もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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2回戦:求めるもの

 

 各マスターの組に与えられる固有のマイルーム。

 主従らにとって最も安全が保障される場所に戻って、ようやく彼は口を開けた。

 

「なあ、ダンナ。悪いが、今回ばかりはダンナの注文には従えねえよ」

 

 ダン・ブラックモアのサーヴァント。緑衣を纏ったもう一騎のアーチャー。

 その来歴を知るマスターからすれば、サーヴァントの不満も当然だと納得できるものだった。

 

「ダンナがそういう人だってのは、もう十分に分かってるよ。ああ、俺だって多少ならそういうノリに付き合ってもいいって思ってたさ。

 けどなぁ、ダンナにだって分かるだろ。あいつらは段違いだ。俺みたいなのが、まともにやり合ってどうにかなる相手じゃないんだよ」

 

 森に潜んで、罠を巡らし、王の軍勢と戦った隠者の英雄。

 その戦いの本領はゲリラ戦だ。術策を用いて敵の戦力を削り落とすのが本来の戦い方である。

 保有スキル『破壊工作』。高いランクであるほどに正道の英雄から遠ざかる、そのスキルを最高ランクで持つ彼は、初めから邪道の手段でこそ戦うべき英霊なのだ。

 

「汚いやり方だってのは重々承知だけどさ。本領封じてどうなるもんじゃないだろう。強敵相手の時にまで騎士道精神持ち出さんでもいいでしょうが」

 

 好青年の風貌に憤りを滲ませて、詰問するアーチャー。不本意な制限を加えられる彼にとって、その主張は真っ当なものだ

 対する老騎士もまた譲らない。まるで吹いても倒れぬ柳のように、アーチャーの気迫にも動じることなく静かな口調で返答した。

 

「方針に変更はない。おまえ本来の戦術は用いずに、純然たる武技でもって臨んでもらいたい」

 

「ダンナ!?」

 

「強い、弱いの問題ではないのだ。大切なのは相手に対する敬意であり、悪意ではなく祈りのために戦う者同士としての礼節なのだよ。

 たとえ相手が強者で、また手段を選ばぬ卑劣漢であったとしても、方針を違える事はない。それで邪道を選ぶのなら、同じ汚泥に染まるのと同義だ。

 騎士道とは、他者に示すものではなく、正しい道に自らを律するためにある。一度その有り様を定めたのなら、最期の刻まで貫かなければ意味はないのだ」

 

 発する言葉に迷いはない。劣勢の中にあっても、ダン・ブラックモアは決めた道を譲らない。

 アーチャーが如何に勝負の理を説こうとも、目指すものが違うならば意味はない。己に恥じぬ栄光の勝利を求めるダンに、アーチャーのやり方はあまりにも食い違っている。

 

「アーチャー。聖杯におまえ個人としての願いはないという言葉、二言はないかね?」

 

「あ、ああ。まあ俺なんて生前から二枚目だけが取り柄のケチなはぐれ者でしたから。聖杯なんて大袈裟なもんを使って叶えるような願いは持ち合わせないっすよ」

 

「そうか。ならばやはりわしの方針に従ってもらおう。これがわしの戦いである以上、おまえの流儀を認めるわけにはいかん」

 

「……どうしても、俺のやり方は受け入れられないってわけっすか?」

 

「窮屈な思いをさせているのは理解している。これでは我々の勝算が低いこともな。

 甘粕正彦はハーウェイの少年王とも並び称される傑物だ。恐らくは、最も聖杯に近い者の1人だろう。即興の魔術師(ウィザード)である老骨と比べて、戦力に差があるのは自明の理だ。

 これがもし軍務であれば、わしもおまえのやり方を採用したとも。故国のため何としてでも勝利を得なければならんとなれば、我が身を鉄の銃身として非情のままに徹しただろう。

 だがこれは違う。この戦いはわしにとって久方ぶり、いや初めてと言っていいプライベートな戦いだ。軍人としてではない、わしという個人としての戦いを全うしたいのだよ」

 

「分かんねえっすよ。ダンナ、アンタは御国の連中に言われてこの月に来たんだろ。それこそまさに故国のための軍務ってやつなんじゃないすか?」

 

「確かに、わしは女王陛下の勅命を受けて、この戦場に立った。栄えある聖杯探求の任をわしのような老兵に任せてくださったのだ。ご期待には必ずや報いねばならん。

 だが、聖杯の獲得が国家の意思であるかと問えば、必ずしもそうではない。その辺りの事情はいささか複雑であるのだがな」

 

 要領を得ないダンの言葉に、アーチャーは疑問符を浮かべる。

 そんなアーチャーに頷いて、ダンは更に言葉を続けた。

 

「この戦いの名目は、西欧財閥内におけるハーウェイの専横を防ぐためだ。主要国家のひとつとして、その威信を内外へと知らしめるためにな」

 

「要は利権争いってやつでしょ。いつの時代でも偉い人が考える事は一緒みたいっすね」

 

 月の聖杯、ムーンセル・オートマトン。それは地上の如何なる権利にも勝る力だ。

 ハーウェイの次期当主であるレオがそれを手にすれば、ハーウェイの権威は絶対的なものとなる。同時に、聖杯さえあれば今からでも、あらゆる情勢を覆す事が可能だ。

 その利権の規模は計り知れない。国家さえもタガを外す価値が聖杯にはある。

 

「しかしだ、アーチャーよ。女王陛下は本気で西欧の覇者の座を欲しておられるわけではない。ハーウェイとの衝突など心から望んでいるわけでもないだろう」

 

「そりゃまたどういうわけで? こうしてダンナを送り込んでるってことは、要するに下克上狙いってわけじゃないんすか?」

 

「そうした思想は確かに根強い。かつての大英帝国、過去の栄華を再び我が手にという者はな。事実、現在の同盟体制が陛下の本意ではないという風聞も、真実の一部ではあるのだろう。

 だがな、思慮ある者ならば今の社会を崩してまで支配権を得ようとする者はそうおらん。西欧財閥の掲げる管理構造を否定するような真似はな」

 

 それは何処か嘆くように、現在の世界の有り様をダンは語った。

 

「資源の枯渇、経済の衰退、出生率の減少。算出される統計は、否応なしに現実を認めさせる。もはや取り返しのきく領域ではなく、世界は緩やかな破滅へと向かっているのだと。

 未来の見えない現状に、為政者たちもまた胸中の不安を隠せずにいた。これといった方策も取れぬまま、只々秩序を維持しながらも国体は痩せ干そろえていく。実情を目の当たりにする陰鬱は、民のそれの比ではなかっただろう」

 

 世界は衰退し、未来に希望はない。それこそがこの世界のまぎれもない現状だ。

 何かの問題を起こしたわけではない。何をせずとも数値は右肩下がりに減少する。

 それに対し出来るのは、その進行を遅らせる事のみ。目に見える原因のない問題は、根本的な解決策を提示することも出来ないままに今日へと至っている。

 

「そんな時だ。当時から世界規模の経済機構だった西欧財閥より、現社会の管理計画が提示されたのは。大災害後から初といっていい具体的な対処計画に、多くの国々が賛同したものだ。

 皮肉ではあるが、追い詰められた現状こそが各国の結束を強固なものにしたのだろう」

 

 緩やかなる破滅に対し、西欧財閥の出した解答とは世界の寿命を引き伸ばすこと。

 混迷の中での発展は不要であり、残されたあらゆる資源の管理の下、真なる秩序によって人類を導く。提唱されたその理論に、多くの国々が虜となった。

 経済競争を推進するのではない。全ては管理され、より広い範囲をカバーするように配分される。独走による浪費は一切許されない。発展を廃した延命措置だ。

 進退極まっていた小国にとって、また遠からずの衰退化が明白だった大国にとっても、西欧財閥の管理社会は渡りに船といえるものだった。

 

「分かるかね? もはや覇道の果てにあるのは栄光ではなく、困窮する世界の負債なのだ。支配の玉座に旨みはない。その責任から逃れるために、現在の管理社会を受け入れたとも言えるのだからな」

 

「まあ、王様の冠がとんだ貧乏くじだってのは分かりましたけどね。そうなると最初の問題がおかしくなりませんか? 下克上しても損を引くだけなら、どうしてダンナは送られたんすか?」

 

「そこが国家というものの複雑さだな。女王陛下個人としては、現在の英国の待遇に満足してはおられないかもしれん。だが同時に、現状の社会を覆してまで権勢を得たいとは考えていまい。

 そして言ったように、思想には様々な側面がある。ハーウェイ家の増長を危惧する事や、これを好機と捉える見方もあるのだ。

 手立ての無さは惰弱の証明となる。指導者の弱腰は非難の対象だ。望む望まざるとに関わらず、上に立つ者は行動を示さなくてはならないのだよ」

 

「なんともまた、宮仕えってのはいつの時代も面倒なもんで」

 

 人が集い従うのは、権威の下であるからだ。

 力であれ高潔さであれ、集団を率いるための求心力がなければ人は付いてこない。それが例え建前のようなものだとしても、人々が納得するに足る何かが必要だ。

 

「故に私が選ばれたのだ。女王きっての懐刀、騎士(サー)の称号を受けし『歴戦の勇士ダン・ブラックモア』ならば、"本気"と示すには十分な広告だろう。

 そうして態度を明確としておけば、後々政争の布石とも成り得る。結局のところ国の威信というものは、何をやってみせたかにより決定するのだからな。

 無論、本当に聖杯を獲得したとしても、それに越した事はない。こうして聖杯の力の一端を知るだけでも、この月にはそれだけの価値があるのは明白なのだ」

 

 聖杯戦争にかける期待あくまで保険にすぎない。本命は女王の示すべき権威、力強い指導者の意志を表すための象徴としての役割だ。

 ハーウェイの少年王、解放戦線(レジスタンス)の英雄らが世界の覇権を競う戦場を前に、指を咥えて見ているだけなど許されない。英国の誇る騎士であるダン・ブラックモアもまたそこに赴き戦っている、その事実がある時点で、ある意味目的は果たされているとも言えるのだ。

 まだ英国は終わっていない。かつての帝国の力は健在であると、そう内外に知らしめるために、老騎士はこの戦いに臨んでいるとも言えるのだから。

 

「……ダンナ。率直に言うんだけどさ、アンタって相当な貧乏くじを掴んだんじゃねえの?」

 

 ダンの語った背景に対し、アーチャーが持ったのはそんな感想。

 呆れ混じりのアーチャーの指摘に、ダンは思わず破顔していた。

 

「そう言ってくれるな。だからこそ、わしも国事ではなく私事としての戦いに赴けるのだから。

 それにだ、アーチャー。これは女王陛下がわしの願いを汲み取ってくれた結果でもあるのだよ」

 

 それは皮肉ではなく、心からの感謝と敬意を抱いて、老騎士は自らの裡を語ってみせた。

 

「わしは軍人として生きてきた。国のため、捧げた忠誠に懸けて、私を投げ打ち尽くしてきた。それを間違いだとは思わない。取り零したものは多く、非道にこの手を染めもしたが、大義の下に戦ったという自負はある。

 だが長い軍務を終えて、いざ銃を置いて市政に下りてみれば、わしに居場所などは無かった。当然だな、大義のためとあらゆるものを蔑ろにした男に、それ以外の処方が分かるはずがない。

 結局わしは、戦士としての己にしか生きる術を見いだせない男のようだ」

 

 長く過酷な軍人としての道。その行程をダンは歩み続けた。

 その過程に置き忘れたものがある。軍人ではない人生、人としてあるべき幸福が、彼の歩みの中には存在しなかった。

 結末とは、過程の果てにある産物だ。歩んだ軌跡がある以上、どんな後悔も無意味である。それが長い道のりであればあるほど、人は歩き方を変えられない。

 

「女王陛下より賜った聖杯探求の拝命は、わしにとって天恵とも思えたよ。

 とうに忘れ去られた魔術回路(さいのう)を呼び起こすのも、老骨の身には堪えるものがあったが苦ではなかった。むしろやり場を得たと心身に活力が戻ってきたくらいだ。

 軍規に律され戦い続けた軍人が、最後に己の祈りのために戦う機会を得たのだ。ならばこそ、この戦いだけは軍人ではなく、騎士としての戦いに殉じたい」

 

 後悔という轍の中に咲いた、一抹の願い。

 その道が血の代償を避けられない以上、せめて在り方だけは恥じない道を。

 戦う中にも人たる者の尊厳と敬意を。現在では忘れ去られた、かつての時代に存在した騎士道精神。棚の奥にしまっていたそれを、最後に老騎士は持ち出した。

 

「結果こそ全てとする考えもあるだろう。だがわしはそうは思わない。手段を違えて得た結果は、初志にあった祈りを歪めたものにしかならないと思っている。

 如何にその願いが尊くとも、悪徳と後悔に塗れた道では穢れを帯びるのだ。真に求めた願いを手にするには、何より己に恥じない道でなければならない。

 特にこの戦いは、わしにとって過去の禊ぎの意味も含んでいる。"彼"とのこの2回戦、勝算は低いと自覚しても尚、わしは騎士たる己で臨まねばならん」

 

「ああ、そういやお相手さんとは地上で敵同士だったんでしたっけ。因縁っていうと、いわゆるライバルみたいな?」

 

「いいや。言葉を交わした事はおろか、戦場で直接顔を合わせる機会もなかった。因縁と呼ぶのなら、それはわしが一方的に持っているものとなる。

 アーチャーよ。狙撃手(スナイパー)たる者の何たるか、おまえには無用の説法かもしれんが」

 

「いや、そいつはどうすかね。そりゃ弓は使いますけど、生前は毒やら罠でのハメ殺しがメインだったんで。真っ当な狙撃って意味なら、むしろダンナの方が詳しいんじゃないかな」

 

 ダン・ブラックモアは歴戦を重ねた狙撃兵だ。

 狙撃の条件とは多岐に渡る。地形の立地、標的の行動、また背景にある政治的な事情など、それらの僅かな差異が狙撃条件を大きく左右する。

 並の鍛え方で務まるものではない。1キロ以上の距離を匍匐前進で走破し狙撃を行うことも日常茶飯事である。その心技体には相応の強度が求められる。

 

 特殊性を帯びた数多くの任務を成功させたダンは、世界でも屈指の" 狙撃手(スナイパー)"である。

 こと経験の観点に限れば、若くして生を終えた英霊のそれをも凌駕し得る。

 

「ある任務での事だ。反抗勢力の一派、その頭目とされる人物の狙撃を行う事となった。司令部の合図と共に狙撃は即座に実行されなければならず、わしは別命あるまで標的を監視し続けた。

 ……標的である反抗勢力の頭目の名は、甘粕正彦といった」

 

 狙撃手(スナイパー)の任務とは、単に標的を狙撃するばかりとは限らない。

 条件が整うまでの間、時には何日も、スコープ越しに標的となる人物を観察する事もある。

 その私生活、人柄や友人、家族たち。全てを見届けた上で引き金を引く事にもなるのだ。

 

 必然として、そこには情が生まれる。

 相手も同じ人間だと、その認識を確かに持って事に当たらなければならない。

 

「その若い統率者は、公正な男だった。こうした反乱分子に有りがちな恐怖支配にも走らず、理性と精神の高潔を以て集団の秩序を保っていた。

 若いながらも優れた能力を持ち、何よりその行動には情熱と未来があった。何故人々が彼に従うのか、それをよく理解させられる光景だったよ。

 いうなれば、彼は本気なのだろうな。己自身の確かな意志で、覚悟を持ちながら行うからこそ、その行動は眩しく見える。わしにとってもそれは例外ではなかった」

 

「ダンナ、そいつは……!」

 

「アーチャー。わしもまた古い時代を生きた人間だ。管理を受け入れ安寧にただ浸る今の社会に、思うところもあるのだよ」

 

 真に清廉で、情熱を持つ人物だからこそ、甘粕正彦という人間は眩しく映る。

 善性の質を持ち、強く雄々しく揺るがない。益羅男たる姿は敬意を抱くに値するものだ。

 

「彼の姿を目にしていく内、わしの中に迷いが生じた。これが本当に正しいことか。この尊敬に値する若者を、ただ国のためと死なせて良いのか。彼こそ人としての正しい姿ではないかとな」

 

 人には心がある。その心こそが人を迷わせる。

 あらゆる理屈が、時に心の存在によって狂わされる。ただ、目に見える相手を助けたいと願う感情。その嘆願は届かないものでは決してない。

 我も人、彼も人であるのなら、命じる者もまた人である。ならば心からの思いが込められた嘆願が、無意味なものであるはずがなかった。

 

 ――だが、そうだとしても。

 

「……けど、さ。それでもダンナは撃ったんだろ?」

 

「そうだ。わしは人である前に軍人だった。軍人に私としての情など不要。指令が下ったその瞬間、わしは血の通わぬ銃身に戻っていた」

 

 感情に左右され、引き金を躊躇うのなら、それは一流とは呼べない。

 感情と引き金を冷徹に引き離す事が出来てこそ、真の"狙撃手(スナイパー)"である。

 

「わしに迷いはなかった。引き金を引く瞬間、わしは軍人という一個の歯車に徹していた。標的を射抜くイメージを、はっきりと思い描く事さえ出来た。

 だが、結果は失敗だった。弾丸は標的を掠めるだけに終わった。仕留められるはずだったものが、何故か失敗したのだ」

 

「仕損じたってことっすか?」

 

「誓って言うが、わしにミスはなかった。己にやれる事を十二分にやった。今もそう断言できる。

 外れたのは運だったのか、それとも相手が何かを感じたのか、あるいは天の采配が彼を生かしたのか。今もって答えは分からない。それを知るためには、彼という男と直に対峙せねばならんのだろう。軍人ではなく、今度こそ1人の人間としてな」

 

 月に臨むダン・ブラックモアは、軍人ではなく騎士である。

 軍人であれば非情にもなれただろう。故国の御旗の下、責務の重みを知るからこそ勝利のみに徹してきたのがこれまでの人生だ。

 しかし今は違う。背負っているのは己の祈り、その価値を決められるのも己自身だ。

 それを穢れた妄執に堕すのも己次第。故に恥じる事なき高潔な決闘を。そうしてこそ初めて、自らの祈りに対して真摯であれる。

 たとえその敵が強大で、このままでは勝算が低いとしても。相手が敬意を払うべき英傑であれば尚の事、己もまた騎士たる身に在るべき姿勢で臨まねばならない。

 

「わしは断じて敗けるつもりはない。如何に尋常ならざる相手でも勝利する覚悟だ。

 だが、アーチャーよ。その決闘は公正なものでなければならん。ルールを違えての闇討ちなどで得た勝利では意味がないのだ。

 良いな? これが最後だ。わしのサーヴァントである以上、おまえにも騎士の振る舞いで臨んでもらう」

 

 実利でも、執着でもない。胸に抱いた祈りに誠実であるために、ダン・ブラックモアの戦いは存在する。その信念を貫く覚悟を、老騎士は確固として決めていた。

 そんな老騎士の意志を説き伏せるだけの言葉を、アーチャーは持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月見原学園は、聖杯戦争のために用意された舞台だ。

 平穏という日常と、戦いという非日常。2つの生活を両立するロケーション。

 校内を彩るNPCと、それに混ざるマスターたち。目に映るその風景は確かに平穏と見えた。

 

「平穏ねえ。そんなもん、こうやって背後取れてる時点であるわけないってのに。ムーンセルも、いい趣味してやがるよ」

 

 校舎屋上、そこにアーチャーの姿がある。

 学園内のほぼ全域を見渡せるポイント。鷹の目を持つアーチャーのクラスであれば、校舎外が出ている人物全てを標的にできる。

 

「つうかあり得ねえよな、ほんと。俺に騎士の真似事なんて、手足縛って戦えって言うようなもんだっつうの。物事には適材適所ってのがあるでしょうが。

 マスターとサーヴァントって、確か性質合ってる奴同士が選ばれるんだろ。これって選考ミスってやつじゃないのか、ムーンセルさんよ」

 

 1回戦を経て、一度目の死線を潜った事で、遊び気分だった参加者たちにも覚悟が生まれている。

 これが正真正銘の殺し合いだと理解して、相応の心構えに変わってきている。自分が殺されるかもしれないと、誰もが警戒と緊張を含んで臨んでいた。

 それでも、アーチャーから見ればまだ甘い。不意を打てそうな輩は幾らでもいた。

 

 空手のまま、構えを取る。森の陰から敵を射殺す、いつもの時と同じように。

 

 標的と見据えるのは、マスターと思しき1人の女生徒。

 見れば見るほど容易い部類だ。表情には戸惑いと怖れの色が滲み出ている。戦場などとは縁遠い、人の良さそうな雰囲気の少女だ。

 的てられる。サーヴァント次第でもあるが、恐らく狙撃は成功するだろう。やろうと思えば今すぐにでも、あの命を終わらせられる。

 

 ――相手の弱さ、人の良さにつけこんで、だ。

 

「ああくそ、俺だって何も好き好んでこういうやり方やってるわけじゃねえんだけどさ!」

 

 森の技に長け、緑衣を纏ったアーチャーの真名は、ロビン・フッド。

 イギリスの民衆に伝わる英雄。人々のため、顔を隠して素性を隠して、圧政者の軍に対抗した義賊。その森の狩人こそが彼の正体だ。

 

 アーチャーの歩んだ来歴は、華々しい英雄譚とは程遠い。

 神の加護もなく、一騎当千の武勇も持ち合わせない。そんな彼が軍勢を相手取るために用いたのは、誇りを棄てた非情の戦法だ。

 地形に紛れ、毒を盛り、戦意を失った相手をも背中から射殺した。傷付いた敵兵を利用して、助けに駆け付けた他の敵を罠にかけるなど造作もない。

 身内に累が及ぶのを恐れ、民にも己の名を明かさなかった彼は、あるべき賛辞も受けられないまま、陰となって孤独な戦いを続けた。

 

 圧政者の軍とはいえ、兵の全てが悪人であるはずがない。

 中には良い人物だっていた。高潔な騎士として好感が持てる者も珍しくなかったろう。

 それを利用した。人の良さはこちらとしても好都合。そういう者こそ策略に嵌ってくれる。

 義務を果たすべく鍛錬に励んできたであろう騎士を、その剣を振るう機会も与えずに騙し討った。他所の土地の、各々事情があるだろう兵士たちを、毒を盛って一網打尽にした。顔のない隠者として、戦死の名誉という救いさえも与えなかった。

 そうしなければ戦えなかったというのは簡単だ。そして同時に、そんなものは言い訳に過ぎないことも。そうした手段を用いて戦うことを決心したのは、他でもない自分自身なのだから。

 

 そんな孤高の義賊の結末は、ある意味で相応のものだろう。

 顔を隠し、姿を隠し、個を捨てて正義を成した森の狩人は、あらゆる者の敵となって独りきりのまま凶弾に倒れた。劇的なものはなく、名前さえ残さなかった青年の奮闘は、『ロビン・フッド』という伝承を構成する1つとなり、その魂を英霊に昇華させた。

 疲弊する民草の祈りを受けて、彼らのためにと奮闘する義賊の伝承。数多いるロビン・フッドなる英霊の1人として。そこに1人の青年の個性など何の意味もなさない。

 

 そんなものが欲しかったわけではない。記号のような英雄の名など願い下げだ。

 マスターの言うことだって理解できる。頑なな否定は、心底にある憧憬の裏返しだ。そう出来たらどれだけ良いかと、憧れる気持ちがないわけではない。

 ここに守るべき民はいない。ならばマスターの言うように、生前のやり方になど縛られず、騎士道精神というのをやってみるのも悪くないのではとも思う。

 

「……けど、それでもだよ。ダンナ、俺は――――」

 

 言いかけた瞬間、アーチャーの思考が切り替わる。

 立ち上る気配。他を圧して憚らない暴威の波動が、場の空気を変貌させる。

 もはやこの屋上は、物思いに耽れる場所ではない。一切の油断も許されない、ともすれば戦場にも等しい空間に置き換わったのだと感じ取った。

 

 爛々と示してみせる威圧、この気配の主には覚えがある。

 密かな闘志を滾らせて、アーチャーは静かに相手の出方を窺った。

 

「――安寧と闘争。心情を介さぬムーンセルは、それら二種の狭間で揺蕩う人を見るため、聖杯戦争の舞台を築いたという。この2つを別種と断じて扱うのが、いかにも数理でしか物を見れぬムーンセルらしい判断じゃ」

 

 やはり、違う。自分と同質のものを持ちながら、これは真逆の性質だ。

 実利に重きを置きながら、自己を顕示する欲望を隠そうともしない。ただ強欲なのではなく、そうした感情の動きまでも計算に入れて理に変えている。

 直感として理解する。この相手とは求めているものが違う。たとえ過程に似通うものがあろうとも、行き着く結末が異なるから分かり合えない。

 

 そのように直感しながら、アーチャーは声の方へと振り向いた。

 

「安寧と闘争は切り離すべきものではない。いつの世も、如何なる場所でも、この二種は混在しておる。一種のみなど有りはせん、あるのは比重の差異だけじゃ。

 わしや、貴様のような者には特にのう。そうは思わぬか? なあ、"義賊"よ」

 

 緑衣を纏った森の"狩人(アーチャー)"とは異なる、軍装に身を包んだ乱世の"軍将(アーチャー)"。

 この2回戦の対戦相手、来たる決闘の日に対決する二騎の弓兵が向かい合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校舎裏に設置された教会にて、ダン・ブラックモアは祈りを捧げていた。

 

 ここはムーンセルにより構築される擬似世界。

 存在するのは再現された情報体に過ぎず、信仰の対象とするには不適格と言えるかもしれない。

 そんな理屈も考えないわけではない。だがそれも、彼にとっては祈りの妨げとは成り得るものではなかった。

 

 世界より魔力を消失させた『大崩壊(ポールシフト)』以来、教会の権威は衰退の一途を辿っている。

 神秘が消え失せて、理論と実証のもとに管理される今の世界においては、宗教という概念自体の価値が薄れているためだろう。

 未だ強い影響力こそ維持しているものの、それも権謀術数を駆使した上での話である。社会より確かな安定をもたらされる人々は、もはや祈るという行為を必要とはしていない。

 

 ダンは敬虔な信徒である。その現状に思うところがないわけではない。

 それでも彼自身にとっての祈りの価値が損なわれる事はない。その意義は彼の中で明確に定められている。

 

 老騎士にとって、祈りとは希うものではなく、自己に課すもの。

 そも宗教とは、人々の在るべき生き方を教義で以て導くものだ。過去の時代における教育とは、即ち神を知る事と同義である

 人としての道徳を学び、正しい生の有り様を理解して自戒するために、大いなる存在に対して祈りを捧げる。何かを求めて願うのではなく、心の豊かさを育むために祈るのだ。

 権勢など無用のもの。主の実在証明さえ、子らである自分たちには不要である。何故なら信じようとする行為そのものに意義がある。実在が証明できなければ信じる事も出来ないなど、そちらの方がよほど不純だろう。

 

 たとえ命を奪う事を生業とする軍人だとしても、否、軍人だからこそ、自らを人に引き戻すために祈りという行為は必要である。

 この月でもそれは変わらない。願いのために決闘に臨む騎士として、自らに課した誇りを忘れないために。

 

「誇り、か。アーチャーならば何を馬鹿なと憤るのだろうな」

 

 生前のアーチャーの伝承は知っている。そこに誇りなど介在する余地が無かった事も。

 軍隊を相手にしての孤軍奮闘。やり方に拘ってなどはいられない。その厳しさと苦しみは、自分の経験してきたそれとは比較にもならないだろう。

 

 理解はしているのだ、そんなアーチャーに正面からの戦いを強いる事が、如何な愚行か。

 森の隠者たる英霊に、この戦法はもはや手足をもがれるに等しい。非道を責めるなど筋違いでしかないだろう。

 アーチャーの言い分こそ正しい。勝ちを目指すなら彼本来の奇襲を主とする戦略に切り替えるべきだ。今のままでは敗けに向かっているのと大差はない。

 

 そもそもだ、果たして自分に騎士の誇りなどと口に出す資格があるのか。

 自分は軍人だ。"騎士(サー)"の称号を受けてはいても、騎士ではない。軍務として人道に悖る行いにも手を染めてきた。アーチャーを非難する資格など最初からありはしない。

 個人としての戦いだと、そんな理屈を盾にして古黴た騎士道を持ち出すなど、単なる自己欺瞞に他ならない。戦いにおける礼節などと、今さらどの口が言っているのか。

 

 アーチャーの言い分は正論だ。自身が矛盾していると自覚もある。

 それでも尚、流儀に拘る意義があるのか。その疑問は今も胸中に燻ったままだ。

 

 

 ――――だが、それでも必要なのだ。自分にとっても、恐らくアーチャーにとっても。

 

 

 サーヴァントと、召喚主たるマスターには、性質に何処か通じたものがあるという。

 軍人として国家のために尽くしたダンと、義賊として民のために戦ったアーチャー。一見すればその立場は正反対のものに思える。

 しかし、ダンは確信していた。アーチャーは自分と同じものを抱えている。手にする事が出来なかった英雄としての誉れに焦がれていると。

 

 皮肉屋な言動を取っているが、その実、アーチャーの性質は善良だ。口先の悪さや世を斜めに見る厭世観も、根にある善性を覆い隠すためのものだろう。

 彼は手段として非道を用いるが、その手段を好んでいるわけでは決してない。そんな自らの卑劣さに後ろめたさを感じているからこそ、アーチャーは自ら誇りを遠ざける。

 それは諦観にも似ている。自分にはそんなものを手にする資格はないと、最初から誇りを抱く事を放棄しているように見えた。

 

 なるほど、アーチャーは自分と似ている。望む在り方がありながら、それを自身の生き方には出来なかった。

 かつて取り零したものを取り戻す。これが過去の未練のための戦いならば、アーチャー自身にとってもそうあるべきだ。

 後悔を繰り返してはならない。それこそが恐らく、アーチャーにとっての未練であり、この現世に懸けるべき願いだろう。

 

 国のためでも、民のためでもなく、ただ己自身のための戦いを。

 誇りとは、自らのために背負うもの。道を誤らないために、何よりも己の祈りを穢さないためにも、それを放棄する事はあってはならない。

 

「……さて、お待たせしてしまったかね?」

 

 祈りと思考を終えて立ち上がる。出入口の扉の方へと振り返ってダンは声をかけた。

 

「ふうん、流石ね。歴戦の勇士は伊達じゃないって事かしら」

 

 声に対して返答し、扉を開いて現れたのは、遠坂凛。

 感心してみせながらも油断は見せない。戦場に立つ者として、十分な心得を持った少女。そんな彼女の視線を受けながら、老騎士は動じることなく答えてみせた。

 

「配慮には感謝しよう。これは習慣でね。祈りの最中に他人の干渉を受けるのは好ましくない。こうして終えるまで、わざわざ気配を消していてくれた事は好感を持てる」

 

「とっくに気づいてたってわけ。これでもそれなりの自信はあったんだけど、私もまだまだか」

 

「焦る事はない。これは単に経験の問題だよ。凡庸な才覚でも年季を経れば、目端だけでは見えないものも見えてくる。それだけの差に過ぎない。

 君ほどの素質の持ち主ならば、すぐにでもわしを超えられるだろう」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ。尤も、この月にいる以上は、どんな才能があったって宝の持ち腐れだけどね。今すぐ使えない能力に意味はないわ」

 

 論戦というほどの激しさもない、他愛のない会話。

 無論、両者は理解している。これは前置きだ。本題に入る前の、会話の主導権を握っていくための牽制でしかない。

 弁舌のみでの明確な優劣は見えてこない。それを互いに承知して、両者は本題を切り出した。

 

「それで何用かね、遠坂凛。互いの立場を考えると、あまり用件が思い付かないのだが」

 

「そうね、騎士(サー)・ブラックモア。あなただけじゃなく他の誰も、ここでは自分以外は全員が敵だもの。 私も馴れ合いをするつもりはないわ。

 けど、無関係の対戦でも好カードの組合せなら、後々のためにも気にかけるのは当然でしょう。特に優勝候補と目される実力者同士の対決なんてのはね」

 

「ふむ、なるほど。甘粕正彦と君は同胞だったな。かつての仲間を案じての敵情視察、というところかね?」

 

「冗談でしょ。彼を案じる必要なんてないわ。むしろ期待してるくらいなんだもの。あなたならもしかしたら、甘粕に勝てるかもしれないって」

 

「そうか。いや、この場にいる時点で必然だったが、やはり君たちは道を違えたのか。西欧財閥に対抗する勢力の象徴とも呼ばれた2人が……」

 

「何も話すつもりはないわ。私は甘粕を止める。それだけが答えよ」

 

「そうだな、詮索はすまい。君たちの関係に、他人が立ち入る余地はなさそうだからな」

 

 凛の、ダンを見る目は険しい。

 挑みかかるようなその視線は、どこか計っているようでもある。

 

 英国に仕える騎士であり軍人、ダン・ブラックモア。

 その実力は確かなものであり、ムーンセルからも優勝候補の1人と認識されるほどだ。

 歴戦を重ねた老騎士の事は、同じ参戦者として凛も承知している。その上で彼女は、ダンの力に対して明確な疑念を向けていた。

 

「随分と紳士的なのね。聞いていた評判とは印象が違うわ。もっと冷徹な軍人のイメージがあった。少なくとも、人情で戦い方を決めるような事はしないだろうって。

 人としてはそれで正しいでしょうし、好感だって持てるけど、強度で見たらどうなのかしら?」

 

「これは、対戦相手でもない者の事を、よく見ているようだ」

 

「聞いているわよ。長い軍歴を経て、"騎士(サー)"の称号まで得た英国女王の懐刀。あなたの戦闘者としての実力こそ疑っていないけど、魔術師(ウィザード)としてのあなたは急造のマスターでしかない。

 女王の勅命を受けて、あなたは一年の期間でムーンセルに挑める霊子ハッカーになった。それだけでも大したものだけど、純粋な魔術師(ウィザード)としての力量は平均値を超えないわ」

 

 ダン・ブラックモアは遅咲きの魔術師(ウィザード)だ。

 信仰にあつく、国家に忠義を尽くす事を誉れとするその生涯で、身に流れる魔術師の血は忌むべきものでしかなかった。

 『魔術回路(さいのう)』は開花する事なく老年に至り、今回の聖杯戦争を切欠にようやく日の目を見たのだ。

 

 軍歴は長くとも、魔術師(ウィザード)としての経歴は短い。必然、獲得できるスキルも限定される。

 魔術師(ウィザード)としてのダンは、あくまで最低限の力を持つだけで、決して凡庸の域を出ていなかった。

 

「ムーンセルがあなたの勝算を認めるのも、魔術師(ウィザード)じゃなく、戦闘者としての力量を鑑みての事でしょう。本来の戦術を放棄するなら、そんなの勝負を捨ててるのと同じじゃない。

 あなたにどんな事情があるのかは知らないけど、そういうのって心の贅肉じゃない?」

 

「……ふむ。察するに、だ」

 

 厳しく突き放すようなその物言いに、どこか暖かみのある声音でダンは答えた。

 

「君は、敗北に向かうわしを案じて、放置できず助言をしに来たというわけかな?」

 

「はあ!? 何よそれ、私にとってもあなたは敵なのよ。するにしても、戦略絡みの駆け引きだけよ」

 

「そうだな。額面通りではなく、思惑は様々にあるのだろう。しかし行動の根底にあるのはそうした感情だと思えたのだがね。

 あなたは清廉な性根の持ち主だ、お嬢さん。潔癖な公正さを愛し、それを実現する強さを持っている。それ故に、信条に囚われ戦いを縛るわしが、不誠実なものと映ったのだろう」

 

 遠坂凛は全力の行いこそ尊んでいる。やるならば全身全霊、全てを懸けてやらなければ意味がないと断じていた。

 いうなればダンの目指す己自身に恥じない生き方を、常に実践していると言える。卑劣さこそ持ち合わせないが、卑怯を否定する事もない。

 それは自らに対する自信の表れだ。己の力を疑わないからこそ、どんな敵を前にしても臆さない。そしてあくまで己を納得させた上で、目標へ向けて手を伸ばそうとする。

 

 彼女のそうした面こそが、ある意味で甘粕正彦と同胞だともいえるのだ。

 強敵を好み、戦いに臨む意志を肯定する。信念ともいえるその行動指針は、両者どちらの信条にも芯となって根付いていた。

 

「あなたは心の贅肉という表現を使ったが、それは余分な心情に囚われて、行動を無益なものにする事を言うのだろう。確かに否定は出来ないし、枷となっているのは事実だろう。だが、己自身を誤らないために必要なものでもあるのだよ」

 

「……甘粕は強いわ。勝利のための手段は肯定されるべきよ」

 

「サーヴァントにも同じ事を言われた。どうやら相当にわしは耄碌して見えるらしい。

 そうだな、自分でも愚かだと自覚はある。難敵であると知りながら選択を狭め、かえって相手に利する事ばかりしている。忠告は真っ当なものであると理解しているとも。

 しかし同時に、その事を思うと妻の面影がよぎるのだよ。妻は、そんなわしを喜ぶかどうかとな」

 

「妻って……あなたの? でも、あなたにそんな人は……」

 

「そう、こんなものは老人の昔話だ。わしに妻はいない。そう呼べる相手は、とうの昔に失った。

 軍人として生き、軍機に徹して、国家のためにと尽くした。そこに(ひと)人生(こうふく)が立ち入る余地はない。それはわし自身だけでなく、連れ添う伴侶までも巻き込むものだった。

 軍にいる間は、それでも自分を変える事は出来なかった。わしは何処までも軍人であり、妻との別離に際しても動揺を表にする事はなかった。結果、わしは彼女の命ばかりか、その思い出までも無くしてしまったよ。

 今となっては顔も声も思い出せない。確かに愛していたはずだというのに、軍を離れて初めてそれを省みる余裕が生まれた。そして未練と、願いもまた、な」

 

「じゃあ、それがあなたの聖杯に懸ける願い? 英国の軍人としてじゃなくて、ダン・ブラックモア個人としての。亡くした奥さんを取り戻すために、この戦いに参加したの?」

 

「死者を求めるなど浅ましい行いとは分かっているがね。誇れる祈りではないだからこそ、過程の行いだけは恥とならないよう努めている。

 後悔とは、過程という轍の中に咲く花のようなものだ。歩いた軌跡に、様々と、そのしなびた実を結ばせる。後顧の憂いから自身を解放するのは、誇り足り得る矜持のみだ。

 老境に至り、それらの未練を清算する機会を得た。ならば迷いもあるまい。祈りを穢さず、取り戻したものにも恥じ入る事のないような、誇りある騎士としての己で臨むと決めた。

 故に、だよ。お嬢さん。わしは惑って枷に引き摺られるのではない。この有り様こそ、わしが全霊を懸けられる道なのだ」

 

 取り零したものを取り戻す。ダン・ブラックモアという人間が抱いた唯一の願い。

 それは未練であり、過去に縋った妄執に過ぎない。所詮、個人のみで完結する願望は、世界に何一つの貢献を果たす事なく終始するだろう。

 だがそれでいい。国のため、世界のためでなく、己自身のために戦うと決めた。滅私奉公に生きた生涯の最期に抱いた、純粋な個人としての欲望。

 ならばこそ、外道に身を堕とすわけにはいかない。穢れた手段で歩んだなら、この祈りは唾棄すべき醜悪な我欲へと堕ちるだろう。

 

 誇れる道だと信じられるからこそ、自分は迷いなく戦える。ダン・ブラックモアにとっては、この騎士道に殉じる道こそ、真の意味での全力なのだ。

 

「……随分と話し込んでしまったな。老人になると、若者との語らいばかりが楽しみとなってしまう。おかげでつまらない話を、それこそ贅肉にしかならないような事を語ってしまった。

 話のついでに、単なる戯言と思って聞いて欲しい。君は戦う意味を持って挑んでいるのだろう。迷いも悔いも振り切って、先の結果と責任を受け止められる強さがある。

 しかし時には、歩んできた行程を振り返ってみるといい。過ぎた事など単なる軌跡と思えるかもしれないが、あるいはそこにあるものが、最期に意志を支える楔にも成り得るのだ」

 

「……ええ。忠告は覚えておくわ。人生の先達の言葉として、きちんと胸に刻んでおく」

 

 老騎士の語る教訓を、凛は決して蔑ろにはせずに受け止める。

 才覚はともかく、過酷な生涯を送ってきた先達者として、その経験が込められた言葉は貴重な価値だろうから。

 

「あなたの事も分かったわ。その決意が固いものだって事もね。他人に言われたくらいで今さら変わらないって理解した。だから、忠告のお返しにアドバイスだけしておくわ」

 

 それでも、受け取るばかりで満足するのは遠坂凛の有り様ではない。

 世の理とは等価交換。魔術も経済も、善意も悪意も、受け取ったからには同等のものを返すのが彼女の流儀。老年の見識にも負けない鋭さで、真のある提言を口にした。

 

「甘粕正彦は異常よ。意志の強さを愛していて、相手にも同じものを期待する。期待通りの強さを見せてくれた相手には、それに応えようと自分まで強くなろうとして、本当に実現させてしまう規格外な感情の怪物みたいな人。

 彼とはそれなりの付き合いだから、その性質の危なさはよく知ってる。彼に評価されるって事は、同時に甘粕の真髄を引き出してしまうって事だから」

 

 善悪さえ度外視する意志力の絶対値主義。意志の強さこそ主眼とする論法は、ある意味では大多数の他者においても一定の共感を得られるものだろう。

 異常なのは、何処までも突き抜けている甘粕正彦の感性だ。一切の矛盾にも頓着せず、単純明快な論法のまま動いている。見ているのは強度の一点で、そこに迷いは存在しない。

 人の強さを信じられて、尚且つ自らが強くなる事にも躊躇がない。所謂、馬鹿と喚ばれる類いの人種だろうが、それが全て強さに繋がっているからこそ性質が悪い。

 

 愛すべき意志を見せられて、甘粕が示すのは期待という正の感情だ。

 それは敬意であり、親愛である。およそ敵対する者に向けるものとしては不適切な、プラスへと働く感情で甘粕は戦意を高揚させる。その意志は、そのまま強さにも直結するのだ。

 

 ――ならば、その真逆、マイナスへと向いた感情ならばどうだろう。

 

「けど、それだけじゃない。期待してる時と同じくらい、彼は失望しても怖いのよ。彼の基準で失格だと判断してしまった相手には、甘粕は何処までも冷徹に、残酷になれる」

 

 甘粕正彦は怪物だと、そう告げた凛の人物評はこれ以上なく的確だ。

 古今より、怪物という概念は醜悪さと共に壮大さの象徴である。たとえそれが忌諱すべき概念だとしても、人はただ強大であるという理由でも憧憬の念を抱く。

 意志の絶対値こそ至高と謳う価値観。ならばその理屈は甘粕自身にも適用される。正の方向か負の方向かの違いなど些細なもの、要は振り切れた際の数値こそ問題なのだ。

 

 極端から極端に走る、善悪の基準など意に介さず、ただひたすらに巨大な意志力の魔人。

 それこそが甘粕正彦という人間の本質。隣に在った者として、凛はそれをよく理解していた。

 

「中間を維持する事。私なりに考えて思いついた、甘粕に対しての攻略法。期待にも失望にも振り切れさせないで、真ん中で立ち回るのが甘粕にとっても力を発揮しづらい時だから。

 もっとも、これはこれで難しいんだけどね。なにせ彼って、人間が大好きだから。人の良いところを見つけようって単純に頑張ってきた感じだから、その手の審美眼がとにかく鋭いのよ。下手な誤魔化しなんて通じないし、ぶつかればどうあれ本気でやらなきゃならない。

 結局、必勝法なんて言えるほどのものじゃないわ。所詮は精神論だし、あんまり意味があるわけじゃないって自覚もしてるけど」

 

 それでも、これで義理は果たしたと示して、凛は踵を返した。

 忠言はここまで。本来なら敵対すべき間柄として、この奇妙な談合に明確な一線を引く。

 

「甘粕は多分、あなたに容赦しない。勝利を祈ってるなんて言えないけど、それだけは心しておいて」

 

 去りゆく彼女を引き留める言葉を、ダン・ブラックモアは持ち合わせない。

 

 老騎士に迷いはない。この信念は正しいものだと信じている。

 そんな彼にも、少女の忠言は楔のように刻まれて、その心に疑念の波紋を波立たせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍装を纏う"銃手(アーチャー)"に対して、緑衣の"弓兵(アーチャー)"が示したのは警戒だった。

 

 見た目は奇抜な格好をする少女でしかない。一回りほど小柄な体躯は、外見だけで問うのなら大の男に比べてか弱いとさえ見えるだろう。

 だが、知っている。サーヴァントとは条理では語りえない存在。見せかけの姿形などそれこそ無意味。その力は内包する幻想、神秘の度合いによって決定する。

 その観点で見るのなら、力の差は歴然だ。片や、地平の全土を表す『天下』の概念にその手を掛け、忌むべき『魔王』の名を我が物とした大英雄。所詮、民間伝承に由来する義賊とでは、築き上げた伝説の舞台が違いすぎる。

 緑衣のアーチャーは自覚している。己は弱者であると、その非力さを誰よりも理解している。故にその格差を覆すべく、いつだって狡い思考を巡らせてきた。

 

 その卑屈さ、英雄らしからぬ狡からさは、非力の中でも考える事を止めなかった裏返し。

 驕れる強者を狩る弱者の牙。神の叡智だの賢者の見識だのと大仰なものはない、小賢しいだけの智謀こそが己の武器だと知りながら、緑衣のアーチャーは頭を回転させていく。

 

「そう急くでない。此度は戦をしに参ったわけではないぞ、義賊」

 

 そんな明白なほどの警戒を滲ませる緑衣のアーチャーに対し、軍装のアーチャーは何の気負いも無しにそう告げた。

 

「こうまで明け透けな場所で事を起こすわけにもいくまいが。すれば即座にムーンセルの眼に留まる。重罰は避けられまい。それだけの意義があるとは思えぬだろう。

 わしは単に貴様と語らいに来ただけじゃ。裏の思惑など持ち合わせておらぬ」

 

「語り合いたいだぁ? 思惑なしだとか、あんたみたいなのが今さら抜かすなってんだ」

 

「心外じゃな。今のわしには何一つの謀もないというのに。その必要もなかろうしの」

 

 彼女もまた承知している。この場は己こそ強者であると。

 正面からの対決で軍装のアーチャーは緑衣のアーチャーに勝る。策謀を巡らす必要はなく、ただ勝てる状況で勝てば良い。今の彼女には、それが出来る。

 

「というのも、我が主殿がどうにも意気消沈しておる様子でな。わしとしても、このままでは些か張り合いがない。ならばサーヴァントは如何ほどかと、こうして足を運んだ次第じゃ」

 

「もう勝った気でいるのかよ。知ってるか? そういう勝ち誇って慢心してる奴に限って、足元掬われるんだぜ」

 

「ほう、慢心と思うか? これがわしの単なる驕りであると、本当にそう思うのか?」

 

 詰問する軍装のアーチャーに、緑衣のアーチャーは押し黙る。

 軍装のアーチャーの態度は、ただの傲慢ではない。緑衣のアーチャー自身がそれを裏付けていた。

 

「考えてもみれば、我らは同胞と言えるかもしれぬ。お互い、難儀なマスターを持ったという意味でな。合理に沿ったものもなく、ただ主の感情に付き合わされ、本来あるべき手段も取れぬ。

 まこと難儀なものよ。貴様もそう思うじゃろう。のう、アーチャーよ?」

 

「語り合いたいってのは愚痴の言い合いか? おたくのとこのマスター、色々な意味でぶっ飛んでいやがるが、ありゃどうなってんだ。人間的に、越えちゃあならん一線を越えてねえ?」

 

「是非もなしよ。あれの大うつけぶりは今に始まった事ではない。あれで見所が無ければ、それこそすぐにでも見限っておるところじゃ。

 ならば貴様の方こそどうなのじゃ? あの枯れた柳の如き士は、貴様を満たす主であるか?」

 

 見透かすような眼差しで、軍装のアーチャーは嘲笑を浮かべながら言葉を投げる。

 

「兵でなく、私であるから、己に恥じぬ矜持を持て、と。戯れ言じゃな。所詮は過去へと見返すばかりの老人の言葉に過ぎん。

 願いとは、過去に求めるのではなく、未来に芽吹かせるもの。あれの祈りは死者の祈りよ。もはや生命をたぎらせる活力も、勝機を掴む執着も残ってはいまい。

 あれが歩みしは敗北へと至る道じゃ。古錆びた矜持と心中するつもりでおる。元より敗れると分かる主君に仕えようとは、貴様も哀れな――――」

 

「黙れよ」

 

 その声には、明確な怒りがある。

 短く、鋭く、割り込まれた緑衣のアーチャーの声に、軍装のアーチャーは沈黙する。

 

「ダンナがやってる事がどれだけ割に合わねえもんだろうが、それを俺たちみたいなのが貶める資格なんてねえんだよ。古臭いだの偽善だの、戦場で振りかざすもんじゃねえと言おうがな、そいつが綺麗で正しいものだってのは間違いないんだ。世を皮肉った小汚い現実論しか言えない奴が、それよりさも上等だみたいに語ってんじゃねえよ。

 確かにダンナの潔癖さには付いていけねえ部分もあるがな。少なくともあんたとは違って、俺はダンナを見限る気なんてねえよ」

 

 ダンの掲げる理念とは、自身の勝利をも危うくするものであるけれど。

 それが正しいものであるのは間違いない。恥じるべきものではなく、狂気の中でも人の尊厳を守るものだ。

 それを否定する事は出来ない。たとえどのような理屈があるにせよ、人々が模範とすべき在り方が間違いのはずはないのだから。

 

 緑衣のアーチャーの怒りは、その正しさへの侮辱に対する憤りだ。

 騎士道の類とは縁がなく、およそ恥がないとは言い難い義賊としての生涯。そこに誇れる正義が介在する余地はなかったが、だからこそ綺麗な理念に対する憧憬がある。

 所詮、英雄と喚ばれるような器ではない。そう自覚する小心者で、善良なだけの青年は、決してそのやり方を選ばずとも、その価値だけは認めていた。

 

 それ故に許せない。勝てないから、弱いからと、老騎士の信念を侮辱される事が。

 自分とも似通った性質を持つ軍装のアーチャー。この相手がダン・ブラックモアを侮辱するのを、黙って聞いている事が我慢ならなかったのだ。

 

「ク、アハハハハハッ! なんじゃ貴様、よもや己に適わなかった生き様に、憧れを残しておるのか? 愛い、愛いのう、その青さ。何ならわしが愛でてやろうか?

 仮にも英霊として理の外へと招来された者が、童のように青臭い。貴様が尋常な英雄でないのは分かっておったが、どうやらその器自体が、まず分不相応であったと見える」

 

「関係ねえだろ。確かに俺は英雄なんて柄じゃねえ。器じゃないってのは誰より俺自身で自覚してんだ。だがな、だったらアンタみたいに開き直ってんのがそうだってか?

 誇りやら人道やらに唾吐いて、卑怯でずる賢く勝つ奴が強くて偉いってか? そんなもんが罷り通るのが現実で、それを利用してる自分に、アンタは何も思わなかったのか?」

 

 緑衣のアーチャーはそれを否定する。だってそれでは余りに救いがない。

 自分にはこのやり方しか無かったし、その選択を後悔はしていない。だが正しいものだと思った事など一度もないのだ。

 

 少なくとも、この軍装のアーチャーのように、臆面もなく笑ってみせる気にはならなかった。

 

「そう吠えるでない。ふむ、我が道に思うことがあるか、と。ああ、勿論ないとも!

 血の非道を憂う心など、過ぎ去る道に置き捨てた。如何に外れた魔道であれ、わしがこれと選んだのならば是非もあるまい。この道こそが我が王道、我が覇道である。

 こんなものは英雄であれば自然な事よ。光に焦がれるのではない、焦がれる光こそが英雄じゃ。どのようなものであれ、これと貫く姿こそ人の夢想する憧憬の象徴となる。

 世をあまねく照らし出せれば、光の性質など問われぬものじゃ」

 

 対し、軍装のアーチャーが告げるのは唯我の王道だ。

 彼女は省みない。血塗られた行程を、非道に染めた己の卑劣を、あるがままに受け入れている。

 乱世の中、群雄割拠を生き抜いた革新の王。古きを廃するその道が穏当なものであるはずもなく、輝かしい成果の裏には切り捨てられた多くの無情が転がっている。

 

 正しいか、間違っているか、そんなものは重要ではないのだ。

 世の正しさを決められるのは当事者だけ。それこそあるべき世のカタチ、そうだと自ら定めて決めたのなら、後は築き上げた成果の如何でその是非を示す。

 ただ、己の道を邁進するだけだ。あらゆる咎を背負う覚悟こそが、英雄たる者の必然である。

 

「戒めねばならぬのは、本筋の意義を見失わぬこと。王たる者として、国という大前提。それさえ守られるならば、行いの意義は保たれよう。躊躇う必要はない」

 

「国のため、国のため、ね。その言葉、俺もよく聞いてたぜ。圧政も重税も、全ては国のためだって決まり文句で罷り通った。だが俺たちは何も変わらない。奪われて、そのままだ。

 アンタ自身はどうだったか知らないけどな、その手の理屈にはいい加減うんざりしてんだよ。国だって、結局のところは人あってこそじゃねえのか。そんな自分たちの所の民を傷つけて、どうして誇らしげに言えるんだよ」

 

 だが軍装のアーチャーが語る英雄の道理も、緑衣のアーチャーには届かない。

 

 彼は民の祈りに昇華された英霊だ。圧政に対する義賊、民に味方する森の隠者として。

 ある1人の青年が願ったのは、1つの村の平穏だけ。それ以上など求めてもいなかったし、また見えてもいなかった。民草の視線に見えていたものは、村人たちの生活と苦しみだけだ。

 原点となった動機などそんなもの。彼が知る人たちの苦しみを看過できなかったから戦った。国家などという巨大な枠組みで考えた事など一度もない。

 

 あらゆる咎を背負う、それは世界を背負う事と同義。彼にとっては1つの村こそが世界だった。

 軍装のアーチャーが見据えた天下とは、そもそもの規模が違う。それは優劣の差ではなく、性質の問題だ。王と民、2つの価値観は根本的に異なっている。

 

「それこそ自明の事じゃ。何故なら、国の望みと民の望みは明確に異なるのだから」

 

 故に、軍装のアーチャーが語る道理もまた、民草の立場からは視点を変えたものとなった。

 

「確かに貴様の言い分通り、国とは多数の人の寄り集まりによって構成される。民あってこその国であり、民無くしては国も王も成り立たぬのは道理である。

 されど、民の望むところが、必ずしも国意に沿うとは限らん。大半の民にとり、望むところは平穏と、今ある生活の安定となろう。じゃが国にとれば、単なる現状維持とは悪手である。発展の伸び代を失えば、衰えるばかりとなるは必定じゃ。

 民草には動いてもらわねばならん。1人1人の意思になど係っていられるか」

 

 王の立場にある者の視点から見れば、民の存在も国体の一部に過ぎない。

 土台となる骨子であり、重要であるのは理解しているが、故にこそ一部を切り捨てるのも道理となる。

 一を切り捨て、他の十を満たせるのなら、その判断は王として正しい。上座より俯瞰する者として、一部のためではなく全体の利を求める行為にこそ道理があるのだ。

 

「むしろわしなどは、民の側にもよく配慮した王であるぞ。古きを廃し、新しきを築き、様々な者に隔てなく進出の機会を与えた。ただ放任し、搾取するばかりの君主よりも、遥かに民を思うておると自負もある。

 それを知っても尚、貴様はわしという王を否定する気か?」

 

「ああ、否定してやるよ。アンタのやった事でどれだけの連中が救われたかなんざ、関係ねえさ。

 だってなあ、アンタ。民のためにだとか、その手の事なんて欠片も考えてないんだろう?」

 

 2つの異なる立場より話す両者は相容れない。

 その間にある断絶、それを確信して緑衣のアーチャーは明確な否定を告げた。

 

「分かるんだよ。アンタの事を見ていると、その性根にあるもんまで見えてきちまう。何を与えてくれようが、アンタが考えてるのは自分の得だろ。人なんざ道具くらいにしか思ってねえ」

 

「まあ、否定はせぬが。むしろ何故、王が民のためにと動かねばならぬのか、わしからすれば甚だ疑問じゃ。王の役目とは、民に秩序を与え、生きる居場所を築く事。その引き換えにこそ、民草は王にその身命を捧げるのじゃ。

 人を救うなど王の役目ではない。人が人を真に救うのなら、それは己自身の手を以てより他にない。誰かに救われておる時点で、その者は他者の掌中でしかない」

 

 王は人を救わない。人を救えるのは、あくまでその人自身なのだ。

 王の行いとは民の住まう国土を築くことまで。民のためなどと、そんな言葉こそまやかしの戯言だと軍装のアーチャーは断言する。

 

「王に理想など求めるでない。所詮、民草とは立つ場所からして異なっておる。互いの道理に従っておっては、己を支える事さえままならなぬ。

 全ては建前、掲げる旗としてあるだけじゃ。圧政に抗した義賊よ、それは貴様こそがよく承知しておる事ではないのか?」

 

「……へっ、ああ、そうだな。アンタの言うとおり、理想なんてのは建前で、現実の前じゃあ通じない。そんな事は俺が一番よく分かってんのさ。

 ウチのダンナも、その辺をもう少し弁えてくれればって思うよ。ガッチガチの騎士道精神で、理想には忠実にって。付き合わされる俺の身にもなってほしいぜ」

 

 軍装のアーチャーと、緑衣のアーチャー。同じ"弓兵(アーチャー)"のクラスとして現界した英霊二騎は、その性質の中に通じた部分を持っている。

 理想を切り捨て、現実に沿って手段を探る。徹底して実利を求めるその姿勢は、なるほどよく似ている。同類だと言われても、ある意味でその通りだと言えるだろう。

 

 両者にある差異とは、心に未練を残しているか、心底から割り切ってしまっているか、だ。

 

「けどなぁ、ダンナの潔癖さは確かにしんどいが、アンタみたいに開き直って笑っている奴を見てると、なんだか虫唾が走るんだよ」

 

 在り方は同じ。迷いがない分、強いのは軍装のアーチャーの方だろう。

 それでも緑衣のアーチャーは、革新の王の有り様を否定する。現実を割り切り、民草を切り捨て、それこそ道理と憚らない王の姿勢に、真っ向から反逆した。

 

「アンタの言う事は間違っちゃいない。元々俺は英雄なんて器じゃない。ちっぽけなもんしか見えてないし、王サマの道理なんざまるで理解が及ばねえさ。

 ああ、そうだ。知ったこっちゃないんだよ。国のためだのってな、大のために小を捨てるなんて理屈には用はねえ。俺は、その少数のために立ち上がった英雄なんだからな」

 

 緑衣のアーチャー、ロビン・フッドは民衆の祈りから生まれた英雄だ。

 虐げられる民草、奪われ続ける弱者のために立ち上がる義賊。国という強者に抵抗の意志を示す、そのために森の狩人は存在する。

 

 ならばこそ、暴君に対峙するのは自明の理。その答えは必然のものだった。

 

「俺は虐げられる者の剣だ。弱者たちの意地だ。理屈さえ正しけりゃ罷り通ると抜かす、そんなくそったれな連中に一矢報いてやるために、俺の弓はあるんだ。

 それにな、まるで立場の違う俺とアンタも、ここではある意味同じだろ。俺たちはサーヴァント、所詮は死んだ後の亡霊で、何に気兼ねする必要もないんだぜ。

 思い知らせてやるよ。アンタの事が気にくわない。理由なんざそれだけで十分だ」

 

 宣戦を告げる。民のための義賊たる森の狩人として、緑衣のアーチャーは革新の王に対して、鋭く貫くような戦意を向けた。

 

「気に入らない、か。何とも小さな意地じゃが、元より小人の身なれば相応、是非もあるまい。

 よかろう、許す。それなりに興も乗ってきた。せっかくの決闘じゃ、容易く事が運びすぎてもつまらぬ。衆愚の一噛み、その意地をみせるがよい。義賊よ」

 

 この時より、両者は互いを敵だと認識する。

 元より対決が宿命付けられている間柄だが、それを越えた信念の部分で目の前の相手とは敵となるのだと理解した。

 

 決闘の日は7日目。戦端は開かれない。

 それでも、いずれ来るその日を夢想して、二騎のアーチャーは互いの戦意を交わらせた。

 

 

 





 まさかの、アマカッス出番なし。

 決戦までの繋ぎとなる回。
 甘粕は前回よりテンション下がってるので、あまり前には出てきません。

 ダン戦も基本、目線に立つのはダンや緑茶サイドとなります。
 背景の諸事情なども、公開されてる設定から考察して展開しております。
 なので公式とは限りませんので、そこはお間違えのなきように。

 次回で多分、決戦です。アリーナ攻略とかはすっとばしてサクサクいくつもりなので、EXTRA編は大体こんな感じのペースとなります。

 残念ながら10月中という目標を達せられませんでした、無念。

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