もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

16 / 42
1回戦:参戦者

 

 聖杯戦争も本戦に入り、すでに4日が経過していた。

 

 1回戦の準備期間(モラトリアム)、その期間の半分を跨ぐ事になる日数。

 順当であれば、既に第一暗号鍵(プライマリトリガー)を入手している。対戦相手のマスターとの接触も増えてくる頃だろう。

 

 準備期間(モラトリアム)は6日間。

 その間に参加者たちは、迷宮(アリーナ)に潜り指定の暗号鍵を入手するという課題を出される。

 通称、試練(タスク)。計2つの暗号鍵を入手できなければ、決戦へ挑む権利すら与えられない。

 とはいえ、これ自体はそう難しい事ではない。真っ当に実力のあるマスターならば問題なく達成できる難易度だ。

 

 重要なのは、この試練が全員に等しく課されるという事。そして達成のためにはアリーナに潜り、サーヴァントと共に攻略していかなければならない事だ。

 必然、戦えば手の内を晒す事に繋がる。対戦者と同じアリーナに潜る以上、情報を探る機会は幾らでも見つけられるのだ。

 試練を通じ、自己を鍛えて相手を知る。7日目の決戦に向けて、ムーンセルより与えられる公正な課題である。

 

 そして参加者たちも、この頃となれば与えられた課題の意味を理解してくる。

 単純に戦って勝てばいいというわけではない。執行猶予の期間をいかに活用するかも、ムーンセルが観測すべき人間の要素。

 たとえ数値上の能力で見劣りしようと、人間には成長の可能性がある。勝利を諦めず必死に生き足掻く限り、希望は決して潰えない。

 

 ならば逆に、与えられた機会を惰性と怠慢で過ごすならどうなるのか、その結果もまた明白だ。

 

「君はもう、アリーナには入ったのかい?

 なかなか面白いとこだったよ? ファンタジックなものかと思ってたけど、わりとプリミティブなアプローチだったね。

 神話再現的な静かな海ってところかな。さっき、アームストロングをサーヴァントにしているマスターも見かけたしねぇ」

 

 間桐慎二。聖杯戦争に参戦するマスターの1人。

 アジア圏有数のクラッカーと称される少年は、緊張感のない声で言った。

 

「いや、シャレてるよ。海ってのはホントいいテーマだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この聖杯戦争を"遊び(ゲーム)"だと慎二は言う。

 それは彼だけに限らず、参加者の一定層で見られる共通した認識だった。

 

 公開されたムーンセルへのアクセス手段。

 それは様々な立場の人間に聖杯への道を開示したが、同じ弊害として雑多な群衆までも聖杯戦争に招き入れる結果となった。

 所詮、よくできたゲームであると。彼等はこの戦争をそのように認識している。本物の殺し合いだとは全く思っていない。

 

 ある意味、彼等は哀れな被害者だ。

 なまじ能力があり、辿り着けてしまったからこそ退路を失った。

 喜劇であり、悲劇だ。7日目の決戦を迎えた時、彼等は否が応にもその事に気付くだろう。

 

「……はあ」

 

 そして、アクセス手段を公開した張本人である遠坂凛は、何も分かっていない少年の姿を憐れむように嘆息を漏らした。

 

「随分と余裕そうね、間桐君。こんな所で関係ない私と油を売ってる暇があるなんて」

 

「まあね。これも王者(チャンプ)の余裕ってやつさ。

 地上では君に煮え湯を飲まされかけたけど、ここじゃそうはいかないぜ。僕のサーヴァントは大当たり。いくら君でも、彼女の艦隊には逆立ちしたって敵わないさ」

 

 その様子は余裕よりも、むしろ浮わついて見える。

 思わず自らの口から手の内を漏らすなど、勝負への真剣さが欠けている何よりの証拠だろう。

 

 それは凛も気づいていたが、今の彼女はそれを指摘する気にはなれなかった。

 

「……ねえ、間桐君。ひょっとして、対戦相手の告知見てないの?」

 

「? いや、見たよ。なんか聞いたことない名前だったけど。まあ僕が知らないって時点で、実力(レベル)もたかが知れてるけどね」

 

「まあ彼は、クラック方面で顔を知られたわけじゃなかったけど。

 あのね、間桐君。甘粕は――――」

 

「ああいや、知ってるよ。確か予選で、みんなの前で変な事を言ってた奴だろ?

 いやだよねぇ、ああいうの。変に悪目立ちしたがってるって言うのかな? 空気読めない奴にいられると、周りも迷惑するんだって分からないんだろうね」

 

 慎二に危機感はない。

 甘粕正彦を、あの破格の男を目にした上で、彼はそう言っている。

 

 それを見て、凛は諦めたように言葉を引いた。

 

「お、おい! なんだよ、その態度。この僕が敗けるっていうのか?

 いっておくけどな、彼女の『無敵艦隊』は――――」

 

「いいわよ、間桐君。それ以上口を滑らしてくれなくて。

 私、あなたについては対策を考えておくつもり、ないから」

 

「なぁっ!? おい、馬鹿にするのも大概にしとけよ。地上での事で僕の実力を計ってるなら筋違いだぞ。そんな風に侮っていると、今に足元掬われるぜ」

 

「まさか。別に侮ってなんかいないわよ。アジア圏ゲームチャンプの間桐慎二君。

 あなただけじゃない。このムーンセルに辿り着けた時点で、能力は証明されてる。当たる可能性のある相手なら、誰であっても対策を怠るつもりはないわ。

 でもね、100%当たらないと分かってるのにそうするのは、無駄な浪費だと思わない?」

 

 挑発にも等しい凛の言葉は、元々沸点の低い慎二を容易く怒りへ導いた。

 

「ふん、そう言ってられるのも今の内さ。僕と、僕の引き当てたサーヴァントは最強なんだ。彼女の『宝具』に勝てる奴はいない。

 君だって今に思い知る事になるよ。この聖杯戦争は勝ち抜き戦。勝って残ればいつか当たる事になるんだからね」

 

「そうね。あなた1人ならともかく、聖杯戦争にはサーヴァントがいる。勝算ゼロは、流石に言い過ぎだったわ。

 幸運を祈っておくわよ、間桐君。心からね」

 

 その言葉も挑発と受け取ったのだろう。

 舌打ちを残して、慎二はその場を去っていく。その背中を見つめながら、聞こえないくらい小さく呟いた。

 

「……もっとも、今のままなら、その僅かな勝率もゼロになるでしょうけどね」

 

 間桐慎二は、何も分かっていない。

 この闘いが遊び(ゲーム)などではないということ。

 たった1人の勝利者以外、どんな結末を迎えるかということ。

 闘争というものの怖さも、残酷さも、彼はまだ何も理解していないのだ。

 

 そんなだから、対戦相手の事さえ見誤る。

 彼の対戦相手、甘粕正彦は破格の益荒男だ。直視すれば赤子でも格を思い知る。

 その姿を目の当たりにして、尚も軽んじて扱うなど、よほどの自尊心か白痴のように間抜けかのいずれかだ。

 

 間桐慎二の場合は、前者でもあり後者でもある。

 

 彼はこの世界を信じていない。

 ここが現実だと、生命を乗せた舞台であるなど欠片も思っていない。

 どんな不可思議も非現実(バーチャル)に過ぎないと高を括っている。なまじ霊子ハッカーとしての自負があるだけ、その認識は固く崩れない。

 人一倍高い自尊心も、それに拍車をかけている。自分より上位の存在など、基本的に認めないし信じようともしない。

 

 それはまるで、破滅の道で栄光を信じて躍る道化のように。

 間桐慎二は決戦までの時間を、ただ無為に過ごそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間桐慎二は、参戦者の一面の象徴だ。

 

 闘争を闘争と捉えていない無用心さ。

 そんな事があるはずないと、都合のいい夢想に逃げる惰性。

 生命が最も真剣になるべき闘いの場で、その認識を見失った牙なき人々。

 それはこの聖杯戦争に限った話ではない。あらゆる修羅場にも一定層は居合わせる、荒れ狂う状況に対応できず淘汰される者たちだ。

 

 だが無論、そればかりであるはずもない。

 理想を、祈りを、信念を抱き、命を懸けて聖杯へと手を伸ばす者たち。

 この舞台の主役は彼等だ。強く切実な意志の持ち主だけが、奇跡に挑む権利を持つ。

 

 ならばその本命とは、対峙するこの2人に違いなかった。

 

 一方は、甘粕正彦。

 猛々しく漲った覇気、常人では遠く及ばない意志の力。

 さながらそれは灼熱の太陽炉。総てを焼き尽くす熱量で益荒男は屹立する。

 

 対し、もう一方は真逆の存在だった。

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。ハーウェイの次期当主。約束された世界の王。

 同じ太陽でも、彼は万人を照らし出す光だ。上に立つ君臨者として非の打ち所がない王聖。

 人々を導き、不幸を駆逐し幸福をもたらす公正にして慈愛に満ちた王道。幼い風貌と穏やかな立ち振る舞いは、この闘争の舞台では場違いとも見えた。

 

 それを補うように、影の如く付き従う従者の姿がある。

 白色の甲冑に身を包んだ騎士。およそ騎士道という概念の理想像。

 一片の戦意も持たずとも、溢れる力の波涛は彼が超常の側である証左だ。

 この騎士こそが少年王(レオ)のサーヴァント。主従ともに清廉潔白な、揺るがない静謐を備えた王道の担い手である。

 

 彼等を見る甘粕の表情は、満面の笑顔だ。

 その笑みは、知らぬ者が見れば凶相とも取れる。元々の顔立ちにも問題があるだろうが、何よりの原因はそこに込められた感情だろう。

 それは、期待。人の輝きを愛する甘粕は、敵対者であっても発揮される真価を待ち望んでいる。

 熱烈すぎる期待は、常人ならばそれだけで萎縮するほどに凄まじい。まして敵として対峙したなら、戦意を加算した巨大な熱量に押し潰されてしまうだろう。

 

「こんにちは」

 

 そのような甘粕に対しても、完璧なる少年王は穏やかに礼を示した。

 

「こうしてお会いするのは初めてですね。御噂は予々聞き及んでいます。

 甘粕正彦殿。立場は異なりますが、この出会いを嬉しく思います」

 

「レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。ハーウェイの次期当主か。

 こちらも噂は聞いていたが、なるほど。完成された王とは、誇張ではなさそうだ」

 

 両者に敵意はない。明確な敵対関係でありながら、共に表すのは相手に対する敬意の念。

 通常あるべき拒絶や害意など、彼等には有り得ない。どちらも常人とは気質が違いすぎる。

 

 甘粕が表すのが期待なら、レオは慈愛。

 遍く人々の上にある玉座に座り、尚も示せる優しさは、彼の天性によるものだ。

 慈悲深き王聖として、既に少年王は完成の域にある。彼の有り様に不足はない。

 

「だが、顔合わせも初めてというわけではないだろう。

 俺たちは既に、予選のあの教室で邂逅を果たしている」

 

「確かに。ですがあの時は、お互いに欠けたままの状態でした。

 あなたと話すのなら、十全な自分として。あなたも同じ理由で、何も話さなかったのでは?」

 

 突かれた図星には、苦笑を浮かべて返すのみ。

 共に逸脱した存在として、彼等はある意味で通じ合っているとも言えた。

 

「で、そちらの騎士はサーヴァントか。いや何とも眩しい限り。姿も隠さず堂々と見せつけるとは、なかなか豪気ではないか」

 

「ああ、これは失礼。紹介が遅れました。ガウェイン、挨拶を」

 

「従者のガウェインと申します。以後、お見知り置きを」

 

「おやおや」

 

 呆気なく告げられる真名。そんな相手に甘粕は肩を竦める。

 虚言ではないだろう。そんな小細工を用いる手合いでないのは見れば分かる。

 あるのは揺るぎない勝利の確信。栄光を約束された王にとって、もはや勝利とは必然の如く得るべくして得るものなのだろう。

 故に真名程度、いちいち頓着しない。甘粕の従えるアーチャーともまた違った自負で以て、彼等は有りのままに振舞っている。

 

「であれば、俺からも自己紹介といこうか。改めて、俺の名は甘粕正彦。西欧財閥(そちら)からはいろいろな呼び方で言われているが、まあ有り体に言って敵だよ。

 現在の世界の有り様に疑問を抱き、その何たるかを人々に問うために月へと上った。ならばこそ、こうして世界の王たる者と言葉を交わせる機会が得られたのは嬉しい事だ」

 

 熱を帯びる甘粕の視線。発揮される魔人の如き圧力。

 彼は今、目の前の少年王に期待をかけている。世界を担う者として、どれほどの気概を持っているのかと。

 それは好意に類する感情なのだが、甘粕正彦のそれは些か以上に畸形である。

 レオの微笑こそ崩れなかったが、掛けられる圧力に従者たる白騎士が思わず前に出たほどだ。

 度を過ぎた期待は、単なる敵意などよりも遥かに性質が悪い。その実例がここに示されている。

 

「聞かせてくれよ、世界の王。衆愚の抱く惰性の依存ではない、おまえが思い描く理想の姿を」

 

「さて、そう言われても困りますが。別段、何も隠してなどいませんので」

 

 叩きつけるような甘粕正彦の期待とは対照的に、少年王が掲げるのは慈しみの王聖。

 癒しの光か、あるいは抗いがたい香の類か、その言葉は聞く者の心に染み込み離さない。

 

「難しい事ではありません。世間でも言われている通りの事です。

 完成された管理社会。混迷する世界に真なる秩序を。誰もが無慈悲な奪い合いを受け入れずに済むような、争いの無い理想の世界。

 あらゆる不条理が駆逐された、万人が夢想するあるべき世界です。その実現のために僕は生まれた。世界の王として果たすべき責務であり、僕自身が志す使命でもあります」

 

 争いを無くす。差別を、貧困を、偏った欠乏を総て無くさせる。

 不遇の悲劇を知るならば、誰もが一度は思い描く理想であり、やがて実現は出来ないと現実に妥協して諦めるだろう夢想。

 彼はそれを本気で実現しようとしている。皆が無理だと思い知ったその夢想を、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイだけは現実に出来るのだと信じているのだ。

 

 気負いもなく発せられた少年王の宣言。それを聞いた直後、甘粕は弾けたように大笑した。

 

「ふふふふふふふ、くははははははははははッ!

 万人の理想、争いの無い世界ときたか。なんともまた、真顔で言うことかよ、おまえ。

 確かにそれは正しい、とても綺麗な理想だろう。だが同時に、人が人である限りは不可能な理想でもある。

 理解しているのだろう。人類の歴史とは闘争に彩られている。およそ世界から争いが根絶された時代はなく、またそれがあったからこその進歩である。

 人間の世界と、争いは切り離せん。それを知りながら、本気でそんな事を宣うつもりかよ?」

 

 煽るような言葉だが、口にする甘粕の表情にあるのは明らかな好感だ。

 甘粕は決してレオの語った理想を否定してはしない。誰もが夢想と諦めるものを、自らが成すべき事だと言い切った彼の事を認めてすらいる。

 

 むしろそこに真を見出したからこそ、殴りつけるような真逆の思想をぶつけているのだ。

 

「かつて何人もの賢人、聖人が同じ事を思っただろう。だが結局は彼らも現実に敗れ、闘争は淘汰される事なく今日も続いている。

 おまえならそれが出来ると? 誰もが成し得なかった前人未到の理想世界、おまえこそがそれを成し遂げるのだと言うのだな?」

 

「ええ。単なる夢では終わらせない。これは何の根拠も無しに言っているのではありません。

 現在の地上の3割が、西欧財閥の完全な掌握下にあります。過去の歴史においても、これほどの勢力の版図を築き上げた例はありません。言い方を変えるなら、世界征服という概念に最も近づいた実例でしょう。そしてその完成は、もはや時間の問題です。

 先人たちの覇業において難問だった征服の達成とその後の統治。僕はそれを最初からクリアしている。ゆえに僕はこの先、理想の実現のために全力を注ぐ事が出来る。これは先達の王たちには無いアドバンテージでしょう。

 ですが何よりの理由は、人々がそれを望んでいるからです。西欧財閥の支配地域において、体制への不満は一切上がっていません。そして支配外の人々も、我々の管理を受け入れる者は日に日に増えていっています。彼らも既に、意識の底では理解しているのですよ。もはや人類に、答えのない変動は不要であると。

 僕は王という名の調停者です。世界がそれを望んでいるからこそ、僕は王として君臨する。長らく人類が求め続けた理想、見果てぬ夢だったそれを実現するために。

 そのためにも僕自身が聖杯を手に入れなくてはならない。再び世界を混迷へと落とさないために、そして何よりも、真に人々を救済できる、人を超越した王者となるために。

 ――僕が聖杯を手に入れた暁には、人類は楽土の千年期を迎える事でしょう」

 

 それは大言ではない。現実の見えていない愚者の戯言では決して無い。

 王の口から発せられる理想は、来たるべき未来の絵図だ。ただの夢ではない。確かにそれはあるのだと、耳にした人々は思うだろう。

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイという存在が、それを信じさせる。彼の王聖、完成された統率者としてのカリスマが、人の心に救いの光を灯すのだ。

 

 救済の理想を語る少年王を前にして、甘粕正彦が抱くのは純粋な尊敬であった。

 

 その理想は、甘粕が思い描くものとは異なっているだろう。

 だがそんな事に彼は頓着しない。正しいか誤りなのか、その判断さえ重要だとは感じていない。

 重要なのはそこではない。理念の性質がどうかではなく、それを万人へと伝え渡らせるだけの光を有しているかが大切なのだ。

 たとえどれほど整った理念であろうと、語る者が小粒では説得力など有りはしない。そんな者の理想に誰が付いていこうとするだろうか。

 レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイの輝きは、夢想をも信じさせる。ともすれば甘粕自身でさえ、あるいはと思わせるほどに。彼の王聖に欠けたものはなかった。

 あえて言うなら、もう少し夢見がちな熱さの方が甘粕の好みではあったが、それは少年王の在り方とは違うのだろう。ならば否定する気も彼には無い。

 ハーウェイの王の理念は道理に適っており、語る本人にも万人を照らせる光がある。ならば甘粕にとって、それを認めるのは至極当然の事だった。

 

「なるほど実に素晴らしい。遍く理想を現実のものとし、人々に救いをもたらすと豪語するおまえの勇気。感服したよ、見惚れるほどに。

 ――ゆえに当然、俺と戦う覚悟もあるのだろう?」

 

 そう、甘粕正彦はレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイを認めた。だがそれは、決して彼の味方になる事を意味しない。

 甘粕にとって人間の繋がりとは殴り合いの関係だと定義される。十人十色、誰もが等しく異なっているのだから、衝突は必ず起きると。

 我も人、彼も人。その敬意を持ってぶつかり合い、果てにこそ真の理解があると信じている。極論の理念だが、確かな道理もそこにはあるのだ。

 

 だからこそ、甘粕正彦は戦いこそ所望する。

 戦う事が好きなわけではない。だが人から輝きを引き出すには、その方法こそが最も適切だと思うが故に、決して迷わない。

 この時点で少年王の理念からは大きく外れていたが、彼はまるで頓着していなかった。

 

 人を愛し、その強さに期待するからこそ殴りつける。それこそが甘粕正彦の信念なのだから。

 

「もちろんです。些か心苦しくはありますが、それが必要な事だとも理解しています。

 集団心理において、如何なる思想にも一定数の離反者は常に発生します。これは仕方ない事であり、それが未だ社会の中で許容できる規模ではない以上、間引きはしなければならない行程だ。

 あなたがた反抗勢力(レジスタンス)は、僕らの支配圏を農場(ファーム)と形容するそうですが、その表現に従うなら羊になれない人間には死んでもらうしかない。未だ磐石と成りきっていない今だからこそ、その選別は断固として行わなければなりません。

 僕は断じて、綺麗事だけの理想論を語っているのでは無いのだから」

 

 そして優しき少年王もまた、戦いを否定しても戦いを知らないわけではない。

 

 他者を尊重し、その価値を認める。敵であっても、敵意のみで排除はしない。そして友誼を結ぶように語りながら、いざ戦いとなれば迷いはないのだ。

 常人では真似できないその感性。彼は人の優しさを持ちながら、王の厳しさで剣を取れる。

 掲げる理想の正しさも、聖杯に最も近い者の1人として不足はなかった。

 

「なので残念だとも思っています。甘粕正彦殿、あなたほどの人物と、こうして手を結ぶ事が叶わずに争う結果となった事が。

 もしもあなたが西欧財閥へと身を投じてくださっていれば、地上の紛争も5年は短縮され、また後の社会でも大いに貢献できた事でしょう。ですので、ひとつ訊いておきたい。

 地上での実状を分からないあなたではないでしょうに。なぜ無益な敗北へと向かう反抗勢力を率いて戦い続けるのかを」

 

「評価していただき光栄だが、俺にもまた理想とするべき世界の絵図があるのでな。

 管理される社会。理想とされる平和。そこに果たして人が輝ける場はあるだろうか。

 徹底して矯正された思想は、もはや自己主張さえ不要となる。総ては社会の中の歯車として、己の生涯を他者に委ねてデザインされる。被管理者と管理者の関係、その管理者もまた別の何かに管理され、頂点に立つだろうおまえも社会の理念そのものに管理される。

 純白の世界は美しいのだろう。だが人とは、純白のみの生き物ではない。我欲、執着、そうした漆黒の面でしか成せない事もある。それらを余さず封殺してしまえば、やがて人は自ら立ち上がる事さえ忘れてしまう。

 己の脚で立つ事も出来ない者など、生物として失格だろう。堕落し弱っていく人間の姿を、捨て置く事など断じて出来ん」

 

「つまりは生きるための戦いを肯定したい、と。その理屈は分からないではないですが。

 しかし現在の世界において、その生き方が許されるのは一部の強者だけです。あらゆるものが欠乏した現状で、分配なく資源を放置すれば、大半の者に待つのは飢えと混迷。そこで生きていける者は極々限られてしまう。

 甘粕殿、あなたは全ての人間に、"自分と同じ強さ"を求められるのですか?」

 

「無論だ」

 

 一切の躊躇もなく、甘粕は断言した。

 

「我も人なり、彼も人なり。勇気と覚悟を持って立脚した人間は、必ずや輝かしい明日を掴めると信じている。人は弱くない。ただ、その強さを発揮する術を忘れているだけなのだ。

 その術を皆に授けるために、俺はこの月へと上った。人々に試練という名の喝を入れ、その勇気を取り戻させるために。

 ――そう、夢を諦めなければ、いつか必ず叶うと信じているのだから」

 

 そう語った甘粕に対し、レオは初めて変化を見せた。

 ポカンと呆気に取られ、甘粕の言った事をしばらくかけて吟味するように沈黙している。

 

 やがて、やれやれと肩を竦めてレオは苦笑した。

 

「困りましたね。僕はあなたの事を、もっと現実を見据えた人物だと思っていたのですが。まさかこれほどの"理想家(ロマンチスト)"であったとは、流石に予想外でしたよ。

 理解しました。どうやら僕らとあなたの思想の間には大きな隔たりがあるようですね」

 

「是非もあるまい。共に大義を抱くのなら、衝突があるのも必然。おまえにとっては俺が、俺にとってはおまえこそが、事を成すために越えねばならない試練なのだろうさ」

 

「試練? なるほど、ふふ、試練ですか。そうですね。そういうものもありますか」

 

 どこか楽しげに呟くレオ。

 常勝の王にとっては試練の概念さえ実感が沸かないのか、その表情には好奇さえ浮かんでいた。

 

 少年王に欠けているものがあるなら、やはりこれだろう。

 敗北の経験がない。逆境に立ち合い、挑むことを知らない。生まれながらに全てを有する完璧性は、彼に汚点のひとつも許さなかった。

 事実、今も彼は甘粕の言った試練という言葉を本当の意味で理解していない。知らないものに興味を引かれる子供のように、好奇心から楽しんですらいた。

 

「ですが、あなたのおっしゃる事も分かります。管理社会の完成に至った後、人々からの自立心の喪失は由々しき問題となるでしょう。

 社会を完成させ、真の安寧を人類が手にした後、訪れる停滞にどう対処するか。あなたが言う所の人の勇気を発揮する機会を、如何に人々へ"提供"するか。それこそ僕の課題となるでしょう」

 

 だからこそ、至る結論もそのようなものになる。

 理路整然として筋道立てた考え方に間違いは無い。無さすぎるから、その考えには人間らしさが欠けていた。

 総ての物事は理念の上で成り立つのだというように、人としてあるべき淀みが存在しないのだ。そしてレオ自身は、それを不可解だと思っていない。

 完璧を望まれ、常勝であり続けた少年王には敗北の欠落が無い。それこそが"欠落"だった。

 

 と――――

 

「ハハハハハハハハ!! なんじゃ、世界の王となるべき者と言いおるから、どんなものかと思うておったが、これほど初々しい童であったとは!

 見目麗しき容姿に加え、可愛らしい事を抜かしおる。思わず愛でてやろうかと思うたわ」

 

 哄笑を響かせて、甘粕の隣にアーチャーが姿を現す。

 大仰に、見せつけるようにして、己が上だと示しながら見下した視線を向ける。実際の身長にはそう大差はなかったが、彼女は頓着しなかった。

 

「我が王に無礼は許しません、サーヴァント。不躾な手合いには、相応の態度で返しますが」

 

「何者であれ、主への否定を許さず、か。なるほど実に頼もしい忠犬ぶり。家臣に欲しいの。

 だが、犬ならば引っ込んでおれぃ。わしは王たる者と話をしておる、騎士風情が出張る席ではないと心得よ」

 

「貴様――――!」

 

「構いませんよ、ガウェイン。対話を望むのではれば、こちらから拒む理由はありません」

 

 前に進み出たガウェインを、レオが制止する。

 警戒と敵意こそ消えなかったが、主命には従い控えるように下がった。

 

「甘粕殿のサーヴァント、ですか。ストレートに捉えるのなら、日本戦国期に台頭を果たし国家統一を後一歩まで完成させた、かの大英雄という事になるのでしょうが」

 

「好きに思うが良い。物を考え答えを出すは各々の権利であり責任よ」

 

「ええ、ではそのように。かの王であると前提を置いて話をさせてもらいましょう。

 僕の理想は甘い、と受け取れる物言いでしたが、何か誤りでもあったのでしょうか?」

 

「いやさ、無いとも。そなたの理想に誤りなど無い。まさしく完璧なる王器の手際よ。

 覇業が既に果たされている。おおなるほど、確かにこれは大きな利点よ。弱小から初めては時間と労力が掛かり過ぎ、如何な傑物も些細な落ち度ひとつで転がり落ちるものじゃ。

 曰く、統一寸前で覇業を取り零した王、なのでな。そこは身に染みておる」

 

 生前の己を皮肉るように、アーチャーは苦笑した。

 

「治めるべき国は目の前にあり、脅かす大敵もおらぬ。そしてここには類い稀なる王器あり、と。

 うむ完璧じゃ。そなたの理想は夢想に非ず。あるいは現実に成し遂げる事も有り得るのだろうて。

 安寧をもたらす治世、確固たる国の基盤、揺るがす要因は何も無し。だがわしの頭は妙な引っ掛かりを覚えておってな。そなたが示す理想の姿に被るのじゃ。このわしと同じ乱世を生き抜いた"ある男"が。そやつが乱世の果てに築き上げた太平と、そなたの未来がの」

 

「……バクフ、でしたね。世界全体を見回しても稀有な実例として、長期間に渡り政権の安定を維持した王朝。それを築いた王は、あなたと同じく三英傑と呼ばれた英雄だった。

 先人の残した良き参考として、僕も知識はありますが。それほどに似ているのですか? あなたから見て、その王と僕は」

 

「いや、似てはおらぬさ。愛いそなたと、あのタヌキめは随分と違う。あれは常より腹に一物どころか、幾つ物を抱えておるのか、わしでも見当のつかぬ奴であった。

 忍耐、あれを形容する言葉はそれしか知らぬ。その懐の広さ、というよりは分厚さか。そうした重苦しいまでの奥底は、貴様にはあるまい。

 だがそれでも、至る境地には似通うものがあるらしい。まっこと面白いとは思わぬか?」

 

「さて、なんとも。僕が苦労知らずであると揶揄されてるようにも聞こえますが」

 

「そんな事は大した問題ではない。確かにタヌキと比べ、そなたは忍耐を知らぬだろうが、それで何事かの結末が決まるわけでもあるまい。不遇の身に甘んじねば栄光は無いなどと、本気で抜かしておる者こそ正真のうつけよ。

 言うたであろう、そなたの理想は完璧じゃと。そなたはこの世に真なる太平を築きし器、そこはわしも認めてやろうとも。

 わしが言いたいのは、むしろ後の世の事でな。これほどに似通った理念、ならば最期に至るであろう結末も、やはり同じになるのではと思うのじゃ」

 

 アーチャーの語る結末、安定した社会の終わりとは、諸外国の来航だ。

 内部に自滅の因子は生まれる事なく、外部からの力でそれは為された。完璧に整えられた世界とは、それ故に慮外の干渉に脆いのだというように。

 

 そうしたアーチャーの指摘を、レオは動じる事なく受け入れた。

 

「黒船来航、ですね。確かに今の社会がそうした外的要因に脆さを抱える面は否定しません。

 ですが、過去の王朝と僕らのそれでは明確に違う点があります。管理社会の体制が真に完成したならば、地上に対外勢力はいなくなる。あなたの言う結末を運ぶ要因は、その根本より一掃される事になります」

 

「ク、ハハハハハハハハ! これは大きく出たものじゃ。

 この俗世に、もはや我が感知できぬ場所は存在せん、と。たかだか惑星(ほし)のひとつを隅々まで知り得たくらいで、それは些か驕りが過ぎるのではないか?」

 

「……外惑星の警戒をしろと? 存在するかの確証もなしに?」

 

「さて、そこはどうとは言わぬが、確証なしとするのは早計だろうて。

 なにせ、少なくとも"コレ"を築いた者はいるわけだしな。今まで出てこなかったからと、既に滅びているものと決めつけて良いものではあるまい」

 

 月の聖杯、ムーンセル・オートマトン。

 人類外のテクノロジーによる太陽系最古の遺物。その存在は必然、それを建造した超高度の文明の実在を証明するものである。

 その存在が人類に友好なものであるか、意思疎通自体が可能かどうか、そもそもどういった存在なのかさえ、現在の人類には一切掴めていない。

 それらしい学説でお茶を濁せても、本当の真実を結論付けられる者は誰もいないのだ。

 

「わしとて何も本気で備えよとは言わん。これはな、前進を止めた生命は、結局はそうなるのだという、いわば啓示じゃ。

 安寧は人を弱らせる。これは必然、何故ならば強さとは、過酷さに対応するため会得するもの。世に必要でない強さとは、単なる異端。広義にてその価値を見れば是非にも及ばぬ。

 そなたが得難き大器であり、その理念で秩序を完成しようとも、そこに浸った人類は強さを忘れる。閉じた世界の安寧に満足し、真に外へと向き合おうとはせぬ。そしてその頃には、そなたはこの世におらぬ。

 そんなものよ、人とは。所詮、尻を蹴り上げられねば一丸の意志は抱けん。ならばわしは、乱れ定まらぬ世こそ迎え入れよう。無益な損失、無情の死別、それこそ変化の痛みであり、変革のうねりそのもの。この欲界が持つ価値であるとな」

 

 故に、アーチャーは甘粕へと付き従う。

 安寧こそ堕落、衝突こそ進歩だと定義した彼女と、甘粕は信念の上での同胞だ。

 試練の世、乱世を彼女は認める。誰よりその渦中を駆け抜けて、十分に咀嚼した後での結論である。今更そこに迷いの弱さはない。

 

「それは暴君の結論に過ぎない、革新の王よ」

 

 そんばアーチャーへ真っ先に反論したのは、控えていたはずのガウェインだった。

 

「混迷の闘争を良しとして、それを進歩などと捉えるのは、あなたの世界が閉じていたからだ。

 言語が違う。習慣が違う。たったそれだけの事で、異界人とも見紛う異民族。勝たねば国が、歴史が、民族が根絶やしにされるという恐怖。敵の一切を巨悪の化身として、その狂信で以て武装し一丸とならねば対抗できないそれらの感情を、あなたはまるで理解していない。

 革新を追い求めた暴君よ、あなたの治世は一時、民草に受け入れられたでしょう。その覇業は憧憬の対象となり、築き上げた富は愛された事でしょう。ですが、決して重きを預けられはしない。

 人々が心に求めるのは安寧。保障された明日こそ、力無き民は切実に望んでいる。覇業の夢がもたらす栄光など、一過性のもの。過ぎ去れば消えるばかりの空の形骸でしかない。やがては覚め、時と共に忘れられる。

 正しき王とはそうではない。王の理念とは死のみで終わるものではない。その秩序は時を過ぎて尚、受け継がれるべきものだ。それは夢や革新ばかりを求める暴君には決して成し得ない」

 

「よく吠えよる。先までの忠犬ぶりは何処へいったやら。

 だが忠義の騎士よ。その言い方では、王とは即ち正しさに仕えるべきと聞こえるが?」

 

「それでいい。王は理念に身命を捧げ、民は国家へと奉仕する。秩序とはそれでこそ完成する。

 欲望とは解き放つものではない。飼い慣らすものだ。レオの統治こそがそれを成す。欠落なき完璧な王の存在が、滅びに瀕する世界を救済へと導くでしょう」

 

 ガウェインは断言する。主君(レオ)の存在こそ世界の光だと。

 主を絶対と奉ずる忠節は、見方を変えれば盲信とも取れる。だが盲信も、確固たる意志が備わっていれば、ひとつの騎士道の在り方となるだろう。

 傀儡の如く滅私に務め、主の振るう剣に徹する。迷いなく貫けば、その刃は研ぎ澄まされる。

 人である前に、騎士という名の剣であれ。それこそが騎士(サー)・ガウェイン卿の掲げる忠義だ。

 

「申し訳ありません、レオ。騎士として出過ぎた発言でした」

 

「いいえ、ガウェイン。そのようなあなたを見るのは珍しいので、僕としてはむしろ喜ばしい。そしてあなたが言ってくれた事は何も間違ってはいない。

 人が本当の意味で人を救うには、人を超えなくはなりません。聖杯を手に入れる事で、僕はそれを遂げる。先達者の誰もが成し得なかった事を、僕の手で成すとしましょう」

 

「そこが童の物言いというのだ。人を超えた王となる? そのような世迷言を本気で口にする辺りが、なんとも無垢で可愛らしいわ。人は、人にしかなれぬというのに。

 そなたは完璧であるが故に欠落を受け入れられず、ならばこそ正されぬままに王として君臨するであろう。そうして築かれた世界は、さぞや優しく潔白なものとなるだろうて。

 ああ、認められんな。そんな世界、()()()()()にも程があろうが」

 

 虚勢のないレオの言葉に揶揄を被せるアーチャー。

 同じ王であっても、彼らの見る先は異なる。否、同じ王だからこそ、2つの王道は交わらない。

 王道とは、世界に敷くルールそのものだ。如何に正当性を持とうとも、複数のルールが両立したままでは成り立たない。

 基準は要るのだ。それがどういう種類であれ、社会を維持するには不可欠となる。正義が2つあれば争いが生じるというように、戴く王道は定めなければならない。

 

「まあ、そう焦ることはない。お互いにな」

 

 衝突しかける両者の主張に、待ったをかけたのは甘粕だった。

 

「今は互いに他の敵がいる。激突の時はまだ先のことだろう。そこへも至れず中途で敗れる程度なら、そんな者の主張など今聞いたところで意味はあるまい。

 進んで行けば、やがて決戦の時は訪れるのだ。そこでこそ互いの論と拳を大いにぶつけ合わせよう。何の気兼ねなく、全力でな」

 

「……そうですね。ええ、確かに。これは些か性急でした。僕も少々熱が入り過ぎたようです」

 

 レオもまた、その制止を受け入れる。

 彼等の対戦者は、それぞれ別にいる。この準備期間(モラトリアム)で向き合うべき相手ではない。

 それは正論。彼等も自らが相対する者を軽んじるつもりは、お互いになかった。

 

「いずれその時を楽しみにしています。あなた方との戦いは、僕もまた本腰を入れなければならないでしょうから。ええ、あなた方こそ僕たちの好敵手と認識しましょう。

 どうか御武運を。お互いに、相対する日まで」

 

 一礼し、歩き去っていくレオ。それに従うガウェイン。

 両傑物の気勢に圧され、異質と化していた空間にも、ようやく弛緩した空気が流れた。

 

「まさかそなたから止めに入るとは、意外であったぞ、正彦」

 

「そう不思議でもあるまい。言ったようにこの場での衝突に意味はなく、消化不良で終わるのは目に見えている。つまらん消耗なら避けるべきだろうさ」

 

 それに、と。口調に熱を滲ませて甘粕は続けた。

 

「俺をあまり喜ばせるなよ、アーチャー。ここに来てからどうにも抑えが効かん。己でも自分を律し切れるか分からんのだ。思わず興が乗りすぎて、破綻も気にせず駆け出してしまうかもしれん」

 

「そなたの場合、それは冗談でも何でもないのであろうな」

 

 呆れ気味に溜め息をつき、アーチャーは話題の矛先を切り替える。

 彼等が本来向き合うべき相手。7日目に雌雄を決する対戦者のことに。

 

「是非に及ばず、我らの敵手は奴等ではない。何を思おうと、所詮は獲らぬ皮の算段よ。

 我らの相手は、あの小童。無論、忘れてはおらん。これを如何に処すか、それも決めておる。

 むしろそなたこそどうなのじゃ、正彦。あの手合いはそなたの信条に最も相容れぬ輩であろう。どのように向き合うつもりじゃ? 未だ道化として浮遊する、なんとも哀れな小童と」

 

「変わらんさ、何も。たとえ相手が誰であれ、この月で相対したならばする事は決まっている。

 我も人で、彼も人なり。ここに立つ我らは対等、ならば遠慮も不要だろう」

 

 その言葉を、戦乱の世を生き抜いた王はどう受け取ったのか。

 笑みを、友好とはかけ離れた攻撃的に口元を吊り上げて、アーチャーは頷いた。

 

「であれば、もはや留まるまい。為すべき事を為すとしよう。

 せいぜい思い知ってもらおうぞ。我らという敵が、如何様なものであるのかを」

 

 アーチャーに応えて、甘粕も笑う。

 凄絶な、だが決して侮蔑を含まない笑いは、その姿を何倍にも巨大化させたと錯覚する覇気が伴われている。

 笑いとは元来、生物の攻撃性を表すものだという。少なくともこの2人にとって、その理論は誤りではなかった。

 

 闘争という舞台において、主演を張れる強さを持った英雄、益荒男。

 だが舞台とは、彼らだけでは回らない。闘争とは他者との衝突であるのだから、必然として敵側となるべき相手がいる。

 それが同じ英傑であれば、舞台はまさしく肝である。両雄並び立つ、その瞬間は紛れもなく大一番で、誰もが盛り上がる場面だろう。

 だが相手が道化であるならば、その場面とは蹂躙劇。主演がいかに強く、雄々しく輝かしいかを示すために捧げられる噛ませ犬だ。

 

 聖杯戦争1回戦、その舞台の開幕は近い。

 甘粕正彦という英傑と、相対せねばならない哀れな道化。そんな役者に彩られた闘争(ぶたい)が、いよいよ回りだそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景は、幻想の海を思わせた。

 

 ムーンセル内に作られた霊子虚構世界『SE.RA.PH(セラフ)』。

 人間の視点からでは光の集合に過ぎないそれは、魂を霊子化できる魔術師(ウィザード)には情報のカタチを知覚できる。

 彼らの認識が捉えるその姿は、海の中の世界。正しく海中という意味ではない。見通せない深淵へと抱く神秘として、海の名を冠した幻想の風景が広がっていた。

 

 情報の海に漂うもの、それは"船"という記録。

 沈没船。かつての栄華を思わせながら、海底に朽ち果てる姿を晒すそれには、世の無情さを示すような哀愁と孤独が満ちている。

 載せていた夢や財宝も、全てが打ち棄てられて水底の闇へと消えていく。誰かに拾い上げられるその日まで、再び陽の光に当たる事は決してない。

 聖杯という深部まで続くSE.RA.PH(セラフ)、その第一層。そこに築かれた迷宮(アリーナ)が、彼等の闘争の舞台となる場所だった。

 

「さあシンジぃ? アタシを働かせるための"アレ"は、たんまりと用意してあるんだろうねぇ?」

 

 神秘を湛えて流れる海のアリーナで、そんな幻想をまるで意に介さない声が響く。

 強欲で、享楽。声ひとつからでも読み取れるその心象は、賊徒という形容こそふさわしい。

 闇夜に紛れて働く盗人、という意味ではない。大胆に、荒々しく、豪快に己を見せつけて憚らない。大波のように押し寄せる略奪を望むそれは、正しく"海賊"と呼べる存在だ。

 

 サーヴァント・ライダー。間恫慎二が契約した英霊。

 財宝を求めど執着せず、刹那の享楽を追求した女傑は、聖杯戦争に参戦しても何一つ変わらない強欲ぶりを発揮していた。

 

「おまえ、一体どれだけ踏んだくる気だよ!? ついこの前に散々稼がせてやったばかりだろ!」

 

「どんだけって? そりゃあ踏んだくれるだけさ。財宝ってのは幾らあっても困らない。今までの欲望じゃあ使い切れねえほどに積み上げたなら、今度はもっとド派手なことをすりゃあいい。

 アタシにとって金は人生の潤滑油さ。注ぎ込めば注ぎ込むだけ強くなる。手にした成果がデカイほど、次の冒険に懸ける夢もデカくなるってもんだぜ」

 

「チッ、分かってるよ。だからこうしてアリーナにハッキングして、財宝を増やしてやってるんだろ」

 

 常ならば軋轢にしかならないシンジの独尊も、この相手に対しては完全に上滑りしている。

 噛み合わないとも見える2人だが、破綻せず上手い具合に回っているのも、その放蕩さ故か。

 

「いいね、いいねぇそうこなくっちゃ。金払いのいい大将(マスター)を持って、アタシもサーヴァント冥利に尽きるってもんだ」

 

「ふ、ふん、まあ当然だね。言っておくけど、誰にだって出来る事じゃないんだよ。天才的ハッカーであるこの僕だからこそ出来る芸当さ」

 

「もちろん分かっているさぁ、シンジぃ。アタシは幸せ者だよ。

 だからこれからもよろしく頼むぜぇ? たんまりと稼がせてくれよ、大将(マスター)

 

「……いや、待て。言っとくけど、ハッキングだってそんなに楽じゃないんだからな? あんまり調子には乗るなよ――って、聞いてるのかよ!?」

 

 迷宮(アリーナ)を進みながら、そんな掛け合いを続ける主従。

 それはある意味で仲睦まじい、微笑ましいとも言える光景だった。

 

 だからこそ、彼等は失念している。

 神秘的と見える光景も、所詮はまやかし。本質にある事柄からは程遠い。

 ここは戦場。自身の担い手たる最強を選び出すため、ムーンセルが敷いた生存競争(トライアル)

 心の緩み、無防備な己を曝した者には、手痛い返し風が待っているのだと。

 

「……あん?」

 

 真っ先に気づいたのはライダーだった。

 彼女とて英雄、歴史に名を残すほどの功績・偉業を成し遂げた存在である。

 英雄であるならば、自身に迫った危機に対する感覚は必須。難行を乗り越えて英雄憚を打ち立てるには、それこそ幾つもの命の危機を越えていかなければならないのだから。

 

「? なんだよ、ライダー。どうしたんだ?」

 

「……あー、シンジ。ちょいと悪い知らせがあるよ」

 

 その点において、ライダーはひとつの極致にある。

 人類史において初、前人未踏の"世界一周"を成し遂げた航海者。最中で襲われた数多の凶事、それらを退け大偉業を果たした彼女には、強運の星がついている。

 ランクにして、EX。評価規格外とされたその幸運は、常人の理屈を超越している。たかが不可能と評される程度なら、ライダーはいとも容易く乗り越えてしまうだろう。

 もはや直感や経験といった要因を越えた領域で、あらゆる不運は彼女を避けて通るのだ。生半可な危機では、稀代の冒険者にスリルのひとつさえも感じさせられはしない。

 

 そんな彼女をして、思わされたのだ。

 

「アタシら、詰んだっぽい」

 

 既に確信している。ここが自分たちにとっての死地であると。

 いかなる幸運が味方しようとも覆せない窮地。理詰めによって構築された冷徹にして非情なる死の罠。その陥穽に転落した獲物であると自覚する。

 

 その瞬間、幻想の海は鉄火に塗り変えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 罠へと嵌った獲物の姿を睥睨し、アーチャーは嗜虐の笑みを浮かべた。

 

「怠惰に浮いたその頭も、少しは晴れてきたか」

 

 大海の青を塗り潰したのは、大火の赤。

 幻想風景の神秘性は取り払われ、代わりに心象を占有するのは戦乱の苛烈さ。空間を遮断して展開されたそれは、戦国世の風雲児と称されるアーチャーの生涯を表す風景の一部だった。

 

 そして無論、この空間の意義とは、単なる印象の畏怖効果のみではあり得ない。

 ライダーが予感した通り、アーチャーはここで決するつもりである。そのために待ち伏せて張った罠であり、外部とを遮断するこの空間だ。

 アーチャーの持つ"宝具"(セカイ)、その一端のみを利用して創界された場。本領の特性こそ顕現していないが、それでも十分。今この場での意義は唯一つだ。

 

 すなわち外界との遮断。内部で何が起きようと、それが外に露見することの無いように。

 

「ここまではされまいと思ったか? 仕掛けるを禁ずる法があり、犯せしには罰がある。故に小競り合いは起きようと、本腰の死闘には至るまいと高を括っておったか?」

 

 決戦日まで、アリーナ及び学校内での参加者同士の戦闘を禁止する。

 ムーンセルより発せられたルールは絶対であり、一介のマスターやサーヴァントに破る手段はない。だがそのルールの中にも抜け道は存在していた。

 SE.RA.PH(セラフ)からの強制介入による戦闘停止。何者も抗えない強制力を持つそれは、しかし行使までにタイムラグが存在する。その間での戦闘行為は可能であり、倒されればそのまま敗北となるのだ。

 それもまた準備期間(モラトリアム)にやれる事の一環だ。アリーナ内での戦闘ならば強制停止を受けようとも、それ以上の罰則はない。そこで行われる短時間の戦闘も、決戦に備えて相手の情報を得るための重要な一因である。

 

 しかしアーチャーは、これを小競り合いで済ませるつもりは微塵もない。決戦の日を待たずして、彼女はここで1回戦を終わらせるために仕掛けたのだ。

 

「呆けておるのか、うつけども。ここを何処だと心得る?

 競技でもしておるつもりか。いざ尋常に果たし合おうと、ああそれが望みの者もおるだろうがの。その道理をこちらまで汲んでやる理由なぞ無いというに。

 これは戦じゃ。万能なる釜を求め、力と知略を尽くしての修羅場であろうが。士道? 知らぬわ、そんなもの。取れる首ならば取ればよい。敵の陣中で痴れる将など、討たれて然るべきよ」

 

 戦闘行為の発覚と、強制停止が執行されるまでのタイムラグ。

 通常ならば小競り合いに終始するはずの僅かな時間。当然ながら戦闘の発覚が遅れれば遅れるだけ、介入までの時間を稼げる。

 無論、ムーンセルの眼は絶対だ。如何に外界と遮断しようとも、完全に隠しきれるものではない。だが本格的な激突まで、その事象を誤魔化す事は可能だった。

 

 稼ぎ得たその時間の中で、アーチャーはこの戦いを決着させるつもりであった。

 

 アーチャーのしている事は規定に反した行為だ。不意打ち、卑怯とされる類の所業である。

 ならば彼女は悪なのか。他者の痛みを何とも思わぬ、英雄の誇りに悖る外道の輩なのか。

 

 いいや、否。これもまたひとつの道理。彼女なりの向き合い方である。

 戦国時代。あるべき秩序が崩壊した乱世に産まれ、激動の中を生き抜いたアーチャーは、その厳しさを理解している。

 弱き者は喰われ、強き者が罷り通る弱肉強食。勝てば得て、敗ければ失う。それこそが勝負事の本質であり、不変の真理だ。

 得たければ、勝つしかない。弱者ならば尚の事、決して譲れないと切実に望むなら、手段を選んでなどいられない。強者の道理で卑劣だ何だと喚き散らすほど無様なものはないのだ。

 

 我も人、彼も人。対等であればこそ、そこに甘えも容赦も許さない。

 それが戦いの場に立つという事。互いの命を懸ける以上、どんな言い訳も通用しない。

 

「戦乱とは、火の車よ。回れば多くを産み出しもするが、同時に物も命も尽く消費する。程を弁えずに回し過ぎれば、後には燃え付き果てる結末のみじゃ。

 ならばこそ巧く立ち回れ。消費と獲得、前者を抑えて後者をより多く。競争を出し抜けた者が多くを得るは当然の筋というもの。労せず功が得られるならば、それこそが至上の一手である」

 

 悪辣を嫌う義憤はある。正道を嘲笑う邪道も解している。

 彼女、アーチャーは中庸だ。革新の王は正しく"手段を選ばない"。

 定型に囚われない型破り。善事も悪事も等しく利用して目指す望みに到達する者。世に新しい価値観を産み出すのは、何時だってそうした人間であるのだから。

 

「あの小僧(レオ)のいう世とは、強弱の均一化じゃ。強きは弱きに、弱きは強きに各々合わせて格差を縮める。突出した個を無用とし、一が全となり機能する。

 ああ、民どもは喜ぼうの。だが必然、その脚は遅くなるのだ。わざわざ弱きの歩みに合わせて進むのだから、遅くならないわけがあるまい。まして安寧のままに満足すれば、やがて脚を止めるは必定よ。

 いかんじゃろう、それは。強きを下げるな、弱きが追い付け。さもなくば人の歩みは、いつまでも滞ったままであろうが」

 

 鉄火より現出する銃砲の総列。

 火縄銃・種子島。アーチャーの戦乱を象徴する兵器が、空間を埋め尽くして展開される。

 それは内の獲物を囲んで逃さぬように。あらゆる逃げ道がここに封殺された。

 

「死せよ殺せよ血を流せや。欲するも未来があるならば、何を厭う事があろうかよ。

 それさえ忘れたならば、是非も無し。そんな輩は死ぬが良い。関わってはこちらの歩みが遅れようが」

 

 呆けた堕落者に未来はない、と。

 その掌中に捕らえた愚かな敵対者へ、無慈悲な殺意をアーチャーは告げていた。

 

 

 




 アリーナ攻略? トリガー取得?
 そんな出来て当然なの、描写するわけないじゃないですか(笑)。

 さあ、次回は甘粕VS慎二の激突バトルですよー(棒)

 ちなみにこのSSでの魔人アーチャーの戦闘コンセプトは、ポジティブな衛宮切嗣です。
 手段を選ばぬ苛烈にして冷酷との事なので、彼女自身は基本こんな感じでいきます。

 それはさておき、Diesのアニメ化プロジェクトがいよいよ開始しました。
 自分も参加しようと思ってましたが、まさかの即日達成ですよ!
 やはりDiesは愛されているんだなぁと感慨深いものがあります。
 あとはもう何処までいけるかの精神で支援していく感じですかね。クオリティ向上を祈って是非皆さんも支援しましょう。

 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。