もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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1回戦:嵐の航海者

 

 ――そして、運命の7日目は訪れた。

 

「ようこそ決戦の地へ。身支度は全て整えたかね?」

 

 決戦に向かうマスターたちを迎えるのは、黒衣の神父服に身を包んだ偉丈夫。

 パーソナリティの名は言峰綺礼。底の見えない笑みを貼り付けた上級AIは、マスターたちへの歓待の意を示していた。

 

「扉は一つ、再びこの校舎に戻るのも一組。覚悟を決めたのなら、闘技場(コロッセオ)の扉を開こう」

 

 進めば後戻りの道はない。向かう二組の内、再びここに戻れるのは一組だけ。

 集ったマスターに与えられるのは最後の選択肢だ。準備期間(モラトリアム)を終えて、試練(タスク)の中で練磨されたマスターたちは、最後にその覚悟が問われる。

 

 ――闘技場へ赴くか。

 

 ――今しばしの準備を行うか。

 

「いいだろう、月に集った闘士たちよ。決戦の扉は今、開かれた」

 

 覚悟を決めた者には、その扉が開かれる。

 納められる2つの暗号鍵(トリガー)。電子の鎖に施錠された扉が解き放たれた。

 

「ささやかながら幸運を祈ろう。己の願いに懸けて悔いのないように戦う事を。再びこの校舎で君たちと出会えることを、心より祈っている」

 

 これより先が本当の戦い、互いの願いを懸けた凄絶な殺し合いだ。

 聖杯(ムーンセル)へと辿り着けるのは1人だけ。譲れない己の願いのために、たった1人になるまでこの闘争は続けられる。

 合計にして64通りもの対戦カードとなる聖杯戦争の初戦。128名の参加者の内半分は、この日の内に死に絶える事になる。

 この校舎に戻れるのは半数のみ。その事実を理解しながら、言峰神父はマスターたちに等しく勝利の祈りを捧げていた。

 

「では――――存分に、殺し合い給え」

 

 全ては己の欲望(ねがい)のために。人類が決して拭い去れない闘争の業。

 戦争という名の悲劇の歴史が、この月の舞台でまた新たに刻まれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それぞれの決戦の組合せを乗せて、闘技場(コロッセオ)へと運ぶエレベーター。

 狭く閉ざされたその空間では、必然両組が対峙する形となる。これより生死を分つ戦いを行う相手と、正面から向き合う事になるのだ。

 

 決戦の地に辿り着くまでの、この僅かな時間が最期の語らいの機会だ。

 まもなく両組は殺し合う。もしも思いを知るのなら、ここを逃せば機会は永久に訪れない。

 それが果たして良いことなのかは別として、薄壁一枚を隔てて向き合う相手へと、彼らは言葉を交わし合う事が出来る。到着までの時間をどう使うかは自由だった。

 

「また会えたな、少年。嬉しいぞ」

 

 対面に立つ慎二へと甘粕は朗らかに言葉をかける。

 その親愛に偽りや打算はない。彼は本心から間桐慎二の再起を喜んでいた。

 

「戦うと決めたのだな。こうしてここに立ったという事は、そう捉えても構わんのだろう。

 できれば聞かせてもらいたいな。おまえが如何なる決意を抱いたのか、その意志の輝きの程を、是非とも俺に教えてほしい」

 

 敬意と期待。甘粕が示す猛烈なまでの正の感情が慎二に突き刺さる。

 今の甘粕の瞳に映っているのは慎二のみ。真っ向より射抜いてくる視線に対し、慎二は怯えを含んだ様子で眼を逸らした。

 

 ああ恐ろしい、この男が恐ろしくてたまらない。

 虚勢を張ろうとしても、刻まれた敗北の恐怖は拭えない。直視すればどうしようもなくあの敗北の痛みを思い出す。

 もはや意識してしまったのだ、甘粕正彦という破格の男を。認識した以上、その魔人の如き凄まじさから眼を背ける事は出来ない。このような男に勝利できるなどと、一体どうしてそんな幻想を信じることが出来るだろう。

 

 甘粕が言うような真っ当な決意ではない。間桐慎二の性根は歪んでいる。

 異様な熱量を誇る甘粕の期待に対し、まともに返答など出来るわけがなかった。

 

「ふむ、だんまりか。まああえて言葉にしなくてもいい。どの道これから、いやでもその意志が問われる事になるのだからな」

 

「アンタさ、そいつは誰にでもやってんのかい?」

 

 そんな甘粕の期待から慎二を遮るように、ライダーが口を挟んだ。

 

「うちのシンジにも随分とやってくれたが、覚悟だ意志だのとむず痒くなりそうなもんを押し売ってくれるじゃないか。こちとらそういう類いとは無縁の輩だと分かりそうなもんだがねぇ」

 

「当然だろう。俺は信じているのだ、人は誰しも輝ける決意を抱く事が出来るのだと。誰一人とて例外はない、意志ある人間ならば必ずや光を持てる。

 おまえたちは悪なのだろう。他者を蔑ろにし自己欲にこそ重きを置く、そういう輩なのだろう。結構ではないか、意志の光とは正義のみの専売特許ではあるまい。強欲に欲し奪う悪道でこそ輝ける暗黒の光も存在するはず。俺はそれを否定したりはせん。

 善も悪もぶつかればいい、己自身の光を懸けて。互いの存在があるからこそ輝きは強くなる」

 

「アハハハハッ、テメェが好きなら善も悪も区別なしかよ。なんだ、思ってたよりもずっとおめでたい奴だったねぇ。ああいいよ、イケる感じだ悪くない」

 

 意志としての強度があれば性質は問わない、甘粕正彦の絶対値主義。

 常人ならば度肝を抜かれる異常な感性を、しかしライダーは良しとした。

 

「戦争なんて大体いつもこんなもんだ。どいつもこいつも性根の部分は似たような俗物ばかりさ。おおよそくだらねぇもんなんだから、悩んだってしょうがない。

 そういうもんさ、人間ってのは。王だろうが賊だろうが、戦争やらかす時点でご同類だよ」

 

「ほう。それはわしに対する挑発か、ライダー」

 

 ライダーの言葉に対し、アーチャーは凄みを持つ笑みを見せた。

 

「王たる者の王道を、下撰の賊徒風情と同列に語ろうとはな。わしは戯れは許すが、侮りは許さぬ。覚悟があっての事じゃろうな?」

 

「同じも同じさ。人の欲望なんざ、一皮剥けば欲しい欲しいと業突張りの顔を出す。

 なにせそんな卑しい海賊の財宝で、誰よりも肥え太らせたのは我が女王陛下なんだからね」

 

 アーチャーの笑みに応えるように、ライダーもまた皮肉を混じえて笑みを返す。二騎の英霊の眼光が真っ向からかち合った。

 

「女王が『私の海賊』なんて抜かした時には、流石に腹を抱えて笑い転げそうになったもんさ。普段騎士道がどうだの語っている連中が、雁首揃えて金銀財産に目の色変えていやがる。

 あげくアタシを騎士にだとさ。忠誠も名誉も金次第ってか。高潔な精神とやらはどこいったよ。そいつはアタシが他所から略奪しまくってかき集めたもんだっての」

 

 ライダーの真名は、フランシス・ドレイク。

 英国出身の海賊であり、後の海軍提督。スペイン無敵艦隊を滅ぼした"悪魔(エル・ドラゴ)"。

 "太陽の沈まぬ王国"を落とし、後の大英帝国を築く最初の礎を成した。人類史のターニングポイントたる転換の一時代を築いた『星の開拓者』だ。

 

 世界一周の航海で彼女が各地より略奪して得た財宝は、当時の英国の国家予算を遥かに凌ぐものであったらしい。国力に乏しい二等国だった英国は、彼女が持ち帰った功績によって飛躍する。

 それほどの莫大すぎる"利益"を前に、騎士道という規範が如何に脆いものであったのか、人間の欲望を知るのなら想像は難しくないだろう。

 

「ま、仕方ないかね。誰だって金は欲しい。ありゃ欲望の象徴だ。アタシだってそうだし、別に英国(ウチ)だけに限った話じゃない。あの頃はどこの国もみんな海賊だったさ。

 余所から奪って、自分の懐に納める。他の奴らよりも多く、もっともっと欲しい欲しいってね。ほら、海賊と何を違わないだろう。

 いいじゃないのさ、それで。善意と欲望の間で揺れて定まらないのが人間ってものだろう。アタシらも含めて、元からしょうもない生き物なんだ。だったらせいぜい派手に、後には何も残らんくらいに喰い散らかして愉しんでやればいいのさ」

 

 彼女、フランシス・ドレイクは人間を好んでもいないし嫌ってもいない。

 聖人の潔癖さ、悪人の強欲さ、どれも人間のものだとして否定しない。自分も含めて、善悪兼ね合わせた生物として、偽善のままに進む秩序を良しとしている。

 重要なのは欲望の性質ではない。どれも同じ欲には違いないのだから、問題はそれを如何に楽しむかだろう。どれだけ富を積み上げようが、それで楽しめなければ意味はない。

 王であれ英雄であれ海賊であれ、命ならば終わりは来るのだ。ならばせいぜい自分の欲望に従って、最期の瞬間まで愉しみ抜いてやればいい。

 

 理想はない。祈りも持たない。ただひたすらに、己の享楽のままに振舞う。他人へ語り聞かせるようなものではない、清々しいまでに悪党としての理屈がある。

 それこそがライダーという英霊、世界を拓いた自由なる海賊の在り方だった。

 

「なるほど、理解したよライダー。言葉として聞こうとした俺の方が無粋だった。

 ああ、性質を問わないのは俺も同じだ。俺の願いも欲望である事に変わりはない。ただ己の欲望を押し通さんとする者同士、存分にぶつかり合うとしよう」

 

 善悪を問わず、揺るがず自由に己を貫くライダーの姿に甘粕は快笑した。

 

 エレベーターが降りていく。闘技場(コロッセオ)までもう間もなくだ。

 聖杯戦争の一回戦。熾烈なるバトルロワイヤルの始まりを告げるため、参戦者たちは決戦の地へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟く銃砲。空間には無数の弾丸が飛び交い、破壊を吹き散らす暴風となって舞台を穿つ。

 人の世から忘却された沈没船に、戦いの火が灯る。かつて敗残のまま水底に眠っただろう船艇らは、英霊同士の決闘という極光に照らされて輝きを取り戻した。

 

 アーチャー、そしてライダー。

 図らずも両者は共に銃使い。剣士とはまた違う間合いを共有し、敵対者を射抜くために各々の得物より弾丸を吐き出していく。

 銃弾を銃弾で叩き落とすという離れ技も、英霊にとっては当たり前。弾切れなどという常識も彼らの武具には通用しない。魔力ある限り無限に銃弾を吐き出し続ける幻想の銃器は、本来の様式を完全に無視して、さながら機関砲の如き勢いで蹂躙する。

 銃の決闘と呼ぶにはあまりに異様。剣士たちの剣戟の激しさにも似た応酬で、二騎は互いの存在を削り取らんと銃火を強めていった。

 

 同じ得物の使い手同士。だが本人たちがまるで性質の異なる英霊であるように、その戦い方も完全に別種のものだ。

 機動力に優れる騎兵(ライダー)の戦いは、空間を活用した自在なる立体機動。戦場に存在するあらゆるものを利用して、縦横無尽に駆けながら二丁拳銃を取り回す。

 その敏捷ステータスは騎兵クラスとしては平凡なものだが、彼女にとって"船上"での戦いは十八番である。何が利用できるのか、頭で考えるより身体そのもので直感し、およそまともな決闘とはかけ離れた狡辛い手段も躊躇なく実行する。

 ロープを使い、船淵を駆け、マストを登ってはとあらゆる地形を利用する。まさしくそれは放蕩なる海賊の所業。誇りなどとは無縁の場所で奔放に、自由なる有り様を貫いている。

 

 対し、アーチャーの戦いはそれとはまるで正反対。

 小賢しく動くような真似はせず、その構えは不動のまま。両手に構えた種子島、その銃火の威力で正面から制圧するように弾幕を放つ。

 細かく動く真似はしない。頼りとすべきは策ではなく、真っ向からの力である。あくまでも王道を貫く戦法でアーチャーはライダーに対抗している。

 しかし地の利はライダーにある。船上は彼女にとって庭も同然。事実、ライダーは容易くアーチャーの死角へと回り込み、銃弾を浴びせかける。

 それを撥ね返すのは種子島による銃列。手にした二丁とはまた別の、空間に出現した新たな種子島がアーチャーの意思によってライダーを迎撃した。

 これぞ数の利、二丁などに留まらない手数の多さこそアーチャーの武器。ライダーのように狡く駆け回る必要はない。持てる力を十全に出し尽くせば事足りるというように。

 

 海賊と王者。開始された決闘はまさしくそれだ。

 まるで異なる二者は、互いの有り様を曲げる事なく激突を繰り返した。

 

「フランシス・ドレイク。世界を拓いた者。一介の海賊より始まり、ついには海軍の長にまで上り詰めた、世界に覇を成した帝国の立役者、か。

 そこまでの英傑でありながら、抱く欲望は何処までも1人の海賊の域を出ぬものか?」

 

 怒涛なる種子島の重爆撃を繰り返し、容赦なく攻め立てながらアーチャーは問うた。

 

「権勢を広げようとは思わなかったのか? その才覚と財宝で、天下に欲を伸ばそうと考えなかったのか?」

 

「はん、無いね。いくら肩書きが変わろうが、アタシはどこまでも雇われ海賊さね」

 

 国家をも凌駕する財宝、一海賊から軍組織のトップに立てる将の器。よりその手を広げたなら、果たして彼女の力はどれほどのものになっただろう。

 だが彼女はそうしなかった。生涯を海と寄り添い、権力者ではなく一人の海賊であり続けた。

 

「アタシが好きなのは派手に喰い散らかすための金さ。権力なんて粘っこいものに興味はねぇよ。

 山のような金銀財宝だって、それを使い尽くせるから愉しいんじゃないか。蔵にしまったまま抱え落ちなんて笑えない。そんな様で何が面白いんだか。

 命も財も、いつか尽きるもんだ。アタシは宵越しの金は持たない主義でねぇ。一切合財を使い果たしながら、命と一緒に燃やし尽くしてやるのが愉しいんだろうが」

 

「ほう。よもやその真理を、海賊風情が弁えているとは思わなんだ」

 

 互いの銃撃が飛び交う中で、尚も構わず論争する両者。

 次の瞬間には眉間を撃ち抜かれ果てているかもしれないと、そんな憂慮にはまるで頓着していない。むしろそれすら愉しんでいるように笑みを深め、いっそうに熱弁を加速させた。

 

「人間五十年。どれだけ生きようが、人が己の大志を振るえる時間などそんなもの。命を出し惜しんで何事も無いままに終わるなら、そんなもの死しておるも同然じゃ」

 

「へえ、アンタも分かってるじゃないか。王なんてのは貯めて肥えてこそなんぼだと思ってたよ」

 

「蓄財は悪くなかろう。だが貯めるばかりでは無価値である。金は天下の回りものじゃ、吐き出されてこそ意義があろう」

 

「そりゃ同感だ。食い物も酒も男も女も戦争も、欲望ってのは溜めてちゃあ意味がない。吐き出して堪能してやらにゃあね。でないと生きてる甲斐がないだろうさ」

 

 考えも性質も対極にある二人だが、その死生観だけは似通っている。

 先にある死を見つめ、結末として受け入れる。生を諦めているのではない。死を思うからこそ、生には意味があるのだと理解しているのだ。

 

 語れば当然とも言える理屈だが、果たしてそれを真の意味で理解している者がどれだけいるか。

 死は、恐ろしい。人間ならば勿論、英雄であっても死の恐怖から完全に逃れる事は難しい。

 恐ろしいから、見つめたいとは思わない。いずれそうなると分かっているのに、目を逸らして考える事を放棄している。口先だけで豪語しても、所詮は虚勢ばかりだ。実際に直面すれば、本音の恐怖はあっさりと曝け出される。

 世に点在する長寿、不老不死の願いは、全てが死から逃れるためにある。死を克服し永遠の存在となる事は、人類が追い求める夢であり到達点のひとつだろう。

 だからこそ、それは呪いとも成り得る。死を恐れ生に執着するあまり、人を外れて化生に堕ちる。夢から名を変えた狂気に取り憑かれ、どれだけの悲劇が引き起こされたことか。

 

 アーチャーも、ライダーも、彼女たちは永遠を否定する者。

 人だけではない。国も、価値も、星ですら、世にある総てがいつかは廃れ滅びるのだ。

 すなわち諸行無常、盛者必衰の理。滅びは絶望ではなく、次なる循環に続く一過程。天の高みからすれば、人の一生も一夜の夢のように儚いものだ。

 故にその足を止めてはならない。滅びの恐れを越えて前に進んでこそ世界は広がる。定命の中でも進歩を続けて、歴史を刻む事が人間の真価であると。

 

 共に世界を拓いた革新者。求めるのは安寧の永遠ではなく、未知を目指す開拓である。

 

「が、それでも貴様は俗物よ。目先の欲望に囚われ、低俗なままの己で満足しておる。

 小さい、小さいのう。あまりにも矮小な欲望じゃ。それでは世を築くことは出来ん」

 

 そんな2人の明確な違いとは、やはり世に対する姿勢の差異だろう。

 アーチャーが掲げるのは革新だ。古きに囚われる世に変革を促し、新しい秩序を築く。

 新しい法、新しい価値観、新しい社会構造。築かれたそれらは国の新たな形として残される。

 

 対し、ライダーには何もない。

 その偉業も終わってしまえばそれまでのもの。略奪で成した財もまた同じ。

 確かな形として残るものは一つも無い。嵐のように吹き荒み、繁栄の後には没落が訪れる刹那的な快感を良しとし、愛していた。

 

 未来に繋がる価値を残す事を意義とするアーチャーと、消え去るのみで良しとするライダー。

 同じ死生観を共有しながら、2人が向かう先は正逆の方向性を持っていた。

 

「貴様はただ産まれ、ただ死ぬだけじゃ。偉業の功績は残ろうと、個人として遺るものは無し。

 それは無価値である。鮮烈なる破滅を求めるなら、望みの通りに散り逝けぃ!」

 

 アーチャーが構える二丁に呼応して、空間に展開される種子島。

 それはアーチャーの周囲だけではない。戦場全体に出現し、ライダーを包囲して展開した。

 

 アーチャーは尋常な決闘を尊ぶ戦士ではない。その本質は冷徹な将であり軍略家だ。

 ただ撃ち合うばかりで終わるわけがない。追い詰めるための布石は既に整えられている。

 逃げ道は封殺され、放たれればその銃火は過たずライダーの身を穿つだろう。

 

「へっ、そんな大人しく終わってやるかい。せいぜい派手に喰い散らかしてやるよぉ!」

 

 しかし、それに対するライダーもまた、殊勝さとは最も無縁の輩である。

 自らに敷かれた包囲網を前にして、それで諦めるような性根の細さではない。むしろ劣勢にこそ闘志を燃やし、己の実力を引き出す生来の冒険者だ。

 

 種子島の包囲網に対抗し、出現するのは巨大な大砲一門。

 砲の名をカルバリン砲。ライダーの所有する"船"に搭載された武装の一つ。

 部分的に召喚されたそれを包囲に向け、同時にライダーもそこへ突貫する。包囲に対する常套手段である一点突破、常道だが危険も計り知れないその選択を、ライダーは躊躇なく選び取った。

 

 殺到する銃弾の豪雨、放たれる大火砲の砲撃。

 轟音が響き渡り、爆煙に視界が一端遮られる。その暗雲を切り開き、躍り出るのはライダーだ。

 現れたその身は無傷。あれだけの弾幕に晒されながら、ライダーは一切のダメージを負う事なく切り抜けた。

 

 むしろ傷を受けたのはアーチャーの方である。

 裂けた頬より落ちる流血。彼女の面貌を傷つけたその疵は、ライダーの弾丸によるものだ。

 所詮は掠めただけで、致命傷には遠い。それでも包囲し追い詰めていたはずのアーチャーが、逆に彼女だけ傷を負う形となったことは事実である。

 

 危険へとあえて踏み込み、結果として勝ちを得る。

 勝負事では往々に生じる不合理。技量の問題もあるだろうが、それを実現させ得るのは何よりも不合理を呼び込むための幸運だ。

 躊躇わず死地に踏み込む豪胆さが運気を呼び寄せる。ライダーは女神の微笑みを向けさせるやり方を心得ていた。

 

「……これほどか。難事であるほどに真髄を見せ、絶無の奇跡を成し得る英霊。人類史を開拓せし改革者よ。これほどのものを持ちながら、何故既存の行いに留まった? その目にはとうに別のものが見えていたはずじゃ」

 

「言ったろ、何処までいこうがアタシは海賊さ。アタシの欲望は一時だけのもんで満足できるんだよ。たとえ後には何にも残らんのだとしても、その時を楽しめるならそれでいい」

 

 人間社会の改革者であるアーチャーに対し、ライダーの本質はあくまで海賊のままだ。

 民を虐げ、略奪を以て財を成す。建設的な価値を持ち合わせず、秩序を尊ばずに混沌を良しとする悪人である。時代は確かに彼女を英雄にしたが、あるいは一介の賊として路傍の石のように打ち捨てられる可能性も十分にあり得たのだ。

 それを理解し、それでも良いと言えるのがライダーだ。未来に繋がる繁栄ではなく、刹那の享楽のみを求めて生きる、生粋の俗人である。

 

「止しなよ、アーチャー。こんなのは価値観の違いさね。アンタは生の意義に拘って、アタシは死の没落を良しとした。これはそれだけの話だろう」

 

 故に、両者の視線はすれ違う。そもそも生きていた場所が違っていた。

 問答を交わすような間柄ではない。語るべき王道や信条など初めから持っていなかった。

 

「さあ、そろそろ舌先の殴り合いも飽きてきた頃合いだ。盛大にいこうぜ、アーチャー」

 

「海賊にも矜持はあるてか……是非もなし」

 

 よって両者がすべきは、もはや生きるか死ぬかの潰し合いのみ。

 その事実を改めて認識し、彼女たちは勝負を決するべく自らの本領を発揮する。

 

 サーヴァントの戦いにおいて、武器を用いての打ち合いなど所詮は様子見程度。

 その超越した身体能力も真髄には程遠い。英霊の真価とは、あくまで"宝具"にある。

 それぞれの英霊を象徴するシンボル。人々の祈りを力に変えて、必殺の戦闘手段としたものこそ英霊の所有する"貴き幻想(ノウブル・ファンタズム)"である。

 宝具の開帳こそサーヴァントの決戦の狼煙。極大の幻想が電脳世界を侵食し、ここに奇跡を具現化させる。

 

 ライダーを象徴する宝具とは、剣や槍、弓の類いではない。

 彼女は騎乗兵(ライダー)。己が武器を手に戦うのではなく、愛騎に跨がっての騎乗戦こそ真骨頂。ならばその愛騎こそが宝具であるのは自明の理だ。

 ましてフランシス・ドレイクの真名を知るならば、その愛騎が何であるかは明白だろう。

 

 具現化したのは船。華麗なる黄金鹿、各部に揃えられた無数の艦砲。優美なる中にも荒々しさを兼ね備えたガレオン船は、まぎれもなく戦艦の威容だ。

 それだけでも十分な格を備えた宝具である。だが破格なるは星の開拓者、生きて世界の全てを跨いだ偉大な航海者はそれだけでは終わらなかった。

 先んじて招来した黄金船を中心に、新たな艦船が現れていく。一隻や二隻ではない。十を超えてもなお増える。その様はまさしく艦隊と呼ぶに相応しい。

 それに呼応して、周囲の環境にも変化が現れる。記録の海を侵食して、見渡す先に映るのは大海原。招来した艦隊を浮かべて見る光景は見事に適合し、在るべき場所にあるのだと認識させた。

 

 これこそがライダーの持つ宝具の姿。

 その宝具とは単一の船に非ず。生前に彼女が刻んだ心象風景であり日常そのもの。その冒険憚の舞台である大海の景色こそ嵐の航海者が有する宝具である。

 

黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)――――藻屑と消えなぁ!」

 

 遥かなる大海と太陽を落とした艦隊を従えて、ライダーの宝具が開帳された。

 

 その偉容と対峙して、しかしアーチャーに怯んだ様子はない。

 侮っているわけではない。艦隊が誇る威圧の程は、既に肌が感じ取っている。

 だがそれしきで怯む道理はない。何故ならアーチャーの誇る宝具もまた劣ることのない、時代によって築かれた革新の具現であると知っているからだ。

 

 宝具の開帳に伴い、アーチャーの纏う衣装もまた変化する。

 元より現在の黒色の軍装は召喚後にしつらえたもの。あくまで道楽の類いであり、本来の武装ではない。

 纏いしは漆黒の武将鎧。外套を紅一色で染め上げて、兜が戴きしは輝ける木瓜紋。伝来せし南蛮胴具足に自流の趣きを与えた、まさしく魔王と呼ぶに相応しい威圧を持つ戦装束。

 それを纏うという事は、すなわち戦に臨む心構えの変成。ライダーを難敵と認め、本腰を上げてこれに対するという意志の表れである。

 

 幽炎の中より出でる無数の火縄銃・種子島。先までの戦闘で用いていたものとも変わらないそれは、しかし凄まじい速度でその数を増産させていく。

 やがて出現した銃の総列は地平の果てまで埋め尽くし、異様なる宝具の姿を顕わとした。

 

三千世界(さんだんうち)――――骸を晒せぃ!」

 

 その宝具の真価とは、単一の性能には無い。圧倒的なる物量こそが宝具たる由縁。

 一丁一丁は、所詮量産品の種子島。だがその量産こそが重要な意味を持っている。

 単体で伝説を築く"究極の一"ではない。数を揃えるという事は、より多くの兵士にその武器を行き渡らせる事を意味する。

 凡百の兵の引き金が、英傑をも殺す。練度の向上を簡略化させ、民を容易く兵士に変える。

 すなわち近代化への移行。白兵戦の時代は終わりを告げ、集団戦術を用いた兵法へと変移する。"銃"という武器の導入はその先駆けとなった。

 

 英雄・織田信長は、合戦に銃を最も早く導入した大名の1人だ。

 誰もが半信半疑の中でいち早く有用性を理解した革新の王。その威力は最強と謳われた騎馬軍団をも打ち破り、示された価値は国の全土に波及した。

 極東の小さな島国に、当時の世界最多の銃をかき集めた覇王の意志。築かれた三千の種子島の総列は、まさしく王意を象徴とする宝具の姿そのものだった。

 

 互いに自らの真髄を晒し、その戦意は最高潮に達している。

 展開されたのは大規模範囲の宝具同士。塗り替えられた決闘場には先までの様相はすでに無い。

 ここにあるのは覇軍の意志。己の信条のままに世界をも切り拓く信念の写し身に他ならない。

 

 それぞれの覇を担う将に率いられ、大幅に拡大した戦場の中心で、両軍は激突を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃火と艦砲の火線が入り乱れる。

 元あった形骸など蹂躙して、戦場は二騎の英霊の色彩によって染め上げられた。

 

 陸戦銃列と海戦艦隊。本来ならばまずかち合う事のない組合せ。

 だが超常たる英霊同士の戦いにあっては、そのような常識こそ無意味である。互いの幻想が互いの領域を侵食し、地形の差異など度外視して攻撃を届かせていた。

 

 陸上をも己の海原に上書きし、艦隊を進撃させるライダー。

 無数の艦船より放たれる砲撃は凄まじく、決闘の舞台であった沈没船を次々と粉砕しながら攻め立てる。

 対し、迎え撃つのはアーチャーの三千を誇る種子島。膨大な銃の列が織り成す弾幕は途切れる事がない。苛烈なる銃火の洗礼が真っ向よりライダーの艦隊を迎撃していた。

 

 拡大した戦闘規模は、その趨勢を見極めることが難しい。

 だが理屈で問うのなら、優劣の是非は見えてくる。互いの宝具の質を鑑みれば差異は明らかだ。

 種別は共に対軍宝具。個人ではなく大多数の軍を相手取るのを想定した兵装だ。だが同じ対軍でも、想定される軍の形態に関しては両者で全く異なっている。

 銃という武器は、そもそも人に対して用いるものだ。銃弾は人の肉を穿つが、城の石壁を穿つことはない。英霊の武具に通常の運用法を当てはめても仕方ないが、『三千世界(さんだんうち)』が"人間の軍勢"に対して用いるべきものなのは間違いない。

 しかしライダーの艦隊は違う。搭載された艦砲も、同じく艦船を破壊するべく備えられたもの。人の軍とはその規模からして違いすぎる。たとえ数で補うにしろ、銃のみで艦に対抗するなど本来ならば有り得ないのだ。

 

 加えて、宝具としての性能にも要因はある。

 彼女らが扱うのは通常の兵器ではない。そこに付随した幻想、現実を歪める超抜能力こそ宝具の真価。多種多様に分かれる効果の如何が勝敗を左右する。

 単純な実力だけでは推し量れない。相性次第では格上殺しも成立するのが宝具戦だ。そしてアーチャーの宝具とは、まさにその理論における最右翼だった。

 騎兵特攻。生前に当代最強を誇ったとされる騎馬軍団を屠った事で、アーチャーの銃火は『騎乗』スキル持ちに高い威力を発揮する。

 更には彼女の持つ固有スキル『天下布武・革新』の効果もある。高い神性を有するか、より古い歴史を持ち強い神秘の持ち主であればあるほど、アーチャーの攻撃は威力を倍増させる。

 相性が良ければ、それこそ神霊の如き猛威を振るう。逆に相性の噛み合わない相手だと著しく能力を制限される、まさに"相手を選ぶ"サーヴァントだった。

 

 そうした着眼点において、此度のライダーは決して相性の良い相手ではなかった。

 

 ライダーの真名、フランシス・ドレイク。彼女が生きた時代は、世界史上においてアーチャーとほぼ同年代。何らかの運命が交われば、生前に邂逅する事も有り得た者同士だ。

 より古い英雄という条件にライダーは当てはまらない。彼女を相手にスキルの恩恵は得られず、せいぜいが平均止まりの威力しか期待できない。

 その上、『騎乗』スキルに対する特攻もこのライダーには通じない。ライダーの有する特殊スキル『嵐の航海者』。船と認識されるものを駆り、船団という性質上『軍略』『カリスマ』の効果も併せ持った特別なスキルだ。

 最強の騎兵団を討ち破った逸話も、船団には適用されない。型破りなこの英霊は、あらゆる面でアーチャーの嵌めるべき型から外れている。

 

 アーチャーの強引とも呼べる決戦前の早仕掛けも、全てはそのためだ。

 型より外れたライダーは、アーチャーにとって不得手な相手であるのは事実。

 故に答えは明らかだ。真っ向からの決戦ならばアーチャーが不利。ライダーの率いる艦隊は、種子島の総列に対し優位を取れる。

 

 だが無論、そんなものは机上の空論。同条件のマスターという前提でしか成り立たない。

 アーチャーの横に立つのは甘粕正彦。今聖杯戦争における優勝候補の筆頭の一人であり、単体でサーヴァントに準ずる実力を持つ破格の男。

 不屈の意志でたゆまぬ前進を続ける彼の事、決戦に向けての戦備えも万全に仕上げている。準備期間(モラトリアム)という時間は甘粕とアーチャーの戦力をすり合わせ、相互連携を完成させるのに十分すぎた。

 

 種子島の一丁ずつに施される咒法の射、創法の形。その銃弾は軌道を変え、焦熱を生み、鉄甲と化して突き刺さる。一発一発なら宝具に抗し得るものではないが、その物量が質の差を凌駕する。

 サーヴァントの戦闘速度に対応して、また自身でもそれに追随する自立戦闘が可能な魔術師(ウィザード)。マスターの枠組み内では、間違いなく甘粕正彦こそ最強だった。

 魔弾と化した三千の銃撃が、ライダーの艦隊を貫いていく。本来の相性差を塗り替えるのは純粋な性能強度。甘粕正彦というイレギュラーの存在が全ての前提を覆す。

 

 それらの結果、劣勢を強いられているのはライダーの方だった。

 

「アハハハハハハハハッ!」

 

 そんな己の現状を認識しながら、それでもライダーは大笑していた。

 

「マジかよアイツ、刀一本で船を潰しやがったぞ。あれで人間とかギャグだろ、オイ!

 アタシの艦隊をここまで潰してくれるたぁ、本当にやってくれるねぇ!」

 

 そこにあるのは締観ではなく、紛れもない高揚だ。

 追い詰められればられるほど、ライダーという英霊は気性の激しさを増していく。

 

「さあ、どうしたいシンジ! さっきから黙りくさって、お決まりの悪態はどうしたよ?

 晴れ舞台だぜ、アゲていけよ。これだけのモンは滅多にない。アンタも存分に楽しみな!」

 

 もう一度言おう、ライダーは生粋の冒険者。挑むに足る困難は彼女にとって望むところ。

 追い詰められる窮状などむしろ大好物だ。己より強い者を相手取ってこそ本領を発揮できる。

 故に、ライダーは笑う。立ちはだかる難関を見据え、それを踏破してみせる時のことを思い、彼女はふてぶてしく笑うのだ。

 

 熱の灯った気持ちのままに、ライダーは己のマスターへと声を上げる。

 彼女が優先するのは己自身の感情だ。他者の事などに頓着せず、勢いに乗った思いを何一つ憚ることなく愉しんでいる。

 

「……さい」

 

「あん?」

 

「うるさいって言ってんだよ、このイカレサーヴァント!」

 

 だからこそ、ライダーは気付けない。いや、気付こうとしていなかった。

 傍に置かれたマスター、旗艦"黄金の鹿号(ゴールデンハインド)"に同乗し戦場へと引っ張り出された間桐慎二。自分を置いて次々と動いていく事態の中で、遂に溜まった憤りを吐き出した。

 

「隠そうとすんなよ! おまえ今やられてんだろ、負けそうなんだろ! 僕が気付かないと思ってるのか!? 負けそうなクセに、ヘラヘラ笑ってんじゃねぇよ!」

 

 たとえライダーが逆境をバネとできる英雄であったとしても、間桐慎二は違う。

 既に現実を見せつけられて、ゲームであると都合のいい空想に逃げる余地はもはやない。突きつけられる眼前の事実は、幼い心を徹底して追い詰める。

 死線の渦中という状況もさることながら、何より対峙しなければならない者たちの存在そのものが、彼の許容限界を逸脱していた。

 

「死ぬんだろ!? この戦いに負けちゃったら、僕は死んじゃうんだろ!? だってのになんで、なんでおまえらみんな、そんな風に笑ってられるんだよ!?」

 

 彼らは笑っている。ライダーも、アーチャーも、甘粕正彦も、心からこの決戦を愉しむように。

 それぞれに性質は違うだろう。だが臆さない気持ちに変わりはない。死の恐怖をもねじ伏せて、死闘へと挑むその気概。己の信念に殉じているから、何よりその思いに充実を感じているからこそ出来る勇敢な在り方だ。

 

 だが間桐慎二にとって、その姿は理解不明な狂人のそれとしか映らなかった。

 

 信念に殉じるなど、元より慎二には遠い価値観だ。意味が分からない行動は、自分とは違うものという異質感を与えるだけ。肯定的な見方など不可能である。

 そして、現状においては慎二こそが異端者だ。この修羅場においては彼らの感性こそが罷り通り、慎二だけが取り残される。それが何より彼の心を追い込んでいた。

 

「おまえも、アイツらも、どいつもこいつもイカレてる! 絶対におかしい! これじゃあ1人だけ怖がってる僕がっ、馬鹿みたいじゃないか!」

 

 確かに間桐慎二は挫折の中から立ち上がった。

 戦いの痛みと死の恐怖を刻み込まれ、それでもこの決闘に赴いた。それが一つの奮起の形であるのは確かなことだろう。

 

 ――だが、勘違いしてはならない。間桐慎二は何一つとして変わってはいないのだ。

 

 暗く歪んだ自尊心を支えにして、折れた中から彼は立ち直った。

 自分が敗北するはずがない。誰よりも優秀であるはずの自分が敗れるなど何かの間違いだ。何の骨子もないその価値観を盲信し、己の中に自閉して逃げているだけだ。

 直視させられた痛みも恐怖も、何もかもを自尊で塗り潰して走っている。要は折れそうな出来事から目を逸らしているだけなのだ。何も改善はされていない。

 

 無論、それで何も成せないわけではないだろう。誤った認識のままに暴走し、結果を歪める事はおおいにあり得る。所謂、道化の役どころだが、無意味というわけではない。

 世の物事の不条理は、時にそうした歪みが功を成す事もある。それが本人の功績になるかは別の話だが、正しさばかりでは進まないのも確かだろう。

 そういう意味では、慎二が起った意義はある。どうあれ起たなければ待つのは消滅の運命だ。可能性が生じたという点だけでも意味はあると言える。

 

 それでも、所詮は誤ちである。本当の強さとは言えない。

 そもそも道化が役割を持てるのは、周囲がまともであればこそだ。真っ当な中での歪んだ認識という異端さが、時に不条理を呼び寄せるというだけ。

 この場にまともな者など1人もいない。己の正義(エゴ)で世界さえも変えてしまう究極の個人主義。その体現者たる英雄と、それにも勝らんとする益荒男だ。

 間違っても間桐慎二が紛れ込んで良い場所ではない。ここで彼に出来る事など何もないのだ。

 

 誤ちを認め、改めようと努力してこその成長だ。

 それが出来ない限り可能性は広がらない。新たな強さなど夢のまた夢である。

 破格の者が集う中、間桐慎二程度の個性では埋もれるだけだ。ただ激流の場に流されて、相手にもされずに結末まで向かうしかない。

 

「くそ、くそ、くそぉッ! こんなの間違ってる。僕は優秀だ、誰よりも優秀なんだ! なのに、まだ何もしていないのに、こんな所で消えるなんて冗談じゃない!

 どいつもこいつも僕のことを無視して、好き勝手しやがって! なんとか言えよ、ライダー! おまえ、戦えば勝てるみたいな事言ってたじゃないか。だったら責任取って何とかしろよ役立たず! 僕のサーヴァントなら、ちゃんと僕を勝たせろよ!」

 

 端的に言ってしまえば、間桐慎二のしている事は愚行だろう。

 

 戦闘の最中、自分のサーヴァントに罵声を浴びせるなど百害あって一利なしだ。

 士気を挫く事にも繋がるし、もしこれが戦士同士の白兵戦であれば、気を取られた僅かな一瞬が命取りとなる場合も有り得る。断じてマスターがしていい行動ではない。

 所詮、子供の癇癪でしかない。付き合わされる者は辟易して然るべきだろう。

 

「……うん? なんだ終わりかい? アタシとしてはもう少し聞いてやっても良かったんだがねぇ。

 いやぁ実に小気味いい悪態だったよ、シンジ。やっぱりアンタは筋がいい。堂に入った悪党ぶりだよ、ここまでブレなきゃいっそ大したもんだ」

 

 だが幸いというべきか、ライダーは戦士ではなく指揮官だ。

 やっている戦いは白兵戦ではなく軍団指揮。真剣である事に違いはないが、言葉を返す余裕がないわけではない。

 

 慎二の癇癪にもライダーは気分を害した様子もなく、上機嫌なまま答えてみせた。

 

「ッ! だから、そうやって何でも自分の理屈で語ろうとすんなよ、この脳筋女!

 いいから真面目に答えろよ。おまえ、前は戦えば勝てるみたいなこと言ってたろ。ちゃんと戦えばあいつらに勝てるんだって!?」

 

「いやいや、そんな事は言ってねぇよ? せいぜい悪党らしく花咲かせてみろって話さね。火のひとつも上げないまま、種銭残して沈んだってつまらんだろうに。

 大体言ったろ、勝負事に真の意味での偶然なんてありゃしないって。公平な条件からやる戦争なんてない。やれば強いやつが勝つのが当たり前なんだよ」

 

 言動こそ放蕩だが、語る内容は闘争の本質を突いたものだ。

 決意を固めて立ち上がって、それで物事全てが上手くいくなら苦労はない。奇策の嵌った逆転劇が賛美されるのは、それが得難い結果だからだ。本来ならば奇策が成功する戦い自体が稀である。

 強さの優劣が決まっているなら、戦って勝つのは強い方だ。基本であり王道、だからこそ覆し難い真理がそこにある。

 

「まあ、ここ最近のアンタはそれなりによくやってたけどねぇ。報酬はがっぽり用意してたし、砲弾の準備も十分だ。アタシはこれ以上なく力を発揮できてるよ。

 でもね、たかが二、三日で覆る差なんざ、最初からあってないようなもんだ。地力ってのは一朝一夕で身につくもんじゃない。気合やらで何とかなる時ってのはね、そもそもの土台に逆転へ繋げられる下地があるもんだ。早々上手い話なんてのは無いもんなのさ。

 要するにだ、アンタにあいつらの相手は早すぎた。それだけの話さね」

 

 未だ歪んだ自尊心に囚われる慎二だが、それで何もしなかったわけではない。

 自己を磨く努力があった。勝利に向かうための研鑽があった。刻まれた苦痛と恐怖は、彼の中から慢心の感情を切り捨てている。

 たとえ根底が変わらずとも、行動は嘘をつかない。間桐慎二の実力は確かに上がっている。

 

 それでも、努力の研鑽も実力の向上も、甘粕正彦に及ぶものではなかった。

 ただ単純に地力の不足。起ち上がろうと覆せない差があったと、それだけの話である。

 

「ただまぁ、だからって可能性がまるでないわけじゃない。博打の結果は札を開けてみない事には分からんもんさね。運気の不条理ってのはどこにだって転がってる。

 けどさぁ、それを考慮したって、やっぱり足りねえなぁって話になるんだよ」

 

「た、足りないって、何がだよ……?」

 

「そりゃ色々だ。蓄えなり実力なり天運なりと、ひっくるめた上での勝算さ。特に理屈っぽい根拠はねぇし、ほとんど勘みたいなもんだけどねぇ。

 ただ、単なる勘ではあるが、今まで外れた事も特にないんだ。今のアタシらが勝機を掴むには、何かが足りてないって分かるんだよ」

 

「な、なんでそんな事言うんだよ!? おまえのステータス、幸運値はEXってすごい数値だったろ。ならさ……」

 

「いやそうだけど、別にアタシは嵐が吹いただの敵の頭が病死しただの、そういうので勝ってきたわけじゃないからねぇ。奇跡を期待するとしても種類が違うさ。

 それにね、知ってたかい? その評価規格外(EX)ってのは、要は基準になる数値じゃ正確に測りきれないってだけで、別に高いとは限らないんだぜ?」

 

 言外に自分たちには勝ち目がないと語るライダー。

 悲壮感もなく、むしろ愉しんでさえ見える様子には、生死が懸かった重みは感じられない。

 

「勘違いしちゃいけない。シンジ、こいつはアンタの戦いだ。方針には従うし、何を言い出そうが文句は言わない。けどね、出せないもんを出せと言われても、そりゃどうしようもねぇさ。

 こっちは報酬分はきっちりとやってるんだ。それでも運が絡む所にまで持っていけてねぇ。だったらそいつはアンタの不足分さ。持ち合わせがなけりゃあツキだって買えないぜ」

 

 そこにあるのは享楽的な性格には似合わない、いっそ冷然でさえある商人の勘定だ。

 好きなように振る舞いながら、彼女は自分がサーヴァントだと弁えている。聖杯戦争とはあくまでマスターにとっての戦いであり、サーヴァントはその闘争手段に過ぎないと。

 それがどれほど馬鹿げた方針だろうが基本的には従うし、善行であれ悪行であれ、肯定も否定もせずに受け入れられる。だが同時に、戦いの勝敗に自分から関わっていく事もない。

 

 与えられた分の報酬に見合う働きをする。雇われ海賊として、その線引きは忘れない。

 

「まあ、アタシは構わんよ? あいつら相手なら十分にノれそうだし、なかなかいい感じにもなれそうだ。このままやられるんだとしても、それはそれで一興さね」

 

「なっ!? おまえ何言ってんだ! 自分が負けてもいいってのかよ!?」

 

 だが、慎二が驚愕したように、ライダーの考え方は英霊としても異端だった。

 サーヴァントには意思がある。如何にムーンセルからの制約があるとしても、基本的にその行動は本人たちの自由意思によるものだ。

 マスターから彼らを縛れる強権は令呪のみ。参加資格の件を含めれば実質2回のみの命令権だ。マスターの思惑だけで事を進めることは出来ず、サーヴァントとの共闘関係は必須といえる。

 

 かつて地上で行われたという聖杯戦争、魔術師たちは英霊を戦いへと駆り立てるため、勝者の組に対する報酬を用意した。

 万能の願望器、その使用権の共有。最後に残った一組は各々の願いを叶えられる権利を得る。

 再現された月の聖杯戦争でも、その権利は同様だ。サーヴァントたちは願いがあるからこそマスターたちの召喚に応じ、勝利のために手を取って共闘する。

 勝たなければならないのはマスターだけではない。サーヴァントたちも願いの差異こそあれど、決して敗けられない理由があるから戦っているのだ。

 

 だというのに、ライダーの態度はまるで真逆。彼女自身には勝利への執着がまるでない。

 大前提を破綻させるようなその在り方は、サーヴァントとして異質だと言えるものだった。

 

「ああ、その辺りがアタシとあんたの食い違いの最たるところなんだろうねぇ。

 なぁシンジ――――勝つだとか負けるだとかって、そんなに重要かい?」

 

「え……?」

 

「そりゃ勝った方が嬉しいよ。アタシだってやるからには勝ちを狙ってくさ。勝てば全てを手に入れて、負けりゃあ全てを失う。それが戦の道理ってやつだからね。

 けどよぉ、初めから勝つのか負けるのかが決まりきった勝負なんざ、一体なにが面白いんだ?」

 

 慎二には、ライダーの意図が理解できない。

 ゲームだろうが戦争だろうが、勝負事なら勝とうとするのが当然のはずだ。ライダーだってそれは分かっていると言っている。

 なのにライダーは、勝利に頓着することは重要ではないという。それは慎二の耳には矛盾した、理解の及ばない戯言にしか聞こえなかった。

 

「堅実にも用意周到に準備して、手堅く勝ちを重ねていって勝ち分を蓄えて、そうして肥え太った自分自身を見てみなよ。その時になって負けて全てを手放して、それで納得できるような代物かい? そうなりゃ後は勝ち続けていくしかない。欠片も愉しくなかろうがね。

 あのアーチャー辺りならそれでいいのかもだが、少なくともアタシはゴメンだ。忘れんなよ、シンジ。アタシらは所詮、悪党だ。理想も無けりゃあ責任もない。背負ってるもんなんて端から何もないんだ。だからこそ愉しめるんだろうが、勝負事も、生き死にだってね」

 

 混迷は深まっていく。すぐ目の前にいるはずのサーヴァントが、慎二にはひどく遠くにいるように感じられた。

 

 考えてみるのなら、これが始めてなのかもしれない。

 これまでゲームの延長として聖杯戦争を捉えていた慎二。サーヴァントも彼にとっては自身を勝利に至らせるための駒でしかない。

 その人格を認め、単なる人形(ドール)とは違うと分かっていても、それ以上の事には踏み入ろうとはしなかった。その発想すら持てなかった。

 こいつがどんな人間かなんて興味ない。重要なのは強いかどうかで、自分にとって役立つものか否かだと。そのような考え方に疑問を持たず、慎二は今日までライダーの人間性に関心を持つことをしなかった。

 

 だからこそ、これが始めての事なのだ。

 理解し難いからこそ疑問に思う。慎二は今、ようやくライダーという"人間"を見ていた。

 

「……なあ、ライダー。サーヴァントって願いを持ってるんだろ? おまえの願いって何だよ?」

 

 出てきた疑問を聞き届けて、ライダーが返したのは心底おかしいといった大笑だった。

 

「ク、ヒヒ、アハハハハハハッ! 今さらかよぉ、シンジぃ! こんな土壇場になってようやく、ここまで思いもしてなかったろうにさぁ! アンタって奴はとことん器が小さいねぇ」

 

「ッ!!? おまえな――」

 

「あー、いやいや、別に馬鹿にしてるわけじゃない。いやしてるが、悪いと思ってるわけじゃあないんだよ。で、なんだ、アタシの願いだって?

 ()()()()()()()()。アタシはただ派手にドンパチやりに来ただけさね。万能なんざ興味もねぇ、今を愉しめればそれでいいのさ」

 

 発した放言は、まさしく破天荒そのものだ。

 願いも無ければ目的もない。ただ快楽のまま振舞うのが望みなど、とても納得できないだろう。

 

 だが、同時に理解できることもある。

 ライダーは嘘を言っていない。真意を隠すとか騙すとか、その類いの考えは欠片も持ってない。

 少なくともこの場において、ライダーは本音しか語っていないのだ。慎二でもそれが分かるほどに、ライダーの態度は明白で分かり易かった。

 

「分からんかい、シンジ? そうだね、なら命の話なんてどうだい。ほら、よく言うだろ。命は大切にしなくちゃならないとさ。他人の命まで含めて言ってんなら上等だし、下衆共だって流石に自分の命は大事にしようとするだろう。

 ああ、そいつはもちろん正論さね。生まれてきたからには命ってのは大事にしなくちゃならんと、そりゃそうだろうよ当然だ。

 そいつを踏まえた上で、アタシはこう言ってやろう。なあ、シンジ――――」

 

 凄絶な、快活な、底なしの地獄のような笑みを浮かべて、ライダーは言い放った。

 

()()()()()()()。後生大事に抱えてるもんじゃない。無駄使いするくらいでちょうどいい」

 

 突き放した死生観。生の繁栄ではなく死の凋落こそライダーの見出だした価値だ。

 彼女は死を怖れない。かつて魔術師たちが抱いたとされる死を締観するという姿勢。それともまた異なる価値観で、ライダーは生死を達観していた。

 魔術師のように、自らの命さえ魔道に組み込むのではない。彼らがそれこそ己の命にも勝る価値を持つ才能さえ、ライダーは容易く捨ててみせることが出来るのだ。

 そこには何も残らない。何一つ築かれたものはなく、それで良いとライダーは受け入れた。

 

 人も、国も、星でさえも、いつかは死に絶える。

 何物も滅びるなら、執着しても仕方ない。それこそがライダーの至った結論だった。

 

「だからね、シンジ。アタシは今でもアンタってマスターを悪いもんだとは思ってない。他のマスター連中も色々見て回ったが、それでも選べるならアンタを選ぶくらいにはね。

 理想ぅ? 世界ぃ? よしとくれよ、アタシの火薬がシケちまう。隣りでご立派な御題目掲げられても、雇われの身には肩がこるだけさね。

 その点、アンタはいいよ、シンジ。ちっぽけな性根のくせしてしでかす事は面白いし、何よりも命が安い。好き放題やるにはいい安配だよ」

 

「ふ、ふざけんな! 僕の命は安くなんかない。死んだらそれまでだなんて、そんな簡単にいくもんか!」

 

「なんで? 聞いたところの両親連中が文句でも言うのかい? てめえ高い金払って産んだのに死にやがッて元が取れてねえじゃねぇか、とでも。

 アホか、言わせとけよそんなの。大体そいつらが大事なら、そもそもアンタはこんなとこ来てねえだろうが」

 

 反論も言い伏せられて、慎二は口をつぐむ。

 勢いに押されたのもそうだが、その言葉が芯を捉えていた衝撃も大きかった。

 

「だがそんなもんだ。いいんだよ、それで。悪党なんてのはそもそも小物なんだよ。てめえの器が小さいから、暴力やら金やらの俗なもんでしか他人を縛れないのさ。

 だがそんな悪党にも利点はある。なにせ器が小さいもんだから、余計なもんは背負わずに自分の欲望だけに執心できる。果てにどうなるなんざ考える必要もないさ。ただ悪党の命一つが消えるだけ、むしろ良いことづくめさね」

 

 自らを卑下しながら、後ろ暗さなど一切感じさせない調子でライダーは語っていく。

 

「命の生き死になんざ劇的なものじゃない。その時がくるなら唐突に、吹いて消えるみたいに軽いもんさね。たとえば、だ。アタシの死に様なんて聞いてるかい?」

 

「お、おまえの、死……?」

 

「ああ。そりゃあみじめなもんだったぜ。我ながらあれは大失敗だったね。

 病をもらっちまって頭の中ボケちまってさ。ワケも分からんまま天に召されちまったよ。まさかこのアタシが陸のベッドで死ぬ事になるたあ思ってもみなかったぜ。

 運が良すぎるのも考えものだね。サン・フアンあたりできっちり死んでおくべきだったよ」

 

 英雄フランシス・ドレイクの最期。

 実に50代までを現役のまま過ごした海賊提督の死因とは、疫病による病没だった。

 死の直前には錯乱した奇行が目立っていたという。数多の海戦をくぐり抜け、世界一周という大偉業を成し遂げた稀代の冒険家。そんな人物にとって、病と倒錯の果ての最期が本意であったはずがないだろう。

 

「悪党の死を悼む奴なんざいない。いたとしても、そいつは祭りの灯を惜しむようなもんだ。散々好き放題やっといて、悼まれる事を期待するなんざ贅沢ってもんさ。

 もう一度言っとくぜ。覚悟しとけよ? 勝とうが負けようが、悪党の最期ってのは笑っちまうほどみじめなもんだ」

 

 そう言って突きつけられた指に、慎二は押された。

 冗談めかして言われた言葉を、かつて慎二は信じなかった。所詮、悪ふざけに過ぎないと。

 今ならば否応なく信じられる。敗北の果てに訪れる死。容易に想像できる己の結末に、慎二は再び恐怖に震えた。

 

 そんな慎二の胸ぐらを、唐突にライダーが乱暴に掴み上げる。互いの顔が寸前まで迫り、ライダーの双眸が慎二の視界いっぱいに映し出された。

 狂気さえ滲ませるその瞳。息さえかかる距離で囁くように、しかしはっきりと響く悪辣な声でライダーは告げた。

 

「だから愉しめ、シンジ。思いきりてめえの人生を愉しめる事が悪党の得なところさ。

 勝って世の中の連中の鼻を明かしてやりたい? 結構結構十分ありだ、遠慮することはない。どいつもこいつも蹴落として、せいぜいそのちっぽけな欲望を満たすといい。悪党の戦う理由なんてその程度だ、恥じ入る必要なんてこれっぽっちもありゃしないよ。

 どのみち大層なもんなんてないちっぽけな命だ。つまらん持ち物なんてさっさと放り出して、せいぜい手前勝手に使い尽くしてやりながらやってみろ。大事なのは勝ち負けか生き死にの問題じゃなく、愉しいかどうかだぜ?」

 

 手が離され、不格好に尻餅をつく慎二。苦し気に咳き込む彼に構わず、ライダーは更に告げた。

 

「たとえ最期に惨めな終わりがあるんだとしても、その時はそんなてめえのみじめさを腹の底から笑い飛ばしてやればいい。生きてる間を存分に愉しんで、おまけに死に様まで愉しめたとなりゃあ、そいつは親の総取りってもんさ!

 そうやって世の善人連中を相手に、てめえの死に目の時にでもせいぜいふてぶてしく笑ってやりな。"こっちはアンタらより何倍も、この人生を愉しんでやったぞ"ってさ。

 ……そうだね。ひとつ訂正、いいかい? さっきは願いなんて無いって言ったが、ありゃあ間違いだ。アタシは今度こそ、()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()

 なぁシンジ。愉しめ、愉しめよぉ、なぁ? アハハハハハハハハッ!」

 

 哄笑響かせるその様は、まさしく悪党の自称に相応しい。

 茫然とそれを見上げる慎二にあるのは、ただただ理解を超えたものを見る畏怖の念だろうか。

 

 ……それはどうだろうと、慎二は思う。

 確かにこのサーヴァントは常軌を逸している。とても理解できそうにない。

 それでも、このライダーという英霊に触れて、感じ入ったのはそれだけではないと、今の慎二には思えていたから――

 

 その時、轟いた銃声と共に、ライダーたちの至近が撃ち砕かれた。

 

「っ!? かぁー、流石に話しすぎたかねぇ」

 

 話の最中でも、当然戦闘は継続している。

 劣勢にあったライダーの艦隊は、とうとう旗艦にまで銃火が及んでいた。

 

「さーて、潮時だ。愉快な雑談時間はここまで、そろそろ決めにいくぜ」

 

 会話を打ち切り、戦いへと意識を戻すライダー。

 言ったように、こんなものは雑談だ。特に意義があっての事ではない。

 切り替えたのならそれまでと、その程度で終えて良いものでしかない。

 

 それは当然の判断だ。すでに敵の手は間近に迫っている。

 ここからは全神経を集中させて事に当たらなければならない。変に引きずって何かの隙に繋がったら、それこそ目も当てられないだろう。

 故に、この雑談を続ける意味はない。これ以上話すことなど何もないはずだ。

 

 だが――

 

「やっぱり、おまえはイカレたサーヴァントだよ」

 

「あん?」

 

 気付けば、慎二は口を開いていた。

 

 意味がないのは分かっている。それどころかマイナスに成りかねない事も。

 だが、まだなのだ。まだ続けてなくてはならない。まだ大切な事を伝えきれていない。

 

 何故だがそう確信できて、自然と言葉が出ていたのだ。

 

「好き放題に滅茶苦茶なことばっか言いやがって。まともじゃないよ、周りの奴らからウザがられたりしなかったの、おまえ」

 

「……カハハッ、そうだねぇ。その辺りを分かっている奴はそうそういなかったよ。投資した貴族連中も付いて来た部下どもも、大抵は財宝の方に目がいってたさ」

 

「大体、かっこつけて言ってるけど、結局は負けてるって事だろ。何言ったってただの負け惜しみじゃないか。誤魔化してるんじゃないよ」

 

「そりゃごもっとも。やられてるアタシはなに言ったって負け惜しみだ。その通りだよ」

 

「それにな、色々言ってくれたけど、僕はまだ8歳だぞ。生き死にがどうだのなんて、そもそも考えるような年齢じゃないだろ、普通」

 

「確かにそいつはひどい。命を張るような歳じゃないねえ」

 

 言葉は続く。ライダーもまた軽い調子で答えていく。

 内容自体は他愛もない、あるいは愚痴にも近いものだったが、構えたところの無いそれらの言葉は慎二にとっての紛れもない本音でもあった。

 

「けど、それでも、負けてしまったら僕は死ぬんだな?」

 

「ああ、そうさ。誰だろうと等しく、呆気なくね」

 

 そうして慎二は、ずっと目を背けようとしていた事に向き合った。

 

「……よし、なら勝てよ。おかしな理屈で言い訳なんて許さない。おまえは僕のサーヴァントで、僕はおまえのマスターなんだ。出来ないなんて言わせない。

 それに、さ。おまえって強欲なんだろ。偉そうに海賊なんて名乗ってるくらいだ、なら負けてもいいなんて殊勝なこと言ってないで、勝ちだって全部かっ攫うつもりで行け。

 おまえは英雄で、悪党なんだろうが。だったら、それぐらいやってみせろよ」

 

 そう、何においてもまず、それこそが言うべき言葉だった。

 

 その勝利を信じること。サーヴァントを信頼し、戦いに向かう背を声援で以て送り出すこと。

 共に肩を並べて戦う同胞として、それは当たり前の行動だ。そんな当然であるはずの事を、これまで慎二はまるで思い至りさえしなかった。

 所詮、実益には繋がらない。声援でパラメーターが上がるわけもなし、感情的に過ぎないもので無意味であると、そのように思っていた。

 だが無意味であるからといって、それをしない理由にはならない。仲間ならば当たり前で、何かを失うわけでもないのなら、やらない理由こそ無いだろう。

 サーヴァントとは戦いための手段であり、道具に過ぎない。その意識が根底にあったから、今までその発想すら浮かばなかった。

 

 しかし違うのだ。サーヴァントには自意識がある。単なる道具などでは決してない。

 そこには固有の感情があり、戦いに臨む士気がある。蔑ろにして良いものではないだろう。

 道具ではない。ここに居るのは対等な同胞、互いにそれを認め合い、共に手を携えて戦っているのだと理解してこそ、本当の信頼関係が生まれるのだ。

 

 その事をどうしても伝えたかった。全てが決してしまう前に。

 ライダーが求めるものとは違うだろう。内容自体も皮肉まじりの素直になりきれないものだったが、それでも伝えたかったのだ。

 

 間桐慎二が、ライダーを信頼しているのだという事を。

 

「……こいつは、ひょっとしたら足りたかもしれないねぇ」

 

 呟かれた言葉は、慎二の耳に届くことはない。

 奔放にして鮮烈なる大海賊は、常と変わらぬ豪胆な姿のままで謳い上げた。

 

「アイアイサー、大将(マスター)。奴らにも拝ませてやるさ、嵐の王、亡霊の群れ、太陽さえ落としたワイルドハントを!

 錨を上げな、野郎ども! ここが大詰め、正念場だ。幸運だって出し惜しまない。一切合財、派手に散らして、破産しながら燃え上がってやろうじゃないか!」

 

 訪れる船出の時。ライダーの号令に呼応して船団が動き出す。

 かつて数多の航海、海戦を乗り越えた威容、その奇跡の光景がここに再現されようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場における空気の変化を、アーチャーは敏感に感じ取っていた。

 

 匂いが違ってくる、趨勢がうねり未知なる領域に流れ込もうとしている。

 確かな動向を確認できたわけではない。しかし分かるのだ、決着の気配が迫っているのを。

 ライダーは既に死力を賭した激突を覚悟した。確信にも似た心境でアーチャーは判断していた。

 

「打って出てくるか。さて、どう見る正彦?」

 

 決戦の気配を嗅ぎ分けたアーチャーは、己の主の意図を問う。

 乾坤一擲の博打と見える相手の一手。これをどう判断し、またどう対処するのかを。

 

「ああ。やはり若人の克己というものは胸踊るな」

 

 その返答として甘粕は、素直な己の感想を口にした。

 

「如何なるものかは知らないが、彼には彼なりの決断があったのだろう。恐怖に震える心を呑み込み、英霊と同じ戦場に立つと決めた覚悟は見事と言える。

 決戦を挑むのなら、伴う意志も浮き出るものだ。俺はこれを、彼の決意の発露と捉えよう」

 

「問うたのはそちらではないが、相も変わらぬようで結構なことじゃ」

 

 あらゆる意味でブレない甘粕の答えに、呆れよりもいっそ感心してアーチャーは呟いた。

 

「今さらそなたの趣向をどうこうとは言わぬ。が、ならばこちらも生半な気概では抗し得まい。まずは決めねばならぬぞ、退くか、それとも進むかを」

 

「無論、こちらも真っ向からぶつかるとも。決意を示されたのならば、それに勝るものを示すのが礼儀というものだ。アーチャー、俺とおまえならばそれが出来ると思っているが?」

 

 そして返される答えも、やはり当然というべきか。

 戦術の優位など度外視して、意志の光が示される場を求めている。そのためならば、あえて危険に踏み込むことも辞さない。

 人に試練を課し、自らもまた試練に真摯であらんとする甘粕正彦。退く選択肢など初めから無いようなものだった。

 

「まったく、そうした不確かな正面戦などせずに済ますがための我が策であったというのに、こうなるとはの。桶狭間の頃を思い出すわい」

 

 本来なら、そうした輩とはまるで異にする性質であるのがアーチャーだ。

 彼女にとって戦いとは勝つべくして行うもの。求めるべきは意志の光などではなく、果てにある成果のみ。およそ交わる事のない価値観である。

 かつての王であった彼女ならば、決して許しはしなかっただろう。己の築く世に災いもたらすものとして、無情のままに対処していたはずだ。

 

「が、是非も無しよ。今生に限り、甘粕正彦、そなたこそ我が主君じゃ。その阿呆な生き様でどれほどの事が成せるか、せいぜい最期まで付きおうてやるわ」

 

 今の彼女は王に非ず。その身はサーヴァント、主のための剣である。

 甘粕正彦の剣として、アーチャーはその力を振るう。遥かな果ての世に産まれた稀代の大莫迦者、彼が天下に布く革新の姿を見るために。

 

 応じるのは銃砲の列。かつて天下布武の意志の下、世を席巻した革新の概念。

 見果てぬ夢想を粉砕する無情の鉄火。その担い手として、アーチャーは敵へと対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流れる潮の香り、水を切って進む音。それは心象に刻まれた、在りし日の風景。

 電脳空間に拡がった大海原。無数の船が埋め尽くして進撃する様は、過去の伝説の再来だ。

 

 特別な陣形は取らず、只々相対する者を蹂躙する突撃形態。

 旗艦を先頭に、真っ向からの艦船群による陸への突貫という、条理の内では考えられない異常事態。標的となるのは砦でも軍でもなく、たった一人の等身大の相手であるアーチャーだ。

 対し、アーチャーも己の銃火で迎え撃つ。三千もの種子島による一斉射撃、猛る意志により威力を増す甘粕の邯鄲法も上乗せされ、魔弾と化した銃撃が雨あられとライダーの船団に降り注いだ。

 結果、艦船は次々と撃ち抜かれて沈んでいく。元より劣勢にあったライダー側である。ただ向かってくる相手など的にも等しく、故にこの結果も必然のものであった。

 

 ならばこれは、自棄ばちとなったが故の捨て身の特攻なのか。

 否、である。それしきのものでは終わらない。それはライダーの姿を目にすればすぐに分かる。

 ライダーが立つのは、艦首。旗艦"黄金の鹿号(ゴールデンハインド)"の最先頭である。すなわちアーチャーの弾幕に対する最前線、そこで堂々と佇みながら高らかに笑っていた。

 最大の危険地帯にその身を晒す。そこに如何なる意義があるのかと問われても答えようがない。何故ならそんなものは端から存在しないのだから。

 

 当たり前の戦法など、つまらない。この期に及んで後生大事に身を守って何になるのか。

 そういうノリではないのだ。博打ならばとことんまで、大きく張らなければ運は呼び込めない。

 戦の術理などクソくらえである。この場においては、芯の底から馬鹿げた真似こそが正解となる。常軌を逸して狂っていなければならないのだ。

 

 事実として、弾幕の中にあるライダーは未だ一発の銃弾も受けていない。

 それだけではない。周囲の船団が銃火に射抜かれ轟沈する中で、旗艦である"黄金の鹿号(ゴールデンハインド)"だけがその洗礼を受けていない。先の銃撃のもの以外にその船体に傷は無く、乗船するライダーの意志のままに突き進んでいる。

 最も危険な場所に居座るものが、一切の傷を負わないという矛盾。単なる操船技術で片付けられる事柄ではない。理屈では測れない現象は、同じく理外の理でのみ語ることができる。

 それは、幸運。あるべき定石を無視し、常識さえも覆す圧倒的な強運。宝具などの能力ではなく、ライダーは純然たる運気だけで奇跡を起こせる英霊なのだ。

 ランクEX『星の開拓者』。人類史のターニングポイントとなった英霊に与えられる、あらゆる難航、難行が"不可能なまま""実現可能な出来事"になる特殊スキルだ。そこに彼女自身のEXという規格外の幸運値が加わり、起こされる奇跡は単なる幸運で片付けられる域を逸脱している。

 まさしく運気の波の大海嘯。一切合財を呑み尽くし、全ての道理を覆して実現する豪運は、たとえ如何なる宝具の制約があったとしても勝利を確定させはすまい。

 大物獲り、格上殺し、己よりも敵が強ければ強いほどに真価を発揮する運気の流れ。一度波に乗ったライダーは()()()()()()()()()()()()

 

 そして真に恐ろしいのは、ライダー自身の精神性。()()()()分の()()()()()()()()()()

 これだけの事を実現させながら、その幸運を頼みとする気持ちを欠片一つも抱いていない。己で制御出来ないからこその幸運であり、ともすればあっさり敗れる事も有り得ると理解している。

 保証など無い。元より幸運を戦略に組み込むなど馬鹿げている。それを承知で、尚も持てる全てを賭け金に乗せられる。栄光も財宝も、惜しげも無く棒に捨てて良しとできる。

 

 約束された勝利などいらない。永劫に尽きない財宝など興味もない。

 最初から結果が見えているなんて白けるし、使い切れない財宝なら持つだけ無駄だ。

 先が分からない不安や恐怖、そこに表裏一体で付随する期待と高揚。それこそが冒険の醍醐味で、生きている事の本質だろうに。

 理想だの権勢だのと凝り固まっている奴らほどその本質を忘れている。面倒なものを抱え込んで守ることに執着して、自由に身動きが取れなくなる。

 捨てればいい、何もかも。この世に惜しむような永遠の価値なんて無い。だったら派手に、気ままに、尽き果てようとも構わずにとことんまで愉しんでやればいい。

 

 まともではない? ああ、そうともさ。

 まともじゃないから、悪党なんてやっている。狂気の沙汰と思えるものほど面白い。

 死ぬ時は、ただ死ぬまで。より先へ、より高みへと、命が燃え尽きる瞬間まで、更なる地点を目指し続ける。途中でくたばったとしても、それはそれで上等なモンじゃないか。

 

 少なくとも、これだけは言える。正義なんて連中よりも、アタシはこの人生を愉しんでいると。

 

「さあ、破滅の覚悟は出来てるかい、革新目指した王サマよ。新しいも古いもない、正しい王道なんざ知った事じゃない。強欲だけの海賊の流儀で奪い尽くしてやるさぁ!」

 

 それは、一夜の内に吹き荒れて蹂躙し尽くす嵐のように、刹那に眩しく輝く閃光の如く。

 この瞬間に生命の全てを燃やし尽くして、荒々しく豪快に嵐の航海者は吼え叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――間桐慎二にとって、優秀さとは自らの存在の証明だった。

 

 地上での所在地は西欧財閥勢力下のアジア圏、台湾・香港。

 没落した貴族の家に産まれ、跡取りとして人為的に創造されたデザインベビーである。

 

 彼の生まれ育った環境に愛情の概念は無い。

 両親は愛情ではなく、優秀な跡取りを欲して我が子を作り出した。

 母親は夫がいるにも関わらず他の優秀な種を購入して受精させ、その父親もそれを了承した。そんな関係の中で求められるのは真っ当な愛情ではなく、優れた才能の有無のみ。

 愛情があったとしても、向ける対象は個人ではなく才能だ。少なくとも慎二の記憶に、そうした真っ当な親子愛の思い出は無かった。

 

 物心つく頃には部屋を与えられ、ひたすらに繰り返される教育の日々。

 家庭としての暖かさは無い。誕生日がきてもクリスマスがきても、祝うわけでも家族が集まるわけでもない。褒める時があるとすれば、両親の期待通りの能力を示した時だけ。

 友達ができる環境ではない。他人と繋がれる手段はネットのみ。彼の心は、いつも孤独だった。

 

 そんな慎二が依り辺としたのも、やはり自身の優秀さである。

 自分は他とは違う、自分は特別な存在、選ばれた特権階級なのだと。ずっとそう言い聞かされてきたから、疑問に思うこともなく価値観は出来上がる。

 自分に愛情なんて必要ない。だって自分は優秀だから、愛情とは優れた者が劣った者へ施してやるものなんだろう。

 誰よりも優れた自分に、愛情を施せる者はいない。それは両親とて例外ではなかった。

 

 5歳の頃、珍しく彼の父親が直接チェスの手ほどきをしてくれる機会があった。

 随分と入れ込んだのを覚えている。それはチェスそのものに嵌り込んだというより、父親と直に接していられる時間を得られた事が大きかったろう。

 だがその時間も、やがては疎遠になっていく。ある程度の手ほどきの後、明確に実力の差が現れてくると、父は慎二とのゲームを避けるようになった。

 なんて矛盾だろう。優秀性を求めて産みだした子供だというのに、いざ自らの劣等性を目の当たりにすれば、感情は嫉妬を覚え始めるなんて。

 

 結論として慎二が学んだのは、優秀さを示しても愛情は手に入らないという事だった。

 

 ならば構わない。最初からそんなものなんて求めなければいい。

 ドライな関係だって望むところだ。ベタベタ寄り添い合うよりはずっといい。

 無能な連中からの愛情なんて期待してはならない。優秀な自分は施される側ではなく施す側にいるべきだ。それは愛情だって変わらない。

 

 いつだったか、妹が欲しいと思った事があった。

 自分の傍にいて、自分の優秀性を証明してくれる、自分のための付属品。弟ではなく妹なのは、そちらの方が見栄えが良いと思ったから。

 そんな存在がいたなら、きっと自分はそいつを愛してやれるだろう。劣等な両親たちと違い、誰より優秀な自分はきちんと可愛がってやれる。

 だから妹が欲しいと思ったし、そんな自分の考え方にも疑問など抱かなかった。

 

 

 ――――改めて述べるが、間桐慎二の価値観は歪んでいる。

 

 

 彼にとっての愛情とは、慈しむものではなく施すもの。

 優秀性という背景が無ければそもそも成立しない。妹という存在も、あくまで己に従順な愛玩対象としての兄妹愛だ。

 もしもその優秀性が劣等性へと変じたら、哀れむ立場から哀れまれる立場へと逆転したら、そんな愛情はあっさりと崩壊するだろう。

 自身の価値を否定する者が傍にいてはならない。自らを脅かす存在を許容できる度量など無い。どれだけ声高に叫んでも、間桐慎二とは器の小さな小物でしかない。

 

 愛情の無い環境。存在価値を支えるのは、他の愚昧とは違うという選民意識のみ。

 自尊心が高く、されど信念に確固たるものはない。所詮は狭く幼い価値観で、守り貫ける強さなど持ち合わせない。突けば容易く破れる張り子の強度だ。

 本心では愛情を求めているのに認められず、常に意識を高みに置かなければ他人と接する事もできない。それが間違いだと自ら改める強さも無く、劣等感を自覚すればどこまでも歪んでいく。

 それが間桐慎二という人間だ。優秀という価値観の檻に囚われた、素直になれない哀れな子供。屈折した人生の中で培われた彼という人間の見る世界である。

 

 間桐慎二にとっての閉じた世界、それをこのライダーはいとも容易く壊してしまった。

 

「そうだ。僕は、記録を残したかったんだ。誰にも越えられない記録を。僕がいた証として。聖杯戦争で優勝して、僕が一番だって証明するために」

 

 優秀性の証明。間桐慎二の価値観において、それこそが至上の価値だ。

 愛情さえも優秀さの前提が無ければ信じられない慎二だから、誰もが自分を認めてくれる記録を、永遠に語り継がれる伝説こそが欲しかった。

 聖杯戦争ならば、それが叶う。万能の聖杯なんて本気にしてなかったし、欲しいとも思わなかった。ただ、自分はここにいるのだと確かな証を立てたかったのだ。

 

 孤独な中での心が願った、己の生きた証が欲しいという祈り。

 本当は優秀かどうかなんてどうでもいい、寂しいという気持ちが生んだもの。たとえ聖杯なんて無くても、間桐慎二を思い涙してくれる友人が1人いれば、きっとその心は満たされるだろう。

 

 だが、ライダーの在り方は、そんな祈りまでも吹き飛ばして更地とした。

 

 豪快に、後腐れなく、いっぞ清々しいほど己を偽らない。

 悪党らしく欲深く、そして何よりも自由奔放。何物にも縛られない我欲さで、ライダーは在るがままに振舞っている。

 彼女にとっては生も死も大した意味は無い。残った記録なんて一番どうでもいいものだろう。

 無意味でもいいのだ。産まれてきた命に意義なんてなくて、死んでいく事で残る価値なんて必要ない。誰もがただ産まれて、ただ死んでいく。それだけの事なんだと受け入れている。

 

 まったく、本当に正反対だ。

 僕はこんなにも求めているものを、こいつは平然と捨て去ってしまう。

 忘れられて上等。死んだ後のことなど頓着しない。興味を持つのは今という時間、この瞬間の生そのもの。それだけを求めて、こいつはこんなにもやれてしまう。

 やっぱり、こいつの事は理解できそうにない。どうしたらそんなイカレた神経ができるのか、想像してもちょっと分かりそうになかった。

 

 

 ――――ただ、それでも、そんなライダーの姿があまりにも愉しそうだったから。

 

 

 見た事もないくらい愉しそうだったから、惹かれていた。

 理解なんて出来ない。それでも、その笑い声は自分の知っている何よりも爽快だった。

 もしもあんな風に笑えるなら、それだけで十分なんじゃないかって、不覚にも思ってしまった。

 あんなに拘って、藻掻いてまで手に入れようとしていた価値が、今ではひどく軽いものに感じられていたから。

 

 諭すでもなく、叱るでもない。

 ライダーは間桐慎二を肯定も否定もしなかった。ただ在るがままに受け入れて良しとした。

 特別なことは何もない。ただ己にとっての自然体として、その鮮烈な在り方を示しただけ。

 それだけの事が、何よりも強烈に、幼く閉じた彼の世界を打ち壊していた。

 

「なあ、おまえのそれって、そんなに愉しいのか? 誰にも覚えてもらえないのに、誰にも思ってもらえないのに。おまえだって英雄で、伝説を残した奴なんだろ。なのにそれさえ残らなくていいって、本当にそれで満足なのかよ?」

 

 そしてもし、それが自分にも出来たなら。

 記録にも、思われる事にも拘らず、何もかも突き放して自由に生きられたら。

 こいつの言う通り、悪党としてふてぶてしく笑って満足できたなら、それはなんて清々しいと。

 

 そんな生き方を少しでも羨ましいと思ったから、目を離すことが出来なくなった。

 

 目を向ける先には、自分が喚んだサーヴァントの背が見える。

 無神経で大雑把に、しかし堂々と佇み前を見据える海賊英雄。そこに不安の影は欠片もない。

 何の保証もないくせに、追い詰められているのは己だと知っているのに、ともすれば勝利さえも信じさせるその背中。そんなこいつが行く先に、自分も共に行きたいと思ってしまった。

 

 破天荒に拓かれた世界の光景に、閉じていた子供の世界は急速に広がりながら引かれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力の差も戦術も覆して、星を越えた船が迫る。

 眼前で引き起こされる不条理、相対する者にとってその光景は如何なるものと映るのか。

 

 起こりえないはずの事が起きている。

 見る者には奇跡だろうが、その理不尽に晒される者にとっては悪夢以外の何物でもない。

 仕掛ける攻撃が何故か届かず、それを成すのが単なる幸運という出鱈目だ。これを理不尽と呼ばずに何と呼ぶ。正道を歩む者なら怒りさえ覚えるはずだ。

 

 想像してみてほしい。自身へ猛然と迫る巨大な帆船の圧迫感を。

 的にも等しい大きさであるはずなのに、弾丸の一発も届かない。訳の分からない強運に守られながら突っ込んでくる不合理の塊だ。

 まさしく悪夢だ。並みの者なら半狂乱に陥り、諦めて膝をついてもおかしくはない。

 

 そんな不合理な運気の流れを前に、それでもアーチャーは冷静だった。

 

 常軌を逸した強運? なるほど、相分かった。

 それならばそれでよい。そういうものだと理解して対処する。

 運もまた実力の内だというように、戦力と見做せばそれも一つの基準の要素だ。

 

 弾幕を張る種子島を一旦引っ込める。

 常道の理でなら中らぬはずがないのだが、ここはそういうものだと理解した。

 今のままではライダーは止められない。仕留めるにはそれ相応の備えが要ると。

 

 迫る、迫る、迫る。

 猛進するガレオン船。阻むものを取り払われ、その勢いは増すばかりだ。

 見える船体はみるみる巨大に、迫り来る脅威は明確に見せつけられて怯ませる。

 

 そんな恐怖の具現を直視して、しかしアーチャーは動かない。

 それは限界まで引き付けるために、そうしなければ仕留められないと判断して。

 心中はあくまで平静を保ち、必中必殺の好機を待ち構える。

 

 船体が視界を覆い、もはや激突は不可避かと思われた瞬間、

 

「――避けれるものなら、避けてみよ」

 

 怒濤の勢いで轟く銃声。一斉に再出現した大量の種子島。

 四方八方、逃げ場なく空間を埋め尽くした銃砲の火線。逃れようのない絶無の可能性、あらゆる運気の余地を尽きさせた物量頼みの一斉掃射だ。

 

 当然、ライダーの船にこれを回避する術はない。

 全方位から殺到する銃弾の豪雨に曝されて、その船体は瞬時の内に蹂躙された。

 穿たれ、崩され、もはや無事な箇所はどこにもない。寸前にまで迫りながら一歩届かず、無情なる有り様のまま"黄金の鹿号(ゴールデンハインド)"は沈んでいく。

 

 ――刹那、崩れ落ちる船より、一騎の影が躍り出た。

 

 彼女は悪党、強欲と凋落の中で生きる者。

 殊勝な潔さになど縁はない。その命の一片まで燃え尽きようが、彼女は抗い続ける。

 己と伝説を共にした"相棒(ほうぐ)"の最期にも頓着せず、瞬時に選び取る行動は型破りかつ鋭い。

 未だ決着は分からない。星を超えたこの英雄がいる限り、不可能など存在しないのだから。

 

 乗船より降り立ち、ライダーはその身一つで突貫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈み逝く船の中で、慎二は己のサーヴァントの姿を見ていた。

 

 あれほどの集中砲火の中で慎二が無事だったのは、なんという事もない。

 この決戦場にて絶対順守される法則、サーヴァントはサーヴァントにしか攻撃できない。

 サーヴァントの攻撃はマスターに危害を加えられず、故に崩壊の中でも保護がかかったと、それだけの理由である。

 

 ライダーは慎二を守らなかった。

 前述の法則を考慮してか、それとも単に頓着しなかったのか。

 正直、後者の印象が強い。勢いに乗ると細かい部分など気にもしなさそうだから。

 

 ライダーは博打に打って出たのだろう。恐らくは、その方が愉しめるといった理由で。

 

「……勝てよ」

 

 本当にとんでもないサーヴァントだ。ここまで引っ張り出して、最後には放置なんて。

 マスターがやられたらそっちだって困るのに、その辺りをちゃんと分かってるのか。

 分かっているかもしれないが、気にはしていないんだろう。それがこいつ(ライダー)だ。

 

「勝てよ、ライダー……」

 

 だから、なあ。せっかくここまで来たんだ。

 おまえだったら勝てるだろう。これで勝てないなんてダサい事があるもんか。

 なんたっておまえは、この僕がちょっとでもかっこいいと思った奴なんだ。だったら勝つのが当たり前だろう。

 

 そうだ。ライダー、おまえなら勝てるよ。

 あんな奴らなんて、どんな奴にだって、おまえは勝つに決まってる。

 これは絶対だ。この僕はそう信じたんだから、絶対に違いないんだ。

 

 だっておまえは、どんなすごい事だって起こせる、僕の英雄(サーヴァント)なんだから。

 

「勝て、勝てよォォ、ライダァァァァァァ!!!!」

 

 それは虚飾のない、純粋に相棒の勝利を願った叫び。

 無意識の祈りに伴われるのは"令呪"の光。輝きは奇跡と化して発現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風も音も置き去りにして、ライダーは駆け抜ける。

 その速度は明らかに常の性能を凌駕する。アーチャーとの間合いなど無いにも等しい。

 

 慎二が叫んだ『勝て』という令呪。

 通常、具体性のない内容では超常的な効果は見込めない。しかしこの場では事情が違った。

 単純明快かつ状況に適した直接的な命令。勝ちを狙った博打、行動がその狙いから外れない限り、ライダーには令呪の恩恵による強化が行われる。

 今のライダーが見据えるのは勝ち一本。自身の命さえも勘定に入っていない狂気じみた純粋さが、この突撃敢行に限り最上位のサーヴァントにも届く強化をもたらしていた。

 

 駆けながら両手に構える二丁拳銃。

 アーチャーの元へと直進する中で容赦なく銃弾を浴びせかける。それは鎧を纏ったアーチャーに凌がれるが、元よりこんなものだけで仕留められるとは思っていない。

 少なくとも逃がす事なく、その場にくい止める事は成功した。そして両者の距離が至近戦闘へと移ろうとした時、両の拳銃を手放して舶刀(カトラス)を抜き放った。

 

 刀剣を使った戦闘。騎兵(ライダー)のクラスにとっては専門外だが、今のライダーには令呪からの恩恵がある。振り下ろされる舶刀の威力は、それこそ剣士(セイバー)クラスに匹敵するだろう。

 鋭く重い斬撃がアーチャーを捉える。が、それでも仕留めるには至らない。アーチャーもまた自身の愛刀たる日本刀を手に、ライダーを迎撃する。攻勢よりも守勢、将たる自身を守り生き残らせる事を念頭におく闘法は、恩恵を得たライダーにも容易く仕留めさせる事を許さない。

 

 二合、三合、四合、と。刀剣の交錯が続く。

 受けに回るアーチャーは後退するが、決して追い詰められているのではない。令呪の効果は永続ではないのだ。敵の優位が失われる時までは守りに徹するのがアーチャーの判断。

 対し、ライダーには先など無い。懸けるべきはこの今だけ、受ける後押しの威力に任せて、まさしく生命そのものをぶつけるかの勢いだった。

 そして、五合。都合、五度目の交錯が成されようとした時、

 

 鳴り響いた銃声。同時に、舶刀を持った右腕が宙に舞った。

 

 銃手(アーチャー)にとって、刀は守り。攻め手はあくまで銃にある。

 接近戦の中でも展開させていた種子島。機を狙ったその銃撃が、ライダーの剣をその腕ごと奪い取った。

 それは一瞬の内の出来事。利き手を失い、茫然自失としたライダーから勢いが途切れた、刹那のような時間の中で、

 

 ――アーチャーの刀が、ライダーの身を貫いていた。

 

「愚昧なり。勝利を焦り、機を逸したか」

 

 告げる言葉に慈悲はない。

 所詮は無謀な特攻の類い、果たせなければ称賛には値しない。

 訪れたのは当然の結果、ならば無意味であると合理を求める英霊は言い渡す。

 

「――ハ。そいつはアンタのことかい?」

 

 それに応えるのは、不敵に浮かべた悪辣な笑み。

 ハッと目を見開くアーチャーの手を、残ったライダーの左腕が掴んだ。

 

 アーチャーの剣は確かにライダーを貫いた。

 だがその刃は急所を捉え損ねている。霊核さえ無事なら、如何なる傷もサーヴァントにとって決定打とは成り得ない。

 

 有り得ない事だった。あのタイミングで止めを刺し損なうなど考えられない。

 狙い通りの展開に過たず、一撃には十分な手応えを感じていた。これで仕損じるほどの手緩さを、アーチャーという英霊は持ち合わせない。

 確実な一撃だった。先の一閃はこの闘いを決着させるはずのものであったのだ。

 

 だが、侮るなかれ。ここに対峙するライダーは無理を道理に変える英霊。

 彼女ならばやるだろう。たとえ絶無の可能性の中でも、ライダーならば彼女だけの光明を見出して奇跡を起こす。

 たとえ因果を逆転させようと、彼女ならば当たり前のように覆す。先んじて結果を確定されようが、当然の如く確殺の運命から逃れるだろう。

 ならば、ライダーはやるだろう。豪運の波に乗った今の彼女には、展開こそが付き従う。必殺の間合いであろうが無かろうが、これしきの結末で終わるライダーではない。

 

 結末は、もっと派手に。大仰に馬鹿馬鹿しく、一切合財投げ尽くした果てにこそだろう。

 

 宙空に出現する、一門の巨大な砲身。

 搭載されたカルバリン砲。船は沈んだが、武装はまだ生きている。火力は健在だ。

 そして出現したその砲は、内包された魔力が尋常ではない。明らかに先を遥かに上回る威力が、砲身の内に秘められていた。

 

 『勝て』という命令に慎二が費やした令呪の数は、二画。

 与えられた二画の奇跡を、一画は自身の強化に、そしてもう一画は砲の火力へと回していた。

 令呪一画分の魔力の砲弾、それがあのカルバリン砲に秘めたものの正体である。

 

 砲が現れたのは、ライダー、アーチャーらの直上。

 斬り結び、至近距離で組み合っている両者を、その砲口が真っ直ぐと狙っていた。

 

「貴様、まさか諸共に――――!?」

 

 掴んでくる左手が剥がせない。

 現れた種子島が改めてライダーを狙うが、もう遅い。

 すでにこの場の運気の流れはライダーのもの。この流れを阻むものなど有りはしない。

 

 悪辣に、凄絶に、清々しいまでにふてぶてしく、ライダーは笑った。

 

「こいつで正真正銘の素寒貧さね! 遠慮なく受け取んなァァァァッ!!!!」

 

 放たれる砲火。直下へと落とされた砲撃が二騎を捉える。

 秘められた魔力は解放され、爆炎と化して総てを呑み込み拡がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炎に消えたサーヴァントの姿を目にして、慎二は飛び出していた。

 

 何が出来るかなど分からない。前に出たところで無意味だと、言われてしまえばその通りだ。

 だがそうではない。ここまで来れば、もはや理屈ではないのだ。何もかもを博打に投げ打って、今さら何を恐れることがあるだろう。

 重要なのは博打の結果。自らのサーヴァントはどうなったのか、頭にあるのはそれだけだった。

 

 果たして、ライダーはすぐに見つかった。

 慎二が何をするまでもなく、宙より降ってきたのだ。単なる偶然と片付けるには出来すぎなほどのタイミングで、慎二の眼前にその身が投げ出される。

 全身が焼かれ、深く傷ついたその姿に、慎二は死を連想した。

 

「おい……おいッ! 起きろよ、ライダー!」

 

「うっせぇなぁ! そう騒がんでも聞こえてるよ」

 

 叫びをかき消す怒号。見かけの傷に関わらず、ライダーの声にはまだ覇気があった。

 これがサーヴァントだ。致命に至る急所さえ無事ならば、如何なる傷も彼らを脅かすものとは成り得ない。

 そう、ライダーは無事だった。爆心地のほぼ中心に在りながら、その身は致死から逃れていた。

 

「お、おまえ、大丈夫なのか? だって確かに、さっきの大砲でアーチャーごと……?」

 

「んー? ああ、そうだねぇ。アタシも狙ってやったわけじゃないさ。正直に言って、道連れ上等でやったもんだったしね。まあ――――」

 

 気楽そのものといった口調で、平然とライダーは続けてみせた。

 

「運が良かったよ、我ながら」

 

 己を巻き添えにした自爆砲撃。九死に一生どころか、前提として死が先にあったような攻撃だ。

 通常ならば助かる見込みなど無い。命にも執着しない迷いなさがアーチャーを捉える何よりの要因だったのだから、そこに保身など入り込むはずがなかった。

 だというのにライダーだけが無事に済む。もはや幸運の一言で片付けられることではなかった。

 

 英雄フランシス・ドレイク。

 星の開拓者、太陽を落とした女。あらゆる難行を可能とする奇跡の踏破者。

 今や舞台の流れは完全に彼女へと傾いている。この場に起こる偶然は必然と化し、何もかもが彼女の望む通りに推移していく。およそ運気の領域において、ライダーを超える事は不可能だ。

 

「やったんだな! 勝ったんだよな、おまえが!」

 

「あー……うん、そうさねぇ」

 

 この結果もまた、勝利を望むライダーに与えられた運命である。

 場にある幸運の全てはライダーの味方だ。勝利の女神は彼女へと微笑んでいる。

 その幸運を超える事は決して出来ない。もはやそれは確定事項に等しかった。

 

「ったくよぉ、そう言えたら良かったんだけどねぇ」

 

 炎の中より歩み出る2つの影。淡然とした歩みは、未だ健在である事の証左である。

 アーチャーと、そのマスターである甘粕正彦。並び立つ両者は深く傷を負いながらも、未だ精強を保ってそこに在った。

 

 爆炎に包まれたサーヴァントを見て、慎二は飛び出した。

 対し、甘粕の踏み出しはそれより遥かな先を行っている。ライダーが博打に打って出たその瞬間から、甘粕は行動を開始していた。

 それは直接対峙するアーチャーよりも早い。場の誰よりも早く手を打っていたからこそ、甘粕の一手は功を奏したのだ。

 

 それが出来た理由は、もちろん甘粕が人を信じているから。

 人には秘めた輝きがある。試練に直面すれば表に現れると信じている。

 だからこそ、甘粕はあらゆる事態を考えて動くのだ。この相手はきっと奇跡を起こすに違いないと、期待した相手に応えるために自らもまた怠らない。

 

 幸運の全てがライダーに傾いている。ああ、承知の上だとも。

 奇跡を成し遂げた英雄ならば、それくらいはしてこよう。どんな不可能事でも、このライダーならば必ずや手を届かせてくるだろう。

 だから確信していた。ライダーの博打は成功する。彼女の剥ける牙は、必ずやアーチャーの喉元へ喰らいつくに違いないと。

 

 故に、その時を覚悟して練り上げたのだ。全霊を込めての邯鄲法を。

 攻撃役はアーチャーに譲ってある。補助役であるマスターならば、取るべきは防御策だ。

 砲撃に先んじて展開された物理特化の防護術式、アーチャー自身の耐久に合わせて得られた防御力で、砲撃の全威力を受け止めた。

 

 もしもアーチャー1人だったならば、ライダーは勝利を掴めていただろう。

 どちらが欠けても成り立たない、主従の2人が在ったからこその結果である。

 勝負とは時の運であるという。だが現実とは運ばかりでは決まらない。運も実力の内という言葉のように、運の流れにも左右されずに勝利を得るからこそ本物の強者と成り得るのだ。

 

 勝負事に真の意味での偶然はない。勝者は勝つべくして勝つし、敗者は敗れるべくして敗れる。

 ならばこの決着も、やはり必然のもの。ライダーと間桐慎二は、アーチャーと甘粕正彦には及ばない。厳然とした結論が、ここに下されたのだ。

 

 聖杯戦争において、マスターが補助を受け持つ盾ならば、サーヴァントこそが闘いを決める剣。

 サーヴァントの死、闘争手段の喪失は、月の決闘において敗北を意味する。サーヴァントを倒せるのはサーヴァントだけという原則に則るならば、決着を付けるのはサーヴァントの役割だ。

 

 種子島より放たれた銃弾が、今度こそ正確にライダーの霊核(しんぞう)を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力が、抜ける。

 身体が起きない。命が根こそぎ抜けていくのを感じる。

 霊核より循環する魔力が途絶え、この身を留めていたものが雲散霧消していっている。

 

 はっきりと分かった。自分は、これで消滅するのだと――――。

 

「ライダー!? ライダァァァァ!」

 

 声が聞こえる。この戦いでの、自分の大将(マスター)

 考えれば短い付き合いだったが、思った以上に自分はこいつを気に入っていたのだと理解する。

 

「まだだよな!? これで終わりなんてないだろ! おまえが、こんなくらいで……ッ!」

 

「あんま無茶言いなさんな、シンジ。今のはいいトコもらっちまったし、多分もうすぐ消えるっぽい。ここいらが潮時みたいだよ」

 

 四肢の先端から喪失していく感覚。痛みとも違う、己が"虚無"に侵されていく不快感。

 直前まで"死"の実感を味あわせるところが、何とも趣味が悪い。もっとすっぱりと死ぬ事を理想としていた身としては、それが不満だった。

 

「ふ、ふざけんなよ! 勝手に消えるな、何とかしろ! おまえは僕のサーヴァントだろうが、敗けるなんて許さないって言っただろ、この駄目サーヴァント!」

 

「アハハ、いいよぉ、シンジ。こんな様のアタシに更に鞭打つたぁ、流石はアタシのマスターだ。まさに筋金入りの悪党さね」

 

「ッ!? こっの馬鹿! こんな時まで阿呆なこと言ってんな! そんなの言ってる暇があるなら立てよ! あと一歩だったじゃないか、なのにこんなのって、納得なんか出来ないだろ!」

 

「ああ、そうだねぇ、確かにあと一歩だった。足りたとも思ったが、結局はその一歩分が足りていなかった。納得できようができまいが、勝負の結果なんざこんなもんだよ」

 

 強い奴が勝ち、弱い奴が敗ける。

 ああ何とも当たり前の結果だ。白ける事この上ない。

 これだから結果の見えてる勝負は興が削げる。盤上全てをひっくり返すほどの大博打、それすら出来ない勝負事など、何のスリルと愉しみがあるというのか。

 

「それより、アンタこそ大丈夫なのかい? これでアンタの脱落も決定、晴れて縛り首だ。ビクビク震えて、泣き喚くくらいの醜態は晒すと思ってたぜ」

 

 我ながら意地の悪い質問だと思う。思うが、止めてやる理由もない。

 悪党なんてそんなものだ。どれだけ宝を手にいれようが、最期には何も残らない。

 富も名声も、結局は死という結末に焼き落とされる。誰にも悼まれない人間の破滅には、総てから見放されての無謬だけが残る。最期には消えると知りながら、滑稽な舞台で踊り続けるピエロ。

 だったら、最後まで踊ってみせるのがせめてもの見せ場ってもんだ。小悪党らしい末路の姿を、せいぜい笑って見送ってやるのが礼節だろう。

 

「……分かってるよ。ああ、分かってるんだよ!

 さっきから僕の身体も消えてきてるし、これから無くなるんだってすごく分かる。リアルの僕まで死ぬんだって、分かんないけど分かるんだよ!

 気持ち悪いし、今だって吐きそうだ。そんな機能だってもう無くなっているのが分かるから、ゾッとするくらいに怖くて仕方ないんだよ!」

 

 だが、そこから出てきた言葉は、どうにも気色が違っている。

 いつもの慎二らしい悪態ぶりは、しかし滑稽と言って捨てるには躊躇が残る、矜持にも似た気高さが宿っているようにも見えた。

 

「でもさ、おまえが言ったんだぞ。死に様まで愉しめって、ふてぶてしく笑えって。

 それがおまえの言う、悪党らしい生き方っていうんだろ。自分で言った事だろうが、忘れてるんじゃないよ。

 やっぱりこんなの、全然理解できそうにない。だってどうしたって怖いに決まってるだろ、こんなの! なのに愉しめとか笑えとか、出来るわけないじゃないか馬鹿じゃないの!」

 

 批難の台詞を吐くその口は、震えていた。

 どんなに強がってみせようが、慎二は慎二だ。迫る死の恐怖を押し殺せる達観した精神などあるわけがない。

 こいつは心底から怖がっているのだ。笑う飛ばせる強さなんて無い、どうしようもなく未熟で弱い子供として。

 

「それでも、さ。全然理解できないけど、かっこよく見えたんだよ。おまえらしく生きてるおまえが、僕が見た事ないくらいに愉しそうだったんだよ。

 自分でも馬鹿馬鹿しいって思うけどさ、でも憧れちまったものは仕方ないだろ。おまえって実際すごい英雄なわけだし、僕が憧れるのも別に不思議でもないっていうかさ。だったら少しくらい倣ってみるのも悪くないんじゃないかって。

 だから、答えろよ! 僕がこんなにも憧れた奴だってのに、こんな終わり方でいいのか!? それで潔く諦めるみたいな、その程度の悪党かよ、おまえ! 達観したみたいな物言いなんてどうでもいいんだ、そもそも悔しくないのかって聞いてるんだよ!?」

 

 それでもこいつは耐えている。弱い奴が弱いなりに、精一杯の強がりで。

 どこまでもみっともない、潔さの欠片もない足掻きだが、だからこそ命を諦めていない。

 敗けて死んでそれで満足なんだと、そんな結論をみせるアタシの事を決して認めていないのだ。

 

「……ああ、ああそうだ悔しい、反吐が出るほど悔しいに決まってんだろうが!

 ここまで来といて、あと一歩ってところで掴めたのに、最後の最後でご破産にしちまった! 腸わたが煮えくり返らないわけがねぇだろうがよぉッ!

 出来るなら今すぐにでも、あいつらのケツに鉛玉をぶち込んでやりたいぜ。何もかも奪い尽くして足蹴にして、高らかに笑ってやらなきゃ気がすまねぇさ!」

 

 だから、小利口な顔なんざかなぐり捨てて、本心からの悪態を吐き出した。

 

 ああ決まっている、負けたら悔しい。そんなのは当たり前だ。

 勝てなかったのは屈辱で、届かなかったのは無念だ。その気持ちは確かにある。

 達観なんざしちゃいない。こちとら強欲な海賊稼業、殊勝さなんぞ持ち合わせない。

 

 だがね、アタシはこうも思ってるんだ。そういう悔しさも含めてこそ人生だってね。

 

 人生に常勝はない。馬鹿をやらかしていけば、いずれこうなっちまうのは目に見えていたんだ。最初から承知の上で好き放題に悪党やってたんだから、文句を垂れるのは筋が通らないだろう。

 世の中なんてこんなもん、人間なんてしょうもない。そういう風に突き放した生き方を選んだのは自分自身。だったら後悔なんてつまらんもの、抱えて逝くなんざ損なだけだ。

 

 これでいいんだよ。アタシはこういう悔しさだって愉しんでいたんだから。

 

「だから、そうだね。悪かったよ、坊や。期待に応えてやれなくてさ」

 

 最後に出てきたのは、そんな一言。

 アタシ自身に悔いは無いから、不憫といえば巻き添えになる慎二の方だろう。

 戦争だからと言えばそうなんだが、結局勝てなかった分のツケはあるわけだし。

 

「ハズレサーヴァント、か。案外その通りかもね。好き勝手やっといてこの様じゃあ、そう言われたってしょうがないさ」

 

「……止せよ。今さらそんな、おまえなんかがそんな台詞似合わないんだよ。

 僕は先が見てみたかったんだ。そんな風なおまえが、無茶苦茶やりながら何処まで行けるのかって、それを僕も一緒に見てみたくなったんだよ。

 ハズレなんて言うなよ。僕はおまえがいいんだ。おまえと一緒に勝ちたいんだよ。ぼ、僕がこんなクサい台詞、キャラじゃないって分かってるけどさ。察しろよ、クソ!」

 

 こいつは何とも、可愛げのある事を言ってくれる。

 だがなぁ、そいつは少々ノリが違うだろう。そういうのは悪党の領分から外れてる。

 ガキで、間抜けで、ひん曲がってたアンタだから、こっちも勝手をやれたってのに。今さら改心なんてされちまったら、こっちの立つ瀬が無くなるだろうが。

 

「まあ仕方ねぇか。アンタ、生き方は悪党のクセに、性根は結構いいやつだからな」

 

「ライダー……」

 

 さて、そろそろ終いらしい。

 限界が近い。身体はもう大半が消え失せた。

 口がきけるとしたら、後一度ぐらいか。遺言なんて考えた事もなかったが、どうしたもんかね。

 

「……ああ。そういや気付いてなかったが――」

 

 残っていた左腕を、残った力で持ち上げる。

 上げた手を、こちらを覗き込んでくる顔へ。眼帯に覆われた右顔面に触れ、そっと撫でた。

 

「――面傷。オトコが上がってるぜ、シンジ」

 

 こいつで終わりだ。何もかもが消えていく。

 色々としょうもないものだったが、まあ悪い航海じゃなかった。それなりに派手にやれたし、道楽代わりと考えれば、これはこれでなかなかのモンだったと――――いや。

 

 やっぱり納得なんざしてやらない。このままじゃあアタシらは負け越しだ。

 

 まだ航海を終えるには早すぎた。島の1つにもたどり着けないなんて笑えない。

 悔しさと憤りってのはどうしようもないのだ。感情は未だに煮えくり返っている。

 このままじゃあいいとこなんてひとつも無い。なるほど、シンジの言う通り、ここまで負けっぱなしじゃあ腹の虫が治まらないってもんだよな。

 

 ――だから、もし次なんてものがあるのなら、その時こそ勝ってやろう。

 

 大義も無ければ責任も無い。背負ってるものなんて何一つ持ち合わせない。

 そんなアタシらで、総てを覆してやろう。取るに足らない悪党であるアタシらが、高みに居座る大物連中の鼻を明かしてやろう。

 どこまでもちっぽけで自分勝手な欲望で、この世界をひっくり返してやればいい。そして今度こそ勝ちをこの手に掴んでやる。

 

 シンジ、アンタも一緒に、せいぜい派手に大暴れしてやろうじゃないか。

 

 

 "――――ああ、そいつはさぞや、愉快な光景に違いないだろうさ"

 

 

 身体も、心も、消え失せていく。

 それでも享楽はここに、破滅の無念までも堪能しつくして。

 

 最期の瞬間まで愉しむように、アタシは声の上がらないまま笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虚無に浸され、塵となって消滅していくサーヴァント。

 残されたマスターもまた、それに連座する。月の聖杯戦争において逃れようのない敗者の結末。

 

 死の壁は、すでに降りている。

 勝者と敗者を分けるデッドライン。電脳を焼く攻性防壁(ファイヤーウォール)

 甘粕らと慎二の間を隔てる、間近であって最も遠い距離がそこにはあった。

 

 死に逝く赤色の世界の中で、たった独り。

 孤独の中で彼は死ぬ。記録を残したいと願った少年は、何も遺せずに塵となる。

 消失に蝕まれるのは恐怖だ。電脳の世界において、感覚は最期の瞬間まで残り続ける。単純な痛みではない、だがはっきりと己の死を感じさせる拷問は、如何なる剛の者でも怖れを抱かずにはいられまい。

 

 それでも、顔を上げた間桐慎二の表情には、笑みが浮かんでいた。

 

 口端は引き攣り、身体は震えている。

 虚勢であるのは目に見えている。本心では泣き叫び、恐怖から逃避したいと喚いていた。

 

 そんな自らの気持ちに嘘をついて、こみ上げる恐怖を押し殺しながら。

 まだまだ無様で不格好ではあるけれど、浮かべてみせる虚勢は確かにあって。

 道化で終わる自分の事を、まるでそのこと自体を愉しんでみせるように。

 

 悪党らしいふてぶてしい笑みを浮かべながら、間桐慎二は消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――素晴らしい」

 

 矜持を抱いて運命を受け入れた間桐慎二に対して、甘粕は賛美の声を上げた。

 

「誰に想像できた? 間桐慎二がこれほどの矜持をみせると、彼を知る者に想像できたか?

 やはり人には輝きが秘められている。真に無価値な者など1人もいないのだ。誰もが皆、それを発揮するべき舞台を得られていないだけ。

 舞台があれば人は目覚める。魂は求めているのだ人間賛歌を、英雄の如く雄々しく立ち上がる刻を得たいと望んでいる。誰よりも輝ける己こそ、人々は欲しているのだから」

 

「ああ……、やはり俺の"楽園(ぱらいぞ)"は間違っていないな」

 

 ライダーたちの主従が発揮してみせた輝きは確かなものだ。

 運気の流れをも呼び込む意志、奇跡を実現させるその強さは、先日までの比ではない。

 その向上の幅、成長という度合いで考えれば、甘粕らを圧倒していると言っても過言ではない。この試練に際して、輝ける舞台を得たのは間桐慎二らの方だろう。

 

「心からの称賛を贈ろう。見事であったぞ、間桐慎二。おまえは実に美しかった!」

 

 よって輝きを愛する勇者は本心からの祝辞を謳い上げる。

 これこそ甘粕正彦の理想そのもの。人の勇気が顕れる"楽園"の光景なのだから。

 

「それほどに喜ばしいか? その輝きし者が死んだというのに」

 

 そんな甘粕の理想に対し、アーチャーは無情にも現実を突きつけた。

 

「理解しておるか? これこそがそなたが目指す世界の姿そのものじゃと。

 その世界では人々は強くなれよう。あの小僧めのように、矮小なる者共にも成長と奮起の機会が与えられる。ある意味で最も公平な世界であるといえようの。

 そう、果てにある死を含めて、これこそがそなたの世界じゃ。いかに見るべき成長を見せようが、敗者には死あるのみ。苛烈が過ぎる選別は人々を殺し尽くす。

 正彦、そなたはこの悲劇を直視して、尚も己の理は間違いではないというか?」

 

 革新の王。時代の変革を担い、価値観の淘汰と開拓を行った英霊、織田信長。

 

 新たな価値を築いた王は、それ故に俯瞰した視点を持つ。正の利点ばかりを追い求めるのではない、負の難点も余さず理解して正負の精算を取った裁定を下せる。

 その本質は徹底した現実主義(リアリスト)。大仰な夢に惑わされず。彼女は己のマスターに厳しい問いを投げかけた。

 

「そうだ、悲劇だ。輝ける勇者は勝利には至れず、無念なる敗北を遂げた。その果ての死、なんと傷ましいことだろう。自罰するとも、血の業を忘れはせん。

 この試練は命がけ、そう命がけなのだ。正しければ、雄々しければいいなどと、与えられた筋書きで踊っているのではない。真の意味で死地であるからこそ試練足り得る」

 

 対し、甘粕もまた己の理想を譲らない。

 指摘された矛盾にも怯まない。懸けた祈りに真を置くからこそ、反証にも真っ向から対峙する。

 

「かつて世界は今より遥かに生き難かった。日々の糧を得るために狩りへと赴かねばならなかった石器時代を筆頭に、生きる事はそれだけで困難なものであったのだ。

 多くの血が流されただろう。数多の悲劇と涙を飲んで、そこに立ち上がる意志が生まれた。だからこそ人は武器を手にし、徒党を組んで文明を築き上げていった。その原動力となった感情は、大切な友人、恋人、未来に生きる子孫らのためと、何かを思う心であったはずだ。

 結果、時を経つにつれて世界から危険は取り除かれていった。食料は生産され、夜の闇には光が差し込み、法律の下に人々は集団としての秩序を手に入れた。

 彼ら先人の築いた文明の上に生まれた者として敬服するより他にない。その行いこそまさに人が強く輝ける存在である事の証であるだろう」

 

 人類史の発展、それは世界から不安を取り除く作業とも定義できる。

 文明が産みだした利器の数々、その本質的な目的は安寧を求める心だ。より豊かに、より安全に、より多様に手を広げる事で未知なる危険を排除していく。

 例外も存在するが、時代の経過と生活の向上は比例関係で推移している。飢え、病、人権と、数多の問題は進み行く時代の中で着実な改善を計られてきたのは事実である。

 

「そして現在、人類は地上よりあらゆる不安を排除しつつある。

 デザインされた人生図、あらかじめ定められた寿命、未来への不安は根絶され、管理の名の下に貧困や病とも無縁の生活が約束される。

 まさしく安寧を求めた先の理想世界だろう。だがそのために人類はかつてあった姿勢、困難に立ち向かい生き抜かんとする意志を忘れてしまった。

 あのライダーがそうであったように、人類史における空隙であり分岐点、そういうものがあるのなら今この時がそうだと俺は思う。停滞か奮起か、人類にとっての選択肢が果たしてどちらか、今一度問わねばならない。

 少なくとも俺という意志は、安楽と共に迎える滅びなど断固として認めていないのだから」

 

 だから、甘粕正彦は世界を否定する。

 進歩ではなく停滞を、生命の足掻きではなく緩やかな滅びを選んだ社会。袋小路に陥った人類に、再び立ち上がる力を与えるために災禍という名の喝を入れる。

 

「忘れてしまったのなら今一度思い出させよう。かつての時代、生き難かった世界の中で己がいかに立ち上がったのか。命がけとなる機会を再びその身に刻むのだ。

 その果てに未来は拓かれると信じている。試練によって練磨された人の強さが、この停滞の世に真なる希望の光をもたらすのだとな。

 ならば俺は迷わない。我が祈りに一片の揺らぎなし、自罰と共にこの道を進むと誓おう」

 

 決意を唱える言葉には、宣した通り一片の動揺も見られない。

 甘粕正彦は迷わない。彼の祈りは極端に過ぎるもので、だからこそ否定しようのない正しさを秘めている。

 甘粕は自身の理想の問題点を自覚しているし、罪の意識から目を背けているわけでもない。総てを承知して、それでも尚歩み続けられる強靭な意志こそが彼の真骨頂だ。

 

 重要なのは意志の絶対値。甘粕の掲げる持論は彼自身にも適用される。

 元より人間とは不完全、完璧な理念など望めない。ならばより強く貫いた意志によって次なる道理を築けば良い。

 

 要は、文句があるなら拳でかかってこいと、そういう話である。

 

「信条は揺るがぬか。さもありなん、この程度で揺らぐならば元より見届ける価値も無しよ」

 

 そんな甘粕だからこそ、アーチャーも己の信条を曲げて付き従うのだ。

 規格外たる意志の強さ、その馬鹿げた祈りで如何なる革新をもたらすのかを確かめるために。

 

「是非にも及ばず。その道を違えぬ限り、わしはそなたの剣で在り続けようぞ」

 

「違えぬさ。人の勇気を俺は愛している。愛する者へと捧げる誠意を、どうして違えることなど出来るだろう。たとえ俺自身がどうなろうとも、俺の祈りに変わりはない」

 

 そうして、勝者たる2人はこの地を後にする。

 彼らが見据えるのは次なる戦い。轍と化した足跡に必要以上に囚われる事はない。

 それは正しい。この月で行われる聖杯戦争、己一人となるまで他者を押しのけ続ける熾烈な生存競争において、彼らの姿勢はどうしようもなく正しいものだった。

 

 月における始まりの戦い、聖杯戦争の第一回戦は、こうして終わりを告げた。

 

 

 




 ライダー姐さんは、鷲巣ラック持ちのアカギメンタルな人だと思う。

 というわけで、今回で1回戦は終わりです。
 何かライダーの組が主人公してて、甘粕の影が薄い感じですが、さもありなん。
 やっぱり敵側の方が映えますもん、アマカッス。
 今後も決闘はこんな感じになるかと思いますので、どうかご了承のほどを。

 誅仙陣のドラマCDがやっと手に入りました。
 思ったよりも暴れなくて拍子抜けしましたが、だからこそな一面も見れて個人的には満足です。
 また設定もなかなか興味深くて、思わず現代系とのクロスオーバーを考えてしまったり。

 我ながら遅筆だと自覚してるんで、実際に手を出すかは分かりませんが。

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