もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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2回戦:緑衣の襲撃者

 

 ――巡る景色が浮かぶ。回される記憶のフィルム、主観と客観、2つの視点を共有して。

 

 それは、雪がよく降った冬の夜だった。

 肌寒さを感じていたのを覚えている。日々の中に埋もれるだろう日常の一幕。

 これはそんな記憶。劇的なものはなく、されど確かな印象を残した奇妙な情景。

 

 畳張りの部屋。戸を開けた先に映る雪景色。

 あるのは古風な日本屋敷に和式庭園。傍に控える草履取りの男が1人。

 何も不思議なものはない。主観となる者にとって当然の光景が広がっている。

 気紛れか、雪の冷たさに触れたくなったのだろうか。少し外を歩こうと、草履に脚を入れる。

 

 ……かすかな違和感が、そこにはあった。

 

「そこな小者」

 

「はっ、いかがなさいましたか」

 

「うつけ者めッ! 貴様、主の草履番を勤めながら、尻の下にでも敷いておったのか!?」

 

 怒声を上げる。しかし態度とは裏腹に、声の主は内心では大した怒りを感じていない。

 主君として示すべき厳格な罰と恐怖の意識。慈愛の徳ではなく、鉄血の厳しさあってこその規律。その規律があってこそ人の集団とは強くなると知っていた。

 血風吹き荒れる戦国世。功徳よりも畏れこそが尊ばれる動乱の時代、律するべきは兵のみに非ず。あらゆる立場に甘えを許さず、緩みが見えたなら締め上げる。

 だから、この小者の男が特別だったというわけではない。組織の長として緩んだ部分を締め直す、行動の意味としてはそれだけだ。仮に他の者が相手でも同じようにしただろう。

 

「いえ、お館様。それは誤解にございまする。畏れ多くもお館様のお御足に敷かれた履き物を、あろうことか尻に敷くなどと、そのような勿体な……もとい、忠義に泥を塗るが如き愚行は誓ってないと断言いたしまする」

 

 だからこそと言うべきか、その返しは予測していたものとは違っていた。

 

 元より草履程度のことである。さして厳しすぎる沙汰を下すつもりはない。

 打擲のひとつでも加えて済ませるつもりであった。過度に与えすぎる恐怖は離心に繋がる。緩みを糺す意味合いでは、その程度で十分だろうと。

 それは合理に沿った上での判断だったが、男の反応はこちらの思惑と異なるものだった。

 

 見返してくる眼には力があった。

 たかが小者の身でありながら、主君の叱責を恐れていない。

 むしろ広く澄んだ瞳には、こちらの思惑さえも見透かしているような聡明な光があった。

 

 興味が沸いた。仕える小者の1人でしかない、この男に。

 

「ほう。なにか申し開きがあるというのか?」

 

「左様にございまする。この雪降る寒空の下、お館様の麗しきお御足が冷えてはいかんと愚考いたしまして。畏れながら拙者の懐に納めて暖をとっておりました」

 

 自ら懐を開けて草履の跡を表す男。嘘か真かはともかくとして、堂々とした態度はなかなか見事だった。

 ひょうきんで人懐っこく、端々から滲み出る陽気さは好印象を受けやすい。自尊を主とする従来の武家衆には見られない特徴だ。

 

 ほんの二、三言の会話だけで、これだけの好感を抱いている。

 使い分けもできるのだろう。相手によってより良い態度を選り分けられる類いだと判断した。

 誰にでも出来ることではない。恐らくは本人の素養によるものだ。こうした才覚は、人を使う上で有用なものとなる。

 

 それはそれとして、もうひとつ。どうにも気になっている事を尋ねてみる。

 

「なるほどのう。ならばもう一つ、どうにも草履が湿っておるように感じるのじゃが、これはどうした訳じゃ?」

 

「ははっ、お館様の草履を懐におさめましたところ、残り香を堪能するばかりでは辛抱堪らず、思わずペロペロしておりました――げぶうッ!」

 

 前言を撤回する、やはりこいつはただの阿呆かもしれない。

 

「なんとしたことか。小者だと思っておったが、よもや色情に狂った猿だとは」

 

 即座に草履を履き捨て、その喉仏に爪先蹴りを見舞う。

 更にその頭を踏みつけてやった。雪の積もる地べたへと男の顔面が叩きつけられた。

 

「そらどうじゃ。申し開きはそれで終わりか。ええ、猿が?」

 

「げほっ、は、ははっ! お館様に足蹴にされたばかりか、こうしてお御足で踏んで頂けるなど、もはや拙者の魂魄は天にも昇る心地にござるぐげぇ!」

 

「本能に忠実か、まことにケダモノよな」

 

 踏みつける力が強める。あまり罰にはなっていないようだったが。

 やはりこの男と話していると妙に毒気が抜かれる。感じられた才覚に間違いはない、天性の人たらしとも呼べる素養は本物だ。

 

 ――が、しかし、それで許すかは別の話である。

 

「であれば下すべき沙汰も決まっておるな。主に発情する畜生ならば斬り捨てねばなるまい」

 

 刀を手にし、足蹴にした頭に白刃を突きつける。

 首筋へと触れさせる刃。その気になれば即座に首を撥ね飛ばせる。

 

「貴様の達者な口先に免じて、最後に申し開きの機会をくれてやろう。わしにこの首を撥ねる事を思い止まらせてみせよ。その命を惜しむに足る何か、持ち合わせはあるか?」

 

 告げた言葉に嘘はない。ただ同時に、幾分かの期待も混じってはいた。

 所詮は雑用の小者の1人でしかない。主君への不敬と手討ちにしたところで問題はないのだ。

 それでもこうして機会を与えるのは、惹かれる部分がある事の証左だろう。果たして何を言い出すのかと、楽しみにする感情があるのは否定できない。

 無論、裁定を緩めるつもりはない。目を掛けてやるには相応のものを発揮する必要がある。出来なければ斬り捨てる事にも迷いはなかった。

 

「ならば、日輪を」

 

「なに?」

 

「ここでお目零しいただ首に代わり、拙者からは日輪の光を捧げまする。あまねく天下を照らす陽として、お館様のご威光となりましょうぞ」

 

 そして小者の口より吐かれた言葉は、やはりこちらの思惑の上をいく大言だった。

 

「未だ拙者はさしたる得手も持たぬ小者の身。されど陽とはやがて昇るもの。必ずやご満足いただく功を為し、お館様の天頂へと駆け上りましょう」

 

 力の緩んだ足下から振り向いて、男がこちらを見返してくる。

 

 陽気な笑顔、真っ直ぐに前を見据えた眼差し。大言を疑わず、若い情熱に満ちた晴れ晴れとした顔がそこにはある。

 瞬間、己の眼は光を幻視する。背に負った大輪、燦々たる輝きを放つ日輪の威光。陽の如く天へと昇る未来の夢想を、他ならぬ目の前の小者の男から感じたのだ。

 

 まるで先の言霊が力を発したように、錯覚と知りながら無視も出来ない。

 目の前の男はただの草履取り、粗末な格好と生傷が目立った単なる下働きに過ぎない。

 語った大言など妄言の類いである。しかしそうと分かっていながらも、それだけではない何かをこの男は感じさせるのだ。

 

 夢想を信じず、現実のみを見据える、この(わし)を。

 何一つの根拠もなく、大言壮語の絵空事で、この男は説得してみせた。

 

「……貴様、名を申してみよ」

 

 この男こそ、己に夢想を信じさせた唯一人の人物。

 非情なる王道とは異なる、人と人とを結び天へと昇る絆の人道。

 最下層の身分より駆け上がり、遂には日ノ本の天下を握った日輪の英雄。

 

 この男の名は――

 

「――木下藤吉郎と申します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。過ぎ去った時代の軌跡、その片鱗を垣間見たようだ。

 

 魂のみが行き来する電脳世界において、魔術師(ウィザード)たちは夢を見ない。

 そもそもSE.RA.PH(セラフ)に居る現状そのものが、夢を見ている状態に近いのだ。夢の中で更に夢を見るなど本来ならば有り得ない。

 

 例外があるとすれば、契約によって接続されるサーヴァントの過去の記憶。

 世界に刻まれた彼らの記録を、夢に似たカタチを取って情報流入が行われるのだ。

 正しい夢の在り方である経験が生み出す夢想ではなく、過去に存在した確かな事実。アーチャーの、織田信長という英雄の持つ風景の1つなのだ。

 

 かつての在りし日々に思いを馳せる。切り取られた一幕は、未だ届かぬ高みを目指す英傑たちの勇進だ。

 英霊とは最初から完成されたカタチではない。彼らには過去があり、生前は自分たちと同様の人間である。その軌跡があればこそ、完成した英霊としての器が形成される。

 アーチャーも、登場したもう1人についても、やがて天下太平に轟く英雄として名を馳せる。その結果を知ればこそ、歩みの過程にあるであろう難関辛苦、それを乗り越えた彼らの意志に尊敬を感じずにはいられない。

 甘粕正彦はそれが好きだ。いずれ大いなる光へと至る未完の灯、途上にある英雄たちの情景を計らずも堪能し、その心は感動すら覚えていた。

 

「心、ここに在らずじゃな。らしくない風を晒しておるのう、正彦よ」

 

 銃撃の轟音と共に、アーチャーの声がそれを諫める。

 彼女が見据える先に映るのは、屠られていく敵性情報体(エネミー)の群れだ。

 

 ここは迷宮(アリーナ)。聖杯戦争も二週目の日数を数え、現在は2回戦の準備期間(モラトリアム)

 1回戦と同様に、マスターたちは暗号鍵(トリガー)を求めて迷宮(アリーナ)へと降り立っている。それは誰一人も例外に漏れる事はなく、甘粕らもまた試練(タスク)に挑んでいた。

 最上位の実力を持つ彼らのこと、襲いかかる情報体(エネミー)を問題なく蹴散らして、奥へ奥へと歩を進める。その過程はもはや消化に等しく、この段階で躓く要素があるとは思えない。

 

 それでも、ここは戦場だ。思案に耽り上の空と、そのような無防備が許される場所ではない。

 

「ふむ、そう見えるのか? 俺が戦場で緩んでいると」

 

「そこまでは言わぬがのう。凡百と同じく見るならば、これしきを緩みとまでは言うまい。

 じゃが、常より全霊以上を懸けて臨む男が、九分九厘の力にまで落としておれば、それも異常と言えるじゃろう。つまらん手間は省いておく越した事はあるまい」

 

 指示にも問題はなく、魔力の巡りも十分だ。常人ならば十全の調子と呼んでも過言ではない。

 だが、それが甘粕正彦ならば、少々事情が異なる。十分どころか十二分にも満ち溢れた様を常態としているのが甘粕という男だ。彼にとっての十全は、それだけで不調に該当する。

 

 高揚が別の方向に向いている。その様は浮ついていると言うべきか。

 僅かながらに心が乱れている。脳裏には別の思案が入り込み、集中力を欠いている。今の甘粕の様子を表現するなら、そんなところだった。

 

「そうか。どうにもおまえに気を遣わせてしまったらしい。これは俺の落ち度だな。

 なに、そう大したことではない。まだ見ぬ光たちに少々思いを馳せていただけさ」

 

「……ふむ、察するに、此度の対戦者の事か? 何やら既知の相手のようじゃったが。

 知己故に思うところでもあるのか? 因縁があるならば、清算して臨むべきじゃろうが」

 

 2回戦へと突入し、すでに3日目となっている。

 次なる対戦相手の名前も告知されたが、未だアリーナ内でも対面を果たしていない。

 その名前に対し、些か趣きの異なる反応を甘粕は示していた。何処か懐かしむように、されど戦意を漲らせて対峙すべき者の名を見つめていた。

 

 その様子からアーチャーは察していた。今回の相手は甘粕にとって知己であると。

 

「無論、そちらについても楽しみではあるがな、今はまた別の事だよ。

 この聖杯戦争には数多の時代の英霊たちが参戦している。その誰もが人類史に己の名を刻んだ勇者たちだ。そこには俺もまだ知らぬ輝きがあるのだろうと思えてな」

 

 すでに半数が脱落してしまった事が残念でならんよ、と。甘粕は話を締め括った。

 

「今さら何を、そんなものは初めから分かっていた事じゃろう」

 

「いやなに、今朝は特に夢見が良くてな。俺も少しばかり感傷に浸っていたのだよ」

 

「夢? なんじゃ、わしの過去でも垣間見たか?」

 

「勝手に覗き見たことを怒るかな? 事前に許しがもらえたならそうしたが、なにせ夢だ。己で見ようか見まいかの判断は出来んのでな」

 

「いや、構わぬ。今更見られて困るものでもなし。しかし何を見たのやら。ああ、言わなくとも良いぞ。単に明かされてもつまらぬしの。まずはそなた自身の所感から聞かせてみせい」

 

「輝きの発露、英雄という存在の日の出。人であるならば如何な英傑とて未熟な時分があり、非力な己がいる。だが真に英雄と成り得る者は、そんな中からでも己の光を打ち立てられる。

 産まれ持った権威、与えられた力、それらが如何に強大であったとしても、それだけしか持たない者は結局凡愚の群れと大差はなく、英雄の器には程遠い。

 改めて、その事を認識したよ。興奮冷めやらぬという具合だ。やはり"英霊(おまえたち)"は素晴らしい」

 

 サーヴァントとは、すなわち英霊。人が夢見た輝きの姿。

 人が示す価値を、正義を、人理を担った彼らという存在は、甘粕にとって敬うべき対象である。

 たとえそれが過去の人物の再現に過ぎないとしても、そこにある意志が本物ならば敬意を表すことに躊躇いはない。偉業を成した先人の魂を、甘粕は心から尊敬していた。

 

 通常、月の聖杯戦争を戦い抜くなら対峙するサーヴァントの数は7体。

 しかし出来ることなら、より多くの英霊と、その輝きと触れ合いたい。芽生えたその感情は目的ではなく願望に近かった。

 

 そのような甘粕の性質をアーチャーも理解してきている。だからこそ肩を並べる同胞として、その直情を諫めるための言葉をかけた。

 

「なるほど、おまえが何を垣間見たのか、大筋のところは見えたのう。ならばわしから言う事は、そのような期待も時には過ぎたものじゃと言う事じゃ。

 如何にその偉業を讃えられようが、所詮はそやつらも人、この欲界の住人の一人じゃて。どれほど輝かしい陽光の価値を示したとて、いずれ光とは――――」

 

 言いかけて、止まる。進めていく先に、目的とするものを発見した。

 ひとつ目の暗号鍵、第一暗号鍵(プライマリトリガー)。決戦に向かうため、必要な暗号鍵の1つがそこにあった。

 

「……何事もなし、か。対戦者は息を潜めておるのか、それとも――――」

 

 道中にも配置されたエネミーがいるだけ。妨害らしい妨害もない。

 情報を納めるキューブを解錠する。展開された立方体内より現れる暗号鍵(トリガー)。容易というならあまりに容易に、甘粕たちは第一の鍵を手に入れた。

 

 ――異常事態は、その瞬間に起こった。

 

 空間が切り替わる。今さっきまでの場所では既にない。

 もはやここは敵の懐、こちらの首を刈り取るために整えられた狩猟場なのだと理解する。

 

「で、あるか。此度の敵は息を潜める獣ではなく、罠に嵌めて刈り取る狩人のようじゃな」

 

 大気を包み込む濃密な殺気。

 単なる気配だけのものではない。実際の空気自体にも異常をきたしている。

 頭痛や眩暈、失われていく平衡感覚。その他にも次々と発生する身体異常。

 即座に楯法で持ち直す。次いで解法にて事象の解析を行い、その正体を理解する。

 それは、毒。大気中に散布された毒素こそがその原因。明確にこちらを害する意図を持ったそれは、敵サーヴァントによるものなのは明らかだ。

 

 互いに臨戦体勢へと移行する。その判断はどちらも早い。

 先までも浮ついた様子もすでに無い。いざ戦場へと身を置けば意識は眼前の事態へと集中した。

 

「支障はなかろうな、正彦」

 

「ああ、問題ない。さほど強力な毒というわけでもないようだ。この程度ならば俺だけでも十分に抵抗(レジスト)できる。だが曲がりなりにもサーヴァントの用いる毒ならば、こうして身に浸しているのは得策とは思わんがな」

 

 毒の症状は重くない。少なくとも即座に死に至る類いではないと判断する。

 むしろ特筆すべきは隠匿性か。如何なる術策を使ったのか、ここに至るまでまったくその存在に気付かせなかった事は驚異としか言い様がない。

 だからこそ即効性が薄いのだとも考えられるが、このまま放置しておけるものではない。毒は今も身体を侵し続けている。それが如何なる効果を発揮するかは未知数なのだから。

 

帰還手段(リターンクリスタル)も反応しない。どうやら何らかの妨害が為されているらしい。元より使えたとしても、その隙に何もないとは考えづらいが。ここまでの大仕掛けだ、様子見だけで終わらせはすまい」

 

「ふむ。ならば主よ、この事態を何とする? 宣した言葉に則るならば、敵の如何なる策謀とておまえは真っ向より粉砕するのじゃろう。これもまた試練として、思惑に乗せられたまま仕掛けてみるか?」

 

「まさか。そこまで暗愚に落ちるつもりはない。考えなしの阿呆になった覚えは無いさ。

 これは決闘なのだからな。試練のため、時に己の利さえ捨てる事にも躊躇いはないが、勝負の趨勢を決めるのはあくまで互いの采配であるべきだ。いらん有利を与える気は毛頭ない。

 奇策は使わん。だがこちらから奇策に嵌ってやる義理もない。やるのなら徹頭徹尾、自らの知謀でやってもらわねばな」

 

 こうした手合いを卑劣だと批難するつもりはない。

 戦争なのだ。如何なる手段を用いてでも勝利を求めるのは当然のこと。

 むしろルール破りのリスクも怯れず非情の策に打って出る気概に感心するほどだ。是非とも容赦のない策略で追い詰めてほしいものである。

 

 だが、ならばこそこちらも容赦はしない。

 あらゆる術策を想定して、全力を以て叩き潰そう。元よりそれさえ超えられない意志ごときに敗けてやるつもりは微塵もないのだ。

 

「仔細を任せる、アーチャー。稀代の軍略家たるその手腕、俺に見せてくれ」

 

「抜かしおる。策とは仕掛けて嵌めてこその策。その仕掛けを封じた時点で、こちらの手札は半数以上を削がれたにも等しいというに。己ばかりか従者にまで試練を課そうてか」

 

 期待を向ける甘粕の眼差し。アーチャーが漏らすのは辟易したような溜め息だ。

 結局、この男にとってはノリなのだ。試練と称して自身の打つ手を制限し、その困難を喜んでいる。

 通常あるべき勝算や戦略がこの男には通用しない。采配などと言っても、己に縛りをかけている時点で敵に利を与えているのは確かなのだ。

 

 まったく、やりづらい。この男の在り方は自分のそれとは明確に異なっている。

 

「そのような有様ではそら、用いる手立ても頭の悪い火力万歳じゃて」

 

 言うが早いか、アーチャーは空間に大量の種子島を出現させる。全方位、三次元のあらゆる方面を照準に収めた、自己を中心とした銃列の陣。それらが一斉に号砲を轟かせた。

 吐き出される銃弾の雨。大量の物量は嵐のごとき暴威と化して周囲を蹂躙、果断のない破壊をアリーナにもたらした。

 嵐の後に刻まれたのは、見渡す限りに広がる破壊跡。蹂躙の爪痕は確かなものとなって目視される。そこに隠されていたものも、総てが強引に浮き彫りにされた。

 

「さて、策とは一つきりで用いるものではない。二重三重と用意して、内一つにでも嵌れば良しとすべきもの。ただひとつのみの策に賭けるなど、博徒の熱狂とさして変わらん。

 少なくともわしならば、仕掛けをひとつで済ませはせぬ。隠された罠の類いを潰すなら、結局はこういうやり方が最も手っ取り早いのでな」

 

 毒素以上に硝煙を漂わせる空間には、もはや罠の痕跡はない。

 物理的な破壊で無力化できるものばかりではないかもしれないが、仕掛けた場そのものを崩された以上、その存在は浮き彫りになり機能も低下させられるだろう。

 乱暴ながらも効率を求めた一手。軍略家としての彼女の思考に緩みはなかった。

 

「敵が動くを待つは二流の技。一流の策士とは敵を動かすものじゃ。そういう手合いを相手にし、素直な手筋を選ぶのは上手くない。ひとつひとつ可能性を潰していきながら、悠々と参るとしようかの」

 

 歩き出すアーチャー。進行の先に対しても容赦なく破壊を撒き散らしていく。

 遠慮も容赦も欠片たりとて見せずに銃火の洗礼を加えていく覇軍の将。彼女の歩み行く道を喜悦を浮かべて眺めながら、甘粕もその後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動き出した"獲物"を視る。研ぎ澄まされた狩人の眼は、捉えた標的の一挙一動を見逃さずに把握していた。

 

 未だに標的がこちらに気付いた様子はない。気配察知系のスキルは無いと見て良いだろう。

 先ほどの掃射による処理には内心舌打ちしていた。ああいう対処をされると、地形に張るタイプの罠はほぼ潰されたと見て間違いない。

 あくまで目視からの印象だが、あのサーヴァントには自分と同質の気配を感じていた。名誉や誇り、尋常な決闘といった価値観を持たず、非道の策でも実利を得る事を優先する。

 同類だからこそ、手の内も読まれてくる。策に嵌めるためには相手の先手を取らなければならない。その先読みが、あのサーヴァントだと難しい。正直に言えば苦手な相手だった。

 

 やはり厄介だ、1回戦の時のように上手くはいくまい。

 サーヴァントもそうだが、何よりあのマスターが問題だ。人間だとは信じ難いほどの性能(スペック)。下手な戦い方でやり合えば英霊の自分とて討ち取られかねない。

 あの組合せに限り、マスターという足枷が機能していない。自分のように闇討ち狙いのサーヴァントにとって、これほどに厄介なものはなかった。

 

 そうした此度の対戦相手の戦力を改めて鑑み、この方策は間違いではないと再度確信する。

 

 あれらを相手に正面決戦は無謀だ。準備期間(モラトリアム)中の暗殺か、そうでなくとも最低限戦力を削り落としていかなければ勝機はない。

 そのための準備は行ってきた。先回りして工作を行い、既に多数の罠を迷宮(アリーナ)内に張り巡らせてある。わざわざ最深部の暗号鍵(トリガー)取得まで待ったのだ、この好機は逃せない。

 

 賛美されるやり方でないのは分かっている。こういう己の性質が、英霊としての格を落としているという事も重々理解している。

 それでも、勝つためならばこれしかない。たとえ納得されなくても、自分にはこのやり方しかない。それを弁えているからこその闇討ちなのだ。

 

 自らの陣営の勝利を目指す最上の一手として、見えない衣に包まれた襲撃者は行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 罠の巣窟と化している迷宮(アリーナ)を、アーチャーと甘粕は悠然と進んでいく。

 互いにダメージの跡は無い。仕掛けられた罠のどれもが彼らに傷を負わせられずに終わっていた。

 

 周囲を見渡せば、そこにあるのは銃火による弾痕に染め上げられたアリーナの姿。

 ほとんど無差別破壊にも等しい有様だったが、張本人にそれを気に掛ける様子は見られない。

 元より壊して困るというわけでもない。そもそも壊れている箇所自体が、あくまで表面上の構造体に過ぎない。サーヴァント同士の戦闘を行うための場が、これしきの雑多な攻撃程度でどうにかなるはずもなかった。

 捲り上げられるのは表層のみ。だからこそ、この破壊には意義がある。深層になればなるほどに構造体の情報強度は上がる。罠などの外部からの細工なら、やはり表層部分に仕掛けられる事になるのだ。

 

 気掛かりとなるのは、やはり毒の方だ。

 今のところ異常は起きていない。問題なく抵抗(レジスト)できている。

 むしろ奇妙なのがその点だ。仮にも英霊の力によるものが、こうも容易く防げるとは考え辛い。

 空気中に滞留する毒素を完全に遮断する手段はない。幾分かは体内に混じっているし、僅かながらの影響も出ている。今は無視できる範囲だが、放置しておけるものではない。

 

「さて、アーチャー。改めて問うが、おまえはこの相手をどう見る?」

 

 現状を認識しながら、甘粕は共に歩を進めるアーチャーへと問いを投げる。

 

「順当に見るなら"暗殺者(アサシン)"、次点で"魔術師(キャスター)"の仕業と見るべきじゃろうな。真名まで当たりを付けるには、流石に情報が不足しておるの」

 

 古来より、毒を用いた英霊は数多くいただろう。その毒をもって権力者を、ひいては国家の権威に仇なした暗殺者。あるいは毒で人を惑わし己の領地に迷い込ませる魔術師か。

 候補と成り得る英雄は幾人もいる。共通して言えるのは、正道の英雄ではないことか。

 

「が、この毒と罠仕掛けの手並みは魔術師のものとは思えん。俗世を外れ神秘を尊ぶ魔術師どもにしては、特有の陰湿さが感じられん。これはわしによく似た実利を求めた手合いじゃろう。

 故に、わしが本命と見るのは"暗殺者(アサシン)"のサーヴァントじゃ。そう睨み動いておる」

 

 魔術師という人種は、神秘の御業である己の魔術に自負を持っている。

 まして英霊にまで至った者ならば、魔術に懸ける自尊も相当なものだろう。故にこそ、自らのやり方から外れようとは決して思わない。

 それは彼らにとっての生き方にも等しい。魔術という超常を操るからこそ、魔術師は魔術そのものに縛られている。

 

 だがこの場にある仕掛けには、そうした魔術師特有の自負が感じられない。

 毒も罠も、ここにあるのは単なる手段。敵を仕留めるための道具に過ぎないと、そのような使い手の思考が見えてくる。それはアーチャーと同じ、幻想に惑わず現実を重視する在り方だった。

 

「ふむ、クラスについての見解は分かった。ならば"宝具(チカラ)"に関してはどうだ?」

 

「なにせ片端から潰しまわっておるからのう。罠の性質など確認のしようもない。

 むしろわしとしては隠蔽の方に関心が向くな。これだけの罠を悟らせず、アリーナ中に仕掛けた手際、何らかの隠形の宝具でなければ考えづらい。敵を探るならばそちらからだと思えるがの」

 

 未だに実像が見えてこない襲撃者。敵についての論議を交わしていく内に、2人は広く開けた空間に辿り着く。そこにあったものに、2人は否応なしに注視させられた。

 樹木だった。空間の中心、アリーナに根を張って一本の樹木が生えている。アリーナの外観から外れた植物的な構造体は、本来ならば有り得ない異物である。

 そして毒素の濃度も、ここまでとは比較にならないほど強い。もはや隠そうとすらしておらず、この樹木こそが毒の発生源であるのは明白だった。

 

「木、か。それとも森か。それ由来の毒の使い手となれば、その名も絞れてこよう。

 結界の基点としては随分と分かりやすい。これも誘いと見るべきじゃろうな」

 

 呟きながら、背にする空間に出現させる種子島。並べられた銃列が先の樹木へと狙いをつけた。

 

「で、正彦よ。そなたはどう考えておる? この問いを投げたということは、そなた自身の考えもあるのじゃろう。そなたの眼から、この相手はどれと見える?」

 

 掃射の寸前、投げかけられたアーチャーからの問いに、甘粕の脳裏には1人の男が思い浮かぶ。

 

 ムーンセルにより選定される英霊とは、召喚主であるマスターの性質と近しい者、あるいは相性が良い者が選ばれるという。絶対とは言えないだろうが、主従には共通する何かがあるのだ。

 甘粕は知っている。己が戦うことになるマスターの来歴、その血と硝煙に満ちた行程を。"あの男"ならば、なるほどこうした英霊が喚ばれる事にも納得がいく。

 英雄の正道から外れた非道、魔術師らしからぬ実利を求めた術策も当然のものだ。幾多の鉄火の戦場を渡り歩いた者にとって、これこそが戦いの現実と呼べるものなのだから。

 

 ならばこそ、自分が戦うに足る価値がある。

 かつて受けた痛手を思い出し、不思議な予感を以て甘粕は答えた。

 

「"狙撃手(アーチャー)"」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして訪れた好機を、彼は逃す事なく狙い定めた。

 

 弓につがえる矢。慣れ親しんだ得物の感触は、己が何者なのかを思い出させる。

 そのクラスはアーチャー。不可視の中に隠れ潜む者の正体は、剣も槍も届かぬ間合いより敵を射殺す弓兵である。

 見えざる先から毒と罠と張り巡らせ、動きを封じた上で必殺の一矢を見舞う。弓兵の中でも全うなものではなく、性質だけで問うならば"暗殺者(アサシン)"の方が適格だろう。

 

 弓兵は理解している。自らが弱兵である事を。

 地の果てまでも届かせる射程は無い。放たれた矢が敵を何処までも追い詰める秘儀も無い。如何なる肉も鎧も射ち貫く威力など持ち合わせない。

 能力値は平均台、宝具のランクは下位に当たる。英霊としての格を問うなら、はっきり弱いとさえ断言できる。間違っても己の武威を頼みにして、真っ向勝負で勝ち抜ける大英雄の類いではない。

 必殺必中など夢のまた夢、自分の弓にそんな力はない。あるのは狡い手段で嵌めて射るだけの、寒々しくて泣けてきそうな現実論だけだ。

 

 それでも、この得物こそが自分という英霊の"宝具(シンボル)"なのだ。

 数多の騎士を、勇猛を謳う豪傑を、侵攻する軍団さえも、この弓を頼りに仕留めてきた。

 築いた伝説は嘘じゃない。卑劣外道であるのは百も承知、だからこそ必殺足り得る手段となる。

 

 仕込みは済んだ、勝算はある。

 手にするのは緑色の石弓(クロスボウ)。腕に直接備え付ける形の小さな弓は、英霊の武具というには何とも心もとない。

 だがそれも、条件さえ整ったなら宝具の名に相応しい力を発揮する。そして状況は、既にその条件を満たしていた。

 

 勝利への覚悟を込めて、彼は引き絞られた弦を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開始される一斉射。殺到する無数の銃火が樹木を蹂躙する。

 それを耐え凌げる強度はない。銃弾に容赦なく穿たれて、樹木は残骸と化して崩れ落ちた。

 

 その直後を狙われる。攻撃後に発生する弛緩、刹那の間隙を捉えて一本の矢が飛来した。

 

 音もなく、気配もない。一切の存在を殺した一矢は、紛れもない奇襲の一撃。

 長い射程よりも短距離での暗殺に特化した一矢は、威力も速度も伴わない。人からすれば絶技でも、英霊としては凡夫の芸だ。

 故にこそ不意打ちが前提となる。体勢の硬直、意識の間隙、それらを捉えた静かなる狙撃は、弓兵の英霊が放つに足る必殺必中の一矢となる。

 

 だが裏を返すなら、それは真に不意をついた奇襲でなければ通用しない事も意味する。

 乱世を生き抜いた革新の王。数多の殺意に狙われ続けた生涯は、その経験と共に有り様として五体の隅々にまで刻まれた。

 狙うべき機はいつか、警戒すべき刻はどこか。暗技を用いる襲撃者と同様に、彼女もまた闇の心得を熟知していた。

 

 抜刀しながらの剣撃一閃。剣士(セイバー)の技であらずとも、戦場にて練磨された剣理は大将首を容易く獲らせる事を良しとはしない。

 飛来した一矢は跳ね返されて、何にも届かず無に消える。まさしく予見した通りの結果に、アーチャーはほくそ笑んだ。

 

 されど、それで終わらぬからこそ弓の英霊の技。

 初撃の一矢の陰、引き寄せた意識の死角に潜み、本命たる第二の矢が現れる。

 その標的はアーチャーではない。その傍らに立つマスター、甘粕正彦に二の矢は飛来した。

 

 聖杯戦争の渦中において、マスターとは同胞であると同時に足枷だ。

 英霊であるサーヴァントと、魔術師とはいえ所詮人間に過ぎないマスター。どちらがより倒しやすいかは議論を待つまでもない。そしてマスターとサーヴァントは一蓮托生。

 主従にとってマスターとは弱点である。人と英霊の格差が厳然と存在する以上、それは常識にも等しい。マスター狙いは、聖杯戦争の常道(セオリー)と呼べる戦術だった。

 

 ならばこそ、この場においてその理は適用されない。

 常識を覆す者、人と英霊の格差さえ飛び越える稀代の益羅男、並の人間と同じ計りに乗せられないのは道理である。それが甘粕正彦である限り、弱点とはなり得ない。

 自身へと迫る二の矢に甘粕は反応する。抜き放った軍刀を振るい、英霊の放った矢を超絶の技量で叩き落とした。

 

 陽動の一の矢、本命の二の矢。

 主従の両者を狙った奇襲は失敗に終わる。アーチャー、甘粕、標的は共に健在。

 そして、その代償は安いものではない。未だ見抜かれない隠形という利点、存在を把握されていない襲撃者側のアドバンテージは狙撃を行った時点で無に帰った。

 無論、狙撃した射手とていつまでも同じ位置には留まっていない。不可視の衣は解かれておらず、その姿を視認する事は今も不可能。正確に標的を定められるわけではなかった。

 

 しかし、ここに立つアーチャーは射手に非ず、銃火の物量を以て進軍する将である。

 

 火縄銃列、並び立つ銃口より放たれる一斉砲火。

 その総数を更に増した大火線は、標的の視認の有無など関係ない。圧倒的な物量より繰り出される銃弾の雨は点ではなく面を穿つ。

 砕かれる地形、破壊と共に轟音が鳴り響く。降り注がれた弾幕により、周囲ごと巻き込んで起こされる大規模破壊。狙われた範囲は悉くが蹂躙された。

 

「――手応えはあれど、浅し。退き際に抜け目なしか。見事じゃが、いよいよ正道とは縁遠いな」

 

 砲火の後の破壊跡に敵の射手の姿は見えない。

 目には見えずとも居た事は間違いない。降り注がれる銃火の中、漏れ出た敵の気配を確かに感じ取った。

 また同時に仕留めたとも見做さない。歴戦に磨かれた戦術眼は、相手の撤退を見抜いていた。

 

「是非もなし。晒した手筋は多く、仕掛けの労苦を考えれば悪くあるまい。出来れば姿格好も目に入れておきたかったが、無傷の成果ならば上々かのう」

 

 罠や毒などの手段を得手とし、隠形を可能とする宝具を持ち、木か森に由来する伝承を出自とする、弓使い(アーチャー)のサーヴァント。

 これだけの『情報(マトリクス)』があれば候補もだいぶ絞り込める。確実だとはいえないだろうが、その戦い方や宝具の性能を知れたのは小さなものではない。

 初戦の小競り合いの成果としては悪くない。滑り出しとしては上々であると、アーチャーは自陣の優位を確信していた。

 

 故に必然、そこに生まれるのは僅かな緩み。それは歴戦の勇者とて例外ではない。

 どれだけ精神を鉄としようとも、終わりと感じた心には安堵が生じる。終わった物事に対して人は警戒を下げるのだ。

 敵は退き、趨勢を見れば事実上の勝利と呼べる結果。まだ序盤で慢心は禁物だと分かっているが、この場に限っては終わったものとアーチャーも甘粕も判断した。

 

 まさしくその間隙をついて、真に秘蔵された"三の矢"が襲いかかった。

 

「うぐ、あぁ……?」

 

 気配なく、音もない。それどころか衝撃すら僅かなもの。

 襲った矢の正体は、腕に刺さった小さな棘。サーヴァントはおろか人間さえ殺せない代物だ。

 

 だというのに、膝をつく。猛悪な不調の数々が、甘粕正彦の身に発生していた。

 鈍痛、倦怠と嘔吐感。その他様々な毒の症状が湯水の如く湧き上がり、その勢いは留まるどころか増すばかりだ。

 抵抗はしているのだ。この毒が先の棘によるものならば、相応の対処を即座に行っている。

 だが、止められない。身体の各所で連鎖する毒性は、ただ新たに発生したと見るには多彩すぎる。まるで潜伏を経た数多の毒が、何かを切っ掛けとして一斉に発症したかのように。

 

 直感する。己は対処を間違えたと。

 単に矢から与えられる毒ではない。その効果の真髄は別にあるのだと理解した。

 

「正彦!? くっ、隠者風情が、このわしを出し抜くとは味な真似をしてくれる!」

 

 屈辱を滲ませアーチャーが睨むのは、先ほどに破壊した樹木の残骸だ。

 毒の発生源と目された敵の仕掛け、故に放置するという選択はなく、破壊を仕掛ける瞬間を狙った奇襲からも囮としての役割を担っていたと判断できた。

 だからこそ、これは既に終わった仕掛け。そうと信じ込ませたが故の油断、心理に生じた死角を突いた最後の仕掛け、第三の矢を避ける事はできなかった。

 

「動けるな、正彦。これしきで終わるそなたではあるまい。そんな事はわしが許さぬ」

 

「……ああ、当然だ。終わってたまるものかよ。まさしくここからの奮起こそ、俺が望んでいる事だろう。倒れてなどいられるか」

 

 結果を見るなら、両者共に痛み分け。互いに手の内を晒し、手傷を負わされた。

 やはり尋常な敵などいない。この聖杯戦争に集った者たちは、誰もがその胸に強い意志を携えた勇士である。1回目の戦いを経た今、その傾向は益々強まっているだろう。

 受けた毒は軽くない。立ち上がる事さえ苦痛なほどだ。不覚と感じていないわけではない。だがそれ以上に気概は熱く燃え上がっている。

 

「むしろこの辛苦を喜ぼう。やはり今回の相手は強者だ。俺にとっての試練に足る。それを乗り越えて、俺は新たなる輝きを掴もう。俺の信念に従ってな」

 

 二の足で立ち上がる。毒の不調は全身に響いているが、全て気合で抑え込む。

 これこそ甘粕正彦の真骨頂。理屈を無視し、道理を無理でこじ開ける意志が生み出す底力。毒のひとつで立ち止まるほど、その信念は柔ではない。

 歩みを踏む様には不調など感じさせない力強さに満ちている。アーチャーを伴い、敵手の消えたアリーナより彼らは悠然と去っていく。

 

 そうする甘粕の心中には、受ける辛苦以上の高揚の炎が灯っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――施術、終了。出来る限りの処置は終わりました」

 

 校舎内の保健室。参戦者たちが利用できる治療施設、そのベッドで眠る甘粕を指して健康管理AIであるカレンは告げた。

 

「概念は不浄の誘発。対象となった者の体内にある毒素を瞬間的に増幅させて、その効果を流出させる。単体としては毒性はなく、威力にも特筆するものはないわね」

 

「それ故にそのものは魔力も薄く、威力を求める必要がないために針のようなか細いものでも十分な効果が期待できるか。隠者風情が、まことにしてくれるわ」

 

 今回の相手の策略を改めて思い知り、アーチャーは舌打ちした。

 

 全てが術中、結果を見れば敵の敷いた策の通りに事は進んだ。

 始まりの切欠となった毒の結界。あれの発動からしても策略の内であったのだろう。

 それ単体で仕留めるつもりはなく、防がれても問題はなかった。広範囲に散布された毒素は強力な効果こそ発揮はせずとも滞留だけはし続ける。

 僅かでも服毒させれば、矢の一撃が致命傷となる。数多にあった罠も、本命となる一撃を隠しおおすためのもの。毒の存在だけを警戒させないための策だった。

 初めからそういう効果だと知っていれば、毒に対する徹底した対策を取っただろう。さしたる強さはなく、容易く抵抗できる程度であったから優先順位を下げてしまったのだ。

 

 結果、最後の最後で痛手を負った。

 戦術の性質といい、宝具を本来のカタチから加工して躊躇なく使用した手際といい、やはり今回の相手は真っ当な英霊といえるものではない。

 

「体内の毒素の洗浄は完了しています。これ以上の悪化はありません。ですが、曲がりなりにも英霊の持つ宝具です。侵された概念を取り除く事は如何ともし難いわね。特に起点となった右腕には、色濃く症状が残り続けるでしょう」

 

「で、あるか。この場で完治には至らぬ、と?」

 

「大本の宝具を破却しない限りは、効果を消し去る事は出来ません。宝具級の毒素とはそういうものです。これを治療するだけの権限を私は持ち合わせません」

 

 右腕の麻痺。事実上の利き腕機能の喪失、それが甘粕の受けた損失だ。

 現状では完治は出来ない。効果の原因となった宝具を破却しない限り毒素は消えないのだ。

 それは即ち敵サーヴァントの打倒と同義となる。この2回戦を勝ち上がるまで、甘粕の右腕が癒されることはない。

 

「じゃが、調べた事ならば仔細も知れよう。その毒の詳細な由来、名前さえ明かさぬつもりか?」

 

「当然でしょう。健康管理AIとしての責務ならば既に果たしています。この先はあなた方次第です。私は中立であり、決してどちらかの味方ではないのですから」

 

 傷つき患った者を治療する。それがこの保健室の存在意義。

 甘粕を治療したように、来れば相手側の者も同じように治療する。聖杯戦争に参加する総ての者に公平な回復ポイントだ。

 

 彼女は中立、ただ一方のみに利する結果となる行為はしない。

 戦いの趨勢を決めるのは当事者であるマスター同士。彼女自身の口から必要以上の情報が明かされる事はない。聖杯戦争を司るムーンセルの公平性とはそういうものだ。

 

「我々は聖杯戦争を管理し、運営する者です。参加者すべてに公平であり、戦いの妨げとなる事はありません。それこそがこの月であなた方に課せられた試練なのですから」

 

「強者も弱者も問わずにか。能力に劣る者にも与えられた救済措置こそそなたらではないのか?」

 

「弱者が不遇に甘んずるのは当然のこと。むしろ弱さを理由に優遇を得るなど、善行を履き違えた詭弁でしょう。脆弱なら脆弱なりに、苦しみ足掻きながらも考え抜いて、願いのためにと相手を追い落としてでも進みなさい。その苦悶と葛藤は悪いものではありませんから」

 

「……歪みを抱えておるのは人格そのものか。ムーンセルも難儀な個性を据え置いたものじゃ」

 

 とはいえ、ここまで徹底するのはAIとしての役割よりも、パーソナリティ特有の性質といった意味合いが強い。与えられたカレンという人格が持つ、命を優先せず試練を良しとする性質。

 嗜虐的ともいえるAIらしからぬ笑みを見せるカレンに、アーチャーは嘆息して告げた。

 

「そもそも弱さの論理に問うのなら、あなたたちに資格はないでしょう。すでにバイタルはほぼ正常。起点となった箇所以外は全て完治。普通はこんなに上手くはいかないものなのだけどね。まったく、思考が筋肉の人は霊子構造まで頑丈なのかしら」

 

「無論、人の意志は肉体の限界をも超越し得る。魂、精神とより密接な霊子の体ならば、むしろ当然だと俺は答えよう」

 

 カレンの言葉に、はっきりと意識を持った声が答える。

 答えた声の主は甘粕正彦。覚醒を果たした彼は、変わらぬ壮健さで身を起こした。

 

「……可愛くないわね。症状の残り香程度はあるでしょうに。素直に苦しんでみせるのも愛嬌ではなくて?」

 

「あいにくとそんな暇はない。これほどに滾るのは久方ぶりだ。苦痛になど構っていられんよ。

 勝敗を決めるのは俺たち次第。ああ、まったくその通りだ。ならばこそ音を上げてはいられんだろう。闘争という試練を良しとする、おまえの在り方には共感するよ」

 

「一緒にしないでもらえますか。不愉快だし、暑苦しいわ」

 

 心底不本意だといった様子で、カレンは言い捨てた。

 

「まあ今さらそなたの精神論に物申すつもりはないが、大事はなかろうな、正彦。捨て身の決意など、所詮は槍玉に挙げられたが故の価値じゃ。我が身を省みれん者に大業は果たせぬぞ」

 

「履き違えてはいないさ。意地にも使い時というものがある。思考を捨てた愚図に成り下がるつもりはない。

 そこの保険医殿の腕は確かだよ。試練とは、全霊を尽くして挑むからこそ意義がある。片手落ちのまま済ませてはつまらない。その意味を、彼女という人格は理解している」

 

「そなたの場合、それは本当に分かっているのであろうな。ならば何も言うまい。して、それほどに死力を尽くすべき試練であれば、既に掴んでおる事柄もあるのじゃろう?」

 

 それこそ当然だと言わんばかりに、甘粕は笑う。

 毒矢をその身に受けて、痛手も負って、それで何もなしで済ませるほど甘粕という男は甘くない。

 

「――イチイの毒、かな?

 科学的な観点では、アルカロイドの一種であるタキシンが持つ有毒性。また魔術的な観点からも、イチイの樹には冥界に通じるとされる伝承がある。毒性の宝具と化すには十分だな

 俺の解法で全てを解析できたわけではないが、ここまでの情報でも十分だ。森に関わる伝承を持ち、正攻法ならざる姿なき弓兵(アーチャー)。顔なき王の化身とされ、民衆のため圧政者に立ち向かった義賊、シャーウッドの森の狩人が真名だろう」

 

「ふむ、真名まで晒したか。傷の対価としては、まあ妥当というところかのう」

 

「無論、これだけで慢心するつもりもないがな。名は所詮、名でしかない。勝敗が決まるわけでもなく、思索を止めずに臨んでいかなければな。

 戦いの主力はサーヴァント、マスターの腕一本を封じたからと、大した成果とは言えん。これしきで緩める相手ではない。まだまだ序盤だ、勝負はこれからだろう」

 

「……やはり此度の相手、そなたにとって相当の因縁がある相手と見える。地上での知古であろうが、あの小娘と同じ類いか?」

 

「そんなところだ。もっとも凛の場合とは事情も立場も大分違うのだがな。現に俺は、"あの男"とは今までまともに話をした事もない。正真正銘、対面はこの月が初めてとなるだろう」

 

 苦境の中でこそ燃え上がる意志の炎。甘粕の見せる感情の熱は明らかに対戦相手(マスター)へと向けられている。

 元より敵に対しても友誼にも似た期待を向ける甘粕であるが、見ず知らずの相手というには感情の初期値が高すぎる。彼の異質な性質を鑑みても不可解だろう。

 

「そう複雑な因縁があるわけではない。互いの立場を考えれば至極真っ当とさえ言えるだろうさ。俺は西欧財閥に反抗する解放戦線(レジスタンス)であり、彼は財閥所属の国に仕える軍人だった。関係性など語るまでもなく1つしかあるまい」

 

 語っていく中で言葉には熱がこもっていく。平凡のように語りながら、特別な感情がそこにあるのは明白だった。

 甘粕正彦は試練を愛する。それこそが人を強く、素晴らしい輝きに練磨するのだと信じている。ならば彼が抱く期待とは、より困難な、尋常ならざる相手に向けたものに他ならない。

 

「優秀な軍人だよ。そして狙撃手である。奴の放った銃弾が、俺に死というものを間近に感じさせた。それまでの生涯で、あれほどの衝撃は他になかった」

 

「狙撃、つまりは闇討ちか。なるほど、此度のサーヴァントと似通う性質らしいのう」

 

「ああ。俺も若く、まだ未熟な時分だったが、それを言い訳にはすまい。奴は強かで、老獪であり、故に俺よりも優っていたのだという事。その事実だけが、かつて倒れたあの日にはあった。

 だから楽しみで仕方ないのだよ。かつて敗北した相手を前に、今の俺が打ち勝って己の成長を証明する。俺としては胸躍らずにはいられん」

 

 激賛は評価の表れだ。己にとっての難敵だった者を、甘粕正彦は心から歓待している。

 在りし日の敗北も怯えるようなものではない。価値があるのは常勝無敗ではなく、敗北を糧とし己を奮起させられる意志の強さである。

 死に瀕する経験も、甘粕にとっては勝利の糧と同様だ。殺し合う敵の脅威に敬意を払い、その上で打ち勝とうと燃える意気も、彼の中では不思議なものでも何でもない。

 

「今回の手練手管もまた見事だよ。どうやら良き同胞に恵まれたと見える。ならばこそ俺も、戦う甲斐があるというものだ」

 

 方向性は問わない。要求するのは認めるに値する強さのみ。手段の是非など端から問題にもしていない。

 むしろだからこそ気概は熱を帯びるのだ。敵が強く、老獪で油断ならぬと信じるからこそ、踏破した時には新たな輝きが得られるのだと確信している。

 

 意志を奉じる益荒男が表すのは、かつての難敵へと向ける期待と戦意。

 相手は歴戦を重ねた鋼の軍人。手段を卑劣だと非難するつもりは毛頭なく、それでこそ鉄血の意志だと認めてさえいる。

 まだ見ぬ対戦者にも不安はない。強者と信じる相手の事を不足に思うなどあり得なかった。

 

 

 ――――だからこそ、新たに姿を現したその人物は、甘粕にとって意外なものだった。

 

 

 例えるなら、それは深い年輪を重ねた大樹。

 長い年月をかけて大地に根ざし、揺るぎない芯の強さを持った老年の風格。

 髪と髭は混じりけ無しの白に染まり、顔にも体にも"老い"が目立つが、決して"衰え"は感じさせない。心身に刻まれたその年季こそが、彼という人間の強さの骨子なのだと思わせる。

 歴戦の軍人、厳格な騎士。その男が入室しただけで、保健室には厳かで静謐な空気が満ちる。それほどに彼の振る舞いに不義はなく、敬うべき礼節があった。

 

「……ダン・ブラックモア」

 

 2回戦の対戦相手、名をダン・ブラックモア。

 整然たる老騎士、未だ揺るがぬ戦士の姿がそこにはあった。

 

「お初にお目に掛かる、甘粕正彦殿。こうして直に顔を合わせるのは初めてになるだろうか」

 

「そうだな。気軽に名乗り合える間柄でもない。まともな対面など、地上では望むべくもなかったろうよ」

 

 西欧財閥の一角を担う国の軍人と、それに反抗する解放戦線(レジスタンス)

 地上での互いの立場は明確な敵対関係である。幻想の過ぎ去った現代の戦場において、呑気に語らいが出来る機会など訪れるものではない。

 

「だからこそ解せんな、ブラックモア卿。貴方との邂逅は決戦の日だとばかり思っていたが、まさかそちらから俺の前に姿を現すとはな」

 

「無論、わしもそのつもりだった。我らは互いに戦士としてこの月に立っている。余分な馴れ合いなど無用のものであり、来たる日に剣を交じえるのみの仲であると。

 ――だが、手にあるべき我が"剣"が、信義に悖る行いをしたとあっては見過ごせん」

 

 そう言うと老騎士は、敵である甘粕に対し深々と頭を下げてみせた。

 

「サーヴァントの行いを謝罪する。従者の独走を防げなかったのは、マスターであるわしの責任だ。公正たるルールが敷かれたこの場で、先のような襲撃はわしの本意ではない」

 

「これはこれは異な事じゃ。よもや仕掛け側であるそちらから、かような申し出があろうとはな」

 

 ダンの謝罪の言葉に、真っ先に食いついてみせたのはアーチャーだった。

 

「だが、それだけでは無価値である。事を起こした後で、詫びの1つきりが対価とは何とも軽い。それで済んでは道理も通るまいが」

 

「承知している。非はこちらにあるのだ、言葉だけでは何を言おうと言い訳にしかなるまい。故にこちらには、相応の代償を支払う準備がある」

 

 静かにそう宣して、ダンは令呪の刻まれた右手を掲げてみせた。

 

「イチイの矢の元となった宝具を破却する。それで残された毒素も完全に消滅するだろう。

 同時に、令呪を用いてサーヴァントの行動に制約を課そう。それを以て償いとさせていただきたい」

 

「ほう」

 

 その申し出は、あまりと言えばあまりに馬鹿げた行動だった。

 宝具の1つを放棄するばかりか、替えの効かない令呪を使って自身の行動を制限させる。敵である者からすれば、余りにも都合が良い条件である。

 そのような申し出を口にして、それでも目の前の老騎士に気負いはない。淡然と佇むその姿からは、敗北の悲愴など微塵も感じさせない。

 

 これだけの不利を己に課しながら、この老騎士は勝つつもりなのだ。あたかも試練の困難を良しとする、甘粕正彦と同じように。

 だからこそ、興味も沸いてくる。答えるアーチャーの声には、明らかな関心が灯っていた。

 

「おいおいおいッ!? ダンナ、正気か? いくら何でもそりゃねえだろ!」

 

 むしろ、先に動揺に見せたのは従者の方であった。

 霊体化を解き実体となるサーヴァント。緑衣を纏った素朴ながらも端整なこの青年こそが、ダン・ブラックモアが契約した英霊だろう。

 

「……口出しは無用だ。予めそう申し付けていたはずだぞ、アーチャー」

 

「ああそうでしょうねえ、俺だってわざわざ敵の前に姿を晒すなんて真似したくなかったっすよ。

 けど流石にこっちも見過ごせねぇよ。今のアンタがしてるのは自殺行為だ。自分から負けに行ってるとしか思えないって!」

 

「自ら死に向かうような真似はしない。己の生に真摯である事は、あらゆる生命に課せられた義務であり責任だ。その責務を放棄するつもりはなく、わしは自身に懸けて勝利する覚悟だ。

 だがそれも人としての尊厳を保っての事だ。この戦場にはルールがある。互いが自身の祈りのために死合う中、人たる者の矜持を失わぬためにあるルールだ。

 制約の縫い目を掻い潜り、死肉を漁る禿鷹の如く相手を出し抜くためのものでは断じてない」

 

「ルール、ルールねぇ、そりゃあルール守って勝てるってんなら俺だってそうしたいっすよ。けどねぇ、あいにくとアンタが契約した英霊はそうじゃねぇ。掟破りの手でも使っていかないと勝ちなんておぼつかねぇ、そういう類いのサーヴァントなんすよ」

 

「理解している。それこそが貴君という英雄にとっての在り方であるとは。これがおまえのための戦いであるならば、わしもこのように口出しする事はなかっただろう。

 しかしこれはわしの戦いだ。貴君に対し負けられぬ戦いを強いるつもりはない。もはや泥に塗れても勝てと、おまえに強制させるものは何もないのだ」

 

 客観的に見て、道理があるのはサーヴァントの方だろう。

 聖杯戦争は命を賭けた生存競争。勝利のためならば時に道義に反してでも敵を討つべしとするのは、この戦いに臨む者にとっての正しい姿とも言える。

 サーヴァントの戦力に無用の負担をかけ、騎士道という精神論で勝率をあえて下げる。そのようなダンの主張こそマスターとして不適格とも呼べるものだ。

 

 だが、単に不適格なだけでは終わらない。それほどにダンの発する言葉には芯があった。

 堂々と毅然として、己の信条に迷いはなく、ダン・ブラックモアの意志は強い。その意志力によって貫かれる騎士道は、軽薄な否定など物ともしない。

 真に正しい道理を、ただ真っ直ぐと貫く事。言葉にするのは容易く、だが実践する事は困難極まる。その姿勢こそが彼の言葉を戯言ではなく、確たる説得力のあるものに変えていた。

 

「守られる保証のない騎士道。枷としか思えぬ精神論かもしれんが、故にそれを貫く事に意義がある。それこそが人を正道の元に踏み留めるものであるからだ。

 国と国ではなく、人と人の戦いならばこそ、修羅より人に戻す術は大義ではなく信義なのだ。わしのサーヴァントである以上、おまえもまた騎士として振舞ってもらう」

 

 令呪を持つ右手が向けられる。三画のみの絶対命令権、それを自らの英霊を縛るために。

 魔力が集中し、刻まれた紋様が輝き始める。如何なる奇跡をも可能とする言霊が、ダンの口より放たれようとして、

 

「――いや、それは待っていただきたい。騎士(サー)・ブラックモア」

 

 そこに甘粕が待ったをかける。

 己にとっては利にしかならない事態にも歓迎を示さず、決定的な行動が下される前に制止した。

 

「貴公の信条はよく分かった。なるほど、見事な覚悟の意志と称賛しよう。

 だが、その代償に宝具と令呪とはやり過ぎだ。そこまでされては俺の方こそ心苦しい」

 

「……どうあれサーヴァントを諌め切れなかったのはわしの責任だ。わし自身の自戒のためにも、この我が儘をどうか見逃していただきたい」

 

「我が儘と言うならば、それこそ俺の感情も察していただきたいな。そうして実力を削ぎ落とされた貴方と対峙せねばならぬ俺の思い、腕の不調程度では到底釣り合わんよ。

 令呪による制約など必要ない。何よりその信念こそが、破られる事のない戒めの証明になると信じよう。腕一つの引き換えというなら、それくらいが妥当なところだろう」

 

「……承知した。貴君の公正さと寛大さに、心よりの感謝と敬意を表する」

 

 甘粕の申し出に、偽りなく誠実な礼を尽くして、ダンは了承の意を表した。

 

「我らはこれより死闘を演じる身だ。尊重や敬意などと嘯くのもおかしいだろうが、互いに覚悟を持って臨む者として、せめて人たる尊厳を持った決闘である事を願っている」

 

 そうと告げて、踵を返す。そこから先はもはや振り返る事はしない。

 逝った通り、余分な馴れ合いは不要という事だろう。戦いに臨むダン・ブラックモアの意志は、やはり頑い。

 

 緑衣のサーヴァントもまた、主に従い実体を解く。

 向けられる視線には含む思いもあるようだったが、これ以上場を乱そうという意思もないらしい。少なくとも制約の件は免れたのだから、彼からすれば妥当なところだろう。

 

 主従は大人しく去り、保健室は元々の面々だけが残された。

 

「くく、愉快じゃのう。拘り、情け、未練、激情、こうした人の感情こそが、戦にアヤをつける。全てが全て道理のままに進むならば、世の物事など始まる前に終わっておるわ」

 

 笑みを漏らすアーチャー。その笑いは嘲笑か、あるいは別の何かか。

 裏切り、下克上こそが習いだった戦国の世。その時代を生き抜いたアーチャーにとって、ダンの掲げる騎士道には思うところもあるのだろう。

 

「しかし見込みが外れたのう、正彦。あれはそなたの目算とは違うものじゃ。そなたが望む類いのものとは、あの老兵は無縁であろうよ」

 

「……そうだな、分かっている。確かに俺の期待は的はずれだったようだ」

 

 アーチャーの告げる否定の言葉に、甘粕も頷いた。

 

「ダン・ブラックモアは強い。その精神に偽りはなく、揺らぎもない。彼の覚悟は極まって、もはや甘いという非難さえも上滑りだ。それだけの意志が、あの男の中には完成されている。

 まあ、それはそれで素晴らしい輝きではあるのは間違いないのだろうがな」

 

 老騎士の信念は、もはや生き様そのものと呼ぶに等しい。

 揺るがず曲がらず、たとえ死に瀕したとしても、ダン・ブラックモアは変わるまい。

 己に恥じぬよう、堂々たる信義を貫き、奉じる勝利を手に入れる。迷い無きその覚悟は、1回戦の間恫慎二などとは比較ならない強度を誇るだろう。

 

 そう、ダン・ブラックモアは強い。故に、彼にはその先が存在しないのだ。

 

「老境の歩みは深く、故に変動はないか。悲しいな、かつて強敵と仰ぎ見た男の衰えてしまった姿を見るのは。ああ、虚しさで俺は泣けてしまうよ」

 

 声に込められるのは失望、そして興ざめか。

 引いていく内なる熱、躍動していた魂の停滞を感じながら、甘粕はその眼差しを向けていた。

 

 

 




 アマカッス、テンションダウン(´・ω・`)

 冗談はさておき、2回戦の対戦相手はダン・ブラックモア卿。
 少々独自設定を追加して、甘粕とは因縁ありとしました。直接の面識こそありませんが、何かの作戦でゴルゴする機会があったとお考え下さい。

 というか、遅くなってすいません。
 一度は書き上がったんですが、どうにも納得できない出来で全体書き直してたらやたら時間が経ってしまいました。
 最近なにかと執筆が滞うことが多いんですが、なんとかいい手段ってないものですかね。

 とりあえず、10月中にもう一本は更新したいです。

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