もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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4回戦:茶会

 

 炎が映っている。

 視界の総てを覆い尽くすほどの大火。善も悪も区別なく、一切を焼き滅ぼす無情の焔。

 聞こえてくるのは際限のない怨嗟の悲鳴。強欲な者、清貧な者、焔に呑まれた総ての者が、等しく悲痛な叫びを上げている。

 

 誰かが言った。こんな所業は許されないと。

 誰かが言った。これはあまりに酷すぎると。

 敵である者、味方である者、皆が等しく畏れ慄いた。

 だってそこは神聖なはずの場所。敵味方の垣根も越えて、心が住まう拠り所としてあるべき聖地なのだから。

 

 朱に染まりし地獄を現出させる者、この焼き討ちを行った王は、それらの畏敬にも揺るぎなく君臨していた。

 

 人々にその真意は計り知れない。

 故に、恐怖だけがそこに残る。非情の所業を行った王には、遍く人々の幻想が集まった。

 そのような真似は人に非ざる天魔の所業。ならばこそ、罪業に手を染めた王には『魔王』の忌み名が相応しいと。

 第六天魔王。それが王を呼び称する二つ名となった。神徳を冒した仏敵として、あらゆる敵意と畏怖をその一身に集わせたのだ。

 

 王はそれを否定しない。

 悪意を込めて告げられた忌み名を、自らもまた自称した。

 王は世の合理を知る革新者。恐怖とは、人を操るのに優れた道具であると理解している。

 神罰をも恐れぬ魔王として、人々が畏怖する姿の通りに王は振る舞う。必然、幻想はより強固に、王が被る仮面としてその厚みを増していく。

 

 人々に、王の心は分からない。

 衣に覆われた王の姿は、幻想に形取られた天魔のそれだ。

 "天下"を手中にせんとする王を質せる者はいない。幻想はやがて彼方の座にまで至り、英霊としての王の逸話を彩る伝承の一つとなった。

 

 ――ここから映る王の姿にも、見える真実はない。

 愉しんでいるようにも見える。あるいは悪鬼羅刹の類いにも、王の仮面はそう見せる。

 しかし、これほどに恐ろしい王あっても、また人の子だ。幻想を通してその姿を如何様に見せようとも、その心にあったのは一人の人間としての真実であったはず。

 

 紅蓮の業火を背に負って、魔王は世界に君臨する。

 それが魔王としての原風景であり、きっと本来の"彼女"を包み覆った幻想の衣。

 幻想の先の真実を知る者はいない――――他ならぬ王自身が、それを必要とはしていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いにしえから"場"が持つ効果というものは、普遍的に重要視された概念である。

 

 風水などの占術を初めとして伝えられる技術、知識。

 方角の吉凶、何処の立地にどのような建築をすべきか、果てには敵の城を攻める際にどの箇所を狙うべきかまで。

 それは根拠のない妄言などでは決してない。その時代の権力者たちにも用いられて重宝された、当時の最先端をいく地質学である。

 権力者とは須らく利に聡いものだ。己にとっての損得を測れない者に支配者の椅子は無い。何の成果も出さないものに与える価値など何も無いのだ。

 古来より存続する歴史とは、即ち効果の確かさの証明でもある。文明の光に照らし出された近代科学に基づいても、それらは的外れなだけのものではなかった。

 

 失われた神秘、魔術側の観点に立つのなら、その重要度はより顕著となる。

 土地に走る霊脈の有無次第で、扱える魔術の規模も質も大きく変動する。基盤となる場が整えられている事は、魔術の行使における基礎であり鉄則だ。

 かつて魔術協会がその権勢を振るっていた頃には、そうした"場"の確保は組織の意義の一つだった。霊地と認定された土地には管理者が派遣され、場の基盤の運営と守護を任される。そのような霊地の所有権を巡って、魔術師同士の殺し合いに発展する事も珍しくなかったという。

 

 "場"という概念における意味、それは霊脈の有無や立地条件といった実益的な部分の他に、もう一つ異なる側面がある。

 それは理由を与えること。この場がどのようなものかを定義して、その場所特有の在り方を定めるのだ。

 曰く、この場は神聖な処である。神が降りる場所、祈りを捧げるべき聖地であると。

 そうして人々に意味を付属される事で、場とは始めて機能する。『ここはそういう場所なのだ』と人々から思われるからこそ、神聖なものとも悪しきものとも成り得る。

 

 "場"に理由を与える。その例で上げるなら、この場所はまさしくそんな理由のために形取られたものだった。

 西方の教義である神や悪魔を含んで描かれる曼陀羅模様。ある宗教が大本を離れて他国の土地に根差したが故に、別の宗教観すら巻き込んで独自の発展を遂げた畸形の聖堂。

 元々の空間にあった教室(ようしき)は欠片も残っていない。学び舎という場の定義からはあまりにかけ離れた異質の固有領域(マイルーム)

 本来ならば参戦者(マスター)たちの休息のため、ムーンセルより与えられた区画である。改装の自由も、各々の心身に配慮してのもの。その意義において、今のこの空間は本来の用途に反しているとも言えた。

 

 甘粕正彦は切支丹(キリシタン)ではない。ここに描かれる神々を信仰してはいない。

 むしろ信仰が理由でないからこそ、この場の意味はあるのだろう。弾圧の中で積み上げられた隠れ(ハグレ)の歴史、積年の狂気が表すのは獰猛なまでに熱く滾った人の思いだ。

 国に認められず、その思惑によって叩き潰され、長きに渡る苦渋と絶望に晒されながら、尚も屈服することを良しとしなかった信仰への執念。

 清廉なものではない。明暗入り混じったそれは混沌と呼ぶべきものだ。決して心の炎を絶やさぬため、燃焼を続けた狂信は熱量の一点において本義さえ上回る。

 

 絵の一つに描かれる島原の乱。

 救世者の生まれ変わりとされ、数多の奇跡と共に指導者として祀り上げられた少年聖人。

 彼が何を思い、何を願って立ち上がったのか。資料を紐解いても人物像は浮かんでこず、現在に生きる者には想像を膨らませるしか手段がない。

 しかし、救済の信念は真であったと信じている。弾圧の中の凄絶な状況であったからこそ、人々の希望を一身に背負い立ち上がった意志に偽りはなかったのだと。

 彼は敗北者だ。かの『救国の聖女』のように、死後に名誉を回復したわけではない。無念は無念のまま、報われる日は訪れる事なく敗者としての名前を歴史に刻んでいる。

 それでも、彼という命の意志は否定されない。行動は無意味ではなく、敗北も無価値ではない。それもまた人類史の営みの一部と記録され、人類の生み出した意味の一つと記憶される。

 

 故に、己の居城を彩る"場"として、甘粕正彦はそれを選んだ。

 英雄とは勝利の象徴。仮にその最期が破滅であれ、中途の輝きによってどうしても栄光の色が強くなる。

 ならば描くべきは徹底した敗者たちの情景。そうした苦痛と嘆きの内にある意思こそが、最も強く激しい熱量を発揮するものだから。

 その絶望(しれん)を焔へと変えて、素晴らしき輝きとして再誕せよ。掲げる信条とも照らし合わせて、そのように己への自戒する"場"として此処はある。

 

 聖堂の中心で佇む男の姿は、まるで祈りを捧げる敬虔な信者のようにも見える。

 甘粕も、彼のサーヴァントであるアーチャーも、この畸形の聖堂を拠点と定め、了承した。

 それは無論、戦いのために。所詮は装飾に過ぎないと、一概に切り捨てられない影響力が、意味を与えられた"場"には確かに存在するのだから。

 

「さて」

 

 祀るべき神を持たない祈りの果てに、甘粕は呟きを漏らす。

 思考に対する一区切り、それを呟きという形で表して、新しい期待へと思いを馳せる。

 

 聖杯戦争も、その行程は既に4回戦目。

 中途の折り返しに差し掛かり、生き残った参戦者たちも選りすぐられる。

 これより先、戦いの熾烈さが増すことは推して知るべし。死闘を演じるべき対戦相手は未だ示されていなかったが、それを以て緩みを見せる者は一人もいないだろう。

 しかし、これが一種の休息期間(インターバル)である事も確かである。各々にとって死線となる決戦の日を越えて、極限の緊張から解放されたのが今なのだ。

 必然、心には僅かなりとも弛緩が生まれる。油断、慢心は論外だとしても、緊張状態を維持しすぎていても心身にとって毒でしかない。

 電脳体にも安息の時は必要だ。元より相手の事も分からないとあっては、どんな戦意も滞るのが自然である。闘争と闘争の間に差し込まれたこの時間こそ、闘争の緊迫から解放される唯一の機会だといえた。

 

 アーチャーからの申し出があったのは、そんな折での事。

 話がしたい、と。何も難しくはない、わざわざ申し出るまでもない事を、改めて彼女は口にしてきた。

 更には、場を変えたいとさえ。ここはあまりに無粋であるから、相応しい席を用意するので待っていてほしいと申し出てきた。

 

 それは常の威圧を伴った言葉ではなかった。

 有無を言わさず強制するような響きではなく、選ぶのはそちらであると配慮したもの。

 穏やかで慎み深く、断る事を負担とさせる事のないように。相手を慮った上での申し出は、およそどのような人間であれ恐怖や不快さを覚える事はないだろう。

 

 だからこそ、それはアーチャーに、第六天魔王・織田信長には似つかわしくないものだった。

 

 甘粕は思う。果たしてこれはどう受け止めるべきなのか。

 話とは聖杯戦争の、戦いに纏わる話なのか。恐らく否だろう。もしそうであったのなら、わざわざ場を変えようなどと申し出はすまい。

 ここが無粋だと告げるのは、求めているものが修羅場の渦中の如き苛烈さではないからだろう。前述した通り、ここは安息を得るための場としてあまりに不適切だ。

 

 ならばアーチャーが求めているのは真逆のもの。闘争に向かう空気の中では得られない安穏さ、そうした類いの空気こそ求めているのではと予測する。

 

 それでも全容は見えてこない。これほど近くに居て、幾度もの鉄火場を共に乗り越えて、内なる信念の語らいも行ってきたというのに。

 旧秩序の残骸を一掃し世に新生をもたらした革新者。理屈を重視し不確実な博打を嫌う現実主義者(リアリスト)。神仏を穢し鬼畜の所業に手を染める第六天魔。

 どれもが彼女の姿だというのに、どれもが似通っているようでいて芯の部分で結びつかない。故にその意図を掴みきれない。申し出にどのような思惑があるのか測れずにいる。

 

 思い返すのなら、アーチャーは目的の見えていないサーヴァントだ。

 聖杯への願いは持たないと言った。ならば召喚に応じたのは何故なのか。

 甘粕正彦という男の祈りを見届けると言った。ならばその心を決めた要因は何なのか。

 アーチャーの立ち位置には、どこか俯瞰した部分がある。ある一線の先には決して踏み込まず、第三者としての視点を維持している。

 元より甘粕とアーチャーの性質は異なる方向を向いている。思想が完全に一致してはいない。彼女が此処にいる動機、その根本的なところは未だ定かではなかった。

 

「未だ奥底の真意は見せぬままか。果たして今度は期待してもよいものかな? 我がサーヴァント殿は」

 

 甘粕正彦が敬意を表するのは、英霊という上位存在に対してではない。

 偉業を成し遂げ人類史にその名を刻む英雄たち。再現されたその記憶と人格に、彼は心からの尊敬を抱いているのだ。

 超常の存在としての力など、付属物に過ぎないと言い捨てて。数多の試練を越えて伝説へと昇華する生涯をやり遂げた魂こそが至宝の輝きなのだと。

 ならばこそ興味は尽きない。知りたいと素直に思う。自らと数奇な縁を持った英雄と、心ゆくまでに信念を曝け出してぶつかりたいと望むのだ。

 

 指定された地点へと自らを接続し、甘粕の電脳体が空間を跳躍する。

 転移。物質世界では魔法の領域だが、情報が全ての電脳世界では不可能ではない。

 例えば、空間の中に別の空間を作り上げるといった出鱈目でさえ、情報の構築される世界ではさしたる不可思議とも認識されずに罷り通る。この畸形の聖堂があるように、専用のマイルーム内ではマスターたちに様々な自由が許されている。

 目に映っていた光景は切り替わり、別なる景色が映し出されていく。転移の先、そこに待つものへの期待を抱きつつ、甘粕は鮮明となっていく視界をしかと認識し始めて、

 

 全体像から受け止めようとしていた意識は、一瞬にしてたった一つの存在へと注がれていた。

 

 即座の印象より浮かんだのは華、万遍と咲き乱れる群れでなく、際立って咲き誇る一輪の優美。

 袖を通した着物の漆黒に、描かれるのは純白の華模様。対象な二つの色彩がお互いを引き立たせて、調和を成した一つの美として完成を遂げている。

 軍装の黒色とは明確に異なる。威圧をもって他者に強いる色ではなく、それは他色に染まらぬ孤高の美麗さ。暗色と印象を受ける事なく、闇の中にも鮮やかな光をたたえている。

 

 誰が信じられるだろう。

 このように麗しき美貌を備えた乙女が、魔王と呼ばれ恐れられた英霊(アーチャー)であるなどと。

 変容が激しすぎる。同一人物だと理解していても、認識がそれを受け入れられないほどに。印象、雰囲気、容姿の細部にまで目を移せば、もはや別人だと結論が出るだろう。

 果たして着飾るだけでここまでの変質が現れるものか? 美貌そのものを武器とする傾国の美女たちであればいざ知らず、アーチャーは芯に至るまで武将である。

 宝具、能力に昇華されるほどの美の逸話などアーチャーとは無縁のはず。ならば此度のこれの絡繰りは、一体どこにあるというのか。

 

「『魔王』の能力を使ったか。それもまた、おまえが持つ側面の一つというわけだな」

 

「粧し込んだ女に開口一番で告げるのがそれか? やはりそなたは男女の機微を知らぬな」

 

 固有スキル『魔王』。

 『無辜の怪物』とは似て非なるスキル。英霊・織田信長が持つ特殊な力だ。

 共に人々の畏怖の思いに着色されて自己が変容するもの。重ねた所業に押された怪物という名の烙印だ。

 それは能力であり、同時に呪いでもある。何をせずとも存在を苛み続ける罪過の業は、容易く解かれるような代物ではない。

 されど、悪徳と恐怖にもたらされた幻想さえ、我がものとして支配する魔王には、そんな呪いすらも己がための道具に過ぎない。

 怪物的な変化を行いながら、自在に着脱も可能。応用すれば『自己改造』スキルにも近しい効果を発揮する事が可能となる。

 

 サーヴァントとは"生前の理想の姿"として現界するもの。

 それは肉体的、あるいは精神的な全盛期であり、通常ならその容姿が変化する事はない。

 それをするためには存在自体を改変する必要がある。魔の側面のみ留まらない応用性は、彼女が自らの能力を完璧に制している事の証左であった。

 

「そなたという男がそういう輩であるのは承知じゃが、そればかりというのもつまらぬ。

 女が化けるは、これ即ち招き入れたる雄のためぞ。それを袖にするなど女に対する何よりの侮辱、心中をまるで解さぬ朴念仁の所業と知るがよい。

 あるいは、そのような女の執念に牙を剥けられる事もあるやもしれん。努々忘れぬことじゃ」

 

「ほう。ならば魔王殿は『女』としてここに在るということか」

 

 アーチャーは、英霊・織田信長は"女性"である。

 改めて考えれば、それはおかしな事だろう。武家世界は男性主体、嫡男継承こそが習わしだ。

 如何に先見の明に優れていたとしても、反発は容易に予測できる。それを押し切って女子を後継者に据えるなど相当の覚悟がなければならないだろう。

 事実、歴史に記された『織田信長』は"男性"の名として遺されている。何もかもを偽りながら築き上げた王の威名、そこにあった真相には誰もが疑問を抱くはずだ。

 

 ここに至るまで、甘粕がそれについて触れた事はない。

 相対した瞬間に分かる性別、告げられた真名との差異。疑問は即座に浮かんだし、問おうと思えば問うことも出来たはずだ。

 

「記された史実との違い、おまえという英雄が女であるという事実。ああ、まったく気にならんと言えば嘘になるとも。だがこんなものは俺の好奇心に過ぎんだろう。

 過去はあくまで過去、その時間はおまえのものだ。他愛ない興味一つで、そこに踏み込もうとは思わない。それではあまりに味気なかろう。

 得られる感動は大きいほどよい。然るべき時に受け止めてこそ響くものがあるはずだ」

 

 しかし、疑問を疑問として解消してしまえば、それはそこまでのものとなってしまう。

 過ぎた時間は戻らない。アーチャーの生前に何があったとしても、それが現在の時間に影響を与える事はない。

 どれだけ凄絶な過去であろうと、話だけでは事実の羅列でしかないだろう。多少の感動なり教訓なりがあったとしても、実感をもって刻まれる経験とは成り得ない。

 そんなものだ。所詮、他人事のままでは。遠い彼方の誰かではなく、同じ時間を共有する身内の事態にこそ人の心とは動くものなのだから。

 

「だから、俺はいま期待に胸が躍っているぞ。待ちに待った時だと高揚すら感じている。

 おまえの方から明かすおまえの真実。幻想に覆い隠されてきた芯の輝きが如何なるものか、俺は是非にも知りたい。

 案ずるなよ、何であれ俺がそれを拒む事はない。ひと目見たその時から、俺の心は魅了されているのだ。人としても英雄としても"女"としても――――おまえは"美しい"のだとな」

 

「……ふむ。なんじゃ、そなたも女を蕩かす文句の一つも言えるではないか。むしろその様子なら、これまでにも何人かその手管で口説き落とした唐変木であったかのう」

 

 迫るような甘粕の情熱に、僅かにその頬を朱に染める美姫。

 その仕草は"女"らしい。常のアーチャーには決して見られない姿である。

 此処にいるのは革新を敷く天下人でも、恐怖の上に君臨した魔王でもない。その真意は不明はままだが、今の彼女は王ではない素顔の自分で甘粕と向き合おうとしていた。

 

「とは申せ、ここで流れを掴まれるは本意ではない。この場の亭主はわしで、そなたは招かれた正客である。

 まずは鎮まり、腰を落ち着けるがよい。茶の席で立ち話など、それこそ無粋が過ぎようが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静けさの中で、茶器の僅かな音だけが耳に響く。

 沸き立つ釜の白い湯気、抹茶をかき回す茶筅のこすれ。

 不快なものではない。静謐な場の雰囲気とも相まって、それは五感を通して安らぎをもたらす清涼剤として機能している。

 

 決して急がず、されど手際は良く。

 整えられた仕草とは、ただそれだけでも美しい。

 その姿は見る者を魅了する。ましてそれが見るも艶やかな美貌の持ち主となれば、眼を離さずにはいられまい。

 余計な口出しなど無粋。ここに言葉はいらず、ただあるがままの風情を愉しむべし。作法を知らずとも、場に満ちる要素の全てがそれを教えてくれる。

 

 点てられた茶が差し出される。

 茶碗を手に取り、左掌の上に。抹茶の香りが鼻腔をくすぐる。華やかな模様細工を眺め、その感触を愉しみつつ、向けられた正面を避けて碗を回す。

 それは茶器の美観を穢さぬように、招かれた側が示すべき配慮。音を愉しみ、香を愉しみ、道具にさえも風情を見出して、その味わいを存分に愉しむのだ。

 

「結構なお点前」

 

 飲み口の数は作法通りの三口半。

 一口で熱さを確かめ、二口で味わいを舌に乗せ、三口で泡を残さず、半口で吸い切る。

 作法の全ては理に沿って定められたもの。和敬清寂の精神に則ったもてなしの理、行いの一つ一つに意味があり、その意義に通じることで心身は安らぎを得ることが出来る。

 

「なかなか堂に入った作法じゃの。そなた、茶道に心得があったのか?」

 

「嗜む程度にだがな。祖国に伝わる善き文化、敬意をもって学ぶことに不思議はあるまい」

 

 その所作におかしなところはない。定められた作法を遵守して甘粕は過ごしている。

 常態で発揮される熱意や覇気も鳴りを潜めて、茶道という世界の静けさに溶けていた。

 甘粕正彦という男を知るなら異常とも見える光景。しかし似合わないわけではない。静謐の内にある心身を引き締める空気は、常よりの真剣を信条とする男の姿と一致して映っている。

 

「ふむ、敬意か。試練の祈りを抱く男、痛みと動乱なくして人に目覚めは無しと断ずるそなたにも、この茶道は善きものと映っておるのか?」

 

「無論だ。安寧の中にある価値の全てを否定する気は、俺にはない。

 確かに試練は必要だろう。安寧に浸るばかりでは、人は一切の輝きを失ってしまう。世には闘争をもたらすべきという俺の思いに迷いはないとも。

 しかし、だからといって安寧に属する価値観が害悪であるわけではない。穏やかな心で育まれる文化とは、善いもので正しいものだ。そうでなければ、動乱の渦中でそれを目指そうとする意志自体が生まれまい。

 むしろだからこそ、俺は敬意を抱いているのだ。力こそ至上の価値持つ戦国の世で、力ならざる価値を見事に打ち立てたその意志は、ただ刃を取るより何倍も勇気ある輝きだとな」

 

「それは些か目先が偏った意見じゃな。感情論に流れすぎておる。そなたらしいと言えばらしいが、そんなものは幻想よ。現実とは理に沿った行いこそ罷り通るものぞ」

 

 その口調は艶やかだが、語る内容は自らの行為を否定するかのようなもの。

 こうして場まで設けて茶の腕を振るいながら、一方でそんなものは幻想に過ぎないと言う。それは矛盾のようだったが、他ならないアーチャーならばその理屈も成立させられる。

 

 茶の湯とは、元は貴族たちが嗜む文化であり、教養を示す証であった。

 およそ戦乱の修羅場とは縁遠く思えるもの。その価値を認めさせ、国全土を巻き込む大流行を実現させた立役者こそが、織田信長。

 伝承によれば信長自身も大いに茶の湯を愛し、世に名立たる茶器の蒐集家であったとされる。ならばその行いは純粋な茶への思い故であったかと問えば、それには否だと答えるしかない。

 

 流行によって物の価値が高まれば、即ち需要の向上となる。共有した価値観という繋がりは、かつての廃棄物を財宝にも変えるのだ。

 茶の湯に用いられる茶器。高名を伝えられる名器ともなれば、時に一国さえも凌駕する価値を持ったという。ただ茶を淹れるための道具に信じがたいほどの需要が生まれたのだ。

 

 島国という性質上、どうしても目に見えている土地の限界。

 かつて海より到来した侵略者との戦い。撃退には成功したが海の先にある敵の土地を獲得することが出来ず、十分な恩賞が与えられずに臣下たちの離心を招いた旧幕府の失態。

 主君と臣下の間柄とて、あるのは忠誠ばかりでなく、雇用者と被雇用者の利害関係。褒美が約束されるからこそ身体も張るし、そうでなくなれば従う意思が尽きていくのは自明の理。

 土地に代わる価値が必要だった。過去の辛酸を再び味わうことのないように。そのための代替品として、茶道がもたらす価値基準とは実に有益なものだった。

 

 土地の代替として、家臣たちの心を繋ぎ留める新たな報酬。

 その価値を築いたのは他ならぬ王自身。そこにあった意図は明白だろう。

 戦いを主導する者の理に沿う事は、戦以外の価値を排斥する事ではない。戦に関わらぬそれらまでも戦のために利用する、そんな思考の効率化こそ王に求められる理だ。

 

「純真無垢に盲信する思いばかりが強いのではない。世の形に適合し、より大多数に浸透し易い概念こそ道理となる。どのようなものであれ、価値を認められねば無意味に過ぎぬ。その理屈は、そなたの思想と照らし合わせれば認め難いものではないか?」

 

「容易く移ろう人々の認識、まさに幻想の価値というわけか」

 

 全体多数を占める価値観の方向性。

 そうした方向が定められれば、それに便乗する者も多くなる。

 流行を生み出すのは、いつだって多数からの支持による。必然、数が増えれば増えるだけ、真と呼べる意志は雑多の中に埋もれていくのだ。

 世の流れの大半は、幻に浮かされたような認識によって形取られている。ならばそれは、より多数の者に支持され易い価値観こそが世を席巻するのだと言っているようなものだろう。

 

 強く尊い意志が勝利するとは限らない。

 アーチャーが言うように、世界を回している理屈とは無情でどうしようもないものだ。

 それが人間社会における現実。どれだけ勇気の尊さを叫ぼうとも、その真実は覆らない。

 

「確かに流されるだけの者を俺は好かん。己の脚で道を決められん者に勇気はない。それをする自分は素晴らしいと、くだらん幻にすがりつく木偶だろうとも。

 だがな、俺がそう断じるのは、何よりそこに懸ける気概がないと感じるからだよ。たとえその価値が幻想だろうと、命を懸けるほどの気概があれば不純など何処にもない。

 ――懸命に何かを成し遂げようとする人の思いが、幻であるはずがないのだから」

 

 そのような真理に対し、甘粕正彦が返すのは何処までも個人の意志に価値を見出す答えだ。

 

 世の道理が何であれ、立ち上がろうとする意志が素晴らしい。

 たとえ現実の無情さに敗れる結果となったとしても、その決意の輝きを否定する事は出来ないのだ。

 元より全てが報われろと願っているわけではない。それでは強さの甲斐がないだろう。試練とは厳しいもので、だからこそ懸命に挑む姿は美しいのだから。

 

 それが世界にどのような影響を与えるか、そんな結果はつまるところ付属物。

 事の本質はあくまで過程、行動そのものにこそ人間の素晴らしさは宿っている。

 勝者も敗者も、試練の祈りを掲げる男は全てを祝福するのだろう。それはまるで神のような公平さで、その信念に矛盾するところは一片もない。

 

「そなたにとって人は人か。道理も所詮は状況に過ぎぬと。意志が確かであるならば、そなたにとってはあらゆるものが価値あるものか」

 

「そうだとも。そしてそれは、おまえ自身にも当て嵌る。世に浸透し易い概念とは、おまえが纏ってきた装いでもあるだろう。なあ、うつけ殿? それとも魔王殿か?」

 

「是非もなし。そのような風評に型どられた姿こそ、我が身を包む幻想である故に」

 

 うつけ者という風聞。魔王という忌み名。

 どちらもアーチャーの伝承に色濃く記された評価だ。

 踏み込んだ問いを投げてくる甘粕に、アーチャーも彼女自身の言葉で答えていく。

 

「わしの纏う幻想とは、雛形のようなもの。衆愚どもに意味を知らしめるため、名を与えて型に嵌める。解し易きカタチが無ければ、浮世に浸透してはいかぬのでな。

 余人はわしをうつけと呼んで侮り、魔王と呼んで恐れた。わしの政が革新的と解釈され、その概念を王の名に冠したのも、言ってしまえばその一端じゃ。

 誰もがわしという実像を通して、脳裏に描いた虚像の姿を見ておった。彼奴等にはその幻想こそが真実であり、芯の本性など知りもせぬし関心も持たん」

 

 『魔王』の能力がそうであるように、アーチャーの力とは人々の想念によって形取られたもの。

 侮蔑であれ、畏怖であれ、人々が相手に抱くイメージである事に変わりはない。本来ならば過去の在り方までも捻じ曲げる幻想を背負っているのだ。

 元より英霊とはそういうものだが、とかくアーチャーはその性質が強い。その力が人の想念で造られるものならば、彼女という存在もまた想念によって構築される。

 

 

「――――ええ。けれど、甘粕正彦? 王の仮面を剥いだこの素顔が、果たして"真実のわたくし"だと言えましょうか?」

 

 

 口調が変わる。これまでの尊大さとは違う、まるで深窓の令嬢のような優美な所作。

 きっとそれは王の宿命を背負う以前、ただの"姫"であった頃の彼女の姿だ。

 

「わたくしは家督を継ぐべき正当な嫡子ではありません。その座は本来ならば弟のもの。死に際の父の酔狂が、わたくしに当主の座をもたらしました。

 望みであったのではないのです。この身が家督を継ぐことになろうなど、あの頃は考えにも至りませんでした。ですが、そうであったはずのわたくしは、あるはずのない後継者を有りとするために、あらゆる道理を捻じ曲げたのです」

 

 当時の常識ではあり得なかった女人への家督相続。この無理を押し通すために、姫であった彼女はあらゆる手段を尽くした。

 記録の隠蔽、情報操作。育ての親を殺し、血の繋がった弟を殺し、綺麗であったその手を血で染めて、彼女は支配者の座に至ったのだ。

 誇りと呼べるやり方ではない。その道の凄惨さは、覚悟なき者では容易く潰されてしまうだろう。鉄血の道理を築き上げるには、相応の意志が必要となる。

 

「非情の覇者こそ魂のカタチであったのなら、姫御前と在った姿こそ偽りでしょう。仮面と被った王の顔こそが真実なら、素顔にどれだけの意味がありましょうか。

 幻想が事実に劣るとは限らない。魔王と僭称していた者が、いつしか本物の魔王と成り果ててしまう。御伽噺にも語り聞かされそうな、何ともありふれた末路ではありませんか」

 

 幻想に影響を受けるのは英霊ばかりではない。

 人の有り様とは環境に左右される。外界からの刺激によって人格は経験と成長を獲得するのだ。

 遍く人々より『そういうもの』だと思われる事は、そうで在れと在り方を強いられる事にも等しい。偽りであった幻想が、果てにその者の真実となるのも大いにあり得る事だろう。

 

「姫としてのわたくしと――王としてのわしは、別のものじゃ。このような戯れの機会もなくば、表に顔を出す事さえない。とうの昔に不要とした有り様よ。

 元来、人とは変革するもの。人の移ろいと共に正しさもまた移ろいゆく。選ばれし天命など無くば、行く道を決めるのは己の選択、己の迷い、己の覚悟である。

 わしは人の世の英雄じゃ。血筋に神など混じっておらん。どのように変革を遂げようとも、わし自身の決断を偽りにできようものか」

 

 変化は、それ自体には悪性など無い。

 それが称賛を受けるべき素晴らしい変成であるのなら、それこそ正しいものだろう。

 また、たとえ変わった先が邪悪であったとしても、だから偽物だと見なすのは誤りだろう。

 それが当人による選択ならば、どうあれ結果の責任はその人物のもの。その過ちまで含めての人生だろう。それを幻のように無かった事にするなど、それこそ人間は虚構に堕ちてしまう。

 

 アーチャーは、その変化を決して否定しない。

 たとえ変わった先でかつての自分を捨て去る事になろうとも、そうなる事を決めたのは己自身の意志として、自負と共に背負っている。

 

 それが人々の幻想により強いられた姿だとしても、それを言い訳にして逃げる事だけはしないのだ。

 

「俺は夢を見たよ、アーチャー」

 

 甘粕は言う。美姫の衣に身を包んだアーチャーに向かって。

 今の麗しげな姿とは正逆の、最も恐ろしい魔王の姿と彼女を結びつける。

 

「聖地が焼ける夢だ。人の恐怖の夢だ。憎悪と畏怖の果て、天魔と呼ばれるに至った王の夢だ。

 恐ろしいものだった。その所業には目さえ覆いたくなった。だが夢の中に登場する王は、悪しきの象徴でありながら堂々たる姿だったよ」

 

 垣間見た遠い過去の情景。無慈悲にして苛烈な魔王の所業。

 それは英霊としてのアーチャーの伝承。勝利の覇者たる栄光の道を征きながら"魔王"と称されるまでに至った逸話。

 単なる口伝や書物の上の事実ではない。イメージとして伝わる凄惨さは、心弱い者なら狂死しても不思議ではない。

 それを余す事なく感じ取りながら、甘粕が抱くのは恐怖や侮蔑とは真逆の礼讃の思い。

 

「やはりおまえには"革新の王"の通り名の方が合っているよ。その所業の正体とは、おまえ自身が理と信じて定めた正道に他ならん。

 幻想などと卑下するなよ。それはおまえの決断の勇気の果てに付いてきた称号だろう。惑わされずに確固たる自らの理を貫いたおまえならば、どんな名も魂に色づく輝きだ」

 

 人が恐怖と悪徳の象徴として名付けるのが『魔王』ならば、世に新しい概念の旋風を巻き起こすのが『革新』だ。

 後世において、王の行った施策は時代を発展させるものとして評価されている。当時の人々には理解されない概念も、先の未来でその価値は証明されているのだ。

 

 無論、それを以て王の免罪符とする事はできない。

 王の所業は無意味な悪意によるものではない。そこには確かな理由と意味があった。

 蔓延る腐敗を糺すため、言うなれば仕方の無い犠牲。支配者としての行いであり、ただ残忍なだけの蛮行では決してないのだと、()()()()()()()()()()

 そんな理屈ではない。刻まれたのはあの業火の中にあった絶望と怨念だ。当事者でもない者が、その非業の程に思いが及ぶはずがない。

 信仰を穢し、民草を焼き棄て、仏敵を僭称する天魔の所業。たとえどのような意味があろうとも、その凄絶に抱く人の心が間違いであるはずがない。

 

 そう、罪は決して消えない。その上で、先行く王は自らの正当を謳うのだ。

 これこそが我が王道、世のためにと行う事業である。流された血の罪業を背負って、定めた理に沿い邁進しなければならない。

 新しい理を生み出すのは人自身、ならばその価値を信じられるのも当人しかいない。人々からの無理解の中、築き上げる成果でもって有用性を証明しなければ、それが正道となる日は永遠に来ない。

 手段の是非も、矜持の是非も、その証明の前には無価値でしかない。一度志した改革とは、実現できなければ誰にも認められる事はないのだから。

 

「己の理の正しさを信じ、修羅の道をも駆け抜ける信念。前人未踏の荒野へと足を踏み出す、革新という覇業を断固と貫き成し遂げる覚悟。そんなおまえの偉業の素晴らしさとは、その決断をおまえ自身の意志によって下してきたことだろう。

 世界に跨る正道、常識とは果てしなく重いものだ。それは秩序であり、外れる事は即ち異端となる。()()()()()()()()()()()()()()()()()、乱そうとする事は例外なく悪と見なされる。

 それに立ち向かう事は容易ではない。ああ、それは俺自身が身を以て思い知っている。偉大なる先達に対し、敬意を抱くことは当然であるだろう」

 

 甘粕正彦は、今ある世界の実状を決して認めない。

 既に定まりつつある安寧という世の流れ。それに逆らい、それは駄目だと声を大に言い放つ。

 たとえそれが人類という種が下した正道(けつろん)であったとしても、彼という男の自我は異端の道へと踏み出す事を躊躇わない。

 

 この世界は間違えている。この安寧は正しいものではない。

 それは天の誰かが告げた言葉ではない。地に脚をつけてこの世界に生きる男が、魂より吐き出した咆哮(おもい)だ。

 ならば進み続けるまでである。世の理屈に惑わされるな。己が信じる理念があるのなら、果てまで貫き通す事こそが勇気なのだから。

 

「世に神仏の恩恵はなく、定められた天命などとは無縁の身。それでいい。授けられた天の意向に従わねば英雄になれんのなら、人の生き様とはあまりに虚し過ぎる。

 俺にとっての勇者とは、己で決めた信条に誇りと覚悟を持てる者だ。他の雑念に惑わされず、難関辛苦にも怯まずに立ち向かった先でこそ真の英雄は現れると思っている。

 己の決断からおまえは逃げなかった。数多の悪徳に穢れながら、変革していく世界と責任をその背に負い、業と罪の全てを是として天下布武を成し遂げた。

 たとえ姿格好がどのように変わろうとも、その真実は変わらない。英雄・織田信長は真に勇気ある者である。決断したその意志は、美しいものであったのだと」

 

 だからこそ、目の前の偉大なる英雄に対し、甘粕正彦は心からの尊敬を示すのだ。

 古きを排して新しきを築く革新の王。世の道理に異を唱え、数多の正論を退けた風雲児。

 彼女が成した天下布武の覇業。自らで正道を定める信念こそ人の素晴らしさだと信じている。

 

 その輝きは、最初に邂逅した時より色褪せない。

 こうして異なる姿になろうとも、確固として自己を持った意志の値は不変のままだ。

 故に甘粕はアーチャーの変化にも動揺を現さない。重要なのは信念の絶対値。その性質が如何様に変わろうとも、そこが不変である限り価値は等しい。

 王としての姿も、姫としての姿も、その美しさは変わらない。灼けるような尊敬という名の好感情を双眸に宿し、甘粕はアーチャーに熱望を向けていた。

 

「……ああ、まったく。そなたという男は、何処までも変わらぬ己で在り続ける。

 告げるのは賛辞だというのに、その言葉には圧がある。気が抜けぬ、己は試されておるのじゃと、そんな思いが抜けきらぬわ。

 英霊たるわしにさえ響かせる、その意志の熱量。このような場に在って尚、少し蓋をずらせば容易く熱気が溢れてきよる。

 そなたの信念は、その芯より違える事を知らぬのじゃろう。ああ、己の喜びのまま純心に進み続けるその様は、変成を繰り返してきたわしでは到れぬ境地ではあるな」

 

 感心したような、呆れたような、どちらとも取れる面持ちでアーチャーは言葉を漏らす。

 第三者的な立ち位置で俯瞰する裁定者の視点。思想の性質を別種とするアーチャーの、それが甘粕に対するスタンスだった。

 だというのに、いつしか試されているのは己の方。今回だけではない。これまでも何度だって互いの立場の逆転を起こしてきた。

 人間と英霊、その存在格差さえも覆して、両者の対等を実現させるのは熱意と誠実。憚ることのない言葉の数々も、今という瞬間を誰よりも重く真剣に受け止めているが故に。

 

 軽い口先は響かず、侮辱をすれば殴られる。

 言葉一つとて、勇気と覚悟が無ければ何も届かない。

 甘粕正彦が掲げる信条が、気迫となって言葉にも表れている。語り合う関係を殴り合いにも見立てて、言葉一つにも相手の存在を揺るがすほどの熱を帯びるのだ。

 

「……わしが生きた時代、戦国の世とは迷走の時代であった」

 

 故にこそ、アーチャーもその言葉を流す事は出来ない。

 戯れの無い真摯さを宿した神妙な語り口で、己の真意の一端を話していく。

 

「応仁の乱より続く混乱、統制の瓦解により拠り所を失った各地は自治を強め、日ノ本は群雄割拠の体を成しておった。

 そこにあった野心は決して多いものではない。多くは自領の安定こそを望んでおったじゃろう。だが、人の世とはたとえ善意であっても動乱の温床となる。

 己の土地が、名誉が、民や家族、妻子どもを護らねばと。立場の異なる者同士が願い求め、そこには対立の図式が生まれる。それら総じた自らの利の侵害を恐れるが故、護らんがために闘う事を選ぶのじゃ」

 

 誰しも自らの立場があり、護りたいと願うものがある。

 それを愚かだとは誰も言えない。法の秩序が頼りにならないのなら、自らの力でそれを為そうとするのは当然とさえ言えるだろう。

 そう、誰にとっても間違いでないからこそ、止める事も出来ない。護るという善意ために際限なく力を求めて、あるべき領分を逸脱すれば、やがて異なる善意との衝突を起こしてしまう。

 

 その境界を定める事が、本来の秩序の役目。

 古い秩序がその役目が果たせないのなら、新たな秩序を築く以外に処方はない。

 

「しかし所詮、それも周りの見えるものを見ているに過ぎぬ。それでは未来(さき)がない。やがては道半ばに崩れ去るは目に見えておる。

 真に未来を見据える者、見据えたその理に従える者は少ない。他の誰かであればと、そのような考えしかできぬ者に正せるものはないのじゃ。

 望むのなら起たねばならぬ。たとえ神託などおりずとも、自らで事を為すと覚悟せねばならぬ。ここは人の世であり、その行く末は人の手で築かねばならぬのじゃと」

 

 アーチャーは、姫という形をしていた彼女は、それが出来る英傑だった。

 それが本当に正しい選択だったのか、他に道はなかったのか、そんな思案に意味はない。

 選択の覚悟があり、捨て去る事への決意がある。その過去がある限り、彼女の王道は揺るがない。

 彼女が定めた彼女の正道。それは世に拡がり、やがて天下統一という巨大な宿願にさえ迫った。得られた未来という成果があるのなら、過去を振り返るべきではない。

 

「王が果たすべきは民草を幸福とする事ではない。理想や夢、心に灯る標を示すなど役目に非ず。

 未来に繋がる繁栄を築くこと。迷走に惑うのではなく、世にこうと進むべき道筋を指し示すこと。拓かれる余地を閉ざすのでなく、まだ見ぬ未踏へとも至れるように。

 そのためならば、如何なる血の業とて許される。否、自らの所業によって許されるに足る成果を築くのじゃ。それこそが総ての業に報いる責務である」

 

 そのために、きっと彼女は多くを切り捨てた。

 ここに在る姿も、その内の一つ。本来あるべき"女"の生を捨て、鉄血の信念で築く王の生き様に殉じた。

 そこには手に入るはずだった幸せもあったのだろう。絆を断ち切り、非情と人々より恐れられ、王となった彼女が選んだのは国という理だ。

 それを不幸と呼ぶのは筋が違う。決断の覚悟こそが下克上に成り上がった乱世の覇者の真価であり、そのような認識は侮辱でしかない。

 

「ならばアーチャー。おまえ自身にとっての喜びとは?」

 

「無論、国の栄えこそ王の喜び。我が国の繁栄を喜ばぬなど、そも王とは呼べぬ」

 

 そこに疑心はない。アーチャーの言葉は本心のものだ。

 数多の畏怖に彩られ、幻想にその姿を覆い隠された彼女であっても、そこだけは偽らない。

 それを嘘にしてしまえば、築いてきた成果の全てが無意味となる。自らで選んだ生き方なのだから、後悔はそれを穢す澱みにしかならない。

 

 故に、彼女は喜びでもって国に捧げた己を祝福する。

 捨ててきたものは少なくない。未練の感情がないわけでもないだろう。

 それでも、彼女は"女"よりも"王"なのだ。歴史に刻んだ『織田信長』の生涯に間違いなどなかったと肯定する姿は、紛れもない彼女の真実だから。

 

「その最期がどうであれ、王として生きたわしの五十年に悔いるところはない。取り戻したい過去がどうだと、その類いの願いとは無縁の身じゃ。

 この身を剣にと、交わした契りに偽りはない。月の聖杯を巡るこの戦いはそなたのもの。意義を決めるのも好きにせい。たわけた方針にも異論は挟まんとも」

 

 アーチャーの手が、再び茶器へと触れる。

 器に抹茶が注がれて、湯と共にかき混ぜられて芳醇な香りを立たせていく。

 憩いを目的とする茶道の心得。物々しく張り詰めた空気を解きほぐし、本来の場の意味へと引き戻していく。

 

「話題は些か無骨に流れたが、そなたとわしであれば、それも是非なしよな。

 此度の茶席はわしからそなたに贈る労いの場。純にその身を憩うためと、目的を果たしておかねばなるまいの。

 ――ええ。そのために、こうしてわざわざ捨てたはずの自分(もの)まで拾い上げたのですから、その甲斐くらいは欲しいところです」

 

 繊細に、穏やかな手付きで、新たに淹れられた茶が差し出される。

 その出来映えは見事の一言。この一杯は、アーチャーが示す尊重の証明だ。

 この場を設けた目的に何かを試すような意図はない。本心よりマスターの安息を願ったからこそ、王ではない姫としての自分で向かい合っている。

 

「そうだな。何せ、おまえが手ずから用意してくれた場だ。それを拒むほど無粋ではない」

 

 差し出された茶碗を甘粕が手に取る。

 茶席の作法とは、茶の湯をより一層に愉しむためのもの。蔑ろとするのは道理のある行為ではない。

 甘粕とて、それは重々承知の上だ。先人の築いた文化への敬意もある。その作法を再び遵守することに否などあるまい。

 

「だがな、俺のためと力を貸してくれるのはいいが、そればかりではつまらんぞ」

 

 そして承知した上で、その場のノリで道理を踏み越えてしまうのも甘粕正彦という男。

 手元にある茶碗を荒々しくも鷲掴み、豪快にその中身を呷ってしまう。

 先までの礼節ある作法ではない。ただ思うがままに咀嚼して、気の向くままにその味わいを愉しみ尽くす自由奔放な飲みっぷり。

 型に嵌ったばかりのやり方では味気ない。こうして今ある正道から外れてみせるのも面白いと、言外に示していた。

 

「どうせなら新たな自分でも求めてみろよ。早々に変わらないと決めつけても仕方あるまい。

 型を破れ。せっかく得られた二度目の生だ。かつての己では出来なかった事の一つでもやり遂げてみせなければ、機会を手にした甲斐がなかろう。

 なあ、革新の王よ。古き有り様に新しい可能性を見出してこそ、冠した名の意義がある。らしくもない姿でも、引き出される輝きはきっと劣らずに美しい」

 

 甘粕は今の姿だけでは満足していない。

 英霊たちの偉業を讃え、その存在に敬意を持ちつつ、それ以上を求めている。

 サーヴァントとて人、確固たる人格を持った命として。誰もが己の願いを抱いて戦える、聖杯戦争とはそういうものなのだから。

 勇気を愛する男は、自らのサーヴァントにも同じように奮起を期待している。その魂の輝きを認めればこそ、現れる新たな姿にも素晴らしいものがあると疑う事なく信じていた。

 

「まこと、そなたは試練を課すのが好きな男じゃ。サーヴァントなど、過去の情景が焼き付いた残滓のようなものと、分かっておるくせに遠慮なしとは」

 

「遠慮などするものか。俺はおまえたち英雄を信じている。人類史に偉業を刻んだ意志は、輝きと称するに相応しい。その期待があるから、奮起を待望するのは至極当然ではないか」

 

 何一つ憚らず、期待する心を疑わず、甘粕正彦は自らのサーヴァントへとその信条をぶつけた。

 

「未来に決まったものなどない。俺たち人は、今という時間を懸命に生きるより他にないのだ。伝えたい意志があるなら、伝えなければ後悔が残るだろう。

 これより先の戦い、勝ち抜いた猛者たちはこれまで以上の実力者揃いに違いない。その輝きも素晴らしいものであるのに疑いなく、それを余す事なく受け止める心算なら、俺たちとて飛躍の一つは成し遂げる覚悟でなければな」

 

 宣した約定は違えない。

 甘粕正彦は人々にとっての試練となる。この聖杯戦争でもそれは同じ。

 ともすれば己に匹敵するかもしれない強者を相手にも、姿勢を変えるつもりがない。その力を十全以上に引き出して、その上で真っ向勝負で打ち勝つのだ。

 それをしていくためには、自分自身もまた強くなるしかない。戦いを己にとっても試練として、自らの新たな可能性を開拓するのだ。

 

「……まったく、本当に甲斐のない。どんな優美や美食よりも、あなたという雄が求めるのは益荒男たちの武勇伝。女を泣かせる唐変木という評は間違ってませんでしたか」

 

 漏らした言葉は、諦めを含んだ本音の部分。 

 どこまでも意志の燃焼を止めようとしない男に、付いて行く女は諦めるしかないと悟ったから。

 

「それもまた、是非なしじゃ。うむ、気の迷いもここまで。そのうつけぶり、もはや死んでも治らぬ筋金入りであると改めて承知した。鉄火の熱気こそ欲しがるならば、わしもそれに相応しい装いに戻るとしよう」

 

 雅に艶やかな場にあっても、主従の間に吹くのは闘争の息吹。

 彼らに安息はない。否、たとえ安息の中にあっても、闘争が彼らの意識から消える事はない。

 男の魂が闘争を求め、心から愉しんでいるから。闘争の悲劇を嫌っても、勇気が試され輝きが溢れる舞台には胸踊らせてしまうのが必然だ。

 主が望むなら、従者もそれに倣うのが道理。安穏に包まれていた茶会の場も、既に死闘へ臨む修羅たちの気配で満ちようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、休息期間(インターバル)は終わりを告げる。

 

 これは戦争。一人と一騎を選抜する生存競争。

 既に初期の段階の一割程度。それらの生き残りも、これより先で散る運命。

 命運を掴めるのはただ一組。所詮は仮初めの安息であり、そんな事は誰もが重々承知済み。芯より闘志を絶やすような無様などここにはない。

 

「ついにこの日がやって来たか。いずれこうなるとは分かっておっても、いざ迎えてみれば感慨深いものよ」

 

 故に、訪れた事態にも、男たちに動揺は皆無だった。

 

 告知された対戦表。

 一方に記された名は、甘粕正彦。

 もう一方に記された名は、臥藤門司。

 掲示板を間に挟み、二人の男が立っている。

 共に気迫では劣らない。両者の戦いに懸ける気概には微塵の迷いもない。

 

「おおう、この血潮の滾り! 心身は修羅が如く打ち震え、止まらぬ武者震いが眼前の壁の険しさを感じている。小生は今、与えられた試練の機会を歓喜でもって迎えているのだ!

 相手に取って不足なーしぃッ! この難関こそ愚僧(オレ)の聖戦に相応しい。甘粕正彦、我が神の名の下に、精強なる魂をこの戦いで散らすがいい!」

 

「それは聞けぬ相談だ。試練となる事は承知、俺は燃え上がる人の輝きを望んでいる。難事へと挑む気概のもと、より練磨された光が現れるのを信じてな。

 だがそれでも俺は勝とう。堕落する人の魂を救うため、我が"楽園(ぱらいぞ)"を世界にもたらすために。臥藤門司、得難き光を俺に見せて、その果てに砕けるがいい」

 

 かつての仮初めの日常、偽りの日々の中で男たちには交流があった。

 たとえ互いの立ち位置は偽りでも、共に過ごした時間は嘘にならない。

 育まれたものはある。暗い思いは何もない。その間柄が殺し合うなど悲劇以外にあり得まい。

 

 それでも、彼らの心は決まっている。

 数多の祈りを鏖殺しても、叶えんとする願いがある。

 覚悟ならば始まりの時点で出来ている。相手が誰であろうとも、決意が鈍る事はない。

 その信念は真っ直ぐで、強いものだ。互いに性質で似た部分を持つ二人は、この運命を臆することなく受け入れる。

 ただ己の意志の限りに、全霊を尽くしてぶつかり合う。それ以外の選択肢など、彼らの間にはあるはずもなかった。

 

 ――4回戦の、幕が開く。

 

 

 





 魔人アーチャーのヒロイン回。
 一応、EXTRA編でのヒロインは彼女のつもりです。
 せっかくTS鯖で主人公側というポジションだし、これはヒロインにするしかないと。
 で、考えてみるとこれまで碌なヒロインムーブがありませんでしたので、今回はそういう目線で。
 まあ、相方が甘粕ですので、やっぱりイチャイチャは書けなかったと挫折。結局いつもの感じに落ち着いてしまいました。

 ちなみに、今回の魔人アーチャーの格好ですが。
 pixivにて投稿されてる『みあ』様という方のイラストを参考とさせております。
 甘粕×魔人アーチャーとか、私だけのカップリングじゃなくて嬉しい、嬉しい……。
 こういう事をこの場で発言していいのか分かりませんが、ちょっとした宣伝として受け入れてもらえたらと思います。


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