屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第一話 四章

 

 目が眩むほどの光は、いつの間にか消えていた様だ。

 だが、俺の視界は未だに一面真っ白のままだった。

 

「……ここは…?」

 

 錬成を行った部屋では無い。それ以前に、そもそもここは「空間」と呼んで良いのだろうか。地面と壁の境目も、天井も認識できない。歩いても歩いても、永遠に続いているのではないかと思えてくる。

 何故こんな所に来てしまったのか。俺がやったのは怪我の治療の為の錬金術だ。自分が予想していた結果と余りにも乖離した現状に眩暈がしてくる。

 出口を求めて辺りを彷徨う。しかし、歩いても歩いても、ただただ距離感の失われた白い場所を進んでいるだけだ。その内、自分が前に進んでいるのかどうかもあやふやになってきてしまった。

 

「……誰か…!?誰かいないのか!?誰かーーーー!!」

 

 死に掛けていたはずの彼女の姿も見えない。事ここに至り、俺はこの空間―――取り敢えず俺はここを「空間」と仮定する事にした―――が何処であるのか、という事に関して一つの可能性を思い付いた。

 すなわち、ここが天国であるという可能性だ。

 

「……そんな…」

 

 自分の推測に自らが戦慄する。もしここが天国、あるいはそれに準ずる場所だとするならば、俺の行った錬金術は失敗した可能性が限り無く高まるからだ。

 あれだけ必死で試行錯誤したのに―――絶望感に襲われ、俺が膝から崩れ落ちた、その時。

 

「―――こっちだ、こっち」

「なっ!!誰だ!?」

 

 いきなり背後から声を掛けられ、全身で振り返る。

 …そこには、何かが「居た」。少なくとも俺はそう認識できた。

 

 

 しかし、認識したにも関わらず「それ」が一体何なのか、どういう存在なのかを解する事は出来なかった。

 

「お前は……何だ?」

 

口を突いて出てきたその問いは、俺が錬金術師で在るが為に持っている探究心の表れなのだろう。眼前の「それ」もその思いを察したのか、それとも単なる嘲笑か、唐突に大きく口を開け、歯を剥き出しにして口角を上げる。

この時初めて俺は、現れた口の位置から「それ」が人の形を取っている事を認識した。  よく全体を見ると、「それ」はこの空間と全く同じ白色であったが、微かに輪郭線が黒い影か粒の様なもので縁取られている事が解ったのだ。

 それは一言で言えば「白い影」とでも形容できるだろうか。

 

「―――私は『全』。あるいは…『一』。あるいは『お前』であり、また『世界』だ…」

「な…!?」

 

 白い影の放った言葉には聞き覚えがあった。「一は全、全は一」と言う表現でいくつかの錬金術関連の学術本にも書かれていたのを覚えている。

 独学での錬金術の訓練が心細くなり、一時期だけ錬金術師を師と仰いで修行をしていた事もあったが、その師匠もこの言葉を時折俺に説いていた。

 その時は単なる錬金術の思想か概念の一つに過ぎないと思って聞き流していたが、何故この白い影までがその言葉を口にするのか。

 なおも混乱する俺を尻目に、白い影は話し続ける。

 

「お前はここに来た。錬金術の奥底に触れてしまったのだ。お前達が言う所の『禁忌』を犯した、と言った方が良いか」

「…そんな!?俺は人体錬成を行わない様に陣を書き換えた!あれはただの医療錬金術だったはずだ!!死んだ人間を創ろうとした訳でも無い!!」

 

 俺の必死の反論を聞いた白い影は、しかし、ただただその大きな口を歪ませてにやけた。

 まさしく、俺の愚かさ、浅ましさを嘲笑うかの様に。

 

「お前はここに来た。お前自身がどう思おうと、禁忌を犯した事実は変わらないのだ。お前は人体錬成を行い、そして、………扉を開ける」

「扉…?」

 

 白い影の形が変わっていく。数瞬硬直した俺だったが、影は俺の背後にある「何か」を指差しているのだと気付き、恐る恐る振り向いた。

 そこには―――

 

「―――何だ、これ……!?」

 

 目の前にそびえ立っていたのは、とてつもなく大きな「扉」であった。

 大きな板が二枚。中心に縦の切れ目が入っており、恐らくここから左右に開くのだろう。板自体の材質ははっきりしない。見たところでは大理石か石灰岩の様な白い鉱物素材に思えるのだが、これほど大きな一枚岩など切り出せるはずがない。必然的に、この扉を作るのは人間に出来る所業では無いという事は明白だった。

 人には決して作れない巨大な扉―――これを見た俺はいよいよ体が震えはじめた。これから自分の身に何が起こるのか、全く想像が付かない。抑えようのない恐怖が全身を支配する。

 そして、一瞬の緊迫した静寂の後。

 その巨大な扉が、轟音を上げながら開き始めた。

 

「ああ…ああああああ…」

 

 無意識に洩れる呻き声。半開きになった扉の向こう側は全くの暗黒が広がっており、まるで全てを飲み込まんとしているかの様だ。

 

「―――行け。そして、見てくるがよい」

 

 白い影の放ったその言葉と同時に、暗黒の中から巨大な眼がばっくりと出現した。灰色で無機質な、縦に伸びる紡錘形の眼が俺を見つめる。

 それと同時に、暗闇からは無数の触手が這い出て来ていた。ゆらゆらと揺れるそれらは細長く伸び続け、気付くと俺の手足はその黒い触手にがっちりと巻き付かれている。

 引きずり込まれる―――無意識にそう確信した瞬間、案の定体全体が猛烈な速度で扉の中へと入っていった。

 

「う…うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 扉の奥で待ち受けていたのは、死でも、それに準ずる苦痛でも無かった。

 

「何だ…何なんだこりゃあ…!?」

 

 到底表現する事など出来ない。強いて言うのならば記憶の洪水、知識の奔流、映像の怒涛とでも言えるのだろうか。

 古今東西、それら全ての出来事、発明、ありとあらゆる知識が脳内を駆け巡り、通り過ぎ、時には断片的に、時には余す所無く刻み込まれてゆく。

 その圧倒的な情報の大河に晒される中で俺は理解した。

 ―――これは「真理」だ。これこそが錬金術の「真理」と呼ばれるものだったんだ。

 

「……どうだ?扉の向こう側を垣間見た感想は」

 

 気付けば、俺はいつの間にか真っ白の空間に横たわっていた。つい先ほどまで開いていた扉は固く閉ざされ、よく解らない図形が刻まれた前面を俺に見せつけている。

 

「……あれは『真理』だな。物凄い知識を得たぞ…。あははははは、最高だ…!」

 

 俺は笑っていた。死ぬかもしれない、もしかしたらもっと恐ろしい事になるかも解らない、そんな心境からの反動もあったのだろう。寝転がりながら狂った様に笑い続け、ひとしきり嬌声を上げた後、白い影の方に向き直った。

 

「もっとだ。もっと見せろ!まだ全部は見て無い!こんな程度じゃまだ序の口―――」

「いや、ここまでだ。…お前が支払う通行料ではな」

 

 白い影の言葉と同時に、扉の切れ目から一本の黒い触手が目にも止まらぬ速さで俺の額に突き刺さった。

 

「ぐがっ…な…!?」

 

 痛みは感じなかった。そのかわり、脳内を掻き回され探られている様な何とも言えない不快感が全身を駆け巡る。冷や汗が頬を伝い、陸に打ち揚げられた魚の如く両腕が震える。

 

「通行…料…!?それは…?」

「ここを通り扉の奥を見た者はそれを支払わなければならない。一人づつ、見る度にな」

 

 触手が額から抜かれた。反射的に頭を押さえて確認するが、そこには傷一つとして付いてはいなかった。

 

「何を…奪った!!」

「帰れば分かる」

「何故だ…!!何故そんなものを、通行料なんて!!」

 

 俺の叫びに、最後までにやけた表情を崩さないまま白い影は答えた。

 

「何かを得る為には同等の代価が要る。お前達が一番良く知っているはずだ、錬金術師」

 

 急激に意識が遠のき、視界が暗闇に支配されていく。

 薄れていく意識の中でぼんやりと言葉を紡いだ。誰にも届くことの無い独り言を。

 

「『等価交換』、か…。」

 

 それ以降の記憶は無い。

 

 

 

 

 最初に俺が認識したのは、嗅ぎ慣れた薬品の臭いだった。

 無意識に目を開け、瞬きを数回。はっきりした視界の中にあったのは、幾度と無く見た暗い天井であった。

 戻って来た―――そう思った。

 

「う…何だったんだ…あそこは」

 

 記憶が整理され、有意な情報として繋がり始める。俺は人体錬成をやらかしてしまい、奇妙な空間で白い影との問答を交わしたのだ。その後扉の向こうで膨大な情報を刻み込まれ、「通行料」とやらを払わされた。そして意識の喪失。

 

「くそ……。ん?鼻血が…」

 

 生暖かい感覚に口元の辺りを押さえると、赤黒い血が鼻から垂れていた。いつの間に出ていたのだろうか。

 ふう、と息を吐き心を落ち着かせる。まさかあの錬成陣でも人体錬成の扱いを受けてしまうとは。完全に予想外だった。

 そこまで考えた所で、俺は何か致命的な欠陥をしている様な気がした。

 

「あれ…?」

 

 そうだ。俺はまず考えるべき事を考えていない。

 ―――正確に言うと、考える事が出来なくなっていた。

 

「俺は…『誰の為に』錬成を…?」

 

 脳内の疑問をただ単に口から垂れ流したその瞬間、俺は今までの人生で感じた事の無いほどの絶望を感じ、激しく体全体が震え始めた。

 

「ああ…あああ…。あああああああああ…!!これが、思い出せない…!!これが、つ…『通行料』か!!」

 

 あの白い影の言っていた言葉の意味が今、解った。

 人体錬成にならないように努力していた事、怪我人が運び込まれてきた事、その横で謝り続け、諦めかけた事。それらは確かに覚えている。

 だが、「誰が」運ばれてきたのか。「誰を」救おうとしていたのか。「誰の為」泣いていたのか―――それらがどうしても思い出せないのだ。

 名前も顔も声も、過ごした日々も全て。俺が誰かと一緒に過ごした事は記憶に残っている。しかし、誰かが分からない。

 自らの身に起こった事を自覚した俺は頭を抱え、悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げた。

 

「…!!そうだ、手紙が!手紙を書いたはずだ!」

 

 失敗した時の為に置いておいた手紙の存在を思い出し、辺りを見渡した俺の視界に、黒っぽい「何か」が映った。

 

「っ…!?」

 

 なぜ今の今まで気付かなかったのだろう。錬成陣の中心にそれは転がっていた。

 本来ならば怯えるべきなのだろうか。目の前に居た「それ」は、人の頭部らしき部分が付いた、骨と肉の塊と表現出来る代物だった。

 よく見るとそれは微かに動き、呼吸をしている様だった。異形ではあるが生き物らしい。どことなく人間の要素を含んでいると見えなくも無い。

 

「あ…そうか…」

 

 それの正体を思い付き、俺は呆けた声を出す。

 この異形の生物は、俺の行った人体錬成の産物なのだろう。俺の書いた錬成陣は結局、こんな人とも呼べない生物を創り出すだけに終わってしまったのだ。

 その答えに行き着いても、不思議と感情は動かなかった。ただ、「失敗したんだな」と言う感想のみ。

 恐らく記憶を失っているからなのだろう。蘇らせたかった人の記憶を失っているが為に幸か不幸か、何処までも客観的な見方をする事が叶っていた。

 床に落ちていた手紙を見つけ、錬成陣の生物を取り敢えず放置して読み始める。

 だが、少し読んだ所で流れるように動いていた俺の目は止まってしまった。

 

「読めない…」

 

 書かれている文字はほぼ全て読解出来る。そこに問題は無かった。

 読めないのはたったの数文字。何故かその文字を見ても、どう読みどう理解するのかが解らない状態になってしまっていた。

 前後の文からその数文字の意味を推測し、呟く。

 

「名前だ…。この数文字は人名か…!」

 

 この手紙に書く人名など一つしか無い。そう理解した時、俺はまたしても絶望に苛まれる。

 錬成しようとした者の全ての記憶と、人名。

 俺が支払った通行料とは、詰まる所その二つだった。

 

「…でか…過ぎるぞ…!!」

 

 自分が命を捨ててまで生かそうとした人。余程大切な人だったのだろう。それらを全て、失ってしまった。

 俺は誰の為に命を賭けたのか。俺はどれだけ幸せだったのか。

 それらは一つ残らず、扉の向こうに消え去った。

 

 

 


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