もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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 なんか書きたいこと書いてたら50000文字を超えてたでござる(驚)
 今回は前後編に分けてお送りします。



最終幕(上)

 

 月の裏側。

 それは太陽が照らさぬ場所。現実の月にある光なき暗黒の領域。

 このムーンセルにある裏側もまた同じ。現世の一切から外れた深淵への穿孔だ。

 

 そこにはこの世総ての害悪が収めてある。

 知性体にとって害にしかならないもの。災厄、怨嗟、あらゆる種別の悪性情報。

 ムーンセルは記録し保存するものだ。その大前提がある限り、数理の化身は記録の不備を許さない。

 それは星の歴史の負の側面も余さず記録している事を意味する。記録の消去が機能に搭載されていない以上、負の産物は永遠に残り続ける。

 故にこの場所が作られた。この宇宙から隔絶された虚数空間に、不要と判断した情報を保管するための廃棄場を作り出したのだ。

 

 この場所に時間の流れは意味を持たない。

 総てが虚数で満たされた世界では時間軸すらが曖昧だ。観測され定義されない限り、それはどの時間軸のことでも有り得る。

 あらゆる時点で基準になる。あらゆる可能性が観測できる。記録宇宙の法則では結果があれば鶏が先にも、卵が先にも出来る。

 

 ――故にそこは、数多の結果が行き着ける集積場でもあった。

 

 記録されてきた全ての戦いの結果。

 幾度となく繰り返された聖杯戦争。同じ時間軸上の出来事も月の眼は漏らさず観測し記録する。

 些細な誤差から様々な過程を経る闘争の軌跡。完全に同一のものは一つとしてない。

 勝利者と成り得る可能性を持つのは決して一人ではない。比率として見れば少年王(レオ)が最も多いが、彼が敗北するルートも確かに存在する。

 

 それら幾多の可能性を経た勝利者たち、その全てに勝利を収めた月の魔王。

 己が見てきた数多の結末を、甘粕正彦は月の眼を通し眺め見ていた。

 

 辿り着いた彼等の意志を問うてきた。

 熾烈な戦いを経て熾天の座へと至った者たち。その意志には各々に輝きがあった。

 それでも尚、己には届かなかった。その強さに魅せられはしたが、敗北を認めるには足りなかったのだ。

 

 ただ、その中にも上下の差があったことは確かである。

 大権能の壁を超え、原初の力を以て己に刃を迫らせたのは、数多の勝者の中で一人だけだ。

 

 

 ――――"岸波白野"――――

 

 

 そう名称付けられた存在には、あらゆる戦いにて敗北への分岐がある。

 ある時には最強の主従をも打倒する成長を見せ、ある時には一回戦で呆気なく敗北する。

 それどころか予選すら突破できないことも珍しくはない。それほどに初期の"彼"、もしくは"彼女"は脆弱だった。

 

 そう、"岸波白野"は彼であり彼女なのだ。

 その存在は一定しない。他の地上より上ってきたマスターと異なり、そこに明確な定義はない。

 彼、そして彼女はこの月で発生したNPC。自我の意識に目覚め、自己という存在を確立したのは聖杯戦争の予選の最中。

 再現の元となった人物は確かに存在する。だが地上にいる彼、もしくは彼女と繋がっているわけではない。

 観測により確定される前の存在はひどく曖昧だ。性別すら確実ではなく、岸波白野という名称すら正式か分からない。

 何もかもが確定せず、曖昧なままに変化していく存在。それは契約するサーヴァントにも現れている。

 

 聖杯戦争のために契約するサーヴァントは、ムーンセルよりマスターの性質の相性によって決定される。

 ムーンセルの出す解答は常に絶対だ。そこに複数の解答が導き出されるのは、よほど複雑な内面を持った人物しか有り得ない。

 だというのに、これだけの選択肢(サーヴァント)が彼、そして彼女の前に用意されるのは、その存在が未だ何も定まっていない不確かさ故だろう。

 

 そうだ、その存在は何者でもない。

 生まれたての意思。立ち上がろうとした決意は原始の欲求。

 何者でもない彼、そして彼女。だからこそ彼等は何者にだってなれるのだ。

 最弱から、最強へ。赤子のような弱者から一人前の強者へと。

 それこそ人間の可能性のカタチ。意志次第で我々はどこにだっていけるのだと、その証明に他ならない。

 

「ならばこそ、その可能性(かがやき)を失った今の人類は度し難い。叩き直さねばならんだろう」

 

 天を仰ぐ。

 この月より見える青き地球(ほし)の姿。

 そこに住まう何十億の人々。彼等の堕落を案じ、光が失せていくことを心より嘆いた。

 容認してはならない。決してあってはならないのだと、この魂は痛切に願ったのだ。

 

 だからこそ、甘粕正彦は試練を下す。

 蓋を解かれた地獄の釜。解き放たれる災禍の群を差し向けて、月の魔王は偽りなき愛を謳った。

 

 この選択の果て、人類は災厄の渦に包まれる。

 過程では大勢の者が失われるだろう。文明を破壊し尽くし、世界のカタチは根本から崩壊するに違いない。

 だが、愛すべき人間たちよ。挫けてはならない、立ち上がり運命に抗う意志を抱け。

 

 俺の選ぶ未来(セカイ)が気に喰わんのであれば、自らの手で新たな未来(セカイ)を築くがいい。

 

 

「――――ああ、来たのだな」

 

 

 ここはムーンセルの中枢。聖杯に至る場所。

 辿り着ける者は聖杯戦争の勝利者のみ。裏側であってもそのルールに変わりはない。

 

 繰り返された闘争の輪廻。

 そこにあった数多の結果、総てが敗北という結末で幕を閉じてきた。

 だが紡がれた可能性は無駄ではない。その中で磨かれた意志の力は、確かに今ここに集っていた。

 

 

 月の深淵へと到達した勝者。それは岸波白野という"彼"であり、"彼女"だった。

 

 

 有り得ない邂逅、少年と少女が並び立っている。

 可能性の海から浮上した二人の"岸波白野"。平行世界の同一存在とも違う不確定な存在。

 自我に目覚めた彼等は確固たる己を持って立っている。だからこそ別個の個人として揺るぎなく立つことが出来る。

 共有するのは、どんな絶望にも諦めない不屈の意志。ただ前へと生き抜く決意と胸に、自身の相棒(サーヴァント)たちと共に立っていた。

 

 ――己の信じる美のままに情熱と生きた、薔薇が如き可憐なる剣士(セイバー)、ネロ・クラウディウス。

 

 ――神より堕ちた異端の身でありながら、憧れた愛のカタチ、主に仕える献身を続けた魔術師(キャスター)、玉藻の前。

 

 ――誰にも理解されない孤独の道で、それでも理想と信じる正義を貫いた弓兵(アーチャー)、無銘の英霊。

 

 ――孤高なる頂点の玉座、神でも人でもない裁定者の在り方。傲岸不遜なる英雄王、ギルガメッシュ。

 

 数多の可能性より集った彼、そして彼女の英霊たち。

 各々が神話礼装を身に纏い、月の魔王と同じ地平に立って対峙していた。

 

「もはや問答など無粋。語る口先も不要だろう」

 

 集った輝きを迎え入れ、甘粕の魂は歓喜の猛りに震えていた。

 

 すでに地獄の釜は開かれた。だが総てが決まったわけではない。

 時間の流れが異なる記録宇宙の法則では、あらゆる結果が当価値に扱われる。

 おまえたちが我が楽園(ぱらいぞ)を認めんというのなら、この俺を討ち果たすより他にあるまい。

 

 ああ、いいぞ素晴らしい、おまえたちこそ真の勇者だ。

 ここに至って何を語ろうとも無意味。余計な問答など白けるだけだ。

 最も力ある座に至った者同士、互いの意志をぶつけ合う。勝ち残った輝きの下に新たな未来(セカイ)は築かれるのだ。

 

 

 ――――故に、さあ、決着を付けよう。

 

 

 無言の内に秘めた溢れんばかりの闘志。

 これ以上ない決戦の意志を示しながら、甘粕正彦は岸波白野たちと対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主からの意志を受けて、月の聖杯が駆動する。

 その真価を発揮する光の演算器。太古の時代より蓄積されてきた無限にも等しい情報の渦。

 総ての起源を納めたそれはまさしく万能の釜と同義。その担い手たる甘粕正彦はそれの内から力を汲み上げて行使する。

 

 普遍無意識に渦巻く魔神、化生、悪神、神獣。

 英霊すら超越した数多の神霊。召喚された神威の群れを月の魔王は何一つ不足なく使役していた。

 

 暴威の波動が世界を揺るがす。

 最高格に位置する災禍の具現は、人にとっての悪夢そのもの。

 喚起される畏怖の念は根源的なもの。膝を屈し絶望に心が折れかけるのは当然の帰結だった。

 

 人は己の悪夢を拭えない。ならば我々(ニンゲン)は下される審判に為す術はないのか――否。

 

 甘んじて神の裁きを受け入れるか否か。それを決めるのは我々自身。

 たとえ相手が神であっても、人々の持つ自由なる意志は立ち向かうことが許されている。

 どれほど強大な存在であろうとも、諦めなければ道は必ずや開かれるのだ。

 

 疑うならば見るがいい。招来した災禍の神霊と対峙する彼等の勇なる姿を。

 

 どこにでもいる少年、少女。端的に言い表せば、彼等は即ちそういうもの。

 しかし彼等の心に絶望はない。力なき身でありながら、不屈の覚悟で魔王へと対峙している。

 彼等は仲間を信じているから。共に絆を紡いだ相棒(サーヴァント)たち、その強さは神霊の力にも負けないと信じている。

 彼等の英雄がいる限り、彼らは決して諦めない。魔王の夢見る試練の楽園(ぱらいぞ)を、多くの命が失われる未来を認めはしない。

 

 荒れ狂う波動の中、交錯する意志。

 甘粕正彦と岸波白野。かつての勝者と敗者、再戦はここに成る。

 

 共に従えし者たちの力を借り受けて、両者は激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黙示録に曰く、その存在は終末に訪れるとされている。

 

 徒波の彼方より来る冒涜者。

 七つの首に人間の罪業・欲望の象徴である十の王冠を被った罪深き者。

 主の敵対者である赤き竜から言祝ぎを受けし者。

 

 全身に浮かび上がる刻印は、主に対する冒涜の呪禁。

 即ちそれは滅びを導く災厄のカタチ、強欲をもって災いを世に招くとされる獣。

 

 

 ――――666の獣(アンチキリスト)。 

 

 

 世界に齎す災禍に相応しき悪性の化身、黙示録を告げる獣が降り立った。

 

「醜悪な……。我が偉大なる祖国(ローマ)をこのように形容するとは、つくづく宗教家どもの勘ぐりとは下世話なものよ」

 七頭の獣より産み落とされ、波となって襲い来る獣の群に、赤き剣士(セイバー)は剣を奔らせる。

 その剣技は優美にして鮮烈。ただ喰らうしか能のない畜生の群れなど、煌めく"原初の火(アェストゥス・エウトゥス)"の赤刃の露と消えるより他にない。

 鮮麗されたその技法は、しかし戦の火にて鍛えられたものではない。元より彼女は為政者にして芸術家。間接にはともかく、戦場の血化粧とは無縁の身である。

 だがそんなことは関係ないのだ。なぜならその身は偉大なるローマの皇帝、万能の天才にして世に並びなき至高の芸術である。

 ならば如何なる技だとて行使されて然るべき。理屈などない、誰より彼女自身がそうだと確信しているが故に、その我儘(ルール)は因果を侵す。

 評価規格外と認定された皇帝特権。振るわれる剣の冴えに偽りはなく、一級の英霊にも劣らない完成度。群がるだけの獣など敵ではない。

 

 精強さを示す剣の英霊。しかしてそれは、戦況の趨勢を表したものでは有り得なかった。

 

 黙示録の獣より産み落とされる獣の群れ。

 その現象は獣にとって呼吸に等しい。すべての邪悪を生み出す権能の枝葉に過ぎない。

 獣は未だ一度も攻撃には移っていない。そして放たれる神威は、有象無象の牙など比べ物にならないほど強大だった。

 

「■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!」

 

 七頭より発せられる、この世の音ならざる獣の咆哮。

 その響きを耳にすれば魂が凍りつく。根源より呼び起こされる、支配者たる存在への隷属の衝動。

 あらゆる不遜と冒涜が許された王権、悪徳の退廃へと誘う権能に、人に属する存在は耐えられない。

 

 轟く咆哮によって停止した生贄(エサ)に、獣の一部たる畜生が殺到した。

 そこにあるのは獲物を喰らわんという意志。欲望のままに貪り、己を満たさんとする堕落者の群れだ。

 王の咆哮(こえ)により解き放たれた悪欲は、その標的に牙を突き立てんと唸りを上げて突き進んだ。

 

 それら醜き畜生ども、自身に群がる悪欲にセイバーは苛烈なる剣の一閃で返礼とした。

 

 斬り捨てられる有象無象。

 セイバーは屈していない。誰もが膝つく獣の王権を撥ね返している。

 身に纏いし神話礼装。皇帝権威を表す真紅と黄金の戦装束は、魔神の権能を前にしても揺らぐことはない。

 当然だろう、麗しきその身はこの世の至宝。畜生如きに蹂躙されるなどあってはならないのだから。

 

 ならばこそ獣の食指は動く。冒涜の化身は自ら蹂躙を開始した。

 

 七頭の獣が獰猛にして醜悪な嘶きを上げる。

 その財を、その命を、その尊厳の総てを蹂躙し貪り喰らわんがために。

 極限にまで密度を深める獣の神威。巨躯より溢れる暴虐の総てが赤き剣士(セイバー)へと向けて繰り出された。

 

 襲いかかる七頭を掻い潜り、セイバーの剣が一頭の首を斬り裂く。

 噴き出す鮮血。だが断ち斬ったはずのその首も、即座に繋ぎあって再生を果たしてしまう。

 事態はそれだけにおさまらない。周囲に散った獣の血潮、蠢いたそれより新たな畜生が生み出された。

 一切の滅びを否定する不死性。斬れば斬るだけ増殖を繰り返し、殺到されるそこは獣の支配する鏖殺空間。

 狩り場に入った獲物は逃さない。その足掻きも、全ては獣のために献上される贄に過ぎないのだ。

 

 増え続ける敵の牙がセイバーを追い立てる。そして遂に、獣の顎がその身を捉えた。

 

 真紅と黄金を纏った身が引き裂かれ、赤き剣士(セイバー)を更なる朱で染める。 

 群がる獣の牙。悍ましい嘶きを上げた畜生等にあるのは悪欲に従い蹂躙する歓喜のみ。

 そこに生命への尊厳はない。強欲なる災厄の獣王は預言の通りに万象一切への冒涜を繰り返す。

 

 

「―――優美はなく、愛もない。ただ強欲に喰らい散らかす我執。それが貴様か、獣よ」

 

 

 底なしの沼のように群がり重なった畜生の群れ、その中心点より赤き剣士(セイバー)が躍り出た。

 その姿、麗しの美のカタチには欠けるものなし。引き裂かれたはずの身は確かに繋がり、群がった獣どもを一刀のもとに両断する。

 

 ――三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)

 

 三日の後、死した皇帝は起き上がる。

 逸話の通り、一度の死を超えて確かな復活を果たす。

 それは火山より蘇る不死鳥の如く、舞い戻った赤い剣士(セイバー)には焔の意志が灯っていた。

 

「それを以て貴様を否定はすまい。美観とは善悪の如何では語れぬもの。

 退廃と悪徳の中にも美はあろう。それの象徴である貴様は、あるいは世に価値を持つのかもしれん」

 

「だが余は貴様を否定しよう。その存在、断固として認めん。なぜか――――」

 

 舞い降りし剣姫より溢れるのは――黄金。

 世界の上に建築されていく彼女のための絶対皇帝圏。己の願望(ルール)のままに敵を縛る空間に、獣の王が閉ざされていく。

 

「仮にも(ネロ)の名を担っておきながら、貴様の存在は余という名器の一片さえも表してはいないからだ!

 まったくもって度し難い! 強欲のままに欲し悪意によって費やすが皇帝()であるなどと、神の信徒どもの悪意が透けて見えるわ」

 

「貴様の存在は余を騙りながら余を見ておらん。人々が憎むべき悪性のカタチ、ただそう在るために求められた姿に過ぎん。

 そこに美しさはない。芸術(アート)だとは認められんな。本質を見ようとせず主観に曇った偶像など、一片の存在価値も有りはせぬ!」

 

 ゆえに獣よ、死にたまえ。

 元より汝は敵対者。失われた主の愛を逆説的に証明するもの。

 冒涜と退廃、人の持つ悪性の化身。ならば人の善なる意志に討たれ、滅び去るが意義だと知るがいい。

 

「――この一輪を手向けとしよう」

 

 黄金の輝きが世界を染め上げていく。

 築かれる荘厳な建造物。赤い剣士(セイバー)が思い描いた、それは一つの芸術の完成形。

 黄金の中に薔薇が舞う。花弁の真紅は情熱の色、駆け抜ける一迅は炎の如き美を表して、群れなす畜生等を斬り飛ばした。

 

「舞い散るが華、斬り裂くは星! これぞ至高の美……。

 しかして讃えよ! 黄金劇場(ドムス・アウレア)と!!」

 

 有象無象を一蹴して、ここに黄金の劇場は完成した。

 

 この劇場こそは、皇帝たる剣士(セイバー)が生前に築き上げた至高の芸術品(アート)

 彼女が思い描く美観の総てを遺憾なく発揮するための場所。黄金に彩られた劇場の主催者は傲慢なる愛を顕わとする。

 

 ――招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)

 

 世界を上書きする固有結界とは似て非なる大魔術。

 魔力によって再現された黄金劇場は、世界の上に確固として存在する建造物。

 そこに立つセイバーには絶対の有利を、敵対する者には呪縛の不利を与える皇帝のための領土である。

 

「冥府に逝く前に教訓を授けよう。余という並び無き名器の何たるかをな」

 

 獣の王が動き出す。

 雑兵ならば願っただけでも一蹴できよう。だが王者たる獣はそうではない。

 有象無象の畜生など幾ら滅ぼされようが一片の痛痒にもなりはしない。王が健在である限りそれらは無限に現れ続けるのだ。

 黄金の皇帝圏も獣の王権の前には恐れるに足らず。冒涜の言霊を吐き出しながら今度こそ存在総てを蹂躙し尽くすべく進撃する。

 

「強欲で欲し、冒涜で浪費するのではない。余は愛によって求め、情熱を以て費やすのだ。

 知らぬというなら今こそ刻め。余の愛で燃える情熱、その焔の輝きの眩さを焼き付けていくがよい!」

 

 真紅の大剣が、円を描く。

 美しき正円の軌跡は、さながら満月のカタチ。

 だが刃が一周する頃には、見る者は気付くだろう。それは月ではない、煌めく太陽の円であると。

 

 大剣が纏いしは、紅蓮の大火。

 熱い、空間総てを火炎の赤で染め上がてしまうほど、その刀身には焔が燃え盛っている。

 荒々しきその炎は、しかし恐怖を煽る獰猛さとは異なる輝きを備えている。

 当然だろう、その焔こそはセイバーの情熱の具現。胸に秘めたる思いをカタチにした炎であるのだから。

 

 獣が進む。蹂躙の意義に従って。

 迎え撃つのは、炎の大剣を構えたセイバー。

 戦力差など比べるべくもない。相手は終末を象徴する黙示録の獣だ。一介の英霊単体で打倒できる存在ではない。

 

「余は――」

 

 それでも尚、セイバーに勝るものがあるとすれば、それは意志の有無。

 

「奏者が――」

 

 退けないという矜持。負けないという決意。

 それら意志の力が生み出す正道の奇跡に他ならない。

 

「――大っ好きだぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 大剣の一閃が煌めいた刹那、世界を覆わんばかりの大火が燃え広がった。

 

 奏者(マスター)に捧げる、この愛情(おもい)

 偽りなきこの気持ち、それは世の如何なる芸術にも勝る至上の光。

 心を介さず愛を持たぬ獣風情に、この情熱が敗れるなどあるはずがない。

 

 ――星馳せる終幕の薔薇(ファクス・カエレスティス)

 

 世界さえ呑み込む情熱(ほのお)は、獣の王を焼く。

 その巨躯は炎に包まれて、黄金の皇帝圏は不死性を発揮する隙を与えない。

 黙示録を告げる魔神は、間もなく消滅するだろう。甘粕の召喚した災禍の神霊、その一角は崩れ去った。

 

「なれば、そなたたちも示してみせるがよい」

 

 剣を突き立て、勝利を手にした赤い剣士(セイバー)は、他の仲間(サーヴァント)たちへと思いを馳せる。

 

「余という至高の番いが居るとはいえ、そなたたちも我が奏者と縁を結んだサーヴァントであろう。その矜持を見せよ。

 うむ、疑いようもなく余が一番であるな。可愛さ、人気ともに及びもつかぬ。特に出演数を削られているキャスターめには憐憫すら覚えるほどに。

 だが今の余は寛大だ。働き如何によっては、余と奏者の側付き程度には置いてやろう。泣いて感謝するがよい」

 

 懐深い王の器(自評)を示して、セイバーは同胞らの勝利を信じ、祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにやらものすっっっごく腹立つ声援が送られたような――――わきゃん!」

 

 軽口を漏らすキャスターに、着色なき純粋暴力が振るわれる。

 余分な概念など持たない。ただ疾く、重く、巨大な拳の巌。純なる破壊は、故にこそあらゆる守りを粉砕する力となる。

 

 それは見上げるほどの巨体を持った一頭の鬼だった。

 混じり物のない純血、人とは異なる系統樹、総ての鬼種の頂点にある鬼の頭領。

 

 

 ――――大江山・酒呑童子。

 

 

 日本三大に数えられる大化生。

 純然たる超越種として、極限まで高められた怪力乱神。

 ただひたすらに強靭。最強の鬼として持つ暴力こそがその神威。神霊にも匹敵する鬼神がそこに在った。

 

「ていうか、どんだけ~!? こんな大物ポンポン使役してくるなんて反則すぎませんかぁ!?」

 

 軽薄な様子を見せながら、キャスターは多種多様な呪相によって攻め立てる。

 炎天、氷天、密天――、尾より編まれる呪符の雨、火で焼き、凍てつかせ、疾風が牙を剥く。

 

 それら一切を避けることなく受け止めながら、鬼神には一点の痛痒も与えられない。

 特殊な能力によるものではない。それは単純な性能差。振り切れた防御値に攻撃が届かないのだ。

 キャスターの攻勢を意にも介さず、怪力乱神は剛撃を繰り返す。その一撃はキャスターを粉砕して余りある威力である。

 

 そしてそれは、いつまでも逃げ続けていられるほど微温い攻撃では有り得ない。

 

 鬼の一撃がキャスターを捉える。

 山をも穿ち大地を割るその威力。魔術師の柔肌が耐えられる道理はない。

 その結果は粉微塵。肉塊、臓物が飛び散るような半端は無い。一切合切、構成する総てが塵と化す。

 欠片の原形さえ残すことなく、キャスターは無惨な結末を辿って潰えた――

 

「無理無理ぃ! あんなの受けたら死にますって。こちとら紙装甲に定評のある魔術師(キャスター)なんですからね!」

 

 宙を舞った呪符、その一枚が変化してキャスターが現れた。

 

 砕かれたのは写し身(ダミー)

 予期していた通りの己の結末には涙すら出てこない。

 掠めただけでも終わりだろう。こんな手段(ダミー)は何度も続かない。

 勝ち筋より先に、まずは生存のための手段から模索しなければと考えて――

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォォォォォ!!!!!」

 

 猛り吠える鬼の頂点、増大するその神威を前に戦慄した。

 

「ちょ!? これまず――!」

 

 即座に判断し、無数の呪符で張り巡らせる結界陣。

 自身で張った結界の中に身をおいて、キャスターは鬼神の暴威の発現を目の当たりにした。

 

 天より轟く無数の落雷。豪雨と強風の吹き荒ぶ嵐。

 氾濫する大洪水。激動する大地。地底より溢れ出す灼熱の熔岩。

 それらは即ち天変地異。八岐大蛇を起源に持ち、故に発揮される天災の権能。

 地球(ほし)が顕す怒りの側面。国そのものを脅かす大災害が鬼神の怒号に従って発生した。

 

 キャスターの張った結界陣は、大災害を防ぎ止めるためのものではない。

 そんな真似をすれば一瞬で呑み込まれる。地脈の流れに従い、災害の方向を誘導し受け流す陣容だ。

 通り過ぎていく天変地異。それだけでも想像を絶する圧力だが、何とか耐え忍んで大地の怒りが去っていくのを待つ。

 

 だがそれは必然、その場から一歩たりとも動けなくなることも意味していた。

 

「グガガガアアアアアアアァァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァ!!!!!!」

 

 振りかぶられる鬼の巨拳。

 荒れ狂う鬼神にとっては地脈がどうだのはお構いなしだ。

 打ち下ろされる拳は一切の減衰なく、鬼の全力を以て振るわれた。

 

 動くことの出来ないキャスターに、それを避けることは敵わない。

 展開される防御術式。可能な限りで、それはキャスターに行使できる最善策。

 呪層・黒天洞。持ち得る手札の中で最も強固な防壁、それを六枚重ねに展開する。

 一枚きりでも宝具すら防ぎ切る漆黒の方陣。どれほどの英霊が相手でも磐石といえる守りであり――

 

 荒ぶる鬼の一撃は、それらを紙を破るが如く砕き割った。

 

「か、は……っ!」

 

 鬼の巨拳を受けてキャスターが吹き飛ばされる。

 砕かれたとはいえ、呪法自体は効果を発揮している。威力は減衰し、故にこそ一撃での粉砕は免れた。

 

 それでも身に受けたダメージは、どう見ようと決定打と成り得るものだった。

 

 ただ殴っただけで、これなのだ。

 鬼神の暴威。金色白面にも並ぶ大化生は英霊の域など超越している。

 未だ一尾の英霊(キャスター)ではどうやっても及ばない。対抗するならば尾を増やし、自らの大本へと近付いていくより他に手段はなく――

 

「なーんて、金色白面(あんなの)をご主人様に晒すなんて二度とありえませんし、私は一尾だけで十分です」

 

 軽く言い放ち、キャスターは立ち上がった。

 

 無論、受けたダメージは本物だ。

 痛みならば幾らでも誤魔化せようが、身体機能の低下は否めない。

 自身の肉体を素体に組み替える呪術にとって、それは安くない代償だ。

 

 対し、鬼は何一つの痛痒も受けていない。

 傷ついたキャスターに打つ手はない。鬼の歩みを止める手立ては一つもない。

 

「まあ、さすがってところですかね。単純な強度では相手になりませんか。分かってはいましたが、改めてみるとひどい差です。

 正面からやり合ってはどうにもなりません。それは素直に認めますが、一つ言わせてもらうなら――」

 

 とどめを刺さんと、鬼神が迫る。

 拳を振り上げ、傷つくキャスターに狙いを定める。

 

「――少しは、疑うことも覚えた方がよろしいかと」

 

 刹那、鬼の様子が変わる。

 足元が覚束無い。焦点が定まっていない。

 如何なる攻撃にも巌の如き不動を保った鬼の身が、ここにきて揺らいでいる。

 

 鬼の足元にあるのは一個の岩。

 場所はちょうど、キャスターが天災を流すために張った陣の中心。そこより吹き出る瘴気に包まれ、鬼は動きを鈍らせていた。

 

 ――常世咲き裂く大殺界(ヒガンバナセッショウセキ)

 

 キャスターの真名、玉藻の前。

 その正体、白面金毛九尾の狐の姿を暴かれ追い詰められた彼女は、自らを石へと変えたとされる。

 それこそが殺生石。そこから溢れる毒は近付く人や動物の命を次々と奪ったという。

 伝承の通り、その毒性は強力無比。相手が英霊級であれば致命にも繋がる被害を与えるだろう。

 

 だが、大江山の鬼の頂点、最強の鬼神を相手に何処まで通用するものか。

 

「いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花……とは申しましょうが。

 今回のはそんなに悪いものではございません。程さえ弁えれば良薬ともなりましょう」

 

 単純に殺傷性のみを追求した毒であれば、鬼の肉体はその悉くを駆逐しただろう。

 無双無欠の鬼の身体。たとえどのような毒であれ己に害を為すものに容赦などない。

 

 しかし鬼の身体に起きている異変は、それらの毒とは全く別のものだ。

 平衡感覚が狂い、足並を揃えるのも難しいが、感じているものは決して不快ではない。

 どこか浮遊している感覚。朧な意識の中で感じる幸福感。辛い現実を忘れさせて、甘い夢へと傾倒させる誘惑。

 

 端的に言い表せば、酔っている。

 岩より溢れる毒に当てられ、鬼は泥酔と同質の状態に陥っていた。

 

「水の陰気、ようは酒の毒ですよ。神便鬼毒酒とまでは申しませんが、足りない分は殺生石で補いましたので、量に問題はありません。

 二代揃って酒の罠にやられた身としましては、防ごうにも防げない"毒"でしょう」

 

 八岐大蛇は、出された酒に酔い寝静まったところを討ち取られた。

 酒呑童子は、宴の席に出された酒で力を封じられ、首を獲られた。

 超越した力を持ちながら、酒に酔わされ討たれたという結末。その因果は強力な縛りとなって神格にも影響を与えている。

 

 回った酒気に酔いながら、怒り狂ったように吼えるのは己の最期を思い出してのことか。

 友誼を結んだと思った相手に毒を盛られ、満足に力を振るう間もなく討ち取られた。

 卑劣を嫌うとされる鬼の気質、その憤怒は推して知るべきだろう。

 

「……私の身の上としましては、あなたの末路に思うところもあります。無念には同情もいたしましょう。

 ですが、同時に物申しておきたいこともあります。ねえ、酒呑童子さん――」

 

「そんな反則じみた力を生まれ持っておいて、みっともなく言い訳できる立場じゃないでしょ、あなた」

 

 ばっさりと、ある種の同胞ともいえる相手に、キャスターは言い捨てた。

 

「隔絶した強さとは、ただそれだけで危ういものです。強大な存在はそれだけで周囲に恐怖を煽る。

 善悪なんて些細なことです。鬼神に横道なきものを? そんな理屈があのイケモン共に通じるとでも? 毒だって盛りますよ、それは。

 人は弱いのです。だから時に騙し、策を以て陥れる。自らが得たいもののために、非力を知恵で補うのです」

 

「あなたは卑劣を行わなかった。けれどそれは、そんな必要がないほどに強靭であったから。強さ無くして、果たしてその在り方を貫けたでしょうか。

 そして人は誤ちを犯しながら、同時に正しく誠実にも在れる。その尊さは、強さという前提がなければ成り立たない正道さなど比べ物にもなりません」

 

「正々堂々と在りたいなら、一度人間に生まれ直すことをお薦めしますよ。そうすれば見える世界も違ってくるでしょう」

 

 人に興味を持った天照大神。誰かのために仕える人々の幸せそうな姿に憧れ、その喜びを知ろうと自らも人の世界へ転生した。

 その結末は、誠心誠意に尽くしながら、ただ『人ではない』という理由による迫害と追放。人の弱さを持った身に、その絶望は計り知れない。

 それでも彼女は主に尽くすことを止めはしない。その悪性を、醜さを知っても尚、儚いその命への愛おしさは変わらなかったから。

 

「ですが、あなたが私に勝てない理由はそんなことではありません。それは――」

 

「せっせとご主人様とのフラグの積立建築を行ってきた私が、ぽっと出のあなたに負けるはずがねーのです!

 ご主人様とのイチャラブ新婚生活もまだなのに、これ以上あなたに拘っているつもりなんてこれっぽっちもありませんから」

 

 鬼に向けて、キャスターが駆け出す。

 魔術師(キャスター)というクラスにはそぐわぬ突貫。術の繰り手にとって近接は避けて然るべき。

 だが、それは自棄ではない。これぞ彼女が開眼した必殺の型、持ち得る中の最強の切り札(ジョーカー)なのだから。

 

「いきます! これが私の、奥の手です!」

 

 想いをこの手に。

 数多の激情、力と変えて。握り固めた拳へと。

 ご主人様への愛と欲情、幾人の恋敵、特に赤い皇帝様への妬み僻み、その他諸々。

 一切合切総てを乗せて。全身全霊を()()へと叩き込む。

 

 その名、呪法・玉天崩。

 

「――――金的」

 

「金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的金的ィィィッ!!!!!」

 

 その拳撃は、睾丸を砕く。

 其は"男"を打破し制するもの。

 その浮気を許さず、遍く不倫を否定する拳。

 

 

 ――――またの名を、一夫多妻去勢拳(ハーレム滅ぶべし、慈悲はない)

 

 

 男子足るならば逃れられないその威力。

 鬼の肉体に亀裂が走り、その存在が崩壊していく――股間から。

 

「あなたの敗因はたったひとつ。たったひとつの単純(シンプル)な答えです」

 

「『あなたは女体化していなかった』」

 

 崩れ落ちていく鬼の巨躯。

 告げられた敗因の真偽はともかく、果たしてその心中は如何ばかりか。

 

 かつて最強の呼び名と共に君臨した最強鬼の頭領。

 人の卑劣(よわ)さを憎んだ鬼。それを再び打ち破ったのは、人の誠実(よわ)さを知った異端(どうるい)

 皮肉なその結末は、鬼の心に何らかの答えを与えるものであるかもしれず――

 

少女(ロリ)になってから出直しやがれっ!」

 

 そして無論、打倒を果たしたキャスターにとってはどうでもいいことである。

 

 崩れる鬼の姿背に、お決まりのポージング。

 清々しいまでのドヤ顔と共に、自称良妻狐は平常運転だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王の前に立ちはだかったのは、一頭の巨大な獣だった。 

 

 遥かな地平まで覆い尽くすその巨躯は、倒れれば森の総てがざわつくとされる。

 その身は神獣。神より大いなる自然の恵みをその権威と共に任された、聖域の守護者。

 竜種を除いた幻想の最強種。そのカテゴリーにおいて最古に位置するだろう聖なる獣。

 

 黄金の王は、その獣を知っていた。

 生前に打ち立てた数多の偉業、その一つである香柏の獲得、即ち人類文明の開拓。

 番人としてその事業の前に立ち塞がった獣は、王の叙事詩において最大級の難敵として描かれている。

 

 

 ――――香柏の森の番人、フンババ。

 

 

 文明が拓かれる前に、獣は自然側の守り手として存在した。

 その在り方は自然の触覚たる精霊に近い。傲岸に恵みを欲する人類に遣わした災禍の化身。

 太古の時代よりその存在意義は変わっていない。身の程を弁えず侵略を繰り返す人類に、獣は怒りを顕に牙を剥くのだ。

 

「我の前に此奴を差し向けるか。裁定者を気取った真似といい、つくづく不遜に弁えぬ不届き者よ」

 

 神獣の召喚者である甘粕正彦。その意図は透けて見えている。

 この獣を討伐するのに、かつて王は神の助力と友の存在を必要とした。

 だが今の王は唯一人。若き日の大敵を乗り超える、これはそのための試練である。

 

 この人類最古の王、英雄の中の英雄王ギルガメッシュを、試すと。

 その傲慢、その不敬、いずれも万死に値する大罪。人を人と思わぬ絶対者の感性からすれば、その結論は明白だった。

 

「だが許そう。神霊すら下し、自らに従属させる傲岸極まる意志。貴様には超越に至った者としての資格がある」

 

 しかしそれを踏まえた上で、傲岸不遜の権化であるはずの英雄王は、許すと口にした。

 王に対し不敬にも試練を課し、その強さの何たるかを不遜にも試そうとする者を、容認すると。

 有り得ぬはずの王の結論。そこに道理を見出すなら、やはり有り得ぬはずの相手にこそその理屈はあるのだろう。

 

 甘粕正彦。

 人の身にして万能の座に至り、神すら従える力を獲得した男。

 王はその存在を認めた。傲岸不遜の英雄王を以てして、その偉業を見事だとして讃えたのだ。

 

 片や、災禍の試練を以て人間の成長を夢見る男。

 片や、奪いて犯す暴君として君臨し、人類の発展を見据える王。

 彼等は共に裁定者。孤高なる天上に立ち、世の善悪ではなく己の眼を以てのみ価値を定めると覚悟した者。

 その意志の強さには一点の脆さもない。英雄王は此度の敵対者を自らと対等な地平に立った者として認めていた。

 

「ならばこそ知るがいい。天地に理を示すべき裁定者は唯一人、このギルガメッシュをおいて他にはおらんとな!」

 

 故に、甘粕正彦。彼の者を罪人としては裁かない。

 己の同格の超越者として、慢心を捨てて討ち果たすと宣言する。

 

「この趣向もなかなかに面白い。若気の至りの屈辱もある。精算には良い機会だ。

 覚悟しておけよ、月の覇者よ。貴様が我を計りに乗せるように、我も貴様を裁定してやろう。

 その価値を試そう。下らぬ(きず)など見せようものなら、その瞬間こそ滅びの時と刻んでおけ」

 

 これはその前哨戦。甘粕正彦を裁定するため、まずは奴が遣わしたこの神獣を屠る

 天に地に、空間全てに開かれた王の蔵。展開される原典宝具の総数は、ゆうに千を超えている。

 王が一言命じれば、それらは雨の如く降り注ぐだろう。どれ一つとして並の武具ではない、そんなものが雨霰と。

 

 これこそが王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 この世の全ての財を収集した原初の王、ギルガメッシュのみが持つ宝物殿。

 英雄譚の原点を知る王は、故に全ての伝承の原形を持つ。その蔵にはおよそ人の英知で届き得る総てが納めてあった。

 出し惜しみなく抜き放たれた宝具の総列。その暴威を一身に浴びれば、如何に幻獣、神獣の類であろうとも原形すら残るまい。

 

 号令が下る。

 展開された千の宝具が一斉に神獣へ向けて降り注いだ。

 幾十、幾百と続く宝具概念の洗礼。それらは余さず神獣の身へと突き刺さり――

 

 一斉射の後に現れた原初の神獣(フンババ)は、全くの無傷だった。

 

「ほう。それがエンリル神より授かりし守護の権威、七の鎧衣か。我も直に見るのは初めてだな」

 

 森の守護者フンババは、その責務を最高神(エンリル)より任されたとされる。

 その守護の任を全うすべく、神獣には七の鎧衣が与えられた。総てが揃っていれば何人にも破ることの敵わない、絶対の守りが。

 かつてギルガメッシュが討伐した際には、神獣は鎧衣を一つしか纏っていなかった。一つの鎧衣のみのフンババに彼と友は苦戦を強いられたのだ。

 神獣には今、七の鎧衣が揃っている。本来の守りを取り戻した神獣は絶対無敵。たとえ千の宝具を揃えようとも、その守りの前には塵芥に等しい。

 

 攻守が入れ替わる。原初の神獣が持つ暴威の全てが向けられる。

 今のギルガメッシュに加護を授ける天の助けはない。隣に立ち、共に駆けてくれる友もいない。

 王一人では神獣には抗えない。伝承に示される通りならば、その結末は自明の理だ。

 

 獣の鳴く声は文明を流す大洪水。

 雄大なる巨躯の歩みは大地を震し、森の木々をざわめかせる。

 口より吐かれる火と毒は、この世の万物を焼き腐らせる滅びの具現だ。

 神獣が持つ数多の災禍。その猛威に晒される英雄王は、持てる財を惜しむことなく使い潰して凌いでいく。

 

 瞬間、相対する神獣の眼光が英雄王の身を射抜いた。

 

「がぁ……っ!?」

 

 神獣フンババの持つ魔眼。

 それは数ある魔眼の中でも最上級に位置する"石化の魔眼"だ。

 一切の工程を無視し、目視したという事実のみを以て対象を石に変える。ギリシャに伝わる蛇髪の怪物にとっては象徴といえるモノ。

 無論、それだけならば英雄王が揺らぐ道理はない。かの怪物は宝具を駆使した未熟な英雄の手により討たれた。ならばあらゆる宝具の原形を持つ英雄王にとって、その攻略は造作もない。

 だが王の前に在るのは原初の時代に君臨せし大自然の守護獣。最高位の魔眼だとてこの神獣にとっては能力の一端に過ぎない。

 如何に抗うことが可能でも、発生する空隙は埋められない。その途切れ目を突き、神獣の猛攻が英雄王を蹂躙した。

 

「ぐっ、があああああッ!!!」

 

 災禍の嵐に晒されて、纏う黄金の鎧が砕け散る。

 周囲に転がるのは獣によって砕かれた宝具の残骸。壊れた宝の中心で英雄王は倒れ伏した。

 

 無様を晒すかつての怨敵に、神獣は愉悦に満ちた嘶きを上げた。

 

 神に逆らいし愚かな王よ、その末路こそ貴様に似合いのものだ。

 貴様は朽ちた宝物殿の主。その手に残ったモノなど何もない。

 民からは見放され、唯一の友さえも失った。貴様は永遠の孤独の中でもがき苦しむのだ。

 

 獣が投げかける侮蔑の数々。だがその言葉は王の生涯を表すものとして正鵠を射ている。

 神を憎んで人を罰し、弱さを知りながら弱さを省みることをしなかった。

 その結末にあったのは孤独な最期。国も財もかなぐり捨てて、手にした不死の宝も蛇に掠め取られる体たらく。

 何たる無様な末路だろう。天より祝福を受けたはずの神の子が、そのような徒労の果てに旅路を終えるなど。

 その不合理こそ我が呪い。我欲のままに自然(われら)を蹂躙した罰。今こそかつての嘆きを思い出し、永劫の後悔に苦しめと獣は叫ぶ。

 

 

「――――たわけ。我に友などおらんわ」

 

 

 それら獣の侮蔑を一顧だにせず、英雄王は立ち上がった。

 

 砕かれた鎧より顕わとなった半身。

 受けたはずの負傷は消え失せて、肉体に走るのは炎のような真紅の紋様。

 財も鎧も脱ぎ捨てた、これこそ王の原初の姿。晒された格好に従って、王はその本領を発揮する。

 

「我は遍く地上の人間どもの守護者として、この世の全悪を排したまでのこと。貴様の憎悪など涼風にも感じぬ。

 弁えるのだな、神の獣。過ぎた狭き世界の番人よ。貴様如きの主観で計れる我など、微塵たりとて存在せぬ」

 

 告げられる王の言葉に、怒り吼えるのは獣の方だ。

 なんたる傲慢、なんたる不遜。天の父より大地の恵みを任されし我を指して、悪だと。

 どこにそんな道理がある。神に逆らい、我欲によって我が恵みを欲したのは貴様の方ではないか。

 貴様は我が守ってきた恵みを奪い、あまつさえ人が強欲のままに自然を喰い散らかさぬよう臣従を申し出た我の言葉すら、切り捨てた。

 その行いのどこに善がある。貴様はただ奪い、殺しただけの大罪人。その所業は悪以外の何者でもない。

 

 獣の発する糾弾。

 憤慨する声を聞き届けて、しかし王の面貌には揺らぎの一つも起きない。

 

「たわけが。世の善悪を定めるは心理ではなく法よ。この地上に敷かれた法が、貴様を悪と定めたのだ」

 

 獣が叫ぶ。そんな法がどこにある、と。

 神より守護者の任を賜った聖なる獣。その権威に勝る法律がこの地上のどこにあるという。

 

 王は答える。愚問である、と。

 

「我が王として敷いた、我の法だ」

 

 絶対の王者が定める法とは、絶対の基準。

 その基準とは『己』。唯一の絶対たる自分自身こそが全て。

 彼はこの世のあらゆる価値を収奪する、裁定のために。超越の視点で以て在るべきか死すべきかを定めるために。

 宇宙の真理が如き英断も、前後不覚のような悪政も、王が行うならば紛れもない王の裁定。

 彼はその絶対の価値観で以て、神獣に裁定を下したのだ。人が拓き広がり行くを善事、それを妨げるは悪事であると。

 

 だからこそギルガメッシュは英雄なのだ。

 人のために戦い、人のためにその身を尽くした、正真正銘の善の英雄。

 拓かれていく人類の未来を見据え、神代の後の新しき世界こそ善しとした人類の守護者である。

 

「我が民に敷き詰めるは絶対の基準。王が判断を躊躇っては民どもが罪に迷おう。

 今さら貴様が何を喚こうが裁定は覆らん。森の番人よ、貴様は疾く滅び去るが最期の役目と知れ」

 

 傲岸不遜にそう告げる。

 守るべきものを奪われた獣の憤怒と慟哭、それら全てを無価値と断じて。真紅の双眸には一点の情もなかった。

 

 違う、この男はかつてと違っている。

 この男はなんだ。過去に見た傲慢ながらも勇猛に満ちていた若者はどこに消えた。

 青年だった頃の彼はまだ人間だった。少なくともそう見えるだけの不完全さがあった。

 眼前に立つ男にはそれがない。絶対者として下す裁定には一切の共感・同意を不要と断じている。

 

 その眼光に晒されて、神獣が感じたのは畏れだった。

 己の価値観こそが唯一無二。その裁定によって悪と断じたモノは疾く死すべき者。

 余りにも横暴が過ぎるその振る舞い。だが絶対の王の姿を目の前にしては、その決定こそ正しいのではと信じそうになる。

 それは、神獣にとっても同じ。原初から続く悠久の時、不変のままに貫く王道に、獣は何処か崇高さすら覚えたほどで――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 胸に芽吹いたそれを振り切るように、神獣は咆哮を轟かす。

 巨躯を躍動させ脚で以て踏み込んで、ここに獣は突撃を敢行した。

 

 それは最も原始的な攻撃方法であり、その身こそ武器である獣にとっては最強の手段だった。

 巨体が踏み鳴らす行進は大地を震撼させ、溢れる殺意は物理的な災禍と化して破壊を振りまいていく。

 そんな暴威の正面に晒される者の心境は如何ほどか。余りに隔絶した力の差を前に、絶望して膝を屈するのが常道だろう。

 

「王の手ずからに裁きを下させるか。その不心得ぶり、全悪の罪に重ね万死に値する。

 蒙昧なる獣よ。友と並んで駆けた英雄はここにはいない。神は要らず、友も不要。孤高なる我が王道の何たるか、命を代価に学ぶがよい」

 

 突撃する神獣に突き付けるように、ギルガメッシュは左腕を突き出す。

 その腕に巻き付けられた鎖。まるで自らを封ずるように巻かれたそれが解き放たれ、神獣の巨躯を覆うように展開していく。

 

 鎖の宝具の名は、天の鎖(エルキドゥ)

 天を覆い尽くした雄牛をも拘束した、神性を封じる縛鎖。

 そして、かつて同じ地平を駆け抜けた友の名を冠した、ギルガメッシュが最も"信頼"を置く宝具である。

 

 神獣の行進が縫い止められる。

 すでに眼前まで迫っていた神獣が、ここに来て完全に停止していた。

 無論、神獣とて抵抗を止めてはいない。縛る鎖を軋ませて、眼前の敵を喰い千切らんと足掻いている。

 その様子はギルガメッシュの眼にも映っている。未だ殺意を絶やしていないその威容を目にした上で、彼の様子には微塵も危機を感じさせるものはなかった。

 

 悠然たる態度こそ、彼にとっての信頼の証。

 二度と呼ぶことのない名を冠した宝具、これしきの事は当然だと信じて疑わない。

 

 そして右腕にて手にするのは、数ある王の宝具の中で"最強"と確信する無二の逸品だった。

 

「地の理を守護する獣よ。貴様に下すのは天の理がふさわしい。さあ! 死に物狂いで耐えるがよい、不敬!」

 

 抜き出したのは一本の剣。剣という概念が誕生する前のカタチ。

 円柱状の三つの刀身を重ねたそれは、およそ従来の剣の姿とはかけ離れている。

 柄があり、刀身がある。その事実を以てのみ剣だとしている。

 銘は持たない、無銘の一振り。担い手からの呼び名は『乖離剣』。あるいは知恵の神エアの名を冠したもの。

 今は静寂を保っている剣の宝具。しかして一度呼び起こされれば、この世に人類最古の地獄を顕現させる一撃を生むのだ。

 

「原初を語る――――」

 

「元素は混ざり、固まり……万象織りなす星を生む!」

 

 三つの円柱が回り始める。

 圧倒的な回転圧力の中で生み出されるのは、巨大な力場同士が絡み合った螺旋宇宙。

 空間そのものを変動させる神霊の権能にも匹敵する力。その規模はもはや個の生命に使用する領域にはない。

 故にこの剣は対界宝具。世界を相手に振るうべきその威力が、原初の神獣へと向けて放たれる。

 

「死して拝せよ――天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!!!」

 

 

 ――――刹那、天地を裂いて現れたのは、原初の虚無に包まれた地獄の風景。

 

 

 その一撃は、始まりの混沌たる世界に天と地を分け隔てた権能の具現。

 星造りの一柱、世界の創造者たる知恵の神エア。神の名を冠した剣は、その神威の再現である。

 斬撃による空間切断、発生した次元断層は、まさしく天地を乖離させた神話そのもの。螺旋を描いて世界を斬り進むその一撃が、鎖に繋がれた神獣を捉えた。

 

 無敵の防御を誇るはずの七の鎧衣が、一振りの斬撃の下に裂かれていく。

 この一撃を前にしては如何なる守りも意味をなくす。世界から遮断でもされない限りは防ぐことは敵わない。

 それは神獣にとっても同様だ。三層にて織り成される螺旋宇宙に巻き込まれ、その身は確実は滅びへと呑まれていった。

 

 滅び逝くその刹那の中、神獣が抱いたのは"なぜ"という疑問だった。

 

 脳裏に映し出されるのは、かつて相対した若かりし日の彼の姿。

 かの日の姿にも英雄としての勇があった。精強さのみを問えばそう変わるとは思えない。

 神に助けられ、友に励まされ、我に対し恐怖すら抱いていた若者が、どうしてここまで違うのか。

 疑念は消えない。神に逆らって友を奪われ、孤独の内に暴君として終えたその生涯の果てに、如何なる解答を得たのかと。

 

「愚昧めが。言ったあろう、我に友などおらんと」

 

 獣の疑問に王は示す。未熟な時代を終えて定まったその在り方を。

 

 幼年期は、神を敬い人を愛した善君としてのカタチ。

 地上で最も完成された王聖を以て君臨し、統治の何たるかを理解した。

 

 青年期は、勇猛と可能性に溢れた英雄としてのカタチ。

 己の在り方を定めたが完璧ではなく、その不完全さを以て人間の何たるかを理解した。

 

 そうして完成されたカタチこそ、絶対の裁定者たる英雄王の在り方。

 英雄ギルガメッシュは、叙事詩に語られる生涯を通じて成長を果たし、不変の在り方を手に入れた。

 たとえ幾星霜の時が流れようと、彼は手にした在り方を貫くだろう。その王道(かいとう)は、不老不死の夢などよりも遥かに価値ある永劫の輝きなのだから。

 

「天地の理を知り、人の理も余さず見通した。我は我が価値を定めた人類の世界、その果てまで裁定を続けよう。

 我にはもはや神も友も必要ない。有るべきは絶対の基準たる我自身。それのみが有れば良い」

 

 彼にとって生命とはいずれ消え去るもの。永劫の裁定の中で観る刹那の夢に過ぎない。

 愛でるべきは財宝という名の道具。一つの価値として定まった不変の輝きだけなのだ。

 たとえそれが、どれほど愛するに値すると認めた後であろうとも、過ぎ去ったものに囚われることはない。

 

 ――ああ、それはなんて、孤独なる道であることか。

 

 定めた裁定の在り方を貫くため、その王道は孤高であるしかない。

絶対とは交わらないということ。他者のどんな思想にも共感せず、誰一人として寄せ付けない。

 そうでなければ裁定者としての意義がない。たとえ何があろうとも、その在り方だけは崩さないと決めている。

 だから王は一人である。その隣に誰かが並び立つことはない。彼はあくまで見定める者として、俯瞰した場所から人を観るのだ。

 

 きっとそれだけが、彼が王として遍く世界の者らに示せる、たった一つの誠意であるから。

 

 それで全てを許せたわけではない。

 獣にとって王は怨敵。守護者としての使命を奪い、その恵みを略奪した憎むべき敵でしかない。

 だがそれでも、我欲を貪るままに見えたその所業の裏には、確かに一つの道理があった。それだけは理解できたから。

 

 そんな一つの"納得"だけを抱いて、神獣は虚無の中へと還っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "孔"より漏れ出る黒い泥。

 姿が見えない不定形。確かな質感のない流動の塊。

 分かるのは、それが物理的意味を持たない概念の存在であること。その概念とは、この世の悪性に彩られた醜悪極まる呪いの類であることだ。

 

 眼前に見えるその光景に、アーチャーは覚えがある。

 この世界ではない何処か。英霊の座に昇った後、集積された数多の世界の軌跡。

 恐らくはその一つ。持たないはずの記憶が甦り、決してその存在を許してはならないと警鐘を鳴らしている。

 

 

 ――――この世、全ての悪(アンリ・マユ)

 

 

 ゾロアスターの悪神の名を冠したそれは、神霊という括りの中でも異端である。

 ただ悪であれ、あらゆる罪の元凶であれと願われて、その通りに世界を犯す呪いの芳流。

 姿形などあるはずがない。あれはこの世の悪という概念を一つの元に集めたもの。

 再現された悪神は、月の裏側に封印された悪性情報そのものの流出体だ。

 

 看過など、出来るはずがない。

 錬鉄の意志に覚悟を乗せ、アーチャーは目の前の全悪を破壊するべく剣を取った。

 

「――ああ、さすが。許せないモノと分かったら即決だね、掃除屋さんは。まったく筋金入りは仕事が早い」

 

 溢れる泥の中、カタチの無かったそこに一つの意志が形を成していく。

 

 やがてそこには、一人のヒトガタが立っていた。

 全身に隈なく施された刺青。それは時代の悪性を示す邪の呪刻。

 蠢く模様は直視していれば正気を毒される異端だが、それ以外を見ればこの場ではむしろ凡庸とさえ言える。

 悪戯っぽい笑みを浮かべた"彼"は、どこにでもいる少年にも見えた。

 

 それがアーチャーに相対する、甘粕正彦の喚びだした災禍の姿だった。

 

「貴様は……"この世、全ての悪(アンリ・マユ)"なのか?」

 

「不思議かい? まあそうだろうね。本来俺にはこんなカタチなんてないはずだから。

 でもまあ、事実こうして現界もしているわけで。カタチがないってままじゃあ締まりが悪い。

 だから手っ取り早く、手近な所で"殻"を見繕ってきたってわけよ」

 

 語ってみせる口調にも歪なものはない。

 思考も正常。およそ悪神の具現としてふさわしい姿ではない。

 

 その姿を余さず観察して、アーチャーの胸に躊躇の感情は一切なかった。

 

「雑談でもして楽しもうって雰囲気でもないし、さっそく一発ヤっとくかい?

 俺は全然構わないぜ。なんでか今の俺、アンタのことが気に入らないみたいだし。斬り合い共食い大歓迎さ」

 

「是非もない。元より個人の好感など度外視して、貴様は討たねばならない存在だ。

 この世の悪という概念の具現。その存在を野放しには出来ん」

 

 そうだ、やることは変わらない。

 たとえどんな意志を持とうが、本質には何の変わりもないのだ。

 その存在を世界に呪いを齎すモノ。解き放たれれば数多の犠牲を生み出す災禍だ。

 迷うべきことはない。この存在は紛れもない人類の害。己が討つべき悪だ。

 

「悪、悪ねぇ……。まあその通りではあるけどさ。

 なあ、アンタが言うところの悪って奴は、要するに人を殺すものかって所で定義するもんなんだろう。

 善性、悪性とかはとりあえず二の次で、十のために一を切り捨てて、とかそんな理屈だ」

 

「なあ正義の味方? 悪人でもないのに正義(みんな)のために切り捨てられた奴の気持ちってのは、どんなものかな?」

 

 アーチャーは、答えない。

 余分な思考は捨て置いて、考えるのは打倒のための戦術論理。

 能力は何か、勝機は何処か、観察の中でそれらを見出し、一点を見逃すまいと構えている。

 

「だんまりかい。まあアンタにとっちゃこんな問答は今さらだろうし、始めると言った手前、文句もつけづらいねぇ。

 なら斬った張ったで語ろうかい。といっても、俺のやり方なんて一つきりしかないけどね」

 

 飄々とした悪神の様子に、アーチャーは訝しむ。

 悪神の立ち振る舞いは奇妙だ。それも脅威に感じる類のものではない。

 その手には何の武器も握られておらず、武に通じた気配もない。

 斬り結べば容易く斬り伏せられる。そんな楽観的な未来がほぼ確信さえ出来るのだ。

 

 だがそんなはずがない。

 目の前に立つのは悪神。少年のカタチをした悪性の化身である。

 迂闊に攻め込めばどのような逆襲が待っているか。容易く打倒が敵う存在であるはずがないのだ。

 

「警戒してるとこ悪いけど。言っちゃなんだけど俺、すげぇ弱いぜ。

 まともにやらせたらマジで最弱だと思うよ。いや、さすがに作家連中には勝てるかもしんないけどさ。

 俺の場合は宝具一本だから。それさえ突破すれば後は煮るなり焼くなりってね」

 

 意図が掴めない。何故こうも手の内を晒してくる。

 あるいはブラフか。それとも晒して尚という絶対の自信か。

 皮肉に笑う少年からは何も読み取れない。その表情からは危機の意識が欠けていた。

 

「まあその宝具だって英霊として現界してたら、さぞやしょっぱい能力だったんだろうけどさ。

 ――今の俺、神霊だから。ちょっと洒落にならない能力だぜ」

 

 こうしていても埓が明かない。まずは一手、仕掛けてみる。

 覚悟を決める。手にした双剣を地に突き立て、新たに手にするは黒塗りの弓。

 可能な限りのリスクは回避する。まずは距離を置いての牽制射撃。淀みない動作で投影した矢を番えて――

 

 胎の内蔵(なかみ)から"何か"が喰い破って現れた。

 

 攻撃のための手が止まる。

 事態は不明。何を仕掛けられたのか、皆目検討もついていない。

 分かることは一つだけ。身体を裂いて這い出た"何か"。それがあの孔から漏れる泥と同質であることだ。

 

「何が起こったって顔してるから、解説を入れさせてもらうぜ。

 だがなんてことはねぇさ。それが俺の宝具でね。ホラ、傷の共有って単純な呪い返しだよ。

 己を傷つけた相手に同じ傷を返す。人を呪わば穴二つとさ。この世で最もシンプルで、強力な呪いさ」

 

 ――偽り写し記す万象(ヴェルグ・アヴェスター)

 

 名の由来はゾロアスター教にある教典。

 自分の傷を、傷を負わせた相手の魂に転写して共有する。『報復』という原初の呪い。

 単純であるが故に強力で、如何なる守りを持つサーヴァントでも逃れられない呪殺宝具だ。

 

 だが、そうだとしたら道理が合わない。

 アーチャーはまだ悪神に何の攻撃も仕掛けていない。返される傷など負わせていないのだ。

 単純明快な呪いとはそれ故に裏もない。返すべき傷がなければ呪いの発動は不可能なはず。

 

「疑問はごもっとも。だけど不思議なことなんて何もないぜ。

 俺はただ受けたものを返しているだけさ。単純な呪いなんだ、それ以外なんて出来るわけがない。

 利子もなーんにもない、良心的なクーリングオフってね。あ、悪魔なのに良心的ってのはおかしいか」

 

 解説になっていない。それでは不合理は不合理のままだ。

 こちらからの危害はまだ何もない。ならば返ってくる呪いもまた無いはずで、

 

「――だから、さ。言っただろう」

 

「俺は人類(オマエラ)から押し付けられた"(モノ)"を、そっくりそのまま返してるだけだって」

 

 瞬間、アーチャーの全身を膨大な悪意が蹂躙した。

 

 あるべき中身が塗り潰される。

 腕が、脚が、内蔵が、思考が、己とは違う何かによって喰い千切られる。

 外ではなく内より身を侵す"何か"。その全てがアーチャーを恨み、呪っていた。

 

「話を戻すけどさ。なあ、正義(えいゆう)。切り捨てられる奴の気持ちってのを理解できるかい?」

 

「より多くの命を救うために。そういって色んな奴を今まで切り捨ててきたんだろう。

 罪は感じてた。だから自分なんてものを大事にせず、徹底して他人のために尽くしたんだろう。

 だから正義(みんな)に裁かれる時だって、呆気なくその結末を受け入れられた。最期の救いが無くなって、それが報いなんだと思えたわけだ」

 

「あぁ悲劇だねぇ、救われない。それでそんなアンタの苦しみで、切り捨てた連中に少しでも報いることが出来たと思ったわけかい」

 

 耐え切れずに膝をつく。身体の自由が全く効かない。

 ただの苦痛であるなら耐えられただろう。痛みを超えて闘志を奮起させてこそ英雄。その程度が出来ないはずがない。

 だがこれは違う。単なる呪いの強度だけではない。この悪意の源泉にあるものが、なんであるか理解してしまったから。

 

 ――これは、己が多数(せいぎ)のためという理想の下、切り捨ててきた少数(あく)たちの怨念だった。

 

「そんなわけがないだろう。アンタが何を理解したって?」

 

「だってアンタは選べたじゃないか。人を救うって理想に殉じた生き方を、アンタは自分で選んだんじゃないか。

 それでどんな結末を辿ったにせよ、全ては自業自得ってやつだ。何を後悔したとしても、アンタはそれで納得することができる」

 

「切り捨てられた俺たちは、その後悔さえないんだぜ。

 何が悪かったわけじゃない。ただ不要になったから、下手を掴んだから、俺たちは悪にさせられたんだ。

 倒されて当然の悪党なんざ極小数なんだよ。この世で"悪"と呼ばれる連中の大多数は、選択肢すら与えられなかった弱者(おれ)たちだ」

 

「勘違いするなよ。アンタは恵まれた側なんだ。過去がどうあれ、自分の生き方を決められたんだからな。

 最初から選べる側にいたアンタが、選べなかった俺たちのことが理解できるわけないだろう」

 

 魂を侵す怨嗟は奈落の底より響く亡者の声だ。

 嘆き、苦しみ、知らず、聞かされず、世界から切り捨てられていった者たち。

 彼等は恨んでいる。選ばれなかった者たちは、選ばれた者を妬み、己と同じ地獄へ引き摺り込もうと呪っているのだ。

 引き摺り落とそうとする力に抗えない。その無念の総量は人類史の中で蓄積された弱者(あく)の総計である。

 見放され、切り捨てられ、この世全ての悪の一部となった者たち。人類史の半総数に匹敵する悪意からどうして逃れることが出来るだろう。

 

 そして直接アーチャーの魂を侵していくのは、他でもない彼自身で切り捨てた者たちなのだ。

 

 英雄とは、業を背負う者だ。

 常人とは比べ物にならない密度を誇る彼等の生涯、必然として切り捨てられる者は現れる。

 善悪の問題ではない。成し遂げられる大事の裏には、踏み躙られる者らがいる。その業を背負いながら英雄は前へと進むのだ。

 大なり小なり、人は業を背負って生きている。人であれ英霊であれ、自らの業を捨てることは許されない。

 

 ましてやアーチャーにとって、その業はあまりに深すぎた。

 

「アンタは他人に尽くすのが好きなんだろ。だからより大勢の他人に尽くせる正義の味方になったんだろ。

 ――だったらさぁ、死んだ後くらい、(オレタチ)のために尽くしてくれよ」

 

 それこそが悪神アンリ・マユとしての権能。

 (カレ)はそういうモノであるが故、個人を人類(ぜんたい)と見立てて己の人類悪を背負わせる。

 防御も回避も通用しない。如何なる盾や鎧、概念で身を守ろうと、魂より直接侵食してくる悪意を防ぐ術はない。

 人類に属する存在である限り、悪神の呪いから逃れる術は皆無である。

 

 遍く悪意に陵辱されながら、アーチャーは消えてはいなかった。

 魂の9割以上を侵されて、無数の怨嗟の念に押し潰されながら、未だに自己を保っている。

 

 だがそれは救いを意味しない。

 当然だった。アーチャーを苛む悪意は、彼のことを恨み、呪っている。

 救いなど与えるはずがない。悪意らがアーチャーに求めるのは、地獄の責め苦のみである。

 

 個の意志が消えてしまえば、苦痛を感じることもない。

 死という救いに逃がしてしまえば、この怨念を叩き付ける機会は永遠に失われる。

 そんなことは許さない。理想の下に積み重なった骸の無念、それはこの程度で晴れるものでは断じてないのだ。

 

 ――貴様には、死すら生温い。

 

 遍く悪意に共通するのはその一念。

 永劫に続く責め苦の中、少しでも長くその怨念が満たされるのを望んでいる。

 

「といっても、最期までいく前に壊れちまうだろうがな。

 なあ、正義。せめてアンタが切り捨てた分だけは、きちんと味わって逝ってくれや」

 

 正しく地獄の責め苦の中で、アーチャーは抵抗の意志を失いつつあった。

 どうして振り解くことができるだろう。切り捨てた彼等にどんな言い訳がたつというのか。

 間違いではなかったと、彼等を前にして言うのか。その犠牲は仕方のないものだったと。

 出来るはずがない。ここにあるのは摩耗した理想。誰かを押し退けてまで生かす理由がどこにある。

 そもそも前提が間違っている。己よりも他人のために。そのように生きてきて、どうして弱者(かれら)を振り解く意志が持てるという。

 彼等の怨嗟は正しいものだ。己は裁かれて当然。ならばこのまま、責め苦の中に委ねるのが罰なのだろう。

 

 侵食された魂に強さはない。

 歴戦を生き抜いた戦士の強度も剥ぎ取られ、あるのは理想の始まりにあった少年の姿だった。

 

 助けられないからと見過ごした/見捨てた事実は変わらない

 

 報いるために人を救うと決めた/救われた者などいない

 

 その理想は間違いではないと信じてる/切り捨てられた者は憎んでいる

 

 たとえ結末が報われなかったとしても/何を救ったつもりになっているのだ

 

 

 ――――我々は永劫、貴様のことを許さない―――― 

 

 

 何を叫ぼうとも怨嗟の声は消えない。

 言い繕おうとも正当化などされない。切り捨てられた彼等の憎悪は拭えないのだ。

 だから、理想の果てに残った残骸(じぶん)は、彼等のために責め苦に甘んじるべきなのだろう。

 

 アーチャーという英霊だった者に残されたのは、その結論のみ。

 膨大な悪意の中、すでに彼の意識は閉じている。抗おうとする意思の一欠片さえ残っていない。

 元より彼は他人に尽くす正義だ。自分のためにという(よくぼう)では立ち上がれないのは自明の理。

 

「うん? これは、他所(マスター)からの……?」

 

 ――だからこそ、彼に奮起を呼び起こすには"誰か"の手が必要だった。

 

 アーチャーの身に降り注ぐ砂塵。

 それは魂を侵す異常(あくい)に着手し、取り除こうと機能し始める。

 『オシリスの砂塵』と呼ばれる礼装。その砂が全ての異常を受け止めて、使用者の正常を維持し続ける。

 

「なるほどなるほど、いいマスターだねぇ。実に適切な判断だよ。だけどそんなアンタ等には残念なお知らせだ」

 

「言っただろう。これは傷の共有だって。俺の疵が治らん限りはアンタの疵も治らない。

 まっとうな癒しじゃ通じねぇ。俺が人類悪(こいつ)を捨てなけりゃアンタの呪いも消えねぇのさ」

 

 人類よりこの世全ての"悪"であれと願われた悪神。

 その"悪"が捨て去られる事はない。そんな時が来るとすれば、それは人類が滅んだ後にしか訪れない。

 アーチャーの呪いは癒せない。事実、その身を包んだ砂塵は、何ら一切の効果を発揮してはいなかった。

 

 即ち、無意味。

 そんな主従の無駄な足掻きを悪神は嗤う。

 その無様、みっともなさが堪らない。溜飲も下がると悪意等と共に喜んでいた。

 

「――――ああ、了解した。マスター」

 

 だから、自己すら失いかけてた英雄の、発したその声が信じられなかった。

 

「はぁ? 何? マスターが、何だって?」

 

「聞いていなかったのかい? この呪いは共有だ。俺がいる限り癒えることはねぇ。

 戦うどころか立ち上がることすら出来ねぇだろう。自我だってとっくに壊れかけだ」

 

「なあ言ってみろよ。ポンコツなその様で、アンタは一体なにが出来るってんだ?」

 

 悪神の言う通り、施された癒しはアーチャーには何の効果を与えていない。

 身を苛む呪いは依然、その魂を侵食し責め苦を与え続けている。

 積り重なった人々の怨嗟。その業、背負って歩いていくには深すぎる。

 

 故にこそ、この業は捨てるべきではない。アーチャーはそう決意する。

 

 理想の下に切り捨てられた悪意(かれら)

 眼を背けてはならない。それは紛れもなく己の罪だ。

 あまりに深く、動くことも出来ないほどに重い。それでも背負わなければならないのだ。

 

 彼等(マスター)はいつもそうしてきた。

 ならば従者(サーヴァント)である自分が、それをしないでどうするのか。

 

「……すまない。オレはまだ、あなた方に委ねるわけにはいかない」

 

 与えられる責め苦の中、アーチャーは諦観と共にそれを受け入れていた。

 己にとってこれは当然の罰。摩耗した理想の果てに受けるべき報いなのだと。

 その意識は今も変わっていない。いずれは自らの行いの咎を受けるべきだろう。

 

 だがそれは今この時であってはならない。

 己一人ならいい。だが自分の敗北は、同時に(マスター)の敗北でもある。

 理想のため、万人のためと身を犠牲にしてきた自分が、個人として力を貸したいと願う相手がいる。

 悪意に浸された闇の中、彼等(マスター)の助力が届いた時にそれを思い出した。たとえ癒しが効かなくても、それは何にも代え難い助けだった。

 ならば立ち止まってなどいられない。全てを背負ってでも進まなければ、彼等(マスター)にどうして顔向けできるという。

 

 だから、自分はこの悪を背負ったまま、あの悪神を打倒するとアーチャーは決意した。

 

 地に突き立った双つの剣が炸裂し、内にあった力が解放される。

 それは魔力による爆撃。宝具そのものを爆弾と化して使用する禁じ手中の禁じ手だ。

 

 ――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 宝具を使い捨てるという真っ当な英霊ならば有り得ない選択。

 贋作者(フェイカー)たるアーチャーならば、それは必殺に足る有効な手段と成り得る。

 

 しかし、ここでその威力は敵に向けられない。

 自壊した双剣はアーチャーの下にある。当然その破壊には術者自身が晒された。

 弾けた宝具の魔力が容赦なくアーチャーを吹き飛ばす。

 

 すでに肉体の自由は効かない。

 身動き一つさえ至難であるアーチャーに残された手段は、肉弾。

 爆発の勢いを推進力とし、己自身を矢と化して敵に向かう突貫であった。

 

 そして、弾き飛ばされた(アーチャー)の向かう先にいるのは――悪神。

 

「オイオイオイオイ! デタラメじゃねぇか、なんだそりゃ!?

 カミカゼってやつぅ? さっすが日本人! ヤマトスピリッツバンザーイ!」

 

 言われるまでもなく、アーチャーの行動は蛮行だ。

 宝具に内包された魔力自体を破壊力に変え、暴発させるのが『壊れた幻想』。

 その威力は元来の性能を上回る。如何に宝具の格で見れば低級である双剣といえど、無事で済むわけがない。

 もはや自由にはならないとはいえ、それでも自分の身体だ。ダメージは確実に彼を苛んでいる。

 

 それら余さず理解して、自らの蛮行への畏れはアーチャーにはない。

 無謀など承知の上。可能性も僅かだろう。それでも尚、一筋の勝機に全てを賭ける。

 それが出来ないなら英雄ではない。世に言われる不可能事を踏破する不屈の意志、それこそが英雄の証なのだ。

 

「だがまたまた残念なお知らせだ! 俺を倒したって何の意味もねぇぜ。

 "この世、全ての悪(アンリ・マユ)"の本体は無形。殻をいくら壊したって痛くも痒くもねぇよ。

 俺くらいなら肉弾一つでも十分だろうが、"この世、全ての悪(アンリ・マユ)"を根刮ぎ吹き飛ばすにはどう足掻いても火力が足りないぜ」

 

「――それこそ、最強の聖剣の一撃でもない限りはな」

 

 ああ、それも分かっている。

 己の肉弾だけでは不足。そんなことは百も承知だ。

 振るうべき"聖剣(けん)"も決まっている。聖剣(それ)以外の選択肢など有り得ない。

 

 人類悪に浸される魂、その内に残された僅かな自我。

 苦しみの時を長引かせるために、呪いが残したその一点こそが全て。

 手元に残っているのは一本の回路のみ。それのみで己が世界より聖剣を手繰り寄せる。

 

 だから、自爆紛いの『壊れた幻想』など瑣末な事。肝要なのはここからなのだ。

 

 必要とされるのは一撃のみ。

 瓦礫の中の残骸のような意識だけで、アーチャーは心象世界へと手を伸ばす。

 無茶だ、不可能だ、道理が合わない。思いついたそれらの言葉を切り捨てる。

 肉弾の選択は正しかった。なにせ歩く手間だけは掛からない。為すべき事の前にはそんな余分すら命取りだ。

 果たすべきは"この世、全ての悪(アンリ・マユ)"の打倒。それ以外は一切が余分なことだ。

 無限に響く怨嗟の念を背負いながら、この手で聖剣を振るわなければいけない。

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 悪意が叫ぶ。ユルサナイ、と。

 断じてその魂を逃がすまいと、自らの元へ堕とそうと群がってくる。

 増大する呪いの質量。もはや数秒だとて耐えられない。

 投影に集中する。求められるのは速度。その意識が閉ざされてしまう前に、果たすべき事を果たさねばならない。

 

 その手に現れたのは黄金の輝き。

 全ての泥を薙ぎ払うべく、最強の聖剣を構える。

 

「……聖剣(それ)で斬るのか、"(オレタチ)"を。

 そうやってアンタは、自分の理想のために何時までも殺し続けるのか?」

 

 悪神の声が貫く。その声こそが何よりも心を抉った。

 

 言い訳の余地はない。自分はこれから、再び彼等を切り捨てる。

 他人(だれか)のために、他人(だれか)を切り捨てる。正義の味方が救うのは味方をした側だけだ。

 謝罪などどうして口にできるだろう。許されようなどと思ってはいけない。

 

 だから、何も言えなかった。

 糾弾も、憎悪も、甘んじて受け入れる。

 この罪を背負って、自分は務めを果たす。己の罪業は決して忘れない。

 

 それだけしか、彼等のために出来ることが思いつかなかった。

 

「――――永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)

 

 心を鉄に、抱くべきは鋼の無情。

 手にした黄金の聖剣。その一閃を"この世、全ての悪(アンリ・マユ)"へと振り下ろした。

 

 

「ああ、まったく――――呆れるくらい歪だねぇ、アンタ」

 

 

 光の中で響いたのは、どこか魅せられたような声。

 確実な滅びの刻を迎えながら、悪神の纏った殻である少年は笑っていた。

 

「散々苦しんでるんだろうに、よくもまぁそんな生き方を続けられるもんだ。

 どうでもいい他人のために。摩耗して悪に染まっても、その考えだけは変わらないらしい。

 ……ホント、俺は御免被るけど、そういう人間がいるってことは認めてやるよ」

 

 "この世、全ての悪(アンリ・マユ)"はこの結果を容認していない。

 怨嗟の声は相変わらず。己を切り捨てた正義を呪っている。その魂を穢すことを望んでいる。

 このまま終わるなんて耐えられない。またも切り捨てられるなんて認められない。それは紛れもない悪神の本性だ。

 

 少年の言葉は悪神の総体とは乖離したもの。

 被った"殻"から見える無銘の英雄。その姿を悪くないと思えたのも、一時の幻想のようなものだけど。

 

「ほら、行けよ。俺なんて前座みたいなもんなんだろう。

 その化物みたいな偏執な生き方で、せいぜい誰かを救ってやるといいさ」

 

 内から溢れる無限の怨念に蓋をして、そんな言葉で少年は送り出す。

 

 一方の存在が絶えたことで共有の呪いは効果を失っている。

 苛む悪意から解放された英雄(アーチャー)少年(あくしん)の言葉に、果たしてどんな意志を受け取ったのか――

 

 消え逝く少年を捨て置いて、英雄は歩き出す。

 向かう先は(マスター)の元。支えると決めた者の所へと急ぐ。

 切り捨てた相手にかけるべき言葉など無い。未練を抱くこともまた無かった。

 

 対し、少年の内なる真意は未練がましく叫んでいる。

 嫌だ、嫌だと、再び虚無に還ることを怖れて、みっともなく縋っている。

 あるいはこれが源泉かもしれない。去っていく英雄の背中に抱く、この妙な思いは。

 

 片や、この世の悪だと周囲から定められ、自らの意思とは関係なく地獄へ堕とされた悪神。

 

 片や、正義の味方と理想を定めて、自らの意志で地獄の道程を歩き続けた英雄。

 

 どちらが恵まれているだのと、そんな話はどうでもいい。

 ここまで正反対であるならば、嫌でも目に留まるというものだろう。

 決して相容れない、交わることのない互いの存在。反感を覚えない方が無理というものだ。

 

 ああ、だからきっと、弱者(じぶん)強者(アイツ)のような、そんな風に生きれたらと錯覚したのも、無理はないのだ。

 

 総てが、無へと還る。

 被った殻も崩れ落ちて、■は虚無へと戻っていく。

 もはやそこには何もない。此度のように迷い出ることもないだろう。

 

 ただ、何かを眩しいと感じた、心の一欠片を最期まで残して、■は消失を迎え入れた。

 

 


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