もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら 作:ヘルシーテツオ
厳粛な空気に包まれていた礼拝堂に、剣戟の音が響き渡る。
怨嗟と狂気に織り成された混沌畸形の悪魔崇拝。およそ常人では悪寒を感じずにはいられない空間も、今や輝ける演者のための舞台でしかなかった。
互いに日本刀と黒色の軍刀を振るい、真っ向より斬り結ぶ二者。
その剣戟は鮮烈で、何よりも容赦がない。明確な殺意を持って振るわれる刃には、相手の生命を慮る気持ちなど皆無であった。
そのような尋常ならざる決闘の渦中、片方の思考の流れは分かり易い。
人と英霊の格差とはそういうもの。両者の力関係は埋め難く、覆すことは奇跡の部類。故にこそ、相手の生命に配慮する事自体が見当違いな侮辱である。
もしもこの刃が相手に届いたらと後先を考えるのは愚行そのものだ。その時はその時だと馬鹿になって今という刹那に全てを懸ける覚悟でなければ、そもそも格上には抗し得ない。
ならばもう片方、格上である英霊側はどうだろう。
格差のある戦いとは、下にとっては必死だろうが上にとっては余裕である。どだい己に勝てるはずがなく、ならばと他所事に思考を巡らす余分すら生まれる。それは油断や慢心と呼べるものだったが、それがあってさえ揺るがないからこその格差なのだ。
いかに一方が覚悟を決めて挑んでくるからといって、格上側までそのノリに付き合う必要はない。そもそもマスターとサーヴァントは一蓮托生なのだから、この戦闘の最終的な落とし所は両者が共に生存する形でなければならない。そのデザインが出来るのは格上側だけであり、ならばこそ英霊であるアーチャーには、そうした配慮があるのではと期待できる。
「――――はぁッ!」
だがそのような淡い期待は、繰り出された一撃の下、砕き折られた軍刀と共に粉砕された。
即座に創形し直される軍刀。その隙を見逃さず、アーチャーは更に踏み込む。
剣筋は勢いを増し、対する甘粕は防戦を強いられる。そこに手心など欠片もない。アーチャーの剣には明確な殺気が込められている。
もはや疑う余地もなく、アーチャーの殺意は本物だ。剣戟の中で追い詰める彼女の剣は、穏当な結末を僅かでも望んでいるものではなかった。
「――織田信長の名を聞いて、まずどんなものを想像する?」
優勢はアーチャーの方。だが無論、それで甘粕正彦を脆弱と見做すことは有り得ない。
甘粕は破格の男だ。およそ強さという点において、当代最強と呼んでも過言ではない。
現に今も、軍刀を振るい立ち向かう甘粕は、明らかに人間を超えた身体能力を発揮している。所作は音速に達し、生身であっても巨石を砕き、繰り出す刃で鋼をも両断するその所業は、強化分を含んでも人としての限界点を超越している。仮に月で行われる聖杯戦争が、参戦者たちによる純然なバトルロワイヤルであるならば、その時点で甘粕の勝利は確定となるだろう。
だがそれだけでは届かない。どれだけ現代で最強を誇ろうとも、それのみでは英霊の域に至れる道理になりはしない。
何故なら英霊とは、人が願った最強の幻想。死後に人々の信仰に押し上げられて、精霊に匹敵するものへと昇華した存在。ひとつの時代を担う理想像そのものだ。
如何に破格であろうとも、現時点の甘粕正彦は"人間"である。未だ生命として定まらない可能性の中を生きる身では、決して届かない狭間が英霊との間には存在していた。
「革新の王。戦国乱世の風雲児。人によっては違いもあろうが、およそ共通してあげられるのは野心と覇道に生きる苛烈な王、という所か。
まあ無理もなかろうな、王者の名とはそういうものだ。弱小から強者へと成り上がり、天下統一という偉業へと手を届かせた、雄々しくも華々しい英雄譚。民衆がそこに何を見出したがるかなぞ、手に取るように推察できる。ああ、まったく――」
大英雄・織田信長。有名に裏付けられた実力に疑いの余地はない。
国土全域を巻き込んだ戦国時代、その乱世の中心であった英傑。様々な革新的概念を打ち立てた王として、そこに集った信仰は確かなものだ。
その信心に押し上げられて、アーチャーは英霊となった。そこに付随する人々からの幻想、覇道を築いた英雄としての信仰の形を鑑みて、
「――雁首が揃いも揃って、痴れた頭しか持たぬうつけばかりじゃッ!」
当の本人は、そこに心底からの侮蔑を吐き捨てた。
「動乱の世来たれり、我こそ天下を制する者也。そう己に都合の良い夢を望み、権勢を求めて個々の大名が乱立する。乱世ならば、大望あらば、あらゆる所業を許される免罪符が如く。
熱が上って沸いておるのか、うつけ共。少しは頭を冷やして周りをよく見てみるが良い。世界と比すれば島とも呼べる小さき国土で、同民族で争い合う自身の滑稽さを。
応仁の乱より変わっておらん。進むべき先も見えず、右往左往と混迷のまま行う戦乱など無価値。狭き世界の中で延々内乱に明け暮れても、日ノ本を危ぶむのみは目に見えておろう。
誰も彼も同じよ。世の平定を謳う者も、結局は性根の部分で古き価値に囚われておった。一度権威を失った威光など無価値であると、新たな世には新たな秩序が要るのだと、正しく理解しておる者は1人もおらなんだわ。そんな有り様で、他人任せになど出来ようものか。
だからわしが終わらせた。ああ、要は付き合っておれんのじゃ。痴れたうつけの妄言などに」
戦国時代に覇道を成した革新の王。その英雄の心中は、万人が抱く幻想とは程遠い。
彼女は天下取りの野望に夢など抱いていない。燃え上がる感情など持たず、唯々冷酷なまでに最適解の手段を選び取っていく。
理由は単純、正しいからだ。その解の先にこそ意義があると確信し、必要であるからどのような非道に訴えようと迷わない。合理的に、だからこそ残酷に、彼女は王道を貫ける。
その正義を保障する根拠も、また彼女自身。自身の所業の重さを誰より理解し受け止めているからこそ、その歩みに惑う事も有り得ない。
王の義務とは、決断する事。そして責任を負う事だ。
新しき世の革新のため、古き時代の流血に穢れる事も厭わずに。冷酷無比なる魔人の心中、合理の革新を求めた王は揺るがない。
「が、しかし、同時に理解してもおる。
武士という身分。名物と称される茶器。俗世のあらゆる物事に価値を与えるのは、他でもない人間自身。万人皆等しくそうと思えば、真か偽かの判断など取るに足らぬ。
ならば夢とて侮れぬ。何よりそうした無形のものこそ、価値を定める本質なのだから、正しく扱えばどれほど有用であるかなど是非にも及ぶまい」
刀が振るわれる。その威力は凄まじく、防いだ軍刀は砕かれ甘粕自身も浅くない傷を負う。
流石は英霊と呼べようが、どうだろう。それを考慮しても、些か彼女は
彼女のパラメーターは全ての能力がBランク以上。数値だけ見れば最高格の英霊に匹敵する。
だが本来ならばそれはおかしい。アーチャーは
歴史の古さこそが神秘の強度だ。無論、それだけで英霊の強さが決まるわけではないが、地力の部分では明確に数値の差は表れる。純粋な性能で近代が古代に勝る事はまず起こりえない。
甘粕というマスターの存在もあるだろう。それでもやはり、アーチャーの発揮する性能の不可解さを説明し切るものではない。
「天下布武? 第六天魔? おおそうとも、
強く聞こえる響きじゃろう。魔王とは恐ろしいものじゃろう。あな強き哉、恐ろしき哉、第六天魔王、おぞましき仏敵よ。彼の者はさぞや強大な魔性の王に違いなし、と。
応とも、そう思いたくば思うがよい。わしもまたそれを利用させてもらうまでじゃ」
アーチャーの持つ固有のスキル『魔王』。生前のイメージから脚色された魔性を示す仇名。その恩恵、あるいは影響として本来には無い在り方、能力への変質をもたらす。
所謂、『無辜の怪物』と同様の性質を持つスキル。だが外せない呪いであるはずのそれを、アーチャーの場合は自在に着脱し制御する事が出来る。
それは伝承において、彼女が仏敵という汚名に対し、自らもまた自称して撤回せずに貫いた事に由来する。神罰を恐れず、裁かれずに人生をやり遂げたが故に、それはアーチャーにとって一切のデメリットを持たない"能力"として発現した。
畏怖からの信仰により発現した怪物性。それはアーチャーにとっては着飾る衣服も同然。抱かれた幻想になど左右されない、魔性の王者として彼女は君臨している。
尊大に手を振りかざせば、頭上に戴くのは異端の教義の大曼荼羅。
畏れと怨み、迫害の中で蓄積された負の想念。まさしくそうしたものこそ己にとっての力であると、憚ることなく魔人たる英霊は豪語していた。
「生前には散々手を焼かされた信仰も、今や我が力。わしの手で揮われる"道具"となった。
憧憬も、畏怖も、所詮は真実なき幻想。各々が抱いた勝手な空想、妄想に過ぎん。正しい理解には程遠く、また必要ともしておらん。
是非もあるまい。知られぬ事が神秘の本質というならば、その道理に従って使うまでじゃ。それが有用な道具である限りはのう」
英霊とは信仰を受け取るもの。多種多様の人々の想念からカタチを成した幻想の結晶だ。
それは理想の象徴であり、そこに英霊個人としての人格は必要とされない。生前での彼等がどんな人物だったのか、細かな性格にまで頓着する者はそうはいないだろう。
所詮、そんなものはどうでもいいから。讃えるべき偉業があり、万人が抱くに足る幻想がある。性格や個性など各々で好きに想像していけばそれでいい。
ならば良しと、アーチャーはそんな英霊としての存在定義を是とする。
人の意識に左右される亡霊に過ぎないと、悲観もなく受け入れて利用手段を考える。所詮は仕組みを持った道具だと、神秘の概念からは最も外れた方向性で。
それこそが織田信長という英雄だ。時代の変革者であり、神性・神秘の冒涜者。自身もまた神秘に編まれた英霊であるにも関わらず、彼女の纏う概念はそれを破壊する。
歴史の重み、神性への畏敬という古きを革新で塗りつぶす"神秘殺し"。古きに遡り、神秘の概念が幅を利かせる時代の英霊であればあるほど、彼女は絶対の牙となり狩り殺すのだ。
「わしからすれば、王だと名乗る輩も大差ない。英雄の名に夢幻を描く衆愚と同じく、王の名前に在り方を縛られる愚か者よ。拘りなど持とうが、衆愚は慮りはせん
王とはな、所詮戴いた冠の名に過ぎん。その冠がどんな名を持とうが、王の有り様を定めるは王自身。冠ごときに振り回される王など、真の王には程遠かろう。
取り繕えよ。仮面を被れ。慈愛も非道も、等しく王の持つべき顔の一つ。必要とあらば、化粧の如く着飾れば良い。理想も夢も、世の瞬きの間に見る夢幻が如し。ならば拘ることもあるまいが。正義も邪悪も余さず呑み干し、総てを利用して道を築くが王道じゃ」
「――総ては、国のために。己が支配する国を強く、大きく、豊かに育て上げる。どのような王道であれ、全てはそこに行き着く真理である」
革新の王・織田信長。
変革を担う彼女は、あらゆる意味で型に囚われない。一つの価値観に縛られないのだ。
彼女の王としての矜持は、あくまでも成果にある。理想や誇りで行動を制限される事はない、幻想には傾倒しない徹底した合理主義だ。
雄々しい勇気になど絆されない。甘粕正彦とは、その気質からまるで異なる。互いが己の有り様を譲らない以上、この激突も必然のものだった。
「そなたの大言も、所詮は叶わぬ夢想の類いじゃ。ならばこの場で散ろうと大差はあるまい。わしはそなたの信条に感じ入るものなど持ち合わせん。
それでも道理を通したくば、無理の1つや2つは越えてみせよ。絶対をも凌駕する意志の輝き、英雄さえ超える光を示せなくば、我が得心は得られぬと知れ!」
英霊と人間。決定的な格差を伴う両者の死闘。真っ当ならば打倒の考え自体が誤りだ。
期待はしていない。無理で元々、出来ないのならばそれはそれ。その程度の輩に今さらかける思いも有りはしない。
振るう太刀筋に容赦はなく、冷然たる意志のままにアーチャーの攻勢は続けられた。
それは、始めから結末が見えた戦いだった。
甘粕は戦えている。英霊であるアーチャー相手に、まがりなりにも対抗できている。それだけでも十分に奇跡であり、彼が超人であることの証左だ。
まともな人間では、そもそも対抗自体が不可能なのだ。人類の理想の体現である英霊を相手に、真っ向から渡り合うなど正気の沙汰ではない。
ならばこうして善戦している事自体が称賛に値するものであり、甘粕の規格外の強さを証明するものであるだろう。
だがそれでも、最期に至る結末は変わらない。
人は英霊には敵わない。甘粕はアーチャーには勝てない。
土台、存在としての格が違う。その人間の能力が優れているからと、その程度のもので埋められる格差では有り得ない。
自明であり、当然の結果である。勝算などない、最終的な敗北は定められているのだ。
――
甘粕が己の武器として用いる術法。名の由来は唐代の故事、夢を通じて人生の栄枯盛衰を知る行からきている。
空想として思い描く己を纏い、行使する技。全ては脳内で認識される電脳世界で、イメージした事象を投影し超常の力として操るものだ。
邯鄲法には、大きく分けて五つの種別がある。
筋力や速度などの身体能力を強化する『
体力やスタミナ、耐久性を強化し防御・回復を行う『
事象のイメージを投影し、それを飛ばし拡げる『
他者の力や感覚、環境や術式を解析し解体する『
イメージの具現化。物質の創造や変質、あるいは環境そのものを生み出す『
効果の強度を左右するのは術者自身の想像力。夢に描いた己を信じ抜く心の強さによって、邯鄲の術法はその力を発揮する。
ともすれば万能とも思える邯鄲法だが、当然ながら限界はある。
想像次第で如何様にも性質を変える術式は、だからこその脆弱性を併せ持っている。
人一人の幻想とは、弱いものだ。どれだけ超人の夢を願おうとも、根ざした常識の枷からは容易には逃れられない。確かなものとは認識できない曖昧な空想なのだ。
身体能力を強化する戟法は、そもそも現実で強靭な身体の持ち主でなければ行使が難しい。防御と治癒を行う楯法は、致死級の負荷を耐えるか癒すかのイメージがなければならない。
どちらも困難なのは言うまでもない。現実で認識できていない夢を想像力で補うものであり、感覚のズレは必然として発生する。ましてそれ以外の現実では有り得ない術法ならば、全てを自身のイメージのみで賄わなければならない。
空を自在に飛び回る感覚を人が理解できるだろうか。巨岩を容易く打ち砕く腕力を、刃をも撥ね返す鋼の肉体を、致死級の傷を瞬時に再生する回復力を、我が物として受け入れられるか。
確かな術理として整えられていない以上、その感覚のズレは術の行使にも大幅な狂いをもたらす。人のイメージに依存する邯鄲法は、著しく安定性を欠いた代物なのだ。
そして、如何に夢想への強い思いを持っていたとしても、術式そのものに上限が存在する。
こればかりはどんな無茶をしようとも覆らない。そもそも術式自体がそこまでの力を出せないようになっているのだから、気合や根性でどうにかなるものではないのだ。
どの種別の夢でも、やれる事には限りがある。結論からいえば、この邯鄲法は汎用性と引き換えに非常に不安定な、その出力もカンスト値を定められた魔術でしかない。
所詮は夢、張り子の幻想。真に完成された幻想である英霊には敵わない。
人の身で英霊に挑み、勝利を狙おうとするのなら、常軌を逸していなければならない。常識で考えるなら決して有り得ない、そんな人を逸脱した"何か"を持ってなければならないのだ。
ただ一点、狂気の領域で練り上げた異端の業。それこそ人生そのものをも犠牲にする覚悟で磨かれた"究極の一"であるなら、あるいは対抗する事も出来るだろう。
それらは優れているとは形容されない。そんな人間の事を、他人は壊れていると呼ぶ。英霊という上位存在を打倒するのなら、人から外れる以外に道はない。
その事は、実際に対峙する甘粕自身がよく理解している。
人間では英霊には敵わない。純然たる存在としての強さで、その格差を覆せる道理はないと。
必要なのは総合値でのステータスではなく、一点特化の逆転手段だ。それこそ嵌りさえすれば神さえ殺せるというような、全てを覆してしまうほどの鬼札が。
今の甘粕には、その決め手に欠けている。このまま続けてもジリ貧で、やがては消耗して討たれる事になるだろう。
サーヴァントであるアーチャーに、体力的な消耗はない。純粋に戦うための存在であるサーヴァントとは、そうした部分でも差が現れている。
真っ向からの勝負で英霊に勝つ事はできない。自身でその強さを実感している甘粕が、それを理解できないわけがない。
ならばこれは敗北へと至る道。果てにあるのは絶望の結末しか有り得ない。
「くっ、ふは、はははは―――」
そう理解してるはずの甘粕は、しかし高らかに笑っていた。
そこに絶望の影はない。どうしようもないと思える状況でも、甘粕は諦めていなかった。
英霊は人の理想を体現する者――――ああ、その通りだ。
何の文句もない。その強さも在り方も、まさしく英雄と呼ぶに相応しい。
これこそが人のあるべき輝きだと、感激の情と共に思った事に間違いなどない。
その存在は人の上位にある――――否定しようもない。
当然の道理だろう。人々がこうと願った姿の象徴なのだから、同格や格下では意味がない。
いと貴き人物と願われた最強の幻想こそが、英霊。人より強大であるのは自明の理屈だ。
人は決して英霊には敵わない――――本当にそうか?
確かに容易い事ではないだろう。英霊とは上位存在であり、抗えないほどに強大無比。それは覆しようのない事実でしかない。
だが、ならば無理だと諦めるのは、果たして正しいのか。絶対に届かない存在だと、早々に決め付けて挑もうともしない事が利口な選択か。
ああ分かっている、それこそが道理だと。しかし俺は嫌なのだ、正しい選択だと理解していても、感情がそれに納得してくれない。
英霊相手だから、仕方ないからと、そんな言い訳を口にするのがどうしても許せんのだ。
「懸命に生きてきた。我が人生、俺はやれるだけの事をやってきた。憚ることなくそう言おう」
繰り出された剣撃を受け止める。
その威力はまさに人外のそれ。戟法を限界まで行使しても押し返せない。
これが人の限界だ。如何に強化しようとも埋め難い、どうしようもない格差は理解している。
容易に追い込まれていく。出来るのは敗北までの時を遅らせる足掻きのみ。
それだけであるはずなのに、甘粕の気迫は衰えるどころかその勢いを増していた。
「ならばこそ譲れんだろう。俺は俺の人生に懸けて、眼前の試練に膝を折る事は断じて出来ん!」
一喝と共に振り抜かれた軍刀の一閃。
ここまで押し負けるばかりだった甘粕の剣。それが初めて、アーチャーを押し返した。
引き換えに、一撃の後に砕け散る軍刀。
所詮は創形によるイメージの産物、英霊の持つ本物の宝具とは存在強度が違いすぎる。
打ち合えば砕けるのが必定。故にこの結果は当然だと、
今の強度で砕けるなら、より頑強に。思念の質量が足りないなら、更に重く。
創形一つの出力では限界だというのなら他の術式を足していけば良いと、単に切り換えているのではなく、甘粕は明らかに複数の夢を同時に掛け合わせて行使していた。
繰り出す剣の一撃一撃にも、同じように重複した夢が加えられている。
戟法の身体強化だけでは不足なら、解法で相手の強度を削ぎ、咒法で自身に付加効果をもたらす。複数の夢を掛け合わせて、相乗効果でその威力を底上げている。
術式の限界を、使い手の応用で覆している。それら己の持ち得る手札の中で甘粕は劣勢を盛り返していた。
だが無論、それらは容易いものでは断じてない。
そもそもこの邯鄲法、本来ならば
まず夢の複合する事から至難である。現に出来ているのだから不可能ではないのだろうが、この時点でも常人では決して届かない領域だ。
その上で、甘粕は2つ以上の夢を複合させ、高速に入り乱れる死闘の中で使いこなしている。それがどれだけの難行でどれほどの負荷が掛かっているのか、もはや本人以外には想像さえつかないだろう。
しかし甘粕は怯まない。あらゆる負荷も耐え抜いて、規定の限界など段飛ばしに突破して、それしきがなんだと己のギアを更に更にと回転させていた。
「己の最強を信じ抜く。結局のところ勝負事とは、その感情に帰結するのだ。力や技量で負けていようと、それでも勝てると信じているからこそ戦えるのだろう。
たとえ相手が何者であってもだ。挫折を恐れて戦いを拒めば、その瞬間に誇りは消え失せる。決して負けないと自負するからこそ、己にとっての輝きだと信じられるのだろうがよ!」
甘粕を支え、その魂を滾らせるのは紛れもない歓喜の念。
超越の存在を相手取り、絶望にも近い実力差を知りながら、彼は心からの充実を感じていた。
尋常ならざる苦難の世界、人が勇気を発揮させられる舞台の到来こそ、甘粕の願い。
ならば当の本人はどうなのか。勿論、甘粕自身にとっても試練は望むところである。どのような苦難を前にしても逃げ出す気など毛頭ない。
仮にも人々に試練を与えようなどと豪語するのだ。その張本人が試練から逃れようなど、そのような惰弱さを己に許しはしないだろう。
だが皮肉な事に、甘粕正彦は"強すぎた"。
なまじ優秀であり意欲も充実しているから、大抵の事では試練と成りえない。
余人とっては苦境でも、甘粕正彦にとってはそうではないのだ。その驚異的な意志力と才覚で成し遂げられない事など殆どない。
誰も甘粕の本気を見た事がない。恐らくは、当の本人でさえも。その領域に至る前に、あらゆる難関は打ち砕かれてしまう。
だからこそ今のこの苦境を、甘粕は歓喜と共に受け入れるのだ。
超え難い苦難を、この命を賭しても尚届くかどうかという未知の難関を。
俺自身の輝きを引き出すために、我が全身全霊を発揮させられる試練が欲しい。
「俺は英霊たちを尊敬している。その歴史と、人々の祈りの体現たる在り方には心からの敬意を示そう。
だからこそだ。敬意を持つからこそ挑むべきなのだ。理想だから届かないと諦めるのではなく、理想であるからこそ超えねばならない。そうして初めて、彼等の偉業に報いる事が出来る。
――人は過去を振り返るのではなく、未来こそ見据えるべきなのだから」
理想であろうとも、過去は過去。未来に生きるならば、いつかは超えるべき地点である。
そうでなければ人はいつまで経っても前に進めない。過去の栄光に敬意を払うのであれば、それを超える気概を持たねばならないだろう。
人は停滞の中で屈したりしないと信じている。立ち上がった先では素晴らしい光が得られるに違いないと、そう信じているからこそ譲れないと思うのだ。
皆にもそうしてほしいと願うから、まずは己自身でそれを証明する。
尊敬すべき過去の伝説に対し、甘粕は自らの勇気と覚悟を示し続けていった。
甘粕との剣戟に晒されながら、アーチャーに浮かぶのは困惑の感情だ。
総合的な性能ではアーチャーが上回っている。人間と英霊の、それは埋め難い実力差だ。
だがそれを補って余りある術理と勇気。怖れを振り切って踏み込む甘粕の攻撃は、絶対であるはずだった格差さえも超えつつある。
防戦一方だった戦況は五分五分となり、次第に攻勢の流れは甘粕へと傾き始めた。
馬鹿げてるとしか言い様がない。何より信じがたいのは、これが特別な力ではなく純粋な実力によるものだということだ。
秘奥にある異能でも、初見確殺を誓う暗技でもなく、人外の異種の血に頼るわけでもない。
全ては費やしてきた努力の量とその密度。甘粕正彦が示す強さとは、そうした言葉でしか説明できないものである。
穿った奇策ではなく真っ向からの自力のみで、この男は英霊に拮抗してみせているのだ。
だが果たして分かっているのか、それがどれほどの事なのかを?
英霊という最強の幻想、人々が夢見る理想の具現ともいうべき存在に、単なる努力と意志力だけで手を届かせる事がどういうことなのか。
それがどれだけの奇跡であり異常であるのか、この男は本当に理解しているのか?
「分かっておらんのだろうな、どうせ。諦めなければ万事は叶うとでも抜かしそうじゃ」
勿論、それで済む訳がない。不屈の信念があれば可能だなどと、そんな一言で片付けられるはずがないのだ。
不断に重ねた努力、真っ直ぐに貫き通した信念、それらを支えて燃焼を続ける熱意。言葉にすれば当たり前な、だからこそ極める事は至難であるものが、甘粕の持つ強さの骨子だ。
その生涯は常に全身全霊全力疾走。あらゆる機会を無駄にせず磨き上げたからこそ今がある。
そんな真似を甘粕正彦以外の誰に出来るという。そこまで持続する意志の強度を、他に一体誰が倣えるというのか。
人の身で英雄に至るには、優れてるだけでは足りない。人を外れて、壊れてなければならない。
正道とて、あまりに常軌を逸してしまえば異端の道だ。甘粕正彦の勇気は狂気の域、その信念は例え総てををご破算にしてでも止まらないだろう。
その生き様は、アーチャーの在り方とはまるで正反対だ。
そこにどんな利があるという。行うに足る価値はあるのか、失敗した際の代償は。考えるべき事柄は無数にあるというのに。それらの思考を振り切って邁進するのが甘粕という男である。
道なき荒野を前にして、アーチャーが試考錯誤しながら道を築くなら、甘粕正彦は意気に任せて道を拓く。最初から相容れるはずのない、真逆の性質の二人だった。
――――いや、あるいは、だからこそだったのかもしれないが。
「が、このままで済ますわけにもいくまいな。マスターに劣るサーヴァントなぞ、冗談にしても笑えぬわ!」
剣戟の流れが変わる。
趨勢そのものに変化はない。むしろより明確に形として現れ出した。
攻撃の主流は甘粕に。防戦だった流れは完全に逆転している。
斬り伏せんとする一撃は、一閃の毎に威力を増していき、アーチャーは受けに回るばかり。傍から見た戦況は、甘粕が優勢だと見えてもおかしくない。
だがそれでも、傷を負い血を流しているのは甘粕の方だった。
道理の壁を己の無理で突き崩す。甘粕のやり方とはそういうものだ。
それは突破力の反面、大振りの中に隙も生じさせる。端から堅実さなど度外視しているのだから、こればかりはどうしようもない。
アーチャーはそれを見逃さない。徹底して守勢に回りながらも、生じた隙に傷を残していく。
どれだけ攻勢に移ろうとも、ダメージを蓄積させていくのは甘粕だ。押されているように見えながら、アーチャーは確実に実利を得ている。
如何なる勇気も、結果に繋がらないなら無意味である。
彼女の現実主義は、甘粕の勇猛さに幻惑されない。満足して敗けを認めるような真似はせず、欠片も緩まず変わらない試練として在り続ける。
故に、甘粕の不利は未だ動かない。このまま進めば先に倒れるのは彼の方だった。
「――流石だな」
幾度もの剣戟を越えた後、心から感心しながら甘粕が言う。
「英霊の壁とは成る程厚い。俺もまだまだだと実感したよ」
「よくもまあ抜かすわ、うつけめ。人の身でここまでやっておきながら、それでも満足できんと言うか。
言っておいてやるがの、そなたの力も意志も、とうに人の範疇にはない。他人にあるべき背中を示すと言っても、そなたのそれは直視も叶わん灼熱の光源じゃ。
そなたの光は、どう足掻こうがそなた以外のものにはならぬ類いよ」
「そうか、残念だ。俺自身ではそうは思わんのだが、おまえが言うのならばそうなのだろう。
それを口惜しく思わんわけではないが、それでも構わんさ。別段、俺になれと言う気はない」
甘粕正彦は不世出の傑物だ。同じ世に2人、3人と現れる類いではない。
先の未来がどうなろうとも、甘粕以上の人間は恐らく現れまい。輝き続ける恒星の如きその意志力は彼一人のもの。それは即ち、同じ価値観を共有できる相手がいない孤独を意味する。
それで構わないと、甘粕は思っている。
甘粕が与えるものは試練。災禍の中で自らの光を掴めるよう、等しく人々に機会を与える。
その光を甘粕と同じくする必要はない。確固たる決意と覚悟があればそれでいい。
幸か不幸か、甘粕自身の強さが孤独などものともしない。挫ける事を知らない孤高の魂は、一人でも己の信念を貫けるだろう。
結論は同じ、指摘されたところで甘粕正彦は揺らがない。
「ならばこちらからも一つ言わせてもらおう。こうして対等に剣を交える域に至って、ようやくおまえの剣の質ともいうべきものが見えてきたのでな。
おまえの剣は、敵の打倒を目指すものではないな。むしろその逆、自らが生き残るための剣だ。どんな相手にもしぶとく諦めず、泥にまみれようが生存の道を掴む守りの刃だろう」
「ほう、それで? 英雄らしからぬ栄えの無い剣とでも言うか?」
「まさか。むしろ俺は改めて感心したんだよ、アーチャー。
おまえの剣は戦場の剣だ。将の死とは軍の敗北、それを真に心得た王の剣理なのだろう。
その鋼色の魂が、俺には美しく見える。栄えある騎士の王や大望を夢見る覇王とも等しく、人の王たる者が見せる輝きだと疑っていない。
だから理解したよ。今の俺ではおまえに勝てん。このまま無茶をし続けても、その守りを崩せはせんとな」
甘粕が受けたダメージは、既に無視できない域に達していた。
直接の負傷は勿論だが、無茶を通した術式の代償は確実に内部を蝕んでいる。
常人ならば満身創痍と呼んでも差し支えない。楯法の治癒に回す余裕など無く、こうして会話をしている今でも隙を見せれば、アーチャーは容赦なく攻めるだろう。
回せる力は全て強化に回してある。それでもまだ届かないのなら、ここから少々勢いを増したところで勝機など有りはしない。
甘粕の持つ勇気は、蛮勇ではない。
勢い任せで突っ走る馬鹿者だが、思考を止めてるわけではない。人は考える事ができる動物なのだから、それを放棄する事は怠慢であり弱さだろう。
単なる蛮勇に輝きはない。所詮は一時だけの激情からくる自棄と大差はなく、そんなもので真の勝利者には成りえないのだ。
勝機を探る思考は絶えず動かしている。故にこそ己の敗北も理解できた。
「ならばどうする。平身低頭に命乞いでもしてみせるか?」
「それでおまえの気が済むなら考えんでもないが、するだけ無駄だと分かっているのではな。おまえが俺に期待している事は理解出来ているつもりだ。安心しろよ」
甘粕は冷静だ。己の現状は正確に把握している。
今のままでは勝算がない事も、それを覆す方策を思いつかない事も、分かっている上での言葉だ。あくまで己を崩さない言動は、その心中が平静である証明だろう。
そう、甘粕正彦は揺るがない。絶対的窮地の中で、彼の魂が取る選択など決まっている。
「
ならば良し。素晴らしいおまえの輝きに応えるためにも、俺は更なる輝きを示してみせよう」
勝算は見えない。考えても逆転に至る手段は思いつかない。
だが、人生とは本来はそんなものだ。勝ちの算段が最初から読めていて、少々機転を効かせる程度で越えられる苦難など、窮地だとはとても言えまい。
ましてや理不尽な運命の直撃を受けたものは、筆舌にし難い難易度の試練を越えねばならない。そしてそれがあるからこそ、世には勇者と呼べる者が生まれるのだと信じてる。
少々考えた程度で思いつく事ならばとうにやっている。
これが紛れもない己の全力。それでも足らぬというならば、もはや全力以上を引き出すより他にはない。馬鹿げた事だと呆れられようが、それしか道がないのならば是非もなかろう。
覚醒を果たす。無理に次いで無理を通す。物語では醍醐味だが、実際にやろうとすれば困難どころの話ではないそれを実現する。そんな己が置かれた窮状を知り、だが身体は怖れ以上の高揚に包まれている。
これで示せない愚昧な男は死ねばよかろう。今こそ男子の晴れ舞台、ここで何も成せないのなら、過ぎた妄想に酔い痴れた男の末路と受け入れるのに否はなかった。
甘粕が軍刀を構える。そして次に放たれるのは、起死回生を賭した決意の一撃に違いなかった。
「そなたの大言もそろそろ聞き飽きた。道理を通したくば無理を越えい、わしから返すのはその答えのみじゃ」
揺るがないのはアーチャーも同じ。刀を構えるその姿に、気圧される様子など欠片もない。
事実は変わらない、優勢なのはアーチャーだ。
長引けば長引く程に優位は広がる。ならば消耗する前に勝負をかけようとする甘粕の行動は、なんら不思議なものではない。
勿論、アーチャーがそれに付き合う必要は無い。このまま守勢を維持すれば勝ちなのだから、守りの有利を自ら手放すつもりは彼女も無かった。
先手を取らされるのは甘粕の方。
待ち構えるアーチャーに対し一片の躊躇もなく踏み込み、上段に振り上げた軍刀を一閃する。
夢の精度は過去最高。全てが
明らかに人間のものとしては規格外。これで相手を人と想定して構えていたならば、その甘さは決死の一閃の前に砕かれていただろう。
だがアーチャーは違う。彼女は緩んでいないし動揺など欠片もない。対峙する男、甘粕正彦を人であるなどとは想定していない。
この男こそ人にして人を超えんとする意志の怪物。未だ人の範疇にはあれど、もはや英霊に対しても脅威と成り得る力がある。
そう覚悟していたからこそ、揺るがない。あるいは自分を超えているだろう一撃を前にしても、専心した守勢は微塵の隙も生じさせなかった。
果たして、その結果は現れる。甘粕の決死の一撃を、アーチャーは見事に捌き切った。
となれば後は、もはや自明だろう。
決死の覚悟で放った一撃。ならばもしそれが外されたのなら、文字通りに死が確定する。
全ての力を掛けているからこその決死である。それで成果が得られなければ、後には大きな隙を晒す攻勢側が残される。
守勢側にとって、その無防備こそが待ちに待った好機。速やかに剣を構え直し、その首を刈り取るべく容赦のない斬撃を繰り出そうとする。
そこまでの過程は、言うなれば
故に、通す無理があるとするならここからだ。甘粕正彦の無理とは、この程度で終わるものでは断じてない。
晒した無防備の中で、甘粕が動き出す。
力は全て出し尽くし、姿勢も最悪。立て直しには手間が掛かり、それはアーチャーの反撃に間に合うものではない。
その前提を完全に無視して、甘粕は踏み込んだ。あらゆる理屈を覆して、有り得ない体勢から強引に、夢の力を駆使して不格好な突撃を実現させたのだ。
その様は、ほとんど肉弾。拳でもなければ蹴りでもない、己の身体そのものを一つの塊として敵にぶつかっていく、ともすれば自棄糞にも似た攻撃だった。
これで有効なのかと問われれば、はっきり否だと答えるだろう。攻撃後の隙は更に大きくなり、仮に直撃を入れられたとしても倒せるとは限らない。
リスクとリターンがまるで合わない馬鹿げた行動。はっきりと悪手と呼んでも差し支えない選択であり、考えられない手段だった。
そう、考えられない手段だからこそ、その攻撃は予測の範疇を越えられる。
想定していない事柄に対して反応は遅れるのだ。故にそれは相手の意識の不意を突く。
何より甘粕の躊躇の無さが、この場合では有効な要因となっていた。一切の迷いが見えない不測の一撃は、相手にとって思いがけない衝撃と成り得る。
馬鹿げた真似をする時には、とことん馬鹿に。下手に勝算など考えていれば脚は止まり、道理を無視した一撃は単なる無意味な愚行へと堕ちるだろう。
常道無視は百も承知。これで不意を突けなければいよいよもって進退窮まる。それら余さず受け入れて、それでも臆する事なく踏み込めるからこそ、起死回生の一手にも繋がるのだ。
そんな道理より外れた突貫を目の当たりにして、それでもアーチャーは動じなかった。
アーチャーは何一つとして緩んではいない。甘粕正彦がどれだけの事をしてみせても、それで不意を突かれる無様は晒さない。
何をしても不思議ではない。それくらいにアーチャーは甘粕を認めており、故に慢心も無い。そして不意を突けなかった以上、その突貫は単なる無防備を晒す不整合なものでしかない。
常道とはすなわち王道であり、そう呼ばれるのはそれが最も強いからだ。条理を無視した一撃は、その意外性を抜きにすれば力も狙いもひどく乱れた雑な攻撃にしかならない。
迎撃の刃は寸分狂わず、十分な余力を持ち甘粕の突撃に合わせて放たれた。
これで決まりだ。もはや甘粕に打つ手はない。
アーチャーはそう結論する。この肉弾突貫こそが最期の足掻きだ。それを受けきった以上、甘粕が引き出せる手立ては尽きた。
確かに決死の気迫は見事だった。あれほどの勇猛さは己が生きた戦国世にもいないだろう。人としては過ぎたものだと、そう認める事に否はない。
それでも、ここまでだった。気迫だけではどうにもならない事もある。こうして結果が出た以上、今さら惜しもうとは思わない。
振り抜かれる剣閃。完璧に合わされたそれは、狙い違わずに相手の急所を捉えている。
そこから先は刹那の意識だ。死闘の極限の中で研ぎ澄まされた感覚だけが、一秒にも満たないその交錯の内を認識している。
「な、に……ッ!?」
それ故にアーチャーの意識が捉えた光景は、今度こそ彼女に驚愕をもたらしていた。
交錯寸前、甘粕の身から一切の恩恵が消え失せる。
戟法の身体強化も、その他の夢の力の何もかもが瞬間に喪失した。
他者の影響されてのものではない。甘粕が自ら己の夢を手放したのだ。
あまりにも有り得ない。戦場で自ら武具を投げ出すに等しい愚行だ。
単に非効率だけの問題ではない。殺気漲らせた攻撃の最中に武器を捨てるという行為がまず異常なのだ。
死闘の中で己の武器とはまさしく命綱。それを自ら捨て去るには、相応の覚悟が要求される。
これが通常の武器ならまだ理解もできる。剣戟から即座に徒手空拳の格闘に移行できる武術があるように、場合によれば武器を捨てた方が有利になるからだ。
つまりはそこに理があるか無いか。術理すら介さない民兵ならば、それこそ手にした武器は死ぬまで手放そうとはしないだろう。
そう、この行動には理がない。確かな有利と働く要因が見えないのだ。
無論、甘粕自身にはそれはある。彼なりの理屈があるからこそ、その行動を取った意義がある。だがそれは、他者には余りにも理解し難いものだった。
そこまで深い思考を伴ったものではない。ただ一つ、事実として認識していた事だ。
このままでは己は敗れる。アーチャーの剣はもはや防ぐ事が敵わないと。
既に強化は限界までやっている。仮にそれ以上があったとしても、この刹那では引き出すのが間に合わない。
あるいはこの邯鄲法が、人の無意識の底に通じた悟りの行にも等しい奇跡であったならば。
夢見る意志の力次第で、例えば神仏をも凌駕できる可能性を秘めた御業なら、また別の選択肢も有り得ただろう。
僅かでも可能性があるのなら、甘粕の意志力は必ずやそれを掴まんと奮起したに違いない。
だがそうではない。この邯鄲法にそこまでの可能性はない。
出来もしない事を出来ると喚き、根性論という名の思考停止で無策に走る、それは勇気ではなくただの盲信だ。
そんなものに輝きはない。誰より甘粕自身がそう思っているから、そんな無様には走らないと固く決意している。
甘粕は確かに力を求めている。だが力そのものに酔い痴れる事は決してない。
力とは究極、単なる手段だ。人間の価値の一部ではあっても全てではなく、真に重要なのはその力で何を成すかに掛かっている。
強い者がその強さに飽かせて何事かを推し進める。そんな行為のどこに憧憬があるという。感動に値する素晴らしさがどこにあるというのか。
我々が胸打たれる場面とは、力足らぬ者がその意志で大業を成し遂げる時だろう。恐れを越えて立ち上がる誇り高き姿にこそ、人間賛歌を歌い上げる価値がある。
それが例え、物語の中の美談の類だとしても。それで現実には有り得ないと諦めるのはそれこそ惰弱の一言だと言い捨てよう。
だから結局、甘粕にとっては力の手段も舞台設定。必要だから求めるだけで、それそのものに価値を置きはしない。
出来ないと知れたなら、それを捨てる事にも迷いはない。それが
力は所詮、手段である。如何に強化の術式であろうと、それで勝てないのなら意味はない。ならばいっそ、そんな強さなど棄ててしまえというのが甘粕にとっての理だった。
アーチャーの迎撃は、甘粕の性能に完全に合わせたものだ。
正確極まるその一撃が、今となっては仇となる。邯鄲法の助力のあった甘粕に合わせたそれは、今の甘粕には余分な力が入りすぎている。
既に振り下ろした一撃は修正も出来ない。アーチャー自身の動揺もそれに拍車をかけている。
勿論、それでも威力は十二分にある。多少の狂いは生じても、強化を無くした甘粕ならば、このまま斬り捨てての決着に変わりはない。
得られたものは、性能低下に対する剣筋の乱れ、及びそれに伴うアーチャー自身の動揺。
引き換えに失ったのは魔術による強化分。この交錯の間、甘粕は純粋な人としての性能に落ち込んだ。
そう、人としての、彼がその生涯を通じて磨いてきた、最も重んじるべき性能にだ。ここから先の可能性を切り開くのは本来持つ人の力。甘粕自身で積み重ねた成果こそが試される。
刃が落ちてくる。
交錯は刹那、完全な回避など不可能。出来るなら夢を捨てていない。
傷を負う事は初めから覚悟する。狙うべきは致命の回避、その一点のみ。
もはや寸前にまで迫った刃を前に、やれる事はあまりに少ない。出来るのは精々、僅かな体運び程度。それだけでこの瞬間、この死線を越えてみせなければならない。
重大すぎるその刹那、心技体の総てを尽くして甘粕は最良と信じるままに動いていた。
鮮血が散る。赤い飛沫が甘粕の身より弾け飛んだ。
その量は多い。斬られた傷は深手であり、安くはない代償を支払っている。
それでも甘粕は倒れていなかった。激痛を気迫で抑え込み、その顔には快活な笑みがあった。
そこからの動きも即断だった。
先の一撃はアーチャーにとって決着を期したもの。故にそれを逃した後の間隙は必然、あれほど堅牢だった守りの構えが崩れている。
すぐさま戟法を練り直す。アーチャーの刀を狙い、返す一撃で叩き落とした。
刀がその手から離れる。拾う動きは見せずにアーチャーは後退。それを甘粕は迷わず追った。
数値上の性能は英霊であるアーチャーが上。一度離されれば追い付けない。傷の治癒も後回しに、千載一遇の勝機を逃さないためにも追撃の手は弛めない。
刀を手放した今のアーチャーとなら甘粕に分がある。ならば今こそ勝負を掛けるべき時だと、その判断に疑いの余地はない。
――と、そう決断した甘粕の目に、無骨な輝きに照らされる銃口が映った。
火縄銃・種子島。アーチャーが持つ本来の武器。
刀を手にしての戦いなど所詮は副次的なもの。"
後退しながらの退き撃ち。瞬間での相対速度はほぼゼロだ。アーチャーにとっては容易すぎる射撃条件で、もはや必中は確定しているに等しい。
ある意味で、これは意識の裏を突いた奇襲であった。
ここまでの互いの得物は共に刀。剣を抜けとアーチャーは告げ、甘粕もそれに応えた。その後の戦いは刀剣を駆使した剣戟となり、そのままに激しさを増していった。
即ち暗黙の了解として、彼等は剣を使った決闘に同意したのだ。故にそれ以外の手段は不要であり、約定は無くとも意識はそのように理解している。
最も甘粕にとっては意識以前の問題でもある。弓兵クラスが有する『対魔力』のスキルが、創形による物質化を伴わない術式の大半を無効化してしまうからだ。
むしろそんな甘粕にアーチャーが合わせている形だろう。人間対英霊という図式である以上、その程度は本来ハンデにすらならない。
だが所詮、そんなものは制約はおろか口約束もしていない暗黙上の取り決めだ。
知らんと言えばそれまでで、何の不都合も有りはしない。使おうと思えばいつでも使える。
卑劣だと不公平だと罵られようが、結局はそれまでだ。銃口を向けた殺意は本物で、放たれる銃弾は過たず甘粕を貫くだろう。
アーチャーは退き、甘粕が迫る。
走り出した戦意は止まらない。軍刀が奔り、種子島が火を吹いた。
――軍帽が、宙に舞った。
場に静寂が訪れる。
あれほど響き渡っていた剣戟の音も今は無い。
畸形の礼拝堂に相応しい静けさが戻り、畏怖をもたらす狂奔の神聖が宿りつつあった。
落ちた軍帽には弾痕が刻まれている。
位置としてはちょうど眉間の辺り。直撃すれば間違いなく致命に至る。
必中の予測は覆らず、アーチャーの銃弾は手心なしに己のマスターを穿ったのだ。
それでも尚、甘粕正彦は倒れる事なく立っていた。
軍帽を飛ばされ顕わとなった面貌。その眉間からは血が流れている。
流血は顔面を伝い、顎より雫となって落ちている。精悍な面に赤い血の線が引かれていた。
だがそれだけだ。銃弾は致命に至らず、未だその闘志には些かの衰えもなかった。
対峙する両者は動かない。
甘粕もアーチャーも、動けないわけではないし仕掛ける機が見えないわけでもない。
まるで示し合わせていたように、二人の戦いは唐突に停止していた。
「……傷を癒せ」
しばらくの沈黙の後にアーチャーが告げる。
その言葉に甘粕も素直に従った。楯法を発動させて自らの重傷を治癒し始める。
それは眉間の弾傷ではなく、深手のなっている刀傷の方を。傷の度合いとしてはそちらの方が遥かに重い。
このまま放置すれば間違いなく致命傷である。優先すべきは決まっていた。
傷が塞がる。深手の治癒にはある程度の集中と時間を要したが、アーチャーは妨害しなかった。
未だその戦意は消えてはいないが、問答無用の空気でもない。すでに戦いは治められていると見てもよかった。
「ふむ。これは認められたと解釈して構わんのかな?」
本来ならばあり得るはずのない主従の激突。
違ったのは単なる主張の一つではなく戦に懸ける真そのもの。故に妥協はあり得ず、決着はどちらかの信念の屈服以外にない。
英霊・織田信長を納得させ膝を折らせること、それがこの戦いの意義であった。
「……何故防げた? 先の種子島、おまえからすれば慮外といえるものであったはず」
刀を得物とした戦いでの銃の使用。意識の不意を突いた奇襲の一撃。
所詮、何の取り決めもないものだが、それ故に意識に根付いたそれは予想し難い。
刀同士でも、すでに尋常ならざる死闘だったのだ。そんな死線の中で、更に別の手段にまで警戒を割く余力が果たしてあったのか。
そうであったとしても、これが試練だという意識はあったはずだ。殺し殺される結末は本意ではなく、あくまで試し納得させる事が目的だと。
その意識は真っ当なものであり、故に刀以外の選択肢は無意識に切り捨てられる。意識的でないからこそ、その油断からは逃れ難い。
「抜かされた挙句に通じぬとあっては、二重の意味で屈辱じゃ。英霊にとって宝具とは、それほど軽く扱える手段ではないのだぞ」
実のところ、アーチャー自身も"
殺しても構わない気構えであったとはいえ、殺すことが目的ではない。甘粕風に言うなら試練であり、故にそのための基準を自らに設けていた。
この戦いでは銃は使わない。戦いに徹底した厳しさを持つアーチャーでも、己で課した制約を容易く反故するような真似はしない。
だが抜かされた。そうしなければ危険だと感じ取ったのだ。
英霊が人間を相手に、互いに同じ得物で正面から斬り結びながらである。あの時の踏み込みは英霊であるアーチャーをして脅威だと認めざるえなかった。
「ましてやこの様とあってはな。痛み分けとは、尚更笑えん」
更に、アーチャーが自らの頭に手をやる。そこにあったはずの軍帽はない。
見れば近くには黒色の軍帽が落ちている。甘粕のものとは別の、輝く木瓜紋を戴いたそれはアーチャーの軍装だ。
地に落ちた軍帽、家中の威信足るべき紋所は、軍刀に裂かれて打ち捨てられていた。
一撃が届いていたのはアーチャーだけではない。
甘粕の軍刀もまた、アーチャーの身に確かな一撃を届かせていたのだ。
「そなたは、わしが宝具を抜くと分かっていたのか? それを覚悟していたと?」
「そう疑問に思うことでもない。むしろ当然だろう、俺は試される側だ。指定できるものでもなし、あらゆる試練を想定してみせねばな。
おまえの能力は分かっている。想定できるあらゆる事に備えを持っておくのは、挑む者にとって当然持つべき覚悟だと思っている」
アーチャーの射撃を防いだもの。それは事前に用意した対弾性の防護障壁。
あらかじめ創形の夢のイメージを置いて、相手の攻撃に反応して展開させる。全身を覆うほどではなく一点のみを守護できるように展開速度を重視してだ。
必要なのは迷いなき意志。少しでも惑えば間に合わない。甘えた認識は決して持たず、英霊の全身全霊と対峙する覚悟が無ければ成り立たない。
「それに手心ならば加えてあっただろう。宝具といっても一丁きり、せっかくの神秘殺しも人間の俺相手では意味がない。ならば数に物を言わせるのがおまえの宝具の真価だろうに、それをしなかった時点で本気には程遠い。これしきの備えで防げてしまう程度にはな」
アーチャーの性能は相性依存だ。強い相手には強く、弱い相手には極端に弱体化する。
その基準で考えれば、甘粕は相性の良い相手ではない。宝具は真価を発揮せず、単発ではこの通りあっさりと防がれてしまう。
故に威力の無さを物量で補うのだ。元よりアーチャーの宝具とはそういうもの、単一ではなく群として機能する宝具である。
そういう意味でなら、確かにアーチャーは本領ではなく手心を加えていると言えるが――
「……仮にそうしたとして、それでもそなたは勝てると?」
「まさか、そう容易いはずもないだろう。英霊と人間の格差は大きい。少々無理をしたところで超えられるものではないと、身を以て実感しているよ。
ただ、そうだとしても諦めんがな。これはおまえが与える試練だろう、アーチャー。もしおまえがそうしたければ是非もない。力の限りに立ち向かい、俺の意志を示すまでだよ」
その答えを聞き届けて、アーチャーは思わず頭を抱えた。
この男には勝算の二文字がない。理屈だけでは決して止まらない。
理屈を知らない訳ではない。そこに頭が働かないわけではない。全てを理解した上で、あえて無視して前へと踏み出す。
甘粕正彦にとって勝利とは掴むもの。不断の努力と苦難の渦中で磨かれた意志で以て、不可能をも超える奇跡。事前に布石を積み上げ確実な勝利へと至るアーチャーとは真逆の性質だ。
進むと決めたならどれほど絶望的だろうとも怯まない。たとえそれが英霊であっても、不屈の意志で乗り越えられるのだと豪語している。
それは戦いたいからではない。試練があるから成長があり、人は輝きを得られる。己が何より好むそれを見るために、甘粕正彦は進む道を違わない。
まったく何と"純粋"なのだろう。生前も含め、ここまでの者が果たして他にいたか。
勝負の結果そのものより、その過程の姿こそ愛している。自身も含めて例外はなく、輝ける姿を引き出すためなら結果が危ぶまれようが厭わない。
真逆、そうどこまでも真逆だった。アーチャーとは何もかもが違いすぎる。理解は出来ても相容れる事は決して無い――――彼女が王である限りは。
「そうであったな。我が身はサーヴァント、主たる者の剣であった」
アーチャーに生前の未練はない。その最期は非業だったがやるべき事はやったと思っている。
故にその闘争動機は過去にはない。経緯はどうあれ黄泉還ったというなら是非もない、革新の王として目の前の世界と如何に向き合うかを決めるのみだ。
そこに理があるとしたなら主君殺しも厭わない。下克上は戦国乱世の習い、不足と見れば斬り捨てる事にも躊躇う必要があろうものか。彼女はあくまで、今ある世界を見据え正しいと考えて行動する救国の英霊なのだ。
だがそれでも、此度の召喚の発端は目の前の男が語った夢のような戯言であったのだ。
「ライダーの奴めの指摘通りか。やはり慣れぬわ、他者に仕えるというものはのぅ。我知らずに己のやり方で歩きたがっておる。
この戦いはわしのものではない。甘粕正彦、そなたのものじゃ。分かっておったが、納得するのとは違うものだな」
アーチャーが刀を納める。戦意はすでに消えていた。
どの道、これは認めなければならないだろう。自らで課した制約すら破られた現状で、これ以上続ける事に意味があるとは思えない。
この男は見事にやってのけた。ならば自分も、己の主君たる者に示すべき誠意がある。
「――甘粕正彦。我が主君、召喚者たるマスターよ」
そうしてアーチャーは跪き、頭を垂れた。
仕えるべき主として、誠心からの忠義を示すため。
これより二人は真の意味でのマスターとサーヴァントとなる。この戦いに挑む者として正しいカタチに戻ったのだ。
月の聖杯戦争は、より強き魂を選別するための
「我が身命は御身の矛にして盾。この虚構の身が潰えるまで、その道の助けとなりましょうぞ。
――誓いをここに、契約は成された。稀代の莫迦者の見た夢想、その果てまで見届けよう」
改めて結ばれる主従の契約。解れた誓いを結び直すように。
かつてとは異なるアーチャーの宣誓に、甘粕もまた応えてみせる。
「委細、承知した。織田信長、真摯に世を見据える革新の王よ。おまえの示してくれた忠義心に恥じる事のないよう、俺は俺の真を追い求めよう。
失望はさせんと誓おう。おまえに曲げさせた矜持の分だけ、英雄にも劣らぬ輝きを以て報いてみせるさ。共に我が"
主従の道が一致する。信念が信念を取り込んで、より練磨された意志となって。
不協和音は除かれた。彼らの力と意志は今や、全てが聖杯戦争へと向けられる。
そして、その矛先が向けられる相手は、既に決まっていた。
保健室は、マスター全員に開放された中立施設だ。
月の聖杯戦争に参加するマスター、サーヴァントならば誰もがその恩恵に預かる事が出来る。
それはムーンセルによって定められた絶対のルール。故にその施設の管理を任された上級AIも、求められた助けには必ずや応えなければならなかった。
「霊子構造、オールグリーン。これで問題はないわ」
銀髪白衣の上級AI、カレン。やって来た
重傷で運ばれた患者には、もう外傷はない。ベッドに寝かされていた彼は万全の状態でそこにあった。
――ただし、抉り出された片眼だけは、眼帯に覆われてそのままだった。
「実際の損傷はそれほどではありません。これをやった者は人の壊し方をよく心得ているわね。
けど右眼は駄目ね。とても念入りに取り除かれている。これを補填することはムーンセルのマスター全体への公平性を損なうことになるわね。
まあ、片眼が見えない以外の支障もなし、元から腐っていた眼ならよいのではないかしら」
「流石に仕事が早いねぇ。口は悪いが腕は確かみたいだ」
治療の成り行きを見守っていたライダーは、その手際良さに感心したように言った。
「余計なお喋りが過ぎるわね、ライダー。低俗な海賊風情では、口先こそが災いを呼ぶという教訓を知らないのかしら?」
「口が災い呼ぶってんなら、アンタの方こそ今頃厄災塗れだろうに。それでも治療はきっちりやる辺りは、ムーンセルに選出されるだけはあるってことかい」
「その言い方では語弊があるわね。ムーンセルに選ばれるのではなく、私たちAIは皆等しくムーンセルの一部。個性などその付属品に過ぎません。私がマスターに公平であるのは、ムーンセルの観測が何より公正である事の証です。
あなたたちサーヴァントも、少々役割が違うとはいえムーンセルの一部である事に違いはないわ。よく弁えておくことね」
「ほう。ならアンタがこうしているのも、全てムーンセルの言いつけだからかい?」
「いいえ。この役割がムーンセルより与えられたものだという事は確かですが、カレンというパーソナリティはあなたたち全員を愛していますよ」
本気なのか冗談なのか、どちらとも取れる意味深な笑みを浮かべて、カレン。
何とも奇妙なAIである。役割に忠実なのは確かだが、その態度には不可解なものが多すぎる。
それが単なるパーソナリティによるものか、それとも何か別の思惑でもあるのか、読みきれない健康管理AIをライダーは愉快気に笑った。
「う、あぅ……ぼ、僕は……!?」
寝かされていた患者、ライダーのマスターである間桐慎二が起き上がる。
未だ混乱の渦中にある意識は、不安気に周囲を見回していた。
「よぉ、シンジ。目が覚めたかい。負けて帰った気分はどうかねぇ?」
そんな己のマスターに無遠慮な言葉をライダーは投げかける。
その中に含まれた『負けた』という単語に、慎二の身は震えた。
「初っ端からとんでもないのに当たっちまったねぇ。ここのマスター共にも色々いるが、ありゃあ別格だ。まず間違いなく優勝候補の筆頭の1人だろうさ。
どうだい、シンジ。随分と分が悪い相手だが、いつもの憎まれ口を叩く気力は残っているかい?」
慎二の身を震わせているものはライダーとて分かっている。
分かった上で、彼女はその挑発的な言動を止めようとはしない。顔面は蒼白に色褪せ、次第にその震えが強くなっていこうとも、構わず無神経な言葉を続ける。
「あ、当たり前だろ。大体、憎まれ口ってなんだよ、おまえ。いつも言ってるけど、言い方とか少しは考えろよライダー」
ようやく返した答えは、いつもの慎二のものと変わらなく聞こえる。
だが内容はそうだとしても、はっきりと表に現れている態度は隠しきれない。目に見えて縮こまる彼の姿は、常の虚勢にも滑稽さより哀れさを与えていた。
「あんなのただの反則だろ。結局さ、ああいう手段に頼らなきゃならないってのがそいつの腕の悪さを表してるってわけで……だ、だから、さ、僕は……僕は……ッ!?」
既に突きつけられてしまったのだ、明確な現実を。
この戦いはゲームではない。命が賭けられた本物の殺し合いで、自分もその当事者だと。
その事実から逃げられない。自らは必ずや勝利できると幻想に走る事もできない。それら逃避の道は、刻まれた痛みと恐怖によって封殺された。
もはやどうしようもなく、事態を見据えなければならないのだ。
己は逃げられず、7日目には"あの男"と闘わねばならず、そして――――
「――――僕は死ぬのかッッ!!??」
敗北者には"死"を。聖杯戦争に課せられた絶対の掟。
弱肉強食の生存競争、逃れようのない結末に、慎二はその心中を吐き出した。
「ああ、死ぬね。ここじゃ負けた奴は皆死ぬんだ、最初からそう言ってるだろ」
それでもライダーの言葉に慈しみはない。
恐怖に震える
稀代の冒険者は何処までも享楽的に、命の危機さえも笑い飛ばすように言い放つ。
「い、嫌だ、嫌だぁ! こんなの聞いてない。本当の電脳死なんて、そんなの実際にあるなんて思わないじゃないか。それなのに今更、そんな事言ってんなよ!」
「こいつを冗談だと受け取ったのはアンタの勝手。だが戦争なんてのはそんなもんさ。自分だけは死なねぇとか、有りもしない妄想に縋って目を逸らそうとする。
だが現実はそうはいかない。善人だろうが悪党だろうが、戦争に負けた方はぶっ殺されるのがオチってもんさ。その事に、大抵の奴は死ぬ直前になってようやく気付く。
だからアンタのそれも、特別珍しいってわけじゃあないんだぜ」
「なに分かったようなこと言ってんだよ!? 大体、おまえがもっと強ければこんなことにはならなかったんだ!
そうだ、おまえが悪い! とんだハズレサーヴァントだ! おまえが不甲斐ないせいで、僕はこんな目にあっているんだぞ、エル・ドラゴ!」
「そうだねぇアタシのせいかもねぇ。実力、天運、執念、油断、勝負事を決める要素ってのは色々あるが、真の意味での偶然なんて勝ち負けの世界にはありゃしない。
今こうしているアンタも、なるべくしてなったもんさ。要は何もかもが足りなかったんだよ、アタシたちには」
「うるさい! そんな沸いた事言ってるくらいなら僕を助けろよ。サーヴァントはマスターを助けるもんなんだろ。僕をここから出せ、こんな狂ったゲームから解放しろ!」
「ああ、そりゃ無理だ。そんな簡単にどうにかできるルールなら最初から作られちゃいないよ。この月に入った時点で、ここにいる奴らの死はほとんど決まったようなもんなのさ」
「何だよそれ何だよそれッ!? こんなの理不尽だ絶対に間違ってる、許されていいわけがない。僕はまだ八歳なんだぞ。なのに死ぬって、そんなの……ッ!?」
「どう思おうが構わんけどね。ムーンセルに情けなんざ期待したって無駄だよ。月の眼からすりゃ人間なんざ誰も彼も一緒さ。勝った奴と負けた奴、そう区別していくだけさね。
理解しなよ、シンジ。ここじゃ7日目を越えられるのは勝者だけなんだ。それ以外は例外なく死ぬ。もちろん、アンタもね」
「あ、あああぁぁ……ッ!!??」
無様という言葉そのままに、慎二は泣き崩れる。
差し迫った絶望を突きつけられて、逃げ場がないと思い知らされても尚、気丈さを保ち続ける強さなど間桐慎二は持っていないのだ。
そんな慎二の姿を、ライダーはやはり変わらない笑みのままで見つめていた。
「時に、正彦。そなたはあの小僧めをどう考えているのじゃ?」
互いの剣を納めた後、アーチャーが改めて甘粕へと尋ねる。
「随分と手酷く痛めつけておったようだが、そなたが期するのはあの小僧の再起であろう。だがわしには奴がそこまでの器だとはどうにも思えんのだが。
それとも何ぞ期待できる部分でもあると? そなたはそれを知っておるのか?」
「いいや、全く。俺は間桐慎二のことをさほど知らん。大まかな経歴程度は把握したが、それ以上に踏み込んだ事情など認知していない。これでは根拠など探したくても見つからんさ」
その言葉に嘘はない。間桐慎二について甘粕は深い認知などない。
苛烈に課した試練は誰に対しても等しいものだ。基本、殴りつける以外のやり方を知らない。
立ち上がれるか否か、それは相手次第である。尽き果てる厳しさあってこその試練だと考えているから、そこに例外は有り得ない。
他者を尊重しその価値を認めながら、そこに甘えや優しさは欠片もない。
相変わらずの頓着のなさに、アーチャーは呆れたように溜め息をついた。
「が、思うところならある。彼に限らず、正しい認識のない参戦者たちを招き入れた原因はこちらにある。責任を果たせというならそうだろうし、俺もやれるだけの事はしたい」
西欧財閥に対する妨害の一環として、月へのアクセス方法を公開したのは
その行動の如何はともかく、責任の一端は確かにあるだろう。ムーンセルへとアクセスしたのは彼ら自身とはいえ、その選択肢を与えたのは事実なのだ。
たとえ甘粕自身が直接関与していなくても、自らの組織が行った事なら連帯責任。人々を率いる立場の者として、その責任逃れをするつもりはない。
「勝利を譲ることは出来んが、彼らがこの戦いと向き合えるようにとは願っている。立ち上がれればと祈る気持ちは強くあるさ」
「その上であれか。そなたの試練は本当に容赦というものを知らぬな」
「当然だろう。甘えを残した苦境で人の何が変わるという」
少しも己の行動に疑問を持っていない様子で甘粕は答えた。
「しかしあれでは見込みは薄かろう。もはや立ち上がれる胆力などあの小僧は持ち合わせまい。折れた気骨はそのまま、再起など望むべくもない」
手心なく仕留める事を主張していたアーチャーだが、それも僅かな可能性でも残すのを好まなかったからに過ぎない。彼女とて九分九厘の勝利は確信していた。
間桐慎二は立ち上がれない。あの矮小な自尊家には、あそこから自らを奮い立たせる何かは無い。恐らくは決闘日の7日目まで恐怖に怯えたままに動けないだろう。
生前の乱世の時代、多くの人物を見てきたアーチャーの観察眼だ。そうそう的を外すことは考えづらい。
「さて、どうかな。俺はそう見下げたものではないと思っているが」
そんなアーチャーの人物評に対し、甘粕は異論を唱える。
アーチャーがまず有り得ないと感じている間桐慎二の再起を、甘粕は信じていた。
「なんじゃ、根拠など持ち合わせんのではなかったのか?」
「ああ、そんなものはない。だが僅かなりとの経歴でも見えてくるものはある。
なあアーチャー。プライドの高さというのは稀有な素養だと思わないか?」
「己の身の程も知らぬ自尊など滑稽で無様なだけじゃ。あの小僧もその類いではないか」
「確かにな。彼はまだ未熟だ。閉じた価値観に囚われて、己の身の丈すら分かっていない。
だが、元来無知とは恥かもしれんが罪ではあるまい。まして彼の本当の年齢を考えるならば、未熟である事も無理からぬことだろう」
間桐慎二は外見通りの年齢ではない。現実での彼の実年齢は僅か8歳である。
対戦者を知る事が
「むしろあの歳であそこまで自らの能力に自負を持てる事こそ称賛に値するだろう。少なくとも己を卑下するばかりの者よりも遥かに見込みがある。
若者の未熟さは可能性とも言い換えられる。彼は己の到らなさを知った。ならば後は立ち上がるだけだろう、己のプライドに懸けてな」
「わしには過大評価としか聞こえんがな。期待の通りにいくとは限らぬぞ」
「なに、構わん。実際の動機はなんだっていいのだ。彼は既に追い詰められている、どうあれ立ち上がらねばならん事は確かだからな」
倒錯した期待と共に試練の男は快笑する。
何一つの根拠もなしに甘粕は間桐慎二の勇気を信じている。望んだ輝きは必ずや現れると。
過度な期待だとアーチャーが呆れるのも無理もない。だが甘粕の願いとは元よりそういうものだ。人類を尊び、苛烈なまでの期待があるからこその災禍の祈りである。
いずれにせよ結果は現れる。
甘粕の期待に関わりなく、7日目という最終日時は既に確定しているのだから。
「無様ね。概ね予測通りではありましたが、こうまで味気なくては失望しか感じません」
泣き崩れた慎二に対し、無感動に冷めた眼差しでカレンは言い捨てた。
「ライダー、あなたもです。何の手立ても打たないばかりか、放蕩な言動で惑わすばかり。これではあなた自身にも意欲が欠けていると判断せざるをえません。
戦う前から聖杯戦争を放棄するつもり? サーヴァントとしての役割を全うできないというのなら、こちらも対応を決めなければなりませんが」
無残は敗北者から視線を移し、その同胞であるサーヴァントへと目を向けるカレン。
その眼光は鋭い。明確な非難の意思が示されている。自らのマスターを突き放すようなライダーの行動を、カレンは決して認めてはいなかった。
「カハハッ、放棄ぃ? そんな白ける真似するかよ。楽しみはこれからじゃないか」
応じるライダーの態度に変化はない。浮かべた笑みはどこまでもふてぶてしく、現在の状況に対する悲壮感など欠片も見えない。
「アタシもシンジも、命の物種はここにある。色々と足らないものは多いが、戦なんざ蓋を開けてみないことに分からんものさね」
「意気込みは結構ですが、マスターはそうではないようね。聖杯戦争とは、あくまでマスターを測るためのもの。サーヴァントのあなた1人が勇んだところで、肝心のマスターに見込みがないのでは何の意味もありません」
「ああ、そいつは勘違いだ。というより見込み違いをしているよ、アンタ」
冷然とした言葉を投げかけるカレンへと、逆にライダーは指摘を投げ返した。
「勘違い? あなたはここから間桐慎二が立ち直れるとでも?」
「だから、そこが見込み違いなのさ。立ち直るなんて、アタシらには似合わない言い方だ。
アタシらはさ、悪党なんだよ。意気込み勇んだ勇気で立ち直ろうなんて善玉連中がやってりゃあいい。悪党には悪党なりの這い上がり方ってのがある」
確かに彼女は偉大な英雄だ。史上初の世界一周の航海を成功させた功績は、英霊として人類史に刻まれる事に何の不足もない。
だが功績がどうであれ、その性質は紛れもなく悪人だ。ライダーの属性は混沌・悪。自己の欲望の肯定こそ本質である。
虐げられ劣悪の中にあったが故の悪辣ではない。己が望むまま、思うがままに彼女は悪党である。そこに嘆くべき要素は存在しない。
「なあシンジぃ、ベソかいて泣き喚いてるのもいいが、そろそろらしいところを見せてくれないかい? アンタの持ち味はここからだろう。このままいいように貶されて痛めつけられて、黙って引き下がるような殊勝なタマじゃないだろう。
アンタは誰より優秀で特別な、凡人なんかとは違う天才サマなんだろう。アンタのやる事は正しくて、上手くいかないならそりゃ世界の方が間違ってると、そう思っているんだろうが。ならこのままにはしておいていいわけがないよな」
間桐慎二は小物だ。人一倍に自尊心が強く、その上で器量が小さい。
自身が優れていると信じて疑わず、そうでない現実なら見ようとせず、他人を見下す言動ばかり。頑なに自分の価値観だけしか認めようとしないのだ。
たとえ何が起こっても、それこそ英霊同士の超常の戦いを目の当たりにした後でさえ、彼の自尊心は自らの劣性を認めない。他人が足を引っ張ったから、落ち度は自分ではなく他にあるのだと言い聞かせて、自身の優位性を保とうとする。
もはや歪んでいるといってもいい。この世の悦を極めた王から道化の中の道化と形容されるその在り方は、単なる愚かさで済ませられるものではないかもしれない。
多少なりとも間桐慎二という人間に接していれば誰でも気付く器の狭量さに、皮肉なことに本人だけが気付こうとしていない。
これでは立ち直るなど最初から不可能だ。自らを見つめ直して反省する事も出来ない者に、一体どんな決意や勇気が抱けるというのか。
「聞かせておくれよ、大将。アタシは副官だ、アンタの号令がなくちゃ始まらない。せいぜい威勢のいい、悪党らしい台詞を吐いてみせな」
故に間桐慎二は歪む。放置すればするほどに、その性根は根本まで歪に曲がっていくのだ。
正しい奮起などではない。道理を無視してありもしない妄想にすがり、歪んだ自己顕示欲に傾倒していく。自分が何をしているのかさえ、正確には分かっていないだろう。
そこでは正常な危機意識でさえ忘れられる。まともに考えれば絶対に有り得ないような事も、自分に都合のいい現実へと置き換えられて、あっさりと信じてしまう。
その有り様は醜悪で、愚かだ。ライダーの言う通り悪党のそれだろう。
だが、そうする事で這い上がれるのも確かである。どれだけ歪で無様なものであろうとも、ただ諦めるのではなく足掻き続けようとしているのは間違いない。
そんな愚かな悪童の選択肢が何にもならないと決めつけられる者が何処に居ようか。
顔を上げた間桐慎二の眼には、暗く濁った妄執の火が灯っていた。
お久しぶりです。
更新が遅くなって大変申し訳ございません。
いや、特に都合が悪くなったとかじゃないんですが、他に色々目移りしていく内に気づけばこんなにも時間が経ってしまいました。
エタるつもりはないので、今後もよろしくお願いします。
魔人アーチャーの戦闘描写はこんな感じです。
日本刀では防戦重視で、攻撃の要はあくまで火縄銃という感じで。
実力としましては、セイバーのような近接型サーヴァントにはもちろん勝てませんが、防衛戦でしぶとく生き残ることは出来るみたいな。
史実で包囲網二度もやられてもとにかくしぶとかった信長のイメージです。
あとパラメーターの高さも、スキル:魔王の恩恵分も含めて考えました。今後もこれを基本に戦闘を考えていくつもりです。
アマカッスは原作的には邯鄲攻略前の頃をイメージしてます。
実力もせいぜいが詠段くらいで、あくまでも人間の強さの範疇に収まっています。
また邯鄲法も設定変更の上で弱体化して、破段以上の固有能力は絶対に使えない仕様です。もちろん核兵器創形だのは不可。
本来なら複数の夢の複合も出来ません。出来るのは、甘粕だからです。
Fate/goの配信が始まりましたね。
いや、正直七月中は無理じゃないかと疑ってました(笑)
事前登録50万突破してましたけど、魔人アーチャーは出るんですかね。
まあ出たとしても流石にストーリーはねじ込めんと思うけど。
システムは置いといてもシナリオがきのこ先生なので期待しています。
そして新たな戦真館の物語である「相州戦神館學園誅仙陣」。
DiesのドラマCDも楽しみですが、やっぱりこちらの期待が大きすぎる。
革ジャン甘粕とか俺得な、現代での大尉殿のご活躍が楽しみすぎます。
人類の未曾有の危機に光の魔王と死神、ヒロイン二人がどう立ち向かっていくのか。
……むしろこいつらが最大の危機要素と思わんでもない(汗)