銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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心の迷路、星の航路

 その翌日、3月8日午後のブリーフィング時。未だ定時連絡も到達報告もない。ハイネセンに問い合わせたキャゼルヌにも、はっきりとした回答がなかった。演習成果を司令部とシェーンコップ、アッテンボローが協議し、最終フェーズの訓練内容に進むことを決定した。

 

 だが、やはり皆の気がそぞろになるのは仕方がない。最終フェーズの打ち合わせというのは、喜ばしいはずなのだが、雰囲気は湿りがちである。まずはシミュレーターで新陣形の構築を学ばせ、艦艇にメンテナンスを行うことにした。艦艇による演習はその後になる。準備期間は一週間。アッテンボローも多少の骨休め期間になるだろう。その時はそう思われた。

 

 さらに翌9日。船団とハイネセンからの連絡、報道ともになし。二日間の遅延というのは珍しいとまでは言えないが、報告がないことなどありえない。何かが起こっていると、幹部らが確信するには充分だった。

 

 ハイネセンに連絡をしようとしたキャゼルヌに、首を振って音声だけにするように進言する要塞防御指揮官と、それに同意するもう一人の後輩。ふたりは胸中で呟く。正直に言って、その目で後方主任が再起不能になりそうだと。

 

 フィッシャーは、イゼルローンからハイネセン間の管制センターに問い合わせをすべきか検討し始めた。

『生きている航路図』の彼は、管制センターとの関わりが深い。元々航法畑の出身なのだ。航行のみならず、艦隊運用の巧みさはヤン・ウェンリーの保証書付きだが、攻撃そのものは指揮官畑のアッテンボローには及ばない。逆もまたしかりだが。とにかく、そちらの方には顔が利くし、伝手もある。

 

 ただし、管制センターにも守秘義務というものがある。これをクリアするため、イゼルローン駐留艦隊副司令官の職名で調査依頼文の準備を始めるフィッシャーだった。最終リミットを10日正午の定時連絡の有無によることにする。この作文が無駄になることと、いやな予感が外れることを祈りながら。

 

 10日。前日と状況は変わらず。正午を待って、フィッシャーが立ち上がる。キャゼルヌの許可を取って、各地管制センターに通信を入れ始めた。イゼルローンの民間人の避難輸送を想定して、避難航路を制定したいという理由で。相手にとって、非常に信憑性が高い質問だ。実際に必要なことでもあるし、輸送人員の規模も同程度。参考に到達日時を教えていただきたいと、辞を低くして請われれば、快く引き受けてくれるものだ。一石で二鳥を落とすフィッシャーであった。

 

 ただし、不審に思われないように、回答期間にはある程度の時間を設けなくてはならない。超光速通信(FTL)でちょっと教えてくれというのは無理だ。

 

 それに、アッテンボロー分艦隊の新陣形のチェックという通常業務も存在する。こちらの方も手は抜けない。正副参謀長とアッテンボローを交え、ブリーフィングを進めるが、どうも普段のように順調に進行しない。皆の気がかりもそうだが、黒髪の司会者兼助言者の不在は大きい。明晰な方針を持ち、様々な意見を集約し、短時間で結論を出す。これは難しいことだ。

 

 それらの合間に、続々と回答が届いてくる。これが、10日から11日にかけての状況だった。11日の午後に入って、すべての調査結果が集まり、フィッシャーは航路図との突き合わせを開始した。

 

 だが、その結果は途中から奇妙にねじ曲がったものとなった。二個艦隊に相当する人員の船団である。事前に航行計画が各管制センターに送られ、管制員は、その計画とセンサーに捉えられた識別パターンなどから航行の無事を確認する。同時に、次に通過する予定の管制センターにも引き継いでいく。

 

 宇宙は無限の広さを誇るが、人間の手の届く範囲はほんの一部分。その中で航路となっているのは一筋の道に過ぎない。ワープイン、アウトは大質量下ではできないし、野放図にうろついたりすると、事故があっても助けが来ない。特に、軍隊の大船団こそが計画を守らなくてはならない。民間船にまで支障を来す。

 

 途中までの記録は、可もなく不可もなく順調に進んでいる。大尉といっても有能な人物のようだ。しかし、2月下旬から、進路変更の連絡が始まる。予定とは別経路を通ったり、異なる地点の管制センターに連絡が届き、そこの管制も通過を確認している。だが、この時点でハイネセンへの最短距離ではなくなっていた。

 さらにカレンダーがめくられるにつれ、管制への連絡と確認を欠きがちになっていく。最後の連絡は3月6日。到着予定の前日だ。この後にワープしているならば、容疑の範囲は直径150光年になる。さらにワープを重ねたらどうなることやら。

 

 この分析が終わったのは、12日のことである。未だに船団からも首都からも連絡はなく、いつも朗らかなパトリチェフも元気がない。ムライのみが平常運転に見えるが、通信に耳をそばだてている。こんな正副参謀長に、分析結果を話すのは気が重いが、本丸を攻める前に同調者を増やしておきたい。フィッシャーも、この程度の戦術は思いつくのである。彼の報告を聞いた二人に、緊張が走る。

 

「これは、遅延やミスではないということか、フィッシャー少将」

 

「はい。連絡が途絶する十日前から、針路が曲がり始めている。

 ハイネセンを目指すならこんな航路はとりません。たとえ少尉(しんじん)でもです」

 

「では、事故か犯罪かということになってしまいますよ。

 他者からの指摘が入らんもんですかなあ」

 

「どうも、この船団のメンバー構成がよくないのです。

 主任の女性大尉に対して、副主任の男性中尉が間違いを指摘できるでしょうか。

 航法士官はもう一人いますが、そちらは女性中尉です」

 

「キャゼルヌ事務監の言葉を、小官もお借りするところだな。

 しかし、なんとか連絡をつけられぬものだろうか」

 

 ムライの提案に、パトリチェフは太い上腕をさすった。

 

「超光速通信で、同盟領全体に告げて回ることになってしまいますよ。

 ウチの司令官を御存じありませんか、と。行き先が分からないのですからな。

 まさか、逆バルドゥング提督事件ではないでしょうがね」

 

 つまり、出来るわけがない。同盟全土が大騒ぎになってしまう。同盟軍の智将も重要だが、帰還兵200万人、輸送部隊の兵員の家族が黙ってはいない。

 

「いや、司令官のお言葉からするとそれはないだろう。

 ローエングラム候は無駄なことはしないそうだからな。

 しかし、司令官代理と要塞防御指揮官にどう伝えたものか」

 

 特に前者に。ムライの声なき声に、二人の同僚も浮かない顔になった。実際に、彼らに向かって毒舌が叩きつけられるわけではないのだが、後方本部への抗議文の内容を想像するだけで胃の具合が怪しくなってくる。

 

「お伝えするしかないでしょうなぁ。

 歯医者や税金と一緒で、嫌だからと遅らせるほど悪くなるばかりですから。

 しかも、決して好転はしませんし。

 フィッシャー提督の調査結果から、なにかがおかしい、

 原因は不明、対処法は相手の連絡を待つのみと。

 まあ、こんな報告をしたくはありませんがね」

 

 確かに、パトリチェフが端的にまとめた内容以外に、伝えるべきものもないのだった。

 

「では、キャゼルヌ事務監には小官が一報をいたします」

 

「ならば小官はシェーンコップ准将に連絡を取る。

 アッテンボロー少将への伝達は、キャゼルヌ事務監の指示を仰ごう」

 

 味方は団結すべし、難敵は分断すべし。これも戦術である。使うべき場面がどう考えても違うが。

 

 13日。昨日の一報を、キャゼルヌとシェーンコップが受け取ったのが、その朝であった。キャゼルヌは昨日の午後、久々に半休をとって娘の授業参観に出席していたし、シェーンコップはイゼルローンの要塞砲台の視察に赴いていたからだった。

 

 要塞の直径60キロということは、円周はその3.14倍。宇宙ならわずかの間に到達するが、地上だとそうもいかない。一度シャトルに搭乗して、近い宙港を目指すようにしているが、面倒と言えば面倒だ。今回は、管制室と反対面の視察だったので、行き来に時間を取られて結局直帰したのだった。

 

 異なる褐色の髪と目の男二人は、それぞれの席で昨日の伝言に低声(こごえ)で毒づいた。今できるのは、関係者に問い合わせをすることと、部下に動揺を気付かれないことだけだ。

 

「予算ヒアリングの根回しにかこつけて、油を絞ってやるとするか……」

 

 事務監の呟きを、事務部の士官たちは聞かなかったことにした。キャゼルヌにとっては古巣であり、裏の裏から攻め所、抜け穴に落とし所を知っている。これほどの強敵はいない。相手が、ヤン司令官並みの防御戦の名手でようやく五分といったところだ。ちなみに、現在の後方主任参謀はキャゼルヌより年長だが、彼が更迭されるまでその座にいなかった。そういえば、自ずと戦果の予想はつく。

 

 だが、古巣を同じくする部下も、全く同情などしない。捕虜交換式から司令官の長期出張という、ありえない激務の苦労を忘れはしない。前の所属なんぞ知ったことではない、あの連中から絞れるだけ絞ってくださいと。

 

 シェーンコップの問い合わせ先は、キャゼルヌとは違った。華やかな夜の戦歴を誇る美丈夫は、イゼルローンの花々たちと交友が深い。ここにいる軍関係者200万人の中の妙齢の女性を当れば、ドールトン大尉につながる者もいるだろう。直接の知己でなくてもいい、どういう女性か、何か噂を聞いていないかと。

 

 この地下水脈は、鉱脈にぶち当たった。金鉱などではなく、砒素(ひそ)か水銀のような代物だったが。シェーンコップの掘り当てた情報は、密やかに司令部と事務監に告げられる。

 

「油だけでは生温いか。一緒に紅涙も絞るってやることにしよう。

 航法主任候補に、貴官が噂話から入手できる程度の裏さえ取らんとはな」

 

「あくまで噂ですよ。不倫していた相手が、帝国へ逃げたらしいというね。

 随分金も騙し取られたらしい。そしてどうやら、その男も帰還兵に混じっているらしい、

 いうことです。噂によればね」

 

 その強調ぶりに、逆に信憑性の高さがうかがわれる。

 

「ふん、貴官らしくないじゃないか。

 女の噂という奴の信憑性を知らんはずもないだろうに」

 

「だからこそ、噂だと思いたいのですよ」

 

「一割に賭ける気か?」

 

 たっぷりと皮肉を(まぶ)した声に、灰褐色の頭が振られる。

 

「いいえ、一分に賭ける思いです」

 

「分かっているのなら結構だ。しかし、解せんな。

 航法主任の仕業だとして、なんで船団ごと連れまわす必要があるんだ。

 その男の罪を糾弾して、別の帰還兵らにエアロックから放り出させる気なのか?」

 

 二児の父の発言に、独身主義者が反論した。

 

「そんな、子供向けアニメの宇宙海賊じゃあるまいし。

 二個艦隊の人命を危険に晒してるんです。軍法会議で銃殺ですよ。

 相手の罪を問うんなら、なにも輸送中にやらなくたっていいでしょう」

 

 アッテンボローの言葉は、理性的で、ある意味男性的なものだ。もっと女性を知る快楽主義者は、こう推測した。

 

「普通はそうだが、そんなに大勢の生殺与奪を握っているんだ。

 歪んだ万能感に支配されて、おかしくなっても不思議はない。

 憎い男のほかに、もっと強烈な刺激物があるでしょう。

 同盟一の英雄ヤン・ウェンリーと、グリーンヒル大将の御令嬢というね」

 

「はぁ? ヤン先輩、じゃない司令官が? どうして?」

 

 疑問符だらけの質問に、シェーンコップは両手を広げて肩を竦めた。

 

「二人の大尉は同室ですよ。小官が輸送責任者なら、そんな真似はいたしません。

 相手はまだ三年目なのに階級は一緒、出自も経歴も自分に勝り、上官の格は比べるべくもない。

 これで、相手にマイナス感情を抱かない女性は聖女と呼んでいいでしょう。

 主任の大尉がつんけん(・・・・)しだして、後輩の男女中尉は意見ができますか?」

 

 アッテンボローは、もつれた毛糸のような鉄灰色の髪をかき回した。

 

「小官には何も言えないでしょうね」

 

 この言葉に、美丈夫は片眉を上げた。

 

「言えないならまだ上等です。大体は御機嫌を取る。何でもハイハイと流します。

 女性だったら先輩に同調する。それでガス抜きができればいいのですからな。

 ですが、ここに我らが司令官が登場します。奇蹟の魔術師、二十代の大将閣下だ。

 女性なら興味を抱きますよ。ご本人は気がつかないでしょうがね。

 で、嫌う相手にも探りを入れます。上手くしたら閣下の目に留まるかもしれないでしょう」

 

 渦中の人物の先輩と後輩は顔を見合わせて、異口同音に無理と言い放った。

 

「ええ、無理だ。雑談の一つもすれば、副官嬢の惚れてる相手は火を見るよりも明らかだ。

 あれだけの美人が、本気になって落とせない男はいない。早々に負けを悟る」

 

「や、そういう意味の無理じゃないんだ。ヤン先輩の朴念仁ぶりときたら!」

 

 力説する後輩、腕組みして頷く先輩。咳払いは無視される。

 

「ほう、小官はそうは思いませんがね。あれだけ敵の心理を読めるお人です。

 まあ、閣下はこの際()きましょう。問題は、ドールトン嬢の方だ。

 己が身を彼女と比べ、相手の男に彼をひき比べた時、どんな思いを抱くことやら」

 

 再び、咳払いが割って入る。

 

「シェーンコップ准将、なかなか劇的な推理だが、それは憶測でしかない。

 フィッシャー少将、行き先の推測は不可能か、もう一度お伺いしたい」

 

「通信途絶後、本日で一週間です。もはや推測は不可能です。

 有人星系に向かっているならばまだしも、そうでない星系に向かっていると、

 手の打ちようもありません。

 ハイネセンにとっても我々と同様、船団からの通信が回復しないと状況の把握もできない」

 

 パトリチェフが太い上腕をさすりながら嘆息した。

 

「結局、我々にはどうしようもないという結論は変わりようがありませんなぁ。

 サックス少将の手腕に希望を託すしかないのでしょうか」

 

 だが、ここまでで判明した諸々(もろもろ)で、管理責任者の資質に巨大な疑問符がつく人物だ。元後方主任参謀に、それを(ほの)めかす五対の視線が向けられる。薄茶色の頭が振られるのは横方向。

 

 参謀長は深々と溜息をついた。

 

「全く、困ったものだ。ヤン司令官は賓客のはずだろう。なぜ、このような事になっているのか」

 

 アッテンボローは更に深々と溜息をついた。

 

「心から同意します。乗客が宇宙船の危機を救うなんて、B級立体映画(ソリムービー)だけでいい。

 そんな劇的で荒唐無稽な話より、よくあるミスであってほしいですよ」

 

 その同時刻、惑星を持たぬ恒星マズダクの傍らで。荒唐無稽で前代未聞の愛憎劇が、幕開けしようとしていた。




紅涙=血の涙 

 ユリアンは素人だが、玄人のいる留守番部隊こそ、いち早く異常に気がつくのではないだろうか。だが、無差別にFTLで聞いて回るわけにはいかない。

 ちなみに、女の噂の信憑性は9割~9割9分と思って差し支えない。

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