魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第65話 自由交易都市ノアキス

 

 

 

 

 

 湖で獏の赤ん坊であるハクを仲間に加えたアスカ達はもう半日をかけて、自由交易都市ノアキスへと到着した。

 ノアキスは周囲を堅固な石壁に覆われている。これは侵略に備えてのことではなく、近くの森に住み着いている魔獣達の侵入を防ぐためだ。こうした壁はよほど魔獣がいない地域以外は基本的にどこの街にもある。

 都市に入ろうとしている商人に混じって正門を通過した。魔法で簡単な審査を受けて都市に入った時にはもう夕暮れ時だった。にも拘らず、正門から続く街の中央を走る大通りはまだ人でごった返していた。

 

「らっしゃい、らっしゃい、いらっしゃーい」

「取れたてのラーズベリー、取れたてのラーズベリー。旧世界からの輸入豆もあるよぉ!」

「ほれ、ちょいと試してごらんな。そこの美人さん」

 

 大通りをを埋め尽くして縦横に流れる人混み。多くの通りに露店が出ていて、お土産物から日常の食料品、衣服まで様々な物を売っている。バザールである。活気溢れる青空市場では店仕舞いをする前に商品を売りきろうと商人達の客引きの声と客の値引きを求める声が響き合っていた。

 耳を塞ぐ喧騒、見たこともない衣装や人種、屋台から溢れんばかりの沢山の売り物の数々に千雨は面食らい、立ちすくんでしまった。 

 

「凄いな。今日はお祭りでもあったのか?」

 

 視線を向ければ、頭にターバンを巻いた亜人の商人がトゲだらけの固い皮をした果物を剥いている。千雨が興味深く目を向けると肩に乗っているハクも同じ動作をし、黒く厚みのある果皮からは歪な外見からは想像も付かない、果汁溢れる柔らかな実が飛び出していた。

 

「いや、大国の狭間の都市だから交易も盛んで何時もこうなんだろう」

 

 大通り沿いに連なる露天商の一つでは、持参の瓶を持った客たちが行列を作っていた。そこでは水竜の幼生が魚のエラに似た翼を羽ばたかせている。竜の翼からは、甘くて美味しい魔法の水がシャワーのように降り注ぎ、一ドラグマと引き換えに、立ち並ぶ客たちの瓶を満たしていた。

 

「流石は自由交易都市と言った感じか」

 

 どこからどうやってこんなにかき集めた、と誰にともなく問い詰めたくなるような、とにかく大量の人の波。忙しなく屋台に商品を並べる商人たちや、妖精のダンスを見世物に見物料を稼ぐ道化師など、雑多な人々で街は溢れかえっている。

 地球の都市とは違ってまだ通路が狭いので余計に人が多いように感じた千雨が思った通りの感想を口にしていた。

 

「辺境でもないのに人間種と亜人種がここまで共存しているのはこの都市ならではの特徴といって言いでしょう。前領主のロレンツォの意向を汲んだものと思われます」

 

 思わず千雨が感心といった声を出し、茶々丸が解説する。

 アスカが少し辺りを見渡すだけで白人系や黒人系、黄色人種といった多種多様な人種が織り交ざった人間種がいる。人間種と違った肌の色や尖った耳や艶やかな羽毛といった人間種ではありえない特徴を持った亜人種もまた散見できる。

 両者の比率はほぼ半分半分といったところで、ヘラス帝国とメセンブリーナ連合である程度棲み分けされている中にあってノアキスは自由交易都市の名に違わぬ異種族が混在振りであった。

 

「ノアキス――――二十前まではこの地にあったのは小さな村だけでしたが、大戦時に両国の侵攻によって村は消滅。大戦後、ヘラス帝国出身の商人であった前領主であるロレンツォ・モーフィアスがこの地に都市を三年をかけて建設。今では両国の数少ない交易の起点として発展を続けています。ロレンツォが無謀と言われたこの事業を始めたのは、亡き妻がこの地の出身だったからではないかと推測されています」

 

 これだけ人が集まるところに商魂逞しい商人達も集まる。商人達が大勢行き交う街としても有名であった。

 エリジウム大陸にあるグラニクスの姉妹都市であるが、あちらが古い歴史を積み重ねているのとは違い、ノアキスは戦後になって作られた新しい都市である。

 当時から大国の境に位置していたこともあって戦禍に巻き込まれやすく、大戦時まであったのは小さな村だけで街と呼べるものは存在していなかった。理由は単純、交通の要所として利用するには、あまりにも危険が大きすぎたからだ。

 村が戦争で壊滅した後に都市が造られることになったのは、ヘラス帝国の商人あったモーフィアスが膨大な量の資金、資材、そして人材が投じられたことにある。一説にはロレンツォの亡き妻がこの地の出身であることが挙げられている。

 理由はともかく、三年かけて都市が建設され、何とか体裁を整えられる環境が出来上がった。けれどそれも、街を造り維持するのに必要とされる水準になんとか届くというレベルでしかなかった。

 大戦後の緊張感が続く両国に挟まれ、長い時間、ノアキスは陸の孤島だった。多くの者はロレンツォの失敗を論った。が、これは昔の話であり、今はかなり事情が変わっている。

 彼は誰に中傷されようとも信念を変えることなく、長い時間をかけて街と環境を造り続けた。そして二十年の月日をかけて、グラニクスと同等以上にまでしてしまった。

 

「人が多いから、はぐれないように気をつけろよ」

 

 交易都市とはいえ、少し多すぎる人の波に眉を顰めたアスカは動じた風もなく、肩を斜めに構えて人の流れに踏み込んでゆく。千雨と茶々丸は慌てて追いかける。

 

「おい、アスカ。都市に着いたはいいけど、これからどうするんだ?」

 

 一人で先へと進んでいたアスカが千雨に問いにピタリと足を止めた。ギギギ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく振り返る。

 

「船に乗ってアリアドネ―に向かうつもりだったけど俺、金持ってない」

「私も持ってないぞ。どうすんだよ、おい」

 

 アハハハハ、と少し自棄を含んだ自嘲を滲ませるアスカに千雨も今までが自活でどうになかった分、そこまで思考が回っていなくて頭を押さえた。金は天下の回り物というが、無い袖は振れない。ただで船に乗せてくれるとは思えないから、まずは金を稼ぐことから始めないといけないことになる。

 アリアドネ―は地図で言えば、現在地のほぼ真反対の場所にあるから運賃もそれなりの値段になるはずで、三人分ともなれば一朝一夕で稼げるか未定である。金が溜まるまではこの都市に留まることになるので、当然ながら滞在費に食費もかかる。

 

「あの、お金なら私が持っていますが」

「え、マジで?」

 

 アスカは賞金稼ぎでもするかと考えていたところだったので、茶々丸の申し出に目を丸くする。

 

「ゲートポートで両替をした際に私が持っていましたのでそのまま」

「おぉ、茶々丸大明神がここにいた……!」

「これは崇め奉らずにはいられない……!」

 

 千雨はアスカと共に、これほど茶々丸と一緒に行動を出来て幸せなことはないと最上級の感謝を現したつもりだったが当人には不満のようだ。困惑した様子でオロオロとしている。

 仕方なく崇め奉ることを止めたアスカは脳内に今晩の食事について思いを巡らしながら土下座から立ち上がる。

 

「取りあえず、今日はどこかに泊まって船を探すのは明日に――」

『お昼のニュースです。二日前に起こった世界各地同時多発ゲートポート魔力暴走事件の続報をお送りします』

「―――しようって?」

「我々の事件でしょうか?」

「世界各所……?」

 

 揶揄うのはそれぐらいにして真面目に話していたところで、街頭テレビの音声に気を取られて首をグルンと巡らせる。自分達も関わったゲートポートがニュースになっていると、千雨も茶々丸もアスカの視線を追って街頭テレビを見る。

 

『各ゲートポートでは依然、魔力の流出が続いており、復旧の目途は立っていません。負傷者、行方不明者多数が出ているこの事件ですが、犯行声明も無く背景が謎に包まれたままで各捜査機関より事件の詳細は明かされず、現在も捜査中と発表しています。続きまして次のニュースです――』

 

 街頭テレビには、猫耳の女性アナウンサーが固い表情で手元のニュース原稿を読んでおり、その背後にはどこかのゲートポートの爆発の瞬間を移した映像が流れている。

 

「あのゲートポートだけが襲われたわけじゃなかったんだな」

 

 被害は全世界のゲートポートで起きているとニュースで読み上げられた内容から、あの時にフェイトが言っていたゲートポートが目的と言っていたのは本当のことのようで、アスカは街頭テレビを見上げた僅かに目を細めている。

 千雨としてはあの時のアスカの怒号が今も耳に残っているので、話題を変える為に「そんなことはいいから、どっかで飯でも食おうぜ」と袖を引く。

 

「ん? ああ、そうだな――」

 

 袖を引かれて千雨の方を向いたアスカは返事をしつつ、何かに気付いたように首を巡らせた。千雨がどうしたのかと思ったが、その理由は直ぐに分かった。正確には聞こえて来た。

 

「――――――うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

「……あれ?」

 

 賑やかな市場(バザール)に相応しいとは言えない、苦悶の声である。と同時に、なにやら鈍い打撃音や何かが壊れる音が数度、そして掛け声が響く。遠くから聞こえてきた悲鳴に千雨は顔を挙げ、ふとアスカが通りの向こうを見ていることからそちらに視線を移した。

 

「うらぁつ!」

「なんなんだよ、お前らはっ!」

 

 アスカの見えすぎる目に映るのは、バザールの青空市の一角で、大きな男たち数人と薄汚れた服を着た少年が言い争っている姿だ。より正確に表現するならば少年が大人達に囲まれている。

 通りを歩く人の数は、多くはないが皆無でもない。だがそれらの通行人は、互いに目配せして、歩調を早めて通り過ぎていくだけのようだった。

 

「喧嘩、でしょうか?」

「さあな。でも、これ以上揉め事に関わるのは勘弁だ。つまんない喧嘩なら無視、無視」

 

 喧騒から予想した茶々丸と、その予想から面倒事には関わり合いになりたくないと全身から表現する千雨。アスカとしてもこれ以上の厄介事は関わらない方が良いと立ち去ろうと反対方向に踵を返した。

 

「また奴らか……」

 

 すれ違った商人らしき中年の男がぼそりと独りごちるのがアスカの耳に入って思わず足を止める。

 

「奴ら?」

「その様子じゃ、兄ちゃんらはノアキスに来るのは初めてかい? じゃあ、知らねえのも無理はないな」

 

 アスカが繰り返すと商人の男はジロリと姿を確認すると見かけないタイプだと納得した面持ちで頭を掻く。

 長話になると思ったのかアスカらを伴って通路の端に寄ると、自身の荷物を地面に置いてその上に座る。

 

「理由は分からんが、最近になって連合の方から流れて来た軍人崩れがこの街に集まって、ああやって徒党を組んで亜人にいちゃもんをつけてんだよ」

「なんでまた」

「帝国の方では人間迫害があるっていうし、逆もまた然り。どこもかしも未だに戦争の気分が抜けないんだろ」

 

 自身亜人である商人も他人事ではないのだろう。嫌悪を滲ませる声に、もう一度アスカが視線を喧騒に向けると大人の男達は軍人崩れと納得できる体格と装備で、少年の方は尻尾や耳を見るに狐系の亜人のようである。

 

「ここの領主は何をしてるんだ? こういう場所だと種族差別は、ある意味で治安よりもデリケートな問題じゃないのか」

 

 大国の狭間にある交易都市なだけに人種・種族差別があれば、問題があればどちらかの国に呑み込まれる可能性だってあるはずで、都市を造り上げたほどの領主ならば早めに問題を解決するはずだが、守備隊が出てくる気配が全くないだけではなく、周りの者達も関わり合いになりたくないと姿勢が透けて見えすぎている。

 

「最近、前領主様が病気になって今の領主様に代替わりしたんだが、現領主様は近々行われるナギ・スプリングフィールド杯にご執心でね。とはいえ、領主様も騒動を収めようとしてるんだが奴らはその前にとっとと逃げちまうんだよ。被害自体は大したことないから見逃されてる感じだな」

「そうか」

 

 元は軍人であるから引き際も見極めてるし、被害としては小さいから領主としてはナギ・スプリングフィールド杯があるから気にはするが重要視はしていないといったところかと、アスカは納得すると腕を組む。

 

「ご執心って言ってもナギ杯の予選は終わったんじゃないのか?」

「この地区のは終わったけど領主様は代表に不満らしい。まあ、バルガスも弱くはねぇんだけど上を見れば切りがないから」

「別に負けたって何か困るわけでもあるまいし」

「それがそうでもねぇんだよ」

 

 弱くはないが強くもないというバルガスという名前の戦士がナギ・スプリングフィールド杯で負けたところで問題があるわけでもないというアスカの推測は商人に否定される。たかが拳闘大会で何かあるのかと目を丸くしたアスカは得意気な商人を見る。

 

「ナギ杯は代理戦争の側面もあるからな。十年ごとにしか開催されないから、メガロやヘラスは自分の国の地区を勝たせようと躍起になってるって噂だ。メガロが勝てば人間がデカい顔をするし、ヘラスが勝てば亜人がデカい顔をする。前回の優勝はアリアドネ―が取ったからまだマシだったけどよ、こういう亜人と人が混ざった交易都市だと大きな変化になっちまう。それこそ下手をすれば都市の存亡に関わるほどのな」

 

 商人が懐からパイプ煙草を取り出したので、話の礼にと指先に火を灯したアスカが煙草に火をつける。ありがとよ、と言いながら煙草の火を口に含んで紫煙を吐き出した商人は流れていく煙を見つめる。

 

「なら、自分のところが勝てば問題ないって闘技場と拳闘団まで作ったはいいけど、領主のお眼鏡に叶うほどの人材は中々いなかったってわけよ」

「要は外に目を向けすぎて内が疎かになってるのも気づいてないわけか」

「もしくは気づいていても気にする余裕もないかだ。何しろ帝国と連合の間にある都市だからな。領主様にどれだけの心労があるかは一商人の俺には想像もつかん」

 

 アスカも想像するのみではあるが、並の苦労ではないというのは分かる。人種が違うだけでも問題が起こるのに、二十年前までは戦争をしていた別種族同士が同じ都市の中にいるのだから、纏めようとすればどんな問題が起こるかなんて考えるだけでも頭が痛くなりそうだ。しかも両国が自分の方を優遇しろだとか、傘下に加われとか言ってきそうなのは容易く推測がつく。

 

「どうするんだ、アスカ?」  

 

 黙って話を聞いていた千雨が聞いてくるが、直ぐに答えずにアスカは腕を組んだまま思案するように空を見上げた。

 今は面倒事に関わっている時ではなく、一刻も早く船を調達してアリアドネ―を向かうべきではある。とはいえ、確実に騒動を止められる力があるのに放っておくのは気が咎める。

 

「守備隊はまだ来ないか」

「もう少しかかると思われます。私が止めて来ましょうか?」

「いや、俺が行こう。茶々丸は千雨に付いててくれ」

 

 この都市の守備隊に任せられるならば一番良いのだが、アスカの感覚にも茶々丸のセンサーにもかからなかったようである。茶々丸の提案を退け、アスカは商人に礼を言って喧騒の場へと向かおうとする。

 

「行くのかい、兄ちゃん。アイツらは何人もいるし、武器も持ってるぞ」

「大丈夫だ。サンキューな、おっちゃん」

「それならいいが…………奴らの頭目のブラットには気を付けな!」

 

 背中にかかる商人の忠告を胸に刻み付け、向って来る集団を無人の野を進むようにスルスルと進んでいく。

 騒動の場所から遠ざかっていく人達の中を縫って進み、見物人が造り上げた輪の内側に入ったアスカの目に最初に見えたのは、赤い色だった。

 バザールの一画を薙ぎ倒し、血塗れになった少年が倒れていた。薄い眉に細い目、尖った鼻の十代前半の子供だ。軽くパーマのかかった茶色の髪に、旧世界で言えば東洋系の血が出たような面差しには脂の浮いていて、成長期らしく年相応のニキビが出ている。殴られたのか、頬や瞼を赤くして腫れ上がらせ、鼻や口からは血を垂らしていた。

 着ているのは同じ一枚の服を何度も洗い直して使っているかのような薄汚れた生地。今はあちこちを刃物のようなもので何かで切り裂かれていて服としての様相を辛うじて保っているに過ぎなかった、

 その周りを四人の男が、手にそれぞれ武器を持って取り囲んでいる。既に気絶しているらしい少年の顔面を染めているものと同じ赤色が、その武器や男たちの手についているのが直ぐに分かる。

 

「立ぁてよ、こらぁ!」

 

 既に気絶している少年をスキンヘッドの男が髪を掴んで引き起こす。

 

「これで分かっただろう。手前みてぇな社会の屑はさっさと消えやがれ」

 

 もはやその少年に聞こえているとも思えないが、リーダー格らしき男にとっては、それはどうでもいいことなのかもしれない。

 どうやら無抵抗な相手に暴力を振るえるのが楽しくてしょうがないらしい。軍人崩れというよりは、どう見てもどこの街にもゴロツキの一人にしか見えないが纏っている装備だけは中途半端に上物だ。

 

「へっ。ざまあねえや」

 

 同意するかのように他の三人も嘲るように笑い声を上げた。嫌な笑いだ。鬱憤を晴らしたいがために、自分より下の者を痛めつけれる興奮に震える人が漏らす、腐った内臓の臭いを周囲に撒き散らしているような笑顔だった。

 

「さて、これで終いだ」

 

 呟きながら剣を振り上げたのは、この集団のリーダー格らしき男だった。剣を構えて、その視線は倒れた少年に定まっている。男が何をやろうとしているのかは明白だった。

 が、剣が振り下ろされるその一瞬前にアスカが一声する。

 

「やめろっ!」

 

 見ていた群衆達がこれから起こる惨劇を予想して目を逸らすか、閉じるかしている中でアスカが大声を上げた。それによって男は振り下ろしかけた剣を止め、見物人たちの向こうにいるアスカを睨みつける。

 

「…………なにか用かい? 兄ちゃん」

「……………」

 

 男の言葉を無視して、アスカから一斉に距離を開けた見物人を無視して歩み始めた。見物人たちが、大地が割れるようにアスカに道を譲っていく。

 アスカは決して、威嚇したり、荒げた声を出したりしているわけではない。むしろ、穏やかすぎるほど落ち着き払った、深い海のような視線で、行く手を遮る者たちを見つめているだけだ。にも拘らず、アスカが歩み寄ると、見物人たちは無言の迫力に気圧され、次々に、そそくさと道を空けた。

 

「何故こんなことをする? その子にはもう意識はないはずだぞ」

 

 少年の下に辿り着き、その様態を確認すると出血はあるが大きな怪我はない。失神しているのも殴られたことで頭を揺らしたからだろうと触診して判断したアスカは、リーダー格にここまでした理由を問う。

 

「はっ、お節介かよ。こんな薄汚れたガキがいると街が汚れんだよ。だから、俺たちが掃除してやってんだ」

 

 アスカの問いに男は鼻で笑うように答え、残りの男たちも同意するように、笑い声が聞こえた。嘲るような調子で。

 

「ちょっと待て、アンタはこれを正しい事だと主張するつもりか?」

 

 多数で一人を痛めつける行為が正しい事だと言い切るリーダー格に、嫌悪感を抱いている周りの雰囲気から意思を代行してアスカは尋ねた。対して、リーダー格は昂然と胸を張って答える。

 

「当然だろう。大切なことはゴミが掃除されたという事実のみ。我々の武器やこの地が亜人の血で汚れたが些末事に過ぎん」

 

 周囲に目をやって確認したリーダー格の男の表情は小波ほどの揺らぎも生じない。微塵の後ろめたさもなく、何度も似たようなことをやっているのだろうと、昂然と言い切った様から予予想される。

 

(こういう手合いとは係わり合いになりたくないな……)

 

 亜人を人と思わないタイプの者がいることは知っていたが、現実に目の前に現れるとこうも歪んで見えるのか。気持ちを天秤に表すと、正直に言って係わり合いになりたくない方向に傾くが、この現状をただ見過ごすことはアスカの気性が許さない。

 

「お前も人間なら分かるだろ。亜人はこの世界にいちゃいけねぇ。この世界は俺達人間のものだってことを教えてやらないといけないんだよ」

 

 リーダー格がアスカに向けられた表情は微笑みで満たされていた。言葉だけを見れば最高にフレンドリーな態度と取れるが、その裏に何かが隠されているのを感じさせる安っぽい詐欺師のような笑みだった。

 

「もう一度だけ聞く。コイツはお前達にこんなことをされるような何かをしたか?」

 

 抑えたつもりだが、目に殺気が出たのだろう。リーダー格は明らかに消された様子で後ずさり、一度は逸らした視線をチラリと流しつつ「別に何もしてねぇよ」と独り言のように呟いた。

 

「亜人はこの世から消えた方がいいんだよ。そうすりゃ世界は少しは綺麗になるだろ」

 

 例え同じ言語を用いようとも、価値観の土台からして違うのでそういう事態が起こった時の会話が成立することはない。

 

「お前達の方がこの街の品位を貶めてるだろ。掃除したいってんなら自分達でも殴ってろ」

「ああん、んだとっ!」

 

 見物人に紛れている千雨は男達の品の悪さに我知らず肩をすぼめ、無意識に腕に抱いたハクの毛並みに乾いた指を這わせた。吠えもせずにじっとているハクは千雨の手の感触よりも周りの空気の異質さに鼻を膨らませ、耳をヒクつかせて迷惑そうに閉じていた瞳を開いて首を擡げたが、男達の前に立つアスカの姿を認めると直ぐに瞼を閉じる。

 小さくとも魔物の子であるハクには男達とアスカの力の差を本能的に感じ取っていたのかもしれない。

 

「へっへっへ、テメェも亜人に付くんなら同罪だ。そいつと同じ目に合わせてやるよ」

 

 数人の男を従えたリーダー格の声には、からかうようなニュアンスが含まれていた。相手が自分より不利な立場にいる時にだけ使う声で仲間に「やっちまえ!」と攻撃を指示する。

 リーダー格の斜め後ろにいた二人が持っていた槍を同時にアスカに向けて突き出す。

 男達の手には突き出した穂先に確かな手応えを感じていた。触れた辺りでぱっと火花が弾け、消える。それが亜人に付いた愚か者に一撃を与えた証と思い、ほくそ笑む。

 

「やったっ…!」

 

 突き込んだ槍を捻り、傷を抉る。確実性を高めるために引き抜いて大量の血を振らせてやろうと。そう考えてふと人に突き刺した割にはあまりのも軽すぎる感覚に違和感を覚えた。しかも、手に持つ槍が異様に軽いことに違和感を助長する。

 穂先の金属部分があったから先程までずっしりとした感覚が手にあったのに、こんなに軽いはずが無い。

 元軍人として慣れた仕草で槍を手元に引き戻すと、穂先がすっぱりと綺麗に切り落とされていて目を剥いた。

 

「なんだと……?!」

 

 隣にいる仲間を見れば同じように穂先を失った槍を手にして呆然としていると、「街中で物騒な物を振り回してんじゃねぇよ」と槍を突き刺したはずのアスカの手に穂先の金属分が握られている。

 

「何時の間に!?」

「遅いんだよ、お前らは」

 

 バキバキ、とあの一瞬で穂先を綺麗に切り取ったのだと認識して驚愕している男達の前で、力の差をあからさまに見せつけて戦意を無くさせる為にアスカは金属の穂先を握り潰して地面に欠片を落としていく。その手には傷一つない。

 リーダー格を含めてアスカが穂先を切り落とした動作を何一つ見ることが出来なかったので、元軍人ならばこれで実力差を理解して引いてくれるものだと考えていたが、彼らはアスカの予想以上に愚かだったようである。

 

「!? う、うわあっ!」

 

 どうやら示威行為としてはやり過ぎたようで、恐慌に至った槍使いの片方が穂先の無くなった槍を持ち上げて打ち下ろす。穂先が無くなっているので槍の本分である突きの威力が弱くなるのでリーチの長さを活かそうとしたようだが、攻撃をするぐらいなら逃げろよとアスカは考えながら左に躱す。

 

「だから言ってんだろ、遅いって」

 

 一人ぐらいは痛めつけた方が逃げやすいだろうと、攻撃を仕掛けて来た男が振り下ろした槍を躱してその顔に拳を叩きつけた。鼻の骨を折る一歩手前に留め、一撃を受けて仰け反った男の鼻から鮮血が噴水のように噴き出してそのまま倒れる。

 これだけやれば逃げるだろうと男達を見ると、仲間のことを気にした風もなく攻撃を仕掛けようとしていた。

 

「仲間甲斐のない奴らだな」

 

 実力差を見せつけ、一人を倒したのに気にした風も無く仕掛けて来る男達は心身に痛みを叩き込まなければ逃げもしないだろうと感じ取り、戦闘の意識を一段階引き上げる。

 

「もらったっ!」

 

 攻撃をした直後の隙を狙って剣を持った男が横からアスカの頭に振り下ろそうとした、その瞬間。

 アスカは振り返ることなく、ふっと右手を上げると、あたかも紙切れでも摘まむかのように親指と人差し指で刃を摘まんだのである。それだけで剣はピタッと止まり、「ぬ、うぅ!?」と男が必死になって押しても引いても微動だにしなかった。それだけに留まらない。アスカが手首を返すと、剣は中程からパキリと折れてしまったのである。

 男はよろよろと後退すると、瞬きもせずに剣の折れ目を見つめていた。

 

「おっ、俺の剣がこうも簡単に……この化け物がぁっ!?」

「失礼な。人を化け物呼ばわりするな」

 

 男が恐慌をきたして半分残った剣を滅茶苦茶に振り回すのを、持っていた杖で払うと今度は根元から折れて刃が完全に無くなった。折れた刃が近くの地面に突き刺さる。

 

「ひいいいいいいっ」

「もう寝とけ」

 

 手の中に柄だけとなって残った剣をキョトンとした円らな目で見つめていた男は、やがて刃の無くなった柄を投げ捨ててクルリと踵を返して逃げ出そうとした。その前に行動していたアスカに足を払われ、天を仰いだところで肘が腹に食い込んだ。そして呆気なく気絶してしまった。

 

「よくもドドロケとシスハーンを良くもやってくれたな!」

 

 アスカに瞬殺された男達――――ドドロケとシスハーンを倒されて一人の男が義憤に駆られて、ドドロケと同じように穂先のなくなった槍を水平に振るう。シスハーンの二の舞にはならないように攻撃の仕方を変えてきている。

 アスカは大胆に踏み込んで、槍の中ほどに肘を叩き込んだ。打撃ポイントをずらせば長い武器の威力は半減するが、打撃の威力が強すぎたのか叩き込んだ箇所から真っ二つに折れてしまった。

 

「あっ、ま、いっか」

 

 と、予想以上に脆い武器に言いながらアスカは左の上段横蹴りを男の側頭部に打ち込んだ。力を入れている様子がないのに、直線的で動きに無駄のない、簡単に岩でも砕けそうなとんでもない一撃は見事に命中して、「ぎゃあっ!」と鼠が仕留められた時に上げるような変な悲鳴を上げて膝から力が抜けたように崩れ落ちた。

 

「後はお前だけだぞ」

 

 仲間をいとも簡単にやられて呆然としているリーダー格に告げると、彼は顔色を真っ青にさせながらアスカを睨み付ける。

 

「な、何者なんだテメェは! 俺達にこれだけのことがやれるなんざ、只者じゃねぇな!」

 

 たった一人で悪夢のような速度で動き回り、無骨な拳打で多数を殴り倒していく。一人、また一人。順番に、男達は地面に転がり、苦痛に悶絶している。

 男達は決して素人ではなかった。人と戦い、それを傷つけるための技を訓練によって体得していた元軍人である。だから白兵の間合いにまで飛び込んできた相手からどう自分の身を守り、どう相手を制圧するべきかを体が覚えている。どれだけ動揺していても、目前に脅威が迫れば反射的に対応する。だが、だからこそ、一線を隔すアスカの動きを捉えることは出来ない。彼らが培ってきたのは常人と戦うための技術。異常の領域にまで達したアスカに対して、ただそれだけで太刀打ち出来るはずもない。アスカの攻撃は男達の防御よりも遥かに速く、そして効果的に急所を打ち抜いていく。

 

「テメェらに名乗る名前なんてねぇよ」

 

 言い捨て、アスカは一瞬でリーダー格に近づいて蹴りを叩き込んだ。

 蹴りは見事に胸部に凄まじい打撃音が炸裂して、リーダー格は悲鳴を挙げて後方に吹き跳んで地面と激突。そのまま地面の上を何度も転がって、ようやく回転が収まった頃には完全に意識を失っていた。

 アスカは倒した全員が起きて来ないことを確認すると、亜人の少年に近寄って「治癒(クーラ)」と言って治癒魔法をかける。治癒の適性が低いので効果は薄いが魔力頼みでかけているので傷は大体癒え、少年は「うぅ……」と唸りながらゆっくりと目を開けていく。

 

「大丈夫か?」

 

 アスカの声かけに、暫く少年は瞼を瞬くと完全には癒えてない傷が痛むのだろう、眉を顰めて体を起こした。

 

「誰も助けてほしいなんて頼んじゃいない」

 

 開口一番に口を開けば憎まれ口が飛んできて、騒動を力尽くとはいえ収めて治癒魔法までかけて返って来た言われようにアスカのコメカミに青筋が浮かんだ。

 

「治癒魔法までかけてやったのにその口の利き方はなんだ」

「だから、誰も頼んじゃいないだろ」

 

 立ち上がってバッパッと服に付いた砂埃を払う少年のあまりの生意気さに逆にアスカは呆れた。どうにも少年のこの言い方では男達と揉めたのも、何かしらの接触時にこのような生意気な言い方をしたのではないかと推測が出来てしまう。

 

「助けてもらったら、ありがとうだろ」

「だから――」

「ありがとう、だろ?」

 

 首元を掴んで少し気合を込めて凄むも少年は頑なに礼を言おうとしない。こういう状況ではさっさと礼を言えば解放されるのに、ここまで頑なに言おうとしないほどに頑固だと逆に感心してしまう。

 

「強情な奴だ」

 

 別に礼を言われたかったわけでもないので掴んでいた首元から手を離すと少年は鼻を鳴らす。こうもあからさまだと寧ろ感心する。

 

「小奇麗な恰好しやがって。絶対にお前なんかに礼なんか言わないからな」

 

 更に舌打ちをした少年はアスカを身長差から下から睨み付けると、肩を怒らせるようにして千雨達もいる見物人達の方へと向かって歩いていく。

 

「て、テメェ……よくも、やりやがったな」

 

 少年の背中を感心した顔で見送っていたアスカは、手加減した攻撃でダウンしていた男達がゆっくりと起き上がって来たのでそちらを見ると、「うわっ」と背後から聞こえて来た千雨の声に反応して振り返る。

 すると、少年が千雨を押し退けて去っていくところだった。

 

「まだやるのか?」

「やってやるよ……! テメェは俺らを怒らせた!」

 

 力の差は十分に理解したはずなのにまだ向かって来ようとしている気概に感心しながら気勢を上げるリーダー格にアスカはどうしたものかと考えていると、ふと何かに気付いたように視線をリーダー格の斜め後ろの方に向けた。

 

「待て」

 

 ヨロヨロと立ち上がる者達の後ろから静かな声が響き、そちら側にもいた見物人の輪を割って一人が進み出る。立ち上がった男達の期待と信頼の瞳がそこに集まった。誰かが叫ぶ。

 

「ブラットさん!」

 

 周囲の男達を押し退けて背後から進み出たのは精悍どころか凶暴に見える大型冷蔵庫めいた巨漢だった。背丈はアスカよりも大きく百八十㎝以上ぐらいで吊り上がった目で先程の声と同じく静かな光を宿している。

 

「何の騒ぎだ、キンブリー」

 

 キンブリーと呼ばれたリーダー格の男の横にやってきたブラットは、アスカをチラリと見てそう聞いた。

 

(あの男………)

 

 一般的には見上げるような巨躯にそぐわず、その顔は理知的であり、アスカをしてさえ居住まいを正させる静かな瞳だった。動きやすそうな服の上に鉄の胸当てをつけ、太い手足を艶のない漆黒の篭手と具足で鎧って、腰にはアスカの勘に引っ掛かる長剣を下げている。

 

「コイツが俺達の邪魔をしたんだ」 

「また問題を起こしたのか」

「仕方なかったんだ。亜人のクソ野郎がいたから」

 

 亜人という単語にブラットの目に暗く重たい光が生まれる。それは憎悪であり、怨念でもあり、拭い難い黒い闇のようでもあって、アスカでさえ背筋にピリッとした緊張感を抱かさせるほどのものであった。

 目に闇を宿しながらブラットがアスカを見る。

 

「仲間が失礼をしたようだ。すまなかったな、少年」

 

 ブラットは一歩前に出てアスカに向けて謝罪の言葉を発した。真摯な気持ちが込められたその言葉に嘘はないと感じたアスカだが、どうにも彼らのやり方と考え方が気にくわなかった。

 

「謝罪なら俺じゃなくて、さっきまでいた被害者に向けるもんだろ」

「…………亜人に向ける言葉などない」

「何があったか知らねぇけどよ。同じ都市にいる相手に向けていい感情じゃねぇぜ」

 

 この亜人に対する同じ生き物と思っていない考え方がどうにもアスカの琴線に触れる。

 

「奴らのような塵畜生に向けるような情など持ち合わせてはいない」

 

 ここまで亜人に敵意を向けるとなると、過去に余程のことがあったのかと頭の中で推測を重ねながら、どうにも空気が一触即発の方向に傾いていっているのは力でしか物事を解決できない自分の限界なのかとアスカは考えてしまう。

 

「何を言っても無駄のようだな」

「余所者に何も言っても分からん――――お前達は下がれ」

「やる気か?」

 

 頭髪を短く刈り込んだブラットが険しい声で命じて、アスカの前に出てくる。威圧的なその姿を、アスカは皮肉気に睨め上げた。

 

「亜人に付く者は等しく敵だ」

 

 ブラットにしてみれば、それは相手が降伏する最後のチャンスであった。

 

「上等だ。今時そんな考えは流行らないってその体に叩き込んでやるよ」

 

 アスカの言葉を受けて、ブラットの体から熱気が迸った。軽くいたぶる程度ではなく、本気で潰す気になった。 

 アスカがこの街に初めて来たことは、自分達に逆らったことから薄々と察しがついていた。先程の手並みから相当の手並みだと想像がつく。真っ向からやり合えば被害が出ると考えたブラットは、初手から奥の手を出すために長剣の鞘に手をかけてぬっくりと抜いていく。

 

「――魔剣か」

 

 ブウウウウン、と羽虫が立てる羽音のような音が連続してブラットの長剣から放たれている。目を凝らしてみれば、長剣を覆う紅い血のような魔力光がその発信源であると分かる。

 

「街のゴロツキが持つにしては随分と上物じゃねぇか。それは誰かから奪った物か?」

 

 最初期にアスカが潰したエヴァンジェリンの魔剣と比べても上等だと分かる長剣を見遣って皮肉気な言い方で揶揄する。

 

「答える気はない」

 

 大柄な体躯に合わせた様に、手にする剣も大振りだった。ブラットの双眸が更に吊り上がり、筋肉がみしみしと蠢くのを聞いて周りが息を呑んだ。肉厚な身体には精気が満ち、両刃の直刀を構えた姿に隙はない。隙はないが。

 

(魔剣を込みにしても、身の危険を脅威を感じるほどではない)

 

 一流に手は届きそうではあるが、アスカの命を脅かせるほどのプレッシャーではない。このような場で死闘を起こさずに済みそうだとアスカの口から息が漏れる。そこに侮りを感じて、ブラットの感情は怒りを通り越して殺気に変わっていった。筋肉がごりごりと動き、関節が軋むような音を立てる。

 

「テメェ、ブラットさんを笑ったな。ぶっ殺してやる」

「下がれと言ったぞ、キンブリー」

 

 諌めた部下と違って表てに出さなかったブラットが、じりっと間合いを詰める。熱く滾る殺気に当てられて、アスカの背後近くにいた者の幾人かが腰を抜かして座り込んだ。それでもアスカが態度を変えないと、巨漢は更に接近した。

 一定の距離に近づいて、一気に間合いを詰めた。踏み込むというよりはただ地の上で足を滑らせるような動き。それだけでも彼が非凡な遣い手であることが分かる。容易く間合いに入って斬撃を放たんと魔剣を振り上げる。

 

「せやあっ!」

 

 充分に力と勢いの乗った、必殺の斬撃だった。手加減など微塵も無い、殺傷の意思の込められた一撃。気合と共に振り下ろされた一閃を、軌道を読んで直撃すると分かっていても傍目にはアスカは避けようともしなかった。

 魔剣はアスカの肩口に食い込んで振り切り、勢い余った男が膝をつく。シルエットだけなら縦に両断したかのようである。仲間の男達から歓声が上がった。だが、ブラットは呻いた。あまりにも手応えがなかったからだ。そして、気がついたら間近に切ったはずのアスカの体があった。

 

「残像だ」

 

 両断したと思った姿が霞と消え、一瞬で間合いからの離脱と再接近を行ったアスカが慌てて立ち上がろうとしているブラットをすかさず蹴り上げる。顎の下に硬い靴の爪先が食い込み、脳にまで届くだけの衝撃が確かに通った。

 しかし、ブラットは倒れることなく、籠った苦鳴を口の中で漏らしながらアスカから距離を取る。足元はフラついているが、力を失って倒れようとしないその頑丈さにアスカは目を剥いた。

 

「よく倒れない――」

 

 な、と続けようとしてアスカは自身の服が肩から腰近くまで切り裂かれていることに気付いた。どうやら先の一撃を回避する際に目測を誤ったらしい。肌には傷一つないが、魔剣はアスカの障壁を越えて服を切り裂いたということになる。

 

「…………成程、貴様は英雄達と同じく規格外か」

 

 アスカは自身が油断していたことを静かに認めていると、魔剣を地面に突き刺して立っていたブラットが膝の震えを抑えて呪うような眼差しで見つめて来る。

 

「誰かの指図とも思えんが、貴様のような奴が今のこの都市に来たのも何かの運命か」

「何を言っている?」

 

 地面から魔剣を抜き取って鞘に直したブラットは一人で勝手に納得すると、背後から攻撃されないと分かっているのかアスカに背を向けた。

 

「言ったはずだ、余所者には理解の出来ない事だと。部外者は早々にこの街から出ていくがいい」

 

 敵意、猜疑、後ろめたさ。周囲に漂う複数の視線と感情を知覚しながら拍子抜けするほど呆気なく退くことを決めたブラットはそう言い捨てて、仲間達を支えながらこの場から去ろうとする。

 

「おい、待て。話はまだ終わって」

 

 ないぞ、と続けようとしたアスカは突如とし視線を去っていく男達とは別の方向に向けた。元より、彼らの実力では周りに被害がいかないように気をつけてもアスカには何の脅威にもならない。アスカが男達から明後日の方向を見たことに見物人や千雨達がその視線を追いかけ――――そのあまりの意外さに目を瞠った。

 

「なんだ、あれ?」

 

 薙ぎ倒された店の、元は商品が置いてあった台の上に奇妙な生物が乗っていた。

 見物人の一人が疑問の声を上げたのも無理はない。形としては旧世界にいる蜥蜴に近い。やけに大きいが、異常というほどではないだろう。だが、しかし、その蜥蜴は真っ赤だった。体の色もそうだが全身に炎を纏っているのだ。それでいて木で出来ている台は全く焦げていないという異様な光景だった。

 

「なんでサラマンダーがこんなところにいるんじゃ?」

「サラマンダーって魔獣の?」

 

 炎の中に棲むと伝えられている火蜥蜴(サラマンダー)は魔獣の一種である。火山の火口付近ならともかく、街中に突然現われるものではな決してない。見物人の中で首を傾げる客らしき若い男に、偶々隣にいた物知りの老人が答えた。

 

「いや、違う。精霊の方じゃ。しかし、これはまた珍しい。たしか、大抵は術士に召喚でもされない限りそれぞれの住処から出てこないはずなんじゃが………」

 

 物知りの老人の困惑も当然で、精霊獣であるサラマンダーは四大元素を司る精霊のうち、火を司るもので、トカゲのような姿をしており、燃える炎の中や溶岩の中に住んでいると言われている。火山地帯に住んでおり、その皮は決して燃えないため高価であるが、危険な火山地帯で火傷をせずサラマンダーを捕らえるにはサラマンダーの皮の手袋と長靴が必要である。

 誰もが現われたサラマンダーに戸惑い、動きを止めた中で事態は動いた。

 

「そこの賊! 動くな!」

 

 全く別方向からの一喝にまたしても全員の視線が吸い寄せられるようにそちらに向く。アスカが視線を戻すとサラマンダーの姿が忽然と消えている。 

 

「ノアキス守備隊である。市場が荒らされているとの通報を受けて来た」

 

 ズラリと並ぶ完全武装した全身装甲に槍を持った守備隊が並んでおり、装備の色具合が他と違う隊長らしき人物が言うと、見物人がサァーと音が出そうなほど一斉に道を開ける。

 数十人に及ぶ守備隊の到着にホッとしたの束の間、隊長は何故かアスカだけを兜の向こうから睨み付けている。

 

「貴様が市場を荒らした賊だな。神妙に御縄につけ!」

「え、もしかして賊って俺?」

 

 アスカは騒動を収めた側なので、隊長の主張は勘違いも甚だしい。しかし、と辺りを見渡してみると、加害者も被害者もどちらもいない。今思えば、もしかしたらブラット達は守備隊の到着を見越して退却したのではないかと思ってしまうほど退くタイミングが良すぎた。

 

「杖を地面に置いて降伏せよ!」

 

 しっかりと説明すれば理解はしてくれるだろうが聞いてくれる雰囲気ではない。包囲が狭まるにつれ、下手に抵抗すると後々が面倒になるだろうと考えて杖を置いて武装を解き、戦意が無いことを証明するために両手を上げて大人しくすることにした。

 

「確保!」

「「「「「「「「「「確保!!」」」」」」」」」」

 

 アスカが事情を説明する為に杖を地面に置くと、誤解を解く暇も無く隊長から号令が上がった。腹の底から響くような、唱和の声が続く。

 数十の足音が整然と、波濤のように押し寄せてきた。人間の壁が、世界の果てであるかのように迫ってくる。大気そのものが痺れるように微かに振動していた。

 

「仕方ない、か」

 

 話をする機会は必ずあるだろうと自分を納得させて捕まるに任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、アスカが市場を荒らした犯人として拘束されて連れて行かれたら困るのは同行者の千雨と茶々丸である。

 

「どうする? アスカが連れて行かれちまったけど」

 

 騒動が一応は沈静化して当事者がいなくなったので三々五々に散って行った見物人達の中で取り残された形の千雨が茶々丸に問いかけた。

 

「少し調査すればアスカさんの無罪は分かりますから直ぐに釈放されるでしょう。あれだけ見物人がいたのですから」

「まあ、そうだよな」

 

 法治国家である日本で生まれ育った千雨の常識では、これだけの目撃者がいて冤罪が起こり得るはずがないので茶々丸の言い分に納得できた。今後の方針もアスカが釈放されるまでに自分達で出来ることをしておけば時間を無駄にすることもない。

 

「この時間だとアスカが釈放されても船を探すのは無理か。今日泊まる宿を探すとするか」

「食事付きの宿でしたら、交易都市ともなればいくらでもあるでしょう。お金ならなんの心配もな、い……?」

 

 途中で茶々丸の言葉が不自然に途切れた。千雨が見ると、まるで電池の切れたロボットのようにポケットに手を入れて動きを止めている。ポケットに手を入れたまま動く様子の無い茶々丸が先程のまでの言葉から示す意味を想像した千雨の顔色が悪くなる。

 

「なあ、茶々丸さんよ」

「……はい」

「もしかして財布がないとか言わないよな?」

 

 頷くなよ、と心中で強く思いながら聞くも現実はかくも無惨で、茶々丸はゆっくりとポケットに入れていた手を抜き出した。その手には丸い石が握られていた。

 

「何時の間にか摩り替えられています…………やられました、凄腕のスリに」

 

 各種センサーを内蔵している茶々丸ならば財布をスラれた瞬間に重量センサーが反応して気づくのだが、どうやらノアキスには茶々丸に気付かずに財布と石を摩り替えるだけの凄腕のスリがいるようだ。

 茶々丸が手に持っている丸い石を地面に落とすと、ドスンと大きな音がした。顎が落ちてしまいそうな驚愕に苛まれながら千雨は縋るような目で茶々丸を見上げる。

 茶々丸も無い袖は振れない。励ますように千雨の肩に手を置いて、ゆっくりと口を開く。

 

「働きましょう、千雨さん。お金がありません」

「やっぱりか……」

 

 まさか異世界に来てスリに合うとは思っていなかった千雨は告げられた現実に、働からざる者食うべからずの諺を思い出さずにはいられなかった。

 

「可能ならば住み込みで働けるところが良いでしょう」

「おい、私は働いたことなんてないぞ」

「そこは生きる為と思って諦めて下さい。私だけでも構いませんが、その場合は野宿になりますよ」

 

 普通の中学生で明日菜のような新聞配達のようなバイトの経験もない千雨にはハードルが高いが、茶々丸が言うようにアスカがいない状態で諍いがあった街中で野宿など御免蒙る。真剣に貞操の危機でもあるので諦めるしかない。

 

「ん?」

 

 千雨がやはり魔法世界に来るんじゃなかったと後悔していると、茶々丸が千雨の頭越しに何かを見つけた。

 

「どうした?」

「いえ、あそこに子供が」

 

 言われて茶々丸の視線を追って振り返ると、通路の端で先程の亜人の少年以上に小さく薄汚れた子供が今正に倒れ込んだ後だった。倒れ込んだ後だと分かるのは、倒れた時に立ったであろう砂埃が僅かに舞っているからである。

 二人して顔を合わせると、千雨は仕方なく、茶々丸は急いで倒れた子供の下へ向かう。他にも気づいて子供に駆け寄ろうとした者もいたが、千雨達の行動が早くて任せることにしたようである。

 千雨が倒れた子供のところへ辿り着くと悪臭が鼻についた。千雨の肩の上でのんびりとしていたハクも悪臭に鼻を抑えようとしているが手が短すぎて果たせず、ジタバタとしている。

 

「くっせぇ」

「どうやらこの少女からのようですね」

 

 人間のように鼻が曲がるような臭いに悪態をつくこともないので冷静に分析した茶々丸の言葉に千雨は首を捻った。

 

「各スキャンで確かめましたので間違いありません。この子は女の子です。どうやら何日も洗っていないようですね」

 

 千雨が鼻を摘みながら子供――――少女を見下ろすと体格的に年齢は六、七歳ぐらいであろう。ボロボロの服の隙間から見える手足の異様な細さを見ると、もしかしたら食事を取れていない様子なので実年齢はもう少し上かもしれない。その少女の外見からは、子供という以上に確かな年齢を計ることは叶わなかった。

 少女の身体は包帯塗れであったからだ。手足も胴体もその顔にも至る所まで包帯を巻いており、悪臭の原因は服と体を何日も洗っておらず、恐らく何かの拍子に下水かなんかを浴びたのではないかと臭いの成分を分析した茶々丸だったが口に出しはしなかった。

 

「酷いな。何かの事件に巻き込まれたのか?」

「それは分かりません。ストリートチルドレンの可能性もありますし、本人に聞いてみない事には」

 

 千雨が自分の鼻を抑えながらハクの鼻も抑えてやると獏は口では呼吸をしないのか、今度は呼吸が出来ないことにビクビクと震えだした。仕方なく千雨はハクをローブのポケットに入れることで、外界よりは匂いを感じ難くさせる。

 

「……ぅ」

 

 茶々丸がそろりと少女の肩を揺する。すると、最初は愚図った少女がゆっくりと瞼を開と同時に千雨のローブのポケットの中にいたハクが小さく鳴いた。

 

『出ていけ!』

 

 瞬間、千雨の目に違う光景が映り出した。

 

(な、なんだ?)

 

 大人の男が自分に向かって木の棒を持ちながら威嚇してくる光景が目の前に広がり、恐怖と困惑に叫んだつもりの千雨だったが口からは何も発せられていない。というより口の感覚が無い。

 

『出ていけ、化け物!』

 

 見ている光景は何も変わらない。千雨は動くことも出来ず、声を発することも出来ず、ただ同じ光景を見せられている。

 ただ、大人の男が木の棒を振り回して、こちらを威嚇しているが絶対的な有利に見えるその姿だが腰が引けていて、まるで千雨がいる場所にいる何かに怯えているようだった。

 動かないこの視線の主に業を煮やして男は千雨に向かって最後の一歩を詰め、その振り上げた棒を本当に叩きつけるつもりで振り上げた。

 

『さっさと出て行けと――』

 

 振り下ろされる正にその瞬間、千雨の視界を圧するほどの閃光が奔った。同時に頬に付着する何か。

 

「――――さん!」

 

 気付いてはいけないのだと思った。だが、千雨と視線を同じくしている者は気になったのだろう。頬に付着した何かを小さな指で拭って――――。

 

「千雨さん!」

「――ぉおっ!? どうしたよ、いきなり?」

「いきなり千雨さんが反応しなくなったものですから、大声を出してすみません」

 

 間近に迫っていた茶々丸のドアップに驚いて顔を引いた千雨は自分が元の現実に意識を戻したことが分かった。なんとなく気になって頬に指を這わせて確認するも、別に何かが付いていたわけでもないので指には何も着いていない。

 

「いや、私もごめん。ちょっと、ボゥッとしてた」

 

 謝りながら千雨は自分でも白昼夢を見るなんて疲れているのかと眉間を揉んだ。

 少なくとも千雨には今ままでそんな経験はなかったし、何よりも大人の男に怯えられながら木の棒で威嚇されたことどころか、その男と会ったことすらない。それでももう一度、頬を拭った指に何もついてないことを確認する。

 

「気のせいだよな、血だなんて」

 

 頬に付いた何かが血で、それは視線の主ではなく閃光がぶち当たった男から噴出したものだとは考えたくはなかった。首をブルンブルンと横に振って忘れることにした千雨のローブのポケットの中で、ハクがまた小さく鳴いた。

 

「お姉さん……」

 

 千雨が顔を前に戻すと、倒れていた少女が瞼を開いて焦点の定まらない眼で茶々丸がいる方向を見ていた。

 

「もしかして、この子」

「はい、恐らく目が見えていません」

 

 視点が定まっていないので千雨の推測でしかなかったのだが、茶々丸のセンサーは少女の視点から観測した結果である。とはいえ、殊更に言うことでもないので二人で小声で話していた。

 

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 

 千雨が聞いたことのないほど優し気な声で茶々丸が少女に聞くと、少女は「お腹空いた」と腹をキュルルと鳴らしながらではあるが立ち上がった。

 

「ご両親は近くにいらっしゃいますか?」

 

 目は見えていないが茶々丸は膝を地面に付けて出来るだけ目の位置を合わせるようにして問いかけるも、返ってきたのは首を横に振るという否定の意。

 

「では、ここへはどうやって?」

「歩いてきたの」

「一人で?」

 

 うん、と軽く頷かれてしまったので、どうやら事件性がないのは良い事だが近くに両親もいないとなると今日の食事にも困っている二人も困ってしまった。

 

「お家は分かりますか?」

「ないよ」

「…………ない?」

「うん、お父さんとお母さんと一緒に無くなっちゃった」

 

 変わった答え方であるが、つまりは家がなくて両親もいないということになる。少女の身なりからすると一日二日のことではなく、もしかしたら何日も彷徨ってノアキスに辿り着いたのかもしれない。

 

「どうしましょうか?」

「どうしようって言われてもな」

 

 立ち上がった茶々丸と目線を合わせ、二人して悩む。今の二人は今日食べる食事にもありつけない文無しだ。正直に言えば足手纏いでしかないが千雨も自分の半分程度の年齢の少女を一人にするのは流石に良心が痛む。

 悩んでいる二人を見上げた少女は困惑気に口を開いた。

 

「お姉さんはあたしをぶたない?」

「ぶつわけないじゃないですか」

 

 見上げられていた茶々丸は一瞬で否定し、少女の頭を撫でると柔らかく笑う。その裏で先程の問いで少女が今まで過ごしてきた環境が透けて見えて茶々丸に笑みを僅かに固くさせる。

 

「私達と共に行きましょう。あなたのことは私が守ります」

 

 人に殴られるような環境に少女を戻すわけにはいかない。例え神様仏さまマスターであるエヴァンジェリンであろうとも認めるわけにはいかないのだ。

 

「張り切るのはいいけどよ、私達は文無しだぜ?」

「あ……」

 

 しかも未だに千雨が鼻を摘ままなければ傍にいることが出来ない程の悪臭を放っているのだ。まずは風呂に入って綺麗にして、体に良い物を食べさせるという茶々丸の計画は始めから躓ていた。

 

「ヴェックション!! …………うう、今年の鼻風邪はしつこいね。チーフの私まで買い物に行かなきゃならないなんてヤダね、人手不足ってやつは」

 

 茶々丸が悩んでいると、直ぐ近くで誰かが大きなくしゃみをしていた。そちらを見ると、給仕服を着た熊のヌイグルミのような風体の亜人が鼻を啜りながら手に抱えた荷物を持ち直していた。

 人手不足、と確かに言った熊の亜人の女性(?)の言葉をしっかりと記録した茶々丸のコンピュータが名案を叩き出す。

 

「あの、よろしいでしょうか?」

 

 丁度、近くを通りかかろうとしていた熊の亜人女性に意を決して話しかけた。

 

「ん、なんだい? 食料はやれないよ」

「いえ、実は私達お金を落としてしまいまして困っているんです。三人分働きますので雇っていただけませんか?」

 

 熊の亜人女性は立ち止まって茶々丸を見下ろし、ふむと考えてゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 






次回「第66話 大戦の亡霊」


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