綺羅びやかな調度品の数々に囲まれた部屋のテーブルに、不似合いな汚い麻袋がどさりと置かれた。ここはリーザス城最上階近くの皇室の一つであった。
「ぐえっ、もうちょっと丁寧に扱ってくれんかの…。」
麻袋からひょっこり顔を出したのはククルククル。長時間袋に入っていたためか、髪がかなり悲惨なことになっていた。
「おっと、これは済まなかった。どうも最近は加減がわからなくてな。」
ククルに軽く笑みを零し話しかけるのは、彼女をここまで連行した魔人ノスその人。彼には小さすぎるであろう椅子に腰掛ける姿には、つい数刻前見せた冷徹さははなかった。
「そ、それで結局わしに何をするつもりなんじゃ。」
そもそも一体ノスにどのような目的があってククルを連れてきたのだろうか。昔の悔恨に対する憂さ晴らしだろうか。過去のククルがドラゴン族に行った行為を考えれば最も起こりえる事だ。何せ二千年も戦い続けたのだ。しかし、この状況では何をされてもどうしようもない。
「初代魔王ともあろう御方が、柄にも無く怯えているのか? 当時の傍若無人っぷりはどこへ行ったのだ。」
「いや…その、わしは魔王としてドラゴン達を何体も殺したし、当時は憎み嫌忌する仲じゃったからな…。」
意外にも、ノスは屈託なく笑っていた。ノスも同じ時代を生きたドラゴンである。何故このような笑みを浮かべることが出来るのだろうかと疑問に思わざるを得ない。ククルはノスの目をじっと見つめ、解答を待った。
「俺達はお互いの種族のために戦っていたに過ぎんよ。なんてことはない。あの戦いは自然の摂理だった…。」
ククルの警戒を解こうと虚言を吐いているわけではないようだ。その表情には次第に覇気が消え、歳相応の過去を背負った、疲れた表情を見せている。
「むしろ、あのまま戦争が続いていたほうが俺達ドラゴンにとっては良かったのかも知れなかったがな…。」
「アベルの事か………。」
二代目魔王アベル。一介のドラゴンに過ぎない男だったが、偶然にもククルの止めを差し、魔王を継承した者。魔王としての力を得たアベルは、唯一の女性体ドラゴンであるカミーラを強制的に魔人にすることで支配し、再びアベル側とドラゴン族で戦争が始まった。
「さて、何から聞くべきか。まずはククルククルよ。単刀直入に聞こう。何故生きているのだ。」
「それについては何も知らん。確かにわしはあの戦争で死んだ。だが数ヶ月ほど前に唐突に蘇ったのじゃ。今はこんな見てくれじゃが何故か人間の姿としてな。」
ククル復活の原因がランスの皇帝液だということを知ったらどうなるのだろうか。
「ああ、その奇怪な姿の理由については他の魔人共から聞き及んでいる。なんでも当時と同じよう身体を爆発させたそうだな。あれには皆苦労させられた。全く面白い魔王様だ。」
「わしがこの姿になってどれ程苦労していると思っとるんじゃ…。」
ここ最近のククルの不幸度は六千年の歴史でも凄惨過ぎるものだ。今までの足取りを考えると、頭のひじきもしおしおと倒れていく。そろそろ球技のボール代わりに使われそうである。お前ボールな。
「話が逸れたな。俺が質問したのは生き返った原因だけじゃない。どのような目的を持って、何故生きようとしているのか、だ。」
なんとなく、流れが変わった。漸くノスの真意を聞くことが出来そうだ。
「…質問の意図がわからん。お主らドラゴンがそれを聞くのか?」
ドラゴン族は生物としての生きる意味を持ち得ない存在である。現在、アベルの暴挙によって彼らには女性体が存在していないために繁殖行為が出来ず、時間とともに滅びるしか無いという宿命を義務付けられている。
ノスは深呼吸と共に一拍を置いて、ゆっくりとその胸中を語り始めた。
「ククルククル。お前は五代目魔王で在らされるジル様について知っているか。」
「人間の魔王じゃったか。惚れた男に封印された哀れな女、といったところかの。」
ククルの憐憫を含んだ言い方にピクリとノスは強張る。
「………その通りだ。ジル様はガイという人間に並々ならぬ慕情を抱いて居られた。人間とは相いれぬと説得しても、ジル様の御心は変わらなかった。」
「それで結局、寝首を掻かれたわけじゃな。」
ジルは魔王である自らを滅ぼすために戦い勇んだ人間であるガイを何故か魔人とした。そしてガイを魔人筆頭として、愛人として寵愛したのだ。ノスはそれが不安でならなかった。いずれガイという存在がジルの障害となるだろうと。いくら魔人にしても、魔王と人間は相いれぬ存在であると。何せ魔王ジルは人類史上最悪の魔王として人間を家畜として扱い、その尊厳を全て奪い去った人物なのだから。
「ガイがどのような方法を使ったかは知らん。だが奴は魔人でありながら魔王の絶対命令を逃れ、結局ジル様に反旗を翻してしまった。」
そしてその不安は現実のものとなった。ガイは二重人格者であったのだ。片方の人格では魔王の絶対命令を受け、もう片方の人格を使うことでジルに相対するという驚くべき方法をとった。ガイに対し、完全に信頼を寄せていたジルはあっさりとガイに心臓を一突きされ、魔王はガイへと継承されたのだ。
「俺はジル様をお慕いしている。君主としても、その在り方も、人間としても。だからこそ、このリーザスを抑え、ジル様復活の為に行動している。だが、思うのだ。果たしてジル様は再び魔王として君臨したいと、この世に生きたいとお思いになられるのか、とな。」
ジルは超神と謁見し、永遠の命を手に入れた魔王。封印されて千年たった今も喘鳴ではある。しかし、その精神が既に死んでしまったものであるなら…。
「男と女については俺自身よくわからん。しかしククルククルよ。現実としてお前が死んでからドラゴン族はその四百四病の外によって混乱に陥った。だから俺は不安なのだ。ガイに裏切られたジル様は、永劫の眠りに付きたいのでは…と。」
まずいのー。わしも恋愛とか未体験なんじゃがのー。焦るククル。まさかこんなじじいに恋愛相談をされるとは思っても………。
「だからお前に聞きたい。ジル様と同じ魔王だったものとして、何を持って今を生きようとしているのかを…。」
ほっ、と若干恋愛から話しが離れてククルがひと安心したのは致し方ないことである。
「わしも別に特段目的は持ってはおらん。只、そうじゃな。なんとなく生まれ変わったかのような気分なのじゃ。丸い者は滅び、憎み殺し合ったドラゴンもいつの間にか滅んでおった。王としての責務も、魔王の血も、過去のしがらみも、この身体には有りはせん。生まれたばかりの生き物が生きたいと考えるのは当たり前のことじゃろ?」
これはククルの本心であった。未だにドラゴンが跋扈し、丸い者が文化を気付いていたら、今のように自由に生きることは出来なかっただろう。既に一度死んだ身として、生を諦めてしまっていたかもしれない。
「生まれ変わる…か。そんなものなのだろうか。」
「ジルについては知識でしかわしは知らんからジルも同じ事を考えるかは知らんがな。正直会ってみんとわからんのじゃ。」
「ふっ、良いだろう。ならば直ぐにでも合わせてやろう。お前と話して多少不安が収まったわ。結局何もしなくては始まらないしな。何を迷っていたのか、俺にできることなど限られているだろうに。ジル様に会っていただくためにも暫くここにいてくれ。安全と不自由ない生活は保証しよう。」
豪快に笑いながら立ち上がるノスの忠臣たる姿は、部下を殆ど持たなかったククルにはどこか輝かしいもののように見えた。
本来であれば、ジルの魔王化による波乱を避けるために復活を阻止しようと考えいていたのだが…。まぁこれも余興だ。大丈夫、ジルが蘇っても何とかなるさ。馬鹿になるのも、たまにはいいだろう。そうククルは納得すると軽くノスに了承する素振りを見せ、豪華絢爛ふかふかベッドに飛び乗り、久しい安眠へと旅だった。
普段から馬鹿やっているようにしか見えないとは突っ込んではいけない。