真・恋姫†無双 トキノオリ   作:もんどり

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 早朝、というには少し遅い出発になってしまったのは、きっと昨晩の士元との長話だったからに違いない。けしてやましいことは無い。というか、女同士でやましいもなにも無いわけで。まだ眠そうな士元の表情に小さく笑うと、それに気づいた彼女が照れたような、はにかんだ笑みを見せてくれる。

 

「それじゃ、いくか」

「はいっ」

 

 大きく膨らんだリュックを背負いなおしてそういうと、元気な返事が返ってきた。オレの背負っているリュックよりは小ぶりだが、来るときよりも膨らんだ荷を背負う士元の姿を見ると、やっぱり荷をもう少しオレが持てばよかったと、ちらりと思う。

 これを口にするときっと士元は、力いっぱい否定して余分な体力を消耗するだろうから、オレの心の中だけにしまっておくことにした。それでも、オレの考えはザルだったようで、この賢い少女は普段よりもやや早めの足取りで彼女の家路へと進んでいく。

 

「あんまり早く歩きすぎると、転ぶぞ」

「大丈夫で……しゅっ!?」

 

 ほら見たことか。ならされた道とはいえ、少し大きめの石がちらほらと転がっている。その一つに足を引っ掛けたのであろう、士元は荷の重さに負けてそのまま重力に従い道へと転がった。

 

「士元っ!」

 

 名を呼んで駆け寄ると、涙目になりながらむくりと顔をこちらへ向けた士元の瞳の強さに、オレはいささか怯む。なんで駆け寄っただけでこんなに睨まれるんだ? やや困惑気味に心の中で叫ぶも、口では違うことを言葉にする。

 

「大丈夫か?」

 

 手を差し伸べ、士元が起き上がるのを介添えすると、膝頭のところが少し擦りむけているのが見えた。深い傷ではないが血が滲んでいて、砂利がまわりについている。傷口に触れないように砂利を払うも、その傷口自体に少し砂利が残っていた。

 

「砂利が少しついてるから、傷口を洗おう。痛いかもしれないけど、ちょっと膝を曲げてもらっていいかな」

 

 水筒と布を取り出しながら、士元にお願いする。布は膝下に当てて水が靴下などに掛からないようにするためだ。取り出した水筒の口を開けながら士元を見ると、彼女は下唇をかみ締めながら眉を寄せ、まだこちらを睨んでいた。

 な、なんだ? オレ、なにか変なことしたっけ?

 

「し、……士元?」

「っ!!」

 

 恐る恐る問いかけると、彼女は瞬間ハッとした表情を見せる。しかし、みるみると泣きそうな顔へと変わっていき、目尻の端に水溜りが浮かび上がった。な、なんで泣く?! え、マジでなんで、なんで? まるでオレは士元がうつったかのようにあわあわと慌てふためくと、ぽつりと士元が言葉を漏らした。

 

「……真名」

「あ、……え?」

「……真名で、っ……よ、呼んで、くださいって」

「え? ……あ、えーっと」

「いったのに、……ふ、……ぅ、うぇっ…な、なんで……呼んで、…く、くれないん…でしゅ、……です、か」

 

 さっきまでこちらを睨んでいた瞳は俯いて見えず、スカートの端っこを握り締めながら声を震わせながら訴えかけてくる。ぼたり、という言葉が似合うほどの大きな滴が地面へと落ちてはその色を変えていた。マズい、これはものすごくマズい。まさか泣かれるとは思わなかったと頭を抱えたくなるが、そんなことをしたところで目の前の少女を傷つけたことが無かったことにはならないわけで。どうにか泣き止んでもらうために必死に言葉を探した。ちょっと恥ずかしかっただけの、出来心なんだ……とは、流石に言えない。

 

「あの、さ。……えーっと、本当に、呼んでも構わない?」

「……ぐじゅっ……よ、呼んで…くださいって、いいましたっ」

「昨日の夜、話したのはオレに都合のいい夢じゃない?」

「……夢じゃ、ないです……ぐじゅ…」

「そっか……それじゃ、改めて。雛里、痛いかもしれないけど、膝まげてもらってもいい?」

「……っ、はいっ!」

 

 まだ涙は消えていなかったが、先程とは違う満面の笑みで返事をした士元……いや、雛里にオレはほっと胸をなでおろした。それと同時に本音を話さずなんだかごまかしてしまったことに少しの罪悪感を覚える。ああ、でもなんとなく雛里には見栄を張っていたいというか、お姉さんぶりたいというか。いや、多分もしかしたらオレの浅はかな思考は雛里にバレバレなのかもしれないけど、それでも今は嘯いていたかった。ふと、傷口を水で洗い流しながら考える。彼女を家まで送るということに対して、オレはもしかしたら気負っているのかもしれない。

 

 なんだかんだと時間をくってしまった。そろそろ母の嫌がっていた人達がやってくるだろう。道はここだけではないのだが、いかんせん雛里の目的地もとい実家が襄陽だ。そいつらも襄陽から来るのだから、この道を使ってくるだろう。鉢合わせして、そして母の子だということがばれてしまったらと考えると、少し迂回してから襄陽に向かうのも手かもしれない。

 布を絞り水気を切った後、水筒とともにしまいこむと雛里へとオレの考えを伝えてみた。さっきまでのやりとりを思い出したのだろう、彼女はあわわと小さく呟いて顔を真っ赤にさせて俯く。なんだ、このかわいい生き物は。空咳を二つほどしてから浮ついてしまった気持ちを切り替えた。

 さて、もう少しこの道を下ったところに道が分岐しているところがある。左の道をとれば襄陽の南へと抜け、真っ直ぐに続く道へととればここ硯山(※1)の東の端へと抜けるだろう。近いのは断然左の道なのではあるが、 ここは敢えて真っ直ぐに進んで迂回しつつ襄陽へ入るべきなのだろうか。

 雛里へと視線を向けると、彼女は普段からみている柔らかな表情から一転させ、キリッとした深く何かを思慮する顔をしていた。普段とは違う表情っていうのは人の心を動かすものなんだな、などとどこかぼんやり考えていたが、雛里の強い眼差しがオレの視線と交差すると、思わず喉を鳴らす。

 

「今よりももっと昔のことなのですが、硯山(※1)の南側にある沔水のほとりに叔母様と叔父様が住まわれていた小さな小屋があったはずです。このまま進めば叔母様を探す人たちに出会う可能性はかなり高いですから、そちらで今日は一泊し、明日から川沿いを進んで襄陽へと向かうというのは、……あわわ、どう…でしょうか?」

 

 すらすらと言葉を紡いでいた雛里の語尾が急に弱まり、最後には恥ずかしそうにこちらへと上目遣いで見上げ問いを投げかけてきた。照れちゃったのかな? さっきまで真名を呼んでくれないと膨れていた娘には見えないよな。思わずさっきとのギャップに肩を揺らして笑うと、雛里は更に顔を真っ赤にさせてオレに向かってぽかぽかとその小さな手をぶつけてくる。

 

「っ! ……わっ、わっ、わ、わ、笑うなんてっ! 酷いでしゅっ! ですっ」

「ったた! ゴメン、ゴメン。悪気はないんだって」

 

 雛里の手を捕まえて謝ってみても、その少し潤んで真っ赤になった瞳がこちらを睨んでくるのはかわらず、どうしたものかと考える。とりあえず、その小屋に行って見ようと促しながら、雛里を掴んだ手の片方だけを放した。分岐のところを真っ直ぐに進み、右へと抜ける道を進めばいいかな。硯山(※1)の南っていうと、確か魚の養殖場があったはずだから、そちらへと向かえば問題なさそうだ。

 横目で雛里を見ると真っ赤になったまま、少し俯いてオレの手に引っ張られるまま歩いていた。もちろん、繋いだ手は嫌がられてはいないようなのでしばらくはこのまま、繋いだままでいようと思う。

 

 

「……李姓さん」

「ん?」

 

 雛里がオレの名を呼んだのは分岐を真っ直ぐと進み、しばらく進んでから右へ折れる道を見つけて、そちらへと足を踏み入れてからだった。まだ繋いだ手は離していない。とりあえず道を間違えた可能性があるので足を止めると、雛里もオレに倣いすぐ横で止まる。

 

「道、間違えた?」

 

 そう聞くと、少し驚いたような顔を見せ、すぐさま「い、いいえっ! ちがいますっ」とこたえてくれた。ふむ、ならば足が痛いのかと目星をつけ雛里の足元をみてみると、オレの視線を追ったのか、雛里も自分の足を見て慌ててもう一度「ち、ちがっ…ちがいましゅからっ!」とこたえてくれる。

 うーん、ならどうして名前を呼ばれたんだろうか。真っ直ぐに雛里の目を見つめると、彼女は伏目がちでオレとの視線を外しながら口を開いた。

 

「あわわ…さ、さっきは……その、あわ…なぜわ、笑ったんです…か?」

 

 さっき笑ったというと、今のようにあわあわしてる普段の雛里と、真面目な表情で力強く献策をする雛里の違いに思わずってやつか。そのまま伝えるとなんだかまた怒りだしそうだし、どう言ったもんかなあ。

 

「たいした意味はないよ」

「そ、そんなことないでしゅっ! ですっ! 笑ってましたっ! わたっ……私、変なこといってませんっ……あう、多分…い、いってないはずでしゅっ」

「まー、まー、落ち着いて。雛里は変なこと言ってない。ただ、そうだなぁ。真面目に言ってくれてたのに最後の最後に不安そうに見上げてきたところが、すごく可愛かっただけさ」

 

 オレの言葉を理解したとたん真っ赤になって俯く雛里に声を立てて笑ってから、止めていた足を再び踏み出した。繋いだ手をゆるく引っ張りながらまだ固まっている雛里を促すと、小走りでその距離を埋めてこちらをちらちらと盗み見してくる彼女に笑みが漏れる。おおっと、これ以上笑っちゃうとまた叩かれちゃうか。声を立てしまいそうになる笑みを飲み込みながら、今日の宿屋である小屋に向かった。

 

 

 「正直に言おう。放置されている小屋は、人が住めるものじゃない!」

 

 しん、とした部屋に怒声があがる。しかし誰からの反応も無く、オレは肩を落として肩についた埃を払った。さっきの台詞で大体は察してもらえるかと思う。ようやくの思いで到着した小屋の扉を開けると、そこは埃の住処だった。いや、わかってたんだけどさ。それでもこれは酷すぎる。なんて言ってても仕方が無いわけで、とりあえず何日も住むわけじゃないし、何より野宿よりはマシだってのはわかるんだけど。そう心の中でぶつぶつと言いながら、元寝台と思わしきところをさっき折った木の枝葉っぱつきを使い、積もっていた埃をはらった。もちろんそうすることにより部屋の中に埃がまうわけで、ごほごほと咳こみながらもしかして野宿のほうが楽なんじゃ、などという悪い考えが過ぎってしまっても仕方ないとオレは思う。ああ、もう、やだ埃やだ。床下へと落とした埃を屋外へと移動させて、絡まった蜘蛛の巣に悪態をついた。

 雛里は外で小枝を拾ってくることになっている。最初はオレが外で小枝や木の実を拾う予定だったのだけども、雛里がどうしてもといってオレが中で埃と格闘することになった。まあ、背の低い雛里がこの埃と戦うとしたら、三十秒もしないうちに敗北しちゃうだろうな。かの鳳雛と呼ばれし軍師殿といえども、この埃には敵うまい。

 そこまで考えて、オレは首をかしげた。どっかで聞いたことあるフレーズだよな。だいたい鳳雛ってなんだ。 鳳統士元雛里、略して 鳳雛ってことかよ? 安直過ぎる。

 ながい嘆息を吐き出してオレは頭を振りこの馬鹿げた思考を隅へと追いやった。そういやそろそろ用を足したい。そっと自分の下腹部へと手を置くとチラリと入り口を見た。どうやら雛里はまだ帰ってくる様子はない。もう少し待てないことはないけど、ぎりぎりまで我慢して何かあって漏らしちゃうと、お漏らしっ子という汚名をきてしまうことになる。それだけは避けたい。少し考えた結果、小屋を出て地面に書置きをしていおくことにした。まあ、そんなに時間はかからないと思うけど、心配させたくないよな、やっぱ。がりがりと地面を削り、どうにか読める文字になったものを確認すると、オレは立ち上がり花をつみに向かった。

 

 用を足したときってなんでこんなに清清しい気持ちになるんだろ。鼻歌交じりにオレは草むらをかきわけながら道へと戻る途中、ふと雛里とのやりとりを思い出した。あの時、雛里はもじもじとしながら懸命に外に小枝拾いに行くと主張していたんだけど、もしかして雛里も用を足したかったとか? 一緒に暮らしてたときもそうだったよな、たしか。用足しとかなくて大丈夫? とか言ってもすぐさま真っ赤になってあわわ言ってたし。うーん、こんな自然の摂理でいちいち照れてたら、身が持たないよなぁ、雛里の。まあ、恥ずかしいといえば恥ずかしい気もするからわからなくもないけど、どうにかしてそこの照れ部分を上手いことする方法考えないと。

 人の手のはいっていない自然は逞しいというか、もっさりと茂った草や葉をかきわけながらも雛里との今後のことをぼんやり考える。そろそろ雛里は帰っている頃だろうか。地面の書置きを読んでもらえてるとありがたいのだが、如何せんオレから見てもどうにか読めるぐらいの文字だから、気付かずにオレが居ないと慌てていないといいけど。

 しくじったな、小屋のすぐ裏手にすればよかった。覗かれたらまずいと言うわけじゃないが、さすがにトイレ中に出くわしてしまうと恥ずかしいという思いがあって、少し遠めの場所を選んでしまったのが敗因か。小走りで小屋へと続く道のりを行くも、ガサガサガサという葉の擦れる音が聞こえ、速めた足取りを緩めることにした。

 突然の自然の摂理により小屋を離れたオレは、雛里に合流するために好き放題に生えている草を掻き分けながら、もとの小屋へと戻った。いや、戻ろうとしたというのが正しいのだろうか。排泄物を垂れ流しているところを雛里に見られたくないために距離を稼いだのが、運の尽きともいえるだろう。足早に進んでも、直ぐには到着しなかった。あと少しで小屋が見えてくるだろう、そういったぐらいの距離だった。葉の擦れる音が、オレの中の違和感を刺激する。思わず速度を緩めると、その時、一つの声がオレの耳に飛び込んできた。

 

「――っ!!」

 

 声というよりも、切羽詰ったようなそんな音だった。そう、女の子の悲鳴。オレは慌てて声のした方へと向かって、今まで以上に全速力で向かう。これが、雛里だったら! そう思うと、背中に冷たいものが流れたように思えた。がむしゃらに走る、葉が擦れ不信な音が流れて相手に気付かれようとも、構わなかった。否、それすらも気にしていられないぐらいの動揺をオレはうけていた。

 そして向かった先で見たものは一人の刃物を持った男と、蹲り、被った魔女のような帽子のつばを握り締めながら小さく小刻みに震え、その大きな瞳に大粒の涙を浮かべた……雛里だった。

 

「雛里っ!!」

「……っ!!」

 

 思わず、オレは大声で雛里の名前を呼んだ。この感覚をなんと呼べばいいのかわからない。だが、心の奥底から、揺さぶられる何かがあった。ただ突き動かされるように、オレは男の元へと向かって突進し、右の肘を相手へとぶちかますように体当たりをかます。

 男はオレの声に驚き、振り向いた様子だった。まるでスローモーションのように、その様子が目の前で繰り広げられたが、そんなことは今のオレには関係ないことだった。相手の身体へオレの右肘がめり込んで、男に覆いかぶさるように地面へと転がる。衝撃がオレを襲ったが、それよりも男の持っていた剣へと意識を向けた。剣を持つ手が緩んでいる。しめた! そう、心の中で叫ぶと相手の手から剣をもぎ取った。転がるように距離をとりながら立ち上がる。男もわき腹を押さえながら立ち上がってきた。その視線は鋭く顔が真っ赤になっていて、この現状に怒りをもっているようだ。

 

「なにしやがる……っ!」

 

 うめき声にも似た言葉が男から吐き出される。それこそ、オレが言いたい。雛里になにしやがる、と。男の言葉は理解できていた。それについてもオレは理性的に心の中でだが返答できていた。後からこの出来事を思い出すたび、本来なら怖いと思うところなのではないのかと不思議に思うところなのだが、この時はまったくそんなことなど思いもよらなかった。そう、言うなればこの男を殺すことしか考えていなかったのだろう。掴んだ剣を握り締めると、オレは男の首元へと向かって切りかかった。

 ザシュッ。そう音がした気がした。その手ごたえに顔を顰めるも、食い込んだ剣をどうにかしようと男の身体に蹴りをいれ、剣を引き抜く。剣が打ち込まれた箇所から、噴出すような赤い液体が飛び出してきた。むせ返るような臭いに、先程に似た心の奥底から突き動かされるようなそんな衝動を覚え、地面へと吸い込まれる男の身体の、血が吹き出るその箇所へもう一度剣を振るう。引っかかるような感覚があったが、無理やり横へとなぎ払うように動かした。男の身体が地面へと吸い込まれると、その片割れが少し先に転がる。

 

 現状を簡単に説明すると、オレは追い詰められていた。

 だから咄嗟に身体が動いてしまって、起こった事に対しての状況の見通しやそのときに感じるであろう感情なんて考える暇も無かった。呼吸も荒く、肩で息をしている状況だ。脳に酸素が足りていないのか、目の前に映る状況と自分とに透明の板があるかのように、現実が遠く希薄に感じる。ふと視線を落とすと握り締めた柄の先の剣身には赤くどろっとしたものが着いていた。地面には先程までオレを殺そうとしていた男が倒れていて、その身体にくっついているだろう頭は、少し離れたところに落ちている。

 まだ息は整わない。切り落とされた断面は綺麗なものとはお世辞にも言えず、到底肉屋にはなれないであろう切り口だった。物盗りの持つ剣を奪ったためか剣の質も低かった所為もあるが、オレの武術の才が高ければもう少しマシな切り口だっただろう。

 深く息を吸い込み、ゆっくりと細く息を吐き出した。なぜかまだ息が整わず、額に浮かんだ汗が頬を伝い顎から大地へと零れ落ちる。黒く変色しつつある地面から視線を手元へと移せば、握りこんだ剣ごと細かく揺れていた。

 そこでようやく、オレは自分が震えていることに気づいた。

 

「……っ」

 

 希薄になった現実との間に挟まっていた透明の板が消え、いま起こった出来事が現実としてオレの中で認識できたその瞬間。目の前に転がっていた死体が、世界が、かき消されるように消えた。それはまるで映像が切り替わるかのような、そんな不思議な感覚だった。

 

***

 

  気づいたらオレは別の所に居るようだった。先程と同じようにオレは剣を右手に握り締め立っていた。そこはどこかの部屋の中みたいで、飾りは必要最低限、されど置いてある品は質の良いものばかり。緑色を基調とした部屋の造りで、仕事場なのか机や棚が部屋の殆どを占めていた。机の上に積まれていたであろう竹簡が机の周りを中心に床のあちこちにばら撒かれており、墨汁も硯から零れ、机の上から床へと向かって滴り落ちている。何本もある筆もやはり床に転がり、そして人が倒れていた。

 先程の物盗りとは違う、女性の死体だった。オレは慌てて近寄ろうとするも、身体がいうことをきいてくれず、一歩も動くことは出来ない。不思議に思い、右手を前に突き出すように動かそうとしてみるも、やはりぴくりとも動かない。指一本動かせないどころか、首や視線すら動かすことが出来ずに、石像になったようにその場に立ち尽くす。じんわりと汗をかいていた。自分の自由が利かない状況と負荷、それに理由のわからない焦燥感。心臓の音が早く、大きく鳴っていて外に漏れ出しそうなぐらい緊張している。張り詰めた空気の中、竹簡がぶつかった音が室内に響いた。

 

「……あぅ」

 

 がたっという音の後に、小さな声が聞こえる。聞き覚えのある、女の子の声だ。オレの視界がゆっくりと音の鳴った方へと移り、一歩また一歩とその距離をつめる。その子は机と椅子の間、床へと腰座りこみ魔女のような帽子のつばを握り締めながら、小さく震えつつもこちらを見上げてきた。

 大きな瞳だ。大きな帽子から青紫の色の薄い髪が見えている。怯えと困惑と悲しみが混ざったその眼差しに、口端からチリッとした痛みを感じた。

 

「ど、どうして、こんなことを、……す、するんですか?」

「……思いつきさ」

 

 その身体と同じように、震えるような声で問いかけてきた言葉に、唇が開かれた。オレよりも低い声で、その質問の答えを返す。それは無慈悲な台詞で、視線の先で小さくなって怯える少女の大きな瞳から透明の滴が何度もぼろりと零れ落ちた。

 

「……わ、わ、わたしゅ、たち…には、……よ、用が、なくなった、……ぐじゅっ…ふぇ…から、です…かっ」

 

 しゃくりあげながらもこちらを見上げ必死に言い募る姿に、オレは訳のわからない状況にもかかわらず弁解をしたくなる。泣かないでくれ、オレの中で君はとても大事な人なんだ、そんな悲しいこと言わないでくれ。そう、言葉を紡いで彼女の涙を少しでも止めたかった。必死で言い募ろうとするも、この身体はピクリとも動かない。そしてまるでオレをあざ笑うかのように、嗚咽を漏らす少女へとこの身体は小さく笑い声を漏らした。

 柔らかい笑みだった。視界が細まり両方の口端が少し持ち上がる。それと同時に右手に持った剣の柄を両手で握り締め、大きく頭上へと振りかぶった。少女は大きな瞳をさらに大きく開き、「ぁ、ぁ、あ、ぁっ」と短く声を漏らす。彼女は動かない。いや、動けないのか。真っ直ぐにオレを見つめその現状に心を震わせる。

 

「俺は、今までも、これからも。……皆が大好きだよ」

 

 まるで愛してやまない相手へ伝えるかのようにゆっくりと紡がれた言葉は、剣を振りかぶっているオレの動作とはそぐわない内容で。大粒の涙を零す少女の表情にも困惑が見えた。聞こえるか聞こえないかの、とても小さな声で疑問を投げかける呟きが少女から漏れたが、その返事はなく。

 

 「……ゴメンな」という囁きとともに、振りかぶっていた剣が振り下ろされた。




※1  正しくは峴山(ケンザン)。文字化けそうな気がしたので当て字にしました。
※2  沔水(ベンスイ)って漢水の上流とかなんとか調べてたらあったんですけど、どこから漢水でどこから沔水なのやら、おなじなのやら、よくわからなくなってきたので、ふいんき(何故かry)で感じ取っていただけたらさいわいです。
※3 一部文章つけたしました。Webって便利!……本当に申し訳ありませんでした。

<修正>
2013/08/11 追記
2018/05/09 スペースなど文字調整
2018/05/19 サブタイトル修正

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