Log Horizon 〈星詠みの黒猫〉   作:酒谷

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chapter 7

 アキバへ帰還した私たちを迎えてくれたのは〈三日月同盟〉のメンバーによる盛大なパーティーだった。どうやら倉庫として使われている部屋以外のギルドホールの部屋を全部使っているらしい。置かれている備品は決して高価じゃないけれどギルドメンバーの精一杯の努力が分かる。振舞われている料理に関しても〈三日月同盟〉の〈料理人〉たちが念話伝いで伝えられた料理方法の下、懸命に努力したのが見て取れた。

 この新しい手法は、今までの世界と同じ手順で料理が作られるから現実で発生する問題も当然起こる。ない材料はどうあがいても料理の中に含まれないし、実力がなければ作れない料理もある。それに加えて難易度の高い料理をしようとするとスキル判定が行われるのは判明済みだ。それに自らの手で作る訳だから当然作る人によって味も見た目も異なる。それも料理の楽しみだと私は思うけれど。

 この“味のある料理”はやはり〈三日月同盟〉でも好評らしい。それもそうか。あんな味のしないもの食べていれば、味があるだけで贅沢だ。

 

「今日はお祝いやから! 飲んで食べて騒いでや!」

 

 マリエールの言葉がホール内に明るく響く。私はそれに顔を綻ばせた。

 

 宴が始まってからしばらくすると、ご隠居は立ち上がりどこかに行くしセララはその後を追っていった。多分厨房だろうなという私の予想は合っていて聞いたところ調理場という戦場で料理に勤しんでいたらしい。ご隠居もよくやるな。疲れてないのかな。

 そういう私は次々と運ばれてくる料理に少し青ざめていた。私は少食なのだ。もう食べられない。見てるだけでお腹いっぱいになって吐きそうだ。

 他の仲間があちこちで引っ張りだこになっているのに苦笑しながら、私は外の空気を吸うためにこっそりとギルドホールを出た。

 

  *

 

 感謝と祝いの言葉、乾杯とご馳走への賛辞の中に賑やかな宴の時間は瞬く間に過ぎていった。メンバーが色々なところで眠りに落ちている中、唯一起きている2人は穏やかな雰囲気の中で片付けをしていた。起きている2人のうちの片方であるシロエは、ふと周りを見渡して1人いなくなっていることに気付いた。

 

「……あれ?」

「どしたん、シロ坊? そないきょろきょろして」

 

 シロエがあっちこっちの部屋を見て回っている様子が不思議だったのか、起きているもう1人のマリエールがシロエが声をかけた。

 

「マリ姐。クロがいないんです」

「リンセやん? ……あれ、確かにおらへんなぁ」

 

 シロエがいなくなっているのに気付いた1人とは、シロエとともにススキノまで遠征にいったリンセだった。マリエールもあちらこちら見て彼女がいないことに気付いたらしい。

 

「ちょっと念話してみます」

 

 シロエはフレンド・リストから名前を探し出して念話機能を立ち上げる。コール音が鳴り始めてすぐに相手が念話に出た。

 

「クロ」

『あ、シロくん。もしかしてパーティー終わった?』

「終わったというか、大半の人が寝落ち」

『ま、でしょうね』

 

 念話の向こう側でリンセはからからと笑った。その声にシロエも笑う。

 

『ごめんね、黙って外に出て。あんな量のご飯久しぶりに見たから、ちょっと気持ち悪くなって外の空気吸ってたんだ』

「そうだったんだ」

『うん。だから、今からそっちに戻るよ』

 

 じゃあまた後で、という言葉を最後に念話は切られた。念話が切れたのを見計らってマリエールがシロエに声をかける。

 

「どないやった?」

「少し気分が悪くなったみたいで外の空気吸ってたようです。今からこっちに戻ってくるって」

「なら、もう少し片付けして待っとけばええかな」

 

 マリエールの言葉にシロエは同意した。

 

 念話から少し経った頃、〈三日月同盟〉のギルドホールに1人分の足音が響いた。そして少しもしない内にシロエとマリエールが最後に片付けをしている会議室のドアから白髪が覗く。

 

「ただいま、帰りましたー……」

 

 声を潜めて入ってきたのはリンセだ。あまり足音を立てないようにそろりそろりと入ってくる。

 

「おかえり、クロ」

「おお、リンセやん。おかえり」

 

 シロエとマリエールも声を潜めて答える。その2人と周りの状況を見てリンセはやってしまったというような顔をした。

 

「片付け、もしかして2人で?」

「あ、うん」

 

 シロエが答えるとリンセは明日は手伝うと言った。それにマリエールが優しげな顔で大丈夫だと首を振った。でも何もしないのは申し訳ないとリンセは言う。頑固やなぁとマリエールが困り笑いしたとき、どこかから寝言のような声が聞こえた。その声に3人は口を緩ませる。

 

「どする? シロ坊とリンセやんも寝る?」

「僕はそんなに眠くはないんですけど……」

「シロくんと一緒」

「ほうかー」

 

 マリエールは2人に近づき顔を覗き込む。

 

「んじゃ、お茶でも淹れよか。ここじゃなんやし、ギルマス部屋にいこ」

 

 マリエールはひとつひとつ部屋を確認していく。全て見終わったあと、マリエールはシロエとリンセを引き連れてギルドマスターの執務室に向かった。

 

  *

 

 マリエールに連れられて、私とシロエはギルドマスターの執務室に通された。ススキノに行く前に入ったファンシーな執務室は今も健在だった。と言っても執務室という言葉にふさわしいのは大きな書類机くらいだ。そのほかは見事にパステルカラーコーディネートだ。

 

「なにがええ?」

「なんでも」

「私もなんでもいいよ」

「んじゃ、ありもんでええな。……えーっと」

 

 私たちが各々そう答えると、マリエールは厨房から残っていた黒葉茶を持ってきてくれた。それを受け取って私たちはソファに座って一息ついた。

 実は、私は今回のような大騒ぎに加わっていくのが少し苦手だったりする。少し距離を取って見守る位置にいるのがちょうどいい。そうしていると大抵シロエと一緒に最後まで起きていることになる。シロエはどうも癖なんだとか。それでご隠居とかから2人揃ってからかわれるんだけど。

 でも、こういった宴のあとの穏やかな空気が私は好きだ。つい顔が綻ぶ。完全な無音ではない、人の温かさがある空間は安心感を与えてくれるのだ。

 

「今回は本当に世話になったん。おおきに」

「もういいですって。僕はなにも大したことはしてないし」

 

 シロエの態度に苦笑する。相変わらずだな。多分、宴中もそういう風に言っていたんだろう。その姿は想像に難くない。

 

「シロくん、毎度言うけどさー、人の好意は素直に受け取りなって」

「あー、うん……」

 

 少し咎めるように言えば苦笑された。何を思ってそういう風な態度を取っているかは分かるけど、とりあえず受け取れるものは受け取っておけばいいのに、と思ってしまう。

 

「あれが大したことやないなら、なにが大したことやねんね。なんかお礼考えとかんとなぁ」

「ほらー。シロくんが素直に感謝を受けとらないから、マリーが困ってるじゃん」

「う……。そ、そうだ。僕たちがいない間、こっちはどうでした?」

「こっちかぁ」

 

 話題そらしやがったな、シロエ。相変わらず下手な話題変換に笑いが漏れそうになったが、マリエールの表情にそれを飲み込んだ。何とも微妙そうなそれに、訳を無理に問いただそうとは思わなかった。

 お茶の入ったグラスを口元にあててマリエールの言葉を待つ。

 

「アキバの街は……いっときより、落ち着いたかなー」

「落ち着いた――ですか」

 

 落ち着いた、という言葉に違和感を覚える。気分が悪くなって外に出たときに気付いたことがあったけれどそのせいなのだろうか。

 

「もしかして、PKとかは減ったけど……っていう話かな?」

「せや。PKは随分と減ったし、治安も……悪うはないんやと思う。いや、どこと比べるかっちゅー話なんやけどな。少なくとも最悪だったときよりはマシに思えるんよ。そこんとこは、マシ」

 

 そこんとこは、マシ。つまり、それ以外のとこに亀裂ができているのだ。それは多分――ギルド間のものだ。格付け、といった感じなんだろう。

 外に出たときに散歩をした。そのときに気付いたのだ。〈D.D.D〉をはじめとした大手のギルドが大きい顔をして、中小ギルドは影で過ごす。そんなバカらしくも発生すべくして発生した亀裂に。

 明確なルールではない。けれど、私たちの社会形体に当然のように組み込まれている原則がそれを半ばルール化しているのだ。多数決の原理がそれを作り出している。

 それは格好いいことではない。けれど、自衛としては最もなことなのだろう。

 PKが減った理由もここに起因するのだろう。強者と弱者、明確なボーダーラインがそこにある。そのボーダーラインが縄張りを作り、今の〈冒険者〉を格付けしている。

 

「それが、格付けいうことなんやと、うちは思う」

 

 私が想像していたこととまるまる同じ言葉がマリエールの口から放たれ、その言葉で締めくくられた。

 別にどこが悪いというわけではない。ただ、言ってしまえば「成り行き」なんだろう。けれど敢えて何が悪いというなら「全員同罪」だ。力あるものには力あるものの行動が、ないものにはないものの行動が、交わすべき言葉があったはずだ。対抗することではなく、向き合うこと。そのタイミング、その意志。ただ、それを見過ごした。

 それだけだが、それこそだった。

 

 マリエールとシロエの会話を傍耳に聞きながら思考する。

 現状のままの未来から、逆算。そしてページを逆さにめくる。物語を逆再生、再構築。革命までの道筋に必要なものは何か。資金、ルール、アキバの街にいる〈冒険者〉たちの――。

 あらかた予測が出来たところで、マリエールが口にした言葉に反応した。

 

「それにな。〈黒剣騎士団〉と〈シルバーソード〉が91を目指してるん」

「え?」

「91……?」

 

 おそらく、いや間違いなくレベルのことだ。〈ノウアスフィアの開墾〉が導入されているのならレベル上限が解放されている。けれど、今この状況下で85レベル以上のモンスターと戦闘しようと、そういうことか。一体なぜ〈黒剣〉は、あの男はそんな危ない橋を渡ろうと。

 

「今だって大手ギルドが強いけど、この先プレイヤーが増えることは望めないわけやろ? だったら人数獲得競争もそうやけど、どんだけ高レベルを抱えられるかが、勢力に大きく影響を与えるって話みたいなん。ほら、もともと〈黒剣騎士団〉はエリート志向やったし……」

 

 思わずため息をつく。あそこも相変わらずなんだな、本当。

 レベル制限を設け、低レベルの入会は受け付けない。完全なる純血主義の戦闘集団。それが〈黒剣騎士団〉なのだ。そんな彼らは今もレベル制限を設けたままらしい。

 そんな戦闘集団だからこそ、嫌な予感がした。

 

「今でも〈黒剣騎士団〉は大手ギルドの名門。でも〈D.D.D〉のメンバー1500名には勢いで押されっぱなしや。〈大災害〉以降、あそこは小さなギルドをいくつも飲み込んだし。そこいくと〈黒剣騎士団〉は入会にレベル制限があるから、小さなところは吸収できひん。やから、レベル90オーバーを目指して、量より質でひっくり返そうとしてるん」

「でも、どうやって――」

 

 嫌な予感が止まらない。もしこの考えがあっていたとしたら、もしかするとシロエの知り合いという双子も巻き込まれているかもしれないのだ。

 どうか否定して欲しい。その思いでその単語を口にした。

 

「マリー。まさかとは思うけど……〈EXPポット〉を使ってる、なんて言わないよね?」

「…………その、通りや。リンセやん」

 

 〈EXPポット〉。それは使用すると戦闘から得られる経験値が2倍近くなるだけでなく、通常なら自分より5つ以上レベルの低いモンスターからは得られないはずの経験値が7つ下のモンスターからでも僅かに得られるようになるという有名なお助けアイテムだ。そして、その入手方法はレベル30以下のプレイヤーへの一日一本の配布だ。

 つまり、その配布が今でも行われているのなら、レベル30以下のプレイヤーを囲い込めばそのアイテムを手に入れられる。

 

「マリー。それ、どこのギルド?」

 

 自分の声が冷え切っているのが分かった。

 私の声にマリエールとシロエが目を丸くしていたけど、そんなことは今はどうでもいい。

 

「こんなに商売に使えるもの、ただで譲るわけがない。どこのギルドかな? 初心者囲い込んで商売してるのは」

 

 静かに言葉を紡ぐ。その言葉に続いてマリエールは重く口を開いた。

 

「……〈ハーメルン〉っちゅうギルドや。初心者救済を謳ったそのギルドは〈大災害〉後、たくさん初心者を集めたん。なんもかんもが混乱してたし、初心者を助けられるような時期でもなかったんは確かなんよ。うちらも、なんもできんかった。でも、その〈ハーメルン〉は――集めた〈EXPポット〉を売りさばいてるん。〈ハーメルン〉は金を儲けてるし、大手ギルドは〈EXPポット〉でレベルを上げようとしとる。誰が悪いのか、悪い人なんておるのかどうかもわからへん。ただそういう流れだけがあって、誰も止めることはできひんねや……」

 

 マリエールの静かな声だけが、執務室に悲しく響いた。

 

  *

 

 〈三日月同盟〉のギルドホールを出て、僕とクロは2人揃って無言で歩き出す。しかし、少し歩いたところでクロの足がぱたと止まった。

 

「シロくん、どう思う?」

「…………」

 

 クロが問いかけてくる。何を、とは言わなかったけれど言いたいことは分かった。でも、それに返す言葉が見つからない。

 

「私はさ、悔しいけど行き着くとこに行き着いただけなんだと思う」

 

 全てを見透かすような黒曜石が真っ直ぐ僕を射抜く。夜の風が僕とクロの間を抜けていった。

 

「考えるだけなら誰にでもできるし、声に出すことだって簡単だ。でも、それだけじゃ駄目なんだよね。言葉なんてさ、時に無力だ。行動した人だけがさ、その真実を掴むんだよ」

 

 クロは目線を下に落とす。その表情は、いつも「仮定」を「確信」にする彼女にしては少し弱々しい。

 

「誰が悪いわけでもなくて、でも、誰もが悪い。私も、シロくんも含めて。人の愚かしさが、少しずつここを歪めていっている。圧力、逃避、無関心……。その全てが、互いに巣食いあって歪んだ規律が出来上がってしまったんだね」

 

 静かに伏せられた瞳。その奥にどんな感情があるか今の僕には分からなかった。ただ、彼女はこの状況になったことを悔やんでいて、それでいて当然だと、そう思っているような気がした。

 

「……クロ。……僕は、どうすればいいのかな?」

「それ、私に聞くんだ?」

「あ……ごめん」

 

 苦笑したクロに思わず謝ってしまった。そうすると彼女は吹き出して、別に構わない、と言った。

 

「それが、私の役目だもんね」

 

 いつもの笑顔でクロはそこにいる。いつも「仮定」を「確信」に変えてくれる、いつも道標を作り出す、その笑顔で。

 

「滅びに向かっているこの場所で、全てをはじめればいいと思う。誰もが目を背け続けて、歪になっちゃったんだからさ。傲慢も身勝手もやったもの勝ちだ。誰もやらないんだし。だからさ、シロくんはシロくんがしたいことをすればいい。どうせなら勝ちにいけばいい。ハンデがあるなら捨ててしまえばいいし、手段がないなら作ってしまえばいい。それをするだけの力がシロくんにはあるし、叶えるための鍵は既に君の手の中だ」

 

 クロの言葉が響く。彼女の言葉はいつだって明快で難解で、それでも僕の迷いに一筋の光をさしてくれる。

 

「望むことは罪じゃないし、誰に規制されることでもない。ましてや、君が諦める理由もない。もう言い訳は必要ないんじゃないかな」

 

 クロの瞳に自分の姿が映る。

 

「ねえ、シロエ。……君は、いつまで逃げるつもりかな」

 

 どくん、と心臓が大きく跳ねた。「シロくん」ではなく「シロエ」と。その呼び名の変化から僕は彼女が真剣に警告してきたのがわかった。

 一瞬だけ時間が止まる。周りの音が消えてこの世界にただ2人だけが存在するような感覚に陥った。

 

「毎度言うけどさ、シロエはもう少し人の好意を素直に受け止めるべきだよ。……じゃなきゃ、気付けるものにも気付かずに、築けるものも築けないまま腐っていってしまうよ」

 

 だから気付いてあげてほしい、と彼女は言った。その声が少しだけ震えていた気がした。

 

「さてと。私の役目はここまで。最後にひとつだけ言っておくよ。君なら、何もないところでならなんでもできる。この言葉は、君の後輩からの純粋な思いとして受け取っておいて」

 

 暗に、いつもの勘から来たものではない、と言われた気がした。それは小燐森からの、そして、シロエではなく現実の自分の後輩からの純粋な思いの言葉である、と。

 

「それじゃ私はこの辺で。おやすみなさい、先輩」

 

 小さく手を振り去っていく彼女の背中を僕はただ見つめていた。

 

 *

 

 クロが去ったあと、アキバの街を歩きながら彼女の言葉を反復する。

 

『誰かが悪いわけではなくて、全員が悪い』

 それはきっと間違いないのだ。ひとつひとつは小さな悪で“黒幕”なんてお伽話のようなものはない。

 どうしたらいいのか?

 都合のいい答えなどなかった。けれどクロは言った。『傲慢も身勝手も、やったもの勝ちだ』と。

 僕に、できるのだろうか?

 ただ見過ごしてきた自分なんかに、一体何ができるというのか。ギルドというコミュニティから逃げ、その上で自分の好みや都合を押し付けてきた、自分に。

『シロくんはシロくんがしたいことをすればいい』

 僕がしたいことをしてもいいのだろうか。勝手に逃げ回って溜め込んだツケを背負って、勝手にそれをハンデだと思って、できないと決めつけた、僕が。

『ハンデがあるなら捨ててしまえばいいし、手段がないなら作ってしまえばいい』

 このハンデを捨てるには、このツケを払うには、どうしたらいい。

『それをするだけの力がシロくんにはあるし、叶えるための鍵は既に君の手の中だ』

 そう、答えは知っていた。ただ逃げ続けていただけ。ただの身勝手で、ただの傲慢で、目を逸らした。

『もう言い訳は必要ないんじゃないかな』

 その通りだった。したいことをするなら、叶えたい望みがあるなら、思想だけでは言葉だけでは駄目なのだ。

 行動した人だけが、真実を掴む。

 

 夜風がチュニックの裾をはためかせる。涼しい風が僕の横を通り抜けていった。

 

 望むことは罪じゃない。規制もない。諦める理由も、本当はない。

 逃げ続けては、何も変わらない。

 クロは、僕に、向き合うことを望んだんだろうか。

 

「ギルド、か……」

「シロエちは未だにギルドは嫌いですかにゃ?」

 

 自分の独り言に返事が返ってきたことに驚いた。声の聞こえた方を向けばそこには班長がいた。

 

「いや、そんなことはない……と、思う」

 

 確かにそういうものを嫌っていた。出会いの中の不運がそうたらしめていた。けれど今になってわかった。それは傲慢だったのだと。

 それでも、ギルドというシステムは腐敗しやすくもあるのだ。

 

「……まあ確かに、そういう側面はあるかもしれないにゃ」

 

 でも、と班長は続ける。

 

「腐らないものがあったら逆にそれは信用ならないのにゃ」

 

 生病老死は三千世界の理で、生まれ出てたものは必ず死を迎える。それを否定しては誕生を否定することなのだ、と。

 

「シロエちはわかっているはずなのにゃ。たとえば〈あそこ〉は確かに特別に居心地がよかったけれど、それは居心地をよくしようとみんなが思っていたから居心地がよかったのにすぎないのにゃ。誰もがなにもせずに得られる宝は、所詮、宝ではないのにゃ」

 

 言われて気が付いた。本当にそのとおりだ。その努力が当たり前で努力だとも気付かなかった。

 それはきっと今までのアキバにも言えたことなんだろう。そこで誰かが見えない努力をしていたからアキバがあのアキバであり得ていたのだろう。それが今この状況に陥っている。クロの言葉を借りるなら『誰もが目を背け続けて歪になった』結果、なのだろうか。

 

「班長。僕はどうすればいいのかな……」

 

 なんとなくは分かるのだ。クロが答えを示してくれたような気がしたから。けれど、他の人がみんなクロのように自分を肯定してくれるわけではない。だからこそ別の人の言葉も聞いておきたかった。

 

「一番すごいことをするといいにゃ」

「すごい……」

「シロエちは遠慮をしすぎにゃ」

 

 ――遠慮。その意味とは。

 

『シロエはもう少し人の好意を素直に受け止めるべきだよ』

 これはきっと彼女からの最終警告。ここで気付かなければならない、という最終警告。遠慮の意味を真剣に考えて、少しずつ飲み込んでいく。

 僕が直継にしていたこと、僕がアカツキにしていたこと。あのふたりは、そんなことはとっくにわかっていて。その2人がわかっていることをわかっていて、クロは警告したんだ。

 

「僕、待たせてたのか」

「そうにゃ」

「待ってくれてたのか」

「そうにゃ」

「他のところにもいかないで。僕のそばにいてくれたんだ」

「そうにゃ」

 

 僕がギルドに誘うのを、待っていてくれたのか。

 2人は僕に期待してくれていた、買ってくれていた、待っていてくれた。彼女はそのことに気付いてと、その好意を受け入れてやれと、そう言っていたのか。

『受け入れてあげなきゃ、気付けるものにも気付かずに、築けるものも築けないまま腐っていってしまうよ』

 腐っていってしまう。それはきっと僕のことだったのだ。気付かないまま澱んでしまえばきっと抜け出せない。そのまま、きっとそこで朽ちてしまう。彼女はそれを警告したんだ。

 目の前にあるものに気付いて、と。

 

「間に合うかな」

「もちろんにゃ」

「にゃん太班長。班長も、僕のトコにきて。……班長が一緒にきてくれると、うれしい。班長がいないと、困る」

「いい縁側が欲しいにゃ」

「うん。僕と僕たちが作るから。格好いい縁側を、用意するよ」

 

『望むことは罪じゃない』

 そうだとしたら、僕は「一番すごいこと」を望むだろう。大きな責任を伴うけど考えつく策があるから。共に背負ってくれる仲間がいるなら。

『君なら、何もないところでならなんでもできる』

 彼女のその言葉が、僕の背中を押してくれる気がした。

 

  *

 

 シロエが立ち去ったあと、にゃん太は青年の言葉をリピートした。

 

『待っていてくれたのか』

 その言葉はある1人には向けられていない気がした。そしておそらく合っているとにゃん太は確信している。あの青年はある1人に対してだけ遠慮がない。そして、その1人もそのことを理解している。

 いつだって青年の左斜め後ろには彼女がいた。いつだって青年の「仮定」を「確信」へと導いていた。いつだって青年は彼女に無意識の絶対の信頼を寄せていた。

 きっと今回もそうなのだろう。彼女はついてくる、と青年は思っているのだろう。

 

「いつでも私がいる、とは限らないのにね」

 

 突然聞こえてきた言葉に心を読まれたのかと思った。

 

「こんばんは、ご隠居」

「リンセち」

 

 声が聞こえたのは上の方からだった。にゃん太はその方向に振り返る。彼女は木の太い枝に腰をかけていた。こちらに手を振ってくる彼女は黒曜石の瞳でにゃん太を見つめる。風に煽られて彼女の白い髪が揺れた。

 しばらく2人の間に沈黙が流れる。

 

「……リンセちは、どうするつもりですかにゃ?」

「どうするって?」

 

 にゃん太の言いたいことは理解しているはずなのに素知らぬふりをする彼女。こういうとき、彼女は昔から掴めない態度をとるのだ。そのことに、にゃん太は思わずため息をつく。そのため息にリンセは困ったように笑う。

 

「幸せが逃げるよ、ご隠居」

「誰のせいですにゃ……」

「私、かな」

 

 困った表情のままリンセは呟く。

 彼女はいつだってそうだった。そこにいるのに、掴めない。何が目的で、何がしたいのか。何を望んでいて、何を求めているのか。

 かれこれ10年の付き合いになるが未だに彼女の考えはわからない。彼女の心情を探ろうとするがのらりくらりと躱されてしまう。

 まるで猫のようだとにゃん太は思う。

 

「リンセちはシロエちについていかないのかにゃ?」

「さあ? どうだろう」

 

 挑発するような笑みで彼女は軽い動作で地に降り立つ。彼女の動きに従って白い髪が尻尾のように舞った。

 黙したままのにゃん太に背を向けて彼女は口を開く。

 

「私なんていなくても、シロくんは大丈夫だよ」

 

 彼女にしてはめずらしくか細い声だった。どこか頼りなさそうな、今にも消えてしまいそうな。

 

「リンセち?」

「シロくんはもう大丈夫。彼はもう恐れないよ。独りじゃないからね」

 

 冷たい風が吹く。そこまで距離はないのに、その背中は目の前に在るのに、にゃん太はリンセが遠く感じた。

 

「シロくんは、一番すごいことをするよ」

 

 さっきまでとは違った力強い声。確信を持った言葉。

 

「彼は革命者になる」

 

 リンセは空を見上げる。にゃん太からリンセの表情は見えないが笑っていると彼は思った。そんな彼女の背中ににゃん太は問う。

 

「それは……」

「ん?」

「それは、いつから思っていたのですかにゃ?」

「いつから、かぁ……」

 

 リンセは半身でにゃん太の方を振り返った。

 

「初めて〈エルダー・テイル(ここ)〉で出会ったときから」

 

 真っ直ぐな瞳でリンセは言い切った。その言葉ににゃん太は小さく笑う。彼女は最初から彼の可能性を見極めていたのだと。

 

「さすが“預言者”なのにゃ。しかし……」

 

 にゃん太は言葉を切って表情を翳らせる。リンセはその表情に首を傾げた。

 

「ご隠居?」

「そこにリンセちはいないのですかにゃ?」

 

 リンセはにゃん太の言葉に目を見開く。そして一度瞬きをして口角をあげた。

 

「さあ? どうだろう」

「リンセち」

 

 また、だ。また彼女は曖昧な返事で自分を隠すのだ。

 にゃん太の咎めるような口調をものともせず、リンセはただ笑う。

 

「シロくんには、言ったんだけどな。私の役目はここまでだって。……気付いてくれたのかな」

 

 少し悲しげにリンセは視線を落とした。

 

「私の役目は『仮定』を『確信』に変えることで、ともに在ることじゃないんだよ。きっと」

 

 リンセはにゃん太に背をむけて歩き出す。その背をにゃん太は引き止めた。

 

「リンセち」

 

 にゃん太の声に止まる足。

 

「リンセちはそれでいいのですかにゃ?」

 

 リンセは首だけをにゃん太に向ける。

 

「……いいんじゃない?」

 

 にゃん太はそれ以上彼女を引き止めることはしなかった。

 

  *

 

 僕はフレンド・リストを開いて、ある名前のところで指を止めた。

 時間も時間だしもう寝ているかもしれない。それでも彼女には一番に伝えなければと思った。出来ることなら、直接。

 意を決して僕は彼女にコールした。しばらく鳴り響いたコール音のあと、相手はすんなりと念話に出た。

 

『シーロくーん。この時間の念話は非常識だと思うよー』

 

 言葉とは裏腹にその声は楽しそうだった。

 

「ごめん。寝てた?」

『寝てはいないよ。星を見てた』

「そっか」

 

 そういえば昔からクロは星が好きだった。元の世界でも話す話題の半分が星座の話だった気がすると懐かしく思える記憶に笑みをこぼす。

 

『こんな非常識な時間にかけてきたんだから、なんか重要なことなんでしょ?』

「うん。これから少し時間ある? 直接話したいことがあるんだ」

『別にいいよ』

 

 そう言えば彼女は二つ返事で答えた。そんな彼女にありがとうと伝えてから、待ち合わせを設定して念話を切る。僕は何故か気持ちが先走り、その場所に向けて駆け出していた。

 

 僕がそこに着くとクロは手頃な岩に座って空を見ていた。彼女は僕が来たことに気付いて視線をこちらに向ける。

 

「やっほー、さっきぶりだね。夜ふかしはよくないよ」

「クロもでしょ」

「まあねー」

 

 クロが横にずれて作ってくれたスペースに腰をかける。彼女との間は15センチメートルくらいだったが嫌な気はしなかった。

 

「それで、話ってのは何かな?」

 

 僕の方を見ずにクロは口を開いた。直接言いたいと思って今この場を設けたのはいいけれどなんだか緊張してきた。

 大きく深呼吸をして僕はその言葉を伝える。

 

「……新しいギルドを作る」

「そっか、ようやくか」

 

 少し苦笑したような、それでも安心したような声だった。その声色に緊張がほどけていくのを感じながら言葉を続けようとした。けれど、僕が言葉を発する前にクロが言い放った。

 

「おめでとう、そして、ごめんね」

「……え?」

 

 少し悲しげに彼女は笑う。

 クロが言った言葉が飲み込めなかった。彼女は一体、なんと言った? “ごめん”と、そう言ったのか?

 

「ごめんね、シロくん。入れない」

「……どう、して?」

 

 突然のことに声が震えた。目の前が真っ暗になりそうだった。

 まさか断られるとは考えていなかった。クロだから、いつもみたいに肯定して“入ってくれるだろう”という「仮定」を“入る”という「確信」にしてくれると、そう信じて疑わなかった。

 それが、はじめて、覆された。

 

「そう言ってきたってことはようやく気付いたんでしょ。直継がいることに、アカツキがいることに。なら私の役目はもう終わりだよ。君はちゃんと気付いた。だからもう大丈夫。私がいなくても君はもう見失ったりしない」

 

 クロのやけに穏やかな声に、自分がだんだんと焦ってきているのがわかった。このままでは彼女がどこかに行ってしまいそうな気がした。それがひどく恐ろしくて。

 

「だから……」

「嫌だ」

 

 気が付けばそんな我が儘じみた言葉で彼女の言葉を遮っていた。

 

「クロにいてほしい。僕と僕たちの場所に。役目とか、そんなこと関係ない。クロがクロだから、いてほしいんだ。一緒にきてほしい」

 

 思ったことをそのまま吐き出せばクロは目を丸くしたあと曖昧に笑った。

 

「うーん、なんだかな……。私がいても変わらないと思うよ。むしろ、迷惑かける気がする」

「迷惑なんて……」

「シロくん。私は君が思ってるより厄介な人間なんだよ。多分、私をギルドに入れたら、ずっとその厄介が付きまとうと思うんだ」

 

 クロのいう迷惑というのがどんなものかは分からない。厄介というのがどの程度のものかなんて想像もできない。

 

「それでも、いてほしいと思うよ。クロがいないってことが、考えられないんだ」

 

 クロがいないこの先を想像しようとしても全くビジョンが浮かばない。無理やり今までの記憶からクロを消してみても残るのは気持ち悪くなるくらいの違和感だけだった。

 

「僕たちには……少なくとも僕には、クロが必要だよ」

 

 いつだって「仮定」を「確信」に変えてくれた、そばにいてくれた、その存在が。

 言葉にしながらようやく僕は気付いた。どうやら僕は随分と彼女のことを頼って甘えていたらしい。それこそ、今彼女の手を離してやれないくらいには。

 

「……負けた」

「え?」

 

 呟かれた言葉に首を傾げる。発した本人は、参ったような、悔しいような、それでも少し嬉しそうな、そんな色んな感情が混じったような表情をしていた。

 

「負けたよ。まさか、シロくんからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。私の完敗だね」

「そんな言葉って……」

「『少なくとも僕には、クロが必要だよ』って、一体誰に愛の告白してんのさ」

 

 僕の言葉を反復してクロはからからと笑う。僕はしばし言葉を噛み砕いてその言葉の重大さに気付く。

 愛の告白、確かにそう取れる。

 胃が痛くなるような感覚と顔に熱が上がっていく感覚がした。

 

「そっ、そういう意味じゃ! 別にそういうことじゃないからねっ!? 旧友としてってことで他意はないよっ!?」

 

 僕はなんて恥ずかしいこと言ったんだ! 羞恥で死ねるとはこのことか、と頭の隅で思った。

 クロは相当面白かったのかお腹を抱えて笑い出した。

 

「わかっ、わかってるって! っあー、面白いっ! あと一週間はこれで笑っていられそうだし、からかえそうだわっ! あはははははっ!」

「クロっ!」

 

 ついには座っていた岩から転げ落ちて地面に蹲りながら笑っている。地面を叩いている握り拳はものすごく震えていた。その姿がものすごく腹立たしい。

 さんざん笑って疲れたのか、ぜーぜーと息を切らしながらクロは座り直した。

 

「あー、ゲホッ……。笑いすぎた、肋骨が痛い」

「ああそう」

「冷たいなー、シロくん」

 

 自分の発言であんなに笑われれば大抵の人は気分を害すと思う。僕は不機嫌を隠すこともせずにクロを睨んだ。

 

「ごめんってば」

「僕の発言が面白かったんでしょ?」

「うん」

 

 聞けば即答される。これは謝る気がないな。口では謝罪をしているけれど隠しきれないくらいに口元が歪んでいる。

 

「本当にごめんってば。それからさ……これからも、どうぞよろしく。ギルマスさん」

 

 クロはそう言って僕に右手を差し出してきた。はて、と思ってその手を見つめて彼女の言葉を思い返す。

 ああ、そうか。負けた、と言っていた。僕の説得が功を奏したのだ。……あんなに笑われたけど。

 

「……よろしく、クロ」

 

 白み始めた空の下、僕はようやく差し出された手を握り返すことができたのだった。


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