もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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敗北

 

 それは、最初から結末の見えた戦いだった。

 

「はあ――――くぅ――――ああああああ!!!」

 

 赤黒の空に覆われた戦争の海。彼方の陸地は業火に包まれ、海面は愉悦に歪む悪魔の貌の如く不気味にうねる。

 大海に浮かぶのは尋常ならざる魔性を備えた戦艦・伊吹。無情なる鋼鉄の暴力装置は蹂躙の時を今か今かと待ちわびている。

 そこに希望に繋がるものは何一つとしてない。絶望を湛えた光景は終末までの秒読みを待つばかり。

 

 だが、絶望の中で抗う者がいる。

 岸波白野のサーヴァント。"弓兵(アーチャー)"のクラスを担う赤い騎士。

 何もかもが滅びゆく地獄を前にしても、英霊たる彼は闘志を折っていない。

 

 地を駆ける赤い騎士に戦艦の主砲が向けられる。

 人一人を相手になど想定していない大砲身。まして狙うべき相手はサーヴァント。如何に威力を持とうとも、高速で疾走する英霊に命中させるなど不可能だ。

 だがそれは通常の兵器の話である。ここにあるのは幻想を呑み込んだ魔道戦艦。如何なる不条理も、支配者の意志によって実現するものが摂理となる。

 

 旋回する艦砲が軋みをあげる。

 射角の外に逃れる赤い騎士を追い、砲身自体が毒蛇のようにしなり曲がる。

 物理法則を無視した奇怪きわまる現象は、しかしこの場においては何ら驚くに値しない。

 曲がりくねった戦艦主砲が炎の轟砲を撃ちだす。暴発もせずに発射されたその艦砲には、もはや真っ当な理屈など通用しない。

 無論、それは撃ちだされた砲弾にも当て嵌る。自在な軌道を描きながら迫るそれは、たとえ山を盾にしようとも幻の如くすり抜けて標的を追いつめるだろう。

 

 常道の手段では防ぐことはかなわない。故に赤い騎士も条理を超えた対抗策を紡ぎ出す。

 行使される投影魔術。心象世界たる剣製の丘より取り出される贋作の魔剣。

 迫り来る砲弾に対し、真っ向から振り抜かれた剣閃。激突の果て、砲弾は両断され魔剣もまた砕け散る。

 だが事象はそれだけに留まらない。砲弾を発射した戦艦主砲に突如として一筋の斬撃痕が走る。前後も分からず斬られた艦砲はそのまま炎を噴いて爆裂した。

 あたかもそれは砲弾に刻まれた斬撃が転写したかのように。不条理を成す宝具を以て、赤い騎士は魔道戦艦に対抗する。

 

 まさしく英雄、斯くあるべし。赤い騎士は負けていない。

 数多の戦場を超えて錬磨された鋼の意志。彼がいるのなら巻き返せる。まだ終わっていないのだと――

 

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 赤い騎士がその手に弓を持つ。

 番えた矢が狙い定めるのは、この地獄の君臨者。戦艦の艦橋上に立つ全ての元凶たる一人の男。

 

 矢の銘は『赤原猟犬(フルンティング)』。英雄ベオウルフの振るった相手を襲い続ける魔剣。

 放たれた矢は魔弾と化して標的へと襲いかかる。射手が健在である限り、この魔弾を止めることはかなわない。

 音速を超越して魔弾は直進する。間近まで迫った必殺の一矢に対し、佇む男にもはや対抗策はないと見えて――

 

「いつまで賢しい手に頼っている? 俺が見たいのはそんな小手先のものではない」

 

 男――甘粕正彦が手を突き出す。

 行ったのはそんな動作。ただそれだけで魔弾を構成する幻想が解体(キャンセル)された。

 特殊な能力を用いた訳ではない。それは純粋な実力差。隔絶した力の開きが両者の間には広がっている。

 

 否、そうではない。単なる力の格差であればまだ絶望には早かった。

 そもそも立っている場所が違うのだ。如何に屈強なる逸話の数々を持とうとも、絵の中の住人がこちらを害することがないように。

 単純に、次元が違う。赤い騎士と甘粕正彦は、同じ戦いの土俵に立ってはいない。

 

 それこそが聖四文字(いまデウス)

 人を裁く神。虐殺をもたらす試練も、愛し子らの正義を呼び起こすために振るう愛の鞭。

 試す側に在るために、原則としてその力は試される側を上回る。理屈などいらない。権能(かみ)とは元来そういうものだ。

 課される試練に抗おうとする勇気も、神にとっては己に捧げる祈りに他ならない。ゆえにその力は青天井に上がっていく。

 

 赤い騎士は英霊。人を超えた力を持とうとも、その存在は人間の側にある。

 人が神を超えることは許されない。英雄にできるのは神の与える試練に立ち向かうことのみである。

 

「私情を挟まん法の執行官の如き冷徹さ。それも悪くはないが、たまには己を曝け出してみるといい。

 でなければなにも為せん。そんなことではなにも救えはせんぞ」

 

 甘粕の意の下に、新たなる兵器(ユメ)がカタチを顕す。

 B-2ステルス戦略爆撃機。大翼を広げた漆黒の破壊兵器は、神が遣わす破滅の使徒だ。

 投下される多種多様の爆弾が赤い騎士へと降り注ぐ。一雫が致命的な威力を持つ破壊の雨を掻い潜り、持てる投影(チカラ)を以て生き延びる。

 

 だがそれも無意味な足掻きである。

 赤い騎士に勝ち目はない。そのことは彼自身がよく分かっている。

 万に一つ、などという夢物語ではない。絶無だ。手段の殆どを出し尽くした赤い騎士に、対抗策など存在しない。

 

 自身の冷徹さが告げている。こんなことに意味はないと。

 こうして凌いでみせたところで、終わりまでの刻を引き伸ばすだけのこと。

 結末は始めから決まっている。逆転への可能性など有りはしない。敗北は時間の問題だ。

 

 それでも尚、赤い騎士は最期の瞬間まで膝をつくつもりはなかった。

 

 彼の後ろに控える岸波白野(マスター)。弱小の身でありながら、どんな苦難にも諦めなかった少女。

 彼女のサーヴァントである誇りを最期まで手放さないために。赤い騎士はその力を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「願いを託すとは、つまるところ理想論だ」

 

 アーチャーは戦っている。

 勝てるはずのない相手に。見守っている自分にもそれは分かる。

 相手との間にある次元の差異。神格を得た甘粕に英雄のアーチャーでは対抗できない。

 

 それでも彼は諦めない。

 勝算なんて無い。敗北も間近だと、傍目にも分かるほどに。

 なのにアーチャーは、苦痛に耐えながら戦う意志を捨てようとはしない。

 

 それは、何のために?

 

「具体的な案などなく、後に続く者が事を成してくれると期待するのみ。確かな保証はなにもない。

 ああ、愚かだと貶めているのではないぞ。ありきたりな揚げ足取りなどする気はないから安心しろ」

 

 勿論、分かっている。

 誰のためかなんて、そんなの岸波白野(わたし)のためにしかない。

 

 (アーチャー)は自分のサーヴァントだ。

 サーヴァントの役目は戦闘の代行。そしてその意志はマスターのものでなければならない。

 願いを抱いて月に上り、勝ち抜いていくのはあくまでマスター自身であるのだから。

 

「理想論、大いに結構。具体案がどうだのと語る前にまずはそこからだ。それには俺も同意するよ。

 だが理想と謳うのならば、それを他者に信じさせねば嘘だろう。意志を伝播させ、理想に共感を得られなければ何にもならん。

 己一人で完結する理想に、何の価値がある?」

 

 だから岸波白野(わたし)は、甘粕正彦に答えなければいけない。

 同じく聖杯に至った者同士として、彼の意志に対峙してくてはならない。

 それこそが聖杯戦争。たった一つの祈りを定める月の闘争であるのだから。

 

 だけど――――

 

「理想論を唱える者は、その意志の最初の灯火とならねばならん。それは火に惹かれた多くの者を動かす原動力となる。

 たとえその者に学がなくとも、道を共にする賢者が知恵を貸してくれる。その者に力がなくとも、手を携えた戦士が力になろう。

 一つの意志に多くの者が寄り集まり、やがては大いなる力となる。まるで夢物語(ファンタジー)だが、世界を変えようなどと夢想を実現させるには、それだけの力が必要だろう」

 

「対し、独善の理想に凝り固まる者の、なんと脆いことか。理論や方法がどうだのと口にする輩とは、大概にして他者の意志を軽視する傾向にある。

 己の考える理念こそ至高。これぞ万人共通の夢に違いない。ゆえにこの願いの成就に手段は問わない。個人の意志など、この理想の前には如何ほどの価値があるものか。

 なんのことはない。所詮は個人のみの価値観、単なるエゴではないか。要は、今の現実を認められんから自分の納得いく世界に作り換えたいだけだろう」

 

「それで強さになるのは我欲の悪性だけだ。正義だ秩序だと唱える者が、他者の主観を蔑ろにする理念を抱くなどただの逃避にすぎん。

 現実を見据えた方法論? 笑止、現実に負けを認めた者が現実を変えようとするなど笑わせる。

 そんな者の理想に人々を動かす力などない。やれ世界を救済だのと、己の信念を余人に宣する気概もない者が抜かすなよ。実に女々しい」

 

「世界は、人々は、一握りの主役のために居る背景ではない。人類全てが当事者(しゅやく)であり、それぞれに人生(ものがたり)がある。手前勝手な理屈で決めつけて良いものでは断じてないのだ。

 目の前にいるのは異なる思考回路を備えた他者。自らの理念を糾弾されるかもしれんし、害すれば当然抵抗もされるだろう。しかしそれを肝に銘じて向き合うのが、人々に対する筋であろうが。

 どれほど重い過去を背負っていようが、過去は所詮過去にすぎん。それで個人の重さが変わるわけではないし、理想が高尚になるわけでもない」

 

「我も人、彼も人。ゆえ対等、基本である。他者と主観をぶつかり合わせることもせず、世界がどうこうと烏滸がましいわ」

 

 対する言葉が見つからない。

 真っ向から己の意志を投げかける甘粕に、何と答えればいいのか分からない。

 

 甘粕の口にする言葉は、世界を誠実に見据えたもの。

 夢のような言葉こそ真だと、そんな理想こそが世を変える力になると信じている。

 ともすれば青臭い、しかし全霊をかけてそれを成し遂げようとしてきた甘粕だからこそ、その言葉には熱が宿る。

 

 たとえ救済を口にしても、人の人たる意志を認められない時点で、それは間違っている。

 甘粕の言うことは正しい。彼は確かに人々の意志を尊重し、愛している。

 

 だけど――

 

「これはある男が語った言葉でな。

 徳の高い僧だった。彼との問答は俺も学ぶことが多かったよ」

 

「曰く、人間とは、奪い、殺し、貪り、そして忘れるものである。

 安寧があればそこに浸る。衣食住が足りていれば自ら動く必要もない。

 人間はその本質に悪性を宿している。故に自らの悪を糺すため神という名の発明品(さばき)が生まれたのだと」

 

「例えば、目の前に二つの道が広がっていたとする。一つは険しい獣道、一つは平坦な街道。かかる時間も目的地も同じ、五分の条件。

 どちらを選ぶかと問われれば、よほどの物好きでない限り街道を選ぶだろう。別段それは悪いことではない。

 危険があれば避けて通る。労が少ないならばそれに越したことはない。苦労は買ってでもとは言うが、そうはいかんのが人間だ」

 

「悲劇、不幸とは忌諱すべきものである。だが世から一切の理不尽を取り除けば、後には約束された安寧しか残るまい。

 先には甘受すべき幸福があると分かっている。理不尽に奪われる不安もない。世の万事すべて安泰である。

 そんな環境に延々と浸されていれば、人はやがて自らの手足の動かし方も忘れてしまう」

 

「ゆえに俺は万人にこう告げよう。世界に必要なのは慈愛をもたらす女神ではない。

 魔王という名の立ち向かうべき必要悪(しれん)こそが、人類の輝きを取り戻すことが出来るのだとな」

 

 だから貴方は世界に災禍をもたらすのか。

 忘れたわけではない。この人は一度、脚色ではなく世界を滅ぼしている。それは決して許してはならない。

 

 甘粕正彦の願いは世界を壊す。認めてはならないと、すでに自分は納得していたはずだ。

 

「ああ、確かにそれは俺の不徳だ。今も恥じ入る思いだよ。

 やり方さえ違えば、理想とする世界はすぐにでも実現できただろう。理屈に添うなら容易いことだ。

 それを承知した上で、俺はこのやり方を変えることはないだろうな」

 

 ……それは、なぜ?

 己の理想を実現できると言いながら、どうしてそれを拒むというのか。

 

「ムーンセルは万能の願望機。あらゆる未来を内包する究極の演算器だ。

 その機能を用いれば望む世界は容易く手に入るだろう。人が想像し得る範囲において、ムーンセルに実現できない未来はない。

 それに願えば俺の理想も叶うだろうさ。誰もが自立した意志を持ち、信念を持って事に当たる強さを得るだろう。

 人があるべき輝きを示す、()()()()()()()()()()()()()()が現れる」

 

「だが、なぁおい、そんな世界にいったい何の価値があるというのだ?」

 

 ……その問いに、岸波白野(わたし)は答えを返すことができなかった。

 

「俺が子を殴るのは、自らの足で立ち上がれると信じているからだ。

 鎖に繋いで、強引に立ち上がらせたいわけではない。それでは余りに愛がなかろう」

 

「与えられる試練に対し、立ち上がるように定められた意志。それのどこに勇気がある?

 そんなものが正しい人の姿だと? ただ神の意志に引き摺られ翻弄される玩具ではないか。

 試練に対する奮起の意志も、そうなるよう脚本に書かれた配役、偽物だろう。人間などどこにもいない。

 どれだけ正しく、輝かしいものであろうとも、一つの神意(ほうそく)の下に隷属された人は、もはや人ではないのだよ」

 

「俺が与えるのは災禍だけだ。元より人は輝きを失ってはいない。奮い立つ機会さえあるのなら必ずやそれを取り戻せる。

 そう信じているからこその試練である。俺自身は人々に対して何の干渉も行っていない。俺は人々を愛している、その尊厳を貶める真似はせん。

 災禍に直面した時、それに立ち向かう勇気、覚悟。誰かの手に動かされた訳ではない、それでこそ本物の意志だと証明できる」

 

「――このようになぁ!」

 

 戦艦が、自らに搭載された全武装を解き放つ。

 無数の艦砲による一斉砲火、三門の発射管より放たれた魚雷群。

 それぞれの艦砲が向く先々へ、疎らに撃ち出された砲弾は、中空でその軌道を捻じ曲げて同じ標的へと向き直り、魚雷もまたそれに倣う。

 殺到してくる無数の砲弾と魚雷。その向かう先にはアーチャーがいる。

 

 自身に迫る無数の殺戮兵器を前に、アーチャーはそれでも抵抗を諦めない。

 

「――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 再び真名解放される盾の宝具。

 投射武器に特性を持つ最強の守りで、アーチャーは迫る脅威に対抗する。

 

「―――っ…………!!!」

 

 けれど、それは容易なことではない。

 先の戦いでは存在の滅びを誘発されてその守りを破られた。

 だが今度はもっと単純明快。特性も無視した威力によるごり押しのみ。

 まるで厳然な実力差があれば相性など無意味だと言うように、純粋な破壊力を叩きつけてくる。

 

 守りが次々と喰い破られる。

 砲弾、魚雷が直撃する度に花弁には亀裂が入り、次の着弾で砕かれる。

 堅牢だった七枚の守りも、もはや目に見えて穴だらけ。完全防御の体を為さず、余波は容赦なくアーチャーを削っている。

 それでもこの守りを維持できなければ敗北は必定。故にアーチャーは全魔力を盾に注ぎ込む。

 

「ぬ――ぬああああああああ…………!!!!!」

 

 吐かれる裂帛の気合い。

 身体の内側から悲鳴が上がろうともアーチャーは構わない。

 後先など考えない、ただこの瞬間を生き延びるために、彼は全てを費やしていた。

 

 ――やがて砲撃の轟音が途切れる。

 

 立ち篭めた爆煙の晴れた先、アーチャーは健在だった。

 

「そうだ。これだけの絶望を前にしても諦めん不退転の決意。その覚悟こそ素晴らしい。

 それはおまえのものだ。神に玩弄される偽物ではない。人の内から発せられる魂の輝きだ」

 

「元より我が災禍はそれを引き出すためのもの。共感など端から不要。

 俺の強いる理不尽に抗い、抵抗の意志を示せ。その意志の先にこそ光がある」

 

「その輝きの下に築かれる新たな世界。それこそが俺の求める真の楽園(ぱらいぞ)なのだ!」

 

 決して退かないアーチャーの姿を、甘粕は素晴らしいと心から称賛している。

 けれどそれは希望を意味しない。これほどの攻撃も、甘粕にとっては小手先の手段に過ぎないという事実(ぜつぼう)だった。

 

 未だ何の消耗もない甘粕に対し、すでにアーチャーは満身創痍だ。

 こうして施す回復のコードキャストも果たして意味があるのかどうか。

 答えの返せない自分に付き合わせて、アーチャーを絶望的な戦いに駆り立てている。

 それは単に、彼の苦痛の時間を長引かせているだけではないのか。

 

 回復術式(コードキャスト)そのものは問題なく行えた。

 けれどその背にかけるべき激励の言葉を、自分には見つけることができなかった。

 

「……マスター」

 

 双剣を構えて、アーチャーが声をかけてくる。

 そこに勝利を感じさせる力強さは無かったけど、絶望した力弱さもまた無かった。

 

「私のことは、気にしないでいい」

 

 短い言葉で、彼は意志を伝えてくれる。

 

「最後まで、君に付き合おう」

 

 それきり、アーチャーは戦闘代行者(サーヴァント)として自らが戦う敵へと相対していく。

 勝ち目がないと分かっている。それでも岸波白野(わたし)に付き従うと、そう言ってくれている。

 

 返すべき答えは、未だに見つからない。

 どんな言葉でも甘粕正彦の強固な意志を挫くことは出来ないと理解してしまう。

 どうすればいいのか分からない。どうやれば届くのか見当もつかない。それほどにこの相手は強すぎる。

 

 ならば、自分がただ一言、"諦める"と口にすれば、アーチャーも戦いを止めるだろう。

 

 それが正しい気がしてならない。

 どう考えたってここから勝機なんて見出せない。

 認めてはならないと思っても、勝ち目がないのではどうしようもない。

 ならば抗ったところで無駄だろう。どうにもならないのなら早く諦めてしまうのが効率的だ。

 

 そうすべきだ。そうしてしまおう。

 もう付き合わなくてもいい。それをアーチャーに告げようと、口を開こうとして――

 

「迷っているのか? 己の意志をどう言葉にするのか」

 

 そんな自分の様子を見咎めたのか、甘粕から声がかかった。

 

「だとすればそれは見当違いな悩みだな。そもそも言葉にする必要がどこにある?

 明確にその意味を言い表せなければ形にならないなどと誰が言った。

 諦めないと、その意志だけで十分だ。その姿にこそ輝きは表れる」

 

 ……この人は、なにを言っているのだろう。

 

 その言い方は、まるで自分が諦めまいとしているような言い方だ。

 今まさに、自分はアーチャーに対し、自らの意志を伝えようとしていたというのに。

 この人は、まだ岸波白野(わたし)が諦めようとはしていないと思っているんだろうか。

 

「そう思うのなら、理屈の上ではおまえにも諦めの意志はあるのだろうな。

 だが本能は違う。おまえの魂はそうは言っておらんよ。そんなものは見れば分かる」

 

「現に、サーヴァントは戦い続けているではないか。

 おまえが真に諦めようとしているのなら、言葉にせずともその意志を察せるはず。

 それぐらいの絆、おまえたちの間に無いはずがあるまい」

 

 アーチャーは、答えを返さない。

 けれどその反応だけで自分には容易に察せられる。甘粕の言葉は事実だと。

 

 だがそんなことは無意味なはずだ。

 明らかに勝ち筋の見えない中で、それでも自分は諦めていないという。

 自覚なんてない。可能性など何一つないというのに、そんな真似が出来るような強さには覚えがない。

 それとも貴方には分かるのか。誰よりも自分のことを認めていると言った甘粕(あなた)になら、それが分かるとでも。

 

 そんな自分の問い掛けに、甘粕は苦笑も混じえながら、

 

「知るわけがなかろう。俺はおまえではないのだから」

 

 あっけらかんと、そんな答えを返してきた。

 

「己が何を思い、何を為したいと願うのか。その信念は己自身にしか決められん。

 他人に形容されて型に嵌めるのではない。それでは本物の意志とは呼べん」

 

「俺がこうして言葉を尽くしているのは、おまえたちに俺の信念を理解してもらいたいと思うからだ。

 肯定しろと言っているのではない。ここには己とは違う価値観、信念がある事をしかと受け止めてほしい。

 それを知った上で、如何なる意志を返すのか。俺はそれを知りたい。それこそが他者と向き合うということだ」

 

「だが、こんなものは俺のやり方にすぎん。おまえまでそれに倣う必要はどこにもない。

 意志を示す方法とは言葉だけではないのだからな。時に行動そのものが、百の言葉より如実に意志を示す」

 

「そしておまえが示す意志は、俺にとっても重要な意味を持つ。

 俺が向き合うべきは、おまえのような人間だ。特別な才など持たず、ただ自由な意志で立つ平凡人。

 世の大半を占めるのはそんな者たちなのだからな。ならばこそ俺に抗おうとするおまえの姿は、大いなる輝きとなって人々に示される。

 ただ諦めない。その意志だけでこれほどに進んでいく事が出来るのだと、おまえの姿から学ぶことができるだろう」

 

「だからこそ、今一度おまえに問いたい。

 ここまでの激戦を戦い抜き、相手の死を乗り越えても生を目指したその意志は、如何なるものであるのかと」

 

 そう言って甘粕が新たに創形した兵器を目にした時、今度こそ全身が総毛立った。

 

 革新の概念に括られて現れる甘粕の創形兵器。そこに宝具としての信仰はない。

 だがあれだけは例外だ。現実に使用され、拭い切れないほどの毒を死を撒き散らした悪魔の兵器。

 ただの一発が10万以上の人間を殺戮する。伝説を再現する災禍の火は、人間の罪業としてその意識に刻まれた。

 

 すなわちそれは"核兵器"。その名から連想される畏怖の念は語るまでもないことだろう。

 

「それこそが人の希望だと俺は思っている。その意志は勇気を与えるものだと信じたい。

 ただ状況(ルール)に従って、立たねば死ぬから嫌々挑む。そんな腑抜けた解答(こたえ)を返さないでくれ」

 

 乞い願うように言いながら、形を成したその悪夢を甘粕は投下する。

 

 あれは本当にどうしようもない。

 地上に着弾すれば、アーチャー諸共に自分も消し去られるだろう。

 その破滅に至るまで、自分にはもう何をすることも出来ない。

 

「その魂の内にあるものを示してみろ――――リトルボォォォォォイ!!!!!」

 

 瞬間、何かの力に押し出された。

 

 見えたのは、こちらに手を突き出したアーチャーの姿。

 突き出した方と別の手には、自分でも見たことのない形の剣が握られている。

 

 何をしたの、と尋ねる間もなく、世界から弾き出される。

 そう、自分だけが。絶望的な破滅を目の前にアーチャーだけを残して。

 彼が何をしたのかは分からない。けれど分かるのは、迫る破滅から自分だけを逃がしたという事実。

 

 遠ざかっていく世界。

 そこに映ってる、剣を手に挑むアーチャーの背中に手を伸ばそうとして――

 

 そうして岸波白野(わたし)は、戦場(せかい)から断絶された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……どれくらいそうしていたのだろう。

 

 随分と長い間待たされているような気がする。

 そう感じているのは自分だけで、現実には大した時は経っていないのかもしれないけど。

 

 一人だけ戻された元の場所で、自分はこうして立ち尽くしている。

 見回してみても、やはりというか凛や白衣の男の姿は見えない。

 戦いは終わっていないのだ。戦場となった異界には、未だアーチャーが残っている。

 

 こうして一人になると、改めて実感する。

 岸波白野(わたし)には何の力もない。一人では何一つ出来ることがない。

 今も起死回生の方策なんて思い付かないし、これまでだってそうだった。

 どれだけ勝利を重ねてきても、岸波白野(わたし)の力なんてこんなものだ。どこまでも凡庸の域を出ない。

 

 甘粕は岸波白野(わたし)が希望だと言った。

 けれど自分にそんな価値があるとはどうしても思えない。

 

 だって岸波白野(わたし)は、過去の亡霊。今に残すことの出来ない幻なんだから。

 だから未来のある人間(りん)に託そうとしていたのに、それは間違いだったんだろうか。

 

 ――空間が歪み出す。

 

 正常なこの世界と、異質に創られた異界とが繋がっていく。

 両界の堺が消え去り、異界の消失と共にその内にあったものもここへと戻ってくる。

 

 まず目に付くのは、視界を覆うほどの巨大な建造物。

 威容を誇った近代戦艦は、いまや全体がドロドロに融解しており、まるで腐り落ちる寸前の枯れ木のようだ。

 大した距離もなく起爆された核の炎は、甘粕自身の戦艦までも容赦なく焼き尽くしたのだろう。その姿はもはや見る影もない。

 それを目にして、脳裏に嫌な想像が思い浮かび、必死になって周囲に目を走らせる。

 

 アーチャーは――――居た。

 

 無惨に溶け落ち、灰となって朽ち果てた無数の剣群の中心に、たしかに立っている。

 その姿は今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しかったけど、それでもまだ死んではいない。

 何よりもまず、それが嬉しかった。他の何を確かめるよりも先に、アーチャーの元へと駆けていく。

 

 何もなかった自分に、最初に手を差し伸べてくれた相棒(サーヴァント)

 あまりにか細い自分の足掻きに、嫌々ながらも応じてくれた彼の姿を覚えている。

 あれから幾多の戦いがあった。けれど、彼がいなかったらそもそも戦うことも出来なかった。

 何かをするにも、彼がいなければ始まらない。見えるその背中に、この手を伸ばす。

 

 ――直後に響いたのは、一発の銃声音。

 

 たったの数歩。それだけで手が届く、そんな距離で。

 アーチャーの霊核(しんぞう)が弾ける光景を目の当たりにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倒れ伏した弓兵(アーチャー)を前に、少女の足から力が抜ける。

 

 ペタリと座り込んだ姿には、あらゆる力が喪失している。

 立ち上がるための力が入らない。それは肉体ではなく、精神の問題だった。

 決して諦めない鉄心。その骨子となる部分が潰えている。

 

 立ち上がろうとする。/ その意義が分からない。

 

 歩き出そうとする。/ その行為には意義がない。

 

 何か、彼女の心を支えていた柱ともいうべきものが、

 アーチャーの喪失という事実を前に、ポキリと音をたてて折れてしまった。

 

 そんな折れた少女の前に、甘粕正彦が歩み出る。

 

 手にあるのは一丁の種子島。

 その硝煙が何を撃ったものかは、もはや説明は不要だろう。

 一戦の後にも僅かな消耗すら見せず、変わらぬ強壮さのままに少女を見下ろした。

 

「ここまでか。まあ、こんなものだろうな」

 

 声にこれまでのような熱量はない。

 常態に等しかった魔人としての重圧も鳴りを潜め、その様は鎮魂の席の如く静かに厳かだ。

 彼は心から少女の挫折と絶望を案じている。軽口を叩いて場を乱すような真似は決してしない。

 与えた張本人が何をと思うだろうが、それこそが甘粕という男なのだ。

 

 如何なる善性、悪性を前にしようと揺らがない絶対正義。権能そのままに甘粕正彦の在り方はこの世の誰より神に近い。

 人類に光を取り戻そうとする理念は善性であり、奮起を期待して試練を下すという行為もまた、善性の質を持つ。

 嘆きも死も、甘粕は望んでいないし容認もしていない。あらゆる人間が己の試練に打ち勝てればと本心から思っている。

 力及ばず愛し子(にんげん)たちが敗北するのは彼にとって悲劇なのだ。せめてその姿を見事だったと称えることしか出来ない。

 

 少女の強さは甘粕にとって尊敬に値するもの。それは今も変わっていない。

 終わってほしいとは思わない。更なる奮起を果たしてほしいと願っている。

 甘粕の試練は人に立ち上がるための機会を与えるもの。その機会こそ人には必要なのだと確信しているから、そこに例外はない。

 

 故に、ここから岸波白野に与えるものは決まっていた。

 

「岸波白野。おまえの信念には初めから傷があった」

 

 その言葉に、もはや正面から見据える気力もなかった少女の視線が、甘粕の方へ向く。

 

「諦めない。どんな苦境に相対しようと、動ける限りは決して。死を感じ、死に抗う姿、実に素晴らしい。

 だがその矜持を持ちながら、おまえは戦いの果ての未来を夢想することはないようだ。

 いや、諦めていると言うべきか」

 

「その諦観は、おまえ自身があり得ざる人間、過去を再現された亡霊(ゴースト)だからか。

 そして亡霊であるが故に、(ムーンセル)に触れればバグとして消滅される運命を感じていた」

 

 少女が息を呑む。

 

 はっきりと言葉にして言われたことはない。

 けれど予感はあったのだ。自身が不正規の存在であると知った時から。

 自分はこの戦争の先を生きられない。漠然とした確信が胸の内にはあった。

 

 ムーンセルは不正なデータを許さない。

 絶対的な数理の化身は、己の観測に不確定要素(イレギュラー)を混じえない。

 岸波白野が聖杯に触れれば、その存在はたちどころに分解されるだろう。

 

 たとえどこまで勝ち進もうと、岸波白野の結末(うんめい)は"(デリート)"だと決まっていた。

 

「ではこれは知っているかな? 岸波白野という人間は死んでいない。まだ地上で生きている」

 

 甘粕の語る言葉の意味を、少女は咄嗟に理解できなかった。

 

「俺はムーンセルの所有者だ。知り得たいと思う情報(こたえ)ならば即座に拾える。

 我が尊敬すべき好敵手であるおまえたちの事なのだから、知りたいと考えるのは自然だろう。

 そして俺は、この事実を知った」

 

「岸波白野、正確にはその再現の基礎となった人間は地上で仮死状態にある。

 アムネジアシンドローム。かつてバイオテロが原因で発生したこの難病に侵され、その人物は冷凍睡眠(コールドスリープ)されている。

 当時では治療不可能の病だったからな。ゆえに治療法が確立されるだろう未来に希望を託したのだろう。

 その処置を行ったのは……、いや。それはおまえには関係のないことだな」

 

 それは少女にとって驚くべき事実だった。

 己は過去の人間の再現。ならば当然、元となった人間はとうに死んでいると考えていた。

 災害(おわり)の風景も覚えていて、それは確信にも近かった。だがそれは、死に際(おわり)のものではなかったらしい。

 

 そして、知り得たその事実に対し、少女は思う。

 "ああ、けれど、それならば――――"

 

「そう、それこそがおまえの"傷"だ」

 

 告げられる言葉に宿るのは酷薄な冷淡さ。

 少女の抱いた希望などはお見通しだと言うように、その価値を容赦なく否定する。

 

「あり得ざる死者の亡霊が、その実は生霊だったというわけだ。この真実におまえは何を思った?

 ならば消滅の果てにも残るものはある。終わった後にも『岸波白野』の意志が続くのなら、それだけでも報われるとでも?」

 

「そんな納得の仕方は死人だよ。生に足掻く者が懐くものとして好ましいものではない」

 

「基礎になった人間がいた。過去に生きた大元の人生があった。ああ、()()()()()()

 元が同じであろうが、別の道を辿り異なる意志に至ったのなら、それはもはや別人だろう。

 その多様性こそ人の証である。同一人物ではない、そも同一の人間などこの世のどこにもいない」

 

「この聖杯戦争を勝ち抜いてきた意志はおまえのものだ。育まれてきた絆はおまえだけのものだ。

 その価値の重みを認められんでどうする。察するに、おまえは自分が生き長らえることに正当性を見つけられていない」

 

 それは、自らが網霊(サイバーゴースト)であるが故に。

 その事実を理解した時から、少女はどこかで自身の結末を見定めてしまった。

 

 それこそが勝者の至る月の聖杯。

 終わりがくることを予感しながら、少女はその道を踏み止まろうとはしなかった。

 未来に続く願いを胸に、けれど自身が関する未来には無頓着に。

 

 岸波白野はついに、たとえばムーンセルを破壊してでも、自らが生き残ろうとする意識を持てなかった。

 

「生命が生きることに正当性などそもそも不要だ。他を犠牲にしてでも生き残ろうとするのは原初の命題だよ。

 人の倫理はそれを悪だと捉えるが、生命として生き足掻こうとする行為は誰にも否定できん」

 

「一人の力では足りないかもしれん。だがおまえには育んできた絆がある。

 元よりその気質は他の者と在ってこそ発揮されよう。その消滅の運命に異議ある者も少なくあるまい。

 あるいはそれらの意志が事を成し遂げ、道理を覆すこともあるやもしれん」

 

「だが肝心要であるおまえに、何が何でも生き抜こうとする意志がなければ話にならん」

 

 可能か不可能か。そんなことを論ずる必要はない。

 事の結果は誰にも分からない。だが分からないからこその勇気の価値である。

 先が分からなければ動き出す事も出来ない軟弱者に、そもそもこれだけの期待を抱きはしない。

 

「奪われた運命ならば奪い返せ。

 それがルールに反するならば、そのルールこそ踏み躙れ。

 過去の亡霊? あるべきでない生命? そんな理屈の道理、超越の意志を以て粉砕しろ」

 

「己の無理を押し通し、道理をこじ開けるとはそういうことだ。

 無害な性質も時によれば枷にしかならん。鬼畜の我執も、欠片程度は持ち合わせてみるがいい」

 

 我が儘になれと、甘粕は言う。

 納得するのが早すぎる。自身の生命が失われるというのに、その執着の薄さはどうしたことだ。

 たしかに少女が歩むのは正道だろう。だがそれだけでは事は為せないと甘粕は知っている。

 

 なぜなら甘粕自身がそれの体現者だ。

 如何なる無理難題、不可能事であろうとも、それが必要だと判断したなら甘粕は怯まない。

 時に正道から外れようとも、その道でこそ到れるのなら鋼の決意で登るのみ。それこそが甘粕正彦の王道だ。

 潔さという言葉は、死力の全てを尽くした果てに用いる言葉である。燃え上がる火種が欠片でも残っているのなら彼は諦めない。

 

 現在の甘粕はその王道の先にいる。

 道理の一つも超えられない意志で、月の魔王に打ち勝つ事など出来はしない。

 

「己の人生に重きを置けない者に真の輝きは有り得ん。ならばその重みこそ知るべきだ」

 

 手にある種子島が上げられる。

 ゆっくりと定められる照準。銃口の先には座り込んだままの少女がいる。

 

「岸波白野。おまえはまず、自らの"死"を乗り越えてみせろ」

 

 銃声と共に弾き出された弾丸は、何の抵抗もなく少女の胸を貫いた。

 

 

 





 最終回ではないですよ。(焦)

 はい、ほとんど一方的な蹂躙と説教の回でした。
 長々と主人公が追い詰められていく様を書いてしまいましたが、ここからようやく巻き返していきます。

 ここからがはくのんの真骨頂ですよ。

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