屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第二話 四章

 誰も通り掛からないであろう路地の中、俺とカミルは三人の男と相対していた。

 拳を構える俺達二人に対し、男達は腕を上げるでも無い自然な立ち方で道に広がっている。

 

「―――二人とも、ドロテー夫人の屋敷に向かうのかな?今日の所は大人しく寝ておいて貰いたいんだが」

「…誰に指示されて俺達を狙う?それともお前ら三人だけか?」

「それは言えないな。その様子では、こちらの言う事を聞いてくれそうに無いだろうしね」

 

 俺の質問を鼻であしらい、真ん中の男は薄ら笑いを崩さないまま両脇の二人に目で合図を送った。

 その瞬間、カミルが俺の左斜め前に踊り出る。

 

「下がって、あんちゃん!…あと、何か武器出してくれる?シンプルで強いやつ」

「―――い、いきなり言うなよ!?」

 

 咄嗟に壁を分解して手甲を錬成する。カミルに投げて寄越すと、真正面に立ち塞がっている男が意外そうな顔をした。

 

「おお、やる気か!―――お前達、すぐに終わらせろよ」

 

 促された両脇の男達が、一直線にカミルの方へ向かって来た。今気付いたが、この二人は結構体格が良い。急に、カミルなど一瞬で捻じ伏せられてしまうのではないかという不安が頭をよぎる。

 だが、カミルの体捌きは男達のそれよりも格段に素早かった。顔目掛けて放たれたパンチを上半身を傾けて避け、肘の当たりを掴んで固定すると、強烈な右の肘打ちを男の鼻筋に食らわせる。

 痛みに顔を押さえて蹲った男の頭髪を掴んで無理矢理起こすと、がら空きの顎を痛烈に殴り上げた。完全に男は無力化され、殆ど気絶に近い状態で地面に倒れる。

 一連の余りに鮮やかな動きに目を奪われていた俺だったが、もう一人の男が俺自身の方に近づいて来た事で我に返らざるを得なかった。

 カミルの強さを見て、俺を先に倒してしまった方が早いと踏んだのだろう。

 ―――賢明な判断だな。

 腕を構える俺に対し、男はいきなり飛び膝蹴りを放ってきた。助走の十分乗った膝は信じ難いほどのエネルギーでもって俺を吹き飛ばした。

 路地の壁に背中を打ち付けられて息が止まる。構えていた腕がクッションになったおかげで威力は多少弱まっていたが、それでも膝の当たった腕と背中は鈍い痛みを脳に伝え始めていた。

 

「―――カミル…!」

 

 自分一人でこいつを倒すのは至難の業だ、と本能的に感じた俺はカミルを呼んだが、当の本人は今さっきまで喋っていた男といつの間にか殴り合いを繰り広げている。

 即座に倒された男とは違ってかなり格闘慣れしているらしく、俺の目が一瞬捉えた限りではカミルとほぼ互角の様に見えた。

 ―――手伝いは望めないか。

 そう思った矢先だった。眼前の男が前蹴りを放ち、俺の肋骨辺りの皮膚が軽く擦り取られる。

 

「うわっ…!?」

 

 慌てて体を捻り、壁と男の体に挟まれている状況を脱する。

 ―――そうだ。俺は今こいつを相手にしなきゃならない。

 擦り傷特有の焼ける様な痛みを感じ、俺の中で自覚した事の無い感情が湧き上がる。恐怖とも違う、焦燥とも違う、高揚と鎮静の混合された感情。

 続いて打ち込まれた左右連続の拳撃は大振りで、容易に回避する事が出来た。足が滑らかに動き、目が男の全身を捉えている。

 ―――こいつは、どこまでやれるのだろう。

 ―――何をしたいのだろう。

 ―――次にどう動くのだろう。

 何度も繰り出される男の攻撃を見、避け、時々避けきれずに体を掠める。その繰り返しの中で俺の思考は段々と研ぎ澄まされ、平静に近づいていた。

 やがて、俺は理解する。これが「慣れる」という事なのだ、と。

 いつしか、俺は男の拳撃を目で追って軌道を逸らすばかりで無く、どの角度でどの辺りを狙って放たれているのかを予測出来るまでになっていた。

 業を煮やした男が一旦後ろに下がり、適度な間を取って右足を浮かせる。その動作を見ただけで、男が俺の脇腹に回し蹴りを試みている事が読み取れ、俺は僅かに屈んだ。

 そのまま、放たれた右脚の下を潜って蹴りを回避すると、左手で太腿の外側を押す。片足立ちの不安定な状態で外的な力を加えられた男は、一瞬体勢を崩した。

 左手を体に戻す。右足が地面を踏み締める。内包し得る限りの全エネルギーが籠った右の拳が、回し蹴りによって少し横を向いていた男の下顎、その右半分に吸い込まれる様にぶち当たった。

 男が倒れていく。大きな体が弓なりの体勢で地面に叩き付けられるまでの一瞬が、俺にとってはかなりの長さに思われた。

 ―――決まった。倒した。自分の手で、格闘を終わらせた。

 褒められた事では無いだろう。力によっての決着など望んでいた訳では無い。だがしかし、俺の心はある種野蛮とも言える喜びに支配されていた。

 

「…!?お前達、両方やられたのか!?」

「え!?あんちゃん勝ったの!?」

 

 カミルと戦い続けていた男は数歩後ずさりすると、状況を素早く確認して流石に不利だと悟ったのだろう、脇目もふらずに路地から出ていってしまった。

 俺はその背中を見送ると、緊張の緩和から来る激しい疲労感に抗えず壁にもたれかかる。 体のあちこちが痛い。戦っている内に冷静になっていたと思ったが、実際は無我夢中の状態である事に変わりは無かった様だ。

 

「あんちゃん、……とっととここから逃げよう。さっきの奴が憲兵を連れて戻って来るかも知れない」

「何で憲兵が来ちゃいけないんだ?俺達が襲われたんだぞ」

「そういう事にはならないよ…、たぶん」

 

 促されるままに路地を出、屋敷の方角を見据える。目線を戻した時には既に、カミルは足早に先へと進んでしまっていた。

 痛む体をさすりながら後に続く。

 

「どうして俺達が逃げなくちゃいけないんだよ?」

「俺の格好と今までのせい…かな」

「どういう事だ?」

 

 目の端に捉えたカミルの顔はどことなく悲しげで、その中にいくらかの諦観も混ざっている様な暗さも湛えている。

 

「憲兵は俺の身なりやらを見るんだよ。憲兵だけじゃ無い。誰が見たって俺よりさっきの男の方が信用出来そうなツラをしてるだろ?正しいとか、真実とか、そういう問題じゃないんだ。…『どう見えるか』なんだよ」

 

 カミルの言葉、そして何よりその表情が、圧倒的な説得力を持って俺に現実を突き付ける。

 

 

 真実が意味を持たない世界―――その只中に居る目の前の少年に、俺は掛ける言葉一つ見つからなかった。

恐らく、俺がカミルにどんな言葉を送ろうとも、そんなものは空虚で無責任な響きしかもたらさないのだろう。

自らの無力さを感じたまま、俺はカミルを追い抜いて走り出した。

 

「急げ、カミル!謎を解くんだろ!?」

 

俺が振り向くと、薄闇にぼやけたカミルの顔が辛うじて判別出来る。

困った様に微笑む、その顔が。

 

 

 

 昼間にも通った木製の大扉を叩くと、長い間待っていたのだろう、勢い良く扉が開いてドロテー夫人が顔を出した。

 

「お待ちしておりましたわ。…どうかなされました?顔が赤いようですが」

「…ええ。色々ありまして…」

 

 曖昧に笑ってごまかすと、俺が絵について思案していた食堂にもう一度通された。夫人がドアを閉めるのを見た俺は、その場で説明を始める。

 

「…あの絵はもう、片付けましたか」

「ええ。必要ならばお持ちしますが?隣の部屋にありますので」

 

 俺は首肯し、夫人が部屋を出る。すぐに運び込まれた絵を机の上に広げ、夫人とカミルの両人にそれを見るように促した。

 

 

 

 

 

「あんちゃん、いい加減に説明してくれよ」

「やはり、この絵には隠された意味があったのですね…?」

 

二人の顔を見、絵に目を落とした俺はおもむろに口を開く。

 

「ドロテー夫人の言う通りです。この絵はやはり寓意画だった。…『遺言』だと言ったあなたの旦那さんの言葉は、間違ってはいなかったんですよ。―――ドロテー夫人、この屋敷は中庭を囲う様に建てられている。そうですね?」

「ええ、中庭を枠の様に囲って……あっ!?」

 

 何かに思い当たり、食い入る様に絵画を見直したドロテー夫人は、程なくして驚愕に打ち震えたかのように呟く。

 

「地図だわ…!この絵は屋敷の外観を示しているのですね!?……やはりあの人は…」

「恐らく。長方形の籠はこの屋敷を、そして中の蛇は遺産への道の象徴…。そう考えると、蛇が口に挟んでいる小枝、これが重要な意味を持ってくるはずです」

 

 と、ここで今まで会話に加われずにいたカミルがいきなり声を上げた。

 

「枝…!鳥籠が屋敷なら、この枝って『木』の事なんじゃないの!?さっきあんちゃんが訊いたのは…」

「―――カミル、ドロテー夫人も。俺に付いて来て下さい。」

 

 丸めた絵を掴み、俺は足早に食堂を出た。

 

 

 

 林の影と夜空の色は、どちらも墨を流したかの様な漆黒だった。物と物の境界すらぼやける黒の世界の中でただ一点、光を放つランタンを掲げながら俺達三人は少し湿った土を踏み締め、歩いていく。

 屋敷の東側、カミルが違和感を持ったという大樹の陰に到着すると、俺はその予想以上の存在感に思わず息を呑んだ。

 

「こりゃ…でかいな」

「昼間見た時はそんなに感じなかったけど…こうして見ると凄いね」

 

 後ろに振り向き、ドロテー夫人の顔をランプの明かりで照らし出す。その顔に高揚や驚愕の色は窺えず、それどころかどことなく青ざめている様にも見えた。

 その顔色を見た時、俺は先ほどの夫人の言葉尻が少し気になった。何の気なしに訊いてみる。

 

「さっき、絵が地図の役割を果たしていると分かった時、『やはりあの人は』と言いましたね。何か心当たりでも?…差し障りがあれば深くは訊きませんけど」

「え?…ええ…。夫は軍に居た頃、情報部で紛争地の地形調査や地図製作をしていたらしいのです。軍の機密に関わる事なので、それ以上の事は私も知らないのですが…」

「ああ、なるほど。そこに共通点が…」

「あんちゃん!ここに来て何があるんだよ!?早く続きを言ってくれよ!」

 

 カミルに話を中断され、俺は本来の目的を思い出して木の幹や根元を丹念に調べ始める。ごつごつした幹はとても太く、大の大人二人が手を目いっぱい広げてようやく巻き付く事が出来るか、という程もあった。

 幹を叩いたり、触れたりして何かおかしな点は無いかと一心不乱に見て回りながら、半ば独り言のように言葉を紡いだ。

 

「絵に描いてあった蛇が遺産への道の象徴なら、その口はまさに入り口を表しているはずだ。そこに咥えられた小枝がこの木を意味するのなら、入り口はきっとこの近くにある…」

「それは割といい加減だと思うよ、あんちゃん…。この木に手掛かりが無かったらどうするの?」

「あるさ。わざわざ絵に描いたんだ。…もっとも、小枝がこの木の比喩でなかったらお終いだが」

 

 そんな事を言いながら幹を手で軽く叩いていると、ふと、俺の耳が違和感を脳に伝えてきた。

 ―――ん?音が…

 上から下へと幹を叩いていたのだが、俺の腰の高さにある一部分から反響音が明らかに変わったのだ。

 周囲を何度か叩いて確かめ、俺はその原因を理解する。

 

「そうか…。この部分、別の材質のもので帯状に覆ってあるんだ…!」

「ん?どういう事?」

 

 近づいて来たカミルの為に一歩脇に避けてやる。そのまま木の周りをぐるりと回り、材質の違う部分が帯状に広がっているのを確かめた。

 

「やっぱりな。この部分、恐らく一度木の皮を剥がして内部を削った後に別の物質を詰めて、また木の皮を貼り付けたんだ。反響音や硬さからして、セメントの様な粘性のある半固体の物質だろう」

「セメント…。ですが、何故そんな事を…?セメントの更に奥に、何か隠されているのでしょうか?」

「……でしょうね。ほら、ここに小さめの円が三つ刻み込んであります。この穴から中のセメントを分解して取り出せという事なのでしょう」

 

 木の皮の一部に、ここに来た時に扉の前の石床で見たものと似通った円形が彫られている。

 ―――試験はこの為に行われていたのか。

 ドロテー夫人は試験の真意を知らなかっただろう。推測だが、亡くなった夫が言い残していった事なのではないだろうか。

 

「…カミル、後ろに下がってろ。ご丁寧に円まで指定してあるんだ、しくじると木が倒れるように計算されてるかも知れない」

「え!?結構危なそうだね…」

 

 屈んだ俺は一度深呼吸をし、目を見開いて両手を勢い良く合わせ、木の幹に押し付ける。

 空気中を走る錬成光と共に幹が揺れ、程なくして三つの円からクリームの様に分解されたセメント質の物体が流れ出てきた。

 貼り付けられていただけの木の皮が細かく割れ、剥がれ落ちる。やがて目に見えて幹が帯状に細くなり、くびれ始めた。

 ―――どこまでくびれるんだ。このままだと倒れかねないぞ。

 俺が危機感を持った瞬間、くびれた幹の中央部辺りで「ガゴッ」という大きな音が鳴った。

 それと同時に、いきなり周囲の地面が揺れ始める。

 

「あ、あんちゃん!?下…!!」

「何!?」

 

 カミルの指さす方向にランプを向た俺は、驚きと歓喜で身震いがする思いだった。

 大樹の陰、雑草が生えた地面が陥没し、派手な音を立てて崩れ落ちているではないか。

 少しの土煙が晴れた後に現れたのは、縦長の長方形に開いた穴。人間一人が十分通れる大きさだ。

 近づいて中を照らすと、湿っぽい空気と共に下へと続く階段が見えた。

 

「………」

 

 誰も、ただの一言も発さない。

 遂に、蛇は口を開いた。

 


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