銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌   作:白詰草

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タイトルは漢詩の訳文をもじったものです。


君に注ぐ一杯の酒

 その晩の夕食の際にも、到着の遅れは話題にのぼった。コーネフ少佐が、航法士官の仕事ぶりに疑義をさしはさんだのである。イゼルローンからハイネセンまでの距離は約三千光年。かかる日数は三週間から四週間だ。ワープの際に脱落艦が出ないように、また円滑に補給が受けられるようにしなくてはならないため、大船団ほど時間がかかるのは仕方がない。

 

 今回の輸送人員は2個艦隊に匹敵し、必要な物資は膨大な量になる。要所で補給を受けながら、ハイネセンを目指しているわけだ。通常の艦艇と異なり、兵員輸送船は快足とはいかない。

 

 しかし、通常の艦隊出動ではない。補給物資は、食料と生活雑貨、航行用のエネルギーでよい。だから補給の時間は、むしろ短縮されている。この予定は、今までに行ったイゼルローン攻略の往復路の航行時間から、長めに算定されていた。よほどのことがない限り、明日には到着するはずなのだ。

 

 宇宙乱流が起きたわけでもなく、補給が滞って推進機関のエネルギーが不足しているのでもない。となると、正しい道を歩んでいるのかと、星図と羅針盤の担い手に疑いの眼差しが向けられる。

 

 あまりに航路を逸脱していたら、どこかの航路管制センターから警告が入るのでは、とユリアンがなかなか優秀な指摘をする。しかし、これには抜け道があることを、コーネフは逆に指摘した。予め、航路管制センターに航路変更の連絡をしておけば、わざわざ警告もしないだろうと。

 

 帝国のスパイが潜り込んで、偽りの航路データと進路報告で、船団をあらぬ方へ誘導できるかも知れない。もちろん、長期間は無理だが、一週間から十日くらいなら。荒唐無稽なB級映画のような話だが、これには歴史的な実例がある。帝国の猛将を封じるために、統合作戦本部の情報参謀が彼の旗艦の航法士官を買収し、同盟の勢力宙域まで迷い込ませて拿捕(だほ)したのだ。七十年前の出来事である。

 

「話としては面白いが、事実だったらちょっとたまらんなあ」

 

 リンツは逞しい腕を組んで嘆息した。当時はイゼルローン要塞はなかった。そこを後にしてきたのだから、よもやそんなことはないと思いたい。だが、帝国にとってヤン・ウェンリーにはそうする価値があるのだ。

 

 またまた政治家たちとの会食に招かれ、見当もつかない料理を並べられたヤンは、大して手もつけずに逃げ帰ってきたようだ。紅茶のティーバッグの方が貴重品となったため、被保護者に釘を刺されながら、()のブランデーをちびりちびりと(すす)っている。かなり豪華なつまみは、士官食堂のコックの心尽くしである。

 

 例の政治家連中はコックに過大な要求を突き付けるため、彼らも大いに鼻白んでいた。レシピを知っていても、数百人分の食事を作る傍ら、アスピックゼリーやらサーモンクネルなんぞ悠長に作っていられるか、というのが正直な思いである。製作者の誠意を欠いたメニューは、要求者よりも同盟軍屈指の智将を悩ませていた。要はその埋め合わせである。

 

 ユリアンとグリーンヒル大尉は睡眠のために自室に戻り、ポプランは夕食の際に女性と同席していた。リンツへの説教の内容を早々に反故にしたようだ。コーネフも自室。寝ているかクロスワードパズルを解いているか、まあどちらかだろう。

 

 夕食の時の話題をヤンに伝えたところ、この名将は次のような回答をくれた。

 

「ははぁ、バルドゥング提督の拉致だね。だからね、彼はそういう手段をとらないよ。

 リンツ中佐、ローエングラム候の天才性とは、正統的な正攻法を実施できる手腕にあるのさ。

 古来より、軍事行動の三原則というものがあってね。天の理、地の利、人の和だ。

 その全てを欠いた同盟軍を焦土作戦で疲弊させ、分散したところを狙う。

 そして、多数の艦艇と精強な兵を揃え、有能な提督に指揮させる。

 これ以上ない正解だ。戦う前に勝負をつけるのが戦略なんだ。

 ユリアンにも言ったことだが、戦略は正しいから勝つ。彼は極めて論理的なんだよ。

 旗艦一隻ならまだしも、二個艦隊分のおまけがくっついている状態で手出しはしない。

 無駄飯食いが割り増しになるだろう」

 

 ここまではいい。作戦参謀畑の出身者らしい、簡潔で明快な分析である。

いっそ、最高評議会でぶちまけていただきたいものだ。政治家も国民も目を覚ますだろう。

だが、その後の台詞はいただけない。

 

「第一、私だけをどうこうするなら、捕虜交換の際にキルヒアイス提督に似せた暗殺者でも

 送りこんだ方が効率的だ。人的被害は遥かに少ない」

 

「閣下!」

 

 淡々と述べる穏やかな上官に、リンツは気色ばみかけた。歴戦の薔薇の騎士(ローゼンリッター)、その連隊一番の歌い手の声は、腹に響く迫力がある。それを、銃や戦斧に縁がなさそうな手が制した。

 

「歴史にもしもはないんだから、いいじゃないか。ローエングラム候はそういう方法を

 取る人物ではないよ。彼の野心と構想は、雄大で緻密なものだろう。

 そして、性格的にそんな謀略、いやせこいことを考えられないと思うよ」

 

「どうしてそのようにお考えになるのか、理由を小官にお聞かせ下さい」

 

 ヤンはブランデーのグラスを卓上に置いた。行儀悪く組んだ立て膝に左肘をついて、その手で顎を支える。

 

「簡単だよ。

 私が逆のことをするかもしれないと考えるなら、己が半身同然の人物を使節にしないからだ。

 キルヒアイス提督は親友であると同時に、

 ローエングラム候の構想を理解している軍事的才能の持ち主だよ。

 二重に貴重な人材を、私の許に送りこんだのは、彼にとっては最大限の誠意であるのかな」

 

「はあ、そうですか」

 

「無論、私もそんなことはやらない。

 キルヒアイス提督の暗殺は、百害あって一利なしだからね。

 並べ立てたらキリがないが、主な理由は三つかな。

 まずね、戦場以外でそんなことをしたら法的にアウトだ。

 そして、道義的にも同盟は帝国より悪虐の国家ということになる。

 第三に意味がない。

 ローエングラム候本人ならともかく、無二の親友で片腕であっても、

 能力的な損失は数で対応できる。

 あちらの将帥は、綺羅(きら)、星のごとき質量を誇るからね」

 

「数で補いなどつくのですか」

 

「能力的なものならばね」

 

 承服しがたい様子のリンツに、ヤンは言葉を続けた。

 

「人間の個人差は大きいが、集団に(なら)すと彼我(ひが)の差は縮小するものだろう。

 ローエングラム候は一万人に匹敵するような天才だが、逆を言うなら凡人二万人ならば

 彼を凌駕できるんだ。唯一の目的に意志を統一できるのならば。

 だが、二人いれば対立が起き、三人寄れば派閥ができるのが人間というものだ。

 だからこそ、一人が一万人の力を持つ天才は冠絶した存在なんだよ」

 

「そうおっしゃるからには、補えないものがあるということですか」

 

 リンツのブルーグリーンの目を黒い目が見詰めた。

 

「本当は問わなくてもわかるだろう。感情的な損失だよ。

 絶対に埋めることなどできず、激烈な憎しみを齎すだろう。

 我々を滅ぼしつくしても、治まらないかもしれないね。私がそう読むだろうと思っての人選さ。

 私や同盟上層部の判断力をそれなりに評価してくれたとみるべきかな」

 

 穏やかで、若手の学者の講義のような言葉だった。分かりやすく整理された中に、巧みに警告が織り交ぜられて、情理双方の説得力があった。

 

 リンツは逆に想像してしまう。この上官こそが、同盟上層部をそのように説き伏せたのではないか。問い詰めたところで、ヤンは答えないだろうが。敬愛する前連隊長が言うように、この黒髪の魔術師は大人しい顔をした曲者だ。

 

「閣下がそうおっしゃるなら、帝国の謀略ではないのでしょう。

 しかし、根本的な解決になっておりませんが」

 

 リンツの指摘に、ヤンは黒い髪を乱雑にかき乱した。

 

「そうなんだよ。明日の到着予定というのは、最大上限の見積りなんだ。

 補給等のロードマップから算出すると、昨日の夜か今日午前中には着いていたんだが。

 明日にはサックス少将から事情説明があるだろう。我々にはどうしようもないんだ」

 

 

 肩を竦めたヤンは、新たなグラスを取りあげ、リンツの前に置く。薔薇の騎士連隊長代理が制止する暇もなく、深い琥珀の色が注ぎ込まれた。

 

「ところで貴官、酒は平気かい?」

 

「は、平気ですが……」

 

 年長の上官という二重の上位者に酒を注いでもらって、リンツは恐縮するしかない。ヤンは手酌で、自分のグラスにもちゃっかりと酒を補充する。普段の動作に似合わぬ大した俊敏さであった。

 

「ではいただきます」

 

「航海の無事を祈って、乾杯」

 

 グラスを持ち上げて、目でリンツを促す。二つの酒杯がふれあい、涼やかな音を立てた。リンツはブランデーを口に含む。魔術師が手ずから注いだのは芳醇な美酒だった。

 

「たとえどんなに天才でも、人間は人間さ。

 喜怒哀楽に支配され、生病老死から逃れることはできない。

 彼の才能は恐るべきものだが、人格まで闇雲に恐れる必要はないと思う」

 

 思えばこの黒髪の提督は、不敵で不遜で不逞な先代連隊長を『作戦のために信用するしかないから信用する』の言葉で陥落せしめた人だった。ただそれだけ、だがそれだけの言葉を、薔薇の騎士連隊に与えた上官はこれまで存在しなかった。誰一人として。

 

 そして、このイゼルローン要塞の防御部門に、シェーンコップ准将ともども彼らを起用した。表向きは、要塞陥落の立役者だから弱点の防御にも長けているという説明だ。だが、潜在的裏切り者と囁かれる薔薇の騎士連隊が、獅子身中の虫になるのではないかと、口うるさい向きからの牽制もあったと聞く。

 

「あの金髪美形の人格ですか……」

 

 リンツは眉を顰めた。たしかに美形だが、あんまり性格が良さそうには見えない。鋭気と烈気に満ちたと言えば褒め言葉だが、裏を返せば険しく鋭い顔で威圧感があると表現できる。彼を描写するのは自分の技量では無理だろう。多分性格が悪そうなマネキン顔にしかならない。

 

「そうだよ。愛する人と結ばれれば、喜び笑い感謝をし、失えば悲しみ怒り嘆く。

 人間、美しく健康で裕福に生まれたいし、いつまでも若くいたい。

 病気になるのは嫌だし、死ぬのは誰だって怖い。あの世があるならいい所にいきたい。

 時も場所も越えた不変の事実という奴さ。人間の本質は国の違いで変わったりしないよ。

 同盟にも悪人はいるし、帝国にもいい人はいる。

 私は帝国の捕虜を煽動した上官に殺されかけたことがあるんだが、

 助けてくれたのは帝国の捕虜だった。43年も収容所暮らしをしていた老大佐だった」

 

「初耳ですよ! いつですか」

 

 白兵戦の猛者も仰天する新事実である。その一方で得心した。ヤンの偏見のなさの一端に。その大佐を過去形で語り、黒い瞳には静かな追悼の念が宿っていた。故人に違いない。

 

「ああ、エル・ファシルの2ヶ月後くらいだね。貴官はまだ軍専科学生じゃないのかな。

 エコニア収容所長、横領と背任により逮捕、起訴とだけしか報道されていないよ。

 その時、大変お世話になったのが正副参謀長の二人だが、それはおいおい話そうか。

 主犯はその所長、煽動されたのは若い捕虜、助けてくれたのが老いた捕虜。

 普通ね、最初と最後の配役は逆だろう? 立体TV(ソリヴィジョン)ドラマなら」

 

「確かにそうです。しかし、なぜそんなことを……」

 

「いろいろあったのさ。一番はマスコミ避けだね。

 だが、私が行ったりしたものだから、所長が疑心暗鬼に囚われたのだろう。

 小なりとはいえ捕虜の叛乱がおき、可哀想に死者も出た。

 そんな中で、着任したその日に会ったばかりの青二才の味方をしてくれる人がいたんだ。

 パトリチェフ大尉(・・)ともう一人、72歳の老男爵だよ。本国にいたならばね。

 国なんて大した問題じゃないんだと思ったんだよ」

 

 おいおい、いろいろ聞き捨てならないことを、さらりと告げてはいないか、この大将閣下は。リンツの頬が乾いた笑いで引き攣った。着任した日のうちに、捕虜の叛乱に巻き込まれているということではないか。

 

 しかも収容所長の自作自他演のマッチポンプ劇に。その時からあの副参謀長のおっさんは、ヤンのクッション役だったのか。

 

「国が大した問題ではないとおっしゃるのですか」

 

「ああ。銀河連邦成立以前、複数の国家が平和に共存していた時代もあったんだ。

 何度もね。国家が複数あることと、平和であることは何ら矛盾しないんだ。

 そうなればいいと思うよ。そうしたら、彼の許に親族が訪れる日が来るかもしれないな」

 

 いつの間にか、ヤンのグラスが空になっている。注ごうかどうか迷って、被保護者の釘を思い出した。リンツ側のテーブルの端、ヤンの手の届かぬ位置へ移動させる。恨めし気な黒い視線はこの際無視して。

 

「では、その日まで閣下には健康でいていただかないと困りますな。

 明日、予定どおりに到着するかもしれません。そろそろお寝みください」

 

「や、リンツ中佐、健康に留意しても人間の死亡率は百パーセントなんだよ。

 一杯ぐらいで変わるもんじゃないよ」

 

「とにかく、これはお預かりしますからな」

 

 そう言ってリンツは酒瓶をテーブルから取り上げる。ヤンは溜息をついて、椅子に(もた)れかかった。

 

「着服をしないでくれよ。あとね、明日には着かない。絶対に」

 

 黒髪の智将の言葉に、リンツは目を瞠った。

 

「肉視窓から見える星座が違う。ハイネセンから一日程度の距離位置のものではない。

 私の父は交易商人だった。私もさまざまな星からハイネセンへ何度も飛んだよ。

 首都に戻る頃には読む本がなくなっていて、星ばかり見ていた。そのどことも違う。

 貴官には一応教えておくよ。思いすごしならいいんだがね」

 

 髪をかき回しながら、グラスを差し出す。それはもう、ありふれた穏和な青年の顔だった。さっき注いでもらった以上、こちらも注ぎ返さないわけにはいかない。リンツはしぶしぶ、かなり控えめな量にとどめた。それでも嬉しげにヤンは目を細めた。

 

「同じ駄目なら酒飲んで寝よか、だよ」




お料理の解説

※アスピックゼリー ハムや野菜をコンソメスープのゼリーで固めたもの。
          ゼリーをゼラチンではなく寒天で固めたものと推定。
          融解温度がちがうので、寒天は口内では溶けない。
          塩味の得体の知れないものがいつまでも口の中に残る。きっとまずい。

※サーモンクネル  鮭のすり身にメレンゲや生クリーム、香辛料を加え、形を整えてボイルし、
          クリームソースをかけた料理。洋風しんじょみたいなもの。
          丁寧な調理をしないとつみれ風になり、生臭い。
          クリームソースとの相性は最悪である。

 よい子のみんな、レシピにはそれなりの理由があるんだ。材料の代用や、調理方法の勝手なアレンジは、これメシマズの素さ。レシピのとおりに作るんだ。難しかったら諦めることも重要だよ。
匿名希望のまだ二十代より。

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