屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第三話 第二章

 

 一体、今は何時ごろなのだろうか。時計は服のポケットに入っている為、後ろ手に縛られた状態では確認する事も出来ない。

 車外に広がる暗闇も、殆どの光をその腹に飲み込みながら果てしなく広がっている。人工物の明かりも見えず、ただただ影の濃淡によって木々の輪郭が判別できるだけの、何一つとしてもたらす事の無い暗闇。

 寒々しさと言い表し切れない恐怖感を感じ、俺は窓の外を見る事を止めた。

 

「……すいません」

「ん?何だい」

 

 隣に座っていた―――正確には「座るよう強いられている」だが―――五十代位の顎鬚を生やした男に、小声で話し掛ける。

 

「上着のポケットに時計が。右側にあるんです、取って貰えますか」

「ああ…。分かった。だが、見張りに気付かれないようにしないと」

 

 銃を持った見張りは客車の前方のドア付近に三人、後ろに二人。この列車の座席は窓に対して背もたれが垂直に位置する、いわゆるクロスシートタイプなので、前の三人には背もたれが障害物となって俺達の手の動きは見えないはずだ。

 問題は後ろの二人だが、これも体で遮れば難無く隠し通せる予測は出来た。それに、そもそも時計を取って時間を確認するだけだ。ばれたとしても即座に射殺されるとは思えなかった。

 僅かに体を移動させ、壮年の男の手が在るであろう位置にポケットの口を持っていく。男の手がポケットの中をまさぐり、列車に乗り込む前に外してしまっていた安物の腕時計を抜き出すのが体の感覚と衣擦れの音で分かった。

 

「これだな。ほら」

「あ…。ありがとうございます」

 

 座席に放り出された時計の文字盤を見ると、夜の十時を少し回っていた。出発前に駅員に聞いた時には「真夜中頃にはセントラルに着いている」と教えられていたが、もうすぐ到着するという事なのだろうか。

 残りの乗車時間で、この列車占拠事件が終了するのかどうか。特にやる事も無い俺はそんな事を一生懸命に思案していたが、大きな音を立てて開いたドアがその思考を一旦中断させる事となった。

 

「―――どうも、乗客の皆さん」

 

 挨拶と共に客車へ入ってきたのは、背の高い男だった。見張り達が一斉に姿勢を正した事から察するに、この男が「リーダー」なのだろう。

 男の後ろには、一回りほど若いもう一人の男が佇んでいる。自らの存在が目立たない様に意識しているのか、ドアの後ろから半身だけ覗かせて客車の中を窺っているのが見えた。

 リーダーらしき男が数歩歩き、座席に座った乗客を眺め回す。その表情には敵意や侮りの色は一切見えない。

 上品そうな微笑のみが、顔に張り付いていた。

  

「いやあ、我々の都合に付き合わせてしまって申し訳ない。ただ、皆さんにはもう少しだけ我々に付き合って頂きます」

「おい!俺達をどうする気だ!?何時まで人質にさせられる!?それとも殺す気なのか!」

 

 乗客の中からうんざりした様な叫び声が上がる。この中にいる乗客全員が同様の感情を抱いているだろう。もちろん俺も例外ではなかった。

 背の高いリーダーの男は笑みを崩さぬまま、むしろより一層口角を上げて落ち着いた声を出す。

 

「心配ありません。皆さんを射殺したり、延々と連れ回し続けるといった事は行いませんから。我々は東部を中心に活動している『青の団』と言う団体です。今回、政府によって拘束された我々の仲間の解放を求めるという、自由に向けた高い理想を持ってこの行動を起こしました。その精神を汚すような血は一滴も流さない、それだけは信じて頂きたい」

 

 笑みの奥の真意を覗き見る事は出来ない。俺達はその言葉を信じるしか道が無かった。

 そこまでは仕方ないと諦めて受容していた俺だったが、続けてリーダーの男が放った言葉に対しては、声を上げずにいられなかった。

 

「それともう一点。この列車はセントラルには向かいません。途中で進路を変え、東部へと進ませて頂きます。皆さんが自由になるのは東部でという事になりますが、ご了承頂きたい」

「な…!?セントラルじゃなくて東部に行くのかよ!?」

 

 いきなり大声を上げた俺に、周囲の視線が突き刺さるが、そんな事には構っていられない。

 セントラルに到着するのがまた一日、場合によってはもっと遅れてしまうというのは看過出来るものでは無かった。

 そもそも「セントラル行きの列車を占拠した犯人達がセントラルに向かう」という仮定自体は間違っていなかったはずだ。それに立脚し、俺は大人しく従う道を選んだ。

 だが、その前提が覆されてしまうのなら。大人しく従っている事で、俺が自分の目的から遠ざかってしまうのだとしたら。

 俺はリーダーの男を睨み付けた。

 

「ええ…。東部に向かいます。―――理解して頂けますね?」

 

 視線に気付いたリーダーの男が、俺の顔をはっきりと見据えて諭す様に同意を求めた。

 男が捧げ持っていた銃はいつの間にか、俺の眉間にぴったりと銃口を合わせている。

 

「言い忘れていましたが、この列車には皆さんがもし、万が一反乱などを起こした場合の為に『対策』が取られていますので。くれぐれも変な気は起こさないよう、お願いしますよ」

 

 この距離まで近づいた時点で、俺は男の目が全くもって笑っていない事に気付いた。

 ―――まずい。これ以上抵抗してはいけない。

 本能が俺に警告を発し、それ以上は一言も発さないまま下を向く。

 この男は撃つ。「危害を加えない」などは嘘だ。いざとなれば容赦無く俺達を殺しにかかるだろう―――無意識に働いた俺の本能は、そうも告げていた。

 今この場で最大限の抵抗をしても、取り押さえられて無力化されるのが関の山だ。周りの乗客にも被害が及ぶかも知れない。

 金属音や床の軋む音で、リーダーの男が後ろに下がったことが分かった。目線だけを上げると、見張りの為に元から居た前方の三人を残して客車から立ち去るリーダーの男と、その横に付き添っている若い男の後ろ姿が目に入った。 

 

「まったく…。最悪だよクソ…」

 

 そう毒を吐くのが、俺に今行える精一杯の抵抗だった。

 

 

 

 

 部下からの報告を受け終えた後、私は座席の背もたれに体を預けて息を吐いた。これまでは勢いで進行出来た面もあって疲労を感じる事は無かったのだが、いつの間にか肩がかなり凝っている事に気付く。

 ―――意外と疲れる…。

 

「先ほどの面通しで、錬金術師らしき者は見つけられたか?」

「……いえ、特に不審な者は。体に練成陣を印している者も居ませんでしたし…。ただ、あれだけでは判断材料としては乏しい」

 

 目を閉じて休ませながらの問い掛けに、青年錬金術師は落ち着いた様子で答える。この錬金術師の静かな声は、疲れているが故の声色というよりも「無関心」から来るそれに近い様な気がした。

 こんな態度の者を長い間我々の中に置き、なおかつその腕に頼ってしまっているという現状はあまりよろしくない。

 今回の人質交渉が成功し、青の団の主要メンバーが解放された時点でこの錬金術師の立場も再考しなければなるまい―――私は無表情を作りながら、腹の中でそんな算段を立てた。

 

「ルドヴィゴさん、乗客に言っていた『対策』とは具体的にはどのようなものなんですか。僕は全く聞かされていなかったのですが」

「ん?ああ…」

 

 錬金術師の顔を眺めた私は、その瞳の奥にある真意を読み取ろうとその顔を凝視した。

 大体の人間は他人の表情と声によってその感情を推測する。私はその傾向を利用して笑顔で感情を覆い隠す行動を頻繁に取るが、逆に相手からこのテクニックで感情を隠されるというのは気分の良いものでは無い。

 そして幸か不幸かこの青年は、瞳の奥底にまで本心を隠し通す技量は持ち合わせていないようだった。

 ―――駄目だ。疑心がある。そんな目をしている。

 落ち着き払った仕草を取っていても、内心ではそれ相応の情動が渦巻いているのだろう。

 

「…まあ、今は知らなくても良い。そのうち分かるだろう」

 

 私が茶を濁すと、案の定、感情を隠し切れていない瞳の奥の光が揺らいだ。やはりこの青年は深い所では信用出来ないという認識を、私は改めて持つ事になる。

 

「錬金術師はこの列車には乗っていない、と考えても良いのだろうか」

「…どうでしょうか。今さっきも言いましたが、一度見てみるだけでは判断しかねます」

「それは確かにそうだが…。今は他にやらなければいけない事がある。現状を固定化して態勢を安定させるのが先だ。その後でもう一度、調べ直せばいいだろう」

 

 錬金術師を早い段階で特定出来ずに、後々手が付けられない程に大暴れされる可能性と、錬金術師にばかり気を取られて足元を掬われる可能性。

 この二つを比べ、私は前者よりも後者を取る事に決めた。万が一錬金術師がこの列車に乗り合わせており、術を使って反抗してきたとしても、こちらの錬金術師をぶつけさせれば良いだけだ。

 最低限足止めを行ってくれれば上出来。その間に我々が射殺してしまえばそれで終わる。

 その旨を伝えて半ば強引に青年を納得させると、私はまた目を閉じて体の力を抜いた。

 

「ふう…」

 

 やはり、疲れる。

 何事も起こらない事を切に願いながら、私は溜息を吐いて近くの同志達に指示を出した後で休息の体勢を取った。

 

 

 

 

 

 室内灯が時々暗くなるのは、列車が揺れる為だろうか。

 乗客達は無言のまま、座席で縮こまって下を向いている。俺自身もその空気には逆らわず、ひたすらに脳内で今後の進展を想像して時間を潰していた。

 どうすればいいのか、どうすればこの状況を脱せるのか、そしてその方法はリスクに見合った可能性を持っているのか。

 様々な条件を考え、消し去り、また考え。

 だが、その思考の根底にはだんだんと一つの感情が肥大して居座り始めていた。

 ―――やめておいた方が良い。どうにかなるものでは無い。

 実際、今まで考えた解決法のどれもが、突拍子も無い無理矢理の計画であった。とても成功するなどとは思えない。

 結局、「ただ黙って言う通りにしている」という答えに行き着いてしまうのだ。

 

「……おい」

 

 その時だ。諦めかけていた俺に、先ほど時計を取ってくれた男が囁いてきた。

 視線の指す所を見ると、後ろで縛られた手の中に紙片が握られている。一体何時の間に

、と思う間も無く、男が俺に背を向けて紙片を受け取る事を強いる様に手を突き出してきた。

 余りに大きな動きをしていると見張りにばれてしまう。紙には何事かが書かれているのだろうというのは予想出来たが、わざわざそんな方法を取るという事は見張りに気付かれてはまずい内容が書かれているはずだ。

 太腿を座席の上に乗せ、男が落とした紙片を隠す。そのまま引き寄せて見下ろすと、判読しにくい汚い字で数個の単語が書き連ねてあった。

 

「トイレ 抵抗 奪還 その時は伏せろ」

 

 俺が読み終えたとほぼ同時に、乗客の中の一人が声を上げた。

 

「すみません、トイレ行かせて貰えませんか…!」

 

 紙片の言葉と耳に入ってきた声。それらを頭の中で咀嚼した俺は、改めて自分の座っている位置を認識し、愕然とした。

 俺は中心の通路を挟んで左右の両側にある座席の、一番奥に座っていたのである。つまり、この紙片が回って来たのはほぼ最後。

 よく見ると他の乗客は皆俯きがちで、座席の座り方も浅い。

 ―――この客車を力ずくで取り返す気か…!!

 最低限手の拘束は解いているのだろうが、それにしても武器無しで銃を持った五人の男を組み伏せる事など非現実的過ぎる。

 誰か一人が銃を乱射すれば、抵抗し始めた者だけでなく他の乗客も撃たれてしまう可能性すらあるはずだ。

 それでも強行するというのは一体どういう事なのか。誰か数人が自分達だけで密かに発案し、議論ばかりが先行してしまったのか。

 ―――違う…問題は計画が即席で甘過ぎる事だ…!

 しかし、今更大声を上げて計画を妨害など出来るはずもない。

 咄嗟に両手を合わせて錬金術を使おうとする俺だったが、縛り方の関係で手の甲同士が合わさるような状態になっており、その状態から動かす事も出来なかった。

 ―――どうすれば錬成出来る…!?

 拘束されたままではどうあっても手合わせでの錬成は不可能だと悟った俺は、右腕を目一杯左側に伸ばして体の側面に手が来るようにした。

目的は、座席の両端に取り付けられている少しだけ錆びた金具だ。座席の角を覆い、そこからシートなどが痛まないようにカバーする為の物らしい。

 金属部の中には、加工の甘さ故か経年変化か、断面が少し鋭くささくれている箇所があった。

 錬金術はそもそも錬成陣を描いて発動させるものだ。手を打ち合わせるだけでの錬成が異常なのであり、錬成陣が基本である事に変わりは無い。

そして、錬成陣は描こうと思えばどんな素材でも描ける。

 

「っつ…!」

 

人差し指の先をささくれに押し当て、一気に上から下へと滑らせる。赤い液体が、染み出す様に指の腹に広がっていった。

―――描ける。

 単純な陣でいい。とにかく急いで描かなければいけない。なおかつ、正確に。

数秒で描き終え、もう一度先ほどの「トイレに行きたい」と言っていた乗客の方を確認すると、見張りに立ち上がらせられ、丁度歩かされようとしている所だった。

その周囲では、明らかに腰を浮かせている数人の乗客が認められる。見張りに飛び掛かる為だ、という事はすぐに解った。

 ―――間に合え!

俺が抵抗行動の傍観者から主体になろうとした理由は、完全に合理性を考えたからだ。素手で客車を奪還するというのはやはり無理がある。人質全員が死ぬ可能性すらあった。

それでも計画は強行される。ならば、少しでも戦力を増やして成功率を上げるしか方法は無い。

 そして、この場で最も「戦力」となりうるのは俺の錬金術だ、と俺は確信していた。

せめて防弾の為の遮蔽物くらいは作り出さなければ。

血で描いた錬成陣に、手を押し付けた。金具が盛り上がって変形し、みるみる内に鋭利な刃へと変わっていく。

 

「おい、お前!何だ今の光は!?」

 

 前方の見張りが錬成光に気付いて足早に近付いてきた頃には、既に俺の手を縛っていたロープは刃によって切られて床に落ちていた。

 反射的に立ち上がった俺の行動が引き金になったのかは分からない。

だが事実として、腰を浮かせていた乗客は俺の起立と全く同時に見張りの一人へと飛び掛かっていた。

 

「うわっ!?何だ貴様ら!」

 

 鳴り響く一発の銃声。

反逆開始の号令に、これほど相応しい音もなかった。


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