屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第二話 最終章

 天井から吊られた裸電球が、僅かにゆらゆらと揺れている。

 俺とカミル、ドロテー夫人の三人は遂に地下道を抜け、隠された地上の部屋へと辿り着いていた。

 現状で俺とカミルが最も興味を引かれているのは、部屋の壁際に置かれた黒塗りの金庫だ。 慎重を期してまじまじと観察する俺とは対照的に、カミルは夫人から鍵を受け取って金庫の扉の前にしゃがみ込んでいる。

 この鍵というのはつい先ほど、地下道の壁に掛けられていた物だ。この金庫の鍵だという証拠は無いが、状況を鑑みるとそう考えるのは至って合理的だと思われた。

 後ろ姿からもそれと分かるほどわくわくした様子でカミルが扉に鍵を差し込もうとし、―――小さく困惑の声を上げた。

 

「…あれっ?」

「どうした、カミル」

「いや、…鍵穴が無いよ、この金庫」

 

 思わず眉をひそめてカミルの隣にしゃがみ、扉をもう一度確かめる。確かに、普通ならば鍵穴が付いているはずの前面扉、その取っ手の下には何も取り付けられていなかった。

 だとすれば考えられるのはダイヤル式の金庫という事になるのだが、数字を合わせるダイヤルなども全く見当たらない。

 扉にはただただ、取っ手が取り付けられているだけだった。

 

「これ…、もう開いちゃうんじゃないの?」

「いや、まさかそんな事は…う…どうだろうか」

 

 俺が考えている間にカミルはサッと取っ手を回してしまっていた。少しの軋轢音と共に、すんなりと開いてしまう扉。

 もう一枚の内扉を引き開けると、その奥では何段もの引き出しが重なっていた。

 

「何だ、引き出しばっかりだよ。……これは、書類?」

 

 適当な引き出しを開けて中身を検め始めたカミルが手に取ったのは、数枚の紙束だった。上質な羊皮紙が使われた古めかしい紙質で、いかにも重要な書類だという風に見える。

 

「…駄目だ、難しくて読めないや。あんちゃん読める?」

「ちょっと寄越せ」

 

 受け取った羊皮紙の文面を数行読んでみると、この書類はどうやら土地の権利書らしいという事が分かった。

 俺達の後ろで手持ち無沙汰に立っていた夫人に書類を渡し、確認を取る。

 

「夫人、この書類の土地が何処だか分かりますか」

「……さあ。覚えはありませんわ。ただ、あの人は儲けを色々と資産化していましたから…。恐らくこの土地もその一部でしょう」

「あんちゃん!この引き出しの中、それと同じ様な紙ばっかりだよ!土地って、売れば結構な金になるんじゃないの?」

 

 カミルの手には羊皮紙が何枚も握られている。それら全ての金銭的価値は、確かにかなりなものとなるはずだ。

 そう思い至った俺はカミルと同じ様に引き出しを次々と開け、中身を全て確認していった。

 

「凄い…!夫人、土地やら建物やら、この金庫の中身全部を合わせれば相当な資産価値ですよ!」

「あの人が、そんなにも沢山のものを…」

 

 最下段の引き出しの一つには金の延べ棒や大きな宝石まで収められており、金庫の中身はまさしく「遺産」と言うに相応しいものだった。

 権利書の束の上に寝転がって満面の笑みで笑っているカミルを見下ろした俺も、自然と頬が緩んできてしまったほどだ。

 

「ドロテー夫人、約束通りこの遺産は頂けるんでしょうね!?」

「もちろんです。…ただ、役所に届け出を出して税金を払った後で、という事にはなりますが」

 

 確かに相続税などで多少は持っていかれるだろう。それは致し方ないのですぐに納得して首肯したが、そうなってくると俺が金を実際に受け取れるのはいつ頃になるのか、という懸念を持たざるを得ない。

 

「…あんちゃん、結局この鍵は何処の鍵なんだろうね」

「ん?ああ、そうだな…。掛けてあった位置が位置だし、この部屋の何処かに使うんだろうが…」

 

 一通り笑って落ち着いた所でカミルがふと漏らした疑問に答えつつ、俺は室内を見回す。

 確かに、この鍵の用途が解らないというのは気分の良いものでは無い。壁や天井、室内にある物品を目を凝らしながら順々に見ていった俺は、数十秒後、壁際に貼り付けられた四角い鉄板を発見した。

 立ち上がって近付くと、鉄板の中央には鍵穴の様な切れ込みが入っている。カミルが投げ渡した鍵を受け取り穴に押し込むと、やはりと言うべきか、ぴったりと合致した。

 その状態で鍵を回そうとした俺だったが、踏み締めた床の感触に違和感を覚え、下を確認する。

 すると、自分の立っている位置を中心として、周りの床に半円状の溝が刻まれていた。

 ―――これは…。

 指先に力を込め、鍵を捻る。

 途端に、俺の立っていた床が軽い振動と共に動き、回転し始めた。

 

「うわ、あんちゃん、まだ仕掛けがあったの!?」

 

 俺と共に回転した壁と床は、丁度九十度ほど行った所でいきなり止まった。

 ―――どんでん返し…って奴か。

 子供の頃に読んだ本に載っていた、東洋の家に備えられたギミックの事が脳裏によぎった。板張りの壁の中央に柱が通っており、もたれ掛かると回転するようになっている扉の事だ。

 この壁もそれと同様な回転式の隠し扉で、鍵はそのトリガーとなっていたのだ、と俺がやっと理解した時、どんでん返しの向こう側から鋭い自然光が差し込んできた。

 ―――窓か…!

 手で目を覆いながら歩み入ったその部屋に、俺は確かな見覚えがあった。

 

「主人の書斎ですわ!ここに繋がっていたなんて!」

「ほんとだ!ここ、俺達が昨日入った書斎だよ!」

 

 最初に書斎に入った時の、間取りに対する漠然とした違和感の正体はこれだったのだろう。書斎とその隣の部屋の間にもう一部屋、隠し部屋が設けられていたのだ。

 窓から燦々と照りつける日光に吸い寄せられる様に近付いた俺は、そのまま窓を開放する。

 内圧の変化か、それとも単なる風か。今はもう隠し扉で繋がった二つの部屋の中に、爽やかな風が勢い良く吹き込んだ。

 部屋の埃や権利書の束が舞い上がり、三者三様に下を向き、髪を押さえて風を除ける。

 

「うわ、権利書が…!何やってんだよあんちゃん」

「すまん、片付ける―――夫人?どうかしました?」

 

 紙束を掻き集めようと隠し部屋の方を振り向いた俺は、夫人が一点を見たまま固まってしまっているのを見つけ、声を掛けた。

 視線の先を追っていくと、部屋の隅、確認を後回しにしていた布を被った「何か」を見ている様だ。

 ちょうど今しがた吹き込んだ風のせいだろう、黄ばんだ布が舞い、床に落ちた。

 その下から現れたのは、またしても用途が良く解らない、小さなドーム状のガラスケースだった。

 近付いて見ると、気泡も無い上質なガラスドームの中には、おびただしい数の建物や樹木、幾つかの山などを模した精巧なミニチュアが収まっていた。

 

「・・・何だ、これ・・・」

 

 どこかの街並みなのだろうが、当然俺には見覚えも心当たりも無い。思わず口を飛び出た呟きに対して微かに震える声で答えたのは、俺と同様にドームの中を見に近寄ってきていたドロテー夫人であった。

 

「……子供の頃、この湖のほとりでよく水浴びをしましたわ…。ああ、角の肉屋さん…、ならこれが…私の家…?」

 

 夢を見ているかの様な、どこかぼんやりとした口調で独り言を垂れ流しながらガラスに指を這わせ、街並みをなぞっていく夫人。

 

「…夫人の生まれた街ですか。戦争で消えた、あなたの故郷…」

 

ガラスから指を離し、夫人は黙りこくった。

このミニチュアを作ったのは誰か、などは考えるまでも無い。その事に思い至り、また、その行動の裏にある真意を推し量ったのだろう。

「このミニチュア、錬成痕が無いな…。一つ残らず手作りらしいですよ。そういえば、隣の書斎に彫刻刀がありましたね」

「…全く、愚かな話ですわね。あの人がここまでして遺した物は…こんな……こ…んな…」

 顔を背け、ガラスドームに寄り掛かる様な体勢で突っ伏す夫人。

失った思い出の象徴を目の前にし、もう二度とそれをなくさない為に。既に喪われてしまった夫の遺した意志を、もう二度と疑わない為に。

様々な想いを内包した、たった一つの幸福の名残にしがみつきながら嗚咽を漏らす老女の小さな背中は、哀しみの中に一抹の喜びを背負っている様にも見えた。

 無言でその様子を見ていた俺だったが、泣き崩れた夫人の震えによってガラスドームの乗った台がずれ、床に紙片が音も無くひらひらと落ちるのを見つけた。

 どうやら古い白黒写真の様だ。裏の白い部分に走り書きで「親愛なる私の協力者に感謝の意を表する」と記されている。

 裏返して写真の面を見る。目の荒い白黒の枠の中、二人の男が椅子に座って微笑んでいた。

 片方の男には見覚えがある。夫人の亡くなった夫だ。となると、もう一人の男が協力者―――もとい、ここまでの仕掛けを作り上げた錬金術師という事になる。

 その男の足元にサインされた名前を、唇をほぼ動かさないままに小声で読み上げる。

 

「『ヴァン・ホーエンハイム』…」

 

 一体どんな著名な錬金術師だろうと思っていたのだが、全く聞いた事の無い名前だ。

 ―――不世出の大錬金術師…?まさかな…。

 写真を金庫の上に置くと、傍らにカミルが近付いて来ていた。何か言いたそうな目をしている。

 そのまま無言で袖を引かれ、俺は強引に隠し部屋から書斎の方に連れて行かれた。

 

「…何すんだよ」

「あのな、あんちゃん…。ドロテーさん泣いてんだよ?そっとしといてやろう、とか思わないの?」

「え?ああ…そうか…」

 

 呆れた様子で溜息を吐くカミルに返す言葉も無く、俺は頭を掻きながらばつの悪そうな顔をしてみせた。

 

「…意外だな。お前がそんな事考えられるなんて」

「あんちゃんは俺を何だと思ってるの…」

「小悪党の置き引き常習犯だろ?」

「…いや、そうなんだけどさ」

 

 会話を交わしながら、横目で薄汚い格好のこの少年を見やる。

 ―――「小悪党」、か。

 俺とカミルの間にはまだ一日ちょっとの付き合いしか無い。しかし、俺がカミルに持っている印象はこの短い時間で随分と変化していた。

 大きく腕を伸ばして伸びをしているカミルに、落ち着いた静かな声で問う。

 

「なあ、お前はこれからも盗みをして生きてくのか?」

「………まあ、多分ね」

「何でだ。満足してるのか?」

 

 「満足しているのか」と言う最後の問いは、あまり深く考えずに発したものだった。だが、その直後のカミルの顔を見た瞬間に俺は自分の浅慮を悔やむ事となった。

 

「満足…?してると思うの?俺が?」

 

 そう答えたカミルの顔は、底の見えないほどの悲しみと諦観に支配されていたのだ。僅かに皮肉めいて吊り上げられた口角が、余計に哀愁を引き立たせていた。

 すまん、と謝る俺に対して投げやりに手を振った後、カミルはポケットに手を突っ込んで窓の外、そのずっと遠い所を眺めて言った。

 

「…抜け出せないよ。学も無い、コネもない。盗む以外にどうしようもない。抜け出せる方が間違ってるんだ。どうして犯罪者が普通に暮らせると思うの?」

「遺産がある。その金でやり直せよ。―――罪は、償えばいいだろ」

「そう言ってのけるだけなら、誰だって出来る。たぶん俺の性格じゃ、遺産は下らない事に注ぎ込んで終わりだよ」

 

 今まで罪の上に罪を重ねて生きてきたこの少年の言葉は果てしなく重く、それ故に俺は何も言い返す事が出来なかった。

 ただ一言、「そうか」とだけ口にする。

 要するに俺は今、全くの無力だったのだ。

 

 

 

 ドロテー夫人が赤い目を擦りながら隠し部屋から出て来た頃には、もう太陽は青空高くにしっかりと鎮座していた。

 

「ドロテーさん、どっか寝る所無いかなあ…。よく考えたら俺とあんちゃん、丸一日寝てないんだ」

「それでしたら、南側の部屋がいくつか空いておりますわ。どうぞごゆっくりお休みになって下さい」

「んじゃ、ちょっと寝てこようかな。あんちゃん、後で遺産はちゃんと分けるからね!」

 

 妙な念押しをしてカミルは走り去っていった。残された俺と夫人は顔を見合わせ、どちらからとも無く苦笑いする。

 

「先ほどは取り乱してしまって申し訳ございません」

「いえ…。夫人は今後もこの屋敷に住まわれるんですか?」

「ええ、他に行く当てもありませんし…。今後の生活に支障ない程度の蓄えもある事ですから」

 

 そこまで話した俺は、不意にとあるアイデアを思い付いた。

 隣にいる夫人の、まだ少し赤い目を見据えて喋り出す。

 

「…となると、一人では手が回らなくなるんじゃないですか?」

 

 

 

 

 あれほど煌々と照り付けていた太陽も、夕方になってくるとその輝きは大分と落ち着かせていた。

 大きな欠伸が一つ、無意識に口から飛び出す。少しくたびれた列車の座席に腰を下ろすと、今まで鳴りを潜めていた睡魔があっという間に襲来した。

 セントラル行きのこの便が発車するまでもう十分程度だ。そのまま眠ってしまおうと背もたれに身を預けた俺だったが、いきなり首根っこを強く掴まれて飛び起きる羽目になった。

 

「あんちゃん、どうしてこんな所に居るのかなあ…?遺産分けるまで何処にも行かないで

って、言わなかった?」

「…そこまでは言ってないぞ」

 

 かなりの距離を走って来たのだろう、汗だくのカミルが列車の窓から上半身をねじ込んで俺の肩に手を回していた。

 手を回すと言っても生半可なものでは無く、万力の様な力でがっちりと身動きが取れない体勢に持ち込まれているのだが。

 鬼気迫る作り笑顔のまま、カミルが低い声で俺を問い詰める。

 

「遺産全部持ち逃げする気だった、とか言わないよな?取り敢えず列車から降りてよ」

「何言ってんだ、お前の取り分はちゃんと渡したぞ?」

「あんちゃん、そんな嘘にもなってない言い訳、言わない方がましだよ?」

「いや、渡したぞ。『ドロテー夫人に』ちゃんと渡した。夫人から聞いてないのか?」

 

 俺の言葉を聞いたカミルはあっという間に笑顔を崩し、笑ってしまうほどに呆けた顔で訊き返してきた。

 

「え…?え?何でドロテーさんが出てくるんだよ!?」

「お前が呑気に寝てる間に話を纏めたんだ。相続税の支払いやら資産価値の決定やらで、今すぐにあの遺産を俺達が受け取るのは無理だ。だから俺は、ドロテーさんから毎月五十万センズずつを新しく作った口座に振り込んでもらう事にした」

「じゃ、じゃあ俺の分は…!?」

 

 走って来た為に出た汗とは違う性質の汗が、カミルの頬を伝い落ち始めていた。もうその腕に力は全く入っていない。

 回された腕の中から難なく抜け出した俺は、にやりと笑った。

 

「夫人はあの屋敷で暮らし続けるそうなんだが、どうしてもあの年だと手が回らないんだと。使用人が一人欲しいって言うから、知り合いを一人紹介した。給料はかなり良いそうで、遺産の三割分は下らないってさ。礼儀作法も教え込んでくれるそうだ」

「あっ…!?うわ、そういう事かよ…!」

 

 ようやく事の次第を理解したカミルが、今度は純粋な半笑いを浮かべながら頭を掻く。未だに列車の中に入ったままのその肩から上を、俺は強引に外に押し出した。

「お前言ったよな。『自分は抜け出せない』って」

「ああ…。言ったよ、確かに言った」

「抜け出してみろよ。お前の罪なんて、ちっぽけなもんだ。それとも、出来ないのか?」

 

 俺の安っぽい挑発にわざと乗っかり、カミルは芝居がかった仕草で腰に手を当てて胸を張った。

 

「俺をなめてんの?すぐに金持ちになってやるよ。まともな金持ちに」

 

 ―――そうだ。カミルの罪なんて、微々たるものだ。

 人を一人救おうとして、逆に全てを失う羽目になった人間だって居る。

 こいつ一人ぐらい、立ち直れたって良いだろう。

 そんな事をぼんやりと思っていた俺に、すっかり気の抜けた穏やかな顔のカミルがまた別の問いを投げ掛けてきた。

 

「…あんちゃん。あんちゃんはこれから、どうするの?セントラルに行って国家資格でも取るのか?」

「…ああ、国家錬金術師の資格か?」

 

 そう言われて初めて、俺はセントラルで国家錬金術師の資格試験が受けられるという事を認識した。

 特殊文献が読めたり、研究費が支給されたりといった特権が与えられる、錬金術師の為の制度として知ってはいたが、今までに受けてみようと思ったことは一度も無い。

 

「…受けないよ。あれは色々とデメリットが大きいんだ。戦争に駆り出されたりする」

「そっかあ…。あんちゃんなら受かると思うけどな。十四歳かそこらで資格持ってる子供もいるらしいよ。『鋼の錬金術師』って言うんだって」

「そこまでの腕は俺には無いな。しっかり試験勉強もしなきゃいけないだろうし、そこまで悠長に使える時間がある訳じゃないんだよ」

 

 たとえ国家錬金術師の資格を取ったとしても、年に一回の査定の為に研究を続けなければならなくなる。俺の最終目的は錬金術を極める事ではなく、賢者の石を手に入れる事なのだ。

 特殊文献の閲覧権は確かに魅力的だが、国家錬金術師にならなければ絶対に読めない、と言うほどのものでは無いだろう。

 今の段階で資格を取ったとして、労力に見合う恩恵を受けられるとは思い難い。

 

「…別に、大層な二つ名が無くたって困らないさ」

「そうだよね。あんちゃんはちょっと抜けてるから、二つ名も間抜けなの付けられちゃいそうだし。『鋼』からランク一つ落ちて、そうだな…。『屑鉄』位じゃない?」

「おい、せめて『屑』は外せよ!ランク二つは落ちてるぞ!」

 

 唐突に高らかに鳴り響いた汽笛が、俺達の軽口の終わりを告げた。

 俺もカミルも、妙にしんみりとした表情でお互いを見やる。夕日に染まった駅のホームが醸し出す湿っぽい空気を打ち破ろうと、俺は固く握った拳を窓の外に突き出した。

 留置所で同じ様に拳を突き出したのが、もう随分と昔の出来事に思われる。

 

「じゃあな」

「うん」

 

 俺の拳とカミルの拳が、小さな音を立てて打ち付けられた。列車が振動し、カミルが素早く一歩下がって俺を見つめながら、手を小さく振る。

 加速度的に速くなる列車。カミルの姿も街並みもあっという間に小さくなり、遂に見えないほど遠くへと消えていった。

 再びの眠気に抗えずに脱力した俺は、窓の外に放り出したままの腕と拳を揺らしながら独語する。

 

「『屑鉄』、ねえ…」

 

 改めて聞いてみると、存外に自分に似合っているように思われ、無意識に笑みがこぼれた。

 ―――まあ、割と良いんじゃないか?

 青空よりも鮮やかな紅色の光の中で瞼を下ろし、俺は心地良い眠りの中へと落ちていった。

 

 

 

 第二話 完

 

 


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