もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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 久々の、本当に久々の更新。
 まさかエクステラの発売にまで間に合わないとは思わなかった。
 リアルの忙しさとかもありましたが、何より自分の文章にいまいち納得できず。
 元から分量がかなりのもので、やり直すとなるとそれまた時間が掛かるという悪循環でした。

 とにかく、まだエタるつもりはありません。



幕間:アトラスの少女(下)

 

 

 ――――結論するに、人類とは生物として実に不整合な種族である。

 

 

 彼らは効率を重視しない。

 他の生物ならば可能である事柄が、感情を持つ人類にだけは不可能なのだ。

 人は満ち足りない。生存のために適切な比率を逸脱して、必要以上を求めようとする。

 動かないという選択が人には取れない。その燃料(かんじょう)に突き動かされるまま、今の地点で立ち止まることを選ばずに進み続けた過程こそが人類の歴史そのものだ。

 

「然り。人類史とは大凡そのようなもの。その脚本は数あれど、演目の骨子は変わらない。心の通わぬ舞台に人は在らず、感情に踊らされぬ者は演者足り得ず。尽きぬ演出があればこそ、舞台は幕を降ろすことなく廻り続けられるのだから」

 

 それは人の愚かしさだが、否定することはできない。

 事象には理由がある。あらゆる行動には、向かうべき何らかの目的がある。

 動物なら、その理由はシンプルだ。生きるために食し、拡がるために繁殖する。

 本能という理由は、単純だからこそ真理であるのだろう。生命の目的とはそれだけで、他の理由など本来は必要としないのだから。

 だが人間だけはそうではない。感情を持つ人間には、本能だけを目的として生きることは出来ない。

 人のあらゆる行動には、感情に端を発する動機がある。凡庸、傑物問わず、人である限りは心の有り様によってその行いは決められる。

 それは真理を追求する魔道の徒であろうとも変わらない。彼らが根源を目指し、己の探求に勤しむのは、それを求めた心が発端にあったからに他ならない。

 

「それもまた正答だが、些かその言い方では語弊がある。そも、感情に狂わされるというのなら、魔術師こそが最先方だろう。

 本能に逆らい、常識に逆らい、未来へ向かうべき必然の流れにすら逆らい続ける。終わらぬ喜劇を踊り上げんとする、もはや脚本に従う演者でなく脚本そのものへと至ろうとも、彼らは再演を臨むに違いない。

 その執念が、狂信が、心より生み落とされる激情でなくてなんだというのか」

 

 それを失った結果が停滞の破滅なら、やはり感情の否定は誤りである。

 人は感情を切り離せない。その結論を容認するには、まず知性から捨てなければならない。

 生存を求めるだけなら知性はいらない。幸福だけを欲しがるなら動物のままでいた方が効率がよい。

 これが人類の本質だ。種の根本に根ざした性質からは逃れられない。我々は己の不整合を承知しながら、人としての歩みを続けていかなければならないのだ。

 

「その通りだとも。廻らなくなった舞台に目を向ける者はいない。閉幕を見届けたなら観客は席を立つのが当然だろう。

 あいにくと観客の眼は肥えている。演出足らずの舞台ばかりを見せられては、退屈さだけで見切られてしまう。演出の否定など、それこそ舞台を潰すようなものだ」

 

 しかし、結論と矛盾するようだが、観測者に感情は不要である。

 主観の混じった観測は正確と成り得ない。感情こそが事象の要因となるのなら、観測者のそれが介入した時点で事実にはない要素が入り込むことになる。

 観測という行為そのものに、意味や目的は必要ない。採取した事実をどう扱うにしろ、事実それ自体は不純を含まずにあることが望ましい。

 事実が不正確なら、演算にも支障をきたす。計測過程が不完全なら、正確な未来には届かない。

 

 人類滅亡の結末を回避する。

 その目的だけを標と置いて、アトラスの探求とは人間性を切り離す行である。

 観測と演算により予測を立て、現実に先んじた解を出す。それを行う観測者として、感情という不確定要素は可能な限り排さなければならない。

 人間は感情を捨てられないという結論、それと矛盾する我が在り方。完全なる観測者には至れないと知りながら、それでも理想を求めてこの身は足掻きを続けている。

 

「ああ、良いな。微笑ましいよ、シアリム。我が子孫、我が名を継いだ後任よ。

 その矛盾と葛藤は、我々には避けて通れないステップだ。そこを越えてようやく、君も本幕の脚本へと着手できる。

 人を捨て、肉を捨て、果てには存在そのものを捨て去った我が悲劇と異なり、君はどのような舞台を踊るのかな?」

 

 故に、私は手段を提示する。

 己では至れない。私の存在が適切だとは判断できない。

 ならば、相応しいものを用意するまで。真に観測者たり得るアトラスの錬金術師を。

 

 ラニ=Ⅷ。

 鋳造実験番号No.8。8番目の実験体。

 私が製造した人造人間(ホムンクルス)。デザインコンセプトは人間以上の『新人類』。

 この子は人間でないが故に、観測者の理想を体現できる。知性と知識を持ちながら、感情の動きを持たない『道具』としての在り方。

 そのように生み出したのは私自身。与えられた意義に従い、自己に囚われず行動する。

 聖杯に至る手段として、それは適切な運用だ。この子は道具でいる限り、最高の性能を発揮することが出来るだろう。

 

「然り、然り! 君は正しい。アトラスに属する錬金術師として実に合理的な判断だとも。

 誰が言い出したものだったか。自らが最強である必要はなく、最強であるものを造り出せばよい。まったく至言だよ! 的確にアトラスの有り様を表している」

 

 勝算はある。聖杯には手が届く。

 勝者のみしか生還の見込みがない道筋、その光明は確かに通じている。

 聖杯さえあれば、この手は未来に届く。決して行き着けなかった命題に答えを出すのだ。

 計測で未来を築くのがアトラスなれば、奇跡の担い手は私たちであるべきだ。それだけを目的としてきた今までに報いるためにも、降り注ぐ月の恩恵は我々が得なければならない。

 

「――却下(カット)。その思考は美しくない。袋小路に陥った者の迷走だよ。

 何度試みても変化はなく、どんなやり方を試してもこの手は理想に届かない。なんたる無体か。挫折し、諦観し、絶望して、されど尚も諦めずに計測し推測ししし死死死死が満ちるツマラナイクダラナイ、人間ナンテツマラナイ!

 ソウダソウダ私モカツテハソウダッタ。蛮脳ハ改革シ衆生コレニ賛同スルコト一千年。学ビ食シ生カシ殺シ称エル事サラニ一千。麗シキカナ、毒素ツイニ四肢ヲ侵シ汝ラヲ畜生ヘ進化進化進化セシメン――――!!」

 

 ――強制停止(カット)

 分割思考3番。論理不整合、棄却。

 再試行。人格再現。演算を再開。

 

「然り。私は結果に過ぎない。どう足掻こうが我が結末は変えられず、求められた演目を廻す影絵でしかない。

 だが、結末を知ればこそ含蓄もあるのだよ。他力本願。降って沸いた奇跡に総てを委ねるような体たらくで、世界が救えると本気で思うのかね?

 君も未来を追求する錬金術師であるならば、その未熟は恥だと知りたまえ」

 

 ムーンセルは、あらゆる事象を計測し導き出せるという。

 それは因果を改竄し、未来を確定させるとさえ。人類史で起こり得る総ての可能性を、その始まりより月は観測している。

 それが真実なら、まさしく月の聖杯は願望器だ。あらゆる願いを叶えるという神の杯の名に相応しい。手にした者は万能に等しい力を振るうだろう。

 だが、ならばこそ警戒しなければならない。その力が万能ならば、担い手次第で救済も破滅も等しく降り注ぐことになる。

 

 検証が必要だ。

 果たして人類は、月の聖杯を手にすべきか否か。

 滅びを否定するアトラスの錬金術師として、その可能性の是非を観測しなければならない。

 未知数の可能性を既知のものへ。その作業こそ、アトラスに属する者としてまず果たすべき責務なのだから。

 

「賢明な解答だね、シアリム。本当に、君は骨の髄までアトラスの錬金術師だ。

 "大いなる作業(マグヌス・オプス)"。それは悠久を越えてきたアトラスの歩み。今は意義を持たずとも、やがて意義を得る時がくるはずだ。そう信じて我らは多くの成果を遺してきた。

 今もこの場所に眠る遺産の数々。解き放てば世界を滅ぼす事さえ可能な先達たちの遺産に倣うように、その足跡の一つとなろうとしている。なるほど、自己に執着せず長いスパンでの視点を持てるのは、この穴蔵での正しい在り方だ。

 だが、果たしてどうだろう。この場面において、その筋書きは些かに悠長が過ぎるのではなかろうかな?」

 

 ――強制停止(カット)

 分割思考3番。論理不整合、棄却。

 再試行。人格再現。演算を再開。

 

「結論は出ているだろう。君の判断は正しくはあるが、意義に繋がるかと問えばそうではない。もはや終幕も近いという時に、新たな伏線を遺してどうなるというのか?」

 

 停止(カット)停止(カット)停止(カット)

 再試行。再試行。再試行。議題を再定義、結論を再試行。

 

「ああ、いけないな。シアリム、それは茶番というものだよ。結末に過ぎぬ者に論議を求めたところで、同様の答えが返ってくるだけだというのに。

 その醜態も、先に見せた焦燥も、君が結論を得ていることの証。ままならぬ感情に踊らされるのは我らも同じ。その気持ちには大いに共感するが、己の手掛けようとしている脚本の先を見まいと誤魔化すのは、劇作家として失格ではないかね?」

 

 ――訂正。そうだ。私は理解している。

 自分の判断の先、予測される結末の如何を。

 それがどういったものなのか、自分は余さず承知している。

 

「君は、君たちは、与えられた課題への解答を示していないだろう。どれだけ中途の成果が優れようと、結果へと至らないのであれば総じて無益と見做されるのが必然だ。

 進捗は悪く、解決策は見つからない。所謂、徒労に終わるのだろうが、ならば開き直って白紙のまま居直ろうとは幼稚が過ぎる。何がしかの足掻きを見せた方が可愛げがあるというものだ。

 私の答えも、決して褒められたものではなかったが、せめて解答欄を埋めようと努力はしたものだよ」

 

 原初より受け継がれるアトラスの命題。

 確定している人類の滅亡を覆す。未来に繋がる可能性を見つけ出す。

 私たちの探求はそのためにある。アトラスに存在するあらゆる成果は、その一過程である"大いなる作業(マグヌス・オプス)"に他ならない。

 

 未だに命題の答えは見つかっていない。

 だからこそ歩みは止めない。それはアトラスの名に課せられたものだ。

 これまで何人もの錬金術師がそのように生きてきた。観測者として、自己を殺して意義に徹する在り方は我々の正しさであると断言できる。

 

 だが――

 

「問われるのはアトラスの正しさではないよ。シアリム・エルトナム・レイアトラシア。君自身の解答を示す時だと自覚したまえ。

 終幕は近い。デッドエンドはすぐそこだ。とうに理解しているだろう。万物に真の意味での永久はあり得ないと。観る側の方が先に閉じる事になったとて、そう不思議なことでもあるまいに。

 終わりに立ち会った者として、エンディングを彩るのは君の役割だ。貧乏くじだと言うかもしれんがね、引いてしまったものは仕方ない。

 むしろ栄えある役が任されたと奮いたまえ。前例はない。是非の基準は何もない。悠久からの歩みに如何なる終止符を打つのか、総ては君の心次第だ」

 

「さあ、シアリム。君の結末は、どのようなものになるのかな――――?」

 

 ――全分割思考、停止。再現を終了する。

 

 正しいか間違いなのか、それを決めるには基準となる価値が要る。

 物事の是非とは、価値観次第でどのようにでも変わるのだ。本能に生きる動物ではない人類は、その価値を己の知性と感情によって築いていかなければならない。

 たとえ一つの教義によって価値観を定めようと、真の意味で意識が一つとなることはあり得ない。それは人の持つ多様性の否定、教化ではなく支配と呼ぶべきだ。

 

 終わりこそが正しいという者もいるだろう。

 それが安息に満ちた緩やかなものであれば、十分な幸福だと。

 それこそが価値観の相違。たとえ1対99の比率でも、不純がある限り絶対にはなり得ない。

 

 観測に主観は必要ない。

 だが観測の意義を決めるのは、常に主観からくる意思だ。

 シアリム・エルトナム・レイアトラシアが持つ価値観。目的と意義は、私が決める。

 

 私は、アトラスの錬金術師だ。

 事象を観測し、未来を構築し、感情よりも合理性に従う探究の徒。

 産まれた時からそうだった。きっと最期の瞬間までそう在り続けるだろう。だって私にとっての人間性とは、アトラスでの日々と同じくするものだから。

 人が本質を変えられないように、私という人間の本質は変わらない。ならば至るであろう結論も、容易に想像がつくというものだ。

 

 滅びの後にも、立ち上がるものを遺す。

 総てを等しく導けないのなら、等しく価値を遺せる道を。

 私の価値観とはそういうもので、その正当性に殉じる結論を、この手は恐らく選択するのだ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 現状、聖杯戦争の経過は順調だった。

 準備期間(モラトリアム)中に与えられる試練(タスク)の解決。対戦相手の情報取得と、実戦運用時における仮想検証など。

 結果は完璧な解答を示している。ここまでの戦いでは、展開の全てを予測の範疇に加えた上で、誤差一手分以下の範囲で勝利という結論へと辿り着いている。

 実戦での経験と運用を経た上で、サーヴァントの状態も良好だという結論が出せた。施した術式は、その行動を完全に掌握してこちらの制御下に置いていた。

 

 そして今、私が遂行するのはもう一つの主命。

 人を知ること。その心を理解して、自らの器を満たすために。

 

「間桐慎二。ダン・ブラックモア。彼らの星を詠みました」

 

 それは、主目的である聖杯戦争とは何ら関係性を見い出せないもの。

 しかし師からの主命である以上、私はそれを成し遂げなければならない。

 これはそのために得た"同盟関係"。あるいはこの人物こそが私の器に中身を入れる者かと推測した相手に、私は検証結果を読み上げていく。

 

「検証の価値がある人たちとは思います。彼らが聖杯へ至る可能性もゼロではなかった。

 しかし、私が求める相手ではなかったようです。この器に充たすべき何かを、彼らの星からは読み取れなかった」

 

「そうか。輝ける姿を示した彼らならば、あるいはと思ったがな」

 

 甘粕正彦。

 この聖杯戦争における筆頭位の実力者にして、最も未知なる要素に溢れた人物。

 彼からは、未だ何の見返りも求められていない。私からの要求は、彼にとって何の利益にも成り得ないことなのに。

 ここまでの対戦者たちへの振る舞いも含め、甘粕氏の求めるところは異質だと言える。勇気と覚悟、そうした感情に由来する性質の如何を、効率さえ度外視して追求していた。

 

「俺という試練と向き合い、彼らの意志は新たな可能性を見せてくれた。それは事実ばかり追っていては届かない、まさしく心の生んだ奇跡だと思っている。

 おまえもそれを知っていけば、見えてくるものもあろう。そう考えての提案だったのだが」

 

「そうでしょうか? フランシス・ドレイクの強運も、ロビン・フッドの毒の森も、英霊としてその伝承により形成された能力に他なりません。

 起こし難い現象ではあったでしょうが、起こし得ない不可能ではない。可能性を観測できるのなら、それは奇跡でなく事実でしかないのでは?」

 

「左様。是非もなしじゃな、正彦よ。此度は小娘の言い分にこそ理があろう」

 

 こちらの言葉に続いたのは、甘粕氏の連れるサーヴァントだ。

 現代風の軍装に身を包んだアーチャー。外見こそ少女のそれだが、彼女の纏う威風ともいうべき気配が容姿の幼さを認識させない。

 

「ラニよ。合理なる指針こそを良しとするそなたの有り様、わしには好ましい。その余分の無さ、家臣として側に置きたいと思うほどじゃ」

 

 甘粕氏には、自らのサーヴァントを制御しようとする意図はないらしい。

 単独行動のスキルを持つアーチャーを、ここまで奔放に行動させる自由を許している。

 これではその行動を掌握することは不可能に近い。自らの制御を離れたサーヴァントという危険性を、甘粕氏は完全に容認している。

 

 とても無意味な行為に思えた。

 サーヴァントとは、ムーンセルより与えられた聖杯戦争のための兵器。

 これを如何に駆使して勝利するか、私たちマスターが考慮すべきはそれだけだ。

 彼らという存在が過去に実在した英霊であるのは理解している。独立した意思を持つ一個の人格であり、ただの道具ではないということも。

 しかし、それでもサーヴァントの本質とは兵器である。英霊という超常の力、それを行使する権利を人間に与えるための手段。

 存在としての格差は明白であり、人が英霊を服従させるのは容易ではない。けれどその方法さえ確立できたのなら、そちらの方が遥かに効率的だ。

 

 兵器に、固有の人格は必要ない。

 その戦力を十全に活用できる性能を持てば、主導権をサーヴァントに置く意義はない。

 力とは、ただ純粋に力であるべきだ。判断を惑わせる感情があっても、性能の劣化を招くだけなのは明らかだから。

 

「アーチャー。あなたが合理性に価値を置く人物なら、この私との接触について思うことはないのですか?」

 

「奇行じゃな。これという意味はなく、利益さえ求めようとせぬ。愚行と呼んでも差し支えなく、全く以て無価値な行いじゃ。

 が、それも今に始まった事ではない。こやつの奇行はいつもの事じゃ。この無価値な遊興に価値を置くが甘粕正彦という男なれば、これもまた是非なしよ」

 

「意義が見い出せません。無価値だと理解するなら、継続する必要性が何処にもない」

 

「そう思うのは、ラニよ。そなたが人心の理を解しておらぬからじゃ」

 

 心。人としての、心。

 師が見つけ出せと言ったもの。今の私に欠落している要素。

 理解が出来ないのは、その機能が不足しているから。合理を重んじるというアーチャーはそう言った。

 

「人の理とは、事実の如何のみにあらず。人である限り、そこには必ずや心の如何が絡んできおる。理を追うばかりでは読み解けぬ、難儀な非合理さこそ人の欲界というものじゃ。

 事の是非を定めしは欲の有り様。次第によれば無価値なものとて価値を持ち、悪意とて善事となる。そなた自身の欲を知らねば、その理を解するのは難儀しようのう」

 

 人間とは、元より非合理さに生きるものだから。

 感情という機能を持った時点で、本当の合理性はあり得ない。

 師も語ったそれは、だからこそ事実として受け止められる。そして同時に、人間としてのその機能を持たない私には、そのために師の期待に応えられないのではとも思えた。

 

 心というものを理解するには、人の非合理を受け入れなければならない。

 道具としての合理性を保つには、非合理さなどあるべきではない。

 この矛盾、相反する意義と主命が判断を鈍らせる。師はどうしてこのような主命を与えたのか、余計な疑念が消えずに思考を曇らせていた。

 

「じゃが、ラニよ。それを踏まえた上でも、わしはそなたの在り方を好ましく思うぞ」

 

 そんな、こちらの思考に入り込むように、アーチャーは付け加えた。

 

「合理の上で揺れず、情で判断を誤る事もない。そなたの稀有なところとはそれじゃ。人の理を解するようになったとて、そんなものは人並に堕するに等しい行為じゃ。みすみす己の価値を握り潰しておる。

 感情を持てば、そなたは性能を落とす。まことその通りじゃ。ならば、そんな行いなどに何の意味がある?」

 

「意味ならあります。これは師より与えられた主命です。それが師の求める事なら、私はそれを実行するだけ」

 

「だから、それこそが無価値だというに。戦に赴いて、あえて強さを下げる行いが愚行でなくてなんだというのか。そのような命を下した師とやらを含め、従う意義など何もあるまい。

 今のそなたに欠落はない。己の無欠を保とうと望むのも、そなたにとっては有意義だとだとわしは思うのじゃが」

 

 私に、欠落はないと。

 非合理に生きる人間性こそ、多くの欠落を抱えるもの。

 ならばそれを持たない今の状態こそが最善で、心を持てばその完全性を捨てる事になる。

 

 なるほど、その結論には頷ける。

 心という余分なスペースに思考を奪われれば、その分だけ性能が低下するのは明らか。

 このままでいい。余計な思案など捨てて、現状の強さに徹すれば、より勝利の目的に近付ける。その結論は正しいものだろう。

 

 けれど、私はその結論を受け入れない。

 このアーチャーは言った。師の主命を放棄しろと。

 そこにどんな理があったとしても、その結論はあり得ない。

 師が求めることを果たすのが、私の意義。それを捨てる事は、私自身の意味を放棄するのも同じだというのに。

 

 このサーヴァントは、まるで取るに足らないものを扱うように、無価値だと告げたのだから。

 

「アーチャー。あまり童を苛めてやるなよ」

 

 差し挟まれる甘粕氏の声。

 諌めるような言葉は、己のサーヴァントに向けて。

 まるでこちらの事を慮っているように、常の気迫を抑えて告げていた。

 

「彼女にとって師の存在は、己の芯に置いたものだ。それを切り離す言動は今の彼女には早かろう」

 

「ふむ。親への反抗を示すも子の姿じゃと思うがのう。それよりも、そなたの口からそのような言葉が出るとは驚きじゃ。慈しみよりも厳しさにこそ愛を見出だすような男が」

 

「そう意外に思われては心外だな。俺は応える勇気があると信じるからこそ殴るのだ。決して殴る事自体を好いているのではない。何度だってそう言おう。

 俺が殴るに値する勇気が芽生えるかは今後次第といったところだろう。これでも慎重に扱っているつもりなのだよ。幼子の扱いを手荒くするわけにはいくまい」

 

 幼子という甘粕氏の表現は、まったくの不適切というわけではない。

 確かにこの肉体の経過年数では少女と表するのが相応しい。精神も同様に、むしろ経験年月の少なさを鑑みれば適切とも取れるだろう。

 

 けれど、彼らは間違っている。

 姿形のか弱さなど意味を為さない。幼さの概念など何の関係もない。

 ここに在るラニ=Ⅷというヒトガタは、既に今のままで十全なカタチを与えられている。

 

「気遣いでしたら必要ありません。私は師の意志を果たすために造られた道具。感情だけで判断の優劣を誤ることはありませんから。

 アーチャー。あなたの指摘は正確なものではありません。道具が、主の意向に疑問を差し挟むべきではない。その意図がどうであれ、迷いという不備を出した時点で道具足り得なくなる。

 私はただ、師の主命の達成を存在の意義としている。怒りも疑いも不要です」

 

 師のために造られ、師の意思で使われる道具として。

 迷いは要らない。師がそれを求めるなら、不合理にも私はなろう。

 たとえその意味を知らなくても、何よりも優先すべきは課せられた主命を果たすこと。

 意味を解せない知識不足は改善すべきとしても、まずはこの意義を全うしなければ、自分は道具にもなり得ない。

 

 ――そうだ。最初から結論は出ていたのだ。

 

 師の存在だけが私にとっての唯一絶対。私が見据えるべき基準はそこにある。

 この目的こそ、私の生命。合理の是非を決めるのも、この身に課せられた意義を根幹においてこそなのだから。

 

「取り繕うのが巧いことじゃ。理論の武装はお手の物かの」

 

「なるほどな。いや、どうやら俺にも侮りがあったらしい。自らの意義をこれと徹するおまえの意志を見くびっていたようだ」

 

 意外と言うべきなのか、そうでもないのか。

 甘粕氏は私の言葉に頷いた。理論としてはあまり意味をなさない感情論だったが、こちらの脆弱性という認識を改めて、主張を引き下げたのは確からしい。

 

「ああ、実に喜ばしい。輝かしい意志の発露だよ。自覚はあるかね? そのように自らを強く定義するそれこそが、おまえ自身の意志の発露であると」

 

 引き下がったかに見えた甘粕氏の言葉は、更なる鋭さとなってこちらに突き刺さってきた。

 

「俺たちの言い様に反感を持ち、だからこそ抗うための決意が生まれた。道具であるという在り方を確固とするために、それを是とする支柱が出来た。

 そういうものはな、信念と呼ぶのだ。心から生まれる己にとっての真だよ」

 

「これは事実に基づく反論です。あなたが言うような感情に由来した論理ではありません」

 

「述べているのは事実でも、言葉を断じる強さは信念の産物だぞ。糸に繰られる人形ならば強さは要るまい。

 心ない者の姿とは、もっと無機質なものだ。何を言われようが聞き入れて、淡々と変わらない行動をするばかり。おまえのような自負など欠片もない退屈極まりないものだよ。

 肉体が器なら、心とは人の中身だ。師のための道具で在りたいと望むその思いこそ、おまえの中身に相違ない」

 

 これが、中身(こころ)? 師の道具たれとするこの意義が、私の感情?

 分からない。否定すべきかどうなのかさえ。その結論は私にとって喜ぶべきことなのか。

 師は言った。私に生命を与える者を、中身のない人形に心を入れる者を探せと。

 これが心なら、師の主命は果たされたのか? 期待の通り甘粕氏こそ、師が探し出すよう意図した人物だったと?

 

「そんな意志を尊重したい。道具として主のために尽くす? ああ、大いに結構だとも。矛盾を恐れず、貫く勇気があるのなら、それは紛れもなく俺の愛すべき輝きだ。

 おまえは言ったな。間桐慎二もダン・ブラックモアも、求めた者ではなかったと。だがその見切りは果たして正しいものかね?

 人の中身(こころ)とは、元より全てを他者の手で形作られるものではあるまい。多くの刺激を外から受けて、痛みと共に成していくものだ。それは一人だけとは限らんだろう」

 

 甘粕氏の言葉は続く。

 私に中身を与えるために、彼の理論が展開されていく。

 それは獰猛で、誠実で、決して否定できない整然さを備えたものだった。

 

「実りある学びのためには試練が要る。その苦悩があってこそ、手にした理解は標となって信念という光明を差すのだから。

 ……ああ、そうだ。見返りの件が保留のままだったな。そろそろこちらの要求を提示しようか」

 

「それは?」

 

「なに、ひとつ頼まれ事をしてほしいだけだ。俺の次の対戦相手、その人物についての調査をな」

 

 甘粕氏の、次の対戦相手。

 それは聖杯戦争の3回戦における、死闘を行うべき参戦者(マスター)の一人。

 

「あの狂人の女か。対戦相手の情報ならば、関係の対価として妥当なところじゃろう」

 

 ランルーくんなる登録名の、道化師の格好をした異質なマスター。

 名の知れた魔術師ではない。恐らくは天性の素養だけでこの場所に踏み入れた外来枠。

 マスター自身はさほどの能力ではないが、引き連れるサーヴァントは警戒に値する。

 概略程度だが、甘粕氏の相手として私もそれくらいは把握していた。

 

「俺自身、その方面には疎くてな。踏み込んだ調査となれば手段が足りん。だが世界中の情報を収集するというアトラス院ならば、人一人を調べ上げるなど訳もないことだろう?」

 

「……可能か不可能かを問うのなら、可能です。彼女が地上に実在する人間なら、私がアトラスの情報庫に接続すれば、すぐにでも実行できます」

 

「それは重畳。ただし、俺が欲しい情報はマスターとしての彼女だけではない。彼女という人間の生、その生涯が如何なるものか。どんな出会いがありどのような試練に見舞われたのか、その人生についての仔細が知りたい」

 

「……それは、聖杯戦争と何の関係が?」

 

「無いさ。関係ないとも。戦いに必要な事ではない。だが俺という男には必要なのだ。人々の輝きを取り戻すため、相応しい試練を与えるためにはな。

 そして、それはおまえにも言える。彼女の中身は合理性などとは程遠いものだろう。まだ直感の領域だがな、一目見てそう感じたよ。恐らくそれは、人間の持つ感情の極地にあるものだ。

 それを知ることは、おまえの心への理解をより深めてくれることになる」

 

 聖杯戦争という合理性に照らし出せば、それは無意味としか言えない。

 ここで人間を知る事に意味はない。自分以外の誰かとは、いずれ殺し合うべき敵手なのだ。

 理解すべきは相手の強さであり、その人間性の如何ではない。共感は殺意を鈍らせる感情であり、無意味どころか害毒にしかならないだろう。

 

 しかし、師よりの主命という合理性には、それは合致している。

 合理性とは、目的となる事柄を置いてこそ、初めて理が成立する。

 目的のない行動こそ非合理の最たるものであり、達成すべき目的へと向かう道理こそが行動の意味を決めるのだから。

 

 心の理解のためには、あえて毒を含まなければならない。

 師の言葉を遵守するという意義のために、甘粕氏が信念と呼んだ私の存在定義を果たすために。

 

「客観的な事実だけではない。知り得た情報に対し、主観からくるおまえ自身の感想を持ってみてほしい。その生涯に己が何を感じ、どのような思いを抱いたか。十分に噛み締めた上、彼女という人間に対しておまえなりの結論を出してほしい」

 

「……そうすれば、私は心を理解できると?」

 

「少なくともその助けとはなるだろうさ。狂気とは、誰とも共有できない価値観だ。人の理屈では説明できない異常性、理解できないそれを忌諱するから遠ざけようとする。

 だからこそいいのだ。他者には納得し難く映るその心象は、極端であるがこそ不純を混じえない。必然、それに対する結論もまた明確になる。醜悪か、憐憫か、はたまた称賛か、悩みぬいた上で出した結論にこそ、おまえの中身となるべきものの性質が現れるだろう」

 

 下すべきは客観からの事実としてではなく、人として下す主観の結論。

 それは私の中身を見い出させるという。甘粕氏からの提案を、私は了承した。

 

「言いよるのう。何が童の扱いは慎重にじゃ。狂者の心象など、それこそ童には触れさせるべきものではなかろうに」

 

「いやいや、そう侮ったものではない。意志を尊重したいと言っただろう。信念と呼べる強さを持ち始めた彼女に対し、幼子と軽んじるのは侮辱だと悟ったよ。

 ラニ=Ⅷ。おまえはもっと心に触れるべきだ。より多くではない。より深く、それこそ自分の意識と混濁しかねんほどに。中身が無いなどと抜かすのなら、まずは他の中身で満たしてみるがいい。きっと見えなかったものが見えてくる。

 師の主命を果たし、道具としての意義を全うしたいのだろう。それが変化(いたみ)を拒みたいがための戯言でないのなら、俺はその意志を昇華させる努力を惜しまない」

 

 ……だけど、この動悸の反応は何なのだろう。

 発汗が止まらない。だというのに体感はむしろ暑さよりも冷たさを感じている。

 理由が見えない。だが、この反応から導き出される感情の名を、知識として知っていた。

 

 それはまるで、取り返しの付かない選択のような。

 後戻りの出来ない場所へと踏み込もうとしているような。

 触れられるべきではない深層の場所へと踏み込まれようとしているような。

 決定的な、致命的な、そこに触れる事で自分の全てが変わってしまうと、そう思わせる何か。

 

 ただ巨大で、威圧的なだけではない。

 彼の眼は本質を見ている。その人自身でさえ目を背けている、根幹の弱さにまで踏み込んで全てを曝け出す。

 きっとそれが甘粕正彦という男の真価。公正で、容赦のない裁定者の在り方に、対峙する者は恐怖を抱かずにはいられない。

 

 もしかしたら自分は、選択を誤ったのかもしれない。

 何故かは把握できない。直感的な、根拠に乏しい理屈。だが無視できるほど軽くもない。

 この身が感じている恐れと共に、先の見えない疑念に私は囚われていた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 我々の終わりについての予測は、とうに検証が済まされたものだった。

 

 巨人の穴蔵(アトラス)。未来を探求する蓄積と計測の院。

 現実を侵す奇跡を求めず、観測される事実こそを重んじた錬金術師は、神秘の喪失した世界で他の魔術師たちのような衰退を免れた。

 現在において、昔のような真理への探求を可能としているのはアトラス院のみ。その事実だけで捉えるのなら、我々は自らの有り様の正当性を勝ち取った、魔道の徒の在るべき姿だと主張も出来る。

 

 だが、結論は違う。世界より魔力(マナ)を失わせた大崩壊(ポールシフト)、あれが決定的な分岐点となったのはアトラス院も同じだった。

 

 次世代の出生の断絶、古参の錬金術師たちの相次ぐ自死。

 それは生命本能の劣化。緩やかな、しかし確実な滅亡の予兆。

 未来を求めて観測する錬金術師が、未来を失う。あまりにも皮肉な結末がここにある。

 

 原因ならば既に分かっている。

 未来を観測し、確定した滅亡を回避する可能性を模索するのがアトラス院の役割。

 未来を観測し続けるアトラスの錬金術師は、その視界を未来に置いているに等しい。遥かな先の世界を捉えている彼らの意識は、ある意味で現在という時間軸に生きていないのだ。

 

 結論から言うのなら、彼らはあるべき情熱の全てを失ったのだ。

 

 世界中から魔力が枯渇し、人類が緩やかな停滞を始めた今。

 その行く末も容易に観測できる。この分岐へと至った時点で、この世界の結末は確定した。

 緩やかな停滞の先にあるのは、本能レベルでの種族の衰退だ。繁殖の義務を捨て、繁栄の意義を忘れ、何もかもを放棄してゆっくりとその歩みを停止する。

 

 道筋が確定した観測は、その未来の認識を容易なものにした。

 そのような結末の未来に生きる人々と、彼らは意識を同一させすぎてしまった。

 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを覗いている。覗き過ぎて囚われてしまった者の末路とは、その深淵と等しいものとなる事だ。

 

『人類の叡智を保存するのは他の誰かに任せよう。我々は正直、もう面倒になった』

 

 真理に至るための研究は、惰性のままに行われる作業となった。

 その行いには変化がない。何らかの新規を得るべく進めようとする気概が欠片も無い。

 端的に言えばやる気がない。己の価値を見失い、未来に抗うことも託すことも止めてしまった。

 それはちょうど観測した未来と同じ、停滞の果てに衰亡する人類の姿だった。

 

 既に未来は決まっている。これこそが人類の終末の答えだと。

 突きつけられた解答は、我々にとって最悪の絶望だった。

 また一つ、使われる部屋が減っていく。また一つ、この穴蔵から生命が消えていく。

 この終わりは止められない。それは検証された結論であり、抗う意味のない結末だった。

 

「ラニ=Ⅷ。あなたは月へ赴きなさい」

 

 己が最高の性能を発揮する必要はなく、その性能を発揮できる何かを創れば良い。

 それがアトラスの錬金術師の信条。故に求められる機能を果たせなくなった我が身ではなく、己に代わる存在を鋳造する方が合理的だと判断する。

 

「あなたはアトラスの最大の成果です。あなた以上のものはなく、またこれ以上を創りだすことも叶わない。決して替えの効かない身だと自認しなさい」

 

 緩やかな破滅を迎えているアトラスの錬金術師。

 それは私とて例外ではない。影響は確実にこの身へと現れている。

 確認できるだけでも身体能力、代謝機能、免疫力などの低下。生命体としての弱体化とも呼べるそれらの症状。

 そのような状態の身体には、僅かな病原すら致命的となる。かつてならば確立されていたはずの治療法が、今の身では耐えられなくなってしまう。

 

「延命措置は必要ありません。あなたという私以上の成果を遺した時点で、私の意義の大部分は果たされている。以前までならともかく、著しく性能の劣化した現在の私を存続させる意味はない。限られた資源の浪費は避けるべきです」

 

 魔術師とは死を諦観するもの。錬金術師もまた然り。

 生命の意義とは生存よりも、成果の如何にこそ優先される。

 己よりも優れた存在がいるのなら、分配はそちらにこそ優先されるべき。アトラスとして当然の、合理的に下した結論だ。

 

 私が遺すものは決まっている。

 人類の破滅を回避する。アトラスが掲げてきた命題であり使命。

 アトラシアの名を継ぐ者として、大いなる作業(マグヌス・オプス)の一旦を担う。出来得る限りの成果を築き、後世のあらゆる可能性に備えるのだ。

 後のアトラスを継いでいくのは私ではない。現行の人類では停滞の自滅に耐えられないのなら、耐える事が出来る新たな人類像を設計すればよい。

 その結論の正しさは証明されている。ラニ=Ⅷこそがその答えだ。来たる電脳世界に対応させたあの子こそ、人類の新世代(ニューエイジ)となる。

 

 ラニ=Ⅷは、アトラスの理念を真に体現する存在となれる。

 一つの意義に従う観測者。主観の目的と客観の視点を切り離せる在り方。

 この子は『道具』としての在り方に意味を見出している。それが最も合理的だと、与えた知性によって判断していた。

 その姿は理想的とすら言っていいだろう。ラニ=Ⅷは私の、シアリム・エルトナム・レイアトラシアの道具である限り、最高の魔術師(ウィザード)として活動できる。

 

 ――ならばやはり、今のこの子には調整を施すべきなのだろう。

 

 この子は人間以上の性能を持たせた新人類。

 決して機械ではない。受け取った命令の通りにしか動けない人形とは明確に異なる。

 人間が持つ機能はどれも不足なく備えている。感情の萌芽など、人間ならば当たり前に発生するものを搭載していないはずがない。

 

 日々を過ごしていく中で、兆しは少しずつ現れていた。

 学びを深める喜び、失態や不足に対しての憤り、思考の遊戯(ゲーム)に興じる際の楽しみなど。

 そして今、朽ち逝こうとしている私に向ける哀しみも、この子が心を有している事の証明だ。

 

 確かに、一見すると分かりづらい。

 表情上での変化はほとんど見られず、表面に出る反応も極々僅かだ。

 けれど、それは反応の表現の仕方をよく知らないだけ。そんなものを学ぶことに意義を見い出せず、他を優先して疎かとなっているだけなのだ。

 

 ――ちょうど、私がそうであるように。

 この子の振る舞いは、何処となく創造者(わたし)に通じているものだった。

 

 それは余計なものなのだろう。

 ラニ=Ⅷの性能を妨げる、勝率を下げる不安要素。勝利のためを思うなら、排除して然るべき。人造人間(ホムンクルス)であるラニ=Ⅷなら、人為的な調整によってそれも可能だ。

 ラニ自身も、それを了承するだろう。あの子は自分の感情を不必要なものだと見なしている。私がそのように命じれば、当然のように調整を受け入れる。

 

 全ては私の判断次第だということ。

 これまでを省みれば、取るべき選択は決まっている。

 聖杯は掌握されなければならない。獲得であれ封印であれ、あのアーティファクトは放置しておくには危険すぎる。

 そのためには勝利するのが最適の結論だ。聖杯の所有権さえ手に入れば、恐らくほとんどの問題はクリアされる。

 あの子の心は廃するべきだ。そうすればラニ=Ⅷは真実の兵器となれる。人間性を捨て合理性に従うアトラスの錬金術師ならば、どうすべきかは分かりきっていた。

 

「あなたは我が生涯を懸けた最高の成果です。その性能は、全ての要素において私を上回る。アトラシアの名の後継として選ぶのは当然の帰結です。

 アトラスの行程は引き継がれなければならない。私たちの探求は、終わりの先でも遺るものでなければ意味がない。無価値に落とすことだけは、断じてあってはならないのだから」

 

 この子の心は不要なものだ。

 喜びも怒りも、楽しむことや哀しむことさえも。

 ラニ=Ⅷは人形であるべきだ。それがこの子の力を発揮させることになる。この子自身の意思も、それを望んでさえいるだろう。

 

 ――だから、私自身のこの心もまた、やはり不要なものと見做すべきだ。

 

 錬金術師としての理性は、ラニ=Ⅷへの調整の必要性を確信している。

 けれど私の中の人間的な感情が、その判断に対して迷いを抱いている。

 この子の心が失われる。私に向けられる情の全てが無価値なものだとする。

 それがどうしても受け入れ難い。理屈としての合理性を解していても、この感情が納得の邪魔をする。

 

 細胞分裂による肉体の拡大は、育んでいくことの喜びとなった。

 機能を開拓するための教育は、己の識る事を教え伝える楽しみとなった。

 必要な作業でしかなかった行為が、いつしか私の生きる意味となっていた。

 それは錬金術師としての判断ではない。人間としての感情に囚われたが故の反応だ。

 

 私、シアリム・エルトナムは、ラニ=Ⅷに対して親愛の情を抱いている。

 己というものを客観視して得た結論。疑いの余地は何処にもない。

 恐らくは親が子に向けるもの近しい心を、私はラニ=Ⅷに向けているのだ。

 

「勝ち抜きなさい、ラニ=Ⅷ。与えられた意義と星辰の紡ぎ出す導きに従い、第五元素(プネウマ)の申し子たる本領を発揮なさい。

 あなたは"勝者"となるべく造り上げられた。淘汰は弱きものの必然であり、存続は優れたるものの証明。未来に残されるべき新人類(ニューモデル)たる証を、月の戦いで立てなさい」

 

 それでも、私という論理に破綻はない。

 自らの心を把握した上で、私はこの結論を下す。

 

 聖杯戦争とは、淘汰の極限たる生存競争だ。

 生存権はただ一人の勝者のみ。他の一切を殲滅し尽くして、その権利を勝ち取れる。

 月に触れた者の大半は焼き落とされる運命だ。生命にとってあまりに過酷な戦場に赴かせようとするのは、あるいは"親"としては間違っているのかもしれない。

 

 だが、私は人である前に、アトラスの錬金術師である。

 優先すべきは感情ではなく合理である。シアリム・エルトナムの在り方とはそういうものだ。

 アトラスで産まれ、アトラスで育ち、アトラスと共に終わろうとしている私が、アトラスの道を違えることはあり得ない。

 人間としての心は不必要な機能である。何故なら、その感情は一時のみで適用される要素に過ぎないから。私の心は、未来に何の成果も残せない。

 今の結果だけで全てを了承するには、私はアトラシアで在り過ぎた。未来へと遺すことへの『執着』を捨てられない以上、私の意義は変えられない。

 

「ムーンセルと接続するのです。その目的こそ、あなたを動かす意義(いのち)であると自戒なさい」

 

 ラニ=Ⅷは、シアリム・エルトナムの道具として造り出された。

 ならばその意義に相応しく用いよう。それを妨げる心ならば無用である。

 この子の心も、そして私の心も。それがアトラスの合理性に従って出した、私という人間の解答だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 心という概念は、人間を検証する上での最大の特色であり、同時に最も不可解な部分だろう。

 

 まず定義として明確な基準がない。

 何処からが心なのか、感情と同義なのか否か。

 本能か、脳髄か、何処から出来て何処にあるのか、確かなものは何もない。

 

 また人の心には定形というものがない。

 人という種族がこれほどに個体差著しいのも、心の有り様の差異による。

 人はそれぞれ違う。それは心とは誰もが異なるものだから。時としてそれは、本能と真っ向から相反する性質とも成り得る。

 定形がないからこそ、正しさの基準もない。あるのは社会的に決められる一般性の枠組みだけで、合理的に導かれた正答は何もなかった。

 

 ランルーと名乗るマスターを調べた。

 その生涯を、その心象を、その魂に根ざした度し難い性質を把握した。

 結論は不合理極まりない。彼女の在り方は破綻している。

 必要でないものを求め、必要とするはずのものを遠ざける。明らかな矛盾であり、生命としての致命的な欠陥だ。

 人間が構築する社会において、彼女の存在は明らかな異端となる。迎合することは困難であり、その意味があるのかも疑問だった。

 

 何故、彼女のような存在が現れたのか。

 その欲求は破綻しており、人という種にあって異端の魂だ。

 彼女の存在は始まりの段階で間違えている。何の理由もなく、ただそういう形をして生まれたというだけの突然変異。

 けれど、その存在は何の為に? 安寧の世界にあっても彼女のような特例が現れるなら、その理由とは一体何処にあるというのだろう。

 誕生自体に理由はない、と結論する事は、人類という種の理の不備を認めるものだ。星の巡りに導かれる世界の理、そこからも外れて産まれ落ちてしまった孤独な生命。

 

 理にとっての不純物ならば、それは排斥されるべき不正規品(イリーガル)

 存在の目的を持たず、生きるための役割がない生命とは、その時点で抹消すべき。

 何かのために消費されるのではない。ただ、存在する事が無為か害悪にしか成り得ないなら、そんな不適合さは消去してしまった方が効率が良いだけ。

 それが理の上より下す結論。種を総体としての構築物と考えて、人類社会全体を活かそうとするのなら、疑いようのない正しい選択だ。

 

 しかし、あえてその選択を所感によって判断するのなら。

 不具合から生まれ、不具合のために切り捨てられる。その命には何の使い道もない。

 理によって導かれたその結論は、感情にとっては受け入れ難い。それはあんまりなものだと感じている。

 まして、その存在には何の罪業も無いのならば。内包する危険性だけの問題で、外れた存在でありながら外れた道を歩まなかった彼女を排斥する道理があるのか。

 

 ――果たしてこの結論は、本当に正しいものなのかと、そう考えてしまう。

 

「なるほど。それがおまえの出した答えというわけか」

 

 所感も含めた私の報告を聞き終えて、甘粕氏は満足気に頷いてみせた。

 

「不要なものは廃棄せよ。それが種の欠陥であるならば、確かに理屈だろう。

 だが、それを素直には承知し難い。おまえの持つ所感はそう訴えているのだな」

 

「……はい。何も間違っていない結論なのに、その結論を下す事に私の反応は抵抗を示している。これが私の感情によるものなら、一体どういったものなのでしょう?」

 

「なんだ、そんなことも分からんのか? それこそ明白な事だろうに。

 おまえは彼女を憐れんでいるのだろう。始まりから欠陥を抱えたその有り様を哀しんだ。だからこそ、無慈悲な決断に抵抗を覚えている。これはそれだけの話だろう」

 

「……哀しい? 私は哀しいのでしょうか?」

 

 確かに、甘粕氏の言うことは間違ってはいないのだろう。

 私の心は哀しんでいる。理屈の上では正しいとしても、その結論は憐れなものだと。

 魂が抱えた不備、こうあるべき形に整えられなかった不遇を、感情は軋むような痛みを訴えているのだ。

 

「魂が持つ本質というべきかな。優しいな、ラニ=Ⅷ。無情な人形を気取っていても、その本性には清らかなものがある。

 やはりおまえは情を知らないだけだ。存在しないわけではない。育めばきっと芽を吹き出し、花を咲かせることだろうよ」

 

 人の本質・本性を司る魂。

 それは精神とは別の部分だ。大元より分かたれた時点で持つ存在の属性。

 電脳体を構成する魂・精神・肉体の三要素。これらがあってこそ個の存在は定義される。

 本性の因果となる魂とは、在り方の方向性を決めるもの。『起源』とも呼ばれるそれは、強く自覚しすぎてしまえば三つの全てを支配する呪いにも成り得る。

 

 私に魂を入れる事は叶わなかったと、師は言った。

 『無』こそが私の起源。いや、創られた生命である私には、そもそも起源自体が存在しない。

 それが、感情という精神の部分に引き寄せられる形で顕れようとしている。大元にあった頃の形を思い出そうとしているのか。

 

「だが、そうか。俺の見立ては間違いではなかったのだな。単なる堕ちた狂気ではない。魂の性に逆らい、人の矜持を貫いたのか。

 なんと強い意志であることか。ああいいぞ、惹かれる輝きだ。そこに虚飾はない。彼女も、その周りにいた者たちも、彼らの愛は真実だ。その勇気には称賛の念しか沸かん」

 

 けれど、ならばと私は思う。

 人の本質、方向性を定めるのが魂なら、果たして甘粕正彦という人物の魂は、どのような形をしているのか。

 

 彼女は魂からの欲求を精神によって抑えこんだ。

 自覚もあったのだろう。その上で、破綻した補食衝動に心が流れる事を容認しなかった。

 それを強さだと甘粕氏は言う。魂の方向性に逆らい抜いたその精神は、確かに強さであると形容できるかもしれない。

 

 では、甘粕正彦が持つ強さとは?

 何かを抑圧しているとは思えない。きっと彼は求めるままに振る舞っている。

 魂の欲求(チカラ)と、精神の情熱(チカラ)と、肉体の才覚(チカラ)が奇跡のように噛み合った存在(つよさ)。何の迷いもなく、翳りの一つさえ持たないからこそ発揮できるもの。

 三位一体。まるで構成される要素の全てが強さのためにあるかのよう。成果のために前進する事が強さなら、彼は強者となるべくして産まれた人間だ。

 

「そして、得難く尊い愛であったからこそ、失った痛みは計り知れないものだろう。それ故に、嘆きから立ち上がる姿は美しい。新たな光が拓かれるに違いない。

 狂気で閉じて、その輝きを曇らせておくなど見過ごせん。叩き直してやらねばな」

 

 だからこそ、氏の有する異常性についてもはっきりと認識できてしまうのだ。

 

「……あなたは、愛する事を謳いながら、相手を傷つける事を躊躇わないのですね」

 

 愛とは、強烈な執着の感情だ。

 特定個人に向けるもの。ある範囲の共同体へと向けるもの。大別しても二つに分かれるが、どちらも対象を維持し繋ぎ留めようとする性質を持っている。

 その感情は時として理を狂わせる。執着に由来する特別性が数値の解を乱すのだ。

 理に沿おうとするなら、感情を殺さなければならない。理屈と感情が相反するものならば、どちらか一方を切り捨てなければならないのは必然だ。

 

 なのに、甘粕氏の場合には、相手を失うことを厭わない。

 愛しているといい、それが嘘とは思えないのに、結果として壊れる事を受け入れる。

 極めて感情的でありながら、感情に縛られる事がない。その行動原理に、果たして矛盾はないのだろうか。

 

「それが試練だ。俺の掲げる信念であり、聖杯に託すべき祈りでもある。

 決して傷つけたいわけではない。だが愛すればこそ、輝きに満ちたその姿が見たいと願っている。自罰はするが、歩みを止めるつもりは毛頭ない

 窮地であってこそ、難関辛苦に立ち向かってこそ、人は振り絞った強さを発揮できる。だから俺は殴るのだ。その者の強さを信じればこそ、どのような結末に至ろうとも受け入れよう」

 

 甘粕氏の言葉には理屈がある。

 氏の掲げる思想とは否定しきれないものであり、その属性は善性でさえあるだろう。

 

 けれど、やはりそれでも、甘粕正彦という人物は"異様"であった。

 

 西欧財閥が、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイが築く管理社会とは、人の多様性を制限するものだ。

 感情による変容、可能性とも言い換えられるものを社会の合理性で制御する。

 人間性を否定するわけではない。言ってしまえば制御可能な範囲にまで抑制するもの。人類の変成に耐えられない世界の中で、最も効率的に種を存続していくために。

 アトラスの結論では、そのやり方では人類の滅亡を防げない。しかし長期間を安定させて生きていくには、確かにその選択こそが最適解だと認めてもいた。

 

 また人間性を肯定する世界であれば、遠坂凛の例が上げられる。

 徹底した管理を拒み、個人としての自由を尊重する。要は人の可能性を是とするものであり、これまでの人類の有り様のままだと言える。

 個人で見た遠坂凛は優れた人物だ。彼女が生きている内であれば、あるいは世界は破滅を回避できるかもしれない。

 だが、その先はない。遠坂凛は何処までも個人としての価値観に従うだろう。彼女は決して自分の認識する以上の世界へとは広がらない。

 

 ならば、それらの例と合わせて考えれば、甘粕氏の思想とはまさしく極論と呼べるものだ。

 

 人の可能性、非合理性を肯定し、それこそを至上の価値に置いている。

 難関を解決する事で発生する成長、進化。甘粕氏が試練と呼ぶそれのために、様々な災厄を人為的に引き起こして未知数の要素を強引に発現させる。

 はっきり言って愚かな選択だ。理屈としては通っているが、甘粕氏のやり方は無理が過ぎる。これ以上の過剰な消費は、人類という種に致命打を与える可能性が高い。

 しかし同時に、可能性はゼロではない。甘粕氏の言う結論にも一抹の可能性はある。そしてムーンセルは、人の想定し得るあらゆる可能性を掴む願望器だ。

 真実その世界を思い描けるのなら、世界の変革は実現し得る。そして甘粕正彦とは、それを成し遂げられる人材だった。

 

 改めて考える。何故、甘粕正彦という人物が存在するのか。

 出生が際立って特別だったわけではない。あくまでも彼は生のままの人間であり、そこに疑う余地はない。

 だというのに、彼の強さは異常そのものだ。英霊たちと正面から斬り結び、渡り合い、絶殺の一撃からも生き延びる。

 人類の枠組みにある者として、それはあり得ない事実。何より異常なのは人の領分を逸脱しながら、未だに彼が人間のままだということだ。

 甘粕正彦は異形へ堕ちてはいない。彼は人間のまま、可能性という人間としての武器を振るい、人間の意志が持つ価値を証明している。

 神秘は消え失せて、停滞の袋小路に陥ろうとしているこの世界で、どうして彼のような人間が産まれたのか。今の人類とまるで真逆の方向に向かう男に、ここまでの強さが与えられたのか。

 

 ……一つ、思い至った考えがある。

 時代毎に現れる英雄、その出現は人類の集合的無意識の後押しによってもたらされる。

 人々が抱く祈りを受けて、その世界を救うために、一つの時代に転換をもたらす者が、英雄。

 彼らは常人より抜きん出た傑物として歴史の表舞台に現れる。頭角を現した英雄は人々の上に立ち、時代の主役として伝説を築くのだ。

 その魂の熱量が燃え尽きる瞬間まで。やがて語り継がれる祈りの象徴となった英雄は"座"へと招かれ、英霊として昇華する。

 

 そのような英雄は、現代において現れる事はまず無い。

 文明が発展し、世界が開拓されて拡がった人類の認識下では、()()()()()()()()では英雄とは見なされないから。

 一人の悪意が世界を滅ぼし、一人の欲望が世界を枯らす。文明という力を得た人類にとって、それらは決して戯れ言ではなくなった。

 知らず知らずの無意識下で、人々は世界を救う役割を担っている。もはや個人の救済が求められる世ではなく、種全体として機能する抑止力だ。

 

 例えば、今の世界の停滞とて、見方によればその一つだろう。

 これ以上の消費を避けて、種の寿命を少しでも延ばすために。人々の無意識下でそのように結論が出されたからこそ、現在の停滞した世界が訪れた。

 根治治療ではなく延命措置を人類は選択した。先に破滅があるとしても、緩やかな衰亡こそが残された幸福であると人々の意識は答えを出したのだ。

 それもまた、霊長の無意識が働きかける抑止力。安寧を求める事も一つの選び得る世界であることは間違いなく、結論を否定することは出来ない。

 

 けれど、ならばこその疑問もある。本当にそれだけなのだろうかと。

 何故なら、生命とは原則として滅びを避けようとするものだから。知性があれば尚の事、潜在的な恐怖から逃れるべく意識はその方向へと向かおうとするはずだ。

 それが例え、安寧の果てに至る停止であったとしても。その結論に同意する意識があるのと同様に、何が何でも生命としての足掻きを止めまいとする意識も存在するはず。

 あの遠坂凛も然り、未だに地上で争いの火が途絶えていないのもその証拠だ。決して少なくない規模で、人類はまだ諦めてはいないのだと。

 

 もしも、それが抑止力として働くのなら、人々はどのような"英雄"を立ち上がらせる?

 停滞したまま弱りゆく人々を良しとせず、安寧という名の破滅から世界を救うもの。

 人類に再び立脚する強さをもたらし、袋小路に陥った未来に突破口を開いてくれるもの。

 それを為すのは社会ではない。集合体としての力では、もはやそれは成し得ない。

 個による救済が求められている。常識を打ち破り、今の世界を根底から覆す。そんな劇薬にも似た存在の投与が、この世界には求められているのではないか?

 

 甘粕正彦とは、そんな人々の祈りに後押しされて現代に現れた"英雄"なのかもしれない。

 試練という名の特効薬によって人類を救済する。袋小路に陥った世界に突破口をもたらして、アトラスの計算でも予測できない未来を切り拓くのが、あるいはこの男なのではと思えて――――

 

「――停止(カット)

 

 無益な思考を打ち切る。

 こんなものは推論ではなく、妄想の範疇だ。

 突飛が過ぎる。証明の手段もない。理論とも呼べない代物に、思考を割いても結論など出ないのだから。

 

「……私が感情としての反応を示しているのは理解しました。それが魂に刻まれた雛形であるというのも否定はしません。

 ですが、これで師の主命は果たされたといえるのでしょうか? ただ事実を認識することが、この器を満たすことだと?」

 

 本題に戻ろう。

 甘粕氏と交流するのも、全ては師よりの主命を果たすため。氏は観測の対象ではあるが、理解が目的ではない。

 本来の目的が果たされないのなら、この行いの意味はない。けれど、それだけの成果があった事だとは思えなかった。

 

 彼女の生き様を理解した。

 不合理なものとして在りながら、そこに人としての価値があったことも。

 魂の本質にも打ち勝つ精神の矜持。そんな強さがあることを確かに認識した。

 

 しかし、言ってしまうのなら、それだけの事でしかない。

 事実を認識しただけで、私に変革の実感は何もない。

 これが師の言っていた事、私という空の器に中身を満たす事とするのは疑念が残る。

 

「そうだな。こんなものは所詮、他人事だ。たとえ何某かを感じ入ったにせよ、重きを占める事にはなるまい。

 感情の持つ力の本質とは、理屈を超えた何かに対する執着だ。個人の価値が時として世界さえ上回るのは、全て感情によってもたらされる基準だろう。当人以外にはまるで通用しないものだろうと、それがどうしたと言い張って押し通す。

 それは感情の不合理であり、熱となる強さでもある。おまえにとっての特別な何某か、断じて譲れないと思える結論を得た時こそ、彼女のような信念の形と魂に灯る火を見出だすだろう。

 要はおまえの大切なものは何かということさ。おまえの師の言葉とは、そういう事ではないかな?」

 

 つまり、彼女はあくまで参考例(サンプル)だと。

 私が至るべきテストモデル。感情というものが持つ理屈を覆す効果の実証例。

 魂が持つ本性にさえ乱されない精神の形。理屈ではなく、それが尊い価値を持つものだと感じたのは、否定のできない事実である。

 

「……私にとって大切なものは、アトラスの理です。それが私の意義として、師より授かったものだから」

 

「理そのものにではなく、師の教えという部分が真っ先にくる。分かりきった答えだろうに、何を誤魔化すのだ?

 おまえが大切なのは師だ。愛してるのだろう、その者のことを。創造者として、己の担い手として、絆の形は数あろうが、その一点だけは違いあるまい」

 

 私は師の道具。師の意向を果たすもの。

 それが私の存在意義で、私の生きる目的だ。

 甘粕氏の言う通り、もしも世界で私の基準を覆すものがあるとすれば、それは師の存在に他ならない。

 

 けれども――――

 

「……それならば、やはり私の在り方は変わらないと思います」

 

 今のアトラス院に命はない。

 私は最期のアトラス。その終幕の役割を託された者。

 己以上に役割を果たせるものを創造できるのなら、己の存続に必要以上の比重をおかない。

 それが錬金術師の理だ。終わりは嘆くべき悲劇ではない。確かな意義を遺せたのなら、アトラスにとって納得するに足る結末だから。

 

「私は意義を果たします。それが師よりの主命であり、遺命だから。

 大切に思うもののための生き方を全うするのが人間なら、理に従う事が私の生き方なのでしょう」

 

 アトラスの理に従い、与えられた意思を果たす。

 戦いを勝ち進む。聖杯を獲得する。それが叶わなくとも、万能の願望器は誰の手にも渡さない。

 

 私は聖杯戦争を戦い抜くだろう。

 自分にとっての大切なもの、特別に思う何かのためというならば。

 私にとってはこの行いこそがそうだから。あらゆる敵手の打倒のため、確かな効率に従い遂行する。

 きっと、感情の強さとは大切なものを『守る』ためにあるのだろう。だけど私には、そんな感情の定義にだけは当てはまらない。

 

 ――私の大切な人は、既にこの世にはいないのだから。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ――そして、決戦の日は訪れた。

 

 昇降機が降りていく。

 決戦の当日となる7日目。死闘を繰り広げる二組を乗せて、そのための戦場へと私たちを連れて行くために。

 限定された空間内では、必然として両組が向かい合う形となる。対戦の組み合わせの発表以来、私は相手となった人物と直に対峙した。

 

 遠坂凛。

 月に上がった魔術師(ウィザード)の中でも指折りの実力者。

 聖杯に手が届く位置にいる優勝候補の一角。彼女を強敵と認識するのに否はない。

 

「はじめまして、アトラスの錬金術師。こうして実際に話すのはこれが初めてかしらね」

 

「その記憶は正確なものであると、こちらも記録しています。

 ごきげんよう、遠坂凛。あなたの事は地上の頃より優先度の高い観察対象でした」

 

「ふぅん。アトラス院は穴蔵に引き篭ったままで何もしようとしなかったけど、あなたたちはあなたたちでやるべき事はやってたってわけだ。

 知ってるのよ、エジプトシンジケートとのクローン・マーケティング。あなたっていう"規格外"がその成果なら、アトラスは狂ってるって噂は本当だったみたいね」

 

「それを凶行のように認識されるのは心外です。これは極めて理性的な判断によるもの。電脳の海の開拓に人類を対応させるのは急務でした。魔術が神秘としてあった頃の精製法が失われた以上、私というモデリングの完成は有益な成果であると自認しています。過程での検証用個体や廃棄例も、必要な消費だったと結論できるでしょう」

 

「そう。まあ当のホムンクルス自身がそう言ってるなら、何も言わないけどね。そうしてアトラス院は満を期してあなたを送り込んだ。アトラスは世界を制するつもりなの?」

 

「制するのは世界ではありません。アトラスが制するべきは未来です。人類存続のため、このアーティファクトはアトラスの管理下に置かれるべきだと結論が出されました」

 

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイでも、遠坂凛でも、無論のこと甘粕正彦でもない。

 月の聖杯はアトラスの手にあるべきだ。師が下した結論を、私という手段によって実現する。

 与えられた用途に従い、この器の性能を十全に行使すればいい。それ以外の事柄は、今は必要ない。

 

「私には『負ける』という選択肢はありません。課された目的(いのち)がある限り、私はそれを選べない。ですので、私が負ける事は無いと思います」

 

「言ってくれるじゃない。それってつまり、私なんかには負ける要素がないってわけ?」

 

「あなたとサーヴァントの性能は把握しています。あなた方主従が実力者であるのは認めるところですが、検証された予測によれば一手及ばない。

 仮想検証より確定した戦いは戦いではありません。それは消費、あるいは虐殺と呼ばれるものだと教わりました。本来ならそういった戦いは禁止されているのですが、今回はこういった場ですので、どうかご容赦のほどを」

 

「……オーケイ。アンタ、絶対泣かせてあげる」

 

 遠坂凛の反応に変化が見られた。どうやら怒りと思しき感情を持ったらしい。

 挑発の意図はなかったのだが、感情への対処を誤ったようだ。今は並列思考を全て戦闘用に切り替えているので、どうにもその辺りの機能が疎かになっている。

 

 とはいえ、訂正の理由はない。告げた事は事実でしかない。

 能力の不足により、目的と成果が一致しない可能性は理解している。

 しかし、その可能性についての検証は為されている。その上で、こちらの勝利は動かないと結論を下した。

 マスターとサーヴァント、両者の性能を鑑みての結論だ。そこに誤りがないことは、まもなく始まる戦いによって証明されるだろう。

 

「へえ、なかなかいい感じじゃねえの、嬢ちゃんたち。そういうのは大事だぜ。後腐れを残さねえってのはな」

 

 言葉は遠坂凛のサーヴァントが発したもの。

 槍兵(ランサー)の英霊。その真名を鑑みれば、数あるランサークラスのサーヴァントでも最上位に位置する存在だろう。

 

「まあ嬢ちゃんたちの方はそれでいいんだろうが、俺としちゃあ後ろのそいつが気になるぜ。なあおい、聞こえてねえのかよ、おまえ?」

 

 ランサーが言葉を向けるのは、控えさせているこちらのサーヴァントに対してだった。

 

「ランサー。そいつ狂戦士(バーサーカー)よ。会話なんて成り立つわけないじゃない」

 

「そりゃあな。端から話が通じる手合いとは思っちゃいねえよ。だがどうにも気になってな。狂戦士だとは見りゃ分かるが、気配にちと違和感があるんだよ。

 こいつ、静かすぎる。狂戦士といえど、英雄ならば持って然るべき覇気がねえ。理性の無さよりも、何処か型に嵌まった人形みてえな感じがするぜ」

 

 ランサーが何を根拠にそう結論付けたのかは分からない。

 だがその指摘は誤りではない。確かに言うように、このバーサーカーは『人形』だから。

 

「このバーサーカーは『狂化』による理性の喪失だけではありません。施したアトラスの術式で完全に自己を廃しています」

 

「自己を廃してるって、人間の魔術でサーヴァント相手にそこまで!?」

 

「アトラスの技術でなら可能です。マスターとサーヴァント間の思考の同一化。この縛りによりバーサーカーは完全なる制御下にあります。人間性を廃することで、より信頼性のある兵器として運用するために」

 

「兵器として、か。大人しそうな顔して随分とえげつない真似してくれるじゃない。武器に心は要らないってわけ?」

 

「離反の可能性を考慮すれば有効な処置かと。如何にサーヴァントの理性と信頼を結んでも、ムーンセルのプロテクトがある以上、確実ではないのですから。

 そして、遠坂凛。武器に心が必要であるかと問いましたね。その通りです。道具がその用途を遂行するのに、心の持つ非合理さは必要ありません」

 

 ちょうど、今の私がそうであるように。

 師の道具として戦いに向かう今の私は、余分な感情には囚われていない。

 明確な勝利という目的のために。与えられたこの性能を十全に発揮する。

 

 そういう意味では、バーサーカーも同じものだ。

 彼も過去に実在した英霊であるとは承知している。バーサーカーというクラス名ではなく、本当の真名があることも。

 けれど、それが何だというのだろう。これに兵器としての役割を求めるなら、個体名を重視する必要はない。

 その能力を把握し、十二分に引き出して運用できるなら。私もバーサーカーも、目的を達成するために器の中身は不要なものだろう。

 

「へっ、そうかい。まあ他所の事情に口出す野暮はしねえさ。おまえさんと、そいつ自身で選んだ事だしな。好きにすりゃあいい。

 そうだよな、マスター。そんなもんで俺たちに勝てると思うのなら、実際がどうなのか教えてやればいい」

 

「そうね、ランサー。どのみちもうすぐ答えは出るわ。勝つ事がやってきた意味の証明になるのなら、この戦いに全力を尽くすのが唯一出来る事だから」

 

 遠坂凛の意見に同意する。

 結論は間もなく出る。何より明確な勝利という結果によって。

 勝者と敗者。事の優劣を定めるのに、これほど有効な概念はない。

 師の結論の正しさを証明するために、最も優れたる者としての証を立てる。

 言葉を並べる意味はない。何よりこの闘争の結末にこそ、解となる答えが現れるから。

 

 ――そして、下降する昇降機が止まり、私たちは決戦のフィールドへと降り立った。

 

「昇華の雲は螺旋を描き、黄金の尾長鳥が暁を告げる」

 

 これより先、この身は師の意思を遂行する演算機構。

 蓄積された知識より未来を予測し、最適解の選択肢のみを選んで進む。

 

「月が南天に昇るとき不純物は取り除かれ、正しい終わりが始まります」

 

 高速思考、展開。分割脳、同機開始。

 感情の揺らぎは消えて、思考は数理の式に染め上げられる。

 電脳の空間を掌握し、かつての神秘を再現する魔術回路(サーキット)。励起された器官の熱さを感じ取ながら、自らを完全な闘争の形態へと持っていく。

 

「――さあ、準備はいいですか?」

 

 万全を整えて、私は戦闘を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣戟の音が鳴る。

 再現された南海の風景を蹂躙しながら、二騎の暴風が荒れ狂いながら絡み合う。

 

 青い風の名はランサー。

 朱き魔槍を振りかざし、駆け抜けるその様は疾風の如し。

 速く、巧く、一点の無駄もない槍捌きはまさしく武の極致。極みに達した英雄は退く事を知らずに攻め立てる。

 

 赤い風の名はバーサーカー。

 巨大な矛を繰り出して、一撃の毎に圧倒的な破壊を生み出す剛力無双。

 単純明快、破壊こそが武の真髄であると。長身のランサーをして見上げるほどの巨体が、目の前の小兵を粉砕するべく暴れ回っている。

 

 一歩も退かない。どちらの攻めも怒濤の勢いで進み続ける。

 さながらそれは二つの暴風が結び合って生まれた台風だ。周囲に轟音と衝撃を撒き散らし、決して停まることなく暴れまわっている。

 人型のそれとは思えない闘争は、彼らの超常を証明するもの。人では追えない二騎の天災は、彼らだけが共有できる領域で苛烈な激突を繰り広げていた。

 

 ランサーの攻め手は、その手にある一振りの魔槍。

 引いて、構えて、突く。特殊な芸当ではない。槍という武具における基礎の動作。

 されどここで見せるは英雄の技。基本の動きを極限まで研ぎ澄ました槍は、本来の一点を貫く攻め口を、面の範囲を巻き込んだ豪雨の如き攻勢に変えている。

 基本こそ真理であり、絶対となる奥義である。音を遥かに置き去りとした神速の槍撃は、逃れる余地のない確殺の技巧と成り得ている。

 

 対し、バーサーカーの攻め手は一つきりのものではない。

 得物は一つ。しかしその得物こそが異様。切断、刺突、薙ぎ、払いと、あらゆる武技が有効となる特徴を有している。

 得物の名こそは方天画戟。突き刺し貫く事に真髄を持つ槍とは違う。全ての局面で対応が可能なように武具の理を突き詰めた万能武器だ。

 当然、その扱いは至難だが、担い手たるバーサーカーには一切の窮した様子がない。己の手足と等しく使いこなしてその猛威を振るっていた。

 

 互いが異なる攻勢を仕掛けて、譲ることのない攻め手の応酬。

 元より彼らの性質とはそういうもの。守りよりも攻め込む内にこそ活路を見出す者。故に気負いもなければ容赦もない。

 ならば両者の戦いの趨勢は互角なのかと言えば、その限りとも言えない。武人としての質は共通していても、根本的な戦いの有り様の部分で二者には差異が存在した。

 

 ランサーの戦いは真っ当だ。鍛え上げた武技を駆使し、己の感覚を信じて踏み出す。武人たるならば斯くあるべきと呼べる姿勢。

 逆に、バーサーカーの姿には異端が見え隠れしている。狂戦士として理性が剥ぎ取られていることを考慮しても、その異質ぶりは得心できるものではない。

 対応が良すぎるのだ。繰り出される攻めに対し、まるで知っているように対処する。現にランサーの怒涛の攻めを受けながら、その身は未だに一刺しも穿たれてはいなかった。

 

 直感や経験だけでは説明しきれない。その先読みは狂戦士のクラスにはそぐわないものであり、それと相まって何処か無機質な印象を受ける。

 機械的に、ただ打ち込まれた指令(コマンド)を実行しているような、意志の稀薄さ。猛々しく吠える声も声量だけで空虚に聞こえてくる。

 まるでそれは繰られた人形のよう。武威を振るうのは他者の意思で、彼自身はただ兵器でしかない。

 

「ランサー、気付いてる?」

 

「ああ。どうやら読まれてやがるな。バーサーカー自身に出来る芸当とも思えんし、となるとマスターの嬢ちゃんの方か」

 

 常に後の先を取る先読み。それを為すのはバーサーカーではない。

 攻勢の流れを読み、先手を取れるよう指示を出しているのはマスターのラニである。

 マスターにサーヴァントが従うのではない。マスターがサーヴァントを操縦している。それがラニ=Ⅷとバーサーカーという主従の姿だった。

 

「蓄積された情報に不足は無し。全ての事象の可能性は既に描き出されています」

 

 英霊であるサーヴァントと、人間であるマスターとの間には明確な性能差がある。

 それは器そのものの格差。たとえ下位に属しているとしても、英霊とは人間を超越する存在である。

 マスターはサーヴァントに追い付けない。サーヴァントの六手の内に一手の助力、それがマスターの領域であり限界だ。

 

 しかし、ラニ=Ⅷこそは来たる未来に向けて設計された新人類。

 物理的な戦いは意義ではない。思考脳内による分析こそがアトラスの錬金術師の真骨頂。

 その高速思考はサーヴァントにさえ追い付ける。弾き出された予測は未来を捉え、正確無比に打ち込まれる指令(コマンド)がランサーの一手先を上回る。

 

「現状の推移は想定の許容を超えるものではありません。 ここまでの事象は既に観測されたものです。 長引きこそするでしょうが、行き着く結果は同じ。

 ……こちらの勝利は動きません。速やかな降伏を推奨します」

 

 既に未来は観えている。

 観測を終えた事象は、もはや戦闘ではなく消化行程に過ぎないと。

 無駄な消費は避けて然るべき。 他意があっての言葉ではなく、ただの事実としてラニは告げた。

 

 その発言は些か以上に性急でもあるだろう。

 ランサーも、バーサーカーも、五体満足に健在だ。両者ともに決着には程遠い。

 確かに優位はバーサーカーに傾いている。だがそれとて決定的とまでは言えない。まだまだ切欠次第で、戦況など如何様にも変化していくだろう。

 

 しかし、決して虚勢を張っているのでもない。

 ラニは言った。全ての事象は既に観測を終えたものであると。

 彼女の脳裏ではあらゆる行程が洗い出されているのだろう。相手の性能を把握して、自らの能力と比較して、その上で出された結論だ。

 それを覆すことは容易ではない。そして覆せなければ、即ち敗北の確定となる。

 

 早すぎる勧告も、ラニにしてみれば当然と思えるもの。

 彼女は既に知っているのだ。全ては徒労に終わるものと、その結果を理解している。

 降伏は相手のためを思ってのものだ。無為なる行いに意義はなく、苦痛と徒労を長引かせるよりはと本心から()()()()の発言である。

 

 他意なんてものは何処にもない。ラニ=Ⅷは、未来の勝利を既に観測しているのだから。

 

「ほんとに言ってくれるわね。それでどう? ランサー」

 

「ただのハッタリじゃあねえな。ここまでやり辛いのはそうはねえ。あの嬢ちゃん、なかなか大したもんだよ」

 

 対峙するランサー自身も、それを認めた。

 歴戦を重ね、数多の逆境を覆してきた英雄をして、ラニ=Ⅷの予測を上回ることは容易ならざるものと。

 戯れ言だとは切り捨てない。直に打ち合った手応えとして分かる。この敵は長年の戦歴を紐解いても稀に見る難物だと認識した。

 

「そう。なら向こうの言う通り降参でもしてみる?」

 

「ハッ、冗談だろ。これしきの事で制したと思われたとあっちゃあ、それこそ我が名が廃る」

 

 だが無論、彼ら主従はその程度で折れるほど脆弱ではあり得ない。

 如何に相手が強大だとて、信念の骨子は挑む事を諦めない。正しき強さを持つ少女とその矛たる槍兵は、燃え上がるような奮起を見せた。

 

「――ええ、それでこそよ。

 ギアを巻き直すわよ。突き崩しなさい、ランサー!」

 

「おうさァ!」

 

 戦況が動き出す。

 更に回転数を上げる槍の連撃。

 疾風怒濤の攻勢は尚もその勢いを強め、己の敵を討ち果たさんと猛り吠える。

 

 されど、それでも不落の壁と立ち塞がるは計測の糸に繰られしバーサーカー。

 襲い来る豪雨に等しく槍撃も、既に熟知しているかのように捌いていく。

 その対応に穴はない。起こり得る事象の全ては見透され、ゆっくりと着実にランサーを追い詰める。

 

 一点、二点、三点と、瞬時の内に放たれる刺突。

 狙うは肉体の中心線。真っ直ぐに揺れない矛先が無数の閃光となって迫る。

 しかし予測は先を読んでいる。演算された攻撃軌道に従って、バーサーカーの矛が動かされる。

 

 如何なランサーの絶技といえど、攻撃箇所が分かっているなら防げない道理はない。そう豪語できるだけの武勇の誉れがバーサーカーにはある。

 防ぎ、逸らして、流していく。狂戦士のクラスからは縁遠く感じる武練の冴え。失った理性の代わりに刻まれた兵器としての在り方が、彼に最適解の動きを与えている。

 ここで遠坂凛(マスター)が取る選択は妨害か、あるいは強化か。そしてどちらを選ぶにせよ、対応策は既に用意されている。

 想定は崩れない。経過は見通したままに進んでいる。互いの性能を把握している以上、演算を狂わせる要素は何処にもない。

 

 それは確信。予測した未来への演算は覆らない。一秒先の動きを常に把握して、ラニ=Ⅷは定められた結果へと行程を進めていく。

 

「――たわけ。手温いぞ、狂戦士」

 

 だが、完全に想定の範囲内にあったはずの一撃は、バーサーカーの矛を躱して、その身を穿っていた。

 

 想定以上の疾さだった。予測し得ない威力だった。

 強化を受けたわけではない。妨害をされたわけでもない。

 それはランサーの決死の踏み込み。技巧の繊細を振り切り、荒々しくも繰り出された切っ先がバーサーカーの防御を崩していた。

 

 思わぬ一撃と思わぬ損傷。それは想定外のものだったが、事象の意味を把握すれば対応できないものではなかった。

 確かにバーサーカーの受けたダメージは軽くない。しかし行動不能に追い込むほどのものではない。たとえ魔槍の一撃であろうとも、半人機人のバーサーカーは倒れない。

 他のサーヴァントならば性能に支障をきたす事もあり得ただろう。だがバーサーカーは違う。仮に致死にも等しい損害を受けようと、敵を殲滅するまでその攻勢は衰えない。

 この間合いならば、ランサーの敏捷性は十全に発揮されない。ここで反撃を見舞えば、それこそ致命に届く損害を与えることが出来るだろう。

 

 だからこそ、この選択は不思議に思える。

 ラニは遠坂凛というマスターを侮ってはいない。その能力を十分に評価し、検証している。

 彼女が気付いてないはずがない。この選択の不合理さに。勇み足からの愚行とも評せる行動に、何故彼女ほどのマスターが踏み切ったのか。

 

 とはいえ、好機である事も確かである。

 疑問は一瞬、即座に思考の中で呑み干した。

 躊躇は無い。慈悲など戦場に不要である。決殺の命令をバーサーカーに下し、この戦いを決めに掛かる。

 

 方天画戟の矛が振り下ろされる、その寸前。

 これ以上ない好機を捉えて、七色に輝く宝飾の閃光がバーサーカーを貫いていた。

 

 単なる妨害でなく、直接的なマスターによるサーヴァントへの攻撃。

 遠坂凛の宝石魔術はそれを可能とする。たとえ人の域の魔術といえど、一度きりでの消失を代償に炸裂する威力は、英霊にも届き得るものだ。

 貫いた魔術はバーサーカーを仕留めるまでには至らない。それでも一撃を狂わせるには十分であった。狙いをずらされ繰り出された矛は、ランサーの命にまでは届かないだろう。

 これを見越しての蛮勇ならば納得できる。紙一重のタイミングだったが、成功させた以上は有効手だと認めざるを得ない。遠坂凛の能力評価を上方修正しつつ、ラニは態勢を整えるべく支援の魔術を発動させようとする。

 

 その緩み、攻めではなく退きの思考、歴戦の戦士であるランサーは見落とさない。

 刹那とも思しきその間隙、ランサーの更なる踏み込みがバーサーカーを押し返した。

 

 ランサーの選択は徹底して攻勢あるのみだ。

 優れた敏捷性による攪乱、機動戦という選択肢を捨ててまで、その姿勢は攻める事を重視している。

 それは愚策とも取れるものだ。捨て身と言ってもいい。強引が過ぎる攻め口は自滅の可能性を大きく引き上げる。手段として合理的ではないと結論できる。

 

 だというのに、その悪手が計算を上回る結果を弾き出している。

 決断が早い。踏み込みが強い。あらゆる行動を予測するはずのラニが後塵を拝している。

 思考の速度でアトラスの錬金術師を超える者はいない。それは確かな事実であり、現にラニの性能は遠坂凛のそれを上回っている。

 能力で凌駕する者が、劣る者に対し遅れを取る。優劣差を覆す要因は、互いのスタンスの違いにこそあった。

 

 捨て身の気迫で打って出たランサーの攻勢は、あらかじめそうと定めたものではない。

 それは独自の判断だ。攻めに出たランサーも、遠坂凛の魔術も、各々が最良と信じて行動した。

 単純な意図の疎通ではない。互いにあったのは確固たる信頼の結び。この相手ならばそれが出来ると、そう信じているからこそ後を任せて踏み出せる。

 不確実だろう。合理的だとは決して言えまい。しかし、二つの意思の相乗により発揮される強さは、一人のそれを超えるものだ。

 

 対して、ラニの強さは独りのものである。

 人形の如く自己を廃したサーヴァント。決断を下す意思を持つのは一人だけ。

 どれだけ速く精密であろうとも、一人の思考では届かない。全てを合理で判断しようとする性質は、故にこそ自ら死地へ飛び込む不合理を選べない。

 窮地にあって活路を開けるのは経験と意志の賜物だ。数多の戦場を切り抜けて不屈の意志を磨きあげてきた遠坂凛とランサーだからこそ、彼らの連携の冴えは合理の予測の一手先を行く。

 

 心の意義を否定した者に、心強くある者の刃が突き刺さる。

 間にある趨勢を傾かせながら、両者の死力を尽くす戦いは続いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自らが追い込まれている事を自覚する。

 導き出した未来の予測、その算出解が狂わされていくのを目の当たりにして。

 

 遠坂凛。彼女の攻め筋は千差万別。

 剛の如き攻めに出たと思えば、しなやかな柔の守りにも徹しきれる。

 決して一つの戦い方に囚われない。思考の柔軟さと相まった勝利への強い意欲こそ、遠坂凛という人間が持つ何よりの武器であり価値なのだろう。

 

 対比して、自分はどうか?

 理で構築された予測の道筋を崩されて、未だ元へと戻すことが出来ないでいる。

 修正に上乗せするように重ねられる想定外。勝負勘とでも言うべきか、アトラスの予測とは異なる相手方の感覚が、こちらにペースを戻させない。

 対応策は現状のところ打ててはいない。より優れた性能を持ちながら、それは私という人格が自らの器の性能を活かしきれてない証明だった。

 

 私は未来を予測することを旨とする演算器。それ故に、やがて至る自らの未来にも容易に予測がついた。

 

 なんて、無様。このようなラニ=Ⅷは駄作が過ぎる。

 完璧を謳いながら、この体たらく。心への無理解が招いた結果がこれならば、因果はやはり自分にある。

 欠落を欠落として是正しきれなかったからの今なのだ。師よりの期待に泥を塗った咎は、そそがれなければならないだろう。

 

「……申し訳ありません、師よ。あなたにいただいた筐体と命を、お返しします」

 

 サーヴァント同士の直接戦闘で遅れを取るなら、見込むべきは宝具の開帳。

 宝具こそが英霊の真価。その英雄の伝承の具現たる武装は、一撃で戦況を変えるだけの力を持つ。

 当然ながら、バーサーカーにもそれはある。純然たる破壊力において、バーサーカーの宝具は最高位である。たとえ聖杯戦争中の英霊を見渡しても、これを超える威力を持つ宝具はそうないはずだ。

 

 だが、予測は既に宝具戦での勝算の低さを結論付けていた。

 聖杯戦争に採用される決闘方式。サーヴァント同士が真っ向より立ち合う戦いで、ランサーの持つ宝具はまさしく"必殺"と呼べる能力を有している。

 威力ならバーサーカーの『対城宝具』が上だろう。しかしランサーの魔槍は『対人宝具』。余分な破壊をもたらさず、ただ敵手の命を刈り取る事に特化している。

 その中にあってもランサーの宝具は最優の性能だ。速度、燃費、必殺性を兼ね備えるそれは、単独の敵を仕留めることにかけて右に出るものはない。

 

 仮にこちらが宝具を抜けば、向こうもまた宝具を使うのは間違いない。

 宝具同士の撃ち合いとなれば、先手を取るのは向こうとなる。バーサーカーといえども重大な損傷は避けられない。相打ち狙いで打って出るなど分が悪すぎる。

 

 ただし、それはあくまでも、通常の宝具戦であった場合での話だ。

 

「全高速思考、乗速、無制限。北天に舵を(モード・オシリス)

 

 この身に備わる機能の全てを解放する。

 出し惜しむものはない。文字通りに全てをここで使い切るのだ。

 マスターにとっての切り札である『令呪』の発動だけでも足りない。師より与えられた、この『心臓』に宿された力を解き放つ。

 

 ――それが何を意味するのかも、無論のこと、理解しながら。

 

「任務続行を不可能と判断。入手が叶わぬ場合、月と共に自壊せよ――――これより、最後の命令を実行します」

 

 師は告げた。聖杯を入手せよと。

 人類にとっての可能性であると同時に危険因子でもあるアーティファクト。その存在を管理するのはアトラス院であるべきとしたのが師の判断。

 そして次善の策として、人類の入手が叶わないように破却する。それこそ師が私に課した『主命(オーダー)』だった。

 

「ちょっ、なにそれ……!? アトラスのホムンクルスってのはそこまでデタラメなの!?

 魔術回路の臨界収束……! 捨て身にもほどがある、そんなの、ただの自爆じゃない……!」

 

「ヒュウ、カミカゼってやつか。さて、どうするかねお嬢ちゃん? 確かアンタらの専売特許だろ、ありゃあ?」

 

「いつの時代の話だってのよそれ! 軽口は後よランサー、相手がその気ならこっちも全力で殴りつける……!」

 

 焦燥を見せる遠坂凛と、逆に危機感を感じさせない飄々とした態度のランサー。

 聞こえてくる彼らの声も、どこか遠い。確定した結末は、もはや覆すことなど敵わないのだから。

 

 変形を果たしたバーサーカーの宝具。

 一つは弓に、一つは槍大の矢に。番えられた矢に搭載されるのは、超々高密度に圧縮された魔力の凝縮体。

 解放するだけでもアリーナをゆうに崩壊させる第五真説要素の臨界突破。それを指向性を持たせて収束し、令呪を上乗せして放てばセラフさえも貫くだろう。

 それは聖杯戦争の運営にも甚大な影響を与える。聖杯の持ち主を選定する戦いは中断され、月のアーティファクトは人の手の届かない所へ遠ざかる。

 

 それだけの威力を発射するバーサーカーは勿論、『心臓』を臨界させた私も、このアリーナの何もかもを諸共に消滅させる事を代償に。

 

「ラニの心臓、アレ、本物の第五真説要素(エーテライト)よ! 爆縮させたらアリーナくらい吹っ飛ぶわ!

 その前に――――宝具で、中心を穿ちきって!」

 

「おう、らしくない大盤振る舞いか! いいね、いよいよ決着だ!」

 

 ランサーの槍から魔力の上昇を観測する。

 恐らくは宝具を使用するつもりだろう。だがそれも無駄に終わる。

 心臓穿ちの朱槍といえど、通常の人体ではなく半身半機の性質を持つバーサーカーを一撃で沈黙させることは出来ない。

 それだけの猶予が残るなら、宝具の真名解放は十分に可能。令呪で縛ったバーサーカーの行動は妨げられない。目的は達成される。

 

 ムーンセルより施されたサーヴァントへのプロテクトも、既に改竄済みだ。

 狂戦士のクラスを選んだのもそこに理由がある。理性を封じることで、深層意識に刻まれたムーンセルを守護する本能も一緒に封印する。ムーンセルからの直接介入も、アトラスの術式を用いれば僅かな間の抵抗なら可能だ。

 離反を警戒するだけではない。何よりも危険なのはムーンセルの直接干渉。それを防ぐための手段、ムーンセルの意に反する行為でも実行に移すため、私はバーサーカーを選択した。

 

 防ぐ手立てはない。どのような可能性も間に合わない。

 これで全てが決着する。課せられた主命は果たされる。

 道具として、この生命を引き換えにして、私は自らの意義を履行するのだ。

 

 躊躇いも、後悔も、私には存在しない。

 如何なる妨害も許さないよう、私は速やかに決断をくだす――――

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「――失敗、であったのかな。彼女への接し方は」

 

 誰に対してとも取れぬ呟きは、響きだけを一時残して即座に消える。

 きっとそれには何の意味もない。ただ、胸中の落胆を僅かに吐露しただけのこと。

 しかし、この男に限って言えば、それはとても珍しい。およそ後ろ向きという概念の全てが当て嵌らない、あらゆる意味で前向きの権化とさえ呼べる。

 

 そんな甘粕正彦が、後悔を混じらせて息をつくなど。それはもはや異常事態であり、この男にそれはあまりに似合わなすぎる。

 

「失敗? 失敗かじゃと。失敗ならば、そもそもそなたを見出した時点で誤っておろう。

 心を求め、その理解を得るために、よりにもよってそなたを頼ろうなど、危機の何たるかも知らぬ赤子のように無知蒙昧よ」

 

 故に、傍らに在る者はそれを見落とさない。

 遊興の種を見つけたアーチャーは、愉悦を笑みに浮かべて言葉をかけた。

 

「言ってくれる。これでも俺なりに配慮したやり方だったのだがね」

 

「知らぬ心を理解させる。赤子に等しき精神に刺激を与え、戦に懸ける信念に自立と自覚をもたらそうと。

 そのために、あえて理屈の通じぬ狂人の心象に触れさせた。理解のために、真逆の未知という衝撃を与えようとするのはそなたらしいと言うべきかのう」

 

 生命を入れてほしいと求められた。

 人形のような無感、自己を持たない空の器に中身となる心を与えてほしいと。

 甘粕正彦はそれに応えた。だが、その結果は望まれたものには程遠かった。

 

「流石に此度の事に関しては悠長が過ぎた。自らの目覚めを待つような手法では時間が足りぬ。

 感情を与えるならば、もっと単純にぶつかるべきじゃった。直接、そなた自身が執着の対象となれば良い。所詮、他人如きの事柄など程度が知れておるのだから。

 尤も、そなたではそれも厳しいがのう。無垢なる小娘の心を動かすのは、そなたのような魔人ではあるまい」

 

「返す言葉もないな。今回の件については、俺ではあまりに不適任だった。素直にそう認めよう。

 強きを練磨するのではなく、一から育て上げるのはどうにも不得手らしい。確たる意志の芽生えになればと思ったが、うまくはいかないものだ」

 

「是非もなかろう。そなたは意志の貴賎を問わぬ。善も悪も、強く輝いておれば何でもよいという無節操。思想の如何ではなく、問うておるのは思想の美しさじゃ。

 如何を問わぬ事は、意志の何たるかを示さぬこと。正も負も無く、貫くのならそれでいいでは、導いてやることも出来まいて」

 

 試練の存在こそが甘粕正彦の信条だ。

 己の力が通用しない難関、掲げた信念を否定される対立存在。

 そうしたものらに阻まれて、乗り越えてこその成長、輝きであると。

 その理論は間違いではない。強さの意義が最も発揮されるのは、心置きなくその力を振るう事が出来る場があってこそなのだから。

 

 しかし、それは同時に、既に道を定めた者にだけ当て嵌る概念だ。

 決意を抱く勇気も覚悟も、己の心が見えていなければ一歩目すら踏み出せない。

 試練では意志を鍛える事は出来ても、芽を出させる事は出来ない。甘粕正彦の在り方にとって、それは如何ともし難い事柄だった。

 

「じゃが、わしはあの娘の有り様を好んでおった。心持たぬ人形、道具の如き有り様、その有意義さは確かであったからのう。

 理屈のみに徹し揺るがぬ者とは、一切の執着を持たぬ者。感情故の強さこそ持たぬが、同時に脆さもまた無い。従順にして有能、その有用さはもはや語るまでもあるまい」

 

 主に対し絶対服従であり、感情ではなく理屈からの諫言を行える者。

 指導者の立場から見て、これほど有益はものもそうはない。絶対に裏切らないと信頼できる優秀な部下、それだけでも価値は十二分にある。

 だが何よりもの価値は、主の意向には決して逆らわない事だ。物申すとしても論理的な観点からの忠言であり、感情から反発を示す事はない。

 その主命がどのようなものであれ、道具である彼女はやり遂げようとする。それは人間性を切り捨てているが故の利点であり、ラニ=Ⅷだからこその強みだった。

 

「過去にのみ拠り所を持つ者は、変わらぬ過去であればこそ決して揺るがぬ。今の全てに重きを持たぬが故、己自身でさえ理屈の内に置けるじゃろう。

 人形? 道具? 大いに結構じゃ。どうあれ役に立つものは、わしにとって好ましい」

 

 信仰への畏敬さえも道具として貶めた革新の王。

 神秘、幻想の類いさえも彼女にとっては役立つもの、利用すべきもの。

 ならば人間とて、その例外ではあり得ない。善いか悪いかでなく、有用か無用かで相手を測っている。たとえ狂った殺戮者であろうとも、有用だと判断すれば重用してみせるだろう。

 そこに人間性など考慮されない。王の行いに役立つ事は、即ち国にとっても価値を持つこと。実利の繁栄こそ願うのが彼女という王のカタチだ。

 

「なればこそ、奴の師が告げたという言葉を、わしは無価値と呼ぼう。

 そのように造ったのじゃ。ならばその通りに用いるよりあるまい。それは築きし者の責務じゃ。そこを違えるならば、所業の全てが無為となろう。

 如何なる情があったにせよ、そこを誤るべきではなかったはず。やはり愚行でしかあるまい」

 

 中身(こころ)を見つけろという主命。

 ラニ=Ⅷに与えられたそれは、道具の有り様の価値を下げるものだ。

 それがどのような葛藤の果ての選択であったかは、アーチャーには定かではない。

 だが、何らかの理屈があっての事ではないのは確かである。ただ性能を下げるだけの無意味さを思えば、勝利のための言葉ではないだろう。

 きっとそれは感情に由来する。本来の用途を損なってでも、どうしようもない感情がそこにはあったのだ。

 

 それは無意味なものなのかもしれない。

 アーチャーの言う通り、愚行と呼ぶしかないものだ。

 

 ああ、しかし、だからこそ――――

 

「……その愚かさは"人"であればこそのものじゃ。如何なる時代、如何なる場所でも、飽きるほどに繰り返された過ちの因である、人の情よ。

 古の魔術の系譜といえど、古の魔道を継ぐ系譜といえど、所詮は人か。情に嵌められた枷からは抜けきれなんだか」

 

「同時に、それが人の持つ素晴らしさでもある。机上の理など容易く越える感情で、人の世は変動を繰り返してきた。

 過ちであった事も多かろう。数多の悲劇も伴った事だろう。だが、そこにあった切実な思いは、真実の輝きだったと信じている」

 

 その愚かさは、人類から切り離せないものだ。

 情を感じる心があるから、人は人として足り得ている。

 時に理屈を越えて起こされる感情からの行動。それは数式を狂わせる乱数だ。

 人の理は、数理とは違う。心という理を解する事は、理屈ではないのだから。

 

「兆しを感じたのだよ。人形のようだった器に、意志の萌芽の気配をな。

 ああ、これも理屈ではないがね。だが、空の中身にも意志が芽生えるのなら、俺にとっては祝福だ。否定しようなどとは思わなかった」

 

 甘粕正彦は人の意志を、勇気を愛している。

 停滞する世に従い、それらを失おうとする人類を救いたいと心から願っている。

 初めから心の無いものとして造られた者にも意志の目覚めがあるのなら、それはあらゆる人々にも同じ事が言える。人は、自らの脚で立てるのだと、その証明と言えるだろう。

 

「理屈に徹して感情に流れない。そうした姿勢も、それはそれで否定はせん。

 但し、それは感情を持たないからではなく、機械の如く自らの非情を貫く覚悟があればこそだ。断じて人情に絆されない冷徹、冷血とて一つの人の在り方だろう。

 俺は人形の有り様に興味はない。見たいのは人間の生き様だ。通わすための心が無ければ、どんな繋がりも成立せん」

 

 我も人、彼も人。

 十人十色、人とは各々違う。

 だからこそ根本の部分では、人間は皆対等であるのだと、それが甘粕の主張である。

 思想が違う。利害が違う。己と相手が交わらず、だから衝突は発生する。そこに繋がりを見出した男の祈りとは、闘争を是とする世界だ。

 異なる心と心がぶつかり合い、故に生まれる激情と信念。意味がどうだと理屈に囚われているばかりでは決して得られない、足掻きの果ての奮起にこそ人間の光がある。

 

 人間は感情から逃れられない。何故なら、それこそが人間という動物の証明だから。

 冷徹であるのもいい。何だったら否定しても構わない。だがどのような考えであれ、それは自らの意志によって定めた答えでなくてはならない。

 己は道具であると、ただ思考を停止して振る舞い続ける事を甘粕正彦は認めない。殴る覚悟も殴られる覚悟も持たないままでは、他者との繋がりなど成り立たないから。

 

「道具としてではなく、他の誰かのためでもない。己自身で定めた意義で以て、理を統べて立ち上がる。俺が対峙してみたいのは、そのようなラニ=Ⅷだ。

 ……機会があるかさえ分からんがな。いつか、見てみたいものだよ」

 

 そんな理想も、所詮は一人の人間の思想に過ぎないのだろう。

 思想は何処までも個人のものだ。他人に伝わったとしても、真意を理解されているとは限らないし、大抵の場合は都合の良い解釈が間に挟まる。

 それ以前に、そもそもまったく伝わらない場合もある。人の考えは各々違う、ならば受け取り方とて千差万別。心に響かない思想をいくら聞かされても馬耳東風だろう。

 

 甘粕正彦の課す試練とは、痛みと災禍である。

 そんな彼の思想では、無垢な器を持つアトラスの少女には届かなかった。

 これは、要するにそれだけの話。男と少女の交わりは大した成果を得るには至らず、他人のまますれ違って終わったのだ。

 

 決戦へと赴いた少女へと男が出来ることは何もない。

 その勝利を信じることも、願うこともせずに、ただ絵ともならない空想を描くばかりだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 この人が弱り果てていく姿を、私は毎日のように見せられていた。

 

 他の錬金術師たちと同じ、それは生命の停滞症状。

 身体が、思考が、免疫の抵抗力が、師を構成するあらゆる能力が弱っていく。

 予測された最果ての未来、自らの種族を諦観した人類と同様に、生きる事を諦めようとする毒に蝕まれて、師は急速にその機能を閉じようとしていた。

 

 師が師のままである日も段々と少なくなっていく。

 思考の整合性を失って、整然とあったはずの論理は支離滅裂なものへと落ちた。

 狂ったように暴論を振りかざす姿。怯えきって震えながら同じ言葉を何度も何度も自らに言い聞かせる姿。どれもかつての師には見られない醜態だった。

 

 ラニ=Ⅷは、シアリム・エルトナムによる創造物であり所有物。

 その事実は変わらない。どれだけ時間が経とうとも、師がどのように変貌したとしても。

 私は師の道具。道具は持ち主の意思によって動かされるもの。ならばこそ受け取るべきは正気の内にある師の言葉でなければならない。

 狂気に陥り己を見失った師の姿。それは師自身にとっても恥辱であり、そんな言葉に従うことは師に対する冒涜に等しい。

 聡明にして理路整然。数理の導く結論のままに解をくだす錬金術師の姿こそ、師のあるべき真実に他ならないから。

 

「私はあなたを産みだした。ですが、ついに魂を入れることは叶わなかった」

 

 では、果たしてあの時の師の言葉は、正気の内にあってのものだったのか。

 

「ラニ=Ⅷ。あなたには私が知り得る限りの知識を授けてきました。あなたはそれを不足なく活かし、期待された通りの能力を発揮してくれました。

 しかし、それがあなたの中身となる事はありませんでした。どんな知識も、その器の骨子となる要素とはなり得なかった」

 

 それの何がいけないというのだろう。

 私の全ては師のもの。この器に備わる能力も師に使われるべき所有物。

 知識も、機能も、私自身のものは一つもない。全ては師よ、あなたに使われる事に意義がある。 そこに私個人の意思が混じることはない。それは観測者としての劣化に他ならない。正しい観測結果を導き出すためにも、私は道具であるべきだ。

 

 そのように定義したのは、他ならぬ師よ、あなたではありませんか。

 

「ええ、その通りです。人間性を切り離し、合理性に基づいた計測器となることがアトラスの錬金術師の意義。この穴蔵に生きる者にとって、その在り方は疑いの余地なく正しいものだ。

 私はこの場所で産まれ、この場所で育ち、この場所の思想によって中身を満たされました。私の身は一片に至るまでアトラスです。故にアトラスとしてあなたに告げた言葉も否定しません」

 

 そう語る師の顔は、どこか哀しげで。

 遠く置き去りとした何かを省みるように、瞳はここではない何処かを映すように。

 

 その意味が、私には分からない。

 師が何を思っているのか、どうしてそんな事を思うのか。

 道具としての合理性はその意味を否定する。なのに私の中で示される数値は、その意味を知りたがろうとする私の存在を証明していた。

 

「あるいは……私は壊れてしまったのかもしれない。アトラスであった私という器がひび割れて、零れ落ちた中身の分だけ余計なものが溢れてしまった。

 ですので、これよりあなたに告げる命令(オーダー)は絶対ではありません。あなたに遵守の責務はありません。従うか否かは、あなた自身の判断に委ねましょう」

 

 ――唐突に、この人は消えてしまうのではないかと思った。

 

 冷静に考えれば、それは意外な事でも何でもない。

 師は、シアリム・エルトナム・レイアトラシアという個体は、滅びを間近に控えている。

 症状を見れば明らか。他の錬金術師たちと同じように、師もまた滅びようとしている。今更驚くようなことではなく、とうに理解していたはずだった。

 

 たとえ師の存在が滅びたとしても、その意義を受け継いだ創造物があるのなら。

 アトラスにとってはそれが真理。創造物が優れているのなら、創造者さえ本質的には不要となる。それが錬金術師の掲げる合理性だ。

 師の滅びにも余分な感情は必要ない。私という意義を果たすための道具がいる以上、アトラスの錬金術師であるならば何一つ問題はないのだから。

 

 なのに、私はこの時になって初めて、師が消えるのだと理解した。

 私を造り出してくれた師が、私を育み知識を授けてくれた師が、私にとっての全てである師が。

 この世界から喪失する。跡形も残らず、その人格も魂も消滅して果てるのだと。

 事実を認識して、私の中身は規定値外の数値を弾き出している。アトラスの合理性に基づく理屈を受け入れられず、この思いを処理することがどうしても出来なかった。

 

「人間を知りなさい、ラニ=Ⅷ。空の器を満たす者を探すのです。

 単なる生物種族の記号としての人類ではない。人を人と足らしめる心の在り方、その矛盾に満ちた生き方を理解なさい。

 その上で答えを出すのです。あなたという"人間"が選び取る解答が、何であるかを」

 

 ああ、師よ。いったいあなたはどうしてしまったというのでしょう。

 

 何故そのような事をおっしゃるのか分からない。私はあなたのための道具なのに。

 あなたに与えられた意義、聖杯を手に入れるという目的のために、私という"ヒトガタ"は存在するはず。

 なのに、あなたは私に"人間"としての結論を出せと告げる。矛盾に満ちたその論理が、どうしても呑み込むことが出来ない。

 

 時に師の言葉は深淵で、その意味を解しきれない時があった。

 けれど今は、そういった納得のし難さとも違うと分かる。きっとこれは、私には解らない"感情(すうち)"によって告げられたもの。

 疑うことなどあってはならない師の言葉。だというのに今だけは、本当にこの言葉を師のものとして受け取って良いものかと疑った。

 

 師は、たとえこの器の自壊を伴っても、聖杯という目的を達成せよと命じた。

 しかし私を"人間"という個の生命と認めるなら、自己破壊は生命の意義と矛盾する。

 この"主命(オーダー)"に遵守の責務はないと言った。ならば優先すべきは最初の意義。アトラスの理念に導き出された結論に従うべきと、師自身も認めたその定義は理に適っている。

 

 けれど、ならば師よ。そもそもどうして、あなたはそんな事をおっしゃったのか。

 

「人形のあなたに命をもたらす者、それは人形に過ぎない者を一つの命として尊重できる者。あなたという存在を目の当たりにしても、人として向き合って重んじれる誰かが、空の器を満たす。

 私には出来ない。シアリム・エルトナム・レイアトラシアには不可能だ。アトラスの錬金術師である私には、あなたを命としてだけは扱えない」

 

 ああ、師よ。私では読めない、この数値は一体何なのでしょう。

 私という器を満たす者、それはあなたではないとあなたはおっしゃる。

 私にとっては、師よ、あなたの存在こそが全てだというのに。私を満たすのはあなたではないのだと、あなたはそう告げるのですね。

 

 私には読めない数値が観測されます。

 痛覚にはよらない痛みを確認しています。

 師よ、どうか私を導いてください。解の見えないこの式に明朗な答えを与えてください。

 

「そも、人に確かな解答などない。感情を手に入れた人類は、本能だけを結論と置いてはならない。独り歩きを始めた個の生命は、生存の意味を己自身で定義しなければならないから。

 たとえ種が自らの滅びを認めようとも、個に生存と執着の意志が残っているなら、人は独りきりでも足掻くことを止めはしない。

 だから、あなたもそう在るべきだ。私の滅びの後、最後のアトラスとなるあなたには、あなた自身でアトラスの意義を見つけてほしい。シアリム・エルトナムの道具ではなく、ラニ=Ⅷという個体が持つ意志でもって」

 

 我が師よ、我が造物主よ、どうか、解らない事をおっしゃらないで。

 私を道具ではなく、人として扱ってくださるというのなら、これまでの時間は何だったのですか。

 あなたの教えは合理的で矛盾がなく、欠落のない美しさに満ちていた。

 それに従う事に否などなかった。むしろその教えに従う事に、私は自身の意義を見出していた。

 それを放棄せよと、他ならぬあなたが言うのですか? 今日まで、私という器に注がれた全ては、そのためにあったというのに。

 

 どうして今さら、それを惑わすような事をおっしゃるのか。

 そこにどんな意味があるというのか、解らない答えを求めて私は師へと問い質す。

 

 

「――――あなたに、未来を与えてあげたくなったのです」

 

 

 それは不合理であり、矛盾であり、我が儘だと。

 難しい理屈なんてものは何もなくて、ただ感情に突き動かされた行動であると、晴れやかにさえ見える面持ちで師は語った。

 

「私の教えを、あなたはしかと身に付けた。

 私の期待に、あなたは十二分に応えてくれた。

 不足と見なすべきところはない。……いえ、たとえ誤りでさえも、私にとっては心を満たす美点と映る。

 ――愛しい。そう、それが私の感情の名称だ。あなたという存在を、私の心は愛している。

 ラニ=Ⅷ。私の創造物。私の生徒。全てを継いだ、我が後継者。私が一命を賭して造り上げてきた――……私の、子供……」

 

 反応を見れば、師がそれを幸福として語っているのは分かる。

 観測される数値と記録された数値を比較すれば、表出した感情を定義することは出来る。

 師は、私の事を愛している。所有物としてではなく、人として、親として、愛という名の感情をこちらに対して向けているのだと理解した。

 

 どう受け止めれば良いのだろう? 師のこの思いを、私はどう感じるべきなのか。

 道具として産み出されて、その意義に従いながら、同時に人として育まれ愛されてきた。

 それは幸せなのか? 喜びなのか? 道具としての意義で満たされていた私に、人としての幸福とは本当に幸福足り得るのか。

 そもそも幸福になるべきなのか? なって良いものなのか? 最後に遺されるアトラスとして、古き神秘の担い手の後継として、それは正しい判断なのか?

 

「この深く昏い穴蔵で閉じていた私の人生で唯一の、私に人の生を与えてくれたもの。

 子の未来は、親の未来も同じ。子供の未来のために尽くそうとするのは、親として極めて合理的な結論でしょう」

 

 ――ああ、だけど、その師の言葉を受け止めて、清水が注がれるような心地良さがあったのも、紛れもなく私自身の本心で。

 

 意味が解らず、正しさも知れず、けれどその言葉に従おうと思った。

 ラニ=Ⅷ(わたし)はシアリム・エルトナムの弟子。穴蔵の錬金術師たるエルトナムの成果物であり、彼女の愛によって育まれたシアリムの子。

 その事実を否定したくない。その心が遺してくれた言葉に従いたい。あなたが人としての解答を私に求めるのなら、私はその通りに行動しよう。

 

 どれほどに非合理で、矛盾を孕んでいるのだとしても、それがその時に下した私の結論だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 ――瞬間に貫いたものは、閃光のように走り過ぎた衝撃だった。

 

 灼ける熱さが身に起きた事を教えてくれる。

 瞬時の内の衝撃は、反応はおろか認識すら不可能。

 理解できたのは結果だけ。貫いた先に突き立つ朱槍の存在がそれを示す。

 臨界に達し炸裂しようとしていた第五真説要素(エーテライト)、収束していた魔力の流れを断ち切って、縫い止められた己の切り札をラニは目の当たりにしていた。

 

「あいにくだがな、お嬢ちゃん。そいつは悪手だぜ」

 

 そのような離れ業を可能とする者など、この場に一人しかいない。

 放った投擲の姿勢のまま、自らが仕留めた者へと冷淡にランサーは告げる。

 

「捨て身の策に打って出て、()()()()()()()()()()()ようじゃなあ」

 

 告げられた言葉の意味が、ラニには一瞬理解できなかった。

 命を惜しむ。自己という器の喪失への迷いがあったとランサーは指摘した。

 あり得ない事だと合理と意義に繰られる人形は思う。しかしながらこの結果こそ、反論の余地さえなく指摘の正しさを結論付けていると自覚していた。

 

 七日目の決戦の舞台。

 マスターとしてそこに降り立った者にはルールによる護りがある。サーヴァントがマスターを直接殺害する行為には及べない。

 もしもラニ自身を狙っていたならば届かなかった。故にこそ朱の矛先が捉えたのはもう一つの心臓。集約し解放させる魔力の核として器から離れたそれを狙い穿った。

 ルールの隙、機能の隙、意識の隙。全てを過たずに貫いたからこそ成し遂げられた一瞬の妙技。英雄であっても容易くは成し得ない、まさしく大英雄の技であった。

 

 そして、一因である意識に生じた隙とは、ラニの迷いによって生まれたもの。

 それは逃れようのない事実。反論を述べる思考の猶予も少女にはない。

 ラニ=Ⅷという器の一部として搭載されていた機能を切り離され、意識は制御を手放して断絶される。

 

 ラニ=Ⅷの持つ分割・高速思考はサーヴァントの運用をも可能とした。

 それ自体は確かな能力。しかし裏を返せば、能力が停止すればサーヴァントまでも連座して停止するということ。

 術式に縛られたバーサーカーには自己の思考で行動する自由は与えられていない。純粋な兵器として運用されるなら、扱う者を失えば無為となるのが必然だ。

 もはや打つ手はない。ここに彼女らの主従の敗北が確定する―――――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」

 

 されど、確定したはずの結論はここに覆される。

 轟いた機人の咆哮が、まだ何も決していないと猛々しく宣言していた。

 

 そこに在る姿は、もはや術理に繰られる人形に非ず。

 狂戦士の中には『個』がある。彼方の生前、英雄として駆け抜けた鮮烈な命の記憶が。

 狂乱の中に理性を置き去りにしようとも、決して忘れられないものを守ろうとするように。一切の縛りを破り散らして、ここに荒ぶる武の化身が再臨した。

 

 その英雄の真名とは、呂布奉先。

 古代中華の戦国時代、三國志と称される英傑入り乱れた舞台。

 その中にあって『最強』の誉れを戴いた武将。血筋を持たず、忠義を持たず、ただその武をもって歴史に名を刻んだ正真正銘の大英雄である。

 

 一度は沈黙しかけた宝具の豪弓に、再び力が集まっていく。

 込められるはずだった第五真説要素(エーテライト)の魔力は霧散して、想定された威力には及ばない。

 しかし下された令呪は未だ健在。宝具の解放には何の支障もない。

 元より宝具とは英雄にとっての必勝の手段。それ単一で戦況を覆すだけの威力を持つ。

 敵の打倒には何ら問題はない。むしろここで臆する事こそ、己の生き様に対する侮辱となろう。

 

 大きく雄々しきその背の先には、ラニがいる。

 呂布奉先とは裏切りの将。『反骨の相』を持つ彼は決して忠節では従わない。

 ましてや己の自我を封じ、傀儡として操ろうとした者など、まず真っ先に逆襲の刃を降り下ろすべき相手だろう。

 しかしバーサーカーにその様子はない。むしろ護り抜かんとして佇む姿は、忠義あるサーヴァントそのものにさえ見える。

 ならばそれは、彼ら主従の間にも得心はあったということ。たとえ心通わすことがなくとも、互いの不実さのままに袂を分かつだけの間柄ではなかったということだ。

 

 そのような主従は強い。

 成し得た奮起にも無関係とは思えない。

 無理無謀を覆すのは英雄の業。心にある何かを拠り所として、彼らはいつだって奇跡を成し遂げるのだから。

 

 ――そう。故にこそ起き上がってきたバーサーカーを、ランサーは万全の覚悟で迎え入れた。

 

 ランサーは英雄を知っている。

 彼らが持つ強さの何たるかを。道理を無理で覆す、そんな所業も当然の如く行える凄まじさを。

 どんな縛りも障壁も、真に英雄たるならば奮起のための起爆剤。そんな逆境よりの再起にこそ真髄は表れる。

 その光景を幾度となく見てきた。そして自らもまたそう在り続けた。だからこそ、バーサーカーが起き上がる事も当然のものと承知していたのだ。

 

 青き槍兵の真名とは、クー・フーリン。

 クランの猛犬。アイルランドの光の御子など、数多の異名を持つ大英雄。

 その異名に表される通り、成し遂げてきた英雄譚も豊富。中でも際立つのは自国アルスターに攻め入った女王の軍をたった一騎で迎え撃った逸話だろう。

 女王メイヴの奸計により国中の戦士が眠らされた中、クー・フーリンは唯一人の力によって女王の軍を撃退した。"一人の戦士に何が出来る"と侮っていた女王は、ついに彼一人の守りを破る事が叶わなかった。

 絶望的な逆境を覆して、奇跡の勝利を成し遂げるは英雄の証明。後に復讐者と化した女王の策略で圧倒的に不利な条件下での戦いを余儀なくされたクー・フーリン。その敵は女王の軍勢のみならず、かつて轡を並べた戦友たちまでもが含まれた。

 それでもクー・フーリンは戦い抜いた。最後に全てを奪われて、己の魔槍に貫かれながら、絶命するその瞬間まで、英雄たる戦士は屈することなく生き抜いたのだ。

 

 多くの英雄と直に死合ってきたからこそ知っている。

 自身もまた幾多の不可能を覆してきたからこそ理解している。

 これほどの豪傑が、このまま何事も成さずに屈するなどあり得ないと。

 だから備えた、当然のものとして。バーサーカーの奮起も驚くには値しない。こいつならばそれくらいはやってのけると、一片も疑わずに信じていたから。

 

 地に敷かれたる陣は、四枝の川瀬(アトゴウラ)

 ARGZ(アルギス)NUSZ(ナウシズ)ANSZ(アンサス)INGZ(イングス)。四隅に刻まれたルーン、その陣が意味するものとは決闘の誓いである。

 その陣を布いた戦士に敗走は許されず、その陣を見た戦士に退却は許されない。赤枝の騎士に伝わる一騎打ちの大禁戒。

 投擲された魔槍は、既に担い手の元へと戻っている。影の国の女王より賜った秘奥は己の主を決して見失わない。決意と力はその手にあり、不退転の意志に惑いは一片も無かった。

 

「■■■■、■■■■■■■■■■■■――――ッッ!!!!」

 

 言葉にならない真名解放が告げられる。

 引き絞られた轟弓より放たれる一矢。圧巻の光景は弓の射撃と呼ぶには規格外が過ぎ、大巨砲による砲撃と形容するのが相応しい。

 その威力は射線上の一切を粉砕して余りある。矮小な概念など持たず、ただ純然たる破壊の王道へと振り向けられた城崩しの宝具。過剰すぎる大破壊の具現を、己の敵手へと向けてバーサーカーは撃ち放つ。

 その超絶の威力を前にして、防ぐことを可能とする道理なし。天下無双の猛将の一撃を前にすれば、如何なる勇猛果敢な戦士たちも砕かれることが定め。

 

「――――刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)

 

 されど、確定した結果を覆すのはランサーも同じ。因果の繋がりさえ狂わせて、朱い魔槍は後の先を取る。

 魔槍ゲイ・ボルク。かの槍は因果を逆転させる呪法。放たれたその時には、既に命中したという結果が先にくる。

 相応しき持ち主がその槍を放ったならば、一撃は必ずや相対する敵手の心臓を穿ったという。伝説を証明するように、朱の矛先はあらゆる物理を無視しながら確定した結果へと疾駆した。

 

 もしも、バーサーカーに刻まれた令呪が『必ずランサーを打倒せよ』であったなら、結末はまた違ったものになっていただろう。

 たとえ心臓を潰される結果が決まっていたとしても、半人半機の身はそれだけでは崩れない。返す一矢で一切の猶予を与えずに粉砕する腹積もりであったなら、あるいは勝利の結果も別の方へと転がってきたかもしれない。

 

 ……もしもの話に意味はない。

 どれだけその仮定があり得たかもしれなくても、出された結果は巻き戻されない。

 ここにある事実こそが全て。現在に追いつかれた未来とは、その時点で確定した過去へと落ちる。予測し対処できる未知ではなく、過ぎ去った既知にすぎないのだから。

 

 貫いた朱槍の衝撃が、バーサーカーの弓射を僅かだが歪ませる。

 疾風の如き神速を持つランサーには、僅かな歪みとて致命的だ。必中の概念を持たなかった矢は、ランサーを捉えることなく空を切る。

 遥か彼方で大破壊の轟音を響かせて、しかし何の成果も得られずに宝具の一矢は無となった。

 しかしそれでも、心臓を穿たれてもバーサーカーは斃れない。再び矛へと変形した方天画戟を振り上げて、執念でもって報復の一撃を見舞わんとする。

 

 されど、ここに在るランサーは英雄を解する者。そこに慢心はあり得ない。

 発現するは魔槍の呪法。貫いた一刺しは千の棘となり、土に張った根の如く拡がって標的の内部を蹂躙する。

 不死者すらも鏖殺する人体殲滅の呪い。手抜かりなく繰り出された必殺の魔槍は、完膚なきまでにバーサーカーという存在を滅ぼしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が経過していたのだろう。

 

 分からない。

 それを正確に観測するだけの機能が、既に私には無いから。

 恐らく、そう長くはないはずだ。こうして霊子構造が形を保って、この意識が残っているのなら、復旧までの時間はそこまでの長さではなかったはず。

 あるいはその事実を逆算して、正確な時間を割り出すことも可能だろう。けれど、その行動に果たして意味があるのかと言えば、やはり否定を下さざるえない。

 

 認識したのは、己の敗北の事実。

 切り札(パラダイマイザー)を失い、持ち駒(サーヴァント)を失い、これで勝敗は確定した。

 降りてきた赤い壁。勝者と敗者の運命を分かつデッドラインが、私たちと遠坂凛たちを断絶していた。

 

「……正直、拍子抜けね。アレを見た時は、霊基の一つか二つかは持っていかれる覚悟だったんだけど」

 

 残された令呪が消失する。

 弾けるように消え去った力を認識すると同時に、器自体にも喪失が拡がっているのを理解する。

 これが、電脳の死。肉体という器を脱いで魂をこちら側に投影する魔術師たちの、本当の最期。

 

「なぁに、これも道理だろうよ。お嬢ちゃんも、戦いで生きてきたんなら分かってんだろ。

 如何に元の性能が優れようが、最後に勝敗を決めるのは身命に懸けた気迫の質がものを言う。その気がねえ奴に掴める勝機なんざありゃしねえさ」

 

「……そうね。さよなら、ラニ=Ⅷ。あなたは強かったけど、きっと最初の部分から何かをかけ違えていたのよ。

 ……もしもそれさえ無かったなら、もしかしたら私たちも勝てなかったかもね」

 

 意識の中にノイズが走る。

 立ち去っていく遠坂凛たちの声も、とても遠い。

 塗り潰されていくのを感じる。自分という存在が、徐々にこの器から流れ落ちているのだと。

 

 機能が消えた。知識が消えた。

 この器の意味さえも、意識の中から消え失せる。

 何もかもが黒いノイズに覆われていく中で、最後に残ったのは師との記憶だった。

 

 人を知れと、師は言った。

 この器に命を入れる者を探せと、師は言った。

 未来を与えてあげたいと、道具に過ぎなかったはずの身に、そんな温かな言葉をかけてくれた。

 

 それも間もなく消える。

 ラニ=Ⅷという存在の全ては、この月の海に溶けて消滅する。

 あらゆる未来はここで絶たれる。それが死する者の宿命だと、とうに承知していたはずの事。

 

「あ……嫌、だ……!?」

 

 なのに、理解していたはずの事象を、私は拒絶する。

 その行為に何の意味もない事を知りながら、そうせずにはいられなかった。

 

「私……まだ、何も知らない……。

 命……師が言った意味……まだ、何も……。

 だから……まだ、消えない……消えたく、ない……」

 

 虚ろだった器の中身に熱が灯った。

 知るだけで理解していなかった言葉の意味。感触の無かった自己の重みを確かに感じ取る。

 

 これが、命。

 そう、私は生きている。その生の実感がここにある。

 道具の意義の中で遠ざけていたもの。あらゆる理屈を失っても尚、沸き上がってくる熱がその在り処を教えてくれる。

 

 師よ――。これが……これが、そうなのですね。

 ただ意味を全うするだけではない。予測される行程を歩むだけでは分からない。

 たとえ何も見えずとも、明日という未知に向かって前に進む。最初から目的を持った道のりではなく、旅路の中で目的を探していく。

 それが未来で、それが生きるということ。アトラスの意義という一本の道しか持たなかった私に、師が遺そうとしてくれた命の可能性。

 

 ようやく理解できた真理を噛み締める。

 悟った意味はここにあって、それは今までに無かった灯を感じさせた。

 

 ああ――だから、今は、こんなにも恐ろしい。

 

「私は、まだ……死に……たく……な……い……――――」

 

 聞き届ける者のいない呟きは、きっと月の記録の中にだけ蔵められる。

 最後にあったのはそんな思考で、後は何もかもが無が――――――――

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

「――――これが、君の出した解答かね?」

 

 己しか存在する者のいない部屋で。

 いや、今となっては、生存する者自体が己だけしかいなくなった穴蔵で、私は問答を繰り返す。

 

「――愚昧! 愚劣! 愚行! こんなものが、アトラシアの名を冠した者の結論だとは!

 シアリム! シアリム・エルトナム! こんなものは喜劇ですらない。茶番だ! 無価値だ! 君はなんと無為な結末を書き綴ったのか!」

 

 内にて再現された姿が、感情を振り撒きながら叫びを上げる。

 それは怒号。それは悲哀。それは落胆。それは失望であり糾弾だ。

 声は私を責めたてている。私の選択が愚かであり、無意味であると。

 

「これ以上の徒労があるものか! 何がひどいのかと言えば、これが全く、何事さえも成していないことに他ならない!

 人道主義にでも目覚めたつもりかね? だが、仮にそうだとしても、君のした事は悪趣味極まる! 愛を語りながら、その手ずから子を死地へ赴かせるなど、それは外道の所業というのではないのかね?」

 

 私はアトラスとして彼女に与えた主命(オーダー)を撤回していない。

 聖杯を入手せよ。それが叶わない場合には身命と引き換えにしても破壊せよと。

 それはアトラスの錬金術師たる私が下した最善だ。その結論は今も変わらず、私の中に存在している。

 

「君の行いはラニ=Ⅷの性能を下げた。理念の意義に殉じる彼女は理想的なアトラスでさえあったというのに、君の半端な感情はそれを台無しにした!

 錬金術師の観点からそれは明らかな愚行であり、また人の観点からしても良策には程遠い。勝算の低下は、即ち生存率の低下と同義なのだから。

 君は度し難くも、子の滅びの確率を高めただけに過ぎないのだ」

 

 反論は持たない。募られる糾弾はどれも正しい。

 結局のところ、私は決めきれる事が出来なかっただけ。

 錬金術師の非情に徹する事も出来ず、愛によって解き放ってやる事も出来なかった。

 アトラスの自分も、人としての自分も捨てられなかった。その有り様を無様だというのなら、頷くより他の処方を持たない。

 

「醜悪な! その支離滅裂な脚本は醜悪としか言いようがない!

 錬金術師でもなければ人でもない。どちらの正しさにも徹しきれず相反する二つの境で惑った挙げ句、君はどちらともに否定する決断へと至ってしまった!

 これを堕落と呼ばずして何と呼ぼう。シアリム、君は弱り、それ故に堕落した。アトラスの錬金術師であった君は、停滞と脆弱の果てに腐り落ちたのだ。

 そうなる前に決断すべきだった。伝えるべきを全て伝え、君自身の意義を果たし終えたその時点で、君は自らを停止するべきだったのだよ」

 

 それこそがアトラスに在るべき合理の答え。

 声の告げる事は正しい。アトラシアの名を継いだ者ならば、確かにそうあるべきだった。

 

 己が強く在る必要はなく、強い何者かを創造する。そして己以上の存在を創り出す事が出来たのなら、その時点で私という個体の意義は完了する。

 それは生物学的な側面にも基づいた確かな理だ。生命の最大の意義とは、未来に繋がる種を残すこと。それはあらゆる生命に課せられた原初の目的だ。

 アトラスという"種"の役割において、私はもう役目を終えている。後に残ったのは劣化の始まったシアリム・エルトナムの個体のみ。感情ではなく合理によって生き方を定めるべきアトラスならば、私という生命は停止するべきだった。

 

「斯くも舞台は無残に終わり、絢爛たる終焉は凡愚なる幕引きへと堕ちる。

 採決を取ろう。かつて真理への探求を志した者の結末として、かような脚本に対して点数をつけよう。

 ――――落第! 駄作! リテイクすら望まない! 他人の脚本(じんせい)への口出しなど無粋だと承知してはいるが、この酷評ばかりは抑えられない!

 魔道の徒に究するならば、須らく死とは諦観とすべし! こんな基本にさえ躓くような体たらくに、蓄積と計測の院の長は分不相応。シアリム、君には凡百の奴輩にも似た、迷走ばかりの人間の生こそが相応だと知りたまえ――――」

 

「……ええ。あなたであれば、そのように定義するのでしょうね。ズェピア」

 

 思考を閉じる。

 再現されていた姿と声は消えて、認識は元の何もない空間を捉える。

 

 ズェピア・エルトナム・オベローン。

 稀代の錬金術師。エルトナムの祖先。五百年ほど前のアトラス院院長。

 命題に挑み、真理を求めて、遂には現象と同一の存在にまで成り果ててしまったもの。

 

 その姿勢には敬意を表する。

 彼は何処までも錬金術師たる己に徹した。至った結末も錬金術師として、無念はあっても後悔はなかっただろう。

 誰よりもアトラスの錬金術師の在り方に忠実であった人。彼から見た私の最期は、さぞや無様な錬金術師にあるまじき姿と映ったに違いない。

 

「徹しきれなかった。最期になって、私は人として在ってしまった。無様というより他にない。

 ですが、それでいい。元より人に解答はないのだから、これも紛れもなくシアリム・エルトナムの答えの一つだ。

 唯一つのみに徹しきる生き方は人のものではない。魔術師ならばそれで正しいのでしょうが、そうでないからこそ見えてくる風景も確かにある。

 ――それは時として、人に希望をもたらすものだ」

 

 計算だけでは計り知れないもの。予測するばかりでは得られないもの。

 理解によって未知への恐怖は解消される。しかし既知ばかりの道に本当の未来はない。

 未知に心を動かされて、育まれた感情でこそ見える未来がある。少なくとも、私にとってラニと共にあった日々はそういうものだった。

 

 たとえそれが器の性能を下げるものだとしても。

 たとえその先に無残な敗北の結末が待つのだとしても。

 道具の意義しか与えられないままでは、あの子には何の未来もないだろうから。

 私のした事は残酷なのかもしれない。身勝手なだけの願いが、あの子を殺すことになるかもしれない。いっそ道具として何の疑問もなく在った方が幸福であったかもしれない。

 それでも、私の持つ心は願ったのだ。愛する子に未来を、未知を選択する自由とそのための心を。その空の器に、清らかな中身が満たされるようにと。

 

 私はラニ=Ⅷを月へと送り込んだ。

 普通に考えればあり得ない。唯一人のみの勝利者しか生存を許されない死地にあって、他者と心を通わそうとする者など。

 向けられる感情は殺意か闘志か、そうでなくても相当に奇形な心象の持ち主くらいだろう。

 見込みのある試みでない事は理解している。およそ予測のつかない未来に運命を投げ渡す、アトラスの錬金術師としては考えられない結論だ。

 

 しかし、元よりこれはアトラスの理から外れたもの。

 ならばこれでいい。見通せない未来に臨む事こそ人の選択だ。

 もしも、ラニ=Ⅷという存在を知り、死地に在っても尚受け入れようとする者がいるのなら。

 そんな奇跡を、何の根拠もなく夢想する。それだけが人としてのシアリム・エルトナムがしてやれる精一杯の事だから。

 

 まったく、これでは堕落という評価も致し方ない。

 私は人でなしだ。始まりから終わりまでアトラスに満たされた私に、人の道を説かせるなど道理が合わない。

 錬金術師に徹しきれなかったのと同様に、何もかもを投げ打って人としての心に殉じる事も出来なかった。

 言われた通り、今の私は半端者。弱りきった器より零れおちた人間性の残滓に過ぎないものだ。

 

 しかし、何故だか私には、その事が心地よい。

 アトラスでしかなかった私にも、最期の部分では人らしい選択が出来たから。

 

 院の機能する設備の大半はラニの支援に回してある。

 託すべきものは全て出し尽くし、今の私には本当に何もない。

 当然、この身体を維持する事は叶わない。そう間もない内に、私という生命は停止する。

 

 それでも、今この瞬間、私は生きている。

 思考はこうして残り、意志はまだ諦める事を拒んでいる。

 他の者たちと違い、私の死因に記載されるのは衰死ではなく病死となるだろう。

 つまりは戦っているということだ。決して停滞の果てに生存意志を失ったのではない。未来の絶望に浸されながら、私という個の意志は足掻くことを止めていない。

 

 無論、そこには苦痛も伴われる。

 意味のあるなしで語るなら全くの無意味。早々に手放してしまった方が遥かに楽だ。

 けれどこれでいいのだろう。元より生きる事は苦しさを伴うもの。この痛みを感じている内は、私は生きている事を忘れずに済む。

 徒労に終わると分かっても、意志ある内は足掻くのが人というものだろう。

 

 無様にもがき苦しみながら、それでも最期の瞬間までこの生命を手放さない。

 それが、最後の最期で人間である事を優先した、愚かな私の責任だと思うのだ。

 

 

 





 書きあげて、改めて思います。
 ラニみたいな感情が無い系のキャラの掘り下げってすごくやりづらい。
 その性質上熱くさせる事も出来ず、文章が淡々として面白みがなくなっていくような。
 私自身、王道というか熱いストーリー派なので、そういう部分はすごく書き辛かったです。

 今回の話でEXTRA編におけるラニは終了。
 いまいち甘粕は役立たずというか目立てませんでしたが、これも後のCCC編に繋げるためにはと。

 シアリムのキャラや背景についてはほとんどオリジナルです。
 路地裏ナイトメアには出演しましたが、まだ人物像は把握できていないので。
 モチーフには、やがてオシリスに至るシオンを連想。そこにラニへの親としての情が加わって、原作シオンにも近づいているという感じ。
 マテリアルによれば、既にアトラス院に人はなく、ラニの師のシアリムもラニを月に送った後に病死したそうです。
 他の錬金術師が自決死であるらしいのに対し、彼女だけは明確に病死とあるので、そこを掘り下げて描写しました。

 自分でもちょっと自信のない今回の話ですが、楽しめたなら幸いです。


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