もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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 Fate/Labyrinth発売記念!
 小説の内容から、突発的に思いついたネタです。



幕間:根源の少女

 

 ――沙条愛歌は夢を見る。

 

 光の届かない暗黒、誰の手も触れ得ざる深き場所で。

 目覚めの刻を待ち焦がれる。愛しき人の願いを叶える杯、その器が満ちる刻を。

 其は、人の想いを溜めるものにして、此岸ならざる彼方より来たる"何か"を導くもの。

 あらゆる奇跡を成就する是れを所有し、母の如く慈しみながら守る少女。

 

 少女は、根源の姫(ポトニアテローン)

 全能なる少女。少女のカタチをした全能。

 束の間、微睡みの中で見る夢は、何かの意義があってのものではない。

 元より、その気になれば休息さえも必要の無い身。人体が必要として行うまっとうな眠りなど、それこそ意識しなければ行えようはずもない。

 

 それは、ふとした気まぐれ。

 理由などただそれだけ。待っている間に思いついただけなのだ。

 ただの人間のようにそうしてみよう、と。何をも成せる全能が、未知なる何かを求めて。

 意識は肉体を離れ、無意識の果ての深淵さえも越えて、少女は思うがままに夢を見た。

 

 竜を見た。

 永い永い時をかけて誰かを待ち続けるモノ、孤高なりし優しき竜を。

 少女は思う。綺麗な竜ね、と。

 竜は応えない。彼は変わらず、誰かの事を待ち続ける。

 少女もそれ以上は触れようとせず、意識はまた異なる夢を見始める。

 

 光を見た。

 世界の表裏を繋ぎ止めるただひとつのモノ、最果てにて輝ける光を。

 少女は思う。綺麗な光ね、と。

 光は応えない。光は光のまま、楔として存在し続ける。

 少女は思わず手を伸ばして、その光に触れてみようと試みた。

 

 誰かを見た。

 それは宇宙の暗黒のようでもあって、輝きの窮極のようでもあって、全ての中心の渦のようでもあって、また生活感のない小さなワンルーム・マンションに住まう少女にも見えた。

 誰かは言った。そいつは駄目だ、ここに置いていけ、と。

 思わず光に触れかけた手を止めて、少女をまた異なる場所へと押し出した。

 

 彼女と出会った。

 想い人と同じ、けれど違うその人。

 そこでの少女は少女ではなく、それでも少女は少女のままで在って。

 それは束の間に見た幻のようなモノ。まさしく夢の中で見るあり得ざるひと時。

 全能であるはずの少女が全能でなく、それはとても不便で、だからこそ面白くて。

 愛しい彼と同じだけど違う彼女。そんな彼女たちと共に過ごした『迷宮(ラビリンス)』が、彼に申し訳なく思えるほどに楽しくて。

 誰かと力を合わせる事。そんな当たり前の、けれど全能の少女には何より難しいそれを学び、自分だった少女には最期の餞別だけを残して、全能はその世界を後にした。

 

 そして、少女は最後に男を見た。

 熾天の御座にて人々を待ち侘びるモノ、災禍の試練を顕現させる魔王を。

 少女は思う。とても大きな人ね、と。

 男の大きさは他者からあまりに隔絶していて、全能たる少女をして見上げるほど。

 例えるなら、雄大に広がる天地を貫いた大霊峰。世界さえも突き崩して屹立する破格の魂。

 どこか見惚れるようにその姿を眺めて、少女の心には興味の感情が芽生え出していく。

 

 その時だった。

 

 

「おい」

 

 

 男は応えた。少女の好奇に、男もまた同じく興味を持って。

 男は強い意志を持っていたが、同時に刹那的で我慢弱い性質でもあった。

 気まぐれで世界を巡る少女と同じく、男もまた面白そうな何かを目にして、手を出さずにいられるほどの利口さを持ち合わせていなかった。

 

「何者か知らんが、興味があるのなら堂々と正面から来いよ。覗き見るだけではつまらんぞ」

 

 男の意識が、少女のいる場所へと干渉してくる。

 惑星が生み出す重力に囚われたかのように、少女の精神が男の元へと落ちていく。

 抗いがたい波動の質量。地平も時間も世界線さえも越えて、魔王の掌は誰も逃がさない。

 

 そうして沙条愛歌は、否応なしに月の舞台へと降り立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その世界は、果ての果てまで拡がって、けれど箱庭のように閉じた所だった。

 

 気付けば、夢の中の精神のみだった愛歌が、生身の肉体を得ている。

 いや、正確には生身だと錯覚するほどに精巧なカタチを得た精神をだ。愛歌もそれは理解していたが、身体を通して受け取る情報の多さには素直に感心していた。

 ここはそういう世界なのだ。魂を物質化する霊子虚構世界。新世代の魔術師(ウィザード)のみに許される架空の現実。物質世界にも決して劣らない、情報と精神による世界である。

 

 周囲を見渡せば、映るのは水平線に浮かぶ墓標の群れ。

 澄みきって広がる空間。その天空に浮かぶ巨大な球体の物体。

 

 その物体の事を、愛歌は知り得ない。

 それでも、()()()。これは自分の知る"聖杯(モノ)"とは似て非なるもの。

 中身を視れば、まったくの別物だ。これは魂も呪いも必要とはしていない。一個として存在し、己一つで総てを補い、総てを為せる。正しく万能、他に依存などあり得ない完成品(アート)

 魂という燃料を必要とし、それを他所から求めなければならない"聖杯(モノ)"とは似ても似つかない。それでも、人の祈りを叶えるという願望器の側面、その意味では全くの同類だった。

 誕生から狂っていたあちらよりも、願望器の意義で問えばこちらこそ正当だろう。願いの意図を読み取って、正しくそれを達成し得る世界を『観測』する数理の聖杯。

 

 

 ――――其は、七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)

 

 

 ふと思案するのは、何より大切な"彼"のこと。

 これならばあるいは、もっと彼が望むカタチで、彼の願いを叶えてあげられるのでは――――

 

「ほう、これはこれは。何とも珍しいお客人だ。

 ともあれよく来た、歓迎しよう。何処の世界から訪れたお嬢さん」

 

 思いかけた愛歌の意識は、その声によって引き戻された。

 

 軍装を纏った偉丈夫。その格好はあまり場にはそぐわないものだったが、そんな異物感など吹き飛ばしてしまうほどに、彼という男にはよく似合っていた。

 敵意はない。男は常態のまま、むしろ友好的に振舞っている。それでも滲み出る威圧感は、彼という存在がどれほどに逸脱し、また危険な属性を秘めているかの証左だろう。

 愛歌もそれを"解って"いる。あらゆる総てを知る全能は、すでに魔王たる男の性質を見抜いている。好意を持って接してきたからといって、安心できる理由には決してならないという事も理解していた。

 

「改めて、自己紹介でもさせてもらおうか。俺の名は、甘粕正彦。

 過去にも世界の敵と称されてはいたが、今や文字通りの立場となった男だよ。

 世界に災禍の試練を顕象させ、人にあるべき勇気を取り戻してもらいたいと願っている。そんな男だ」

 

「あらご丁寧にありがとう。わたしは沙条愛歌というの。

 けど、エスコートの仕方はずいぶん強引なのね。わたし、びっくりしちゃったわ」

 

「不躾だったのは謝ろう。性分でな、面白そうなものには生来目がないのだよ。

 視線に気付いたのでね。吟味はせずとも、奇貨であるのは間違いない。どうあれ面白くなりそうであったので、考えるより先に捕らえてしまっていた」

 

「それならよく分かるわ。わたしも面白そうなモノを見掛けると、つい手を出してしまうもの」

 

 そのような男を前にしても、沙条愛歌は変わらない。

 全てを知り、全てを視ている。全知全能たる少女に不明はない。

 それ即ち、未知への恐れが皆無であるという事。魔王の如き男、甘粕正彦にしても、彼女はただ在るがままに、そのようなものだと受け入れていた。

 

「さて、不躾ついでだが、俺は一体何を話せばいいと思う?

 意味やら目的など考えもせずに手を出してしまったのでね。女性を招いたというのに、茶菓子の用意の一つもない。まったく汗顔の至りだよ。

 恥を偲んで尋ねるが、話題はあるかね? せっかくの客人を無下にはしたくないのだが」

 

「なら、あなたの事を聞かせてくださる? とても興味があるの。代わりにわたしの事もお話しするわ」

 

 そうして男と少女は語り明かす。

 各々の世界、各々の事情、各々が胸に秘めた想いについて。

 世界を跨いだ全能者同士、両者は警戒の二文字を忘れたように、気兼ねなく互いの内を打ち明け合った。

 

「物好きなのねぇ、何度も同じ戦いを繰り返してるなんて。

 飽きてはしまわないの? 参加してるのはいつも同じ人たちなのでしょう」

 

「いいや、まったく。誰であれ、聖杯戦争という試練を乗り越え磨かれた輝きは素晴らしい。俺に及ばなかったのは残念だが、それで価値がないわけではない。

 当初の段階では見所無くとも、幾度も苦境を越える中で彼らは確実に成長は果たしていく。サーヴァントを使役するこの戦いでは、当人の能力だけで勝負が決するわけではない。時には脆弱だった牙が強靭な剣へと化ける事もあり得るのだ。

 強さは不変性を持つものだがね。真逆に弱さは可能性を生むのだよ。弱者たればこそ、その過程には様々な変化が生まれる。そのような弱者の奮起に揺るがされた強者も、また然りだ」

 

 甘粕正彦は人の輝きを愛している。

 そこに貴賎はない。強者が相応の在り方を貫くのも、弱者が飛躍の成長を遂げるのも。

 それが確かな意志によるものならば、甘粕という男は等しく認めるのだ。誰よりそれを求める彼だからこそ、僅かな変化だとて見落とさない。

 

「覚えておくといい。変化がない、なんて事はないのだよ。たとえ同じ場所、同じ条件、そして同じ人間であったとしてもな。飽きる事などあり得んさ」

 

「そう。わたしにはよく分からないけど、そういうものなのかもしれないわね」

 

 沙条愛歌には、甘粕の語る変化が分からない。

 それは全能たる少女にとって、あまりにも矮小すぎるものだから。

 他人のどんな成長も、全知の認識からは外れない想定の範囲。それしきの誤差程度では、愛歌の心は動かない。

 

 だから、そんな弱者(たにん)の変化程度で歓喜を得られる甘粕を、少し羨ましいと思った。

 

「そちらこそ、愛しい男のため戦いに臨むとは、無垢な外見に似合わず、なかなか情熱的ではないか。恋を知った女は強くなるとはよく聞くが、なるほど真理だと納得するよ」

 

「ええ、ええ、そうよ! わたしのセイバー、わたしの王子様! 彼と出会ってから、わたしの世界は何もかもが変わったわ」

 

 それは咲き誇った大輪のように華々しく。

 僅かに見せた憂いなど吹き飛ばして、恋する乙女の熱情を謳い上げた。

 

「わたし、彼のためなら何でも出来るわ。聖杯戦争だってきっちりやり遂げてみせるの。お料理と同じように手際よく、下拵えだって万全に。目的のためでもセイバーに怪我をさせるなんて、そんなのわたし、絶対に許さないんだから」

 

 愛歌は信じている。恋する気持ちこそ、この世のどんな神秘よりもすごいものだと。

 父より教わった魔道の秘奥。あんなつまらないもの、比べる事さえ烏滸がましい。

 一目見た時から好きだった。何もなかった現実を、灰色だった世界を、たったの一瞬で色鮮やかに染め上げてくれた。

 まるで物語に出てくる白馬の王子様のよう。蒼と白銀を纏い、何より眩しい聖剣(ひかり)を携えて、あなたはわたしの元に来てくれた。

 

「わたし、運命って信じてるの。だって意図なんて無かったもの。わたしがそう望んだから為ったんじゃない。何も知らなかったのに、あの素敵な出会いはあったんだって。

 人が人と出会う事。きっとそれこそが奇跡で、運命なのよ。彼と出会うまでこんな気持ちは知らなかった。彼と出会ったからってこんな気持ちになるなんて分からなかった。こんなにもすごい事、魔術なんかじゃ絶対に出来ないでしょう」

 

 それはきっと、恋の魔法。

 魔術師の目指す到達点。この世に残った真なる神秘。世界をも変革する奇跡。

 ならばこれこそ、魔法と称するより他にない。少なくとも愛歌にとっては、他のどんな神秘よりも世界を変えてくれたものであったから。

 

「そうだな。運命に屈するなとは言われるが、それも行き過ぎれば我執となる。何事も我が意志が介在せねば気が済まんと、そう気負いすぎてもつまらんだろう。

 知らないからこそ、感動がある。まったく予期しないところで現れる出来事の衝撃、良きにせよ悪しきにせよ、それを天の采配だと表現する感性を、俺とて否定はせん」

 

 そんな愛歌の思いを、甘粕もまた肯定する。

 奇貨であるから評価するのではない。どれほど珍しかろうが有り触れていようが、そんなものは天上の裁定者の目には多いか少ないかの違いでしかないのだ。

 要は、その思いが本物か、掛ける意志に重さはあるのか。何処までも人として思いに殉じる姿勢、それこそが彼の愛する光である。

 

「しかし、ならばこそ邪推もするな。それほどの情熱でありながら、おまえはただ相手の願いを在るがままに肯定するだけなのかね?」

 

「? それの何がいけないの? 好きな人の願いを叶えたいと思うのは当然でしょ」

 

「ふむ、そうだな。例えばもしだが、相手が願いも何もかもを捨て去って、ただおまえと添い遂げる事だけを望んできたならばどうする?」

 

「え、ええっ!?」

 

 問われた全能の少女にあったのは、滑稽なまでに露わとなった動揺の姿。

 

「そんな、そんな事は、その、もしそうなったらとても嬉しいのだけど、やっぱり無いと思うし、その、困ってしまうわ」

 

 顔を真っ赤に染めて、しどろもどろに慌てふためいて。

 そこに全能者たる姿はない。少なくともその答えは、年相応の少女のものだった。

 

「相手を想い、その願いを肯定し尽くすのはいい。だが甘やかしてばかりでも伴侶足り得るとは言えまい。時には己の愛で、相手の願いごと染め上げてやるくらいの気概がなければな」

 

「そんな、乱暴だわ。そんなのは良くないことよ」

 

「何故だ? 恐喝、洗脳の類いならば邪道だろうが、純粋に愛深き故の変性ならば、それは十分に尊ばれるべきものだろう。

 少女性の恋心も捨てたものではなかろうがな。おまえも愛を知ったからには、もっと攻めに転じる強引さも学んだ方がいい。俺の知る愛に生きる女は、もっと独占欲に溢れていたぞ」

 

「そ、そう……。恋愛って、奥が深いのね」

 

 年相応。大人と子供。

 甘粕正彦と沙条愛歌。二人の会話はそのように見える。

 その談合は友好そのもの。現状で両者の間に、衝突を匂わすような気配はなかった。

 

「しかし、話を聞く限りその相手の男も随分と軟弱だな。男子として嘆かわしい」

 

 だが、その一言を皮切りに、空気が変わる。

 穏やかでさえあった両者の間、そこに亀裂が入ったと錯覚するほどの、明確すぎる気配の反転が認識できた。

 

「善性を重んじ、騎士道を奉じる者でありながら、身内にて行われる悪行には見て見ぬ振りをする。戦術としては正しいから、己たちの勝利に繋がるからと、迷いを抱えて徹しきれておらんのだろう。なんと女々しい、情けないな。なまじ外面が良いだけに、矛盾が浮き彫りとなっているではないか」

 

「黙って」

 

 その一言は、鋭く冷たく、これまでの愛歌にはない突き刺すような響きだった。

 

「あなたに彼の何が分かるというの?」

 

「分からんとも。ああ確かに、少々話を聞いただけでは、俺に価値を定める事など出来んさ。

 だがな、少なくともおまえに関する対応、それ一つにしたところで不純は見て取れる。下した評価は覆らんよ。

 故国救済のため、悪道にも手を染めると覚悟する。ああ、その決意は認めようとも。過去改変の云々についてはこの際抜きにするとしよう。理屈ではなかろうからな、その手の願いは。

 しかし、それならば徹するべきだろう。せめて己が咎を負うべしと、積極的に前へと出て行くべきだ。他ならぬ当人の悲願なのだからな。他所の地といえども、無辜なる民の血に心を痛めるならば、その業を背負って栄光を掴むのが英雄というものだろう。

 だというのに、聞くところその男、己では大して動いてないようではないか。やった事といえば、騎士の如く立ち合い、騎士の如く少女を救い、騎士の如く強大な敵と雄々しく戦ってみせる、か? そこにどれだけ男の意図が介在しているという。

 状況の大半が受け身、ほとんどがおまえによって用意された舞台ではないか。男はただ、そこで踊ってみせてるだけ。正道にも悪道にも徹せぬまま、まさしくその名の通りに、清廉な騎士らしくな。これを情けないと呼ばずしてなんだという」

 

 容赦なく非難する。明確に侮蔑する。

 この場にいない『彼』、沙条愛歌のパートナーに向けて、甘粕は罵倒の言葉を吐き続けた。

 

「おまえのやり方は、人の道に反するものだろう。だが同時に、聖杯戦争の道理でいうならば正しくもある。

 強者(サーヴァント)よりも弱者(マスター)を狙い、その関係者をも轢殺する事で禍根を断つ。魔力(たましい)が足りない故に、他者から持ってくるという発想も、魔道においては異端とも呼べん。むしろ基礎ともなる考えだろう。

 嫌悪を抱き、歪だと気付きながらも己の悲願と天秤にかけ、結局は否定せずに容認する。消極的な同意というやつだ。そんな様で誰に言葉が届くという。

 知っているか? おまえのように全肯定してくれる女というのは、基本として男から愛されやすい。そういう女は憎んで否定するよりも、肯定して愛でてやった方が都合がいいからな。ましてそれが見目麗しい乙女とあれば、肯定理由には事欠くまい。

 おいおい、これは悪い男に引っ掛かってしまったな。己だけは綺麗に振る舞い、汚れ仕事は女に任せ、成果だけは手に納める腹積もりとは。まったく大した王子様だよ。はははは、はははははは――――!!」

 

 そこまでが愛歌にとっての限界だった。

 

 空間が変わる。世界が侵食される。

 少女の激情をそのまま顕したかのように、変質した法則が獰猛なる牙を剥く。

 

 それは電子に再現された『魔術(キャスト)』にあらず。

 失われた理、もはや顕す事が無くなった正真正銘の『神秘』である。

 

 本来ならば、それは決してあり得ない。

 神秘の大本となるマナ、それは既にこの世界からは枯渇している。

 どのような魔術基盤とて、もはや枯れているのだ。神秘が神秘として顕れる事はない。それが世界の出した答えなのだから。

 

 されど、そう、()()()()()()()()

 唯一、この世に一人きり、沙条愛歌だけは世界と同格。

 彼女こそは全能。全能が少女のカタチをしたモノ。無二なる根源接続者。

 この世界に神秘がないのなら、有る世界から持ってくれば済む話である。

 

 顕現する暗黒。其は世界を抉るモノ。

 深淵より来たる無数の触手が伸びていく。

 英霊とて致死を免れない、男の有する権能をも破れるよう顕現させた破滅は、万象を見通す少女の確信をもって必殺を裏付けるものであり、

 

 故に、一閃をもってその未来を容易く越えてみせた男には、本当の意味で驚愕を顕わとした。

 

 解っていたはずの事象が、覆った。

 そんな事は知らない。こんなのは今まで無かった。

 単なる事実だけの力ではない。総てを知る沙条愛歌をして計り知れない何か。この男にはそれがあるのだと思い知る。

 

 抱いていた怒りさえ忘れて、愛歌は悩んだ。

 次の手段をどうすればいいのか、その判断がつかない。

 万能たる器には、用いれる手段はそれこそ無数にある。だが同時に、それもまた先程のように突破されてしまうのではという予感もするのだ。

 この感情を愛歌は知らない。とても強くて危なかった太陽の王を見た時とも違う。本当に、どうすればいいのか分からなくなるなんて初めてだったから。

 

「理解してもらえたかな? これが衝突だ。人が人と向き合うという事だ」

 

 そんな愛歌へ諭すように、甘粕は言葉を告げる。

 

「目の前には、己の意のままにならん他者がいる。除きたいと思っても敵うか分からず、あるいは反撃を受けるかもしれない。その恐怖、選択の先の未知を承知して、相手に対しどうあるかの答えを出す。

 人が人と交わるという事はな、元来そういうものなのだ。全能の少女よ」

 

 それは誰にとっても当たり前の事で、だからこそ沙条愛歌には何よりも難しいもの。

 少女は全知全能であるが故に、他者の事が最初から"解って"しまう。他人という存在が、彼女にとってはあまりに軽すぎる。

 相手が己と同じだとは知っていても、同列に考えるなどとても出来ない。それは傲慢ではなく、存在の根本から異なるが故の必定だった。

 

 しかし、甘粕は違う。

 沙条愛歌が全能であるが故に、万象を解する器ならば。

 甘粕正彦は全能ならざるが故に、万象を覆す可能性を持つ魔人である。

 その存在は少女にとっての未知、だからこそ甘粕は愛歌にとっての『他人』となれた。

 

「人は合理性のみで生きるのではない。時に不合理とさえ見える心の情動、その交差が不確実なる可能性を生み、未知を生み出す。

 情動とは心の内より現れるものだが、その心を育むのは外界からの刺激だ。初めは無垢だった純白の器は、様々な衝突を経て、多種多様な色彩を着色する。その混沌の果てに出来上がる心こそが個性であり、唯一無二の誰かとなる。

 だから人とは各々違う。世界に居るのは何十億という別の誰か、それと同じ数だけの未知がある。ならばこそ人は、一喜一憂の感動を味わいながら成長していく」

 

 それは人にとっての当たり前。誰にとっても平等なその道理を、人と等しからざる少女に向けて甘粕は説く。

 

「だが、始点から全知であったおまえには、色が色となり得ない。知ってはいても実感はなく、器は変わらず純白のまま。無邪気にして残酷な全能が出来上がる。

 言ったろう、強さとは不変性を持つものだと。誰よりも強かったおまえは変化そのものが不要だった。世に難事はなく、他者の誰もが見え透いていただろう。

 可哀想だな、沙条愛歌。その境遇には同情しよう。おまえにとって世界とは、さぞや刺激の薄い場所であったのだろうよ」

 

 人の成長とは、未知を既知へと変えていく作業である。

 ならば始点より全知であった少女にとって、人としての成長など有り得たのか。

 

 何を学んでも"識っている"。

 何を経験しても"解っている"。

 始まりと終わりの地点と繋がる少女には、過去も未来も現在も、全てが"視えている"。

 世の常識も生命の尊さも、少女にとっては儚い一時の価値。そんなものがどうして少女の心に触れられるというのだろう。

 

 かつての時分、沙条愛歌は亡霊のようであったという。

 今のように、屈託のない妖精の如き可憐さを示すようになったのは、彼女にとっての『王子様』との出会いを経た後だ。

 

「愛という想い、恋慕の情とは、なるほど素晴らしいものだ。奇跡と凶行、正負ともに凄まじい絶対値を叩き出すその感情こそ、人の持つ真価の一つであるのに相違ない。

 英霊という強力な個と、初めて知る恋の感情、2つの衝撃に晒されて、ようやくおまえという器は刺激を得たのだろう。

 他の価値の一切を擲って恋に殉じているのではない。おまえはただ、恋以外を知らないだけではないか?」

 

 沙条愛歌は変わった。恋を知り、少女の心は確かな成長を果たしたのだ。

 それは祝福すべき変化だろう。結果がどうあれ、人として意志の目覚めを遂げた。何よりもその意志こそ奉じる甘粕にとって、それは断言して言える事だ。

 

 だが、ならばその意志も強く輝かしいものであるかと問えば、そこは断言できまい。

 意志の発露と、その吟味は別の話。如何に若く瑞々しいその思いが、本当に果たされるかはこれから決まる。

 

「おまえという全能は純白だった。その器に、初めて他の色が流入したが故に、おまえは恋という色一色に染め上げられた。今のおまえは、要はそういう事ではないのかね?」

 

 よって甘粕正彦は問いを投げる。

 試練を司る裁定者として、少女の真偽を測るために。

 

「愛こそ全て、この思いは何よりも優先する。ああ、よく聞く言葉だ。別段珍しくもない。

 そんなものは誰もが抱き得る思いだよ。おまえだけが特別なのではない。単に全能という特質が加わっているから、規模が大きく見られがちなのだ。

 愛のためならば、誰とて持てる力を尽くす。ただおまえの場合、その手の届く範囲があまりに広く、それ以外の価値があまりに軽かった。これはそれだけの話だろう。

 全ては、おまえが『全能』であるが故に、だ。沙条愛歌だからではない」

 

 『全能』である少女。沙条愛歌を表す時、必ずやその言葉が付けられる。

 確かにその要素は大きい。無視できるものではないだろう。それほどに彼女の力は隔絶しすぎている。

 

 だが仮に、それを除いて考えれば、愛歌の行動とは異常だろうか?

 恋愛は誰でも出来る事だ。その想いに盲目的になる事も、等しく起こり得る事である。

 その無邪気な残酷性とて、特筆には値しない。()()()()()()()など、誰しも覚えのある事だろう。

 なんて事はない。もしも沙条愛歌の如き力を其処らの常人に与えたとしても、おそらくは似たような真似をやらかすのだろう。

 

「何かを代償とする行為は、その代償が重い価値を持つからこそ尊い。初めから頓着しない軽さしか持たんものを捨てたとて、そんな行いに何の意味がある。

 いかんな、それは。それではおまえの意志は輝かない。それでどうして、思いの尊さが証明されるという。試練がなくば、おまえ自身は全能の影に隠れたままだ」

 

 少女が知った恋の魔法。どんな神秘よりも尊く、少女にとってその価値は重い。

 ならばと、試練の魔王はそれを試す。魔道の秘奥も聖杯戦争も、少女にとっては容易すぎた。

 沙条愛歌にとっての真の苦難、その中で尚も貫く思いを示してこそ、彼女の恋は証明される。

 

「それさえ無いのなら、その存在に何の価値がある? 全能など、無垢に与えるには過ぎたものだ。そんなものは摘み取ってしまうのがよかろうよ。

 未知が欲しいのだろう? 全能の器にも衝撃を与える何かを求めて、微睡みの世界で揺蕩っていたのだろうが。案ずるなよ、これとて未知だ。

 失望はさせんと誓おう。諦めなければ思いは必ず叶うと信じているのだ。人の勇気は、神でさえも予測できない力を発揮できるとな。それは万能よりも尊いものだと」

 

 起ち上がる魔王の覇気。

 彼は本気だ。その言葉に偽りは微塵もない。

 目の前の男こそ、沙条愛歌にとっての試練である。甘粕正彦を越えなければ、彼女の思いは遂げられない。

 

 そこに愛歌が感じるのは、ただの怒りではない。もっと複雑な、自身でも形容しづらい感情だった。

 

 沙条愛歌は聡明な子だ。

 甘粕正彦の言葉の理、彼女はそれを理解している。

 威圧的で、極端がすぎる物言いだが、だからこそ正論しか口にしない。

 外れた価値観を持つ愛歌だが、そんな彼女にも理解できる。それくらい甘粕の語る言葉は分かり易かった。

 

「……そうね。もしかしたら、あなたの言う通りなのかもしれないわね」

 

 愛歌は認めた。甘粕の言葉に理があると。

 全能であるという沙条愛歌の大前提、その機能故にこれまでの行程は成り立っていたのだと。

 

「産まれた時からこうだったのだもの。今さら止めろと言われても困ってしまうわ。

 聖杯戦争だって、お料理みたいなものよ。きちんと手順の通りにやれば、その通りに調理できてしまうもの。途中でちょっとトラブルがあっても、冷静に対応すればそれで済むし。

 彼のために料理を振舞うのも、彼のために聖杯戦争を勝ち抜くのも、わたしにとっては同じようなものだわ」

 

 人より遥かに優れた知性は、己の行いとて当然ながら理解している。

 誰かを殺す戦争と、何かを調理する料理。その違いはもちろん分かっている。

 その上で、沙条愛歌には2つの間に差が無いのだ。どちらの行いも、全能たる少女にとっては容易すぎて、唯一無二の恋心と比較できる重さを有してはいない。

 

 『彼』のためにこそ少女は生きる。

 『彼』の心よりの願いを知り、それを果たすがために"すべて"を捧げると決めたのだ。

 そして一度決めたならば、それを成し得る『機能』が少女には備わっている。思いの熱量、善し悪しなど関係なく、暴虐なまでの能力でもって彼女は万事を成せる。

 

 何も怯むには値しない。畏れるものなど何もない。

 想うが故に慕うが故に、恋するが故に――否。

 ()()()()()()()()、少女の想いとは果たされているのだから。

 

「そう、そうなのね。これが怖いという事なのね。

 ええ、ええ。とても怖いわ。これでもしセイバーに会えなくなってしまうかと思うと、怖くてわたし、泣いてしまいそう」

 

 沙条愛歌にとって、それは初めての感情、未知なる衝撃だった。

 人は理解できないものにこそ恐怖する。甘粕正彦の持つ強さは、愛歌の理解を越えていた。

 豪語する信念のままに成し遂げる破格の意志。世界にさえ挑まんとする存在など、居るとさえも想像した事がなかったから。

 

 それはまるで、初めて『彼』と出会った時と同じように。

 想像さえもしなかった未知、揺れ動く心の脈動を確かに実感していた。

 

「でもね、わたしがこうなれたのも、やっぱり『彼』のおかげだから」

 

 だからこそ、彼女は沙条愛歌として、その心が出した解答を口にした。

 

「セイバーが好き。彼の事を初めて見たその時から。そして知れば知るほどに、彼の事を好きな気持ちが大きくなっていくの。

 わたしの王子様、ううん、わたしの騎士(ナイト)様。強いところも、綺麗なところも、優しいところも、欲張りなところも、みんなみんな大好きよ。

 あんな人がいるなんて知らなかった。こんな気持ちがあるなんて知らなかった。彼の事になると莫迦な子になってしまう沙条愛歌も、今あなたを怖いと思う沙条愛歌も、全部が彼と出会えた奇跡があったから、わたしは今ここに居るの」

 

 沙条愛歌は『恋』をしている。

 その一点、全能だろうがなんだろうが、否定できない愛歌の真実。

 いつだって心の底から、彼だけを思っている。

 

 彼のために全てを捧げるのだと決めた。

 それは嘘ではない。確かにこれまでの行程は、少女にとって容易すぎるものだったかもしれない。

 それでも、沙条愛歌は決めたのだ。この想いのために、世界をも引き換えにすると、世界さえも敵にまわすと。

 何が来ようが怯みはしない。歴史が焼き切れようが躊躇いはしない。ならば今さら、怖れに負けて立ち止まるなんてあり得ない。

 

「本当はね、知っているの。わたしがしている事を、彼が快く思っていないこと。

 あの人はエゴイストだから、本当はみんなを救いたがっているのよ。誰も彼も、彼の民もそうでない人も、ひょっとしたら敵さえも、彼は救いたい。

 そうね。もしわたしの世界の聖杯が、このお月様のようなものだったら、もっと彼が喜ぶやり方でしてもよかったのだけれど」

 

 寂しげに、少女はそう吐露する。

 想い人の気持ちを曇らせている。そう自覚してるが故に、そこには憂いもあった。

 

「でも仕方ないのよ。だってわたしの世界の聖杯は最初から"そういうもの"なんだもの。

 あれは何でもお願いを叶えてくれる、お伽噺みたいなふわふわしたものじゃない。人を救ってくれる綺麗な杯なんかじゃないの。

 彼の願いを叶えるためには、初めから代償が必要なの。とても大きな願いの分だけ、たくさんの代償が」

 

 聖杯。彼女が所有するそれは、ムーンセルとはまるで異なる。

 同じ名を冠してしても、本来ならば願望器の呼び名さえ偽りだ。あれは最初の段階から間違えている。

 曲がりなりにも願いを叶えるものとして機能しているのも、愛歌の手腕によるものだ。その愛歌にしたところで、根本的な存在意義まで変える事はできない。

 

「もしも本当の事を知ってしまったら、きっと彼は傷つくわ。彼が希望を託したものが、そんなものだなんて、きっと彼は悩んでしまうと思うの。

 彼は優しすぎる人だから、悩んで苦しんで、もしかすると自分の願いを諦めてしまうかもしれない。

 そんなのってないわ。彼はあんなに頑張ってるのに。許せるわけないじゃない」

 

 それは愛歌自身の意志。

 彼女が懸ける恋の情念が、彼の絶望を認めない。

 

「彼の事が好きだから叶えるんじゃない。わたしが叶えてあげたいから叶えるの。……うん、似てるけど、これはちょっと違うわね」

 

 だから沙条愛歌の行動は、彼女自身から生まれたものである。

 

 沙条愛歌の所業の全ては、契約した英霊の勝利へと繋がっている。

 全ては彼のためなのだ。抱いた恋心に殉じて、彼女は純粋にひた走っていた。

 

「彼が悩まないように、最初からそんな風に振る舞えばいい。わたしなら別に苦しまないし、それに一度始めてしまえば、彼も踏ん切りが付くと思うの。

 セイバーが救いたいもののために、わたしが全部を殺す。わたしをくれた騎士様に、今度はわたしが全部をあげるわ。どんな願いだって叶えてみせる。

 これがわたしの想い、わたしが彼にあげるもの。彼がきちんと自分の国を救えるように、そのためならわたしはなんだってしてみせるわ」

 

 その様は、妖精のように可憐で、女神の如く光を纏い、そして全能者に相応しく傲慢だ。

 世界の全てさえも代償にする少女の想い、それは断じて正義ではあり得ない。

 ただ、強い。沙条愛歌の想いには一点の妥協も偽りもありはしない。

 純粋であるから強く、唯一であるから重い。恋に懸けるその情熱は、紛れもなく沙条愛歌であるが故のもの。

 

 譲れない気持ちがあるからこそ、少女は戦える。

 怯まない。畏れない。恋の魔法が掛かった女の子は、どんなものよりも強いのだから。

 

「よく分かった」

 

 よって、人の意志を奉じ、その強さこそを愛する魔王は、少女の思いを祝福する。

 それがどれだけ狂い、悪逆に満ちていようと、確固とした勇気を持つのならば、甘粕正彦にとっての人の輝きに相違ない。

 

「ならばその思い、見事に貫いてみせるがいい。俺はその姿を寿ごう」

 

 少女の身が浮かび上がる。

 それは宙にという意味でない。沙条愛歌という存在がこの世界から浮上していく。

 世界の狭間を揺蕩っていた少女の精神を、在るべき場所へと還すように。

 

「ここにおまえにとっての試練はない。元居た世界、本来の当事者たちに向けて、思いの如何を問うがいい。

 世界を捧げるというのなら、それに抗い、否定の意志を口にするのも、その世界の者たちであるべきだ。いつまでも微睡みの中でふらついているものではないぞ」

 

 そう、少女にとってはこの世界も所詮は夢。

 彼女が立ち向かうべき現実は別にある。そこにどれだけの出会いと面白みが溢れていようと、夢の出来事が現実以上の重みを持つ事はないのだから。

 

「……そうね。とても楽しかったけれど、わたしもそろそろ夢から覚めなくてはいけない頃よね」

 

 沙条愛歌は帰還する。彼女自身の現実へと。

 愛歌の恋心は本物だ。しかしそれだけでは思いが成就するかは分からない。

 恋愛とは、一方通行の身勝手な感情ではない。伴侶たる相手と共に育むもの。いつだって愛を懸ける物語で試練となって立ちはだかるのは、意中の相手自身である。

 

「その男も、今はどうやら燻っているようだが、いずれ答えを出すだろう。

 その男が真に英雄であるならば、不純な己を良しとはすまい。人類史に偉業と名を刻んできた彼らの意志を、俺は尊敬と共に信じているからな。

 恐らくはその時こそがおまえにとっての――――いや」

 

 言いかけて甘粕は、途中で考えを改める。

 沙条愛歌は全知全能。およそ彼女の認識が届く範囲で知り得ない事はない。

 ならば彼女にとっての未知の要素、試練となって突き付けられる存在とは、むしろ。

 

「不変なる強者である少女よ。最期におまえの道を阻む何者かは、おまえが認識しようとさえも思わない、凡俗の中より生まれるかもな」

 

「え?」

 

 その指摘には、愛歌は本気で解らないといった風に首を傾げた。

 

「強さが不変性であるならば、弱さこそが可能性だ。沙条愛歌、全知たるおまえにとっての真の未知とは、その可能性こそがそうだと俺は思う。

 ああ、もしかするとそれは、既におまえのすぐ身近にいるかもしれんな」

 

 言葉の意味が、愛歌には解らない。

 解らないが、しかし、指摘を受けて思い当たるのは、一人の小さな少女の姿。

 

 沙条綾香。

 自分によく懐いてくる、自分の妹にあたる娘。

 認識としてはそれくらい。不快ではないが特別でもない、その程度の重さ。

 そんなに懐いてくれるのなら、特別にきちんと使()()()()()()()かと、それくらいの扱いだ。

 

 あの子が、自分の思いを阻む者となる?

 正直、まったく実感が沸かない。想像してみたが、まるで絵が浮かんでこなかった。

 どう見ても、あの子にはそんな力はないはずなのに、それでどうやって自分に抗うというのだろう?

 それが可能性だというなら、確かにそれは未知であるが、どうしても信じられなかった。

 

「まあ、そう気にするな。こんなものはただの予想だよ。未来を定めるような予言の類いではない、益体のない妄想にすぎん。

 未来とは然るべく訪れるものだ。あらかじめ定められ、足跡を辿るだけのものでは断じてない。未来を決めていくのは、あくまでも当人の意志次第だろう」

 

「――そうね。ええ、その通りだと思うわ」

 

 どこまでも意志を信じる甘粕の言葉に、愛歌もまた頷く。

 偽りなき万能の力を持ちながら、決して己の行く末だけは見ないと誓いを立てる少女は、男の言葉に心からの同意を示していた。

 

「それじゃあね、変なオジサマ。色々言われたけど、話せて楽しかったわ」

 

「ふはははは、またしてもその呼称か。まったく少女というやつは容赦がないな!」

 

 気兼ねのない言葉を交わし、全能と魔王は別離する。

 

 これより先、異なる世界の二人は交わらない。

 世界の脅威たる超常の異端者。彼らは各々の世界で敗北を喫する事になる。

 強者ならざる者、可能性に満ちた弱者の手により、不変の頂点は崩れ落ちるのだ。

 その結末は、まだ先の話。聖杯戦争の勝利者たちは、遥かな頂きにて来たる時を待ち詫びる。

 

 ――幕間に、数多の夢の情景を、その瞼の裏に映しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ねえ、聞こえていて?

 

 わたしのセイバー。

 わたしのアーサー・ペンドラゴン。

 

 わたし、あなたがいない『世界』で、とてもすごい人と出会ったわ。

 わたしと近い所にいるのに、わたしとは違うモノ。

 見れば、びっくりするくらいに幼くて、外見は立派な殿方だったけど、中身は子供みたいに我が儘なとんでもない人。

 その我が儘ついでに連れ攫われて、わたし、とても怖い思いもしてしまったわ。

 

 でもね、それだけではなかったの。

 あの人はとても怖かったけど、とても分かり易い人だったわ。

 純粋で、真っ直ぐで、わたしじゃなくてもすぐに解るくらいに。

 そんな思いで、まるで殴りかかるように向かってくるものだから、わたしもつい、自分の気持ちをはしたなくも明かしてしまったの。

 

 強い人。

 そうね、きっと彼は強い人だわ。

 稚拙で、愚かで、直情的な思いだけの勢いで、走り出して何処までも行ってしまう。

 そう、まるで人間だったわ。人間そのままだったのに、びっくりするくらい強かった。

 彼のような人は、きっと誰よりも強いのね。わたしよりも――もしかしたら、あなたよりも。

 

 ごめんなさい。

 決して目移りしたわけじゃないの。

 わたしには、あなただけなの。本当よ。

 沙条愛歌はあなたに恋してる。ええ、それは絶対に間違いないこと。

 あの人と話して、それを改めて実感できた。あなたの事をひどく言われて、かなり怒りもしたけれど、そのことには感謝しているわ。

 

 それにね、また収穫もあったの。

 あの『迷宮』での時と同じ、またひとつ学んでしまったわ。

 今までなら思いもしなかった、体験してから初めて解る、素敵な事。

 

 

「――――諦めなければ、いつか必ず想いは叶うんですって」

 

 

 ええ、勿論、わたしなら大丈夫よ、セイバー。

 わたしはちゃんと頑張るわ。頑張ってあなたの『故国(ブリテン)』を救ってみせる。

 わたしは決して諦めない。あなたと出逢えた奇跡を、あなたの願う救済を、無為なものになんて終わらせない。

 

 だから、そう、たとえ殺されたって、沙条愛歌はこの恋を諦めないわ――――!

 

 

 




 フラグメンツを読んでいて、ふと思いました。
 本当に、この子には対等な相手というのがいなかったんだろうな、と。

 純心にして、残酷。
 他人からは狂ってみえるけど、想いそのものに偽りはなくて。
 善悪でなく、立ち位置からズレている。そんな物悲しい印象を受けました。

 今回の話は、そんな感想から考えて書いたものです。

 甘粕と愛歌って、設定でみると同格っぽいんですよね。
 邯鄲攻略者と根源接続者。違いとしては、後天性か先天性かの差異。
 戦闘の実力云々は別にして、存在としては同格っぽい。だからこそ全能の少女とも、人間として対等に話せると、そう思った次第です。

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