今回は主人公の謎が全部じゃありませんが明かされます。
未だに喧騒と火の手が止まぬ四葉の屋敷
その一角で、数人の魔法師を引き連れる女性達の姿があった。
「はぁ……はぁ」
「姉さん」
「大丈夫よ。心配しないで」
豪華なドレスに身を包んだ女性、真夜の言葉に胸を押さえている女性、深夜は言葉少なに答えた。その顔色は良くないむしろ非常に悪い。
あの時、真夜に襲いかかった穂波を止めたのは深夜の魔法だ。
深夜の精神構造干渉魔法、これにより穂波の動きが一瞬だけ止まりその隙に周りの魔法師の魔法によって難を逃れたのであった。
しかし、深夜の体は数十年に及ぶ魔法の過行使によってボロボロになっている。そんな状態で無理やり魔法を使えばどうなるかは論ずるも愚かだ。
「はぁはぁ、全く言う事を聞かない体ね」
壁に手をつきながら、深夜は走った事だけが原因でない荒い息を無理やり整えようとする。
「状況は?」
「今は駐在していた一族の者が止めていますが、何分あの障壁を破る事が出来ず苦戦しています」
深夜の時間を稼ぐ意図で真夜は近くにいた魔法師に声をかけると、思った通り芳しくない報告が帰って来た。
「流石は『桜』シリーズね」
四葉の魔法は精神に干渉する魔法が多い分、物理干渉はあまり得意ではない。不得意分野の魔法では穂波の障壁を貫けないのは自明の理だ。更にお得意の精神干渉も問答無用で逸らされ、無効化される。
あの少年、四方坂和人を引き取ってから二年間、秘密裏に研究していた成果から対象に危害を加える意図があれば魔法逸らし(魔逸らしと研究員は名付けている)が発動することはわかっている。
深夜が発動した魔法は精神に直接行動の停止を促すもので危害を加えるものではなかったので一瞬ではあるが成功したのだ。
強固な物理障壁と、理解不能なうえ突破不能な魔逸らし
四葉がいかに優れた魔法師集団でも、否、世界中のどの軍隊でもあれを倒すのは絶望的といってもいい。
今は一族の魔法師が、対象を『目的に向かって進んでいる』と誤認させ、同じ所をぐるぐると進ませ足止めする魔法、大亜連合内では『石兵八陣』と呼ばれている魔法で時間を稼いでいる状況だ。
本来なら足止めし無防備になった所を他の魔法で倒すまでが石兵八陣なのだが、魔逸らしのせいで足止めが限界になっている。そんな事実に真夜が溜息を吐くと
「奥様」
とそこに何処から来たのか葉山が真夜のもとにはせ参じた。
「葉山さん、彼は?」
「……申し訳ありません」
真夜の言葉に葉山は少し間をおいた後、ただこう答えた。
申し訳ないと
「そう」
深夜や周りの者には言葉の足りないやり取りのように感じたが、真夜のどこか満足げなそれでいて寂しげな表情から二人にはこれで十分なようだった。
その頃、少年は、四方坂和人は走っていた。どこかはわからない。何処に行きたいのかもわからない。ただここではないどこかへ、ただただ目的もなく走っていた。
「はぁ、はぁ、っ!ちくしょう……!」
だが特別鍛えているわけでもない13歳の子供の体、直ぐに走る気力が尽きてしまう。
和人は膝に手を置き、荒く息をつく。奇しくも深夜が荒い息をしているのと同じ時刻であった。
確かに自分に特別な力があるなんて思っていなかった。前世でも普通の人間として生活していたし、ここでも鉄火場とは無縁で過ごしてきた。
血生臭い戦場なんて経験した事もなければ経験したいとも思わない。
だが、四葉家を、今までお世話になった人間を見捨てて逃げる程、意気地のない人間だとは思わなかった。
「なんだってんだよ……っ!」
今更戻ったって何が出来るわけでもない。足手纏いになるだけだ。それなら安全が確認できるまで避難した方がいい
「なんて事考えてんじゃねぇよ!くそったれ!」
腹立ち紛れに地面を蹴るが状況がどう変わるわけではない。
もう頭の中がぐちゃぐちゃでまともに考えごとも出来そうにない。
虚ろな思考と目のまま足を踏み出そうとし
「おい!そこの坊主あぶねぇぞ!」
「え?」
けたたましいクラクションが響き目一杯にライトの光が写った。
それが車のヘッドライトだと気付いたのは随分と後だった。
鈍い音と衝撃に和人の意識は強制的に闇に閉ざされる。
「お……さい」
「……ぅ」
「起きろこの野郎」
「でっ!?」
スパーンと小気味いい音が鳴り響き、和人の意識は鼻の痛みと共に無理やり起こされる。
周りは真っ白い空間に包まれており、いるのは和人と後一人、ハリセンを構える少女であった。
「あんたは確か」
「久しぶりですね」
「コンドル神」
「その呼び方は止めて貰えます!?」
和人はその少女に見覚えがあった。この世界に来る前、前世から和人を転生させた神(自称)だ。
「全く、せっかく特別に助けてあげたのに」
ぷく~と頬を膨らませる姿は外見だけなら年相応の可愛らしいものだったが、実際の年齢がわからない以上無理すんなwwwと言ってやりたい。
それより聞き流せない事があった。
「助けた?」
「そうですよ?あなた車に轢かれそうだったんですから」
マジかよと和人は頭を抱える。
「戸籍を得て加護がなくなった瞬間に死ぬなんて洒落になりません。もう少し気をつけて欲しいですね」
「加護?」
「あぁ、そういえば話していませんでしたね」
和人の言葉に神(自称)はきょとんと首をかしげるが直ぐに合点がいったように頷くと改めて和人に向き直る。
「いい機会ですからお話ししますよ。あなたの身に何が起きているのか」
流れるような黒髪が印象的な神(自称)は語り始める。
「まずは加護についてですね。
簡単に言うと、別世界に転生させた際、その人が安全に暮らせるまで、正確に言うと戸籍を得るまでその人に危害を加える全てを無効化させるという加護を施しています」
転生されて直ぐ野垂れ死にされると私も困りますのでと言いたし神は和人を見る。
「確かに、となると俺は運が良かったのか」
「まぁ、そうなりますかね」
神の物言いに含みを感じたが今はそんな事を気にしてる余裕がなかった。
「ただこれには例外がありまして」
「例外?」
「自傷、つまり自分で付けた傷なんかは対象外なんですよ」
言いながら神は自身の首を親指で掻き切る仕草をする。
「つまり、自分自身が危害を加えようとした場合は無効ってことか?」
「そんな解釈でいいと思います」
(あれ?それじゃあ沖縄のあれは……?)
あの時を思い出し、和人は眉をへの字にする。そんな様子を知ってか知らずか神はそのまま話を続ける。
「次にあなたの名前についてですが」
「名前?」
「あなたの本名ですよ、思い出せないでしょう?」
「それが何か関係あるのか?」
和人の訝しげな声に神は人差し指を彼の胸に向ける。
「大ありです。名前が思い出せない理由、それは転生の際に奪われたからです」
「は?」
「詳しく言うと、あなたの魂は転生時に幾つかに分かたれ、その魂があなたの名前を奪い、この世界に転生を果たしているのです。
そして残った体には残った魂が乗り移り、四葉の屋敷に転生した」
「それが俺……か?」
「そうです」
余りにも話が壮大過ぎて付いて行くのがやっとというとこだが、目の前の神にウソを言っている様子はない。
「つまり、この世界には俺の魂の一部達がいくつも転生してるってことか?」
「理解が早くて助かります」
そして、と神がここで眼を伏せる。なんとなく彼女が言おうとしている事を察し和人の顔も渋いものになる。
「今、四葉の屋敷で暴れまわっている存在も転生者、つまりあなたの魂の一部です」
「なっ!?」
「名前は『仁』
あなたの本名の内、一文字『仁』の名を持つ存在です」
「ちょ、ちょっと待て!」
和人は神の肩を思わず揺さぶりながら神の言葉を遮る。
「俺が?俺自身が四葉を、真夜さん達を殺そうとしてるって事か!?」
自慢じゃないが俺は人様を殺そうなんて考えた事もないし、度胸もない。そんな俺がよりにもよって四葉を殺そうとするなんてにわかには信じがたい事だ。
「正確にはあなたの一部です」
神は和人に乱暴に肩をゆすられても顔色一つ変えずに言葉を続ける。
「人は例え魂が同じであろうと、育つ環境によってありようが大きく変わります。始まりこそ同じであっても、今となってはもう別人と言ってもいいでしょうね」
「なんてこった……」
それなら、その『仁』って奴は俺が辿るかも知れなかった未来ってことじゃねぇか……!
俺自身が、俺のもしかしたらの未来が、俺の大切な物を壊そうとしてるっていうのかっ!
「ちくしょう!」
止めなきゃならない、他ならぬ俺自身が
「ちくしょう!ちくしょう!」
勝てるかなんてわからない、まだ足の震えが止まらない、恐怖を隠しきれない
「ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉ!」
それでもいかなきゃならない、誰に負けてもいい、誰よりも弱くて構わない。だが俺のIFの未来に、俺自身には負けたくない。今ここにいる俺の未来が間違っていたなんて思いたくはない。
ひとしきり叫んだ後、和人は神に背を向け歩き出した。
足取りは重く、その顔は泣きそうに歪んでいる。
情けなくとも、頼りなくとも、それは生存本能ではなく自分の意思で決めた一歩であった。
精神とは、残酷な本能に打ち勝つ強き意思
人間だけが持つ、人間だけに許された強さ
その強さが、今和人の足を進ませる。自らの居場所の為に、自分の大切な者の為に
「はぁ~、仕方ないですね~」
その姿を見て何を感じ取ったのか神は呆れてるとも、喜んでいるともとれる声色で独り言のようにぼやく。
「もう少しだけサービスしてあげますよ」
振り向いた和人に向かって、神はウインクしながら軽い調子で言った。
(ふん、そろそろこの体も限界か?)
所変わり、ここは四葉本邸、廊下の一角で四葉の魔法師が行使している魔法『石兵八陣』により同じ所を繰り返し歩かされている穂波、の精神に潜む『仁』は自らが乗っ取った体を冷静に分析する。
この体は今まで乗っ取った中でも最高級に値する身体能力と魔法力を有している。だが調整体という出生からか魔法を行使するたびに寿命が削れていくのが見て取れる。
そして、穂波の体はそろそろ魔法行使が思うように出来なくなりつつある。
(かの四葉の魔法も堪能したことだし、別の体を確保するとしようか)
足を止め、『仁』は穂波の体で酷薄な笑みを浮かべた。
大亜連合内でも正体を知る者がほとんどいない『仁』
その正体は、あらゆる生物の体にとりつき、精神を乗っ取る精神のみの存在だ。
彼の自我が目覚めた時、彼は暗い森に潜む昆虫の中で、物質界でもないイデアでもない、たったひとりの孤独な世界で漂っていた。
覚えているのは『仁』という一文字と自分の能力についてだけ
ある人物に存在を認知されるまで、動物や人間にとりつきながら、この世界から消えないように日々をただただ生き延びていた。
彼の能力は『精神憑依』
視界に入る生物の精神を乗っ取りその生物の持つ記憶と能力を意のままに操る能力
その能力をもって彼は潜入捜査や暗殺に従事しその全てを成功させてきた。
あらゆる組織が彼の正体をつかもうと躍起になったが、身体のない精神だけの存在、言うなれば幽霊にも近い存在を補足など出来る筈もなく、正体不明の『仁』という名称だけがまことしやかに噂話のように囁かれるだけであった。
(これが終われば……)
仁は穂波の顔で笑みを更に深くする。彼には大亜連合への忠誠心などない、精神だけの人間ともいえない存在故に国という制度に何の価値も見出せないのだ。当然のことではあるが改めて『仁』という存在が規格外なのがわかる。
ならばなぜ彼は表向きとはいえ大亜連合に従っているのか?
理由は大亜連合で唯一『仁』と接触できる人物が持つ術にあった。
その人物は身体に仮の精神を宿らせる術式を用いる事が出来た。
ならば、『仁』という精神を身体に宿らせることも可能ではないか?
そう、自分だけの身体を得る。それが彼の目的であった。
仁という名前だけはあれど、それを証明するものは精神の観測が事実上不可能な以上存在しない。彼はこの世界に生きているようで生きていない、人間なようで人間でない。そんな宙ぶらりんな存在だった。
そんな彼の孤独は想像を絶する。自分を確立できるモノが存在しない。今でこそ仁は精神体としてここにいるとわかるが、いつ消えてしまうかもわからない。消えてしまっても弔うものもない。
仁などというモノではない。身体を得て、自分という存在を確立する。
それこそが彼の目的であった。
(さぁ、終わりにしよう)
仁は止めていた足を再び目的地に向けた。
今度は魔法にまどわされた目的地ではなく本当の目的地へと
「なに!?」
驚いたのは四葉の魔法師だ。石兵八陣は確かに起動している、にも関わらず敵は惑わされる事なく歩を進めている。
「効いていなかったのか!?」
その問いに応えるものなどいる筈もなく、加重系魔法で動きを止めようとするが
「無駄だぁ!」
一瞬で間合いを詰められ、ひざ蹴りで意識を刈り取られた。
魔法師は壁に叩きつけられずるずると床に沈む
「くそっ!」
「とまれ!」
他の魔法師も仲間が倒されたのを見て、慌てて魔法を行使するが、穂波に触れようとした瞬間あさっての方向に標準がずらされ不発に終わる。
穂波はそれに目も向けず走り出す。恐らく当主の元に向かって
魔法師は自己加速術式で追うが、穂波はそれ以上の速さで駆け抜け追いつくことが出来ない。
穂波はそのまま廊下の窓を突き破る。魔法師が追いつき窓から顔を出すと、そこには影も形もなかった。
「逃がしたか!」
「くそ!報告と警戒を!」
魔法師達は逃がした事実に焦りを覚え直ぐに周りの者に指示を飛ばし、自らも使命を果たす為駆ける。
「奥様、侵入者が石兵八陣を突破したようです」
無線から届いた報告に顔を顰めたのち、葉山は椅子にかけた真夜に頭を下げながら恭しく述べる。こんな状況でも情緒を失わないのは流石と言える。
ここは数ある応接室の一室、体調の悪化が深刻になった深夜の為に、これからの対策の為に、考える時間が必要だと、この部屋に閉じこもる事にしたのだ。
「いつまでも時間は稼げないと思っていたけど、予想より早かったわね」
流石の真夜にもいつもの余裕の笑みはない
「多分だけど、あれは『仁』でしょうね」
「仁?」
聞いた事のない単語に深夜が首をかしげる。先ほどよりは回復しているようだがまだ顔色は良くない。
「正体不明とされる魔法師のコードネームよ」
「正体不明?」
「えぇ」
正体不明、それは四葉の力をもってしても『仁』の正体がわからなかったという事だ。深夜は知らぬ事だが、真夜にはもう一つ、四葉とは別口の情報収集手段があるがそれでも『仁』というコードネームと彼の仕業と思われる手口しかわからなかった。
今の状況はその手口と非常に酷似している。真夜が『仁』の仕業と断定したのは確信があったわけでなく数少ない判断材料から推察しただけである。だが、それでも彼女はこの推測が正しいと勘で理解していた。
(さて、どうしたものかしらね?)
まだ取れる手段はいくつかある。だがそれも有効だとはとても思えない。未だに魔逸らし突破の糸口すら掴めていないのだ。残された時間も少なく、最悪屋敷ごと爆破も視野に入れるべきだろうか
思考の海に沈んでいた真夜の意識を扉をノックする音が表層に戻す。
「何者だ?」
葉山が固い声で扉の向こうに声をかける。周りの者も自然と警戒を強めるが
「私です。青木です」
序列第四位の執事である青木であるとわかり、少しだが警戒が緩む。だがまだ油断はできない。
侵入者が本当に『仁』であるなら
葉山は真夜に目配せをし、真夜が頷いたのを見て静かにドアの前に立つ。その手には装飾拳銃が握られていた。
「青木、今からいくつか質問する。正直に答えろ」
「は、はい」
葉山はドア越しに青木本人にしか答えられないであろう事を幾つか問うが、青木はそれら全てに淀みなく答えた。
「よし、今から扉を開けるが、後ろを向き手を頭の後ろで組め。すまないがこれも念の為だ」
「わかりました」
聞くだけなら相当理不尽な事を言われているのだが、青木はそんな事をおくびにも出さず即答した。性格に多少難有れど、四葉の金庫番でもある青木の忠誠心と能力は本物である。
葉山が装飾拳銃を構えながら扉を開けると、青木は言われた通りの格好で扉の前に立っていた。
「ゆっくりと入れ」
葉山に言われると、青木はゆっくりと後ろ歩きで歩を進める。青木の目線の先には窓ガラスがあった。
常日頃の手入れが行き届いているのだろう。窓ガラスは光を透過し外の景色を映し、また一部を反射し部屋の中を映していた。
深夜は何気なしに窓ガラスを見、そこに映る青木の目を見た途端
「っ!葉山さん!駄目!」
言いようのない寒気とおぞけが襲いかかり深夜は思わず叫ぶ。この感覚は、穂波が急におかしくなってきたときの感覚に似ていた。
葉山は深夜の言葉に直ぐに引き金を引こうとするが、窓ガラスに映る青木の目があやしく輝いたのを見て間にあわないと深夜は直感的に悟った。
ここにいる者には分からぬ事だが、『仁』の精神憑依は乗っ取った相手の能力、および記憶を自由に操る能力、例え本人にしか答えられぬ質問であろうと記憶に残っているのであれば彼には意味をなさない。更にもう一つ、精神憑依には条件がある。それは、憑依する相手を視界に入れる事、つまり相手が見えないと憑依出来ないのだ。
裏を返せば視界にさえ入ればどんな生物にも憑依出来る。例え窓ガラスの反射に映った像であろうと視界にその人物が写ったのであれば憑依の対象になる。
青木の身体が糸の切れた人形のように床に倒れたのと、深夜が身体を引きずって真夜の前に躍り出たのは殆ど同時だった。
「姉さん!」
真夜が崩れ落ちた深夜に駆け寄ろうとするが、彼女自身がそれを手で制す。
「来ちゃ……だめ」
深夜は息も絶え絶えに何とか声だけ絞り出す。その表情は今までで一番苦痛に満ちていた。
(馬鹿な!俺の精神憑依に抗っているだと!?)
青木から深夜に憑依した仁は驚愕で混乱していた。今まで憑依してきた中でここまで明確に抵抗されたのは今回が初めてだ。
確かに今憑依している司波深夜、旧姓四葉深夜は精神構造干渉魔法の使い手として、精神の最も深い所を覗き見てきた魔法師だ。彼女なら精神憑依にもある程度の抵抗が出来たとしても不思議ではない。
果たして彼女がそこまで考えて自分を憑依させたのかは定かではないが
(ちっ、仕方あるまい、この体はボロボロで使い物にならんし、なんとか四葉真夜を視界に入れる!)
極東の魔王と呼ばれる魔法師、そんな人物に憑依出来ればこの状況に決定的なトドメをくれてやることが出来る。
そう思い、抗う深夜の意識を無理やりねじふせ、視線を真夜へと送るが、真夜を視界にとらえたと思った瞬間その視界が闇に染まってしまう。
(くそ!瞼を閉じやがった!)
仁は無理やり深夜の目を開こうとするが、深夜の抵抗も壮絶でなかなか身体の主導権を渡さない。仁はいわば精神というプログラムを犯す精神ウイルスだ。専用ソフトでもない限りウイルスが撃退出来ないように、深夜の身体もいつかは乗っ取られてしまうだろう。
だが、今この時間が深夜にとっては貴重なのだ。
「は……やまさん」
深夜は眼を無理やり閉じたまま、葉山に声をかける。
「銃を……」
深夜の言葉に葉山は難色を示す。渡した途端、真夜に銃口を向けるとも限らないからだ。
「葉山さん、言うとおりにして」
「奥様……」
しかし、他ならぬ真夜からそのように言われてしまっては葉山としては渡すしかない。
深夜は震える手で葉山から銃を受け取ると銃口をを自分のこめかみに当てる。
「!」
「姉さん!?」
流石にこれは真夜も予想外だったようで驚きを隠さず声を上げる。
(しまった!?これはマズイ!)
深夜の精神を乗っ取っている仁も深夜の行動に焦燥を隠せない。仁を護る魔逸らし、彼は長年の憑依で、魔逸らし、神の加護は自傷には効果を発揮しないのを知っている。
深夜の身体を完璧にではないが乗っ取った仁、もし深夜がこのまま深夜の身体を銃で貫いた場合加護はこれを自傷行動ととってしまうのではないか?
今深夜の身体には二つの精神が存在しており、自分という定義が非常にあいまいになっている。もし片方の精神が自分の身体を傷つけた場合、加護がこれをどう解釈するのかわからない以上、魔逸らしを過信は出来ない。
当然、仁は精神のみの存在である為、銃弾で直接死ぬことはないが、今は他人に精神を映す事が出来ないという点が問題になる。
他人に精神憑依し避難することが出来ない以上、身体が生命機能を停止すれば精神もそれに伴い停止する事になるだろう。
仁はその限りではないかもしれないが、そうでなくても、身体のない精神が何処に行ってしまうのか想像もしたくない、今までそのような状況になった事がない以上、このまま自殺行為を見逃すことはリスクが大きすぎると感じていた。
(くそ!やめろやめろやめろぉぉぉぉっ!!)
仁は必死に深夜の身体の制御を乗っ取ろうとするが、最後の抵抗とばかりに深夜の身体はピクリとも動かなかった。
「深夜様!おやめ下さい!」
葉山には深夜が乱心したように映ったのだろう。直ぐの深夜の拳銃を奪おうとするが
「来ないで!」
深夜の乱心したとはとても思えないしっかりとした声で止められてしまった。
「私の中の仁が焦っているのがわかるわ。理屈はわからないけど、今の状況は彼にとっても良くないみたい」
ここで、深夜は顔を上げる。眼は閉じている為見えないが、きっと目を開ければ真夜がいるのだろう。
「真夜」
「姉さん?」
「私は、酷い姉さんだったわ」
深夜はふと微笑む。真夜はその微笑みに、今は記録でしかない、在りし日の深夜の姿を見た気がした。
「ごめんなさい。もうやり直すことは出来ないけど、それでも強く生きて……!」
「姉……さん」
深夜はこのまま死ぬつもりだ。仁を巻き込んで、それがわかった瞬間真夜の脳裏に昔の記録が蘇った。
「ねぇ。おねえちゃん?」
「何?真夜」
「もしおねえちゃんが当主になったら、私が助けてあげるね」
「なら真夜が当主になったら、私がちゃ~んと支えてあげる」
「ホント!?約束だよ!」
「えぇ、約束」
遠い昔に戯れにも近く、現実も知らない無垢なる時に誓った願い。それを深夜は果たそうとしているのだろうか?
「……駄目」
「さよなら、真夜」
「駄目っ」
「それと、本当にごめんなさい」
「っ」
深夜の指が引き金に掛かるのを見た瞬間、真夜の中で何かが切れた。果たしてそれは昔の消え去った筈の過去の情動が呼び覚ましたものだったのだろうか?
「やめてぇ!おねえちゃん!」
深夜の指が引き金を引く瞬間
「どおおおおおおららららららああああああああ!!」
ガッシャーン!と派手な音を立てて真夜の後ろの窓ガラスが外から来た何かに叩き割られる。
深夜以外全員の視線が窓ガラスに向く中、外からガラスを割った存在は派手に家具を転がりながら薙ぎ倒した後
「いってぇぇ!あの幼女神め、俺を思いっきり分投げやがって、着地失敗したらどうなるかと」
そんな事を言いながら横に倒れた丸机の向こう側からひょっこり顔を出した。
それはここ数年ですっかり身長が伸び、真夜を追い越そうとしている13歳の少年
それは数年たってもあいも変わらず周りを振り回す少年
そしてそれは、真夜が逃がした筈の少年だった。
「お、お前……!」
「こんにちは、あなたのジャック・サイモンです」
葉山も驚愕に目を見開く中、少年は、四方坂和人は相変わらず危機感もない顔であっけらかんと言ってのける。
「何、やってるの……」
「あ、真夜さん、遅れましたが今帰り」
「何やってるの!」
「うえ!?」
そんな顔がこの時ばかりは腹立たしく真夜は思わず怒鳴ってしまう。
「逃げろと言った筈よ!」
葉山を通じて間接的にではあるが、それを察せないほど、和人は鈍感ではないと思っている。
「なのに何故ここにいるの!」
正直、何故ここまで自分がいら立っているのかよくわかっていない
「ここはあなたのいていい場所じゃないのよ!」
もしかしたら、いやありえない事だが
「わかったら、早く行ってしまいなさい!あなたに相応しい世界がある筈よ」
感情のままに言い切り、真夜は落ち着きを取り戻す。ふと和人を見ると、驚いてはいるようだがそれでも自分の意思でここにいるのがわかる力強い目をしていた。
「確かに、ここは酷い所です。俺も何度、実験体にされかけたか」
「!和人、君は気付いていたのか」
「流石にそこまで鈍感じゃありませんよ」
葉山の言葉に笑いながらまるでなんて事ないかのように振る舞う彼の態度が理解出来なかった。
「そうよ、私はあなたに利用価値があると思って引き取った。実験台にもしようとした。いやなんどか実験もした。ここはあなたがいるべき場所じゃない」
そう、極めて普通で無害な彼がいていい場所じゃない、彼の居場所はもっと光のあたる場所こそがふさわしい
「こんな死の蔓延する四葉になんていなくていいのよあなたは」
「そうですね」
「だからはやく」
「だが断る」
いつだろうかふざけて同じやりとりをしたことがあるが、今回は状況がまるで違う。和人の目も言葉も真剣そのものだ。
「この四方坂和人の最も好きな事は、それでもあなた方がいるこの場所を守り抜く事だ!」
大切にしたい人がいるなら、無力でも守りたいと思えるひとがいるなら、例えそこが最低で最悪な地獄でもがむしゃらに飛び込むしかない、そこが地獄の底だと言うのなら自分の力で天国にしてやればいいだけの話。
泣きたくても、悔しくても止まってはいられない。もう止まらないと決めたのだ。
「まぁ、見てて下さい。さくっとやっつけちゃいますから」
地獄を知り、死を知り、恐怖を知り、それでも彼はあっけらかんと笑う。
さぁ、御覧あれ
ここからは主人公の戦いだ
もう逃げない