もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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熾天の門

 

 強さとは何か――

 人生の中、とりわけ男子たるのであれば、一度はこの疑問を抱いたことがあるだろう。

 

 己が意を通すための力こそ強さ。その論こそ解答とするならば、なるほど道理である。

 勝負事に勝つための能力。欲した物を得る、望んだように事を運ぶための権力、財力。より単純に表すなら、自らの意を相手に圧し付ける暴力か。

 単純明快であり分かり易い。悪性とも言い表せるそれら人の業は、故にこそ霊長の頂点に至らせた紛れもない強さだろう。

 同時にそれと真逆の意見として、我意を納めることこそが強さだとする説もある。

 我欲を捨て、悟りの境地に至る。そこまでに至らずとも、当たり前に他者を慮り、無償でも尽くそうとする尊い慈悲。

 すなわち衆生に対する救い。人が人を思いやる善性の側面。それを持てる心の清さこそが強さ。

 どの言い分も否定するつもりはない。そしてどれもが人の持つ強さの一つと言い換えることができる。

 善徳であれ欲望であれ、自らが為したいとする事を為すという点では共通だろう。

 

 強さ。あらゆる物事に対して我意を貫くための基準。

 これをこの概念における一つの解答だと仮定し、次の考察へと巡らせる。

 果たしてこの強さの高とは、なにを以て決まるのか。

 

 身分等を背景とした権威の差か。

 生まれながらの宿星として持つ才気、在るべくして在る先天的な性質の強度か。

 あるいはその者が掲げる理由や目的の如何、すなわち人が誇るに値する正義であるのか否か。

 

 ああ、これに関しては諸々にも意見があろう。これより語ることを、俺を知る者が聞いたなら持てる者が抜かす戯言と捉えるかもしれん。

 だがあえて俺は、数多の答えがあるであろうこの疑問に対し、厳然たる一つの解答を我が信念より断言しよう。

 

 ――強さとは意志の重さである。

 各々が抱いた信念に乗せられる思いの質量。それこそが高を定めるのだと。

 

 身分の差など所詮は立ち位置の違いに過ぎない。

 生まれ持った天稟とは出発点の利でしかなく、極論すれば背が高い低いと大差はない。

 ましてやその中身など。高潔であろうが利己的であろうが、思いの質量の優劣にはなんら関係ない。

 

 ――ここに一人の男の話を例にとろう。

 

 生まれついて他者とは異なる感性を持った男。

 美しきを美しいと思えず、正義の光に価値を見出せない。

 男が魅せられるのはその真逆。悪逆なる行為、絶望の慟哭を響かせる人々の悲劇。

 人の善性が築き上げた倫理、その価値観と男は最初から相容れなかった。

 

 男にとっての悲劇とは、価値観を共有できずとも、それの意味を理解できる聡明さを持ち合わせていたことだろう。

 

 たとえ男にとっては価値のないものだとて、他人にとって如何に崇高で信じるに足るものなのか理解できる。

 それの意味をしかと理解できるからこそ、男は他者と己の乖離を自覚せざるを得ない。

 ありもしない救いへと縋った信心は、敬虔なる聖職者と(たにん)には映る。自虐に等しい修練は男の肉体を鋼に変え、男を優れた戦士として完成させる。

 それらの成果に対して向けられる評価の数々。それら全てが的外れだと自覚して、しかし修正することも叶わない。

 その苦悩。常人の感性では決して理解できない孤独は、男だけを苛んで、果ての見えない無明の道を歩ませ続けた。

 

 やがてある出来事をきっかけとして、男はようやく迷いの中に答えを得る。

 自らが生まれ持った感性。善性のものを無価値と感じ、悪性のものに愉悦を覚える破綻した人間性。

 そんな己の本質(あくとく)を、生のままに愛し、咀嚼して飲み下すという回答を。

 

 無明の中より(こたえ)を得て、ついに自由を得た男は次にその意義について問い掛ける。

 生まれながらに悪性を抱えた魂。"快なるもの"こそが魂の求める真理であるというのなら、己という存在とは何なのか。

 誕生した命の存在価値(レゾンデートル)。神さえも問い殺さんとする自らの求道で以て、男はその生涯を歩き続けていく――

 

 さてここまでの話をふまえた上で一つ訊ねたい。果たしてこの男の在り方は、おまえ達に如何なるものとして映ったか?

 

 哀れな人格破綻者か。

 罪を罪とも思わぬ鬼畜外道か。

 それとも生まれながらの悪性として、これも一つの価値だとその存在を是とするか。

 

 俺は高らかにこう告げたい――彼こそ(まこと)の勇気を持った勇者であると。

 

 その求道は倫理から外れているだろう。

 自らの悪性を自覚して、その上で行っているのだから言い訳の余地はない。

 己の本質を知りつつもそれを封じ、人としてあるべき正道を歩むことこそ本当の強さだと、そうした意見があるのも分かる。

 

 だがそれでも俺は認めてやりたい。異端と知りつつもその道を選んだ男の覚悟(つよさ)を心から讃えたいのだ。

 

 男は人の道徳を知っていた。己の行いが外道であると十分に理解していた。

 たとえ自らを偽り続けたものだとしても、そこに何一つの情熱が無かったとしても。そこに至るまでの生涯が軽いはずもない。

 そこには信仰があった。修練があった。父がおり妻がいた。理解の有無に関わらず、自らと関わりを持った人々が数多といた。

 覚悟は必要なのだ。全てを捨てるには。善悪に関わらず、臆病な者にその決断は下せない。

 ましてその果てに得られるのは誰とも共有できない孤独の求道。あるのは自らの中で完結する答えのみであり、即物的に得られるものなど何一つない。

 

 それら余さず承知して、選ばされたのではなく自ら選択した男の決断。ああ、それを勇気と呼ばずして何と呼ぼう。

 

 ゆえに俺は男の強さを尊敬する。

 誰もが男を認めずとも、俺だけは彼の全てを認めてやりたい。

 それも人の可能性の一つだと、人間讃歌を歌い上げたいのだ。喉が枯れるほどにッ!

 

 ……熱くなりすぎたかな。話を戻そう。

 強さの話をしよう。例にとった男の強さについては、すでに語った所であるが。

 ならばその強さの芯とは。なにが男をそれほどまでに強くしたのか。

 

 男が生まれながらに悪だからか。本質がそうであったからと、それだけが男の人生の全てか。

 いいや否だそうではなかろう。理由の一つではあるだろうが、決してそれだけが全てではない。

 それは男が歩んできた人生そのもの。悪として産まれ、信仰の下に生き、苦行の果ての解答とその後の求道。その全てが男を形成してきた。

 きっかけはおそらく無数にあり、他人に過ぎん俺が語るには筆舌にし難く。本人ですら全てを把握しているわけではないだろう。

 

 だが幾多に経てきたそれらの過程。研磨の果てに鍛えられた男の意志こそが強いのだと、そう結論付けることに否はないはず。

 

 生まれの宿命など所詮は意志を形どる要因の一つに過ぎない。

 あるがままに受け入れるも良し。嫌ならば拒絶してしまえば良し。

 泥水として生まれた者が清らかな水へと変質するのは素晴らしい。泥水は泥水としてその深溝を増していくのも悪くはない。どちらにせよ強き意志は育つ。

 生のままに己の本質を愛せない者は弱者だと、在るべき型に嵌まらぬ者は不純だなどと。そんなことを言った覚えは俺にはない。

 俺はただあらゆる意志を認めるのみ。善悪は問わず、俺が評するのはその絶対値。より強い意志こそが人の可能性を示すと信じるが故に。

 

 この世の悪を渇望する者たちよ。

 おまえ達は悪。世界の誰からも賛美を得られぬ孤独の存在。

 倫理という名の強固な鎖に縛られて、己の価値観のみでそれを断ち切ってみせねばならない。

 だからこそ誰よりも強く傲慢に。他者の価値基準などに左右されぬ、己だけの美学で以て邁進してこその悪。

 遥かな高みに座して高笑いをするがいい。正義などと鼻で笑い、孤独の道でどこまでもふてぶてしく己を貫け。

 負けてはならぬ。強く在れ。

 

 この世の正義を信奉する者たちよ。

 おまえ達は正義。人々より賛美を受け彼らに光を示す存在。

 正しい側で在るがゆえに枷に嵌められ、己の思うがままに為すことは極々限られる。

 その姿こそが規範であるから。力に溺れることなく自らを律し、強きを挫き弱きのために義憤する姿に人は憧憬を抱くのだから。

 ならばこそ屈してはならん。おまえ達こそ人の在るべき姿の象徴。強大なる悪にも怯まず、より強き信念で打倒してこそ義心の正しさを証明できる。

 負けてはならぬ。強く在れ。

 

 そして、だからこそと俺は思うのだ。

 才覚など瑣末。力の有無も所詮は要因の一部。善悪の気質ですら決定力に欠けている。

 勝利を得て、真に本懐を遂げられる者とは、その果てまで己の意志を譲らなかった者たち。

 この世のあらゆる闘争、悲劇も、そうした強き意志を育てる礎となっている。

 失われる命がある。踏みにじられる祈りがある。それは許せぬことだろうが、それ故に強き意志は現れるという事実を忘れてはならん。

 ならばこの戦争を勝ち抜いた意志にこそ素晴らしい価値が宿るだろう。その強さを俺は信じている。

 

 最果ての地にある頂。熾天の玉座にて俺は待とう。

 強き意志ある者、俺の全てを託せるに足る者の到来を。

 俺もまた礎となるべく、この神座に君臨しながら待ち侘びる。

 

 ――俺は人間(おまえたち)を愛している。

 だからどうか、勇者たちよ。俺が認めるにふさわしい意志(つよさ)を示してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見えない果てまで続く無限回廊。

 物体の形骸を取ることもない純粋な情報体で構築されたそこを、わたしたちは進んでいく。 

 

 進む、というのは適切でないかもしれない。

 進んでいるのではなく沈んでいる。遥か彼方にある深層、この(ムーンセル)の最下層へと。

 こうして自分の足で歩いている実感など当てにはできない。ここがそんな常識の通用しない場所だというのは、これまでにいやというほど理解している。

 

 月の聖杯、ムーンセル・オートマトン。

 それは人類とは異なる知的生命体によって作られた、あらゆる事象を観測する演算器。

 総計128名もの魔術師(ウィザード)が求め合い、殺し合わされた熾天の座。

 全ての歴史を記録し、無限の未来を計測する万能の願望器へ至る道にわたしたちは足を踏み入れていた。

 

「……この先に、勝者に与えられる聖杯があるのか。あらゆる願いを実現させる奇跡の器。かつて多くの魔術師がそれを求め、ついには手に入れる事のなかった力」

 

 傍らに在るわたしの相棒(サーヴァント)弓兵(アーチャー)のクラスを担う無銘の英雄。

 その皮肉気な口調はいつもの通りで、そのことに安心感を覚えた。

 

「それをまさか、君のような魔術師でもない人間が手に入れるとはな。人生は、分からない。かつての私も、こんな気持ちだったのかもしれない」

 

 それは自分でもそう思う。

 この戦争が始まった当初、自分は間違いなく最弱の存在であったはずなのだから。

 

 聖杯戦争。ムーンセルの主を選定すべく始まった争奪戦。

 128名のマスターとそれに従うサーヴァントによるこの戦争は、霊子虚構世界『SE.RA.PH(セラフ)』を舞台に行われた。

 月にアクセス出来るのはこの電脳世界に魂を物質化できる魔術師(ウィザード)のみ。

 世界を支配する一族が、それに反抗する者が、他にも各々の願いを胸に、月の舞台へと集った。

 

 そんな中において、自分は明らかに浮いた存在だった。

 

 わたし、岸波白野には記憶がなかった。

 聖杯に懸ける願いがなかった。戦いにおける覚悟がなかった。およそ信念と呼べるものは何一つ持ってなかった。

 

 なのに戦った。/ 戦うとは倒すということ。

 戦って生き残った。/ 生き残るということは勝利したということ。

 戦いに勝って、相手を殺した。/ 生き残れるのは一人だけ。

 

 そんな戦いを、都合七回。

 戦った相手に自分よりも脆弱な者は一人としていなかった。誰もが自分の願いを持っていた。

 その願いを打ち砕いた。その命を終わらせた。彼等の終わりの光景は、今も脳裏に焼き付いている。

 そうするだけの価値が自分にはあったのかと、ここに至っても尚その疑念を捨て去ることはできていない。

 

 戦いを経る中で、無くしていた自分自身を取り戻すことはできた。

 だがその結果として得た答えは、そもそも失ったものなど無く、始めから何も無い存在だということ。

 岸波白野という人間はとうの昔に死亡しており、自分はその記録から再現された亡霊だという絶望(じじつ)だった。

 

 ある人に言われた。過去の亡霊が現在の世界に関わることは許されないと。

 反論のしようがない。その通りだと自分でも思うから。

 自分は勝ってはいけないマスター。自分はきっと世界に何も残せない。そんな人間が聖杯に至るなど許されないことだろう。

 

 それでも、死にたくなかった。

 諦めて立ち止まり、そのまま消え去ることをどうしても良しとはできなかった。

 内にある思いなど真実そんなもので、ここまで来ることが出来てしまった。

 

 自分に勝利するに値するだけの価値があるとは今でも言えない。

 彼等の命に代わるものなど、本来いないはずの人間である自分にあるはずがない。

 

 本当にこのまま進んでいいのかと、今更ながら迷いが生まれた。

 

「なによ、はくのん。ここまで来といて難しい顔して」

 

 進む足を鈍らせた自分の背を、誰かの手が押してくれる。

 その手が、その声があることは、誰もが消えていく聖杯戦争の中で唯一の救いだった。

 

「どうせ自分が勝っちゃってよかったのかーとか、そういうこと考えていたんでしょ。

 ほんと考え方が小市民なんだから。そういうとこ、1回戦の頃から変わんないわよね」

 

 遠坂凛。

 サーヴァントを失ったマスター。消滅を免れ、自分に共闘してくれる強い(ひと)

 本来なら自分より遥かに聖杯に近い所にいた彼女。きっと選択が一つでも違っていたら敵として相対していただろう。

 一人ではなかった。自分がここまで来れたのは、彼女が共に戦ってくれたからに他ならない。

 

 ……しかしどうして自分の考えが分かったんだろう。以心伝心?

 

「マスター。度々頭の弱い君ではあるが、そろそろ自覚の一つもしたまえ。

 君は実に分かり易い。詐欺師の類にはなりたいと思ってもなれない類の人種だろうさ」

 

「あ、それ分かる。なんか嘘をついても騙しきれなくてずるずる気にしたあげく、律儀に本当にしちゃうイメージよね、はくのんって」

 

 いや、うん。わかっていたけど勝者になってもこの扱いは変わらないんだね。

 

「言ったでしょ、願いを叶えるのは勝者の権利だって。戦いがあって、辛いことや失ったものがたくさんあるなら、それに代わる成果がなかったら嘘じゃない。

 この聖杯戦争に勝ったのは貴女よ。その中身がどうかなんて関係ないわ。勝者には成果を手にする権利と、義務があるんだから」

 

 凛の言葉は彼女自身のことも含んだものだ。

 

 以前に話してくれた彼女の願い。

 この停滞した世界。誰も変化を望まずに、大きな不幸もないがその分の幸福も失われようとする現代の在り様。

 彼女はそんな世界に反逆した。そのきっかけとなったのは高尚な大義ではなく、誰の身近にもあってだからこそ見逃しているもの。

 今の子供は笑わない。心から嬉しいと感じられるものがない。絶望はないが希望もない。変化を拒んだ世界では、これから学んでいく子供こそ犠牲者だった。

 遠坂凛の願いとは西欧財閥の打倒。完全なる管理社会を名目に未来の可能性を封殺する体制そのものを倒して倒してみせる。

 

 彼女の願いは叶わない。

 そして自分が代わりに叶えようとも思わない。

 その願いは彼女のもので、間違っていると思った世界も彼女の感じた中にしかないからだ。

 

 それでも自分は彼女の願いを託されたのだ。

 それは彼女だけじゃない。これまでに戦い、倒してきた者達。彼等の願いも含まれる。

 代わって願いを成就させるという意味じゃない。その重さを知り、背負うということだ。今の自分に至るまでに、失われたものを忘れないために。

 

 そう、そんなことは分かっていた事だった。

 

「聖杯はあなたの好きにしなさい。誰にもそれは止められないわ」

 

 うん。ありがとう、凛。

 こんなに弱いわたしだけど、あなたとアーチャーがいたから頑張れた。

 あなたを失わずに済んだというだけで、こんなにも誇らしい。

 

 今、自分には願いがある。

 迷ってばかりのわたしが、これだけはと思える確かな願い。

 きっといろいろ言われると思うから、あなたには話さないけど。

 

 それでも、凛なら大丈夫だって思うから。

 

「君たちは性急だな。もはや目前だとはいえ、未だ狸は捕ってはいない。こんな道の中途で皮算用といかずともいいだろうに」

 

 アーチャーの言葉に、私と凛は顔を見合わせて、笑った。

 

「絆や思いを新たにするのは構わないがね。焦ることもないだろうが、まずは成果の下まで辿り着こう。

 多くの者が求めた果て。到達者の義務として、その姿をしかと確かめよう」

 

 ああ確かに、いつまでも尻込みなんてしていられない。

 聖杯はこの先に。ゴールを前に臆してしまった心も、二人のおかげでしっかりと持ち直した。

 

 止まっていた歩を進める。

 焦る必要はない。一歩一歩の実感を踏みしめながら。

 伴う二人の存在を頼もしく思い、共に在れる自分に自負を持てる。

 

 さあ、前を向こう。恐れることはない。 

 自分は勝った。聖杯戦争は、もう終わったんだから――――

 

『……マスター。我ながら心配性だとは思うのだが、準備はしっかりな』

 

 瞬間、思い出されたのは昨夜のアーチャーの言葉。

 だがそのきっかけとなったのはもっと別の、出処も分からない不吉な既知感だった。

 

 一瞬、本当にただの一瞬の感覚。

 見覚えなんか無いし、そんなはずはないと確信できる。

 けれども無視はできない。それほどにこの感覚は強烈だった。

 

 ――自分は、この道を通ったことがある?

 

『過去の教訓だろう。この戦いが、そう素直に終わるものではないと体が覚えているのでね』

 

 アーチャーの言葉が何かの予兆のようにも思えてくる。

 あり得ないと理性は判断しているのに、自分の中の何かが、脳裏に映る光景を事実だと訴える。

 わけの分からない既知感(デジャヴュ)。その感覚は過去最大限の警告を自分に与えていた。

 

 ――心しろ。この先に最後の、そして最強の敵が待っている――

 

「マスター? どうした?」

 

 アーチャーの声にハッとなる。

 気付けば緊張のせいか冷や汗が浮かんでいた。

 

 制服の袖で汗を拭い、何でもないとだけ答える。

 隠し事をしているつもりはない。本当に、そうとしか答えられない感覚なのだ。

 勝者は自分で、聖杯戦争は終わった。疑いようのない事実なのに、説明のしようのない感覚だけが危機を告げている。

 

 一歩進むごとに危機感は増していく。

 この緊張感は、まるで決戦を前にした時のよう。

 歩を進める毎に覚悟を要求し、身近に感じる死への予感が背筋を震わせた。

 

 ――見えなかった果てが見えてくる。

 

 この先に聖杯がある。そして恐らくは、この感覚の正体も。

 心の中で覚悟を固める。それは決戦場へと赴く時と同じ心持ちで、私は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは部屋というには広大すぎる空間だった。

 翠色の水面に覆われた大地。乱立する大小様々な石柱。

 そして中央に安置される、内部に異質な単眼を湛えた立方体のオブジェ。

 あれこそがムーンセルの大本。セラフを生んだ異星のアーティファクト、七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)

 

 だというのに、それら一切合切がまるで目に入らない。

 あたかも路傍に転がる石のように、意識の片隅にしか置くことができなかった。

 

 その元凶は明白だ。

 聖杯の下、山となって積まれた石柱の上に、二人の男がいる。

 一人は白衣を纏い学者然とした青年。印象に乏しく、こちらを向く表情は穏やかだ。

 そこに漂う空虚さ。それはこれまでの相手にはない空恐ろしさを感じさせていたが――今はそれすら瑣末でしかない。

 

 問題なのは、もう一人の男。

 軍装に身を包み、石柱の山の頂に佇むこの男こそ、全ての元凶。

 

 男が何かをしたわけではない。それどころか、まだ目すら合っていない。

 だというのに、この全身に重くのし掛かる威圧。膝が崩れそうになる畏怖は何なのか。

 案内役のNPCなどでは断じてあり得ない。こうして目にするだけで、灼熱の如き生の意志が伝わってくる。

 ただ向き合うだけで他者を圧倒する王気。それはかの少年王(レオ)を思い起こさせたが、圧する気の質量は明らかに彼以上だ。

 

 それも当然だ。そもそもこれは質が違う。

 レオの持つ王気は人を導く者としての理想の具現。人々の安寧のため、人らしさを捨てながら人の優しさに満ちた、人を超えた王聖。

 だが男から受けるのは他を圧し恐怖を与える魔王のそれ。人らしい我意が常軌を逸して突き抜けたために、その枠組みを飛び越えてしまった超越者だ。

 

「ようこそ熾天の門へ。聖杯戦争の勝利者よ、おまえの到来を待ち侘びていた」

 

 男が声を発する。

 敵意はない。むしろ友好に満ち溢れてすらいた。

 

 なのに身体は、心は、最大級の畏怖を感じている。

 敵意などいらない。これはただそう在るだけで恐ろしい魔人だ。

 燃え盛る大火を前に人が足を竦ませるように、桁違いの熱量は常人には直視すら難しい。

 間違いなく、開戦当初の自分だったら、この時点で折れていただろう。

 

 言葉を聞くまでもなく理解する。この男は危険すぎる、と。

 

「その健闘を讃えさせてくれ。

 岸波白野。俺はおまえの強さを心から尊敬している」

 

 

 

 

 




 戦神館のゲームをやってる時、甘粕の楽園うんぬんの主張を見て、
『甘粕の思想ってトワイスとだいたい一緒だよね』
 そんな思いつきからこの話を書き始めました。

 初投稿から甘粕大尉殿なんて、自分でも無謀と思うこの頃。
 どうか暖かい目で見守っていただけるなら幸いです。



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