もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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 またも更新が遅れに遅れてしまった。
 リアルの事情がいろいろゴタゴタしてたのと、あとは文章修正が入りすぎて。
 実際、トリニティが出た頃に大体が出来ていたのに、クリア後で読み返すと書き直したい所が多々出てしまった。
 なまじ一話の文章量が多いだけに、どうにもこの作業がキツくなってしまっています。



4回戦:ハンティング

 

 臥藤門司という男が持つ宗教観は、常人の理解からはかけ離れたものである。

 

 一言で言うのなら、それは"混沌"。

 特定の宗教に執着せず、古今東西、あらゆる宗教を学び、自らの教えとして取り入れた。

 であるなら、それらの教義を一本化し、統合した教えとしているのかといえばそうでもない。

 教義の内容はそのままに、ひたすらに混ぜ合わせた闇鍋的な宗教観。様々な教えからの引用が散見し、ほとんど何でもありといった様相だ。

 

 端的に言って分かりづらい。

 根本には仏教があるようだが、それも遍く教義に色付けされて内容が伝わり辛いのだ。

 熱意が本物なのは分かる。それこそ暑苦しいまでに、懸ける思いは紛れもなく真実である。

 しかしそれも、信念が理解されなければ狂人の戯れ言だ。まるで何かに憑かれたように逆境へと挑み続けるその姿は、他人の眼からは理解し難いものでしかなかった。

 

 故に、これまで臥藤門司の教義が理解された事は皆無である。

 全ては彼一人だけの空回り。教養も信念も本物なのに、それが余人に伝わる形と成り得ない。

 西へ東へと、あらゆる場所へと赴いて、あらゆる神学を走り抜ける求道僧。しかし混迷と消費の時代にある現在にとって、その存在は異端としか映らなかった。

 

 何故、どうしてそこまでするのかと、誰かが訊いた。

 あなたのしている事は徒労、無意味だ。何かの実を結ぶことは決してないだろう。

 どうして諦めないのか。どうして妥協しないのか。ほんの少し肩の力を抜いたなら、きっとその功徳は素晴らしいものをもたらすのに。

 

 向けられる問いに、男が返すのはいつだって同じ思い。

 そんな惰性は許されない。そんな日和った結論が本物であるものか。

 誤りがあるのなら糺さなければならない。それが信心を預けるべき教えであれば尚の事。

 偽物だと知りながら、それを見まいとするのは不実の表れ。そのような不徳を己に許す事にこそ、愚僧(オレ)は赫怒の念を抱くのだと。

 

 恐らくは、男の語る求道は正しいのだろう。

 怒りのまま、ひたすらに正道を歩まんとする姿は、まさしく勇者の如く揺るぎない。沸き立つ憤怒を身に湛えて、男は自らの求道を駆け抜ける。

 されど、その道は正しくとも、駆ける姿は雄々しくも痛々しい。決して解けない命題に挑み続けるその様に、後へと続こうとする思いは皆無であった。

 教義が矛盾しているからではない。その矛盾を僅かさえ許せない純真さこそが、男を理解の及ばない地点へと遠ざけている。

 

 臥藤門司とは、孤独の求道。

 その思いは理解されず、その背を追う者は現れず。

 世界の正しさを願っているのに、その一端さえも己の手が届かない憤りを抱えながら、ひたすらに駆ける脚は止まらない。

 理解されずとも、その熱情は本物だ。絶望を感じつつも、その不屈は強靭だ。如何なる苦難、挫折にその身を晒されようとも、光を目指すその意志は絶対に諦めない。

 ならば、男が強者であることに疑いの余地はない。たとえ誰からの理解を得られずとも、雄々しいままに掲げられた祈りが偽物であるはずがない。

 

 故に、求道者は経典ではなく刃を手にした。

 その罪を承知して、非業を重ねる修羅道に堕ちることを覚悟しながら。

 それ以上の全てに報いる決意でもって、万能の御座へと目指すのだ。

 

 雄々しき鋼の信念を抱いた男は止まらない。

 猛る魂が奮えるままに、臥藤門司は愚かなる正道を邁進していく。

 その迷走を誰よりも理解しながらも、今の彼には奉じるべき真理(ヒカリ)があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに、一人の女がいる。

 

 美しい女である。

 月並みな言葉だが、絶世と呼んでも差し支えない。

 整いすぎた美貌は、まるで意図してそう創られたような、いっそ人間的でないとさえ見える。

 

 その存在は場違いであるだろう。

 ここは『迷宮(アリーナ)』。聖杯戦争のために用意された試練の場。

 安全とは程遠い。徘徊する敵性情報体(エネミー)は危険極まる。戦う力を持たない者が足を踏み入れてよい場所では断じてない。

 

 女の姿格好は、とても闘争を行う者とは思えない。

 鎧に身を包むのでなければ剣も佩かない。その装いは一般人のそれと変わらない。

 極めて現代風な衣服は英霊のものとは到底思えない。何かの間違いで迷い込んでしまった現代人、そう解釈するのが最も妥当とさえ見えた。

 

 もしも真実、彼女が哀れな被害者であるのなら、その末路は決まっている。

 心なきエネミーに慈悲はない。あるのは異分子を排除すべしというプログラムだけ。

 ここに存在するというだけで、それは即ち排除対象。対処する術がないのなら、無残な残骸を晒す以外にないだろう。

 

 そして現れたのは、影か泥を思わせるエネミー。

 固形と流体の間をいく暗色の泥細工。暗黒の中で爛々と輝きを湛えた二つの眼光が道行く女の姿を捉えた。

 這うように迫り来る異形を前に、女は逃げようともしない。何ら頓着することなく、その歩みに一切の澱みを雑えずに変わらない。

 ならば結末も予想の通りとなるだろう。末路は近い。異形の腕が振るわれて、その霊子は砕かれ情報の海に沈んでいく。もはや惨状は不可避であるかに思われた。

 

 ……と、遠く彼方から眺めるだけなら、恐らくはそのような感想に至るだろう。

 

 その女は、煌く金色の髪をしていた。

 肌は雪のように白く、瞳は左右で異なる深紅と淡紫。

 美貌に張り付くのは、能面のような無表情。

 美しい女だ。非現実とさえ見える女だ。淡然と、揺るぎなく、絶対と存在する白い姫。

 

 エネミーとは、単なるプログラム。

 ただ与えられた役割に徹するだけ。生命としての本能とは無縁の存在。

 故に、その女を視覚情報として捉えても、あらかじめ定められたルーチンを実行するのみ。

 襲いかかる。女のカタチをしたナニカへと。機械的に、あるいは盲目的に、いっそ滑稽とさえ呼べる襲撃を実行する。

 

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 それ以外に形容のしようがない。

 無造作に、降りかかった火の粉を払うように。

 振るわれたのは女の細腕。荒事には縁遠い繊細な指先が、構成された霊子をまるで紙を裂くかのように容易く断ち切ってみせたのだ。

 

 女の歩みは何も変わっていない。

 立ち塞がったエネミーなど、妨げにさえなっていない。

 何一つ意に介さず、ただ淡然と歩を進めるのは、至高の存在にのみ許された特権だ。

 まるで世界とは彼女のために用意される一人舞台。天地に祝福された独壇場(ステージ)の上で、白い姫は淡然と在るがままに君臨する。

 

 そんな女に、殺到するエネミーたち。

 一体の破壊を皮切りに、自らの役割を果たすべく数多の個体が駆動していく。

 その突貫に躊躇はない。眼前の存在に対する畏れも敬意も、装置には無用のもの。

 本能を持たない者は、恐怖を知らない。待ち受けるだろう結末にも構わず、与えられた指令(コマンド)の通りに向かっていく。

 

 そして巻き起こされる破壊は、優美さと共にある白い舞踏。

 吹き飛ぶ。裂かれる。砕ける。潰れる。白い姫が美しき舞を踊るたび、巻き込まれた数体が鏖殺される。

 彼女という聖域を侵す者へと下す罰。哀れな侵害者たちは何の成果も与えられず、ただ塵となって情報の水底へと沈んでいった。

 何者をも寄せ付けない、それは超越者だけが持つ器の証明。性能の強弱ではなく、存在としての位相が違う。圧倒的という言葉さえ生温い凄まじさが、彼女を慮外のものだと知らせていた。

 

「まさしく規格外じゃな。あれが此度の対戦相手か」

 

 そのような超常の光景を、遠方より射抜く視線が一つ。

 クラスに与えられた鷹の目を駆使して、軍装のアーチャーがその存在を捉えていた。

 

「というか、なんじゃあれは。まともな英霊とはとても思えんが。人外の魔性か、それとも精霊の類いか?」

 

 英霊であるアーチャーの眼から見ても、女の存在は異常の一言。

 あんな英雄は知らない。というより、あのような英雄がいるとは思えない。

 姿形にしてもそうだが、何よりもその戦い方だ。敵対する一切が無造作に引きちぎられ、投げて砕いていく殲滅ぶりは、人間の闘争手段とはかけ離れている。

 その戦い方は怪物、妖魔といった幻想種、初めから超抜した強度を持つ存在にのみ許されるもの。人間らしい技術の気配は一切見られない。

 たとえ後に魔道へ堕ちた逸話を持つ英雄だとしても、原点が人ならば技の名残がある。狂戦士化して理性を蒸発させているとしても、道具を振るう事まで忘れはすまい。

 アレはあまりに自然体過ぎる。間違いなく、あの存在は始まりからそう在ったのだ。ありのままの強さでもって振る舞う、人外の超越種として。

 

「あんなものまでサーヴァントと化すとは、ムーンセルも節操なしじゃの。いや、それを置いても、アレの存在には何やら絡繰がありそうじゃが」

 

 眼にする存在に何かを察して、アーチャーは呟く。

 アレもサーヴァントなのは確かである。少なくとも、その型に嵌った上で存在しているのは間違いない。

 だが、違う。アレは他のサーヴァントとは根本から異なっている。通常の英霊の枠組みでは収まり得ない何か、例外として存在する規格外だと洞察した。

 

「正面から相手取るのは厳しいじゃろうが、とはいえこの場に限ればやりようもあろう。まったくあの神父め、味な趣向を用意したものじゃ」

 

 されど、その表情に湛える不遜に揺らぎはない。

 異常であり、規格外。通常のサーヴァントの道理では測れないとは既に理解した。

 それでも、アーチャーが抱く理は自身の敗北を告げてはいない。この場の条件に限って言うのなら、むしろ優位は自分にあるとさえ思っている。

 

 直感や天啓の類いではない。革新の王はそんなものに頼らない。

 彼女が信じるのは常に理詰めの戦術、戦略。あらゆる条件、状況を鑑みて、勝機を見出すからこそ迷わない。

 その背に引き連れるのは三千の銃器の群列。心無き鉄の軍勢を操りながら、アーチャーは行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『狩猟数勝負(ハンティング)』。

 4回戦、マスターたちに与えられた特殊なルールを、そう呼んだ。

 

 監督AIである言峰より告知された課題(タスク)

 ある特定のエネミーを標的とし、期間内での撃破数を競うというもの。

 勝者には報酬も用意される。それは対戦相手の戦力情報(マトリクス)。聖杯戦争を戦うマスターならば、何を置いても欲しがるものだ。

 場所はアリーナ。常と同じく多種多様のエネミーが徘徊、暗号鍵(トリガー)の取得も変わらず義務付けられる。当然、マスター同士の遭遇、妨害や戦闘も常の通りである。

 

「おお、ハレルヤ! 来たぞ、修行の地。我が神と過ごす血と汗と筋肉の迸る濃密な蜜月、小生にはもはや毎日が吉日なり!

 そして降り立った直後に速攻で赴かれるとは、いやはや、神もやる気に満ち満ちておるようで結構結構! あまりの速さに置いていかれてしまったが、なにどうかお構いなさいますな。これも試練と受け止めて小生、すぐに追いついてみせます故」

 

 静謐なアリーナに声を響く。

 轟くような声だった。弱気などとは無縁の、快活に雄々しき有り様を示す声。

 独り言にしては大きすぎる声量で、しきりに自らへ頷きながらガトーは佇んでいた。

 

「なにせ神よ! あなたこそは世界を照らす威光そのもの。その意向であるのなら、どのようなものであれ小生は受け入れる所存。

 その『魔眼』の湛える闇の深さたるや、深淵にて揺蕩う原初の如く奥深く。

 その『真祖』の名が持つ偉大さたるや、如何なる神性の権威さえも霞むほどに神々しい。

 もはや存在するだけで如何なる教義にも勝る真理。神ここにおわす、故にその可愛さ素晴らしさは正義なり。大雑把に言うのなら、神サイッコォォー!」

 

 口にするのは全てが賛辞の言葉。

 内容は支離滅裂、しかしその熱意が偽りでないのは明白だろう。

 それこそ異様なほどに、ガトーは己の"神"に信心を捧げている。その"神"の存在こそが全てだと、恐らくは何の躊躇もなく断言するだろう。

 

「どうか御身の望まれるがままに振舞われよ。当て嵌められた役柄などに縛られなさいますな。サーヴァントなどという括りよりも、御身がここに在るその事実だけで、五体投地にて拝謁する百万の理由となるのだから!

 なれば小生こそは御身に仕える使徒として! ソドムとゴモラの街にアフラ・マズダの光をもたらすが如く、大いなる星の意思でもって退廃へと向かう衆生らを導かん!

 それこそが女神との邂逅を果たした愚僧(オレ)に与えられた使命であるが故にぃぃぃッ!!」

 

 その有り様は、一言でいって狂信者だ。

 他人にはまったく付いていけない道理を宣い、その正しさを盲目的に信じている。

 聖杯戦争。マスターとサーヴァント。そのルールと互いのあるべき関係さえ、果たしてどれだけ頭に入っているのか。

 己の信仰に絶対の信を置く者にとって、世に罷り通るだけの常識に価値はない。妨げとなる他の教えなど、信心に狂う者には余分な雑念でしかないのだから。

 

 そして道理が通らずとも、この舞台にあっては問題とならない。

 ここは死闘をもって答えとする闘争の坩堝だ。どのような信心、狂信であろうとも、その強さでもって勝利した者こそが道理となる。

 どんな蛮行、愚行に走ったとしても、それと見合うリスクを背負う覚悟さえあれば問題ない。巖と己の信念を貫くガトーの在り方には、行動のリスクに脚を竦ませる軟弱さは微塵もなかった。

 

「――ほう。我が女神とは、サーヴァントに向けた敬称にしても、随分と趣きが異なっているように聞こえる。どうやらおまえにとってその存在は、よほどの特殊であるようだな」

 

 そう、臥藤門司こそは紛れもない勇者の一人。

 愛するに足り得る人の輝き、ならばそのような舞台にあって、この男が赴くのは必然だった。

 

「とはいえ、まずは久しぶりだと言わせてもらおう。改めてこの再会を喜ばせてくれ。臥藤門司、あの予選での日々から別れた時より、俺はこの日を待ち望んでいたのだから」

 

 男は勇気を望む者。輝ける意志こそを人の価値とする裁定者。

 善悪の如何でなく、重要なのは絶対値。極論すれば理解さえ不要とも断じている。

 要は掲げた信念に勇気と覚悟が持てるなら、男にとってはそれでいいのだ。公正とも、幼稚とも取れる歪さは、彼もまた正しさの規格から外れた異端者の証明だった。

 

 甘粕正彦。臥藤門司。

 裸一貫、我一人でもって向き合う男と男。

 その間に何者も交える事なく、両者はここに改めて相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電子の世界に広がるフィールドを、白い女が駆け巡っていく。

 

 駆け抜けたその跡に残るのは、ただ一方的な蹂躙の痕。

 見た目の美貌とはかけ離れた規格外の力を前に、阻める存在などありはしない。

 その手を振るう先に立てば、砕かれ裂かれ破壊される結末があるのみだ。この空間に存在するあらゆるエネミーが、女の形をした天災に曝されて塵と化す。

 

 されど、空間に響き渡る破壊の轟音は、女だけのものではない。

 蹂躙の灰に紛れるように、僅かに匂い立つ銃火の硝煙。薙ぎ払う暴風の音の中で、確かに響いている無数の銃声。

 女が引き裂くその横で、また一体のエネミーが銃撃に穿たれる。同じ敵を倒しているが、それは断じて女の援護を意図するものではない。その証拠に、次なる火線は女へと向けて集中された。

 避ける隙間をも封殺する集中砲火。殺到する銃弾の洗礼に、女は成す術もなくその身を晒される。

 

 通常ならば、その光景の後で無事な姿など想像出来はしないだろう。

 無骨な鉄礫に噛みちぎられて、その姿は無残な肉塊という残骸へと変じているはず。

 そんな当然の道理であるはずの光景を、しかし射手たるアーチャーは確認することが出来なかった。

 

「我が『三千世界(さんだんうち)』を身に浴びて、防ぎもせずにこれか。わしの中の自負ともいうべきものが崩れそうじゃ」

 

 硝煙の晴れた先、アーチャーの宝具を受けて、されど現れた女の身はまったくの無傷。

 美しき艶体は些かも損なわれていない。放たれた全火力は、一点の傷さえも穿つことなく終わっていた。

 

「あの頑強さ、いよいよもって人のものではないが、謎もあるのう。如何な妖魔、精霊の類いといえど、神秘に属する以上はわしの種子島が通じぬはずがなし。

 ……異質だとは思うたが、奴め、根本より人類史の域外におる存在か?」

 

 アーチャーの能力とは、神秘殺し。

 神性、神秘に類する対象への特効作用。その歴史が古ければ古いほど、革新の英雄は真価を発揮する。

 それは幻想種とて例外ではない。人の伝承に記された神秘の中の怪物たち、たとえそれが竜種であろうとも種子島の銃砲はその鱗を貫くだろう。

 

 だというのに、こうもまったく通じないのは、特効作用がまるで働いていないからだ。

 神秘に類する者に通じないはずがない。裏を返すのなら、それは相手が神秘とは切り離された存在であるということ。

 古い概念を打倒し新しい秩序を敷くのが"革新"の意義。ならばそもそも、人の語り継ぐ幻想から完全に別系統の存在だとするなら、この結果も頷ける。

 

「とは申せ、見たところ完全ではなさそうじゃがな。反応がいちいち動物じみておる。その存在がサーヴァントのクラスに当て嵌められておるなら、さしずめ"理性欠け(バーサーカー)"か?」

 

 対象を射抜くアーチャーの眼は、女の瞳の空虚さを見抜いている。

 この女に確固とした意識はない。封じられたのか、自ら閉ざしたのか、どちらにせよ理性の無さを確信した。

 ならば道理を考えて、サーヴァントとしてのクラスは理性を捨てたバーサーカーだろう。だとしても、この存在がサーヴァントの枠に収まるのかと問えば、疑問が浮かぶだろうが。

 

「こちらに関心を持つ素振りはなし。脅威ではないとでも判断したか? 索敵もさほど得手ではないと見た」

 

 女――――バーサーカーに、己を害された事への憤りは見られない。

 こんなものは取るに足らないと示すように、エネミーの追跡と破壊を続けていく。

 

 その真意は不明だが、この場でそれは正しい判断だ。

 ここでの課題は『狩猟数勝負(ハンティング)』。サーヴァント同士ではなく、特定個体の撃破こそが要である。

 

 どの道、本格的な戦闘となればムーンセルからの干渉を受ける。

 先ほどのアーチャーの銃撃も、言ってしまえばギリギリのラインだろう。正確なところはムーンセルのみ寄り知るものだが、実際にはかなりの行動が容認されている。

 奇襲、狙撃、毒による間接攻撃、魔術や結界による明確な妨害行動など、直に激突さえしなければ警告は鳴り響かない。

 これまでの戦いの中で、アーチャーもそんな月の采配を読み切りつつある。故に、ペナルティを受ける境目に立って彼女は敵を見定めるべく動いている。

 

「己の中で優先順位でも持っておるのか? 目的、というよりは好奇か。奴の関心が、こちらよりも獲物の方に向かっておる。

 動物的な本能とは馬鹿に出来んのう。時にそれは人間の賢しさを上回る。奴の行いはそれに近い。狂戦士と呼ぶには些か奔放が過ぎるがの」

 

 遠く彼方より対象を鋭く観察するアーチャー。

 その観察眼は確かなもの。己の不利までも冷徹に、彼女の戦の理は答えていく。

 明白な性能差。攻撃は通じない。知性はなくとも本能の選択は的を射ている。

 互いの持つ戦力の差は明らかだ。アーチャーでは、バーサーカーには及ばない。認めがたくとも受け入れなければならない結論が、そこにはあった。

 

 アーチャーは事実を誤魔化さない。

 不遜にして独尊。王としての彼女は自らの在り方をそう定めている。

 しかし、その瞳が慢心に曇る事はない。彼女は超越者ではなく、下剋上を這い上がった乱世の風雲児。どれだけ傲慢が過ぎようとも、事実は事実として誤らない。

 己を無敵などとは自惚れず、劣る所が見えたなら警戒する。徹底して己が勝てる所で戦っての勝利こそが、アーチャーの真骨頂だ。

 

「是非もなし。貴様の底がそこまでであるのなら、やはりこの場を制するはわしよ」

 

 故に、確信を込めた厳然たる事実として、アーチャーは己の勝算を見出した。

 

 無論、そのようなアーチャーの独白など、バーサーカーの意に介するところではない。

 白い女はただ蹂躙するだけ。在るがまま、思うがままに、超常はその力を振るうのだ。

 特定の対象など、既に頭にはあるまい。どれが標的でも諸共全てを叩き潰す。それが荒ぶる本能が出した解答だった。

 

 引き裂かれたエネミーの先、標的とされた個体がバーサーカーの瞳に映る。

 まともな生物の形はしていない。顎の部分が異様に強調された鰐の頭ようなエネミー。

 破壊に区別はつけておらずとも、好奇という意味合いで関心の比率は上なのだろう。目にした瞬間、バーサーカーの手は一直線に標的の個体へと伸びていく。

 

 振りかざされる女の手。捉えた標的を粉砕すべく振り下ろされる。

 その手を、一発の銃撃が撃ち抜いた。見かけと相反する強度により損傷は一切ない。だがその衝撃で狙いが逸れる事も避けられなかった。

 破壊からの直撃を免れたエネミーがバーサーカーより退避していく。生命としての執着や本能は持たずとも、自己保全の機能によって最大の戦闘個体からの撤退を判断したのだ。

 無論、それで逃げられるわけはない。桁が二つか三つは違う性能格差は、矮小な存在にそのような選択を許さない。速やかに追撃されて、結果的には何も変わらないだろう。

 

 だが、そんな一瞬の間隙を縫うように、三方からの銃撃が標的のエネミーを射抜いていた。

 

「鷹狩りは知っておるか、得体の知れぬサーヴァントよ。鷹を名に冠しておるが、あれの本質は別にあってのう。獲物を勢子どもに追い立てさせ、放たれた鷹の一飛びにて仕留める。その真髄は鷹ではなく、如何に勢子どもに状況を作らすかの用兵にある。

 無論、これは戦においても通じる理じゃ。優れた性能も本能も、理という流れに逆らっておれば敗れ去る。さもなくば人は、霊長の頂きに立ってはおらん」

 

 一丁をその手に、硝煙上げる種子島を構えたアーチャー。

 彼女自身で撃ったのは一丁きり。続く三射はまったくの別方向から放たれた。

 アーチャーが扱うのは、その両の手で持った種子島だけではない。三千にも及ぶ種子島、空間に配置されたそれら全てがアーチャーの意思によって火を吹く。

 狙撃の腕でも宝具の威力でもない。アーチャーが頼りとするのは物量と戦略。展開された自らの軍勢を適切に運用する将の力こそが本領だ。

 

「我が『三千世界(さんだんうち)』に隙はなし。出し抜く事など叶わぬものと心得い!」

 

 その銃口が捉えられない地帯は既にない。それは配置を終えた詰め将棋だ。

 稀代の戦術家の構築する理が、この狩り場を覆い尽していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええぃ! 控えい、たわけぇ! 無用な馴れ合いなど無粋であるぞ!」

 

 堂々たる姿勢を崩さず、熱く声を張り上げてガトーは言い放った。

 

「これより我らが踏み入れるは修羅の道。己の目的とする祈りのため、相対する悉くを鏖殺せしめる罪業の荒行よ。まさしく人界の強欲さがために開催された、魔羅やサタンに見下ろされた悪徳の坩堝に他ならん!

 こんな場所に降り立った時点で、我らは共に同じ穴の狢。だがなればこそ、勝つのは最も尊き理由を持ち、それを迷いなき鋼の決意で推し進める者でなければならん! 後生戦いとは無縁な理屈ばかりのもやし学者には出来ぬ芸当よ」

 

「同意する。世界を変える資格を持つのは、己の理想を確固と定め、勇気を持って実現させようと立ち向かっていった者だけだ。正しい理屈とやらを口先で唱えるだけの者に何が出来ようか。

 しかし、ならば自らの信条には正直でいるべきではないか。真に尊き理由だと信じるなら、余人に明かすことを躊躇する必要はあるまい。たとえどのように言われたとしても、おまえ自身の信念の高潔を守り抜けるのなら、迷いが生じるはずなどないのだから」

 

「小生に理由を問うか!? この身に背負いし崇高な使命の何たるかをこの場にて開帳せよと?

 ――よかろうッ!! このモンジ、己の天命に対し恥もなければ迷いもない! 聞きたいと言うならば聞くがよい。そして小生と相対したが故、その命を散らす不幸の慰めとするがいい!」

 

 飛び出す言葉は、どれも叫びのように大きく激しい。

 内容は理解しづらくとも、その熱量は疑いの余地がない。常態のように発するあまりの気迫が、大柄のガトーを更に大きく見せている。

 あの甘粕でさえ、ガトーの気迫に抑えられて小さく見えるほどだ。少なくともその意志の持つ迫力において、ガトーは世界を相手にする益荒男にも負けていない。

 

「そも、小生が抱いた志とは世界の救済! 混迷と堕落、あるべき教えを忘れ、人の心より菩薩の道が失われんとする枯れた時代。この世界に新たなる光をもたらし遍く衆生を救い上げる事こそが愚僧(オレ)の天命であると悟った若き時分!

 されど、あるとき小生は気づいてしまった。浮世のあらゆる所に点在する数多の教え、そこには各々の矛盾があり、それぞれに身勝手な答えがある事を! それらの教えは人を正し、導くものであるが、矛盾を抱えたままの教義では真理たり得ず、天の光として万人の世界を照らすことは叶わぬのだと!

 若かりし日の小生は絶望し、そして怒りに震えた。何より許し難かったのは、この明白なはずの事実に対し、誰もが目を向けようとしていなかった事である!」

 

 語っていく内に、言葉の熱さの中に憤激の荒々しさが混じり始める。

 そこにある感情は紛れもない怒り。ガトーは世の人々に対し明確な怒りを抱いている。

 

「何故理解しないのか、何故この矛盾を受け止める事を拒むのか!? それは奴らにとっての教えという拠り所、古来より続く安寧の連環を自らの手で断ち割る事を恐れるが故!

 たとえ果てに枯れ落ちる衰退があると理解していても、ただ自らが安心したいが故にあえてその理解から目を逸らす。恐らく最期の時にまで、安心にしがみつこうとする姿勢は直るまい。

 その姿に、愚僧(オレ)は悟った。人は、放っておけば堕落する生き物なのだと。神罰という教えが無くば、容易く人とは退廃の一途を辿ってしまう。

 そして発展と管理という安寧を手に入れた人類には、もはや神の罰さえも無用の長物。考える事を止めた耄碌者どもには、己を罰する事すら必要ではなくなった。かつて世界の大半にその教えを広げた教義さえ、既にその意義を失い俗世の権勢によって形を留める始末」

 

 神秘という基盤が崩壊し、人々が信仰を必要としなくなった現代、基督教を始めとする宗教群はその存在意義を失おうとしている。

 西欧財閥がもたらす"管理社会"という名の教え、新たなる秩序という神の存在によって。人生の全てを保証する彼らの教えにより、神々の教義は不要となった。

 教会という組織は形骸化し、その権威はハーウェイ家の意向や金銭などによって維持されている。神の奇跡への威光など僅かさえも残っていない。

 

 管理という教義、西欧財閥が謳う支配のカタチ。

 ガトーはそれを容認していない。人の堕落を加速させる毒であると明確な異議を唱えていた。

 

「新たなる教えが、光が必要なのだと、小生は理解した! それこそが己の成し遂げるべき天命であるのだと、かつての小生は自戒したのだ!

 が、やはり小生は未だ涅槃の境地には至らぬ修験者の身分。迷いの内にある小生の言葉は人々の耳には届かず、救世などと夢の先の戯言にも等しかった。象徴とするべき真なる神を持たなかった小生は、怒りに身を任せて人の身勝手さに染まらぬ原始の神性を求めた!」

 

 吼えるようなガトーの語りに対し、待ったをかけるように甘粕が口を開く。

 ガトーに比べれば小さく、静かな物言い。しかし半端な割り込みは許さない断固とした意志は、ガトーの熱量にも負けずに響き渡る。

 

「矛盾だな。人の手による神を否定しながら、人であるおまえが神を求めるとは。その行為自体が、おまえの言う身勝手な人の都合とやらに当て嵌るのではないのかね?」

 

「然り。この願いもまた、小生の浅ましき我欲なり。己の都合で求める神性など、まさしく俺が憎んだ身勝手さそのものよ!

 あらゆる荒地に赴いた! あらゆる難行に挑んだ!まるで己を痛めつけようとするかの如く、その苦しみを以て自らの傲慢への免罪符としているが如し! 望む神性に出逢えない憤りに、矛盾を省みぬ己自身の不徳さに、愚僧(オレ)は迷道の内に在ったのだ!」

 

 指摘にも、ガトーの勢いは衰えない。

 むしろそれ以上の気迫でもって押し返そうとするように、その熱は更に増していく。

 

「だがッ! その迷道の歩みも無駄ではなかった! 苦行の果てにたどり着いた最も高き山脈の氷雪の先、ついに愚僧(オレ)は最も貴く優美なる原始の光と邂逅せん!

 その姿たるや大天使の後光すら凌駕する輝きであり、不動明王をも上回りヨハンネウムよりも絶対なもの。これぞ真に人々を救世へと導ける神の姿であると確信した!

 もはや信ずる教など些細なもの。我が神こそが絶対! 我が神がおわすことそれ即ち救い也! この真理、遍く人々にもたらさんがために小生はこの闘争に参戦した!」

 

 それが理由、ガトーが聖杯へと捧げるべき願い。

 聖杯そのものに救いを求めるのではない。ただ己の"神"を世界中に認知させる。

 ガトーの中で、それがどのような救済のカタチをしているかは分からない。だが少なくとも、それはガトーの中では絶対の真理なのだ。

 その認識を、世界中の人々へと拡げようとしている。その願いがどういう形で人々の中で花開くかは不明でも、それがガトーのもたらす"救世"だった。

 

「理解したか!? 小生の抱く目的の崇高さを! 我が正義はケツァル・コアトルに等しく確かなもの。迷える子羊らをエデンの園へと導く使命がため、この聖戦に敗北は許されん!」

 

「ああ、理解したとも。おまえの本気の程は、よく分かった」

 

 そして、善悪含めたあらゆる決意を受け入れるのが甘粕正彦という男である。

 重視すべきは性質ではなく絶対値。どのようなカタチであれ、勇者の名に相応しい意志の強さを甘粕は歓迎する。

 

「おまえが出会った神とやら、察するにそれが契約を交わしたサーヴァントのようだな。その辺の事情も何とも気になるところだが、まあひとまずは置いておこう。

 俺が聞きたいのはそこではない。特殊な事情があろうが、それでおまえという相手が変わるわけでもあるまい。興味深い事を語ってくれたな? 人は堕落する、故に神罰が要るのだと」

 

「左様。そも人とは奪い、殺し、貪り、そして忘れるものである。衣食住に事足りればあえて動こうとはせず、如何なる悔恨も喉元を通り過ぎれば忘れる始末。人間とは、始まりよりその魂に原罪を負っていると嘆かわしくも結論した。

 なれども、人とは悪のみにあらず。その悪を放置できぬ善を併せ持つが故に、人は己の悪を罰したくて仕方がない。人間が神に求める救いとは、これ即ち罰なのだ。数多と記された終末の予言、滅びの果てに罪は浄化され人は楽土へ向かう。()()()()()()()()()()()()()()()()、そのような己のための都合が滲み出たおぞましき結論よ」

 

「人間の本質とは悪である、か。なるほど、その結論は俺も思うところがある。今の世を見れば、安寧に浸った人類がどうなるかは一目瞭然だからな。

 だがそのために求めたものが神だと? それがおまえの言う人の身勝手な都合だというのか?」

 

「他にどんな結論がある? いいや、無い。古今東西の信仰を学べば学ぶほど、小生は同じ矛盾に行き着いた。神が天罰を以て人を扱うのは、元より人によって与えられた性格なのだと。人の理想によってそのカタチを得た神は、捧げられた理想の通りに人を悪と見なすのだ。

 贖罪のカタチを考えたのが人なら、罪の定義を創りだしたのもまた人。人、人、ヒトォ! どの教えの如何なる箇所にも、人の都合と矛盾に溢れている。これで真偽が問えるはずがない。何が悪で何が善かなど、狂わされた天秤に計れるものか!」

 

 それはある意味で当然とも言える結論だ。

 宗教には、その地域ごとの人間の生活環境、文化の様式が色濃く表れる。何が正しい行いなのかを伝える宗教観は、社会の形態を示す印だと言い換えてもよい。

 必然、そこには人々にとっての都合、属性が混じるのだ。信仰される神々が人々の認識により性格を左右されるのも自然な成り行きでしかない。

 

 矛盾に満ちる人だからこそ、その性質を帯びた教えにも矛盾が生じる。

 それを以て身勝手な解釈だとするのは些か過ぎているとも言えるだろう。

 自らの知る価値観に従い、築き上げられた教えを無意味とは言えない。それは人々に正しい生き方を伝えるための尊さでもある。

 

 だが、ガトーはそれでは納得しない。

 そんなものでは救えないと、宗教を不要とする今の世を目の当たりにしたが故、その求めはより純真な神性を必要とした。

 

「世に降臨すべしは穢れなき神性。人の都合に染まらぬ原初の神威でこそ衆生に真なる救いをもたらせる。我が女神はその光を体現せし星の触覚である!

 その純性、その美しさ、まさしく救世主に相応しき後光なり! このガトー、御身のために粉骨砕身で働く所存。勝ち抜いたその先で、どうか御身の声を賜らんことをぉ!」

 

 原初の女。星の触覚。

 ガトーは語る。それこそが人の信仰が向かうべき神であると。

 人の都合と矛盾から解脱した超越者。そんなものを神と定義して崇めるべきと謳っていた。

 

 やはりその思想は理解から遠いところにある。

 そこにどんな真理があったとしても、その純性はきっと人には厳しいものだ。

 善いものであっても純粋すぎる。それはガトー自身の危うさを示すものでもあるようだった。

 

「そうか。つまりはそこなのだな。おまえは他人(ひと)に、己の正しさを理解されたいのではない。己の正しさを、おまえはおまえ自身で既に理解し終えている」

 

 そんなガトーの様子を見届けて、得心したように甘粕は告げた。

 

「世間はさぞや生き辛かっただろう。度し難く映るものが数多くあっただろう。何も間違えてはいないはずなのに、度々感じるズレには憤りを覚えたはずだ。

 事実、おまえは間違ってなどいない。おまえの感じているものは極めて真っ当であり、万人の共感さえ獲得できる。なのにこうまでズレが生じるのは、単におまえの正しさが余人にはあまりにも厳しいものだからだ。

 納得できんよなぁ? 受け入れるなど論外だ。そこで退くのは妥協でしかなく、相手の弱さに合わせただけの体裁だ。そんなもので出す答えは碌な代物ではない」

 

 歪みを抱えているわけではない。同じ正義を見ているはずなのに、周囲からズレていく感覚。

 妥協すれば良かったのかもしれない。肩の力を抜いてしまえば、世界は大分生き易いものになっていただろうと自覚もあった。

 そうしてはいけない理由もない。むしろそうした方が多くの人々を救えたはず。周囲にもそれを求められていたと承知もしていた。

 

 それでも、己の正道を曲げられない。捨てられない執着は、まるで呪いのように苛みながら、信念の炎と化して男を突き動かしてきた。

 

「故に、対話ではなく闘争を選んだ。言葉ではなく刃でもって、己の意を通すと決めたのだろう? 弱者の論理を振りかざす者共に迎合するのではなく、己にとっての真を貫くために」

 

「むぅう、まるで意を得たように語りおって! お主に小生の何が分かるというのだ!?」

 

 まるで自分の意を解明するような甘粕の語り口に、ガトーもまた反応する。

 ガトーにとって、それは己の生涯を捧げて得た結論だ。どういう意図であろうとも、それをさも承知したものとして語られては穏やかでいられない。

 

「分かるさ、同胞」

 

 それに甘粕が返すのは、短い中に万感の思いと共感をこもらせた、そんな一言。

 

「俺もおまえと同じだよ。同じ憤りと決意を抱いてここにいる。俺たちはきっと、同じ世界をこの眼に映しながら生きてきたのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘の規模は確実な拡がりを見せていた。

 数多のエネミーを引き裂ながら進む白いバーサーカー。目につく全てを手当たり次第に蹂躙していく様は、まさしく自我を持って駆動する嵐とさえ形容できる。

 白い災害が通り過ぎた跡には、一方的な破壊の残照だけが残る。振りかざす純粋な暴力は、文明的な力では決して顕せない自然的な爪痕を刻んでいく。

 

 対し、アーチャーが率いる銃火の総列もその威を振るっている。

 戦場全体に展開された種子島。一人の王の下に統率された火力群は、確かな理により運営されて効果的に機能している。

 妨害、誘導、牽制にと、一射ごとに各々の意味が伴われている。構築された戦況予測による詰め将棋に導かれて、その範囲を拡大させながら成果を掴み続けていた。

 

 自然現象のような無差別な蹂躙と、人の軍勢が為す術理を伴った銃火。

 対称的な両者の破壊に、優劣を問う事は出来ないだろう。だが、今この場での優勢がどちらかと問えば、それは明らかな事だった。

 

「ハハハハ、無駄じゃ無駄じゃ! 獣が如き暴力風情に、我が『三千世界(さんだんうち)』は崩せはせん」

 

 アーチャーの戦術によって運用される三千の種子島。

 それはバーサーカーを的確に阻害し、標的であるエネミーを確実に仕留めている。

 全体数で見ればバーサーカーが圧倒しているだろう。しかし設定された『狩猟数勝負(ハンティング)』という条件が、アーチャーの優位を築いてきた。

 

 既に築かれた優位性は崩し難い。このままいけば勝負を制するのはアーチャーだろう。

 それを承知するようにアーチャーは笑う。だがその裏では、互いにある戦力の是非を正確に測ってもいた。

 

 バーサーカーの持つ純粋な個体性能。

 それはアーチャーを上回る。直接の戦闘となれば勝算は向こうにあるだろう。

 とかく気にすべきは『神秘殺し』の特性の不発。アーチャーの本領がまるで発揮されていない点だ。

 特性がなければ『三千世界』は宝具の性質を持つだけの数の多い種子島でしかない。それではバーサーカーに対し有効打を与えられない事は実証済みだ。

 

 今の優位で、未来の問題を忘れる愚は犯していない。

 7日目の決戦日、その時に待つのは小細工無しの正面対決だ。

 今回のような条件の縛りは無い。まともにぶつかれば不利は明らか。それまでに敵の手の内を知り、勝算を練らなければならない。

 

 アーチャーは合理性の英雄だ。

 尊大であっても、慢心はしない。不遜の裏では常に戦略を巡らせている。

 互いの相性を見定めて、勝利へと至る道を模索する。不確かさを廃する理詰めの戦こそアーチャーの本質、そこを失念する事は決してない。

 

「アアアアアアアアアア――――!!」

 

 叫びがあがった。

 元の美声を台無しにする、殺意の狂騒に塗れた女の咆哮。

 無感動であった女の、初めての感情の発露。存在より発せられる魔力の昂りが大気を鳴動させた。

 

「獲物をさらわれ続けて怒ったか? 動物らしく素直なことじゃ」

 

 バーサーカーの姿が閃光と化す。

 特別な能力や宝具によるものではなく、純粋な速度によって超越する人外の理。

 その加速は、同時に蹂躙規模の増大を意味している。理性を持たない破壊現象と化して、バーサーカーは諸共総てを引き裂いていく。

 

「ふむ、確かに疾くはなったのう。しかしそれしきならば想定の範疇じゃ」

 

 しかしながら、アーチャーの布陣は崩れない。

 あくまで威力と速度が上がっただけならば、脅威的ではあるが、対応できないほどではない。

 バーサーカー自身に通じないのなら、他のものを狙えばよい。銃撃に追い立てられ、誘導されて、望まざるに関わらずエネミー群はアーチャーの意図の通りに動かされる。

 わざとバーサーカーの進路上を阻むように、標的を隠す壁とされて、その隙に狙うべきエネミーだけを的確に仕留めていく。

 

「貴様の底とはそんなものか?ならば恐れるに足らず。たとえ性能が埋め難かろうと、知恵持たぬ物の怪ならば、わしに討てぬ道理はない」

 

 ただ疾く、ただ強い。

 それが脅威であるのは間違いない。しかしそうした怪物を打倒してみせるのが英雄だ。

 理性と引き換えに自らを強化するのがバーサーカーというクラス。それは即ち、性能以外の部分では大幅な劣化が見込まれる諸刃の剣だ。

 どのような優れた能力、宝具があったとしても、それを振るうための理性が消失していては意味がない。発揮されない効果ならば無いも同然だ。

 その存在は通常のサーヴァントからは例外的なものであっただろう。だからこそ、狂戦士という型枠はその特性の大半を阻害するものであった。

 

「もっとも、人の枠に納められぬ化生とあっては、果たして見合ったクラスがあったかも怪しいが。せいぜい発揮できぬ本領を歯痒く思うがよい」

 

 己の不利も理解している。特性が発揮されていないのは自らも同じ。

 その上で、アーチャーは未だに勝機を確信している。少なくとも現状のままであれば、このバーサーカーも決して打倒できない存在ではない。

 その根拠とは、知性の有無。理を駆使して世の不条理を道理に変える、知恵という人の持つ最大の武器。どんな強力な怪物も、知恵持つ人の手により打倒されてきた。

 ならば恐れるまでもないだろう。如何に隔絶した性能を誇ろうとも、そこに研鑽の跡はない。狂える獣に過ぎないというのなら、理によって駆逐できる。

 このままその能力の全貌を見極めて、来たる決戦での勝機を得る。そこにある力の底がアーチャーの想定を超えない範囲にあれば、もはや勝利は揺らぐまい。

 

 ――故に、その認識は即座に改められることになった。

 

「――――■■■■……ッ!!」

 

 世界が、震えた。

 それは単なる大気の振動とはまったく異なる。

 単純な物理現象とは決定的に意を違えた、超常さえ越えた超越。

 伝播する意思が、世界の法と繋がっていく。発信源となるのは狂える白き姫。理性を持たない原始的な獣性が、世界そのものと同化して顕彰される。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 今一度、再認識しよう。このバーサーカーは規格外である。

 彼女という例外は英霊の理屈で測れるものではない。その存在の底が何処にあるかなど、想定出来ていると考える事こそが思い上がりだ。

 どんな合理性の枠でも測れないからこその規格外(EX)。超越の証であるそのランクは、決して軽々しく当て嵌められるものではない。

 狂戦士のクラスは彼女から理性を奪っただろう。存在が持つ特性・能力のほとんどが封じられてもいるだろう。

 しかし、それで打倒が可能かと言えば、それはまったく別の問題。理性が奪われ、能力が封じられようとも、彼女はやはり変わりなく"規格外"なのだから。

 

 知性が無い? 真の怪物にそんなものは必要ない。

 小賢しい知恵などが入り込む余地はない。ただ在るだけで全てを圧倒し蹂躙する暴虐の力、それこそが怪物と呼ばれるものだから。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――!!!!」

 

 世界を染める朱の色彩。

 濃く、深く、色は天地に染み込んでいく。

 それは世界との等しさの証明。大いなる根本と交わした鮮血の契約。

 其は"触覚"として在る者。分かたれた真なる祖、繋がる血の命約は絶たれない。

 

 ――血の姉妹が、面を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同じ、だと……!?」

 

 漏れ出た声は、戸惑いの色に染まっている。

 己の同類だと語った甘粕の言葉、それはガトーにとって全く慮外のものだった。

 

「俺はな、敬虔な信仰心など持ち合わせていない。神など人のための道具だと思っている」

 

 続いて発せられたのは、信仰に対する否定の言葉。

 甘粕は神の実在を信じてはいない。かつて神々が世界に実在した神代ならばいざ知らず、現在においては共同体が正義と道徳の価値観を共有するための道具に過ぎないと。

 心を一つとする拠り所、方向性を定めるための象徴として。なまじその意義と価値の程を理解しているからこそ、利用すべき道具という姿勢は崩れない。

 

「人の本質とは悪であり、人間は堕落を貪るものである。なるほど、俺も同じ意見だよ。管理の安寧に浸る事に慣れた人類は、あまりにも度し難い。

 痛みが無ければ人は立ち方さえ忘れてしまう。おまえはそこに神への畏敬を求めたが、俺の場合はもっと直接的でな。

 ――痛みを忘れた世界には、思い出させるための試練こそ与えるべきである」

 

 同意してみせ、その上で開帳させるのは自らの狂気(イノリ)

 穢れなき神性を求めたガトーとの差異、それは他の何者かの手に預ける事を良しとしない漢の信条であった。

 

「俺は人の勇気が好きだ。意志の限りに奮闘し、苦難へと立ち向かう姿こそ人間の光だと思っている。愛する人の輝きを絶やさないために、俺はこの月へと昇ってきた。

 立ち向かうべき困難が見当たらんのなら、それに相応しい災禍をもたらそう。果てに人々の魂は練磨され、世界は輝きで溢れるだろう。きっと素晴らしい未来が待っている。

 それが俺の祈り、俺が求める"楽園(ぱらいぞ)"だ。この甘粕正彦が聖杯に懸ける願いである」

 

「世界にもたらす試練だとぅ!? それではまるでヤハウェが如き所業ではないか! 人に許された所業ではない!」

 

「ならば神には許されるのか? 曰く、人の都合に形作られた神とやらに。それでは不足だという結論は、おまえが唱えた言葉ではなかったか?

 言ったように、俺には敬虔な信仰心など無い。ならば足り得る神格を見繕うよりも、自分自身でやってみせようと考えた。その役割を俺が担う事、何か不足があるなら言ってみせてくれ」

 

「不足ならば大いにある! 貴様の心の有り様の問題ではなく、そも神の所業を人の手で行う事自体が重大な過ちなのだ!

 人は人を裁いてはならぬ。己自身の不純さを、人間は皆理解している。故にこそ一切の罪を持たぬ神に裁定を委ねるのだ。人が人を裁くのなら、そこには新たな罪と憎悪が生まれてしまう。

 訪れる天災、降りかかる不幸、それら理不尽を試練として受け取れるのは、人ならざる天上の意思故に他ならん。怨むべき誰かがいないからこそ、人はその憎しみを呑み下せる。

 理不尽に人の意思が介在するなら、それは単なる人災よ! 人の憎悪は対象を見つけ、生じるのは奮起の決意ではなく怨嗟の執着。それは人を進ませるものではなく、世に嘆きと破滅をもたらすものである!」

 

 破格の意志で断言する甘粕に、真っ向より反論するガトー。

 決して引けを取らないその気迫は、ガトーの持つ決意の強さの証でもある。

 

「理解せよ。人は人のまま神の役目を担う事は出来ぬ。神が如き力を持とうとも、それは断じて神ではない。この世の善とは、人の覚悟や信念のみで背負えるものではないのだ!」

 

 ガトーの理念には神の存在が重くある。

 人々の信仰を受け取る象徴にして絶対。たとえ罰をもたらそうとも、その聖性が崩れない何者か。

 それこそがこの世を救う光になると信じている。その思想の是非はともかくとして、揺るぎない信条と人類の行く末を憂う気持ちは間違いなく本物だった。

 

「なるほど。ふふふ、実に小気味よい反論だった。流石、信念を持つ男の放つ言葉は違う。この胸に響いたよ。見込んだだけの事はある。

 確かに神の役割など俺にやれるものではないな。崇め奉られるのも柄ではない」

 

 感じ入った言葉に頷いて、甘粕は告げる。

 彼は人の意志を、勇気の発露を求めている。その気持ちは度し難いまでに本物だ。

 試練の祈りを謳う男には、力ある反論さえ心地よい。それが敵意であれ、決意と覚悟を秘めて立ち上がる姿こそ愛してやまないものだから。

 

 故に、どれほどに感じ入り、反論に頷いてみせたとしても、その信条は揺るがない。

 甘粕の語る道理、人の怠惰を是正する試練の意義は、恐らくは完全否定のしようがない真理でもあったから。

 

「ならば、俺は"魔王"となろう。災禍をもたらす悪として、人々が立ち向かうべき試練として、俺は月の玉座に君臨しよう。

 抗う意志を、立ち上がる勇気の姿を、俺は等しく愛している。たとえ憎しみが源泉にあろうとも、練磨された信念は輝きを放つのだと信じている。

 俺という人災を見事に打破し、強さを得た意志により未来が開かれるのなら、それこそ我が本懐。何も躊躇う事はあるまい」

 

 甘粕正彦の根底にあるものはまぎれもない人類愛だ。

 嘘偽りのない愛による行動だからこそ、その思いは止まらない。

 どんな矛盾も手段の是非も、情熱の熱さの前には容易く振り切ってしまえるものに過ぎないから。光の属性を備えた男は、道が見えている限り歩みを止めない。

 

「そして、そのようなおまえだからこそ、俺たちには等しい思いがあると確信できる。

 覚えがなかったのだろう? 心の底ではその存在を信じてはいなかった。己と同じく苦難への道を、たとえ世に背を向けてもあえて進まんとする気概の持ち主、そんな者が己以外にもいるのだと実感した事はなかっただろう。

 俺も同じだよ。だから理解る。ここには己と同じ気概を持つ者がいるのだと、俺は初めて実感している」

 

 互いの思想は異なっている。明確な否定も既に告げられた。

 それでも、両者の性質には似通った部分がある。余人が付いて来れない理想を追い、その厳しさに屈する事のない雄々しさを持っている。その強さはハーウェイにも無いものだ。

 胸に抱くべきは不屈の決意と不断の意志。輝ける太陽のような光の精神を宿した者、甘粕正彦と臥藤門司は同じ方向性を宿した"勇者"だった。

 

「この巡り合わせに感謝しよう、臥藤門司。目指す地点は違えども、おまえと俺は同じ思いの熱さを抱いた者だ。我が"同胞"と出会えた事が、俺は心の底から喜ばしいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 常識が塗り変えられていく。

 本来あるべき法則が書き替わり、異なる法が世界を覆う。

 それは現実を侵食する異界現象、などではない。世界自身がその様相を入れ換えさせた自然法則の越権であった。

 

「なん……じゃと……!?」

 

 その洗礼に晒されたのはアーチャーだ。

 

 身体が重い。常の自由が働かない。

 我が身に圧し掛かる異様なまでの束縛が、アーチャーの力を奪っている。

 逃れたくても逃れられない。それは魔術の類いとは決定的に異なる、舞台の上の仕掛けではなく、舞台(セカイ)そのものが入れ替わった結果だった。

 

 月に存在する重力は、地球の6分の1だという。

 遍く総てを大地へと繋ぎ留める力が、6分の1に。ならばそれは概念的に、地上に存在する生命たちの力も6分の1となるに等しい。

 

 それは神秘や信仰によって成された能力ではない。

 世界という基盤自体が発揮するもの。神霊の行使する『権能』にも匹敵する力。

 周囲の環境を自らの存在へと寄せる。理屈の一切を飛び越えて"ただそう在るもの"として世界に適用されるテラフォーミング・アトラクション。

 故にその効果からは何者も逃れられない。どのような護りを持とうとも、この世界の上に立つ生命である限り、何人もその法則から免れる道理はない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 サーヴァントという定義において、それが白いバーサーカーの"宝具"に値する力だった。

 

「ぐぅ……っ! 危うい敵とは分かっておったが、これは……!?」

 

 弱まった敵の姿に、その暴威を発揮するバーサーカー。

 先程までとの戦力比は、単純に見積もっても6倍。

 更に対象となるのはアーチャーだけではない。アリーナに存在していたエネミーに至るまで、この場に存在する総てが改変されたルールの影響下にある。

 広がった格差はあまりに歴然、加速する蹂躙はもはや止める術がない。どんな妨害や障害でも、圧倒的な力によって捩じ伏せられる。

 

「ちぃ! 口惜しいが、ここが潮か……!」

 

 そして、アーチャーは数多の戦を生き抜いた歴戦の将である。退き際の見極めは、それこそ必須と呼べる感覚だ。

 この場において、もはや自分は勝ち目がないと見栄も恥もなく判断する。その思考は冷静そのものであり、躊躇する様子は一切見られない。

 未練や迷いは残さない。ここまでの優位も即座に放棄して、生存のための撤退を開始する。

 

 だが、白いバーサーカーはそれを許さない。

 苛立ちのままに能力を解放したその様は、狂戦士に相応しく暴虐の意志に染まっている。

 ならばこそ、苛立ちの元凶となった者に執着が向かうのは必然。もはや雑多なエネミーらなど眼中にない。

 執拗に自らの手を焼かせたアーチャーへと、バーサーカーの敵意は移っていた。

 

「グウウウ、ガアアアアアアアアァァァァッ!!!!」

 

 弱体していく周囲を尻目に、増大する女の魔力。

 濃密すぎる魔力の高まりは、もはやそれだけで可視可能な域に達する。

 それは鮮血の朱をしていた。女の身から発せられ、朱いオーラとなって纏わり付いている。

 たとえ魔術の心得が無い者が見たとしても、その異常ぶりははっきりと知れるだろう。迂闊に直視すれば、それだけで視覚が焼け落ちるほどの濃密な瘴気は、人あらざる者の証明だ。

 

 武具など無い。技など不要。

 隔絶した戦力差、存在としての格差とは、小賢しい策を無意味にする。

 ただその本領を発揮するだけで、彼女はこうも簡単に敵を追い詰められる。理屈がどうだという以前に、そもそも勝負の土俵にさえ上がれていない。

 

 バーサーカーが為すのは単純明快な蹂躙劇だ。

 邪魔する全てを薙ぎ払い、その敵意の標的となる者を探し求める。

 通常ならば蛮勇、愚行と称されるだろう行いも、彼女という超越種がするのなら正道となる。

 だってそうだろう。効率云々がどうだのと、彼女の力の前には誤差にしかならない。どの道総てが踏み躙られるという結末が同じなら、一切に頓着せず突き進んでしまえば済む。

 逃れようとする足掻きが何になる? 白いバーサーカーの蹂躙は、それらを諸共に呑み込んであまりあるのだから。

 

 そして、あらゆる障害を粉砕して、ついにアーチャーの姿をバーサーカーが捉えた。

 

 一直線。閃光のような進撃はまさしくそれ。

 落下していくような加速は、まるで天より落ちてくる流星だ。

 敵意という名の引力に惹かれ、決して標的までの直線軌道を違えない。

 立ち塞がるエネミーも、妨げになるアリーナも、一切合切を貫き通してバーサーカーは真っ直ぐな突進を敢行していく。

 

 迫り来るその光景は、まさしく死の幻視。

 触れれば滅びを免れない絶対的な暴力は、絶望してあまりあるものだろう。

 されど、アーチャーもまた幾多の死線を越えた歴戦の英雄である。絶望を前に奮起する魂の強さは、英雄にとって必需と呼べるものであったから。

 

 迎え撃つ鉄砲群の一斉掃射。降り注ぐ銃弾の大豪雨に、しかしバーサーカーは怯みもしない。真っ向から受けながら、その悉くをはね返して進み続ける。

 それは既に承知の事実。アーチャーの宝具は、このバーサーカーに一切の特効を発揮できない。勝算があっての迎撃ではなく、ともすれば生き汚い足掻きとも言える行為。

 それでもアーチャーは諦めない。彼女は下剋上の英雄なれば、隔絶した戦力の違いを覆して活路を開くのは、恐れを制して前へと向かう意志だと知っている。

 たとえ通用せずとも、これこそがアーチャーの最も信頼すべき"宝具"なのだ。僅かでもその進撃を阻み、退くまでの時を稼ぐために全霊を尽くす。

 

 それは時間にすれば瞬きの間、交錯の刻は訪れる。

 朱の魔爪が震わす蹂躙が、アーチャーを砕き散らさんと繰り出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臥藤門司は、孤高なる求道者である。

 

 理解されない教義を謳い、拒絶を身に受けながらも道を曲げなかった男。

 魂は善性の色を備えている。世の道理も決して理解していないわけではない。

 語る理屈には共感を得られる部分も少なくない。人々より異端と認識されるような歪みを抱えているわけでは決してなかった。

 

 正しすぎるが故に、ついてこれない。

 間違っていないと分かっていても、その道があまりに厳しいものだから、誰もその背に続こうとしない。

 それは余人には合わないものだ。適さない有り様は道理として広まらず、求道の孤高を深めていくばかり。

 世界を救いたいと願っている。堕落し衰退していこうとする人類を正しい場所へと導きたい。その信念には穢れなく、揺るぎない不屈さ故に妥協もできない。

 

 孤独では折れない。男の意志は強いから。

 けれど何も感じていないわけでもない。その心は真っ当なカタチをしている。

 己を曲げられない以上、孤独の痛みはどうしようもない。感じる痛みに屈しないのは、譲れない信念の証左である。

 

 半ば自覚もしていた、その欠陥。

 恐らく誰とも理解し合えず、自分は歩み続けるのだろうと諦観していた。

 しかし、ここに対峙する男がいる。同じ決意と、同じ不屈でもって立つ男が。

 祈りの形は違っている。それでも確かに分かるのだ。目の前の男が歩いてきた道が、どのような苦行の果てにあるのかが理解できる。

 それは共感をもたらしていた。長年に渡る孤高の内での求道が、故にこそ得難い同士との邂逅に高揚する心の疼きは抑えられない。

 元より抑えるべきものでもない。本来ならば歓迎すべき事態だろう。諦めの境地で臨んでいた苦行の道に、心からの"理解者"を得ることが出来たのだから。

 

「……このような修羅の巷で、貴様は友誼を望むというのか?」

 

 だが、それは勿論、通常の状況においてはの話である。

 ここでの彼らは殺し合う事を定められた関係。己の祈りの成就のため、眼前の相手の生命を否定しなくてはならない。

 真に相手のことを理解できるからこそ、受ける咎の痛みも重いものとなるだろう。この生存競争において、それは余計な重荷になる。

 心からの理解など、いっそ出来ないほうが幸運だろう。古代の戦士たちの価値観とは違い、人権の重んじられる現在では、知人の殺戮など忌むべきものでしかないだろう。

 

「だからこそ望むのではないか。一切の絆が燃え落ちる修羅の巷であればこそ、光の尊さはより強く輝いて目に焼き付けられるだろう。

 互いは決して相容れない、俺たちは死闘を演じる宿命だと、そのように理解を拒もうとする姿勢が真に正しいものだと言えるのか?

 逃れられん宿命だというのなら、尚の事覚悟をもって背負うべきだ。我も人、彼も人だと、この手で轢殺する祈りがある事をしかと胸に刻まねば、流す血と涙に意味がなくなる。

 その道理、よもやおまえ程の男が認識していないとは言うまいな?」

 

 されど同時に、通常とは違うのはこの場の男たちにしても等しく言える。

 甘粕正彦にあるのは対峙する男との死闘に懸ける期待と高揚のみ。その心に迷いや躊躇いはまるで一切見当たらない。

 決して闘争そのものに悦楽を見出しているわけではないし、殺戮自体も忌むべきものと自戒もある。ただ激突の果てに人の魂が放つ輝きを見たいがために、甘粕は来たる決戦の刻を熱望している。

 異常なのは、その純度。通常の人間でも、多少ならばそうした感情を覚えることもあるだろう。道徳、倫理、恐れや嘆きといった他の感情と混じり合い、迷いの枷に縛られながらも前を向こうとするのが通常の人の心の有り様だ。

 甘粕正彦は迷わない。ある一つの感情が肥大し過ぎて、他の一切の感情が縛りとして機能しない。自身が感じる素直な喜びに従って、何処までも突き抜けて行ってしまう怪物なのだ。

 

「戦争とは、悲劇の代名詞である。その事実を俺も否定はせん。それ故に、この場所に覚悟を持って脚を踏み入れた俺たちは、事実から目を背けてはならんと思っている。

 一息に勝負を付けることを禁じ、準備期間を設け、対戦する相手の事を深く知る必要性を与えている。この聖杯戦争の形式に、俺は試練の意図を感じずにはいられんのだ」

 

「……己と他人が向かい合い、願うがために奪い合う。それは闘争というものの原点、犠牲も成果も、罪の如何さえもはっきりと示された図式。およそ戦いの本質に近しいこの舞台で、我らは互いを識り合うべしと、聖杯はそう言っているというのか?」

 

「さて、果たして聖杯の意思なのかどうか。数理の化身というには、この考え方は些か人間よりだからな。

 まあ聖杯の思惑など今はどうでもいい。俺はただ本音を晒してほしいのだよ。言葉として出たということは自覚もあるのだろう? そうして気迫を吐き出すのも、何とも肩肘を張ったような態度に映るのでな。

 未練を残したくないのだ。偽りのないおまえの"真"を見せてほしい。それこそ愛すべき輝きへと向ける、俺の本心からの友誼なのだから」

 

 甘粕正彦は怪物のように迷わない。

 ならば未だ迷いを持ち続ける、人間である臥藤門司はどうだろう?

 

 彼という男は常に裂帛が如き気迫を見せている。

 暑苦しく、近寄りがたいと感じるほどに。まともに見れば狂人という評価に落ち着くだろう。

 そう、彼の狂騒は分り易すぎる。冷静に聞けば、まるで理解の及ばない主張というわけでもないのに、必要以上の強引さのせいで台無しになっている。

 人に教えを説くべき僧の有り様として、それでは本末転倒だ。それが分からないほど臥藤門司という男は愚かではないはずだろう。

 

 聖杯戦争とは、慈悲のない殺し合いの場である。

 己の願いのために他者の願いを踏み躙る修羅の道である。

 言葉など聞くべきではない。理解など深めるべきではない。それは自分にも、そして相手にも迷いという名の痛みをもたらす。

 敵は倒す。戦いには勝つ。戦いの真理とは真実それのみだ。故にあるべき修羅の姿で臨むまで。自身のサーヴァントと同じく狂戦士にも似た有り様は、真理からぶれないための所作でもあった。

 

 しかし、それは即ち自然体ではないことでもある。

 例えば、甘粕正彦。この男は、いっそ清々しいほどに自然体だ。戦場であろうが無かろうが、一切頓着せずに自らの芯を揺らがせてはいない。

 単純(ノリ)に生きている、といってしまえばそれまでだが、それが強さに繋がっている事も確かだろう。彼は余計な迷いなど何一つ持っていないのだから。

 だからこそ余裕がある。何も強張る必要がないから、誰に対しても同じ自分として接することが出来る。たとえこれから殺す相手でも、その心を受け止める事が出来るのだ。

 

 要は無理をしているという指摘だった。それは決して的外れなものではない。

 必要以上の強情さは、余裕の無さの現れとも取れるだろう。余分な関わりを避けるため、あえて理解を遠ざけるような態度をしていたと言われれば、否とは言い切れない。

 それを指して、己の"真"から外れているというのなら、頷くより他はない。真実、己の信念に偽りがないのなら、甘粕のような自然体として在るべきなのだから。

 

 臥藤門司は自問する。己はどう在るべきであろうかと。

 ここには共感を持てる相手がいる。同じ孤高の中を生きた信念の理解者が。

 友誼の望みも偽りはないのだろう。そのような心に対し、自分はどう応えるべきなのかと考えようとして――――

 

 群がってきた新たな気配に、ガトーはその思考は中断した。

 

「……ふむ。まあサーヴァントのもとを離れたマスターならば、こうもなろうさ」

 

 二人のマスターを取り囲むエネミーの群れ。

 サーヴァントという武力から離れ、単独での無防備を晒す愚かなマスターは、彼らにとって格好の獲物となる。

 雑多な存在といえど、ただの人間の電脳体にそれら攻性プログラムは十分すぎる脅威だ。単独のところを襲われればひとたまりもない。

 

 プログラムに敵種の区別はない。ただ設定された通りに異分子を殲滅するだけ。

 意思の通わない瞳が二人のマスターを映している。どちらも設定された殲滅対象、すべき事は決まっている。自身に与えられた役割に従って、エネミーは二人に等しく攻撃を開始した。

 

 そして、迫り来る共通の脅威を前にして、敵対関係であるはずの二人は、まるで示し合わせていたかのように背中を合わせていた。

 

「さて、まずはここを切り抜けようか。問答の是非がどうであれ、お互いに生きておらねば始まるまい」

 

 踏み出して、真っ先に打って出るのは甘粕正彦。

 向かってくる敵の群に対し、手にするのは腰に携えた軍刀の柄。

 一歩の踏み込み毎に加速して、数瞬の内に距離を無しに。敵の攻撃に先んじて、抜き放たれた黒色の刃の一閃が容易く相手を両断する。

 

 重ねて言うが、アリーナに配置される敵性エネミーは決して弱くはない。

 サーヴァントの戦場に障害として設定されたものだ。個々で見ても単なる猛獣などの比ではなく、どれも魔獣の域には達しているだろう。

 如何に魔術師だとて、そのようなものの群れに挑みかかれば惨殺されるのが自明の理だ。それが人間という種別でのキャパシティであり、ムーンセルが判断した基準である。

 

 ならば、その群体に対し退くどころか勇猛果敢に真っ向から挑みながら勝利を納めるこの男は、

ムーンセルの定めた人間の基準を既に凌駕しているということだ。

 武技を奮い、夢を紡いで、迫り来るエネミーらを一つ、また一つと砕いていく。人を上回る存在を正面から相手取り、逆に粉砕していくその様は英霊のそれを思わせた。

 まさしくそれは破格の証明、甘粕正彦こそ時代の傑物。どれだけの才覚と、何よりも意志の力が合わされたそうなるのか。世界を変えようとする益荒男こそ、英雄に最も近しい存在だ。

 

「では、おまえはどうするのだ?」

 

 幾体目かのエネミーを斬り捨てて、背中越しに甘粕が短く問いを投げ掛ける。

 全方位の敵を油断なく意識に捉える甘粕だが、その背中にだけは警戒を払っていない部分がある。

 互いの背中を合わせた時から、あえてガトーにだけは無防備を晒しているのだ。その背に預けた信頼でもって、まるで相手の在り方を試しているかのように。

 

 狙おうと思えば、恐らくは出来るのだろう。

 相手は死闘を繰り広げるべき敵対者、これを好機と見て仕留める事は当然とさえ言えるはず。

 少なくとも、選択肢は目の前にある。このままよりも遥かに楽で、確実な勝利へと近づける選択が、ガトーの前に突き付けられていた。

 

 そして戦場に在っては、選択肢を前に葛藤の時間さえ与えられない。

 ガトーの前に躍り出る1体のエネミー。その矛先は無論、ガトーの方を向いている。

 甘粕正彦は例外中の例外、魔獣に匹敵する敵性エネミーは人間にとって脅威である。迫り来る己の死を前に、余分な脚色は剥ぎ取られる。

 

 試されるのは自らの芯、その人間の本質と呼べる部分だ。

 思考の猶予が無いからこそ、出される答えはここに至るまでの有り様が問われる事になる。

 その生涯を通じて、どのように生き、どのような意志を紡いできたか。咄嗟の事態を前にして、臥藤門司という男は逃げ出すのか、立ち止まるのか、それとも――――

 

「――喝ァッ!!」

 

 吼える漢の烈気が、その答えを示す。

 手にするのは功徳ある仏具の類いでなく、戦いのための"金剛杵(ヴァジュラ)"。染み付いた血潮の痕が、単なる飾りではない事を教えてくれる。

 その形相はまごうことなき修羅の相。烈帛と共に繰り出された一撃が、敵の魔手を掻い潜ってその身を穿ち貫いた。

 

「殺すと決めた。己の両の手を罪の血で染めると。この戦に赴く事を決心した時点で、我が身は既に悪鬼羅刹に等しきものと自戒はある。たとえ神の慈悲より見放されようが、我が女神への祈りを成就させると誓ったのだ!

 覚悟はある。決意もある。ましてや、この修羅道を走破するための修練を怠った事など、一欠片とて愚僧(オレ)の中には存在せんわ!」

 

 月の聖杯に懸けるガトーの思いには、僅かな緩みも綻びも無い。

 己の中にある影の側面、その在り方の拭えない矛盾についても重々に咀嚼済みだ。

 

 人の救いを目指しながら、人を殺す。

 それは人類の歴史において、あらゆる大義の裏に付き纏う罪悪だ。

 たとえ勝利を手にして、世に救済をもたらしたとしても、道の中途で犠牲となった者は救われない。如何に理想の尊さを謳おうとも、殺戮の業は決して拭えないのだ。

 善良な者もいるだろう。悲運を背負った者もいるだろう。あるいは覚悟なき者さえも、この手は残らず鏖殺して祈りの成就を目指す。

 修羅の道とはそういうもの、理解など求めて何になろう。()()()()()()()()()()()()()()、絆も結んでみせたところで余計な悲劇にしか成り得ない。

 

 臥藤門司に出来ることは、修羅としての己を貫くこと。

 どうせその道以外を選ぶことが許されぬのなら、只管に闘争の真理を体現する者となれば良い。

 (エゴ)も、(イド)も、己の心は余さず承知の上。それでも信念は折れず、戦いの意志は決まっている。

 迷いの葛藤などありはしない。力持たぬ者の道理は淘汰されて然るべき。ここで必要なのは慈悲でも功徳でもなく、ただひたすらに磨き抜かれた闘争の牙なのだから。

 

「フ、フフフフ、ハハハハハハハハハハ――――!!!!」

 

 哄笑が響き渡る。

 心からの喜色を表すように、後ろ暗さなど微塵もない快活な、豪胆な声。

 

 そんな魂の奮えに触発されたように。

 夢が形を成して結ばれる。本来それは空想と呼ばれるもの。如何に魔力を通した術式に支えられても、僅かでも緩みを含めば容易く霧散する儚さだ。

 それを、破格の念量が現実の領域にまで押し上げる。甘粕正彦の紡いだ夢は轟雷の破壊となって具現化し、敵の群へと降り注いだ。

 

 鼓膜を叩く激音と、吹き荒れる雷火の衝撃。

 それは裁きの象徴であったもの。とある星の開拓者により、人類の手へと渡った稲妻の奇跡。

 天墜の光を揮うその姿は、御座に君臨する主の荘厳を垣間見せる。もはや英霊の域にも迫る勢いで、甘粕正彦の邯鄲法はエネミーの群を粉砕した。

 

「よく分かった。やはりおまえは見込んだ通りの男だった。矛盾の闇を腹に抱えて、それを克己の意志へと変えている。実に見事な勇気の有り様だ」

 

 周囲に群がった敵性体(エネミー)らは焼き払われて、場には再び二人の男が対峙する。

 互いの視線は真っ直ぐに相手の方を向いている。その意志に弱さとなる不純はなく、両者とも雄々しい闘志を交わらせていた。

 

「だからこそぶつかり合う甲斐がある。互いの本懐を明かし、交わらぬそれを覚悟をもって受け止めたのなら、あとは力を示すのみだろう。なあ、我が好敵手よ」

 

 滾らせる思いには、友誼にも似た親愛の念も含ませて。

 来たるその日を待ちわびながら、甘粕は堂々たる宣戦を謳い上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刻まれた爪痕が、起こされた破壊の凄まじさを物語っている。

 サーヴァントの戦闘にも耐え得るアリーナの強固な情報構成が、無残にも引き裂かれてその残骸を晒していた。

 破壊の中心にいた者が無事であるとはとても思えない。凄惨たる結末がその先にはあるだろうと、それは当然の想像だった。

 

「……やれやれ肝が冷えたわ。これほどのは金ヶ崎の戦以来じゃ」

 

 アリーナの残骸に混じって、砕かれた無数の種子島が晒される。

 アーチャーにとっては攻撃の要である宝具、それさえ盾として差し出して守りに転じた。

 それは決死の足掻きだった。たとえ誇りの象徴を砕かれても、先を繋ぐ生存にかける意志の表明。そのために革新の王はあらゆる手段を尽くした。

 それだけのものを懸けた行動が無駄に終わるはずがない。無数の銃群にも阻まれながら、ついに魔爪の一閃はアーチャーが携えた愛刀によって止められていた。

 

()()()()。もはや貴様の手はわしには届かぬ。少なくとも、この場はな」

 

 そこが分水嶺であったのだろう。

 甚大な被害に対応した、ムーンセルからの強制介入。

 修復が開始されると共に、両サーヴァントの戦闘接触が禁止される。

 ここは勝者を決するための戦場ではない。その優劣に関係なく、月の聖杯は激突の仕切り直しを望んでいた。

 

「して、やはりこの場はわしの勝ちじゃ。感情に振り回され優先すべきを見誤る。理性なき狂戦士では詮無きことじゃな」

 

 そして、転ぼうともただでは起きないのがアーチャー・織田信長という英霊である。

 その宝具では個ではなく群。ここに展開された種子島も、無論のこと総てではない。

 無差別の大規模破壊によって引きずり出された本来の目的、『狩猟数勝負(ハンティング)』の標的であるエネミーは、残らずアーチャーの銃火に撃ち抜かれていた。

 狙われる己を囮とし、窮地にあっても利だけは獲得する。合理の効率を旨とする革新の王ならば、姑息とも取れるそれも当然の行いだった。

 

 隔壁越しに睨む白いバーサーカーの眼には、明確な敵意と苛立ちがある。

 小賢しくも己の一撃から逃れきり、あまつさえ勝負の勝ちさえ掠め獲った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、忌々しい事には変わりない。バーサーカーの意識には、はっきりとアーチャーの姿が焼き付いていた。

 

「そう急くでない。元よりサーヴァントのみでの早々の決着など、ムーンセルが認めたがるわけもなし。此度の死合いには、月の眼も好奇に惹かれておるだろうて」

 

 甘粕正彦と臥藤門司。並み居る才気の持ち主たちが集った月の聖杯戦争においても、この二者は際立って異彩を放っている。

 甘粕正彦はもはや言うに及ばず、臥藤門司もまた、その能力を見込まれてムーンセル自らが招来したという経歴を持っている。

 そのような特待枠だからこそ、サーヴァントの枠組みからも外れている白いバーサーカーと参戦する権利を認められているのだ。

 

 かの少年王にも並んで、ムーンセルにとっての注目株。

 ならば彼らの演じる死闘には、月の眼も引き寄せられるのが必然だ。サーヴァントだけでの決着では、その本質は観測できない。

 

「難儀な型破りのマスターについたのはお互い様じゃ。どういうつもりでアレに付いておるのは知らぬが、従いたからには是非もあるまい。それがサーヴァントというものの本分じゃ」

 

 唸るように威嚇を続ける白いバーサーカー。

 その口から理性的な言葉は出てこない。狂戦士のクラスに囚われた彼女にその自由はない。

 頷いているのか、それとも人間のマスターなど意にも介していないのか。朱と紫の双眸は、ただ睨みつけてくるばかりであった。

 

 その様を見ながら、アーチャーは笑った。

 挑発的に、さも上位者は己だと言わんばかりにふてぶてしく。

 それが嘘か真かのどちらであろうとも、王として張り付けた彼女の鉄皮面は崩れない。

 

「せいぜい吠えておるがよい、人外の女よ。知を介さぬ貴様に、もはや掛ける言葉は無し。滅ぼされるべき魔性がままの姿で、来たる日までを過ごしておれ」

 

 踵を返す。もう視線は戻さない。

 アーチャーの向かう先には帰還用のワープポータルがある。革新の王が見据える戦の理には徹底して穴がない。

 ムーンセルからの隔壁が降りた今、どんなに猛ろうがサーヴァントには手が出せない。その枠へと押し込められた白い女は、忌々しげに立ち去る背中を睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どうやら我がサーヴァントも撤退したようだ」

 

 何気なく話を変えるように、甘粕は口調を緩めて告げた。

 

「名残惜しいが、今日はここまでであるらしい。後のことは決戦の日まで持ち越すとしよう。

 ……ああ、それとも、その手の甲の『令呪』でも使って、この場ですぐに仕切り直しといくかね?」

 

「愚問。そのような匹夫の勇に興味はない。我が神の御力は絶対なれば、小生はただ正道に突き進むまでである」

 

 その心に揺らぎはなく、答えるガトーの姿は雄々しい。

 それは甘粕の待ち望む勇者の姿。期待を裏切らないガトーの答えに笑みを零して、甘粕はそのまま立ち去ろうとする。

 

「……待て」

 

 その後ろ姿を、既に決着は見送ると宣したはずのガトーが呼び止めた。

 

「おぬしの望むところは理解した。人の勇気なる価値を尊び、試練に際し奮闘する姿を光とする。間違ってはおらんし、小生自身、頷けるところは大いにあったとも。

 故に、おまえは笑うのか? 己という試練を前に、立ち上がり"真"を示す輝きを喜び、喜色満面な笑いを見せるのか?」

 

「それこそ愚問だろう。俺は人の勇気を愛している。それが心からの愛ならば、目の当たりにして喜ばん者はおらんだろう。故に迷いなく答えよう、その通りだと」

 

「……たとえ、その手で愛する者を打ち砕く結果になろうとも、か?」

 

 常の暑苦しいばかりの言葉ではない。

 静かな、しかし鋭さを秘めた言葉で、ガトーは魔王の矛盾を指摘する。

 

「そうだな。ここまでの道すがらにも、幾度となく問われたよ。俺の祈りは、俺が愛する者こそを殺すものだと。

 信じているからと言っても、そんなものは他者が聞けば狂人の戯言だろうよ。紛れもなく、それは俺という男の願い(エゴ)の裏に生じた(イド)であろうとも」

 

 指摘を、甘粕は厳粛に受け止める。

 自らの闇に背は向けない。正面から向き合って、それもまた己の一部だと理解する。

 それは人として否定されるべき怪物性。人類そのものを滅ぼしかねない醜悪な度難さ。偽りなく人々を愛する甘粕にとって、その矛盾はやり過ごせるものではない。

 

「是非もなかろう。光も闇も含んだ上で成り立つのが俺という"人間"だ。甘粕正彦という男が出した結論、魂を懸けた"真"である。

 この未来は間違っている。誰かが叩き直せねばならんと、他でもない俺自身が断じたのだ。一度信念の御旗を掲げたならば、その正しさを決めるのは貫く意志の絶対値だろう。恐れや妥協に立ち竦む者に、どうして大事が成せるという。

 我も人なら、彼らもまた人なのだから。迷惑だ、間違いだと、そのような非難は百も承知。それらの否定を人々の意志だと認めるならば、俺の意志とて認めてもらわねば道理が通るまい?

 ――殴るから、殴り返せよ。甘粕正彦の願いとは、真実それのみであるのだから」

 

 それでも尚、己の真理とはこれであると、甘粕正彦は謳い上げる。

 人とは、そもそも矛盾を孕んだ生き物だ。知性の発達と共に獲得した心という概念は、何処までいこうとも完全にして普遍的な善悪でもって語り尽くすことは出来ない。

 誰かの正義を、別の誰かが悪だといい、誰かの決断、思いやりを傲慢、侮辱だと別の誰かは取る。千差万別、人の心理に同一のものなど一つとして有りはしない。

 

 人の罪と罰を決めたのが人ならば、信念の是非を決めるのも人の意志だ。

 自罰はしよう。血も戦争も好きなわけでは決してない。勇気をこの手で砕くことは悲劇だと嘆いている。

 目を背けているわけではない。たとえ矛盾を承知しようと、殴らなければ変わらないものがあると信じている。変えなければならないと、この魂が叫んでいるから譲らない。

 それが平和だからと戦うことを避けて、何もしないでいる事が正道などと、そのような結論を受け入れることだけはあってはならない。

 

 甘粕正彦は揺らがない。彼の決意は、既に完成されている。

 止めるなら、納得(はいぼく)させなければならない。その絶対値をも上回るほどの意志でなければ、不退転の超人に膝を折らせるなど不可能だ。

 

「かつての予選(にちじょう)での頃を倣って、あえて呼ぼう、友よ。せめて悔いを残らんことを。全霊での激突の果て、敗れし者にも一抹の納得があることを祈っている」

 

 改めてこの場より去っていく甘粕を、今度はガトーも止めなかった。

 指摘にも動揺を顕さない。むしろ迷いを突きつけられたのはガトーの方であっただろう。

 世の救済、神の導きを謳いながら、無慈悲な闘争に手を染めている。修羅の如く意志を猛らせようとも、根底にある忌諱は隠しきれない。

 その矛盾、己自身の暗部に対し、ガトーは甘粕ほどの悟りには至っていない。元来の自然体から外れ、修羅としての在り方を課しているのが証拠だろう。

 常人に近い者をまともと言うなら、甘粕よりもガトーの方がまだ()()()だった。迷いがあるからこその人であり、たった一つの真理(おのれ)を見つけた超人の域に、ガトーはまだ到達してはいないのだ。

 

「……友、か。ここに至って尚も迷いなくそう呼べる心理こそ、おぬしが悟りの境地にあることの証左なのであろうな。

 愚僧(オレ)の未熟、ここに痛感した。やはりこの身は道の途上、救世主(メシア)を名乗るには欠けているものが多すぎる」

 

 自戒の言葉を口にする。無論、それだけで迷いが晴れるわけではない。

 自分の中の闇の部分とは、ただ自覚して理解したなら乗り越えられるほど甘くはない。

 半ばの自覚がありながらも、矛盾から目を逸らして生きていけるのが人間というものだ。自分自身と向き合って答えを出すなど、大概の人間はそこまで真剣には生きていない。

 時間が掛かる場合もある。あるいは、何かの切っ掛け一つであっさり越えてしまう場合もある。人の心とは、強きにしろ弱きにしろ、それほどに移ろい易い。

 恐らくは、そんな切っ掛けと成りうるものとして、甘粕は試練を与えようというのだろう。人の目覚めを促すものとして、その祈りに確かな理があるのは間違いないことでもあった。

 

「だが、ならば甘粕正彦よ。果たしておまえの正道には、愚僧(オレ)ほどの迷いはあったのか?」

 

 弱々しい呟きは、誰の耳にも届くことなく消える。

 言葉に意志が宿っていない。自分自身でも疑いを残したままで、他人に何かを説く事など出来るわけがない。

 

 その迷いは、きっと人としての迷い。

 勝たなければ、殺さなければ、と。極限の選択を強いられる闘争の場で、まともでいられる事こそまともじゃない。

 大義か、信仰か、それとも狂気か。何らかの理由で武装して、初めて人の心は保たれる。

 

 修羅道を誓った求道者に、真の光は未だ見えず。

 真理(かみ)と信じた存在もここには無く、晴れない迷いの中でガトーは立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナより帰還し、別々だった主従は合流を果たす。

 校舎内での戦闘行為は禁止され、マスターたちの安全も保証されているが、絶対ではない。目的のためならルール破りも辞さない手合いも存在する場合だってあるのだ。

 故に、そもそも契約を交わしたマスターとサーヴァントが別行動を取ること自体が愚行だろう。ましてやそれがアリーナならば、愚かも通り越した自殺志願だ。

 

「ふむ。その顔を見るに、此度のたわけた真似にも、そなたなりに成果はあったようじゃな」

 

 そんな、常識ではあり得ないような行動を平然とやらかす男のサーヴァントは、もはや呆れの一つも見せずに声をかける。

 

「ああ。やはり俺の思った通り、臥藤門司は素晴らしい勇気の持ち主だった。聖杯戦争の舞台から降りない限り、奴はその覚悟を貫くだろう。そんな男の拳をこの身で受け止められること、俺は嬉しくてたまらんよ」

 

「一切の実利には結びつかんがな。そなたのことじゃ、もはや是非はあるまい。

 そして奔放ぶりとは別に、そなたの見立てを疑いはせぬ。正彦、そなたがそう言うのであれば、わしも尋常ならぬマスターとして捉えておこう」

 

「それでいい。これまでの誰よりも、臥藤門司は強い。奴の覚悟に応えるには、こちらも力の限りに臨んでみせねば礼に反する」

 

 手を加える必要はない。既に臥藤門司は定まった強さを持っている。

 これまでのように、相手の強さを発揮させるため、あえて不合理な立ち回りをするような、そんな真似は不要となる。

 小細工は要らない。ただ全身全霊の力と覚悟でもってぶつかるだけ。真に対等だと認めるならば、相手のためにと慮る行い自体が非礼だろう。

 死力を尽くすとはそういうこと。己の理由に妥協しないことこそが、この戦いの中で許された唯一の誠意さだから。

 

「――で、だ。おまえの方はどうだった? 奴のサーヴァントはどれほどのものだった?」

 

 マスターに対して、もはや言うべきことはない。

 故に、考えるのはその"武器"について。聖杯戦争において、契約したサーヴァントの存在こそがマスターの揮う力そのものに他ならない。

 

「……厳しい、と言わざるをえんな」

 

 そしてアーチャーは、感情ではなく理でもって時代を築いた革新者。

 武器の性能を見誤ることだけは決して無い。故に、口に出されたその言葉には並々ならぬ重さがあった。

 

「狩猟の報酬と合わせて、奴の手の内はほぼ知れた。故にこそ断言できる。あのサーヴァントは、わしにとっての鬼門であるとの。

 人類史に根差す英霊でなく、また神霊と呼べる存在でもない。あらゆる意味で、わしが得手とする型より外れておる」

 

 アーチャーは、英霊としての存在強度、出力で戦う者ではない。

 その武器は相性戦。不確かな感情論を挟まない、勝てる要因がはっきりとしている。

 理を詰めて型に嵌め、勝つべくして勝つのがアーチャーの戦い方だ。ならばこそ、逆に勝利の要因の一切が喪失してしまったなら、その結末も明白となる。

 

「英霊ならば、大なり小なり神秘を纏っておるものじゃがな。果たしてあれを、神秘に類するものと呼んでよいものか。

 奴に対し、わしの特性は封じられる。醜態を承知で言えば、勝機は無い。わしという手札だけでは、どう足掻こうが結果は見えておるぞ」

 

 己は勝てない。認めてはならない結論を、アーチャーは静かに告げる。

 サーヴァントとして、理屈を重ねた上で出した解答だ。故に諦観はなく、ただ事実として伝えるだけ。

 ならば後はマスターの判断次第だ。如何に英霊が華々しく戦場を駆けようとも、サーヴァントとはあくまで"武器"。聖杯戦争の主役とは、現在を生きる人間であるべきなのだから。

 

「そうか。他ならんおまえの口から出た結論だ。俺の所感などより、それは確かな事実なのだろう。ああ、ならば俺にとっても、ここが死地というわけだな」

 

 サーヴァントの結論を、マスターである甘粕は受け入れる。

 動じない様は信頼の表れだ。自身の敗北を告げたアーチャーの言葉を、甘粕は疑っていない。

 アーチャーでは、あの白いバーサーカーには勝てない。直接その目で確かめずとも、信を置いた相棒の判断を躊躇いなく聞き入れた。

 

 直接の戦闘で勝ち目がないのなら、残された勝機は絡め手によるもの。

 あの緑衣の狩人(ロビン・フッド)のように、自らが弱者だとまず自覚して、卑劣に手を染める事を覚悟する事だろう。

 王のような、高い気位を持つ者であればこそ難しい。肥大した己という存在を貶める事は、単なる非道とは訳が違う。

 そこに尊厳の価値はない。あらゆる侮蔑を受け入れても、勝利という目的のみを追い求める覚悟。それが弱者の持てる意地であり、王をも殺せる唯一無二の刃であるのだ。

 

 そんな弱者が持てる強さを、甘粕は認めている。

 その執念を、懸ける意志の絶対値には敬意さえ抱いている。手段を選ばない卑劣さに忌諱感を持っているわけではない。

 

「であるなら、超えていかねばなるまいな。無い勝機を編み出して、自身を超える試練に打ち勝ってみせなくては。案ずることはない、諦めなければ夢は叶うと信じているのだ。それでこそ俺の本懐、俺にとっての"楽園(ぱらいぞ)"がそこにはある」

 

 故に、そのような結論へ至るのは、卑賤を嫌ってのことではない。

 要はノリの問題だ。そんなやり方でやっても面白くないし滾らない。何よりも"弱い"のだ。

 邪道に魂を懸けているならそれでよいが、己はそうでないのだから。付け焼き刃の覚悟では届かないと確信がある。半端な生き方で掴めるものが何処にあろうか。

 正々堂々、真っ向勝負。己の不利を知りながら、それでも男は魂から求める手段を選択する。駆けてきた生き様、信念に従って貫くことが、真に勝利へと繋がる道だと信じていた。

 

 今度こそ呆れた顔を見せるサーヴァントを尻目に、甘粕は進み始める。

 志すのは徹頭徹尾、己の王道。それを可能とする才覚と努力、そして何より勇気と覚悟が男にはある。

 それは常人には決して届き得ない道。破格の器、種の枠組みさえ超越せんとする者。まさしく超人だけに許された正道で、甘粕正彦は雄々しい意志を燃え上がらせていた。

 

 

 




 VSアルクェイド戦。
 真祖相手には魔人アーチャーの相性はまるで発揮できないとしました。
 帝都聖杯奇譚の続編の欧州死徒戦線だと、沖田とノッブ真祖にボコボコにされるそうなので、まあどうあれまともにやったら勝ち目なしという事なのでしょう。

 なので次回、またも独自設定が入りそうですが、容認していただけると助かります。

 あとガトーって、扱ってみると単純なようで結構複雑なキャラですよね。
 EXTRAのまんま狂人みたいな扱いと、CCCでの聖人そのものな扱い。
 どちらも紛れもなく臥藤門司というキャラクターで、そういう表裏があるからこそ、暑苦しい強さの内側には人間らしい悩みもあるのではないかと。

 それに人間の迷いが分からなければ、導くなんて出来ないと思うので。
 全然迷わない超人枠はアマッカスで十分です。


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