もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら 作:ヘルシーテツオ
聖杯戦争の決着とは、敗者の"死"という絶対の断絶である。
魂に重きを置く
観測の権化たるムーンセルに慈悲はない。ただ作業の行程として、粛々と容赦なく執行される。
生存の望みはない。この月の戦場において、ムーンセルの決定とは神の意思に等しい。如何に優れた魔術師でも、一人の力では絶対に逃れられないよう出来ている。
死は、あらゆる生命が、やがて辿り着く結末。
それは最大の未知であり、故に最悪の絶望である。
避けられないと知りながら、本能はそれを遠ざけようとする。たとえ一分、一秒でも、限りある生の永続を図るのだ。
知恵を得た人類は、それ故に恐怖もまた思い知った。未知なる未来を思い描ける想像力が、やがて至る絶望の在り処に気付かせてしまった。
各地に描かれる死後世界の概念は、死の先に向けた人の祈りであり、結末への緩衝材だ。決して理解できないものを定義して、いつか訪れる恐怖を和らげる。
命と死は、背中合わせでありながら、永遠に顔を合わせる事のないものだから。未来とは不確かで、一秒先には自分が滅びているかもしれないという"もしも"。そんな恐ろしい想像に至ってしまえば、人はきっと耐えられない。
"
決して逃れられないものだからこそ、最期の刻までを懸命に生きるべし。
絶望より人を救うのは、その祈り。己の生には確かな意味があったのだと、その納得こそが魂を安息へと導くのだ。
「――ほう。そうくるか」
絶望に打ち勝つ勇気、それを人に抱かせるのは意味の有無。
自分が何のためにここにいるのか、その問いに確固たる答えを出せた時、人は恐怖を超越する。
たとえ自らの終わりが見えていたとしても、答えを得た魂はその最期まで決して足掻きを止めないだろう。
「いい顔をしているな。そそられるよ。それは運命に屈した者の顔ではない。
だが、事実として我らの聖杯戦争は決着した。心苦しいが、それはもはや覆るまい。この期に及んで、おまえは何のために抗うのだ? なあ、臥藤門司よ」
「無論、我が生の意義のために。迷える衆生を導かんとした僧として、そして何よりも"オレ"という私人として、果たすべき意義をここに見出した。
もはや再起は叶わず、結末は動かない。敗北の咎ならば甘んじて受け入れる所存であり、それは修羅の道を歩むと決めた時には自戒しておったこと。
閻魔の裁きを受ける心構えは出来ておる。が、これを果たさずに我が生涯を終えること、それは断じて許容できん。それでは死んでも死にきれんと言うものよ」
聖杯戦争に敗北したガトーに、訪れる終わりを回避する術はない。
彼が行ったのはあくまで延命措置、猶予の時間を長引かせるだけであり、結末は変わらない。
恐怖はあるはずだ。自らの破滅を予感して、心は絶望を感じていることだろう。
だというのに、ガトーの様子に悲嘆は見られない。
面持ちは静謐に、真っ直ぐと対峙する相手を見つめている。
自らの運命を下した者である。互いの祈りを懸けて、凄絶な死闘を演じた敵対者だ。
それなのに、ガトーの眼に甘粕への敵意、憎しみは見られない。あるのはただ穏やかな、覚者の荘厳と見粉うような、全てを悟り尽くした姿だけだ。
「こうなった今だからこそ、オレには自らの思いがはっきりと分かる。己が何をしたいのか、その正直なところがようやくになって見えたのだ」
「ふむ。ならば今までの願いは偽りだったと? おまえの信心に懸ける情熱には、確かなものを感じたのだが」
「そうではない。我が神への祈りには一片の嘘もない。後悔の思いなど今でも僅かとて抱いてはおらん。
だからこそなのだ。我が祈りが偽りなく本物なれば、それ以外を見ることを忘れていた。いや、触れてはならんと自らを戒めていた。己が志したのは修羅道である故に、やがて断ち切る絆など懊悩にしかならんとな。
おぬしのように、敵意さえ越えたところで友誼を描けておれば、こうはならなかったのであろうがな。そこは我が未熟の為すところ、オレは未だ我執を捨てきれてはおらん。涅槃の境地には遠いものと自覚しておる」
仏教に曰く、生の苦しみとは即ち、執着を持つが故の苦しみである。
何故、生きる事はこんなにも苦しいのか。その問に一人の救世者は、願いへの執着にあると解答を見出した。
執着を持つから、無くなる事を恐れるようになる。その恐怖が疑心となり、害意となって、この世界を生き辛くさせている要因となるのだと。
究極、その教義は生きる事を肯定していない。悟りの完成にして道の到達点とは、生の執着を捨てる事。生きたいと願いを持つから苦しくなるのなら、そもそも生きたいと願わなければよい。
言葉にすれば容易く、実践するのはあまりにも難しい。ともすれば、それは願いそのものの否定とも成り得てしまうから。その願いを尊いと思えばこそ、捨てる事は未練であり、真面目に励む者にとっては単なる諦めだとも取れてしまう。
「だが、こうして終わりを知る段となり、少しはその境地へと近づけたように思える。
信仰への執着、命への執着、どれも叶わぬものと分かっておれば、あとは開き直るだけであろう?
我が心、今こそ真の自由を得たり。素直に感じる思いのまま、為すべきところを為すとしようぞ」
生の執着を捨て、真に己の生の意味するところを知った時、本当の自由を得る。
その心は何物にも縛られていない。祈りの道を阻む敵対者ではなく、もっと素直にその人間のこと、その個人の有り様の何たるかを感じることが出来る。
「――甘粕正彦。孤高なりし強者、揺るぎなき道の覚者よ。
おぬしは正しい。戦いの本義を語り、人としての執着より解脱した様は、悟りの仏心にも通じておる。
そのようなおぬしだからこそ、伝えたいと願う。駆け抜ける中途で取り零したであろう多くのこと、散り逝くこの身の猶予を以て、これより先も生者の道を歩むおぬしに、意義ある教えを授けてやりたいと思うのだ」
静謐さから切り替わり、宣誓と共に向けられる感情の名は、闘志。
教授するという言と反し、剣呑さを宿していく様は矛盾しているようにも見えるだろう。
だが、ことこの男に限るのならば。
甘粕正彦。試練の祈り、殴り合いこそ真の語らいと道理を説く者。
彼ならば、そんな矛盾をも歓待するだろう。無粋に問いかける真似などせず、まず激突することを善しとする。
ガトーが語る意味、生の執着を越えて得た覚悟、それがどのようなものかは甘粕にも分かっていない。それでも、その輝きの強さは否が応でも伝わっていたから。
甘粕の掲げる絶対値主義。輝きと称するに値する意志の強さを伴えば、その性質の如何も問わない。これぞ光と認め、更なる輝きのために勇者はぶつかる事を望んでいる。
故に、甘粕正彦への教授ならば、この道こそが最適解。
前への一歩を踏み出したガトーに対し、躊躇なく応じる甘粕。
交錯する視線。互いを正面に置いて、決して意識から外さない。
彼らは退かない。退く道理がない。あるのは激突を了承する強い決意。愚かであり無意味とさえ言えるこの行いの先にこそ、望んでいるものがあると確信している。
理屈を説くだけでは伝えられない事もある。道理より信念に生きる男たちのこと、その激突は百の言葉を語るよりも雄弁に、互いの意志を伝えるだろう。
気付けば、両者の間合いは既に至近。
きっかけとなる前兆はなく、それでも互いに仕掛けるのはほぼ同時に。
振り上げる拳に思いを乗せて、漢たちは激突を開始した。
「オオオオオオオオ――――!!!!」
「おおおおおおおお――――!!!!」
吼える雄叫びが轟いて、奔る剛拳の衝撃が大気を鳴らす。
退くことを知らず、前へ前へと踏み込んで、殴る、殴る、殴る。
止むことなき拳の応酬。互いの信念を問うように、どれだけの苦痛にも断固として屈しない。あらゆる雑念を振り切って、馬鹿げた殴り合いを継続させていく。
本来、彼ら二人の身体はとうに限界に達している。
互いに奇跡を行使してまで貫いた激戦、それほどの死闘の後に残っているものなど何も無い。
魔術の行使など論外。精根まで尽き果てた満身創痍の心身は、即座に倒れることを選択しても何らおかしなことではない。
これ以上の無理を強いれば、それこそ破滅にも繋がるだろう。既に敗北が決しているガトーはともかく、まだ先のある甘粕にとっては無益どころか害悪ですらある。道理で考えれば付き合う必要などなく、速やかな休息こそが最良なのは間違いない。
当の本人とて、そんな事は承知している。
承知しながら、勝利者たる甘粕は止めようとしないのだ。
吐き出されるのは道理など無視した感情の放流。迸っていく血潮の熱さに従って、望むままにその意気を爆発させていた。
「はは、はははは、あははははははははははァァ――――!!!!」
哄笑を轟かせながら、相手の顔面へと叩き込む右ストレート。
一撃の決まりには骨を砕く手応えを確かに感じたが、相手も負けじとカウンターを返してくる。
突き刺さる拳に鮮血が飛び散るが、微塵さえも怯まない。むしろ更なる感情の昂ぶりを見せて、甘粕は拳の応酬へと興じていく。
愉しい。ああ、愉快だな。なんて素晴らしい時間だろう。
殴り、殴られ、苦痛をその身に感じていながら、魔王が如き男が表す激情はそれ一色。
快活に、嘘偽りなく、甘粕正彦はこの戦いを愉しんでいる。喰らう拳の重みが、喰らわせる拳の熱さが、堪らない高揚を男にもたらしていた。
「さあ、覚悟を込めて、己の信条を謳うがいい!」
巨漢の身体さえ打ち上げる拳打の一撃を見舞いながら、甘粕は告げる。
燃える気概を、輝かしい雄姿を、ここに開帳してみせてくれと己の欲求を高らかに謳った。
「ここまでやるのだ。何も無いなどという事はないだろう。この俺に何かしらの不満があり、故にそれを喝破せしめんと意気を燃やしているのだろうが。
口舌の刃もまた闘争だ。矜持を揺るがすその斬れ味は、時に拳を上回る重い威力を持つ。ならば信念が宿したその鋭さ、ここに示してみせずして何とする」
譲れない思い、護らねばならない信条、個人としての矜持の境界に引かれた一線。
その一線同士が触れ合い、両立が不可能となった場合、人は争いへと転じていく。
食糧、縄張り、生存への欲求など、単なる本能の領域にはない理由で戦いを始められる動物は人間だけだ。
十人十色の意思を持つ人だからこそ、不可侵の一線となるものも千差万別。だからこそ普遍的に成り立つ道理というものが存在せず、侵犯した意思同士がぶつかり合うのだ。
人の闘争概念の原点にあるもの。それは個人でも、総体となって膨れ上がった国家でも同じ。たとえ尺度が違っても、譲れない境界が犯されたという理由は等しくあるだろう。
ならば、逆説的に言えば、境界の先に物申すためには、人は争わなければならない。
そこに認め難い矜持があり、それが相手にとっての境界の内にあるものならば、異議を唱えるためには境界を犯す必要がある。
一線を越えて相手の心情に踏み込めば、当然反撃だって受けるだろう。だが同時に、一線を越える覚悟も持たないままで、届く思いなど何もないのだ。
「俺の理想は受け入れられんか? 人の身で試練を与えるなど傲慢か? ああ、何だろうが確かな意志ある言葉ならば受け止めよう。
否定であれ、侮蔑であれ、まずはおまえの言葉を聞かせてくれ」
殴るから、殴り返される。
その痛みが本物だから、人は真剣になれるのだ。
幾度となく語った道理、甘粕の掲げる試練の祈りも、真髄はそこにあるから。
そんな本気の思いこそ、何よりも愛する光。それを目にするためならば、甘粕正彦は何だってするだろう。
「拳と言葉に思いを乗せて、見事にこの俺を砕いてみせろ! 俺に人間賛歌を歌わせてくれぇ!!」
よって魔王を謳う男は、その矜持のままに拳を振るう。
越え難い試練、極大の災禍の存在こそ、人の勇気を輝かせる何よりの起爆剤。
人の勇気を愛するためなら、挑まれる魔王にもなってみせよう。その意気が込められた剛拳が、容赦のない破壊をもたらすべく放たれた。
「たわけぇ!!
そのような愛に狂った喜悦に対し、断固譲らぬ信念を吐いてガトーは答える。
破滅的な魔王の拳を迎撃するのは、怖れを乗り越えた勇者の拳だ。
受ける一撃の威力は途方もなく重い。
肉が潰れ、骨がひしゃげて、魂にまで響いてくるかのような衝撃だ。
それでもガトーは退かない。痛みを呑み込めるのは、遂げなければならない思いがあるから。自らで定めた意味のため、どんな苦痛も耐え抜いて拳を振りかざす。
「勘違いするなよ。オレがこうしておるのは、おぬしの思想や人格を貶める意図があってのものではない!」
理由にあるのは、敵意ではない。
認め難いから否定する。阻む邪魔者だから排除する。そうした敵対する何某かへと向ける反感情が、この闘争に根差したものではないと。
むしろ、その真逆。否定とは正反対の理由でもって、ここに拳を懸けているのだと気概の熱さが伝えている。
「正しいと、そう言ったであろう。ああ、確かに人が人を裁こうなど傲慢でしかあるまい。だがな、同時に決して否定できん真理であるのも間違いない。
人類とは、否、そもそも生命とは強いられねば動かないもの。環境が満ち足りておれば進歩、進化などそもそも必要としない。動植物は言うに及ばず、管理社会という安寧を手にした人類が、わざわざ自らを厳しい環境に追いやるわけもなし。たとえ遥かな先にあるのが緩やかな壊死だとしても、差し迫らねば否定を口にする者など稀少例に過ぎぬ。
正直に告白すれば、おぬしの祈りの何たるかを聞かされた時、内心ではオレも共感していたよ。各地を渡り歩く旅路の中、まざまざと見せられた人々の姿、箱庭の楽園にて無味無臭に腐っていく停滞の毒は何度も見てきた。
これが果てかと、人はこのように終わるのかと、結末にまで思い至れば試練の祈りも止むなしと言えようさ」
人々に、自分というものをしかと持つ勇気を手にしてほしい。甘粕の祈りの根底にあるのは、真実それだけの願いである。
試練という名の災禍をもたらす事は、確かに度し難い事だろう。ならばその思想は万人から理解されず、共感も得られないものかと言えば、そういうわけではない。
決して狂人の道理ではないのだ。ある意味では単純明快な理屈ですらある。その祈りを肯定し、思想に共感する人種は決して珍しいものではない。
安定しすぎた日常にもどかしさを感じる者。もっと全身全霊の生を謳歌したいと願う者。管理社会という閉塞した安寧の中では、甘粕正彦の賛同者はむしろ増加する傾向にあるはずだ。
他ならぬガトーが、そんな思想の賛同者である。
惰性を嫌い、精進を良しとする気質。理屈の勝算など振り切って、逆境を越えるものとして捉え、命を賭して道を邁進する求道僧。
次々と降り掛かる試練さえ、臥藤門司という男は真価を発揮しながら挑み続けるだろう。そうした性質を有している以上、内心での共感は必然だった。
「これはまた。よもや同意を返してくれるとは思っていなかった。多くの者に反論を受けてきた祈りなものでね。諦めるつもりは毛頭ないが、頷いてもらえるとは珍しい。
だが、ならばおまえは何を語る? 死に体の身を奮い立たせ、確たる闘志を拳に乗せて俺に挑み掛かるのは、一体どのような結論からだ?」
だから、賛同を示しながら向かってくる男へと、甘粕は一撃を見舞いながら尋ねた。
拳を振り上げる事は、つまるところ暴力だ。源泉にあるのが義憤であれ悪意であれ、そこには相手を屈服させようとする意図が伴われる。
信念を論じ合わせるのも、相手の思想に受け入れ難い部分があるからだ。初めから祈りに共感し、思想内容に同意を示すのなら、わざわざ闘争の形を取る必要はない。
何を伝えようというのか、ガトーの意志の内容が見えてこない。その絶対値に疑いはないが、ならばこそその心中も知りたがるのは当然の流れだろう。
「……我が神のためではない。祈りの如何も今この時のみは捨て置こう。もはや敗北を喫したオレに、それを関知する資格はあるまい。
「分からんな。それは否定とどう違う?看過できんのなら、つまりは否定し矯正したいという事ではないのか?」
「――違うとも。
別に、おまえを変えたいわけではない。正しいと認めたし、思想には共感したと既に言った。
ただ、眼、がな。あくまでもオレ個人としてだが、おまえからの眼差しが気に入らんと言っている。その万人等しく向ける視線が、我慢ならんと言っているのだ。
ああ、分かり易く言い直そうか? つまり、オレはな――――」
受けた拳の威力に揺れる身体を気力で支え、ガトーは拳を握り締めた。
肉に食い込むほどに握り込まれた力は、反骨の心が生み出すもの。睨むように見据えるのは、喜悦に染まった甘粕が向けてくる眼だ。
相手の意志の強さに期待し、輝きを放つ奮闘を熱望する。向けられるのが共感でも排撃でも、等しく愛してしまえる超越者の如き価値観。
誰に対しても同じ。
吼えるように言葉を告げた。
「――――オレはぁ、
言葉と共に、相手へと繰り出す鉄拳の一撃。
熱き一打を受け止めながら、変わらず甘粕は言葉を返す。
「友だと? おかしな事を言う。改めてなるまでもない。俺はおまえを、心からの友だと思っているぞ。
曲げぬ信条をその意志に宿し、苦行を越えて自らの求道を邁進する益荒男よ。まさしく同胞だ。俺にとって、おまえは勇気の在り処を同じくする同志に他ならん。
そんな男が、果敢にも俺へと挑んでくる。これぞ"
そして賛辞と共にくれてやるのは、受けた鉄拳をも上回る破格の一撃。
深々と抉り込まれ、心身を貫き通すその威力。それは体機能を根こそぎ破壊していくのみに留まらず、決意したはずの意志までも折りにかかる。
その拳のあまりの重さが、宿った意志の灼熱が、勇者の覚悟さえも圧倒してくる。こんなものには敵わないと、否応無しにその心へ認めさせるべく訴えるのだ。
残された気力同士の激突であっても、悲しいかな格差は現れている。
もはや認めるしかないだろう。魔術師としての素養、戦闘者としての技能、それらの要素を排した上でも、ガトーの強さは甘粕に劣るのだ。
断じてガトーが脆弱なのではない。彼は十分に強く、人間の最高峰と謳うのにも不足はない。ただ、甘粕正彦は人間の枠組みさえ逸脱しかねないほど、例外的に強すぎる。
超越者が如き振る舞いも、そういう意味では正当だ。彼という男は偽りなく破格の強者、凡夫と同じ視点で強さを測る事自体が間違いである。
魔王の器を持つ者が、遍く凡俗の者たちと対等に在れる道理はない。
人々の大半は、降り掛かる災禍に対し座して待つ事しか出来ない。そして降り掛かったその後で、苦痛と恐怖に押されながらようやく奮起の機会を得る。
言い換えるなら、それらは総じて受身の姿勢。災禍が無ければ人は動かず、安寧の約束は輝きを曇らせる。故に、そのような"
「だから――それが、我慢ならん言っておるのだ大馬鹿者がぁぁぁぁッ!!」
圧倒されかけた意気を跳ね返して、喝破と共に放つ気迫の一打。
甘粕がそういう態度を取り続ける限り、憤激は勢いを増していく。意地でも倒れまいと覚悟を新たに、拳による応酬を続行していく。
「こんな友誼の形しか知らんのだろう? おぬしにとっては誰もが弱く、怠惰で、己の魂を腐らせてばかりだから。そんな中から脱却した者を勇気ある者と称賛する。
たとえそれが悪意と知り、己に向けられる憎悪であるとしても、等しくおまえにとっての愛すべき"
だが、気付かぬか? 結局のところ、それは弱者を強者の枠組みに移しただけであると。個人の思想を理解し、その価値を正しく認めておるようで、その実ただの平行線を辿っておる。強さだけが基準ならば、貴賎の差などどうでもよいと」
己の思想に否と叫ぶ益荒男も、己を利用し奪い尽くしてやろうと憎悪する悪逆の徒も、甘粕正彦にとっては等しく輝きであり憧れであり友である。
弱者と強者を分つ境界線、それを絶対値が越えたから。その時点で甘粕にとっての愛する条件を満たし、思想に関係なく惜しみのない称賛を彼は告げる。
理解していながら、見ていない。思想の如何など何でもよい。好意を抱いた相手の考えを否定したくないと考えるのは、ごく当たり前の人間の心理だろう。
そんな、ある意味で無節操とも言える価値基準に至ったのも、甘粕自身の揺るぎない強者としての在り方に依るもの。生身の人間でありながら、人間を越えた超越者の如き価値観、それを不自然と感じさせない自然体の生き様こそ、彼の孤高の源泉だ。
義憤でも悪意でも構わない。求めるのは輝きに足り得る絶対値。
生まれながらの強者である男には、その強度がなければ繋がりさえ見えないから。
たとえ殴り掛かられようとも、そこに愛するに足る本気の意志が宿っているならば良し。その痛みだけが、孤独な強者に人々との繋がりを実感させてくれる。
「それは違う。違うのだ。どれも等しく同じであるなら、そもそも友誼に意味など無い!
親愛に悪意で応える者、これは断じて友ではない! 異なる思想より否定によって対立する者、これも断じて友ではない! 絆を育んだ友と、対立の図式を敷いた敵とを同じとしてはならん。そこに在る事を許そうとせぬ間柄を、友と呼んだりはせぬのだ」
それは本来、語るまでもない当然の道理。
それを"友"と呼ぶのなら、そんなものは上位者故の驕り、傲慢から発するもの。
魔王がどれだけ自らの道理を語ろうと、敵対する側からすれば一蹴するだけの戯れ言。死に物狂いで足掻く弱者が、そんな強者の理論に付き合うはずもない。
双方向ではなく、一方通行で終わる感情だ。それを指してあるべき友情であるなどと、どう考えても言えはしないだろう。
「共に生きる時間を良しと出来る。その助けとなれる事を喜びと感じられる。たとえ認められぬところがあろうとも、そこで手放さない事を選べる者こそ、本当の"友"である!
互いが互いの隣に在り、"ああ、ここには己の居場所があるのだな"と、そう安心できたその時に、そこには"友情"が生まれたのだと高らかに唄えよう!」
そう、そんなことは当たり前なのだ。
きっと誰だって知っている。互いに対等な相手を持つ人ならば、その理屈を僅かさえも解さないほうがどうかしている。
そんな道理を、
「見たか、聞いたかこの真理を! 数多の教えを学んできたオレであるが、これほどに意義ある説法にはなかなかお目にかかれまい!
そう、こんな当たり前を、ついぞ知らぬままに過ごしてきたのがオレたちよ。おまえも、オレも、どれだけ果敢に意気を燃やし、不可能などというイイワケを幾度打ち砕いてみせたとしても、"居場所"と呼べる在り処には巡り会う事が出来なかった。
こればかりは如何に勝利を手にしようともどうにもならん。その感情は一方のみではなく、双方向でこそ成り立つものであるが故に。己の意ばかり罷り通っても行き着けぬのは自明。ただ精進の正しさばかり追い求めていたオレたちでは、得られる道理なき光であろうよ!」
甘粕正彦と臥藤門司。彼ら二人の生き方はよく似ている。
純真で、正しく、真っ直ぐすぎる漢の生き様。故にその厳しさは他人に理解されるものではなかった。
難儀な性を持っていたのはガトーも同じ。不純を、弱さをそのまま善しとは出来ない融通の利かなさ。行き過ぎた正道への希求は甘粕にもあるもので、だからこそ彼らの出会いはあり得なかった同志との邂逅でもあった。
「しかしだ、そのような有り様だったオレに、一つ意外と感じられる事があった。
あの予選を覚えておるか? 偽りの記憶を与えられ、偽りの日常を甘受させ、関係の全ては欺瞞。そんな日々に意味などあるわけもなし、さっさと解脱して先へ進むのが常のオレにとっての当然であったはず。
だというのに、オレはそこに奇妙な居心地の良さを感じていた。怠惰でしか無いはずの時間が、何故だかひどく愉しかった。道の半ばに過ぎぬ場所が、まるで己の居場所のように思えておった。
何故、よりにもよって実にならぬ虚構などに、地上でも縁のなかった居場所を見出したのか。自己問答の末、オレが出した結論とは――」
その眼差しを、真っ直ぐと甘粕へと向けて、ガトーは答えを口にした。
「――そこにおまえがいたからだ、甘粕正彦よ」
同じ時間、同じ努力、意欲でもって為す事を己以外の誰かと共有する。
ガトーにとって、それは真実、初めての体験だ。故にその充実への驚きも、初となる実感だった。
隣には自分の理解者がいる。自分は決して独りではないのだと。誰かによって自身を認められる事が、こんなにも心を満たすということをガトーはようやく知ったのだ。
「お互いの真実を知らぬまま、知らぬからこそ馬鹿をやれた。来歴を思えば、筋などまるで通らん戯れ言で、だがそんな馬鹿をやる時間がどうしようもなく愉快だった。思わずこのまま、その時間の中に浸っていたいとさえ、オレは本心から思ってしまっていた。
その真実を覚った時、ようやくオレにも理解できた。これが"居場所"なのだと。善か悪か、正か負か、貴か賎か、そんな基準を度外視して、心を安堵させる人との繋がり。己はここに居てもよいのだと、他者から保証される事の安心感。オレが求道の中で置き去りとしてしまったものを、おまえとの間に見つけたのだ」
孤高で在る事を良しと出来る強さと、孤独に何の痛痒も受けない無感とは違う。
たとえ耐えられる強さがあっても、孤独とは苦しいのだ。他の誰とも繋がらず、何の変化もないままに在り続けるには、人の心は豊か過ぎる。
誰しも居場所を求めている。己はここに居てもいい、こうして在る事を許されているのだと。そう自らを納得させ安心を得るための在り処。
上辺だけの付き合いでは価値はない。気後れをしているようなら意味はない。その在り方を理解して、本心より対等に接する事が出来てこその"友"。そのような存在は、ただそこに居てくれるだけで救いとなる。
「のう、おまえにとっての居場所とは、孤高なる絶対の頂きにしか存在せんか?
おまえは強い。そして正しい。実に雄々しき生き方よ。魔王になると志しながら、その気質はどう見ても勇者のそれではないか。もしも世界が、悪鬼羅刹の跳梁跋扈する魔界であれば、甘粕正彦という男は人類にとっての珠玉の光として讃えられておったことだろう。
それでも、おまえはこの時代に生まれた。騒乱より安寧へ、人が神を、英雄を必要としなくなる変遷期の当事者として。あるいはおまえの祈りの通り、試練こそが運命なのやもしれん。だが、おまえとて同じ人間であるというのに、そこに友と成り得る相手が一人もいないなどと、あまりに寂しいではないか」
そして"友"だと思えばこそ、その役に立ちたいと願うのだ。
そのためにはまだ足りない。未だこれしきでは本気になりきれていない男に、その羽目を外させよう。
それでこその"友"の意義。友情とは双方向でこそ成り立つのだから、こちらだけの充足だけでは欠けているのは明らかだろう。
胸を張って堂々と"友"を名乗り上げるために。ガトーは闘志を燃やして己より強い男へと向かっていく。
「まったく難儀な事であるのも承知の上よ。なにせ、同じ穴の狢故な。
不純を許さず、惰弱を認めず、何処まで行っても突き進む事しか出来ん大馬鹿者。こうして直にぶつかって見せねば、心からの納得など得られまい。
うむ! つまりは理屈よりもフィール! 頭で考えるではなく身体と心で知るべし。そういう意味でなら、闘争を旨とするこの場所もオレたちには似合いであろう」
対峙しているのは鏡合わせの自分。
他人から無理だ駄目だと言われても、その信念を捨てられない。
諦める選択肢は始めから無いも同然、微塵と砕け散るその日まで前進を止めない破綻者たち。そんな度し難さを理解していても、自分で自分を止める術も持ち合わせない。
同じだから、敬意が沸く。
己の光を誇っているから、嫌悪など抱かない。
そして自身を通して見えるのは、相手が持つ光の強さ。
眩いばかりの輝きには、憧憬の思いさえ覚えていたから。
その思いが本心からであればこそ、こうして向き合おうとする思いも本物で、
「言葉ではなく拳で語ろう! 己の信念を懸けて偽りなくぶつかり合えば、自ずと答えは見えてくるというもの。ここでこうしている理由など、所詮はそれだけの事に過ぎん!」
そして、それだけでもガトーにとっては十分過ぎる。
終わり逝く身で顕すのは、溢れんばかりの敬愛と克己の情熱。
要は、ガトーは甘粕のような人間が好きなのだ。その強さに敬意を抱いているからこそ、認められたいと思っている。
思想の是非よりも、ただ漢として。孤高として揺るぎなく君臨する勇者の道に、臥藤門司という漢の名を刻みつけよう。
決して強制された意志ではなく、何処までも本気の思いで。煮え滾って爆発しそうな念量を拳に握り込んで、ガトーは甘粕と向かい直した。
「ふ、はははははははッ!! 相分かった! 皆まで言うなよ、ここまで言われれば阿呆でも気付く。理解したとも、得心がいったさ。双方向で共存可能な道理でなくば友情足り得ず、独りの結論でどのように喜び寿いでも、玩具を愛でるようなものだったとな。
だが、ならば示して見せてもくれるんだろう? 言われたように、人並の友誼などついぞ覚えのない身の上なのでね。教えると言ったな? 教えてくれよ。何の遠慮も無しにぶつかり合って良い関係とやら、そんな得難い相手におまえがなってくれるというのなら!
要は加減をするなというのだろう。ああ、承知した。するなと言うなら、そんな真似は誓って二度とせん。だからどうか壊れてくれるなよ? わざわざ俺に自重するなとまで言ったのだ。ここまで期待させておいて出来ませんでしたなどと、絶対に許さんと心得ろォッ!!」
言霊を吠える度、まるで一つ一つ枷が外れていくように、その存在の圧力が増していく。
ガトーが見せた克己と信条、その輝きの絶対値が、猛り狂う歓喜と共に甘粕の強さを覚醒させた。
甘粕正彦という男には、ある種の優れた検眼がある。
与える試練を調整するべく発揮される、相手の力量を見極める眼力。
稀に興が過ぎて、自らその
しかし忘れてはならないが、甘粕は元来まともな人間なのである。生まれから特異な力を持ち合わせていたわけではない。能力があるのなら、そこまでに至った理由が必ずや存在する。
恐らくその理由とは、これまでに彼がしてきた生き方そのものだろう。
絶対者が如き気質を持ちながら、あくまで人間としての生を歩んできたのが甘粕。
己の異端さを自覚しながら、時には自ら力を抑えてまで、俯瞰する観察者のような立場に身を置いてきた。
その時分で培われたのが人を見極める検眼ならば、同時に課されたのは他人に対するスタンスだ。無理強いはせず、限界点を見定めて力を調整する。それは言い換えるなら、自分自身は相手に対し本領を発揮しないという事でもある。
甘粕は
甘粕正彦の本気に見合う事柄が、これまでの彼の人生には存在しなかった。
常にブレーキを掛けながらの生き方だったから、それが常態として定着している。
要約するならそういう事で、甘粕という人間の在り方の理由である。彼もまた
裁定者の如き有り様も、言ってしまえば彼なりの処世術。馴染みきれない
それを、遠慮するなと言われた。
何を憚ることなく、
こんなにも嬉しい事はない。元より性分では無かったのだ。本当なら常に全力で、限界の一つや二つなど踏破してやりやかった。
正しくこちらの本懐を察した上での言葉、受諾を躊躇う理由は何処にもない。望み通りに"本気"で向き合う。それでこそ"対等"というものだろう。
意識の底にあった"手心"は砕かれて、それは止める術を喪失させた意志力の大炎上。
燃えるような歓喜と期待に包まれながら、甘粕正彦は繰り出す拳を加速させていった。
そして、曝される事になる過剰暴力の密度に、ガトーはその内心で辟易していた。
向けられる拳打の鋭さ、それは不意を突き、意識を揺さぶり、一撃毎に致死にも達するダメージを与えてくる。
明らかな殺しの拳だ。これだけの好感、尊敬、憧憬さえ示しながら、やってくる事は殺意に満ちている。
そうするのは無論、相手の事を信じているから。手抜かり無用、対等にと約束したから、故にこそ何の躊躇もなく殺しに掛かる。
先程までも決して手を抜いていたわけではない。ないが、それは定めた限界点に則した上でのこと。臥藤門司が可能とするであろう試練の難度、そのギリギリのラインを保っていた。
それが外れた今、その威力は明らかにガトーが対応出来るラインを越えている。もはや応酬という体も維持できず、意地でどうにか食い下がっているのがやっとという有様だ。
元々の消耗度で言えば、甘粕の方が深刻だったのだ。
魔力は尽き果て、いつ倒れてもおかしくはない。そんな極限状態であったのは確かなはず。
それが、
単に強いというだけではない。その様には異常という言葉こそ相応しい。
雄々しき勇姿は感嘆を思わせるが、直接相対するはめになった者からすれば、あらゆる道理をご都合主義に捻じ曲げる禍々しさにも感じるだろう。
勇気を奮い立たせて起き上がる? 諦めない心でもって限界を突破する? 確かにそれは輝かしい奇跡だが、現実にはまず現れない空想だ。そんなものを素で容易く実践してみせる姿には、まるでフィクションの登場人物のような不条理さがある。
ああ、これでは確かに、まともな友情など望めまい。
友とは、何よりもまず対等である事が前提だから。どれだけ意志があろうとも、力量で明確に格付けをされてしまう者とでは、その関係は務まらない。
このような理不尽な存在と張り合おうと思うなら、それこそ狂った執念の一つでも抱かなければ始まらない。その絶対値で以て対峙するしかないだろう。
繋がりを試練に見出すのも致し方ない。弱さに罪がないように、強さにも罪はない。そのような強者として生まれてしまった甘粕に、事の是非など問えはしないだろう。
「ふはははは、ハハハハハハハハハ、アッハハハハハハハハハハァッ!!!!
良いものだな、これは! 単純明快、まさしく王道、覚えがなかった我が身が恨めしいよ。
武器も魔術も、要らん要らん無粋極まる! 男の本懐に、そんなものが要るものかよ!
愉しかろう? なあ、臥藤門司よ。互いの信念と意地を懸けて、全身全霊で拳を振るう事のなんと心踊ることだろうか!」
そして、生来からの強者である男は、故に弱者の道理など弁えず愉しげに言ってのける。
それに応えるだけの余裕はない。なにせ、気を抜いたならすぐに倒れて動けなくなってしまう。
無理を覆す所業とは、つまりそういう事なのだ。無理とは出来ないからこそ無理であり、それを強引に突破すれば、代償として器そのものが削れ落ちていく。そうして削った器とは、基本として二度と元には戻らない。
断じて、意志という燃料を糧に、無限に等しく出力を取り出せる機関などではないのだ。たとえ人の想いが無限でも、それを生み出す心は酷使によって磨り減る有限のもの。
それが人としての在るべき道理。光と成れない者たちの不文律。
多分、光と成れる者というのは、誕生から運命として決まっている。後天的な意志次第だといっても、努力にだって向き不向きはあるのだから。
出来る者には出来て、出来ない者はどうやっても輝きには届かない。運命は覆せず、宿命には抗えず、定命には従うしかない。残念ながら、それが現実というものだろう。
無理は報われないし、奇跡なんて掴めない。
それが当たり前の人間というものだから、誰だってそんな事はしたくない。
意地で無理矢理に繋ぎ止めても、既に限界は見えているのだ。ならばここが限度だと認め、業腹でもそれが現実だと諦めるより他にはなく――――
「――ドゥゴラアアアアアアァァァァッ!!!!」
そんな折れかけた闘志を、気迫を吐き出し再び意地によって繋ぎ止める。
理性を塗り潰す獣性。上げる声は猛獣の咆哮のよう。諦めを認める小賢しさなどここに捨て去った。
たとえ己という器が削れ、果てに崩れ落ちるとしても構わずに。二度とは戻らないものを惜しげもなく捨てながら、臥藤門司は無謀なる挑戦を続行する。
忘れるなかれ、侮るなかれ、臥藤門司とて常人を逸脱した異常者の類い。
彼もまた光の属性を持った規格外。数理の化身たるムーンセルをして、その価値ありと認定されたスーパー求道僧である。
比較対象を変えれば、ガトーだって十分にまともじゃない。妥協を知らない純真な信念は、幾度もの奇跡を実現してきた。
思うに、臥藤門司という人間は、ひたすらに間が悪かったのだろう。
恐らく誰も、彼の救世なんて欲しくない。徳の尊さ、思いの熱さは紛れもなく本物でも、それが衆生に伝わることはなく、彼はいつだって空回り。
ガトーが間違っていたのではない。人々が間違っていたのでもない。どちらにも正当はあり、道理があった。ただそれが、肝心な所で噛み合っていなかっただけ。
もう少し妥協が出来れば、強ばった肩の力を抜けていれば、と。そう憐れむのは筋違いだ。何故なら、そんな筋金入りの頑なさこそが、臥藤門司の強さを形造った要因なのだから。
否定を一つ論破する度、逆境を一つ踏破する度、ガトーは強さを得た。勝算の有無など言い訳だと言い捨てて、不可能にも立ち向かっていく不撓不屈。結果、孤高も更に深まったが、それを理由に脚を止められるなら、そもそも走り出してもいなかった。
やはり、その気質は甘粕正彦と同類のもの。
挑まずにはいられないのだ。善しと出来るもののために、損得など抜きにして。
諦めを懐いても、魂がそれを許してくれない。頭で考えただけの理屈に納得できるのなら、彼らのような大馬鹿者など出来上がってはいない。
「――――ああ、愉しいともさぁッ!!」
だから、苦痛を感じながらそれ以上に、堪らない充実を感じているのだ。
愉しい。そう、愉しいのだ。
甘粕がそうであるように、ガトーもまた愉しんでいる。
苦痛はある。恐怖はある。目の当たりにする強さの壁に、心は絶望を覚えている。
だが、そのような逆境を認識する度、その魂を昂ぶらせて奮い立つのが臥藤門司という漢なのだ。
越え難い難事であればこそ、それに挑む。
現れる試練こそ己を高める価値。逆境とは乗り越えるためにある。
この頂きを前に、命の炎をぶつけなくてなんとする。
挑まない、なんて選択肢は無い。今この瞬間にこそ、本懐の時。元より臥藤門司とは、己が満足できる道を突き進むしか出来ないモノなのだから。
賢しく語ってみせても、本音を明かせばこんなものだ。
単純明快、当たり前すぎてまるで子供のよう。要は、自分もこういうノリが好きだから。
こんな風に誰かとぶつかり合った事がない。こんなにも熱い思いを交わした経験はついぞ無かった。
そんな相手はいなかった。自分のノリに付いて来れる者など、一人として覚えがない。
どんなに気概を燃やしても、独りきりでは不完全燃焼。思いをぶつけられる相手の存在があってこそ、燃やす魂の意義がある。
きっと、最初からこうしたかったのだ。
互いが出逢ったその瞬間から、こうして魂の友誼をぶつけ合わせたかった。
邪魔をしたのは、立場と都合。何せ、大が付くほど真面目な性分だから、願いの権利を賭けて戦う敵という図式から抜け出せなかった。
だって、それは不実であり不純だろう。聖杯戦争のマスターとしての臥藤門司は、彼の神の敬虔で絶対の信奉者なのだから。
それ以外の理由で戦うなど不忠極まる。とにかく妥協も不純も許せない男のこと、少しでも信条に反する真似が出来るわけもない。
だから、それが出来るのが今なのだろう。
聖杯戦争に敗北し、マスターとしての立場も都合も喪失した今だからこそ。
この間際だけ、素のままの臥藤門司として。心が懐いた正直な気持ちに従おう。
あと少し、今少しの猶予の間、命の灯が尽きるまで。その時が来るまで力の限りに挑んでみせようという決意しか沸いてこない。
なあ、
無いはずだ。少なくとも、オレにはない。これまでの如何なる険しき難事にも、このような迸る思いはついぞ覚えがない。
ましてや、揺らぎなき純正の強者である
ああ、不憫だな。なんと寂しいことか。試練を訴える
全力でぶつかり合える相手がいない。声高に勇気の価値を謳い、その輝きを讃えるのは、裏ではその実在を信じきれていないからではないのか?
だって、この世の人々というものは、基本として弱いものだから。
すぐに意志を違え、自らの生に妥協を許す。自分たちはこんなものだと諦めてしまう。
こちらの密度と比較すれば、信じがたい惰性だろう。歯痒さを感じたのは一度や二度では足らないはずだ。
その上で、異端なのはそちらだと言われ、歩調を合わせる事など納得できるはずがない。進歩を目指す事は正しく、努力する事は尊いはずだというのに、何故自ら堕落に向かうような真似をせねばならない。
たとえ敵意、悪意の中にでも、自分の意志力に匹敵する強さを褒め讃えずにはいられない。そんな
やはり、我らは似た者同士だ。
我々は同じ穴の狢。穴の深さに違いはあっても、どちらも
きっと他の者には理解できないだろう。このどうしようもない思いの熱が分かるのは、同類の馬鹿者だけだ。
故に、この闘争だけは"オレたち"だけの独壇場。
割り込める者がいない武闘にして舞踏。月詠の御元にて披露する舞神楽なり。
これまでになく鮮烈に、これ以上ないほど濃密に、この命を刹那の内で輝かせよう。
この充実こそが生の実感。誰よりも何よりも、この瞬間を生きるために。
「ふははははははははははぁぁぁぁ――――!!!!」
豪快な哄笑と共に、あらん限りの力でもって叩き落とされる甘粕の剛拳。
余力の有無など彼方に置き去り、繰り出される一撃は過去最強。魔道の恩恵など受けずとも、その拳は岩をも砕くだろう。
並べる理屈に意味はない。際限なき意志の魔人に、理論の道理が何になろう。ただ溢れ出る勇気と覚悟に従って、あらゆる条理を踏破していくのみ。
生来の、純正の絶対強者たる甘粕正彦ならばこその業。異能でも何でも無い、そんな馬鹿げた根性論は、当たり前だが他人に真似られるものではない。その破格ぶりを発揮し始めた甘粕に、同じ人の身で対抗する術などあるわけもなく、
「う、ぬぅむ、うおおおおおおおおおおぉぉぉぉ――――!!!!」
そのような条理に否と唱えるのは、やはり破格の信心を掲げる求道僧。
不条理を為しているわけではない。無茶の度に磨り減らした器は戻らず、崩壊は既に秒読み段階。
迷いという名の不純を含んだ強者では、絶対の強者には敵わない。その意志力は奇跡を起こせても、現実を凌駕する熱量には届かない。
されど、ガトーとて奇跡に手を届かせる漢。常人では果たし得ない強さは紛れもなく本物だ。故に、折れぬ信条がある限り何度だって立ち向かう。
意志を燃やす事にも限界はあると言った。
器の中身が底を尽けば、意志の如何など関係なく崩れ落ちると。
それは残酷なまでに正しい。しかし尽きた底から残滓をかき集め、たった一度の再起の原動力に変えるのも、やはり意志が成し遂げる御業なのだ。
僅かに残ったものを繋ぎ合わせ、燃え尽きた肉体を再び燃え上がらせて繰り出した渾身の一撃。男が全てを懸けて放つ拳が軽いものであるはずもない。
踏み出す二人の男。同時に繰り出される両者の拳。
順当に考えれば、結果は見えている。勝利とは、常に強者の手にもたらされる。
単純な強さで問うなら、甘粕正彦こそ真の強者。人の枠を越える魔王の強さは、人の範疇にある力では上回る事が叶わない。
されど、人の意志が生む力とは、時に理屈の計算を上回る。あるべき勝算を振り切って、順当な顛末をいとも容易く覆すのだ。
決して諦めない限り、人の思いは願いに届くのだと、彼らは互いに信じているのだから。
「――ぐ、が、はぁ……!?」
甘粕の拳は、ガトーを捉えなかった。
何者をも砕かん勢いで振り抜かれた剛拳。その破壊力は発揮の機を得る事なく終わる。
拳に残るのは空を透り抜けた手応えのみ。込めた思いの丈が強ければこそ、外れるはずのない一撃が外れた事は衝撃をもたらした。
退く考えなど微塵もなく、前へ前へと振り切った上での空振り。攻撃一点に傾けていた意識は、必然、防御へ向ける意識に無防備な空白を生み出した。
図らずも、その形を成したクロスカウンター。
意識の間隙を突き、覚悟を素通りして炸裂したその威力は、実に痛烈で申し分なく。
信念という名の綱さえ鋭い一撃で断ち切って、甘粕はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
「……甘粕正彦よ。どうであった?」
倒れ伏した男へ、堂と佇む男が言葉をかける。
最後に地より頭を高く置いた者こそが勝者。この構図だけを見れば、勝敗の行方がどちらであるのか一目瞭然とさえ言える。
「……ああ。実に晴々とした気分だよ。これほどの拳は初めて受けた。こうして背中から倒れる経験というのも、何とも言えぬ小気味よさを感じている」
前のめりでなく、背を地に投げ出し大の字に。
相手に晒すものとして、恐らくこれ以上はない敗北を宣言する姿勢。
事実、甘粕は動かない。晴れやかといった面持ちのまま、その声には納得さえ含ませていた。
「何を言っても陳腐になりそうだ。理想もなく、大義もない。ただ意地で以て殴り合う。それがこんなにも雄弁なものだと初めて知った。
胸に刻んだよ、臥藤門司。その名前を俺は忘れん。たとえこの先に何があろうとも、今という時の充実を忘れるものか」
「そうか。ならば一先ず、甲斐はあったな」
だが、構図とは真逆に、両者の勝敗は既に決まっている。
黒い闇に塗り潰されて、消失していくガトーの電脳体。
意外なことは何も無い。聖杯戦争に敗北した時点で、この結末はとうに決していた。
最期の交錯時、甘粕の拳を透き通した奇跡。
その真相とは、何てことはない。拳が突き刺さった箇所に、ガトーの肉体は無かっただけだ。
既に崩れているものを砕ける道理はない。死に逝く身体であるが故に、一矢を報いた。その事実だけを成果として、始まった崩壊は終わりへと向かっていく。
聖杯戦争のルールに則り、臥藤門司はここで死ぬ。
所詮は無意味な殴り合い。結果が影響を与える事はなく、敗者には消滅の運命だけがもたらされるのだ。
「どうだ、
「さて、どうであろうな? したとも、しておらんとも言える。なにせ人の未練とは次々と沸いて出てくるものであるが故に。
すっぱり入滅とはなかなかいかん。これでも業の深い身よ。至らぬ身を振り返れば、やはり無念はあるのだろうよ」
語る内容とは裏腹に、ガトーに未練を残した様子は見られない。
むしろその様は軽やかでさえある。しがらみを振り払い、一つの事を達成したガトーの心は、これまでのどんな時よりも自由だった。
「さもありなん、それが人というもの。人の生涯とは、無意味と有意味のせめぎ合いだ。
無念とは別のところに喜びもある。人生の間際、ずっと取り零してばかりだったものを満たす事が出来た。それは喜びと共に受け取るべきであろうよ。
だから、
人によれば、この顛末は無意味だと捉えるだろう。
徒労にしかならない殴打の応酬。徒らに互いを傷つけ、死出に向かうまでの時間を浪費した。
何も変わるものが無いのなら、そんなものは無意味である。その価値観もまた事実であり、道理に沿った見方の一つであった。
有意味と無意味。人の行いに、この境を見出す事は難しい。
何故なら、生の意味とはそもそも人が想像する概念だから。人以外の生命は、自らの活動に意味など求めない。
結局のところ、人に意味を与えられるのは人自身。自らの行いを有意義だと捉える事が出来たのなら、意味なんてその時点で与えられているようなものだろう。
たとえ、それで何が変わるわけではないとしても。
ガトーは消える。甘粕はその信念を違えない。満たされたのは互いの心のみ。
だがそれでいいのだろう。肯定も否定もなく、ただ通じ合うものが確かにあった。たったそれだけの事でも、ここに在る男たちには十分に意味があるものなのだ。
だから、これでいい。
甘粕正彦と臥藤門司。敵同士ではなく"友"として遺すもの。
二人の間にある決着は、この満足感だけで十分だった。
「ああ、しかし、やはり未練よなぁ……」
それでも、人の未練とは湧いて溢れ出でるものだから。
身体を覆っていく黒い闇。自身の喪失をより真に感じ取るにあたり、覚者のように自由であった心にも迷いが滲み出てくる。
「女神よ。ついに貴女は、
最期に思うのは、ガトーにとって無二である願いのこと。
彼がその身命を捧げてでも果たすと誓った、原初の女への未練だった。
純心に想い続けた願いに偽りはない。魂を懸けた思いは何処までも本物だ。
だが、それでも結局は通じ合わせる事のなかった者同士、その関係は何も遺さず消滅する。
情熱があったからこそ、取り零していた事実には悔いしかない。叶うならばやり直したいと望むのは、人ならば当然の心の動きだった。
「無念だ。叶うならば
漏れた言葉は、届かぬ願い。
叶わないと知っている。それでも口にしてしまうのは、やはり弱さなのだろう。
最期に零れた弱音、それも詮無き事と諦めるより他にない。その無念を抱え込みつつ、何とか無様を晒すまいとガトーはその眼を閉じて――
「へえ? それってどういう意味? 消える前に教えてくれない、マスターさん?」
全てを手放そうとしていた意識を、愛嬌のある女の声が繋ぎ止めていた。
「お、おおおお……ッ!?」
それは求め続けてきた望みだった。
それは手に入らなかった無念だった。
虚飾のない原始の神性。奉じるべき唯一無二なる至高のカタチ。
「これは奇跡か? 女神の思し召しが、黄泉比良坂をも越えて
「違うわよ。奇跡や神なんてふわふわしたものじゃないわ。空回りな思い込みもそれくらいにしておきなさい。
ちゃんと一回は殺されたから、こうして甦ってきただけ。その時に一度きれいに初期化して、余計なものを取り払ってきたってわけ」
アーチャーの一撃で、彼女は確かに"殺された"。
しかし、殺されはしても、それで終わりではない。星の触覚たる真祖は、たかが一度の死では殺しきれない。
たとえ死神の眼によってその死を断たれようとも、大元たる星の恩恵を受ける生命は蘇生を果たす。不死殺しのような概念を持たない純粋熱量では、その器を破壊できても修復の妨げとなる事はない。
ムーンセルは彼女の死を観測し、その敗北を決定した。だが同時に、地球側の端末である彼女を支配する権限は、ムーンセルも有してはいないのだ。
「けど、そういう思い込みの力っていうのも馬鹿に出来ないものねー。本気で私のことを神様扱いとか、ホント誰得って感じだけど。
でも実際、それで抑え込まれてた身からすると、割と凄いなーって感心させられるっていうか。うん、やっぱりアナタって見た事がない
自由奔放にして天真爛漫、明るく無邪気な様子は猫を思わせる。
狂戦士であった頃からは考えもつかない陽気さは、彼女が持つ本質である。
その性質とはファニー・ヴァンプ。血を啜る吸血種の原種でありながら、その有り様を善しとしないちぐはぐさ。愛らしくも残酷な、天然の毒婦。
「ねえ、せっかくだから聞かせてよ。純真なマイ・マスター? アナタっていう人間から見て、私の救いってどんなものだったの? 出来れば消滅する前に聞かせてちょうだい」
女の人格は陽の性質だったが、その存在は人間ではない。
死を迎えようとする自らのマスターに、いっそ酷薄なまでに無邪気な声を投げかける。そこに邪悪な嘲りは無かったが、嘆きや執着ともまた無縁だった。
星という巨大な総体を持つ身にとって、人間とは短い定命を生きる種の群れだ。その本質の部分で、彼女は決して人と共感できない。
質問の意図も、純粋な疑問への興味だろう。
それほど強く答えを欲しているわけでもない。無いなら無いで構わないと言うだろう。
彼女にとって人と過ごす時間は、夢幻に溶ける泡沫のような戯れだ。その個体の機能が停止する瞬間まで、彼女という
臥藤門司という人間と過ごすのも、そんな戯れの一時だ。だから彼女は無邪気に笑う。喪失する生命に頓着せず、不思議な人の生き様を笑うのだ。
「おお、承知致しましたぞ、原始の君よ。このモンジ、違わず御身の従僕なれば。この卑小なる身が抱きし不遜、疑念と思われるなら開帳いたそう」
そんな女の姿に、ガトーもまた笑う。
それでいい、いや、それでこそだと、陽気な人外としての有り様を良しと見る。
この相手は、臥藤門司という人間に情も執着も持っていない。それを理解しながら、気に病む様子は微塵もなかった。
「御身の威光を目の当たりとし、そこに救済を見た事に嘘はない。人の虚飾に囚われず、その都合に動かされる事のない純正。これぞ新たな教義の御柱に相応しいと」
「自然崇拝の偶像ってこと? 確かにそのチョイスならあながち間違っていないけど、でも正直、人の信仰なんて受け取っても仕方ないっていうか。神代の頃だったらともかく、今の物理法則に置き換わった世界で、祈りの力なんてたかが知れちゃっているし」
「まさしく仰る通り! もはや地上の衆生に神を敬う信心はなく、神秘と畏敬は過ぎたものとなった。捧げられる祈りは祈りでしかなく、元より人から遠く逸脱せし御身には、毒にも薬にもならぬ代物であることでありましょう。
それは事実であり、また真理でもある事だ。
そう、要は
今の世界が間違いだとしたのは、ガトー自身の意志だ。
彼女を神とすべしと考えたのも、ガトー自身の意志だ。
信仰の生き方を忘れ、管理という秩序に生命を委ねようとする人々を正すため、最も相応しい存在を崇拝の対象に据え置く。確かに道理もある。また同時に、普遍的なものとしてある思想ともまた異なる。
どれも根底にあるのは自身の価値基準。臥藤門司という人間のエゴに端を発する願いである。
「それも致し方なきこと。何処までも個の意志を希求し、それを全へと拡げるのが人の道なれば。初めから求める理解を得られずとも、それで歩みを止めるのは諦めに過ぎん。
故に、身勝手を承知しながら、あえて己の道理で
「……どうして? このカタチはヒトの似姿だけど、それでも私はヒトとは違うものよ。それが独りでいる事は当然なんじゃないの?」
「確かにそのままで在る方が御身は純粋なのやもしれぬ。だがそのために関わらぬままで在る事が正しいと、そんな結論には頷けん。
十人十色、数多持つ人の心の多様性、そんなカタチを持ち合わせながら、無機なるままでいる事こそ不自然というもの。
――少なくとも
突き詰めて考えれば、祈りの根底にはその思いがある。
信仰の意義も、救済への信念も、一瞬で忘れ去ってしまうほどの邂逅の衝撃。
ただ教義の御柱としてだけではない。まず何よりも最初に、臥藤門司は彼女という存在の美しさに魅入られた。
「果てにあるのが抱擁であれ拒絶であれ、まずは触れねばその意思さえ決められますまい。たとえ結果として怒りを買おうとも、その時は甘んじて御身にこの身命を捧げるまで。
幸福を知ってほしい。そんな己の独善で以て、
ヒトより高みにある御身が、ヒトと接するには相応の階位がいる。上位者を受け入れる人の価値観とは、即ち神への畏敬に他あるまいと」
「それで神サマ扱いってわけ? よく分からないけど、要するに理解できるカタチに嵌め込もうって事でしょう? それって、何だか無理やり篭の中に落とし込むみたいだけど、どうなの?」
「はは、いやまったく、御身よりそう指摘されれば返す言葉がない。何せ、
やはりこれはオレの我儘なのだ。かつてあれほど教義の価値のみを追い求めていた
ああ、やはり間違ってはいない。純粋さばかりであった頃よりも、この心は豊かなものを手にしている」
純粋なものは強く、美しい。
それは確かとしてある価値観で、一つの事実。
不純に囚われたものとは、ありきたりだ。雑多なものには誰でもなれて、故に強さも相応にしかならない。
純正とは孤高、独り屹然と在る姿。それは貴く、普遍とは正反する在り方だ。そのような稀少な存在に、そうでない人々は価値を見出し憧れを抱くのだ。
しかし、勘違いしてはならない。
稀少性が普遍性に勝る道理はない。それは価値基準の相違であり、強弱の測りとはなり得ない。
稀少であるとは、誰からも共感されない事を意味している。孤独でしか在れない生き方は、故にこそ狭く貧しい生き方とも言えるのだ。
「やっぱり分からないわ。理由はなに? 神サマだから? 随分と尽くしてくれてるみたいだけど、私、あなたに特別何かをしてあげた覚えって無いんだけど?」
「……ただ一度、眼にしただけで奪われた。生涯を懸けて挑んでいた命題、矛盾する醜さを持たぬ真なる教義。何を捨ててでも曲げなかった、神道を貫く我が信念。それがたった一回で敗北した。その姿
純粋であるという強さを奪った
信仰の対象として、その存在を崇め奉った。
それは数多の思いを錯綜させた果てに出した結論。だがそれも、根底にあったのは単純な一つの思いだけ。
たった一言の言葉で表せる。人の心とは混沌だが、そんなものと生涯を通じて付き合い続けた人類は、そうした思いに付けるべき名を既に持っているから。
「――――"ひと目惚れ"と、恐らくはそう言うのでしょうなぁ」
ガトーの答えを聞き届けた、女の反応を何と表現したものか。
意外なものを見るような。あり得ない事を聞いたような。
畏怖の衝撃からくる戦慄ではなく、ただ単純に驚いている。口元は閉まりきらず、瞬きを繰り返す見開かれた瞳は、何とも間の抜けた表情を形取っている。
まるで当たり前の少女のようなその表情は、真祖という種には似合わず、同時に彼女という個人には違和感のないものだった。
「ぷっ、あっはっはっはっはっはっは!? なにそれ、面白い! よりにもよって私に、まさか理由で? アハハハハ、やっぱり面白いわ、あなた!」
そして当たり前の少女として、彼女は笑った。
燦々と照らす陽光のような、向日葵の大輪を思わせる万欄な笑顔。
邪気のない純朴、あるがままの己で振る舞う彼女の人格に、その光はよく似合っていた。
「ああ……やはり、貴女にはそれが相応しい」
そんな、
「超越として君臨する御身は、月に照り映えるヴィナスが如し美しさ。恐らくは我が理想にとっても、そちらの方が在るべき姿でありましょうが。
というか、普通にタイプですな! うむ、やはり己の心に嘘はつけん。孤高な御身も美しかったが、今の貴女はドストライク気味に愛おしい!」
それはストレートな気持ちの告白。
信仰の意義も、世界の救済も、今だけは忘却の彼方へ送ろう。
今話の際、誰よりも純真で真っ直ぐな信心のみを追求し続けた男は、最期の刻でようやく素直な思いを吐き出せた。
「あ、でもぉ、あなたの事は面白いけど、そういう対象で見るにはイロモノ過ぎるっていうか。
うん、告白ありがとう。だけどやっぱり、ショウジキナイワー」
「ぬおおおおおおおおおお!!? モンジ、玉砕ぃ!? やはりオッサンにラブロマンスは無理であったかぁぁぁぁッ!!!!
あと二十年若ければぁぁぁぁ、学生時分の爽やか系熱血ボーイであった
脈のない返答に、ガトーは暑苦しく号泣し、そして笑った。
「うむ、善し! 友と交わり、恋の熱を覚え、ついでに失恋まで知った! ここまで経験さえ叶わなかった事を三つも身に味わう事が出来ようとは、黄泉路の土産にこれ以上はあるまいて!」
既に身体の大半は崩壊し、覆い尽くす喪失感は絶望を懐いて然るべき。
それでもガトーは快活に笑う。滅びの恐怖に屈する事がないように、心を覆う暗闇を晴らさんとするかの如く。
最期に見せる自らの姿を、決して悲嘆に暮れるものとしないために、ガトウモンジは雄々しく笑っていた。
「アルクェイド」
「うむ?」
「私の名前。アルクェイド・ブリュンスタッド。そういえば名乗ってなかったでしょう。
さようなら、臥藤門司さん。もしも輪廻転生の先でも縁があるなら、また会いましょう」
人は、死の怖れから逃れられない生命だ。
どのように生きたとしても、目前の滅びを実感すれば、その心は震えて怯まずにはいられない。
それでも人が自己の尊厳を失わずに済むのは、命を越える意味を見出だすからだ。人は、自身にも見合う理由を手に入れた時、恐れを越える勇気を獲得できる。
値する理由なら、とうに手にしていた。
振り向いてくれた"
「――――ああ、まっこと、善き人生であったなぁ」
その言葉は、偽りなき本心から。
未練など残さずに、臥藤門司は自らの入滅を受け入れた。
契約主であるマスターが消滅し、サーヴァントである女が残される。
しかし彼女がその後を追う事はない。彼女こそは真祖、星の触覚たる地球側の精霊種。
サーヴァントの役割など、所詮は仮初めのもの。彼女を縛れる法則など、この場には存在しない。
「星が産んだ端末。死徒の大元。朱い月。遺された真祖の伝承は読み解いていたが、よもや実物を眼にする事になるとはな」
故に、勝者であっても身の保障はされないという事だ。
彼女を止める法はない。気まぐれを起こして襲い掛かってくれば、その時は終わりだろう。
自由奔放で無邪気、そんな気質だからこそ、理屈の通らない気分次第で全てをご破算にされかねない。
そのような相手の危険性は、対峙する甘粕も理解している。
下手な刺激が命取りとなる。何が相手の気を損ねるのか不明な以上、大人しく様子を窺うのが無難だろう。
「こうして意識あっての対話は初めてか、地球の姫君よ。モンジとの間にどのような経緯があったかは知らんが、互いに得心のいく結末であったようで何より。
なのでせっかくだ。俺とも何かを話していかんかね? 何せ早々ある機会でもなかろうからな。己が生きる惑星の代弁者との語らいとは、実に興味を惹かれるよ」
そうした無難な判断を承知しながら、甘粕はあえて踏み込む判断をくだす。
気分屋の気質は彼とて同じ。ここで尻込みするなどもどかしい。
強大な存在だからと臆する性格ではない。へりくだれば無事で済むというわけでもあるまい。何も不明であるのなら、後ろよりも前に進む選択をするのが甘粕正彦という男である。
「……人が人に期待し、試練を与えるという傲慢。繁栄という名の光に惹かれる誘蛾灯。滅びを予感しながらも緩やかな衰退を善しとはせず、進歩を続けずにはいられない獣性か」
果たしてその判断は吉だったのか、あるいは凶か。
冷淡な、超然とした声は、先までの天真爛漫な女のものとはまるで別物。
青空が似合う奇妙で陽気な吸血姫はここにはいない。彼女こそは星の意思、その総体としての意向を遍く子らへと伝える『世界』の代弁者。
「それは"獣"へと到り得る理念である。甘粕正彦、既に人としての矛盾を超越したそなたは、果てにその思想一つで人理を脅かす存在となる可能性を持っている。
語らいを望むならば応じよう。されどその答え、生半であれば疾く滅びが下されると覚悟せよ」
刹那、人間の本能が感じ取る途方もない畏怖の念。
眼前に在る存在が、人類という矮小な種からは逸脱した、文字通りの超越種なのだと教えてくれる。
これには逆らえない。歯向かえる道理がない。そんなものは勇気でも愚昧でもなく、天災の暴虐にその身を投じる放棄である。
覚悟があるなら、それは向き合う事への勇気。巨大なる意思を前に折れず、自己という存在意志をしかと示す事にあるだろう。
「これはこれは、まさか世界の意思にまでお墨付きをもらえるとは光栄だ。
魔王となりたい。俺の祈りとは、どうやらそういったものであるらしい。この停滞を打破し、未来で光を掴むために、人々を呼び起こす試練を与えるために。
それは傲慢なのだろうし、度し難いとは何度も言われた。だが間違いだとも、止めようとも思わない。人は、脅威に対してこそ輝きを発すると、その真理に誤りはないのだから」
甘粕正彦とて、この世界に産まれた人の子だ。
恐怖は感じている。手足は震え、戦慄く身は自由を奪われたかのように言う事を聞かない。
しかしその面持ちだけは、常と変わらぬ笑みを保っている。期待を懸ける熱情、勇気を愛する人間賛歌。甘粕を構成する光の要素は、たとえ星の災禍を前にしても曇らない。
逃れられない恐怖に耐える誇り高さこそ、勇気だから。その信奉者である甘粕正彦が、それを実践しないはずがなかった。
「散り逝く命の業を知りながら、尚迷いなく断ずるか。愛に狂いながら執着を持たない在り方は、悪意でなく情でこそ滅ぼす獣の性にやはり当て嵌まる。
既にその情念だけでも、人類の種の枠組みを外れつつある。種のためと謳うならば、あるいはその命脈ここで断つが最善であるやもしれぬな」
「ならばどうする? この命、ここで獲るか? そうとなれば是非もないが、俺とて天命に抗う気概は持っているぞ?」
甘粕の手が軍刀へと添えられる。
こんなもので対抗出来ると思ってはいない。それでも諦める気は毛頭ない。
正しいと信じる意味のために。掲げた信念を揺るがされない限り、勇者の意志は決して折れない。
本能の震えも抑え込んで、発揮すべきは勇気の輝き。そのためならば奇跡など何度だって起こしてみせる気概でもって、甘粕は『世界』と対峙した。
「我を前に臆さぬか。ふむ、それほどでなくば"
そのような人の勇者の姿に、超越者たる姫君は笑みを見せる。
裁決を下す冷淡な眼差しから一転させ、その存在を玩弄する稚気と嗜虐に彩られた笑みに。
「ふむ、察するに手を下す気は無いということか? 世界からも認められてこそばゆいが、俺という男は災禍なのだろう? 星を統べる意思ならば、繁栄する種の是非について物申す事もあるのではないか?」
「然にあらず。それは人が人であるが故の性質、知恵持つ生き物であるが故の切り捨てる事の叶わないモノ。人は知恵を捨てられぬのと同様に、大いなる悪を捨てられん。
敵意によって人類を滅ぼそうとする悪ではない。人類が滅ぼす悪であり、文明の先に生まれ文明を滅ぼす自業自得のアポトーシス。
それは人類自身の手で打倒すべき課題である。根より異なる外来の脅威ならば力を奮う事もやぶかさではないが、人としてあるが故の悪を人ならざる身が否定するなど無粋の極み。
それもまた愚かしくも懸命に未来を望もうとする祈りの一つ。結果が繁栄であれ滅びであれ、その是非を定めるのは人類自身が行うこと」
人類史という歩み、それを徒労なものとは嗤わない。
たとえ結果として星そのものを衰退させる要因になったとしても、怨み言はあれ罰はない。
星という総体の一部である人類という種。その繁栄も滅亡も、自らの営みとして受け入れる。
故に、母なる星は子らの足掻きを眺めるのみ。
人ならざる超越者にして、人に関わりなき部外者として。災禍と成り得る破格の人類愛にも、その是非は人の手に委ねられた。
「そなたの理念の意義とは、
なれどそれを許容できぬ業深さこそ人の獣性。やがて来たる刻には自ら刃を折る覚悟、その如何にこそ、そなたという存在の是非は問われるだろう。
……と、なんか偉そうに言っちゃったけど、結局どれが正しいのか何て私には言えないんだけど。まあ人間って時々すごいけど、やっぱりやり過ぎとかはよくないんじゃない?」
超然たる星の代弁者の顔を潜めて、元の屈託の無さで彼女は言ってみせた。
「じゃあね、愛と勇気の人間さん。うっかり星を砕いちゃう事態になったら止めてあげるわ」
まるで友人にするかのように手を振って、女は踵を返す。
何もない空間に向けての一閃。ちょうど彼女一人分を通すサイズの穴がそこに生じる。
それは当たり前の事をするかのように。月の法則から脱して、原始の女は在るべき場所へと帰っていった。
「そうだな。魔王として在るならば、やがては輝ける勇者に打倒されるべきだろう。それが人類の光と足るならば、応とも、役目の意義に殉じてみせよう。
だが、そのためには、まずは納得がいく光を見つけなければな。そうでなくば認めんよ。容易く道を譲るような試練で、掴めるものなどたかが知れよう。
俺を
甘粕正彦は変わっていない。
友との語らいを通じても、世界の意思と相対しても。
その信念には些かの揺らぎもない。変わらず人の勇気を信じ、その輝きを取り戻すべく動いている。
停滞し、管理の下に閉じようとしている人類史の歩み。進歩なきその未来を断固として否定し、あるべきと信じる世界をもたらすため、光の意志は前へ前へと進む速度を上げ続けるのだ。
「まあ、叶えてもおらん願いの皮算用など、これぐらいにしよう。
俺は人間だ。この聖杯戦争に挑む参戦者の一人。そこに特別は何もない。故に驕る事なく全霊で、砕く祈りを戒めながらこの修羅道を駆け抜けなければ。
我も人、彼も人なら、それだけが唯一示せる誠意なのだからな」
これは強さという名の優劣を競う生存競争。
勝者にのみ開かれる万能への道。より優れた者を選別する篩の中、強者は確実に定められていく。
たとえその性質が、どれだけ度し難いものであろうとも。人の心理を解さないムーンセルは、そこに善悪の定義を持っていないから。
聖杯戦争の5回戦。ここに勝利者を残して、その行程を終了させた。