいている事は知っている。しかし私の印象か。どうせ艦娘に甘い無能とでも聞いたのだろう?」

 

 そう言って笑うと、加賀の横で愛宕さんが苦笑しているが、何故か加賀は真剣な表情のまま言葉を発しない。

 しかし暫くそうしていると、やがて彼女はぽつりと言った。

 

「…………と思いまして」

 

 それは私や愛宕さんの耳にかろうじて聞き取れるかどうかという程小さな呟きで、彼女の表情を見ていると、私に言ったというより自分に何かを言い聞かせている様な口調に思えた。

 

「申し訳ないが、もう少し聞こえる様に言ってくれないか? 何か希望があるのであれば、今言ってくれた方が私としては嬉しいが」

「いえ、申し訳ありません。栓無き事でした。第一航空戦隊の誇りを汚さぬよう努めますので、以後よろしくお願いします。では提督、失礼いたします。愛宕さん、案内をよろしく」

「あ、はぁい? では提督、行ってきますね」

「?……ああ、頼む」

 

 彼女の言葉は何か含みがあるように思えたが、かといって棘があるような雰囲気にも思えない。

 それならばまた別の機会に聞ければいいだろう。私はそう考え、退室を許した。

 急に話を振られた愛宕さんは目を白黒させていたが。

 

 加賀と愛宕さんの出ていった司令室は静かな物だ。

 私の背にある大きな窓は換気のために開けているが、そこから暁たちの騒ぐ声がかすかに聞こえる。

 今日は特に遠征も任務も入れてはいない。きっと中庭に姉妹で集まって遊んでいるのだろう。

 最近は島風もその輪に入っているのを良く見るが、何せ速さという物に執拗なまでのこだわりを持つ島風が、漸く輪の中に入ろうという協調性を見せたことは嬉しく思う。

 まあ我の強さでしょっちゅう喧嘩もしているようだが……。

 

「今日は加賀。次回は金剛型と扶桑型の戦艦に潜水艦も数人来ると言ってたな。私に上手く接する事ができるだろうか?」

 

 二階にある司令室の窓から眼下を見ると、綺麗な芝生が緑の絨毯を作っているのが見える。

 私はそれを眺めながら、これから増えていく艦娘たちを思うと憂鬱になり、思わず口にだして愚痴を吐いてしまった。

 聞くものが誰も居ない事だけが救いではあるが。

 

 帝国各地で被害に遭い崩壊した鎮守府。その生き残りの艦娘を私の鎮守府で引き取る。それが私と東郷長官の間で交わされた盟約のひとつだった。付け加えるならば、崩壊した鎮守府の所属だった艦娘が直接ここへ来た訳では無く、ワンクッション挟んだ上でここに来てるのだ。長官の支配下にある、本来は海軍所属の艦娘が実践前に練度を上げるための修練施設。そこでリハビリをしていた様だ。そこで実践登用に足ると判断された艦娘が今回ここへ送られてくるのだ。

 つまり簡単に言えば、大和も参加していたあの作戦の生き残りという事だ。リハビリを終えたならそのまま連合艦隊に所属すればと、私は素人ながらに思うが、そうもいかない複雑な事情とやらもあるらしいな。

 

 鎮守府が崩壊したことで行き場を失った艦娘が、政府の連合艦隊で引き取るための試金石としてあの作戦を提示され、しかし実際は捨て駒にされただけのあの作戦。

 本能のレベルで敵と戦う事を刷り込まれたと言える艦娘が、所属する鎮守府を失くせば後に待っているのは解体処分というのが通常らしい。しかしその存在意義からほとんどの艦娘はその無茶な作戦を受け入れたのだという。私がその場にいた訳でも無いから、己の心情のみでそれをどうこういう事は出来ないにしても、何とも不条理な生き方だと嘆かざるを得ない。

 

 とはいえ結局は作戦決行寸前で深海棲艦のカウンターに遭い連合艦隊のほとんどが轟沈し、前線にいた捨て駒とされた艦娘は指揮系統が崩壊したことが幸いし、結果、それなりの数が生き残ったというのが事の顛末だ。

 私はそれを東郷長官との盟約を交わした事で知る事が出来たのだが、本来であれば花の連合艦隊の崩壊など、公的なメディアには絶対に載らない情報だろう。それは軍全体の士気の問題もあるが、それ以上に民意の誘導という部分でもマイナスなのだろうから。

 

 とにかく色々と問題はあるにせよ、ここの鎮守府の台所事情を考えれば、今回の異動に関して私は表面的には歓迎すべきことだろう。それはいくら私が備蓄資源に気を使っているとはいえ、動かせるマンパワーの限界から計算できる資源収集の絶対量を考えれば、大型艦の充実をここだけではかる事は現実的に厳しいのだ。

 

 本来であれば相当な量の資源を溶かして漸く建造できる大型戦艦や空母である。特に会敵した際に制空権を奪い、戦況を有利に持っていくためには空母の存在は欠かせない。しかし我が鎮守府には現在空母はいないし、今後も建造の目途はたっていない。

 そんな時に降ってわいたような話とはいえ、暁たちの様に練度が高い状態で艦娘を運用できる事は素直に喜ぶべきだろう。

 

 そしてその内訳に戦艦に空母や潜水艦という、喉から手が出るほどに欲しかった人材が含まれるのだから。これらを有することで、暁たちの負担をずいぶんと減らすことが出来る。それが彼女達の危険を減らす事につながるのだから。

 

 しかしこれには裏がある。それは加賀を始めとしたこれからやってくる艦娘達は、某かの長官の思惑が混ざった状態でここに来るという事が予想される点だ。

 彼が海兵として現役だったときは、歴戦の提督として名を馳せたと有名な東郷長官である。この世界の過去にあった戦争において、彼が率いて出撃した艦隊は負け知らずだったという。

 そんな彼が現場を去り海軍の幹部となった今でも、現場主義を掲げた方針で他の幹部や派閥と丁々発止を繰り返す事でも有名なのだ。

 

 それは厳しくもあるが、艦娘を人間の部下と同じく扱うという事でもあり、その部分は私にとっても同様の思想であるため好ましく思える。

 しかし有能な軍人とは、情報戦にも長けているという事がある。そうでなければ海千山千の他国の猛者たちを出し抜くことは出来ないだろうし、そんな中で生き抜いてきた彼が、幹部となった今でも、派閥的には小さいと言われてる彼が、未だ海軍内で多大な影響力を発揮しているという事実はそういう事なのだろう。

 

 私は私の目的のために大和たちを引き取ったが、その際に私の動向や思惑が既に長官に知られていたのだ。それは管理官を通して聞いたのだが、いやはや聞いた瞬間は背筋が凍った物だ。

 いやそれ以前に暁と響以降、他の鎮守府所属であった雷や電なども積極的に引き取った件なども含め、特に報告を上に上げる前にすべて知られていた事が非常に不気味に感じたのだ。

 

 私の目的。それは私がこの世界に生れ落ちた理由を突き詰め、その上で私が感じている不条理の原因をすべて明らかにすることだ。

 何故深海棲艦は人間を憎むのか。そして艦娘はどこからやってくるのか。その根底にある謎すべてを暴いてやりたいと私は考えている。

 それは結果的に艦娘と深海棲艦が戦うという現在の構図を覆す結果になると信じている。勿論それはいい意味でだ。そうなれば不毛な繰り返しとも思える現在の状況を覆すことができるだろう。そうなれば暁たちの生き方を、もっと彼女達自身のために色々と選択肢を用意し、自ら選択できるという事が許される世の中になるだろう。

 

 滑稽な話だと他人は思うだろうが、しかし何故か私にはそれが出来ると根拠のない確信がある。

 それは沸き立つ衝動の様な物で、ここへきて二年経ってもまだ鎮火すること無く私の心の奥底で轟々と燃えている。

 

 その為には深海棲艦と直接私が対話をしなければならない。しかし私はそのことで危険な目に遭うかもしれない。いや、必ず遭うだろう。彼女達は世界を震撼させている敵なのだから。

 しかし今の私には、私を支えてくれる仲間がいる。私の本当の気持ちを知ったうえで尚、私を支えようとしてくれる仲間が。だからこそ私は後ろを見ないで進む事ができるのだ。

 

 しかしあの日、大和がここへ来て一週間後にやってきた管理官が私に言った言葉。

 

「貴方がなさろうとしている事は、長官も把握されております」

 

 その瞬間、ただの綺麗な女性としか思っていなかった管理官の笑顔が、自然とも不自然とも取れるアルカイクスマイルに見えた。

 その時はなぜ私のことが克明に把握されているか理解できなかったが、それは考えても仕方がない事だろう。

 情報部の無い軍など無いのだ。情報を蔑ろにして戦争は出来ない。結局のところ、にこやかに世間話をする間柄だと思っていた目の前の女性は、ただの事務官などでは無く、情報畑の所属なのだろう。

 今までの彼女と私との会話はすべて分析され、もしかすると何処かに盗聴器でもあるのかもしれない。

 

 だが私はそれを責めるつもりもない。なぜならそれが彼女の仕事なのだろうから。

 ただ私の思想は大和がこの前言ったように危険な物だ。それを海軍のトップに位置する人間が把握しており、そしてそれを許容すると非公式であるが言ったのだ。

 私はそれを額面通りに受け取っていいのか未だに悩んでいる。今後どこかのタイミングで、一度直接会うべきだとは思うが、中々そうもいかないのが実情だ。

 周りの目もあるだろうし、それ以前に大本営のある帝都はここから遠い。一応管理官には直接会いたいという旨は伝えてあるのだが、長官もまた忙しいのだろう。

 

 そして長官との盟約の中で、私が深海棲艦とのコンタクトを持つ事と、他の鎮守府とは違った私の方針のみでここを運営することを認めて貰った。

 その事を認めて貰う条件としての艦娘の受け入れなのである。私が直接対話をし、納得ずくでここへ所属してもらうのとは違い、長官の下に一度保護された艦娘がここへやってくる。

 何というか現状は長官の手の上で踊っているような錯覚を起こすが、彼もまた何かの思惑を持っているのだろう。それが私の目的と交わるかどうかは分からないが、今はある程度同じ方向を向いているのだと思われる。そうでなければ私の我儘など通る訳もない。なぜなら私は素人丸出しの新参司令官なのだから。

 

 それでも私は止まる訳にはいかないのだ。私が見ている丘の上にある石。それを私は既に蹴りだしたのだから。後は何かにぶつかるまで転がるしかないのだ。

 

『おーい! しれいかーん』

『これから皆で鬼ごっこをするのよ! 司令官もおいでよ! 引きこもってばかりいたらだめよぉ!』

『なのです!』

 

 ふと見れば下で暁たちがこちらを見ていた。本日は特に任務の予定は入れていないから、それぞれが休日を楽しんでいる様だ。

 無邪気な笑顔。元気な姿。小さな身体で力いっぱい私に手を振っている。

 こうして見れば、彼女達は兵器などではなく、年端もいかない少女にしか見えない。

 そんな彼女達を見ていたら、こうして腐っていても仕方がないなと思える。

 

 

「私はまだ仕事があるんだ! 悪いが私はいけないが、せっかくの休みだ。後で間宮に寄りなさい。アイスを振舞うように言っておく」

『やったー!』

 

 私がそう言うと彼女達は嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねまわっている。

 ちょっとした出費で私もこうして元気をおすそ分けして貰える。そう考えれば安い物だ。

 アイスが食べれると喜んでいた彼女達だが、気がつくともうどこかに走って行ってしまった。

 うん、やはり最近中学校に入ったばかり位の初々しい少女たちにしか見えないな……。

 あのクールな響だって、口では興味がないなんて言いながらも結局は一緒に走り回っている。

 よし、頑張ろう。彼女達を安心して海に出せるように。そして終わりのない戦いを終わらせる事ができるように……。

 

「さあもう一頑張りするか。……ま、なるようにしかならんのだから」

 

 私はそう呟き、机へと突進する。さっきまでの暗鬱とした気分は既にどこかに消えていた。

 そんな気分に触発され、思わず下手くそな口笛を吹く。大好きだったアメリカの偉大なシンガーソングライターの曲。

 転がりだしてしまった石は、もう止められない。後は風に吹かれて(Blowin' in the Wind)結果を待つのみ、だ。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 

「おや、司令官じゃないか」

 

 私が事務仕事をあらかた片付けた後、すこし息抜きでもしようかと港へと散歩をしていたら、埠頭の突端に先客がいた。響だ。なんだかぼんやりと海を眺めている。

 そんな彼女は私に気が付くと、いつものように抑揚のあまりない口調で話しかけてきた。

 

「やあ響。Здравствуй(ズドゥラーストゥヴィ)」

「司令官、Здравствуй。もうすっかりロシア語の挨拶は覚えてくれたね」

 

 彼女と顔を合わせた時の恒例行事である片言ロシア語の挨拶。

 本当に片言なので私的には何とも気恥ずかしい話なのであるが、私を見上げる彼女の瞳は真剣で、まるでバイカル湖の水面のように透明なエメラルドグリーンだった。いや、私はバイカル湖を見たことがないけれど、深夜の国営放送で流れる環境映像ではそう見えた記憶があるだけだ。

 

「ま、挨拶だけはな。会話は無理だよ」

「それでも嬉しいさ。私がここに来た時、司令官は約束してくれたからね。ロシア語を覚えてくれると」

 

 そう言うと響は自分の横をぽんぽんと叩いた。隣に座れという事だろう。

 私が素直に座ると、彼女は納得したように二、三度頷き、そしてまた視線を海へと移した。

 

 ここは鎮守府と外海をどちらも見渡すことが出来る赤い灯台のある場所で、私のお気に入りの場所だ。

 何かあると私はここに来て、ぼんやりと海を眺めることにしている。

 堤防に囲まれた鎮守府の中はよっぽど強風でも吹いていなければ、さざ波すら起きないほどに穏やかだ。けれど外海はその日の天候で驚くほどに波が高かったり、または沖まで見渡せるくらいの穏やかな凪だったりと、様々な表情を見せてくれて飽きないのだ。

 何か考えを纏めようとか、あるいは何も考えたくないって時におあつらえ向きの場所でもある。

 

 とはいえ私だけの秘密の場所という訳でも無く、私の艦娘たちには知られている訳で、私がここでぼーっとしていると誰かしらが乱入してくることもしばしばだ。

 今日は響がそうだったという事らしい。

 

「間宮には行ってきたかい?」

「うん、おいしかったよ。ごちそうさま、司令官」

「どういたしまして。それより響、もう皆と別れたのかい? 何やら楽しそうに遊んでいたようだけど」

「……それほど私は子供じゃないさ。楽しくはあるけど、慣れないんだ。退屈じゃない時間という物が」

 

 そういって響は少しばかり揺るんだ表情をいつもの仏頂面へと戻してしまった。

 何というか彼女を見ていると、大人と子供が混ざり非常にアンバランスな様に見える。

 

 彼女が普段被っている帽子は暁姉妹共通の黒いキャップに錨のマークがある物だ。今もそれを被っており、風で飛ばないように手で押さえていた。

 しかし戦闘を伴う遠征や任務の際は白い帽子へと交換する。最初はクールな彼女であるから、そういった意味の拘りなのかと私は考えたがそうでは無かった。

 

 艦娘は鎮守府に所属するに当たり、そこの所属であるという事を大本営に事務的な登録を行わなければならない。

 それは例えばうちにいる愛宕さんと同じなまるで一卵性双生児の、いやクローンのように全く同じ見た目と能力を有した愛宕が他の鎮守府にも存在する事があるため、合同任務などで混同されないように識別を明らかにするという意図がある。

 

 まったく不思議な話であるが、理由を問うたところで実際そうなのだからどうしようもない。

 そして実際どうやって登録されてるかと言えば、「高雄型二番艦 愛宕 ○○方面××泊地 △△鎮守府所属」という登録名で、軍人のドッグタグの様な物が支給されるのだ。

 実際は半透明のIDカードのような物であるが、各自艦娘はこれを常に携帯する義務がある。

 

 そして響であるが、彼女は「特III型駆逐艦 響」では無く、ただ「 Верный (ヴェールヌイ)○○方面××泊地 △△鎮守府所属」となっており、細かい形式までは記載されない。

 それは彼女の生い立ちに関係しているらしいのであるが、私の国でかつてあった大きな戦争、それを幸か不幸か生き抜いた彼女は、その戦後に敵国だった国への賠償艦として引き渡されたのだ。

 その際、その国で改装された結果、Верныйというその国の言葉で「信頼できる」を意味する名前へと変わった。

 その出来事はこの帝国にはなんら関連性は無いのだが、それが彼女達が例外なく持ち合わせている過去の記憶のなせる技なんだろう。

 とにかく響を高練度域で改装を行うと、例外なくВерныйと識別される型式に変化するのだ。

 

 うちの響は、ここに来る前からВерныйへと改装されていたのだが、本人の中で拘りがあり、Верныйと呼ばれるより響でいたいと言うのだ。

 私はそれになんの抵抗も感じないし、彼女がそれで幸せならばそれでいいのだと思う。

 

 しかし今日の響はどこか変だな。

 そもそもこの場所へやってくる艦娘は、私を仕事に戻そうとする愛宕さんや、なんだか不思議な言葉使いとぶっきらぼうな話し方で他を寄せ付けない雰囲気を持つ木曾――と見せかけて、実はスキンシップをよく求めてくる木曾が多い。

 たまに島風や暁がやってくるが、それはこっそりおしゃべりをしたいかららしい。他人の目のあるとこで自分をさらけ出すのが恥ずかしい2人という事だ。

 だが響は今までここへ来たことはない。しかし今日ここへやってきたと言うことは、何か話でもあるのだろう。

 と言っても彼女は積極的に会話をするというタイプでも無いから、私から話を振ってみるしかないか。

 

「なあ響、何か悩みでもあるのか?」

 

 私もまた彼女と同様に海を眺めてそう言った。

 もうすぐ夕陽となり、水面の色が鮮やかになるだろうな。

 

「悩み……という物でもないけれど、最近司令官が私たちをあまり構ってくれないな」

「……そいつはすまん。そういう意識も無いのだがなァ」

「そのせいで暁姉さんは大和さんの後をつけ回し、レディの秘訣を盗むとか言っているし、雷はもっと司令官に頼って貰うのだと料理の勉強を始めたよ」

 

 私は前を向いているが、何というか顔の右の辺りがチリチリする気がする。

 ……きっと響は私を睨んでいるのだろう。怖くてそっちを向けないな。

 何というか響は普段は無表情なのだが、時折こうして逆らうことが許されないオーラを感じるときがある。

 

「……本当に重ね重ねすまん」

「続けるよ。電は何か思う所があるのか、普段飲んでいる牛乳の量が倍に増やしたよ」

「牛乳についてはよく分からないが、あんまり飲むと腹を下すかもしれんな」

「……そう言うことじゃないよ」

「すまん」

 

 その後も静かながらに変なプレッシャーを与え続けた響の、長い説教は夕暮れまで続いた。

 色々言われたが結局のところ、最近の私は大和や愛宕とばかり話しており、それ以外の子たちをぞんざいに扱っている様に彼女たちは感じているらしいという事。

 

 言われて確かにそうだったかもしれないと思い当たる事も無くはない。

 それはこれからやってくる新しい艦娘を受け入れるに当たり、いい部分だけを見れば戦略の幅がかなり拡がる。

 しかしそれは指揮をする私自身に、それを扱いきれる知識と判断力が備わっていてこそでしかない。

 それが無ければどんな強力な武器を持ったところで能力の十全を発揮できずに終わるだろう。

 そうなれば宝の持ち腐れでもあるが、戦場を混乱させ、マイナスの効果しか生まない可能性だってあるのだ。

 

 だからこそ私は、毎日遅くなるまで知識と経験においてはこの鎮守府の中で一番だろうと思われる大和に指南を受けていたという訳だ。

 私という存在はは、もはや私一人だけの物では無くなってしまった。それは彼女達の命を預かっているという責任があるからだ。

 それがある以上、私が素人なのだと言える訳もなく、敵はこちらの都合など考慮などしないで襲ってくるだろう。

 今の状況は極めて落ち着いてはいるが、この鎮守府からの近海エリアでは、斥候と思われる足の速い駆逐艦が見受けられる。

 それらはこちらを特に攻撃することもなく、まるでこちらを観察するかのように一定の距離を保ち、哨戒している島風などには近寄らないそうだ。

 

 こういった事から判断できるのは、近いうちに深海棲艦の攻撃が本格的になるのではないかという事。そしてその目的は、鎮守府を制圧しようという事では無いだろうかと私は思うのだ。

 それはここら一帯に特に資源が採掘される油田も鉱山も無いが、帝国全域に拡がる資源輸送のための海路がこの辺りを通っているからだ。

 補給路を断つ。これは遠い昔から選ばれてきた立派な兵法だ。

 

 私は私の目的のために様々な知識を求めているが、それも皆、鎮守府あってのことだ。

 そのため私は、今のこの落ちついている小康状態の間に、吸収できる知識は出来るだけ欲しており、空いた時間の大部分をその為に費やしている。

 

 そんな私の行動を考えれば、自分の部屋と司令執務室の往復のみだ。たまにこうして散歩をするが、艦娘たちと会話するっていう事だけで考えれば、大和と愛宕以外の娘に関しては、ほとんど無線を通しての物ばかりだったな。

 

 私はそんな事を考えていると、ふとある事に思い当たる。

 いや、ある情景を思い出せられたという方が正しいか。

 海の傍のボロ小屋。漁師が倉庫にしていたという古い一軒家。

 そこが元々の私の暮らす家だった。

 

 家具もほとんどなく、家の周囲を囲むガラス戸はカーテンも無いから日差しが強くていつも困っていたあの家だ。あそこで私は暁と出会い、そして響もそこにやってきた。

 私と2人が暮らした期間はそれほど長いものでは無いにせよ、毎晩私と彼女達は色々と他愛のない話を繰り返したものだ。

 2人は私が生きていた世界の話を繰り返しせがんできた。それは彼女達の戦ったあの戦争の後の話になるからだ。

 

 当時の彼女達は物言わぬ鋼鉄の軍艦でしかなかった。しかしその魂はしっかりと宿っており、自分の中で多くの日本人が必死に戦い、血を流す姿を見ていたのだという。

 だからこそ、自分たちの戦った後の世がいい物であってほしいと願うのは当然の事だろう。

 私は小さく幼いが、偉大な彼女達に、良い事も悪い事もすべて話して聞かせた。

 それでも君たちのおかげて幸せにくらせているよと感謝をしつつ。

 

 彼女達はそれは時折笑い、時折涙を浮かべて何度も聞かせてくれと私に催促をした。

 あれは彼女達にとって特別な時間だったのかもしれない。もちろん私にとってもそうだ。

 とはいえ私は自分の忙しさをいい訳にし、それらを放置してたのは事実だ。

 私は横にいる響の黒い帽子を取り、そして私の制帽を彼女の頭に載せた。

 何をするんだと怪訝な表情を一瞬見せたが、その後はなんだか嬉しそうに私の帽子を彼女は撫でた。

 私は彼女の帽子を被る。それは小さくて私の頭にはサイズが合わないけれど、この帽子は彼女の戦いの記憶と共にあるのだと思えば、何となく重く感じる。

 

「なあ響」

「なんだい」

「今度時間を作ってさ、あの家に雷も電もつれて泊りに行かないか? もちろん暁もさ」

 

 私の言葉に彼女は返事をしなかったが、大きく見開かれた瞳を見ると、私の答えは間違いでは無かったのだと思える。

 そして私は立ち上がると、薄暗い堤防を歩き始める。彼女も静かに私の後をついてきた。

 暫くして鎮守府が見えてきた頃、私の後ろから小さな声が聞こえた。

 

「……司令官、Спасибо」

 

 彼女独特のありがとうの言葉。

 だから私もそこに重ねたのだ。

 

「響、Большое спасибо」

「!!」

 

 ありがとうよりも、もっとありがとうと言う感謝を込めた言葉。

 無言で駆け寄ってきた響の手を取り、私たちは歩いていくのだった。鎮守府(ホーム)へ。

 

 

 そしてそれはその日の深夜の事だった。

 街が深海棲艦に襲われているという一報を私が受けたのは――――。

 

 

 つづく

 

 




加賀さん追加。

一日前倒しで投稿しました。いや、書けたからというのと、明日明後日が忙しいという私事のためですが。

皆さん台風には気を付けてくださいね。
慢心 ダメ 絶対

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。