魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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――――燃やせ、命を




第87話 閃光の如く

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市は、かつてない喧騒に支配されていた。その只中を麻帆良学園初等部に通っている小さなカップルの雪とはる樹は必死に逃げ惑っていた。

 

「なんなんだよ、いったい」

 

 信じられない、学園祭から行動を共にするようになった雪の手を引っ張りながら走るはる樹の内心はその想いで一杯だった。

 少年は逃げながら、つい先ほど見た光景に愕然とした。

 突如現れた異形の召喚魔達の咆哮、逃げ惑う人々の悲鳴、勇気ある者達の怒号が飛び交う。何より奇妙だったのだ、どこかしらで見覚えのある人達が空を飛んで手から炎や稲妻を出して異形の者達を倒しているのだ。

 手品ではない。どう見ても超常現象としか思えない光景だった。爆音が轟き、空が赤黒く染まっているのは錯覚ではあるまい。

 どうやら異形達は世界樹を目指しているらしく、進行の邪魔さえしなければこちらのことは眼中にないようだ。避けれる人はそうでも動けない建物は容赦なく破壊されるので被害は大きい。壊された建物から火災が起こって二次災害も起きている。

 もうどれぐらい走っただろうか。何時間も走っているような気がするが、実際はせいぜい十分足らずだろう。全身に感じる恐怖が時間の感覚を狂わせていた。

 

「まったく、冗談じゃないぞ、クソ」

 

 見たこともない異形が現れたり、ただの人間が空を飛んだり、超能力、或いは魔法みたいなものを使っている現状に毒づくしかない。

 

「きゃあああああああああああああ!」

 

 近くの家の外壁を穿った雷撃に驚いた雪が腰を抜かしたのか、その場にへたり込んだ。

 

「雪、立つんだ!」

 

 はる樹が懸命に雪を引っ張って逃げ出そうとしていると突然耳を劈くような破壊音が轟き、数メートル頭上を紅蓮の炎が吹き渡っていた。

 

「うわ……!?」

 

 舞い落ちる火の粉に咄嗟に二人は同時に地に伏せた。その伏せた二人に向けて、運悪く上空から一戸建ての家ぐらいの大きさになりそうな岩石が高速で落下してきた。

 火の粉が収まって頭上を見上げたはる樹が落ちてくる岩石に気がついた。

 

「雪!」

 

 避ける暇も、その暇もなかった。はる樹は雪だけでも守ろうとはる樹は彼女の身体に覆い被さった。今更、立って逃げるだけの時間はない。

 せめて彼女だけでも守ろうとするはる樹の行動は褒められるものであったが、落ちれば一戸建ての家を潰す岩石が落ちれば結果は同じ。それでも何億分の一の可能性であっても、自分はどうなってもいいから彼女だけでも助けて欲しいと神様が起こしてくれる奇跡を信じた。

 

「――――――させん!」

 

 落ちて来る岩石から目を逸らした。これで死ぬ、という実感の湧かない言葉が全身を痺れさせた刹那、神様に祈るしかなかった少年の耳に喉太い男の声が届いた。

 雪の上に乗って頭を抱えていたはる樹が閉じていた瞼を瞬間的に開くと、オールバックの黒髪に髭、サングラスをかけた黒スーツを着た男性が目前に凄い速さで走り、空に向けて両手を上げた。

 パチチン、と黒スーツを着た男性が頭上に掲げていた両手の指を鳴らしたら風が瞬き、数十メートルの岩石が包丁で豆腐を切ったように砕け散った。

 

「無事だな。よし、怪我もない」

 

 小石よりも小さな砂が舞い降りる中でサングラスをかけた黒スーツを着た男性――――――神多羅木は呆然と自分を見る少年少女の下へ歩み寄り、雪を守るために上に乗っていたはる樹から順番に起こして身体の状態を見て怪我をしていないか確認した。

 まだ自分達が助かったことを実感できない二人はされるがままで神多羅木の顔を見つめるばかり。

 

「この先の広場なら安全だ。走れるな」

 

 怪我がないことを確認した神多羅木が立ち上がって別方向に顔を向けて言ったことで、自分達が残されることが分かったはる樹は頼りになる大人がいなくなる恐怖に全身を震わせた。

 

「で、出来ないよ。オジサンも付いてきてよ」

 

 オジサンと呼ばれたことに事態も忘れて少し肩が落ちかけた神多羅木だが持ちこたえた。今がそんな時ではないと重々承知している。

 

「甘ったれるな」

 

 所々で鳴り響く轟音に怯えて涙目で縋りつくはる樹に神多羅木は厳しい面持ちを崩さなかった。

 

「私にはまだやることがある。いいか、この子はお前しか守れない。男なら女を守ってみせろ」

「ぅ……」

 

 自分にしがみ付いている雪を指し示され、はる樹は喉の奥で呻く。

 

「さあ、行け!」

 

 神多羅木は二人の背中を軽く押した。ヨロヨロと頼りない足取りだが二人はようやく歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱する泡沫が浮かんでは消えていく。息つく暇すらないほど激戦の中を誰もが闘志を振り絞る。

 交差する無数の光条が、僅かの隙もなく戦意と害意を乗せて戦場を満たし、ときおり小恒星のような光球を一瞬だけ瞬かせる。溢れる光条と光芒の乱舞は戦闘の光だ。

 戦意と熱気が奔騰して双方がぶつかり合い、そして散華していくさまは、戦場というキャンバスに死を意味する光の絵の具を染み込ませた筆を、片時も休みなく振り続ける一種の油彩画のようであった。

 勿論、戦っている当人達にそのような認識はない。

 ある者は死の恐怖から逃れるため、またある者は与えられた命令に従っているだけ。またある者は守るべき者のために、またある者は共に闘う戦友の背を支えるために目前の敵と戦っているのだ。 

 召喚魔の軍勢によって連合軍の奮戦も虚しく劣勢を強いられ、戦線は新オスティアの直ぐ近くまで押し下げられていた。

 47隻あった混成艦隊も半数以上が落とされ、絶望的な戦力差にも怯まずに戦いを挑んだ飛行部隊の多くの英霊達も逝ってしまった。新オスティアを後ろに戦意だけは衰えないが戦線が瓦解するまで秒読み段階に入っている。

 50万を超える敵に比べて圧倒的に劣る混成艦隊が全滅せずに防衛線を維持できていたのは、一人一人の弛まぬ献身があってこそだろう。もとより消耗戦になることが前提であったため損害は避けられないことだった。

 

「艦長、直上に反応! …………大きい。ドラゴンタイプです!」

「真上だと!?」

 

 オペレーターの報告に、見えるはずがないのに艦長は思わず天井を見上げた。

 一体のドラゴン型の召喚魔が直上から飛来し、ヘラス帝国軍の巡洋艦ガルドバレステイルの艦橋真正面に陣取った。そのまま口を開き、ブレスの構えを取る。

 

「逃げられんか」

 

 ガルドバレステイルの艦橋内が静まる。その一握りの空間内で時間が止まった。艦長が驚愕し、副長が呪いの言葉を呟く。着任間もない新人が悲痛の叫びを上げた。

 艦長は一段高いシートに悠然と背を凭せ掛け、そうするのがさも当然であるかのように自分たちが散った後にも戦わねばならぬ同胞達にせめてもの言葉を送る。

 

「我が同胞達よ、後は任せたぞ」

 

 艦長の言葉を最後に、多くの乗組員と共にガルドバレステイルの艦橋はドラゴン型の召喚魔のブレスの高熱に融解した。艦橋が一瞬にして燃え上がり、ほどなくしてガルドバレステイルは推進剤に火が回り、誘爆を起こして轟沈した。ブレスを受けて僅か数秒の出来事だった。

 連続する爆炎が装甲板を瘤のように膨らませ、ガルドバレステイルの船体が内部から破裂する。その様子を自らが乗る艦の艦橋から見ていたクルト・ゲーデルが、短い呻き声を上げた。

 至近距離で起こった爆発に防眩フィルターが作動しても瞬間的に膨れ上がった閃光は窓を真っ白に染め、ブリッジにいる全員の目を焼いた。艦は乱気流に飲まれたように揺さぶられた。まだ年若い女性オペレータの甲高い悲鳴が響く。クルトは柵を掴んで衝撃に耐えて唇を噛み締める。

 

「状況は!?」

 

 クルトが全身を声にして叫んだ。

 

「ヘラス帝国軍巡洋艦ガルドバレステイル轟沈、艦橋への直撃です! 味方の半数が大破! これ以上は戦線を維持出来ません、撤退を!」

 

 悲鳴染みたオペレーターの声が、視界が戻り始めたスピーカーを通じてクルトの耳朶を打って暗澹たる思いにさせる。

 

「メガロメセンブリア連合カラルン隊全滅!」

 

 ヘラス帝国軍艦ガルドバレステイルも轟沈し、更に勇猛で知られるメガロメセンブリア連合カラルン隊も全滅したとの報告を聞いて、ブリッジの艦長席に当たる一際迫り出したデッキの柵を強く握り締めたものの、オコリのように震えるのを止めることが出来なかった。

 

「ぐっ……!」 

 

 突然、艦を揺るがした激震に堪える。

 

「各部、損傷確認!」

「右舷に直撃! 特攻を仕掛けてきた召喚魔によって対空砲座の一つが消滅しました!」

 

 オペレータの一人がダメージ・コントロール室からの一報を引き移し、悲鳴に近い叫びを上げる。その頭上のスクリーンパネルに、艦の損傷個所を点滅させる船体の俯瞰図が投影されていた。

 既に新オスティア総督であるクルトが乗る最終防衛ラインを固めている艦周辺にも敵が入り込んでいる。艦の上部に位置どった高畑が大多数を排除してくれているが、これだけ他の艦が近くては手の出しようもない。

 無数にいる敵一体と防衛線の要である砲座一つと引き換えでは、あまりにも損な取引であった。このままではいずれ致命傷を負うだろう。だがクルトは臆することなく叫んだ。

 

「たかが一つの砲座を失ったのがなんです! 他で代用しなさいっ!」

「り、了解っ!」

 

 クルトは全力で怒声を振り上げた。そんなでかい声を上げなくても伝わるのだが、上官である彼が少しでも気を抜いている姿を見せるわけにはいかない。司令官が気合を入れていることが部下達に気合を伝染させる、なんて暑苦しい考えは一片たりとも持ち合わせていないが、それでも部下達からすればこんな状況でも崩れない指揮官を心の支えにしていた。

 

「アリアドネー戦乙女騎士団ボズゴロン、撃沈!」 

 

 満身創痍になりながらも、尚も戦い続けていたアリアドネーの艦の一つが健闘も虚しく多数のガーゴイル型に取り付かれて沈んでいく。

 巨大な火球が視界一杯に広がり、千々に裂けた船体が衝撃波に乗って吹き荒れ、殺到する破片のいくつかが装甲を打ち据えた。断続的な衝撃音に心身を竦ませながら、クルトはどうにか倒れかけた姿勢を制御した。

 

「左舷前方百より、大型ドラゴン型が新たに五!」

 

 先程の艦を襲った衝撃で変調した索敵モニターを前に懸命にセンサーを調整していた一人が悲鳴を上げた。

 艦の数倍はありそうな大型ドラゴン型を倒すのには主砲が必要になる。だが、これだけの乱戦の中で主砲を発射することは難しい。しかも、大型ドラゴン型は互いの距離を開けている。例え主砲を放とうとも五体全てを倒しきることは難しい。

 

「大型ドラゴン型は艦上にいるタカミチに迎撃に当たらせなさい!」

「右舷より防衛線を突破して急速接近してくるガーゴイル型が十! 接敵されます!」

 

 オペレーターの声に右舷を見たクルトの目視でも今にも艦に取り付こうとするガーゴイル型の姿が見えた。

 

「右舷に急速回頭! 撃ち落としなさい!」

 

 クルトが叫ぶなり、操舵手が全長数十メートルもの船を力尽くで、あたかも小型の戦闘艇のように振り回した。体を振り回された乗員の悲鳴が一瞬上がる。

 左側のノズルを全力噴射することで強引に回転した船は、正面からガーゴイル型を迎え撃つ姿勢となる。迫り来る数は十。空戦隊の援護は期待できない。

 艦砲砲台が襲い来るガーゴイル型を撃ち落す。しかし、空中戦において、全長数十メートルの船が数メートル程度のガーゴイル型に挑むなど土台無茶な話だ。

 たった一つでも砲座を失った影響か、弾幕を掻い潜って半数のガーゴイル型が艦に急接近をかける。

 

「回避――っ!」

 

 クルトの叫びよりも早く操舵手が舵を全開まで切る。

 急速に傾く艦内で倒れぬように捕まりながらクルトは艦上から左舷に向けて極太の閃光と、右舷に向けて幾つもの細かい閃光が走って、大型ドラゴン型五体と艦に取り付こうとしていたガーゴイル型が殲滅されるのを見た。

 

「今ので大型ドラゴン型と当艦に接近していたガーゴイル型のみならず、付近にいた多数のタイプの二千にも及ぶ召喚魔の撃滅を確認!」

「おおおっ、一瞬で………ッ 流石はAAAのタカミチ氏だ!」

 

 オペレータの唾を吐くような興奮した報告に、艦内が高畑の戦果に戦くようにどよめいた。

 

「ガトウ直伝の七条大槍無音拳と千条閃鏃無音拳か。腕は衰えていないようだな」

 

 高畑の戦果に周囲に近づいてきた召喚魔達が、ただそれだけで、行動を鈍らせていた。理性を持たぬはずの獣が高畑の放つ桁違いの力の前には、本能的な恐怖を抑えることができなかったのである。

 

『クルト! 僕一人ではこの艦と数艦を守ることは出来るが全体を支えるのは不可能だ』

「耐えろ! 貴様が耐えなければこの戦線は瞬く間に瓦解するぞ!!」

『くっ』

 

 苛烈な視線でモニターを睨みつけているが、その視線だけで彼の望む通りに戦局が覆ることはない。

 

「怯むな! 我らが下がれば新オスティアを戦火に巻き込むことになるんだぞ! ここで踏ん張って見せろ!」

 

 作戦上の犠牲は呑み込むしかない指揮官の務めとはいえ、他に犠牲者達の魂に報いる術はない。

 

「付け焼き刃の艦隊行動では歯が立たんか」

 

 戦線を維持できなければ意味もなく、完全な負け戦にしかならないと分かっていながらも具体的な対策すら取ることも出来ない己を呪う。

 歯を噛み砕かんばかりにギリギリと強く噛み締めながら大きく叫ぶことしか出来ない。部下に指揮官が弱気になっているところを見せるわけにはいかず、睨みつけるように窓の先の戦線を凝視する。

 

「八方塞がりですね」

 

 クルトは指先で眼鏡のズレを正すと、苦悶の表情を浮かべる。

 二十年を耐えたクルトに限って諦めるなどありえない。だが打つ手がないのも事実だろう。最悪の事態を想定して戦慄を隠せなかった。

 

「左舷、弾幕薄いぞ! なにやっての! 」

 

 クルトと同じく最前線の戦艦の中でメガロメセンブリアの元老院議員の一人で5本に枝分けした特徴的な髪型をしている主席外交官ジャン=リュック・リカードは、直近で爆発した衝撃に胃の液体が喉に込み上げてくるような嫌悪感の中で叫びを上げた。

 

「艦直衛部隊は取り付こうとする召喚魔を迎撃! 各個に迎撃っ!」

 

 同艦の提督がリカードの直ぐ側で、コンソール・パネルに向かっているオペレーター達に向かって絶叫した。

 オペレーターの誰もが逃げ出したい気持ちで一杯だった。ブリッジの左舷前方の空域に膨らんだ火球が戦艦ロウスデンを巻き込んで爆発したのを見れば恐怖を覚える。

 

「ロウスデンがやられましたっ! やられたんです!」

 

 オペレータの一人が左舷前方で光の膨張する姿を見て、反射的に悲鳴を上げていた。爆発に巻き込まれてがくんと沈み込む衝撃がブリッジを突き抜け、艦体が激しく軋む。誰かの悲鳴が激震の中でブリッジに響く。

 リカードはその光芒から目を逸らすことなく、沈んだ艦の最後を看取っていた。沈み行くロウスデンの姿は、僅かの偶然で彼が乗る艦であっても不思議はなかったのだ。そして彼は知っている。僚艦の沈没は自分達の沈没に等しいことを。

 

「今の爆発で五番から七番のミサイル砲座が損壊、八番から十番のミサイル砲座のバイパス回路に異常発生!」

「――――くっ、八番から十番のミサイル砲座は一時放棄! 副砲の照準合わせ、外すなよ――――――撃てっ!」

 

 リカードの傍で今にも撃沈されそうなほどボロボロになってしまった艦の艦長も勤める提督は、揺れるブリッジの中で倒れないように柵をしっかりと握りながら矢継ぎ早に指示を出して叫んだ。

 オペレーターが提督の指示に従って主砲を発射したのと同時に、近くの空域から一筋の閃光が走った。

 

「あれはテオドラ皇女のいる艦か」

 

 揺れる艦の中で閃光を放った艦にリカードが呟いたのを聞いた提督は、ヘラス帝国とメガロメセンブリアの艦船が揃って接近する大型召喚魔に向けて銃火を放っていたのだ。

 黒い粉塵によって空気が濁ったように霞む中で、テオドラが乗る艦もまた満身創痍であった。

 轟音と閃光、そして身を揺さぶる振動が幾度となく襲い掛かる。それでもなお、アルカンシェルは怯まず留まり続ける。

 

「直営部隊を突破したデーモン型が急接近! 間に合いません!?」

 

 アルカンシェルのブリッジでオペレータの一人が叫んだ。

 瞬間、窓の外で閃光が発して防眩フィルターでも減殺しきれない激しい光がブリッジを塗り込めた。間近で膨れ上がった一際大きい衝撃が艦を襲った。船体を揺らし、直撃。艦の直衛部隊を突破したデーモン型の召喚魔を迎撃したが遅すぎた。艦の左船上部を破壊したのだ。

 

「左船上部に直撃! 火災発生、一時閉鎖します!」

 

 飛散した破片が外壁をパラパラと叩く。咄嗟に目を庇ったテオドラは、顔面に翳した指の隙間に灼熱する炎を見て、引き千切られた亜人の腕が飛んでゆく光景を見た。

 既にテオドラが乗るヘラス帝国軍旗艦アルカンシェルは満身創痍だった。致命的な損傷こそないものの、対空砲座の三割が使用不能。残りの七割の内二割が砲弾の殆どを撃ち尽くしてしまっていた。

 

《応急処理班、Bブロックにて作業中ですが手が足りません! 応援を!》

《Cブロックの隔壁を開けてくれ! まだネェルが向こう側に…………!》

 

 落盤のような轟音が重なり、一旦浮き上がった体が床に叩きつけられると同時に、室内を照らす赤色灯が激しく明滅する。艦内オープンスピーカーからは、もう悲鳴と怒号しか聞こえてこない。

 

「殿下! 火災により左舷副砲が損傷。使用不能です!」

「ええい、こんな時に! 修理にどれくらいかかる!?」

 

 絶望的だ。艦自体が危うい状況にある。床から身を起こしたテオドラは額から流れる血も拭わずに拳を握り締めた。戦っても戦っても減らない敵への絶望感だけが艦橋を支配していた。だが、まだ希望は残されている。

 

「…………待って下さい。整備班は二十、いや、十五分くれと」

「ならん! 死にたくなければ十分でやってみせろと言え!」

 

 自然と声が荒くなった。単なる怒りでは決してない。様々な思いが複雑に入り混じった感情によって叫ばせた。

 艦橋が大きく揺れた。続いて轟音。艦の間近で爆発が起こった衝撃だ。直衛部隊の誰かが犠牲になったのか、パラパラと肉の塊と血の雨が艦橋の窓に降り注ぐ。

 

「今の衝撃で第二精霊炉、出力低下! 補助機に切り替えます!」

「主砲開け! 管制は艦橋より行う。クックウェル中尉、照準を任せる!」

「しかし、敵の攻撃で艦が安定しないため照準がずれます」

 

 激震を続ける艦にあって最も冷静に操舵しているクックウェルが応じる。数多くの被弾を負って満身創痍であっても未だ戦闘を続けられるのは軍属二十年を越える彼の類稀な操舵技術と経験によるもであった。

 

「味方に当たりさえしなければ構わん、撃て!」

「了解」

 

 テオドラの声に反応し、クックゥエル中尉は撃った。艦が揺らぎ、主砲の発射を体感させる。

 この混戦の状況下にあっては、艦の進路を預かる操舵士のクックゥエルに照準を任せた方が良いとテオドラは咄嗟に判断した。そしてその判断に誤りはなかった。

 

「撃てっ!!」

 

 生きようとする意志のない兵士は、生きようとする兵士に必ず劣る。僅かな希望であっても、そのために戦うことは軍人として当然の責務であった。

 この時点において、魔法世界側の劣勢は誰の目にも明らかであった。

 

 

 

 

 

 舞い上がった砂塵が虚空へと溶け込んでいく。サラサラと降って落ちる砂の雨の中から、がっしりとした体格を持つ若者が腰を沈めて一気に跳躍して左手にある反りのないバスタードの刃がキラリと輝く鈍い光を煌めかせた。

 身に着けた古風だが堅牢な造りをした金属鎧の重さなどまるで感じさせぬ軽やかな勢いで、雄叫びを上げながらバスタードを振り上げる。

 

「斬り捨て御免!」

 

 ナギ・スプリングフィールド杯の予選にも出場していた拳闘士マニカグ・ノーダイクンの持つ大剣の刀身が、まるで若者の内なる活力を映し出すかのように眩い蒼い色の炎を纏った。

 眼下の相撲の力士よりも遥かに恰幅の良い召喚魔へと向かって振り下ろした。

 

「ギシャアアアアアアアアアアアアアァ!」

 

 刃と蒼炎が溶け合うように渾然一体となって解き放たれる。蒼炎刃は召喚魔の体をいとも簡単に斬り裂いていく。背骨を割り、内臓を分断する嫌な感触が伝わってくるが、お構いなしに刃を振り下ろす。召喚魔は二枚に下ろされ、鮮血すらも蒼炎に燃やし尽くされて消滅していく。

 僅かながらも仲間意識があったのか牙を剥き出しにした召喚魔達が四方からマニカグに襲い掛かってくる。倍はあろうかという巨躯が四方から迫り来る中、飛び散った火の粉を受けながらマニカグは不敵な笑みを浮かべていた。

 

「っぁああぁっっ!!」

 

 下段から掬い上げるように振り上げられた動作に伴って一直線に断ち割られた大気が真空を生み出し、空を飛んでいたガーゴイル型を股間から登頂まで斬り上げる。反転したマニカグに合わせて剣先はそのまま円軌道を描き、彼の背を狙った敵を登頂から股間まで斬り下ろした。

 あまりの速度に、余人には円形の光が迸ったとしか見えないだろう。当の斬られたガーゴイル型二体も自らが斬られたことを認識しておらず、微動だにしない身体に困惑するように目だけをしきりに動かしていた。

 

「お前達はもう、死んでいる」

 

 それからゆっくりと体が左右に分かれていく。恐らく毛ほどの痛みも感じなかったのだろう。血液を漏らすことなく霞となって消えていったが二体の表情は全く変わっていなかった。

 

「たぁああああああああああああ!」

 

 続く巨剣の乱舞は斬撃の竜巻となって戦場に決闘場を生み出す。そこに近づく召喚魔に待ち受けているのは、吹き飛ぶか、斬り砕かれるか、叩き潰されるかのどれか一つだ。

 油断なく地を蹴り、次なる者に場を譲る。

 

「ピピルナ・パピルナ・パリアンナ 萌え出づる若芽よ 縛鎖となりて敵を捕らえよ」

 

 頭上から植物の種が降り注ぎ、マニカグが良く知る少女のような高い声が戦場に鳴り響く。

 巨大なツタを発生させ、敵を捕縛する魔法を放った妖精の相棒が駆ける。

 

「うりゃあああああああああ!」

 

 ヘカテスのベテラン自由拳闘士アルギュレの虎獣人ラオ・バイロンとケルベラスの森妖精ラン・ファオが召喚魔を仕留めた。

 眼前の敵を倒し、直ぐに跳ね戻って偶々近くにいたラオとマニカグは背中合わせになる。相棒のラオの頭の毛の上にランの姿もあった。

 もう何十回と繰り返してきた動作を再び行い、二人は背を合わせた。

 

「大分、減らした、ね」

 

 魔法を連発した疲労によって荒い息の下、ランが呟く。服をあちこち切り裂かれて全体が薄汚れていたが、体の小ささもあって目立った傷はない。

 逆にマニカグとラオの鎧はもう半ば残骸と化してしまっており、邪魔になるようなら打ち捨てるべきかもしれない。

 

「そう、だな。百は、斃したと思うが」

「斃しても斃してもキリがない」

 

 それぞれ拳と剣を振るって敵を打ち倒すが、周囲を取り囲む召喚魔を見回せば減った気がしない。

 垣のように立ち並ぶ召喚魔達が一歩進み出る。本能で動いているといっても、三人相手ならば楽に押し切れると判断したのだろう。ただでさえ無理をしている状態なのに、状況は最悪を通り越して絶望的だった。

 

「ラン………………なんとか突破口を開く。お前だけでも逃げろ」

 

 ジワジワと包囲網が狭まる中、ラオは頭の上に乗っている相棒に向けて囁きかけた。荒い息と召喚魔達の地面を踏みしめる音によって声は聞き取りづらい。

 飛行タイプはなまじ機動力がある分、緒戦において殆どが倒された。ここに来るガーゴイル型は低空飛行だけで、飛べてもさして速度の速くないものだ。ランの機動力なら逃げ切れる。

 そこまで読んでのラオの提案だったが、ランは首を縦に振らなかった。ここでランが逃げれば、二人は確実に死ぬ。

 

「ふざけないで。生き残るならみんなでよ。そんな提案は認めない」

 

 同じように掠れた声で答えながら、ランの声には臆した気配は見受けられない。

 

「くくく、ラオよお前の負けだ。諦めろ」

 

 疲労で重すぎるバスタードを握る手を震わせたマニカグが笑う。居合わせただけの即席パーティで、相棒がいない彼としては羨ましい限りだ。

 

「いいのか、ラン?」

 

 晴れやかに笑い、ランは頷いた。その笑顔を見てラオは覚悟を決める。

 

「しゃあねぇな。二人とも俺より先に死ぬんじゃねぇぞ!」

「応!」

「了解!」

 

 弾かれたようにマニカグとラオはお互いに視線から外し、背中合わせの姿勢で敵の群れを睨んだ。

 情調を介さない無粋な者どもは、とうとう狭め切った包囲網を崩して飛び掛かって来る。

 マニカグは吠えた。バスタードを握る手に力を込めて、当たるを幸いに敵を切り裂いていく。彼の背後ではラオが手近にいる敵に殴り掛かり、吹っ飛ばしては別の相手に殴り掛かると繰り返していた。ランは二人の間であらん限りの気力を振り絞って魔法を放ち続けた。

 もう三人とも疲労は疾うに限界に達しており、最小限の動きで最大限の攻撃を繰り返すのみだ。その度に疲れ切った体は休眠を欲して倒れそうになるが、背後の温もりを感じて懸命に睡魔の誘惑を跳ねのける。

 誰かが斃れれば、連鎖的に他もすぐさま斃れてしまうだろう。背後を任せきり、依存しているといってもいい。

 

「ピピルナ・パピルナ・パリアンナ!!」

 

 小さな妖精は肩で息をしていた。取り囲む召喚魔を睨み付けながら、時折目を細め、苦しげに表情を改める。彼女が手を宙かざして歯を食い縛ると、そこから幾本もの風の矢が放たれて、召喚魔達を捉える。

 貫かれた召喚魔が痛みの奇声を発するが、数本程度では絶命させることは出来ない。続けざまに放ってようやく一体を倒したが焼け石に水に違いない。

 

「ぐぅっ」

 

 マニカグが呻いた。歯を食い縛って、悲鳴を堪えている。

 まず初めに倒れたのはマニカグだった。尻餅をついた彼の胸には獣の切り裂かれたような大きな切り傷がある。傷口から血がとめどもなく溢れている。

 彼に傷を負わせた召喚魔も霞となって消えていく。その腹に突き刺さっていたバスタードが地面に落ちた。相打ちだったのだ。

 

「ピピルナ・パピルナ・パリアンナ 汝が為にユピテル王の力をここに――――大治癒!」

 

 マニカグの惨状に気がついたランが慌てて中級回復呪文を使う。だが、残り少ない魔力では完全な治癒は難しい。

 

「ラン、助かったっ!」

 

 未だ残る傷の痛みに顔面を蒼白にしながら、それでもマニカグはバスタードを拾いながら立ち上がった。

 体をふらつかせながらたった一人で周りを相手にしているラオの加勢をするために、バスタードを振り上げた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」

 

 腹の底から声を発して、マニカグは通常の何倍もの重みを感じるバスタードを振り下ろす。

 そのバスタードが今にもラオを背後から襲いかけていたガーゴイル型を捉えた。ガーゴイル型は地面に叩き潰される。頭が潰れ、血が飛び散った。もう、相手を切り裂ける技量を保つことも出来ない。バスタードの重量に頼った無様な剣技だ。

 だが、敵は自らの無様な剣技に浸っている時間すら与えてくれない。 

 

「うがっ」

 

 安堵の息を漏らしかけたところで不意にマニカグの顔面が歪む。

 彼の背中には新たに大きな傷が刻まれていた。血が流れ出していく。彼の背後では別の召喚魔が冷ややかな笑みを浮かべていた。

 

「マニカグ!?」

 

 魔力がほぼ皆無になりかけのランは先程から攻撃に参加せずに回復役に専念している。実質的に一人で支えているラオがマニカグの名を呼ぶ。

 

「ぬああっ!」

 

 マニカグは体を捻って、遠心力で背後の魔物にバスタードを叩き込んだ。

 バスタードが召喚魔の首を折り、骨を折る鈍い手応えが手に残る。召喚魔は絶命した。

 

「流石にこれは不味いか?」

 

 マニカグもまた膝をついて虚ろに呟く。足元には血の海。血を流し過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬に接しる地面の振動を感じて、近衛木乃香は意識を覚醒させた。意識を覚醒させて一番最初に感じたのは激しい痛み。

 

「っ……!」

 

 思わず身悶えするほどの激しい痛みが全身を襲い、ようやく自分が生きていることをなんとか自覚した。咳き込むように息を吐く。痛みでギクシャクした動きで起き上がろうとした。しかしそこで木乃香の思考が一瞬でクリアになった。自分が今どこにいて、何をしていたかを思い出したのだ。

 明日菜を助けるために墓守り人の宮殿に侵入して、最後の敵だったフェイト・アーウェンルクスを倒した直後に現れた謎の集団。

 何もかもが分からかった状況の中で最後に見た雄叫びを上げるアスカの背中、全てが闇色の閃光に呑み込まれ、轟音が響いて爆風に飛ばされて受け身も取れぬままに叩きつけられて――――――そして三十秒以上も自失の状態が続いた。いや、実際には一瞬の事で、焼きついた黒色が五感を奪い続けたのかもしれない。

 

「アス……カ君……?」

 

 打ち付けた身体が痛むが、意識はハッキリとしていた。ゆっくりと身を起こし、顔を上げれば眼前からあれほどの光が全て消え失せていた。絞り出した声は、異様にしわがれていた。蛍光灯を長時間凝視し続けたように、米神の辺りにじんじんとした痛みが走る。

 

「…………アスカ君っ!?」

 

 少女の声だけが寒々と響く。

 全てを思い出した木乃香が身体を起こして辺りを見ると、意識を失う前と風景が一変していた。

 周囲を見回す。あれだけの暴虐の閃光にも拘わらず、意外にも木乃香の近くは比較的無事だった。土は掘り返され、建物は崩れ、自分の足下すらも覚束ない。徹底的に破壊された焼け野原になった周囲の壊滅を具合を見ればアスカが張っていた障壁が彼女達を守ったのだろう。仲間達も直ぐ傍に同じよう倒れており、楓以外は気が付いたのか体を起こしていた。

 

「ああ……」

 

 木乃香は負った傷や土を転がった汚れも気にしないで呆然と呟いた。アスカ・スプリングフィールドがいた――――――木乃香の直ぐ近くで倒れている。

 木乃香の呆然とした呼び掛けに、上半身の服が完全に吹き飛んで大の字に仰向けで倒れているアスカは応えない。ピクリとも動かないので遠目からでは意識がないのか、生きているのかも判別出来ない。

 

「アスカ君!」

 

 造物主の使徒達など目にもくれず、アスカの敗北という残酷な現実に硬直している仲間達を置き去りにして木乃香はアスカに駆け寄った。

 駆け寄ってその顔を見て絶句した。血と煤で汚れ、見る影もなく黒ずんでいる。

 力一杯に抱き締め、木乃香は治癒を行いながら何度もアスカの名を呼んだ。しかし、不規則な呼吸音があるだけで言葉は返ってこない。抱きかかえたアスカの体はまだ(・・)暖かかった。ただ、そこには少しずつ生気が抜けていくように感じた。

 

「驚いた。あれほどの傷を負いながらも我が主に辿り着くとは。出来損ないと互角に戦っただけはある」

 

 遅れて傷ついた身体を引き摺るように古菲や小太郎、茶々丸も木乃香とアスカを守るように前に立つ彼女達へと投げかけられた声があった。

 

「認めてやる。貴様は我らが敵に値すると」

 

 治癒魔法を使う木乃香を守るように立つ彼女達ではなく、一人だけ地に倒れ付しているアスカを見て感心したようにかけられる声。それが誰かなんて考えるまでもない。味方はここにいる面々だけ。ならば、残るのは必然的に敵のみ。

 アーウェンルクスシリーズの二体目。2を意味するセクンドゥムの名を冠するフェイトにどこかよく似た容姿の男。

 

「だが、造物主()たる我らが主への不敬は万死に値する。放っておいても死ぬだろうが大人しく死ぬことは許さん。造物主()に弓引いた大罪を、その命を以って償え」

 

 2(セクンドゥム)の表情には明白な狂気、或いは狂信の色が浮かんでいた。咀嚼され、濃縮された無垢なる邪性。論理的に話しているようで実は論理ではない。これまでの話はあくまで、彼の独善あって対話の意思があるわけではない。

 本来なら激しく反発するべき発言。だがそんな2(セクンドゥム)の言葉に彼らは何も反応を示さなかった。聞いていなかったからではない。彼らには反発しても抗するだけの力がないから、少しでも行動を先延ばしにするべく時間稼ぎの方策を考えていた。

 良い方策を思いつく前に造物主が口を開いた。

 

「怒りも愉悦も枯れ果て、絶望にも飽いた。我が使徒よ、全てを終わらせるために荒れ狂うがいい」

「御意」

 

 直後、四人の使徒から同時に閃光が放たれた。

 

「うわあっ!」

 

 炸裂した白い閃光と衝撃波に弾き飛ばされ、一人だけ反応して皆の壁となった小太郎がアスカとフェイトの戦闘で生まれた瓦礫の山の上に吹っ飛ばされた。

 

「ううっ……」

 

 鈍く呻き、懸命に身を起こそうとする小太郎だが、上体を半分起こしたところで血を吐いて倒れてしまった。

 

「小太郎君っ!」

 

 アスカを抱き締めたまま、木乃香は年下の少年の名を叫んだ。しかし返事はない。ここからでは生きているのかさえ分からない。

 駆け出したい衝動に駆られた木乃香だが、腕の中のアスカを捨てることは出来なかった。少しでも治癒の手を止めればアスカの命は永遠に失われてしまうような、そんな予感がするのだ。

 木乃香が血を流して噛み切れるほどに強く唇を噛み締めていると、古菲と茶々丸が呼びかけてきた。

 

「私達が食い止めます! だからその間にアスカさんを頼みます!」

「で、でも」

「出来なければ殺されるだけアル!」

 

 敵は負傷していたとはいえアスカですら勝てなかった相手なのだ。遥かに実力で劣る二人が、アスカと同格のフェイトと明らかに関わりのありそうな相手が無数にいる状態でまともに戦うのは危険すぎると言おうとしたが、それよりも早く二人は雄叫びを上げながら突撃を敢行していた。使徒達も安易に待っているはずがないから少しでもダメージを与えるために先制攻撃を加えようとしたのだ。

 彼女達の考え通り、使徒達は既に行動を開始していた。先に移動を開始した二人を上回らんかと思うほどの速さで。

 

「絶対に……助けてみせる」

 

 みんなの頑張りを無駄にしないためにギュッと堅く目を閉じて、治癒を続ける。

 

5(クゥィントム)。風のアーウェンルクスを拝命」

 

 茶々丸の前に立ち塞がったのは、風のアーウェンルクスで五番目を意味するクゥィントム。

 フェイトが着ている物と同じ制服、似た容姿と体格、差異があるとすれば若干の髪の毛の長さと右側だけを下ろして左側をツンツンと跳ねさせた髪型ぐらい。やけに無機質で何も考えていないような、善悪の区別がつかない無垢な人形染みた声だった。

 

「私の全機能を以て止めます」

 

 両腕の武装を解放し、5(クゥィントム)に挑む。決して勝てぬと分かっていても、やらねばならなかった。

 

6(セクストゥム)。水のアーウェンルクスを拝命」

 

 古菲の前に現れた6(セクストゥム)の肌は他のアーウェンルンクスシリーズと比べても透き通るように白く、しなやかで可憐だ。ただ他のアーウェンルクスと共通して感情が欠落しているかのような顔には表情が無く、まるでよく作られた人形のようにも見える。

 

「ぜあっ!」

 

 実力差を前に臆したら負けると判断し、古菲は先制攻撃を繰り出す。

 気迫の乗った全身全霊の神珍鉄自在棍の一撃を繰り出した古菲だったが、6(セクストゥム)は軽く首を捻っただけで、その一撃を避けてしまった。

 

「まだまだぁっ!」

 

 間髪入れず、古菲は神珍鉄自在棍と蹴りを嵐の如く連打で放った。

 だが、その攻撃は掠りもしない。全ての攻撃は紙一重で避けられてしまう。6(セクストゥム)は、古などにまるで興味がないと言った顔で、反撃すらしようとしない。

 

4(クァルトゥム)。火のアーウェンルンクスを拝命」

 

 4(クァルトゥム)の全身を、更に強烈な炎が包み込む。真っ赤な炎はその温度をますます上げて、白く発光するまでに達した。

 

「やれやれ、目を覚ましてみれば、ひ弱そうな小娘ばかりとは」

 

 木乃香は、これだけ離れているというのに4(クァルトゥム)から伝わるあまりの熱気に汗を流した。そこには冷や汗も混じっていたかもしれない。

 

「契約に従い我に従え炎の精霊。集い来たりて………」

 

 詠唱を唱える4(クァルトゥム)の身の回りに、火の玉のような真紅の火球が無数に出現した。

 

「紅蓮蜂」

 

 4(クァルトゥム)が魔法名を言い放つのと同時に左腕を振り上げる。

 火球は魔法名通り、紅蓮その物の蜂となって火の粉を撒き散らしながら、一斉に木乃香に襲い掛かる。

 

「させんアル!」

 

 古菲が木乃香の危機に神珍鉄自在棍で地面を穿り返し、6(セクストゥム)に目晦ましをしながら瞬動で紅蓮蜂の前に先回りする。

 紅蓮の蜂の群れは、正面からだけではなく上下左右あらゆる方向から様々に軌道を変え、八方から古菲を捉えて炸裂した。空の彼方にまで響くような轟音と共に、熱を孕んだ衝撃波が着弾地点の周囲に広がる。

 

「ガハァッ!?」

 

 爆発の中央で焼け爛れて崩れ落ちる古菲の姿に興味を失くした4(クァルトゥム)は、近接戦を仕掛けてきている茶々丸の攻撃を全て避けている5(クゥィントム)と、制服にかかった砂埃を払っている6(セクストゥム)に目を向ける。

 

5(クゥィントム)6(セクストゥム)、この程度の輩は僕だけで十分だ」

「いいでしょう」

「好きにするといい」

 

 二人から了承を得た4(クァルトゥム)は「ヴィシュ・タルリ・シュタル・ヴァンゲイト」と始動キーを唱える。

 

「九つの鍵を開きて、レーギャルンの筺より出て来れ」

 

 魔力が熱となって、4(クァルトゥム)の周りに陽炎を起こした。

 4(クァルトゥム)の立つ足元の地面が融解を開始する。土石が高熱のあまり赤く発光しながら溶けて、マグマと化していく。あまりの高熱に周囲の空気が膨張して、4(クァルトゥム)の周囲で引っ切り無しに爆発を起こすまでになっていた。

 

「燃え盛る炎の神剣」

 

 スッと左腕を前に伸ばす。広げられた掌の前に、小さな炎が生まれた。それを素手で握り潰すと、腕を斜めに振った。すると、まるで炎自体が意志を持っているかのように動き、消火ホースの中にガソリンを詰めて噴いたように手からぐんっと身の丈を遥かに上回る緋色の大剣が生まれた。

 炎を凝縮し、剣の形に物質化させる魔法である。そこにあるだけで大気を焼く超高温。

 近くにいない。触れてもいないのに、5(クゥィントム)に簡単に吹き飛ばされて燃え盛る炎の神剣を見た茶々丸は、機械の目が焼かれるような気がして思わず右手で顔を覆っていた。

 その絶好の隙を4(クァルトゥム)は見逃さない。

 一切の躊躇いもなく、一片の容赦もなく―――――茶々丸へと炎剣を勢い良く横薙ぎに振り回した。

 

「!?」

 

 何かが断ち切れる音が響いた。

 眼の前を通過するそれを、茶々丸は一瞬だけ何か分からなかった。目の前を通過したのが燃え盛る炎の神剣によって斬られた自分の左手であり、自らの上半身が宙を浮いているのに気づくのに長い時間はかからなかった。

 

「茶々丸!?」

 

 斬り裂かれた茶々丸から弾け飛んだネジ等のパーツが雨のように降ってゆくのを膝をついている古菲が呆然と見ていると、不意に辺りの空気が灼熱した。

 ハッと顔を上げた古菲は、4(クァルトゥム)が炎熱を纏った右腕を振りかぶるのを見た。無造作に振るわれた腕から膨大な量の炎が射線上に発生した。赤々とした炎の津波が、ごうごうと唸りながら近づいてくる。

 

(どうするアル……!?)

 

 異常な集中力で鈍化した風景の中で、辺りの空気が一瞬にして炎天の砂漠のように熱くなる赤い壁を前に、避けるか、後ろのアスカ達の為に受けるか。古菲は一瞬の内に思考を巡らせた。

 肌に火がつくような熱気が容赦なく吹き上がって感じられる凄まじいまでの熱量。自分だけで避けたところで、後ろにいる治療に専念している木乃香と意識のないアスカでは塵も残らないだろう。小太郎は意識があるかも分からず、茶々丸も既に死に体。結局のところ、自分が攻撃を受けきるしかないのだ。

 

「ォ、ォオオオオオオオッッ!!」

 

 意を決し、両腕を前に伸ばして気を全開にし、手に持つ神珍鉄自在棍を高速でグルグルと風車のように回す。

 轟音、爆圧、炎。それらが混ざり合って古に襲い掛かる。視界が緋に染まって、古菲に火炎が直撃した。

 炎は、ごうごうと濁流さながらに唸りを上げて渦巻いている。その中心に古菲がいた。炎が瀑布のようにごうごうと唸りながら迫るのを、古菲が前に掲げた神珍鉄自在棍を高速で回転させて散らそうとする。

 

「ぐうぅうッ! あ、くあぁぁぁぁぁっ!?」

 

 古菲は絶叫した。

 炎が空気を焼くのとはまた別の匂いが、肉の焦げる嫌な匂いがした。散らしきれない炎が腕の肘から先を焼いて赤黒く爛れさせていく。更に燃焼によって周囲の酸素が一気に失われたからか、肺をも焼き尽くそうとする高熱のためか、呼吸すらまともに出来ない。

 腕が燃えていた。人間には、火災現場で生き続けることなど出来ない。熱気の中で、人は目を開けることすら出来ず、煙に捲かれて正常に音を聞き取ることもない。匂いも、触覚も、味覚も、全てが燃えていた。

 炎が止んでも古菲の周囲は熱波に包まれ、最早意識は彼方へと飛んでいた。

 

「つまらん。もう少し足掻きようもあるだろうに」

 

 全く本気を出さずに、ほぼ一人で二人を制圧しかけている4(クァルトゥム)は残る茶々丸に目を向ける。

 上半身と下半身を切り離されて立ち上がることはおろか、移動することも出来ない茶々丸の身に、炎の槍が上空から無数に降り注いだ。

 炎を凝縮して生み出された、その極炎の槍は、茶々丸の右肩と左胸を貫いて地に縫い付けた。焼かれた部位から白煙が昇る。

 

「ア"ッアアアア"ッ!」

 

 その白煙が視界を覆ってゆくのと一緒に、茶々丸が悲鳴を上げる。

 皆が劣勢に立たされている。ただみんなが言う通り、今の内にアスカの意識を戻さなければならないと、木乃香は胸の辺りをギュッと握り締めた。敵わぬと知っていても、みんなは戦いを挑んでいるのだ。ただ一つの希望、アスカを信じて。

 しかし、アスカの傷と消耗は酷すぎた。

 現実時間では数時間前のナギ・スプリングフィールド杯決勝とクルトとの戦い。別荘を使用して数日間休養しても、ここに来るまで無数の召喚魔、デュナミス、フェイトと激戦を重ね続けた影響で肉体はボロボロになっている。トドメの造物主の一撃によって、今も尚、治癒を行っているが焼け石に水にしかなっていない。

 奈落への片道切符を切られるのも間近だった。這い寄る絶望が、あらゆる希望を打ち砕いていく。

 

「弱い者苛めにも飽きた。そろそろ終わりに――」

 

 一気に終わらせるつもりか、大技を放とうとする4(クァルトゥム)に木乃香の後ろから瓦礫の欠片が投げつけられた。

 不意打ちにもならない瓦礫の欠片を4(クァルトゥム)は簡単に叩き落として、投げられた方を見る。

 

「…………人を、舐めんのも、ええかげんに、せえよ」

 

 瓦礫を投げた張本人である小太郎が仰向けに近い状態で瓦礫に沈み込んでいた上体を引き起こしていく。

 

「さあ、戦おうや」

 

 小太郎に不安はない。だた眼前にいる理不尽な輩を叩き潰すのみである。

 

「ふっ……ふふふふふふふふっ…………あははははははははははははっ! 馬鹿な子供だ。そんなズタボロな有様で何が出来る。所詮は獣だな」

 

 立ち上がった小太郎に舞台劇(ショー)を観覧していた2(セクンドゥム)が堪らず、純粋な悪意の結晶とも表現すべき瞳を鈍く輝かせて嘲笑を浴びせかけてくる。

 

「獣? 大いに結構や。俺は狗族とのハーフやぞ。褒め言葉にしかなっとらんわ」

 

 だが、その程度では今更小太郎の心を揺るがしはしない。その威勢は虚勢だったけれども、虚勢は大切だと思うのだ。余裕がなくとも余裕があるように自分を騙せてしまうから。

 死ぬのは嫌だった。けれど今ここに在る死から逃れたとして、その後に何が残るというのだろう。安穏とした人生を送ってもそこに希望や幸福はなく、あるのはただ恐怖の記憶とみっともない敗北感だけだ。生きてはいるが、それだけのなんの価値もない生。

 

「ああ、俺とお前達の実力差は決定的や。どんだけ逆立ちしたって勝てるとは思とらん。でもな――――――」

 

 相手は強大で強壮、凶暴で凶悪、絶対的かつ絶望的な力を持った化け物達だ。実力差は明白、数的にも劣り、彼我の戦力差は圧倒的、勝算はない。負けて当然な戦況で開き直りにも似た心境になっていた。

 今の小太郎の五体には一部の隙もなかった。自分の弱さを認識するが故の臆病なまでの細心。

 

「だからってな、俺はお前達に、ボスの癖に自分で動こうとせえへんスットコドッコイなんかに屈する気はない。絶対にや!!」

 

 一度は崩れ折れるようように膝をついた小太郎だが、口元を引き締めて苦痛に顔を歪めたまま吠えて憑かれたように走る。

 

「獣風情がほざくなっ!」

 

 冷静で鉄面皮に見えた5(クゥィントゥム)が、残忍で好戦的な性格をしている2(セクンドゥム)4(クゥァルトゥム)よりも早く小太郎の前に飛び出した。一歩遅れて6(セクストゥム)も続く。

 元より2(セクンドゥム)は彼基準では、小太郎の強さは下の下に過ぎないので動く気がない。自分を殺したフェイトの例もあるので、他のアーウェルンクスシリーズの様子を見るつもりだった。

 4(クゥァルトゥム)の場合は、小太郎達の相手を5(クゥィントゥム)6(セクストゥム)よりも多くしていたので、小太郎の言葉にも弱者の戯言だという意識が先に立っていた。

 アーウェンルンクスシリーズは造物主が造りだした人造人間である。それはアーウェンルンクスシリーズに限らず、アートゥルシリーズやアダドーシリーズ等も同様である。個体に違いはあれど、これらの人造人間を造りだせるのは造物主のみである。

 だが、この最終局面において姿を現したのならば何故デュナミスはフェイト以外のアーウェンルンクスシリーズをもっと早く投入しなかったのか。

 アーウェンルクスシリーズの作成自体は十年前の時点で完成している。しかし、調整は出来ていなかった。調整を行うには創造主の掟(グレートグランドマスターキー)が必要になる。

 創造主の掟(グレートグランドマスターキー)を扱うには、どうしてもウェスペルタティア王家の直系の血が必要になる。十二年前にフェイトを起動させた暫く後に墓守り人の宮殿から黄昏の姫御子を紅き翼に奪われ、造物主もまた封印された為、他のアーウェンルクスシリーズは最終調整を残したまま今まで保存されていた。

 ナギ・スプリングフィールド杯の直後、隙を見せたアスカから神楽坂明日菜を攫い、彼女の血を以て創造主の掟(グレートグランドマスターキー)が再び使用可能となった。

 フェイトには前大戦の英雄である紅き翼のジャック・ラカンの始末を頼み、デュナミスは10年前にやり残したアーウェンルンクスシリーズの最終調整に入った。

 そして保険として、また極大の罠としてデュナミスは創造主の掟(グレートグランドマスターキー)を使って自らを分割し、フェイトにも秘密で起動したアーウェンルクスシリーズと共に主を奪還した。

 3(テルティウム)――――――フェイト・アーウェルンクスを想像し調整した造物主は自身に対する忠誠や目的意識を設定していない。いわば素焼きの状態である。彼にとって造物主への忠誠は絶対のものではない。完全なる世界への願望も、栞の姉との果たせなかった約束への悔恨、自らが手にかけた2(セクンドゥム)の言葉を否定したくて世界を巡った故に辿り着いた答えである。

 デュナミスはフェイトが2(セクンドゥム)を手にかけたことを知っていた。「完全なる世界」を望んでいることを知っているが、同時に何時か裏切るのではないかと危惧もしていた。だからこそ、この十年近くの間、フェイトの行動に規制をかけることはなかった。好きにさせていたと言ってもいい。それは高畑やクルトが自分達を執拗に追い詰め、自分以外にはフェイトしか戦力がいなかったことが大きく関係していた。

 アーウェルンクスシリーズの最終調整に中って留意したのは、フェイトには設定されなかった主への忠誠と目的意識。生まれたばかりの彼らの初期設定の心はいっそ無垢とすら言ってよかった。そこにかけられた忠誠と目的意識は小太郎の言葉は決して看過出来るものではなかった。

 特に2(セクンドゥム)に近い性格に調整された4(クゥァルトゥム)よりも、5(クゥィントゥム)6(セクストゥム)にその傾向は強かった。

 囚われていた主を救い、フェイトが負けようとも盤を引っ繰り返せるデュナミスの策は成功したと言える。デュナミスは消滅したが、彼の策は完全なる世界陣営の勝利を決定づけた。しかし、彼の慎重さが僅かな歪を生んでいたことを知らなかった。

 

「我らが主を侮辱した罪、その身を以て償うがいい!」

 

 5(クゥィントゥム)の差し上げた左右の手が相次いで振り下ろされ、断ち割られた空間から巻き起こった鎌鼬が小太郎を切り裂く。だが真空の刃を浴びながらも、小太郎の足は止まらない。

 ズバン、と水が6(セクストゥム)の背後で床下から噴水のように水の柱飛び出した。どうやら墓守り人の宮殿内にある水源から汲み上げたもののようだ。

 

「死になさい」

 

 続けて6(セクストゥム)が口を動かすと、水の柱がまるで蛇のように鎌首を擡げた。ギリシア神話に登場するヒュドラーや日本神話に登場する八岐大蛇のように枝分かれした何本もの水の蛇。槍と化した水流が勢い良く小太郎に襲い掛かった。

 走りながらサイドステップをした小太郎の周囲の地面へと次々と刺さる水槍。回避行動を取らなければ串刺しになっていた。

 回避しきれない一本が避けられないタイミングで小太郎の体へと向かってきた。

 

「うぐぁ!」

 

 避けきれないと悟った悟った小太郎は左手を犠牲にすることで致命の一撃を受けきることに成功した。代償として前腕を貫かれた左手はもはや使い物にならない。

 

「づらぁッ!」

 

 気合一閃。左の前腕を貫く水槍を右手で半ばから叩き折る。

 叩き折られた水槍は水風船のように弾けて四方へと飛び散った。飛び散った水片がまた小太郎の肉体を穿つ。

 

「トドメ!」

「誰が!」

 

 小太郎は諦めていなかった。疾風になって止めを刺しにきた5(クゥィントゥム)を間近に見ながらも、その意思は揺らがない。しかし現実は冷酷だ。躱すだけの猶予も余裕も技量すらも今の彼にはなかった。

 

「くそっ!」

 

 覚悟を決めたその刹那、真空の弾丸が宙を無数に奔り、小太郎の身体を朽ち木のように吹っ飛ばす。

 

「――!?」

 

 小太郎を簡単に吹っ飛ばした5(クゥィントゥム)だが、信じ難いという表情では頬を押さえた。

 攻撃をされながらも真っ向から伸ばされた小太郎の拳が、5(クゥィントゥム)の頬を掠めて僅かに切っていた。

 

「ゲホっ」

 

 何度も地面をゴロゴロと回転した小太郎が血を吐く。打たれた腹部が熱を持ったように熱い。内臓のどれかが破裂したかもしれない。それでも地面に右手を付いて口から血を滴らせながら立ち上がる。

 

「よくも獣風情が、神の使徒たる私に傷を付けたなッ!」

 

 また衝撃。もはや何で攻撃されたのかすら分からない。

 抵抗も出来ず、防御など夢のまた夢で、小太郎は更に吹き飛ばされて仰向けに倒れ伏す。意識も途絶えた。だが直ぐに目覚め、瞬きをして生物的な本能から出た涙を拭う。

 

「が、お、あ…………」

 

 悲鳴は口から迸らず、泡だけが零れた。

 叫ぶだけの余力がないのである。全身を渦巻く激痛の嵐は、それだけの力さえも少年から奪い尽していた。肺さえもろくに動かず、窒息寸前まで少年を苦しめる。

 ギシギシと悲鳴を上げる両足。ゼイゼイと忙しなく呼吸を繰り返す喉。肉体に鞭を打ってゆっくりと立ち上がった。額や頬、そして腕や太腿を面白いほどに血液が流れていく。満身創痍の体で血を噴出させながら大地を踏み締め、足元の紅い水溜りが自分の流した血によるものだと気づいて苦笑した。だが、それでも退くわけにはいかなかった。

 

「はは…………良く生きてんな、俺」

 

 自分を見失いそうになる。頭がくらくらするが、まだそんなとぼけたことを言える余裕があるのだから希望はある。

 唇を強く噛み、自ら痛みを生んで正気を取り戻した。どうも、ぼうっとしていた。もしかしたら自覚する以上に命が危ないかもしれないが今は死ぬのは我慢しよう。

 小太郎は何時ものように、当たり前のように瞳に力を取り戻した。

 意固地になった子供のようにフラつきながら敵を見る。全身がボロボロだ。服もあちこちが破れて血に染まり、悲惨な有様だ。それでも目の輝きは失せていない。小太郎は真っ直ぐに前を見る。

 

「何ですか、その目は」

 

 ここで初めて、他のアーウェンルクスシリーズとも比べても感情が希薄だった6(セクストゥム)が低く唸った。

 両者の距離は遠い。吹き飛ばされて、離れてしまった。歩いていく。少しずつ、血だらけの身体を引きずるようにして。身体中が痛くて死にそうだが、この程度では小太郎は止まらない。

 

「無理をすると死にますよ」

「いや、その前に私が殺す。この傷を付けてくれた罪は万死に値する」

「待ちなさい。トドメは私が」

 

 6(セクストゥム)を制して、頬の血を拭いながら激怒した5(クゥィントゥム)が前に進み出た。しかし、6(セクストゥム)とて譲る気はなく5(クゥィントゥム)の手を掴んだ。

 他の使徒達は面白い余興だと、外野で観客となっていた。手を出す気はなさそうだった。

 小太郎は一歩進んだ。前に進み出た使徒達までの距離が縮む。

 

「俺はな、生き意地が汚いんや」

 

 血と生命が吐き出され、呼吸が荒くなり、立ちくらみを起こす。亀のような速度で、けれど確実に距離を詰めていく。

 

「無様な。無駄に責め苦を味わおうとするとは」

「いい加減にしろよこのッ…………」

 

 静かに嘲弄する6(セクストゥム)に切れて、吼えるように小太郎が喉から声を絞り出す。歯を強く噛み慣らし、6(セクストゥム)を睨み付けると僅かに怯んだ。 

 

「この、私を愚弄するか!」

 

 僅かでも強さが遥かに劣る小太郎に怯んだことが許せないのか、6(セクストゥム)は激昂して、5(クゥィントゥム)の前に出て手を振り回すようにして水で出来た魔弾が放たれる。

 冷静さを欠いた攻撃だから大半は狙いを逸れて地面に着弾して、地響きと衝動が小石や砂を舞い上がらせた。

 

「がっ!?」

 

 数少ない直撃弾が命中して、またも吹き飛ばされる。辛うじてその場から一歩だけ後退するに留まったが、もう全身の感覚がなくなってきた。血を流し過ぎたようだ。歯を食い縛っていなければ即座に意識が飛んでしまう。意識を飛ばしてしまったらきっと死ぬだろう。

 

「はっ――――はっ――――はっ――――はっ――――」

 

 フラつきながら顔を上げると、6(セクストゥム)の表情が変化していた。それは恐怖そのものだった。理解し難いものを見た時の、驚きと不安の表情。その顔がどうしても泣いているように見えて、凍り付きそうな足をギクシャクと動かした。

 5(クゥィントゥム)は様子のおかしい6(セクストゥム)に気圧されたように動かなかった。

 

「来るな!」

 

 6(セクストゥム)が癇癪を起した子供のように叫んだ。

 

「どうして………………どうしてそこまでボロボロになってまで戦おうとする!? 貴様に何の得がある!? 現実世界の住人である貴様が命を懸ける義理など何もない戦いで、どうしてそこまで戦おうとする!?」

「人形でしかないお前達には分からんやろうな」

 

 小太郎は血の味を噛みしめつつ、それでも笑った。ただ、人形とはいえ女を泣かしてしまったのは少し悪いなと思う。

 無理に無理を重ねてきた結果として、肉体がどうしようもなく蝕まれている。いくら人間よりも丈夫な狗族のハーフでも失血死に至るのも十分な血液。意識は朦朧として、瞬く間に世界が曖昧になっていく。

 

(やっぱ、勝てんなぁ)

 

 と、小太郎は思った。彼我の実力差は分かっていたことだ。小太郎が百人いてもあの中の一人にも勝てない。それだけの力の差が歴然と立ち塞がっている。勝てる道理がない。

 

「どうして、笑っていられる? どうしてそこまで戦おうとする?」

 

 と、6(セクストゥム)が訊いた。生命という生命を失い、瞼を開けている力さえも無くしながらも小太郎は笑っていた。

 

「俺にはライバルがおる。自己中で馬鹿の癖して、あっという間に俺よりも強くなってしまったライバルがな」

 

 傷だらけで、もはや立っているだけで精一杯で。それでも限界を超えている足が自然に動いた。

 

「今は眠っとるが、そいつが起きとったら絶対に戦ったはずや。当然、俺も一緒にな。それが俺の戦う理由の一つ」

 

 もう動けない。そう思いながらも一歩。

 

「麻帆良には世話になった人達がおんねん。小さい頃から一人やった俺に家族の温かさを教えてくれた人が」

 

 動いたら死ぬかもしれない。そう自覚しながらも一歩。

 まだ奴らには遠い。遠いのだ。それでも諦めることなく歩き続ける。帰りたい場所、守りたい人達への強き想いが、そうさせた。

 

「世界なんて大層なものの為になんて戦えへん。あの人に誇れる自分で在りたい。こんなところで尻尾巻いて逃げたら会わせる顔がない。俺が戦う理由なんて、それだけで十分や」

 

 小太郎の中で、何かが巻き起こる。それは、確かな力だった。ボロボロになって、正直体が動くことさえおかしい今の状況で、それでもなお小太郎が立つことが出来るのは、その力のお蔭だ。

 

「なら、その理由を抱いて死ね」

「グッ!」

 

 小太郎はギリギリで強襲してきた5(クゥィントゥム)の攻撃を回避したものの、完全には避けきれなかった。脇腹の肉が薄く抉れ、鋭い痛みと共に血液が流れ出て行く。

 

「小太郎君!」

 

 木乃香の悲鳴のような叫びを耳にして、小太郎はなんとか飛びかけた意識を引き戻した。

 

「このっ!」

 

 小太郎は、片手に狗神を固めて目の前の5(クゥィントゥム)に叩きつけた。5(クゥィントゥム)は躱そうともせずにその攻撃をまともに喰らい、ボールのように弾かれて吹っ飛んでいった。

 しかし、ダメージを負った様子もなく地に伏すことなく軽やかに着地した。

 

「ハァ、ハァ」

 

 小太郎は呼吸が酷く苦して仕方なかった。ボロボロで、全身から滴る出血と共に生命力も零れ落ちていく錯覚に襲われる。にもかかわらず、喘ぐような呼吸を繰り返しながら、気力を振り絞って動き出す。

 

「ほほぅ、流石にこれは感心するしかない。それほどの傷を負って、まだ動けるか」

 

 血塗れの小太郎がゆっくりと動く。歩く度に足から噴水のように血が流れ出て、全身から力が抜けた。

 崩れる身体が、全身を傷だらけのまま、だがアスカは足を踏ん張って倒れなかった。その状態で一歩前に出る。視界などあってない様なものだ。出血の所為でまともに目が開けていられない。

 それでも一歩、また一歩、緩慢ながらも自力で前に出る。

 

「その闘志は敵ながら天晴れ、まさに驚嘆の至り。だが、それでどうする? 動けたはいいが、今の貴様に何が出来る?」

 

 小太郎にはもう言葉を返す余裕はない。呻きながら、ヨタヨタと足を前に進める。視界の中ではグニャグニャと歪み地面を踏みしめて進み、殆ど力の入らない右手の拳を握りしめ、ゆっくり、だが確実に5(クゥィントゥム)に迫る。

 

「あ、あ、あ、あ、……………」

 

 限界だ。小太郎の体力は限界を超えていた。これ以上は、自分の身体を支えることさえ難しい。既に全身、血まみれであり、体の節々が悲鳴を上げている。関節は脂が切れたかのように軋んでおり、骨格が粉砕されたように動かす度に激痛で顔が歪む。

 体を支えることさえ満足に出来ない。体だけではない。精神も摩耗し、少しでも気を抜こうものなら、失神しかねない危うい状態である。

 今の小太郎を支配しているのは気迫だ。何度叩きのめされようと、決して諦めない小太郎の心が未だに残っているのだ。

 結局の所、何時の世も力が強い者が当然の帰結のように必ず勝つのか。いいや、違う。体はボロボロ、気は尽きかけている。小太郎の敗北はほぼ確定したも同然である。それでも、小太郎の中にある気持ちは、闘志だけは折れなかった。

 現実に力の前に屈しようとしていても、力が全てだなんて思わない。弱い者がどれだけ吠えようが説得力はないだろう。だから小太郎は強くなりたかった。千草に誓ったのだ、強くなると。

 

「ふん、意識もまともになく気力のみで動くか」

 

 5(クゥィントゥム)が小太郎に無造作に近づく。アーウェンルクスシリーズは嘲りを持って、木乃香は固唾を呑んで小太郎を見守っている。小太郎はふらつきながらも歩き、遂に5(クゥィントゥム)の目と鼻の先まで来た。

 

「貴様のしぶとさは認めてやろう。それでも勝つのは私だ」

 

 5(クゥィントゥム)が、ゆっくりと右手に豪風を纏って貫手を構える。

 一方の小太郎も最期の力を振り絞って、右腕を上げた。その拳を前に着き出す。

 

「グボァッ」

 

 5(クゥィントゥム)の貫手が小太郎の腹を抉る。不気味な音と共に小太郎は大量に吐血をした。

 最初に相手に届いたのは当然の如く5(クゥィントゥム)の方であった。小太郎には躱しようもない。当然だ。避けられるだけの余力を既に残していないのだから。 

 トン、とひどく静かな音と共に小太郎の拳が5(クゥィントゥム)の障壁に当たる。掲げた掌どころか障壁すらも突破できない。攻撃力はゼロ。だが、この一撃は5(クゥィントゥム)の攻撃と同時であった。

 

「……………………ぁぁぁ」

 

 その瞬間、小太郎は自らに流れる全ての力を血の一滴一滴、細胞の一粒から気を吸い出す。

 限界の上を遥かに超えた気で全身に纏って最後の一歩を踏み出す。気の強大さに足の筋が音もなく何本か断裂する。あちこちで血管が千切れ、視界が一気に真っ赤に染まる。自らの体を傷つけ、壊し、それを代償にして小太郎は自らの力量以上の力を手にする。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

 

 小太郎の視界が赤く染まっていく。脳髄の中で火花がバチバチ飛び散るような違和感。既に限界を超えている許容量を遥かに超える気を使おうとして肉体が悲鳴を上げているのだ。しかし、ここで引くわけにはいかない。遥かに各上のアーウェンルクスを倒すには、自分の限界を更に超えなくてはならない。

 全身の筋肉が膨らむ。血管が膨張し、浮かび上がり、血圧に耐えかねて全身の毛細血管が千切れ飛んでいく。視界を鉄の色が満たしていく。全身に真っ赤な鉄の串が突き刺さって焼き尽くされるような激痛。だがそんな状態でも小太郎は意識を保ったまま、更に限界以上の気を放出する。狗神が小太郎の感情に呼応するように次々と呼び出され、拳に収束して障壁を穿っていく。

 許容量の限界を超えた気の発現に、小太郎の視界が遂にブラックアウトする。だが、それでも構わない。相手の位置は分かっている。目など、見えなくても問題はない。

 

「なんだとっ!」

 

 徐々に障壁を突破してくる小太郎に、これには5(クゥィントゥム)も至近距離で呻く。

 

「バカな、貴様程度の力量で私の障壁を突破するなど…………」

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 遂に何層にも張り巡らされていた多重障壁を超えて、掲げていた掌すらも吹き飛ばして逃げようのない5(クゥィントゥム)の胴体へと叩き込む。

 

「ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ようやく獲物に辿り着いた狗神を纏った拳は、絶叫と共に5(クゥィントゥム)の胴体を穿ち、その核を破壊する。

 核を破壊されれば強大な使徒といえど消滅は免れない。5(クゥィントゥム)は絶叫の残響だけを残して崩壊して消え去った。後には制服の欠片だけが地面に残っている。

 

「へへ……」

 

 貧血にも似た浮遊感が小太郎の全身を包み込んだ。瞼の裏の暗闇が急速にその濃さを増したかと思うと、ガバリと大きく口を開いて小太郎を丸ごと飲み込んだ。まるで、限界まで疲れてからベッドに飛び込んだ時のようだ。甘くて重たい深淵の中へと、抗い様もない勢いで落ちていく。

 腹には5(クゥィントゥム)の貫手によって穿たれた大きな穴、全身に数えきれない傷、重傷を通り越して棺桶に順調に突っ込んでいる状況。

 奈落の底に落ちて行きながら、残された意識の片鱗で友に囁く。

 

「…………やったで、アスカ」

 

 全身傷だらけで無事な場所を探す方が大変な大怪我を負いながらも、どれだけ手を伸ばしても遠く届かない領域に相手に一矢報いたことに満足したように笑う。

 その瞬間、キンッ、という透き通るような甲高い音が鳴り響いた。生み出されたのはクリスタル状の氷柱。その中には満足したように笑って眼を閉じた小太郎の姿があった。

 

「不良品がまだ残っていたようだな」

 

 6(セクストゥム)が作った巨大な氷柱に捕らわれた小太郎を見ながら、仲間を不良品扱いしながら4(クゥァルトゥム)は薄い笑みを浮かべた。

 余興を観覧していた2(セクンドゥム)は「つまらん劇だった」と当てが外れたかのような顔をする。

 

「アーウェンルンクスシリーズは不良品の発生が多いようだ。まったく、旧世界の獣すら碌に始末できぬとは」

 

 嘆かわしい、と髪を掻き上げた2(セクンドゥム)はふと気づいたように6(セクストゥム)を見る。

 

6(セクストゥム)、獣を何故捕らえた? 放っておいても死んだろうに」

「…………これ以上、主がいる場所を血で汚したくなかっただけです」

「ふむ、まあいい」 

 

 今の傷ついた小太郎では内側から破ることが出来ない代物。6(セクストゥム)の対応に気になる節があったが、これ以上のイレギュラーは流石にないと判断したのと、この状況で自分の後発シリーズを問い質す必要も見受けられなかった。

 

「こ奴らは演者足り得ぬ。これ以上はくだらん余興に付き合う必要もない」

 

 大事な儀式の前の余興も役者が下手であっては興が冷めるというもの。2(セクンドゥム)は遊びは終わりと未だ目覚めぬアスカを治癒し続ける木乃香に視線を移す。

 

「女、今代の英雄を渡せ」

 

 アスカを指し示し、既に決まった運命を告げるように要求する。

 

「素直に渡すならば貴様は殺さないでおいてやろう。永遠の園が造られるその時を見せてやる」

「そんなこと出切る訳ないやろ……ッ!!」

 

 心とは関わりなく熱い雫を流しながら、裏返った声に悲鳴のような闘志を込めて言い切った。近衛木乃香は絶対に逃げない。

 

「逃げへん………………うちは絶対に逃げへんからからなっ!」

 

 まるで神話に登場する聖女そのままに、近衛木乃香は即答で突っぱねた。

 声は震えていた。痛みの所為でもあるし、緊張や不安、それに恐怖だって混じっているだろう。しかし、木乃香は2(セクンドゥム)の言葉に即答していた。

 頭の中で深く考えて答えた訳ではないはずだ。考えるまでもないと信じているからこそ、直ぐに言葉が口から出たのだ。

 

「なら、とく去ね」

 

 醜悪に歪められた2(セクンドゥム)の顔が、直ぐ目の前にあった。

 生温かな息が鼻先にかかるのを感じて木乃香はハッと目を見開き、硬直して抵抗はおろか逃げることすら出来なかった。

 刹那、右肩に衝撃が走る。

 

「――――っ!」

 

 木乃香は声にならない悲鳴を上げて、アスカを落とさないようにするのが精一杯だった。

 そして見た。2(セクンドゥム)の右手から伸びている雷の槍が右肩に突き刺さっているのを。雷の槍から紫電が迸る度に痛みがじわじわと全身に染み拡がり、同時に力が抜けてゆく。

 全身からズキズキとした鈍い痛みが滲み出る。地面を転がった時に岩がこめかみにぶつかり、脳を揺さぶっていた。意識が朦朧としたまま、それでも近衛木乃香は思う。

 

(助けて……)

 

 痛みからではない。只管に、何も出来ない自分の弱さが悔しくてボロボロと涙が零れ落ちる。

 

(誰か、助けてください。うちの、うちの大切な人達を闇の中から……) 

 

 歯を食い縛って、瞳に涙を浮かべてどこかにいる誰かに助けを求めた。

 木乃香に抱えられたアスカからドクンドクンと音が響く。破裂しそうな勢いで心臓が打っている。

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。鼓動は更に大きくなり、やがて一つの奇跡を生み出そうとしていた。だが、まだ早すぎる。闘争によって極限まで酷使されたアスカの肉体。酷使に継ぐ酷使によって、破壊されつくした肉体を修復し、更なる境地へ辿り着くには時間が圧倒的に足りない。

 

「まだやるか」

 

 歩み寄って来た2(セクンドゥム)の目が表情が、泣き叫んで声高に助けを求めるでもない木乃香がつまらないと物語っていた。

 何とか力を振り絞ろうとする木乃香に対して、無造作に右肩から雷槍が引き抜いた。

 木乃香の血でしとどに濡れた槍を振るって血を払いながら、彼はアスカも纏めて蹴り飛ばした。格闘技のようなものではなく、まるで道端に落ちている小石を無造作に蹴り飛ばすようなものだった。

 木乃香と彼女が抱えたアスカの体が宙を舞い、地面をゴロゴロと転がる。

 

「ほぅ」 

 

 雷槍が刺さっていた肩やぶつけた額から血を流しながらも、気丈にも立ち上がって地に伏せているアスカの下へ行こうとする木乃香を見て、つまらなさそうだった2(セクンドゥム)の顔に喜悦が浮かぶ。

 視線の先にいるのは、まだ身体が出来上がっていない少女だ。長い黒髪がほっそりとした肩を覆い、未成熟な腰まで伸びている。夜をそのまま映し取ったような鮮やかな黒だった。対照的に肌は抜けるように白く、瞳は極上の黒真珠の色に濡れていた。

 

「くく……」

 

 2(セクンドゥム)は雷のような速さで回り込み、木乃香の胸ぐらに手をかけ、それを引き千切った。下着と白い肌が露になる。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ほら、暴れろ暴れろ! はははははははははっ!!」

 

 絹を裂くような絶望的な悲鳴を上げながらしゃがみ込む木乃香に対し、2(セクンドゥム)はその体を彼女へと覆い被せていく。魔の手から逃れようと懸命に暴れまくる。

 彼女は死に物狂い暴れるが、その体を押し退けることが出来ない。それどころか両手を押さえつけられ、抵抗すら出来なくなっていた。男と女の違いだけではない。隔絶した力の差の前に残されたのは抵抗すら出来ぬ乙女である。

 

「いやぁぁぁぁぁっ!」

 

 木乃香は大粒の涙をポロポロと零しながら、なけなしの力を振り絞って悲鳴を上げていた。

 だが、彼にとって悲鳴も楽しみの一つなのか、その様子を眺めていた2(セクンドゥム)は唾液に塗れた舌で唇を舐めて、端整な顔を狂笑で染めながら耳障りな笑い声を発した。

 小太郎は氷柱に閉じ込められ、古菲も火炙りにされて気を失っている。ただ一人だけ意識を保っている茶々丸も4(クァルトゥム)によって上半身と下半身を分断され、紅蓮に輝く槍によって地面に縫い付けられて動けない。

 

(動いて……動いてください! いま動かなければなにもなりません!!) 

 

 唯一自由な左手で紅蓮に輝く槍を引き抜こうと全身に力を込めていく。だが茶々丸の意志に反して、起動しているだけでも奇跡なほどの損傷を負っている体は思うように動いてくれない。

 

(今動けなければ、私はなんの為に生まれたのですか!?)

 

 茶々丸の中で造物主の使途達に勝つための戦略が何度も検討される。

 並列処理された条件の数々。それが一秒間に約五千以上の可能性を検討し続ける。

 人間ならばとっくの昔に死んでいる。頭蓋をカバーするシェル型のケージにも損傷が見られる。血管代わりのケーブルが幾つか断線した。使えないシステムをパージして処理速度を上げる。

 『ERROR』のアラート表示が嵐のように茶々丸の中を駆け巡る。結論が出るのは早かった。

 機械の表示がややこしい命令文を吐き出す。それが意味するところを要約すれば、勝てる可能性ゼロ。取るべき戦略は速やかなる撤退。そういうことになる。無駄な戦闘は意味がない。一端回避する。

 

(退けません。何か方策を!)

 

 0と1を超えた何か、パルスとパルスの間に生まれた機械に生まれ出はずのないノイズが撤退を選ばせない。

 勝機は完全に潰えた。

 刹那と真名は各々が敵と交戦していて安否すら分からない。最大最強の戦力であったアスカは倒れ、古菲も他のアーウェンルクスシリーズを前に呆気なく敗れ去った。皆を鼓舞した小太郎は氷柱に閉じ込められている。木乃香は今まさに敵に嬲られている。

 逃げることすら不可能な状況。機械故に全ての可能性が生存を望むにはあまりにも絶望的なことを受け入れるしかなかった。

 逆にこの時は己が身が機械であることにも感謝していた。人の身で上半身と下半身を別たれ、右手を失い、燃え盛る槍に貫かれても生きていられるのだから。

 機械故に、茶々丸はこの場で動ける可能性を持てた。明確な絶望が支配する中で、一筋の道を模索する。

 みんなの命は風前の灯であり、周囲は『完全なる世界』達に取り囲まれている。勝てる見込みは万に一つも無い。もしかしたらみんなを見捨てれば、アスカ一人なら逃げることも可能だったかもしれない。それでもアスカは抗って見せた。みんなが諦めた中で絶望的な状況を打破するために走ったのだ。

 彼の気持ちに気持ちに応えたいと思う茶々丸だが、同時に手遅れであることも知っていた。

 

(私が時間を……希望を繋ぐための時間を作り出さなければなりません!) 

 

 何の根拠もない希望。誰も立ち上がれない。助けは来ない。奇跡は起きない。無意味であることも理解している。だとしても、希望を捨てることは出来ない。一分でも一秒でも稼ぐことが、仲間を守ることこそ己に与えられた使命であると機械である自らを規定する。

 人が作り出した究極の人形の選択に迷いはない。

 再度、エラーのとアラートの嵐。処理速度の限界。その更に限界。限界を超えた極限の速度で計算を繰り返す。内装されている冷却機構の全てが熱で溶け始める。光学系、味覚系、使わない殆どの機能を殺す。

 数百、数千の言葉がデータベース上に明滅したが、どの表現も適切ではない気がした。自分が今抱えているモヤモヤを現すのには何かが足りていないように思えた。

 何度も何度も表現しようとして、同じ回数だけその試行が失敗する。

 

「く……」

 

 回路を焼きながら歯を食い縛って機能不全に陥りかけている体を動かし、紅蓮に輝く槍を掴む。術者が離れたといっても槍は未だ燃え盛っている。手が焼かれているのを感じながら引き抜く。

 視界の全てがエラーメッセージで埋まる。無事な箇所は残っていない。機械であろうとも彼女は自分が人間で言うなら棺桶に片足を入れているような状況を理解していた。

 自己保存の項目を削除。残りの機能をこの一撃にかける。

 

「木乃香さんから――――」

 

 だが、その目は死んでいない。今にも途切れそうになる機能を必死に繋ぎ止めながらも、槍を振りかぶるその瞳だけは強烈な光を放っている。

 

「――――離れなさい!」

 

 茶々丸は叫ぶと同時に、紅蓮に輝く槍を木乃香に覆い被さっている2(セクンドゥム)へと投げつけた。

 だが哀しいかな、通常の能力に比べれば一割にも満たない力で投げられた槍を2(セクンドゥム)は見もせずに片手で叩き落とした。

 茶々丸の上げた手が力を失って落ちる。目から光が消える。先ほどの無理な動作で殆どの機能が死んだのだ。最早茶々丸は動けない。

 

「目障りな」

 

 2(セクンドゥム)は茶々丸や小太郎の気持ちなど気に留めない。

 視界を遮る蝿を振り払うように、ただ腕が動く。莫大な力が、茶々丸を一瞬にして灰燼に帰す力が込められた腕が無造作に動く。

 

「っ!!」

 

 しかし、2(セクンドゥム)の腕が茶々丸を灰燼に帰すことはなかった。小太郎の勇気が作り出した時間と茶々丸が自らを省みることなく放った一撃がもう一つの奇跡を呼び寄せる。

 

「なんのつもりだ、これは」 

「さあね、君の邪魔をしていることだけは確かだ」

 

 フェイト・アーウェンルンクスがそこに立っていた。

 アスカに倒され、味方が登場してからは動きを見せなかった彼が、何時の間にか立ち上がって茶々丸を爆殺しようとしていた2(セクンドゥム)の腕を掴んでいた。

 

「邪魔だ」

 

 掴まれている腕を裏拳というより、邪魔な蜘蛛の巣を払う仕草で振るった。

 アスカとの戦いによって身も心も限界を超えていたフェイトには逆らうことさえ出来なかった。腕を放すことすら出来ずに体が砲弾のように吹き飛ばされた。

 受身も取れずに瓦礫へ叩きつけられる。全身に力が入らない。フェイトは瓦礫から立ち上がることすら出来ないまま、口元を震わせる。

 

「やはり我らに反逆するか、3(テルティウム)

「反逆する気なんてない。ただ、君にやり方が気にくわなかっただけだ。ふふ、アスカに影響されたのかな僕も」

 

 歩み寄って来る2(セクンドゥム)に対そうとするも足に力が入らない。フェイトは立ち上がることすら出来ないまま、口元を震わせて笑った。

 

「僕はアスカに負けた。敗者には敗者の挟持がある。何もしていない君達が口を出す権利はどこにもない。例え主であろうとも許さない」

 

 道を阻むのならばこの命に代えても倒すと、立ち上がれもしない瞳が言っていた。

 

「なにより、婦女子に暴行するような下衆と同類に思われるなんて吐き気がする」

 

 例え言葉でなくても、自分の全てを賭けた何かを、互いに交わしあったのだから。例え敵と味方に分かれていても、命を賭したやりとりだとしても、それ以上に伝わるものをフェイトは感じていた。

 自分の中で決着が付いて蟠りがなくなるとひどく涼やかな気分だった。

 それは戦争という悲惨の中で生まれた、人が示した僅かな良心だった。人によっては偽善と嬲るかもしれない。だが、確かに生まれた奇跡だった。

 この戦いは英雄の物語ではない。そんな単純で美しいものではなく、もっと罪深く、どこにでもある人同士の戦いだ。そして世界に挑むとは、アスカとフェイトのように相容れないものの手を取り合わせる今のような状況ではないだろうか。

 

「ふふふっ……ははははははははははっ、あははははははははっっっ!」

 

 2(セクンドゥム)は狂ったように嗤っていた。腹を抱え、くの字に体を曲げながら、よく透る澄んだ声で嗤い続けていた。気の違ったような激しい哄笑だった。それは何時までも終わりを告げることは無い。

 笑い声は果てしなく続いた。嗄れることなく、疲れることなく、更に人間の限界を超えて、どこまでも声量を上げて続いた。聞く者の心を粉々に破壊する笑いだった。

 

「はは、笑い死ぬかと思ったぞ………………………身体がまだ残っているのが既に奇跡でありながら、さっきの犬のように良く吠える。主を許さないなどと、やはりお前は失敗作だったな」

 

 圧し掛かっていた木乃香の上からどいて立ち上り、怒号とも哄笑ともつかない2(セクンドゥム)の声が、フェイトの鼓膜を強く叩いた。

 

「罰だ、罰を与えてやるぞ。テルティウム」

 

 甲高く叫びつつ、何時の間に近づいたのか拳をフェイトの腹に突き入れて崩れ落ちた身体を肩に担いだ。そして、天上高く飛び上がり、そのまま地上目掛けて急降下する。

 地表が間近に迫ってきたところで、2(セクンドゥム)はフェイトを投げ捨てた。

 成す術もなく背中から地面に叩き付けられたフェイトは、無造作に転がった後、うつ伏せに倒れた。呻いて、咳き込む。唾液と人形特有の白い血が焼けた土に無数の染みを作った。

 

「まだだあ! そう簡単には楽にしてやらんぞぉ!」

 

 殺すことが、戦いが、無力な相手を圧倒的な実力で叩きのめすのが楽しくて堪らないというように、快くて我慢が出来ないように悪意に満ちた笑みを浮かべて、あらゆるものを破壊せんとばかりに2(セクンドゥム)は驀進する。

 

「まだまだまだぁ! この程度で私を愚弄した罪が贖えると思うな!」

 

 近づいてきた2(セクンドゥム)の爪先が、アスカによって最後につけられた腹の傷に押し当てられる。無造作に身体を仰向けに返され、フェイトは痛みに悶えた。

 

「その顔だ! もっとだ! もっと泣け! 喚け! 喘げ! のたうち回れ! そして悔いろ!」

 

 夥しく出血している腹の傷に、にやにやと粘着質な笑みを滲ませて2(セクンドゥム)が踵を落とす。

 全身に激痛が走った。あまりの痛みに、フェイトが頤を逸らして苦痛を漏らすと、2(セクンドゥム)は舌なめずりをして傷口を踏み躙った。

 

「私の首を切り落とした貴様には相応しい末路だ!」

 

 凄惨な笑みを浮かべて歓声を上げながら、何度となく傷口を蹴りつけて踏み躙る。

 もはや何の抵抗も出来ないフェイトは、成すがままに痛めつけられた。悲鳴を上げる力も失くし、グッタリしているだけだったフェイトの上体が激痛に大きく反った。

 

「くっくっくぅ、立場が逆になったな。貴様はもう限界だ、3(テルティウム)!」

 

 そしてフェイトが仰け反る様を見て、また2(セクンドゥム)が歓声を上げる。

 

「安心しろ。不良品の貴様の代わりに我々が全てを終わらせてやる。それですべて解決、綺麗さっぱり問題なしだ。貴様は向こうであの女の珈琲でも飲んでるがいいさ。何年でも何百年も好きなだけな」

 

 どうしようもない激痛と、自分が消えていく感覚に景色が次第に白く霞んでいく。

 

「フェイト様!」

 

 しかし、その声は消滅しかけたフェイトの意識を現世に呼び戻した。

 

「フェイト様から離れなさい、この下郎が!」

「部下だという幻想どもか」

 

 魔眼から放たれる烈火の火線を厭うたわけでもないのに2(セクンドゥム)が焔の叫びに従うように離れたのは別にフェイトを慮ったわけではない。このままフェイトを嬲るだけでは芸がないのと、調達にも褒美を与える為である。

 

「幻にも人情はあろう。欠陥品を庇う理由を言ってみるがいい。私を面白がらせることが出来たならば今の行動は不問にしといてやる」

 

 フェイトを守るように立つ四人の少女達を一見し、やはり脅威にはならないと切り捨てながらも行動の是非を問う。

 そして調が薄桃色の唇を開いた。その言葉をフェイトはきっと生涯忘れない。

 

「フェイト様に救われたから私は、私達はここにいる」

「復讐ではなく、世界を変える為に」

「完全なる世界の理念に共感したわけではなく、フェイト様が作る世界の為に私達は闘った」

「あなた程度の下郎がフェイト様を図るな!!」

 

 煉獄のような地獄の中で、まだあどけない容姿の少女達が各々の想いを叫んだ。

 

「君達……」

 

 世界が歪んだ。フェイトは自分が初めて涙を流していることを自覚した。一分後には消滅してしまっているのかもしれないけれど、今この瞬間にここにいて良かったと思った。

 世界を見て回ったフェイトは、もう残酷や打ち捨てられる願い、無意味な悲劇を、現実を知っている。けれど雲間から射す光のように、喜びが彼の体を包むのだ。

 

「僕は、英雄(ヒーロー)になりたかった」

 

 心の奥から次々と湧いて出て来る力に突き動かされるように立ち上がったフェイトの体は、もう致命的な領域で損傷しているが今の彼を包むのは今までに感じたことのない全能感だった。

 

「ナギに少し憧れていたところもあったのかな。彼のようにどんな苦難に遭っても笑って乗り越えらえるようなそんな男に」

「私達にとって他の誰でもなくフェイト様こそが英雄(ヒーロー)でした」

「ありがとう」

 

 期待を裏切られたことで憧れに蓋をして嫌おうとした。それでも世界を見て回る中で、自分の手が届く範囲で人々を救っていたのは嘗ての気持ちを捨てきれなかったから。似姿のアスカを初見から嫌いだったのはそこに理由があるかもしれない。

 

「僕は、僕の意志でお前達と戦う」

 

 フェイトはここで慄然と決意表明をして、目的意識も忠誠も設定されていない3(テルティウム)は自らの道を見つけて嘗ての仲間達と主から離別する。

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

 2(セクンドゥム)はとんだ茶番を見たとばかりに、最後のどんでん返しを期待するかのように問いかける。

 返って来たのが少女達の闘志に満ちた目であったことから心底から呆れたとばかりに溜息を吐く。

 

「つまらん。なんだそれは。折角の余興なのだ。少しはこちらの予想外の出来事があって然るべきだろう。なのに、なんだ。全員が全員、判で押したような展開にしかならんとは。全く以て嘆かわしい」

 

 キザッたらしい仕草で髪を掻き上げた2(セクンドゥム)の目はやはり生物を見るものではなかった。

 

「余興は終わりだ、造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)

 

 ボッ、とフェイトの目の前で四人の少女達が花弁と化して消え去る。

 フェイトの目が見開かれる。2(セクンドゥム)が掲げた一本の火星儀の杖――――造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)を。

 

「何故、造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)があるのかという顔をしているな?」

 

 なんだこれは、とフェイトは目の前の現実を否定したかった。

 少女達の為に、己自身の運命に決着を着ける為に、戦おうとした理由その物を理不尽に奪われた。命を刈り取る死神の鎌のように、神の視点から見た世界で不要な物を天から手を下ろして掬い取るように。

 

「これはデュナミスが残していた物で、微かな力しか残っていない。現に使えるのも後一度程度だろう」

 

 傷だらけの幻想四体を完全なる世界に送るだけで限界を迎えていては他に使い道などない。言い換えればフェイト達が裏切った場合を想定して残しておいたともいう。

 

「これは慈悲であり、救済だ。神に逆らう愚か者を罰することなく、永遠の園に送ってやったのだ。寧ろ感謝され」

2(セクンドゥム)――っ!!」

 

 怒りがフェイトを支配した。

 有史以来幾度もあった大切な者を理不尽に奪われた者が抱く感情そのままに、フェイトは怒りを拳に込めて2(セクンドゥム)に叩きつけた。その一撃は火事場の底力か、怒りに駆られた激情か、それとも他の何かか。なんにせよ、フェイトの拳は2(セクンドゥム)の障壁を突破して腹に食い込んだ。

 

「…………そうだ、その顔が見たかった」

 

 障壁は超えた。腹に食い込んだ。だからなんだと2(セクンドゥム)は嘲笑う。

 

「理不尽に全てを奪われ、何も為すことが出来ずに消え去る恐怖。貴様にも味あわせてやろうと心に決めていた。今が、その時だ」

 

 笑みを浮かべて最後のフェイトの足掻きを哂った2(セクンドゥム)造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)の力を解放しながら振るう。

 

「!?」

 

 剣で斬られたように上半身と下半身が切り離される。嘗て首を切り落としたことに対する意趣返しということだろう。

 造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)が力を失って消滅する、完全なる世界に送られるフェイトと共に。下半身は一瞬で花弁となって散り、上半身の顔に向けて蹴りが振るわれた。

 

「幻想の中に浸るがいい、使徒であることすら放棄した塵芥。貴様にはその末路こそが相応しい」

 

 頬を足蹴にされたフェイトは無様に地面を転がり、パタリと木乃香とアスカの直ぐ近くで止まった。

 やがて上半身も形を保てずに消え去ることだろう。フェイトが無様に足掻く様を見た木乃香の心を折らんとする2(セクンドゥム)の奸計は、もう失う物すらも無くなったフェイトから見てもいっそ見事と言えた。

 

「くっ……」

 

 それでもここで屈してしまうことはフェイトの挟持が許さなかった。何も為せないのだとしても、このまま2(セクンドゥム)の思い通りにさせて堪るかと手を伸ばす。

 徐々に体は花弁と化して消えていく。それこそ運命のように抗うことは出来ない。

 

「アスカ」

 

 輪郭すらあやふやになっていく中で地面に顔を擦りつけながらも、一心不乱に未だ意識が戻っていないアスカの投げ出されている手に向かって這う。

 

「僕が、こんなことを、頼めた、義理じゃない、のは、分かってる」

 

 僅かな距離が今は永遠とも思えるほどに遠い。

 フェイトを突き動かしていたのは、使命でも忠義でも目的意識でも願いでも望みでも願望でも、決してない。人形ではなく、造物主の使徒としてではなく、この世界に生きる者としてこんな結末を認めることは出来なかった。

 湧き出た涙すらも頬にこびり付いた土と混ざり合い、顔はとても見れたものではなかった。そんなことに拘っている余裕はない。消滅は胸元にまで及び、消え去るのも時間の問題だろう。

 

「みんなを、世界を、救ってくれ」

 

 託すことしか出来ぬ己の不明を恥じながらも、その手を掴んで自分に残る全てをアスカに譲って消えていく。

 

「………………」

 

 三流の英雄譚ならば、宿敵から力を分け与えられた英雄が目を覚まして戦う展開になったかもしれない。それでもアスカは目覚めない。表面上の傷は癒えていても奇跡は起きないし、ご都合主義の展開になることもないのだ。

 

3(テルティウム)も消え去り、碌に動ける者もおらん。これ以上の余興は蛇足でしかない。夢見ることなく消え去るがいい―――――響き渡る雷の神槍(グングナール)

 

 ガガガガガガ、と幾重もの重なる雷鳴の音と共に、雷系最大の突貫力を有する魔装兵具が2(セクンドゥム)の手に現出する。

 木乃香の力では響き渡る雷の神槍(グングナール)を防ぐことは出来ないし、アスカを見捨てて一人だけ逃げたところで命を狩られる時間が僅かに伸びるだけだ。

 もう茶々丸は機能が生きているかも怪しく、小太郎は氷結に閉じ込められ、古菲の意識も戻っていない。瓦礫のどこかにいる楓の意識が奇跡的に戻って助けに来ることはない。

 

「ごめん、アスカ君。ごめん、せっちゃん。ごめん、明日菜……」

 

 木乃香は諦めた。逃れようのない現実から、迫りくる死から生きることを諦めた。

 抗い様のない欲の業に満ちた世界は文字通りの地獄なのかもしれない。誰もがこの世に救い主(メシア)はいないのだと悟る。だからこそ、救いは常に神ではなく、他ならぬ人の手によって齎される。

 人の精一杯は、何時も最悪へ向かって転がるとは限らない。命を閃光のように燃やして稼いだ時間は無駄ではなかったのだから。

 最期の瞬間が訪れる前に瞼を閉じた木乃香の瞼を光が透かした。

 

「るるぺらあん?!」

 

 温かい閃光に驚いて瞼を開いた木乃香の視界から響き渡る雷の神槍(グングナール)を放とうとしていた2(セクンドゥム)が奇妙な悲鳴と共に消えた。それと同時に紫電走る閃光が木乃香の前に背を向けて立つ。

 

「くっ……き、貴様は!」

 

 遥か遠くで2(セクンドゥム)が何度か地面を跳ね回りながらも最後は手を付いて足から着地して、自らを攻撃した木乃香の前に立つ者を見て吠えた。

 

「大丈夫ですか、木乃香さん」

 

 憎らしいほど最高のタイミングで現れたその少年の名前を近衛木乃香は知っている。知らないはずがない。彼は自分達の仲間。アスカに届かず、されど一つの可能性を生み出した麒麟児。

 闇の福音の後継、アスカとはまた違った道を進んだ少年。名をネギ・スプリングフィールドといった。

 

「遅くなりました」

 

 破られた衣服の木乃香の前に屈んだネギが上半身の衣類を脱ぎ、剥き出しになっている背中にかける。

 何時目覚めるとも知らぬ眠りについていた少年の登場に、絶望の闇に沈んでいた木乃香は想像力すら眼前の現実に追いついてこず、頭が痺れた。

 

「ネギ君!!」

「これから、あいつらを倒します。もう大丈夫です」

 

 ネギは木乃香に頷いてみせると、立ち上がって振り向いた。

 自分が蹴り飛ばした相手、その近くにいる似たような格好と容姿をした者や同類らしき者達、一番奥でネギが願い求めていたナギの姿を借りた敵の首魁を睨みつける。

 

「よくもみんなを……」

 

 何の躊躇もなく、何の遠慮もなく、何の容赦もなく、何の恐怖もなく、何の焦燥もなく。ネギ・スプリングフィールドは少女達を守るように背を向けて、死神のような完全なる世界の軍勢の前にただ一人で立ちはだかった。

 善悪も愚かしさも越えて、ただ何者をも隠さず鮮烈に背中を滾らせて君臨する。

 

「――――許さないぞ、お前達!」

 

 全身から紫電を迸らせ、闇の底から復活したネギ・スプリングフィールドの怒りの叫びが響き渡った。

 精根尽き果てた木乃香には、彼の背中がひどく眩かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り二時間十二分三十八秒。

 

 

 

 

 




追い詰められ、どうにもならなくなってからの満を持してのネギの復活。
ネギは如何にして復活を遂げたのか?

次回『第88話 輝く星となれ』


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