銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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【ダイヤ】  トランプの記号の一種。貨幣、商人の象徴とも言われている。
【スペード】 トランプの記号の一種。剣、騎士の象徴とも言われている。


4.ダイヤとスペード
魔術師とダイヤのA


「キャゼルヌ先輩、ひとまずはお疲れ様でした」

 

 捕虜交換式は恙無(つつがな)く終了し、代表のキルヒアイス上級大将を始めとする帝国軍人たちは整然と帰路についた。戻ってきた同盟の帰還兵の方こそ、羽目を外し過ぎる輩もいて、MPだけでは手が足りず、要塞防御部門の薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊が出動する有様である。

 

 イゼルローン要塞司令官のヤン・ウェンリーは、このお客さんたちを、近日中にハイネセンまで連れ帰り、更にあちらでも祝賀行事に出席しなくてはならない。

 だが、今回の捕虜交換式の最大の功労者は、要塞事務監アレックス・キャゼルヌ少将であることは、全員一致で異議のないことだった。

 

 司令官のヤンは、この件に関しては単なる署名装置と化していた。

ヤンにも言い分はある。苦手な者が死に物狂いでやることも、優れた手腕のある者の方が遥かに素早く正確にうまくできる。下手に自分が手を出すよりも、ずっと。

 

 これにはキャゼルヌも苦い顔をしながら頷いた。

彼の6歳下の後輩の事務能力は決して低くないが、後方参謀畑を歩んできた自分が遥かに勝るのは事実だった。丸投げと言ってしまうと身も蓋も底もないが、無理解なくせに(くちばし)を突っ込んでくる上官よりもよほどましである。

 

 多忙な上にも多忙な日々もようやく一段落し、キャゼルヌ家での慰労会と相成った。

主人には銘酒、夫人には花束、令嬢には菓子を携えて、ヤン家の二人はやってきた。

娘から『おじちゃま』と呼ばれた後輩は、少なからずしょんぼりとして、なにやら抗議の呟きを漏らしたが、キャゼルヌに言わせれば笑止なことである。いい年齢(とし)の高給取り、物好きにも慕ってくれる美人までお膳立てしたのだ。さっさと嫁を貰うなり、婿に行くなりすればいい。

 

 さて、キャゼルヌ夫人心尽くしの夕食は、素晴らしいものであった。

ヤンとユリアンは、盛んに賞賛を夫人に捧げながら、旺盛な食欲を発揮した。

食後には客人の土産が供されて、その後に男二人、別室で酒盃を傾ける。

その冒頭、酒盃を掲げた後輩が、ぺこりと頭を下げて労いの言葉を口にした。

 

「本当にひとまずだな。連中を送り返して、おまえさんが戻ってくるまでが仕事だぞ。

 あと2ヶ月近くは、平常には戻らんなぁ」

 

 彼の言葉に、後輩の黒い瞳に微かな(かげ)が落ちた。

 

「このまま平常に戻ってくれればいいんですがね」

 

「どうした、ヤン。少なくとも、政治業者どものショーは一段落するはずだぞ。

 おまえがあっちのショーに出てくればな」

 

「ああ、そいつはそいつで気が重い話なんですが、この時期に帝国軍が捕虜を返還してくる

 ことが気になりましてね。何も、同盟の選挙に配慮してくれたわけではないでしょう」

 

 真に同盟の選挙に配慮するのなら、そもそも二千万人近い有権者を戦死させないだろう。

口にするのも(はばか)られることだったが、ヤンの思いは先輩にも伝わったようだ。

 

「同盟の捕虜を食わすのを止めたわけだな。ついに権力闘争に打って出る気だろう」

 

 輝かしい金髪の若者が脳裏をよぎる。その美貌もさることながら、覇気と闘争心はこの後輩の百倍ぐらいは多いだろう。軍才にはほとんど差異はなかろうが。

 

「ええ、恐らくは。先輩、留守中はよろしくお願いします。

 恐らく、今しばらくは、帝国軍の侵攻はない。

 ですから、今のうちに要塞防御指揮官らと、雷神の槌(トゥールハンマー)や各種砲台の掌握、

 マニュアルの拡充をお願いしたいんですよ」

 

「それで、シェーンコップ准将の自薦を断ったわけか」

 

 ヤンがハイネセンに赴くにあたって、護衛役を買って出たのが話題の美丈夫である。

司令官が留守の時に、防御の要まで不在になるなんて駄目に決まっているだろうと、あっさりとヤンに却下され、薔薇の騎士連隊長代理のリンツ中佐が護衛に就くことになった。

 

「私の護衛に彼を貼り付けるのは、人材の無駄遣いですよ。

 そりゃあ、彼なら将官として、式典に参加して護衛ができるという利点はありますが」

 

「いや、ハイネセンへの往路が一番危ないぞ。

 おまえがここを陥れるのに使った策を、あちらがとってきたらどうする。

 おまえ一人殺すだけですむ」

 

 これは、ヤン艦隊上層部が全員一致で抱く危惧だった。イゼルローンをその方法で陥落させた、実行部隊の元長が特に危機感を持つのも当然だった。わざわざ成りすますまでもなく、本物の同盟軍人の捕虜がごろごろしているのだから。

 この後輩ときたら、射撃は下手だし、白兵戦もどうにか人並み、それも自分と同じぐらいまでの体格の相手に対してである。正直に言うなら、大抵の軍人は彼よりも体格で勝る。

 

「いえ、ローエングラム候はそんなせせこましい手はとらないでしょう。

 私を個人的に恨む人は、そりゃ沢山いるでしょうがね。

 殺すまではしないと思いますよ」

 

「人間、かっとなると何をするか分からんぞ。いいか、そこらをほっつき歩くなよ。

 リンツやポプランたちの傍から離れるな」

 

 先輩の言葉に、ヤンは溜息をついて髪をかき混ぜた。

 

「あのですね、私は五つかそこらの子供じゃありませんよ」

 

「何を言うか。うちの下の娘のほうが、おまえさんよりずっとしっかりしてるぞ。

 起こせばちゃんと起きるし、髪の毛だってそんなにぐちゃぐちゃにはしないからな」

 

「やれやれ、分かりましたよ。ところで、サックス少将はどういう人ですか」

 

 帰還兵の輸送責任者で、ヤンも彼と同じ艦に乗ることになる。

キャゼルヌと同じく、後方経験が長いが、同じ少将でも約二十歳の開きがある。

ヤンは別格だが、その先輩の昇進の早さも異数のものだ。

将来の後方本部長と言われるのもむべなるかな。

 

「無能ではないが、縄張り意識が強いな。というよりもだ、五十代の少将が、一応は二十代の

 大将に、反感を抱かずにいられるとでも思うのか。ここを先途(せんど)と地味にいびってくるぞ。

 うろちょろできなくて、逆にいいかもしれんがね」

 

「そんなに心配をしなくても大丈夫ですよ。

 私の乗る艦には、帰還兵は同乗はさせないでしょう」

 

「帰還兵が、おまえの艦の乗組員を(そそのか)すことはありえるからな。

 準備のほうは……ああ、ユリアンがやったに決まっていたな。なら大丈夫だな」

 

 キャゼルヌのからかい混じりの毒舌に、ヤンは澄まして答えた。

 

「お蔭様でね。そう言えば、ユリアンが少しばかりお冠でしたよ。

 イゼルローンだと、ハイネセンよりも紅茶も2、3割は高いそうです。

 この前、酒代が3年前の5倍になっていると言われたんですが、酒だって同じでしょう。

 やれやれ、担がれましたね、これは」

 

「おまえさん、シャルロットと小学校の算数からやり直すか?

 それにしたって、3倍以上だろうが」

 

「いやいや、かなりの部分は先輩への袖の下ですよ」

 

 そう言いながらも、酒盃に琥珀色を注ぎ足す。

後輩の手から酒瓶を取り返して、自分にも注ぎいれてから意地悪く言ってやる。

 

「にしたって、おまえも半分は呑んでるじゃないか。あんまり呑みすぎるなよ。

 寝たきりの上に、アル中青年だなんて、ますます嫁さんがこなくなるぞ」

 

「相手もいないのに無理言わないでくださいよ。葬式と違って一人ではできないんですからね」

 

 黒い瞳をきょとんとさせて言い返す後輩に、この鈍感がという文句を、酒と一緒に呑み下す。

一見おとなしいが、妙に頑固なところがある奴なので、()き付けすぎるのもよくない。

案外に取り扱い注意人物なのだ、ヤン・ウェンリーという男は。

 

「ふん、イゼルローンの物価ね。そういえば、オルタンスも言ってはいたな」

 

 家計は妻に任せきりな夫に向かって、ヤンは呆れ顔になった。

 

「補給と兵站の達人、キャゼルヌ少将のお言葉とは思えませんね」

 

「軍用食やらミサイルやらと一緒にするな。士官食堂に今日みたいなメニューが出せるか」

 

 暗に夫人の手料理を惚気(のろけ)る先輩に、ヤンはごちそうさまでしたとつぶやく。二重の意味で。

 

「いやぁ、いつかは出して欲しいものですがね。確かに給料に遠隔地手当もありますが、

 一般兵士や下士官の給与でやっていけるでしょうかね」

 

「とんとん、というところだな。軍人の住居費は無償にできたおかげでな。

 かといって、品物の代金を負けろとは言えないぞ」

 

 キャゼルヌの言葉に、ヤンは苦笑した。

 

「そんなナンセンスなことは言いませんよ。私も交易商人の子でしたからね。

 輸送費を価格に反映できないとなったら、取引をやめるか首を(くく)るしかなくなります」

 

「ハイネセンへの輸送費も安くはないが、あっちは購買人口がこちらの二百倍だからな。

 負担者の分母が違うわけだから仕方がないさ。正直、軍需物資の方も馬鹿にならんぞ。

 民需品は、企業努力に頼るしかないわけだ。……惜しい話だよな」

 

 瞳と同色のグラスを見詰めるキャゼルヌに、ヤンは首を傾げた。

 

「おまえさんがきっと嫌がる『もしも』の話さ。

 帝国と講和が出来ていたら、イゼルローン回廊も通商の道になっていただろう。

 そうなればエル・ファシルは第二のフェザーンだな。

 あそこはフェザーンよりも、ずっと住環境がいい。もっと強靭な経済圏になったな。

 おい、どうしたヤン!」

 

 黒髪の後輩は、見た目の線の細さにそぐわず、実は結構な酒豪である。酔い潰れて吐いたり、人格が一変したり、大声を出して騒ぐことはない。微かに頬が赤らむぐらいで、淡々と酒盃を重ねるタイプだった。

 

 この日もそんな様子でいたのだが、何気ないキャゼルヌの言葉に、顔色が白さを取り戻す。漆黒の眼が大きく見開かれ、キャゼルヌの顔を通り越して、何かを見ていた。あるいは、どこかを。

 ただならぬ様子に思わず名を呼ばわると、はっと頭が揺れて、キャゼルヌの顔に目の焦点が合わされた。

 

「え、ああ、何でもありませんよ」

 

 とても司令官の自己申告を信じることはできなかったが、安易に内心を吐露する相手ではない。それは長い付き合いでよく知っている。精々、明るい口調で茶化してやるぐらいしかなかった。

 

「おいおい、酔っ払ったのか。今日はここらで止めておけよ。

 いくらおまえさんが貧弱でも、まだユリアンが負ぶって帰るのは無理だからな」

 

「ひどいなぁ。仰せのとおり、そろそろお開きにしましょうか。

 それと、要塞防御の演習、よろしくお願いしますね。

 私が艦隊司令官として出撃したら、先輩は司令官代理で、シェーンコップ准将が防御指揮

 を執ることになります。道中、リンツ大佐とは話をするつもりですが、先輩の方も彼らと

 交流を図って欲しいんですよ」

 

「奴さん、なぁ。俺はジンクスがどうの、なんてことは信じないが、なかなか癖の強そうな

 男じゃないか」

 

 真面目な顔をして、シェーンコップ准将の人物評を述べる先輩に、後輩は思わず呟いた。

 

「人間って、他人のことはよく分かるんですよね……」

 

「何が言いたい」

 

 薄茶色の目をじろりと向けられて、ヤンは頭をかいて誤魔化した。

 

「いや何でも。でも、彼と先輩は結構似たもの同士だと思いますけどね」

 

「おいおい、よき家庭人の非力な事務屋に何を言うか。俺とは正反対だろうが」

 

 それ以外の部分はそっくりだ。特に上官に対する遠慮のない毒舌だとか。

ヤンは勝てない戦いはしない主義だ。キャゼルヌとの舌戦はその最たるものだったから、口にしたのは別のことである。

 

「まあ、そういうことにしておきましょう。

 彼は、私と先輩のちょうど中間の年齢なんです。

 士官学校に通っていたら、さぞや目立つ候補生だったでしょうね。

 まあ、後輩がもう一人増えたと思ってやってみたらどうでしょうか」

 

「後輩ねぇ……」

 

 胡乱(うろん)な目になってしまうキャゼルヌだった。あの不敵で不遜な男に『キャゼルヌ先輩』と呼ばれたら? 思わず眉間を揉みはじめるキャゼルヌに、ヤンは首を傾げた。

 

「先輩こそ、一足早い二日酔いですか」

 

「……誰のせいだと思ってる。ま、今日はここまでにしようや。気をつけて行ってこいよ」

 

「はい、そうしますよ」

 

 素直に頷いた後輩は、妻に何度も礼を言って、被保護者と一緒に帰っていった。

一家揃って見送ってから、居間へ戻りかけたときにオルタンスがぽつりと口にした。

 

「ユリアンくんも大分背が伸びてきたわね。

 そのせいかしら、ヤンさんが随分痩せたような気がするのよ」

 

「あれでも戻ってきてるんだがな。

 まあ、ハイネセンへの往復で、食っちゃ寝すればましになるだろうさ」

 

「そうなったくれたら安心なんですけどね」

 

「おいおい、予言はやめてくれよ。あいつの無事もだが、こちらの留守番の無事も祈ってくれ」

 

 それが、キャゼルヌの目下最大の懸念であった。




承前部分になります。

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