もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

11 / 42
最終幕(下)

 

 繋がり(ライン)を通して、四騎(みんな)の勝利が感じ取れた。

 

 甘粕正彦が使役する神霊たち。

 どれも恐怖を覚えずにはいられない極大の災禍だ。

 本来ならば格が違う。英霊といえどその差は覆し難いものがあったはずだ。

 

 それでも勝った、勝ってくれた。

 (ムーンセル)の表と裏を共に駆け抜けてきた。そこで築かれたものは無駄じゃない。

 今なら確信を以て言える。自分の誇るべき戦友たちは、最高格の神霊にだって打ち勝てると。

 

 ふと、隣に立つ"岸波白野"と目が合った。

 

 自分と同じ名前を持つ人間。同一の元から発生した異端存在(イレギュラー)

 互いにとっては奇妙な存在だろう。見方によれば同一人物であるとも言えるのだから。

 勿論、何から何まで同じわけではない。性別は元より、細部を見れば中身の質もそれなりに違っている。

 

 同じくしているのは、先を求めて前へ進もうとする意志。

 あの月の魔王に対しても決して諦めないと叫ぶ、唯一の取り柄であるこの不屈さを共有している。

 

 それがとても心強いと思えた。

 意志を同じくする同胞、共に信頼できる信念で戦っている仲間がいる。

 一人では折れるような場面でも、二人でならきっと越えられる。そう思えることが何より頼もしいと感じるのだ。

 

 ――ああ、きっと兄妹という存在(もの)は、こんな感じなのだろう。

 

 自分は戦える。独りじゃない。

 戦友(サーヴァント)たちは勿論、同じ場所で同じ未来を目指す兄妹(なかま)がいる。

 決して最期まで諦めない。望んだ先へと辿り着いてみせると思える。

 

「奏者よ!」

 

 呼ぶ声がする。向けた視線の先に居るのは剣の英霊(セイバー)

 誇らしげに胸を張り、駆け寄ってくるのは美貌と愛らしさを兼ね備えた皇帝たる少女だ。

 

「見たか、見たであろうな余の勇姿を。

 神どもが語る終末など怖れるまでもない。あれしきの敵に余は負けぬ。

 だから遠慮なく、奏者も余を褒め称えてよいのだぞ」

 

 愛嬌に溢れる笑顔でこちらの賛辞を待つ少女(セイバー)は、まるで尻尾を振ってるワンコみたいだ。

 こんなにも愛くるしい少女の取る剣が、どれだけ強く頼もしい刃であるかは何度も目にしてきた。

 

「勝利の栄光をあなた様に! 良妻系サーヴァントタマモ、只今戻りました!

 荒御魂もなんのその、私の荒ぶるご主人様への愛あらば、須佐之男だろうとバッチこーい!

 あなたのタマモはここに健在です。ですのでホラ、勝利の寿ぎにハグの一つでも貰えたら嬉しいなぁって♪」

 

 次に姿を見せてくれたのは魔術の英霊(キャスター)

 彼女の献身には本当に感謝しかない。未熟な自分はどれだけ支えられてきたことか。

 

「うむ。働き大義であったぞ、キャス狐よ。今日とて無駄に振りまく色香、ご苦労であるな。

 褒美に我が奏者の傍に仕えることを許す。案ずるな、今生の余は色事にも寛大だ。9:1くらいの割合ならば、余以外に構っていようとも許そう」

 

「お呼びじゃねぇぇぇ! ていうかお許しなんて必要ありません!

 ここまで我慢して参りましたがやっぱり勘弁ならねー! ハーレム、滅ぶべし。ここですっぱりザックリ決着を付けてやります!」

 

 ……いや、だからうん。その決着は、どうかまたの機会にお願いします。

 

「またぞろ愛憎の因縁を増やしておるのか。根は凡庸である癖に取り巻く因果には事欠かぬ。

 つくづく愉快に笑わせる生き様よな、マスター」

 

 掛かった声の主は、精強無比な王気を発する黄金の英雄王。

 今でも時々信じられない。この傲岸不遜な原初の王様が、自分なんかのために力を貸してくれているなんて。

 

「所詮は過ぎ去りし時代の遺物。我を愉しませる器ではなかったな。

 そら浮かれている暇もなかろう。いかな神霊も所詮、甘粕(ヤツ)に使われる数多の一柱に過ぎん。よもやこれで終わりだとは思うまい」

 

 そうだ、まだ勝負はついていない。

 甘粕正彦の行う神威召喚。それは術者である甘粕が健在な限り途切れることはない。

 未だに相手の選択肢は無尽蔵に存在している。こちらの不利は覆ってはいないのだ。

 

「だが、我々は確かに甘粕(ヤツ)の神威に対抗している。臆することはないぞ、マスター」

 

 そして最後に、弓の英霊(アーチャー)もまた勝利を手に帰ってきた。

 

 これで四騎、全員が揃い立つ。

 こちらにとっての総戦力。欠けた者は一人もいない。勝負はこれからだ。

 どれほどの苦境であろうと、みんなが一緒なら必ずや乗り越えられる。そう信じて決して疑ったりしない。

 

「ご安心を、ご主人様。何を案ずるまでもなく、すでに私達の勝機は見えています」

 

 ……それは、どういうことだろうか。

 

「神の使役など人の身の丈を外れた所業。如何に聖杯(ムーンセル)を手にしていようとも、御する負担は想像を絶するものがありましょう。

 常人であれば小妖に触れただけでも意識が焼き切れます。向こうが常人でないのは重々承知ですが、本来であればそれほどの無茶を通しているのです。

 その意志力でどれだけ奮起しようとも心身に掛かる負荷はすでに限界を超えているはず。まもなく破滅の刻が訪れるでしょう」

 

 つまりそれまで耐えに耐えて、甘粕の自滅を待つという戦法か。

 だが果たしてそう上手くいくだろうか。自身の限界を弁えない破滅など迎えてくれるものか。

 

「案ずるまでもあるまい。頭が冷えた時分であれば分からんが、もはや炎の回った奴は己自身でも止められまいよ。

 奴とて己の破滅が近いことは承知していよう。その上でなお、その阿呆な感性で破滅への走破を加速させている。

 現に見よ、甘粕(ヤツ)め神威どもを矢継ぎ早に召喚しておるわ。起源とする神話も千差万別、まったく節操のないことよ」

 

 キャスターの見立てに、ギルガメッシュが補足を加える。

 神霊に最も近しい二人からの見解だ。この戦法は極めて有効なものなのだろう。

 

 ……だけど、なんだろう。胸に引っ掛かるような、この不安は。

 

 神威召喚の連続など常軌を逸している。

 その代償は必ずや術者を襲う。果ての自滅は必然のものだ。

 甘粕が限界を迎えるか、その前に自分たちが敗北するか。結末にあるのかいずれかの一つだけ。

 なにも不思議なことはない。道理にも適っている。疑問を差し込む余地はないだろう。

 

 しかし、不安なのが一点。相手はあの甘粕正彦なのだ。

 有り得るのだろうか、あの甘粕が。無茶を押した果ての自滅などと、そんな()()()()()()を本当に迎えてくれるのか。

 数多の大奇跡を成し遂げてきた勇者。彼ならむしろ、この苦境すら起爆剤に変えて、もっと途轍もない事を引き起こしてしまうのではと――

 

「――――む」

 

 その時、異常に最も早く気付いたのはギルガメッシュだった。

 

 本来ならばこちらへと差し向けられてくるはずの神威。

 その矛先が今は、別の方へと向けられていた。

 

「これは……同士討ちか? 神霊の制御を誤ったのか」

 

 鷹の目のアーチャーがそう判断するなら、やはり間違いはない。

 召喚された神威たちの矛先は、同じ神威へと向けられている。

 自らの権能で相手の権能を潰し合い、自ら広げた混沌の中で殺し合っていた。

 

 これは、暴走なのだろうか。

 一柱だけでも至難だという神霊の制御。遂に言った通りの限界がきたのかと訝しむ。

 

「いや、それは違うであろうな」

 

 そんな自分の認識を、仲間(セイバー)の声が正してくれた。

 

「一見無秩序にも見えて、あの闘争には一本の芯が通った美が見て取れる。

 あれは暴走ではあるまい。奏者の指揮に振るわれて、確固たる意志の下に行われる旋律だ」

 

 暴走ではないと、はっきりとセイバーは断言した。

 独特ではあるが確かな感性を持つセイバーの見立てなら信じられる。

 あれは暴走ではない。今なお甘粕正彦は神霊を己の支配下においている。

 

 ならば一体、何が起きているのか。

 見当もつかない。ただ胸の内の予感は、過去に類のない最大の警鐘を鳴らしていることだけは感じていた。

 

「そんな、嘘……!」

 

「――馬鹿なッ!?」

 

 そして、今の事態を理解できている二人の態度を見れば、その予感も確信に変わる。

 極めて神霊に近しい存在であるキャスターとギルガメッシュ。二人だからこそこの事態の深刻さが見て取れたのだ。

 

 甘粕が何をしようとしているのか、それがどれだけ馬鹿げたことなのかを。

 

甘粕(ヤツ)め、よもやそこまで――ッ!!?」

 

 信じられないと驚愕を顕にする半神半人の英雄王。

 常の彼ならば有り得ぬとすら思える戦慄の相。それを引き金としたかのように『大戦争』の幕は上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう。例によって甘粕正彦、彼はこの局面で()()()()()()()()()()()()

 

 災禍に抗う人々の姿に魅せられて、狂気の如き願望のまま世界の大半を壊滅せしめたように。

 最強の聖剣の光を前に、限界を超えた力を勇気と共に振り絞ってついには超越してしまったように。

 災禍の神霊に立ち向かい、見事に打倒を果たした彼等の奮闘があまりに輝かしいものだったから、ならば俺もと全力以上を()()()()()

 

 先に行った神威召喚も、謂わばこのための呼び水に過ぎなかったのだろう。

 神威同士を共喰いさせ、その血を生贄代わりに更なる神霊たちを連鎖的に喚びだしていく。

 膨れ上がっていく神格の数。その勢いは留まることを知らずに、もはや十や二十ではきかない。

 数百数千、それ以上……参戦する神格を増やしながら、神々の闘争はその規模を拡大していく。

 

 数千以上の神霊による殺し合い。

 大元にある原典も完全に無視した、世界中のあらゆる神話の神々が巻き込まれた大戦争。

 本来であれば何の繋がりもない神同士、それを甘粕は驚異的な意志で従わせ、闘争へと駆り立てている。

 数多の権能が混ざり合った形容不可能な混沌、そんなものが導く先は一つしか有り得ない。

 

 全ては、甘粕が求めてやまない姿を見たいがために。

 どれだけ強靭な意志も、それを発揮すべき場面が訪れなければ宝の持ち腐れだ。

 真なる勇者には相応の試練がいる。容易く越えられる障害、つまらぬ敵手が相手では、その真価は片鱗も顕れまい。

 持てる真価を発揮し、更なる輝きに至る姿こそ見てみたい。心の底からそれを望んでいる。

 

 すでに一度超えた災禍(しれん)など、つまらない。

 だからもっと、もっとだ。もっと強大なる試練が要る。

 その輝きを十全以上に引き出すため、今までにあり得なかったような試練が。

 過去にあった某かでは、もはや足りぬ。真実に前人未到、誰も踏破した者のいない極限の災禍こそが相応しい。

 

 甘粕正彦はそう信じている。信じているからこそ、総てを御破算にする手段をも決断したのだ。

 

 狼が槍を飲み込んだ。

 蛇と雷神が相打った。

 魔犬と戦神、巨人と光、女神が黒に焼き尽くされた。

 

 過程で混じり合っていく神々の権能。その混沌が齎す破滅の規模は相乗的に膨れ上がっていく。

 その果てにある結末は、生じる力場に呑まれ、誰も残らない"黄昏"となるだけ。

 

 顕象した神々の闘争、それを表すのに適した"名"が、北欧神話にこう記されている。

 

 

 

「おまえたちの輝きを俺に見せろォ――――神々の黄昏(ラグナロォォォク)ッッッ!!!!!」

 

 

 

 終焉を告げる最終戦争。神話の原典さえも超越した究極の混沌。

 総てを滅ぼす極大の破滅の大渦が、甘粕正彦を中心にして拡がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんたることか」

 

 呆然としながら、ギルガメッシュが声を漏らす。

 その感情はもはや怒りや呆れを通り越して、感嘆すら含んでいるように見えた。

 

「天上の視点を持つ裁定者の在り様。超越に至った強靭なる意志。それらは余さず見て取っていた。

 だがよもや、これほどの馬鹿であったとは、さすがに考えが及ばなかったぞ……ッ!」

 

 ギルガメッシュのこんな姿を初めて見る。

 だがそれも無理もないのだろう。それほどに目の前の現実は信じ難いものだから。

 

「アハハ、嘘だぁ……ウフフ、有り得ないゾォ♪

 嘘嘘ぜぇーったい嘘です。有り得ませんってぇ」

 

「あ、分かったぁ♪ これは夢です。

 目が覚めればお邪魔虫な皇帝様もいない、ご主人様とのハッピーライフが始まっているに違いありません!

 というわけでご主人様♥ お目覚めのキッスプリーズ♪」

 

 キャスターに至っては現実逃避だ。

 そこにあるのはいつもの陽気さではなく空元気。迫ってくる笑顔も乾き切っていた。

 

 神霊に近い二人にとっては、それほどの衝撃だったのだろう。

 

 自分などは正直、まだ事態に追いついていないのが正直なところだ。

 甘粕がとんでもない事をしたのは分かった。だがそれは、本当にどうしようもない事なのかと。

 

「ならん。あえてそう断言してやろう。

 我の蔵には人類が至るあらゆる技術の雛形が収められている。過去も未来も、人の知恵の産物であれば我が宝物殿は総てを網羅する。

 およそ万能という概念に相応しい英霊は、我をおいて他にはいまい。それを念頭においた上で、告げてやる」

 

「――あれは駄目だ。どうにもならぬ。

 たとえ我が蔵を逆さに引っくり返したところで、為す術など一つたりとて見つかるまい」

 

 普段のギルガメッシュを知る自分にとって、それは信じられない言葉だった。

 

甘粕(ヤツ)が為しているのは数千柱もの神格による殺し合い。原典など存在しない、新しき終焉と創世の神話よ。

 本来ならば、法則の定まったこの宇宙において神格はその権能を十全には発揮できん。神代は過ぎ、神秘は文明によって置き換えられた。もはや神話に記された通りの力を引き出すことは叶わぬ。

 だが甘粕(ヤツ)は、あろうことか全世界神話を掛け合わせるという力業で、()()()()の出力にまで押し上げている」

 

「あれは文字通りの『世界の終焉』。もはや我らだけを呑み込むだけでは収まるまい。

 狂い廻された神々共の生み出す黄昏は、やがてこのムーンセルから溢れ出し、人類の無意識に引かれながら拡がっていくであろう。

 その拡散規模は全世界に及ぼう。人の意識が届かせた領域の全土には、何一つ残らぬ黄昏が広がるであろうよ」

 

「ていうか、ホントあり得ませんよッ!!?」

 

 天照大神の化身であり、神霊の側面の一つでもあるキャスターは、この事態をあり得ないと叫ぶ。

 なまじ大元の強大さを知るが故に、それさえ超越した甘粕の所業が信じられないのだろう。

 

「現に出来ているのだから仕方あるまい。我とて信じられん思いは強いのだぞ。否定しようが詮無きことよ。

 まったく、人類の終わりは自らの欲を持て余した果ての滅びとは予見していたが、よもやここまで阿呆な自滅とは、この英雄王の眼を以てしても見抜けなんだわ」

 

「だからといって! そもそもの話、やってることオカシイでしょう!?

 このままだと洒落でなく世界が終わりなんですよ! あの人は一体なに考えているんですか!?」

 

 キャスターの言うように、甘粕のやっている事はまるで本末転倒だ。

 世界の崩壊なんて彼は望んでいなかったはずだ。そもそも人類が滅んでしまえば彼の望む勇気は永遠に見れなくなる。

 子供でも分かる単純な理屈。それが分かっているなら、どれだけ力があろうとこんな真似をするはずがない。

 

「……何を考えているか、だと? これは見当を外した疑問よな。

 どうやら貴様は、未だ甘粕(ヤツ)の真髄に思いが至らぬらしい」

 

 ……ああ、だけど同時に、甘粕がなぜこんな真似をしたのか、その理屈もなんとなく分かってしまうのだ。

 

「神霊をも打倒した我等、それに相応しき試練。同じように神霊をぶつけるのでは芸がない。

 そのように考え、その通りに実現するべく意志を猛らせ……ああ、要するにだ――」

 

「――なにも考えてなどおらんわ、たわけっ!

 モノを考える余地など残して、あんな所業ができるものかよ」

 

「――――馬っ鹿じゃねぇぇぇのぉッッッ!!???」

 

 そう、きっと甘粕に大した理屈はない。

 いつかの時のように、その場の勢い任せの感情であそこまでの事が出来てしまった。

 甘粕(カレ)らしいといえば彼らしい。今までもこうやって、幾多の奇跡を成し遂げてきたのだろう。

 

 ……そうだ。らしいと言えば――

 

「随分と殊勝な態度ではないか、英雄王。先程から、貴様の言葉とは思えんが……」

 

 そう、らしさで言うならギルガメッシュだ。

 ここまで聞いてる彼の言動。常の彼を知ってる身からすれば余りに()()()()()

 

 万象総てを雑種と見下し、己こそ真の王だと豪語する傲岸不遜。

 慢心してこそ王と言い切り、それを裏付ける莫大なる宝具の数。

 およそ殊勝という言葉から最も縁遠い気質、それがギルガメッシュという英雄のはずだ。

 

「なに、我はすでに諦めたのだ。殊勝の一つも見せようさ」

 

「諦めただと?」

 

「意外か? いや、そうでもあるまい。甘粕(ヤツ)のような馬鹿者は、人類史にも二人といまいよ。

 事ここに至れば、いかな我とて認めざるを得んだろうさ。

 ――人間(バカ)、ここに極まれり、と」

 

 そんな英雄王を以てしても、諦観を抱かせるほどに甘粕正彦の所業は凄まじいのか。

 

「貴様はどうだ、贋作者(フェイカー)? 貴様の貯蔵する贋作は、甘粕(ヤツ)に抗し得る何かを秘めているか?」

 

「っ! それは……」

 

「なかろうな。アレに原典など無い。名こそ北欧神話を冠しているが、本質はまるで別物だ。

 世界を滅する杖(レーヴァテイン)を持ち出そうが通用せぬ。あらゆる神話を巻き込んで訪れる終末だ。一つの神話を終わらせた程度では到底届かん。

 過去ではなく現在(いま)、甘粕正彦という男によって築かれる、未来へと至る新たな神話。その結末は未知であり、故にどうしようもない」

 

 アーチャーは目にした真作を理解して複製する贋作者(フェイカー)だ。

 その根本にあるのは過去の再現。かつて築かれたものを現在へと蘇らせるのが本質だ。

 過去の原典が存在せず、現在で未到の領域を踏破する甘粕正彦の神話に、既知の概念では対抗できない。

 

 それはある意味で、この場の全員に当て嵌る。

 過去の偉業によって至る英霊の座。それは同時に、その力は過去の段階で固定されていることも意味している。

 英霊(かれら)に甘粕と同じものを築くことはできない。甘粕と同じ領域に辿りつくことは誰にもできないのだ。

 

「ならば術者を狙えばと考えたところで無意味だぞ。アレはすでに始まっているからな。

 仮に僥倖に次ぐ僥倖が重なり、甘粕(ヤツ)を仕留めたとしよう。だがそうなったとして黄昏が消えることはない。

 神々はすでに喚ばれ、終焉への行軍も止まることはない。流れ出した黄昏はもはや何を以てしても押し戻すことはできん」

 

「叶うならば、あの神話の先に行き着くモノを見てみたいものだが……無駄か。

 普遍無意識に従い拡散していく黄昏の波動、旧世界の悉くは一掃されるであろう。

 抗う術も逃れる術ももはや無い。諦めて終焉を見届けるより他にあるまい」

 

 周りを見渡す。

 ギルガメッシュだけではない。その諦観は全員に共通したものだった。

 

 ――セイバーも……、

 

 ――キャスターも……、

 

 ――アーチャーでさえも……、

 

 皆が等しく諦観を抱いている。

 もはやどうする事も出来ないのだと理解してしまっている。

 足掻こうにもどう足掻けばいいのかさえ分からない。感情に関係なく、認めざるを得ないのだ。

 

 その事実は、岸波白野(じぶんたち)にも重く突き刺さる。

 今まで諦めないでこれたのだって彼等のお陰だ。その彼等が膝をついた今、どうして同じように出来るだろう。

 

 諦観が伝播してくる。

 脚に力が入らない。気を抜けば倒れてしまいそうだ。

 もう、どうすることも出来ないのか。このまま諦めてしまうしかないのだろうか。

 

「しかし拡がりが遅いな。こうも悠長に構えられる刻などないはずだが……ああ、そういうことか」

 

 奇妙と言えば、この猶予。

 発動からそれなりの時が過ぎている。だというのに、未だ黄昏は自分たちを呑み込んではいない。

 そのことに疑問を抱いたが、どうやら答えはギルガメッシュが先に出していたらしい。

 

「それも必然か。黄昏が溢れ始めれば"貴様"だとて破滅は免れんからな。自己の崩壊を前にしてようやくその重い腰を上げたと見える」

 

 ギルガメッシュの言葉の意図がよく見えない。

 まるで自分たち以外の第三者がいるかのような物言いだ。

 その第三者が、拡がる黄昏をくい止めているとでもいうのか。

 

「その通り、察しが良いではないか。

 "奴"からの介入が無くば、すでに我らはあの黄昏の渦に潰えていたであろうよ」

 

 唐突すぎる、意味が分からない。

 ここに至って第三者など、そんな要素が入り込む余地はなかったはずだ。

 今さら自分の知らない誰かに、この事態を動かせる者がいるとは思えない。

 

「何を言う、居るであろうが。この事態であればこそ動き出すモノが。

 関わりなしと考えるのも外れているぞ。アレは恐らく、この場の誰よりも早くおまえを見つめていたモノだ」

 

 この事態だからこそ?

 ましてみんなより早く自分を見つけていたなんて、そんな者がいるわけが――いや。

 

 確かに、"ソレ"はいた。

 関わりの無い者なんていない。この世の万象を、始まりの瞬間から"ソレ"は見ていた。

 そして今の事態ならば"ソレ"も自ら動き出す可能性も出てくる。

 "ソレ"は――

 

「――――ムーンセル。この月の眼よ。

 万象を観測者として記録し続ける数理の化身。このまま黄昏が拡がり出れば、胎を破られた聖杯とて崩壊を免れん。

 "停止"ではなく"破壊"だ。それは即ち、至上命題である『記録』の喪失を意味する。

 自己の存在意義が失われるこの異常事態を前に、遂に自らの"意思"を表出させおったな」

 

 意思の表出。それはこれまでムーンセルが頑なに拒んできたはずの選択だ。

 全能の神に匹敵する力を持ちながら、この観測機は自らがそうなることを決して許容しなかった。

 公平なる観測と、正確な結果のために。何より優先される命題、それのみを達成する道具として。

 

 だがムーンセルが破壊されれば、蓄積された記録も全て失われる。

 それは自らが課してきた命題の崩壊。断じて許してはならない結末のはずだ。

 あらゆる願いの公正である数理の化身も、その結末だけは認められない。自己崩壊の危機を前にして、公正なる観測機だった"モノ"は主に反旗を翻したのだ。

 

 ムーンセルは今、拡がる黄昏を全力で押し留めている。

 自身の所有権を甘粕正彦より取り戻そうと対抗しているのだ。

 蓄積してきた『記録』を守るために戦う道を選んだ。それは紛れもなくムーンセルの"意思"だ。

 

「だが貴様の目覚めは遅すぎた。観測にかまけ過ぎたな、もはやその力及ばぬ所まできてしまっているぞ」

 

 黄昏の波動がムーンセルの意思を押し退けて、その拡がりを増していく。

 狂騒する神々の闘争はムーンセルにとって内部情報の暴走状態(オーバーロード)。その情報爆発はもはやムーンセル自身でも止められない。

 その事実が示すものは一つ、暴走へと駆り立てる甘粕正彦の意志力、その狂念の質量はムーンセルの命令さえも遥かに凌駕しているのだ。

 

 『警告』『WARNING』『CAVEAT』『AVVERTIMENTO』...

 『GLOSBE』『STOP』『停止せよ』『EPOKHE』...

 『DANGER』『GEFAHR』『危険』『PELIGRO』...

 『BRAMA』『ANLIEGEN』『SUPPLIA』『やめて』...

 

 鳴り響く警告音(アラート)。人類史に点在したあらゆる言語を用いて表示される警告文。

 それらはまるで、必死に自らの存在を懇願する哀れな命乞いの姿に見えた。

 

 そんなムーンセルの懇願を、甘粕正彦は完全に無視していた。

 聞こえていないのだろう。意志を輝きを愛する甘粕に、月が見せた意思は余りに脆弱。

 その程度の輝きでは目に入らない。好悪を抱くわけでもなく、単純に気が付いていないのだ。

 月の声など右から左にと素通りさせ、猛り狂う意志は踏み止まることを知らない。

 

 虚構で編まれた世界が震動している。

 それはこの場に限ったものではない。SE.RA.PH(セラフ)そのものが自壊の軋みを上げている。

 電子の世界に存在した総てが崩壊を始めている。拡がる黄昏に呑まれ、残るものは何一つとしてあり得ない。

 

 総てを無に。大も小も、強きも弱きも、そこに生まれたか細い意思さえも道連れにして――――

 

「ふむ。しかしこれで一筋ほど光明が見えてきたぞ。

 止められんのは変わらずだが、ムーンセルの抵抗にて生じた間隙より、我等が逃れることは可能かもしれん」

 

「構わん、絶望を許すぞ。人類史の終端、その最期の見届け人としての役目を果たすことも一興かもしれん。

 おまえが望むならば我が財を使い尽くしても道を開こう。そこな雑種共も連れて良い。見果てぬ星海に漕ぎ出すのも良かろうさ。

 ――なあ、岸波白野(マスター)よ」

 

 ……諦める。ああ確かに、それしか道はないのかもしれない。

 方法なんて思いつかない。そもそも英霊(みんな)がどうにも出来ないのだ。自分に出来ることがあるとも思えない。

 だから、諦める。それが自然で、きっと当然のことなのだろう。

 

 ――だというのに、この胸の内より湧き上がる、炎のように燃え滾った激情(おもい)はなんなのか。

 

 もはや勝てない。何も出来ない。諦めよう。

 それらの言葉を思い浮かべる度、内なる気持ちは頑なに拒んでいるのだ。

 理屈ではない、この気持ち。制御なんて出来ないし、する気もない。

 

 ただ、どうやら自分は、ここで立ち止まってしまう事を認めていないらしい。

 隣に立つ岸波白野(じぶん)。眼を合わせれば、同じ感情で動いているとすぐに理解できた。

 

「フ、フフ、フハハハハハ、アハハハハハハハハハハ!!!

 傑物たる英雄が並び立ち、それさえも膝を折る神威の黄昏を前にして尚、諦めないと吐くか!

 つくづく厚顔なマスターよな。それとも、なにかしの策でも思いついたか?」

 

 そんなもの、あるわけがない。

 岸波白野(じぶんたち)は凡庸だ。奇跡のように解決へと導く、英雄のように選ばれた力は持っていない。

 自分に出来ることは足掻くことだけ。どんなにみっともなくても前に進む、その諦めの悪さしかない。

 

 ここで足を止めてしまうなんて嫌だ、認めない。

 何も出来ないからって、それで諦めなければいけないなんて道理はないはずだ。

 

「理屈はなし、勝機もない。ただ己が気に食わぬから、それだけで抗う、と。

 なんだそれは、なんなのだ!! まるで道理が合わぬ。愚行、ここに極まったな!

 前言を翻そう。甘粕(ヤツ)こそ人間(バカ)の極みだと先に言ったが、同等の馬鹿者がここにもおったわ!」

 

 みんなもまた、自分の事を信じられないといった風に見ている。

 無理もないのかもしれない。英霊(みんな)ですらどうにもならないのに、こんなことを言い出すなんて正気ではないだろう。

 

 けれど、今までだってそうだったはずだ。

 終わりたくないから立ち上がった。死の絶望の中でも最後まで抗った。

 そこに勝算があったわけじゃない。自分が諦めないと叫ぶのは、理屈があってのことじゃなかった。

 何も変わらない。この意志が続いている限り、岸波白野(じぶんたち)は前へと進む。それは我儘で、意地なのかもしれなかった。

 

「ふむ、ならば問おう岸波白野(マスター)よ。

 その克己の芯はなんだ? なぜ今一度の奮起を決意した?

 おまえには確かに、絶望の影が差していた。そこに希望の気配などなかったはず。

 答えよ、何がおまえの意志に光を与えた」

 

 切っ掛けと、そう呼べるほどのものとは思えない。

 それでも問われて思い浮かぶのは、初めて自らの意思を示した(ムーンセル)の姿だ。

 

聖杯(ムーンセル)だと? アレの姿に同情でも湧いたというのか?

 おまえを生んだのは聖杯(ムーンセル)だろうが、闘争の宿命と死の結末を強いたのも聖杯(ムーンセル)であろう。

 アレの意に共感する因果などないはずだが」

 

 確かにそれはその通りだ。

 訳も分からないまま目覚めて、気付けば聖杯戦争なんて戦いに参加していた。

 戦いで生き残れるのは一人だけ。生きるためには相手を倒さなければならない、残酷なルール。

 憎かった相手などいない、平気だったわけがない。彼等に下した死の罪業は今も心に重く残っている。

 そのあげく、辿りついた聖杯で待っていたのは、不正な存在(データ)としての消滅(デリート)という最期だった。

 

 まったく、思い返してみるとひどい理不尽だ。

 共感なんて抱けそうにない。感謝など以ての外だろう。

 仮に自分が聖杯へと至り、願いが聞き届けられるとしたらその存在の封印を願うに違いない。

 

 だからこれは同情の類ではない。

 思い出したのだ、その姿に。自分の根底にあったものを。

 

 甘粕正彦の光は、灼熱に燃えて輝く太陽だ。

 眼を灼くほどに眩しくて、小さな意思(ひかり)はその輝きに呑まれて映らない。

 それが甘粕の本質だ。彼が愛する人の輝きとは、そうした眩しく煌く光なのだろう。

 そうでない輝きなど甘粕の眼には映らない。きっと無いも同じなのだろう、小さく儚い只人の意思などは。

 

 人の可能性だと、真の勇者だと甘粕は自分の事を賞賛した。

 だけどその賞賛に心が動いたことはない。今もって尚、そんな輝きが欲しいとは思えなかったから。

 聖杯戦争で自分は戦った。その過程で強さが練磨されたのはその通りで、試練がなければここまで至れなかったのも事実だ。

 けど、それだけじゃない。本当に僅かなものではあったけど、その中で誰かを助けられたこともあった。手を差し出すことが出来たのだ。

 試練に打ち勝つことよりも、自分にはそちらの方が何倍も誇らしい。甘粕から見れば輝きとも呼べない小さな光、当たり前の善意こそ何よりも価値があると思える。

 

 結局、どんなに強くなってみせたところで、岸波白野(じぶん)とはそんなものなのだろう。

 穏当な平和の中、余裕を持って他者を思える世界。そんな柔らかな光でこそ自分は生きていたい。

 平和の中では真価が発揮されない? 結構だ。試練がなければ示せない真価なら、無いものと扱ってくれて構わない。

 地獄でも示せる意志でなければ本物でないなどと、そんな理屈は受け入れたくない。

 

 聖杯(ムーンセル)が示した意思の発露。

 それは自身の大切なモノを守りたいという、すごく身近で切実な気持ち。

 

 その光が見えないというのなら、甘粕正彦。岸波白野(じぶんたち)は決して貴方には屈しない。

 

「小さく在るが故の光。凡百の雑種として抱いた矜持、か。

 なんと小賢しくも厄介なモノよ。その忌々しき姿に、何度煮え湯を飲まされたことか。

 それがよもや、こうして間近に置いて眺めることになろうとは。世の因果とは分からぬものよ」

 

 そう言ったギルガメッシュの声は、何処か自らを皮肉るように。

 他者を厭わぬ傲慢。弱き者たちを虐げる側にいるはずの彼が、こうして自分と並んで戦ってくれている。

 

 ギルガメッシュの声には自嘲が含まれ、それ以上の信頼が満ちていた。

 

「であれば、英雄(われら)も示してみせねばなるまい」

 

 あまねく英雄の王たる者の令が、その口より発せられた。

 

「そら何をしている。如何な雑種といえど、偉業を為し世に名を刻んだ英傑であろうが。いつまで無様を曝している

 小さき(マスター)は立つという。ならば我等も立たねばなるまいが。それしきが出来ずしてなぜ英雄などと嘯ける。

 命じる、起て。剣を手に取りサーヴァントたる己の本懐を示すがいい」

 

 その言葉には内容以上のものが宿っている。

 理屈ではない、不可思議な魔力にも等しい王気のカリスマ。

 命令に違和感がない。むしろ従うことこそ自然だと、内の魂は王への臣従を促している。

 

「言われるまでもない。奏者が諦めぬと申すのなら、余はそのための剣で在り続けよう」

 

 そして王の言葉は確実に、諦観に包まれていた皆の心にも届いていた。

 

「そして不敬であるぞ、英雄王。余に命を下せるのは奏者のみ。貴様に命じられる謂われはない」

 

「てゆーか、真っ先に諦めるとか言い出した人がなんでそんなに偉そうなんですか?」

 

 セイバーにも、キャスターにも、力が戻ってきている。

 そこに先程までの諦観はない。あるべき英雄としての強さがその姿にはあった。

 

「申し訳ありません、ご主人様。このタマモ、不覚にも臆してしまいました。ええ、言い訳の仕様もございません。神を従え神をも凌駕する、そのような人間がいると信じられなかったのです。

 ですが、もーう無問題(モーマンタイ)! 神霊超えが何するものぞ! ご主人様への愛のパワーで、私も神様なんか軽ーく超えてみせます!」

 

 ギルガメッシュだけではない。

 歴史に偉業を刻んだ英霊である皆が、自分の意地に付き合って起ってくれている。

 こんなに弱い自分のために、何もできないこの手に代わって、この我儘を押し通してくれる。

 独りじゃない、仲間がいる。彼等が共にいてくれたなら、どんな奇跡だって信じられる。

 

「まったく、どうかしているな。今までも幾度となく驚かされてきたが、今回のは極めつけだ」

 

「ああ、本当にどうかしていた。このような事態を前にして、オレは一体なにをしているんだろうな。

 この身は掃除屋。世界の危機に現れ、害悪の要因を排除する守護者だ。やるべきことなど、初めから決まっていた」

 

 再び皆の意志が揃い立った。

 相手となるのは総ての神霊、史上最強を塗り替えた新しき終焉神話だ。

 無茶な戦いばかりをしてきたが、今回のはひときわ度が過ぎている。可能性なんてこれっぽっちも見えない。

 

 ああ全く、本当にいつも通りだ。

 無茶な相手なのも可能性が見えないのも同じ。それでも自分たちは諦めずに立ち向かい、全てを乗り越えてこれた。

 だったら今回だって諦めるのはまだ早い。こうして前に進むための手足があり、意志が折れずに繋がっているのなら、抗うことはできるはずだ。

 

「よかろう。ならば我が契約者(マスター)のため、我から策を一つ授けてやるか」

 

 策だって? それは、甘粕に対抗するための?

 打つ手なしと思われてきた中に、とすれば光明が見えてきた。

 

「喜ぶのは早い。策とは言ったが、こんなものは到底策などと呼べる代物ではない。道化の語る戯れ言の類いよ。軍師が諫言と口にしようものなら手打ちにするところだ」

 

「……何を狙っている、英雄王」

 

「問うまでもなかろう、贋作者(フェイカー)。主に勝利を捧げるため、サーヴァントとしての諫言よ。

 確かにこんなものは道化の戯れ言。だがどうやらこの場にいるのは理屈を介さぬ馬鹿ばかりであるらしい。ならば戯れ言こそ真理となるだろうさ」

 

 確かに、その通りだ。

 ギルガメッシュがこう言う策だ、きっと真っ当なものではないのだろう。

 けれど真っ当な手段では甘粕の神々の黄昏(ラグナロク)には対抗できない。どんな無茶でもやるしかない。

 

 心苦しいのは、それを行うのが自分ではないということだけ。

 自分の無茶を現実のモノにしてくれるのは何時だってみんなだ。それを思うと、これからの無茶にも――

 

「何をたわけたことを。悠長な葛藤など抱いている暇はないぞ。

 ――なにせ、この策で決め手となるのは岸波白野(おまえたち)なのだからな」

 

 今度こそ、岸波白野(じぶんたち)はあり得ないことを聞かされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼等は挑む、全ての決着をつける最後の試練に。

 

 四騎の英霊(サーヴァント)に、二人の人間(マスター)

 対するは全神話をかけ合わせた数千柱もの神霊権能による極大の混沌。

 戦力差は明らか。終焉は免れない。黄昏は溢れ世界を覆い、人類史の結末をこの宇宙に刻むだろう。

 

 まさしく絶望だ、世界は終わる。

 その絶望を穿つ。絶無に見える可能性に一点の風穴を空けるのだ。

 確たる希望などない。理屈で考えるなら不可能だ。だがそんなものは臆する理由になりはしない。

 

 絶望を越えた先の希望。不可能を成し遂げる強い意志こそが真の英雄性の発露なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原子は廻る。

 交わり、固まる。即ち世界の原初。

 乖離剣が顕すのはその風景。斬り裂かれた世界の狭間に始まりの混沌(じごく)を築くのだ。

 

 廻り続ける三柱。その回転速度は従来を遥かに超える。

 王の財宝によるバックアップ。数多の宝具がもたらす恩恵はその出力を限界規模まで引き上げている。

 だがそれでも足りぬとばかりにギルガメッシュは剣を廻していく。限界を超えた駆動に原初の宝剣も軋みを上げていた。

 

「耐えよ、エア。この一撃のみ保てばよい」

 

 天の鎖を除けば、数ある宝物の内でも至宝と認める乖離剣。

 価値なき相手に使わせることはギルガメッシュにとって極刑にも値する不敬。それほどの宝具を今、使い潰すことも厭わずに酷使していく。

 

「それも悪くはなかろう。使うべき相手であれば、使い潰すも一興だろうさ」

 

 それは敵手である甘粕正彦を認めていることに加えて、もう一点。

 他ならない自身の契約者、岸波白野のことを何より認めていることの証左だった。

 

「矮小たる身の上に過ぎたる傲慢を抱きし者よ。その愚道を貫くがいい。その愉快なる愚かしさで我を楽しませろ」

 

 ギルガメッシュの情愛とは宝の愛で方に等しい。

 彼にとって命とはいずれ尽きるもの。無間に続く裁定の王道の中で観る一欠片に過ぎない。

 裁定者としてその人生を俯瞰し、価値を定めては笑う。そこに人としての情は存在しない。

 

 孤高なる王道。絶対たる裁定。だから王の言葉は理不尽であれ筋は決して外さない。

 隣に立ちながらも視点は交わらせず、岸波白野(マスター)の進む道を見定めてはその価値を認めているのだ。

 

「この今生に限り我が宝物殿の鍵はおまえのものだ。存分に使い倒し、愚道の果てへと手を伸ばせ。

 その道を貫いた先に辿る生涯はさぞや愉快なモノとなるだろう。おまえの価値を我に示せ、それが我等の契約だ」

 

 乖離剣の柄へとその手を伸ばす。

 限界を超えた回転に生み出される圧力は、もはや片手では支えられない。

 両の手で掴み取る。超絶なる星産みの力を溜め込みながら、担い手たるギルガメッシュは凄絶な笑みを浮かべた。

 

「さあ、二度とはこぬ晴れ舞台だ。天地を分った神話の何たるか、今こそ示してみせるがいい」

 

 軋む剣に亀裂が入る。

 限界の先の真の限界、崩壊の予兆が表れている。

 はたしてこの一撃の果てに存在を留めていられるか、保証は全くない。

 

 だというのに、剣と担い手に浮かんでいるのは満面の歓喜である。

 生涯初の舞台。見下ろす雑種に挑まれるのではなく、見上げて届かぬ大敵に挑んでいる。

 

 自滅覚悟の超越の一撃、そんなものを振るう機会など史上にここしかあり得まい。

 

 

「世界を穿て――――天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 

 

 放たれた天地開闢の創星神話。

 世界を斬り裂いた神の刃が、神々の黄昏に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 螺旋の斬撃が黄昏を穿つ。

 突き刺さった衝撃は終焉をもたらす波動に抉り込み、ついにはそこに一孔を開いてみせた。

 

 まさしく奇跡だ。

 ただの一柱の力が全神話規模の黄昏に、一点とはいえ凌駕し得たのだから。

 本来であればあり得ない結果だ。その不可能を実現せしめた意志の力こそ、英雄たる者の何たるかを示す証左である。

 

 だが黄昏(じごく)を開いた先に現れたのも、また混沌(じごく)だ。

 天と地に分けられた原初の世界。創世の始まりには生命は未だ存在し得ない。

 そこはあらゆる生命が誕生の前にある。住まうことはおろか、産まれることさえ不可能だ。

 微生物さえも存在し得ない環境。人が踏破できないという点で見れば黄昏と何ら変わらないだろう。

 

 しかして見るがいい。

 天地を定め、世界に姿を与えるのが"神の業"であるのなら。

 世界を開拓し、天地に自らの歩みを刻ませる道を築くのは"人の業"である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の劇場が幕を開ける。

 原初の上に築かれていく建造物。それは人の感性が生み出した芸術の産物だ。

 

「我が才を見よ! 万雷の喝采を聞け!」

 

 歌う、唄う、謳う、謡う。

 赤き皇帝の奏でる調べ。それは彼女の感じ入る美のカタチ。

 慎ましさなど不要である。己が織り成す芸術こそ至高、そう信じる情熱は偽りなき真実なのだから。

 

「築かれよ我が摩天! ここに至高の光を示せ!」

 

 その情熱は、彼女が掲げる愛のために。

 想うべきは愛を捧げる相手のこと。愛しきその姿を想う度、胸には情熱が灯るのだ。

 

 それは、狂おしく咲き誇る花のように。

 

 それは、爛々と燃え盛る焔の如く。 

 

 ああ、奏者よ。そなたへの思いを如何様に言い表せば良いのか。

 この思いはインペリウムよりも誉れあるものであり、ヴェスビオス火山の炎よりも熱きもの。

 既存の言葉では表せない。否、表したくない。何物にも代え難い無二の価値であってほしい。

 

 奏者のために余は道を築こう。

 儚き身の上で道なき道を行く勇気。それは美しいと同時に危なっかしくて、余は気を揉んでしまうのだ。

 だから奏者の行く先は余が切り開く。阻む敵は我が剣で、未踏の難行には新しき道を築こう。

 

 危うい目には合わせたくない。奏者のことは余が守護しよう。

 故に案ずることは何もない。奏者は思うままに道なき道を行くがいい。

 

 今一度言わせてほしい――(わたし)奏者(あなた)を愛している。

 

 

「座して称えるがよい――――招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)

 

 

 皇帝ネロが築く黄金劇場(ドムス・アウレア)。その宝具のカタチは劇場のみを意味しない。

 異なる意味の指向性を持たせ、存在に味わい深さを加えたなら、それは如何様にでもカタチを持てる。

 

 その情熱に彩られ、黄金の架け橋が築かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 混沌(じごく)の上に架けられた黄金の橋。

 二人の英雄によって成し遂げられた奇跡。他の誰でもない彼等だからこそ出来たことだ。

 

 だが、黄昏は終わらない。

 乖離剣に穿たれた穴が、その空間を狭めてくる。

 開闢した天地を押し潰さんとする圧力。内に盛れ出た力に圧され、黄金の橋も崩壊を始めている。

 

 二人の力が脆弱なのではない。神々の暴威とはそれほどに強大なのだ。

 ギルガメッシュも、セイバーも、その面貌に苦渋を浮かべて耐え凌いでいる。

 それでも今のままのせめぎ合いが続けば、近く二人は圧倒されるだろう。それは確定している事実である。

 

 全力とは決して永続できるものではない。

 二人は今、自らの宝具に全ての魔力を注いでいる。余力の類いは一切ない。

 そうでなければあの黄昏には対抗できない。全身全霊を費やしてようやく抗し得るのだ。

 だが全霊の力を使い続ければ、早晩に力尽きるのは自明の理。有限の魔力では到底足りない。

 

 故に、神々の黄昏に対抗するには、無限に等しい魔力が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは我が国、神の国、水は潤い、実り豊かな中津国」

 

 水天に広がる鏡花水月。注ぐ光に開かれるは八卦の陣。

 その鏡体は日本三大の神宝。秘められたる力の一端、湯水の如く溢れる魔力が解放される。

 

「国がうつほに水注ぎ、高天巡り、黄泉巡り、巡り巡りて水天日光」

 

 それの真なる姿は対界宝具。

 国一つをも覆い尽くす範囲で恩恵をもたらす生命の源泉。広げられた陣より与えられる力はまさしく無限。

 本領を用いれば死者の蘇生すら可能とする冥府の神宝、その恩恵を仕える主のために解き放つ。

 

「我が照らす。豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)、八尋の輪に輪をかけて、これぞ九重、天照らす……!」

 

 ご主人様、私の全てはあなた様のために。

 あなた様のような気高き魂に出会えたことこそ至上の幸運。結ばれた縁にはひたすらの感謝を。

 私の喜びはあなた様に尽くすこと。あなた様が思いのままに成し遂げられることが我が願い。

 

 この身は化生、その本質は人に仇なす災厄。

 本来であればあなた様のような方の隣には居られぬ身。甘粕(カレ)の扱う災禍の神霊と何も変わらない。

 そんな化物(わたし)を知って尚、あなた様は私を受け入れてくれた。それがどれだけの奇跡なのかよく知っている。

 だから決して離れない。今度こそ間違えずに、その道の果てまで添い遂げてみせる。

 

 ――どうか御側に、お慕い申し上げております。

 

 

「禊ぎ払え――――水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)

 

 

 満ち溢れる神力の波動。尽きぬ魔力を約束する神宝の光。

 無限に等しきその恩恵が、仲間である英霊たちへと降り注がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 枯渇しかけた魔力に無限の恩恵がもたらされる。

 乖離剣に黄金劇場(ドムス・アウレア)。充填された自らの宝具を振りかざし、二騎の英霊は再び全身全霊を絞り出した。

 

 広げられる空間、築かれる黄金の橋。

 それは黄昏を貫いて、道なき地獄に道を造り上げる。

 完成したその道を、二騎は全力で維持に努める。世界崩壊規模の破滅に曝されながら、全霊をかけた抵抗で破滅が届くのを防いでいた。

 

 

 ――――そして、築かれた螺旋と黄金の道は、安定を伴って完成した。

 

 

 そこを駆けていく二つの影。

 少年と少女。二人の岸波白野。英霊ならざる奇跡なき人の子。

 英雄さえも恐れる黄昏を人である彼等が駆ける。前人未到の領域へと足を踏み入れたのだ。

 

 果たしてそれはどれほどの勇気だろう。

 周囲には世界を断裂せしめる衝撃、それごと押し潰さんと迫る黄昏。

 人が受ければ塵一つとて残るまい。些細な綻び一つが即座に命取りになる、これはそういう行程だ。

 

 それでも彼等は怯まない。

 恐怖を忘れたわけではない。間近にある破滅、それは溶鉱の隙間を歩くが如く、肌に感じる灼熱とは別に氷柱を挿したような寒気が貫いてくる。

 だが彼等は知っているのだ。真の勇気とは恐怖を越えた先、震える本能を動かして前への一歩を踏み出した所にあることを。

 

 そんな人としての勇気を示さなくてはならない。

 誰よりも人の勇気を愛しながら、人の勇気を信じられない男へと。

 在るべき人の勇気の姿を、ここで証明してみせなくてはならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、我等だけであの黄昏を防ぐことはできん。それは認めよ」

 

 全能にも近しい英雄王の力。それを以てしてもどうにもならないと断言される。

 それだけじゃない。ここにいる四騎の力を如何に扱ったとしても不可能だと告げられたのだ。

 

 甘粕正彦の黄昏とはそれほどに絶大なもの。

 全神話を混ぜ合わせた極限の混沌、もはや形容すべき言葉も見つからない。

 だがそれを成し遂げた甘粕は間違いなく神の域さえも超えている。そんなとんでもない人を相手に、一体どんな策があるというのか。

 

「なに案ずるな、小細工の類いは一切ない。おまえたちは常のように、頭の悪い猪突猛進を繰り返せばよい」

 

 否定もできない。確かに自分の持っている対処法などそれくらいだ。

 だがそれで何が出来る? あの黄昏に突貫して踏破できる要素でもあるのか。

 

「それは勇猛も過ぎて自棄であろう。甘粕(ヤツ)までの道は我等が拓く。

 神々の黄昏に穴を空ける。そこに道を築くのだ。――そう、英霊(われら)の結束の力でな」

 

「なぁ! ? 」

 

「わきゃん!?」

 

 ――……なにか、あり得ない台詞を聞いた気がした。

 

「ど、どうしたのだ、金ぴか。ショックで霊質に変格でも起こしたか?」

 

「なにを動じている、セイバー。それほどに意外であったか、我の提案は」

 

「意外というか何というか、世界が滅びてもそれだけは言わないと思ってました」

 

「フハハハ! そう褒めるでない、キャスター。そこまで言われては我とて大言を控えたくなる。

 なにせ文字通りの世界の終焉が迫っているのだからな。不可能事の一つや二つ、起こしてみせて当然の気概で当たらねばなるまい」

 

 そうだ、驚いている場合じゃない。

 ここから先は、皆がそれぞれ奇跡を重ねていかなければ届かない、そんな綱渡りだ。

 ギルガメッシュがらしくない言葉を用いるほど、これは必要なことなんだ。全員の力を合わせなければ道はない。

 

「だが、辿り着いたところでどうにもなるまい。岸波白野(マスター)の力では甘粕正彦の足元にも及ばん。無謀と履き違えた特攻をさせるつもりか」

 

「そうだ、贋作者(フェイカー)。常道であれば無意味。辿り着いたところで打倒の手段はなく、またあったとしても意味がないのは語った通りだ。

 だが敵は常道では語れぬ甘粕(バカ)だ。故にこの策には勝算が生まれてくる」

 

 力で比べれば自分と甘粕正彦の間には天地の差がある。

 だから行うべきは別の手段だ。力ではなく、自分が甘粕に対して示せるものなどこの諦めの悪さしかない。

 

「神々の黄昏を我々ではどうにもできん。その可能性を持つ者は唯一人、召喚者である甘粕正彦当人に他ならん。

 勢い任せに世界をも滅ぼす馬鹿者だ。ならば同じ勢いで世界を救うこともあり得るだろうさ」

 

「どうだマスターよ。英雄どもが奇跡を重ね、地獄の上をも踏破し、その果てに頼るのは敵の力だ。これが道化の戯れ言でなくてなんだという」

 

 確かにそれはまともな手段じゃない。他に通じる相手などまずいないだろう。

 けれど常識では測れないのだ、甘粕という男は。数多の奇跡を己の意志で成し遂げてきたその強さは、まさしく現代を生きる英雄にふさわしい。

 

 そんな彼の意志を曲げる。それは途方もない難行だろう。

 理屈を説いても意味はない。感情に訴えても届かない。まともな説得など何一つ通用しない。

 

 それでももし、彼がその意志を曲げることがあるならば――

 

甘粕(ヤツ)を説き伏せろ。過去未来の英霊ではない、今を生きる″人間″であるおまえたちがだ。

 破綻の危険は無数にある。勝算がいくらかなど我でさえ判断がつかん。それを承知で尚、おまえたちは『行く』と言えるか?」

 

 その答えは、岸波白野(じぶんたち)にとって決まりきったものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前へ、前へ、前へ。

 力の限りに駆けていく。後先のことなど考えていない。

 たとえその果てに身体が動かなくなったとしても、この瞬間はただ、前進するだけに邁進する。

 

 前へ、前へ、前へ。

 道を拓いてくれたみんなのために、立ち止まってなどいられない。

 みんなはもっと強大なものに挑み、耐えているのだ。この程度で弱音など口が裂けても吐くわけにはいかない。

 

 渦巻く開闢と黄昏の先、甘粕正彦はそこにいる。

 岸波白野(じぶんたち)はそこに辿り着かなければいけない。その眼前に立つだけの強さも見せられないで、示せる意志など有りはしない。

 理屈でも感情でもなく、見せ付けるのだ、確たる意志が生む勇気の姿を。人が本来持っている勇気の在り方を。

 それが出来るのは、この場ではきっと岸波白野(じぶん)だけ。どこまでも凡庸で、選ばれた強さなんて持っていない、そんな自分が示せる強さなら、それは誰もが持てる強さのはずだ。

 

 だからどうか、それを知ってほしい。

 貴方が愛するという勇気を持った自分の意志を受け入れてほしい。

 停滞しているかもしれない、それでも変えようとする意志の残ったこの世界を、どうか許してほしいのだ。

 

 ――そう思った矢先に、立ち塞がった影があった。

 

 開闢の螺旋と黄昏の渦がせめぎ合いを続けている間隙、侵入してきた神々の眷属たち。

 本体の神霊ではない。間隙に空いた抜け道は、走狗たる眷属らが通り抜けるので精一杯だ。

 神霊級には劣る神の尖兵、それでも人である岸波白野には十分に致命的だった。

 

 道は一本。引き返す選択はない。

 躊躇うことなく突き進む。迷っている暇など自分にはない。

 だが相手も黙って通してはくれなかった。その火が、雷が、刃が、こちらに向けて殺到する。

 当然、自分に抵抗の手段はない。避けられる余地もなく、このままいけば自分は道半ばで砕かれることになる。

 

 

「――――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 

 それでも迷うことなく駆け抜けられたのは、この身を守護する背中の存在を知っていたからだ。

 

「振り返らず進め。露払いは受け持とう」

 

 殺意の群を阻んだ七枚羽。自分たちと神の眷属たとの間に立つ、金色を纏った無銘の英霊。

 その剣の強さを知っている。その意志の頑さを知っている。彼なら守り抜いてくれると信じてる。

 言われた通り、駆ける脚は止めない。それでも一度だけ振り返って、その姿を目にした。

 

 救うべき者を救うために立つ背中。

 誰かを切り捨てるのではない。進めない弱者のために道を拓く刃。

 そこに見た、確かな幻想。彼自身は否定するかもしれない、それでも自分の胸にはその勇姿を刻もう。

 

 ――きっとそれこそ、彼が夢見た理想、本当の正義の味方(ヒーロー)だと思えたから。

 

「さあ、ここまでだ神々の尖兵たちよ。これより先は荒野の果てを行く勇気、見果てぬ未来へ進む者にだけ許される道だ。

 意志なき走狗ごときに跨げる敷居はない。それでも踏み入れるというのなら、無限の剣の洗礼を受けると知れ!」

 

 もはや振り返る必要はない。

 英雄(アーチャー)は勝つ。あんな雑兵に負ける道理はない

 だから考えるべきは己自身。進むべき自らの道へと岸波白野(じぶんたち)は邁進する。

 

「行くがいい、愚か者」

 

 ギルガメッシュが、

 

「行くのだ、奏者よ!」

 

 セイバーが、

 

「行ってください、ご主人様!」

 

 キャスターが、

 

「行け、マスター!」

 

 アーチャーが、各々に成すべきを果たして切り開かれた道。

 岸波白野(じぶんたち)を信じて送り出してくれた英霊(なかま)たち。今や彼等の意志もこの歩みには掛かっている。

 

 気迫が増す。勇気が湧いてくる。その一歩にあらん限りの力を込めて、岸波白野は前へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そして、彼等は到達する。

 

 

 先へ、先へと目指し続けて、ようやくその高みへと。

 黄昏の中心、月の魔王、甘粕正彦の元へとその手が届く。

 

 後はただ、その意志を示すのみ。

 それは言葉で伝わるものではない。これは聖杯戦争、手段は闘争以外にない。

 無論、岸波白野に甘粕正彦へ対抗できる力はない。それでもただ一つ、通じるかもしれない刃がある。

 

 ――コードキャスト・五停心観。

 

 それは心に触れる術式。

 精神の乱れを測定し、物理的に摘出することで安定させる。

 それは他者の心の在り方を理解し、裡に秘めたる秘密を暴くことを意味している。

 

 だが、そこにも懸念は存在する。

 五停心観とは、かつて殺生院キアラによって編み出された術式。

 彼女自身はそれを更に発展させ、他者の電脳へ自在に侵入し意思を蕩かす蜜毒と化している。

 そう、魔性菩薩たる彼女にとってその術式はすでに過去のもの。そんな彼女でさえ甘粕の強固な意志を蕩かすことは出来なかった。

 

 果たして五停心観(こんなもの)が通じるのか

 甘粕正彦の魂の根底にある一本の芯。それは今まで幾多の奇跡を成し遂げた強さである。

 触れることなど出来るのか。出来たとしてそのまま説き伏せることが可能なのか。不安要素はいくつもある。

 

 

 ――――同時に、"だからこそ"だと、二人の岸波白野は感じていた。

 

 

 脅威で屈することはあり得ない。甘粕にとってそんなものは起爆剤だ。

 強大な質量で押し潰そうとしたところで、甘粕はそれを凌駕してくる。そんな彼の強さはよく理解している。

 だから、甘粕に強さで対抗しようとしてはいけない。岸波白野が示すべきなのはもっと別の意志であるはずだ。

 

 そのために、勇気の密度を高めてきた。

 無謀とも言える踏破を成し遂げて、その意志を練磨してきた。

 魔王に示すに足る勇姿を以て、彼等はここに挑んでいる。それこそが"岸波白野"の持つ勝機だった。

 

 それほど論理的な考えに基づいたわけではない。

 冷静だとは言えないし、筋道立てて思考した果ての答えというわけでもなかった。

 言ってしまえば直感で、何となくそうだと思えたのだ。勝てる道はこれしかないと。

 そんな程度で実行してしまうのだから、頭の悪い猪突猛進と言われても仕方がないのかもしれない。

 

 それでも、岸波白野(じぶんたち)はやると決めた。

 ならば後は前に進むだけ。説き伏せようとしている相手に、情けない姿なんて見せられないから。

 

 ――術式起動(コードセット)心域摘出(マインドアウト)

 

 左腕に熱い電流が流れていく。

 見据えるのは胸の奥。血管の中に根付いたものへと眼を向ける。

 

 S G(シークレット・ガーデン)。意味は秘密の花園。

 その人物が隠していたい、あるいは表出している意志の裏にある別の意図。

 人の心は綺麗事だけでは成り立たない。影に潜んだ裏の気持ちを知らないで、真の相互理解はあり得ない。

 

 見出したその心、後はそこにカタチを与える。

 その気持ちに明確な"名"を付けることで、型に嵌めて摘出を可能とするのだ。

 そのためには理解が要る。適切な"名"に嵌めるため、その心を理解しなくてはならない。

 

 甘粕正彦の意志の芯にある心象とは、

 

 あらゆる苦難に立ち向かう『勇気』か。

 

 進む意志を素晴らしいと讃える『人間賛歌』か。

 

 どんな悪性を前にしても揺るがない『絶対正義』か。

 

 確かにそれらも甘粕正彦の真実だろう。

 だがそれらは全て、表出している思いである。裏に秘めた心とは言えない。

 それだけでは不十分。真なる理解には程遠い。表の意志に隠されたもう一つの素顔を曝け出す。

 

 両の脚が地を蹴る。

 矢をような勢いを付けて、真っ直ぐに駆け抜ける。

 心象に引き寄せられる流れに乗り、少年と少女は君臨する甘粕へと身を投じた。

 

 秘められたその"名"を、叫ぶ。

 絶対強者として君臨した月の魔王。甘粕正彦、その真実とは――――

 

 

「「――――これが貴方の『敗北』だぁぁぁッッ!!!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ――――」

 

 吸い込まれるように受けた二人の一撃を見下ろし、俺は静かに敗北を認めていた。

 

 

 ――――そうだ。俺は敗けたかったのだ。

 

 

 聖杯に託した願いが破れ、自らが試練として立った時から。

 この信念を受け継ぐ者が現れるのと恐らく同程度に、俺はそれを望んでいた。

 俺をも超える意志の輝き、その光に魅入られながら実に見事だと称賛を送ってやりたかった。

 

 試練として存在するとはそういうことだ。

 やがては超えられていくからこその試練。自らがそう在るということは、必然、裏では踏破されることを望んでいる。

 己という試練さえも乗り越えていける素晴らしい意志。俺はそれを見出したかったのだ。

 

 だからこそ、妥協なんて出来なかった。

 半端な強さに負けを認めるわけにはいかない。見出すべきは真なる人の輝きだ。

 故に振るうのは常に全力。誰であれ容赦などあり得ない。輝きとはその先にこそ現れる。

 数々の災禍を打ち破るおまえたちは素晴らしかった。ならばこそ加減などあってはならんと、俺は全身全霊を練り上げて――

 

「そんな俺の黄昏(しれん)さえも、岸波白野(おまえたち)は見事に踏破してみせた」

 

 俺を打ち負かした者へと、もう一度目を向ける。

 凡庸なる少年と少女。恵まれた強さも定められた天命もない、人々の内に紛れる大衆の一部。

 砕くことなど何とも容易い。この腕を一振りすれば、儚いその身は呆気なく散るだろう。

 

「なのに……弱ったな。腕が動かん」

 

 俺が信じるべき人の勇気。その姿を岸波白野(おまえたち)にこそ見た。

 命とは儚く脆い。いずれは尽きて、そうでなくても運命の荒波に攫われ理不尽に散っていく。

 だが、そうであるからこそ、人は懸命に命を全うしようと足掻くことが出来る。前に進もうとする意志を抱いて立ち上がることが出来るのだ。

 

 知っているつもりだった。だが信じてはいなかった。

 愛していると嘯きながら、その存在を信じることが出来なかった。

 停滞した人の世界。誰もが持てると信じながら、天下に存在すると信頼することが出来なかったのだ。

 なんたる無様か。誰も信じていない、最も世界に絶望し、勇気がないのは俺だった。

 

 それを認めた上で、この腕は振るえない。

 幻想(ユメ)ではない、俺が何より愛する真の勇気を、砕くことがどうして出来ようか。

 

 彼等を認め、その未来の行く末を見てみたいと願ってしまった時点で、俺の敗北は決まっていたのだ。

 

岸波白野(おまえたち)を認めよう。その存在こそ俺が求めた楽園(ぱらいぞ)の姿。

 俺という試練が無くなった後も、その輝きが色褪せることはないと信じている」

 

 撫でれば砕けてしまいそうな、二つの勝者の姿。

 その瞳にはどこまでも不屈の光が宿っていて、しかと俺の言葉に頷いてみせた姿に、万感を込めて兜を脱いだ。

 

「ならば、神々の黄昏(こんなもの)はさっさと片付けてやらねばならんな」

 

 自ら放った神威を内に取り込んでいく。

 勝手な扱いに神威は怒り、俺の身体は限界を超えて悲鳴を上げている。

 それら一切合切を、我が意志によって封殺していった。

 

「ムーンセルゥゥゥッッ!!!!!

 俺が亡き後、岸波白野(カレラ)を勝者だと認めろ! 不正だなんだと、その存在を無碍とすること罷り成らん!!!

 それこそこの甘粕正彦の、最期の遺志だと知れぇぇぇぇぇぃッ!!!!!」

 

 あるべきでない存在(データ)? 観測に不要な不確定要素(イレギュラー)

 知らぬ認めぬ俺こそ道理だ。数理の歯車ごときの理屈など意に介する必要なし。

 

 灼熱の如く荒れ狂う我が遺志を、崩れかかった聖杯(ムーンセル)へと叩き込んでやった。

 

「その未来に幸が多からんことをォ!

 万歳、万歳ァィ! おおおぉぉォッ、万歳ァァァィッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして――

 

 終焉をもたらす神威と共に、甘粕正彦は黄昏の中へと消えていく。

 誰よりも強く、神域をも超えた勇者の意志が、破滅の中に潰えていく。

 

 その刹那の時、意識に巡るのは辿ってきた過程の情景。

 甘粕正彦という男が歩み、しかと見届けてきた戦いの軌跡だった。

 

 末期に巡る、それは走馬灯の景色。

 消えゆく意識は回想する。記憶の中にある幾つもの輝きを。

 肩を並べ歩んだ時、過ぎ去った過去、人々が巡ってきた闘争の渦中。

 

 さあ、回帰を始めよう。

 甘粕正彦という男が見た聖杯戦争、果たしてそれは如何様なものであったのかを。

 

 

 




 
 ようやく終わった……。
 今回はマジで話が膨れてしまいました。
 原作と比べると本当に蛇足的に広がって、あのまとまり具合がしみじみ素晴らしく思えます。

 色々意見もありましたが、主人公はザビーズ二人のダブル体制です。
 サーヴァントも半々に別れて、最終的に合流って感じで決戦の流れに入ってます。
 今回は決戦だし神話礼装で超越したってことで描写してませんが、CCC本編では二騎使役のペナルティとかも入れるつもりです。

 ともかくこれで、岸波白野と甘粕正彦の主人公VSラスボスは終わり。
 ある意味ここまでの部分がタイトル通りの本編といえるので、とりあえず一部完という感じです。

 次からはEXTRA編、およびCCC編をやっていこうと思います。
 プロットの関係上、まずはEXTRA編が優先になると思いますが、あしからずでお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。