ノーゲーム・ノーライフ ―神様転生した一般人は気づかぬ間に神話の一部になるそうです― 作:七海香波
それではどうぞ。
――三日後。
「死ぬ……あー、もう限界、いい加減寝よっかなー……」
我らが主人公、黒はと言えば――死にかけていた。
目元には隈を作り、充血気味で血走ったような目が鬼のようになっている。
その理由はと言えば、調子に乗って「
《よう
《なんでお前は三徹で平気なんだ「
《鍛え方が違うんだよ》
《一日中ゲームやってることのどこがトレーニングだっての……》
カタカタとキーボードを動かし、俺たちはチャットで会話を続ける。
《俺、もう、ギブ……三日間徹夜できるとかマジ調子乗ってました済みません寝させて下さい》
《寝させんぞクロ、こっちも眠い中やってんだから》
実は空白は交互に睡眠を取っていたりするのだが――そんな事を知らない
《ん、なんか変なメールが……ちょっと落ちるぜ》
――ピロリンッ!
ん、こっちもメールだ。
あっちも落ちてるようだし、こっちも今の内に溜まったメールの消化をするか。
念のために中身を確認してから捨てている俺は、早速一つ目を確認して――
「……なんだコレ?」
【――「
題にはそれだけが書かれていた。
中身を開けば、その中にはただ一文だけ――
【君は、生まれた世界を間違えたと感じたことはないかい?】
そう書かれ、下に一つのURLが貼ってあった。
なんかの宗教勧誘のような文句に、末尾に国籍を表す二文字のないURL。後者は特定ページへ飛ぶための――ゲームへの直通アドレスであるのは分かるのだが。
「もしかして、これは……」
――これは恐らく、俺が長年待ち望んだ、運命の一通。
ほんの少しのメッセージ、それが俺の記憶を刺激する。
十六年を過ごした今世の俺、小夜鳴黒ではなく、前世の俺のもはや希薄となりつつある記憶が。
――どこで見たのか、聞いたのか。このメッセージは、確か……
ドクンッ、と今までにない興奮の脈が俺の心臓を幾重にも重なる糸と成って締め上げる。血脈の動悸が増す。頭が沸騰しそうなほどに痛む。ここに至るまでの苦悩が全てフラッシュバックしたかのように、一気に身体に様々な感情が駆け巡る。それは歓喜なのだろうか。それとも憤怒なのか。それとも、また――悲嘆なのだろうか。
自然と身体を動かし、カチッ。
俺はそのURL上にポインタを持っていき、クリックした。
現れたのは、
「……チェス?」
普通の何処にでもありそうな、黒と白のチェック柄、八×八のチェス盤だった。
「チェスと言ったら……「
それは世界最高のチェス打ちであるグランドマスターをも完封した超が十個ほど付く無理ゲーだったのだが、タブレットPCにそれをダウンロードした
そんな彼からしてみれば、今画面に浮かぶチェスはただ面倒なだけなのだが――
「――確か、チェスは重要イベの一つ、だったはず……とりあえず、やるか」
前世の記憶が強く心を、頭を揺さぶるため、とりあえず開始のボタンを押す。
先手はこちら。手持ちの
そうして、ゲーマー『
倒れそうな顔の顎部分を手で支えながら一手、二手とゆっくり考えながら手番を重ねていく。幸い、制限時間というものは今回無い。
重要イベントだった気もするが、チェスで今更満足出来る相手がいる訳がない。
勝てるに決まってる――最初のあたりは、まだそう思っていた。
もう完璧に寝オチしようとしていた黒の目だが、ゲームが進み、手番が二十手目にさしかかった頃には――完全に
「なんだこれ……打ってるのはプログラムじゃない?」
あのやけに難しかったチェスゲームでも最後は余裕で勝利できていた
――チェスは『二人零和有限確定完全情報ゲーム』である。
それは偉大なるwikiにも載っていること。
他にはオセロ、将棋などがあり、理論的には完全に相手の手を読み切ることが可能であるゲームの総称だ。
ただしそれは、十の百二十乗という馬鹿げた数の盤面を全て記憶し、時々に応じてそれらを瞬時に適用出来るだけの処理能力を持つ場合の話。
つまりは実際、意味のない総称だ。
――そう、唯二人、白と黒を除いては。
白はそれらの盤面を全て把握しきれば良いと断言し、
黒はただ覚えて後は直感だと断言する。
事実、二人とも世界最高のチェスプログラムに二十連勝している。
白はともかく、黒はふざけてるのかと思えるような内容だ。
――
知識の持ち主が自身の知の領域で持つ、推論など論理操作を差し挟まない直接的かつ即時的な認識。
白のように合理的かつ分析的な思考の結果に知識が論理的に介在する認識とは異なっており、意識せずとも正しい認識に至ることを指す。
その見解に至った理由を即座に完全には説明できないが、時間をかければ、その直観が有効である理由をより組織化して説明するべく論理の繋がりを構築することで、直観を合理的に説明することはできる。
そうして、一秒で二億局面を見渡す相手に。
当然ただ見ただけで覚えられるようなものではない。黒は努力を重ねに重ねてその域に至ったのだった。と本人は思う。
その頭が、現在、驚くように目を見張っていた。
プログラムは基本最善手を打ち、チェスは最善手を打ち続ければ最悪引き分けで終わる。
だが、今回の相手は一見悪手に見える手を織り交ぜながら、巧みに勝利を狙いに行く。
プログラムでは、ない。
「……今更、人の頭で
――面白い。
数多くの者が
そして、今日。
久々に自身を倒す可能性のありそうな強敵に出会った。
「こいつなら、
数日酷使させた自身の頭が、再度覚醒を始めるのが分かる。
盤面を素早く見渡し、自身の頭に積もりに積もったチェスの記録の全てを組み合わせながら当てはめていく。
「――ここからが、ゲームの始まりだ」
若干決まり文句になったこのセリフが、自然と口をついて出る。
その目には、画面の向こう側でクスッと笑うトランプ柄の純粋な少年が笑ったかのような姿が映った。
そんな、気がした
――持ち時間などないその勝負は、なんと、わずか三時間で決着が付いた。
三時間――ただし
実際はそのほとんどを相手が使い尽くしていた。
それでも、相手の手は
待ちに待った音声、
《チェックメイト》
味のないその無機質な音声が、スピーカーから放たれた。
勝ったのは――
「――っはぁ、はぁ、はぁ、はっ、はっ、はっ、はぁー」
途切れた緊張感と共に、黒の全身から汗がとめどめなく流れ出す。全身の細胞が発汗作用すら忘れ勝負に全集中力を傾けていた久々の苦戦に、息を切らしながらも、黒は笑いを浮かべていた。
「中々面白い勝負だったぜ、どっかの誰かさん。今時ここまで勝負出来るのが、「
手元のスポーツ飲料に手を伸ばし、PCの発する熱で温くなったそれを一気に飲み込む。
「一体何者だ、お前……」
とりあえず、次のメールを待ってみるが……来ない。
「おいおいおい、勝負だけして負けたからキレたとかじゃないだろうな?」
ここまで自分と戦える相手、せっかくだから「
――だが、そのまま三十分待っても、メールは来なかった。
「ちっ、そうかよ。……もういいや。一旦疲れたとこだし、アラームセットして寝るか」
PCの目覚ましソフトをセットし、音量を最大にセットして机に突っ伏して俺は寝た。
――ピロリンッ!!!
「のわっ!?なんだなんだもう六時間経ったか!?」
耳に届いた大音量の音が頭を刺激して目が覚める。
だが、目に入った時計の時間は、丁度あれから二時間半たった頃だった。
「……ん?新着メール?」
……たった一通のメールのためだけに目を覚ましたのか、俺。
寝起きの頭を悪い意味で刺激したそれを、中身を開くことなく廃棄しようとした――メールが勝手に開いた。
その中身は、先ほどまでゲームをしていた相手から。
【お見事。それほどの腕前なら、さぞ世界が生きにくくないかい?】
――その言葉で、俺の後悔や怒りといった負の感情が、一部分だけ解き放たれた。
――彼が座るのは、同級生や先生から隔離された、教室の端に浮いたように置かれた不思議なほど傷一つない新品の机と椅子。
――周囲には誰一人として近寄ることはなく、その停止した空気が入れ替わることはない。社会という壮大なゲーム盤において、ただ、誰よりも強すぎたために、はじき飛ばされた一人のために作られたスペース。
そこが、俺がいられる唯一の外だった。
――たった一人、側にいてくれた彼女はしばらくして消えてしまった。
悲しい記憶が頭を過ぎる。
生まれつき、十六年という人生の六分の一の記憶を持って生まれた黒。
彼を理解してくれる者は誰一人としていなかった。
親は彼を愛し、信じたが、理解だけはすることが出来なかった。
教師は
「生きにくい?――場所もないのに生きるもクソもないだろうが」
そのままそっくりキーを叩くように打ち込んで返信すれば、一瞬で答えが返ってきた。
【君はその世界をどう思う?楽しいかな?生きやすいかな?】
こちらも考えることなく、
――言うまでもない。
この世界は、《
ルールも目的も個人個人の気分次第。
ゲームマスター気取りの者は下克上を許すことがないように下の者を
勝ちすぎれば同じプレイヤーから制限をかけられ。
負けすぎれば同じプレイヤーの踏み台にされる。
逃げれば、臆病者だと罵られる。
生まれたときから既に、勝者と敗者が決められており、誰もがルールに従うくらいならルールそのものを無断で変えるという――終わりのなかった、この世界のことを考えれば。
そもそも転生などしなかった方が良かったのかもしれない。
「しかし、こいつ、どんどん人の胸を抉る奴だな……」
再度、メールが届く。
【もし、“単純なゲームで全てが決まる世界”があったら――】
……それは。
【目的も、ルールも明確な盤上の世界があったら、どう思う?】
もし本当に、そんな
「――俺は選択を間違えることなく、その世界を選んだかもしれないな――」
最初の文言を皮肉るように、そう打ち込む。
刹那。
パソコンの画面にノイズが走り。
バンッという音を皮切りに、全ての音が消えた。――ただ、メールを表示するPC画面のノイズ音を除いて。
「――もしかして、これって」
黒の額に、一筋の冷や汗が垂れる。
今の彼が感じているのは、
かつて、人生のやり直しを定められたあの白い部屋と同じように、どこまでも無機質な空間が浸食してくるかのような感触。
それと合わせて、今までのメールのやりとりを考えると――
俺の腕を、がしっと誰かが掴む。
その腕は、パソコンの画面から生えてきていて。
『僕もそう思う。
少年のように細い腕は、健康的な高校生でも抗えないほどの強烈な力で以て、黒を引きずり込む。
「ちょ、ちょっと待て――」
咄嗟に、近くに置いてあった非常用アイテムを詰め込んだ鞄を捕まれていない方の手で掴もうと動かす。
鞄の取っ手に手が触れたと同時に、黒は、画面の向こう側へと引きずり込まれた。
『ならば僕が生まれ直させて上げよう――
次に俺が見たのは――三日ぶりの、太陽だった。
だが、それを確認すると同時に、自らの身体を別の激しい感覚が襲っているのも頭が感じ取る。
それは――浮遊感。
慌てて周りを確認してみれば、そこは、上空だった。
つまり、今、黒は――落ちている。
「「うぉおおあああっ!?」」
自身の声と重なる別人の声を聞き、そちらを見てみれば、後二人の人間が一緒になって落ちていた。
「な、なんだってんだよぉぉっ!」
その背後に見えるのは――蒼天に浮かぶ巨大な島、赤いドラゴン、そして、地平線の彼方に聳え立つ巨大なチェスの駒。
つーか、いやいやいや、それよりも。
このままだったら、死ぬじゃねぇか!
そう確信して、覚悟を決めようとした俺の耳に、一つの声が聞こえた。
「――ようこそ、僕の世界へッ!」
そちらを見れば、小学生ほどのカラフルな格好の服を着た少年が笑って一緒に落ちていた。
――僕の、世界?
「ここが、君たちの夢見る【盤上の世界:ディスボード】ッ!人の命も金も国境線も――この世の全てが単純なゲームで決まる世界!」
それを聞いて、俺以外に落ちる二人の内の少女の方が、ささやくような、それでいて透き通るように響く、柔らかな叫び声を上げる。
「……あ、あなた―い、一体――誰ッ――」
少年はそれを聞いて、さらに愉快そうに笑いながら、
「僕?僕はね、あそこに住んでるんだ!」
遙か彼方、先ほどの巨大なチェスの駒がそびえる地平線を指さし、
「君たちの世界になぞらえて言うなら――神様ってことで」
可愛げにそう呟いた。
「んなことよりもこのままだったら俺たち死ぬんですけど神様っ!」
「オイこれどうすんだよっ!地面が迫って――おおおっ、白ォォォォ!」
「――――――――――ッ!!」
三者三通りの声を上げた彼らに、自称“神”は心底楽しそうに告げる。
「まあ、また会える時を楽しみにしてるよ。そう遠くないうちに」
――そうして、黒の意識は暗転した。
「ん、ああ……」
背中から伝わる僅かな湿り気と鼻をつく清々しい空気。
久々のその感覚に気がつけば、黒は地面に倒れていた。
「どっこらせ、っと」
服に付いていた少量の土を払い、起き上がる。
それに続いて、側に倒れていた二人も起き上がる。
「う、うーん……一体何が起きやがったんだ?」
「――変な夢、だった」
彼らが立ち上がったのを確認して、声をかける。
「よう、お二人さん。大丈夫か?」
「ん……あ、さっき俺たちと落ちてきた……」
「ああ。気付いたらそこで寝てた」
それだけ言って、相手方の兄らしき人物と俺は苦笑する。
「さて、とりあえず自己紹介しようか。なんせ、現実で会うのは初めてだしな。よろしくな、「
「ああ、こちらこそ――「
互いに、名乗りもしない内から相手の名を言い当てる。
なに、簡単な話だ。
さっきまでのメールの文面に同じように反応し、自称“神”が言ったようにこの異世界に連れて来られる相手なんて――「
そして、お互いの名前を当てたところで、「
「なあ、妹、それに「
「……うん……」
「ああ、同感だ。んでもって――」
三人揃って息を吸い、ここにいない誰かに向かって呆れたように本音を吐く。
「「「ついに“バグった”……もう、なにこれ、超クソゲーぇ……」」」
そして、再度、三人仲良く意識を暗転させた。
――こんな噂を聞いたことがあるか?
余りにもゲームが上手すぎる者には、ある一通のメールが届く。
本文には、短い文とURLだけが有り、
URLをクリックして始まったゲームをクリアすると、嘘か真か、その世界から消えるという。
そうして、異世界へと誘われる――そんな『都市伝説』。
……君はそれを、信じるか?