Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

24 / 30
天秤祭に行く前に箸休め。

にゃん太班長・幸せのレシピ より Recipe.07~09
いわゆる、シロエの一日レンタルをかけたカレー選手権回。


アキバの休日
interval 2


 ザントリーフ半島の掃討戦から約2ヶ月、この世界にも秋が訪れようとしていた。

 

 この掃討戦の後始末は中々に手間取っていたが、それもすでに終わりに近づき〈自由都市同盟イースタル〉と新しい関係を築くというステップにシフトしつつある。

 そんな中、我が〈記録の地平線(ログ・ホライズン)〉ギルドマスターは暴力ともいえる量の報告書や事務作業に忙殺されていた。イコール、彼の手助けを申し出た私も同じく事務作業に忙殺されていた。

 そんな私たちの仕事は、連日深夜にまで及んでいた。

 

 本日は部屋に仕事を持ち帰るのすら面倒で、シロエの自室兼執務室の片隅を借りて作業していたのだが書類が驚くほど減らない。むしろ増えている気さえする。あまりの多さに私はすでに確認して仕分けしての作業を機械的にこなす他なかった。シロエはというとため息が絶えず漏れており、ついには小声で叫ぶという器用なことをやってのけた。

 

「みんな僕のこと引きこもり言うけどさ……書類に目を通すだけで一日が経過するわっ」

 

 ああああーっ、と小声で叫んだシロエは頭を掻き毟っている。その光景を無感動に見つめながら私は一言、うるさい、と言い放った。

 

「ごめん……。でも、本当この作業いつ終わるんだろ……」

「やらなきゃ終わらない。なに分かりきったことを」

 

 そこで私もため息をついた。

 ああ、だめだ。集中力切れそう。いや、切れた。

 一度リセットするか、と執務室に繋がるドアのところにいたご隠居に声を掛けた。

 

「ご隠居、朝食の仕込みが終わったところ悪いんですけど、何か飲み物もらえませんか?」

 

 私の言葉にシロエはハテナを浮かべる。するとドアが開いてご隠居が顔を出した。

 

「お疲れ様ですにゃー」

「班長……」

 

 どうやらシロエはご隠居の存在に気付いていなかったらしく、ひょこっと出てきた彼の顔に驚いていた。

 

「シロエちも飲み物いりますかにゃ?」

「あー……じゃあ、お願いします」

「了解ですにゃ」

 

 それだけ短く告げると、ご隠居はドアを閉めてキッチンへと戻っていった。それを確認した後、私は座っていたソファーに倒れ込んだ。

 

「クロ……手伝いを頼んだ僕が言うのもあれだけど、大丈夫?」

「集中切れた。もうやだ、なにこれ、死ねってか、死ねっていうのか。もういっそ殺せよ」

「……相当きてるね」

 

 抑揚のない調子で言えば、それで私の状態を把握したらしいシロエがもう一度ため息をつく。その音にシロエの方に視線を向ければ、ばちっと視線が合った。しばし互いを見合った私たちは、今度は同時にため息をつく。

 けれど、ここで愚痴を言い合ったところで書類の山が減るわけでもないので、私はしぶしぶ起き上がって、ご隠居が戻って来るまで仕事をしよう、と紙の山から一枚書類を手に取った。

 目頭を押さえて書類を確認していると、シロエの方から、カレーかぁ、という呟きが漏れた。

 

「カレー?」

「うん。天秤祭の出店申請リストにカレーの屋台があったんだよ」

 

 天秤祭。それは生産系ギルド連絡会が主催となって開催される『秋祭り』の企画だ。その背後には、〈アキバのひまわり〉がお祭りをしたいと駄々をこねた、というものがあるとかないとか。

 その祭りの申請書類もこちらに回ってきていたようである。

 

「カレー、ねぇ。確かシロくん、カレー好きだったよね?」

「うん。そういえば、高校のころ、近所のカレー屋によく食べに行ったよね」

「ん? ……ああ、あそこか」

 

 私としては、“食べに行った”というよりは“食べに行かされた”が正しい。シロエには悪いが、私は特別カレーが好きというわけではないのだ。むしろ……

 

「……確か、カレーに入ってる肉をひたすら自分の皿に移された記憶があるな」

「移したよ、欠片も残さずに」

 

 カレーは普通に食べる方だ。でも、その中に入っている肉だけは苦手だった。だから、食べに行けば必ず同行者の皿に肉を移していたし、自分で作るときは入れずに作っていたりもしたのだ。

 

「でも、まあ。おいしいよね、カレー」

「うん」

 

 私の言葉を肯定したシロエは椅子の背もたれに体重をかけながら、いいなカレー……僕も食べたい……、とぼやいた。

 そのタイミングでご隠居がトレーにカップを二つのせて戻ってきた。一つをシロエの執務机に、もう一つを私の目の前のテーブルに置く。香りから判断するにハーブティーの一種だろう。気分転換という意味ではいいのだろうが若干眠りに落ちそうなそれに、選択を間違えたか、と思った。

 

「シロエちもリンセちも、無理は良くないですにゃ」

 

 暗に、キリの良いところで休め、と言いたいらしい。それに2人して苦笑い。

 

「りょ、了解です、ご隠居……」

「にゃぁ。では、我が輩はこの辺で失礼しますにゃ」

「うん。ありがとう、班長」

 

 おやすみなさい、と出ていくご隠居に各々返事をする。パタン、と極力音を立てないように閉められたドアに、私は小さくため息をついてご隠居の持ってきたお茶に口をつけた。

 相変わらず、おいしい。

 キリの良いところで、とご隠居は暗に言っていたし私もそれに了解と返したが、それを反故にするまでがワンセットだと、きっとご隠居も分かっているはずだ。

 いい感じにリセットがかかったので、よしと気合いをいれて再び書類に向き合った。

 

 翌日の朝にそれがばれて静かに叱られるまでがワンセットであることに、そのときの私はまだ気付いていなかった。

 

  *

 

 翌朝。

 こっそりとシロエの執務室から持ってきた書類を片付けていたらいつの間にか日が昇っていたらしく、さらに、朝食の時間だというのにやってこない私を心配して起こしに来たご隠居にその現場を見られ、完徹後の朝からお叱りを受ける羽目になった。自業自得なので何も言えないが。

 やや怒り心頭気味なご隠居に連れられて朝の食卓にやってきたわけだが、徹夜明けということもあり、普段から量を食べないのに今日はさらに食欲が湧かない。せっかく作ってくれたのだし、食べなければ作ってくれたご隠居にも材料にも申し訳ないと思い手を伸ばすが、それを口元に持ってきたところでどうしても手が止まる。

 やっぱり徹夜なんてするものじゃないな、とため息をついた。

 

「リンセさん、大丈夫ですか?」

 

 そう聞いてきたのは、チョウシ防衛戦の後に〈三日月同盟〉から〈記録の地平線〉に移ってきた〈吟遊詩人(バード)〉の五十鈴だった。

 

「あはは……。大丈夫、寝不足で食欲ないだけだから……」

「完全徹夜すれば寝不足にもなりますにゃ」

 

 まだ怒っているのか、ご隠居の言葉に明確な棘がある。おまけに、いわゆるジト目というやつで私のことを見ている。顔を逸らしても感じる視線に、やや口を尖らせる。

 

「だから、ごめんなさいって言ってるじゃないですか……」

「そう言いつつも反省していないことが、経験上、分かっているから言っているのにゃ」

 

 やはり、長い付き合いとなるとそこまで見抜かれているのか。正論にぐうの音も出ない。

 ひとまず朝食を食べたら少しでも寝なさい、と言うご隠居に、そんなことしたら書類が溜まるじゃないか、と反論すれば、寝不足で作業しても効率が下がるだけ、とばっさり斬られた。またもや正論であるため反論できない。

 

「それ以前に、昨日僕が切り上げるのと一緒にクロも切り上げたよね?」

「あー……」

 

 私が徹夜しているということを疑問に思っていたらしいシロエがそう聞いてくる。それに明後日の方向を見つつ曖昧な返事をすれば、ご隠居の呆れたような声が響いた。

 

「大方、こっそり持ち帰った仕事を片付けていた、というところですにゃ」

 

 ばれている。本当にこの人はセンサーが働きすぎじゃないのか、と顔が引き攣った。

 

「いや、でも、全体量で見ればシロくんより仕事してないし」

「でも、リンセ姉はたまに一緒にフィールドに行くよな?」

「うん。リンセさん、たまにわたしたちの修行見てくれてますよね?」

「まあ、うん。そうだね」

 

 仲良く首を傾げながら聞いてきたのは、〈武士(サムライ)〉のトウヤと〈神祇官(カンナギ)〉のミノリだ。

 それも、まあ仕方ないだろう。せっかく自分と同じメイン職業の人間がいるのだから、その修業は見てあげたいと思うじゃないか。そういうわけで、毎日とは言わずとも週に2、3回は彼らの修行に同行している。

 つまり、最近の私のルーチンワークは、日中はフィールドに、夜間は事務作業、というわけだ。

 別に、それが嫌だとかいうわけではない。むしろ、好きでやっていることなので全然構わない。しかし、周りはどうにもそういうわけにはいかないらしい。

 

「どう考えても働きすぎだぜ? リンセ」

「そうだ」

 

 主に年少組の修行に同行している直継とアカツキにはそう言われ。

 

「ミス・リンセは少し休んだ方がいいんじゃないか?」

「そうですよ! 無茶は良くないですって」

 

 〈記録の地平線〉メンバーの中では最も新規な2人、〈妖術師(ソーサラー)〉のルンデルハウスと五十鈴にはそう説得され。

 

「僕もそれがいいと思う。クロのおかげで割と書類は片付いている方、だと思うし……」

 

 自分と同じく寝不足気味なはずのシロエにも言われ。

 

「リンセち」

 

 ご隠居はもう言葉ですらなかった。

 

「はいはい、分かりました。この後、睡眠とればいいんでしょ……」

「返事は一回で十分だにゃ」

「はーい」

「伸ばさない」

「……はい」

 

 そうして、私の今日の午前中の予定は半ば強制的に決定したのだった。

 

  *

 

 半強制的に取らされた睡眠から覚めると、何やら〈記録の地平線〉のギルドハウスにお客さんが来ているようだった。感覚を頼りに向かってみると、ちょうどシロエの執務室から何人かが退出してきた。1人はヘンリエッタ、もう1人は〈西風の旅団〉で元〈茶会〉メンバーのナズナ、最後の1人は〈D.D.D〉の高山三佐だった。3人とも何やら急いでいる様子だ。何かあったのだろうか、と思いながら執務室に入ると、そこには部屋の主とご隠居がいた。

 

「あ、クロ。おはよう」

「ああ、うん。おはよう」

 

 さっき出て行った3人のことを考えながら挨拶をしたら、やや生返事になっていたらしく、シロエがどうかしたのかと聞いてきた。

 

「いや、さっき出て行った3人が妙に慌ただしかったから、何かあったのかと……」

「ああ、それは……」

「明日、シロエちの貸し出しをかけた料理勝負をすることになったのですにゃ」

「……は?」

 

 何がどうなっている。

 まったく予想していなかった展開に、素直に首を傾げた。

 事のあらましを聞けば、やってきた3人がそれぞれの用件のためにシロエを口説き落とそうとし、でもシロエは当然1人しかいないので1度に1か所にしか行けない、さらにはまだ仕事が残っている、そこで料理対決で決着をつけて勝ったギルドにシロエの一日貸し出しを許可することになった、ということらしい。

 まず、一ついいだろうか。

 

「当の本人はそれで納得してるの?」

「ま、まあ。いいんじゃないかな……?」

「そう。本人がいいならいいけど……」

 

 料理対決のお題がカレーであるあたり、おそらく、ご隠居は深夜のシロエのぼやきを聞いていたのだろう。あのときドアの外にいるのは分かっていたし。ついでに、料理対決を明日にしたのは仕事を片付けるための時間稼ぎ、といったところか。

 面白いことになりましたとにこやかに笑っているご隠居に、策士だなと思った私は悪くないと思う。

 

 しかし、その料理対決とやらは三つのギルドだけに治まらないだろう。すでに、1ギルド追加で参戦決定のようだし。

 ドアの向こう側で聞き耳を立てている2人に乾いた笑いが漏れた。

 

  *

 

 そうして迎えた翌日。

 優勝チームにはシロエの1日貸し出し権という話が広まりに広まって、〈記録の地平線〉ギルドハウス前に集まったのは30チーム。やっぱりこうなったか。予想はしていたけど、みんな集まりすぎというか、必死すぎだろう。

 

 セララをサポートに置いたご隠居が開会を宣言する。

 ルールは4つ。1、2人一組であること。2、〈新妻のエプロン〉使用可。3、使用する食材は調理者が用意する。4、シロエとにゃん太が一番おいしいと判断したものが優勝。

 みなさんの力作を楽しみにしております、というご隠居の声を合図に、全チームが一斉に調理を開始した。

 

 ちなみに、今回使用可になっている〈新妻のエプロン〉というアイテムだが、メイン職レベルの一時的低下と引き換えに、中級程度の料理人スキルを得ることが出来る、というものだ。確か、4年前の期間限定クエスト〈キャリィの花嫁修業〉の報酬アイテムだったと記憶している。しかしこのクエスト、参加条件が『〈料理人〉レベル70以上』と厳しめな上に毒舌NPCキャリィへ料理を納品するおつかいが「苦行」「マゾ向け」と不評だった結果、クエストを達成できた根気強いプレイヤーはほんの一握りだったという。その一握りにご隠居も含まれる。

 〈大災害〉前は単なるコレクター品扱いだったが、現在では〈料理人〉でなくとも調理が可能になる希少アイテムとして価値が急上昇し、マーケットでは大手ギルドが日夜目を光らせているとかいう話だ。

 

 会場を見回してみると、〈三日月同盟〉からはマリエールとヘンリエッタが出場している。おいしいカレー作るさかい、見とってな! と笑顔で手を降るマリエールに、隣にいたヘンリエッタから、お鍋が噴いていますわよ! と声がかかった。それを見たマリエールは、じゃあまたあとで、と調理に戻っていった。

 マリ姐まで出てるのかと驚いているシロエに、昨日は遅くまで準備してたみたいですよとセララが言う。続けて〈第8商店街〉さんにエプロンを探してきてもらったりして、と言うところでセララの言葉が止まった。どうしたのだろうとセララを見ると、彼女は何かを見て固まっていた。その方に視線を向けて私も思わず固まった。

 

 いや、これは仕方ないと思う。

 だって、最大手ギルド〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉が、ふりふりの〈新妻のエプロン〉をして調理していたのだから。

 

「くくくくクラスティさん!?」

 

 シロエが、うわああああーっ! と叫び声をあげた気持ちはよく分かる。

 

「何やってるの、クリュー!?」

 

 私も思わずつっこんでしまった。いや、だって、インパクトがすごい。印象のインパクトもだが、見た目が。

 周りにいる〈冒険者〉諸君も同じようで、あれって〈D.D.D〉のギルマスだよな、とか、大規模戦闘で鬼つえー〈狂戦士〉なんだろ? とか、〈円卓会議〉の総代表がなんであんな格好……、などと言っているのが聞こえる。

 

「じつは料理が趣味だった……とか?」

「いや……多分違うんじゃないかな?」

「我が輩、食材は料理人本人が用意するという条件にしましたから、何か彼にしか獲れない食材を使うつもりなのかもしれないですにゃ」

 

 〈狂戦士〉が獲ってきた食材とか、相当難易度高いと思う。

 

 私は肉の解体を行いますのでソースは頼みましたよ、とクラスティは三佐に告げる。それに、お任せを、と答えた三佐はぐつぐつと音を立てる鍋の中身をかき混ぜていた。その様子はさながら魔女のスープのようだった。

 

 その一方で、昨日ドアの前で盗み聞ぎしていた2人はと言うと、初っ端から前途多難そうだ。

 カレーってどう作るんでしたっけ? と聞くミノリに、とりあえず食材を煮込んでカレー粉を……、とアカツキは答えるが、そもそもこの世界にカレールーというものがまだ存在しない以上、スパイスから作るしかない。大丈夫なのかと思って見ていると、ミノリが、エプロンを借りたしルーからだけど学校のキャンプでカレー作ったことあります、と何やらアカツキに気を遣っているようだ。アカツキさんが獲ってきてくれた〈砂漠エビ〉もおいしそうで、とミノリが手に取ろうとした瞬間、まだ生きていた〈砂漠エビ〉がビチビチと跳ねて逃げていく。アカツキは、逃げたエビを追うからミノリは調理を進めていてくれ、と駆け出していった。その背中にミノリが手を伸ばすもそれが届くはずもなくミノリは、アカツキさん~……と頼りない声を上げた。

 

 ああ、ものすごく手伝ってあげたい。手が出せなくても口ぐらいは出していいか、と主催に尋ねたくなるぐらいには手伝ってあげたい。ダメ元で聞いてみれば、ダメだ、と即答されてしまったが。

 

 時間は刻々と過ぎていき、次々と出来上がったカレーが運ばれてくる。ご隠居は口をつけた1つ1つにコメントを入れていく。これはなかなか、これはカレーというよりもシチュー、などなど。当然、参加チームの数だけカレーが出来上がるわけなので、1つのカレーにつき1口以上は厳しいだろう。シロエも同感のようで苦笑いを浮かべた。

 そんな中、〈三日月同盟〉のカレーが運ばれてきた。

 

「シロ坊! うちらのカレーも食べたってな!」

「〈三日月同盟〉秘蔵のスパイスセットに特別アレンジを加えて作った、月見ドライカレーですのよ」

 

 卵をくずしてどうぞ、というヘンリエッタに続いて、うっとこの畑で採れたひよこ豆が入ってるんよ、とマリエールが笑う。ありがとうマリ姐、と言ったシロエは、じゃあ、と一口食べて、固まった。

 シロ坊? と首を傾げるマリエールの後ろでご隠居も一口食べてビクッと身体を震わせた。

 

「こ、これは……なかなかスパイシーな……大人の味ですにゃ」

 

 大人の味? とぎょっとしているマリエールの横で、わかってらっしゃる! と微笑んだのはヘンリエッタだ。

 

「隠し味に〈火蜥蜴(サラマンダー)〉の尻尾と〈火薬ハバネロ〉を入れ、殿方がお好きそうな情熱的な味に仕上げましてよ」

 

 それを聞いて真っ先に思ったのが、それ隠し味にしては隠れてなくないか、ということ。マリエールも、アンタいったい何入れて、とカレーを一口食べて、辛ぁあああああ! と叫んだ。

 

「梅子~~! 何やのこれ!! めっちゃ辛いやん」

「ちょっと! 梅子って呼ばないで。それに大げさですわ。ちゃんと味見しましたわよ」

 

 試食者曰く激辛カレーを口にしてヘンリエッタは恍惚とした表情で、この刺激的な味! たまりませんわぁ、と頬に手を当てて味わっている。どうやら彼女、相当の辛口らしい。

 

 そんな〈三日月同盟〉の刺激的なカレーの後は、〈D.D.D〉のお出ましだった。

 

「ほほ肉とイエロースピナッツのカレー、エルダーテイル風です」

 

 出されたカレーはいかにも専門店のような盛り付けがされており、ライスの上にはシロエの似顔絵とめしあがれの文字が書かれた旗が刺さっている。

 いい香りです、と言ったご隠居とシロエがカレーを口にした。その瞬間、パッと目の色が変わる。

 

「! ……おいしい」

「ほう、これは……」

 

 2人の反応にセララが物欲しそうにご隠居を見ている。どんな味なんですか? という彼女に、一口どうです? とご隠居はカレーを差し出した。それを口にしたセララは花をまき散らせながら、まるで高級料理店のカレーですね、と目を輝かせた。

 それはよかった、と返すクラスティに対し、私としてはもっと甘口でもよかったと思いますが、と三佐は砂糖と蜂蜜を手にしゅんとしている。それを見たクラスティは、高山女史しまいなさい、と彼女を咎めた。

 

「……失礼しました。こちらのカレーですが、我が〈D.D.D〉が抱える優秀な〈料理人〉考案のレシピで作っております」

 

 カレーソースはシンジュク御苑の森深部で採れるレッドターメリックをベースに十数種類のスパイスを配合、メインの肉には〈テンタクルイエティ〉を用いて、最新型の圧縮鍋でじっくり煮込んだのだという。さらっと言ってはいるが、シンジュク御苑の森はレベル80はないと厳しい地帯であるし〈テンタクルイエティ〉に関してはボスモンスターだ。様々な料理の結果、イエティ系モンスターの肉が大変コクがありカレーに適している、いう結論になったのでその親玉である〈テンタクルイエティ〉の肉ならばさらに美味しいカレーが出来るのでは、と思い使用したそうだ。さすがアキバ最大手ギルド、やることの規模が違う。

 しかし、その〈テンタクルイエティ〉、モンスターとしてのグラフィックは相当グロかったはずだ。

 

「そうそう、当然使う部位にもこだわっておりまして、特にほほや眼球付近を中心とした、顔の柔らかい部分の肉を使っております」

 

 三佐がそう告げたとき、ちょうどセララが掬い上げたスプーンの中にその目玉がごろりと転がった。はうう~~、と倒れたセララに、少し刺激が強すぎたかな? ……のようですね、と〈D.D.D〉の2人は言い合ってる。さすがアキバ最大手ギルド、やることの規模が違う。

 

 そんなこんなで食べすすめていたが、残りチームもあと少しと言ったところまで来た。

 

「シロエちは、気に入ったカレーはありましたかにゃ?」

「え……?」

 

 その一言でシロエも確信を得たらしく、班長聞いてたんだね、と言った。尋ねてきた3人にあんな提案を持ちかけたのも僕の作業時間を稼いでくれるつもりだったとか? とも。

 

「どうでしょうかにゃあ。結果的に大事になってしまいましたから」

 

 ただ最近あまりにもお疲れのようでしたから、とご隠居は言う。

 

「〈円卓会議〉の発起人であるシロエちにいろんな仕事が集まるのは仕方ないことかもしれないですにゃ。でも、我が輩には少し集まりすぎのように思えたのにゃ」

 

 その意見には同感である。

 集まりすぎ? とクエスチョンマークを浮かべたシロエに、みんながシロエに頼りすぎということだ、とご隠居は言う。

 

「我が輩がシロエちの希望を叶えてカレーを作るのは、簡単なことですにゃ。けれど、今回のことを通して、みんなに少しでも考えてほしかったのですにゃ」

 

 シロエがどんなカレーが好きなのか、どんなカレーなら喜んでもらえるのか。食べる相手のことを考え料理を作る。それが“料理は愛情”と言われる所以だ、とご隠居は語る。それでシロエも今までのことを振り返り、ちょっと根詰めすぎてたかも、と頬を掻いた。

 その後ろから2人を必死の声で呼ぶ2人がいた。

 

「シロエさん!」

「老師!」

 

 振り返れば、そこには我が〈記録の地平線〉メンバーのアカツキとミノリがありったけの力で作ったカレーを持って立っていた。がんばって作ったんです! と差し出されたそれは、本当に、本っ当に申し訳ないが、何と形容すればいいか分からないものだった。さっと視線を反らした私の横でシロエとご隠居も一瞬にして顔色を変えた。

 

「ふ、2人も参加してたんだ……」

「はい! アカツキさんが素材をそろえてくれて」

「ミノリが主な調理を担当してくれた」

 

 前にご隠居が作った海老団子をシロエがうまい! と言っていたのを思い出して真似して海老を入れてみた、とアカツキは言うが、すり身じゃなくてそのまんま入れてしまったらしい。ミノリはミノリで、この間直継とおつまみの話をしているときに柿の種とかほしいよねと言っていたので柿を入れてみた、と言う。ミノリ、それは柿違いだよ。

 

「さあ、主君。食べてくれ」

「ご試食お願いします!」

 

 2人からカレーを差し出されるシロエの構図は、前にどこかで見たような気がする。しかし、今回は差し出されているものがモノだ。班長~、と助けを求めるシロエに、ご隠居は良い笑顔でサムズアップを決めた。

 

「シロエち……料理は愛情ですにゃ!」

 

 その言葉で完全に逃げ場を失ったシロエは、勢いよく手を合わせ一口食べた。そして、ぽろっとスプーンを落とした。想像以上にきつかったらしい。

 これはまずいと思った私は、状態異常回復呪文を準備する。そして、必死に一口飲み込んだシロエに向かって間髪入れずに発動させた。

 

 ステータス上では問題のなくなった状態だが、それでも影響は体に残り、シロエはご隠居に介抱されていた。それを見て、アカツキとミノリは申し訳なさそうにしている。

 まあ、うん。料理は愛情、されど技術も必要、というわけだ。

 

 そんな私たちにセララが最後のカレーを持ってきた。

 シロエとご隠居の目の前に出されたカレーは、ハート型のライスの周りにカレールーが漂っている。ニンジンは飾り切り、しかもシロエの好きな茄子入り。ここに来て、全部持って行ったな。そう思った私の勘は当たり、そのカレーを口にしたシロエとご隠居の顔色が今までにないくらい輝いた。

 

「スパイスの調合具合、とろみ・風味・舌触り。どれをとっても一級品。洗礼された味わいながら一晩寝かせた家庭のカレーのように深いコクとぬくもりがありますにゃ」

「しかもこの触感は茄子……僕は茄子が入ったカレーが大好きだ! こんな、こんなカレーをこの世界で食べられるなんて!」

 

 2人そろって大絶賛だ。

 文句なし、優勝はこのカレーで決まりです、とご隠居が声高々に告げる。そのカレーを作ったのはなんと〈西風の旅団〉の〈吟遊詩人(バード)〉ドルチェだった。どうやらドルチェは料理が得意なんだそうで。

 カレーが一晩置いた様な味になったのは裏技らしく、作りたてのカレーを氷水で冷やして温めなおすと一晩置いたようなカレーになるのだそうだ。厳つい見た目にそぐわず実に家庭的だな、この人。

 

 そう言ったわけで、シロエ1日貸し出し権を得たのは女子力の高さを示した〈西風の旅団〉だった。

 そのレンタル内容は何なのか、と聞いてみるとなんと稀代のモテ男のハーレム形成だった。

 ご愁傷さま。でも、たまには書類から離れて外に行くのも悪くないだろう。

 さあ行きましょう、とソウジロウに背中を押されて去っていくシロエの背をご隠居と2人で手振りつきの笑顔で見送った。

 

  *

 

 こうしてシロエをかけたカレー選手権は終わった。

 作ったカレーは参加者や付近にいたみんなで分け合うことになった。そんな中、私はミノリとアカツキが作ったカレーの入っている鍋の中を見つめていた。

 

「どうかしたのですにゃ? リンセち」

「ああ、いや、なんでもないです」

 

 声をかけてきたご隠居に私は手を振ってそう答えると、ミノリの方に駆け寄った。

 ミノリに近付いた私は、お疲れ様、とミノリに声を掛けた。

 

「リンセさん!」

 

 カレー食べないんですか? と尋ねてくるミノリに、後でね、と答えて私は本題に移る。

 

「ご隠居から借りた〈新妻のエプロン〉持ってるのってミノリちゃん?」

「あ、はい。そうです」

「よかった。あのさ、それちょっと貸してくれないかな?」

「え?」

 

 ご隠居には自分から返すから、と言うと首を傾げながらもそれを差し出したミノリに、ありがとう、と言ってそれを預かる。

 

「何かするんですか?」

「まあ、ちょっとね」

 

 私のことは気にしなくていいからミノリちゃんはカレー食べておいで、と背を押せば、ミノリは少々こちらを気にしながらも、カレーを食べている面々に交じっていった。

 一方、エプロンを受け取った私は、再度ミノリとアカツキが作ったカレーを見て、そこの調理台に残っている食材を確認した。目に映る要素を数字に置き換えてカタカタを計算を繰り返し、さて、とエプロンを装備する。

 

「いっちょやってみますか!」

 

 そうして、私はそのカレーに挑んだ。

 

  *

 

 最初にその匂いに気付いたのはトウヤだった。

 

「あれ? あっちの方からおいしそうな匂いがする……」

「ん? 本当だな……」

 

 トウヤの指差した方向に鼻を利かせて同意したのは、隣でカレーを食べていた直継だ。

 

「でも、あっちの方ってミノリが作ってた方じゃ」

「……行ってみっか」

「おう!」

 

 戦士職の師弟はひとまず匂いの元に向かってみることにした。

 

 少し歩いていった先、そこは間違いなくあの2人が調理していた場所だった。しかし、現在そこには〈新妻のエプロン〉をしたリンセがいた。

 

「あれ? リンセ姉、何やってんの?」

「ああ、トウヤくん。何って、カレーのリカバリ?」

 

 小皿片手に鍋の中身をかき混ぜながらリンセは言う。その鍋は、確かミノリのアカツキが作ったカレーが入っていたものだ。どうやらこのおいしそうな匂いはそこからするらしい。

 

「リカバリって、まさかできたのか?」

「うーん、特別美味しいってわけじゃないけど、普通に食べられはするんじゃないかな?」

 

 味見してみる? と差し出された小皿を直継は恐る恐る受け取る。見た感じは普通のカレールーだし、匂いも普通に美味しそうだ。それを口元に持っていき口内に流し込めば、一般的なカレーよりは甘めの、それでも十分美味しいと言える味が口の中に広がる。

 

「え、普通にうまいじゃんこれ」

「あ、本当? ちょっと甘すぎかなと思ってレッドペッパーでも入れようかと思ったんだけど」

「確かに甘口ではあるけど、まろやかで食べやすいぞ」

 

 ならこのままでいいかな、とリンセは鍋の中身の出来栄えを確認した。

 

「食べられるっていうなら、これも消費しちゃおうか。残すのも勿体ないし」

 

 余ったらギルドハウスに持って帰ろう、と言ってリンセはお玉を直継に託した。

 

「え、師匠。食べられるの?」

「普通にうまいぞ」

「マジで?」

 

 直継の言葉をとりあえず信じたトウヤも恐る恐る味見をする。直後、トウヤは驚いたように目を瞬かせた。

 

「うめーっ!!」

 

 その味に驚いたトウヤは大声でミノリを呼ぶ。その声に気付いたミノリはもちろんのこと、他の〈記録の地平線〉メンバーも集まってきた。

 

「どうしたの? トウヤ」

「あんな、ミノリが作ったカレーをリンセ姉が手直ししてくれたんだ!」

 

 うまいから食べてみろよ、と差し出されたそれをミノリはパクリと食べる。そして目を見開いた。

 

「お、おいしいっ」

「だろ!? リンセ姉、すげーな!」

「それはどうも。でも、元があったからできたんだよ」

 

 ミノリの反応に、まだリンセの手直ししたカレーを食べていないギルドメンバーは次々にスプーンを差し出して味見する。そして、皆一様に美味しいと零した。

 

「ホントだ、美味しい! リンセさん、料理までできるんですか?」

「実においしいカレーじゃないか、ミス・リンセ!」

「成り行き上、ある程度はね」

 

 五十鈴とルンデルハウスは目を輝かせてそのカレーを楽しんでいる。その横でアカツキも黙々と食べていた。にゃん太も試食して、さすがだ、と言った。

 

「せっかくですにゃ。残りはギルドに持ち帰って、今日の夕飯にしたらどうですにゃ?」

「おお! いい案だな、班長!」

「さんせー!」

「は、はい! 私も」

「いいね、そうしよう!」

「ああ、いいじゃないか!」

「私も異論ない」

 

 〈記録の地平線〉メンバーはにゃん太の提案に口々に同意する。ただ1人、手直しした本人はそれでいいのかと苦笑いだったが。

 

「では、決まりですにゃ」

「あ、本当にいいんだ……」

 

 わいわいと賑わうギルドメンバーを見ながら、まあいいかとリンセは肩を竦めた。

 

 その夜、宣言通りにリンセがリカバリしたカレーが〈記録の地平線〉の食卓に並んだ。それを食べたシロエも実に満足気だったという。

 

  *

 

 夜も深まり、そろそろ深夜と呼ばれる時間帯になった頃。にゃん太はキッチンで明日の朝食の仕込みをしながら今日あったことを考えていた。

 

 それは、カレー選手権の後片付けが大方終わったときのことだ。

 

「ご隠居、あのさ……」

「なんですにゃ?」

 

 口を開いたリンセは何かを言葉にするでもなく一度口を閉じ、改めて息を吸い込み言葉を発した。

 

「やっぱり、私もシロくんに寄りかかりすぎ……なのかな?」

「にゃあ?」

 

 リンセの言葉ににゃん太は素直にクエスチョンを浮かべた。

 にゃん太の主観ではそれはありえない。むしろ立場が逆にも思える。シロエの方がリンセを頼っているように見えるのだ。それなのに頼られている側が、寄りかかりすぎなのか? と思っているとは、これは如何に。

 

 にゃん太が今回の件を考えた裏の裏には彼女のこともあった。シロエが動いているからリンセも動いているとしたら、もしかしたらシロエが休めば彼女も休むのではないかと考えたのだ。

 事実、昨日は仕事をするあまり集中しすぎて気が付けば完徹という状況に陥っていた。本人はシロエほどやっていないというがそれは事務作業に限った話である。それ以外にもリンセは日常的にシロエとは別行動しているのだから、事実ギルドメンバーが言うように彼女は働きすぎなのだ。

 誰かの手助けをする、彼女のこの行動はおそらく人の感情を察する勘の良さから来ているものなのだろうが限度と言うものがある。リンセの“他人を優先する”という行動は彼女が今〈記録の地平線〉に属していることにも、チョウシ防衛線での無茶な戦い方にも繋がっている。チョウシ防衛戦に至っては1人で何役も引き受けて、その上、自身の限界を超えた上で戦闘を継続し、あまつさえ倒れる始末である。それだけの無茶をしでかしているのに本人はほぼ無意識であるから恐ろしい。

 

「リンセちは、逆に周りを優先しすぎですにゃ」

「いや、そんなことないでしょ?」

「いいえ、先程もミノリっちとアカツキっちの手伝いをしたい、と。それが証拠ですにゃ」

「証拠って……困っていたら手を差し伸べる、普通はそうじゃ……」

「ススキノはどうですにゃ」

 

 普通はそうじゃないんですか、と言おうとしただろうリンセの言葉をにゃん太は遮った。

 ススキノ。その一単語で。

 それにリンセは苦虫を噛んだような表情をした。

 

「それは……私じゃ力不足で……」

「それも正しい判断ですにゃ」

 

 自分の実力以上のことを無理に背負うべきではない。確かに何もせずに見ているだけは苦しいものがあるが、自分の実力以上のことを抱え込んでどうにもならなくなってからでは遅いのだ。

 

「リンセち。リンセちは〈記録の地平線〉に入ってから極端な無茶をするようになったと、我が輩にはそう見えますにゃ」

 

 おそらく、本人が意識していないところで。

 

「リンセちはもっと自分自身を見て、もっと周りに頼ってもいいと思いますにゃ」

 

 うーん、と唸ったリンセは気まずそうに頬を掻きながら苦笑いを浮かべた。

 

「頼る、ですか……」

 

 リンセの声色は困惑と諦めが滲んでいる。

 

「そうですにゃぁ。まずは自分が本当にしたいことを口にするところから初めてみるのはどうにゃ?」

 

 リンセはその言葉を受けて、ただ肩を竦めただけだった。

 

 “初めて”言葉を交わしてから10年以上。彼女はいつでも年齢にそぐわない献身さを持っていた。いっそ、そう在らなければならない、とでも言うように。

 何が彼女にその意識を芽生えさせたのか、その概形を掴みつつあった彼だからこそ恐ろしく思うのだ。

 いつか――その“いつか”がいずれ訪れるのではないか、と。

 

 そこまで考えたにゃん太は(かぶり)を振った。

 

 その“いつか”が訪れてからではきっと遅いのだから。

 だから、彼は彼女に言葉を尽くす。いつかが訪れる前に彼女からその意識を刈り取るために。




2021/03/06 06:00 加筆

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。