もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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決着

 

「――……勘違いしているならば正しておくが、岸波白野(カノジョ)の辿った道のりは決して安易なものではない」

 

「ナビゲートも付いていない精神潜入(サイコダイブ)。それも英霊という高位の情報体に対しての潜行だ。

 そんな中に剥き出しの精神のままで叩き落とされた。常人ならば一瞬で意味消滅してもおかしくない。

 ましてその原初に近付くなど、浸食する異質情報は想像を絶する苦痛だったはずだ。それを越えていくことが安易な道であるわけがない」

 

「そう、誰にでも出来るようなことじゃない。そして誰かならば出来ることでもないものだ」

 

 研究者然とした出立ちで、空虚を湛えた青年。

 甘粕とは違う、熱のこもらない抑揚のない声で岸波白野を評価する。

 

岸波白野(カノジョ)だからこそ出来たことだ。だがそれは彼女が特殊だったわけではない。

 ここまでに辿ってきた闘争が、彼女にそこまでの強さを獲得させた。始まりでは確かに最弱であったはずだというのに」

 

「人は苦難に直面した時、平時では信じられないほどの力を発揮する。

 皮肉なものだ。人は幾度となく争いを悔い、自らの悪性を改めようとしてきたはずなのに、歴史から戦争が消え去ることはなかった。そして戦争の時期でこそ最も多くの成果を獲得した。

 我々(ニンゲン)は戦争を忌諱しながら、同時に必要ともしている。それが人という生物の在り方だ」

 

「――そう。それが貴方の結論ってわけね、トワイス・H・ピースマン」

 

 青年の声に答えたのは、共に戦場から切り離された遠坂凛だった。

 

「戦争を憎んで、戦火の中に身を投じながら人命救助のために尽力した偉人。アムネジアシンドロームの治療法確立に最も貢献した学士。

 トワイスの名を聞いた時から当たりは付いていたけど。といっても、あの甘粕に賛同するくらいだから、通説どおりの人物じゃなかったみたいね。

 ――――貴方は、白野と同じ過去の網霊(サイバーゴースト)?」

 

「その通りだ、遠坂凛。過去に存在したトワイス・H・ピースマンという人間をベースに、ムーンセルで再現されたNPC。それが自我を獲得した存在こそ、私の正体だ」

 

 トワイス・H・ピースマンという人間の残滓である青年は語る。

 

 病的なまでに戦争を憎み、その動悸を和らげるため戦地へと赴いていたトワイス。

 だがその根底にあるものは戦争の否定ではなく、幼い時分に刻みつけられた生命の強さへの憧憬であったことを。

 

 かつて戦災孤児であったトワイスは、戦場という修羅場の中で数多の奇跡を見た。

 誰もが死に絶えるような土地の中で、幼い彼は生きる事そのものが得難いものだと理解した。

 やがて成長し、そんな時分の記憶を忘れた後でも、刻まれた戦争への理解だけは失われなかった。

 

 最期の時、テロに巻き込まれ絶命するほんの数秒前に、トワイスはそのことを思い出した。

 求めた命題の答えを得てトワイス・H・ピースマンは死亡し、後に再現された亡霊(トワイス)はその解答のままに行動を開始した。

 

「ムーンセルで行われていた生存トライアルを現在の聖杯戦争のカタチへと改竄し、やがて正彦が訪れるまで私はこの熾天の門で待ち続けた。

 今の世界は間違えている。伴った欠落には、それを超える成果が必要だ。でなければ今日までの繁栄に意味がなくなる。

 我々はそのように生きてきた。ならばその生き方のままに在り続ける。それだけが犠牲に対する責任だ」

 

「……貴方、やっぱり甘粕とは違うわ」

 

 トワイスの下した結論に対して、凛は短くそう返す。

 口調は冷ややかに、その瞳にも激した感情は何も無かった。

 

「主張そのものは確かに同じ。戦争という必要悪(しれん)で、今の停滞した世界を変える。大筋の所では甘粕と同質だわ。

 けれど、トワイス・ピースマン。貴方は戦争が人類のために必要だって言うけれど、その人類って誰?」

 

「私たち解放戦線(レジスタンス)は、世界を変えるために戦っていた。理由は人それぞれだったけど、停滞した世界を間違いだって思っていたのは同じだった。

 だけど、戦争のために戦っていた奴なんていなかった。みんなそれぞれの平穏のために戦っていたわ。

 その辺りの気持ちを、甘粕(カレ)はちゃんと汲み取っていたわよ」

 

「貴方は人類っていう顔のない概念のために戦争を求めてる。その点が甘粕(カレ)とは決定的に異なってる。

 どんなに強くなっていっても甘粕は人間だった。でも貴方は、ヒト以外の何かになっている。生者には有害でしかない、異質な何かに」

 

「……意外だな。正彦と袂を分った君が、彼を擁護するような発言をするとは」

 

「別に甘粕(カレ)の全部を否定しているわけじゃないわよ。その理屈が正しい部分もあるって認めてる。

 今の世界の停滞を変えるには、単に西欧財閥(しはいしゃ)を倒すだけじゃ足らない。そんなのは分かってるわ」

 

「ならばどうして、君は月に昇った?」

 

 遠坂凛は甘粕正彦の同胞だった。

 月の聖杯戦争の勝者は1人だけ。生還できるのはたった1人。

 その信念を認めているというのであれば、必然的に一方が切り捨てられる戦いに身を投じることは道理に合わない。

 

「君が正彦の信念を理解していたのであれば、戦うべき戦場はここじゃない。

 正彦が作り出す世界への試練。それに立ち向かい、正しい強さを得ていく道こそ選択すべきだった。

 君の能力であれば、災禍の中でも生き延びることが出来たはずだ。それとも、脱落する人間を見過ごせなかったか?」

 

「それこそまさかでしょ。私ってホラ、結構身勝手な性格してるから。

 その人間が弱いのは、その人自身の責任でしょう。境遇がどうとかそういうの、結局全部言い訳だし。

 環境に甘ったれてる人間なんて、正直私だって嫌いだしね。まあ言っちゃうと、他人の痛みに鈍いのよ、私って」

 

 それは、何てことのない軽口のように。

 災禍に焼かれる人々のためにという正論を、遠坂凛はあっけなく否定した。

 

「地上にいた頃ね、甘粕はみんなにとって英雄だったわ。

 彼がやることはいつだって正しくて、情熱に溢れてた。そんな彼の選択にみんなが付いていった。

 追い詰められる解放戦線(レジスタンス)にとって、甘粕のカリスマは絶対だった」

 

「当然よね。甘粕以上の奴なんていなかったし、代役なんて誰にも出来なかった。

 先を見通した行動力があって、他人を立ち上がらせる統率力があって、どんな逆境にも立ち向かう勇気があった。

 甘粕(カレ)と一緒ならきっと勝てる。西欧財閥にだって対抗できる。そんなことを本気で信じられた」

 

「そうやってみんなが甘粕に従うようになっていって……ふと、思ったのよね。

 ――ああ、この人たちは、甘粕(カレ)に支配されたがっているんだなって」

 

 甘粕のやることは正道で、その果てには勝利があると信じられたなら。

 全てを甘粕(カレ)に委ねてしまえばいい。何も考えず、ただその後に付いていけばいいのだ。

 そちらの方が確実で、自らで考えるよりも遥かに楽な道のりだから。

 

「それは必然の感情だ。過去には王政が世界の主流であったように、絶対的な王器に人は縋りたがる。

 ……だからこそ、1人の英雄では世界を変えることは出来ない。その事実にこそ、正彦は絶望していた」

 

「そこまでは知らない。けどそういう部分があったのは間違いないって思ってる。

 世界が西欧財閥の管理に意思を委ねたように、今度は甘粕の強さにみんなが依存していた。

 少なくとも甘粕の目から見れば、世界は何も変わっていなかった」

 

「だからこそ、正彦は楽園(ぱらいぞ)を求めている」

 

 世界の停滞を破る。そのために戦うことに、甘粕に否はなかっただろう。

 だが苦難と障害を乗り越えた先でも、彼が欲する世界が得られないのだとしたら。

 それは何という皮肉だろう。甘粕が築く世界に、彼の求める勇気は現れない。

 

 誰かが悪いのではない。

 ただ、甘粕正彦は余りにも強すぎた。

 周囲の人々が、彼に全てを委ねようと思ってしまうほどに。

 

「……あぁ、だから思ったのよね。甘粕(カレ)を止められるのは私しかいないなって」

 

 己が戦いを決意したのは、それだけだと。

 死出の片道切符を切った理由を、凛は簡潔にそう言い表した。

 

「だいたいさ、誰もかれも甘粕のことを大物扱いしすぎなのよ。

 なんでも出来るし頼りにもなるから、みんな勘違いしてるけど。 

 本質なんて、我が儘な子供そのままでしょ、甘粕(カレ)って」

 

「だから、さ。1人くらい、甘粕(カレ)に付いていける奴がいないと。

 彼の強さに魅せられるだけじゃなくて、ちゃんと甘粕って人間を理解してあげる人がいてもいい。

 でないと、誰よりも努力している甘粕(カレ)が、いつまで経っても報われないじゃない」

 

 誰よりも努力を重ね、情熱を懸けて取り組んできたのは甘粕だ。

 遠坂凛はきちんとした仕組みが好きだ。努力の分には相応の成果があるべきだと思っている。

 無論そうといかないのが現実だと理解はしてる。それでも己の周りではそうあってほしいと考えている。

 

 如何なる現実を前にしても諦めなかった、あの雄々しい背中には、報われるものがあるべきだ。

 

「たとえその手段が、正彦を殺すものだとしても?」

 

「それしか方法がないんならね」

 

「……正彦が君を評価する理由が分かった。君という人間には得難い価値がある」

 

 惰性の穏当になびくのではなく、非情の覚悟で剣を取れる者。

 ただ許し認めてやるだけが全てではない。時には否定し矛先を向けることが正道になると知っている。

 たとえそれが自らの親しい者であっても、自身を信じて戦う意志が持てる強さ。

 

 その強さを遠坂凛は持っている――――甘粕正彦と同じように。

 

「でも、そっか。覚えていないけど、やっぱり負けちゃったんだ」

 

 その敗北の記憶を凛は持っていない。

 しかし事実は厳然と存在する。甘粕が聖杯戦争の勝者となったということは、そういうことだ。

 

「こうして納得できちゃうのがなんか悔しいけど。

 ならやっぱり、最後まで勝ち上がったのが白野で良かった」

 

 自分では甘粕を止められない。

 だから希望を託した者が岸波白野で良かったと。

 彼女を見守ってきた仲間として、凛はこの結果を是として祝福した。

 

「その結論は安易だ。正彦の願いを拒んだ彼女には、世界を変えることは出来ない。

 誤った未来を正すために、正彦の災禍は必要だ。彼の謳う楽園(ぱらいぞ)にこそ人類の正しさがある」

 

 遠坂凛の肯定に、トワイスは否と唱える。

 甘粕正彦の信念に賛同した同士として、世界にもたらす試練と闘争こそ是であると断言する。

 

 後はもう、両者共に語らない。

 どれだけ議論を尽くしたところで彼等はすでに傍観者。結果を左右することにはならない。

 

 ゆえに、後はただ見守るのみ。

 映し出される最後の決闘。願いの是非は彼等へと委ねられた。

 その結論を受け入れる。覚悟を決めて、二人は繰り広げられる闘いに意識を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り下ろされる黒色の軍刀は、何者をも粉砕する剛の一撃として繰り出される。

 それを交差した二振りの剣が受け止める。並ならぬ神秘を備えたその剣は、剣製の丘より抜き放たれた聖剣、魔剣。

 共に様子見はなく、賢しい戦術も持たない、正面からのぶつかり合い。ただ力の限りの剣戟を繰り返し、甘粕とアーチャーは激突していた。

 

 その展開は一方的なものではない。

 有利不利を問えば意見も分かれるだろうが、両者は同じ地平で戦っている。

 獲得した神話礼装。根源に端を発する原初の力は、同位相の聖四文字(いまデウス)では裁けない。

 権能による絶対格差は取り払われ、その決闘は再び対等のものとして展開される。

 

 ――いや、違う。

 

 権能の行使、宝具の質、武技の技量。

 ここに至れば全てが瑣末。そんな余分に囚われていては勝利はない。

 手にする剣には信念を、繰り出す一撃には覚悟を乗せて。

 背に負った譲れないもの。それを押し通すために、彼等は魂を燃やして力を尽くすのだ。

 

「――段々と、おまえという男が見えてきたぞ、アーチャー」

 

 その激闘は、どんな語らいよりも濃密な対話の時間(とき)

 振るわれる剣に乗った覚悟の質は、己自身の有り様を如実に写している。

 

「如何なる相手にも躊躇うことなく剣を振るう鉄心。

 情を持たないのではない。しかし情に惑わされることもない。

 無軌道とも見える生前の所業。それらを1本に繋ぐ芯の通った信念。

 その意味、行動が目指す先は――」

 

「――人の救済……正義の味方、か」

 

 そうして甘粕は、相対する敵手の根幹を看破していた。

 

「なるほど、素晴らしい。その理想は正しいものだ。

 自らの在り方をそれと定め、英雄にまで至ったその決意。実に見事」

 

「だがやり方はいただけんな。それではあとに続く意志が生まれない。

 敗走はなくとも、理解されないでは意味がなかろう。誰の心にも光は灯らんさ」

 

 それは大の大人が語るには青臭すぎる幻想。純真無垢な少年らが憧れる英雄(ヒーロー)像。

 だがそうでなければいけない。そんな理想(せいぎ)を謳うのなら、そう示せなければ嘘だと、王道を邁進する男は告げる。

 

「正義とは定義の定まらない概念だ。それを志す者は常にその矛盾に苛まれる。

 助けれらた者がいる。救われん者がいる。では助けた者は正しく、それ以外は悪なのか。否だ、人の価値とはそう容易く語れるものではない。

 助けられた者が悪を為す。あの者が救われていれば後の悲劇はなかった。その現実、決して理想の通りとはいかぬ偽善を持ち、真実の正義たり得ない」

 

「だがそれでよいのだよ。矛盾に苦悩しながら、それでも人を救いたいと願い行動する。その潔さにこそ人は憧憬を覚える。

 理屈に固まり魂の熱を凍てつかせた者に光はない。正義が確かでなければ前にも進めんなど惰弱の表れ。そんな様に焦がれる理想など見いだせない」

 

「返す言葉もない。正義の味方を目指したオレは、そのやり方を間違えていた」

 

 指摘された自己の歪みは、すでにアーチャーにとって既知のもの。

 動揺は表れず、自罰の意識だけを胸に、その手の剣を振るい続ける。

 

「まあそう自分を責めるな。手段に問題があろうとも、在り方を貫いた意志は素晴らしい」

 

「信念に沿った生き方とはそういうものだ。おまえに限らず、英雄と呼ばれる者には皆そうした傾向がある。

 懸ける思いが強いからこそ、行動はそこに縛られる。物事は柔軟に、とはなかなかいかん。

 だからこそ強い。そんな有り様だから確固たる芯と密度が出来る。常人にはその厳しさは耐えられん。

 それと引き換えにした不自由さだ。恥じることはない、おまえはその生涯をやり遂げたのだから」

 

「……ああ、分かっていたことだが、まるで変わらんな」

 

 性質すら度外視する、甘粕正彦の絶対値主義。

 理解しているように見えて、その実なにも見てはいない。賛美はしても糾すことはしないのだ。

 どれだけ歪な信念であっても、突き進もうとする意志こそが甘粕にとっての人の価値だ。その輝きこそ彼は愛している。

 

 それは確かに公平だろう。善悪に惑わされずに人々を俯瞰できる不変の価値観。

 超越者にはふさわしい在り方。その性質は極めて正しく絶対正義(かみ)の有り様を示している。

 

「同時にこうとも言える。あの災害(じごく)が無ければ、英雄への目覚めはなかったと」

 

「――! 貴様……ッ!」

 

 甘粕の言葉の裏にある真意を察して、アーチャーは激昂した。

 

「全人類に、英雄の如く生きろというのか!!!」

 

「そうだ。それこそが楽園(ぱらいぞ)だ」

 

 当然だと言わんばかりの簡潔さで、甘粕は己が狂気を肯定した。

 

「人の幸福を願い、私心を捨てて他者に尽くす。それは確かに正しい。素晴らしい理想だろう。

 だがしかし、しかしだ英雄。他者を守るという行為にも、権利と矜持はあるのだぞ」

 

「妻を守る権利は夫にこそあるべきだ。子を守る権利は親にこそあるべきだ。

 愛する者を余所の誰とも知らぬ輩に守られて、そこに屈辱を覚えないなど男ではないし人でもない。

 この手でしかと守護していると自負するからこそ、互いの絆を理解し深め合うことが出来る」

 

「愛する者を守護する機会が失われた安寧の世。ならばその機会を俺が与えよう。

 力が足らぬというなら良し、それもまた提供しよう。その類ならば(ここ)にいくらでもある」

 

 苦難に立ち向かい、勇気を奮う人々の姿。それが実現できる世界が甘粕正彦の理想。

 安寧を貪るばかりの惰眠の生など認めない。そんなものがまかり通るのならば平穏すら害悪と言い切っている。

 妻を子を、愛する者を雄々しく守れる災禍(きかい)を与える。そんな世界こそ楽園(ぱらいぞ)だと信じて疑わない。

 

 そして力とは、そんな意志の下にこそ降りるべきだ。

 たまさか天運に恵まれただけの腑抜けに与えたところで、自己満足に終始するのが関の山。

 人類に真の平等があるとすれば、それは意志の有無。如何なる境遇であろうと、立ち上がろうとする意志は誰であれ許される。

 不遇の弱者には再起の力を、生来の強者には更なる試練を。その過程で人々の強さは練磨され、世界は素晴らしい輝きで満たされる。

 

 ――それがどれだけ厳しい難行で、幾億の脱落者が出ることも構わずに。

 

「共に英雄譚を書き綴ろう。おまえたちの愛と勇気でこの世界を満たしてくれ。

 一部の誰かに宿命を押し付けるのではない。全員が自らの意志で宿命を背負うのだ。

 愛を守れ。誇りを通せ。何一つ遠慮することはない、内に秘めたる熱き気概を示せ。

 災禍の中で自らの光を見出だすがいい――おまえ(アーチャー)がそうであったようになぁ!!!」

 

「ふっざけるなあああああ!!!!!!」

 

 ――アーチャーは、あの地獄(さいがい)を覚えている。

 

 苦痛に喘ぐ怨嗟があった。助けを求めている声があった。それらを全て黙殺して、ただ生きたいと歩いていた。

 見捨てたことへの罪深さ。仕方なかったという道理に意味はない。その罪業は幼い心に消えぬ痕として刻まれた。

 その痕は少年であった己の内側をかき消して、完全なる空の器にした。刷り込まれた理想に狂気の域で邁進するほどに。

 甘粕の言葉は間違いではない。あの地獄を体験しなければ、自分が英霊へと至ることはなかった。

 

 ――岸波白野は、あの地獄(さいがい)を覚えている。

 

 人も、物も、何もかもが崩れ落ちている。脳裏に刻み込まれた最期の光景。

 大多数が辿ることになっただろう結末。奇跡など訪れずに自身の命運はそこで尽きた。

 どんな意志があったのかは知らない。分かるのはそれがテロによる人為的な災害であったこと、その結果として多くの命が失われたこと。

 英傑賛美の横で犠牲となっているのは、いつだって大衆という括りの中の小さな者たち。そんなか細い命など神の眼にはとまらない。

 

 ああ、ふざけるな許せない。

 主従の思いは共通している。世界の在り方の是非など知るものか。

 ただ認めないのだ。目の前で人々が死んでいく惨劇を。

 ただ許せないのだ。己の理屈で犠牲を強いる理不尽を。

 

 アーチャーも、岸波白野も、あの地獄を呼び出す者を許さない。

 この感情、とても理屈では語れない。

 

「オレたちは貴様を絶対に認めない!!!」 

 

「ならば良し。そんなおまえたちだからこそ素晴らしい」

 

 そんな彼等の反抗を、甘粕は心より歓迎している。

 自身が魔王となって災禍をもたらす。勇気を持って自らに挑む姿を見たいがために。

 反逆の意志は甘粕にとって望むところだ。認めないと叫ぶ彼等の姿も火に注がれる油に等しい。

 

「その気概を力に変えて、俺という試練を見事乗り越えて見せろ。

 さもなくば認めんよ。真実俺を超える意志でなければ、断じて勝利を譲りはしない」

 

「そら、まずはこれはどうだ?」

 

 奮起に対する返礼にと、甘粕は新たな兵器を創形する。

 だが挨拶代わりに放たれたその兵器は、そんな気軽さを吹き飛ばすほど凶悪だった。

 

「ツァーリ・ボンバァァァァァ!!!!!」

 

 爆弾皇帝(ツァーリボンバ)。先のリトルボーイに次ぐ第二の核兵器。

 だがその脅威度は先を遥かに上回る。衝撃波が地球を3周したというその破壊力は人類史上で最大最強だ。

 先の核兵器の数千倍以上の総威力を防ぐ手立てはない。起爆させれば敗北は必至である。

 

 だがアーチャーは臆していない。

 先までの戦いから甘粕の兵器創形は理解している。

 いずれコレがくるだろうとは予想していた。ゆえに対策はもう考えてある。

 

 甘粕が用いる兵器群は、元となった宝具の拡大解釈によるものだ。

 如何にそれら兵器の時間(じだい)の針を進ませようと、あくまで宝具の型に嵌っている。

 神秘は、より強い神秘によって打ち消される。滅びの火にはそれを制する概念で対抗する。

 

「――同調、開始(トレース・オン)

 

 検索、該当あり(ヒット)

 必須事項、火を制するもの、炎を封じるもの。

 固有結界内より適合する聖剣、魔剣を抽出。運用を開始。

 

 世界より抜き出された無数の剣群。

 それらは爆弾皇帝を四方八方より取り囲み、封じ込める結界を成す。

 

 瞬間、鉄塊の中に秘められた途方もない核の熱量(エネルギー)が解放された。

 

「く、お、おおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 世界を照らし出す閃光と、瞬間で膨れ上がろうとする炎。

 何もかも灰にする絶望的な破滅を前に、アーチャーは全霊を懸けて対抗した。

 

 複製された魔剣らに魔力を流し、その概念を発揮させる。

 力で抑えようとしてはならない。単純出力では相手にもならないのだから。

 そうではなく、支配する。相手の法則をこちらの概念で上書きし書き換えてしまえばいい。

 無論、緩みは許されない。僅かでも威力を漏らすだけで焼き尽くされて有り余る火力なのだ。

 魔剣の概念が破滅の法則を塗りつぶす。掌握された熱量は物理力を喪失し一部の衝撃波を残して四散していく。

 その衝撃波だけでもかなりの威力だったが、耐えられないほどではない。マスターを庇いながら踏みとどまる。

 結果、人類最強の爆弾は威力の片鱗のみに留まり、その悉くを無害化、残りの大部分も不発に終わった。

 

 刹那、晴れた閃光の中より甘粕正彦が、軍刀を振り上げて飛び出してきた。

 

 それは戦術というには、余りにも無茶苦茶な突貫だった。

 このタイミング、そのまま爆破されていれば明らかに直撃を受けていた。

 仮に核の威力を耐え凌ぐ防御性があったとしても、爆心地に飛び込むなど無謀が過ぎる。

 どう見ようがその行動は自殺同然。道理で問えば有り得ない選択肢だ。

 

 しかし同時に、そうした無謀さを度外視すれば、それは最上の機を得た奇襲でもあった。

 

 甘粕がそんな行動に打って出た理由は、アーチャー等にはすでに分かっている。

 すでに三度目となる戦い。見せつけられてきた甘粕の気質を考えれば、答えは明白だろう。

 つまり、信頼だ。必ずや防いでくれると、敵であるアーチャーを当然のように信じていた。

 己と同じ地平に至った素晴らしき好敵手。他の誰よりも甘粕は彼等の強さを信じている。

 核爆弾(こんなもの)で敗れるなど有り得ない。そのように敵の強さを信頼して前へと踏み出したのだ。

 

 常人の域を超越したその感性。それこそが甘粕正彦だと彼等はもう知っている。

 そう、分かっていたことだ。だから覚悟も出来ている。

 

「――投影、装填(トリガー・オフ)

 

 意識は埋没し、感覚はすべて内側へと向けられる。

 敵は間近。現実時間の猶予はごく僅か。

 許されたその内に、甘粕を凌駕し得る投影を実現させなければならない。

 

 脳裏の冷静な声は、無謀であると告げる。

 万全を期すならば、六つ以上の工程を必要とする。

 それを、この刹那に等しい中、寸分の劣化もなく再現しようとしている。

 無茶がすぎる。博打にしても分が悪すぎだ。選択肢として論外で防御に専心すべきと理屈では判断できる。

 

 だがそんな声を、もう一方の猛り吼える声は否だと断言した。

 

 万全は望めない、それがなんだという。

 許されたのは刹那の時間、それだけあれば上等だ。

 防御に専心、そんな守勢の思考こそ甘粕正彦には粉砕される。

 求められているのは、定められた限界を突破していく覚悟。

 壁を越えろ。時の運行などに縛られるな。不可能事の1つや2つ、意志一つで突破できずして何が英雄か。

 

 イメージするべきは最強の幻想。何者をも粉砕する勇者の九つ。

 この一瞬、アーチャーの裡より一切の余分が排除される。迫る敵の存在も例外ではない。

 それが正道だ。アーチャーという英霊の本質とは、外敵との戦いではない。

 その戦いは、常に自分自身との戦い。想定される最強(イメージ)を凌駕していく幻想(イメージ)への求道である。

 

 獅子奮迅の勇猛さで直進する甘粕の刃。

 一点の迷いも恐れもない剣は、それだけで必殺たり得る鋭さを秘める。

 ゆえに迎撃すべきアーチャーにも余分はものは許されない。

 疑惑も躊躇も振り切って、己が為せる最強の奥義を再現する。

 

 手が握るのは未だ現出せぬ架空の柄。

 幻想(イメージ)の中で浮かぶのは桁外れの巨重の斧剣。

 アーチャー自身の身体能力で再現は不可。ゆえにその怪力までも複製する。

 積み上げた経験を憑依させ、技法を理解し模倣していく。

 狙い定めるは八点の急所。踏み込まれる一足に一足を踏み込んで、 

 

全工程投影完了(セット)――是、射殺す百頭(ナインライブズブレイドワークス)

 

 ここに最上の機を得た奇襲を、必殺の九撃(カウンター)が迎え撃った。

 

 ギリシャ最大の大英雄が誇る攻性宝具。

 それは武具としての名ではない。数多の武芸の経験の果て、たどり着いた奥義の境地こそが宝具。

 成し遂げた偉業の一つ、9頭を持つ水蛇(ヒュドラ)退治の際、その不死性ごと殲滅するために用いられたとも。

 投影された斧剣は対人仕様であるためだ。本来ならばどんな武具であろうと放つことが可能な万能の攻撃性を持っている。

 人体が持つ八の急所にほぼ同時に放たれる九連撃は、如何なる英雄であろうとも逃れられない必殺である。

 

「ぐッ、ぬゥ、おおおおおおおおおお!!!!!」

 

 が、それでも敵は甘粕正彦。

 たとえ一撃でも十分な必殺性を誇る九連撃。

 その洗礼を一身で受けながら、甘粕はそれを耐え、受け、流し、弾いて、防いでいく。

 無論、無事で済むはずはない。何とか致命となる直撃だけは避けながら、一撃毎にその身は削られていく。

 それでも尚、甘粕は怯まない。その意志は勇猛果敢の言葉一色で染まり、燃え上がる気概はこの窮地を踏破してやろうと猛っていた。

 

 そして、必殺の九連撃は遂に相手を仕留めることなく終わる。

 血を流し肉を削られながらも、甘粕正彦は揺らぐことなく耐え切った。

 

「ぐ――がぁ……ッ!」

 

 同時に、アーチャーの口からは血が吐き出される。

 時間の流れさえ無視した魔術運用、その代償はアーチャーの回路を容赦なく焼き付けた。

 

 結果を見れば、両者ともに痛み分け。

 互いに全霊を尽くすも決着はつかず、勝敗は未だ分からない。

 

「大したものだな。まさか大英雄の奥義をこの身で受けることになるとは。1人と戦っている気がまるでせんよ。

 さすがは異端を極めた錬鉄の英雄。戦法も一筋縄ではいかんな」

 

「よく言う。それを完璧に受けながら五体満足で生存している貴様こそ異常だよ。

 その人間を逸脱した、常識知らずの意志力だけは本当に大したものだ」

 

「それはお褒めに預かり恐懼感激の極み。ついでに我が楽園(ぱらいぞ)についても理解してくれんかな?」

 

「聞けん相談だ。貴様の狂った理想は、ここで私たちが終わらせる」

 

「そうか。それは残念だ」

 

 一切の譲歩を拒むアーチャーに対し、甘粕はある意味対照的だ。

 あれだけの激突を繰り広げた直後だというのに、まるで友誼でも結ぼうかというような親愛に満ちている。

 太陽の灼熱は如何なる時にも燃え盛る。下した災禍を突破され、甘粕の人類愛は猛り狂わんばかりの熱量を帯びていた。

 

 そして当然、それで甘粕の戦意が衰えることも有り得ない。

 

「あいにくだが、貴様の楽園(ぱらいぞ)の是非など私たちにはどうでもいいことだ。世界は如何にと、そんなものは柄ではない。

 貴様のこともただ斬り伏せるだけの存在。マスターの前に立ちはだかる障害として排除するのみだ」

 

「なに、それで構わんよ。理屈でどうこうと語るのではなく、そうして諦めないと叫ぶ姿そのものに価値がある。

 岸波白野の光とはそういうものだ。ただそこに在る、それ自体が得難い奇跡。それこそおまえの持つ輝きだろう」

 

 憧憬、標、進むべき正道への希求を示す仁の益荒男。人間賛歌の指標としてふさわしい傑物。

 そんな人物は確かに素晴らしいだろう。己の美感において1つの理想形であることも相違ない。

 

 だが、だからといって岸波白野の輝きがそれに劣っているわけでは断じてない。

 才覚に恵まれていない。王や英雄といったものの資質など持っていない。

 大衆らと何も変わらない只人でありながら、諦めないと足掻きその意志で立ち上がっている。

 最初から強者の宿星の下に生まれた者とは違う。弱者に分類される身でありながらそう在れることが、どれほど稀な輝きであることか。

 

 断言できる。岸波白野も己にとっての理想形の1つだと。

 その小さな命の限りに前へと進む姿に、心底からの尊敬を抱いている。

 

「そして、そんなおまえの輝きを引き出すために、必要となるのもやはり試練だ。

 脅威を前に奮起する不屈の意志。それが実現させてきた数多の奇跡は、聖杯戦争の経過を見れば明らかだろう」

 

 しかし同時に、岸波白野の強さとは平穏の中では埋もれてしまうものでもある。

 もしも岸波白野の道のりが、障害のない安穏としたものであったなら。

 岸波白野は今の強さに至ることはなかっただろう。大衆の一部として日を見ることもなかったはずだ。

 

 その真価は、脅威によって追い詰められて始めて発揮される。

 それを理由に軟弱だ、情けないと告げるのは、さすがに極論が過ぎるだろう。

 岸波白野は間違っていない。その魂は間違いなく稀なる光を持っている

 

 だからこそ、甘粕正彦はそれを試したいと切に望むのだ。

 

「これより先は、神話規模の激突となる」

 

 その言葉が何を意味しているのか、この場に立つ者ならば明白だ。

 

 宝具の開帳。その英雄が持つ象徴(シンボル)同士の打ち合い。

 それこそがサーヴァント戦の真骨頂。武芸を競った戦いなど、英霊にとっては小手調べに過ぎない。

 ましてや神威を呑んだ甘粕と、神話礼装を纏ったアーチャーとでの激突は、神や悪魔が跋扈し闘争を繰り広げた神代の規模に等しい。

 

「二割三割の力の小出しではない。十割を費やす、文字通り全身全霊を懸けた力の激突だ。

 一方が少しでも劣れば、その瞬間が決着だ。俺か、おまえたちか、どちらの意志が勝るかの結論が下される。

 ――では、始めよう。覚悟はいいかな?」

 

「愚問だ」

 

 即答される強い拒絶。

 その意志を歓迎する笑みを見せ、甘粕の姿がかき消える。

 

 空間転移。

 旧時代の魔術においては、魔法の域にあるとされた大儀礼。

 しかしそれも、聖杯を掌握する甘粕にとってはなんら難しいことではないのだろう。

 ゆえにアーチャー等に驚きはない。その後にくるだろう甘粕の攻撃にのみ備えている。

 

 そして、転移を終えて甘粕は上を見上げる中空に姿を現す。

 その背に負うのは月の聖杯(ムーンセル)SE.RA.PH(セラフ)に君臨する支配者として、その構図はどこまでも適合していた。

 

「英雄ならば魔性退治と洒落込めよ。古今、それがおまえたちの武勇伝というものだろう」

 

 その手が刻む無数の印。増大していく神威の波動。

 前兆の内でも感じられるのは極大の邪性。間違いなく言えるのは、これより放たれるのは邪神に類するものだということ。

 その中でも恐らくは最高格。人々の善性を侵害し、悉く蹂躙する魔性の災禍が現出する。

 

 

 

 

 

海原に住まう者(フォーモリア)――血塗れの三日月(クロウ・クルワッハ)!!!!!」

 

 

 

 

 

 ――――瞬間、あらゆる生命の尊厳は否定された。

 

 立ち上がる気力が萎えていく。

 生存への意義を見失う。

 何かされたわけではなく、ただ思考がひたすらに後ろへと向いていく。

 あれほど確かだった前進の意志が揺らぎ、代わり浮かんでくるのは自己の否定。

 命は無価値。希望は皆無。おまえの未来には何もない。

 だから死ぬべきだ。無価値なのだから死ぬべきだ。希望がないなら死ぬべきだ。未来がないなら死ぬべきだ。

 そうだ死こそ救いであり安らぎだ足掻いても苦しいだけならば疾く早く速やかに死を選べそれ以外ないだって命なんてくだらないから死んで無意味だから死んで無価値だから死んでとにかく死んでただ死んで死んで死んで死んで死んで死んで死死死死死死死死死死――――

 

「マスター、気をしっかり持て! 君はそんなものに負けはしない!」

 

 ――――相棒(アーチャー)の声に、囚われかけた少女の意識が浮上する。

 

 猛烈に沸き上がる死への欲求。

 意味などない、ただ生命があるからそれを否定するという悪意の具現。

 そのおぞましさは、僅かながらもそれに触れた少女には恐怖と共に刻まれた。

 

 だが、いつまでも畏れおののいてはいられない。

 なぜならそんな、少々死にたくなる程度のものなど、本領からは程遠い。

 深淵より顕れる魔性の凶、その末端に触れただけ。これしきで怯んでは到底先に進めない。

 

 まず見えたのは、天空より落ちる巨大な(アギト)

 鱗に被われた漆黒の巨躯。特徴的な造形は力の象徴として人々の意識に刻まれている。

 最強の幻想種、ドラゴン。古代の世界に置き去られた上位種族が、ここに再現されていた。

 

 畏怖の念が身体を縛る。竜種への意識はそれほど強い。

 だがそんな束縛に敗れるようなら、そもそもこの場所に立っていない。

 気迫が畏怖を凌駕する。恐怖を超えて正面から対峙する。敗けはしないと、自負を胸に立っていた。

 

 ……それに理解してしまうのだ、これは前哨だと。

 後ろに控えるものたちの第一陣。先陣を先駆けた尖兵に過ぎない。

 

 竜の背後に、無数に沸き出る魔性が見える。

 1体の例外なく、魔に属した眷属たち。邪神の下僕が群を為し、主の到来を迎えるべく地上に惨劇の宴を開くのだ。

 これこそが魔の軍勢(フォーモリア)。ケルト神話に伝わる巨人の一族。神々の敵対者、その神威召喚に他ならない。

 

 怖気が走る。これこそが甘粕の切り札だ。

 如何に聖杯(ムーンセル)と接続していようが、本物の神格を召喚することが容易なはずがない。

 それをこうまで同調し、完全に使役している。甘粕正彦の持つ人の心を逸脱した絶対正義(せいしつ)。破壊神、魔王の類とは驚くほどに相性がいい。

 

 魔軍の後続が控えている。

 尖兵1体にあまり手間はかけられない。

 甘粕の神威召喚に対抗していくため、アーチャー等も覚悟決めた。

 

 ――この黒竜は、ただの一撃を以て打倒を果たす、と。

 

 常道で考えたなら無謀の一言。

 眼前に在るのは幻想の最強種。その中でも上位にある存在だ。

 本来ならば赤い騎士の手には余る相手。死力を尽くして尚届くかどうか。

 だというのに許されるのは一撃のみ。そんな蹴散らす雑兵の如く扱える敵では断じてない。

 

 それでも、成し遂げなければ勝利には届かない。

 たとえそれが前人未到の難行であろうとも、進むべき道があれば踏破することに迷いはない。

 

同調、開始(トレース・オン)――――投影、装填(トリガー・オフ)

 

 投影を開始。選択、魔剣グラム。

 必要なのは竜殺しの概念。該当する剣製の中での最強を取得。

 訂正。武器の再現のみでは不足。蓄積経験の読み込みを起動。

 英雄シグルド。悪竜殺し。肉体強度、修得技能の再現。

 彼の英雄が持つ力量の全て。それら余すことなくこの身に投影する。

 

「――――投影、完了(トレース・オフ)

 

 全工程を終了。その手には竜殺しの魔剣(グラム)

 駆け出す。魔剣を振り上げるその姿は、常時のアーチャーとは異なる。

 ただ、一撃を。この一振りを繰り出す最中だけ、ここにいるのは悪竜退治の大英雄。

 一撃決殺を専心し、攻撃に全霊を傾けてアーチャーは突貫する。

 

 しかし無論、黒竜も打倒されるだけの雑多な魔性ではない。

 巨大な(アギト)が開かれる。内より膨れ上がるのは地獄の業火の如き熱量。

 竜の息吹(ドラゴンブレス)。伝承にも名を轟かす竜種の暴威が放たれる。

 

 剣は届かない。息吹(ブレス)の蹂躙の方が早い。

 攻撃に専心した突貫は、引き換えに防御を犠牲にしている。

 結論は明白。一撃での打倒などやはり無謀だった。1人では到底届かない。

 

 だからこそアーチャーに不安はない。

 1人では不可能だった。だが今の彼は1人ではない。

 

 蹂躙の寸前、竜の息吹が突如として霧散する。

 破滅の具現たる暴威の嵐が、その力の一切を喪失した。

 身体を吹き抜ける柔風と化した息吹(ブレス)の中を、アーチャーは躊躇うことなく疾走する。

 

 "アトラスの悪魔"

 

 現代に存続する錬金術師たちの協会、アトラス院。

 未知なる技術体系を駆使する彼等の秘奥、その一端を宿した礼装。その術式(コード)はあらゆる体系の攻撃を無力化する。

 制約として無力化できる構造は1パターンに限定されるが、その効果は宝具級の攻撃でさえ無力化できるほどに強力だ。

 岸波白野が生き抜いてきた幾多の激戦、その果てに獲得した最高位の礼装である。

 

 マスターの援護により、その行くてを阻むものは消え去った。

 踏み込む。到達した黒竜のもと、アーチャーは魔剣の間合いにその首を捉えた。

 

 その一閃は英雄シグルドのもの。竜殺しの偉業を再現した一撃は、一刀の下に黒竜の首を両断した。

 

 成し遂げた竜の打倒。だがこれで終わりではない。

 忘れていない、これは前哨戦。召喚された邪神の軍勢は数多と控えている。

 しかしそれさえも本物の神威の前では雑兵の群れに過ぎない。真の脅威はその裏に潜むものにある。

 

 天空の向こうより、極大の魔性が招来する。

 地上の全てを覆い尽くさんばかりの魔の波動は、さながら暗黒の太陽か血染めの月か。

 招来に伴いその全貌が明らかとなり、それが巨大な眼であることが分かった。

 

 ――――あれこそバロール。魔の眷属(フォーモリア)の首魁。死を司る魔神。

 

 代名詞である魔眼はモノの死を具現させる。真なる魔神の権能は、ただ死を視覚させるだけの優しいものではない。

 その魔眼に見られれば、死ぬのだ。神々であろうと例外でなく、絶対的な権能は死を司る概念の頂点である。

 

 瘴気の渦巻く嵐が吹き荒れ、大地は炎獄の海に包まれる。

 進軍を開始する眷属らの奥では、閉じられた瞼が下僕の手により開かれようとしている。

 あれを開かせれば全てが終わる。抵抗の余地はなく、絶命の結果だけが下される。

 

「――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 故に勝てるものを幻想する。

 アーチャー自身ではあの魔神(バロール)を打倒できない。

 ならば打倒できる存在を投影(イメージ)する。元より己に出来ることなど、それだけしかないのだから。

 

 創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 製作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現して、

 その存在、余すことなく凌駕し尽くす。

 

「ぐぅ、が、ああああああああああ!!!」

 

 限界を超えた投影の反動を、絶叫で無理やり抑え込む。

 ただの投影では到底届かない。劣化品であれば魔神を穿つことは敵わない。

 その剣製は限りなく真に、魔神にかつて自らを貫いたものだと認識させなければ打倒は不可能だ。

 

 群がる魔性らを剣群で迎撃しながら、アーチャーの意識は深淵へ近づいていく。

 投影するのは光神の槍。寸分の狂いなく、その神威に至るまで再現する。

 常時であれば不可能だろう。神の手にあるその武具は、アーチャーの剣製では到底再現し切れない。

 だが神話礼装を獲得した今であれば、原初の神代まで歴史を回帰できる。無論、容易い行程ではないが、可能ということは確かなのだ。

 ならば至れ。遥かな神威にまで到達しろ。限界を超越しなければ、魔神の権能には抗えない。

 

「――――轟く五星(ブリューナグ)ッッッ!!!!!」

 

 放たれた一条の流星。蔓延る魔性の群を突き抜けて、光は半ばまで開かれていた魔眼を貫いた。

 死の魔眼が裏返る。あらゆる存在を死に到らしめる眼光は、自らの眷属たちへと向けられた。

 それは正しく神話の再現。光神ルーの槍に貫かれたバロールは、逆に自分の軍勢を皆殺しにしてしまった。

 死に絶えていく魔の軍勢(フォーモリア)。神威召喚された邪性の災禍はここに破られたのだ。

 

 そして自らの切り札を破られた甘粕は、その反動で完全に動きを止めていた。

 

 ここが好機。これを逃せば勝機はない。

 神話礼装の使用、許容を超えた投影の連続行使と、アーチャーの負担は限界が近い。

 次がくれば、今度こそ凌げまい。ここで甘粕を討てなければ敗北だと彼等は理解していた。

 

 投影した剣を弓につがえる。形状変化を加えられた剣は矢の形に。

 射られた剣は甘粕へ。神威召喚の代償を支払う甘粕に防ぐ手立てはない。

 

 そんな常識の判断を、甘粕正彦という非常識は当たり前のように破ってみせた。

 

 迫った矢を軍刀の一閃が弾く。

 弾かれた矢はあさっての方に、甘粕という標的を完全に見失う。

 これでもまだ届かない。好機を得た一撃ですら、甘粕を捉えることは出来なかった。

 

 ――()()()()()()

 

「っ!? 狙いは聖杯(ムーンセル)か!」

 

 弾かれた矢は失速することなく、勢いのままに直進していく。

 その矛先が向かう先。そこにあるのは変わらずに在り続ける月の聖杯(ムーンセル)

 万象を観測し続ける月の眼に、投影された剣が突き立てられた。

 

 防がれると考えていた。

 甘粕という男の強さは常識では量れない。隙の1つ程度では容易く覆される。

 先に甘粕がそうしたように、今度は彼等が信頼したのだ。甘粕ならばこの程度は防いでくる、と。

 だから決め手はまだ切らない。その前に甘粕の余力を限界まで削ぎ落とす。

 

 放たれた剣の名は、『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。

 契約破棄の魔術剣。その能力はあらゆる魔術効果の初期化。

 無論、その効力はムーンセルの機能に影響をもたらすほどではない。

 狙うのはただ1本の回線(ライン)。甘粕とを結んでいる接続回線(アクセスコード)だ。

 

「ぬぐ、うぉぉ……っ!」

 

 最大の恩恵の源、聖杯の力を奪い去る。

 その力が絶大であればこそ、取り除かれた反動は大きく出る。

 強固な大地に根差したものが、突如として大地を失うのに等しい。その反動は確実に甘粕の自由を奪い取った。

 

 もちろんその効果は永続のものではない。

 接続遮断は一時的なもの。月の所有者(マスター)は変わらず甘粕正彦だ。

 すぐに復旧が行われる。再び力を取り戻すのに長い時間はかからない。

 

 しかし、ただ一撃を叩き込む、それだけの間は充分にある。

 

 お膳立ては整えた。

 戦いが始まってようやく訪れた勝機。

 ここで勝負を決するために。己が知る最強の剣をアーチャーは抜き取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【推奨BGM『EMIYA』】

 

 ――其は、星々の光の具現。

 

 古今東西、数多の伝承にある聖剣の概念、その代名詞たる至高の一振り。

 その製造は人の手によるものに非ず。星の内部で精製され、人々の想念によって練磨された神造兵器。

 黄金の光は神霊にさえ届く、担いし者に常勝を約束する王者の剣。万人が憧れて追い求める『栄光』の在るべき姿がカタチを成した"最強の幻想(ラスト・ファンタズム)"。

 

 その輝きを覚えている。

 人だった頃の記憶に覚えはない。あるいはこの世界の自分は関わりを持たなかったかもしれない。

 それでも魂は確かに感じているのだ。かつて仰ぎ見た、光を束ねて天をも斬り裂いた至上の斬撃。その担い手たる騎士王の姿は■■■という存在にしかと刻まれているのだと。

 

 焦がれた輝きを、今ここに。

 決して届かないその光に今こそ手をかける。

 並び立つことの叶わなかった境地へと、この瞬間に到達を果たすのだ。

 

「この光は永久(とわ)に届かぬ王の剣……禁じ手の中の禁じ手だ!

 人の輝きに焦がれているというのなら、祈りを集わせた聖剣の光に灼かれて散れ」

 

 その手に現れた黄金の輝きは、在りし日に見た其れのままに。

 限りなく真へと迫った贋作は、もはや真作と比べても寸分違わぬ煌きを示す。

 

 ここに決着をつける。

 これこそ自分に実現し得る究極の一、至大至高の一撃だ。

 手にある聖剣の一閃は何者であろうと断ち斬れると確信している。

 

 いざ、勝利をこの手に。月の聖杯戦争の幕をここに降ろす。

 

「――――永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ……ッ!」 

 

 迫り来る黄金の芳流。逃げ出すことはもはや敵わない。

 理解できるのだ。あれこそ人々が思い描いた勝利と栄光、それを表す至高の光だと。

 

 あれは駄目だ。

 あの光は防げない、防げる道理がない。

 人々が願った理想の結晶。道理なき個人の力で破るなど理想に対する冒涜だ。

 視界のすべてを白色に染め上げる極大の殲滅光。叩きつけられる熱波の衝撃は、それだけで身を焦がす灼熱を伝えている。

 星の光を束ねた聖剣の一撃、その威力は聖杯の加護を失ったこちらを一瞬にして灰燼とするに相違あるまい。

 

 そして、そんな無慈悲なる破壊の意志とは別に、浮かび上がる憧憬の念もあるのだ。

 

 ある意味で、これもまた物語における王道(セオリー)だろう。

 強大な力を振るった孤独の魔王が、最期には人々の祈りで編まれた聖なる一撃の前に倒される。

 勇者を否定しながらも必要としている魔王の自己矛盾。ならばこそのお約束であり、敗れ打倒されるのが物語の正道だ。

 

 眼前にまで迫った聖剣の閃光。

 破滅に至るまでの刹那、甘粕正彦の心には光に宿った理念に対する確かな畏敬の念があり、自身の敗北という結論にも――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――― ま だ だ !!!!!」

 

【BGM変更推奨『EMIYA』⇒『PARAISO』】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……馬鹿なッ!!?」

 

 目の前の光景が信じられないと、アーチャーは驚愕を露わにする。

 その思いはマスターである少女も同じ。目の前で起きていることが現実だとは思えない。

 

 思考は道理を求めている。

 この不条理が成立しているのには、何か理由があるのだと。

 回線(ライン)の切断が不十分だった? それともまだ何か宝具の類を隠し持っていた?

 可能性だけなら幾つも思いつく。だがそれらのどれ1つとして真実だとは思えなかった。

 

()()()。我が魂魄一片の塵となり燃え尽きるまでは、終わってなどおらん!!!」

 

 ああ、本当は分かっている。

 考えるような裏などない。これはごく単純な、そして余りに常識はずれすぎる理屈だ。

 

 あらゆる聖剣の頂点、神造の"最強の幻想(ラスト・ファンタズム)"を、()()()()()()()で甘粕正彦は受け止めている。

 

「俺が託すのは聖杯ごとき道具ではない。この世界の行く末、俺の愛する人間(モノ)らの未来そのものだ。

 軽くはない、軽くはないのだ譲りはせん。俺はまだ何も納得してはおらん!」

 

 甘粕正彦は最強の敵、その理解はあった。

 先に喫した二度の敗北、ゆえに覚悟もしていた。

 たとえどのような力を見せつけられようと、それで怯むことなど決してしない。

 アーチャーも、岸波白野も、そのように覚悟し、その通りの意志で戦い抜いてきた。

 

 だが、しかしそれでも、目の前で起きる大奇跡には目を見開かざるを得なかった。

 

 もちろん聖剣の光は無力化も弱体もしていない。

 振り抜かれた全霊の一撃は全霊のまま、寸分の狂いなく完全に甘粕を直撃した。

 今この時も受け止める甘粕は光の熱に焼かれ、その威力に身体は圧し潰される寸前だ。

 すでに全身の構造体には亀裂が走り、崩壊は時間の問題。明らかな死に体であり、もはや終わりを待つばかりだと思える。

 

 だけど、ああ、それなのに。

 爛々と輝く瞳の奥、燃え滾る魂の力は衰えるどころか激しさを増している。

 

「そちらの輝きは存分に見せてもらった。人々の祈り願った至高の光、全くもって素晴らしい。魅せられたことに否はない。

 だがしかし、俺に敗北を口にさせるにはまだ足りん。こんなもので何を納得しろという?」

 

 甘粕にとって今の状況はまぎれもなく絶対の窮地である。

 眼前に迫る破滅の光。地力でこれは撥ね返せない。確かな死の実感に肌は粟立っている。

 だがそうと思い知るたびに、魂はその事実に反し、この逆境を覆さんと燃え上がる意志を宿していく。

 

 戦いの中で幾度も魅せられた勇気の奮起。

 その奇跡を目の当たりにする度に、我が魂は感激に震えたものだ。

 ああ、何度でも言おう、おまえたちこそ俺の思い描く理想、人が在るべき姿そのものだと。

 

 そんなおまえたちだからこそ、ここに示したい。

 幾度となく不屈の意志で限界を超えてきた。ならば俺も、今こそ限界を凌駕する。

 俺の底力は、勇気は、まだまだこんなものではないのだと、おまえたちにこそ知らしめたいのだ。

 

「在りし日に魅せられた輝きを奉じ、その境地へと並び立たんとする意志は認めよう。

 だが、この輝きには迫り並ぶ意志はあろうと、超えていこうとする気概が欠けている!」

 

 切り離された聖杯との回線(ライン)。それを自らの意志で強引に繋ぎ直す。

 正規の復旧を無視した荒療治、その反動は甘粕の崩壊を更に加速させる。

 限界だ、もう保たない。そんな弱音を吐く己の身体に喝を入れて、更なる力を絞り出す。

 

「贋作が真に勝る唯一の価値、それは本物にならんとする意志だろう。

 偽物だからこそ抱けるその熱意こそが、偽物ばかりの在り方に美を魅せる輝きであるはず」

 

「ならば超えていかねばなるまいが。少なくともその情熱がなければ、成せる理想など何もない。

 憧れた過去があるならば、築かれた栄光に敬意を払いつつもそれを学び、その先を見出すことが未来に生きる者の義務であろうがよぉッ!」

 

 結果が出せるかは問題ではない。その意志を抱くことこそが重要なのだ。

 たとえ試みが失敗に終わろうと、事を成さんとした意志は無為ではない。

 それが真実正しい意志であるならば、いつの日にか必ず後を受け継ぐ者は現れる。

 幾重もの失敗と挫折、夢に敗れた嘆きを架け橋に、人間はいつだって大いなる成功を収めてきたのだ。

 

 だからどうか、人間よ。失敗を恐れるな、未開の荒野に踏み出す勇気を持て。

 その気概がある限り、人はどこまでも未来(さき)へ行けるのだと信じているのだから。

 

贋作(それ)こそがおまえの戦の(マコト)だと謳うのならば、まずはその真作を超えてゆけぇぇぇぇぇ!!!」

 

 そしてついに、斯く在れかしと人々より願われた最強の聖剣(エクスカリバー)は、1人の漢の勇気によって打ち破られた。

 

 度肝を抜かれる。

 甘粕正彦、なんという人間だろう。

 この瞬間だけは状況も忘れて、その強さに唯々感心してしまう。

 人間とはこれほどまでに強くなることができるのかと、そう思わずにいられない。

 

 苦境を前に発露させた、かくも強靭な不退転の決意。

 人が夢想と共に憧憬し、栄光と勝利を約束した伝説に一歩も退かず、真っ向から対峙できる勇気。

 その強さは、こう在りたいと願う理想のカタチの一つであり、そこに確かな尊敬を抱いたのも本当で――

 

「ロッズ・フロム・ゴォォォォォッド!!!!!」

 

 返す刃で放たれるのは、遥か天空より下される神の杖。

 無限の可能性の中で人類が至る、歴史にまだ見ぬ未来の超兵器。

 全霊を込めて聖剣を振り抜いたアーチャーは、今や完全な無防備を晒しており、

 直下より飛来する超音速の大質量に、打てる手立てなど1つとして無く――――

 

 

 ――――こうして岸波白野は、今度こそ完全に敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ああ、今回も駄目だったよ。正彦(カレ)は限度というものを知らないからな」

 

 月の決戦の趨勢を見届ける傍観者。

 虚構の海より生まれた闘争の探求者は、その結論に溜め息を漏らす。

 

「後継は現れず、超えていくにも至らない。戦争は再び振り出しに、か。果たして彼が描き出す美しき紋様(アートグラフ)に完成の時は訪れるのか」

 

「――それも真如をもって至る道であるならば、苦行の果てに自ずと悟りは開かれましょう」

 

 答えを返すのは、彼に付き従った救世者(セイヴァー)のサーヴァント。

 この世で唯一人、生命の真理に辿り着き、生の苦痛から解脱した解答者。

 

 生存の闘争に人類の未来を見たトワイスの理念に、共感ではなく慈悲のために刃を取ったサーヴァントは、その自問に答えを返す。

 

「執着する心は幼く、未だ涅槃には遠き道なれど、二受に囚われぬ有り様は中道をゆく。

 人の善悪に価値がないように、正精進の姿にこそ美を見る彼の認識は、不偏の正義(かみ)の名を負うに相応しい」

 

「人の見識を超えた神の視点、か。ならば正彦(カレ)が貴方を召喚()ぶ可能性もあったということか」

 

「いえ、それはないでしょう」

 

 救世主(セイヴァー)の召喚の条件とは『人類を救う』という理念に開眼していることが挙げられる。

 行為の善悪はどうあれ、災禍に挑む人々の奮起に理念をおく甘粕は、その条件に適合していると言えるだろう。

 

 有り得たかもしれない可能性、それをセイヴァーは否だと切って捨てる。

 

「真理へと近づく教えよりも、無明の苦に足掻く人の強さにこそ重きをおく彼とでは、我が求道は相容れない」

 

「……というより、たとえ私の説法が頭に入っても、いざとなったらすぐに忘れるでしょう、彼の場合」

 

「釈迦に説法ならぬ、甘粕(バカ)に説法というわけか」

 

「なかなか上手いことをおっしゃいますね、トワイス」

 

「そういう貴方こそ、案外と俗世のようなことを言うじゃないか」

 

「虚飾過多な言霊を弄し、それらしきものへと自他を偽る。そのような有り様こそ中道から外れている。

 単純明快なものは単純明快に言い表すのが、内外へと伝え説くのに最もよい。

 ――要するに、彼の人生とは割と勢い(ノリ)で生きているのでしょう」

 

「それはまた、随分と端的に言い表した真理だな」

 

 全てはその場の気分と勢いだと。

 身も蓋もない結論だが、同時に正鵠を射た解答でもあるだろう。

 

 なぜならそれが甘粕正彦という男なのだ。

 世界の停滞を否定し試練を以て人類を更なる未来(さき)へと進ませる。

 字面だけ見れば大層な理想だろう。人の行く末を考えて、覚悟を抱いて聖杯戦争を勝ち抜いた。

 その意志力の強さ。どんな場合にも揺るがない絶対正義の精神性。それは確かに大した人物だと言えるだろう。

 だがそんなものは表層の飾りに過ぎない。甘粕の本質とはもっと単純で幼稚なものだ。

 

 ただ好きなのだ、人の勇気が。

 大好きだから見たいのだ、その雄々しい姿を。

 だから願った、子供のように。大好きな物語がたくさん見れる、そんな楽園(ぱらいぞ)を。

 未熟で無邪気で青臭い。そんな有様だから勢い任せで全てを御破算にもしてしまう。

 

 だがそんな勇者(バカ)であるからこそ、甘粕正彦はあれほどの強さを得られたのだ。 

 

「浄土を求めず終生を現世の俗欲に囚われたままの在り方は、私の悟りの道とは対極の位置にある。

 だがそれは誤った道ではない。彼は真摯に自らの生と向き合い、苦楽に負けずに日々精進して生きている。

 彼の願いの根底にあるものは、人々に正業へと向かうよう努力してほしいと望む心だ。

 道は一つではない。彼もまた真理を胸に置き神を宿した者」

 

「ならばその行く末を共に見届けましょう。

 行き着く果てに現れる世界の解答は、貴方にとっても救いとなるでしょうから」

 

 そんな甘粕の愚かしさを、涅槃に至った解脱者は是とした。

 

 己が妄想に迷い、数多の誤解を重ねながら生きるのが俗世の苦悩。

 ならば彼等と同じ地平に立ち、精進を忘れた世を糾そうとする行いには真理がある。

 人々を教え導くために涅槃に昇らず、衆生に留まり共に歩んでいく菩薩がいるように。

 万人を涅槃に至らしめることだけが救いの道ではないのだから。

 

「……やはり貴方と比べれば、私もまだまだ未熟なようだ。

 感情は不安を持ち、それと同じくらいの期待もある。ままならないものだよ」

 

 そして同じく俗世の住人として、トワイスは内にある懸念を口にする。

 

「人は間違いを繰り返す生き物だ。すでに正しい道を知っているはずなのに、誤ちを繰り返す。

 我々は全能ではない。そのように諦めて、尚も生きていくのが――――いや。

 その言い方は君の持論に抵触するか。諦めなければ夢は必ず叶う、だったね」

 

「けれどね、それが出来たなら誰も苦労はしないんだ。

 遠坂凛は性悪説などと言っていたが、私に言わせれば君こそ性善説の虜だよ。

 人は誰でもそのような強さを持てると、子供のように信じすぎているんだ」

 

「試練に負けず、勇気を出して立ち上がれる者。

 君の思い描く理想の人類とは、正彦、他でもない君自身のことじゃないか」

 

 口に出したのは甘粕へと向けた言葉。

 同質の願いを持つ理解者として、同時に強すぎるその背を仰ぎ見ている傍観者として。

 その行先に見える不穏さも、トワイスには分かっていた。

 

「試練の災禍と言うが、君には魔王(やられやく)の自覚がまるでない。

 超えられるべき壁だというのに、君は文字通りの最強だ。誰も君を超えられない」

 

「ならばこの戦いも無間に続く回帰の輪だ。

 君はそれでも信じるのだろうが、永劫に繰り返す徒労には無意味さも感じている」

 

 甘粕正彦が倒されなければ輪廻は終わらない。

 しかし甘粕正彦は最強なのだ。彼に勝てる者はこの月にいない。

 弱者の刃が強者の奢りを討つ、そんな物語の王道(セオリー)も通じない。

 

 つまりは無間。この月の聖杯戦争は永遠に終わらない。

 甘粕と異なり理屈に重きをおく性質であるトワイスだから、懸念すべき未来も見えている。

 

「しかしだからこそ、それを超えた先には人類の未来を指し示す光があると信じられる。

 君という試練を乗り越えて、人は未踏の価値を掴むだろう」

 

「元よりそうでなければ、君も決して敗北(なっとく)しないだろうからね」

 

 それでもトワイスは、甘粕正彦の理念に賛同する同士で在り続けるだろう。

 なぜならそんな理屈を抜きにした強さ、そこにこそ人間という存在の正当性を見たのだから。

 

 甘粕の夢見る思いが目指す先。

 そこにどんな解答が訪れるのか、覚者ならざるトワイスには分からない。

 それでもその輝きが示す未来に現れるのは、きっと素晴らしいものだと信じているから。

 

 行く末を見守る傍観者として、甘粕(カレ)と共に在り続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の眼が見下ろす熾天の間で、漢は待つ。

 

 災禍の試練を受け継ぐ後継の意志を待望して。

 月に君臨し世界を揺るがす魔人と相対する覚悟を祝福して。

 あらゆる歓待の思いを胸に、勝ち上がった強者の到来を甘粕正彦は待っている。

 

 己を乗り超える意志(つよさ)を持った者が現れるまで。

 この月の最奥たる場所にて、魔王は勇者の到来をその玉座より待ち侘び続けていた。

 

 

 





 一体いつから───この回が最終回であると錯覚していた?

 という訳で決着回でした。嘘は言ってませんよ。
 とりあえずここでの戦いは終了しました――――甘粕の勝利で。

 はいごめんなさいお願いだから石を投げないで(泣)。

 まあ途中から展開を予想できた方もいらっしゃるでしょうが。
 特にフォーモリア辺りなどはまんま原作の流れそのままですしね。
 余りに流れがアーチャーで再現しやすかったもので……お許し下さい!

 言ってしまいますと、このEXTRAでの最終戦は原作における邯鄲一週目にあたります。
 どんな可能性を辿ろうと甘粕の勝ちで終わるという、大尉殿の理不尽さを発揮する場面です。
 これにてEXTRA編は終了。ここから本当の決着となるCCC編に続きます。

 それで今後の展開についてなのですが、少々特殊になりそうなので解説を挟もうと思ってます。
 近々"活動報告"の方で発表しようと思いますので、皆さんの意見も聞かせてもらえればと思います。

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