もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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王の旗本

 

 月見原学園の校舎は、あるべき日常の風景としてそこに在った。 

 

 聖杯戦争の舞台。日常を演出するためのロケーション。

 闘争の狂気と平穏の理性の狭間で、その心が如何なる反応をするのか。

 人の心理を観測し記録するためにムーンセルによって用意された場所である。

 

 記録収集のサンプルとして不備は許されない。

 完全なる観測を求める月の意志により、蓄積した記録から再現された日常の象徴。

 極東の島国に実在した学園を元に構築した建造物は、多数の人々が過ごす場として機能している。

 

 聖杯戦争という極限の闘争の中、一時でもそこを離れられる仮初の平穏。

 虚数の裏側に落とされた後でも、その風景は損なう事なく在り続けていた。

 

Sancta Maria ora nobis(さんたまりや うらうらのーべす).

 Sancta Dei Genitrix ora pro nobis(さんただーじんみちびし うらうらのーべす).」

 

 そんな侵されざるべき日常風景を、穢れきった土足が踏み躙っていく。

 それが歩を進める度、その足先の床に亀裂が走り、汚らわしく黄ばんだ粘液が滲み出してくる。

 吐き出す息には濃縮された毒と病が宿り、放出する黒い放射能が空間を汚染し腐らせた。

 

 億の蠅声を引き連れて歩く悪徳の塊。

 堕落させ貶める事こそ我が全てと誇るように、神野明影は在るだけで世界を冒涜していた。

 

Mater Christi ora pro nobis(まいてろきりすて うらうらのーべす).

 Mater Divinae Gratiae ora pro nobis(まいてろににめがらっさ うらうらのーべす).」

 

 悪魔の歩みを阻む者はいない。

 彼がこの学園に侵入してから、迎撃の類は一度として無かった。

 侵入を阻むための防衛障壁(プロテクト)もなく、神野(ウイルス)は我が物顔で歩み続けている。

 もはや屋主たちが恐れをなし、放置して逃げ出したのではと疑いそうになる静けさだった。

 

 だが無論、そんなものは錯覚でしかない。

 現在この月見原学園を治めるのは"世界の王"。守護するのは王に忠義を捧げる至高の騎士。

 迎撃が皆無であるのは、守護者たる剣の一振りが全ての外敵を灼き払うという絶対の自信の表れだった。

 

「……へえ?」

 

 神野が校舎2階へと足を踏み入れた時、それは起こった。

 

 校舎内に炎が走る。

 侵入者である神野を巻き込んで、炎に線引かれた空間が入れ替わった。

 広がったのは荒野。手狭だった校舎から一転し、広大な決闘場(バトルフィールド)が出来上がる。

 

 空間内に閉じ込められた神野の前に、立ちはだかったのは一騎の英霊(サーヴァント)

 

 その強壮を前に、常態として吐き出されていた神野の穢れが止まる。

 幻視して見えたのは太陽。あらゆる悪徳を浄化し散り払う陽光の輝き。

 日輪の光に愛された斯く在るべき騎士道の具現。聖剣を携えた白い剣士(セイバー)がその姿を現した。

 

「いきなり最強の切札(カード)を切ってくるとは、なかなか思い切った事をするね。

 光栄、というべきなのかな? 円卓で名を馳せた"太陽の騎士"の聖剣(つるぎ)――堪能させてもらおうか」

 

 戦いは唐突に、毒蟲の大群として爆発した穢れの奔流によって火蓋が切られた。

 

 先に止められた穢れなど、神野にとっては呼吸に等しい。

 常態から垂れ流していた吐息程度に過ぎず、攻撃などと呼べるものではない。

 本領を発揮した悪魔(しんの)は、まさに罪と穢れの渦巻く災厄だ。侵されれば如何に英霊だとてその存在の骨子ごと腐り落とされる。

 

 空間そのものを埋め尽くす毒蟲の群れ。

 数十万と膨れ上がった大群を前に、セイバーにあるのは剣の一振りのみ。

 どれほどの剣技を繰り出そうと相手にならない。迫る蟲の大群に抗するには、個ではなく数を駆逐する対軍の手段が要る。

 

「フッ――!」

 

 振るわれる聖剣が炎を纏う。

 一閃の度に拡散し放射される炎熱が蟲の群を焼き払っていく。

 これも相性といえるだろう。古来より魔の浄化を司るとされる火、その使い手たるセイバーに雑多な魔群など通じるはずがない。

 

 容易く蟲を退けたセイバーの前に阻むものはない。

 一息の内に神野の懐まで踏み込んだセイバーは、容赦なくその身を両断した。

 

 ブリテンの円卓において『理想の騎士』とまで謳われた最優の英霊。

 振るわれる剣撃の威力は推して知るべきであり、生半な英霊であれば一刀のもとに敗北を余儀なくされる。

 彼こそは間違いなく今次の聖杯戦争における最強の一角。その彼が振るった聖剣であれば、如何なる存在であろうと打倒されるのが道理だろう。

 

 

「――――おまえは"犬"だ」

 

 

 だが、対峙する悪魔(しんの)もまた、道理で測りきれる存在ではない。

 彼は廃神。あらゆる堕落、不義、冒涜を象徴する悪神を混ぜ合わせた混沌(べんぼう)

 実体なき穢れの概念であり、蟲の集合体めいた無形なのだ。

 

「ごしゅじんさまにチンチンふってるのがだいすき。そんなじぶんにマスかいてひたってる」

 

 これまでどんな英霊の攻撃も明確な打撃にはならなかったように、セイバーの剣撃も痛痒を与えられない。

 斬られた箇所からバラけ、粒子の如く拡散してから集合し、渦巻く蛾の群れとなって踊り狂う。

 降り注がれる鱗粉のイルミネーション。決闘場を彩る毒の色彩は大気と一体になり舞い乱れる。

 

「りっぱなのはみせかけで、あたまのなかまでおてんきびより。ひとりじゃみぎもひだりもきめられない」

 

 宙には毒蛾の鱗粉が舞い、地よりは百足、蜘蛛等の毒蟲が溢れ出す。

 周囲を埋め尽くしていくおぞましい穢れの群勢。それが只中のセイバーに向かって一斉に蠢いている。

 

 蟲どもの蠢きが折り成す不協和音、それが蠅声と化して悪魔の言霊を紡いでいた。

 

「ああ、王サマ、どうかわたくしにめいじてください。

 くちごたえしません。どんなめいれいだってききます。いぬとなってしっぽをふります。

 だってぼくちゃん、そんなカッコイイじぶんがだ~いすきなんだから! うふふふ、ひぃっひっひっひ――きひはははははははは!」

 

 下劣極まる揶揄であり、あからさまな挑発だ。およそ知性の感じられない下卑た雑言は、とても英霊相手に使うものとは思えない。

 しかし、だからこそ効果的でもある。相手が高潔で知られる騎士であるなら尚更、この汚れ切った罵倒には神経を逆撫でられるだろう。

 まして、その罵声の内容が本質に迫っている事を考慮すれば、それは逆鱗を踏みしだかれるに等しい暴挙に違いない。

 

 醜悪な蟲の魔群に囲まれ、単体の音としても耳を犯す蠅声の嘲笑。

 常人では正気を保っていられない状況で、高潔の騎士が見せるのは嫌悪か、激昂か。

 否、どちらでもない。その表情には微塵の揺らぎも見せず、理想の騎士たる己を貫いている。

 

 白騎士(セイバー)を支えるもの、それは自身の芯に置いた忠義という名の信念。

 罵倒が指摘する内容など承知の上で、彼は自身の在り方を定めている。

 それは忠の理念に囚われているのではなく、何より仰いだ主を信じているから。

 剣を捧げるに足る王聖、その光にこそ正義があると確信しているから迷わない。

 たとえ友を斬れと命じられようと、彼は斬るだろう。それが王の勅令であるのなら、非は友にこそあると断言するのが彼の信念だ。

 これも一種の狂気かもしれない。それでも秩序の善性の側として在るセイバーに、悪魔の低俗な挑発など通用するはずがなかった。

 

 事実、神野の吐き出す穢れは未だセイバーの身には届いていない。

 大群で押し寄せる毒蟲に対抗するのは、およそ剣を取る者にとっての正攻法の動き。

 密度的には絨毯爆撃にも等しい蟲群を、セイバーは悉く躱し、防いでいる。

 それは磨き抜かれた体術と卓越した直感。避け切れぬものは聖剣の炎によって斬り払う。

 単なる相性の問題ではない。如何なる相手、状況であろうとも十全に己の力を振るえるからこその最優。

 正道であり、王道である強者の姿。悪魔の穢れを前にしても、白い剣士(セイバー)は最強のままだった。

 

 されど、セイバーの剣もまた通じていない。

 攻撃を受けないセイバーと、受けても傷つかない神野。千日手とも見える構図だが、その先にある結末は明らかだろう。

 いずれセイバーは穢れを受ける。未だ余裕はあるだろうが、永遠に維持させられるわけではない。

 

 故に、セイバーは探っている。

 無意味ともいえる攻防を繰り返しながら、対峙する悪魔を打倒する手段を。

 すでに幾つかの手段は選出している。それが本当に通じるのかを測っているのだ。

 

 渦巻く毒蛾の先、放たれた聖剣の刺突が神野を貫く。

 刀身を包む炎熱が即座に蟲たちを焼き払うが、無形たる神野はすぐに崩れ、再生を繰り返す。

 蟲の集合としての無形。両断しようが貫こうが、寄り集まった蟲が散れば剣が届く事はない。

 痛い痛いと鳴く悪魔の声が聞こえてくるが、嘲りを含んだ声音は痛痒を受けているとは思い難い。

 如何に聖剣が尋常ならざる刃であろうと、このままでは神野の不死性を突破する事は叶わない。

 

 セイバーが取り得る手段は、大きく二つ。

 集合、拡散を繰り返す蟲群を丸ごとに灼き滅ぼす"広域照射(しんめいかいほう)"か。

 あるいは――――

 

「燃えろ、太陽の聖剣(ガラティーン)よ」

 

 構えた聖剣の刀身が赤く染まる。

 それは刀身内へと集積された太陽の火が顕す赤熱の色。

 もはや外に炎を()()()無駄は無い。内包された破壊力は敵を斬滅する瞬間を待ち焦がれている。

 

 次に放たれる聖剣の一撃は、まさに必殺を期したものに違いなかった。

 

「あんめい、まりあ――ぐろおおォりああァァす」

 

 そんな必殺の一撃を前にして、初めて神野が自ら攻撃に打って出た。

 蟲群が指向性を持って結集し、あたかも鎌のような軌跡を描いて強襲する。

 その威力、速度は単に数で攻め立てるばかりだった時とは桁が違う。それこそまさしく悪魔にとっての必殺だ。

 

 繰り出した一撃は共に必殺。

 激突する両者、刹那の後に響いたのは剣戟の如き衝突の調べ。

 それは確かに両者の一撃が交錯した事を示し、ならばその果ての勝者とは――

 

「ぎ、ひ――――」

 

 神野の身が分たれる。

 幾度と繰り返した結果。だが今回のそれは後が異なっている。

 神野は崩れず、無形に戻らない。斬り裂いた刀身の灼熱が、無限の蟲を焼き付けて固定させた。

 

 更に、無形にカタチを持たされた神野に対して、飛来した一本の"矢"が突き刺さった。

 

「ガガ、ヒィ――――」

 

 矢の刺さった箇所より、神野の身が崩れ出す。

 それは、これまでの無形への変化に伴ったものではない。

 神野がその身の内に濃縮する不浄、それを瞬間的に増幅し流出させたように。

 火薬が爆発したような勢いで暴発する蟲毒が、構成体ごと神野を崩壊させていく。

 

 ――刹那、身動きの取れない神野に、見えない"何者"かの一打が加えられた。

 

 蟲の集合たる悪魔は無形。本来急所という概念は存在しない。

 だが、その一打を前に、蟲の群はあたかも自らの存在を忘れたように。

 群としての無形を見失い、一個のカタチとして弛緩したまま。

 あり得ざる急所を自ら作らされ、()()()()()()悪魔は無防備にもその一打を受け入れて、

 

 神野明影を形取る蟲の群体、その総体を完全に"破壊"していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破壊された悪魔は総身を散らし、塵となって四散していく。

 それを見届けるセイバー。油断なく身構え続けたが、再生してくる気配はない。

 

 敵は退散したのだと理解して、ようやくその闘志を内に納めた。

 

「助力に感謝を。アーチャー、アサシン」

 

 何もない場所に向けて、セイバーは声をかける。

 その声に応じて、空間より人の像が浮かび上がった。

 周囲の背景と一体化した光も熱も遮断する迷彩。気配遮断スキルにも匹敵する隠形と解いて、1人の青年が姿を見せた。

 

「いえいえこっちは仕事でやってるだけですから。高潔な騎士サマに改めて礼なんて言われたら、俺みたいなのはくすぐったくてしょうがないっての」

 

 現れた青年は、英霊というには些か趣が異なっている。

 彼は紛れもなくサーヴァントだが、英雄としての華と呼ぶべきものがない。

 たとえばセイバーのような、その立ち振舞いで伝わる騎士たる者の理想像といった、憧憬を呼び起こす輝きが見えないのだ。

 むしろ人間に近いほどで、その存在感は凡庸の域を出ていなかった。

 

 だがそれは、青年を英霊として不適格と見なす要因とはなり得ない。

 仮に青年が凡庸の徒であるのなら、その域から英霊の高みへ上り詰めた意志とは如何程か。

 飄々とした振る舞いの内に秘められた信念、それが並みならぬものであったのは明白である。

 

 そんな青年を認めているのか、彼を見るセイバーに卑下する感情はなかった。

 

「何を言うのです。虐げられる民のため戦った貴公は騎士たるべき者の道にいる。

 恥も謙遜も不要かと。我が王の旗本に、貴方が参列している事は心強い」

 

「おたく、よく他人から天然って言われない? そういう事を嫌みもなく言ってのけるとこ、素直に感心するよ」

 

 青年の真名は森の隠者(ロビン・フッド)。破壊工作と自然毒に長けた弓兵(アーチャー)の英霊。

 圧政者に抵抗するために弓を取った義賊。凡庸なる身で軍勢を相手取るため、あらゆる卑劣に手を染めた無銘の狩人。

 そこに英雄たる戦いはなかったが、苦しむ民衆の祈りを受けて昇華した彼は確かに"英霊"であった。

 

「つーか、俺って王様に対しての反逆者だったわけだけど。王様に仕える騎士として、そこんとこどうなの?」

 

「我が王が、蒙昧なる圧政者であったならば。時代の都合が合っていれば、今のように同じ旗の下に集っていたと信じます。

 あなたならば円卓の席に連ねる事も……性能面から見て些か厳しいですが、同胞としてこれほど心強い事はない」

 

「……あー駄目だ。やっぱ俺、この人苦手だわ。つーかそこは嘘でもイケるって言ってくれよ。何しれっと酷評してんだ」

 

 月の聖杯戦争において、己以外のサーヴァントは本来敵同士である。

 だが、話す2人に険悪な気配はない。今の彼等は仲間として、不足なく連携が取れている。

 契約者(マスター)も含んで、既に彼等は同胞だ。1つの"王聖"の下、同じ目的を目指して戦っている。

 

「呵々、善哉。これも聖杯戦争の妙というものか。おまえたちのような英霊たちと、この暗殺拳が共闘する事になろうとはな」

 

 更にもう一騎、彼等と同様の傘下にあるサーヴァントが現れる。

 

 その出現には、一切の予兆というものがなかった。

 周囲の色相に同化していたアーチャーとは違う。空間を転移したともまた異なる。

 言うなれば、自然なのだ。たとえ最初からそこに居たと言われても信じてしまうほどに、その"男"は周囲の気配と違和感なく溶け込んでいた。

 

「……やっぱアンタみてると俺の立つ瀬がねぇわ。んだよ、自然と同化して透明化するって。宝具でも無いただの技って、反則だろ」

 

「ふむ、誉め言葉として受け取ろう。近代にて修めた我が研鑽、どうやら古の戦士らにも通じるものであるらしい」

 

 男の真名は李書文。姿無き暗殺者(アサシン)英霊(サーヴァント)

 遠い昔ではない近代、伝承神秘の薄い時代にあって、純然たる武の研鑽で英霊に至った拳法家。

 相対する敵を一撃にて絶命させる"魔拳"を備えた、達人中の達人である。

 

「アサシン、あの悪鬼は?」

 

「さて、手応えは感じたが。何分、人とはまるで異なる気であったのでな」

 

 アサシンの一撃によって、悪魔は塵果てた。

 彼の拳は"二の打ち要らず"。英霊の象徴たる宝具にも匹敵するその魔技は、無形の中にも急所を()()()()()

 並の人間では、否、英霊であったとしてもアサシンの拳をまともに受けて無事では済まない。

 

 だがそれでも、相手はあの悪魔(しんの)だ。

 直感に優れない者でも分かる。この程度で終わるなどあり得ない、と。

 

「――お見事」

 

 悪い予感が現実に変わる。

 醜悪なる声と共に、何処からともなく蟲が集まり、人のカタチを成していく。

 神野明影、不死なる悪魔は何一つ変わらぬ様で再び顕現した。

 

「……あれでも、死なぬか」

 

 流石のアサシンも、その声に戦慄を滲ませる。

 三騎の英霊が連携した先の攻勢は、間違いなく必殺と呼べるもの。

 如何なる相手でも仕留められると、そう確信もできる手応えだった。

 

 それでも、この悪魔は滅びない。

 これで死なないとあれば、果たして真名解放で総てを焼き払ったとしても通じるかどうか。

 あるいは死の概念そのものを持たないのか、そう感じさせる無欠の不死性であった。

 

「いやいや。さすがにそう何度も()()()()()敵わない。お手上げだよ。

 無礼を許してほしい。君たちの力はよく分かった。素直に降参させてくれたまえ」

 

 穢れを引き、両手を上げて無抵抗を示す神野。

 先の攻撃、神野にとっても本腰を入れたものには違いなく、故にそれを破られた今、少なくともまともな戦闘をすれば己が不利である事は否めない。

 戦闘でこの三騎は倒せない。それを認めての降伏の意であった。

 

「そこでお願いなんだけど、君たちの王様に会わせちゃもらえないものだろうか。少々話があってね。

 なに、警戒はしなくていい。今ので力の差は理解したし、元より僕は監督役(ちゅうりつ)だ。馬鹿な真似はしないと誓おう。

 ――さあ、どうかな騎士殿」

 

 言葉は白き騎士(セイバー)に対して向けられる。

 この場の英霊(サーヴァント)らの代表として、"王"の側近たるセイバーが選ばれたのは必然だった。

 

「お断りする。貴様の言葉は、それ自体が毒だ。毒と分かっているものを、なぜ主君の前に引き出せようか」

 

 神野の申し出を、セイバーはにべもなく却下した。

 

「このまま退くというのならば良し。押し通るというのであれば、我らの威信に懸けても討ち滅ぼそう」

 

 対話の余地も与えない、明確な拒絶の意志。

 セイバーは理解しているのだ。この悪魔とは、そもそも言葉を交わすだけでも危険であると。

 巧みな甘言で振り回して、人間を堕落へ誘う悪魔の手際。その言葉はどのようであれ悪意しかあり得ない。

 

 ならば言葉一つさえ届かせない。

 王が持つ一振りの剣として、忠義という名の盲信にも似た鉄心で。

 全て承知の上だ。たとえ犬と罵られようと、彼は剣を預けた主君に尽くすと決めている。

 迷いに曇った生前から、今度こそ真の騎士として。あの完璧なる王聖に害なす総てを殲滅する。

 

 それこそがセイバーの決意。英霊として彼が抱いた、今生での願いである。

 

「頑なだなぁ。そこまで連れない態度を取られると――僕もつい、本気になっちゃうぜ?」

 

 無数の蟲が犇めく羽音が、その激しさを増していく。

 微細な振動に過ぎなかったそれが、空間を震撼させる爆音へと。

 未だ底知れぬ悪魔の深淵。先までの攻防などその一端に過ぎぬと、地獄の悪意は告げていた。

 

 聖剣を構えるセイバー。アサシン、アーチャーも各々に構えを取る。

 すでに闘志は十全に満ちている。戦いの第二幕が開けられる、まさに寸前――

 

 

「――――そこまでです、ガウェイン。それにお二人も」

 

 

 静謐な、されど下々を従わせる王気に満ちた少年の声が、両間に届けられた。

 

「それ以上の戦闘を禁じます。先の一撃で決着をつけられなかった以上、その討滅は間違いなく熾烈を極める。

 遭遇戦のような今の状況で、彼と事を構えるのは得策ではありません。争う気がないというのなら、迎え入れるのもいいでしょう」

 

 他ならぬ主君からの勅命。騎士たるセイバーはそれに従わねばならない。

 だが、その眼には未だ得心を持たず、構えた聖剣も下ろされない。

 この悪魔を主君の前に引き出す事、その危険を知るが故に王の剣として度し難かった。

 

「貴方の忠心は受け止めています。ならば、僕はこう告げましょう。

 ガウェイン、貴方が剣を捧げた"王"とは、それほどに脆弱なのですか?」

 

「……御意」

 

 その言葉が決め手となり、セイバーも戦意を収める。

 他二騎の英霊もまた同様に。王の言葉ならば従うのが道理だと、彼等もまた心得ている。

 

 静かであり、畏怖はなく、慈愛の徳に満ちた声。

 けれど同時に、そこには絶対と呼べる強制力も存在している。

 それは押し通す我意の類いではなく、ひたすらに"正しい"と思える理想。

 反発を入れる余地もなく整然としているが故に、ただ頷くしかない王聖という気質。

 若き王が持つカリスマは、既に英霊をも意に沿わせる領域に達していた。

 

「神野明影。事を荒立てるつもりがないという発言が真実であれば、我々にも受け入れる準備があります。

 話があるというのなら聞きましょう。貴方が客人として振舞うのであれば、我がハーウェイによる相応のもてなしで以て迎えるといたします」

 

「これは寛大な御心遣い、痛み入る。さすがは世界の王になられる御方は器が大きい」

 

 閉ざしていた決戦場が薄れていき、空間が元の校舎へと回帰する。

 元の場所に戻っても、神野は一切の穢れを振り撒かなかった。先導する騎士の案内に大人しく従っていく。

 

 向かう先は、この世界を担う王のもと。

 三騎ものサーヴァントを事実上統率する、彼の主を除けば今期最強のマスターのもとへと。

 かの王聖と悪魔の邂逅が何をもたらすのか、それはまだ分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神野が通されたのは、月見原学園の生徒会室だった。

 

 生徒側の代表者が集い、学校行事に独自の立場で関わっていく生徒会。

 予選のマスターたちが学生として扱われる事を考えれば、なるほど適切だと言えるだろう。

 生徒(マスター)たちが集い、その方針を話し合って決定する場。一同に介する魔術師(ウィザード)たちはの姿は壮観でさえあった。

 

 だがそれだけでは、この空間に満ちた空気を説明するものにはなり得まい。

 

 さながらそれは、王者の君臨する玉座の間か。

 現代様式の学校の生徒会室。会長用と名札の置かれた大きな机は、豪奢というより事務感の方が漂っている。

 特別であるものなど何も無い。だというのに、その"少年王"が存在するという事実のみで、あたかも荘厳にして厳粛な謁見の間が幻視されるような。

 

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。

 現在の世界を統制・管理する西欧財閥、その筆頭たる名家の次期当主。

 完全なる統治者と自他に望まれ、その通りに自らを完成させた常勝の王。

 幼くも気品に満ちた風貌と穏やかな立ち振る舞いは、あらゆる敵意を削ぎ落とし人々を安寧へと導く気風を備えている。

 それは天性であり、過酷かつ丁寧に教育された君主(ロード)の姿だ。未だ幼い身の上で、既に彼の在り方は極みに達していた。

 

 そんな少年王との対面を果たした神野明影は――

 

「……なぁにこれぇ?」

 

 来賓客用の席に座り、目の前に出された"もてなし"を凝視していた。

 

 一方の皿に盛りつけられたものは、ジャガイモだった。

 品名はマッシュポテトだろう。ひたすらにすり潰したジャガイモにビネガーをかけただけの料理(レシピ)に名付けるなら、それが最も適当となる。

 一応、中にはニンジンも含まれているらしく、所々に赤色が見える。そしてそれ以上の工夫は一切ない。

 山のように盛り付けられた外見には、見た目を気にするという心配りは感じられない。もはやそれは料理ではなく、食べられるだけの体裁を取り繕った野菜でしかなかった。

 

 だが、元の食材が何であるか分かるだけ、こちらはまだ上物だといえる。

 最大の厄災は、もう一方の皿。禍々しいその"物体"こそが恐怖の元凶だった。

 

 黒い。ひたすらに黒い。

 形容すべき言葉を探すならコールタールだ。食物にあるまじき黒さをしている。

 だというのに、そのドロドロと融解した液状物体の下、皿に盛り付けられた白飯の存在が、あろうことか己を料理であると主張している。

 嗅ぐと鼻をつく刺激臭。内容物は完全に融けていて判別は不可能。

 信じられないが料理であるらしい漆黒の物体。底知れぬ混沌(べんぼう)がそこにあった。

 

 それらの横には申し訳程度に置かれた一杯の紅茶。

 湯気を立たせる琥珀色の液体は、その香り良さから葉、淹れ方ともに一級品だと理解できる。

 だがもはや高級茶葉の1つでは、場の禍々しさは到底中和できない。むしろ異彩を放つその存在が、かえって他の異常性を際立たせる。

 

 それがもてなしと称して神野の前に出された内容だった。

 

「ハーウェイカレーです」

 

 ニッコリと、慈悲深い王者としての笑顔を張り付けて、少年王は漆黒の物体を指して告げた。

 

「我がハーウェイの家に連なる者たちによるもてなしです。どうぞ召し上がってください」

 

「いや、召し上がってって、これ完全に嫌がらせだよね? もはや悪意しか見えないよ。

 悪魔である僕にこんな嫌がらせを仕掛けてくるなんて、なかなかパンチが効いてるじゃない」

 

「とんでもありません。これはれっきとした我が家伝来のおもてなし法ですよ。

 我がハーウェイ家では"悪いお客様"はこのようにもてなすのが代々の習わしでして。

 モットーは『搾り取れ、その骨の髄まで』です」

 

闇金融業(ヤクザ)のおもてなしですね、分かります。

 え、コレ食べないと指詰められちゃう系?」

 

「ハハハ、いやですねぇ。ハーウェイは欧州系ですよ。そんな日系のような真似するわけないじゃないですか」

 

 微妙にズレてる答えを返してのたまう少年王。

 ハーウェイ家。西欧財閥の筆頭として世界を制したその一族の成り上がりの理由は禁則事項であった。

 

「いやでもちょっと待って。この味わいは……むむむ。

 べったりとしていてコクがなく、口や胃の中にどこまでもこびりつく粘っぽさ。

 辛さがどうとかってレベルにも到達してない、この料理は――うおォン!」

 

「―― イ ケ る ! べんぼう的に!」

 

 あろうことか神野明影、カレーであるらしい暗黒物質(ダークマター)を咀嚼して、出した答えがそれであった。

 

「フッ、そうか。俺のカレーは、美味いか」

 

「兄さん? そのちょっと嬉しそうなドヤ顔、やめてくれませんか?」

 

 少年王の傍らに控える、(レオ)の腹違いの実兄ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。

 ハーウェイの裏事情に勤しむ彼は、会心の力作を称賛されてご満悦であった。

 

「いや実際大したモンだ。手放しに褒めさせていただくよ。感動したと言っていい。

 ……テイクアウトしていい?」

 

「どうぞどうぞ。ドラム缶単位で」

 

「それにひきかえ……これは一体なんなんだい!?」

 

 暗黒のカレーの横、山盛りのポテトを指して、神野は猛然たる抗議の声を上げた。

 

「なにと言われても見ての通りポテトですが? 最高食材なので噛み締めて食すがよろしい」

 

「やっぱり用意したの君かよ。ったく、イギリス人はこれだから。まったくお話にならないね」

 

 ギラリと妖しく輝く神野の瞳。

 人を貶める事を教義とする悪魔、その悪意(クレーム)が機関銃のように放たれた。

 

「こっちのカレーを見てごらんよ。そっちの(ユリウス)がどうやってこれを調理したと思う?

 堅物な彼のことだから、多分大真面目にやったと思うんだよねぇ。その仏頂面の上にエプロンとか着込んでさぁ。

 何時間もナベ――ああドラム缶か、の前に居座って、グツグツとかき回しながら煮込んでいてね。そんな似合わないナリまでしてさぁ。

 彼なりに美味しさを再現できるよう、それこそ精一杯の心を込めてさ。僕のためじゃない、そちらの弟君(レオ)のために、美味しく食べてもらおうって真心でね。

 それで、その結果――」

 

「――なぁんでこんな産業廃棄物が精製されてんだよおおおおおお!!!!!

 もうその、なんていうの、居た堪れなさといったら、それだけでご飯三杯はイケちゃうね♪」

 

「対してこれはなんだよ! こんなの雑なだけじゃん! ただの手抜きじゃん! メシマズですらねぇよ。

 こういうのはさぁ、調理人が手間と時間と真心を込めて、真面目にやるから面白いんだろう?

 こんなの不真面目にやれば誰だって出来るよ。テキトーにやってるだけなんだから。そんなのじゃ笑いも取れやしないんだよ!

 そんなんだから、君の所の王様は人の心が分からないとか言われるんだ」

 

「な!? 彼の王を愚弄するか!」

 

 何故か、かつての王の事を持ち出され、激昂する騎士。

 だが、神野のクレームは止まらない。容赦ない罵倒が浴びせかけられる。

 

「民の理想がどうとかばっかりで、どうせ遊び心のひとつも無かったんだろう。

 嗜好品に現を抜かすなんて王にあるまじきとか、そんなノリで。そりゃ周りも息がつまるって。

 そうやって人の嗜好に関心がないから、趣味事も既存のものばっかで済ませてね。いくら戦で勝てても、聖剣ぶっぱするだけの簡単なお仕事だけじゃ務まらないの。

 そういう奴が歳食って、きっと不健全図書がどうとか言い出すんだぜ?」

 

「後世のイギリスにも、そういう王の信念つーか呪いは受け継がれているし。

 紅茶は英国の心だ魂だってやたらプッシュしてるけど、ぶっちゃけそれ以外に推せるものがないだけだろう?

 どう言い訳したところで、フィッシュ&チップス? そんなのが有名になってる時点でお察しなんだよ!

 ……ああ、紅茶旨い」

 

 言い切って飲み干す紅茶。それだけは普通に美味い。

 ちなみにこの紅茶を淹れた者は、横の産廃(カレー)の製造者、ユリウス氏である。

 

「おのれ、彼の王のみならず英国を、ひいては我が祖国ブリテンをも愚弄するとは。やはり悪魔、その口先は聞き入れ難い。

 進言します、レオ。この悪魔は危険です。即刻、排除すべき存在かと」

 

「口を慎みなさい、ガウェイン。仮にも一度、来客として招いた相手です。配慮の欠けた言動は控えるように。

 ……それと、悪魔(カレ)の意見には概ね僕も同意しますので、今後はそれも踏まえた上で精進してください」

 

「なっ!? いけません、レオ。それは悪魔の甘言だ、耳を貸しては!」

 

「たとえ悪魔の言う事でも正論は聞き入れるべきだと僕は思いますよ」

 

「いえ、レオ。それこそ奴の罠です。いかに正論であれ、悪魔の言葉には悪意しかない。

 御覧なさい、ユリウスを。一見いつもの無表情のようですが、彼が錬成したあの異形の物体を産廃と称された時、密かに傷ついていた事を私は見逃しませんでした。

 おのれ悪魔め。王や祖国の事ばかりか、レオの実兄にして我が同胞たるユリウスまでも侮辱するとは!」

 

「いえ、ガウェイン? おそらく、いま最後にトドメをさしたのは貴方ですよ?」

 

「いや、レオ。いいんだ。どうせ……俺のカレーなど……」

 

 色々な場所に飛び火しているが、騎士は止まらない。

 彼は別にふざけてなどいない。いたって真剣であり、天然であった。

 

「もはや私の我慢も限度がきました。これ以上の暴言は見過ごせない。

 ―――― 聖 剣 の 使 用 許 可 を !」

 

 ついに聖剣まで抜き出した。その眼は本気(マジ)だった。

 

「ハハハハ、ガウェイン。ちょっと黙っていましょうか。

 神野明影。些か話の脱線が過ぎるようです。そろそろ本題に入っては?」

 

「そうだね。読者(みんな)もいい加減この展開にはうんざりしている頃だろうし、本筋に戻ろうか」

 

 もはや茶番でしかないやり取りを強引に打ち切って、神野は話を本筋に引き戻した。

 

「ええ。そうしてもらえるとこちらも助かります。でないと、いつ太陽の聖剣(ガラティーン)があなたを焼き払うか分かりませんので」

 

「それは僕も困る。要求は手短に伝えさせてもらおう。

 単刀直入に話すとだ、君たちには"岸波白野"たちの保護をお願いしたい」

 

「ほう?」

 

「というのも、彼等はちょっと厄介なのに目をつけられていてね。ほら、あの色々と残念で直情なあの娘だよ。

 このままだと早晩、彼等は呆気なく呑まれてしまいそうなんだ。彼女の勢力に対抗できるのは、この裏側で君たちくらいだろう。どうか守ってあげてほしい」

 

「解せませんね。それをあなたが言うのですか?

 あなたの中立という発言を鵜呑みにするわけではありませんが、そうまで肩入れする事はその道理に適わないのでは?」

 

「中立であればこそ、と思ってほしいな。悪魔(ぼく)の役割は狂言回しであり、演出家だ。場を整えより良い演出に持っていくのが仕事なんだよ。

 初期状態から強い君たちと違って、彼等は底辺から這い上がってくるタイプだろう。そんな主役が開幕からとんでもないのと当たらないよう、調整する裏方が必要なのさ。

 我が主も大好きな彼等のことだ。早々に脱落させないよう、手を貸してほしいな」

 

 神野明影は敵だ。それは断言して言える。

 だが単純に打倒するかされるかで済ませられる相手かと言えば、そうではない。

 自称した通り、彼は狂言回しであり、演出家。たとえ動機の根底が悪意であろうとも、演出のためならば味方となる事もあり得る。

 

 忘れてはならない。この悪魔の主は甘粕正彦である。

 人々を愛して敬い、その上で裁きの試練を下す絶対神にも等しい感性。

 人を逸脱した超越者の趣向とは、端的にいってお構いなしなのだ。常人の理解の範疇など軽く飛び越えて、己のみの道理の上で動いている。

 理解し難い采配も不思議ではない。そこには彼なりの道理があり、それを他人が理解できないだけなのだから。

 

 そう、不思議ではないのだ。岸波白野を守るかのような行動も、あり得ないものではない。

 真っ当ではないにせよ、納得できるだけの要素は一応揃っている。聞き入れる事もそう難しいものではなかった。

 

「聞き入れるわけにはいきませんね。神野明影、それはあなたの真意ですか?」

 

 それを踏まえた上で、少年王は悪魔の申し出に否だと答えた。

 

「……へえ? 岸波白野(かれら)を引き入れたいのは、むしろ君たちのはずだけど?」

 

「さて、どうでしょうか。それにしても、他人の真意は晒しながら、自らは詭弁で逃れようとは看過できません」

 

「言ってくれるじゃないか。僕が嘘をついていると?」

 

「嘘ではないのでしょう。しかし真実も話してはいない。あなたが語ったのは、一面の事実に過ぎません」

 

 強く断言して、少年王は悪魔の言葉を否定する。

 人を惑わす悪魔の甘言。それにも完全なる王聖は揺るがない。

 

「……続けなよ」

 

「あなたが話すBB、彼女の岸波さんへの執着は知っています。()()()()()()()()()()、彼女は岸波さんの確保に動くでしょう。それが彼等にとって望ましくない事であろうと。

 ならば僕らで保護せよと、あなたは言う。だがその場合、僕たちと彼女との対立は明確なものとなる」

 

「それの何が問題だと? 君たちもう対立してるじゃない。今更要因が1つ増えたところで、大した違いはないんじゃないの?」

 

「大した違いだと思わないのは、僕らの主観に過ぎない。彼女の執着を侮るつもりはありません。もし明確な敵と味方の図式が出来上がってしまえば、果たして何をしてくるか。

 ――そうやって彼女を追い詰める事が、あなたの本当の目的ではないのですか?」

 

 その問いは、窺い知れぬ混沌(べんぼう)の闇を貫く光明であったのか。

 問い掛けられた瞬間、常に道化の体裁を崩さなかった神野明影に緊張が走っていた。

 

「……分からないね。そんな事に、なんの意味が?」

 

「さあ。しかし、()()()()()()()()()()()()()()

 BBが岸波さんに執着するばかりじゃない。あなた自身、彼女に対して執着があると見えたもので」

 

 沈黙。常に悪意の伴う戯言を吐き出していた悪魔の口が、そうとしか呼べない様で押し黙る。

 表情には何もない。相手を嘲笑して憚らなかった面貌からは、一切の感情が抜け落ちている。

 それは悪魔の急所を突いたが故の反応であったのか。だが同時に、その静けさは逆鱗を踏まれた竜の怒りの前兆にも思えて――

 

「うっくくく、きひひひひ、ひひひははははは、きひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ――――!!!!!」

 

 轟いたものは、耳を割らんばかりの哄笑。

 それは果たして怒っているのか喜んでいるのか。その感情は敬意か敵意か。

 もはや判別できない。滅茶苦茶に混ぜ合わされた感情の混沌(べんぼう)が笑いという形で吐き出される。

 その無貌に亀裂を生じさせ、耳に届くほどに口を裂けさせながら、神野明影は爆笑していた。

 

「ああ良いよ、いいだろうさ。要するに言う通りに動いてもいいから見返りをよこせと、落としどころとしてはその辺りだろう?

 言ってごらんよ。内容次第だが、よほどの事でない限りは応えようじゃないか」

 

 狂言回しの戯言としてではなく、神野自らから引き出したその言質。

 先の問い掛けは、確かに悪魔の真意に迫っていたのだ。だからこそ彼の方から譲歩を口にした。

 無視して更に追求する事も可能だろうが、そうなれば神野とて本気となるだろう。未だにこの悪神の底は読めていない。

 

 故に、ここが分水嶺。

 交渉での優位は得たのだから、レオの方も不満もない。

 元よりこれは、"ある情報"を引き出すために仕掛けたものであるのだから。

 

「ならばこちらから求める事はひとつ。この質問に答えていただきたい」

 

「なんだい?」

 

 

「――――"第七層"には、何が在るのですか?」

 

 

 その質問を口にした時、今度は少年王の陣営に緊張の火花が走る。

 彼等にとって、その内容はそれだけ重大な関心事である事の証左だった。

 

「月の裏側は表側と表裏一体。表側に7つの海が存在したように、この裏側も7つの階層に分かれています」

 

 月の内部に作られた7つの階層(エリア)を舞台として行われる、表側の聖杯戦争。

 マスターは各々の舞台で一騎打ちを行い、勝者だけがより深層へと潜っていく。

 それらの階層(エリア)は7つの海と呼称され、それぞれ異なる電子の海で魔術師(ウィザード)たちの戦いは繰り広げられるのだ。

 

 この月の裏側とて、それは同じ。

 表側がそうであるように、裏側も大きく分けて7つの階層に分けられる。

 より細分化していけばまた異なるだろうが、明確に境界の分けられた区分としては7つである。

 

「現在、僕たちが拠点を置いている第五層。BBの勢力が支配する第六層。

 五層と六層の境界には虚数情報で満たされた影の沼が広がっています。恐らく、BBの足止めなのでしょうが。

 こちらも解析と攻略を進めてはいますが、遺憾ながら後手に回っている事は否めません。

 突破するには今しばしの時間が必要となるでしょう。ならばこそ、1つの疑問があげられる」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 聖杯の獲得権に到達順は関係なく、手を届かせる機会は平等に与えられる。ですが、先だって到達する事に何の意味もないといっているわけではない。

 彼女はムーンセルの上級AIだ。あれほどの自己拡張を行えるのならば、手段などは無数にあるはず。たとえ聖杯を占有する事は不可能でも、その一端を取得する程度は可能なはずだ。

 メリットはあれどデメリットは見当たらない。向かわない理由がないのです」

 

 その事を指して、不公平とは言うまい。

 むしろ甘粕ならば当然と答えるだろう。実力であれ運であれ、後進より先駆けた者にこそ恩恵とは与えられるべきだと。

 聖杯が手に入らない事は、第六層に留まる理由にはならない。BBならば先駆けて、より多くの特権を得ようとするはずだ。

 

「考えられるのは、やらないのではなくやれない理由がある事。彼女と聖杯との間に広がる第七層、そこにその理由があるのではと考察した次第です。

 重ねて問いましょう、神野明影。第七層には何があるのですか?」

 

 即答はしない。僅かに間を置いて、感心したように神野は答えてみせた。

 

「さすが、と言うべきなんだろうね。真っ当にやって、ここまでの勢力を築けたのは大したものだ。完璧な王器という評価も妥当だろう。

 いいよ、答えよう。元より主から言伝てを受けていてね。どうせ君たちは推論だけなら既に辿り着いている。我が主は厳しい御方だがケチじゃない。

 そこに気付いたなら答えを教えてやるようにとさ。さっきの駆け引きみたいな真似しなくても、聞かれたら答えていたよ」

 

 つまりは想定内。その推論にいきつく事が試練だと、使い魔は語る。

 月の魔王は甘くない。彼はまだ全てを語ったわけではない。己の言葉を鵜呑みにするばかりの愚昧には、勝利は与えんと告げていた。

 

「ところで、我が主は結構な理想家(ロマンチスト)でね。おっと、いきなり何をと思うだろうけど、これが中々重要な理由なんだ。まあ黙って聞いてくれ。

 この裏側での聖杯戦争を始める際、128人のマスター全員を虚数(こちら)へと招いた。その時、人間の可能性を信じておられる我が主は、全員がその試練を突破する事も考えておられた。

 この裏側の戦場に、128人全員が並び立つ光景を思い描いていたのさ」

 

 まあ結果は知っての通りなわけだけど、と神野は最後に付け加えた。

 

「さて、あの御方の試練は無理難題がデフォルトだ。そんな光景を思い浮かべていた主が、用意してくる障害とは果たして如何程のものか。

 元々、第七層の先は聖杯がある最深部、いうなれば第八層だが、そこへ辿り着く前には障害があってね。ほら、このルートって本来は不正規だから。

 どれだけ時間をかけようと突破できない無限距離ってヤツで、表側のアリーナだけがこの領域を通り抜けられるという、まあまあ厄介な防衛機構さ。

 でもね、そういうロジック固めの障害っていうのは、とんち利かせりゃ案外どうにかなっちゃうもんなんだよ。それで一度突破されちゃってるし、何より主の趣味じゃない」

 

「この裏側の舞台を築くにあたり、主が想定していたのは128人のマスターが揃い立つ場合だ。そうなると、その全員が手を組む事だって考えられる。

 現に君たちが()()()()()()()()()()()。世界の王者の旗の下、生存と勝利のために一時の利害でも結束する事は十分に可能だ。

 128騎もの英霊からなる軍団だ。かつてない大戦力となるだろう。その光景は壮観だろうね」

 

「けれど、果たしてそこに強さはあるだろうか。王に、数に頼って寄り集まった者たちに、主が望む輝きが期待できるだろうか。

 いいや、無理だ。群れた意志っていうのはどうしたって鈍くなる。上に立ったの強者に縋りつき、自身で立ち向かおうとする気迫が薄まるのは避けられない。

 せっかく月の裏側に舞台を移したってのに、表側よりも弱くなるっていうんじゃ本末転倒だ。人の輝きを取り戻すため、如何なる試練が相応しいかと主は考え、そしてこう思ったのさ」

 

 次の言葉の前に、神野は一拍の間を置いた。

 それは、単に勿体振った言い回しをしているのではない。

 悪魔(しんの)ですら、それを口にする事は憚られるというように、一言に緊張をはらんでの事だった。

 

 

「128人のマスターたちに相応しい試練とは、128騎の英霊(サーヴァント)を塵殺しにできる試練でなければ意味がない」

 

 

 戦慄が走る。寒気が止まらない。

 神野の発した言霊は、巨大な重圧となってのし掛かる。

 それほどに語られた内容は険呑であり、楽観を許さない不吉さを秘めていた。

 

「教えられるのはこんなところか。言葉でいくら伝えても意味なんてないし。

 "アレ"と対峙したなら後がなくなる、そういう存在だと覚悟しておけばいい。

 まったく、彼女も本当ならそっちに掛かり切りだろうに、よくやるよねぇ」

 

「まあ、一応は僕をやり込めた君たちであるし、1つヒントをあげよう。

 ()()()()()()()。一見無理ゲーな我が主だが、本当に不可能なものを押し付けたりはしないからね。そこは信頼してくれていい」

 

 最後の台詞だけは、おどけたように緊張を緩ませて、神野は話を終えた。

 

「なるほど……とても参考になりました」

 

「満足してもらえたかい?」

 

「ええ。岸波さんの件は前向きに善処すると致します」

 

「おいおい、それは何もしませんって隠語じゃないか。彼等に因縁があるのは君たちの方だろうに、それでいいのかい?」

 

「神野明影。あなたこそ、先程から論点を外していますよ」

 

 穏やかに語るそれは、上に立つ強者としてではなく。

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイは、勝利者への"敬意"を込めて言った。

 

「あなたは保護しろというが、()()()()()()()、勝者たる彼等を保護とは、滑稽ではありませんか。

 手を結ぶ事は考えます。しかしそれは守るべき民としてではない。等しく手を交える同士としてです。

 "岸波さん"は弱くない。彼等の意思を確かめもせず、何かを取り決める事など出来はしません」

 

 かつて敗北を知らず、常勝の王として完結していた少年王(レオ)

 それは無欠ではない。恐怖という機能を持たない王は、人として重大な歪さを抱えていた。

 その王聖の正しさには穴はなく、されど生命としての強さはない。

 完璧であった天賦は、完璧でありすぎたが故に欠陥を抱えたまま見過ごされた。

 

 けれど、今の彼は知っている。

 敗北という結末を、その先にある感情を。

 何時かにあった自身が打ち負かされた記憶を、既に彼は所持していた。

 

「……そういうことか。既に歪みは正された、というわけかな?」

 

「学んだ、と言ってもらいたいですね。僕とてまだ子供です。世には学ぶべき事柄が未だ多くある事を理解しただけなのですから」

 

「"成長"を知った王聖、か。悪魔の身としてはその輝きは眩しすぎるね。

 いいだろう。この場は素直に退散するとしようか。君たちが確約しないというのなら、これ以上の交渉も無しだからね」

 

「そうですか、残念です。事前にアポイントさえあれば、当家の最高のもてなしで迎えられたのですが」

 

「それは遠慮させてもらうよ。そちらに"総出"で迎えさせては、さすがの僕も居心地が悪くなってしまいそうだ」

 

 未だ神野は悪意の底を見せてはいないが、それは彼等も同じこと。

 少年王(レオ)を筆頭に築かれた一大勢力、その戦力は月の裏側でも最大級だ。

 見せていない"切札(カード)"はまだある。如何に悪魔(しんの)だとて気軽に訪問できる場所ではなかった。

 

「ああ、そうそう。それとひとつだけ」

 

「なんですか?」

 

「――"お土産"は、忘れずにね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーウェイカレー(攻撃スキル)を満載したドラム缶をお土産に、神野明影は立ち去った。

 

「反応が喪失した。どうやら本当に退いたようだな」

 

 ありありと警戒心を隠しもせず、ユリウスは告げる。

 既に悪魔の姿はない。だがそれで油断する様子は微塵もなかった。

 

「校内にはスキャンをかけておく。何かを仕掛けた様子は無かったが、油断はできない」

 

「仕掛けられるにせよ、これで暴かれるほど容易なものではないでしょうが。

 お願いします、兄さん。可能ならば痕跡からでも、何らかの糸口が掴みたい」

 

「……奴の話、信用するのか?」

 

「あり得ないと断じるような楽観はできませんね。口先だけの偽りでしかないのならそれまでですが、恐らくは真実であるからこそ、無視はできない。

 言われるがままに動けば悲劇へと転がり、また放置したとしても事態は悪い方へと進み続ける。厄介な相手です」

 

 彼等は悪魔の存在を軽んじてはいない。

 嘲笑し甘言を弄して人を惑わす悪魔、その脅威に対する認識を怠ってはいなかった。

 

悪魔(ヤツ)のような扇動者は最も危険だ。この聖杯戦争(ころしあい)という状況では殊更な。

 可能な機会さえあれば、真っ先にでも滅ぼしてしまうべき相手だろう」

 

悪魔(アレ)が召喚された理由もそれでしょうね。僕らマスターを揺さぶり、戦闘を誘発するための。

 まあ甘粕殿からしてみれば、それもまた試練という事になるのでしょうが」

 

 あらゆる制約(ルール)から解放された裏側の戦争。

 それは全ての不正を容認する事であるが、同時に戦わないという選択もできる事を意味している。

 表側で経験した闘争という状況に戦意を折られ、あるいは他の参加者に後を託し、剣を降ろす事も選べるのだ。

 それこそが甘粕の語った意志を砕くというもの。死を強制するものはない。全てが自由意思で裏側の闘争は成り立っている。

 

 だが無論、それのみではあり得ない。

 険しき試練があってこそ輝きがあると、それが甘粕の信念であるのだから、障害もまた用意されている。

 それこそが神野明影という存在だ。天狗、魔羅(マーラ)、そうした外道堕天使の類いである。

 悪魔(じゅすへる)とはそういうものであるから、他ならぬ人類自身にそう定義されているからこそ、その言霊は人の正気を乱し、魂を魔道へと引き摺り込む。

 その悪意には目的などなく、謂わば教義そのものである。神への背信を誘い、逆説的に人の善性を証明する存在意義そのものだ。

 甘粕正彦の与える試練として、これほど適切な存在もいないだろう。悪魔の甘言を振り払い、真に善なる意志を証明される事を甘粕は望んでいる。

 

 その悪意は集合無意識による象徴(イコン)であり、故に逃れる事は困難だ。

 この裏側の聖杯戦争の監督役であり、演出家。極上の悲劇、絶望を生み出すために、あの悪魔は暗躍している。

 

「思い通りになるつもりはありませんが、行動する事を止めるわけにはいかないでしょう。何も知らないでは対抗策も練れない。

 凡そ、現状維持のままとはなりそうですが、影の攻略と調査の続行を。特に第七層に関しては警戒を厳にして当たりましょう」

 

「……岸波たちについてはどうする?」

 

「彼等に関しては、語った通りに対応しますよ。

 手を結ぶというなら歓迎しましょう。ですが、こちらから積極的に干渉はしません。彼等独自にこの裏側で動いてもらいます。

 そうやって足掻いている時の、あの人たちの強さはよく知っているでしょう、兄さん?」

 

「フッ……そうか」

 

 微笑む2人の言葉には、相手に対しての期待がある。

 元は一般人と大差ない、明らかな凡夫に過ぎない"岸波白野(かれら)"。

 けれどその芯にある強さを、()()()()()()()()()()その力を、今のレオたちは知っているから。

 

「そして、改めて貴方に感謝を。サー・ダン・ブラックモア。

 貴方のような勇士に手を取っていただけた事は、大変に心強い」

 

 そうしてレオは、そこまで輪から外れ影のように控えていた老騎士へと眼を向けた。

 

 それは深く老いを重ね、されど衰えを持たない老練された大樹。

 同じく西欧財閥の一角を担う王国の騎士、ダン・ブラックモアは不動の姿勢でそこにいた。

 

「これは、わしのような枯れた一軍人には過分な言葉だ。既にこの身に勇と呼べる強さはない。残るのは老いた果ての後悔ばかりの、羽ばたく力を失った老兵に過ぎない」

 

 その姿には年月に裏付けされた風格と芯の強靭さがある。

 彼が強者である事は疑いようのない事であったが、対して躍動と呼べる要素は感じられない。

 武人としての佇まいこそ衰えは無いが、その意志には拭えない老いが見えている。

 

 既にそのような己を悟っているように、老騎士は前に出る事なく控えていた。

 

「わしにこの戦いを勝ち抜ける器量はない。それを理解したからこそ、貴方に剣を託すのです。ハーウェイの王よ。

 もはや同じ旗の下で派閥争いなどしている事態ではない。女王陛下の御命には背く事になるが、正しい行動だと信じています」

 

「そのような貴方だから、僕には頼もしいと思えます。銃を置き、信念を持ち替えた貴方こそが必要なんです。

 軍人ではなく、騎士として。その姿勢が、この裏側で希望に繋がる光となる事を願います」

 

 そんな老騎士に対して、レオは尊敬と信頼を以て応じていた。

 

 年月の中で練磨された、その強さに心からの敬意を持って。

 意志の中に見える老いの陰りも、ひとつの美徳だというように。

 ただ王として命じる兵士ではなく、ダン・ブラックモアという個人を少年王は頼りとしていた。

 

「……失礼ながら、問いを許してもらいたい。貴方が用いる現在の方針、私のように他のマスターたちをも説き伏せ、自らの傘下として戦わずに治める、という手法。

 無論、文句などあろうはずがない。高潔なその姿勢には敬意を表している。だが、それでも敢えて尋ねたい。貴方ならば、()()()()()()()()()()()()、と。

 彼等の自由意志を尊重し、令呪を取り上げる事もせず。正しい事だとは思うが、ただ戦力を求めるのであれば、より確実な手段に訴える事も出来たのでは?」

 

 管理支配を強制するのではなく、あくまでも彼等の意思の下に説得を行う。

 その行為は高潔で、正しいものだ。誰に恥じ入る事なくそう言えるだろう。

 しかし、その暖かさはどうだろう。果たして完璧なる王に相応しいものだろうか。

 甘さ、温さとも言い換えられるそれらの感傷は、ハーウェイの王者には似合わない。

 

 老騎士はそう感じており、故に率直にその疑問を尋ねていた。

 

「そうですね。確かに貴方が感じる疑問はもっともです。

 確実性を欠いて、言うなれば人の欲望を尊重するような行為。安定を求めるハーウェイにはあり得ない道だ。

 少なくとも、以前の僕であれば決して取らなかった手段でしょう」

 

 ハーウェイの一族の集大成。生まれながらに王としての役割を求められた超越者。

 その在り方は慈悲深いものであったが、同時に人の暖かさとは無縁だった。

 人を超えた者として君臨すべき王聖。そこに人間らしさは不要なのだから。

 

 故に、その身は外道を知らずとも受け入れられないわけではない。

 現に(レオ)の隣には、ハーウェイの暗部を担う兄がいる。そこに嫌悪など微塵もない。

 如何なる非道も必要とあれば許容できる。人の上に在る王者として、そうした度量も持ち合わせていた。

 

「ええ、ハーウェイであった僕ならばあり得ない。今のこれは、僕個人の我儘に近い感情だ。

 僕はこうしたいからこうしている。王である前に人として、皆さんと向き合う事を望んでいる。

 人を知らぬままに人の上に立っても、導くことなど出来はしないのだから」

 

 しかし今のレオは、それだけではなかった。

 王者として与える慈悲だけではない、そこには人としての思いやりがある。

 触れざるべき超越者ではない、同じ人間の目線に立ったレオという個人がそこにはいた。

 

「……やはり、貴方はお変わりになられた。

 表側でお会いした貴方は、正しく完成された存在だった。人ではなく王として、導く者としての在り方に不足はなく、そこに人たる弱さは無縁だった。

 今の貴方は違う。誰も介さない孤高の頂点から一歩下がり、むしろ我々(ニンゲン)の側へと近付いたような、そんな印象を受ける。

 端的に申し上げるなら、弱くなったといっても良い」

 

「……だが、不思議だ。そんな貴方だからこそ、わしは信じたいと思っている。

 女王陛下の御命に背き、貴方の幕下に降る事を良しとしたが、かつての貴方ならば内心での信頼はなかっただろう。

 これが我が祖国にとって、そして何より人として誇れる正しき道だと信じられる」

 

「歴戦を重ねた貴方にそう言っていただけるのなら、光栄です。

 貴方の言う通り、これは弱さなのでしょう。敗北という結果を受け入れて、常勝の道に黒星をつけた。それは紛れもなく弱さだ。

 ですが、悪いものではないと思っています。この弱さこそ、僕の王道に欠けていたものだった。今の僕には、かつて見えなかったものが見えている」

 

 勝利か死か、絶対の運命を強いていた表側での聖杯戦争。

 だがそこにあったのは悲劇ばかりではない。死闘の中で学びとったものも確かに存在する。

 死と共に失われたはずだったそれらの気付き。裏側に落ちた記憶の中で、彼等はそれを知った。

 

 彼等は既に己の敗北を受け入れている。

 その上で、更なる先へと歩み出そうとしているのだ。甘粕正彦が望んだ通りに。

 

「もはや活かす機会はないと思っていた。この解答を得た僕にとって、それだけが無念だった。

 けれど、こうして今、未来に繋げる機会を得ている。ならば前へと進む事に迷いはない」

 

 あり得なかった敗戦の果て、完璧なる王は弱さと共に可能性という輝きを得た。

 その眼差しは未来(さき)へと向いている。理解の無かった負の感情さえ呑み込んで、新たな少年王は君臨していた。

 

「答えの無いままに繰り返される変動。その消耗を無意味と定めた答えに変わりはありません。真に完成された管理社会の実現。この理想は揺らいでいない。

 ですが、それだけでは足りない事も思い知った。人を導くためには、人を理解して認めなくてはならない。その強さも弱さも受け入れて、有りのままの姿を。

 我々(ニンゲン)が到達すべき世界とは何か、その答えはまだ出ていない。あるいは、答えなど無いのかもしれない。それでも今の僕には、ひとつの真理を口に出来る」

 

「――ただ今日よりも、より良き明日を。

 きっとそれが、古今のあらゆる理想の根本にある祈りなのだから」

 

 故に、少年王(レオ)はその道を選んだ。

 堅実の中で安定ばかりを求めるのではない、危険の中からより大きな光を掴むのだ。

 今の彼は恐怖を知っている。常勝など無い、敗北する不条理だってあり得るのだと。

 それでも恐れる心を奮い立たせ、困難へと立ち向かう。そんな不合理さを、今の彼は愛おしく思えるから。

 

「僕はこの聖杯戦争を血を流さずに終わらせましょう。今ある命を、たとえ1つだって容易く諦めはしない。無慈悲な運命に、慈悲の手で以て抗いましょう。

 理想ばかりに行くとは思わない。この手が届かない場所もあるでしょう。だからこそ、僕では届かない場所にも届かせる、皆さんの力がある事を望みます」

 

「共に、理想の場所にまで行きましょう。これが僕の王道が刻む、本当の第一歩です」

 

 月の裏側に、王の旗が掲げられる。

 1つの王権の下、集いしは数多の勇士(マスター)英雄(サーヴァント)たち。

 真なる理想を目指す王の軍勢。暗黒の中でも輝ける光として、彼等はそこに在った。

 

 

 




 西欧財閥勢。コンセプトは正統派に超強い。

 違法改造は行わず、真っ当に英雄として活かす方針。
 すでに敗北の記憶も経験値として取得済。成長値は上限に到達してます。

 勢力としては、アポクリファのような陣営としようと思っています。
 それぞれのクラスに適応した7騎くらいのサーヴァントで、勢力を組んでいる形です。
 一応、どのサーヴァントを使おうかと構想は出来ていますが、公式で新しい鯖が面白いかもなので明言はしません。
 
 それとマスターについては名付き以外はほぼ描写はしません。
 アポクリファにおける"赤"の陣営のように、そこにいたのにいなかった状態にしようかと。
 まあ、彼等はすでに降伏したので、サーヴァントだけ働かせて後はレオたちに任せてると、そんな感じで処理しておいてください。
 ぶっちゃけると、ただでさえキャラが増えまくってるのに、これ以上余計に出してたら収集がつかないので(なら出すなよ)。

 とりあえず次回でBB勢の話をやって、CCC編はいったん切ります。
 次の話で風呂敷は広げ終わった状態になるので、後はどうやって畳んでいくかの話になります。
 まずはEXTRA編の方から終わらせる方針で、先に甘粕とEXTRAマスター勢との掛け合いをやっていこうかと。
 

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