私と鋼鉄の少女   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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私と戦艦の娘

『提督、現在製油所近海の輸送路付近へと到着した、送れ』

『了解。現在の速度を維持したまま、付近の警戒を続けてくれ、終れ』

 

 海上にいる佐々木の第一艦隊の旗艦、木曾との無線通話を終えた佐々木は、疲れたように執務室の椅子に背中を預けた。

 現在第一艦隊は旗艦の木曾を筆頭に、五十鈴、暁、響、雷、電の総勢六名で、補給の要となる製油所からのタンカー輸送海路の哨戒任務を行っている。

 現時刻はヒトサンマルマル。もう間もなく一番気温の高い時間帯を迎える。

 

 この鎮守府のある地域は、南西諸島と呼ばれる大小様々な島により形成された地域と、大陸沿岸を含んだ西方までの沿岸部のエリアを管轄としている。

 帝国において最重要な航路の一つであるこの地域は、戦略的な意味合いから、多数の鎮守府が設置されているが、佐々木の鎮守府は西方との境界付近にあるため、製油所付近の海域の防衛任務が多くなる。

 

 ただ所属している艦娘の分母が他の鎮守府から比べると圧倒的に少ないため、大本営海軍部の求める要請の全てをこなせる事は出来ていない。

 しかし他の鎮守府からの遠征もあるため、弱小鎮守府であるここの重要性はそれほど無いといえよう。

 有体に言えば、全く宛にされていないと言える。

 

 そもそも鎮守府の成り立ち自体そういう物なのだ。

 最初の規模はどこも小さく、そこから各々司令官たちの方針によって進歩の速度も様々である。

 ゆえに佐々木の鎮守府は、設立自体が日数的に浅く、必然的にまだ発展途上であるため、結果的に重要視されていないだけだ。

 

「愛宕さん、本部からの電文は届いているかい?」

 

 目頭を押さえるようにしていた佐々木が、ふと傍らで事務作業をしていた愛宕に声をかけた。

 

「いいえ提督。今のところ何の反応も無いですねぇ」

「そうか。それは良かった……と、言ったら怒られるだろうが、まあ良かった」

「提督、それは言わぬが花ですわ」

「そうだな――――」

 

 佐々木は愛宕と何やら含みのある会話を交わしていたが、それを遮るように無線の声が執務室に響く。

 

『提督、敵艦隊を発見した。内訳は軽巡ホ級に駆逐ハ級が二だ。交戦を行っていいか、送れ』

 

 無線機のスピーカーから響く木曾の声に焦りの色は無かった。

 それを感じた佐々木はさりげなく深い息をひとつ付くと、無骨な太いコードのついたハンディタイプのマイクに向かって冷静に指示を飛ばした。

 

『……数はそれほど多くは無いな。単縦陣で一気に殲滅せよ。尚、何か想定外の事態が起こった場合、木曾の判断に任せる。状況終了後の報告で構わない、終れ』

『了解、任せてくれ。終れ』

 

「ふふっ」

「……どうかしたか?」

 

 通信を終えた佐々木を見て、愛宕がくすりと笑う。

 そんな彼女を佐々木は怪訝そうに見る。

 

「いえ、提督も随分様になってきましたね、と思ったのです」

「ああ、そうか。うん、そうかもしれんなぁ。まあ必死って事だよ私も」

 

 

 苦笑いを浮かべる佐々木に愛宕は労いの意味を込め、お茶を淹れた。

 それを受け取りながら彼はこれまでの事を思い浮べる。

 今や、相当に練度の上がった己の艦隊を彼は信頼している。

 後は状況終了の報告を待てばいいのだ。

 

 彼がこの鎮守府の主として着任してから約二年。

 その間に増えた艦娘の数はそれほど多くはない。

 それは他の鎮守府から比べれば、実際ありえないほどに規模の小さい鎮守府であると言える。

 しかし彼は己の信念を持って、増やそうとはしなかった。

 

 正式な軍事訓練を行った人間から見れば、それは怠慢とも取るだろうし、あるいは成長していないと取るかもしれない。

 けれども佐々木はいい意味でも悪い意味でも素人でしかないのだ。

 素人がたとえどれだけこの任務に携わろうと、本職にはどうあがいても追いつけない。

 それは冷酷な判断であったり、合理的に切り捨てる非情さであったりと、主に精神面での意味合いでだ。

 艦娘とは人間と軍艦の両方の特性を持っている。

 しかし厳密に言うと人間ではないのだ。

 ある種、工廠での作業だったり、生み出した装備についている妖精と同じようなものである。

 つまり、近代化改修などをおこなう際の触媒として艦娘を使う事は、効果的に言えば海軍部が太鼓判を押すほどにその結果は著しい。

 

 しかし彼女達は人間であり軍艦である。その為、触媒となった艦娘がどうなるかと言えば、普通の女性に戻ってしまう。まるで憑き物が落ちたようにという言い回しもあるが、文字通り軍艦たる本質は消え失せ、艦娘の時の記憶も曖昧なままの無垢な人間の女性がそこに残るのだ。

 それはある角度から見えれば非常に残酷な事であろう。轟沈し本当の意味で死を迎えるよりはましだとて、それなりの年齢に達した親も兄弟もいない少女が、どうやってその後生きていけばいいのだろうか?

 それはある意味佐々木と同じような境遇ではあるが、少なくとも一般常識と生きる知恵を兼ね備えていた彼とは違い、悪い意味で純粋培養の少女がそこにいるのだ。

 

 その対処措置として、世界共通の法が整備されている。

 それは艦娘人道保護法と言う名前で呼ばれているが、要はなんのバックボーンを持たない退役艦娘の生活を保護するための法律だ。

 触媒にされ、或いは何らかの理由において退役をする場合、その艦娘はそれまで所属していた鎮守府のある国家でその生命の権利を保障される。

 そして人間として生きるために戸籍が用意され、元の鎮守府がその本籍地に設定される。

 ただそれが適用となる条件としては、司令官乃至提督、またはそれに準ずる資格を有する者が後見人とならなければならないという物がある。

 

 それにより退役艦娘は表面上は普通の人間として生きていくことが出来るが、やはりそれは万全とは言えず、艦娘として所属していた間に心無い提督により性的虐待を受けPTSDを追っている者がいたり、艦娘時代の戦闘の名残で一般生活にアジャストできない者もいたりする。

 佐々木のいた世界での実例を挙げれば、過去にあったベトナム戦争に参加していたアメリカの兵士が、一般の生活に戻った後に、悲惨な記憶がフラッシュバックし神経が休まらずに疲弊をしたりなど、顕著なPTSDの症状を発した。

 その結果、薬物におぼれたり犯罪に走ったり等という社会問題に発展したのだ。

 それに似通った症状を発症する艦娘もいるという事だ。

 

 つまり退役したとはいえ、順風満帆な人生を歩める保障などはどこにもなく、一般の人間が親から生を授かり、教育され自分の人生を作り上げていくというプロセスが通常であるのに対し、彼女達は突然社会の荒波の中に、なんの生活を営むという経験を持たないまま放り込まれるという事なのだ。

 それは中々に難しい問題であるし、それを佐々木は新人司令官時代に与えられた海軍支給の運営マニュアルの中で知った。

 

 しかしそれは非常にマイルドに記載されており、この世界に懐疑的であった佐々木だからこそ達した結論だろう。

 その後彼は、繰り返しここへ現れる任務担当の連絡管に質問をし、いよいよ持ってその実情を把握した。

 

 しかし現実問題、多くの軍関係者や合理性を追求する司令官たちにとって、彼女達は消耗品であるという事実は変わらない。

 けれども佐々木はそれをどうしても受け入れられず、その代わりに繰り返し同じメンバーで出撃することで練度を上げる方法を選んだのだ。

 それの良し悪しなど彼は問題としていない。己でそれを選んだのだ。

 彼の内面では艦娘を触媒に使う事を、どうも家畜を屠殺にかけるようで嫌なのだ。

 ただそれは肉を食べる人間には文句を言えない常識である。

 佐々木とて肉は食うが、それでも納得できないというのは、それが理不尽でエゴイストな人間の本質という物かもしれないにしても。

 

 そんな事を考えながら、愛宕の淹れた茶の芳香を楽しんでいた佐々木の耳に、ザザッという無線の入電を表すノイズが聞こえた。

 

『提督、状況終了。製油所沿岸まで哨戒を行ったが、敵反応は見えない。判断を頼む、送れ』

 

 木曾からの報告であった。

 佐々木は時計をちらりと見る。

 現在の時刻はヒトゴサンマル。

 そして佐々木は無線のハンディを持つと、淀みなく指令を出す。

 

『ご苦労。もう一往復哨戒した後、敵反応がなければ帰投せよ。今回も無事終わったようだが、帰り道も気を抜くな。ご苦労、終れ』

『了解した。一往復した後、敵反応がなければ帰投する。終れ』

 

 ピッっという音と共に、司令室に静寂が戻る。

 それと共に佐々木は深い溜息もらし、傍らの愛宕に苦笑した。

 命令を出す際の毅然とした彼の様子。それが彼のセルフプロデュースの結果な事は、彼の秘書官である愛宕には知られている。

 それ故どうにも彼は気恥ずかしさを感じるらしい。

 

「提督、お疲れ様でした」

 

 愛宕の慈愛の籠ったようなねぎらいの言葉に、佐々木はさらに苦笑を深くした。

 

「ああ、ありがとう。それよりも愛宕、大和はどうした? 朝から見かけないが」

「ふふっ、提督は大和さんがお気に入りですからねぇ。なんか妬けてしまいますわ。彼女なら工廠にいるかと思いますよ。新しい装備を作るのだと意気込んでいましたからね」

 

 愛宕のからかうような口調に、佐々木はそんなことは無いのだと慌てるが、最近の鎮守府では彼と大和の間柄を弄るのがひとつの娯楽となっている。

 とはいえ少なくとも佐々木は、取り立てて彼女に対して何か特別な感情を抱いているつもりは無い。ただ彼女と五十鈴がここへやってきた顛末を考えると、何となく目が離せないという気持ちなのだ。ただ大和はその経緯からと元々の気質から、佐々木への忠誠心は非常に強いのかもしれないが。

 もっとも佐々木がいちいち必死に弁解するので、逆に皆が面白がっているという悪循環を起こしている事を彼はあまり理解していないのであるが。

 

「ああ、そういえば開発の許可を出していたな。では私も様子を見に行こうかな。愛宕さん、何かあったら全館放送で呼び掛けてくれ」

「はぁーい提督! 大和さんとのデート、楽しんできてくださいね?」

「……もう勘弁してくれ」

「ふふっ、いってらっしゃい」

「……行ってくる」

 

 結局最後まで愛宕にからかわれ、佐々木は逃げる様に司令室から飛び出していった。

 それを見て笑う愛宕。そんな一幕もありつつ、鎮守府の任務は無事終わった。

 後に残された愛宕は、佐々木の使った茶器を片しつつ、どこか満足気な表情を浮かべるのだった。

 

 それはどこか、彼の成長を嬉しく思う母親のごとく包容力に溢れたものである。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 工廠。それは鎮守府における兵器開発や新規艦娘建造のためのドックを含んだ施設の事であるのだが、実際どのようなものかと言えば、煉瓦造りのひんやりとした部屋の中、隅に詰まれた鋼材などの資材の一見するとまるで倉庫の様な場所である。

 

 入り口は両開きの大きな鉄製の扉があり、昼間の間、そこは開け拡げにされている。そうしないと中が暗いからだ。薄暗くなる夕方以降であれば、中にいくつか設置されているガス灯で中は明るくなるのでが、昼間は経費節減の一環として陽光のみを利用している。

 

 それは佐々木の方針なのであるが、彼は外の鎮守府と比べると圧倒的に遠征や任務を行う数自体が少ないと言える。

 しかしそれは各鎮守府を運営していくための経費を稼ぐための手段でもあるため、それが少ないという事は世知辛い話ではあるが実入りが少ないという事になる。

 

 佐々木の普段の方針として、この鎮守府沿岸から近海と呼べるエリアまでをカバーするように哨戒任務を行っているが、そこで遭遇する深海棲艦の多くは、エリートとカテゴライズされる強敵もちらほらと遭遇することはあるが、それでも戦艦や空母クラスの物は現在は確認されていない。

 海軍部はエリアを確保し続けることに対しての金銭的報酬を定期的に支給するため、それを各鎮守府の主な運営費用としている。

 しかしそれは確保し続ける事が困難なエリア程に高額であり、逆にいえば鎮守府近隣エリアであればそう高額な報酬は期待できないのだ。

 

 その為佐々木はこうして自主的に経費削減を行いながら運営の負担を減らしつつ、しかし己の艦娘たちには出来るだけ負担をかけない様にと日々知恵を絞っている。

 それは例えば彼女達の食事であったり月給であったりという部分だ。或いは間宮と呼ばれる食糧配給制度の利用であったり等である。その部分を削れば、日々生死を掛けて任務に臨む艦娘たちの士気を保てないだろう。

 特に間宮は甘味が有名であり、艦娘たちには例外なく好物なのだ。むしろ「間宮のアイスを奢るから、この任務は頑張ってほしい」などと言えば、鼻先に人参をぶら下げられた競走馬の如く、死にもの狂いで頑張るという程に効果は覿面である。

 

 そういう福利厚生の部分を高水準で維持するために、佐々木は人間達の経費を削るという選択をしているのであった。

 もちろん佐々木は当初の現代的思想で、ともすれば日和った弱腰の考えでそうしている訳では無い。

 それは佐々木が直接建造した愛宕や木曾たち以外の艦娘、暁を筆頭とした最初から練度の高かった艦娘を基軸に据えているため、最初からある程度の無理は聞いた事から生まれた発想なのだ。まして今は普通に建造することもままならない大和ですら着任している。

 

 つまり高練度の艦娘を中心とした少数精鋭をさらに高いレベルの練度に持っていきつつ、新造された艦娘たちをその艦隊に加えることで、安全に修練が出来るというサイクルを作り上げたのだ。

 ここに新たな新造艦娘を多数建造したとして、そこから現在の暁たちの練度まで持っていくには、鎮守府の規模的に散漫にならざるを得ない。

 だからこそ彼は、いずれ訪れる深海棲艦の災厄を念頭に起き、一点特化の精鋭を作るという選択肢を選んだのであった。

 

 艦娘側も司令官との付き合いが長くなれば、それなりに人間的な絆も増していく。

 その中で多数の艦娘で鎮守府が溢れていれば、司令官が一人ひとりと接する事は物理的に希薄になっていく。

 そうなればモチベーションを落とす者もいるだろうし、元々素人でしかなかった佐々木からしても、それはあまり歓迎出来ない事でもあった。

 結局のところ、彼の一番の目的とは、この世界の人間の敵である深海棲艦。その互いの生存を掛けたこの戦争をどうにか一人も欠けること無く行き抜き、その後、彼女達を普通の女性として戻してやることにあるのだ。

 初めてであった艦娘である暁に対し、彼はまるで娘の様な感情を抱いているが、そう言ったことも関係あるだろうが。

 

 その過程で彼が目的とするいくつかの事柄があるのであるが、それはそれで困難な事ではある。

 ただその後に訪れる、こうした幸せのためであるならば、彼はただそれを愚直に求めるだけだ。

 

 閑話休題。

 

 

 入り口が開け放たれた静かな工廠の中、日は入れど中は薄暗い。

 資材が詰まれた場所の傍らに、鉄でできた作業台の設置された区画がある。

 ここが主に工廠妖精たちによって装備が開発される場所であった。

 その作業台の横に、女性としては長身の紅白を基調とした特殊なセーラー服を身に纏った艦娘が、すこし難しい顔をして佇んでいた。

 彼女の名前は大和。今は背中に装備している艤装と呼ばれる物を外している。

 大和は机の上にいる妖精たちと、なにやら装備開発について相談をしていたようだ。

 そんな彼女の背に向かって声を掛けたものがいた。

 

「やあ、大和。作業の塩梅はどうだい?」

 

 声を掛けたのは佐々木だった。

 彼は勤務中は着用の義務がある白い海軍将校の制服姿であるが、もう随分とこなれ、似合っているように見える。

 そんな彼の声に、綺麗な眉を顰めながら神妙な表情でいた大和の顔が、まるで花が咲いたような笑顔になった。

 

「提督! いらっしゃったんですね。開発なんですが、どうにも材料の比率が決まらずに進んで無いのです。申し訳ありません」

「ははっ大和、そんな畏まらないでもいいよ。私は今でこそ司令官だの提督などと言ってふんぞり返っているが、君たちがいなければ何もできないのだから」

「そ、そんなことはありません! 提督はいつも立派ですし、私たちをいい方向へ導いてくれますから。……こんな私を、救ってくださ――むぅ?!」

 

 のんびりとした佐々木の呼び掛けに、まるで子犬が主人に駆け寄るように彼の傍へと小走りで掛けてきた大和だったが、どうにも言葉が暗い物へと転じてしまった。

 しかし佐々木はそんな大和を遮るように、彼女の頬を両側から挟むように右手でつかんだ。

 まるでひよこの嘴の様な顔になる大和。

 

「何度も言うけれど、そう簡単にぺこぺこと頭を下げるんじゃないよ。君にそうされたらこっちが恐縮してしまう。せっかくの美しい顔が勿体ないよ」

「ひょ、ひょんな、びひんひゃんて……」

 

 彼のからかうような口調の褒め言葉に、赤面しながら狼狽える大和。

 その何とも言えない様子に佐々木は思わず笑ってしまう。

 そして頬をつかんでいた手を放すと、まるで親戚の娘をあやす様に頭を撫でた。

 

「もう! 提督にかかれば戦艦大和も形無しですね。まるで子ども扱いです!」

 

 大和は羞恥からか彼に背を向け、そして少しばかり憤慨して見せた。

 とはいえ、その表情は怒っているというよりは、どことなく嬉しそうであるが。

 

「子ども扱いか。気分を害したならすまんな。でも何というか、君たちが私の娘であるというのは、非常にしっくりくるのだがね。私の胃をきりきりさせるほどに、いつも君たちは心配させてくれるのだから」

「……提督には敵いませんね。なんだか悔しいですけれど……その、嬉しいです」

 

 そんな大和の言葉を聞こえないふりをして、佐々木は作業机の上にいた妖精娘を一人、両手ですくうようにして持ち上げた。

 何とも不可思議な言葉を喋る、愛らしい人形のような姿の彼女は、嬉しそうに笑っている。

 それを見て他の妖精たちが我先にと佐々木の制服を掴んでは昇ってくる。

 それをあやしながら佐々木は大和に言った。

 

「随分ここにも馴染んでくれたみたいだし、私も本当に安心しているよ。それに今や君は私の切り札だ。確かに海に出すのは今でも怖い。けれど、私はいつか、君たちが本当の家族になれるように頑張るつもりさ」

「提督……」

 

 相変わらず妖精娘に視線を向けたまま話す佐々木であるが、先ほどの穏やかな口調とは違い、どこか厳しい物へと変化する。

 そしてそれを聞いている大和も自ずと姿勢を正した。そうせざるを得ない気配が今の佐々木にはあった。彼は大和の相槌を待つこともなく、言葉を続ける。

 

「それに最近の任務の結果を見ていると分かるが、どうやらこの海域に現れる深海棲艦の数が増えている。それも足の速い者ばかりだ。これがどういう意味か分かるか大和」

「それは……斥候という事でしょうか?」

「ああ、そうだろうと私も判断した。つまり、それほど遠くない未来に、ここは深海棲艦の本体が強襲してくる事が考えられる」

 

 そこまで言い切ると、彼は大和をしっかりと見た。その視線は厳しい。

 この鎮守府に来てまだそれほど長くない彼女には分からない事であるが、最初から彼を知る暁や響が今の佐々木を見たら、昔では信じられない程に変化したというだろう。

 もちろんそれは佐々木個人という意味では無く、司令官としての気迫の様な意味合いでだ。

 

 海軍の正規艦隊の旗艦を勤めていた大和が思わず息を飲むほどの気迫。

 それを彼女は感じている。

 どうしてこの人はこれ程までに私を委縮させる事が出来るのだろう? 大和はそう考えられずにいられなかった。

 しかし佐々木は、そんな大和の緊張を肩透かしする様に、口調を変えた。

 

「なあ大和、艦娘っていったいなんなんだろうな」

 

 その問いかけの真意を大和は理解できなかった。

 それは質問があまりにも漠然としているからだ。

 何故と問われようが、現実的に自分はここにいて、深海棲艦と戦うしかない。

 それをどうしてと問われても、正直彼女には何も思いつかなかった。

 小首を傾げるようにして黙る大和に佐々木は微笑み、そしてさらに言葉を続けた。

 

「なあ大和。前に話したろう? 私がこの世界で生まれた訳じゃないのだと。非常に滑稽無答な狂人の戯言のようだが」

「はい、にわかには信じられない事ですが、でも私は信じています!」

 

 すこし自嘲を含んだ佐々木の言葉に、大和は肌が触れ合う程に自分の顔を彼に寄せて肯定した。

 まるで子犬だな――彼はいつかも思った彼女の印象を密かに抱いた。

 

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。それでな、海軍発行の艦娘名鑑を眺めていると、君たちは私のいた国の過去の戦争で使われた軍艦たちの名前なのだ。その辺はよく分からないけれど、暁や響たちから聞いた、彼女達が軍艦であった時の記憶――――それはどうやら私の国の過去の出来事と繋がっているようだ」

「それが何かおかしいですか?」

「いや、この際何が正常で何が異常かなんて些細な事さ。それほどにこの世界は歪つなのだから」

「歪つ、ですか」

 

 鼻と鼻が触れ合うような至近距離。

 言葉を互いに交わしながらも、佐々木の視線は大和を射ぬいている様で、だがどこか遠くを見ているように彼女には思えた。

 

「いやね、私の世界の過去の歴史。それが君たちに何らかの関係があったとしてだ。では深海棲艦とはどういう存在かって話なのさ」

「あれは……敵です」

「そうだな。私たち人間の脅威であり、現実的に今もどこかで人々の住む場所を襲っているだろう。だからこそ私は気に入らないんだ。私は何度か母艦に乗船し、我が艦隊の任務に同行したことがある。その際に出くわした深海棲艦という存在。彼女達は――うん、敢えて彼女達と呼ぶが、君たち艦娘とどこが違うのだろうか」

 

 そこまで言うと佐々木は大和の両肩に労わる様に手を添え、そっと距離を離した。

 大和はすこし残念な表情を見せたが、彼はそのまま手を後ろに組むと、その場をゆっくりと歩き始める。

 その歩みの行先は無く、ただその場を回るようにうろつくのみだ。

 

「……提督、その考えは、その……危険です」

「危険かもしれない。だが誰もそこに疑問を抱かない。それこそ私は危険だと感じるのだ。最もそれは、私がこの世界の住人では無いという事が多いに関係あるにしてもね」

 

 そう言って佐々木はすこし考え込む様子を見せた。

 大和は黙ってそれを見ている。

 彼女は佐々木が見せるこの思索の様子が好きだった。

 普段はそれこそどこにでも居そうなほどに人畜無害な佐々木であるが、たまにこうして周りとは隔絶された様な雰囲気を纏って考え込む。

 その様子が大和にとっては儚げに見え、どうにも気になるらしい。

 

 そんな佐々木の頭の中には、この世界に来てからずっと抱いている思考が、改めて襲っていた。

 それは人間の敵とされる深海棲艦。その存在が、どうにも艦娘と表裏を一体としているように思えるという事だ。

 そうなれば何らかの理由で深海棲艦が人間を襲っているとして、その際に不幸にも轟沈を迎えた艦娘はどうなるのか? という事柄が彼には大きな疑問となる。

 と言うのも任務などで遭遇した深海棲艦と戦闘になり殲滅する。その結果、時折艦娘が発見される事があるのだ。

 

 それはごく稀な事であり、佐々木の鎮守府ではまだそう言った事例は無いのだが、他の鎮守府ではちらほら報告があるという。

 ではその艦娘はどこからやってくるのか。

 空中からか、あるいは海中からか。それはまるで幽霊のように突然、何もないところから現れるのか。

 けれど佐々木はそんな馬鹿な話があるかと考える。

 

 ならばどこからその艦娘がやってくるのか。

 佐々木が考えるにそれは、轟沈した深海棲艦なのではなかろうかという事なのである。

 彼が暁たちから、彼女達が元所属していた鎮守府の話を聞くに、そこでは無茶な運営をしていた弊害で、かなり頻繁に艦娘たちを轟沈させていたという。

 しかし同じ艦隊にいた時に暁は、轟沈した僚艦の残骸のような物は見たことが無いと言う。

 ただ海の底に消えていくのだと言うのだ。そしてそれは二度と浮いては来ない。

 

 深海棲艦が世界の脅威として存在し、その切り札として世界中には沢山の鎮守府がある。

 その数は万に達すると言われているが、正確な数は佐々木も知らない。

 その中で人間は長い間に渡り、深海棲艦との争いを続けている。

 しかしその数は一向に減る様子を見せないという。

 そして時と共に艦娘たちの総量も同じく増えている。

 

 佐々木にしてみれば、なぜそこに疑問を突き付けないのかという事が不思議なのだ。

 しかし彼とて、身近に迫る脅威を放置するなど無責任な事をするつもりは無い。

 ただ疑問点としてそれを持ち続け、盲目的になっている人間には見付けられない綻びの様な物を彼は捜している。

 それが言うなれば、彼自身がここへ生まれ変った意義のように考えているのだ。

 

 そして、その為に佐々木はとある事を本気で試そうと考えている。

 それは深海棲艦の鹵獲である。

 つまり本質を見極める為に対話を行おうという意図がそこにはある。

 もちろん佐々木もそれは危険な行為であると知っているし、下手をすれば人間社会に対しての裏切りととられる危うさを孕んでいるだろう。

 だからこそそれは完全なる秘密裡に行う必要があり、そしてその為には彼一人では難しい。

 

 かつて佐々木はそのことを己の艦娘に問うた。

 自分が行おうとする行為と、それに纏わる思想。

 その危うさを知った上で自分を助けて欲しい。

 しかし賛同できないのであれば、いつでも袂を分かっても構わないと。

 それはあの五十鈴が復帰出来たことを祝った晩の翌日の事だった。

 

 そしてそれは大和を含むすべての艦娘に受け入れられた。

 あの日から佐々木と彼女達は、本来の鎮守府における司令官と艦娘の関係性を越えた、ある種の運命共同体となったのだ。

 虐げられてきた暁たち。

 名分の無い作戦に絶望した大和たち。

 漠然と戦い続ける事に疑問を抱く佐々木の建造した愛宕や木曾たち。

 そして島風。

 

 けれども大和は、そんな佐々木を見ていると苦しくなるのだ。

 まるで夜が明けたら煙のように消えてしまうのではないか?

 彼女にはそんな風に思えてしまう。

 自分を水底から引きずりあげてくれた佐々木という男。

 恩人を越えた何か不思議な感情を彼に抱く大和は、佐々木が消えるなんて想像をしただけで気が狂いそうになる。

 だからこそ大和は、一緒に歩むと決めた今でも思わず躊躇してしまう。

 

「大丈夫だよ大和」

「え……」

 

 思索に耽る佐々木を見ていたはずの大和は、いつのまにか己の思考の海に埋没していた様だ。

 そんな彼女を彼はいつのまにか酷く優しげな微笑を浮かべて見ていた。

 素の表情を近くから佐々木に見られたじろぐ大和。

 そんな大和の感情を気にしないまま、佐々木は彼女肩に手を乗せ、語り始めた。

 大和はすぐ傍にある佐々木の唇が動くのが、まるでスローモーションのように見えていた。

 

「私はね、こんなにも暖かな場所を手に入れたのだ。それを絶対に手放したりしないよ。だから未来を見据えた上で私は動くんだ。だから大和、私の横にずっといて欲しいんだ」

 

 彼がそれを言った瞬間、大和は自分の頬が爆発するのでは? と心配になった。

 それほどに熱い。彼はいま何といった?

 自分の横にずっといて欲しい。

 それは一体何を意味しているのか。

 大和はまるで生娘のように心を揺らした。

 先ほどまでの暗鬱な心は今や、青天の空の様だった。

 

「……ふぁい」

 

 そうして暁の水平線から昇ってくる太陽より真っ赤な顔の大和の何とも間抜けな台詞が、静かな工廠に響き渡ったのだった。佐々木は何故かそんな大和を見て何度も頷いているが。

 妖精娘たちがそれを見てくすくすと笑っている。

 佐々木は満面の笑みで大和の返事を受け取ると、軽い口調でこう続けた。

 

「ありがとうな大和。やはり家族がたくさんいるのは幸せだなァ。うん、私とずっと一緒にいてくれ。きっと暁たちも喜ぶだろうなァ」と。

 

 そして急に機嫌の悪くなった大和は、無言で佐々木を工廠から追い出した。

 何か変な事を言ったか? と首をかしげる佐々木に「知りません!」とまるで攻撃を命じる際の号令のような凛とした声で彼女は怒鳴った。

 

 そしてその日、滞ってた開発作業を怒りの大和は成功させた。

 出来た装備は46cm三連装砲が2機も。

 最大射程40kmを超える化け物の様な最大最強の艦載砲だ。

 そして佐々木は、三日ほど大和から口を聞いてもらえなかったという。

 

 そんな佐々木の姿を見て、大和以外の艦娘は呆れた溜息を洩らすのだった。

 

 

 

 ――――つづく

 




相変わらずの冗長なお話ですが、お付き合いいただきありがとうございました。
前回に次回からは話が加速していくとの記載をしましたが、身内の不幸があり、どうにも話を展開させていく集中力が続かず、もう少し日常の延長のような話を投下することにしました。申し訳ない。

葬儀などでいなかった間も、艦これはiPadからのリモートによって遠征などは回していたりはしたのですが、デイリー建造すら行っていないという状態でして。執筆なんかもう、プロットを眺めては暇な時間にすこしだけ書き、気に入らず消しての繰り返しでした。

結局、未だ我が鎮守府にいない大和さんへの愛を込めた日常話が出来ていたという次第です。
ちょっと精神的に重たい話を書ける状態ではないので、しばらくの間はこんな感じなことをお許しください。

いやしかし、大型建造をしてもまるゆばかりが増えていく。モウヤメテ

※誤字修正
時折艦娘が発券される事があるのだ。>発見へ修正しました。

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正

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