野球描写が未熟なのは勘弁してください。あぁ、もっと文章力がほしい……
Ⅰ
本番の夏の大会までおよそ半月となった6月の中旬。
伝統行事である地獄の大会直前合宿を何とか乗り越え、青道高校は締めの土日にわたる計4試合の練習試合を残すのみとなっていた。
そしてそんな締めの初日となる土曜日の朝。
溜まった疲れが抜けきらず、試合が始まる前から重い体を引きずる青道メンバーの前に現れたのは遠い西からの刺客だった。
「今日は朝も早い時間からわざわざお越しくださってありがとうございます」
「いやいや、ウチにとってもいい経験になります。礼なんていりまへん」
恰幅の良い体に大きな福耳。
まるで七福神にでも出てきそうな大柄な男性―――大阪桐生高校監督、松本隆広はえびす顔で片岡のねぎらいの言葉をやんわりと断った。
試合前ということで雑談もそこそこに両校の監督はガッチリと握手を交わし、持っていたオーダー表を交換した。
「夏も近いですし、お互い良い試合にしましょう」
「いい試合……それにしては一試合目の青道さんのオーダーは随分と変わっとるみたいですが?」
1番 セカンド 小湊春市(1年)
2番 ライト 門田将明(3年)
3番 ショート 楠木文哉(3年)
4番 キャッチャー 滝川・クリス・優(3年)
5番 ファースト 田中晋(3年)
6番 サード 樋笠昭二(2年)
7番 レフト 坂井一郎(3年)
8番 センター 遠藤直樹(3年)
9番 ピッチャー 山城空(1年)
受けとったオーダー表に目を落とし、フフと松本は含みある笑みを片岡に見せた。
「確かに今日の試合はダブルヘッダー。折角2試合もあるんやし、ベンチメンバーを使いたいって気持ちは十分わかります。けど……この桐生相手にまさか主力が誰一人出てこないってのは正直予想外でしたわ」
大阪桐生高校。
甲子園出場11回、優勝2回の実績を誇る西の野球名門校。
伝統的なパワー野球は全国一との呼び声も高く、昨年の夏の甲子園では見事準優勝を果たした。今年度はタレントが揃っていた昨年に比べれば全体的に粒が小さいものの、それでも絶対的なエースにして4番、館広美を中心にそえたチームとしての総合力では決して昨年に見劣りするものではない。
そんな全国でも屈指の強豪を練習試合の相手として呼びつけたにもかかわらず、一試合目に主力を誰一人出さないというのは舐めていると思われても仕方のないことだった。
「松本監督。これは……」
「わかっとります。片岡はんが人を侮辱するような人間やないってことは。青道さんとしても何らかの事情があるんでしょ。例えば――主力全員を注ぎ込んで盛り立てなあかんほど、二試合目の投手が不安定とか」
ぴくりと片岡の眉が動く。
まだまだ若いですな~と、監督歴20年を超える歴戦の名将はただでさえ細い目を更に細めた。
「しかしいくら理由があろうと、随分と思い切ったことをしたもんや。ベストメンバーやないとはいえ、ウチは一試合目に多くの主力を使ってます。こんな言い方は失礼かもしれませんが、控え相手ではまともな試合にならないかもしれませんで?」
「問題ありません。ウチの選手達はそんな軟じゃありませんから」
「ほぉ。えらい自信ですな……それはやはり彼が投げるからですか?」
ちらりと、松本は青道のベンチ前で整列する一人の選手へと目を向けた。
その視線の先にいる選手はどことなくそわそわと体を小刻みに動かしながら、試合の始まるその時を待っていた。
「山城空……関東大会の映像を少し見せてもらいましたが、ありゃホンマにえぇ投手や。確かに彼が先発するなら、多少バックが弱くても何とかなるかもしれまへんな」
「……山城一人に頼る気はありません。あまり甘く見ない方がいいかと」
「ふふっ。他にも面白い選手がいると? なら楽しみにしておきますわ」
どことなく張りつめたやり取りを終え、両校の監督は互いのベンチへと戻っていった。
◇
両校の選手が試合前の礼を終え、それぞれの持ち場へと向かっていく。
先攻である大阪桐生はベンチに戻って素振りを行い、逆に後攻めとなる青道のスターティングメンバー九名はグラウンドへと散らばった。
そして一試合目に出場予定のない青道の主力陣達がベンチで静かにグラウンドを見つめる中、どういうわけか同じく一試合目に投げる予定がない筈の沢村栄純はベンチ前でグラブ片手に一人元気な声を上げていた。
「よっしゃあ!」
「こらこら。お前どこ行くきだ?」
今にもブルペンに向かいそうな栄純の襟首を御幸が掴んだ。
「お前は昼からの試合で投げるんだから、今投げようとするんじゃねぇ!」
「いやでも、山城が撃ち込まれたら俺が……」
「いいから座ってろ!」
半ば強引に栄純をベンチへと座らせ、御幸もまたその隣へと腰を下ろした。
どことなく不服そうな生意気な後輩(NO2)に、御幸は悪態をつきながらすっとその視線をグラウンドへと向けた。
「沢村。山城のピッチング、よく見とけよ」
「ぬ?」
「今日の試合、多分山城はいつもみたいに三振ショーってわけにはいかねぇはずだ。疲れているから当然球威は落ちるし、コースも甘くなる。点数もそれなりにとられるはずだ」
「それのどこに見る必要が……」
「だからこそ、いい見本になる」
えっと、栄純は声を上げた。
意味が解らないと首を傾げる栄純に、御幸はいいからよく見とけと再度注意を促した。
「多分、今日のあいつはお前にとって最高の見本になる筈だ」
「見本……」
「そして俺にとってもな……」
御幸はいつになく真剣な眼差しで、自身と同じポジションを守る人物を見つめた。
Ⅱ
青道高校と大阪桐生との練習試合はテンポよく進み、試合開始から一時間を待たずして既に6回の表へと差し掛かっていた。
4対0、4点リードで迎えた大阪桐生の攻撃。
0アウトランナー一塁で右打席に入るは7番バッター。
これまでの二打席はヒットこそないもの、その力強いスイングは守る青道としても決して侮れるものではなかった。マウンドの空は額から零れる汗を袖口で拭い、一度視線で一塁ランナーを牽制するとセットポジションからボールを投じた。
地を這うような伸びのあるストレート。
球速は普段に比べれば幾分か遅い130後半なれど、丁寧にコントロールされたボールが打者の膝元一杯に食い込んでいく。
けれど、そのボールがミットに届くことはなかった。
キィィンと金属バット特有の金属音が響くと共に、どん詰まりの打球が一塁側ファウルゾーンへと転がる。
―――ファールボール
カウント、0‐1。
チッと打者は短く舌打ちすると、投手に近い左足を少しオープンに開いた。
数字にして10センチにも満たない、注視していなければ見逃してしまうほどの些細な変化。けれどバッターから最も近い場所にいる青道の守備の要は、マスク越しでもその微細な変化を見逃してはいなかった。
クリスから出されたサインに空は躊躇なく頷くと、プレートに軸足を乗せたまま左足を前方へと勢いよく踏み出す。
一球目と何ら変わることなく勢いよく振り下ろされた右腕。
けれどその指先から離れたボールは、一球目よりも随分と “遅かった”。
チェンジアップ。
あえて力が伝え辛い握り方で投げられるこの球は、ストレートと同じ腕の振りながらもストレートに比べて回転が少なく球速も遅い。
緩急をつけるために非常に有効な球種であり、肩への負担が少ないということからメジャーではほとんどの投手がこのボールを持ち球としているという。
「っつ!」
投げられたコースは外角低め。
少々コースは厳しいが球速も大きな変化もない以上、決して難しい球ではない。
だというのに、どういうわけかバッターはタイミングを狂わせ上半身を前に突っ込ませていくではないか。
ゆっくりとホームベースの手前で沈んでいくボールに、バッターは体を泳がせながら辛うじてバットを合わせた。
鈍い音と共に、やや勢いの死んだ打球が三遊間へと転がっていく。
「ショート!」
「オーケー!」
よく通る爽やかな声と共にショートの楠木は上手くバウンドを合わせて打球をグラブに納めると、そのままステップを踏みセカンドへとボールを転送。
「セカン!」
ベースに入った春市は捕球と共にベースの角を蹴りつける。
これで1アウト。そしてそのまま春市は流れるような動作で滑り込んできたランナーを交わし、一塁へと力のあるボールを送球した。
投げられたボールは、打者がファーストベースを踏むよりも早くファーストが伸ばしたミットへと潜り込んだ。
――――アウト!
塁審のコールをもって6‐4‐3のダブルプレーが成立する。
教科書通り、お手本のようなゲッツーに試合を観戦しに来ていた観客達からも感嘆の声が上がる。
―――おぉ。ゲッツー!
―――あの二遊間も倉持・小湊ペアに負けてないぞ!
―――これで2アウトランナーなしか。
―――6回まであの大阪桐生相手に4失点。確かに良く投げているとは思うけど……
―――でもまぁ、なんつーか。
―――あぁ、物足りねぇよな。圧倒的な感じがないっていうか……
―――これまでの練習試合で取りまくっていた三振も初回に二つとった後は一つだけ。ヒットもかなり打たれてるし、調整が上手くいってないんじゃないか?
ざわざわと、どことなく心配そうな声がギャラリーから飛ぶ。
そしてそんな声は当然、青道のベンチにも届いていた。
ベンチの最前列でそんな不安の声を耳にした御幸はわかってねぇなと苦笑しつつ、同じくわかってなさそうな隣の人物に一応尋ねてみる。
「で、俺が見ておけって理由がわかったか?」
「いや、全然」
即答だった。
半ば予想していたとはいえ、余りにも予想通りな栄純の答えに御幸は肩を竦めた。
「まっ。確かにいつもに比べりゃ三振は少ねぇし、ヒットもそれなりに打たれてる。4失点つーのもあんま良くはみえねぇわな」
でもなと、御幸は続けた。
「さっきのバッター、何球目を打ったか覚えてるか?」
「え? 二球目……」
「じゃあその前にヒットを打ったバッターは?」
「えっと……1球目?」
「その前は?」
「確か三球目……」
「今の山城の球数は52球。回を追うごとに球数が少なくなっているし、このまま行けば9回まで投げても90球いくかどうかってところだろ」
プロほどコントロールも球威もない高校野球の投手は、どうしても試合で球数が嵩む傾向にある。それが九回を投げて球数が90球前後となればプロでも上出来、こと高校野球という視点から見れば恐ろしく少ないと言える。
この際だと、御幸はまだまだ未熟な投手の卵にピッチングの奥深さを教えることにした。
「三振を取るピッチングってのは、確かに派手で見栄えは良い。チームの士気は上がるし、上手くいきゃ相手の心もへし折れる。けどな、それだけ球数もかかるし体力も必要になる」
三振を取るにはどれだけ少なくとも最低三球。
見せ球を使えばさらに球数は増える。
空はどんどんストライクを取りに行くピッチングのため比較的少なく済んでいるが、それでも9回まで投げればそれなりの数にはなる。
「ただでさえ試合の後半になったらいつもバテテくるんだ。疲れている今日みたいな時に球数も体力もいるいつものピッチングをやったらいいとこ5回まで。いや、球威が落ちてる分粘られて下手したら4回持たなかったかもな」
「じゃあ今日は三振が取れないんじゃなくて……」
「あぁ。そもそもとる気がねぇ。9回まで投げ切ろうと思ったら、球数を温存するために打たしていかなきゃいけねぇからな。まぁ初回はまだイマイチその辺りの力の加減がわかってなくて、随分と球数を使ってたけど」
言ってしまえば、今日の空のピッチングはいつのもペース配分を意識した投球の更に延長上にある。いつものピッチングを通常が8割の力、勝負所が全力とするならば、今日のそれは通常が6割、勝負所でも8割が精々と言った所。
球威とスピードに頼って空振りを狙いに行くのではなく、あくまでもコントロールを重視しバッターにあえて打たせることで球数を抑えている。
「最後まで投げ切るために球威を抑えた分、いつもの圧倒する感じじゃねぇから打たれるし点数もとられるけど、要所を締めるから簡単には相手に流れを渡さねぇ。テンポがいいから守備は守りやすいし、どんどん打球が飛んでくるからその勢いのまま攻撃へと入れる」
よ~く見ておけと、御幸は目を細めた。
「あれが試合を作るっていうことだ」
「試合を作る……」
「何も全力で投げることだけがピッチングじゃねぇ。調子が良くても悪くても試合を作り、9回まで投げ切る。それが先発として、そしてエースとしての条件だ」
「エース……」
ぎゅっと、エースを目指す少年は拳を握った。
黙りこんでじっとマウンドを見つめる栄純に、御幸は「まぁ俺もあんま説教できる立場じゃねェけど」と自嘲気味に呟いた。
……さすがに悔しいよなぁ。
投手の能力を引き出せるかどうかは捕手にかかっているのが、御幸の持論。
その意味で言えば、客観的に見てこれまで御幸は空の力を上手く引き出してきたと言えよう。けれど、じゃあ空とバッテリーを組んで今日のようなピッチングを引き出せるかと言われれば、正直厳しいというのが御幸の正直なところだった。
……打ち取るピッチングは投手と捕手の間に信頼関係がなきゃできねぇ。
何せボールがバットに当たるのだ。
少し飛んだ場所が良ければヒット、運が悪ければ長打にもなる。
特に空の様に三振を取れるストレートを持つ本格派の投手にしてみれば、捕手に余程の信頼がなければ打たせて取るピッチングなど成立しない。
……けど。今日山城は、これまで一度もクリス先輩のサインに首を横に振ってねぇ。
またサインを出すクリスにも迷いがない。
刻一刻と移り変わる流れを正確に把握するセンス、打者の待ちを読む洞察力、そして何より投手のことを知り尽くし、信頼していなければできない芸当だ。
……これが久方ぶりに試合で組んだバッテリーの姿かよ。
まるで三年間ずっと連れ添っていたかのような互いに対する絶対的な信頼。
それがクリスと自分との差を表しているようでもあり、御幸は言葉にできない感情を吐き出すように拳を固く握りしめた。
Ⅲ
最後に点数が入った5回以降、青道と大阪桐生の両軍は共にヒットこそでるものの得点には至らないという半ば膠着状態の展開が続いていた。そして4‐0のまま動かなくなった試合はテンポよく進み気が付けば終盤、8回の裏へと突入していた。
この回、青道は二番から始まる好打順。
未だ無失点の好投を続ける大阪桐生のエース、館広美の重いストレートに何とか食らいついている門田に声援を送りつつ、クリスは隣で息をつく空へと話しかけた。
「どうだ? チェンジアップの感触は? 少しずつ割合を増やしているが感覚は掴めそうか?」
「悪くないっすね……疲れてて変に体に力が入らない分、ここ最近で一番コントロールがつけやすいです」
タオルで汗を拭い、空は確かめる様に右手の拳を握っては解いた。
どうやら順調そうだなと、クリスは頷く。
「こんな状態で試せる機会はそうそうないからな。しっかりと感覚を掴んでおけ。これまで良い調子で来ている。次が最終回だが、最後まで焦らず丁寧にいくぞ」
「はい」
空が返事をするとほぼ同時に、門田はボールを打ち上げていた。
あっさりとセカンドがボールをキャッチし、1アウトとなる。
それを見届けたクリスはレガースを外してヘルメットを被り、バットを握るとネクストサークルへと入った。
……山城は良く投げてくれている。
点数こそとられたが合宿の疲れで体が重い中、きっちりと試合を作っている。
序盤は慣れないピッチングに多少戸惑う部分もあったようだが、それでも回を追うごとに良くなっていく修正力の高さは素晴らしいの一言に尽きた。
流石は幾度となく大舞台を経験しただけのことはあると、クリスは客観的に見て凄すぎる空のシニア時代の成績を改めて思い出した。
……しかし、あいつ一人に頼りきりという訳にもいかないな。
これまで青道のヒットは4本。
全くバットに当たらないという訳ではないのだが、ランナーが出ても後が続かずこれまで点数を奪えていなかった。
クリスはサークルの中で体を解しながら、立ち塞がる大阪桐生のエースの所作一つ一つをつぶさに観察する。
……長身から投げ下ろされる重い球に、カウントのとれる三種類の変化球。リリー
スポイントが早いためボールの出所は見易いが、その分角度がある。テイクバックの距離が毎球微妙に変わるのは恐らく打者のタイミングを狂わせることが狙いだろう。
コントロールも良く、またスタミナもある。
プロが注目するだけあって投手としての能力は間違いなく一級品。
ただ強いて欠点を上げるとするならば、大事な局面で空振りをとれるだけの絶対的な決め球に欠けているということか。
そうクリスが分析している間に、三番の楠木が外角のスライダーに手を出した。
勢いのない、打ち取られた打球がレフト方向へと上がるが飛んだ場所が良かった。
ふらふらっと上がった打球はショートの頭を超え、レフトとショートの丁度空いたスペースにポトリと落ちる。
半ばラッキーな形とはいえ、ヒットはヒット。
久方ぶりのランナーの出塁に、にわかにざわつき出す観客達。
クリスはネクストサークルの中で一度軽くバットを振るうと、ゆっくりバッターボックスへと入った。
……一アウトランナー一塁。最後の攻撃に勢いを持たせるためにも、ここは何としても一点、イヤ投手に与えるプレッシャーを考えれば二点は返しておきたい場面。
ここまでの三打席、四番でこそあったがクリスは後続に繋ぐことを意識したコンパクトなバッティングを心がけてきた。
しかし既に回は終盤の八回。
仮にクリスがシングルヒットで繋いだ所で、ここまでの打席を振り返る限り後続で舘から二点も取れる可能性は低かった。
……球のスピードには慣れた。なら狙ってみるか。
マウンドの舘はセットポジション。
大きめにリードをとるランナーの楠木が気になるのか、幾度となく牽制を入れている。
……ここまで見てきた限り、このバッテリーでピッチングを組み立てているのは間違いなく捕手の方。
リードの内容はやや守りに入っている部分があるものの、基本的にはスタンダード。
外の変化球を見せ球にカウントを稼ぎつつ、重いストレートをインコースに投げ込むことでバッターを打ち取る。
ストレートを主体にする投手に対するお手本のようなリード。
……だが前の回からアウトコースに要求する割合が徐々に増えてきている。恐らくは完封を意識することで、甘くなると長打の危険性があるインコースを無意識の内に避けようとしている。
そしてそのような完封を意識した状況で捕手が一番危惧するのは長打。
だとすれば必然的にアウトコースを中心にした配球になるのだが、前の打席でクリスはアウトローのストレートをライトフェンスまで持っていくツーベースを放っている。
簡単にアウトコースを要求するのは危険。
かといってランナーが溜まることは避けたい以上、四球は問題外。
ならばどうするか。
……この状況での初球の入り方となれば……
セットポジションからほとんど足を上げず、舘は左足を前方へと踏み出す。
その長い右手がマウンドから振り下ろされると同時に、クリスは左足を大きく開いた。
……ストライクにならないインコース高目へのストレート!
正にドンピシャ。
的を射るとはこのことか。
読み通り胸元に来たボールに対し、クリスは上手く腕をたたむと腰の回転でバットを振りぬいた。快音が響き渡り、打球がレフトへと飛翔する。
最早確認するまでもなかった。
バットを投げ捨て、ゆっくりとクリスは一塁へと走り出した。
―――うぉおお~! 入った、入ったぁあ!
―――クリスの特大ホームラン! 飛距離何メートル出てんだよ!?
―――後方のネットを超える打球なんて見たの、東以来だぞっ!?
―――かつての天才捕手が更に力をつけて戻ってきた!
―――これで二点差! まだまだ試合はわからないぞっ!
今日一番となる歓声を浴びながら、クリスはダイヤモンドを一周する。
そしてホームベースを踏みベンチに戻ったクリスを真っ先に迎えたのは、これまで力投を見せる相方だった。
「ナイスバッティング。また随分と凄い飛距離っすね」
「あぁ。怪我をしていた間、肉体改造に取り組んだ甲斐があったな」
「もうバッティングの感覚は完璧に戻ったんじゃないんですか?」
「いや、まだまだこれからだ。だが今のは自分でもいいバッティングができたと思う」
ふっと、どちらともなく笑みを見せると二人はタッチを交わす。
四対二。勝負はまだまだこれからだった。
◇
擦ったような金属音と共に、ボールが内野へと上がる。
あぁと零れるため息と悲鳴はグラウンドの外から。
門田は悔しさに顔を滲ませながらバットを半ば地面に叩き付け、一抹の期待を込めて一塁へと走った。塁にいた空と春市もまた、奇跡を期待して次の塁へと向かう。
けれどサードがしっかりとボールをキャッチしたことで、奇跡の芽は潰えることとなる。
これでようやく試合終了だと、松本はベンチの中からほっと息を吐いた。
……4対3。勝つには勝ったが、またえらい接戦になってももうたな。
当初の予定では、もっと大差をつけて勝つはずだった。
それが打線が四点しか取れないことも予想外ならば、終盤になって追い上げられるのもまた予想外。野球というのはつくづく恐ろしいものだと、松本は身に染みて実感した。
そしてこんな予想外だらけの試合展開になった原因の二人の内の片割れ、山城空に松本は思いを馳せた。
……ある程度予想はしとったが、ほんまえぇ投手や。
ベンチから見ていてもはっきりとわかるほど、今日の山城は体が重そうでボールも走っていなかった。だというのに、強打が売りの大阪桐生相手にキッチリと試合を作り最後まで流れを持っていかせなかった。修正力の高さと言い、あれでほんまに一年かいなと松本はルーキー離れし過ぎた完成度の高さに感服するしかなかった。
……片岡はんも監督として冥利に尽きるやろうて。あんな投手、人生でいっぺん出
会えるかどうか。
だがこの試合で松本が本当に驚いたのは空ではなかった。原因のもう一人、まったくノーマークだった選手に名門大阪桐生はまんまと翻弄されたのである。
……なんや昔どっかで聞いたことある名前や思うたら、クリスってあの丸亀シニアのクリスかいな。最近全然噂に聞かんからすっかり忘れとったで。
守っては空を上手くリードして大阪桐生の勢いを削ぎ、打っては舘相手に四打数二安打一HR、二打点の大活躍。
間違いなく今の試合最大の立役者は空でも舘でもなく、このクリスだった。
……正直、何で控えに甘んじとうのかわからんわ。化け物みたいな肩しとったし体格もいい。ありゃ全日本選抜に選ばれるくらいの選手や。
他にも小柄ながらミートが上手く守備でも光るモノをみせた一番など、とても控えとは思えない充実っぷり。
こりゃ戦力の想定に大幅な修正の必要があるなと、松本は青道の層の厚さに舌を巻いた。
……でもま、それでも勝ちは勝ちや。館にとっても今の試合はいい経験になったやろ。
午後に控えた青道の主力との戦い。
はてさてどんな試合になるやらと、松本は今から試合が待ち遠しかった。
というわけで、空の二つ目の変化球はチェンジアップでした。これまで引っ張ってた割に普通でごめんなさい。
なお、次話で栄純の試合を書く気はありませんのであしからず。しかしテンポを重視しているのに中々話が進まない……
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