もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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EXTRA編
序章:本戦前予選


 

 ――――聖杯。

 

 月にて発見された異星の遺物。それを最初に呼称したのは果たして誰であったか。

 全長三千キロメートルに及ぶフォトニック純結晶体。人類誕生の以前より地球を観測し続ける巨大な演算装置。

 あらゆる可能性の分岐を納める超常のスーパーコンピューター。そこにはあらゆる未来を選択できる機能が備わっていると知った時か。

 

 その邂逅は、西暦1973年に遡る。

 大崩壊(ポールシフト)より魔力が枯渇し、神秘が過去の御伽噺と化した世界。

 次世代の魔術師(ウィザード)により発見された月面の遺跡。

 

 曰く、

 

「アレは現在の人類には到達できない演算装置」

 

「物質に頼る人類文明では理解できない、異質すぎる技術体系」

 

「物理的な接触は不可能。霊子ハッカーのみがアクセスを可能とする」

 

「光の中で繰り返される膨大なシミュレート。そこには必ずや夢見る未来がある」

 

 旧世界(まじゅつ)が過ぎた後、新たに見出された無限の願望を叶える器。

 そこに聖者の血を受けた杯の名が与えられたのは、あるいは必然であったのか。

 

 世界の支配者により統制・隠蔽されるようになった月の願望機の存在。

 だがその噂はまことしやかに伝えられる。月の内側では定期的に人間が集められ、その使用権を賭けての争奪戦が行われていると。

 証言した者はいない。それでも噂は絶えない。上位存在を従えて行われる生存競争(トライアル)

 たった1人の杯の担い手を決める殺し合い。やがてはそこにも、1つの名が付けられた。

 

 

 ――――聖杯戦争、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして開幕の鐘が鳴る。平凡な日常は、一握りの砂金の如く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして″彼″は、月海原学園での朝を迎えた

 

「おはよう!

 今朝も気持ちのいい晴天でたいへん結構!」

 

 時刻は午前七時半。生徒たちの談笑の声が響く朝の校門。

 登校していく生徒たちを呼び止めるのは、ここ月海原学園の生徒会長だ。

 

 先週の朝礼で発表された学内風紀強化期間。

 行事は予告された通りに。文武両道にして堅物と知られる生徒会長は自ら陣頭指揮にあたっている。

 上がる不平不満も風景の一部分。刺激に飢えた学生たちはそれすら話題の種として雑談に華を咲かせる。

 それは平穏無事にすぎる学校生活の光景。多少の変化を加えながら、しかし大筋の所では変わらない毎日を過ごしている。

 

 ――そこに違和感など有りはしない。

 

 ――学生として、友人として、その立場や関係に疑問など持たない。

 

 ――だってそれは当たり前のことだ。自分等の住んでる世界はそういうもので、疑問に思うことこそ馬鹿馬鹿しい。

 

 ――だから、たとえば、時折頭に走るノイズのような違和感だって、単なる錯覚に違いない。

 

 ――それが"日常"だから。さあ、今日も穏やかな一日を過ごしていこう――――

 

「おぉ! おはよう!

 今朝も相変わらずの壮健ぶりで結構結構!」

 

 他の生徒と同じように"彼"が呼び止められる。

 

「服装、持ち物……うむ! 違反の一文字も見つからん。

 まさに質実剛健。贔屓目で見ても、おまえこそ全生徒が模範とすべき男だな」

 

 屈強という形容が相応しい体格を持つ"彼"。 

 しかし他生徒との違いは単なる外見だけに留まらない。

 

 一部の隙もなく着こなした制服には着崩れの類は一切ない。

 遊びがない、とは少し違う。学生的でない徹底ぶりながら、そこに違和感を感じさせない。

 それは単純に印象の問題だ。緩むといった要素が彼には恐ろしく()()()()()

 "彼"にとってはそれこそが自然体。何一つの無理もなく素のままに振舞っているのだと理解できる。

 

「おまえにしか言えんことだがな、強化期間というものが俺は気に食わん。

 検査があるからやる、期間が終われば御役御免、それでは意味などないだろうに。 

 風紀の向上を目指して行う行事なら、後にも繋がる教訓とならねばいかんと思う」

 

「その点、おまえなどはまさしく在るべき姿だと思える。

 常日頃から身なりを整え意識をりんとしていれば抜き打ち検査など何するものぞ。

 おまえからは在りし日の大和男児の気概を感じられる。古い価値観だろうが、良いものはいつになろうとも良いものだ」

 

「……と、いかんな。つい説教じみてしまった。

 間桐あたりからまた老人くさいなどと言われてしまいそうだな」

 

 他愛のない歓談に華を咲かす二人。

 それは友人という関係からは何らおかしくない風景。学友同士の日常の一部。

 それに付き合っている"彼"にも、不自然さなどは見受けられない。

 

「出来ることならおまえのような男こそ運営側に回ってほしいのだが……。

 いや、すまん。生徒会など強要して入れるものではなかった。忘れてくれ。

 長く引き止めてすまなかったな。最後に生徒証の確認だけして終わりだ」

 

 そう言って生徒会長は、差し出された生徒証に目を通す。

 

 生徒証の所持は校則で義務付けられている。

 己が誰かを示す証。有事の備えとして、何より自身の存在証明として。

 

 そこに書かれた名は――――

 

「――■■■■、と。よし、間違いない!

 では、■■。今日も悔いのない、いい一日を!」

 

 返された生徒証を受け取り"彼"もまた校門を抜ける。

 

 それは何一つとして不足のない、"学校"としての日常。

 月海原学園の穏やかな()()は、変わらない始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくて開幕の鐘は鳴る。平凡な日常は砂金の如く、しかし買い手はどこへやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変わり映えしない日常。繰り返される風景。

 同じように過ぎる平凡な毎日。しかし変化を求めている者もまたいない。

 

 たとえば、黄色い声を上げる女子たちに囲まれて天狗になっているクラスメートだとか。

 たとえば、毎朝同じ場所で冗談のようにすっ転ぶ冗談のような教師だとか。

 それが日常なのだと彼等は信じている。如何に退屈を持て余そうと、人は自らの常識が崩れることを望まない。

 

 あるいはそれも一つの秩序なのだろう。

 形成された共同体(コミニティ)。暗黙に出来上がった筋道は、それを外れる者を許さない。

 

 果たして彼等の中に、確かな明日を見据えた者は何人いるのだろう。

 将来はどうなるか、進路はどうするか、そう語りながらも実感は伴っていない。

 いまだ見えない未来(さき)を思い、想像を膨らませて楽しんでいるだけの者が大半だろう。

 

 それを疑問になんて思わない。違和感なんて感じない。

 彼等は当たり前に今の居場所を信じ、先の未来があると当たり前に思ってる。

 切実に差し迫ったものなどなく、この日常はこれからも崩れることはないのだと根拠もなく信じているのだ。

 

 ――しかし、それでも彼等は理解しなくてはならない。

 

 この世の中に絶対不変の価値観がないように。

 1つの常識とは、同じ1つの切っ掛けで脆くも崩れ去るということを。

 

「さっそくなんだけど、今日はみんなに新しいお友達を紹介します」

 

 きっかけは、1人の転校生の存在だった。

 

 形成されてきた秩序の中に、特大の異物が入り込む。

 鮮烈に空気を変える存在感。平凡な日常において余りに異端な不純物。

 明確な壁さえ感じさせる確かな天賦。それを放つのはたった1人の美麗の少年。

 

「みなさん、僕の名は、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ」

 

 その有り様はまるで太陽の如く。

 全てを備えた王者の姿。すでに学ぶべきものはなく、欠けたものも存在しない。

 生半な者ならば直視しただけで麻痺してしまう。凡庸な者と特別な者との差異を否応なく実感させる絶対性。

 

 万人を照らす光であるべき少年に、この日常には余りに不釣り合いだった。

 

「いずれ世界中の誰もが僕のことを知りますが、今はあなたたちの学友です。

 この幸運を嬉しく思います」 

 

 そして少年は、自らの特別性を十全に理解している。

 見せたものは年相応の屈託のない笑顔。それだけで少年はクラス全体の心を掴んだ。

 理屈不要に発揮される王聖のカリスマ。愛されるべく生まれた少年は、その高みより視線をクラス全体へと行き渡らせて――

 

 "彼"と、視線を交錯させた。

 

 直後にクラス全体を包み込む謎の緊張感。

 知らず身体が震えだす。何に対してかも分からないのに、本能は危機感に反応する。

 少年の王聖がもたらした和らいだ空気。それが一転して、教室を鉄火場の渦中へと書き換えた。

 

「とにかくみんな、レオ君と仲良くしてあげてね。じゃあレオ君の席は……。

 左から2列目の、前から3列目が空いてるわね。そこでいい?」

 

 そんな緊迫の中でも平時と変わらない、明るい調子の教師の声。

 その指示に従い、少年は自らの席へと歩き始める。

 

 少年と、"彼"が接近する。

 瞬間、他生徒らが感じたのは一触即発の気配。

 触れれば一瞬で燃え上がる。そして日常(せかい)はその瞬間に滅び去るだろう。

 連想された二つの太陽。但しそれは万人に降り注ぐ光ではなく、全てを焼き尽くす業火の熱量としてだ。

 

 悟る。異物は少年だけではなかった。

 日常(せかい)はとうに異物を孕んでいた。平凡の皮を脱ぎ捨てて、今まさに内から喰い破らんとしている。

 なんという脆さだろう。日常(せかい)とは、こんなにも容易く崩れてしまうものなのか。

 

 一歩、また一歩と、少年が歩を進める。

 心臓の音さえ聞こえてきそうな静寂。僅かな距離を無限の長さと錯覚してしまう緊張。

 誰もが息を呑むことさえ忘れて、その瞬間を待つ。翻弄されるばかりの民衆に、果たしてそれ以外の何ができるだろう。

 

 少年と、"彼"が交差する。

 時が止まったと錯覚する。油の浸された導火線に火種が落ちていく刹那の時間。

 全ての生徒の意識が集中する。思考は一致し、その接触が何を起こすのかと伺って――――

 

 何も、起こらなかった。

 

 指示された通りの場所に少年は着席する。

 互いに視線を交わすこともなく、何事もなかったかのように日常は平穏を取り戻す。

 

 張り詰めた空気から解放されて、生徒たちはしばしの混乱の後に元の常識を取り戻していく。

 そもそも冷静に考えてみれば、始めから何かが起きたわけではなかった。

 転校生がやってきて、生徒の一人と目が合い、教師の指示に従い席に座った。それだけだ。

 何もおかしなことはない。騒ぎ立てる方がどうかしていた。

 

 そして彼等は、目の前で起きた異常を何事もなかったと片付ける。

 それが日常を守ることだから。それが楽な道だから。何も追求せず、違和感から目を逸らして。

 それこそ正常な判断だ。無意識にそう選択した者たちは、再び日常(せかい)の中へと戻っていく。

 

 月海原学園の一日は、そうして変わらないままに始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兆しの星、来る。輝きは目映く、鐘の音は遥か彼方に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活動。それは学校行事において本筋の一つに当たる。

 勉学こそ学生の本分。ならば部活動とは青春の本領だろう。

 

 射場を持った武道場にて日々研鑽を積む弓道部。

 学内のあらゆる話題を拾い上げ記事にして提供する新聞部。

 その他、運動系、文化系と、放課後の学校では各々の生徒らが活動に励んでいる。

 

 それは一生徒として学業に勤しむ"彼"とて例外ではなかった。

 

 その脚で向かうのは、前述した弓道部が活動する武道場――の隣。

 立派な建築物の影で物置のように佇む、粗末なプレハブ小屋だった。

 

「おおぉう! 待ちわびたぞ、同士よ」

 

 建て付けの悪い戸の先、小屋の中では一人の男が待っていた。

 狭い空間をその身一つで占有する巨躯。学生服の上からも分かる屈強な肉体は、並大抵ではない人生を思わせる。

 

 そう、学生服である。

 重ねて言おう。男は学生服を纏った学生である。

 明らかにその単語にそぐわない男が二人。狭いプレハブ小屋の中で対峙していた。

 

「今、まさに試練の時! 我が部は大いなる苦境を迎え、未だ道は見えてはおらん。

 だがそれは忌諱することに非ず。挑むこと、それ自体に価値を持つ試練。超えるべき頂きであればむしろ歓迎して受け入れる所存。

 この逆境を乗り越えるため、我等が『修行同好会』の定例会議を始めたいと思う」

 

 大きな声は狭い空間では余計に響く。

 無駄に熱意のこもった所作は、ただひたすらに暑苦しい。

 

「我が同好会の所属人数は、小生とおぬしの二人。正式な部として認可を受けるには数が足らぬ。

 そう、このままでは――」

 

「部費が降りずに、またしても自腹を切るはめになってしまうのだぁぁぁぁ!!!」

 

 漢泣き。涙さえ流した魂の叫びである。

 

「世界に点在する数多の荒地へ赴き、心身の修練として己を磨く我等の活動。

 おお、何故この高尚なる活動が衆民には理解されぬのか! この憤り、世の不条理に小生は憤慨を禁じ得ん」

 

「先日に持ち込んだ生徒会への嘆願書に対する返答。それもまた我が心を荒立たせる。

 『もうあなた方を止めるのは諦めましたから、せめて自費の範疇でやっていてください』、と。おお、なんたる無情!

 労働にて我が身を養う賃金を得るは道理。されど要るべき者に手を差し伸べることさえしないとは、布施の功徳はどこにいったぁ!」

 

 これも日常の一つには違いない。

 いかにキャラが濃かろうと、種別するなら部活動の一幕。

 故に覚えるべき違和感はここにはない。ないったらないのである。

 

「だが向こうの言い分にも筋は通っている」

 

 "彼"が、男の訴えに対し答えを返す。

 

「私的ではなく全体を慮る公的な理念の下で運営される資金。見返りの期待できん相手への配当が限られるは当然。

 まして俺たちは正式な部とも認められない、二人のみの同好会。これでは冷遇も致し方なしと言えよう」

 

「ぬぅ、やはりそこが肝要であるか」

 

 冷静に指摘する。

 この二人の関係において"彼"はある種の抑え役だ。

 暴走する勢いに待ったをかけ、意志を押し通すための手段を模索させる。

 そういう役割を担っている。故にそのペースに巻き込まれることはない。

 

「何においてもまずは人材の不足。人さえ居れば正式なる部として認められ、我らの苦悩も解決する。

 まさしく三蔵法師が如く、携える手があれば天竺への道程も恐れるに足らず!」

 

「されど、何故だ!? 何故我らと共に研鑽に励まんとする同士が集まらんのか!?

 勧誘をすれば目も合わされずに逃げられ、ようやく捕まえた仮入部者も説明会の段階で即辞退。

 なにがいかんのだ!? 新規参入者に合わせ、向かう荒地も緩やかなものを選んだというのに」

 

「残念なことだが、彼等と我々の修練に向けた意識には思った以上の乖離があったらしい。

 我らにとっては修練とも呼べん代物でも、彼等には忌諱するほどの難行に見えたのだろうさ」

 

「くぅ、嘆かわしいことだ」

 

 ちなみに詳しくは記さないが、どれだけやる気を持って門を叩いた若人も五秒で回れ右するのが彼等の言うところの『初級用』である。 

 

「だがこれ以上の妥協もあるまい。苦行の試練で己を高めることがこの部の意義。人を集めるためにと安穏な道を選ぶのなら、それこそ本末転倒だろう。

 甘言で誘い招いた後、試練に放り込んでやるのも手だろうが、それこそ同好会の存続さえ危ういだろうな」

 

「やむを得んか。であればどうする? 大人しく自腹を切るか」

 

 結局、至るのはその結論だ。 

 暴走しかけた気勢は嗜められ、妥協案にて意気を納める。

 それもまた秩序だ。和から外れるほどに突き抜けた行動はどうあれ『一人の生徒』として好ましいものではない。

 その縛りに囚われている限り、日常に変化はない。喧しく濃い同好会の風景も、変わらずそのまま流れ続けるだろう。

 

「何を言う。弱きに流れて試練に背を向けるならばそれこそ我等の価値はない。

 目的とする場所がある。だが辿り着くための手段がない。ならばいっそ辿り着くこと自体を修行にしてしまえば良い」

 

 しかし"彼"は、そのような妥協で納得などしない。

 抑え役であるはずの"彼"もまた、良い意味でも悪い意味でも普通ではなかった。

 

「陸を行くならばこの脚で行け。海を行くならば船を築くか泳いででも渡りきれ。手段など己の手で作ればいい。

 なに、地球の上にあるものは大地か海原かで繋がっているのだ。やってやれないことはない」

 

「地平の先を目指した者たちに事前の地図があったか? 見果てぬ航海へと漕ぎだした者たちに確かな航路があったか? ネット環境は、あらゆる文明の利器は彼等の手にはなかった。

 それも当然。文明とは彼等の為し遂げた偉業に支えられて出来ている。その勇気に比べれば、我々は遥かに恵まれている。試練の内にも入らん」

 

「己で行くと定めたならば、何を以てでも辿り着くという覚悟を抱け。そうあってこそ自らを練磨する試練だといえるだろう」

 

「おぉ……!」

 

 言うまでもなく暴論だ。

 だが同時に、完全否定がしにくい理論も帯びている。

 

 何の予備知識もなかった時代の者らに比べたなら、確かにその難易度は落ちるだろう。

 そも比べる事自体がどうかという点は、"彼"にとって考慮するにも値しないらしい。

 時代がどうであれ劣っているのは事実。そこから目を背けるのは堕落に過ぎないというように。

 

「相も変わらず見事な覚悟、そして勇気である。

 赴くと決意したならば如何なる苦境に立たされようとも踏破の意志を貫くべし。その通りだ」

 

「実のところ、途中まで小生ちょっとばかり引いていたのだが、まだまだ精進が足りなかったようだな」

 

 共に道理に流されない馬鹿二人。

 秩序の和など彼等には無意味だ。介さぬわけではないが止まる理由になりはしない。

 明確に前を見据えたその信念は、異端と言われて迷うほど脆弱ではなかった。

 

「むむ! これは……おお! きた、きたきたきたきたぁぁぁぁぁ!!!

 神託、降りたり! 小生が目指すべき求道の先がはっきりと見えた!」

 

「ズバリ、ヒマラヤである! かの山脈の頂きこそ我がエルサレムなり。辿り着くべき修験の果てと悟った。

 もはや覚悟は定まった。あとは一念の下、不断の意志で踏破してみせるのみ!」

 

 何の脈絡もなく断言される。

 なおヒマラヤ山脈とは世界最高峰の標高を持つ難所であり、その登山は十分な訓練をした者でも危険を伴う。

 少なくとも学業活動の範疇で挑戦してよいレベルの山ではない。

 

 だが無論、それを理由に止める者もこの場には存在しなかった。

 

「素晴らしい決意だ。半端な覚悟ではない、必ずやり遂げるという意志を感じる。

 常識がどうだのと白ける制止などするつもりはない。心からの賛辞だけを贈ろう」

 

「無茶が過ぎると道理が否定しようとも、真に抱いた望みであれば躊躇う理由はない。

 人に無理などない、為せば成る。諦めなければ夢は必ず叶うと信じている。

 その信念を持つ限り人はどこまでも進んでいける。そう、たとえ目の前で最終戦争(ラグナロク)が起きようとも、諦めてはならんのだァ!」

 

「まっこと見事なり! どこまでも勇猛なその気概、小生もまた倣うべきであるな!

 ……あ、だが、さすがにその場合は諦めた方がよいと思うぞ」

 

 止まる理由などない。二人は何処までも突き進む。

 不可能などという言葉は奮起の切っ掛け。勝算(イイワケ)なんて不要である。

 試練を恐れず、自ら踏破する気概。共通するその意志で彼等は繋がっている。

 

「であればこそ、だ。友よ、この難行、共に挑んではくれまいか?」

 

 そんな同じ方向を向く同胞として、その誘いを男は自然と口に出していた。

 

「これが我が試練であることは委細承知。助けを借りねばならぬ理由があるわけでもなし。

 うむ、我が事ながら不思議でならぬ。だが思った以上に、愚僧(オレ)にとってこの縁は良いものだったらしい」

 

「対立し、追いやられ、理解されずに孤立する。慣れたものであるし、今さら恐れもせぬが。

 同じ道程に立ち、肩を並べて共に歩ける連れ合い。その縁にはついぞ巡り合せがなかったものでな」

 

 それはかつての己の道程を思い出すように。

 辿ってきた自らの生涯、その中で味わってきた悲しみや喜び。

 十年を超える濃密な求道の情景が、脳裏には映し出されている。

 

 およそ『学生』ならばあり得ないはずの過去を、男は確かに垣間見ていた。

 

「我が求道が向かう場所、その姿をおぬしにも見てもらいたいのだ。意志を同じくする友として。

 軟弱と、笑ってくれても構わんがな」

 

「笑わんとも。それを嗤うのなら友情とは総じて堕落だろう。

 世の白眼視にも耐え抜き、自らの求道を貫いたおまえが至る頂きだ。俺とて是非にも眼にしたい」

 

 その言葉は、偽りのない誠実な響きで。

 世辞の類ではない。"彼"は心から男の求道の果てを見たいと思っている。

 

 強い意志を抱いて行き着く場所。

 そこにあるのは、その人が磨き上げた信念の光だ。

 どのような種別であれ、その輝きは美しい。男が至る輝きはさぞや己を魅せるに違いない。

 

 だが、願ったそれをわざわざ口に出すのは、それが叶わないことだと理解しているからだ。

 

「だが断ろう。俺は果たせない約束はしない主義なのでな」

 

 男の申し出は、果たせないものだと。

 何事も意志を抱けば不可能はないと豪語した"彼"をして、それはないと口にさせた。

 

「俺は意欲ある人の強さを信じている。諦めなければ夢は叶うと、そう言った信条に偽りはない。

 だが同時に、1つの夢のためにはもう1つの夢を捨てねばならん時があるとも理解している」

 

「――なあ。()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そう告げられた男の表情に、動揺の色はない。

 ただ静かに、何かを悟ったような静謐な気配だけがそこにはあった。

 

「……果たせぬ約束か。それは確かなことか?」

 

「その答えは己自身に聞くがいい。おまえが"ここ"に居る理由とは、誰かに対し譲れるものか?」

 

「できんな。この浮世で最も尊き目的のために、小生はこの場に赴いている。その自負がある。

 ……ああ、なるほどな。確かにこの約束を果たすことは叶わない。小生とおぬし、二人がこの場に立っている時点で」

 

 男もまた、理解する。

 目の前の相手は、共に同じ道を歩ける同士などではない。

 他ならない彼等自身の選択が、そのような可能性を切り捨てたのだから。

 

「それにだ。そもそもの話、共に挑むということからまずもって不可能であった。

 ――愚僧(オレ)はすでに挑み、そして見出していたのでな」

 

 日常が崩れる。二人の道は分たれた。

 先までの関係はすでにない。己が立つべき場所を彼等は理解した。

 

 いや、本当はとうに()()()()()()()()

 

「ならば一つ、夢想を語っておこう。

 ――できればおぬしとは、本物の山を共に登ってみたかった」

 

 それは、男にとってこの場所が惜しいと思えるものであったから。

 意志は固まった。迷う心もすでにない。覚悟などこの場に居る時点で出来ている。

 それでも未練を残すほど、偽りで出来たこの居場所が、男にとって居心地の良いものであったのだ。

 

 あえて口に出し、その未練を断つ。

 夢想は所詮夢想だと、自らに告げるように。

 

「ではさらばだ、"甘粕正彦"。次に相見えるときは、討ち果たすべき敵手として」

 

「また会おう、"臥藤門司"。次に会うときは、互いに越えるべき試練として」

 

 二人が互いに背を向ける。

 振り返るような迷いは、すでに彼等の中には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノイズの走る校舎の中を通り過ぎる。

 

 繰り返される日常。

 見過ごされる違和感。

 何一つ確かでない己自身。

 

 "彼"にはすでに分かりきっている。

 この世界は偽物。人も、立場も、生活全てが設定された役割(ロール)に過ぎない。

 ここに本物は一つもない。どれだけ居心地の良いものだろうが、全ては幻でしかないのだ。

 

 この世界はいずれ崩れる。

 役割(ロール)から抜け出せなかった者らを道連れにして。

 違和感から逃げることなく向き直り、本当の自己を取り戻した者だけが次の段階へとコマを進める。

 

 これは選定。戦場へ立つに値する意志を選別する試練である。

 

「……ああ。勿論、()()()()()()この程度を突破するなどわけないことだ」

 

 眼前に見据える、赤い服を着た一人の少女。

 ノイズだらけの世界の中で、揺らぐことのない確固たる意志。

 早々に学生服の縛りを破っていた彼女なら、こんな違和感に惑わされるなどあり得ない。

 

 "彼"と少女が、真正面から向かい合った。

 

「私服登校に無断欠席か。優等生がすることではないな、凛」

 

「そういうあなたこそ、その制服、全然似合ってないわよ、甘粕」

 

 ――彼、甘粕正彦。

 

 ――少女、遠坂凛。

 

 肩を並べる同胞であった二人。

 虚構に揺らぐ校舎の中で、確たる己を持った二人は対峙した。

 

「やはりおまえもここに来たのか。俺の忠告は聞き入れてはもらえなかったらしい。

 だが、これもある意味必然か。ここで戦いから逃げるのなら、それは遠坂凛ではない」

 

「さすがに付き合いが長いと分かってるじゃない。

 私の考えは地上で話した通りよ。甘粕、あなたにこの月は獲らせない」

 

 ここは月。その内にて構築された霊子虚構世界。

 太古より存在する月の遺跡、ムーンセル・オートマトン。

 人々より聖杯と呼ばれる異界文明のアーティファクト。彼等は今、その内に居る。

 

 これは聖杯の使用権を賭けた争奪戦。

 唯一人の担い手を選ぶ、敗者の悉くを淘汰する生存競争。

 その舞台に立っている。それは即ち、己以外の参加者は妥協の余地なく敵であると示していた。

 

「そして西欧財閥にも聖杯を渡すわけにはいかない。だから自身で参加して勝者になると決意したか。

 素晴らしい覚悟、そして勇気だ。やはりおまえはそうでなくては。その勇敢さにはいつだって魅せられる」

 

「あなたの人間好きも変わらないわね。その変人ぶり、直すのはとっくに諦めたけど。

 ていうか勇敢とか、もう少し言葉は選んでくれない? ウチの家訓は知ってるでしょ」

 

「常に余裕をもって優雅たれ、だったか。俺から見れば何とも似合わんが。

 万全を期して待つよりも、勝利のために奔放して駆け回っている時の方が輝いて見えるぞ。

 ……余裕がある時には、妙な失敗が起きるしな」

 

「う、うるさいわね! 別に失敗なんていつもやってるわけじゃないでしょ!

 この家訓、会ったことない父さんのものだから、大切にしてるのよ」

 

 互いに勝手知ったる相手同士。

 その会話も自然、敵同士というより知古の仲のものとなってしまう。

 

「時に、凛。この予選をおまえはどう思った?」

 

「偽りの中の学園生活。存在するものは偽物だろうが、再現された風景に間違いはあるまい。

 本来おまえほどの歳であれば、こうした生活の中に居たはずだ。憧れる気持ちもあったろう。

 実際に体験してみて、どうだ? 後見人の立場としては感想が聞きたいな」

 

「……そうね。まあ、悪いとは思わなかったわ。こういう生活なら、してみるのもいいかもね」

 

 話題に上げるのは、偽りであった日常の話。

 この月の世界は、地上に在るものの再現。この学校の風景も確かに存在したものだ。

 本物でなくとも、予行演習(シミュレーション)としては十分だ。ここで感じた所感ならば、それは現実にも当て嵌められる。

 

「だけど、それはあくまで私の戦いが終わった後の話よ。ここは私がいるべき場所じゃない」

 

「この世界はまるでカリカチュア。綺麗に映し出すだけの劇画だわ。

 口当たりのいい、約束された退屈な平穏。未来もただ暮れていくだけのもの。

 そんな世界は生きていないわ。ここは単なる記録、人の生きるべき世界じゃない」

 

 この世界は偽物。全てが作られた虚構。

 その価値はあくまで演習として。生きていくべき居場所では決してない。

 与えられた平穏、定められた未来。そんなものを良いと思える大人しさなど、遠坂凛は持ち合わせない。

 彼女はいつだって前を見据えている。居場所とは与えられるのではなく、自ら掴み取るものだと理解していた。

 

「同感だ。この平穏には価値がない。誰もが与えられた日常を甘受する、堕落の温床に過ぎん」

 

 その認識は、甘粕正彦にとっても同様だった。

 

「俺とて平穏は好ましい。人が人らしい営みの中、思うままに己の人生を決められる。それは何物にも代え難い。

 人は本来、そのような世界で生きるべきだ。ああ、疑いの余地なくそうであろうさ。

 ならばこそ、我々はその価値の重さを理解するべきだ」

 

「先人が築いた安寧の上に居座り、自ら動くこともなく未来の安泰を盲信する惰性、反吐が出る。

 偽りの世界に身を置いて、不確かな己のまま違和感に気付こうともしない。そうする理由は総じてその方が楽であるためだ。

 まさに腐敗の縮図だな。この世界は、現在の世の堕落を明確に映し出している」

 

 西欧財閥の掲げる管理社会。

 分配される資源量、人々の生涯まで管理され、効率的な采配によって幸福が約束される。

 その社会の中では人は思い悩む必要がない。支配層と被支配層は明白にされ、人々はその通りに運営される。

 まさしく万民、秩序を廻す歯車の如く。偽りの学校生活を送る者たちの姿は、今の世界に生きる人々の姿を模写しているかのようだ。

 

「だがこれを選抜と見るならば面白い。闘争に向かう者らの意志を試す試金石として、これほどふさわしいものはあるまい。

 ムーンセルとは巨大な演算機械。人の意志など介することはないと思っていたが、なかなか粋な試練を用意する」

 

「甘粕……やっぱりあなた、わざと生徒の役割(ロール)を続けてたのね」

 

「知っておきたかったのでな。この月に至った者たちを、その信念がどれほどであるのかを」

 

 そして、それも終わる。

 すでに知るべきことは知った。後はただ、前を目指して進むのみ。

 

「俺は聖杯を手に入れよう。俺の信じる楽園(ぱらいぞ)、その成就のために」

 

「それが許せんというのなら、凛。俺を凌駕する信念を抱け。聖杯が願いを叶えるものならば、勝敗を分かつのはその差だ」

 

 歩き出し、向き合う相手の横を通り過ぎる。

 それは両者、ほぼ同時に。袂を分ったかつての戦友を振り切るように。

 

 これは聖杯戦争。

 総計128名もの魔術師(ウィザード)による殺し合い。

 殺さない選択肢などない。敗者に待つのは死の結末のみ。

 

 生き残れるのは、たった1人の勝利者だけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘楼は何処にあるか。日々は穏やかに。その瞬間がやってくるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――"俺"は再び日常の中へと戻っていた。最後に義理を果たすために。

 

 

 月海原学園では定期的な全校集会が行われる。

 最近で実施された風紀強化週間。差し迫った期末試験。今回の内容はそれらの総括だ。

 これも学園生活における日常の一貫。体育館に集められた全校生徒は、各々に学園長の話に耳を傾けている。

 

 日常の景色は変わらない。

 大半の者はいまだ世界の違和感に気付いていない。

 捨て置けば、まもなく訪れるだろう選定の終わりに脱落者の烙印を押される。

 

 理屈で考えるのなら、それでいい。

 覚醒すれば、誰もが敵となって立ち塞がる者たち。数が減るに越したことはない。

 至極道理である。所詮は己の意志も抱けぬ軟弱者たち。見限ったところで何の問題があろうか。

 

 

 ――――そんな道理を弁えた上で尚、俺は彼等を今一度試したいと考えている。

 

 

 席を立つ。周囲の者らの視線が刺さる。

 構わずに歩き出す。教師たちが止めに入ったが一切振り切る。

 目指すのは壇上。全生徒と向き合えるあの場所が良い。

 

 学園長――の役割を担うNPCを無造作に押し退けて、壇上を陣取った。

 

「この中に、日常(セカイ)の違和感に気づいている者は如何程いるだろうか」

 

 この場に居る全ての者の視線が俺に集まる。

 戸惑い、呆れ、不快……印象は数あれど、歓迎しているものはない。

 それらは異端者に向けた感情。無言のままでも明白な拒絶の意思が伝わってくる。

 

 そのような意思の群れを、俺はそれ以上の熱意を言葉に込めて跳ね返した。

 

「台本をなぞるような毎日。見過ごされる異常。曖昧な自らの過去。

 問おう、おまえたちは気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているのか」

 

 日常の中に感じる違和感。

 よほどの愚鈍でない限り、何らかの形で触れてはいるはず。

 それでも今の日常を甘受するのは、意図的に無視しているからに他ならない。

 

「異常に触れ、己も異常に囚われることを恐れ、視線を逸らして隣の者を見る。

 隣の者はその隣の者を見て、更にまた隣へと。誰かがと期待して、行動する事をたらい回す。

 結果、誰もが異常を見逃して指摘せずに蓋をする」

 

「そんな愚かな結論が罷り通る秩序ならば、いっそ破壊してしまえばよい。

 立つことも忘れた木偶のまま、一生を揺り籠で過ごすような腐った安穏がそれほど惜しいか。

 誰かより与えられた幸福など、同じ誰かの手で容易く奪われてしまうものだというのに」

 

 和を重んじ秩序に従うと言えば聞こえはいい。

 だが実態を見れば、己で築いたわけでもない秩序を盲信するだけの惰性の集団。

 唯々諾々と甘んじておれば守られて当然と、疑問とも思わず信じきっている。

 

 秩序を乱すが悪だというなら、俺は悪にこそ魅せられる。

 人とは不完全なものであり、世の法に絶対はない。法を外れる行為が時に正道となる場合もある。

 善悪の定義が衝突し、その果てに素晴らしいものが生まれるのだと信じている。

 

 だから俺は、彼等に告げたい。

 惰眠を貪る善ではなく、勇気ある悪を目指せと。

 

「未来とは、安穏と待って手にするものではない。築いてきた過去、築き続ける現在、その蓄積の果てに築かれる価値こそ、未来。

 信じるな、まず疑え。曖昧な己自身を何一つとして許すな。他ならぬ自身の事、妥協などあってはならん。

 隣にいる者は本当に友か? いつ、何処で出会った? その記憶があるとして、それは本物か? どこかに矛盾はなかったか?

 惰性の信頼など屑石である。衝突し否定と肯定を繰り返して、その本心に触れてこそ真に至宝と呼べる絆となろう。

 とことんまで疑い、探り尽くせ。本当の居場所とはそうしなければ手に入らないものだ」

 

 俺の言葉に、果たして何人が動くかは分からない。

 願わくば、彼等の全てが立ち上がる意志を抱いてほしいと思う。

 その輝きを眠らせたまま、微睡みの中で潰えるのは悲しいことだ。

 

 誰もが試練の舞台に上がってほしい。

 忘れられた人の光は、その中で練磨されて取り戻せる。

 俺はそう信じている。故にこの思いを言葉にして彼等へと伝えよう。

 

 それこそが、共に同じ頂きを目指す同胞として、俺が果たすべき唯一の義理である。

 

「この試練を乗り越え、確かな意志を手に入れられることを心より願おう。

 ――以上、諸君らの健闘を祈っている」

 

 もはや語るべき言葉はない。伝えたいことは全て伝えた。

 あとはただ信じるのみ。彼等が真実を手に入れ戦うに足る強さを得る事を願うばかりだ。

 

 壇上を降りる。

 ここまで掻き乱した日常。皆の惑いの眼が向けられる。

 それに対しては何も応えず、俺は真っ直ぐとその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに果たすべき事は全て終えた。

 もはやこの世界に留まる理由はなく、俺は次なる舞台へと上がる。

 

 用の無くなった学生服を脱ぎ捨てる。

 代わりに肉体(アバター)を包むのは、黒色に塗られた軍装。

 我が祖国に軍が存在した古き時代の軍服。かつて『帝国』と呼ばれていた頃の衣装。

 帝国万歳などと叫ぶ気は毛頭ないが、軍装というものはそれだけで心身が引き締まる。

 

 これは一つの禊ぎの儀だ。

 これより戦いに赴く者として相応しい身形に整える。

 掲げた大義はどうであれ、祖国を守るため身命を賭した者たちの戦装束。

 これより戦地に赴く俺が纏うものとして、これ以上のものはあるまい。

 軍刀を腰に下げ、外套を翻して、最後に軍帽をかぶると、己自身の禊ぎを終えた。

 

 向かうべきは校舎1階の廊下の先の行き止まり。

 途切れた道と見せかけたその先にこそ、この世界の出口がある。

 

 ……だがその前に、もう一つ。

 果たすべきことは果たした。後は残された疑念を解消する。

 

 向かったのは校舎の3階。

 本筋と関係があるとは思っていない。それでも一つ、気になっている事があった。

 

 『校舎3階のさまよう少女』

 

 月海原学園七不思議と、生徒間で噂の一つに上げられた話題。

 一見すれば他愛ない世間話の類。だがこの噂にだけは他にはない真を感じた。

 抱いた所感を捨て置く気はない。全てを疑えと公言した手前、舌の根も乾かぬ内に主張を翻すわけにもいかんだろう。

 

 3階の廊下をゆっくりと歩く。

 ルールから外れた視界には絶えずノイズが覆っているが、今見るべきはそこではない。

 およそこの場には相応しくない少女の幻。学園という世界の異端を探して――――居た。

 

 背後に気配を感じる。その視線が俺の背中に向けられている。

 実を言えば、その存在に気付いたのは初めての事ではない。以前に訪れた際にも同じものを感じていた。

 その時にはすぐに去ってしまったが、この相手はどうもこちらを観察している節がある。

 警戒心が強い。それは怯えか、少なくとも狩猟者のそれではない。

 触れることを望んでいる。だが触れて良い相手か分からない。この視線の意味を、俺はそのように感じた。

 

「おまえは、いつもこの場所に居るのだな」

 

 振り返らず、視線を合わせないまま声をかける。

 これで逃げ出す相手ならば、元より俺には縁のない者だろう。

 

 気配は、消えない。

 こちらの声に耳を傾けているのか、視線は動かぬままだ。

 ならばと、そのまま俺は話を続けた。

 

「以前の時もそうだった。隠れ潜みながらこちらを見ていたな。

 他の者たちにもそうなのか? 噂にもなっている。ここで皆を眺めるおまえのことは。

 眺めるばかりが望みかな。それとも、関わりを望むからここに居るのか」

 

 答えはすぐには返ってこない。

 あるいはこのまま、俺の言葉は無為に消えるのかと思い始めた頃。

 

「あなたは……あたしのこと、こわくないの?」

 

 返事があった。幼い声だ。

 声の方へと振り返る。相手の姿はすぐに見つかった。

 

 一人の少女が立っている。

 見た目の年齢は恐らく10にも届くまい。学生とはかけ離れた格好。

 人形のようなドレス衣装。それが益々少女の非現実性を強く印象付ける。

 整った容姿は絵画のように、あるいは亡霊の如く、生なき者としての美が際立っている。

 要は生きてる人間に見えないという事だ。この少女からは命の活力が欠けている。

 

 見下ろす俺に、見上げる少女の視線が合う。

 少女はたじろぎ、一瞬消えかけたが、踏み止まってもう一度こちらを見返した。

 

 ――悪くない兆しだ。変化を受け入れようとする気概を感じる。

 

「俺は甘粕正彦という。おまえの名を聞かせてほしい」

 

 視点を合わせるために膝をついて、俺は少女に問うた。

 

「なまえ……ありす」

 

「ありす。怖くないのかと言うが、おまえは他人から恐れられたいのか?」

 

 ありすと名乗った少女は押し黙る。

 だがその無言の訴えを見れば、答えは一目瞭然だ。

 

「おまえが恐ろしいと見えるのは、おまえに対する不明が原因だろう。

 人は誰しも正体の分からぬものには恐怖を抱くものだ。未体験の脅威とは、それだけで人を怯ませる。

 おまえとて、知らぬ相手は怖いだろう?」

 

「あ……!」

 

「聞かせてはくれんかな、おまえのことを。正体不明の何某かではない、ありすという人間のことを俺は知りたい。

 そのために、俺はおまえに会いに来たのだ」

 

 俺の求めに、少女はおずおずと話を始める。

 最初こそたどたどしかった口調も、時を置いて馴れてくると随分流暢になった。

 元来は会話を好む明るい性格だったのだろう。少女の様子からそれが見て取れる。

 

 そして話をしていく内に、その正体にも当たりが付いた。

 

 幼い主観は整合性に欠けている。

 それでも、特に強い印象の言葉を繋げていけば見えてくるものがある。

 戦争、爆発の音、病院のベッド、そして長い痛みと、孤独。

 それらの記憶の果てに、少女はこの世界(ムーンセル)にたどり着いたという。恐らくは聖杯戦争と関係のない所で。

 

 ここで今まで、この世界から別の場所へ移っていく者たちを何度も見送ったと、少女は言った。

 それだけの長い時間、崩れ行くはずのこの世界で、一度も地上の肉体に帰還することなく。

 

 ……ならばこの少女の正体とは、おそらく――――

 

「おじさんは何をしに来たの?」

 

 その問いの意味は、この場に来たことを指していない。

 俺がこの世界(ムーンセル)に上がってきた理由、それを問うている。

 

「そうだな……俺は止まってしまった世界を動かしに来たのだ」

 

「せかい?」

 

「皆が長らく止まっている。誰も前に進もうとしていない。

 新しきを求めず、同じ場所で留まり続けているのだ。それが楽だとたわけた理由でな。

 俺はそれが許せなくてな。そんな皆を叱ってやりたいのだ」

 

 俺の返した言葉に、少女が反応を見せる。

 納得がいってない、俺の主張を受け入れ難いと反発を見せている。

 

「けど……同じ所に居れば、辛いこともないよ」

 

 そして、俺に対して自らの言葉で反論すらしてみせた。

 

「この"ふしぎなせかい(ワンダーランド)"に居れば、ありすを苛める人はいないから。

 色んなご本を読んで、お人形で遊んで、お茶会をするの。

 そうやっていれば、苦しいことはないから。そう思うことは、いけないことなの……?」

 

 その言葉は、単なる楽を求める心から出たものではない。

 この少女は平穏の尊さを知っている。それがどれだけ得難く価値あるものかを。

 そこには多大な不幸があったのだろう。その果てに手にした安寧だからこそ、重さは計り知れない。

 

 だが――――

 

「そうだな。新しきを求めるということは、良いことばかりではない。時には悪いことに繋がる場合もある。

 あるいは俺が指し示す先は、とても恐ろしい場所に通じているのかもしれん」

 

「……あたし、こわいのは嫌だよ」

 

「ああ、当然だ。恐れが好きな人間などいるものか。

 辛いのも怖いのも避けたい、人であるならば当然そう思うだろう」

 

「おじさんも?」

 

「もちろんだとも。俺にだって恐怖はある。辛い思いなどしたくない」

 

 そう、人であるなら恐怖はあるべきものだ。

 苦痛への恐れ、未知に対する畏怖。それらがあるからこそ俺の愛するものは輝くのだから。

 

「本当に強い者というのはな、恐れを知らない者ではない。

 恐怖を捨てたなどと嘯く輩は、その道理がわからん阿呆よ。弱さはないかもしれんが、強さまでも捨てている。

 真の強さとは、恐怖を抱いて尚、それを乗り越えて先に進める者を指す。つまりは勇気だよ」

 

「勇気?」

 

「それこそ俺の信じる強さだ。そしてその強さを、おまえもまた持っている」

 

「ありす、が?」

 

「ここに留まる限り、おまえは何にも脅かされることはない。それも1つの安寧と言えるだろう。

 だが同時に、変わるものもない。 本の物語(ストーリー)をなぞるように、同じ風景だけが繰り返される」

 

「おまえとて気付いていたのだろう。このままではいかんと。だからこそ変わり行く世界を、こうして眺めていた」

 

 この少女にも立ってほしいと思う。

 その有り様はまるで亡霊だ。永劫の安寧に閉ざされている。

 心はこの場にあるというのに、動いていない。今のままでは光は永遠にやってこないだろう。

 

 しかし、光は潰えたわけではない。

 自閉に篭るばかりでなく、世界に関心を向けるのなら、それは兆しに他ならない。

 

「我は人であり、彼も人。そこに同一の者はなく、また同一で在り続ける者もいない。

 時と共に人は変わり、新しい価値を築いていく。中には失敗し、辛く苦しい時もあるだろう。それでも求める意志さえ捨てなければ、築かれる価値は必ずある。

 それこそが生きるということだと、俺は思っているよ」

 

 たとえ、その存在が如何なるものだとしても。

 世界に繋がってさえいれば、結末がどうであれ心が残せる価値はあるはずだ。

 俺はそう信じている。だからこの少女には、手向けの助言を贈ってやりたい。

 

「自身の望みと向き合え。その心が願うものが何なのか。

 それが何かを知ったならば、あとは一歩を踏み出す勇気を出せばいい」

 

「ありすには、難しいことは分からないよ」

 

「なに、簡単なことだ。ただおまえのしたいようにすればいい」

 

「……それで、いいの?」

 

「そうだ。それだけでいい。そして何より大切なことだ」

 

 言葉にすれば容易いこと、今の世界に実践できている者がどれだけいるか。

 己自身を誤魔化して、管理の箱庭の中にあって与えられた安寧こそ望みだと錯覚する。

 そこに真実の光はない。人のあるべき輝きを曇らせていくばかりだ。

 

「心が感じたままに素直に動け。欲するものがあればその感情に従うのだ。

 誰かの指図ではなく、自らの心によって決断するのだ。それでこそ魂は輝きを放つだろう」

 

 己の未来を二分する重大な決断を、他人に委ねて偽りの安堵に浸る。

 この少女にはそうあってほしくない。本当の勇気を抱いてほしいと願う。

 そうしてこそ、その存在には再び、命の灯火が宿るに違いない。

 

「今は、まだいい。その決断は、俺が促して果たすべきではない」

 

 立ち上がる。

 この先は彼女の試練。彼女自身で築く道だ。

 これ以上留まる選択肢はない。俺もまた、自らの試練に戻るとしよう。

 

「だが、もしもこの先、その心に触れるものがあれば、勇気を出してほしいと願っているよ。

 おまえは強い子だ、ありす。おまえならばきっと、何かを築くことが出来る」

 

 こちらを見上げる頭を撫でてやる。

 小さいその感触は幼く儚い。だが少女(ありす)は確かにここにいた。

 

 少女に背を向け歩き出す。

 この世界の出口、校舎1階のそこを目指して、迷いなく歩を進め――

 

「おじさん」

 

 そう呼びかける声に、最後に一度だけ立ち止まった。

 

「ありがとう」

 

 その御礼は何に対してのものか。

 意図は分からない。それでも振り返って見た少女の顔には、先ほどまでにはなかった活力が見て取れた。

 

 ならばそれは喜ばしい変化なのだろう。俺はそれに笑みを浮かべて応えた。

 

「……しかし、おじさんか。これでも未だ、青いと言われている身なのだがなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れた世界の境目。

 無数のブロックを切り抜いたような空間の穴は、そう形容するのが相応しい。

 

 無限の情報の海を潜り、世界の先を目指す。

 俺に従い共に歩みを進めるのは、1体の人形(ドール)

 これがこの先、俺にとっての剣であり、盾となるもの。

 声なき声の指示に従い、俺は人形を連れてひた歩く。

 

 たどり着いたその先は、まさしく異界だった。

 床や壁などの地形は元より、空気、気配に至るまで何もかもが違う。

 形容するなら地下迷宮(ラビュリントス)か。いつ牛頭の怪物(ミノタウロス)が襲ってくるか知れない、そんな覚悟が試されている。

 

 そんな俺の予測を否定するように、虚空から声が掛かった。

 説明が入る。この世界のこと、その進め方、対処法についてなど。

 立ち塞がる敵性情報(エネミー)も、試練と呼ぶには程遠い。

 これは謂わば入門部分(チュートリアル)か。あくまでこの先の戦いを理解させるためのもの。

 

 当然といえば当然の措置だろう。

 この戦いがムーンセルにとっての観測対象(トライアル)だというのなら、条件は五分でなければならない。

 これはその均一化。知る者と知らぬ者、それらを統合する作業に過ぎない。

 ゆえに、この物足りなさも仕方ないといえば仕方ない。

 

 異界を進み、程なく俺は最終地点(ゴール)と思しき場所へと辿り着く。

 空気が重い。そう感じさせる荘厳さ。そこは御霊の眠る霊柩を思わせる。

 

 ――死者の眠る場所とは、言い得て妙である。

 静謐さだけではない。周囲を見渡せば、無数に転がる死体の群れ。

 確信する。やはりここが終着点。闘争に挑むための、最後の関門に他ならないと。

 

 死体の横、共に転がっていた人形(ドール)の1体が起き上がる。

 武器を構え、こちらに戦意を向けるのは明らかな敵のそれだ。

 これが試練。同格の相手との対戦。俺は了承し、後ろに控えた己の人形(ドール)に指示を出す。

 

 

 ――――刹那、()()より振り下ろされた刃を、軍刀を抜き放ち受け止めていた。

 

 

 俺を襲った凶刃の正体。

 それは他でもない、俺の剣であり、盾であったはずの人形(ドール)だった。

 意思なき人形の突然の叛意。その事態に混乱する暇もなく、前の人形(ドール)も刃を振るってきた。

 

 槍のように突き出された人形の刃。

 鼻先に迫るそれを、軍刀を持たぬ拳にて叩き弾く。

 寸前で攻撃を逸らされた人形。間近にいるそれの腹に蹴りを打ち込んだ。

 飛ばされる前の人形。蹴りの反動を利用して身体を移動し、刃を交える後ろの人形を受け流す。

 

 2体の人形(ドール)を視界に入れ、俺は改めて事態を考える。

 武器だと言われた存在の突然の反逆。これこそが試練の内容なのか。

 否、だ。公平を期する試験にしては、これはあまりに悪意が過ぎる。

 正常の試験ではない。意図的な罠だ。何者かが不正を行い、悪意を持って殺しに掛かっている。

 

 考察に費やせた時間はそこまで。

 構えた2体が襲ってくる。こちらを挟むようにした動きは多人数戦の教本通り。

 同時にそれは隙のない、理に適った動きということを意味していた。

 

 軍刀を構え、まず向かうのは俺が先まで従えていた人形(ドール)

 斬り結んだその動きは、明らかに人の性能を凌駕している。

 選択する手段もその状況下で適切なもの。意思なき人形の行動に乱れはなく、故に崩れない。

 

 ――だが、それでも俺は、この人形(ドール)を脅威とは思わなかった。

 

 2手の斬り結びの後、突き出されてくる敵の刃に、対応する。

 選択した術式(コード)戟法(アタック)の"剛″。己の肉体に強化を施す。

 突き出された刃に対応し、繰り出す軍刀の一閃。その瞬間、俺は自らの剣の威力を10倍にまで引き上げた。

 

 理に従う意思なき人形への対処とは、これだ。

 機械を相手にはお決まりの手段だろう。つまり、敵の脅威予測を遥かに凌駕した攻撃をすればいい。

 

 先を取った刃を超越して、軍刀の一閃が人形(ドール)を両断する。

 残心し、即座に向き直った背後。2体目の人形(ドール)はすでに間近にまで迫っている。

 軍刀を戻すのは一手遅い。外套を翻して、振り下ろされた刃を絡め取った。

 無論、それだけでいつまでも抑えてはいられない。人形も絡めた外套ごと斬り裂こうと力を増してくる。

 

 瞬間、2発の弾丸が、人形の両脚の間接を穿っていた。

 

「俺の戦力分析の余地が少なかったのが仇だったな」

 

 必要だったのは一瞬の静止。

 創形(クリエイト)し、"射″で放った弾丸の2発が、人形の脚を潰す。

 

 動きを封じられた人形(ドール)に、もはや脅威はない。

 それでも意思なき人形は痛みも知らずに反撃するが、それだけだ。

 容易くそれを避け、構え直した軍刀で人形の首を斬り飛ばした。

 

 両断された人形(ドール)と、首を無くした人形(ドール)が崩れ落ちる。

 目下の敵はひとまず潰した。それを確認し、とりあえず一息を入れる。

 

 異常に気付いたのは、まさにその瞬間だった。

 

 地に転がる無数の脱落者(したい)

 彼等の横に転がっていた人形(ドール)。それが一斉に起動する。

 その数は10を超える。それらの刃が全て、こちらへと向けられた。

 

「……そういうことか」

 

 勝利を手にし、気が弛緩した瞬間を狙い定めた増援。

 一対多の戦闘において、一度に全てを出しても意味は薄い。1人に掛かれる数など知れている。

 より効率を求めるなら、逐次投入だ。相手の戦力分析を兼ねて、その意気までも消耗させる。

 効率的であり、冷酷な戦術判断。肉体だけでなく精神も追い詰める、徹底した漆黒の意志。

 

 このやり方、気配には覚えがある。

 手口の性質、そこに香った匂いとでもいうもの。

 

 幾度この命を狙われたことか。

 西欧財閥の暗部。ハーウェイに反逆する不穏分子を抹殺する私設部隊。

 その隊長格たる、あの"男″。ハーウェイの一族に連なる血筋でありながら、影に徹する暗殺者。

 

 この聖杯戦争に参加しているとすれば、あの"男″以外にはあり得まい。

 

「ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。ハーウェイの黒蠍か」

 

 ムーンセルの眼すら欺いた、ここまで大規模な不正アクセス。

 如何なる手段を用いたかは知らん。だがまともなものではないだろう。

 そう何度も出来ることではあるまい。ならばこの罠は、はっきりと俺を狙い定めたもの。

 奴の殺意が伝わってくる。この場で確実に、奴は俺を仕留める心算だ。

 

「……ハハ」

 

 なるほど、これは窮地だ。

 状況は多勢に無勢。敵の性能は人間を超えている。

 聖杯戦争における矛と盾。話に聞くところの英霊(サーヴァント)、これはその素体ともいえるものだろう。

 先の奇襲はもはや通じまい。戦力分析は更新され、今後もより手強くなっていく。

 俺には未だ英霊(サーヴァント)の存在はなく、不正が正される様子もない。案内役の声も今は答えない。

 考えるほどに周到な罠だ。見逃す余地など欠片さえ許していない。

 

 俺はいま間違いなく、絶体絶命の危機に陥っていた。

 

「アハハハハハハハハハ!!!」

 

 だというのに我が意志は、荒れ狂う炎の如く猛っている。

 

 この身体の震えはなんだ? 恐怖か?

 いいや、否だ。これは武者震い。試練を前に熱く燃える魂の躍動である。

 

 ああ、そうだ。そうだとも。そうでなくてはいけない。

 己の祈りを、渇望する悲願を懸けた戦い。容易いはずがない。容易いもので良いはずがない。

 力の限りを振り絞り、暗殺、謀略の手段さえも駆使し尽くして、我々は天の頂きを目指す。そこに妥協はあり得ない。

 

 激突する意志と意志、その果てに錬磨され、到達した意志にこそ素晴らしい輝きが宿ると信じているのだ。

 

「さあ、来るがいい。これしきの窮地で俺が滅ぶと思うなら、そんな惰性は叩き斬ってやらねばなるまい」

 

 そう、この程度ではまだまだ不足。

 群がるのは意思なき人形。こんな相手どもでは俺の魂は震えない。

 こんなものが窮地だと? これしきの劣勢など試練にも成りはしない。

 俺が向かうべき闘争の場はこの先に。ならばこんな所で足踏みなどしていられるものか。

 

 軍刀を振るう。人形(ドール)の刃が迫る。

 周囲に群がる英霊の素体ども。だが所詮は魂の吹き込まれない木偶に過ぎん。

 俺は倒れん。これは確信だ。この程度の輩にくれてやる命はない。

 進むべき未来は見えているのだ。敗北の結末など断じて容認しないし見えてもいない。

 身体に力が漲る。振るう刃は尚速く、受ける力は尚強く。猛る意志のままに、俺は戦いに専心していく。

 

 

 "そなた、随分と愉快そうじゃのう"

 

 

 その最中、声が聞こえた。

 先の案内役の声ではない。女の声だ。

 

 "懐かしき鉄火の匂いに引かれ、こちらから出向いてみれば、なんぞ愉快に舞う者がおるわ"

 

 "答えよ。そなた、なにをそれほどに愉しんでおる?"

 

 いまだ戦闘は継続している。

 一手の油断が死に繋がる。そんな紙一重の攻防の最中。

 

 声の主はそのことに頓着していないらしい。

 死線を踏破し続ける俺に対して、単純な好奇心で問いかけてくる。

 死んだなら所詮それまで。好奇と共にそんな無情さが伝わってきた。

 

 "生来の戦好きか? 血沸き肉踊る修羅場で悦に浸るか? それがそなたの源泉か?"

 

 こちらの都合などお構いなしの、尊大な声。

 どこまでも不遜。死闘の最中であろうが容赦なく、その価値を見極める眼光。

 死地の試練こそ価値を知るのに最適と言わんばかりに、苛烈ながらも公正に満ちた王意。

 

 ――そこに俺は、理屈もないまま惹かれていた。

 

「違うな。俺は戦いが好きなわけではない」

 

 ゆえに俺も答えよう。

 死地にある己の現状にも構わずに、意識は声の方へと。

 

「手にすべき目的のため、乗り越えねばならん試練がある。

 それに屈さず立ち向かう心、その信念、勇気、覚悟」

 

「人の価値とはそこにある。試練に挑むその過程を経て、人は新たな強さを得る。放つ光は一際強く、錬磨された意志はより先へと。

 それこそが人の歩み。歴史に刻みつけてきた進歩の姿。その輝きこそ何よりも愛している」

 

「この試練の果て、我が魂が錬磨されるならば喜んで挑もう。それが人の在るべき姿だと信じてるのだから」

 

 円形の空間を囲むステンドグラス。

 その内の一つ、俺が向いた正面に位置するその先、声の主へと堂々と宣してみせた。

 

 "ならばそなた、望みを申せ。言うところの試練の先、万能とやらに至って何を為すつもりか?"

 

 光の幕を間に挟み、声が俺に問うてくる。

 この月に上った理由は、万能の釜に託すべき祈りは何かと。

 

 迷いはない。何一つ臆することなく我が祈りのカタチを宣言した。

 

「俺はこの世界に問い掛けたい。停滞し、安寧のままに腐れ落ちようとする人々に対して」

 

「おまえたちは誇れるのか、歴史を築いてきた先人たちに、未来を託すべき子孫たちに。

 今の世界は素晴らしい、希望に満ちていると、胸を張って言えるのかと」

 

「袋小路に陥った世界。進歩を放棄し緩やかな惰眠の如き幸福に包まれて、人間はここまでで満足だと――――否ァッ!!!」

 

 そんな結論は許さない。断固として拒否する。

 それが人々の総意だというなら、そんなものはクソくらえだ。

 腑抜けきり、木偶になった人類。ならば俺が、彼等の目を覚まさせるまで。

 

「だから俺は、この世界に試練を課したいッ! 抗うことを忘れた人々に、今一度の機会を与えよう。

 眠った勇気を取り戻すため、相応しい舞台を築くのだ。災厄、難敵、立ち塞がる壁、それを世界に現出させる」

 

「輝く者が光を取り戻し、天上にも届く意志で以て築かれる新たな世界。俺の求める楽園(ぱらいぞ)である!」

 

 我が胸にある真実の悲願、偽りなき思いをここに示す。

 たとえ狂気と呼ばれようと、俺はこの祈りを譲る気はない。

 この意志さえ上回る輝きでない限り、断じて退かぬと豪語しよう。

 

 "――ク"

 

 "クハハハハハハハハハ!!!"

 

 大笑。

 心底から可笑しいと、何も繕うことのない笑い。

 声は、先ほどよりも近づいている。

 

 "世のため人のためと義心を持ち、乱世を鎮めんとする輩"

 

 "己が成り上がる欲を秘めて、乱世を求めんとする業突ども"

 

 "どれも吐いて捨てるほどに見飽きた奴輩じゃ。だが世と人のために乱世を起こさんとする大義など、わしにもてんで覚えがないわ!"

 

 声音だけで伝わる、人を超越した強大なる我意。

 これほどの自尊を以て君臨できる者ならば、それは"英雄"と呼ぶ以外にないだろう。

 

 この声の主こそ、英霊(サーヴァント)魔術師(マスター)の剣となり盾となりて運命を共にする、人類史にその存在を刻んだ英傑たちに相違ない。

 

 "大層なうつけものよ。まともではない。これほどの気狂いは戦国の世にもおらなんだわ"

 

 "――が、故にこそ、面白き哉"

 

 彼女こそが、俺の祈りに応えて降り立った英霊(サーヴァント)であるならば。

 俺もまた問わねばならないだろう。その真偽のほどを、俺自身の声で。

 

「俺の名は甘粕正彦。我が祈りは語った通り、悲願を抱いて聖杯へと至るべく推参した」

 

「問おう。おまえこそ、我が祈りを汲み取った英霊、聖杯により選定された同胞であるか否か?」

 

 光の先に、問いかける。

 この問いこそ重要だ。契約はここに成される。

 欲するのは形式の関係ではない。俺の願いを知って尚、手を携えられる戦友であるのだから。

 

 

「――――是非に及ばず」

 

 

 刹那、空間に鳴り響く無数の銃声。

 絶え間ない轟音に晒されて、下される洗礼は銃弾の雨。

 ステンドグラスを粉砕し、空間を圧殺する銃撃は存在した総ての人形(ドール)を悉く打ち砕いた。

 

 周りを人形(ドール)の残骸に囲まれて、俺はその姿を目の当たりとする。

 連想されたのは大火。古く腐りきったものを灰燼に帰する火炎が如き在り方。

 焼き尽くしたその上に新しき価値を築いた革新者。その有り様が形を成した"少女"の姿。

 

弓兵(アーチャー)のサーヴァント、織田信長。召喚の依りべより、推参した。

 盟約をここに交わす。大うつけもの、乱世を望むそなたの覇業、この"革新の王"が付きおうてやる」

 

 手に生じる熱さ。

 刻まれる聖痕。英霊との契約の証。

 3画のみの奇跡にして参加証。『令呪』を得て、目の前の契約者へと向き直る。

 

 小柄な体躯。艶やかな黒の長髪を流す、少女の姿。

 だがそのような容姿でも、内より溢れる絶大なる覇気は隠しきれない。

 身に纏う漆黒の鎧、靡かせる血のように赤い外套、腰に刀を差した姿は紛れもない戦装束。

 俺はその真名()を知っている。乱世を駆け抜けた覇王の名、我が祖国に並び無き大英雄。

 

 ……ああ、まるで時間が止まったようだ。

 

 言葉が出ない。

 何を言っても陳腐に思える。

 伝え聞く過去の偉業も、どうでもいい。

 目の前に、居るのだ。その意志で以て大業を成した英雄が。

 もはや語るまでもない。目にして分かる覇気の質量、矮小な身に満ち溢れる王の大器。

 その声が、立ち振る舞いが、総てを物語っている。これぞ英雄、真なる人の価値の具現であると。

 

 

 ――――その輝きの美しさに、俺は心底から見惚れていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泥濘(ぬかるみ)の日常は燃え尽きた。

 魔術師による生存競争。運命の車輪は回り始める。

 

 目的を持った旅路。不断の意志にその航路は紡がれる

 生存の為の搾取。繁栄の為の決断。隣人、肉親でさえ、競い合う相手である。

 それが本質だと認めよう。その上で尚、人には価値があるのだと断言できる。

 

 君に贈るべき言葉はない。

 君はすでに、総ての解答を獲得している。

 であれば、祝辞を。在るべき世界の縮図である闘争、その光が虚ろうことのないように。

 

 

 ――――"光あれ"、と。

 

 

 




 このEXTRA編でのアマカッスは、

 『魔王成分:薄め 勇者成分:増し増し』

 でお送りしております。

 とりあえず、今回の話を書いていての一言。
 ガトーの口調って再現しずらいです!
 あの闇鍋宗教論とか、何気に知識を要求してきて大変でした!
 山場となるキャラなので序盤から出しましたが、これは覚悟が要りますね。

 次の更新からはしばらくCCC編を進めます。
 EXTRA編を先にやるのは変わらずですが、その前にCCC編の舞台背景だけでも出しておこうかと。
 導入部のみで放置はどうかと思いますし、ゲーム的にいえば体験版みたいな感じで。
 

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